ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2005-05-30(Mon)

crosstalk2005-05-30

[]『オペレッタ狸御殿』 監督:鈴木清順 『オペレッタ狸御殿』 監督:鈴木清順を含むブックマーク

 ふうん、おじいちゃんになると、こ〜ゆ〜ふ〜に世界を楽しむわけだ。ってえか、82歳の鈴木清順監督と、86歳の木村威夫美術監督との、ぶっとんだコラボレーション。もう観ていて「ど〜にでもしてくれ!」と、自分の眼を投げ出してしまってもいい。ただ、このある意味あほらしいナンセンスな世界を、ひたすら楽しむ。

 ひとつにこの作品が面白いのは、例えばTVなどのヴァラエティーのような、豪華な美術できらめくレヴュー・ショーを仕立て上げるのではなく、逆に、シンプルでチープな書き割りでもって舞台的な効果を出していることで、唄って踊っての舞台と、ファンタジーな本筋とをうまく融合させて、二次元平面を使ったCGなどと合わせて、映画以外のどのような表現でも創り出せないような空間を、スクリーンの上に繰り広げていることかな。映像作品としてのレヴュー・ショー、というのもそんなにあるものでもないし、近年は、本来こんな映画が描き出したような世界を現出させていた「ミュージカル映画」というジャンルも、「どうやって歌を挿入しながらリアリティーを獲得するか?」なんて問題に真剣に取り組みたがっているようだし*1

 とにかく全編、リアリティーなどハナッから問題ではない。虚・虚・虚。で、なんだか、笑ってしまう、というのではなく、つい失笑してしまうようなシーンの連続。「え? そんなこと、マジにやるのぉ〜?」って感じで、そう、この作品はとにかくそんな「失笑」を楽しむ、すっとぼけた作品だわさ。CGが切り絵アニメを思わせることもあって、ある瞬間には、ヤン・シュワンクマイエルの作品を大画面で観ているような気分になってしまったりもしたもんだ。いや、やはり鈴木清順(&木村威夫)は偉大です。

 そんな「虚」の世界を支えるキャスティングも見事なもので、そんな中でのわたしのお気に入りは由紀さおり。あっけにとられてしまうほどの変身ぶりで、ここまでやってしまっていいものか?と、心配になってしまう。主役のチャン・ツィイーもさすがに見事なもので、腰元たち(皆いいキャラだった)との掛け合いとか、入浴シーン(ふふふ)とか、要所要所をきっちりおさえている。その他も、妙に生真面目なのがおかしい薬師丸ひろ子とか、いかにも「狸」な高橋元太郎とか、またしても怪演の平幹二朗、またしても飛び跳ねてる山本太郎、そして豆狸、永瀬正敏が居たなんて気が付かなかった狸楽団、皆あまりにも楽しい。で、やっぱラストの市川実和子の口上だね。ここで観客であるわたしたちは、無事に現実に回帰することができる。すてきなエンディングであります。

 あ、もうひとり、オダギリジョー、ちょっと生真面目すぎたかな、って印象もあるけれど、確かに今の日本の男優で、チャン・ツィイーと釣り合うのは、彼ぐらいしか居ないかも知れないね。って、あまり今の若い役者って知らないけれど。

 この、ひとつヌケたゴージャスさは、やっぱりタダものではないでしょう。人間、80代というのも素晴らしそうだな。鈴木清順も木村威夫も、もっともっと発展して下さいな。

 

 

*1:単純に、去年『シカゴ』を観ただけの印象を言ってるに過ぎないけれど

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■ 2005-05-29(Sun)

[] 劇団犯罪友の会 『手の紙』 作・演出:武田一度 at 新宿・タイニイアリス  劇団犯罪友の会 『手の紙』 作・演出:武田一度 at 新宿・タイニイアリスを含むブックマーク

 ‥‥今日は久々に、レヴューを2件も書きます。


 以前から噂だけは聞いていた関西のアングラ劇団の雄、「犯罪友の会」初体験。前回の東京公演は、1998年の南千住駅前の空き地での野外劇と言う事だから、もう前世紀の事ではないか。

 正直言って、いったいどんなハチャメチャな舞台を見せてくれるのだろうか?などという期待があったのは確かなのだけれども、想像していたよりもずっとストレートな、直球勝負の舞台だった。とにかく、観終っての印象では、まずは戯曲としての完成度が高いな、という事。

 舞台になるのは、1962年頃のとある田舎町、そこに隠とんして小さな食堂を経営している、かつての日本軍航空隊員。彼が戦後から継続していたクーデーター計画に巻き込まれ、かつて愛した人もその町を訪れて、といった、実際に戦後一度だけ「破防法」が適用された、「三無事件」を題材にした物語。このあたりの戦後史の検証という視点は、それこそ「紅テント」〜「唐組」、「水族館劇場*1」にも共通する、いかにもアングラ演劇的な視点なのだけれども、この作品『手の紙』を観た限りでは、例えば唐十郎の作品のように、史実とファンタジーがジグソーパズルのように絡み合って新しいベクトルを提示するような作風でもなく、水族館劇場のように、観念と憧憬とセンチメンタリズムのアマルガムが「屋台崩し」として解放されるような作風でもなく、もっとストレートな、政治的な陰謀の陰で押しつぶされる小さな個人の悲哀を描く事にこそ、焦点が当てられている印象がある。で、この『手の紙』では、そんな戦後史的な検証(ちゃんと現在の情況批判になっている)に被さって、主人公の過去の恋人の登場などから、主人公の内面の臆病さ、苦悩がくっきりと描かれる。「あぁ、いいセリフだなぁ」などと思ってしまうセリフもあれこれと出て来るし、何よりも主人公を演じた川本三吉という役者だろうか、彼の内面からほとばしるようなおさえた演技が良くってね、それを回りで支える公安の刑事たち、クーデターを企てるファナティックな男、品格あるかつての恋人、主人公の食堂に出入りする女子高生、シンナー少年(いかにもアングラ芝居らしさのある役柄)たちそれぞれの演技もまた適格で、演劇としての新しさはないなどと、ないモノねだりをしても仕方がないが、見ごたえのある佳作だったと思う。ラストに食堂を飛び出して行く主人公に、つい応援したくなってしまったではないか。

 しかし、やはり次回は、彼らの評判の野外劇を観てみたいものだ。

 

[] SePT独舞 vol.13 井手孤独【idesolo】 at 三軒茶屋:シアタートラム  SePT独舞 vol.13 井手孤独【idesolo】 at 三軒茶屋:シアタートラムを含むブックマーク

 独自のユニークなダンスを展開するユニット、「イデビアン・クルー」を主宰する井手茂太、彼のダンスというのはこれがまったく記憶にない。振付け専門で、自分では舞台に立たない人なのだという印象があった。そんな井手茂太のソロダンス公演がいきなり。噂ではものすごく踊れる人なのだと聞いていたし、「イデビアン・クルー」での不思議なノリのその源泉が、彼のソロダンスならばもっと濃密に体験出来るのではないだろうか、そういう期待から観に来た。

 ま、「イデビアン・クルー」のダンス、といえば、あの「JINRO」のコマーシャルの踊りみたいなの、っていうか、「パラパラ」というか、すっとこどっこいというか、いわゆる欧米的なグルーヴ感から隔たりのある、極めて日本人的なリズム感覚のノリを全面に押し出したダンス、という印象なのだけれども、それがナゼか異様にカッコイイ。いったいこりゃなんなんだ?という印象。

 今回のソロ公演も、舞台は四角い柔道の道場のような畳敷き、その周囲の座席で見る観客は、靴を脱いで座席に着く。なんだか昔森下スタジオで観た、イデビアンの「暗黙の了解」を思い出す。舞台奥にはグランドピアノが置かれていて、バックに生ピアノを使うのかな?などと思っていたら、最後まで、このピアノが音を出す事はなかったではないか。で、二人のイデビアンの女性ダンサーが、まったく無表情に時々井手をサポートしたり、舞台進行をサポートしたり。

 大きく別けて三部構成というか、その冒頭は、ハダシでスーツ、ネクタイ姿の井手茂太が、恐る恐るソロダンスの練習を始めようとしているような光景。そこに突然、観客席からの通路の手すりに布団を引っ掛けて、大音響の音楽を流して大声で叫びながら布団たたきを始める女性が何度か出没し、そのたびにおびえた井手茂太は、舞台裏に逃げて隠れてしまう。これは要するにニュースネタになった奈良の騒音主婦なんだけど、イントロとして効果的に舞台の性格を造り上げたと思う。こういうのって、彼が何度も演劇の振付を担当して来た成果、なのだろうか。

 第2部というか、次のシーンがわたしには圧巻で、先ほどのスーツ姿のまま、頭に高島田に結ったカツラを被って登場し、背中を丸めた姿勢のまま踊りまくる。それがなんというか、70年代の日本のディスコ黎明期(「サタデー・ナイト・フィーバー」よりも前)のダンスの再現みたいな感じもあって、そうそう、当時のディスコって、皆が同じフリを憶えて同じに踊る振付けダンスだったんだよな、などと思い当たり、なんとなく「イデビアン・クルー」の源流に触れた気がしてしまった。それはなんというか、グルーヴ感は抜きにしても、とりあえず皆で踊る楽しさを共有しようとした時代のダンス、と言えばいいのかな、ここに「イデビアン・クルー」の妙なグルーヴがあるのだろうか。

 しかし、圧倒的な力技で、背中を丸めたままの「悪い姿勢」で踊りまくる井手茂太を観ていると、これまた70年代とかに出現して来た、ジャズの世界の坂田明の音楽などを思い出してしまった。つまり、坂田明という人も、外来の「ジャズ」という表現を手段として選んだ時に、ジャズの持つ西欧的なイディオム、歴史的な背景を切り捨て、日本人としてのリズム、グルーヴを、圧倒的な力技で音にしてしまった人、という印象があって、ま、去年高田渡(合掌)とのライヴで、久しぶりに坂田明の生音を聴いた時も、万葉集をサックスの音で詠むとか、そんなドメスティックな展開を今でも続けられているわけで、そんな姿勢は、やはり独自のドメスティックなダンスの展開を目指しているのであろう井手茂太のダンスと、重なって見えてしまったのだ。

 最後には柔道着に黒のノースリーブのシャツで、背中もまっすぐに伸ばしてこれまた圧倒的に踊りまくるのだけれども、カラオケとか唄いながら「好きな事を好きなようにやってます」というのはちょっとそれぞれが断片的で、真ん中のスーツ姿での猫背ダンスから受けたインパクトとはちょっと違うものだった。しかし、壁に垂らされた「俺」という大きな字に向いて、観客に背中を向けて上半身裸でうごめく彼の姿からは、「井手孤独」というタイトルにぴったりの、きっちり構成された力量も感じられて、これはやはり、なかなか得難いソロダンスの公演だったと思う。

 で、こんな、ある意味主流から外れた、体型的にもそんなにスマートではない(ごめんなさい)ダンサーによる、ドメスティックなダンスの公演に立見が出るほどの客が詰め掛け、大喝采を送るという現象に、良い情況になっているな、などと勝手な感想を持ってしまうのだった。う〜ん、井手さんにはまた、ソロででも、「イデビアン・クルー」の一員としてでも、踊って欲しいな。是非また観たい。

 

  

 

*1:ちょうど同じこの時期、水族館劇場も浅草の木馬座で新作公演を行っているのだけれども

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■ 2005-05-27(Fri)

[] 1995/2/13(その1)  1995/2/13(その1)を含むブックマーク


 1995.2.13.

