ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2010-11-30(Tue)

 ミイは野良ネコなのだから、いつのまにかその姿をみかけなくなって、「そうか、ミイももうどこかで死んでしまったのかもしれないな」と、なにげなく考えてしまうようになるものだと思っていた。じっさい三日ほどまえに、ミイがいつも歩いていた道をほかの知らないネコが闊歩しているのをみたときには「もうミイはこのあたりにいないのかもしれない」と思っていたし、その日のゆうがたに外でネコたちがさわいでいたのも、いまとなっては何がおきていたのかわからないけれども、ミイと関係した抗争だったのだろうか。ミイは縄張り争いでどこかのネコに負けたのかもしれない。ミイのからだにはどこにも傷あとはなかったけれども。

 どんなことがミイの身におきたにせよ、わたしに責任がないということはひとつもない。ミイがジュロームを連れて出てしまったときからわたしはミイを閉め出し、そのあとは食べるものをいっさい与えていない。飢えていただろうし、そのせいでたしかに変なものを食べたりしたのかもしれない。コンビニのそばで食べものをねだって人間にこびているミイをみたのは、ひと月ほどまえだった。

 ネコは死の観念がわかるわけではないそうで、死期が近づいたからどこかへ行くというのではなく、じぶんのからだが衰弱したときに、じぶんがいちばん安心できる場所へ身をよせるということなのだという。ミイがじぶんの衰弱を感じたとき、このわたしの家がいちばん安心できる場所だと思って来てくれたわけだ。まる三ヶ月もわたしはミイのことをまったく相手にしなかったのに、弱りはてたからだを引きずってここまでやってきた。ミイはわたしの飼いネコになるつもりだったのだろうか。とにかくやはり、わたしのいるこの場所を選んでくれて、たとえようもなくうれしい。飼いネコであっても外へ出たまま帰ってこないでしまうネコもいて、そういうネコは外で死んでいく道を選んだのかもしれない。ミイは飼いネコなんかではなかったのに、ぎゃくにわたしの家にきて死んでいった。わたしにとってミイがとくべつなネコだったように、ミイにとってもわたしがとくべつな存在であってくれたのなら、これは相思相愛である。たしかにわたしはどんなにんげんよりもずっとミイを敬愛していた。そういう気もちをもうすこしにんげんにも向けろよ、ということである。

 内田百里痢屮離蕕筺廚鯑匹鵑世箸、「このひとはネコがいなくなっただけでここまで泣くか」と思ったものだけれども、しょうじき書くと、わたしもまたきのうから泣きっぱなしである。目が腫れて、押さえると痛みまである。もうボロボロである。きょうはうまい具合にしごとは休みにあてられた日だったのでいちにち家にいたけれど、「もう平気だ」と思っていても、何かのひょうしにブワッとなみだがふきだしてしまう。ペットロス症候群というのがあるらしく、わたしも引っかかってしまっているようだ。ミイを飼っていたわけではないというのに。

 さくやはミイのむくろをミイのぶちに合わせた白黒のストライプのバスタオルにくるんであげて、キャットフードをつつんでミイのあたまのそばに置いてあげた。わたしが死んだときに葬ってほしいと思えるやり方で葬ってあげた。何をする気もおきず、夕食もスーパーでお弁当を買ってきた。スーパーのなかでもぼろぼろなみだがこぼれ、こんなんだったら出てこなければよかったと思う。レジのひとに顔をそむけて代金を払った。外を歩いていても、とつぜんにミイのことを思い出してしまい、「ジョゼと虎と‥‥」の妻夫木クンのように、道ばたで泣き崩れてしまいそうになる。理性的にならなくちゃいけないと本を読んだりして、そのあいだはまるで平気である。そのまま眠ってしまい、ミイを葬る夢をみた。





[]二○一○年十一月のおさらい 二○一○年十一月のおさらいを含むブックマーク

舞台:
●11/11(木) ARICA 公演「house=woman 家=女」 藤田康城:構成・演出 @新宿歌舞伎町・A to Z
●11/21(日)「巨大なるブッツバッハ村 ―ある永続のコロニー―」クリストフ・マルターラー:演出 アンナ・フィーブロッツ:舞台美術 @池袋・東京芸術劇場中ホール
●11/27(土)―かけソロ―「橋」岡田智代 @江古田・UN工房

舞台の映像など:
●「浜辺のアインシュタイン/ロバート・ウィルソン」(1986) マーク・オーベンハウス:監督
●「アリアーヌ・ムヌーシュキン;太陽劇団の冒険」 カトリーヌ・ヴィルポー:監督
●「死の教室/タデウシュ・カントール」 タデウシュ・カントール:舞台演出
●「外国人よ、出ていけ!/クリストフ・シュリンゲンジーフ」 ポール・ポエット:ヴィデオ監督

舞台的インスタレーション:
●「わたしのすがた」飴屋法水:構成・演出 @巣鴨・西巣鴨周辺の4会場

美術:
●「新しい神話がはじまる。 古賀春江の全貌」@神奈川県立近代美術館 葉山

映画:
●「ヘヴンズ ストーリー」瀬々敬久:監督
●「海上伝奇」ジャ・ジャンクー:監督
●「溝」ワン・ビン:監督

読書:
●「新書アフリカ史」宮本正興・松田素二:編
●「寡黙な死骸 みだらな弔い」 小川洋子:著
●「世界史の構造」柄谷行人:著

DVD/ヴィデオ:
●「長い灰色の線」(1954) ジョン・フォード:監督
●「トラ・トラ・トラ!」(1970) リチャード・フライシャー/舛田利雄/深作欣二:監督
●「エルダー兄弟」(1965) ヘンリー・ハサウェイ:監督
●「電撃フリントGO!GO作戦」(1966) ダニエル・マン:監督
●「わが命つきるとも」(1966) フレッド・ジンネマン:監督
●「007 カジノロワイヤル」(1967) ジョン・ヒューストン他:監督
●「さらば友よ」(1968) ジャン・エルマン:監督
●「アルカトラズからの脱出」(1979) ドン・シーゲル:監督
●「ピンク・フロイド ザ・ウォール」(1982) アラン・パーカー:監督
●「十二夜」(1996) トレヴァー・ナン:監督
●「カポーティ」(2005) ベネット・ミラー:監督
●「永遠のこどもたち」(2008) フアン・アントニオ・バヨナ:監督
●「黒い画集 あるサラリーマンの証言」(1960) 堀川弘通:監督
●「江分利満氏の優雅な生活」(1963) 岡本喜八:監督
●「曾根崎心中」(1978) 増村保造:監督
●「絞殺」(1979) 新藤兼人:監督
●「お引越し」(1993) 相米慎二:監督


 


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■ 2010-11-29(Mon) このエントリーを含むブックマーク

 ミイが死んだ。わたしとニェネントとで、ミイが死ぬのを看取った。

 しごとを終えて、きょうは日のひかりがあたたかいので洗濯をして干し、しばらくして外でなんだかネコのなきごえがきこえたような気がした。時計は十一時ごろだったと思う。窓から外をみてもネコらしい姿はみえないのでそのままにしていたら玄関のブザーが鳴った。出てみるととなりの方で、「お宅ではネコを飼っていらっしゃるのでしょうか」ときかれた。「はい、飼ってますが」と答えると、「お宅のベランダにネコがいて、しきりにお宅にはいりたいようなそぶりをしていたんですけれど、いまはウチとお宅の境い目のせまいところにはいりこんで、とても弱っているように見えるんです」という。ちょうど玄関口に来ていたニェネントを抱き上げ、「いえ、ウチのネコはこれで、ここにいますけれど」と答える。「そうですか、ではあのネコは‥‥」ということで、わたしもベランダにまわってみる。ちょうどおとなりのご主人さんがそのネコをつかまえようとしているところだったけれど、そのとなりの洗濯機とわたしの部屋ととなりを分けるしきいのボードとのあいだに、白黒のブチのネコがじっとしていた。「ご存じのネコですか?」ときかれ、そのときはじっさいにちょっとミイとはちがうようにみえたので、「いいえ、知らないネコです」と答える。「このあたりにはたしかに野良ネコがいて、このマンションのベランダを通り抜けたりするのがいるのは知っていますけど、このネコは知らないですねえ」と。
 そのときは、横たわっているネコをま上から見下ろすようなかたちだったので、まるでミイとはちがうネコに見えたんだけれども、そのうちにやっぱり、これはミイなんじゃないかと思えてきた。ネコはもうほとんど死にかかっているようで、おとなりのご主人が背中をつかんで持ち上げても、ぐったりしている。
「これはもう死にかけてますね」
「ネコは死ぬときはひとの目のとどかないところへ行って死ぬときいているのに、へんなネコですね」
「しかしお宅のベランダで死なれたりしたらイヤですね」
「そうなんですよ。とにかくどこか別の場所に移してやりましょう」

 ということでそのネコは、マンションの入り口あたりのコンクリートの上に横たえられた。このときにはわたしはなおのこと、やはりこのネコはミイじゃないのかと強く思うようになっているのだけれども、そういう話をとなりのひとにするのも妙な気がしてそのことはだまっておく。
「しかし、死んでしまったらどうすればいいんでしょうね。まさかここに死体を置きっ放しにもできませんし」
「そう、市役所にでもきいてみましょう」
 となりのひともわたしも、ネコをその場に残して部屋にもどることにした。

 しかし、やはりあのネコはミイだろうと思いはじめたわたしは気になってしまい、過去のミイの写真をみてみたりする。しばらくミイの姿をみていないし、いったいどんな模様だったのかはっきりとおぼえていない。写真をみるとその顔の面割れのようすなど、やっぱりあのネコはミイだった。

 おどろいてしまった。ミイのようすはもうほとんど臨終に近いようにみえたけれど、自分の死をさとったときに、ほかでもないわたしの部屋にこようとしていたなんて。ミイは、わたしの部屋で死ぬことをえらび、そのことを望んでいる。
 どのあたりからこのマンションまでやってきたのかわからないけれど、あの衰弱のようすでは、ここまでくるだけでもたいへんな努力が必要だったことだろう。ましてやこのベランダへのジャンプなど、どれだけの力をふりしぼったことだろう。

 じっとしていられずに玄関を出て、入り口に横たわっているミイのところへいく。すこしあたまをもたげるようなしぐさをしていたけれど、横たえられた場所から動くこともなく、そのままの姿勢でぐったりしている。ミイのからだをなでてやる。ほとんど反応もなく、もう今にも死んでしまいそうにみえる。
 ミイをわたしの部屋へ入れてやろう。抱き上げて、玄関のドアを開け、リヴィングのソファーに横にしてあげた。おそらくミイはこのまま死んでしまうだろう。すこし開けた口から舌をのぞかせているけれど、その舌を動かしたりするわけでもない。その目の見つめるさきも、はっきりとしない。ミイのそばにニェネントも寄ってきたけれど、ニェネントはもちろん目のまえに横たわっているネコがじぶんの母親だなどとわかっているはずもない。そもそもそこにじぶんの仲間のネコがいるという認識もないようで、すぐに別のところへ行ってしまった。

 しかし、ミイが死んでしまったら、その遺体はどうしたらいいんだろう。となりのひとは市役所にきくといっていたけれど、わたしも確かめておきたくなって、市役所に電話をした。いや、もうこのときには、ミイのことはぜんぶわたしが責任をもつ決意になっていた。市役所への電話はどこかの課へまわされ、「ゴミとしてゴミ収集のときにだして下さい」という回答だった。死体が公道などにあるときと、私有地の敷地内にあるときとでは処理がちがうのだと。‥‥そうか、その通りにやるかどうかは別にして、とりあえず規範にできる回答はきいた。どうするかなんて、そんなことはあとで考えよう。電話を終えてとなりの家のブザーを押し、「わたしもネコを飼っていることだし、これも何かの縁でしょうから、あのネコはわたしの部屋で看取ってやって、その始末もぜんぶわたしの方でやりますので」と伝える。

 部屋にもどって、ソファーで寝ているミイを抱き上げる。もうわたしがエサをあげなくなったので、そのせいで飢えて死んでいくのかとも思ったけれど、ミイはとくにやせてしまっているわけでもなく、腹を押さえても弾力があって、みた目には健康そうにさえ見える。となりのご主人さんも、「何かわるいものを食べてしまったのではないのか」といっていた。
 抱き上げられたミイはもうほとんど動くこともなく、もう今にも死んでしまいそうに感じられる。「ミイ、ミイ」と呼びかける。ときどき胸が脈を打つように動いて、「ああ、まだ生きている」と、ただ思う。もういつ死んでしまってもおかしくない。そばにいるニェネントに、「ニェネント、これはおまえのお母さんだ。いま、死んでいくところだぞ」と、いってきかせる。ミイ、おまえは、じぶんの子どもに看取られて死んでいくなんて、ぜいたくでしあわせな野良ネコだなあ。こうやって、じぶんが死ぬときにこの場所を死に場所に選ぶなんて、やはりおまえはただの平凡なネコではない。死ぬときまで特別なネコでありつづけたよな。ミイに、いろんなことを話してきかせた。「おまえは世界一かしこくって特別なネコだった。」「ニェネントはおまえからわたしへの、ほんとうにかけがいのないギフトだよな。きっとしっかり育てるから。」「おまえをこの部屋で飼ってあげたいと、ほんとうに思っていたんだぞ。」

