ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2008-04-30(Wed)

[]二○○八年四月のおさらい 二○○八年四月のおさらいを含むブックマーク

 四月のおさらいです。

 年度末三月はえらいことになってしまって、とにかく経済的に打撃でしたが、四月はだいぶ落ち着きました。

●4月12日(土) ポツドール『顔よ』@下北沢 本多劇場
●4月19日(土) 『トヨタコレオグラフィーアワード2008 セカンドステージ』@森下スタジオ
●4月26日(土) オトギノマキコ+ジョン(犬)『チワワのゆうれい』@渋谷 ギャラリー・ルデコ

 久しぶりに観るオトギノマキコさんの公演に、なんだか心癒されました。

 美術展はたぶん一つだけ。

●「ニュートーキョーコンテンポラリーズ」@東京 新丸ビル7F

 映画とかはちょっと観るのが増えて、

●『コントロール』アントン・コービン:監督
●『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』若松孝二:監督
●『非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎』ジェシカ・ユー:監督
●『ジャンヌ・ダルク 戦闘(「愛と自由の天使」)完全版)』ジャック・リヴェット:監督
●『ジャンヌ・ダルク 牢獄(「薔薇の十字架」)完全版)』ジャック・リヴェット:監督
●『譜めくりの女』ドゥニ・デルクール:監督
●『欲望装置の精神分析 スラヴォイ・ジジェクによる倒錯的映画ガイド』ソフィー・ファインズ:監督(イメージフォーラム・フィルムフェスティバル2008より)

 DVDも多少たくさん観て

●『ヤング・フランケンシュタイン』メル・ブルックス:監督
●『ツインピークス ローラ・パーマ−最後の七日間』デイヴィッド・リンチ:監督
●『ハンニバル・ライジング』ピーター・ウェーバー:監督
●『レッド・ドラゴン』ブレット・ラトナー:監督
●『大野一雄 ひとりごとのように』大津幸四郎:監督
●『大野一雄 御殿、空を飛ぶ。』(映像作品の監督記載無し)
●『ツインピークス』シーズン1 vol.2
●『ツインピークス』シーズン1 vol.3
●『ツインピークス』シーズン2 vol.1
●『ツインピークス』シーズン2 vol.2

 読書。突然明治に惹かれてしまいました。

●『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』森達也:著
●『メディチ家の人々』中田耕治:著
●『全集 樋口一葉 第一巻』(小学館)
●『リアリズムの擁護』小谷野敦:著
●『人物叢書 樋口一葉』塩田良平:著
●『明治大正翻訳ワンダーランド』鴻巣友季子:著

 五月は、樋口一葉を中心にもう少し読み進めてみましょうか。映画で観てみたいのは、そんなに期待してないけど『ファクトリー・ガール』とか、かなり期待してる『I'm Not There』。それからドキュメンタリーの『Joy Division』、ぺドロ・コスタの『コロッサル・ユース』、それからクローネンバーグの新作とか。


 

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/crosstalk/20080430

■ 2008-04-29(Tue)

[] 『トヨタ コレオグラフィーアワード 2008』セカンドステージ(ファイナリスト公開選考会)@森下スタジオ Cスタジオ 4月19日(土)  『トヨタ コレオグラフィーアワード 2008』セカンドステージ(ファイナリスト公開選考会)@森下スタジオ Cスタジオ 4月19日(土)を含むブックマーク

1.山賀ざくろ・泉太郎「天使の誘惑」
2.古屋優里・長内裕美・梶本はるか・三浦舞子・三輪亜希子「てまえ悶絶」
3.ボヴェ太郎「implication -風景として響きあう空間と身体-」
4.栄華「もっと真面目に生きなさい」

5.明神慈「夜奏」
6.磯島未来・加藤若菜・須加めぐみ「子羊たちの夕焼けボート」
7.川崎歩「ためいけ」
8.きたまり「サカリバ007」

9.不動まゆう「マリアの子」
10.石田陽介「壁」
11.KENTARO!!「泣くな、東京で待て」
12.神村恵「斜めむき」

13.ストウミキコ・外山晴菜「たまごが先か、にわとりが先か」
14.鈴木ユキオ「沈黙とはかりあえるほどに」
15.北村成美「うたげうた」
16.得井幸「Bring Me a PPPeach.(もももってきてちょうだい2)」

 ‥‥記憶に残ったことだけ、ちょっと書きます。

 1.山賀ざくろ+泉太郎は、ダンスとアートの生(なま)の出会いとコラボレーションとして、そのアイディアも秀逸なので、ま、ファイナリストには選ばれるだろうとは思っていましたが、現にもう一度観てしまうと、なんだかまだまだアイディアを盛り込めそうに思えて、もっと発展させたヴァージョンを観たくなってしまったり。