 2月9日、朝5時に起きて6時50分東京発の「のぞみ」で関西に。列車は空いていて気持ち良い。9時半頃新大阪に着き、梅田から阪神電車で尼崎まで。尼崎に近くなると、少しづつ屋根に青いビニールシートをかけた家が目立ち出す。尼崎で電車を降り、ちょっとうろちょろしているとうまくHAさんと出くわす。今日はつまり、この駅前のHAさんの学校から、尼崎市内のマンションまでの引っ越しの手伝いをするのだ。HAさんはそのままマンションの方に出かけ、わたしは学校へ。YOさん、GOくん、その他に会う。HAさんのお兄さん、お母さんにあいさつしていると、YAさん、それからHAさんの友人のオランダから来ている教師の方などが来て、地震の時の話などを聞く。オランダの人は、ちょうど被災地のど真ん中にいて大変だったようだ。

 引っ越しのトラックを待つが、渋滞のせいかなかなか来ない。YOさんとYAさんは、先に掃除をしに新居の方に行く。結局わたしもGOくんといっしょに新居の方に行って待つことにする。GOくんの話では、地震直後にボランティアでまっ先に「山口組」が動いたらしい。


 皆で新居でかんたんな食事をして、午後にやっと荷物が来る。ほんとうに必要最低限のものだけという感じ。


 荷物を運んだあと学校に戻り宿を探してもらうが見つからないので、結局今日は、このHAさん達が現在住んでいる学校に泊めてもらうことになる。



 HAさんは、ある意味ではAU展その他の活動において、嶋本昭三さんの真の後継者になれるはずの方だった。この震災で、専門学校を経営しておられたHAさんのお父さんが亡くなられ、結局HAさんはそのあとを継がれて、アートの世界から離れられてしまう。これは嶋本さんにとってもAU展のその後の展開にとっても、大きなダメージになったと思う。

 結局わたしのお手伝いなどわずかな事しか出来ず、逆に食事をごちそうになったり、宿を探していただいたあげくに見つからず、結局泊めてもらい、何というか迷惑をかけるために出かけて行ったようなものだったかも知れない。でも、被災された方々は、その体験を人に話すのに熱心だ。というか、そのような体験を他者にぶつける事で、精神的な安定を得られるのかも知れない。だからわたしのようによその土地から来る人間は、彼ら、彼女たちの話を聴く。聴く。聴く。それがわたしの役目なのだと思った。もっとこのあたりは、ノートとかとりながら聞く位の気持ちがあっても良かったのかも知れない。

 出来るだけたくさん写真を載せるつもりなので、この2日間の日記は分割して掲載します(まったく本文と関係ない所で写真を挿入してしまいました。御容赦下さい)。


 

 

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■ 2005-05-26(Thu)

[] 1995/2/8  1995/2/8を含むブックマーク

 1995.2.8.

 またしばらくさぼってしまった。

 2月4日、また遅くまで寝てしまい、どうしようもない。少し次作のアイディアひねって、後はヴィデオ観ただけ。たぶん、「イン・ザ・スープ」と、「レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う」なんか。あ、ちがう、この日は「J・V」へ行ったんだ。

 2月5日、この日も遅く起きて渋谷で買い物。ちょっと停滞も度が過ぎる。

 2月6日、またまた遅く起きて、板橋の方まで工具を見に。やはり空振り。

 2月7日、西宮のアートスペースに電話。9日に行くことにする。この日は尾久まで行くが、工具屋がココにいっぱいあることがわかった。他は空振り。

 この間に、「ディーバ」、「カリートへの道」、「チャイニーズ・ブッキーを殺した男」とかヴィデオで見る。「チャイニーズ・ブッキー‥‥」はスゴい傑作。「カリート」も感ずる所あり。雨の中でビルの屋上からかつての恋人のダンスを覗き見るシーンがイイ。


 西宮のアートスペースとは、要するに「AU」の本部。この頃はあまり活動していなかったけれど、80年代はひんぱんに重要作家の個展やアングラ映画の上映会、パフォーマンスのイヴェントなどが繰り広げられていた、らしい。この頃AUから発行されていた冊子を探してみたけれど、やはり見つからないや。そのうち、見つかったら、中のページをちょっとスキャンして紹介したいですね。

 いよいよ次回から、次のクライマックス、震災後の神戸を訪れての日記ですね。一泊だけの滞在で、震災から一ヶ月近く経っていたとはいえ、生々しくも強烈な体験でした。写真を出来るだけたくさん載せながら、(一日の分量が長いので)分割して転載しようかと思ってます。

 


  

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■ 2005-05-24(Tue)

[] 1995/2/3  1995/2/3を含むブックマーク

 1995.2.3.

  忘れていたが、1月29日は、夕方からコーエン兄弟の「未来は今」を観たのだった。いわゆるスクリューボールコメディーをうけついだもので、おかしいが、ちょっと新しいものがないかな。フラフープ(赤)が街角を転げ出すシーンは、「赤い風船」とみた。「バートン・フィンク」をまた観たくなる。

 2月1日は、ヴィデオで「ミラーズ・クロッシング」と「右側に気をつけろ」を観たことも忘れてる。

 2月2日、早く起きようと思っていたのに、また11時ごろまで寝る。HYさんからの電話で目覚めるが、HYさんのシラフの声を聞いたのは初めてって感じ。

 今日(2月3日)は久々に8時半という早い時間に目覚める。こうでなくってはいけない。ずっと鼻の調子がおかしいので、意を決して医者に行く。すごく待たされて、帰宅するともう11時。病院はまたまたおばあちゃんの医者で、なんだかすれ違いの会話。昼飯を作って食べているとMIさんから電話。なんとなく西宮に行かなくてはならないかも。

 工具を買おうと思って、江戸川区の一之江という所まで行くが、ばかでかい工場用の工具ばかりで、探すモノはなし。しかたないので秋葉原へ行って、すこーしMaterialをそろえる。けっこうオモシロイものもあった。明日からはホントに本気で始めなくては。



 なんでこの頃工具を探していたのかと言うと、4月に個展をやることになっていて、ちょっと本格的に、工芸的にガンガンと作品を作ろうと思っていた時期なのです。しかし、8時半起きで「早い時間に目覚める」とは、笑わせてくれますね。この人は。世の中をナメているようであります。

 

 

 

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■ 2005-05-21(Sat)

[] 1995/2/1  1995/2/1を含むブックマーク

 1995.2.1.

 29日、完全に前日エネルギーを吸い取られてしまいダウン。しかしながら、部屋をできるだけきれいにして、ほんとうに久しぶりに自炊。ジャーマンオムレツの特上を作る。

 30日、特上の一日。11時いつもの所でYYちゃんと待ち合わせ。とりあえず代々木で、今日オープニングの「前衛芸術研究所」のグループ展に行き、スモークに包まれる。そのあと、神田へ行って「さぼうる」で永い永いお茶の時間。この日はもっぱら、YYちゃんの古典への関心の聞き役を務めたけれど、やっぱり彼女はただものではないと思う。お茶のあとは、一誠堂の2階でまた永い永い立ち読み。いろんな妙な写真集を引っぱり出しては、二人ではしゃぐ。18世紀のイギリスの椅子の写真集でもり上がる。古本屋めぐりがこんなに楽しい事だったなんて!

 おなかがすいたので、すずらん通りにある時代から取り残されたような中華料理店へ。中へ入って座ると、脇の席に居たおばあちゃん(素敵なくらい美しい)が「いいわねぇ、二人で仲良くって」とか話しかけて来られた。「一緒に歩けるってとっても良い事よ」「あたしの主人は昔に亡くなってしまったけれど」「とてもうらやましいわ」などと。YYちゃんは「親子と思っているのかしら」ってこっそり聴いてきたけれど、そうではないみたい。そのおばあちゃんはすぐに帰ってしまったけれど、帰り際にわたしたちにみかんを一つづつくれる。「けんかしないようにちゃんと一つづつあげるね」と言って‥‥。

 なんて言うんだろう、天使のようなおばあちゃんだった。で、わたしたちはそんな天使に「みかん」で祝福されたのかな。このことはきっと永く忘れない。いや、忘れることはないだろう。どうもありがとう。

 このあとは八木書店で、雑誌「國文学」のバックナンバーのコーナーでもり上がる。店を出たらもう6時半ぐらい。渋谷まで地下鉄で行き別れる。

 というわけで今日は天使と出会った。特別な一日。

 31日。マカヴィエフの「ゴリラは真昼入浴す」をまず観る。元気ない。ちょっとガッカリ。前日神田で紙を買おうと思っていたのに忘れていたので、また神田に行って買う。そのあと日比谷で市川準の「東京兄妹」。どう見ても小津安次郎。主人公たちは鍋で豆腐を買いに行く。わざわざ都電の近くに住んでいる。兄の勤めは古本屋、と、徹底している。しかし、あのジジくさい兄が、家父長制原理をそのまま疑いもなく引きずって存在している事にちょっと疑問。それに、兄妹である必然がわからない。設定はどう見ても夫婦のそれだ。嫌いなフィルムではないが。映画のあと「J・V」でHYさんと。終わりは「CAT」でしめる。

 2月1日。今月はまともに動き出さないといけない、と思いつつも昼までまた寝てしまう。「笑う警官」を3時までかけて読み終えて図書館へ。先日YYちゃんと話題になったことなどを調べて、気になっていたタンジールの本など借りる。帰ると久しぶりにFAXが入っていたり、留守電がいっぱい入っていたり。SN氏、TKさん、SS氏などに電話する。




 えっと、これまでにもしょっちゅう出て来るYYちゃんは、「彼女」とかそういう存在ではありません。でも、逢うのがいちばん楽しみだった人であったのは間違いないでしょう。今でも最高に素敵な友達であります。彼女は今まだ二十代だから、この頃は当然十代でしたね。この前の年に、さる所で奇妙な出合い方をした人でした。

 

 

 

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■ 2005-05-19(Thu)

[] 1995/1/28  1995/1/28を含むブックマーク


 探していた写真が出てきたので、とりあえずアップ。

 談笑するErkkiと横尾忠則氏。本当は、この真向かいに秘書のTAさんがいらっしゃって、通訳とかされておられて、ま、そのミニスカートからはみだした太股が素晴らしい写真もあるのだけれども、TAさんは私人であられる故、その写真は掲載いたしません。



(わたしが横尾氏にサインしてもらってるところ)

 ‥‥てなとこで、続きを。



 1995.1.28.