 ミイを抱いたままで、時間がどんどんすぎていった。「ミイの生きている姿をさいごに写真で残しておこう」と、抱いたままで何枚か写真を撮っておいた。なみだがこぼれてしかたがなかった。なみだが落ちてミイのからだを濡らすなら、びしょびしょにしてやってもいいと思った。昼ご飯も食べずにいて、時計をみると一時半になっていた。トイレに行きたくなってミイをソファーの上におろした。なにか食べておこうと、バナナを食べた。ミイにもさいごにミルクを飲ませようと、スプーンにすくったミルクを、ミイの口に落としてやった。うまくいって、ミイの口のなかにミルクが消えていった。さっきより、すこしミイのからだがよく動くようになった気がする。前足をひくひく動かしていたりする。しばらくこうやってソファーに寝かしてあげておく方がミイには楽かもしれない。

 何も手につかないけれど、ミイをソファーに残して和室に行き、パソコンをいじったりしてみる。ミイの方をみると、ニェネントがミイのからだにじゃれついているのがみえた。ミイのからだがときどき動くのに反応してしまっているようだ。「死んでいくお母さんになんてことをするんだ」と思う。それでも、わずかのあいだにミイの動きがすこし元気になったように思える。ミルクが効き目があったのだろうか。もっとミルクを飲ませてあげようと、さっきと同じにスプーンで口にミルクを運ぶけれど、ミイがさっきより元気になったぶん口をじぶんで動かしたりするので、かえってうまく飲ませることができない。キャットフードもムリだった。でも、かくじつにミイはさっきよりも元気になっているようにみえる。目線もはっきりして、からだにさわると反応して、ピクッと足を動かす。ひょっとしたら、このまままた元気になってしまうんじゃないだろうか。ミイがここにきたのは、ここならじぶんのからだを治してもらえると思ってのことなのだろうか。「このまま元気がもどったら、こんどはもうここの飼いネコ扱いしてあげるべきかなあ」などと考え、すこしばかり「なあんだよな」などと思ったりもする。ミイを飼いネコにするのはムリだよ。
 ミイのおなかにさわると、ウゥ〜というようななきごえをあげた。おなかが痛いのだろうか。ふつうにこえを出せるように元気になったというだけのことなのか。

 もしかしたらじぶんで起き上がることもじきにできるんじゃないかと思って、ミイのあたまのところにミルクの皿を置いてあげた。ニェネントが寄ってきて、じぶんでミルクをなめたそうな気配をみせる。「まあそれでもいいけどね」と思って、わたしは和室に移動した。しばらくすると、皿が床に落ちる「カチャーン」という音がした。ミイが足をふるわせていた。皿をけとばしたらしい。その足のふるわせかたがちょっと異様だった。けいれんのようにみえた。ミイのそばにいたニェネントが、とびのいていくのがみえた。「あれっ」とソファーに近づいてみると、もうミイはぐったりとしていた。「ミイ! ミイ!」とあたまをもちあげてゆすってみる。さいごにちょっと、ミイがじぶんでからだを動かせたように感じたけれど、口のはじからちょっと泡をふいた。もうミイはじぶんでからだを動かさない。「ミイ! ミイ!」と、何回かゆすってみた。ミイの目はうすく開いているけれど、もうどこも見ていなかった。

 時計をみたら、三時二十五分ぐらいだった。ミイは死んでいた。

 ミイが選んだ死に場所で、おそらくはミイが望んだような死に方ができたんじゃないだろうか。じぶんの子どものすぐそばでも死ねたわけだ。ミイはほんとうにりっぱなネコだった。わたしはミイのことを、ネコながら尊敬もしていた。なんて誇り高い野良ネコであったことだろう。そして、わたしとこころを通わせたりしたしゅんかんのことも忘れない。あれらのとき、ミイがにんげんのことばでわたしに語りかけてきたようなものだった。そしてきょう、そのさいごの場所にわたしのすみかを選んでくれて、にんげんとしてこんなに光栄なことはないと思う。ミイのむくろを見て、またなみだがとめどなくこぼれてきた。

 さあ、ミイを弔ってやろう。わたしとミイとの物語は、きょうでとりあえずいったんはおしまい。わたしがミイをさいしょにみかけたのは、きょねんの八月三日だった。そのときの写真と、きょうのミイのさいごの写真をのせておく。

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 でも、ミイの子どものニェネントとわたしとの物語は、これからもまだまだ続く。





 

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■ 2010-11-28(Sun)

f:id:crosstalk:20101129115058j:image:right ちゃんとわかっていなかったんだけれども、ニェネントはやはりふだんからすこし寄り目である。これがわたしの手だとか、近くのものに狙いをつけたりするときなどには、はっきりと寄り目だとわかるようになる。瞳孔が開いて丸くなるせいかもしれない。寝ころがってニェネントを抱きあげて胸の上にのせ、下から写真を撮ったらものすごい寄り目に写った。これはおそらく反射光と影の具合でよけい寄り目に見えているだけで、じっさいにはいくらなんでもここまで寄り目ではない。
 ニェネントの顔に手のひらをあててやると、わたしの腕に前足をからめて引きよせ、顔を手のひらに密着させたまま、手のひらにかみついてこようとする。わたしへのかみ加減をこころえてきたのか、歯が生えかわったせいなのか、さいきんはかまれて傷になることがない。ニェネントの鼻のあたまがひんやりと冷たい。しばらくやってなかった遊び、アルミホイールをかるく丸めてニェネントに投げてやると、これでもって二、三十分ずっと遊びつづけている。でんぐりかえったりとび上がったりして、この遊びがいちばん好きなようにみえるけど、どうなんだろう。

 きょうは日曜日だけれどもしごとで、これからは曜日の感覚が狂ってきそうな気がする。きょうはそれほどいそがしくはないけれど、これから年末の多忙な時期にさしかかるらしい。
 しごとの上でひとと会話することが多くなり、わたしのあたまの上を茨城弁がとびかっている。ときに、何をいっているのかわからない。会社のひとはわたしのしゃべるのをきいて、きっと「これは茨城のにんげんではないな」と思っているのだろう。

 つげ義春のマンガに、地方に旅行していてとつぜんに不思議なことばづかいを聞き、それが方言だとわかってもそういうことばづかいをするひとに興味をもってしまうような作品があったけど、まあこのあたりにそういう不思議な言い回しが聞けるというわけではない。つげ義春も漂白体質のひとだけれども、彼はその見知らぬ土地に住んでいるひとたちにまずひきつけられて、そこに住んでみたいと思ってしまうんじゃないだろうか。わたしも旅をしていて何かにひきつけられ、そこに住んでみたいと思うにんげんだけれども、それはけっしてにんげんにひきつけられるのではない。かといってただ風景にひきつけられるのではなく、そこににんげんの住んでいる気配がもちろん必要だし、その気配のなかに「寂しさ」みたいなものを求めているような気がする。というか、ひとりでいても放っておいてくれるような土地というものがあり、そういう土地にひかれるわけだ。住んでいるにんげんのことは関係ないので、そういう「寂しさ」というのは、その集落のたたずまいからにじんでくる種類のものだと思う。この町にさいしょに来て駅をおりたとき、ここなら孤立して暮らしていけそうだという気がした。つまりやっぱりわたしはただ単に、「ひとりになりたい」願望でこの土地に流れてきたんだろうと思わざるを得ない。いまはしごとの関係でこの土地のひとたちとあれこれ会話したりするけれど、ながいあいだ、わたしはこの土地に知り合いなどいなかった。
 これはメンタル面でのこの土地にきた理由だけれども、これだけの理由でここへきたわけではない。

 イーストウッド主演のヴィデオを観た。

[] 「アルカトラズからの脱出」(1979) ドン・シーゲル:監督   「アルカトラズからの脱出」(1979) ドン・シーゲル:監督を含むブックマーク

 かなりストイックな描写の脱獄モノだけれど、受刑者たちのほうがヒューマニティーあふれていて、監獄の管理側は所長のパトリック・マクグーハンをはじめとしてみな非人間的、もしくはアホであるという描写で、脱獄に理(ことわり)ありというアリバイにしている。脱獄の手順はクールにていねいに描かれているけれど、やはりイーストウッドの脱獄メソッドは超人的すぎる気もする(だからイーストウッドは適役ということになる)。脱獄モノ映画というのは、尺数を考えて観ていれば、もうここから先は失敗することはありえないというターニングポイントがある。そこまでは(たとえば「大脱走」のように)いちど発覚してしまい、またさいしょからすべてやり直しになるポイントもありえるだろうとして観ているわけ。この「アルカトラズからの脱出」では、脱獄にとりかかるのがかなり尺が進んでからなので、こりゃあもう失敗はありえないな、という展開になる。「ショーシャンクの空に」に似ている。





 

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■ 2010-11-27(Sat)

 生活パターンが変わったせいだろうけれども、目覚めたとき夢の記憶がのこっていることが多くなった。「おもしろい夢をみた」と思っておぼえておこうとするのだけれども、たいていはフッとなにもかも忘れてしまう。せっかくみた夢だからすぐに書き留めておいてもいいような気もする。じっさいにそういうことをやるひとはたくさんいるわけで、島尾敏雄やつげ義春などはその夢の記録を発表している。でもわたしはなんだか、書き留めてまでおぼえておかなくてもいいんじゃないかというか、つまりはほんとうはめんどうがってそういうことをやらない。それでもせんじつ、つげ義春の夢日記を読んでいたら「こういうこと(夢の記録を取ること)をつづけていると大事なものが失われてしまう気がする」みたいなことが書いてあって、じつはうすぼんやりとわたしもそういうことを思ったりしてもいたので、「やはりそうなのだろうか」と、なっとくしてしまったりする。そんな、記録を取らないでもずっとおぼえている夢だけが、なにかとくべつな意味をもっているような気がする。

 部屋のなかがネコの毛だらけになっていて、特に黒いものの上についてしまったネコの白い毛が目立つ。服などの繊維の上についたのはなかなかとれなくって、わたしはもっている服がほとんど黒系統ばっかりなので、こまってしまうことになる。先日もネコの毛だらけのままのジャケットを着て東京へ行き、友だちに「ネコの毛だ」といわれたのだけれども、帰るころにみると、いつのまにかネコの毛はきれいにとれてしまっていた。いろんなひとにすれちがったりしながら、よそのひとの服にうつっていったりするんだろうか。きっと満員電車に乗ったりするといっぺんできれいになっちゃうだろう。ねらい目であるが、世のなかにはネコの毛アレルギーのひともいるので、それは犯罪行為といえないこともない。

 きょうは土曜日でしごとは休み。毎週のようにあさはピーター・バラカンの番組を聴いてすごすけれど、再来週からは土曜日はしごとの日になるので、もうあさにこの番組を聴く習慣をつづけられないことになる。ちょっとつまらない。なんだかこれからは月曜日がわたしの休みになるけはいもあるけれど、月曜日は図書館も美術館も休みなのでつまらない。土曜日に休めればいいのだけれども。
 午後から東京で岡田智代さんのソロ・ダンスを観にいくので、ちょっと早めに余裕をもって家を出る。予感があたって、また電車が三十分ぐらい遅れていた。けっきょくは開演時間ギリギリになってしまった。会場のもよりの駅におりたところでIさんとJさんにお会いし、いっしょに歩いた。会場の近くまできて、あとから早足でやってきたKさんとも合流する。Kさんとはフェスティバル/トーキョーでもよくお会いしていたので、今月はずいぶん顔をあわせている。会場についてみるとLさんがいて、しばらくするとMさんもやってきた。あまり多くははいれない観客の、その半分ぐらいは知っているひとだった。

 会場はダンサーの山田うんさんのスタジオなのだけれども、彼女の飼っているネコのかゑでちゃんと会うことができた。もう一歳ぐらいになるそうだけれども、ニェネントとあまりかわらない大きさ。ニェネントよりあたまが小さくて、こがおである。しっぽがみじかい。くりっとしてかわいくって、ひとなつっこい。わたしが抱き上げてもへいきだった。
 終演後しばらく歓談。ビールやおつまみなどをひとしきりごちそうになってからおいとまし、帰宅。また電車がべつの理由で遅れていた。こまる。

[] —かけソロ—「橋」岡田智代 @江古田・UN工房   —かけソロ—「橋」岡田智代 @江古田・UN工房を含むブックマーク

 開演時間ギリギリまで、きょうの主役の岡田さんは、予約していてまだこない客の心配などしている。それが、ダンスがはじまると、スッとその世界のなかに入ってしまわれる。そのしゅんかんがとにかく美しかった。岡田さんのダンスはいわゆる筋肉を駆使しての肉体のダンスなどではなく、神経系統の回路を確認し、うごきを制御していくようなものであって、わたしはその「制御」ということを、「コントロール」というよりもぜったいに「制御」ということばをあてるべきだろうと思って観ていたけれど、あとで岡田さんにそのことを話したら、「まだコントロールにいたらないから制御なのだ」みたいなことをおっしゃっていた。いや、わたしには「制御」のほうが「コントロール」を律するように思っていたのだけれども。
 ともすれば身体が暴走し、勝手なクセの動きに流れてしまうようなフィジカルなパフォーマンスではなく、あくまでも律せられた静かな動きに支配された公演は、観る側の神経系統の動きまでも同期させてしまうようでもあり、そのように舞台を観ている時間というものが、わたしにはとてもとてもゴージャスなものに感じられてしまった。そういってよければ、ここにこそ「ダンス」はまだまだ存在しているという感覚を受けたのであって、いったいこれから自分はダンスのなかのどのようなものに目をとめていけばいいのかということの、ちょっとした指針を与えられたようでもあった。つまらないダンスを観てもしかたがないけれど、やはりダンスのなかには何かを救うものが、いまでもたしかに存在している。それは、妙にメジャーになってしまったいまのダンス公演では、受けとりにくいものなのかもしれない。そんなことを思っていた。





