ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2009-03-31(Tue)

[]二○○九年三月のおさらい 二○○九年三月のおさらいを含むブックマーク

三月のおさらいです。舞台関係4本。一つはもう思い出したくもないですが。

3月 6日(金)『火の顔』マリウス・フォン・マイエンブルグ:作 新野守広:訳 松井周:演出 @池袋・東京芸術劇場小ホール
3月14日(土)『Hey Girl!』ロメオ・カステリッチ(ソチエタス・ラファエロ・サンツィオ):演出 @にしすがも創造舎
3月28日(土)『転校生』平田オリザ:作 飴屋法水:演出 @池袋・東京芸術劇場中ホール
3月29日(日)『another BATIK〜バビロンの丘にいく〜』笠井叡:構成・演出・振付 黒田育世・BATIK:出演 @三軒茶屋・世田谷パブリックシアター

読書は以下の通り。「ゲド戦記」通読。面白かった。

『文化大革命十年史』(上・下)厳 家祺、高 皋:著 辻 康吾:訳
『中華人民共和国史』天児 慧:著
『ゲド戦記III さいはての島へ』アーシュラ・K. ル=グウィン:著 清水 真砂子:訳
『ゲド戦記IV 帰還』アーシュラ・K. ル=グウィン:著 清水 真砂子:訳
『ゲド戦記V アースシーの風』アーシュラ・K. ル=グウィン:著 清水 真砂子:訳
『ゲド戦記外伝』アーシュラ・K. ル=グウィン:著 清水 真砂子:訳
『第一阿房列車』内田百痢著
『第二阿房列車』内田百痢著

映画館では一本も映画を観ませんでしたが、DVDは以下の通り。溝口健二も佳境に入ってまいりました。

『地球の静止する日』ロバート・ワイズ:監督
『アマデウス』ミロス・フォアマン:監督
『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』スティーヴン・スピルバーグ:監督
『恋愛小説家』ジェームズ・L・ブルックス:監督
『グッド・ウィル・ハンティング 』ガス・ヴァン・サント:監督
『ペイチェック 消された記憶』ジョン・ウー:監督
『ブラザーズ・グリム』テリー・ギリアム:監督
『ゲド〜戦いのはじまり〜』ロバート・リーバーマン:監督
『あるいは裏切りという名の犬』オリヴィエ・マルシャル:監督
『ボルベール<帰郷>』ペドロ・アルモドバル:監督
『ビートルズ イエロー・サブマリン』ジョージ・ダニング:監督
『チェブラーシカ』ロマン・カチャーノフ:監督
『夜の女たち』溝口健二:監督
『歌磨をめぐる五人の女』溝口健二:監督
『雨月物語』溝口健二:監督
『お遊さま』溝口健二:監督
『祇園囃子』溝口健二:監督
『噂の女』溝口健二:監督
『近松物語』溝口健二:監督
『山椒大夫』溝口健二:監督
楊貴妃』溝口健二:監督
『太陽を盗んだ男』長谷川和彦:監督
『KT』阪本順治:監督
『この世の外へ クラブ進駐軍』阪本順治:監督
『大野一雄 美と力』
『白石加代子の「百物語」[宵の1]』鴨下信一:演出

‥‥きっと四月はほとんど何も読まず、何も観ないで終るのではないでしょうか。

 

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/crosstalk/20090331

■ 2009-03-28(Sat)

[]休止いたします。 休止いたします。を含むブックマーク

 ちょうど5年間このブログを書いて来ましたが、きりもいいのでここいらで一度休止いたします。狩りの対象の「ワニ」さんがその姿を変えて現れたようです。というか、ここでの「ワニ狩り」、対象を間違えていたのかも知れません。別のところで「ワニ狩り」を継続いたします。

 「はてな」は書き心地がよいので、止めるのは惜しい気持ちもあり、別のところからまたココへ引っ越して来るとか、ココで新しい形で再開するとか、そういうことはちょっと考えていますが。

 いままでのご愛読、ありがとうございました。


 

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/crosstalk/20090328

■ 2009-03-03(Tue)

[] フェスティバル/トーキョー『カール・マルクス:資本論、第一巻』リミニ・プロトコル:演出 @西巣鴨:にしすがも創造舎 2月28日(土)  フェスティバル/トーキョー『カール・マルクス:資本論、第一巻』リミニ・プロトコル:演出 @西巣鴨:にしすがも創造舎 2月28日(土)を含むブックマーク

ヒロシ「社長、社長! すいません、ちょっと来て下さいよ〜!」
社長 「どうしたんだね、ヒロシくん、いやにあわてくさってからに」
ヒロシ「いやね、事務所の前に変なガイジンとか得体の知れない連中が、
    1ダースほどたむろしてるんですけれどもね、なんだか赤い本を
    いっぱい持っていて、その本を社長に読んでほしいって言ってる
    んですよ」
社長 「ヒロシ、おまえ、ガイジンのことばがわかるんか?」
ヒロシ「いやね、通訳みたいな人もいるし、背中に日本語字幕をかついで
    たりするんですよ」
社長 「なんだそりゃ? しかしなんだね。文化大革命がまた始まったっ
    てえのかい? チケット代だか本代だかで4500円ぐらい払っ
    てやるから、丁重にお引き取り願ってくれい! ワシの会社のい
    ちばんの取引先は中国だということを強調してな!」