 21日の続き。

 SSさんとよみうりホールにいっしょに行き、「ナチュラル・ボーン・キラーズ」観たんだけど、なんだこりゃ?って感じ。やはりオリヴァー・ストーンはオリヴァー・ストーンである。タランティーノのシナリオもさえない。ただ、トミー・リー・ジョーンズの刑務所長がめちゃくちゃおかしい。試写会のあとSSさんの彼女であるVさん(フランス人である!)と落ち合い、高円寺で飲む。

 22日。良く憶えていない一日で、たぶんウチでのんびりすごしたんだと思う。

 23日、この日に多分「インタヴュー・ウィズ・ヴァンパイア」を観たんだろうな。けっこう上質の少女マンガって感じで、好きなフィルムである。ただし、ヨーロッパに行っての部分はどうしようもない。映画のあと、ギャラリールネサンスのNAさんのオープニングパーティーに行くが、すごい人でちょっと尻込み。前回売れたわたしの作品は皆ギャラリーの人が買ってくれたんだとわかり、ちょっとがっくりかな。前衛芸術研究所(!)のMIクンとちょっと話してから「J・V」に。NAさん、TAさんその他。

 24日はErkkiのフェアウェル・パーティー。Erkkiはこの日奈良に行っていたらしい。パーティーに集まったメンバーは、AZさん、SK氏、Hちゃん、RIさん、MYさん、EGさん、ってところ。またスライド上映会。なんだかさすがにErkkiとのお別れの時には感極まるってとこ。「そのうち又オレの友人が来日するから、オマエの電話番号を教えるぞ」と言われたときにはちょっとひいたよ。

 というわけで、25日、26日はさすがに疲れが出てウチでぐっすり。YYちゃんに電話する。

 27日は金もなくなったのでまず下北沢に行き、散歩がてら三茶まで歩く。三茶で預金をおろして、澁澤龍彦全集を仕入れ、渋谷に行く。そう、下北で、REMと、God Is My Co-PilotのCDを買う。この日、渋谷でGod Is My Co-Pilotのライヴがあるので、聴いてみて面白ければ行こうと思う。で、とても面白いCDだったので、Liveにも行く。前座のMelt-Bananaはすんごく面白かったけれど、皆の人気があったUFO or DIEはわたしにはちーっともおもしろくなかった。でもって、God Is My Co-Pilotは、The Raincoatsとかって感じで、楽しかったし、受け止めるものもいっぱいあった〜けれども、なんだか、逆に吸い取られてしまったかな?って感じも。でも、これはすごいことだよ。あとは、「J」、「M」というコースで、久々に酔ってしまった。



 えっと、当時、「前衛芸術研究所」と名乗る美術家集団があったのだよ。生き残りの一人は今もミュージシャンとして活躍してるのではないかな。

 さて、Erkkiのその後だけれど、彼の帰国後に一度電話で話した記憶がある。しかし、すぐに音信不通になり、電話しても電話口には誰も出なくなってしまった。いろいろと日本から持ち帰った宿題はあったはずなのだけれど、誰ともコンタクトは取っていなかったようだ。ちょっとあとにお会いした横尾龍彦さんに、Erkkiと連絡がとれない事を話して、そのしばらくあとに横尾龍彦さんの個展会場で横尾さんに再会したとき、「やはり何かあったのかな、わたしもErkkiと連絡がとれないんですよ」とおっしゃっていた。つまり、笠井さんとのインタヴュー、横尾忠則とのインタヴュー、すべて何の実も結んでいないのではないだろうか。下手したらその責任は、彼の日本代理店として名刺をばらまいたわたしの元に波及する恐れもあったのだから、ちょっと無責任だと思っている。ま、わたしも、のちに海外に行ったあとに、その後の連絡をすっぽかしたりする事になるけれど。



 

 

 

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■ 2005-05-17(Tue)

[] 1995/1/22  1995/1/22を含むブックマーク


 1995.1.22.

 20日、12時半にTEさん宅に行き、横尾忠則氏とのインタヴューに。

 すぐに、受付のところに秘書のTAさんと横尾氏が迎えに来てくれる。会場をぐるっと廻り、Erkkiが作品の前をかんたんに解説してまわる横尾氏をヴィデオに収める。その後、控え室でインタヴュー。Erkkiはこの来日ではじめて横尾氏の作品を見ただけなのだけれど、結構マトを得たインタヴューだったかなと思うけど、けっこう忘れてしまったな。現実と非現実の境界があいまいになる地点から仕事を始める、みたいなことをおっしゃっていたけれど、こういうことはわかるようでよくわからない。しかしながら横尾氏、もっと神経質な人かと思っていたけれど、とても気さくな人だった。その後、竹中直人氏もとなりの部屋に来て、ちょっとあいさつをする。

 この日のトークショーが始まり、別の控え室などでモニターを通してみせてもらうが、前日の大島渚氏とのトークの時と同じ司会者で、話を発展させることが出来ない。終った後でまた少しインタヴューさせてもらい、Erkki、UFOのことなど聞く。そのあとまた会場をヴィデオ撮影させてもらい、ErkkiとTEさんはそのあとも残るが、わたしはいささか疲れたので先に一人で帰る。

 21日、昼間なんとなくSS氏に電話して嶋本氏の安否を知らせたら、夜いっしょに「ナチュラル・ボーン.キラーズ」の試写会に行かないかとのこと。「笑う警官」のつまらないヴィデオを見てから出かける。SS氏はけっこう気の優しいイイ男である。



 ふうむ。ま、わたしのいつもの事なのだけれども、せっかく選別してあった写真の行方がわからなくなってしまった。横尾忠則とわたしのツーショットとか、竹中直人とのツーショットとか(これはちょっとウソ)、とってあったのにな。ついでに神戸淡路島震災の時の写真も行方不明だ。もうちょっとしたらその頃の記述に重なるはずなのに。

 ま、とりあえずは一段落。この時、展覧会図録をいただいて横尾氏にサインをしてもらった。役得な期間だった。

 

 

 

 

 

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■ 2005-05-15(Sun)

[] 1995/1/21  1995/1/21を含むブックマーク

 予告の通り、長文です。なんちゅーか、ある意味いろんな事が起きて、クライマックス。と申しましょうか。

 1995.1.21.

 12日の続き。

 というわけで、3時に新宿で笠井叡氏と会うが、先日の公演で彼のバックで踊っていた、いちばん目立っていた女性(IYさん)も一緒だったので、わたし喜ぶ。

 談話室「滝沢」に場所を変えて、Erkkiと笠井さんはドイツ語で、わたしとIYさんは日本語で、別々に盛り上がる。なんと彼女は京二画廊でバイトをしていたことがあったのだ。

 長い会談のあと別れ、紀伊国屋でErkkiと美術書をあさる。そこでパークタワーで開催中の「横尾忠則展」のポスターをみつけ、行こうではないか、ということになり、迷いながらも会場へ。外人の特権を生かしてまたタダで観て、さらに、横尾氏と会えないかと交渉。明日また電話してくれ、とのこと。そう、展覧会は映画にインスパイアされて作られた作品展だったが、かなり古い作品もあり、包括して彼の作品を観ることのできる、いい展示だった。

 回転寿司で食べてまた「J・V」へ行くとTKさんがいてまた盛り上がる。そのあと3人で「Cat」へ行き、さらに「Charley」という小さなクラブにTKさんに連れて行かれる。そこでTKさん先に帰り、そこで会った二人の若い男の子といっしょに「Yellow」へ。朝までそこにいて、Erkki大いに楽しむ。

 結局また南青山(TEさん宅)にとまる。

 13日、まず午前中にパークタワーホールに電話して、なんとか横尾氏と会えることになる!今日、7時半ごろ会場へ、とのこと。昨日の疲れでぐったりして、夜まで何もしないで過ごす。

 会場に行って、横尾忠則氏の秘書のTAさんという女性と会う。横尾氏は風邪であまり時間が取れないかも知れないとのこと。この日は会場で「新宿泥棒日記」が上映され、大島渚氏と横尾氏との対談があり、また無料で。観客の妙な質問もあり時間のびる。結局彼とのインタヴューはこの日は実現せずまた来週に。来週は今度は竹中直人氏との対談。この日はウチに帰って寝る。

 14日久しぶりに都美術館に。YRさんとOYさんが来ていた。午後にSK氏も来る。「J」のTNさんも来てくれる。夕方にSS氏が来て、SK氏と3人で飲みに。SS氏がけっこう映画ファンであることがわかり、盛り上がる。3人で「リアリティ」などをめぐりまた盛り上がる。

 15日はErkkiが美術館でパフォーマンスをやると予告した日。2時になっても来ないのでTEさんのところへ電話すると、TEさんが帰って来ていて、必ず行くとのこと。「Charley」で先日会った二人、天使館の人も二人来てくれる。MKさん、ETさんも来る。それにしてもErkkiがなかなか来ないのでヤキモキしていると、やっと4時半ごろに現われる。交通事故の渋滞に巻き込まれてしまったとのこと。それから、彼の、タンゴをBGMにしたとんでもないパフォーマンスが始まり、皆大いに迷惑するが、今年のAU展の一般公開のエンディングにはふさわしい一幕だったかもしれない。たのしかったよ。

 パフォーマンスのあと、Erkkiが「今夜はスパイラルホールで「DumbType」のパーティーがあるから行こう」ということで、わたしと「Charley」の二人(SくんとYくんという)と、別のパーティーに行くSKさんたち、車で帰ったErkkiたち、MKさんたちとそれぞれ別れる。スパイラルに行くとパーティーは8時半からだったので、とりあえず渋谷のSKさんたちの行った書展のオープニングパーティーに行き、そのあとは3人で8時半まで食事。Erkkiとなかなか連絡がとれない。やっと連絡がとれたと思ったら、パーティーには行かないので遊びに来いと言うので、ついつい行ってしまう。TEさんなんか疲れていることだっただろうに、悪かったかもしれない。11時すぎてやはりパーティーに行くことになってスパイラルに。なんとドラッグクイーンの変態パーティー。けっこう楽しかった。Erkkiは別れ際に初めてけっこう親切にしてくれる。

 16日。AU展終了。搬出。意外なほどスムーズに片付いて、もう2時頃にはほぼからっぽ。ずっと搬出の仕事をしたのは、わたし、SKさん、AZさん、YRさん、OYさん、NAさん、KMさん、MYさん、FUさんかな。

 最後に突然、展示していなかったセルビアからの作品が発見され、皆あわてる。とりあえず空っぽの美術館内に作品を拡げて記念撮影。さらに搬出に来たTEさんを含めてもう一枚。そう、相変わらず突っ走ってるAZさんに皆ア然の一幕もあり。上記のメンバーで打ち上げというか、最後の飲み会。OYさん乱れてAZさんキレる。またもやSKさんはウチに。

 17日。朝8時頃、電話で起こされる。KHからで、関西で大地震があったとのこと。TVをつけるが様子はよくわからない。上の部屋でラジオを聞いてウトウトしていると、高速道路が落ちたとか何とか言っている。なんだか大変そうだと思って、地下に降りてSK氏といっしょにTVのニュース(この頃にはどの局もすべてこの地震のニュース)をみるが、とんでもない規模の大地震だということがだんだんにわかってくる。この頃には死者百何十人ってレベルだったが、数百人は死んでいるだろうと思う。西宮のAU事務局など心配。SK氏3時頃帰る。

 18日もほとんど家でニュースを見続ける。だんだん空恐ろしいカタストロフになって来る。SS氏から夕方電話があり、嶋本さんのことを心配する。そう、朝方Erkkiから電話があり、夕方来いと言う。Erkkiは、ひょっとしたら地震の時嶋本さんを訪ねて西宮に行っていた可能性もあったのだ。午後、Erkki、TEさんからまたまた電話があり、マリさんとかなんとかいう女性から変な電話があったという。Erkkiはこんどの火曜日にFarewell Partyをやる予定なのだが、そのことで「Charley」で会ったSくんから、友達の女性を連れて行っても良いかと聞かれていたのだが、どうもその女性らしい。わたしは軽く考えて、いいよ、と言ってしまったのだが、Sくんはその女性にTEさんの電話番号やわたしの名前を教えてしまい、悪く取れば彼女はそれを自分のビジネスに利用しようとしたことになる。悪気はなかったのだろうが、勝手にわたしの名前を使ったりされては困る。これからこういうケースも多くなる。気をつけないといけない。