 

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■ 2010-11-26(Fri)

 ニェネントのしっぽが、まっすぐ伸びるようになっている。いつから伸びるようになったのかわからないけれど、生まれてからずっと、先の方が十センチほどほぼ直角に曲がったままだっただったのに。まだすこしその曲がったいたところがいびつに傾いでいるようだけれども、上に伸ばすとぴぃんと立ち上がる。もうニェネントのしっぽは曲がっているものと気にとめていなかったけれど、成長するにつれてただからだが大きくなってくるだけでなく、あれこれと変わってくるものだ。目のまわりの毛の色もどんどん変化しつづけているし。

f:id:crosstalk:20101127085223j:image:left さいきんはベッドの上の毛布にのっかってまどろむのがお気に入りのようで、わたしが和室にいるときには毛布の上で寝ていることが多い。わたしがニェネントにちかづいてのぞきこむと、それだけでのどをゴロゴロならしている。

 買い物に出かけて、いつもミイがたむろしていたあたりを知らないネコが歩いているのをみた。ミイと同じ白黒のブチで体型もちょっとミイに似ているけれど、首に黄緑色の首輪をつけている飼いネコ。こいつも元は野良ネコで、ミイとかとは血縁関係にあるんじゃないかと想像する。それでもこのあたりはつまりはミイのなわばりのはずで、そんな場所をこうやってよそのネコが闊歩しているというのは、ミイはもういないんじゃないかとも想像してしまう。

 スーパーでりっぱなスルメイカを売っていたので、ひさしぶりにイカの塩辛をつくろうと買って帰った。しかし、まえに塩辛をつくっていたころにはニェネントはいなかったけれど、いまはニェネントに狙われないようにしないといけない。とくにイカをひらいて酒にひたしたあとに干しておく段階があぶない。まさかつねに台所から目をはなさないわけにもいかない。ニェネントに、「いまキッチンの上にとび上がると、タダじゃおかねえからな」といいふくめておく。しかしやはりしばらくすると、台所からガチャーンと大きな音がする。ステンレスのボウルが床に落ちてぐるぐるまわっている。やはりやってしまったか。ここはひとつキビしくしつけておかなくてはと考え(このとき、「シャイニング」でジャック・ニコルソンがトイレでホテルの亡霊にアドヴァイスされることばを思い出していた)、ニェネントを追う。大きな音をたててしまったし、これはヤバいと考えているニェネントはわたしから逃げまわる。つかまえて、ニェネントのおしりをペン!とぶつ。わたしの手まで痛くなってしまうぐらいちからがはいってしまい、「やりすぎた」と思うことになる。ニェネントは「ギャフ!」とかなきごえをあげて、ベッドの下に逃げこんでいる。いくらなんでもかわいそうなことをしたと、ニェネントを抱きあげて鼻をペロペロなめてやる。ドメスティック・ヴァイオレンスというのは、たいていこういう過程をエスカレートさせていくらしい。暴力をふるい、そのあとに「ごめん、悪かった。もう二度とあんな暴力はふるわない」とあやまる。しかしそのうちにまた暴力がとびだしてくる。

 よる七時ごろになって、玄関の外で複数のネコのさかりのついたなきごえが聞こえはじめた。玄関をあけて外のようすをみようとすると、ちょうどそのときにネコがほかのネコにおそいかかるすさまじいなきごえが聞こえた。わたしについて玄関の近くに来ていたニェネントがびっくりして、部屋の奥へ逃げていった。ニェネントにはあれがじぶんと同族たちのなきごえだとわかっていないんだろうか。まだおさなすぎて、「さかり」ということに無縁なせいだろうか。しばらく外のネコのこえはずっと聞こえてきたけれど、ニェネントはまったく無反応にみえた。でも、外のネコはいったいどのネコだったんだろう。ミイとかジュロームもそこにいたんだろうか。

 地方で生活することについて。
 わたしはなぜ、いま住んでいるこの場所に東京から転居してきたのかと考える。多くのひとが「東京でなければダメだ」という。いったい何が「ダメ」なんだろう。
 ただ、わたしが住んでいるこの地はあくまでも東京の「周辺」で、二時間ちょっとあれば都心に出ることができるのだから、「地方」といいきれる土地というわけでもないのだけれども。それでもわたしがこの土地を選んだのは、ひとつには、この土地が東京文化圏からかなり完璧に脱した風景をもっていたからにほかならない。これは住宅の建ちならび方、その住宅の設計、そして駅周辺の市街のようすなどを見ていればわかる。たんじゅんに田園風景がつづくからといって「もう東京ではない」とはいえない。これはわたしがいつも利用するJRの宇都宮線に乗れば、その「東京文化圏」との境界ははっきりとわかることになる。それが具体的にはっきりするのは利根川ということになり、これは行政区分でも埼玉県と栃木県との境界でもある。しかしもうすこし注意深く車窓をみていれば、埼玉県内でも久喜駅を越えたあたりで東京文化圏は終わってしまうのではないかと思える。じっさい、わたしはこの久喜駅をすぎた次の駅、東鷲宮周辺に住んでみることも夢想したりもしていた。
 では、その「住んでみたい」という「夢想」とは、何なのだったろう。つまりは東京文化圏ではないところで生活したいという夢想だったわけだけれども、おそらくわたしは特に「労働」ということで、東京文化のなかで労働することにうんざりしていたのではないかと思う。まあ端的にはじっさいにしごとがみつからなかったということもあるのだけれども、ふっとあらわれた転居の機会にとびついて、すぐにこの地へ越してきたりしたのには、潜在的な要求があったからこそだろう。ひょっとするとそれは、「東京でなければダメ」という声に反抗したかったからということではなかったか?という気がする。
 Lou Reed はAndy Warhol をテーマにしたアルバムで、たしか「小さな町からはミケランジェロは生まれない」と歌っていた。都会のような文化的インフラのととのっているところでないと、発信する側にまわれる機会はないということなのだろうか。そんなことの例外は、いくらでも探すことができる。「東京でなければダメだ」というのは、何だろう。じつはそういう声はじっさいにはどこにも存在しなかったのだろうか? 愚考はつづく。

 ヴィデオを一本観た。

[] 「絞殺」(1979) 新藤兼人:監督   「絞殺」(1979) 新藤兼人:監督を含むブックマーク

 冒頭でいきなり、ドメスティック・ヴァイオレンスをふるう息子を父が絞殺してしまうわけで、そういうDVを主題とした家族崩壊モノなのかと思って観ていたら、じつは母(乙羽信子)を主人公とする、彼女の母子相姦幻想を主題にした作品だった。
 この乙羽信子が、まるで何か憑依してしまったようなちょっとした怪演で、そのことばかりが印象に残ってしまう。映画全体としては何もかも説明しすぎという感じで、そこまで語ってしまったら「語るに落ちる」でしょうが、ということになる。撮影された家族の家のなか、父の経営するスナックの内部などあまりにチープな印象で、まあそのことがこの父のつまらない小市民性をあらわしているともいえるけれど、たとえば女優さん(NOT 乙羽信子)などをもう少し「美しく」撮る努力とか、してあげてもいいんじゃないだろうか、などと思って観ていた次第である。





 

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■ 2010-11-25(Thu)

 十二月のしごとの勤務表をやっともらった(ほんとうはもっと前にできていたらしい)。つまりつとめ先は年中無休でやっているので、職員は交代で休みをとる(あたりまえのこと)。それでさいしょの一ヶ月だけは土日と祭日が休みなのだけれども、その期間がすぎるとこれがバラバラになる。十二月はめちゃいそがしい時期ということもあって、わたしの休みもすごくランダムである。連休はさいしょの週の土日で取れるのがとうぶんはさいごになるみたい。連休ではないとなると、休みの日でも次の日には早朝に起きて仕事に行かなくてはいけないということで、なんかゆっくり休めない気になってしまう。
 そういうわけで、きょうはちょっとばかししごとがいそがしかった。

 また部屋のトイレのドアが開いてしまっていて、なかをニェネントにさらにめちゃめちゃにされてしまった。もう修復のしようがない。窓からのあたたかい日ざしのあたるところに寝ころんで日なたぼっこをしているニェネントを、いまさら叱ってもどうしようもない。いつも食べるものをごちそうしてやっているんだから、何か役に立つことをやってくれないものだろうか。たとえばフローリングの床をなめまわしてピッカピカにしてくれるとか、そういうふうにしつけられないものだろうか。

 「世界史の構造」を読みおえてまたアフリカシリーズで、「アフリカの都市人類学 都市を飼い慣らす」(松田素二:著)というのをちょっと読みはじめた。ナイロビでしばらく暮らした著者の、体験をまじえたフィールドワーク。まえに読んだ「新書 アフリカ史」にも書かれていたけれども、アフリカの都市の住民には農耕生活者が多い。都市なのだけれども住民はその周辺に耕作地をもっており、まいにちじぶんの農地にかよう。または、農地のそばで平日は農耕に従事し、週末だけ都市のなかのじぶんの家にもどるということになる。わからないけれど、自給自足精神が根底にあるのだろうか。あとは「出稼ぎ」人口の多さ。パーマネントな職を得られる見込みがなくても、とりあえず都会へ出てくる。せっかく仕事を得てもプイとじぶんでやめてしまうこともままある。彼らは都市の周辺に住み、「押しかけ」生活というのをやる人物も多い。この「押しかけ」というのは、よく知りもしない他人の部屋で、むりやりのいそうろう生活をはじめてしまうのだということ。これは押しかけられる方でそのような「押しかけ」を承認しているわけで、そういう生活様式が一般に認知されているわけだ。
 わたしは「押しかけ」生活というのはもちろんやったことはないけれども、読んでいて、この本に出てくるアフリカのひとびとの生活パターンは理解できるというか、わたしにもそういうところがあるんじゃないかと思ってしまう。わたしはしごとをやっても同じ職場で五年以上つづいた経験がまるでないし、一ヶ所で十年以上生活したというのも、生まれてから東京に引越してくるまでの十年あまりと、結婚して団地に住んでいたときのやはり十年あまりとの二回しか体験がない。かぞえてみたら、これまでに十五回は引っ越しというのをやっている。これはひょっとしたら異様な数なのかもしれないけれど(ふつう、四〜五回で打ちどめになるような気がする)、アフリカのひとびとではこういうことはかなり一般的なようである。やはりわたしのからだには濃いアフリカの血が流れているのかもしれない。こうやって東京から離れてそのマージナルな地域まで、なんのあてもないのに転居して来たということにも、なにかもっと無意識な次元でえらんだ理由があるように思えてしまう。とにかくわたしは、ふつうに考えられる日本人の行動様式にまったく無縁であることはたしかだと思う。やはりあの親はアフリカなひとだったのかと思いあたる。

 きょうもヴィデオを一本、またスパイ映画を観た。

[] 「007 カジノロワイヤル」(1967) ジョン・ヒューストン他:監督   「007 カジノロワイヤル」(1967) ジョン・ヒューストン他:監督を含むブックマーク

 こういうの、だいすきです。お遊び映画っぽいけれども、とにかく演出がしっかりしているし、名優ぞろいということもあって、きのう観たなんとかという映画なんかよりず〜っと安心して楽しんで観ていられる。これはバート・バカラックの音楽(すばらしい!)のせいもあるかもしれない。この作品もまたのちに「オースティン・パワーズ」の典拠にされているだろうけれど、こちらは下ネタでも演出が上品である。脚本にビリー・ワイルダーやテリー・サザーン、ウッディ・アレンなどの名前もあって、まあウッディ・アレンはじぶんのセリフはじぶんで書いているのはたしか。撮影にはニコラス・ローグの名前もあるけれど、これは冒頭のヤギの行き交う四ツ辻の、逆光の美しいシーンとかが、ちょっとニコラス・ローグっぽいのではないか、などと思ってしまった。俳優陣でおどろくのはデボラ・カーのいろごとコメディエンヌぶりで、なんでまたこんな役を!?とびっくりしてしまった。それがちゃんとおもしろいのでまたびっくり。まあとにかく役者陣はそれぞれおいしい使い方をしてもらっているわけで、デボラ・カーにはこういう役が「おいしい」ものだったのだろうか。こういうのをじぶんでやりたかったのかもしれない。





 