 2.つまりは「プロジェクト大山」と、6.つまりは「PINK」、それから4.の栄華の三組は体操着系というか、乱暴なアスリート系としてかぶってしまったようですが、どれかひとつぐらい残って欲しかったような。PINKは15分という時間枠で少々不発気味。プロジェクト大山は次々に繰り出す小ネタの連続と、某国国歌を使った壮大な「美の祭典」のパロディーのような振付とか好みなのですけれど。そういうのは栄華もおとなりの某社会主義国家のマスゲームをまんま持って来ているし、それと某国公演でその国の国旗を足げにして物議をかもした前科のあるらしいPINKとの三組は、まとめて外務省の外交政策で落とされたのでしょう。

 5.つまりは「ポかリン記憶舎」の、その趣味的な世界を積極的に持ち上げる気はないのですが、わたしはこういう作品が選考会に残ってくるのはいいことだと思ってます。用意して来た紗幕のような美術が、背景の暗幕にのみ込まれてまったくその効果が出なかったのが、観ている方でも残念でした。

 7.川崎歩さんのは初めて観るのですが、そのカオスのような混とんとした世界の中にしっかりとした構成と空間意識があって、アングラ演劇を思わせる展開もとっても気に入りました。また観てみたい作品でした。

 10.石田陽介さんの作品も初見ですが気に入っちゃいました。観念的な事象をエモーショナルに作品化する試みとして、心に惹かれるものがありました。拠点を東京に移されたそうなので、今後観てみたいと思っています。

 14.鈴木さんつまり「金魚」の作品はまさに舞踏を現在の文脈によみがえらせたような力強い作品で、とにかく目が離せませんでした。しかしわたしはこのタイトル(武満徹からの引用)には疑問があるのですが。

 15.は久しぶりに観る北村成美さん、わたしは、この人の選曲にいつも反応してしまうのですね。同世代ではないはずなのに。今回も「Stardust」のギターから、ジャニスの2曲。まさに舞姫のように華麗に舞い踊られます。もうダンスの原点を見せられているようで、また6月にこの作品を観ることができるのは喜びです。
 ただ、せっかく白いドレスで、そのドレスがマリリン・モンローが「七年目の浮気」で着ていたようなデザインだったのだから、見せパンツは花柄とかではなくて、やはり「純白」がよかったのではないかしらん。

 16.のYummyは以前から応援しているので、良かった。それぞれのメンバーのキャラがきわだちながらも、てんでバラバラのようでいてカンパニーとしての求心力の溢れ出る振付。

 ファイナリストに選出されたのは以下の6組。

山賀ざくろ・泉太郎「天使の誘惑」
きたまり「サカリバ007」
KENTARO!!「泣くな、東京で待て」
鈴木ユキオ「沈黙とはかりあえるほどに」
北村成美「うたげうた」
得井幸「Bring Me a PPPeach.(もももってきてちょうだい2)」


トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/crosstalk/20080429

■ 2008-04-28(Mon)

crosstalk2008-04-28

[] 『ノーカントリー』 ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン:監督 コーマック・マッカーシー:原作  『ノーカントリー』 ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン:監督 コーマック・マッカーシー:原作を含むブックマーク

 イーサン・コーエンとジョエル・コーエンの兄弟の作品は、ちゃんとスクリーンで観たそのデビュー作『ブラッド・シンプル』の時から大好きでずっと観続けて来たのだけれども、『オー!ブラザー』を観た時、それも面白くはあったのですけれども、なんだかどこかで「too much!」と思ってしまったところがあって、そのあとの『レディキラー』とか『ディボ−ス・ショウ』とかは未だに観てはいないのです。そのコーエン兄弟の新作はなんだかストレートなクライム・ストーリーという噂で、やっぱコーエン兄弟はクライム・ストーリーでなくっちゃ!という気持ちで、映画館に足を運びました。

 コーエン兄弟の作品に惹かれるのは、その、登場人物が互いに騙したり騙されたり、勘違いしたりしながら錯綜するストーリーと、形容の難しい奇妙なユーモア、そして細部にこだわった演出の魅力とかであって、そういうのでは『ブラッド・シンプル』も大好きだし、『ミラーズ・クロッシング』はDVDまで買ってしまったり。

 さて、その『ノーカントリー』ですが、例えばその『ミラーズ・クロッシング』や『ブラッド・シンプル』が、観客もまたそのストーリーの背後の「本当の事」を最後まで読み取れないようなジグザグの展開をしているのに比して、あまりに、恐ろしいほどにストレートな展開。