 TEさんも今度のパーティーのことで心配になったようで、ちょっとクギをさされる。夜はそういうわけでTEさんのところへ行くと、そこから別のフィンランド大使館の人のところへ行き、Erkkiがそこで「カレヴァナ(カレワナ)」のレクチャーを行う(!!)。Erkkiは常にTEさんの方ばかり気にしながら、さも自信なさげなレクチャー。ちょっとかわいい。で、わたしは、なんと「カレヴァナ」の日本語訳の朗読をやらされてしまう。客は20人ぐらいで、半分日本人半分よその人ってところ。レクチャーのあとパーティーで、今日も食事代が浮く。いろんな人に会ったが、ちょっとわたしとはちがう世界の人たち。平凡社の人はおもしろかったけれど、最後まで残ってたA社の人間はわたしにとって最悪だった。ビールを一缶もらってポケットに入れてウチに。

 19日はやはりウチでニュース。死者は二千人を越える。夕方AUに電話するとYTさんがいて、元気な声が聴ける。よかった! 皆、とりあえず元気だとのこと。ほっとする。


 ま、そういうわけで、おそらくはわが人生でももっとも強烈な一週間だっただろうと、今になって思い出す期間の日記です。

 Erkkiと笠井さんの話は全部ドイツ語だから、どんな話をしていたのかまったくわからない。でも、途中で笠井さんから「大宝律令って西暦何年だったかな?」などと聞かれているから(もちろん答えられなかった、情けないわたし)、おそらくは「舞踏」の起源を辿るような論説をされていたのではないだろうか。本当に内容がわからなかったのが悔しい。でも、IYさんと仲良くなったからいいや。IYさんはこの頃はほとんど笠井さんの一番弟子的な存在で、この後の公演では笠井さんとのデュオのような形で、二人だけの舞台をやったりしている(IYさんに言わせれば、「笠井さんにとって私は単なる素材だから」ということになるけれど)。このあと、わたしのイヴェントに何度か出演していただいた。何年か前に「天使館」をやめられて、その直後にお会いしたのを最後に消息不明。いまどこにいますか?

 当時アメリカではそれなりに知名度も高かった横尾忠則だけど、ヨーロッパではまったくの無名だった。Erkkiはこの時には彼の作品を面白がって、本気でフィンランドで横尾忠則の展覧会をやることを考えていたはずなのだが。これらの後日談はまたあとで書きましょう。

 この時、閉館後の展覧会場に特別に入場を許され、わたしとErkkiと二人だけで作品を観てまわった。ある作品の前で、Erkkiがわたしに「この作品は、何の映画からインスパイアされたのだ?」と聞いてきた(もちろん英語で)。その作品にはフェリーニの「甘い生活」の一情景が描かれていた。私が知っている数少ないイタリア語、その一つが、この「甘い生活」の原題、「Dolce Vita」だったのは偶然にしてはラッキーだった。わたしが「Dolce Vita」と答えると、Erkkiは「Ah! Dolce Vita!」と、深くうなずいていた。わたしの人生で一度だけ語られたイタリア語は、「Dolce Vita」である。そして、わたしの生活も、どこかこの映画めいた展開を辿っているような気がするのだな。気のせいだろうけれども(でも、似たようなことはやったな、そして、やられたな)。

 この頃はずっと、Erkkiとの英語を使っての会話だけの日々が続き、最後の頃には頭の中でも英語で物事考えてた。「Wow! Great! I think to myself using English!(この英文間違ってるみたい)」って感じ。回転寿司にErkkiを連れて行ったが、彼はそもそも「海苔」を知らなかった。「こりゃ何だ?!」と彼に聞かれた時も、「Seaweed」って単語を良く知っていたものだと、当時の自分に感心する。

 大島渚の「新宿泥棒日記」には、もちろん英語字幕とかついていなかったけれど、Erkkiは「とても面白い作品だった」と言っていた。当時のドキュメンタリー的な部分に惹かれたのだろうけれど(どうやら、Erkki自身がヴィデオを使ってあれこれとドキュメンタリーを撮影していたことと関係がありそうだ)、わたしに、「おまえもああやって投石したりしていたのか?」とか聞かれた。高校時代にメット被ってデモに出た経験はあるが、石は投げてないな。ちなみにErkkiとわたしは同世代。実は先日気になって彼の名前でGoogle検索かけてみたら、フィンランド系で山のようにサイトが見つかった。そうか、健在のようでホッとする。そこで見た限りでは、彼はわたしより2歳年上だったようだ。

 不勉強な私は、この時「Dumb Type」を知らなかった。Erkkiに、「コイツらはヨーロッパ公演もやってるけど、最高だぜ!」と教えてもらった。伝説の「S/N」公演の前夜だったのだろうか。結局、この時のパーティーで、古橋悌治の口パクカラオケ・ショーを見ることが出来たのは僥倖だった。

(Erkkiとわたし。ピンボケですな。)

(スパイラル・ホールでのDumb Typeのパーティー。)

 AU展搬出の時の記念写真とか、先日発掘した。その中の一枚をここにアップしておきましょう。

(展示し忘れたセルビアからの作品を発見して呆然とする人たち)

 この打ち上げの騒動は、ちょっと記憶の片隅に残ってる。AZさんは、この後に出現する言い方を借りれば、「タカビー」な美しい熟女でありまして、ま、彼女にくらべればガキのようなOYさんが酩酊して漏らした言葉が、いたくお気に召さなかったようだ。例えば、加賀まり子が若い女性タレントにキレるような構図に相似形、だったかな? どっちもイイ作品を造っていた人だったし、どっちも魅力的な女性だったけど、今はどうしているのかなぁ?

 この時搬出された関西からの作品は、トラック便でその夜西宮に向っていたのだけれど、朝方に京都あたりに差し掛かったところで地震が起き、そこでストップしていたらしい。一ヶ月後にわたしは西宮に出かけることになる。

 ErkkiのFarewell Partyに関しては、わたしのフライングだったろう。この時にTEさんにクギをさされたのは、「出席者はアーティストだけにしてくれ」ということだった。このあたりとよく似た経緯から、ジョニ−・ウォーカーさんがこの時期東京で開いていたパーティーは崩れていったのではないかな? ただ、わたしは今でも、アーティストではない人(という言い方も変だが)が入って来れなければ、何かが閉ざされてしまう、と思ってはいる。観客、受容する側こそが大事なのだ。

 

 

 

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■ 2005-05-14(Sat)

[] 1995/1/18  1995/1/18を含むブックマーク

 1995.1.18.

 もうまったく書くひまがなくって今日まで来てしまった。少し手短に。

 10日は11時ごろに目覚め、Erkkiと朝食。Erkkiがやはり笠井叡の舞踏を見たいというので「天使館」に電話して、何とかコンタクトがとれる。

 とりあえずは銀行で現金をつくり、浮世絵美術館へ行こうとするが、途中のギャラリーで横尾忠則のポスター展をやっていたので一緒に観る。彼はとても気に入る。浮世絵美術館では撮影禁止にかかわらず彼はすべてをVIDEOに収める。Erkkiは青山アパートあたりの街並が気に入ったようだ。そのあと、舞踏の会場である中野へ行き、蕎麦を食べる。会場へ着くと、画家の横尾龍彦氏(彼もErkkiのヨーロッパでの知人)が彼を待っていた。三人でお茶を飲み、タダで公演を見る。

 笠井さんの公演はもう20年以上前に友達と観て以来だが、なんだかほとんど20年前と同じような感じで、昔を憶い出してしまった。しかしながら、やはり、日本でも第一人者というところで、観客を飽きさせない。素晴らしいパフォーマンスだったと思う。

 終演後、打ち上げに同行してごちそうになってしまった。Erkkiを送って行き、久しぶりに一人でウチで寝る。

 (11日は家族問題につき、カット)

 12日は3時からErkkiが笠井叡にインタヴューするので、彼を案内するために2時に彼の所に。


 説明の足りない日記だけれども、つまり、Erkkiは80年代の笠井叡のドイツ滞在中に、彼の事を知っていたのだ。しかしながら、日本滞在中に彼はどうやってそんな公演情報を仕入れていたのだろうか(DumbTypeの東京公演の事も知っていたし)。そのあたりがさすがにジャーナリストたる由縁なのだろうが、その恩恵をモロに受けたのがわたしだった。この時期のわたしは、Erkkiの東京案内人として、毎日のように彼と逢い、彼と行動を共にし、彼の行きたい所に連れて行き、わたしのオススメスポットに案内したりした。仕事をしていないと言うような状況でなかったら、とてもこのような展開はあり得なかっただろう。この頃、Erkki自身も、「オレはラッキーだった。ちょうどオマエみたいに仕事もしていなければカノジョもいないようなヤツが、毎日オレの案内をしてくれたのだからナ」などと、とってもシツレイなことを宣っていた記憶がある。

 Erkkiの宿泊していたTEさんのマンションは、青山の骨董通りにある実に豪華な建物で、わたしはこの時期このマンションに入り浸っていた。わが人生で最高にゴージャスだった時期だと思う。

 この時の笠井叡の公演は何だったのだろう。先日読んだ「現代詩手帖」では、『セラフィータ』での「舞踏復帰」は1994年、みたいに書いてあるから、これは復帰第2作ぐらいなのだろうか。会場は中野ゼロホールである。

 「天使館」へのコンタクトは、とにかく、「フィンランドから、ドイツでの笠井叡さんを知っている評論家がいま日本に来ていて、今日の公演を観たいと言っている。何とかならないだろうか?」と押し通し、わたしとErkkiとの2席の招待枠を入手した。この手口は後日もう一度、すごい効果を現わすけれど。

 横尾龍彦さんは、昔の「みづゑ」の裏表紙などによく個展の広告が出ていて、わたしも名前は存じ上げていた。当時一世を風靡した「ウイーン幻想派」的な細密描写タブローが記憶に残っているけれど、この頃には日本的美意識を重視したシンプルなタブローになっていた。この日に横尾さんから聞いた話では、その「ウイーン幻想派」的なタブローでヨーロッパに進出しようとしたが、現地では「なんでまた日本人がウイーン幻想派みたいな絵を描かなくちゃならないのだ」との批判が多く耳に届き、そんな事もあって「日本回帰」となったらしい。余談だが、この「ウイーン幻想派」、一体どこに消えてしまったんだろう。わたしはオーストリアに行った事がないのでわからないけれど、日本でも「そんなものはなかった」かのような空気になっているし、後にドイツなどに長期滞在してあれこれの美術館、画廊などを周り歩いた時にも、そんな作家の作品には一点たりと出会うことが出来なかった。

 結局、この日の「打ち上げ」で、Erkkiが改めて笠井さんへのインタヴューの席を切望し、それが12日に実現する事になるわけだ。次回の日記は長文になる。

 

 

 

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■ 2005-05-13(Fri)

[] 1995/1/10  1995/1/10を含むブックマーク

 1995.1.10.