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■ 2010-11-24(Wed)

f:id:crosstalk:20101125124937j:image:right きょうからしごとがいそがしくなるはずであったが、休日の翌日ということもあって、ちっともいそがしくはなかった。天気がいいので帰宅してから洗濯をし、干しおわってから買い物。まいしゅう水曜日は、スーパーのCでたまごとバナナが安くなる日。たまごはふだんの半額以下になるので、この日はのがせないことになる。スーパーAでも木曜日にたまごが安くなるけれど、このC店にくらべると20円ちかく高い。むかしは近いのでスーパーAでばかり買っていたけれど、さいきんの買い物はスーパーCで水曜日にたまごとバナナ、おなじくスーパーCで木曜日の全商品10パーセント引きにあわせてそのほかの買い物をすませるのがほとんど。スーパーAは地元野菜が安いのでほとんどそういうのばかりねらって買うのと、閉店時間まぎわの割引率が大きいのを利用するぐらい。スーパーBでは火曜日に特売があって、特定の商品がめちゃ安になるのをチェックする。スーパーDは遠いのであまり行かないけれど、ここも地元野菜がめちゃ安になっているときがある。あとはドラッグストアのEで賞味期限のせまった食パンが安くなるのを買う。この店は賞味期限が近づいたり商品の入れ替えをやるときには半額とかで出したりするので、ここもチェックはかかせない。そう、Eはもやしがどこよりもいちばん安く、さいきんはキャベツが安く出ている。

 ようやく白菜の季節になり、きょうはスーパーAの地元野菜で、白菜まるごと160円なのを買う。白菜は手がるで安上がりの料理にかかせない。きょうは削り節とこまかくしたウィンナといっしょに炒め、しょう油で味付けしておかずにする。これは手がるで、じぶん的にも大好きなメニューである。おそらく削り節に反応して、ニェネントがしきりに食卓に上がってこようとする(まあいつものことではあるけれども)。わたしが食べおえてしばらく皿などを出しっぱなしにしていたら、わたしの目を盗んでニェネントが皿をなめていた。

 きょうはヴィデオを一本観てしまった。

[] 「電撃フリントGO!GO作戦」(1966) ダニエル・マン:監督   「電撃フリントGO!GO作戦」(1966) ダニエル・マン:監督を含むブックマーク

 さすがにワン・ビンの「溝」を観たあとにこういう映画作品を観てしまうとずっこけてしまうのだけれども、はじまって1分ほどの天変地異の連続するイントロがなかなかステキだった。こういう感じで行くのかと思っていたら以後はまるでしょぼい「オースティン・パワーズ」になってしまう。どうも「オースティン・パワーズ」はこの「電撃フリント」シリーズをいちばん造型のヒントにしているフシがある。もたもたした演出は凡庸で、とにかく結末から逆算で書いている脚本がかなりなさけないのだけれども、終盤に敵の本拠地に乗り込んでから、特に美術さんなどががぜんはりきってしまう。快楽の園とSF的空間との同居というのが思いのほか新鮮だし、ラストのそのアジトの崩壊など、まるで「ポンペイ最後の日」、または「沈み行くアトランティス」である。
 主役のジェームズ・コバーンはかっこいいのだけれども、運動神経も性格もものすごくわるそう。この上司がリー・J・コッブというあたりがよくって、大統領とのホットラインでの会話などを楽しませてくれる。そう、ドクター・ウーなる人物が出てくるけれど、これはSteely Dan とはまるで関係がなさそう。





 

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■ 2010-11-23(Tue)

 ニェネントを抱き上げて口のなかをのぞくと、なんだか下あごの犬歯が二本ずつ生えているように見える。いや、どうみても、いままでの記憶で一本ずつだった犬歯が、それぞれ前後に二本ならんでいる。そうか、ネコも人間とおなじように乳歯から永久歯に生えかわるときいていたけれど、人間のようにまず乳歯が抜けてしまってから永久歯が生えてくるのでは生活上支障があるので、さきに永久歯がとなりにならんで生えてきてから乳歯が抜けてしまうというわけか。なかなか貴重なしゅんかんをみることができたななどと思って、ちょっとたってからまたニェネントを抱き上げてみてみると、なんと、もうさっきまであった乳歯は抜けてしまっていた。一方はもうどこにいってしまったのかわからないけれど、もう一方はちょうど抜けたばかりで、まだ抜けた乳歯が歯ぐきのわきにぶら下がっている。取ってやろうとするけれどニェネントもむずがゆいのか口や舌をさかんにうごかし、いちどは口のはじに抜けた歯がこぼれ落ちそうになったのだけれども、舌でなめあげて、どうやらのみ込んでしまったようす。抜けたところからすこし出血していて、ニェネントは舌をうごかして歯の抜けたあとをずっとなめまわしている。上あごの犬歯をみると一方にはやはり乳歯の抜けたあとがあったけれど、もう一方はまだ乳歯と永久歯がならんでいる。これもじきに抜けてしまうのだろうと思っていたけれど、次に見たときにはやはりもう抜けてしまっていた。これも食べてしまったのだろうか。しかしニェネントくん、キミもまたおとなに近づいてきたわけだね。

 五ヶ月の月の誕生日祝いに、ちょっとぜいたくな「プレミアム」と書いてあるネコ缶(いぜん、そんな高級品と知らずにまちがえて買ってしまったもの)を出してあげると、これはやっぱりおいしいのだろう、すごい食欲をみせて、みるまに食べてしまった。

 ようやくのこと、柄谷行人の「世界史の構造」を読み終えた。

[] 「世界史の構造」柄谷行人:著   「世界史の構造」柄谷行人:著を含むブックマーク

 わたしは文芸評論いがいの近年の柄谷行人の著作を「倫理21」ぐらいしか読んでいない。彼の活動について知ることもない。しかし「倫理21」と合わせて考えるだけで、ひとつの大きな指針は与えられたという感想は持つ。そして、まえにも書いたことだけれども、この「世界史の構造」を読むまえに、講談社新書の「新書アフリカ史」を読んでいたことが、まるでその本が「世界史の構造」の副読本であるかのようにこの本の読解を助けてくれたことは、もういちど書いておこう。つまり世界史の構造を知るには、西欧にじゅうりんされた近代から南北問題の現在にいたるアフリカ史を知ることのみならず、ヨーロッパ侵略以前の部族中心の都市国家の成り立ち、その都市国家間の交易様式を知ることもまた有益、いや、有益どころか、それは必須なのではないのかとさえ思ってしまう。もちろんその理由として、この「世界史の構造」のメインともいえる交換様式の変遷を知るうえで有効であるというばかりでなく、「帝国国家」をふくむ「国家」による暴力のあり方を知ること、さらに、部族と国家との関係から国家とネーションとの関係をさぐること、などの上で有効だったという感想になる。

 この書物の目標とする「国家の揚棄」という命題は、わたしにとってもなれしたしんだ命題で、まあむかしはクロポトキンなど読んでいた(この「世界史の構造」にはクロポトキンに関する言及はないけれど、その理由はわかる)わけだけれども、政治闘争として国家の揚棄に持ちこむというのはまず不可能だろうというのがわたしのアバウトな結論で、「国家の揚棄」という命題はわたしにとってはこころのよりどころではあったとはいえ、それはいっしゅの「夢想」のようなものでもあった(だから、投票などもしちゃったりするのだ)。近年になってもネグリ/ハートの「《帝国》」や「マルチチュード」なども読んだりしたけれど、「マルチチュード」あたりで化けの皮がはがれてきて、「芸術とマルチチュード」でかんぜんにネグリ/ハートとは決別したつもりでいる。だって、マルクス的革命論の焼きなおし以上のものではないんだもん(このあたりのことはこの「世界史の構造」でみごとに切り捨てられていて、ちょっとばかし溜飲が下がった)。まああとはドゥルーズ/ガタリの著作のなかにはそのような精神は脈々と息づいているわけで、そのあたりをぼちぼちと読んでいたわけではある。もっといろいろあるけれど、これがわたしのお勉強の歴史。

 それでこの「世界史の構造」だけれども、まさにその「国家の揚棄」が不可能事ではないという理念をしめすことがひとつ、そして、「国家の揚棄」にむけての根本理念をカントの命題から採ることを、このもんだいは「倫理21」にひきつづいて、あらためてクローズアップするという書物だと解した。「国家の揚棄」を説いても、そこからあらたな抑圧機関、権力装置を産むのではなんにもならない。そうならないための基本理念を、社会主義者として捉えられたカントの命題から採るということ。それは、「自由であれ」という至上命令と(この「自由であれ」という命題は「世界史の構造」では取り上げられてはいないけれども)、「他者を手段としてのみならず、同時に目的として扱え」という命題ということになる。これは「倫理21」という書名に如実なようにまさに<倫理>ではあるけれども、このことが実現できてはじめて、ひとのうえにのしかかる他者への抑圧機関、権力装置を、ひとみずからがつくってしまうことが避けられるということになる。なるほど。じぶんだけなっとくして、じぶんだけ良ければいいのではないのである(あたりまえのことだけど)。

 「国家の揚棄」を実現するメソッドについてだけれども、この本にはたとえばインターネットのちからなどにはまったく触れられていないけれども、ネーションの問題についても、「世界貨幣」に代わる交換様式についても、現在のインターネットはじゅうぶんにオルタナティヴな道を指し示しているのではないかと思う。翻訳システムがもっと高性能になれば、いっきにオルタナティヴな結び付き、連合に加速がかかるのではないだろうか。そしてそこに「国家の揚棄」への道も現実味を帯びてくるのではないか。わたしの世代ではムリだろうけれど、いまの若い世代のひとには、もうその可能性が目にみえるようになってくるだろう。アソシエーショニズムであろうとアナーキズムであろうと、その理念が現実に創設されることをめざしてやっていこうと。そのように考えてしまう読書体験ではあった。





 

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■ 2010-11-22(Mon)

f:id:crosstalk:20101123104841j:image:left ニェネント月齢ちょうど五ヶ月。体長45センチぐらい。体重は不明。順調に育っておりますが、あちこちによじ登ったり爪をかけたりのいたずらの頻度は増大するばかり。いちばんコマッタちゃんなのはやはり、食卓にあがってきてわたしの食べているものにちょっかいを出してくること。ニェネントの食べられるようなものではないはずで、べつに皿にとってニェネントにあげてみると、やはり食べたりはしないのである。おそらくは、わたし(飼い主)とじぶん(ニェネント)とは同格なのだという主張の意思表示なのだろう。わたしのやっていることは何でも、じぶんにもやる権利があると。

 ニェネントばかりでなくわたしも、はたらきはじめてからちょっとばかし躁状態で、古いいい方をすれば「財布のひもがゆるみがち」。ひものついている財布など持ったことも見たこともないのだけれども。きょうもそれほど残額のあるわけでもない預金から現金をひきおろし、つぎの経済援助が来るまでに預金残高はほとんどゼロになってしまいそう。浪費である。十二月はすこしおさえないといけないのだけれども、すでに十二月そうそうに東京宿泊は決めている。しばらく会っていないIさんたちと忘年会もやりたいし、ほかにも会って飲みたいひとたちの名前がいくつか思いついてしまう。さいわいにも舞台などで観たいものはしばらくないのだけれども(今週行ってみたいイヴェントもいくつかあるけれども断念)、現代美術館の「トランスフォーメーション」展、森美術館の「小谷元彦展」には行きたい。

 きょうのしごとは月曜であまりいそがしくなく、半分ぐらいの時間は「休息」だったけれど、あした以降は年末戦線突入で、処理しなければいけないしごとは単純計算でいままでの倍を超えることになる。
 しごとを終え、きょうも「東京フィルメックス」での王兵(ワン・ビン)監督作品を観に行く。

[] 「溝 The Ditch」ワン・ビン:監督   「溝 The Ditch」ワン・ビン:監督を含むブックマーク

 傑作ドキュメンタリー「鉄西区」のワン・ビン監督の、初の長篇劇映画。すごい。

 1959年。党中央の粛清によって「右派(反革命分子)」とみなされ、中国北西部の砂漠地帯で「農業学習」を強制されるひとびとの姿を、まさにドキュメンタリー・タッチで描いたもの。
 つまりここで描かれている背景には毛沢東の「大躍進政策」があるのだけれども、その農業開発の破たんと飢餓状況とが、その砂漠地帯の空間のなかだけの視点で描かれる。1959年という年は「大躍進政策」の破たんがあらわになるときで、毛沢東はこの年に国家主席を辞している。1960年まで描かれるこの作品にあるように国内の飢餓状態はさらに継続し、この「大躍進政策」の破たんによって(天災もかさなり)何千万人もの餓死者が出たと伝えられている。毛沢東はのちに「文化大革命」によって返りざき、またまた中国のひとびとに壊滅的打撃を与えることになるわけだけれども、「文化大革命」の悲惨はかつてティエン・チュアンチュアン監督の「青い凧」などの映画で伝えられてもいるけれど、「大躍進政策」時代の悲惨さを描いた作品というのは、ほかに存在することをわたしは知らない。

 舞台はさきに書いたように中国北西部ゴビ砂漠で、地平線ばかりがどこまでも拡がり、空はいつも、あくまでも晴れ上がっている。ここに掘られた塹壕のようなスペースで寝起きし、強制労働に従事させられている「反革命分子」たち。おそらくはインテリ層の出自なのであろう、「教授」とか「先生」とか呼ばれるひとたちがいる。彼らが従事するこの砂漠の地の農地開発は遅々として進行せず、飢えたひと、病気のひとがつぎつぎに倒れていく。この「大躍進政策」というものがそもそもまったく無謀な、人力資源だけを浪費する愚策だったことと、粛清をかねた強制労働の姿が同時にあらわされる。配給される食糧が激減して飢えが進行し、ついには所長も労働を中止させ、「ひるまはみずから食糧を調達するように」と通達することになる。これでこの場所はただ飢餓の支配する収容所になってしまう。砂漠にわずかに生えている草の実を集めて煮込んだ、泥水のようになった液体を食べるひと、寝床にいたネズミを捕らえ、やはり煮て食べるひと、腹をこわして嘔吐するひとの、その嘔吐物をひろって食べるひと。死が「溝」を支配して、予想通りカニバリズムも横行することになる。そこへ、収容されている夫をたずねて、その妻が「溝」にやってくる。夫は一週間ほどまえに、「わたしの死骸を埋葬せずにやってくるはずの妻に渡してくれ」と遺言を残して死んでしまっている。しかし遺体は埋葬され、その服は奪われ、肉も一部は食べられてしまっているのを同室の男は知っている。どうしてこの妻にそのことを伝えられよう‥‥。