 とにかくこの悪役ハビエル・バルデムの造形が、例えば『ファーゴ』に出てくる無表情な巨人の悪漢(スティーヴ・ブシェミを頭から粉砕機に突っ込んじゃう男)〜あれは、ピーター・ストーメアという俳優だったか、あのあたりにその原型を読み取ってしまうのですが、これが妙ちきりんな、横分けのマッシュルームカットみたいなヘアスタイルで、ま、こういうヘアスタイルなヤツはTVのヴァラエティとか観ているとかなり頻繁に出てくるので、実は観ていてそんなにめちゃ変だとは思っていなかったんですけれども、こいつが武器として持ち歩いているのが圧縮空気ボンベみたいなもので、そのノズルでもってどんなドアでも人の頭でも打ち砕いてしまう。ハビエル・バルデムはこの演技でアカデミー賞の助演男優賞とかを受賞されたらしいんですけれど、この映画の主役は実質、このハビエル・バルデムの演じるアントン・シガーという人物ではあるでしょうが、つまりはそのような圧倒的な存在が世界に何をもたらすかという作品ではあるので、これを「助演」と規定するのは正しいのではないかと思ったりします。

 映画は、アメリカ南部の荒涼とした風景をバックにした保安官の独白(ナレーション)から始まるのだけれども、このシーンはもろに『ブラッド・シンプル』のファーストシーン、油田の掘削機の見える風景をバックにした探偵の独白を思い出させるというか、わたしの記憶ではほぼ同一。またもアメリカの田舎町。コーエン兄弟の作品は、その南北を問わずにアメリカの田舎町を舞台にした作品がいいのですね。今回もそんな過去のコーエン兄弟の作品をなぞるような展開で、しかしこの作品は珍しく原作小説があるのですね。

 一獲千金のチャンスを獲た男が大金を持って逃亡し、追い詰められて行く。その報われることのないエネルギーの浪費、そのむなしさ。スイーパーの周辺にいる人物は、小悪党だろうが依頼人だろうが善人だろうが皆その犠牲になって、そのスイーパーはスクリーンの外に逃げ出してしまう。この作品は、その男を捕らえ損ねた保安官が、そのおじを訪ねて行っての対話で終るのだけれども、このラストシーンの余韻というか、この宙に浮いたような締めくくりこそにこの作品の独特なテイストがあるのであって、ま、フォークナー的なとか、言ってみれば「純文学」的なというか、ハイ・カルチャーなインテリ好みの作品として受けとめられるだろうと思うのですけれども、どうもその、前に観た『オー!ブラザー』などでアメリカ南部を彷徨する男たちの話がホメーロスの『オデュッセイア』と重ねたりするのとかでもそうだったけど、完成度がいまいちと言いますか、わたしが言うのもなんだけれども、やっぱスノッブだなと感じてしまうのです。

 でもやはりディテールにこだわる映像は彼らの作品ならではで、今回記憶に残ってるのは、そのハビエル・バルデムの最初の殺人場面、これがまるで『アナコンダ』という映画のジョン・ヴォイト(これも怪演)のように、その太ももで男(保安官助手?)の首を締め付けて、この場面で映像は真上から俯瞰するのだけれども、その背景となる床に拡がるのが、まるでポロックのドリッピングタブローのように、その黒靴のヒールが床にこすられた黒い軌跡模様で、それはまったくリアリズムから逸脱していて、とにかく眼を奪われてしまいました。

 コーエン兄弟が「巨匠」とか呼ばれてしまうようになるとちょっとイヤだけれども、やっぱりこれからも彼らの作品は観てみたいです。


 

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/crosstalk/20080428

■ 2008-04-24(Thu)

[] ポツド−ルvol.17『顔よ』 三浦大輔:脚本・演出 @下北沢 本多劇場  ポツド−ルvol.17『顔よ』 三浦大輔:脚本・演出 @下北沢 本多劇場を含むブックマーク

 ポツドール今回の新作は「人間最大の業である顔の美醜」がテーマなんだそうで、わたし実際にそんな顔のことどうでもいいんで(自分でも付き合った来た女性は客観的に見れば「ブス」な人が多かったし〜それでよくからかわれたが〜)、パスしようかなとも思っていたのですが、前回見逃した『人間失格』の評判がよかったようなので、行って来ました。

 ブス好みとはいいながら、その昔、わたしの知っていたある女性が、「わたしにはブスの気持ちはわからない」と宣われたことがあって、それは20世紀の名セリフとして今でもわたしの記憶にずっと残っているのです。それと、関連はありませんが、だいぶ以前に聴いたニュースで、たしかホステスさんだかなんだかの女性が顔を傷つけられて、その裁判で「被害者にとって、顔はその職業で収入を得る重要な要素である」とか認定されて、被告であるオマエはかなり高額な賠償金を支払えよな!みたいな判決のあったこととか記憶にあって、このポツドールの舞台を観て、その二つの事柄を思い出したけど、結局わたしの記憶の中のその二つを超えるような驚きを得ることは出来なかった。