‥‥

ヒロシ「すみません、社長。あのね、資本論の講議をやるので、社長にぜ
    ひとも勉強してほしいって、帰らないんですよ」
社長 「まいったな、そりゃきっと新手の左翼ゴロツキだな。よ〜し、オ
    レだってダテに資本家やってるわけじゃないぞ。『資本論』がこ
    わくって会社やっていけるかってんだ! って、資本論ってぇの
    はマルクスだろ?? おまえな、マルクスなんてぇのは1991
    年に死んじまってるんだよ! 今事務所の前にいるってやつらな
    んか、つまりは20世紀の亡霊だよ、亡霊。いまさら資本論とか
    読んでどうなるってんだよ」
連中1「社長さん! そう言う前にまずはこの本を開いて下さい」
ヒロシ「うわ! 勝手に入って来ちゃったよ、まいったなぁ」

‥‥(ということで、連中は社長にむりやり三冊の大月書店刊の
   「資本論 第一巻」を手渡し、あれこれと語り始める)‥‥

連中2「ワタシたちは、資本主義の講議をしているのではありまっせ〜ん。
    あるカンパニーのリーダーさんがこのパフォーマンスを『資本主
    義』というタイトルだと紹介されていますが、わたし、呆れまし
    たね。違います! 『資本論』という本についてのパフォーマン
    スなのです!」
社長(独白)「まいったな〜、こまった。どうやったらコイツらを追っ払
    えるだろうな?? ‥‥そうだ!」
社長 「おい、ヒロシ、今、寅さんは店に帰って来ていたよな?」
ヒロシ「はぁ、また来ちゃってますけれども‥‥」
社長 「あのな、すぐに寅さんをココに呼んで来てくれ!」
ヒロシ「へい、行ってまいります!」

‥‥

寅さん「おう! タコ社長! いってえどうしたってぇんだよ」
社長 「いや、今お客さんがいっぱい来てるんで、寅さんにも是非話を聴
    いてもらいたいんだよ」
連中3「おぉ、新しいお客さんですか! アナタもぜひこの本を読んで下
    さい。マルクスの『資本論』は21世紀になった今も、現在のグ
    ローバリゼーションを解き明かすためにも重要な書物なのです
    よ!」
寅さん「はぁ? 資本論? グローバリゼーション? なんだそりゃ? 
    ははぁ、さしずめてめえらインテリだな? おっとどっこい、す
    っとこどっこい、こちとら本なんていうのは高島暦だけあれば充
    分だし、こっちは昔っから労働者諸君の味方なのだよ」
連中4「いやいや、あなただって資本の構造に取り込まれているのですよ。
    あなたが販売する商品から派生する利潤、あなたが顧客と交換す
    る貨幣についてなど、一緒に考えてみましょうよ」
寅さん「商品? あぁ、あのゴミのことか。利潤も何もねぇよ。オレは毎
    回からだを張ってゴミのような売り物に価値を持たせてるんだ。
    資本とか関係ないね。毎回毎回、毎日毎日がギャンブルのような
    ものだよ」
連中5「いやいや、わたしもあなたと同じ考えですよ! 本なんてくだら
    ない! 一緒に日本のパチンコをやりに行きましょうよ!」
寅さん「バカ野郎! 人の仕組んだギャンブルに打ち込んでどうなるって
    いうんだよ!」

‥‥(ヒロシの奥さんサクラ通りかかる)‥‥

サクラ「あら、ヒロシさん、今日はスーパーで鯨肉売ってたんで、今夜は
    あなたの大好きな「鯨」の立田揚げよ!」
連中6「‥‥、◯◯◯◯!!!!」

 ‥‥いや、寅さんはこんなに弁説は立たないはずです。ちなみに、わたしは『資本論』を読んだことはありませんが、20世紀後半の社会主義陣営の崩壊がつまりは『資本論』の破たんだとは思っていません。あまり深く考えてはいませんが、「交換」、「貨幣」など、現在の個の存在を規定するような要素の分析はこのマルクスの『資本論』の分析から始まっているのではないかという認識があります。

 リミニ・プロトコルの方法論には興味がありますし、とりわけ昨年の『ムネモパーク』の成果は素晴らしいものがあったと思っています。しかし、今回の『カール・マルクス:資本論、第一巻』も興味深いものだったとは言え、若干の疑問もさしはさみたくはなってしまいました。いや、そのような観客の視点をも計算に入れたパフォーマンスではあったようですので、やはり一筋縄ではいかない舞台ではなかったかと考えます。すべてが正当視されるような演出からはみ出すような構成が新しい視点を生み出すということでしょうか。ひとつ言えるのは、この試みはネグリ/ハートの「マルチチュード」の実践のひとつの形態として、積極的に評価しても良いのではないかということです。マルチな視点の形象化として、一種のプロトコルには成り得るのではないでしょうか? 考えればあれこれと参考になる舞台でした。


トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/crosstalk/20090303
   3233981