 ただひたすらの砂漠。そして「溝」のなかの居住区。この風景だけが延々と続く。柵もなにもない空間なのだけれども、しかしそこが閉ざされた逃げることのできない「収容所」であることが、ひしひしと伝わってくる。ある意味ではこのとき、中国全土が「収容所」だったのだろう。映画の冒頭からしばらくは、ピーカン照りの農地に立つひとの姿が逆光で写されるシーンが続く。ひとの表情は逆光で黒くつぶれて判然としない。映画はこの場所にいるひとびとのドラマではなく、この苛酷な状況を描くドキュメンタリーのように進行する。ところがこの作品が半分も進行したところでとつぜんに、観客は思いもかけずに女性の声を聴くことになる。この女性の声をきっかけに、映画は急速にひとつのドラマを描きはじめる。上海に住むというその女性のもってきたみやげの菓子などの包みをあけるシーンに、この作品で観ることのできない外の世界の幻影が忍び寄る(これがきっかけとして、のちに収容所を脱走しようとするふたりの男の挿話につながっていくだろう)。この、夫を探しにきた妻と、彼女といっしょに夫の墓を探す男とのドラマが驚くほどに濃厚で、ただひたすら画面を見つめることしかできない。ドラマはみつかった夫のむくろにすがる妻の号泣でクライマックスになる。
 しかしこの濃厚なドラマは、トータルにはこの作品全体の一挿話であって、ついに収容所が閉じられるときに、所長に「これからもわたしの部下としてやっていかないか」と誘われてしまう男の、この作品のラストでの彼の寝床の上の姿のなかに、すべてなにもかも呑み込まれてしまうようでもある。作品全体のたくみな展開のすばらしさといったらない。そして、映画としての、その演出の力によって拡げられるこの「空間」のみごとさ。わたしはティエン・チュアンチュアン監督の「盗馬賊」や「狩り場の掟」などの作品を思い浮かべもしたのだけれども、ダイレクトな時代の告発としては、それらの過去の作品を凌駕するものだろう。「鉄西区」を撮った監督による、まさにその期待を越えた「傑作」だと思う。





 

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■ 2010-11-21(Sun)

 キッチンの下に吊るしてあるハンドタオルがどこかに消えてしまった。犯人はニェネント。いったいどこへ隠してしまったのかまったくわからない。ニェネントは部屋じゅうの手の届くところからいろいろなものを移動させてしまっている。いったいなぜこれがここに?というものがあちこちに転がっている。

 きょうはほとんど何もしないでいちにち過ごした。それで、きのう書き終えなかった20日のことのつづきを。
 きのう書いた「わたしのすがた」をぜんぶ観終えたのが二時十五分くらいだったかな。歩けばすぐにJRの巣鴨駅で、ちょっとキビしいけれど、まだ「巨大なるブッツバッハ村」の当日券、買えるかもしれない(開演は三時)。ダメもとで行ってみようと池袋へ向かう。会場に着いたのが二時三十分をすこしすぎたところ。いちおう「当日券」と書いてある受付に行くと、幸運にもまだいくらか席が残っていた。もう二階席しかないとのことで、S席もA席もあるけれど、どうせあまり観やすい席ではないのだからA席にする。というか、S席とは一列ちがいで千円ちがうのだからばかばかしい。とにかくチケットが取れた。ロビーにはいるとそこでレクチャーのように舞台で使われる音楽について解説をしていたけれども、なんだか知っている人のすがたを見かけてあいさつしたりしていたので、わたしはほとんど聴いていない。

 感想は下に書くとして、ほんとうにゾクゾクするような「すごい」舞台だった。終演後、会場でお会いしていたFさんに誘われ、GさんHさんと共に四人ですこしだけアルコールを飲んで話をした。なんだかFさんの興奮の余波という感じ。おはなし出来てよかった。わたしは「東京フィルメックス」に行く時間になってしまい、残念ながらさきに失礼して池袋駅へ向かったけれど、(よくあることだけれども)近道をしたつもりがとても遠回りになってしまった。六時半開演の東京国際フォーラムに到着したときにはもう六時半をすこしまわっていて、暗闇のなかを席を探さなければならないのかと観念していたら、会場内はまだ客電状態。ちょうどジャ・ジャンク—からのメッセージが写し出されていたところで、読むことはできなかったけれど、探した座席にすわるとすぐに会場は暗転して上映がはじまった。ギリギリのセーフ、だった。感想はやはり下に。

[] 「巨大なるブッツバッハ村 —ある永続のコロニー—」クリストフ・マルターラー:演出 アンナ・フィーブロッツ:舞台美術 @池袋・東京芸術劇場中ホール   「巨大なるブッツバッハ村 —ある永続のコロニー—」クリストフ・マルターラー:演出 アンナ・フィーブロッツ:舞台美術 @池袋・東京芸術劇場中ホールを含むブックマーク

 じつはほとんど予備知識なしで観たのだけれども、観ることができてよかった。舞台を体験するという喜びをたっぷりと感じさせていただいた、至福の140分。

 会場に入るとまず、舞台上の装置とその配置に圧倒させられる。壁ぎわや舞台中央、さまざまなところに家具らしいものが置かれている。テーブル、椅子、ベッドなどもあちこちに配置されていて、正面には中央部と左手にドアらしいものがあり、左手のドアの手前側はカウンターのようなつくりになっている。そのカウンターの左側は壁が出っ張っていて、そこにもドアがある。上には道路で使われるような街灯らしいものもセットされている。右手の奥はガラス張りになっていて、そのガラスの向こうに別の空間があるようだ。その右側の手前は大きな箱のようなものがセットされている。これは舞台がはじまるとガレージのようなものだとわかる。室内とも屋外とも判然としない空間なのだけれども、まさに舞台芸術の空間設定のすきを突いたような、おそらくはこれからはじまるこの舞台のコンセプトを決定するような、みごとな装置設計だと思ってしまう。

 で、開演を知らせるブザーも鳴らないままの客電状態で、舞台に五〜六人の女性が登場してきて、いつの間にか舞台は開演する。女性たちは声をそろえて「アァー」とため息をつき、つまりこれが「コーラス」なのだという導入。いわゆるアカデミックなオペラというものではなくしての、「音楽劇」。そして劇中で使われる音楽もバッハからビージーズまでと、時代もジャンルも超越した音楽が使用される。わたしはさいしょは音楽の一部はテープ音源か何かを使っているのかと思っていたけれども、じつはすべて、出演者の演奏と唄によるものだった。このあたりも、けっしてプロの演奏と唄ではないけれどもすばらしくうまい!というさじ加減が、まさに絶妙にこの舞台にぴったりで、ある社会のなかで共生するひとびとの姿が、より鮮明に浮かびあがる気がした。
 マルターラーによるこの舞台の演出を何といったらいいのか、誤解されるようなことを書けば、例えばゴダールがモンティ・パイソンに演出をつけたようなというか、ゆるいスクラップスティックなギャグと、市民の経済活動をあらわしたり主張するようなテキスト/メッセージとの混合というような印象(生活雑音、そのほかのノイズのつかい方にもゴダールの作品を想起させられる)。それがふいに音楽(コーラス/楽器の演奏)へとなだれ込んで行く。ちょうどわたしは柄谷行人の「世界史の構造」を読んでいるさいちゅうなので、この舞台で語られる経済の次元のテキストにも、すこしはそれを親しんで聴くことが出来ていたかもしれない。まさに「ヨーロッパ」というか、EU連合を想起せざるを得ないような内容ではなかったかと、わたしは受け止めていた。
 しかし、とらえようによれば「とりとめもない」とも言ってしまえるようなこの舞台が、いったいなぜここまで面白く受けとめられてしまうのだろう。わたしにはやはりそこに「音楽」のちからがはたらいていたように思えるのだけれども。たとえば1980年代以降の、ポピュラー音楽でのミュージックヴィデオの隆盛、ハル・ウィルナーの仕事に代表されるような、あたらしいかたちでのコンピレーションの実現、そのような背景が、このマルターラーの演出のような新しい「音楽劇」が生まれてくる契機になっていたのではないかという気がしてならないし、ポストモダン的な歴史意識の解体という要素もあるだろう。わたしには、この、何も起こらない長い長いラストのシークエンスが、なぜかひときわすばらしいものと感じられてしまった。

[] 「海上伝奇」ジャ・ジャンクー:監督   「海上伝奇」ジャ・ジャンクー:監督を含むブックマーク

 ジャ・ジャンクーの前作「四川のうた」をわたしは見逃してしまったのだけれども、フィルメックスのチラシにはその「四川のうた」のスタイルを踏襲した作品と紹介されている。「18人の人物へのインタヴューによって上海の近代史を振り返るドキュメンタリー」だと。そのドキュメンタリーのあいまに現代の上海の映像がはさみこまれ、万博会場の建設のようすなどの映像のほかに、ジャ・ジャンクー作品の常連女優であるチャオ・タオが上海を歩く映像なども。
 ‥‥しかし、いったい何をジャ・ジャンクーは撮ろうとしたのだろう。この作品を観ても上海の近代史などまったく見えてこない。いちおうテロップで南京条約で上海が開港したということ、租界が発展したことなどは紹介されるけれども、そのあたりの証言が出てくるわけでもない。映画の前半では中日戦争前や国民党対共産党の内戦時代に生きた祖先の証言をする人物も出てくるけれども、中盤から後半にかけてのインタビュー相手はみな映画関係者ばかりで、だからといって上海での映画製作のうら事情が明かされるわけでもない。通り一遍に関係者の追想をランダムに浅く配置しただけで、いったいなぜ映画人へのインタヴューに比重を重く置いたのか、どうもわけがわからない(同業者を集めてお気軽に撮ってしまったのではないかという印象もある)。楽しみにしていたホウ・シャオシェンにしても、「フラワーズ・オブ・シャンハイ」製作時に上海に行ったけれど、作品自体は台湾で撮影したと語るだけで終わってしまい、そのくらいの情報ならば「フラワーズ・オブ・シャンハイ」のDVDの特典映像ですでにホウ・シャオシェンは語っている。ゆいいつちょっと驚かされたのが、ミケランジェロ・アントニオーニの幻の作品「中国」の断片が紹介されたシーンで、そうか、中国では最近になって公開されたのだったっけ、などと思ったりするけれど、ただ当時アントニオーニの撮影に付き添った関係者の回想が語られるだけ。なにもかもが断片的で、観おわっても「上海」という都市の姿に、じぶんなりのピントを合わせることができなかった。とくに「上海」といえば、文化大革命のなかで決定的な事件(上海一月革命など)の起きた都市でもある。「文化大革命」への言及のほとんどみられぬこのドキュメンタリーの製作姿勢には、大いに大いに失望もする。あの「プラットフォーム」を撮ったジャ・ジャンクーも、こんな作品を撮るようになったのかと。

 上海をテーマにしたドキュメンタリー、わたしは十年以上まえにベルリンを訪れたときに、ベルリン映画祭で上映されたウルリケ・オッティンガー監督(日本には「フリーク・オルランド」という作品一本だけ紹介されている)の「Exile Shanghai」という作品を観ている。四時間半に近い長尺の作品だったけれど、日中戦争以前に上海の租界地に住んでいたヨーロッパなどのあらゆる人種のひとたち(亡命ロシア人、そしてユダヤ人が多かった)へのインタビューと、それと現在(映画撮影当時)の上海の映像から構成された作品だったのだけれども、これはわたしにはことばの全部はわからなかった(英語字幕付きだった)けど、非常にきっちりとつくられた、完成度の高いすばらしいドキュメンタリーと思えた。わたしにはこの作品の記憶があったものだから、しかもインタヴューと現在の市街地の映像を交差させるという演出手法も同じようなものでもあったから、よけいにこの「海上伝奇」を評価することができない。残念な作品だった。





 

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■ 2010-11-20(Sat)

 平日のしごとがあさの九時でおわって、それで週末の連休をむかえるというのはほとんど三連休。さらにそのなかびの土曜日はたっぷりフルに休めるという気分で、なんだか思いっきりスケジュールを詰め込んでしまう。きょうはよるに「東京フィルメックス」でのジャ・ジャンクーの新作を観る予定で、チケットも取ってあるのだけれども、予定の入っていないひるまもあれこれと行ってみたい気分である。ひとつはその東京フィルメックスのオープニングで上映される、アピチャッポン・ウィーラセタクンの作品を観ようと当日券めあてで行ってみるという案(チケットを買うのが遅くてすでに前売り分は完売だったのだ)。もうひとつは、フェスティヴァル/トーキョーでの飴屋法水さんの「わたしのすがた」をみておいて、それをまわりおえてからやはりフェスティヴァル/トーキョーのクリストフ・マルターラーの上演を、これも当日券ねらいで並んでみようという案。考えてみて、まあ映画などはあとでいくらでも観る機会も出てくるだろうけれど、舞台作品は見逃すともうソレでおしまいになってしまう。やはりここはマルターラーを体験しておこうということにした。飴屋さんのはできるだけはやく観ておこうと、十二時半の受付開始時間に西巣鴨に行くことにした。