 明日のつもりがこんなに時間がたってしまった。What a great night!
 5日のその後の話から。

 展示の準備が終ってから上野で皆でパーティー。アメリカからAbrahamという作家、フィンランドからのErkki、それからイタリアからの二組の夫婦を交えて30人ぐらいのパーティー。今回の展示作品でわたしが気に入っているのは、実物大でサルがハシゴを登る人形を並列させた作品なのだが、遅れてその作者がやって来て、なんと、わたしとかと同世代の作家だった。SIさんと言うのだが、けっこう話が合う感じ。

 二次会はやはり上野で、SIさんはAbrahamと消えてしまう。次は原宿の「E」で、わたしとMYさんとSK氏とErkkiの4人。またSK氏がわたしにつっかかって来てケンカになりそうな展開になる。I don't like him so much. 4時を過ぎて結局タクシーで皆がウチに来るが、Erkkiが突然「俺はこんな所に来たくなかった」と言い出してゴネ出す。SK氏は勝手にサッサと地下で寝てしまい、しかたないのでMYさんと二人でErkkiを表通り(駅の所)まで連れて行き、タクシーに乗せる。そのままMYさんとSK氏はウチに。

 翌朝目覚めるとSK氏はいつの間にか帰ってしまっていて、わたしはMYさんと渋谷に。そうだ、この朝、TKさんから電話があって、美術館に来てくれるとのこと。

 YYちゃんとは2時の待ち合わせ。だが彼女ちょっと遅れ、上野に着くとすでにKHさんらのパフォーマンスが始まっていた。そのあとイタリア人のパフォーマンス、Erkkiのパフォーマンスが続き、最後にセイクレッド・ランの日本代表(?)の人達と皆で輪になって、高校文化祭の乗り。

 終ったあとは食堂でYYちゃんとちょっと話し、谷中を散歩して新宿へ行き、「Rockin' Chair」ヘ行くことに決める。谷中はそれこそちょうどtwilight timeで、とても美しかった。上野から西日暮里まで歩いて、JRで新宿まで行き、「Rockin' Chair」でTom Waitsをリクエストしたりして、9時頃まで。素晴らしい一日ではあった。

 次の7日は土曜日。夜はまたSK氏とKHさんと3人で上野で食べたり飲んだり。後は一人で「J・V」へ行き、TDさんたちといっしょ。ここでカバンを店に置いて来てしまう。

 8日はSK氏、Erkki、KHさんとその友人、NAさんその他で、また上野で飲んだり食べたり。その後SK氏と二人で三軒茶屋で飲む。SK氏はまたウチにとまる(なんてヤツだ。but I like him)。

 9日、午前中HIさんが来てくれるが人は少ない。夜はKGくんとSK氏、Erkki。まず上野で飲んで、そのあとこのメンバーのまま「J・V」へなだれ込む(なぜならカバンを取りに行ったから)。SMちゃんもいて、TKさん、その後HYさんというベストメンバー。ErkkiとTKさんとで映画の話が始まり、ここでまたSK氏がわけのわからんことを言い出してもつれる。ErkkiはTKさんとHYさんにとても興味を持つ。Erkkiは明日笠井叡の公演に行きたいと言う。

 帰りはSK氏はHYさんと帰り、わたしはErkkiを彼のネグラ(TEさんのマンション)に連れて行き、もう帰れないのでいっしょにそこに泊まる。

 10日。すべて英語のすんごい一日。というところで後はまたのちほど。


 つまりは、この時にフィンランドから来たErkki Pirtola(エルキ・ピルトラ)という人に逢わなければ、確実に今のわたしはない。彼は美術作家であると同時にライターでもあり、話ではフィンランドのTV番組でも自分のコーナーを持っていたりするらしいのだった。記者のパスポートのようなものがあるらしく、彼はそれを持っていた。彼がネグラにしていたのは、青山にあるフィンランド大使館員のTEさんが住んでいるマンションで、この時TEさんは旅行か何かに出ていて、留守番も兼ねて、Erkkiに自由に泊まらせていたらしい。

 多分映画の話は、カウリスマキの話なんかしたんだと思う。この頃はヨーロッパで北野武の作品がちょっとした「ブーム」になっていた頃で、でも、Erkkiは、『ソナチネ』は良さがわからない、と言っていた記憶がある。

 この前の日記でもわたしが飲み屋に忘れたカバンは、その前の年かなにかに電話帳で調べて苦労して買った「学生カバン」で、このカバンは今でも使っている。学生カバンと言うのは驚くほどしっかりした造りになっていて、機能性にも優れているし、これは本来間違いなく「一生モノ」なのだと思うのだけれども。

 今日の終わりに、この間出て来た、その時にErkkiから貰った、彼の作品の絵葉書をアップしましょう。

f:id:crosstalk:20050513231333:image

 

 

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■ 2005-05-12(Thu)

[] 1995/1/6  1995/1/6を含むブックマーク

 1995.1.6.

 5日はAU展の搬入日。7時20分頃家を出るが意外に早く着いてしまい、8時半には上野の都美術館に。AZさんがいたので、しばらくいろいろと話す。彼女は今回は大作。SKさんも作品もなかなか来ないので、ちゃっとやきもき。ま、何とか時間通りに作品も到着して、さあ準備!

 今年はNIもKTもSTも出品しなかったが、先日SKさんのところで会ったNAさんと会う。対面してすぐに、「実はきのう彼女とうまく行かなかったのだ」という話、さんざん聞かされる。こういう人ってけっこう好きだ。

 今年はけっこう水準が高いのでなんだか知人もはずかしくなく呼べるのでうれしい。あ、ちょっと眠くなったので残りは明日に。

 AU展の本部は関西にあり、この東京でのAU展には、トラックに満載された作品、それから嶋本昭三氏、関西の事務局の連中(基本的に嶋本さんの趣味が生かされた「美女軍団」であり、なぜか皆黒一色の服装で統一されている。わたしたちは「黒の軍団」とか呼んでいた)が、ドォ〜っとやって来る。これに一般出品者が個別で作品を持って来るわけだ。なぜ日記に「黒の軍団」の事を書いていないのか、ちょっと不思議だけれど。

 あ、このAU展は、要するに無審査のアンデパンダン形式なので、ま、なんちゅうか、粗大ゴミのような作品もあるのです。実際に、搬入の時に出たゴミをそのまま作品にした年もあったし、管理する美術館側からは、いつもチェックされておりましたね。

 

 

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■ 2005-05-11(Wed)

[] 1995/1/4  1995/1/4を含むブックマーク

 1995.1.4.

 明日はAU展の搬入。

 これまでのこと。1日(元旦)は夜やはりKYに電話する。彼女、AU展に出品したいなんて言い出した。びっくりしたり、うれしがったり、いいのかな?って思ったりして。そう、来た年賀状の少なさにがっかり。SKさんから電話があって搬入の打ち合わせ。結局この日は一睡もしないで過ぎてしまった(夜は、かつての「イカ天」のようなアマチュアバンドの対抗戦やってたので、思わず全部見てしまった)。

 

 で、そういうことで2日に目覚めたのは午後になってしまい、作品を荷造りしていると、SKさんから「いつくるのか」と電話。あわくってウチの門を出ると、なんか身なりのうすぎたない男が真正面からわたしを見すえているではないか。イヤだなと思いつつかわそうとすると、「それ、絵ですか?」なんて聞いてくるではないか。こころもち早足になりながら適当に答えていると、「僕も絵を描いているのです。すぐ近くなんで、よかったら観に来て下さい。」なんて言われてしまう。つい、ここで邪険にすると△△ちゃんになってしまうではないか、などと考えてしまい、また、彼の住まいが本当にすぐそばだったので、つい行ってしまう。いちおう造りはこぎれいなフローリングのアパートだったので、ちょっと安心する。空いている部屋があるのでそっちで、というのでガランとした空き部屋に案内され、彼の作品をみせてもらう。はっきりいって美術教育をまったく受けていないしろうとの絵なのだが、ちょっと面白いのもあったので、「これ、おもしろいですね」なんて言ったら、じゃあもっとありますからってことで、彼はまた自分の部屋にとって返す。その空き部屋でひとり待っていて、ちょっと玄関の方へ行ってみると、なんと、わたしのクツが無い。ここで少々パニック状態になるが、ま、彼の住まいもわかっているし、最悪ハダシで逃げてもいい、なんて思ってうろうろしていると、彼がわたしのクツと彼の作品を持って戻ってきた。なんでクツ持って行ったのかと聞くと、「淋しかったんですよ」とだけ答えた。どうやらわたしが帰ってしまうのを防ぐためだったらしい。なんてこった! もう最後はハラを決めて、ウチの電話番号まで教えてしまった。

 SKさんとこに行ったら、AHさんというリトグラフの大家がいて、二人に先ほどの話をして、しばらく興じる。さて、ということでもう一度とって返して、残りの作品をまた運び、3人でエッチな話をさんざん続ける。しかし、中年男3人のえっち話はなさけない。AHさん先に帰り、SKさん宅にまた泊まる。我ながら酒は強い。3時ごろまでまたくだらん話をして、昼ごろ起きる。午後3時ごろウチへ帰り、あとはつまらないTVを見てすごす。

(4日はまた家族関係の記述なのでカット! この年の1月4日は雨が激しくて寒かったようだけど)

 AU展について:
 最初は、「アーティスト・ユニオン」という非拘束的な団体展として、「東京展」と同じ時期に東京都美術館で始まった公募展。そのスタート当初は、針生一郎とかヨシダヨシエなども絡んで、当時の美術界に新しいムーブメントを興したかったらしい。おそらくはわたしは1983年ぐらいから出品していたけれど、わたしが出品した前の年には寺山修司も参加していて、都美術館の彫刻室で「奴婢訓」の公演をやらかしたりしている。この頃には内部分裂などもあったようで、同じ「AU展」でも、「Art Unidentified」の略、としての「AU展」になっていて、主催者は、元具体美術協会の嶋本昭三さんであった。この1995年には、実はわたしはSKさんと共に東京の中心メンバーになっていた(本部、嶋本昭三さんの地元は神戸、というか、西宮だった)。嶋本さんは、わたしの人生でただひとり、「先生」と呼べる人なのであります(その後、妙な経緯〜都美術館から嶋本さんが撤退する内紛〜に巻き込まれ、距離ができてしまいまして、残念至極)。結局、この「AU展」がわたしのこの後の道筋を変えてくれたわけです。

 この後に出て来る、近所の絵描きさんに対するこの時のわたしの文章は、差別的でイヤだな。「身なりのうすぎたない」なんて書くべきでは無い。ごめんなさい。今ではわたしが「身なりのうすぎたない」自称アーティストです。でも、この挿話はやはり「奇妙な体験」でした。また「差別的」な言質をくりかえすことになるかも知れないけれど、美術界にはこういう人が多い。わたしはこ〜ゆ〜のを「ゴッホ幻想」とか呼んでるけれど、まったく自分自身でリスクを負おうとしないで、一夜明けたら名声に包まれている、という幻想の中で生きている。売れなければ売れないで、「世間はわたしの価値を理解していない」と思い込む。ま、ストリートミュージシャンやパフォーマ−などでもこういう手合いが多いのかも知れないけれど、戦略、メソッドがない。まず戦略を組み立てる。それが自ずからメソッドになる。そんな自己プロデュースが出来ないとヤバい気がする。我田引水で言えば、この1995年は、わたしがそのメソッドを見つけだす1年だった、と思う。どうだろう。

 

 

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■ 2005-05-09(Mon)

[] 1995/1/1  1995/1/1を含むブックマーク

 10年前の日記は、ついに新しい年を迎えました。

 1995.1.1.