 っつうか、「顔」のことをテーマにするなら、もっともっと深く突っ込んで、ドロドロの愛憎劇に仕上げることも出来そうなのに、四つか五つ分散するサブストーリーのどれでも、どこかで根本のテーマが「顔の美醜」から外れているのではないかと。なんか、とにかく全体にヌルいヌルかん。しょっぱなに展開する、チェルフィッチュの舞台で記憶に残る松村翔子さんの、合コンで顔を焼かれた女性の話なんか、先の裁判の話ではないけれど常識で考えてもそれこそ裁判ざたで、こんなモンで済むはずがない。こんな展開では、逆にこの舞台上では誰もが実は「顔のことなんかどうだっていい」と思ってるんじゃないかと思わせる展開であって、これはきっと、作者である三浦大輔さんが、周知のごとく相当のイケメンであるという、ま、言わば「事実」だな、その事実と関係しているのではないだろうか。つまり、三浦大輔さんにはブ男の気持ちはわからないのだろう。

 まぁ、ブ男が自分のことをかっこいいイケメンと思い込むのは滑稽だろうけれども、それよりも、一般には、地味な話だけれども、実際そんなに醜くなんかないのに「自分は醜い」と思って引きこもってしまう人の方が、数も多いし、それこそ「業」というか、そういう話があればもっと真剣に観たかも知れない。実のところわたし自身も若い頃はそういう気持ちが強かったので、ずいぶん損した。アレ?それは損したのではなくて、正しい認識だった???

 演出とかは、何ケ所でも別のドラマが同時進行し始めて、セリフが重なり合い、そんな混沌の中でふと、あるキーワードがシンクロするのとか、とっても男前だし、雨の情景とかも映画の一シーンのような美女ぶりだったりするのですが。こういうテーマは前田司郎さんとかにやらせた方がいいんじゃないのか。あ、そりゃ失礼な言い方か。(4月12日)


 

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/crosstalk/20080424

■ 2008-04-23(Wed)

crosstalk2008-04-23

[] 『接吻』 万田邦敏:監督  『接吻』 万田邦敏:監督を含むブックマーク

 全くその内容も知らずにこの作品を観て、知らなかったが故にその驚愕も人一倍。昨年公開された井土紀州監督の『ラザロ』を引き継いだと言うか、近年の日本映画にはなかった「負(マイナス)の意志」を映像として定着した、稀に見る傑作なのだと思いました。そういう、近年の日本映画での「負」の意志を描いた映画と言えば、わたしの観て来たもので思い返せばもう、黒沢清監督の『CURE』とか『カリスマ』以来と言えるのではないでしょうか。そしてこの万田邦敏監督もまた、黒沢清監督と同じく立教大学の映画サークルの出身として、いっしょに映画を撮っていた時代があったということも興味深いのですし、いや、その時代の立教映画サークルには塩田明彦も青山真治もいたのだというのは、そこはきっと何か特別な超自然的な作用が起こる磁場ででもあったのではないかと。

 とにかく冒頭から鮮烈な映像が置かれていて、歩道のコンクリート階段を上って行く男の後ろ姿、水平移動ではなく、その腰のポケットからは金づちの柄が上にまっすぐ伸びていて、もうそれだけで不穏な。郊外の新興住宅地を思わせる家並みのあいだを歩いて行く男を追うカメラが衝撃的な事件へとなだれ込んで行くファーストシーンの、静かなのにあまりに暴力的なインパクトはミヒャエル・ハネケの作品をも思い出させる。様々な映像的テクニックを駆使した引き出しの多い演出もさることながら、この作品でわたしが特筆したいと思ってしまうのは、女優としての小池栄子という存在の「技」ではあるのです。豊川悦司もイイのですが、これまではTVのヴァラエティ番組でしか見たことのなかった小池栄子、この作品の中で喜怒哀楽の表情を要所要所で印象的に定着させ、エキセントリックでファナティックなヒロインをみごとに造形肉付けし、とりわけ途中で見せるある意味不気味な笑顔、そして驚愕のラストでの演技と、とにかく驚かせられたのです。

 いろいろな意味で、最近の日本映画では群を抜いて印象に残る映画作品でした。今は多くを語れないのですが、やはり、傑作だと思います。印象に残る音楽は石井聰亙監督作品でも音楽を担当した長嶌寛幸という人で、すばらしいエンドロールの演奏は、千野秀一さんのピアノと向島ゆり子さんのヴァイオリン。