 作業着に買ったアーミージャケットが気に入っていて、気候的にもこれを着ていくのがちょうどいいと思い、しごとに出るのとだいたい同じかっこうで出かける。きょうはほんとうに秋らしいいい天気で、東京へ向かう湘南新宿ラインもとても混んでいた。めずらしくターミナル駅からすでにすわれない状態で、こういうことは年に二〜三回しかないことだと思う。

 で、西巣鴨に着いてわかったのだけれども、マルターラーの舞台はこの西巣鴨ではなく、池袋で上演されるのだった。飴屋さんの受付をするときに、いっしょにマルターラーの当日券も買えるのではないかと思い込んでいた。「わたしのすがた」を観終わって池袋にまわるのでは、じかん的に間に合わないかもしれないなと、ちょっとがっくりする。とりあえず一時になって、「わたしのすがた」鑑賞はこの日この時間に集まった参加者で二番目の出発。

[] 「わたしのすがた」飴屋法水:構成・演出 @巣鴨・西巣鴨周辺の4会場   「わたしのすがた」飴屋法水:構成・演出 @巣鴨・西巣鴨周辺の4会場を含むブックマーク

f:id:crosstalk:20101121133453j:image:left 演劇というよりもインスタレーションといいたいところだけれども、フェスティバル/トーキョーの一環ということでもあるし、とりあえず分類としては便宜上「演劇」ということで。
 スタート地点のにしすがも創造舎の敷地内のオープニング的な第一ポイントの「穴」をぐるりとまわって、受け取った地図をたよりに創造舎の外へ歩き出す。二番目のポイントは二十数年前まで「妾さん」が住んでいたという平家建ての廃屋。ここにはいまはないだいだいの木があったということで、「だいだいの家」と呼ばれていたらしい。三番目は教会として建てられ、のちにある団体の女子寮として使われていた二階建ての建物で、さいごは巣鴨にちかいところにある十年まえから使用されていないという診療所。どのポイントも色づいたつたや雑草が印象的で、赤く色づいた枯れ葉も室内室外を問わずにあちこちにばらまかれている。室外はどこもそんな枯れ葉の上に水をまいて、色鮮やかにみせている。こういう晴れた日にまわるのもいいけれど、つめたい雨の降る肌寒い日に巡回してみるほうが、このインスタレーションには似合っているかもしれない。または、やはり日が暮れて暗くなってから。

 いぜんちょっと書いた記憶もあるけれど、わたしはむかし、「夜逃げ」をしたばかりらしい家に勝手に足を踏み入れて、なかを見てまわったことがある。その家の玄関が不自然に開け放たれていたのでついなかをのぞいてしまい、友だちといっしょだったこともあってちょっと気が大きくなっていたもので、「これは夜逃げだな」と思ったときに、そのままその家に上がり込んでしまった。もちろん不法侵入である。そのときに部屋のなかに残されていた生活の痕跡がなまなましくて、ヴィジョンとしていまでもはっきり記憶している。ひとつは一階の居間の中央にで〜んと置かれたグランド・ピアノの存在で、その家の庭には焼き物を焼くための本格的な電熱窯もあったし、余暇には趣味を満喫する優雅な生活をおくっていた時期もあったのだろうと想像できた。でも、それよりもわたしの記憶に残っているのは、床に放り出された赤いハイヒール一足と、なによりも、おそらくはその家の主のものであろう、大学の卒業証書がむき出しのまま玄関口に落ちていたこと。なにか、そういうほとんど生活とは無縁の物質が、まさに取り残されたように置き去りにされていたこと、それが「卒業証書」だったということに、とにかくこの家を捨てなければならなかったらしいその家の主のやけっぱちな(だろうか)意志がかたちをとって、その主がいなくなってもなお、なにかのメッセージを送りつづけているみたいだった。そこにわたしは、不在の人物の生の痕跡が、なによりもなまなましく残されているのだという印象を受けていた。

f:id:crosstalk:20101121133526j:image:right ‥‥まあ、そういう過去の体験を、この「わたしのすがた」を巡回しながら思い出していたのだけれども、ここでも、その第一ポイントから貼られた紙片に書かれたテキストの、「十字架」のイメージが、巡回するわたしのこころのどこかに刻み込まれていたことになる。そしてその「十字架」のイメージは、第三ポイントの教会で、「後藤静香」という特定の人物らのかたちをとって、わたしのまえにあらわれることになる。蓄音機にセットされたアセテート盤に針を落とすと、かすかに、ここにすでにいない人の声が聴こえてくる。「不在」の人の「存在」をあらわにする、そういうインスタレーションなのか。そしてさいごのポイントの「休日診療所」でぶらさげられた見知らぬ人の胸部レントゲン写真。ボルタンスキーそのままのような、残(遺)された衣服。残(遺)されたテレサ・テンや越路吹雪のカセットテープ。とどめをさすように、診療ベッドの上に並べられた、荼毘にふされたあとの人骨(らしきもの)。

   もう忘れよう そしてみんな うちへ帰ろう

 ‥‥教会での、スズメバチの巣、その死骸、羽音とかも印象に残った。音楽で参加しているはずのSachiko M や、吉田アミは、このあたりでやっているのだろうか。
 懺悔室。おそらくはわたしが来るまえにここを巡回した観客が書いていったものなのだろう。ここにも「不在」のあなたがいるわけだけれども、みんな、善人なんだなあと驚く。それともやはり、ほんとうに懺悔しなければならないことなど、こんなところには書いたりしない、ということなのだろうか。わたしのなかには「毒」がいっぱい潜んでいることをわたしは知っているけれども、それは特殊なことだったのだろうか。そう思ったりしていると、そこにまさに「わたしのすがた」が浮かび上がってくるのがわかった。

 このあと、この日はまだまだ続くのだけれども、ちょっと疲れたのであした以降に書きます。

 



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■ 2010-11-19(Fri)

f:id:crosstalk:20101121102251j:image:left ニェネントはちからが強くなってきて、わたしがいないあいだにいろいろなものをあちこち動かすようになった。しごとを終えて部屋にもどると、いつも使っているざぶとんがベッドの上にあがっていたりする。薄っぺらくってそんなに重量のあるものでもないけれど、ニェネントのからだよりも大きいざぶとんをどうやってベッドの上に引きあげているのか、現場を見てみたい。
 わたしへの暴行も止まないのだけれども、どうもわたしが「痛っ!」というとそこで「目的達成」とばかりにサッと逃げていく気配である。腕の傷がまたふえて、ほとんどグロテスクといえる外観。

f:id:crosstalk:20101121102320j:image:right きょうはひるまにヴィデオを二本観て、よるは勤め先の直接の上司と、わたしと同じ日に入社した方との三人での飲み会ということになった。この町がむかしまだ賑やかだったころから営業を続けている居酒屋へ案内される。表通りからひとつ内側に路地のように伸びた道があり、そういう歴史のありそうな飲み屋や小料理屋が軒を連ねている。いぜんから散歩でこのあたりを歩いていても気になっていた場所なのだけれども、生まれたときからこの町に住んでいる上司の方の話だと、風俗街としてひとを集めていたスポットだったということ。かつては北関東でも商業の中心地と呼ばれていたこともあるこの町、芸者などもいた頃がきったあったにちがいない。入ったのは、むかしは二階席までお客で埋まってしまうことがしょっちゅうだったという古めかしい居酒屋。入り口のところに六、七席のカウンターがあり、その奥に四、五部屋ほどの座敷が続いている。メニューはこの時期は鍋ものがメインで、アルコールは「酒」、「ビール」、「焼酎」と書いてある三種類だけ。刺身がめっちゃ美味だったし、石狩鍋に豚肉までぶちこんだ鍋もこってりとおいしかった。まあ三人で飲んでいてあれこれあったのだけれども、いまここに書くことはない。居酒屋を出て上司の方とふたりで、駅前のどこにでもあるチェーン店で瞬間的に〆の飲み。すこし時間の感覚がなくなるぐらいまで飲んでいた。

[] 「お引越し」(1993) 相米慎二:監督   「お引越し」(1993) 相米慎二:監督を含むブックマーク

 ちょっと自分の過去をなぞらえて観ていて、とちゅうから涙がとまらなくて困ってしまった。両親の別居で家族が崩壊しようというときに「被害者」といえるのはやはりその子どもで、そんな状況での子どもからの視点。このレンコは精神的にかなり大人びていると思うけれど、このくらいの年齢の女の子はこのくらいの感受性は持っているものと考えるべきなのだろう。わたしもむかし、ちょうどこのレンコと同じぐらいの歳だったわたしの娘のことばに驚かされて反省したことはある。そして、子ども(これは女の子に限る気がするが)は、そんな精神的危機からさらに成長しておとなになっていく。それを夏休みにかさね、「夏休みがすぎるとすっかりおとなになって始業式にあらわれる少女」というのをみごとな長回しであらわしたラスト・シーンもみごと。主人公の少女の心象風景を、リアルである意味で残酷な現実から、夏祭りの異様に美しい光景のなかでの「夢幻劇」のように引っ張って展開させていく演出に感服した。そして何よりも、レンコを演じた田畑智子がほんとうにすばらしい!

 

[] 「カポーティ」(2005) ベネット・ミラー:監督   「カポーティ」(2005) ベネット・ミラー:監督を含むブックマーク

 公開されたときに映画館で観ている。裁判が早く終わって「冷血」を仕上げて出版したいと考えるカポーティと、裁判が終了することは被告の死刑執行を意味することにいきどおりを感じるカポーティ。被告におそらくはほんとうに友情を感じているカポーティと、その自分の書いている本に「冷血」というタイトルをつけていることを隠し続けるカポーティ。夜のニューヨークのバーで、自分の知り合いのセレブたちのことをおもしろおかしく取り巻きに語って聞かせているカポーティと、刑務所の面会室で真摯にひとりの男と向き合おうとするカポーティ。カポーティはすべてこのような二律背反のまっただなかに取り込まれ、ついには処刑の瞬間の現場に立ち会うことになる。どんな巨人でも抜け出すことのできないだろう大きなトラップの、出口が完全に閉ざされてしまう瞬間を、カポーティは見ていたのではないだろうか。カポーティもまた、その瞬間に処刑されていたわけだ。
 ジョージ・プリンプトンの書いたオーラル・バイオグラフィ(多くの証言者の証言を編集した伝記、といえばいいのか)の傑作「トルーマン・カポーティ」によると、処刑に立ち会って翌日ニューヨークへ帰る飛行機のなかで、カポーティは同行した編集者の手をずっと握りつづけ、道中のほとんどを泣きつづけていたらしい。ここは映画ではひとりで飛行機の窓の外を眺めている姿にされていたけれど、たしかにこのとき、カポーティのなかでも何かが死んでしまったんだろう。




 

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■ 2010-11-18(Thu) このエントリーを含むブックマーク

 きのうのニェネントの一糸まとわぬセクシー・ピンナップは好評だったのでまたやりたいけれど、ニェネントがポーズをとってくれるかどうか次第にかかっております。

 はたらきはじめて十日すぎて、すっかり生活習慣が変わってしまったというのか、まだ落ち着かないせいなのか、たとえばヴィデオなどはほとんど観る気がうせてしまった。こういう状態だと「ひかりTV」に契約していても無駄金を払いつづけるばかりなので、もう解約した方がいいのかもしれない。いまは音楽を聴くことが多くなった。音楽といってももう新譜をチェックしたりあたらしいアーティストをさがしたりもしなくなったので、むかしから家にある音源をひっぱりだして聴いている。それで、しばらく使っていなかったせいか、プレーヤーのCDをのせるトレイが不調というか、いちどCDをのみこんでも、しばらくするとプレイ状態にならないままCDをはきだしてしまう。拒絶反応である。はきださないようにむりやりトレイ口を押さえているとOK、だったりする。それでなんだかCDを聴くよりもMDを聴くことの方が多くなっている。CDよりも取り扱いがかんたんで、そのあたりにむき出しで放り出していてもキズがついたりする心配がないし、そもそもケースというものにしまう必要がないのでお手軽である。音源的にもきょねん売却したアナログ盤からMDに落としたものが多いわけで、まあずっと持っていたアナログ盤というのは愛着も強いものばかりだったから、聴いていてもなごめる。さいきん聴いているのはイギリスのトラッド関係が多い。トラッドではないけれど、きのう久々にEssential Logic の「Beat Rhythm News」(いまだにCD化されていない)を聴いて、めちゃ元気をもらった。音もそこそこいいし、もっている音源はぜんぶMDにしたい気がする。

 寒くなってきたので、よるはシチューをつくった。手抜きのホワイトソースからちゃんとつくって、シチューのルーなどはつかわないのだけれども、「どうだろう」と思って調味料としてすこしジンジャー(粉末)を入れてみたら、これはみごとに失敗だった。