 あたらしい年になった。
 今までの分、12月28日は何をやったのだろう? たぶん作品を一所懸命つくってたんだ。なんだか初めての空白の一日。単に記憶力が落ちただけ? たぶん夜「シェルタリング・スカイ」をヴィデオで観た。

 29日、「シェルタリング.スカイ」の残りを観て作品制作。夕方、筆洗いのシンナーが揮発して地下室にたちこめ、頭がイタくなる。映画館のラストの回に間に合う時間だったので、新宿で「スピード」を観る。何も語ることはありません。そのあと「J・V」、年の最後。

 階段の所でNAさんとハチ合わせでちょっとウンザリする。TDさん、HYさん、TAさん、YOさん、SAさんなんて顔合わせ。TAさんと音楽の話など。HYさんに帰りに「おまえのこと心配してるんだからしっかりしろよ」と言われる。言われたとうりしっかりとがんばります。

 あそうだ。28日は銀行からカードの審査に落ちたという連絡があったんだ。ま、どっちにせよ、銀行はキライなんだからいい。

 29日はTKさんの手配からか、アルファ・エンタープライズからHSさんのCDが届いたんだ。柔らかい音。で、HSさんにも年賀状を出した。

 30日はただ作品を作った一日!といってもそんなにフルに働いたわけじゃない。一行で終わりの日。

 31日。ヴィデオで「灰とダイヤモンド」を観る。これだけ政治に巻き込まれた若者のはなしを正面からとらえた作品(傑作)はないだろう。ラスト、主人公の死んでゆくシーンはひたすら胸をしめつけられるように美しい。

 そのあと渋谷に最後の買い物。そう、その前に宝くじがなんと一万円当ってた。(なんと、というほどのものではない)

 作品のほぼ最終段階に手をつける。今回はちょっと甘い。ダメなとこがいっぱいある。お墓みたいだ。でも、手に入れたものはあるからいいとしよう。夜はひょっとしたら遠出しようと思い、Eさんのところへまず行ってみる。カセットデッキが何台もあって、彼がダビング、エアチェックの大専門家であったことを初めて知る。1994年のとんでもない年のしめくくりは、彼のとんでもないおもちゃ箱の中のような部屋で終ることになった。

 新年の前にシュレルズの「Will You Still Love Me?」と、シャングリラスの「Remember(Walk In The Sand)」を聞く。いい取り合わせじゃないだろうか。「もう新年だから帰る」というと、Eさんが「まだ新年になっていないんじゃないかな」といって、アンプをチューナーに切り替えると、まさにちょうど12時の時報だった。で、お互い「あけましておめでとう」とあいさつしてから別れた。

 そのままどこかへ出かけようと思ったが、ちょっと夜明けまで時間があるので、いちど家に帰って作品の仕上げ(その1)を行う。

 またバカな気持ちになって三浦海岸に日の出を見に行くことにする。後になって1994年のこと、いろいろ憶い出すにしたって、結局三浦海岸のことになっちまうんだろな。

 品川から京浜急行に5時頃乗り込んで、三浦海岸に着くころにはもう空は白んできてた。雲はまったくない。海岸にはもう大勢集まって、キャンプファイアーって感じになっている。あの小さな岬(?)の向こう側へ行くことにして道をいそぐが、空はどんどん明るくなってゆくし、向こうの海岸にたどり着かないうちに日が昇ってしまうのでは?と、気が気でなかった。

 春には昆布が干してあった海岸には大根がいっぱい干してあって三浦海岸らしい。春と少しちがったたたずまいの海岸、日の出前の海と空は美しかった。空は頭の真上まで広がっていて、今昇ろうとしている太陽の光が水蒸気にでも反射しているのか、水平線の向こう(実際には対岸の千葉の山がある)の、ある一点を中心にして大きな大きな白い輪が拡がっているようにみえる。わたしは海岸に引き上げられた漁船の船体の一部らしいものに腰掛けて日の出を待つ。

 日が昇り始めたのは(太陽が見え始めたのは)たぶん6時50分くらいだったんじゃないだろうか。ほんとうにあっという間に昇ってしまった。廻りの人たちも気がついたらあっという間にいなくなっていた。

 岬をまわりまた海岸へ出る。岬の先に春にはあったコンクリートの四角の要塞のようなものはなくなっていた。しばらく海岸を歩く。波が引いていくとき光の反射で青くみえたり緑っぽくみえたりする。なぜかバスタブが流れついたりしている。ちょっと大きな流木が気にいったので(ちょっと大きすぎるかなと思ったのだが)、持って帰ることにする。

 (以下8行検閲!掲載いたしません!)

 なぜ「三浦海岸」なのかは、秘密です。この時の写真がちょうど出てきたので、アップします。その、漂着したバスタブがコレです。

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 この時に拾った流木はみごとに作品になりました。今でもあまり嫌いにはならない作品で、わたしの家に飾ってあります。

 

 

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■ 2005-05-08(Sun)

[] ブログ作法って?  ブログ作法って?を含むブックマーク

 この件に関しては、一度は書かないことにしたのだけれど、事態が別の進展を見せてしまったようなので、当事者の断りなく、経緯をちょっと紹介させていただきます。全て匿名で書きます。

 ブログというものをどう捉えるか?という問題かな?などとも思います。ちょっと前には私も当事者になってしまった事象と相似形の部分もあったので、この件は当初からひとごとではなく、そのブログを読ませていただいていました。

 ‥‥つまりは、ある方(わたしは彼の事は直接には知りません)のブログが舞台の出来事。ここで彼が、あるCDを聴いて、あるミュージシャンに対して、敬意を払いながら、「今さら○○○○○○○の残滓で○○○○○としてる●●●●なんてやはり唾棄すべし! なんて云いたくもなるのよ」(最近伏せ字が得意になりました)と書いたわけだけど、そのコメント欄に、その●●●●氏当人から、「テメエみてえな気色悪い低脳の敬意なんていらねえや。鏡見てから気色悪いとか言いやがれ(笑)。○○○○○○○で○○○○○のは俺じゃなくてテメエだろうが(笑)ミエミエなんだよ腐れ豚。いつでも来い(笑)。」と書くわけです。

 ●●●●氏は、誰でもその名前を知っているようなメジャーなミュージシャン、という訳でもないかも知れないけれど、インディペンデントな世界では知名度の高いミュージシャンで、ま、ココで名前を出せば「え!あの人が!」てな感じになってしまうと思います。彼は当然自分のホームページを持っていて、そこでの自分の日記に、このコメントをつけた件に関しても、かなり踏み込んで自ら書かれています。日記の著作権などの問題もあり、ココで引用して、またまた虎の尾を踏んでしまうことには慎重にならざるを得ませんけれど、気になった箇所があるので、やはり一部引用させていただきます。

 なるべくその人の日記を熟読し、何を気にしているか、何に怯えているか、何にトラウマがあり、何にコンプレックスがあるかをじっくり空想する時間の楽しさと言ったら、多忙の疲れを忘れさせますね(笑)。上手い罵倒が書けたなと思ったときには、まるで名句や名歌を物にしたような達成感があり(笑)、非常に気持ち良いです。

 ●●●●氏は、その日記で、「愚にもつかない悪口」と、そのコメントの対象としたブログに対して言われる訳だけれど、わたしには、そのブログを書いた彼の発言は「愚にもつかない」とは思えないし、敬意を払いながらも書いてしまった、という点で、「悪口」と言い切ることも出来ないと思う。そんなことよりも、この●●●●氏のいきなりの罵倒ぶりは、どうなんでしょう。で、ブログの執筆者は、その後、懸命に●●●●氏とコンタクトを取ろうとしますが(その経緯は彼のブログで読めました)、結局コンタクトは取れず、●●●●氏の言う「いつでも来い(笑)」というのは、空文句に終ってしまう訳です。

 ブログの執筆者は、「ネットアイドルvs.一般人」で勝負は決まっているのに、なぜ同じような批判をしている音楽誌に対してではなく、わたしなどを潰しにかかるのか?」という疑問も投げかけていましたし、そもそも第一に、さっき書いたように、彼のブログを読めば、それが「愚にもつかない悪口」とは認識出来ない訳で、逆にミュージシャンとしての●●●●氏にはファンに近い気持ちを持っていることが読み取れるはずで、それが「なんて云いたくもなるのよ」という言葉になるわけだと思う。そしてもうひとつ。「なるべくその人の日記を熟読し、何を気にしているか、何に怯えているか、何にトラウマがあり、何にコンプレックスがあるかをじっくり空想する」などというのであれば、そのブログの執筆者の個人事情を、もう少し読み取ってあげてもよかったのではないか、というか、そういったネガティヴな要因しか読み取ろうとしないのですかね。それってやはり、「ブログで偉そうなこと書いてても、結局は何もやっていない無名人だろうが!」という発想の延長なのでしょうか。わたしも先日そのような発言をいただいたばかりですが。

 例えば、青山真治なども、ブログの普及について、「バカが大声でしゃべるようになった」と言われたりするわけですけれど、確かに表現者の側からすれば、好き勝手を言われてしまうことが実際に耳に届いてしまう機会は、確実に増えたことでしょう。しかしながら、完全に匿名というわけでもなく、ある程度のプロフィールをさらしながら、ある意味では自分の発言の責任は取る用意があるような書き手に対して、「低能」とか「腐れ豚」などの言葉を投げ付けて、その後のコンタクトを断つようなやり方がベターなんでしょうか。

 その後のてん末を書けば、ついに、某巨大掲示板が登場し、そのスレッド上で彼のブログのURLがさらされ、彼のプライヴァシーまで書き込まれそうになってしまったらしい。結局、彼は自分のブログを閉鎖してしまいました。このてん末ゆえに、ここでわたしはこの経緯を書くことにしたのだけれど、●●●●氏は、この結末に満足なんでしょうか。これでは、「オレの悪口を言うヤツは抹殺シル!」と言うだけではないのでしょうか。

 もちろん、自分の事を考えても、書き手の側にも問題がないとはいえない。いい気になって批判を延々と繰り広げたりしてしまったら、それを眼にした当事者もたまったものではないでしょう。わたしの場合は、書いた事と同じ内容を、当人を目の前にして言えるかどうか、と言う判断の上で書いていますけれど、その「当人」と、今後の人生で関わり合いたいとも思わない、などという場合には、自然と乱暴な書き方になっているかも知れない。これは自分の問題として捉えているから、他人の事を言っても仕方がないけれども、このネットの世界では、いくらでもひどい文章に巡り会う事ができる。そういうのはアンテナを張ったりしないから続けて読む事もないのだけれども、今回の経緯の舞台となったブログは、わたしの読んだ限りでは良質なブログで、わたしはずっと愛読していました。

 過去の自分に起きた経緯を考えても、今回のような「事件」は、これからも問題になって来るのではないでしょうか。書いた側、書かれた側、お互いにどのように考えればいいんでしょう。そして、わたしはなぜブログを書いているのでしょう?

 (このブログの作者さんには先日メールして、その時点でリンクさせていただけないだろうか?とのお伺いを出したのですが、その時点で彼のブログは継続していて、「これから又事を荒立てたくないので」との丁重な御返事をいただいておりました。しかし、結果として別の要因から彼のブログが閉鎖された現在、ある意味もう彼には迷惑もかからないし、やはり書いておきたくなって、そのブログの作者さんの承諾を得ないままに、こうしてこの文章を書きました。もちろん、今の時点で彼のブログは読めないわけですし、「彼は誰か?」などという好奇心から、もう彼は救われているのだと思います。これで、次に危ないのはわたし、という事になったのではないでしょうか。え! やっぱ、虎のしっぽを踏みましたか!)



【補随】8日夜、ご当人様(ブログのオーナーさん)からメールをいただきました。ま、この記述を承諾いただけたのかな、と、ホッとしております。印象的な言葉を書いて下さいましたので、引用させていただきます。

ミュージシャンなんてしょせんヤクザな商売かもしれませんが、
ヤクザならヤクザらしく、素人には手出しするのは控えて欲しかったものです。
プロならもっと、自らを厳しく律してほしいので。



[] 1994/12/28  1994/12/28を含むブックマーク

 ま、ダラダラした日記が続いて申し訳ないッス。この日の記述で1994年はおしまい。1995年に入ると急展開を見せます。と、予告しておきましょうか。

 1994.12.28

 少し停滞してしまって今まで書かなかった。ワニ狩り!