 

 

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/crosstalk/20080423

■ 2008-04-22(Tue)

[] 『パレルモ、パレルモ』 ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団 ピナ・バウシュ:振付 @新百合丘 テアトロ ジーリオ ショウワ  『パレルモ、パレルモ』 ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団 ピナ・バウシュ:振付 @新百合丘 テアトロ ジーリオ ショウワを含むブックマーク

 実は正直言って、近年のヴッパタール舞踊団の「都市シリーズ」というのに、どうも心の底から入り込めないでいるのです。それは例えば国境を越えて他者を理解し、共にこの地球に生きることを確かめ、セレブレイトいたしましょうという世界というか、う〜ん、なんだか、「アースディ」のイヴェントを観ているような気分、と言えばわかっていただけることもあるかと思うのですけれども。

 でも、しかしながら、その「都市シリーズ」の初期の作品であるこの『パレルモ、パレルモ』は、まさしくベルリンの壁の崩壊した1989年暮れに初演、とにかくその冒頭に、舞台いっぱいにそびえるブロックの壁が一挙に崩れ落ちる場面から始まるのだということばかりが耳に入って来て、実はその舞台がこの日本でも上演されると聞いたときから楽しみにしていた公演。その感想です。

 いやたしかに、その冒頭の壁の崩壊する場面の迫力は、それこそ実際に目の当たりにしなければわからない、迫力に満ちたものだったのですが(これが野外だったらどんな見え方がしたのだろう!)、それ以上に、この作品それ自体がとても魅力に富んだ素敵な舞台作品ではあったのです。

 都市シリーズの作品に共通して言えることですが、コンセプトとしてはシンプルな、でも大がかりな舞台美術(ペーター・パブスト)の中で、ダンサーたちがさまざまなコントやダンス(ソロであったり、群舞であったり)を繰り広げる。そういう大きな構造はこの『パレルモ、パレルモ』でも変わることはなくて、今回は、その崩壊したブロックをもってして、全体の舞台に組み込んで進行して行くわけです。

 で、今回の作品のテーマ都市であるパレルモですけれども、これはイタリアのシシリー(シチリア)島にある都市ですね。地図でいうと、イタリア半島のブーツのつま先で蹴飛ばされている石ころのような位置にある島。ですから、イタリアをネタにしたコント、トマトだとかパスタだとか、そしてシシリー特産のマフィアとか、そんなのを扱ったコントとかが次々に繰り広げられて行くのですけれども、う〜ん、これが何だか切なくもグングン観ているわたしに迫ってくるのです。それはきっと、ひとつには冒頭の壁の崩壊の記憶こそが、観客であるわたしの眼と耳の奥に染み付いてしまっていて、その、つい今し方の記憶からこそ、この舞台からある種の重量感のようなものを喚起されるのではないかとも思ったのですが、でも、やはり、ピナ・バウシュの1980年代は、魅力を持った作品が多く、ピナにとっても充実期ではあるのでしょう。以前観て強く印象に残っている『バンドネオン』、これは「都市シリーズ」直前の作品だと思うのですけれども、やはり時期的にはこの『パレルモ、パレルモ』と近い頃の作品でしょう。『バンドネオン』はほんとうによかったなぁ!

 結局、この『パレルモ、パレルモ』の魅力といえば、どうなんでしょう、うまく言い表せませんが、例えば人、それは世界にたった今生きている人全体と言っていいのですが、その人のポシビリティへの信頼、人の多様性の肯定であると同時に、ここでは、言ってしまえば、暴力への恐怖と言うか、より大きな力への畏怖でしょうか、「歴史」という大きな流れを捉えるような感覚。そのような感覚がこの舞台から読み取れるように思ってしまうのです。そのあたりこそがこの舞台の魅力だったのではないかと思うのですが、どうでしょう?(3月20日観劇)


 

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/crosstalk/20080422

■ 2008-04-21(Mon)

[] 『Unknown Pleasures』 Joy Division  『Unknown Pleasures』 Joy Divisionを含むブックマーク

 突然に、事情があって、原稿(?)を書く時間がいっぱい出来たのです。しばらくは今まで書けなかったのを書きついで、連日のように更新いたしますからね。きっとそのあとまたぱったり更新しなくなりますけど。今回はわたしの好きな音楽と映画の話から。Joy Divisionです。

f:id:crosstalk:20080421210906j:image:left そのJoy Divisionの、印象的なジャケットの「Unknown Pleasures」のレコードを、それこそジャケット買いしたのは、まだ次作の「Closer」が店頭に並んではいなかった頃だと思うので、1980年のはじめの頃だったのではないでしょうか? きっともうその頃にはこのバンドのヴォーカル、イアン・カーティスは、すでにその短い生涯を終えていた頃だったでしょう。