 ひるまは音楽とかを聴いて、そとが暗くなって夕食を終えるとあとは本でも読みましょう、というのがこの二、三日のパターンで、このリズムでいいのではないかと思うのだけれども、ベッドに入って本を読んでいるとすぐに眠くなり、そのまま眠ってしまう。あさがはやいぶんはやく寝てしまうというわけだけれども、あまりに老人じみていて、もうすこし夜更かししてもいいんじゃないかと思っている。




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■ 2010-11-17(Wed) このエントリーを含むブックマーク

f:id:crosstalk:20101118154729j:image:right そとの野良ネコたちはその後どうしているんだろう。母ネコのミイはしばらくまえにコンビニのそばでみた。コンビニの駐車場にたむろしている中学生たちに愛想をふりまいて、中学生どうしに「なにかあげたら?」といわせていた。ジュロームはいちどだけ、駅からわたしの家への道のとちゅうで、わたしから五メートルほどはなれたところを歩いているのをみかけたことがある。わたしに気がついてしばらく立ちどまり、「あれは知っているにんげんだ」というようなようすをみせた。もうどちらも半月いじょうすがたをみていない。

f:id:crosstalk:20101118154806j:image:left ニェネントはわたしがなにか食べているとかならずそばにやってきて、わたしの食べているものにちょっかいを出す。夕食のときなどは食卓の上の皿のなかに前足をつっこんでくる。とても行儀がわるいのでいつも追い払うのだけれども、いっこうにおさまらない。和室でわたしがパソコンにむかっていて、パンを食べているときにもひざの上にのってくる。じぶんもパンをかじろうとする。ズボンにこぼれたパンくずをなめる。どうもまったくしつけの出来ていない飼いネコなのだけれども、おそらく飼い主とじぶんとの主従関係がまるっきしわかっていないのだと思う。わたしとは同格だと思っているんだろう。
 冬のセーターなどをわたしが着るようになってこれまでとは加減のしかたがわからなくなったのか、このごろはやたらと爪をたててきていたい。きょうもせなかにふいにタッチされたのだけれども、いままでなら「トン」とたたくようにしていくのがきょうは爪をひっかけられ、飛び上がるほどにいたかった。「ギャーッ!」っと叫んだね。
 洗濯物を入れておくかごがニェネントのおもちゃにされてしまって使えなくなってしまったので、ホームセンターでてきとうなかごを買ってきた。前のでこりたから、もう植物を編んでつくられたかごは買わないでビニールのにしたけれど、これもそのうちにボロボロにされてしまうかもしれない。家にもち帰るとさっそく、かみついてみたりなかへ入ってみたり大騒ぎになってしまった。

 きょうはしごとではじめて残業をして、十一時までしごとした。机にすわってやるしごとでやはり楽だったけど、帰宅してからの時間がずれてしまい、夜になってずいぶん早くに寝てしまった。残業はあしたもあるということ。




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■ 2010-11-16(Tue) このエントリーを含むブックマーク

 しごとのこと。あさの五時すこしまえに家から歩いて二分の職場へ着くと、五時から六時ちかくまではこの場所でしごとをする。六時がちかづくと車で別の作業場へ移動し、そこで八時半ぐらいまでしごと。わたしはこちらの移動した先でのしごとがメインになる。それで九時がちかくなるとまた車でさいしょの職場へ戻り、そこで終業時間の九時まで、なにかを手伝ったり休憩していたりする。四時間のしごとのなかでいつも一時間いじょうは休憩している。しょうじきいって「楽」である。わたしがどんな会社でしごとをしているのかいえば、きっと誰でも想像がつくことだと思うけれど、考えられるあらゆるしごとのなかでも、もっとも楽な職種のひとつなのではないかと思う(政治家も楽そうだけれども、プレッシャーがなみたいていのものではないだろうし、選挙のときにはたいへんな重労働になる)。せんじつもしごとのはなしをひとにすると、「あこがれの◯◯◯」ではないですかというリアクションも返ってきた。そういうわけでわたしにも勤まるしごとなのである。

 ただ、ポケットのたくさんある機能的な作業着が欲しくって、しごとをしているんだという見た目も大切であり、また「形」から入ろうとの軽率な考えから、いい作業着が欲しくなった。グレーとかの色をした、胸に会社名の入るような作業着はやっぱりイヤで、それならやはり軍隊のジャケットがいいと思いついて、きょうはどうせ夜に東京へ出る用もあったので、その用のまえに上野へ寄って探してみることにした。「戦争反対」などといってるクセして、いかんじゃないかと叱られそうだけれども、上下関係をあらわす儀礼的な軍服と、機能を優先させた軍隊ジャケットは別モンである、ということにしてある。
 軍隊ジャケットを取り扱っている店といえば、上野アメヤ横丁の「N商店」が有名。わたしも高校のころに古着の軍隊ジャケットを着ていたけれど、買ったのがその「N商店」だったかどうか、いまいち記憶がはっきりしない。もっと裏通りの古道具屋のような店だったのではないかと思うのだけれども。

 ちょっと遅い時間になってからその上野へいき、まずはその「N商店」をのぞいてみる。‥‥けっこういい値段がついているんだね。それに売っているのはみんな新品だし、やはりむかしジャケットを買ったのは別の店みたいだ。財布の中身が乏しいのでちょっと預金をおろしておこうと思い、銀行のATMへ行こうとしたら、とちゅうで五時の時報が鳴った。ATMのまえに着くと、利用時間は午後五時までと書いてあった。一歩遅れてしまった。まあ足りないわけではないので軽くあきらめて、そこからちょっと裏道に入ると、なんとその、わたしが高校時代に軍隊ジャケットを買った店が、当時の姿そのままに目の前で店を開けていた。そうか、「M商店」というのだった。やはりアメヤ横丁などではなく、なにもないところに一軒だけで営業していたのだった。しかし、よくもまあ偶然にもここでこの店を見つけだしたものだと、自分でも感心してしまう。この場所はおそらく教えられて探しても迷ってしまうような場所だろうし、ふつうに歩いていて決して通りかかってしまうような場所ではない。「あの店はどこだったっけ」という気持ちが、何十年ぶりにこの「M商店」のまえにわたしをつれてきてくれたわけだ。
 この店には自衛隊のものだとか、消防団、鉄道会社の作業着などがあれこれと、吊るされ並べられている。やはりあまり安いわけでもない。見ているとおもしろいのでしばらく店内であれこれ物色してしまったけれど、先ほどの「N商店」でみたフランス軍のジャケットが、「N商店」のなかでもどれよりも飛び抜けて安かった。アレにしようと、またUターンしてそのフランス軍ジャケットを買ってしまった。新品の服を買うのは、じつに久しぶりのことである。この軍隊ジャケットは「Army of Me」部隊のジャケット。敵対する勢力はわたし自身なのである。そういうことにしよう。

 そのまま渋谷へ移動し、この夜は「ポスターハリスギャラリー」でのトークショーで、かつてポスターハリスカンパニー成立以前に笹目さんとポスター貼りのアルバイトをしていた福田さんと前田さんが、笹目さんらと当時のことを語られるもの。このころの話は福田さんなどから断片的に聴いた記憶はあるけれど、ちょっとじぶんなりにも、過去のことをひとまえで語るということで参考にしたいところもあったので聴きにきた次第。まあ福田さんと前田さんに会っておきたいというのもあったけれども、とりあえず楽しい話を聴くことができたのであった。




 

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■ 2010-11-15(Mon)

 労働二週目。きゅうに寒くなった気配だけれども、わたしはこのくらいの寒さがしゃきっとして好き。寒いのに比べると暑い方がぜったいてきにイヤだ。まあ寒いのが好きとはいっても、一月から二月の足もとから冷えてくる厳寒はやっぱり歓迎できない。この冬はニェネントがいるので、暖房器具の役になってくれるかもしれない。

 仕事も見つかって、まえに書いたように「突然死」問題もまあ心配することもなくなった。ずっとまいにち書いているこの日記、ひとつにはその「突然死」にそなえて、日記の更新が一週間とかとだえているとわたしはイッちゃってるかもしれませんよという、信号灯の役割もじつは持たせていたのだけれども、これで「まあいいや」というきもちもあるし、ネコたちのあれこれの騒動もおさまってニェネントは順調にこの家になじんでいて、あまりネコのことを書くこともなくなってしまった気配もある。ヴィデオもあまり観なくなってしまったし、まいにち更新しなくてもいいか、とも思ってしまう。いやいやそれでも、せっかくここまでまいにち書いているのだから、やっぱりせいいっぱい続けましょう。

 ニェネントは細い声でなくことが多くなった。すこし寂しそうである。いまは先日古着を買ったときに古着を入れてもらった大きなビニール袋を出しっぱなしにしてあげていて、そのなかにもぐりこむのが大好きなようである。抱き上げてやるとゴロゴロのどをならす。左手で抱いて、右手のひらでニェネントのあたまをグリグリなでてやると、前足をわたしの右腕にからめてきて引き寄せようとする。グリグリとやってやるのが好きなのだろうか。それでも、その右手のひらにかみついてこようとするから長く抱いていられない。せんじつ友だちにニェネントの写真を見せたら「寄り目だ」といわれた。じぶんでは気付かなかったけれど、獲物をねらうときだけ寄り目になるのではなく、ニェネントはふだんからずっと、すこし寄り目なのだった。あたまが悪く見えるのはそのせいだったのかと思う。もうすぐ生後五ヶ月になるけれど、だんだんに雑種っぽくなってきた、というか、母親に似てきた気がする。

 きょうは久々にヴィデオを一本観た。

[] 「曾根崎心中」(1978) 増村保造:監督   「曾根崎心中」(1978) 増村保造:監督を含むブックマーク

 これはわたしも文楽で観ている(ただし徳兵衛は吉田玉男ではなかった)けれど、有名な吉田玉男のアイディアによる演出、縁の下の徳兵衛にお初が足の動きで気持ちを伝えるという名シーンは、この映画作品でもそのまま踏襲されている。しかし文楽の舞台から受けとめられたある種の情緒のようなものは、この映画ではバタ臭いともいえる強烈な演出の前に影が薄くなってしまっている。とにかく徳兵衛(宇崎竜童)が九平次(橋本功〜怪演!)にボコボコにされる場面など、「これはサドの『美徳の不幸』か!」とばかりにしつような残忍さがしばらく画面を支配する。全体に、まあこれが増村保造監督のタッチなのだろうけれど、しつっこさの続く演出で、徳兵衛とお初(梶芽衣子)とが道行きに出たあとで九平次の不正が発覚し、徳兵衛とお初をいっしょにさせてやろうと残された皆が話し合う場面もくどいばかりに長く時間を割かれている。もう観ている方は「あと一歩早ければ‥‥」と、歯がゆい思いを延々と抱きながらこの場面を観ることになる。ラストの心中してはてたふたりのなきがらを、さまざまな角度から執拗に観客にみせるあたりも、じつにねちっこい。
 しかし、心中のシーンでの、菩薩のような梶芽衣子の美しさは特筆もの(このシーンに限らず、梶芽衣子は全編すばらしいのだけれども)。

 



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■ 2010-11-14(Sun) このエントリーを含むブックマーク

 久々にカプセルホテルのまゆのなかで目覚める。時計をみるとまだ六時まえ。電車は動きだしている時間なのでチェックアウトして、まだうすぐらい早朝の新宿の繁華街を歩く。きょうは日曜なので、こんな時間なのにおどろくほどおおぜいのひとが右往左往している。電車に乗り、上野にまわって宇都宮線で帰宅する。
 ニェネントにひとばんお留守番してもらったのははじめてだったけれども、どうやら落ち着いてひとばん過ごしていたようで安心する。きょうはニェネントといっぱい遊び、ほかになにもしないでそのまま寝てしまった。




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■ 2010-11-13(Sat)

 きょうあしたと、ふつうに連休である。それできょうもまた出かけ、ひさしぶりにむこうに泊まってくる予定。昼食でようやく、ストックのおでんがぜんぶなくなった。

 まずは池袋で下車し、またフェスティバル/トーキョーのテアトロテークをきょうは二本連続してみる。つぎに渋谷から池の上に出て、久々の「G」へ行く。このところ「G」に顔を出すことがめっきり少なくなってしまっているけれど、これからはもうすこし顔を出すようにしようと思っている。前に来たのは八月の末だったからニケ月半も経ってしまったけれど、そのあいだにカウンターのBさんはやめてしまって、また田舎に引っ込んでしまっていた。やめるまえに「小坂さんは来ませんでしたねえ」などと話していたそうで、わたしもまたBさんに会えることを期待してもいたので残念。店の人はまた危機的に少なくなっていて、オーナーのCさんも連日、店を手伝っている。これと店長のDさんと新しくはいったEさんと、ほとんど三人だけでやりくりしているそうである。
 店に入ったときにはCさんがBob Dylan の「Freewheelin'」をかけていて、これはけさもピーター・バラカンのFM番組で聞いていたもの。そのあとはDさんが、わたしが店へプレゼントしたアナログ盤を続けてかけてくれた。It's a Beautiful Day やFrance Gall など。