 24日、まず年賀状の宛名を書いて投函。2組作る羽根と中央の羽根を作る。鉄板をパネルに貼る。6時すぎに家を出て、「J」の知らない人たちとのクリスマス・パーティー。なんとなく、皆理論武装してるって感じで‥‥。

 11時散会後、残った5人で「M」へ行き朝6時近くまで。また「M」のYさんは天使だったので、まあヨシとする。

 6時まで飲んだせいで25日はフラフラ。何とか世界堂へ行ってフレームを買って来る。そのくらい。

 そう、24日は中央図書館へ行って「花のノートルダム」とトム・ウエイツのCDを借りたんだ。

 26日、2組の羽根がうまくいかないので、ハンズでウレタン樹脂かなんか買って、なんとかでっちあげる。ルネサンスへ行くと、小品が2点とも売れていた。すごいというか何というかとにかくうれしいこと。こんどは価格をもっと考えるべき。

 夜、「J」で飲んでいたらAOさんが現われる。少しだけ話しして留守電をチェックしたらTKさんが「J・V」に居るとのことで、そちらへ移動。とりあえず新しい知己も出来た。帰りにSMちゃんと少しだけ会話(半年ぶり)。「アナタになんか負けないわよ」とのステゼリフに、こちらも勇気がわく。

 27日、ちょっとダラダラして少しだけ作品に手をつけ、夜は原宿でSKさんたちの忘年会。知らない人、知りたくない人が多くてちょっとがっかり。MYさんが後から来てしばらく話す。紹介の時シャンデリアを割る(わたしのせいじゃない)。二次会イヤなのでまた「J・V」へ。ISさん、HYさん、YOさん、SAさんのメンツ。HYさんと少ししゃべって、とも枝さんにまたからかわれて、そんなとこかな。

 この時に作っていた作品(3枚組)は、いまだに手元に保管してある。力技ではあるけれども、今になってそんなに人に公開出来るような作品でもない。

 「J」は、今も渋谷の百軒店入り口に健在なんじゃないかな。このあとにフェミニズム文化人の拠点みたいになってしまったようで、私は行ってない。「M」は、その百軒店の奥の奥、ゴールデン街を彷佛とさせる一角にあった飲み屋。ママさんのYさんは強烈な人だった。機嫌の悪い時には客とケンカばかり。この頃は「砂かけババァ」みたいな風貌だったけれど、若い頃は絶世の美人で、いろいろな著名な画家のモデルにもなっていて、そんな作品のいくつかが店内に素っ気なく飾られていた。もうあの店もないだろうなぁ。

 

 

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■ 2005-05-07(Sat)

[] 1994/12/23  1994/12/23を含むブックマーク

 自分でも書き写していて忘れてしまっていたけれど、ギャラリー・ルネサンスでのグループ展は継続中。やっと22日で終ったようです。

 1994.12.23

 21日の続き。

 ギャラリーへ行くとすぐにEBさんが来る。芳名録で、TKさんの奥さんが来られたことも知る。

 しばらくEBさんと話して、とてもいい人で、気持ちよくなる会話。Bのシネブティック向けに作品を作れば置いてくれそう。

 EBさんが帰って、7時近くにSKさん来る。パッとみまわしてわたしの作品が完成度がいちばん高いと言ってくれた。また四谷の「K」(SOさんとも行ったキタナイ店)でしばらく飲んで、タクシーで原宿へ行って朝まで飲む(!)。朝といっても4時くらいか。結局SKさんと飲むのは楽しい、というか、彼とならいちばんフランクになれるのだ。彼も酒で泥酔するようなことはないし、安心していっしょに飲める。SMちゃんもよかったけどね。

 しかし飲み過ぎ。

 22日の昼はちょっとだけ作品に手をつけてから、夕方はギャラリーのクロージングパーティー。なんとMNさんが待っていて、祝いののし袋をもらう。そう、どうやらわたしの作品はあの人気No.1のやつが売れたらしい。

 8時半ごろまでギャラリーにいたが、やはりMTさんという人はずれている。ずれまくっている。変な人だ。

 そのあとMNさんにいちおうつき合うみたいな形で表参道のクリスマス・イルミネーションを観にいくが、人の数ばかり多くてお正月みたいだと思った。イルミネーションはどうっていうこともない。おもしろい画廊を教えてもらい、のぞいたりしてみる。でもって、やはり女性はやりにくいので、おいてきぼりくわせるみたいにして(悪いことをした)、ひとりで帰る。

 23日は仕方ないのでがんばって年賀状兼案内状を作る(来年のAU展は案内状がないのだ)。初めて多色(多版)刷りをこころみるが、ま、うまくいったのかな。今回はお守りにもなるので自分あてにも出してみようと思う。

 夕方は町田まで行ってCDを買って(ギャビン・ブライヤーズのタイタニックの再録など)、ハンズで足りない材料をそろえる。

 EBさんと最後に親密に話したのがこの時だろうか。この次にEBさんの噂を聞いたのは、彼の自殺の知らせだった。「J・V」の客でもあったEBさんの、最後の遺書めいた手紙を、とも枝さんからこっそり読ませてもらった。いろいろなことを、自分で全部抱え込んでしまうタイプの人だったんだな、と思った。合掌。

 「女性はやりにくい」とか書いたりすると、同性愛かと誤解されそうだけれど、そういう嗜好ではありません。

 この頃はパソコンとかも持っていないし、年賀状とかは「プリントゴッコ」で作ってました。今でもたまに、「プリントゴッコ」のお世話にはなります。

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■ 2005-05-06(Fri)

[] 1994/12/21  1994/12/21を含むブックマーク

 この間に20日付けの日記もあるけれど、家族の事ばかり書いているので割愛。ちょっとこのあたりの事はあまり公表したくないのね。そんなに特殊事情というわけでもないけれど。

 1994.12.21

 20日、昼はもう一組みの天使の羽根を作る。いいかげん。

 夕方SNさんに電話して、SYさんのことなどを聞く。そのあとはヴィデオで「ベル・エポック」などを楽しんで観る。KHに電話すると風邪とのこと。KYは元気。

 「J・V」に行くと、年末とあってか、けっこう満員。HYさん、TOさん、KMさん、EBさん、UMさんその他。TOさんに学生映画祭のときの写真をもらう。「あと3枚欲しいんですけど‥‥」といったら、とも枝さんに「ずうずうしいよ!」って言われた。

 EBさん、UMさんとでゴールデン街ほかをハシゴする。いかん。また遅くまで飲んでしまった!

 21日、又昼まで寝る。ちょっとだけ作品をいじって、SKさんに電話して24日の集まりを25日にしてもらおうとしたら、今日ギャラリーに来るとのこと。渋谷に行きタンジールの本を買い(フランス人の書いた紀行モノ)、ハンズでマテリアルを少々買って帰る。

 17日の夕暮れは美しい空だったそうだ
 僕はみていない
 そしてそのことを知ることはもうない。

 SNから留守電がはいってたので、電話してしばらく話し込む。彼の工具、仕事を今度見せてもらいに行く。

 SKさんの名前が出て来るのは初めてかな。彼とこの日逢った話は、次の日の日記で。

 彼はわたしの「親友」。こんなにケンカをしたヤツもいないし、こんなにいっしょにメチャクチャやったヤツもいない。6年前、わたしの最悪の時に助けてくれたのも彼だった。この日記にはこれから、彼とのケンカの話がいっぱい出て来る。でも、何年か前に、彼の家で、「オレは小坂とがいちばんイイ」と、衝撃の告白をされた。って、わたしが先にその言葉を言うべきだった。彼も今は逆境にある。また一緒に飲んだり騒いだりしたいね。今度はわたしが助ける番のはずだから。

 

 

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■ 2005-05-05(Thu)

[] 1994/12/19  1994/12/19を含むブックマーク

 1994.12.19のはじまったばかり

 今、0時20分。
 初めて誰にも会わないで過ごした日だった。(18日のこと)

 妙な気分で、少々淋しいと感じた。

 ヴィデオで『バグダッド・カフェ』を再見して、いかに自分の記憶がいい加減なものかと思った。というか何にも憶えていないじゃないか。

 作品の構想はなんとなくまとまった。しかし出来てみると自分の想像とはまったく別のものになってしまうんだろうか。

 今スコッチをストレートで飲んでいるので、Steely Danの「Deacon Blue」が気になって、訳詞を読んでみたら、あまりにはまりすぎているので気味悪い。

 今、急に月が見たくなった。ひょっとしたら今日が満月なんじゃないだろうか。今から見て来るからちょっとまっててくれ。

 ‥‥見てきたよ。まさしく今日、今夜が満月だ。しかも、そして、ちょうど僕の真上にいた。まるで酔っぱらいのように(実際そうだけど)いっぱい月と話をして来た。青いか? そんなこと知るか。

 とにかく今夜が満月だったってことをちゃんと見て知っているのが僕だ。これは言葉で現わすと「恩寵」という。

 というわけで、久しぶりにThe Incredible String Bandなどを聴いている。誰かと電話ででも話したい。でもそんな時間ではない。

 笑って、笑って
 その中に贈り物があるんだって
 さぁ、リボンをほどいて
 いったい何がはいてるんだろう?

 もうすぐクリスマスだしね。
 みんな、又会おう。

 いやぁ、こんなこっぱずかしい文章は、今ではとても書けないですね。公表するのも勇気がいります。

 

 

 

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■ 2005-05-04(Wed)

[] 『The River Sessions』 Bert Jansch  『The River Sessions』 Bert Janschを含むブックマーク

 久しぶりに別の事を書いてみます。先日東京へ行って、Tower Recordsで、CDを買ったんです。コレ。

    River Sessions


 読み方が難しそうな名前だけれど、いちおう「バート・ヤンシュ」という事で統一されていて、海外の映像で彼の姿を見た時も、紹介される時の発音としてはそんなもんだったから、「バート・ヤンシュ」です。Bert Jansch。ま、一般には、(ex:)Led ZeppelinのJimmy Ohnishi、じゃない、Jimmy Pageのリスペクトするミュージシャンとして知られているのかな? わたし共にとっては、何よりもThe Pentangleの創立メンバーであり、フォーク・ブルースの世界での類い稀なる名ギタリストであり、味わい深いシンガー/ソングライターなのです。あ、こうしてみると、もう一人のブリティッシュ・フォークの巨人、Richard Thompsonと相似形のキャリア、って感じもしますね。どっちも唄よりはギター勝負だし、そのシンギングの、一種朴訥さの中の味わいも似てる。

 さて、この『The River Sessions』というCDだけど、セッション、というよりもソロ・ライヴ音源で、おそらくは1973年前後の録音*1。この時期はちょうどThe Pentangleの解散した時期で、このあとにBertは「Charisma」というレーベルと契約して、名作「L.A.Turnaround」など4枚のアルバムをリリースしたんだけれども、その後「Charisma」レーベルは倒産してしまって、この時期の彼のアルバムは、いまだにCD化されていないものばかり。驚異的に美しいインストゥルメンタル・アルバム、「Avocet」は2年ほど前にやっとCD化されているから、まだ長生きすれば、そんな音源もCDになるかも知れない。で、このCDは、そんな「L.A.Turnaround」録音の時期のライヴみたいで、7曲までが、その「L.A.Turnaround」に収録されている曲。4曲がおそらくはこのアルバムで初めて聴く曲で、2曲はThe Pentangle時代の曲。そして彼のライヴでは欠かす事の出来ない、超絶ギターの聴けるお馴染みのレパートリー「Angi」を含め、全14曲のライヴ。