 その「Unknown Pleasures」を聴いて、わたしはたちまちのうちにその無機質な音と、虚無的だけれどもエモーショナルなヴォーカルに夢中になってしまって、彼らの他の音源を買い漁ったものでした。と言っても、そのJoy Divisionの音源は、アルバム「Unknown Pleasures」の他は、12インチシングルの「Transmission」、「Love Will Tear Us Apart」、くらいしかなかったのではないかと記憶しています。どれも、それまでのレコードジャケットのデザインの通念を打ち破るような、最小限のテキスト情報と美しいアートワーク。つまりそれが、わたしとFactoryレーベルとの最初の出合いではありました。

f:id:crosstalk:20080421211021j:image:left このあとに、「Unknown Pleasures」を越えてさらにまた、あまりに美しいジャケットにつつまれた「Closer」が輸入レコード店の棚に並び、その頃になって、イアン・カーティスが自殺したのだという遅延したニュースを聞いたのでした。その頃は自殺の理由はよくわからなくて、なんだか、レア音源がソノシート化されて市場に出回ったせいだとか、どうもよくわからない謎解きが流布していた記憶があります。

 「Closer」のの音は、「Unknown Pleasures」の頃に比べるとたしかにあれこれと複雑に進化しているようでしたけれども、わたしにはやはり、「Unknown Pleasures」の暗く沈澱した音、とりわけ「She's Lost Control」という曲こそが大好きでした。

 その後CDの時代になって、持っていたアナログ盤はほとんど処分してしまって、再発されるCDで気にかかるものは買い直したりして来たのですが、このJoy DivisionのCDは、そのジャケットが、アナログ盤の美しさとは(同じ図柄ではあっても)天地の隔たりのある酷いものだったので、とても購入する気持ちにはなれないままになってしまいました。それは、先日リリースされた新しいエディションのCDでやっと、そのジャケットこそがアナログ盤を再現するものとしてリリースされましたので、とにかく20年ぶりぐらいに買い直しました。はい、とりあえずこんなことがわたしのJoy Divisionへの想い出ではあります。

 そう、ソングライター、詩人としてのイアン・カーティスは、Doorsのジム・モリソンとか、Televisionのトム・ヴァーラインを思わせるようでもあり、そう、例えば「Love Will Tear Us Apart」など、そのタイトルからしても70年代のCaptain & Tennilleの恥ずかしい大ヒット曲「Love Will Keep Us Together」の、まさしく正反対の反語として、80年代Post Punkの暗黒面を象徴しているのではないでしょうか(ネクラ=根暗という言葉は、この頃のそんな音楽の集合から語られるようになった言葉だったと記憶しています。その代表格こそがこのJoy Divisionではなかったでしょうか?)。

[] 『CONTROL』 アントン・コービン:監督  『CONTROL』 アントン・コービン:監督を含むブックマーク


f:id:crosstalk:20080421211116j:image:right で、おそらくはその「She's Lost Control」からこそ、そのタイトルを採ったのではないかと想像させられる、アントン・コービン監督の『CONTROL』を観ました。実はわたしは写真家としてのアントン・コービンの写真をあまり良く知らないのですが、ロック・アーティストの写真というとよく見かけるような、ある意味でミーハーな、被写体と写真家の距離がベタベタな写真なものではなく、彼の、クールな距離感を保った写真には惹かれるものを感じます。そのアントン・コービンとJoy Divisionとの交流というのもわたしは知らないのですが、「Transmission」のPV撮影の時に彼らの写真を撮ったりしていたらしいのですね。

 この『CONTROL』という作品が、その故イアン・カーティスに捧げられたレクイエムであることはたしかでしょうけれども、この作品の美しさは、そのアントン・コービンが、過ぎ去ってもう戻っては来ない過去を呼び戻して、この現在の中で隔離された場所として、それが映画であるのだという視点から創られた、その視点に内包された美しさなのではないかと、思ってしまったのです。それは、俳優たちを使って過去の人の人生を再現するという、つまりは伝記映画というんですか、平たく言えばそういうカテゴリーに入れられてしまうのでしょうけれども、でも何か単純には「そういうものだ」と言い切れない美しさ、そこにこそわたしのような観客が引き込まれて感応してしまったのだと、言ってしまいたいのです。