 さて、この時期のBertは、その長いキャリアの中でも最高に充実した成果を残した時期ではないだろうか。この直前にも「Moonshine」という、夜の闇を突き抜けるような傑作を残しているし、その「L.A.Turnaround」の、朝の爽やかさのような明るさ、「Avocet」の美しさと、ミュージシャンとしてただ事ではない充実期のまっただ中にいる。で、このライヴもすばらしい。まずはギターが絶好調で、その超絶技巧ぶりが堪能出来る(って、これがライヴだなんて! どう聴いても二人で弾いてるみたいなんですけど)。歌声も伸びやかで明るく、その心地よさは真直ぐに「L.A.Turnaround」の音世界に直結している。

 1曲目の「Build Another Band」の屈託のなさ。生ギターの響きが美しく、「こんなに唄の上手い人だっけ?」などと、変な感慨を感じてしまう。絶好調である。おそらく初めて聴かれる曲。

 2曲目は、The Pentangle時代に、Jacqie Mcsheeのシンギングでのレパートリーだった曲。ライナーノートにBertは「Jacqieはオレよりウマく歌ってた」などと書いているけれど、あったりまえじゃん。とはいえ、ここでのギターはThe Pentangleでの録音より手数が多い、というか、装飾音を交えてちょっとハデ。

 3曲目、「One For Jo」はその「L.A.Turnaround」に収録された曲。「L.A.Turnaround」でもバックを交えずにソロ弾き語りで録音されていたので、相似形、というか、この人あたりになると、ライヴだろうがスタジオ録音だろうが、差異がわからないのだよね。そういう冷徹さがイヤ、という人もいる。

 4曲目の「The Blacksmith」は、同タイトルの曲がトラディショナルに存在するけれども、Bertのオリジナル。「L.A.Turnaround」に収録されているのと、歌詞は同じだけれども、アレンジがまるで違う。こちらはドロ〜ンと沈む重さがある。ちょっとギターがすごい。

 次は「Travellin' Man」。同じく「L.A.Turnaround」収録。大好きな曲。何も言うことはない。

 そして、「Lady Nothynge's Toye Puffe」も、上記アルバムに収録されたギター・ソロ。作曲は、かつてのThe Pentangleでのもう一人のギターの雄、John Renbourneの手になるもの。John Renbourneには、ブルースへの嗜好と同時に中世音楽を愛聴し、そんな影響を受けて書かれた曲も多いけど、これはそんな美しい小品。

 7曲目の「Fresh As A Sweet Sunday Morning」は、その「L.A.Turnaround」の冒頭を飾る爽やかな曲だった。みずみずしいヴォーカルと、力強いギターとのコラボレーションがすばらしいライヴ。

 「Angi」は、Bertのライヴでこの曲をやらないと客が暴動を起こすのよね。わたしも彼の来日公演では必ず聴かせて頂きやした。元は、Bertなんかのお師匠さん格のDavey Grahamの作品。ギターの音が2つか3つ、一緒に聞こえて来ますね。ちゃんとリズムはリズム、メロディーはメロディーと別の仕事やってます。しかもエモーショナルな盛り上がり。

 9曲目、「Stone Monkey」も「L.A.Turnaround」収録曲。曲の前にBertがこの曲の説明してます。14世紀ぐらいの中国の仏教説話を歌にした、って言ってるのかな? メロディーの起伏の大きな、佳曲ですね。

 「Dance Lady Dance」は初めて聴く曲。あら、かわいらしい曲。Bertがこんな曲を書いて、唄うなんて! ここでもギター絶好調。きっとこのダンスは、中世のダンスでないのかな。

 「When I Get Home」も、The Pentangle時代の曲。その時もBertのヴォーカルだったけれど、こっちの方が、ソロのくせに重たいかな。ヴォーカルがイイです。

 12曲目、「In The Bleak Mid-Winter」も初紹介でしょう。Gustav Holstという人の書いた美しいクリスマス・ソング。曲の途中でBertが何かしゃべったりしてます。Bertのお気に入りの曲だそうです。

 次の「Key To The Highway」は、ブルースの巨人、Big Bill Broonzyのレパートリー。えっと、イギリスのフォーク・ブルースに対するBig Bill Broonzyの影響と言うのは、これはもう、日本などでのBig Bill Broonzyのネームバリューからは想像が付かないものがありまして、これは早い時期にBig Bill Broonzyのイギリス公演が実現していたこととは無関係ではないようです。Bertのもう一つのルートがココで聴くことが出来ます。曲が終っての観客の熱狂がすごいです。

 ラストの14曲目はBert作のギターソロ、「Chambertin」。フランスのワインの名前だっけ? Bertがパリにいた時に書いた曲だそうで、すっげえ演奏のむっつかしい曲らしい。あ、途中つっかえましたね。bertさん。深みと情緒のある佳曲です。

 ‥‥はは、全曲レヴューやってしまった。いや、これからもずっと現役でプレイを続けて下さいませませ。そしてまた日本に来て下さいね。いただいたサインは大事にしていますよ。Bertさん。

 

*1:*クリスマス・ソング(キャロル)が演奏されているあたりから、1972年、もしくは73年の秋から冬の時期の録音ではないだろうか?

hibikyhibiky 2005/05/05 19:32 久々にお邪魔いたします。
あー、バート・ヤンシュ! 97年だったかの来日ライヴ、行き損ねたのがいまだに悔やまれます。個人的には「Moonshine」がお気に入りです。

crosstalkcrosstalk 2005/05/05 20:54 あ! hibikyさんだ! お久しぶりです。コメントありがとうございます!

いや、わたしも97年の来日の時には行けなかったのですよ。また来て欲しいですね。「Moonshine」、最高ですよね! わたしも大好きなアルバムです。

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■ 2005-05-03(Tue)

[] 1994/12/18  1994/12/18を含むブックマーク

 1994.12.18

 16日朝にYYちゃんから電話があって今日は行けないとのこと。寝ぼけマナコで変な応対。彼女とは19日にあらためて。

 昼間のんびりとお片付けをして、鉄板を広げてパネルの大きさに切る。鉄板、ボコボコなのでちょっと困ってる。羽根はちと大きすぎるし。サミットへ行って紙粘土を買い、自分で羽根は作ることにする。はたしてうまくいくでしょうか? マフラーも買ったけれど、2Fで男の店員に「マフラーなんかはどこですか?」って聞いたら、マフラーが「まくら」と聞こえたらしくって、ちがうフロアーを言われた。あのね、紳士服おいてあるとこでまくらはどこ?って聞く人いるかね。

 夕方から画廊へ寄って作品の写真を撮っておこうと思い、カバンにカメラを入れて出かけるが、そのあと映画を観るとすると時間的に間に合いそうもないので、結局画廊には行かない。

 六本木で「オリーブの林をぬけて」と、「ギターはもう聴こえない」を観る。「オリーブ‥‥」のときは以前いっしょに飲んだNさんだったかな?がいて、ちょっと話を。「オリーブ‥‥」はかわいらしい(?)秀作。「ギター‥‥」はちょっと身につまされるとこがあってイタかったけれど、ストイックなストーリー展開とか、音楽とか、迫るものがあった。とてもすばらしい作品。

 帰り、空を見上げるとほとんど真上に、まんまるになりかかった月が居座っていた。そしてそのまわりにと〜っても大きな「カサ」がかかってた。多分明日か明後日が満月なのだろうと思いながら○○○△○○○○○○○。

 17日はMさん達と逢う日。午後から渋谷に出て掃除道具とか買う。そのあとサミットでさらに2回にわけて買い物。で、ばたばたと部屋を片付けていたら時間になってしまった。例によってIさん現われず。Mさんも年内に仕事をやめるとのこと。

 ○○○○○○△△○○○○。○○○○○○○○○○○○○○○。○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○△○○。○○○○○○○○○○○○○○○○○△○。○○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○○○○△○。

 たぶん今日が満月なんだろう。それこそつめたく冷えた月だった。

 今は18日の午後3時すぎ。

 洗いたてのコップに牛乳をそそぐと、その白がコップの壁面をつたって、ぬれたコップが白くにごる。それをみつめている自分がここにいる。

 もうちょっと早く起きなければいけないんだけど、また昼頃に眼をさまし、羽根を作り始めた。

 結局、ワニ狩りが始まってから初めて作品を作り始めたのかな。これをどうやって作品に生かすのか。型取りの方法でなやんでいる。○○○○○○○○○○○○○○。

 Mさん達とは先週末にも逢ったばかり。長い付き合い。ま、特にマズイことを書いていたわけでもないんだけれど、ひょっとしたらご当人様が読まれるかも知れないので、「そんなこと思っていたのか」なんて言われないように、隠しておきます。

 

 

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■ 2005-05-02(Mon)

[] 1994/12/15  1994/12/15を含むブックマーク

 ほんとうはこの前に13日付けの日記があるんだけれども、あまりに個人的な、家族に関しての記述ばかりなので、ちょっと転載する気にはなれなかった。だから次は15日。

 1994.12.15

 次のステップの始まりかな。

 14日、まずは注文してあった鉄板の配送を待つ。1時ちょっとすぎにはとどいたので、世界堂にパネルを買いに行く。いろいろまよって60x90のサイズ3枚。店のSさんとバカ話をしてアルミ縁を特注する。

 帰ってすぐにとって返し、江古田の「BUDDY」で佐藤道弘のライヴ。その前にYYちゃんにTelするが、誰かと話し中だったらしく、YYちゃんあわてる。かわゆい(バカオヤジ)。後にまた電話することにして、「BUDDY」でSOさんたちと会う。ライヴはそれなりに楽しかったが、ちょっと約束ごとが多くてがっかり。また帰りにちょっと一杯の世界。

 15日は午後から東急HANDSで天使の羽根のために鳩の模型を買う。高い! しかたがない。

 WAVEで、ちょっと気になっていたONO SEIGENのCDを買う。Mark Ribotとか、John Zornとか入っているんで期待してたんだけどちょっぴり肩透かしかな。まだよく聴いていない。

 そのあと三たび学生映画祭。キューバの人の作品がものすごいパワーでアットウされた(字を想い出せない)。

 終ってまたTさんとバーデン・バーデンへ。楽しい会話。

 帰ってからKMとKHとSKさんに電話。

 明日はYYちゃんがギャラリーに来る。

 そうだ、忘れてた。今日はほんとうに久しぶりに画廊廻りをやったが、これはやらなくてはいけない。わかったようなフリをして自分の廻りのことから眼をそらすのはよくない。美術手帖なんかにとりあげられるアートだけがアートじゃないんだということをちゃんと肌で感じないといけない。それがわたしのやろうとしていることではないか。

 また新しい気持ちになれた。わたしの言っていることは青いだろうか。

 図書館で瀧口修造と、デリダに関する本と、もう一冊何か借りた。今考えていることがいろいろあるけれど、まだまとめて書けるほどにはなっていない。もうちょっと待ってくれ。

 結局、この日東急HANDSで買った、「天使の羽根」のための鳩の模型は、何の役にもたたなかった。残念!

 ‥‥こうやって書き写していて、10年前のわたしは年齢不相応に「青い」し、「素朴」だと思うよ(今でも大差ないけれど)。でも、今のわたしには、この10年前のわたしの「行動力」は、持ち合わせがない。ま、「たくさん動き回ったね」って、有森裕子(古い!)のように、自分を誉めてあげましょうか。

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