 それがつまりは、映画製作、映画撮影というシステムの中で、アントン・コービンが、外の現実から乖離した時空間としての作品を撮り上げた成果だと言えると思うのです。もちろん、映画製作、撮影の現場が外の現実と同一の時計を刻んではいないことは当然なのですが、この作品は、アントン・コービンの内面に通じるような深い意識から生まれた作品ではあるでしょう。30年近く前のマンチェスター、そこでのJoy Division、イアン・カーティスを映像として現前させ、再構築する。そこに、アントン・コービンとしてのカメラ・アイが、「映画」というシステムの中で変質していく過程、その記録としてこの作品は二重のドキュメンタリーであって、1970年代の終盤、そして2006年のマンチェスター、そしてこの映画が上映される2008年の東京が、同じ軸の中で回転し始めるのです。そこにこそ、このアントン・コービンが、職業的映画監督としてではなくこの作品を製作した意図が伺い知れるのです。その一点をこそ汲み取らなければ見誤ってしまう。そういうフラジャイルな作品だと思いました。あ、わたし的には、映画の中ごろの、たしか「Transmission」のライヴのシーン、そこでのイアン・カーティス役のサム・ライリーのパフォーマンスに、圧倒されてしまいました。



 

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/crosstalk/20080421

■ 2008-04-19(Sat)

[] 世田谷パブリックシアター+コンプリシテ共同制作 『春琴』 サイモン・マクバーニー:演出  世田谷パブリックシアター+コンプリシテ共同制作 『春琴』 サイモン・マクバーニー:演出を含むブックマーク

 しばらく更新を怠って来ましたが、少し書き継いで行きましょう。時間が経ってしまって、すでに記憶から脱落してしまった部分もあり、また逆に時を経てより鮮明に記憶から浮かび上がる部分もあり、このくらい時間をおく方が、わたしの中で印象が熟成されているかも知れませんし、でもやはり曖昧な忘却のなかに消え去ろうとしているのか、とにかく書いてみましょう。

 まずは3月2日に観た『春琴』の舞台。

 サイモン・マクバーニーが世田谷パブリックシアターと共同制作した前作『エレファント・バニッシュ(2003)』では、映像を多用し、ワイヤープレイまで取入れるユニークな演出が印象的で、東京という都市の孤独を舞台に照射する、スタイリッシュで現代的な舞台として記憶に残っています。

 で、今回は、谷崎潤一郎の『春琴抄』と『陰翳礼讃』をもとにした作品。つまりはほとんど予想出来たのですけれども、舞台空間/構成に『陰翳礼讃』から読み取られた精神を援用しながら、『春琴抄』を演出するという姿勢で、スタッフ/出演者にはその『陰翳礼讃』を読んでもらったらしいのだけれども、それを聞いて、まったく同じ話を過去に聞いたことがあると思い出したのが、たしかベルナルド・ベルトリッチが何かの映画を撮った時に(ひょっとしたら『ラストエンペラー』?)、スタッフ全員にやはり『陰翳礼讃』を手渡したという話。これはひょっとしたらわたしの記憶違いかも知れないのだけれども、でもベルトリッチがほんとうは谷崎の『武州公秘話』を映画化したかったのだ、という発言は憶えています。うん、『武州公秘話』は読みましたけど、ほんとにおもしろいんですよね。で、『陰翳礼讃』は昔読みましたけれど、これはまさしく、まずは「表層」の世界の現れ方についてのエッセイであって、つまりは(少し内容はうろ覚えですけれども)電燈のなかった時代の「暗さ」から、いったいどのように「世界」が見えてしまうか、そこから過去の日本人はどのように家屋を設計したのか、その世界をこそ愛でようではないかという視点ではないかと思うのですが、例えば荷風の江戸嗜好などと同じノスタルジー、同じ表層次元からの照射とはいえども、そんな「趣味」から一歩踏み込んだ、言ってみれば「日本文化マニフェスト」になり得ているわけでした。ま、このあたりが海外の読者をもまた惹き付けるのでしょうけれど。

 だかららつまりはこの舞台。その『陰翳礼讃』精神から、舞台は薄暗いの。真っ黒なバックに真っ黒な床。ここでの舞台設定はこれが「ラジオドラマ」としての『春琴抄』の収録という設定で、まずは「ナレーション」役の立石凉子さんが、スタジオと設定されている舞台に入ってくるシーンから始まる。その舞台奥のドアの向こうにはドリンクの自動販売機が置かれているのが覗かれて、つまりこの舞台は「現代」を舞台にしていて、さらにそのことを強調するように、ナレーションの彼女にその時、その関係が危うい成り行きになっているらしい「彼氏」から携帯にコールがあり(ちょっとこのあたり、彼女から電話したのか記憶が曖昧)、そんな携帯電話でのやりとりがはさまれたりします。

 つまりここで、まさにこの現代と、谷崎の『春琴抄』の世界との交感があるのですけれども、これでわたしが思い出すのは吉田喜重監督の『エロス+虐殺』だったりして、いやそれは全然違うのですけれども、『エロス+虐殺』においても、そのラストでスタジオに集まった出演者の記念写真撮影で終るのが、この『春琴』のラストの全員集合とかぶったりします。しかし、この『春琴』で対比される「現代」が、そのナレーターのケータイで垣間見られる恋愛模様と、終幕近くに映像で映し出される都会の雑踏の姿だけ、というのは、作劇としてなんだか中途半端な気がします。『エロス+虐殺』で言えば、大杉栄と伊藤野枝の遺児、魔子にインタヴューする女子大生はその生活では売春まがいの行為をやっていて、そこから現代の話があれこれと膨らんでいったりするんですが。

 とにかく舞台はその「春琴抄」のラジオドラマの収録が始まるのですが、ここで出演者全員(十人ですが)が舞台に顔をそろえ、自分の出番のない場面では「黒子」役をしたり、とにかく全員出ずっぱりの舞台。特に幼少期の春琴は人形を使い、それを操るのは成人後の春金を演じる深津絵里とかだったり*1、で、わたしはこの方を存じ上げていなかったのですが、本條秀太郎という三味線奏者が舞台奥に座を占めて演奏を続けられ、つまりは人形浄瑠璃に模した舞台構成をも垣間見られるわけでした。

 その、暗い舞台の上で、黒子をつとめる役者さんたちがあれこれ舞台空間を拡張していく演出も楽しいのですが、この舞台で結局印象に残ったのは、それがラジオドラマという設定だからでしょうか、役者さんたちの「声」こそが印象的で、特に後の佐助役のヨシ笈田さんの声、そしてナレーターの立石凉子さん、幼女のヒステリックな声が記憶に残る深津絵里さんの声なんかが印象的でした。

 ただ、結局観終ってかなりの時間をおいて思い返してみてもやはり、もうちょっと崩すとか、そういう物語自体を解体するような大胆な演出があっても良かったように思うのですね。なんだかその原作の『春琴抄』とか、『陰翳礼讃』の精神を崩さないように、大事にし過ぎたのではないかという、それが今になってのわたしの感想ではあります。(3月2日観劇)

*1:この舞台では、春琴、佐助の主要登場人物を、それぞれ三人の俳優が演じます。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/crosstalk/20080419

■ 2008-04-03(Thu)

[] 「イメージフォーラム・フェスティバル2008」  「イメージフォーラム・フェスティバル2008」を含むブックマーク

 また「告知」になってしまいます。すいません。そのうちに3月とかに観た映画とか舞台とかの感想を書きたいのですが、忙しくてね。あ、そうそう、このブログも開設して丸四年を過ぎて、なんだかPV数が本日200、000を突破いたしました。別にそういうアクセス数を気にしているわけでもありませんが、計算すると平均して一日130PVとか、見ていただいているということで、ひやかしであれ何であれ、ありがたいことだと思っています。って、今日一日で2000PV以上あったのが異様ではありますが。

 さて、この10年以上の期間、ゴールデンウィークといえば「IFF」、つまりは「イメージフォーラム・フェスティバル」っつうのに毎年通いつめているのですけれども、ようやっと今年のラインアップが発表されました。

 イメージフォーラム・フェスティバル2008

 こうやって見ると、今年はダンス関係の映像が見当たりません。もうその分野は「さいたま芸術劇場」の「videodance」プログラムに任せたということでしょうか。で、今年の「イメージフォーラム・フェスティバル2008」の特集テーマは「ドリームマシーン」、ですか。あまり良く解りませんが。

 やっぱ、目玉商品は、ジジェク自ら出演の『欲望装置の精神分析』でしょうか。「今さらジジェク、今こそジジェク」などと勝手を言えますが、つまりは映画を通じてのラカン、これが、ジジェクの旧書を越えて、たとえばハネケの『ピアニスト』などという作品まで言及するのであれば、やっぱり観ておきたいですし、その、本の方で感じてしまった、わたしのような不勉強な読者の「え? その映画観ていないんですけれども」というもどかしさが解消されるでしょう。っつうか、こういう企画が通るのであれば、次に期待したいのはもちろん、ドゥルーズの『シネマ』の捕足映像作品ですね。って、『シネマI』はいつ刊行されるのでしょう?

 このフェスティヴァルで、あと気になるのは、『ザ・ネット』という作品とか、『グラス・リップス』、それからベネチア・ビエンナーレで評判になったらしい作品のプログラム『ラスボス:異形の3D,CGアニメ−ション』とか。ドイツのアニメーションも面白そうだし、『幻視の旅』というプログラムにも惹かれます。ぺドロ・コスタの作品もあるし。


トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/crosstalk/20080403
   3234493