 よるもだいぶ更けてきて、そろそろARICA の公演も終わったころかと電話してみるけれど留守電になっていたりして不通。まあ行ってみようと店を出て新宿へ。ところがいくら電話しても通じなくて、かなり時間もおそくなってしまう。これは電波の届かないところの店にもぐりこまれたのか、もう連絡は取れないかもしれないなと、代案を考えたりしながらとりあえず食事をとる。その食事中に、Fさんから連絡があった。よかった。場所もわかり、ぶじ合流。公演会場に近い韓国料理の店で、わたしはひたすらマッコリを飲む。公演はまだあしたもあるので、あまり遅くならないうちに(電車の動いているうちに)解散。わたしは近くのカプセルホテルのカプセルにもぐりこんだ。新宿には安いカプセルホテルはないなあと、いぜんは思っていたのだけれども、この職安通り近くまでくると3000円ぐらいで泊まれるのがあるのだった。これだったら、いぜんよく使っていた下北沢や渋谷、さらに上野のカプセルより安い。スペースもそれなりにゆったりしていて快適といえる。これからはカプセル使うときにはここにしようか(京橋に3000円より安いところはあるけれど、フロントあたりの風景がわびしい感じで二の足を踏むのだ)。というわけで、カプセルにすべりこむとすぐに寝てしまった。

[] 「死の教室/タデウシュ・カントール」 タデウシュ・カントール:舞台演出   「死の教室/タデウシュ・カントール」 タデウシュ・カントール:舞台演出を含むブックマーク

 ヴィデオ映像の演出者名などのクレジットなし。1982年に来日したさいの、渋谷パルコパート3での公演の記録映像で、ちょっとカメラの切り替えがひんぱんすぎる気のしてしまうヴィデオ。
 断片的にはもちろん観る機会はいっぱいあったのだけれども、トータルな作品として通して観るのはこれがはじめて。じつは2010年のいまとなってはいささかインパクトに欠ける気配もないとはいえないのだけれども、タガのはずれたグラン・ギニョール劇のような展開のなかに、おそらくはポーランド史を組み入れた構成など、やはりすばらしい。

[] 「外国人よ、出ていけ!/クリストフ・シュリンゲンジーフ」 ポール・ポエット:ヴィデオ監督   「外国人よ、出ていけ!/クリストフ・シュリンゲンジーフ」 ポール・ポエット:ヴィデオ監督を含むブックマーク

 この八月に49歳で亡くなられたというドイツの演出家クリストフ・シュリンゲンジーフが、2001年にオーストリアの芸術週間に招聘されておこなったという、挑発的でスキャンダラスなイヴェントのドキュメンタリー。ドキュメンタリーフィルムの演出も見事な、インパクトのあるヴィデオ。
 2000年の選挙で勝利した中道右派の国民党はなんと極右政党の自由党と連立を組み、日本でいえば首都の現首長のような外国人排斥の動きをみせはじめ、EU連合からも経済制裁を受けることになる(周知のように、現在のヨーロッパでの右派はおもに移民排斥政策にその特徴が発揮されているわけ)。この政権に危機感をもつ芸術週間のキュレーターがシュリンゲンジーフをドイツから呼び寄せ、彼はウィーンのどまんなか、オペラ座のまんまえにコンテナをつみあげて、そこに六日間のあいだ十二人の移民に生活してもらう。コンテナの上には「外国人を追い出せ!」と大きく書かれていて、ネット上ではコンテナ内の移民たちの生活のようすが実況中継されている。閲覧者はネットからこの十二人の移民のだれを追い出すか投票できるらしく、まいにちふたりずつの移民がコンテナから立ち退きさせられるというシステムだけど、じつはこのシステム自体はイヴェント継続のためのアリバイっぽく、このヴィデオでもほとんどフィーチャーされない。メインはそのまさに街頭での市民と演出家との衝突にある。
 コンテナの上にシュリンゲンジーフがあがり、メガホンで通行人を挑発する。「外国人を追い出せ!」というスローガンが妨害を受けずにこのまま露出しているということは、まさにこのスローガンがオーストリアのスローガンだからにほかならないというわけ。むかしだったら「ハプニング」とでもいいそうな、めっちゃ挑発的なイヴェントなのだけれども、この挑発に乗ってしまうのは外国人排斥に反対するリベラルな市民の側になってしまうところがおもしろい。いろいろな場面でつい笑ってしまうのだけれども、わたしがいちばん笑ってしまったのは、ある老婦人がこのスローガンに怒り震盪し、「わたしはこの国に外国人を迎え入れたい。そのことを外から来たドイツ人になどあれこれいわれたくない。ドイツ人は出ていけ! 外国人は残れ!」と叫んだ場面。まあ笑ってしまうというよりもデリケートな問題も含んでいるわけで、受け入れた外国人の政治活動をどうとらえるのか、この国にいてもいいけれど、政治には口を出すなというのが(日本を含めた)多くの国の住民のホンネなのだろう。いま現在日本をゆるがせている問題を含め、まさにこの二十一世紀は「ステート=ネーション」の問題の世紀になるのだろうか。
 ヴィデオのクライマックスは、その四日目に反ファシズム団体(みかけはほとんどヒッピー)のデモ行進がこの会場に押し寄せる場面だろう。通常のデモからコースを変えて会場に来たらしいけれど、彼らによってついにコンテナの上の「外国人を追い出せ!」というスローガンの看板がこわされてしまうことになる。しかし、コンテナに押し寄せてコンテナを叩いたりするデモ隊に、中の移民たちが危険を感じておびえてしまい、コンテナから外へ搬送されてしまう事態にもなってしまう。このアンビヴァレンツな結末にもあれこれと考えることは出てくる。

 しかしはたして、みているわたしなどはこのシュリンゲンジーフの挑発にどう反応すればいいのだろう。外国の出来事として、はたから笑ってみていればいいのだろうか。
 映像のなかに、なんと1968年のパリの五月革命の立て役者、ダニエル・コーン=バンディットが姿をあらわして、スピーチを読み上げたのには驚いた。そう、彼はたしかドイツからフランスへの留学生だったはずだから、このオーストリアのイヴェントに姿を見せてもおかしくはないだろう。このようなかたちで、シュリンゲンジーフに並行して動くこと、そのことにこそ意味があるだろうか。ほかには、最終日になつかしいアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのコンテナ上でのライヴなどもあった模様。

 さいしょに書いたようにこのヴィデオの編集が秀逸で、オープニングとエンディングはモノクロ映像で、1930〜40年代のナチス台頭のころの映像を使ってタイトルなどのクレジットにしているし、要領のよい紹介、グラフなどの挿入、時系列にそった盛り上げ方など、わたしのような現代オーストリアの状況をまるで知らないような人間にもとってもよくわかるし、ひとつのイヴェントを体験したという、高揚感のようなものまで感じてしまうのだった。とにかく興味深くも面白いヴィデオ、だった。

 




 

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■ 2010-11-12(Fri) このエントリーを含むブックマーク

 労働四日目。しごとがはじまるのが電車も動きだしていない時間なので、もうぜったいに仕事のある日のまえに外泊はできない。さくやも終演時間が帰宅できるさいごの電車の時間ギリギリだったので、あいさつもそこそこにふっとんで帰宅した。あしたまた池袋に出る予定なので、そのついでに新宿にまわって打ち上げに参加しようと考えて、藤田さんとかにはそのように伝えた。あしたはひさしぶりに東京で夜明かしする予定になる。
 きのうの公演で受け取ったチラシで、ih舞台製作所の公演も十二月のはじめに予定されているのがわかった。これもぜひ行きたいのだが、あいだにさいたま芸術劇場で維新派の公演に行くチケットをもう買ってある。維新派のまえの日にih舞台製作所をみて、そのまままた東京に泊まって翌日に維新派を観ようかと計画する。収入がふえるとわかるととたんにコレである。すこしでも貯金していけるのだろうか。

 そういうわけできょうも寝不足でしごとに向かったけれど、眠くなることもなく、事故もミスも起こさずに無事終了。会社のひとにも来週にでも飲みに行きましょうと誘われる。いよいよ貯金計画はピンチ。しかし、ようやく閉息状況から脱却できたという意識もかくじつにじぶんのなかに育っているので、これであれこれと動きだしてみたい。

 しごとをはじめてよかったと思うことのひとつが、じぶんがふいに死を迎えてしまったときのことで、わたしは「孤独死」を迎えることはまちがいないと思っているし、ぎゃくに病院なんかで医師とかにみとられて死んでいくよりもひとりで死にたいとは思っている。それでも気になっていたのが残った屍体のこととか、ニェネントのことで、屍体がグチョグチョと腐ってしまうのはこの部屋をいためてしまうことで申し訳ないし、始末するひとにも不快な思いをさせてしまうだろう。まずそういうのがイヤだし、そしてだれもエサを出してくれないままこの部屋にのこされることになるニェネントが、そのまま餓死したりしてしまうとあまりにかわいそう。しかしこうやってしごとについていると、わたしが不意に死んでしまえばとうぜん無断欠勤がつづくことになり、職場からすぐの場所にあるわたしの部屋をたずねてきてくれるひともきっとあるだろう。そうすればわたしの屍体はあまりいたんだりしないうちに発見されるだろう(そう期待したい)。ニェネントもなんとかなるだろう(野良ネコになるしかないのだろうか? それも心配だけれども)。






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■ 2010-11-11(Thu)

 労働三日目。きのうのようなあさの胃痛はおさまっている。朝食はとらなくても、バナナを一本食べてから出勤することにした。きょうはきのうまでついてくれていた上司の方が休みでちょっととまどったけど仕事量は少なく、四時間の拘束時間のうち一時間半ぐらいは休息(休憩といってはいけないらしい)。

 きょうは新宿で、藤田さんや安藤さんのARICA の公演をAさんと観にいく。公演は夜だけれども、昼ご飯をAさんと食べてそのあともあれこれ話をしたりして時間をつぶす予定。
 ローカル線でターミナル駅まで出て、ちょうど到着した新宿へ向かう電車に乗ると、先行電車の車両故障で運転を見合わせるとのアナウンス。月曜日の帰りにも電車が遅れたし、とくに交通機関でこういうトラブルに遭遇する機会というのは連鎖するものだと思う。人と会う約束がなければあきらめて、電車が動き出すのをただひたすらまってもいいのだけれども、とにかくケータイからメールで、Aさんに遅れることを知らせておく。しかしそれにしてもいつまでも動きだす気配もなく、三十分以上動かない電車のなかで本を読む。そのうちに代替輸送で別のローカル線から私鉄乗り換えして先のターミナル駅まで振替できるとのアナウンスがはじまる。どうもとうぶん動きそうもない気配で、いぜんこういうときには新幹線に代替出来たのになんできょうはやらないのかと思い、改札口へ行ってみる。十人ほどの人が駅員を取り囲んでいる。「新幹線に乗れないのか」と聞くと、「いまソレを聞いているところだ」とほかのお客さんから聞かされた。駅員は「上司の指示がないと決められない」と答えるばかり。この人たちは突発事故のときにはいつも上司の指示がないと動かないのだろうか。復旧の見込みが立たないとき、どのような状況なら新幹線への代替を認めるのかというような「危機管理マニュアル」をつくらないでやっているのか。つまり、毎回ただこうやって怒る客にあたまを下げてやりすごせばいいのだと考えているのだろう。対応に怒った客がいても、だからといって以後ぜったいにJRを使わないということにはならないし。「上司の指示がないと決められない」などというなさけない返答をするのではなく、どのような状況ならば新幹線代替を認め、どのような状況なら認められないのか、まずは説明してくれればいいのに。
 その新幹線の到着時刻もせまり、新幹線にしても一時間に一本しかこの駅には止まらないのだから、その新幹線に乗れなかったらさらに一時間待たなければならない。復旧の見込みは立たないというし、これいじょうズルズルと遅れるよりはと思い、新幹線に飛び乗ってしまった。しごとをはじめて収入が増えるとなってから、やることがちがうわたしである。予定より四十分遅れていたのだけれどもさすが新幹線、けっきょく待ち合わせの時間からさほど遅れずに新宿に到着しそうである。あらためてAさんにメールすると、「遅れるんだ」とのんびり構えていたAさんの方が遅れてしまうことになった。

 新宿でAさんと無事おちあって、いつもの店で昼ご飯をとる。わたしはカキフライ定食。すごくおいしかった。Aさんともしばらく会わなかったので、話することはいっぱいある。店を出てまずはこんやの公演会場をみつけておこうということで、歌舞伎町のなかに足をふみいれる。みつかった会場の入り口が開いていたので、あいさつしておこうと地下のスペースへ降りてみる。内装をぜんぶとっぱらったコンクリートうちっぱなしのハコのなかにちょうど藤田さんと安藤さんがいた。安藤さんに時間をつぶせる近くの喫茶店情報を教えてもらい、ふたたび地上へ。

 わたしも歌舞伎町界隈を歩くのは久しぶりなので、「この店はむかしのまんまだ、このあたりはあたらしい店ばかりだな」などと思いながら、ゴールデン街にも足をふみいれてみた。このあたりは変わらない。ペルシャじゅうたんのようなガラの、ものすごく高級ブランド風のネコが闊歩していた。教えてもらった喫茶店へ行き、残っていたたくさんの話題を消化して時間をつぶす。外が暗くなり、開演時間が近づく。

[] ARICA 公演「house=woman 家=女」 藤田康城:構成・演出 @新宿歌舞伎町・A to Z   ARICA 公演「house=woman 家=女」 藤田康城:構成・演出 @新宿歌舞伎町・A to Zを含むブックマーク

 ずっとやられてこられた「高度資本主義経済社会下の労働する女性」というテーマからはなれ、「アンティゴネー」からの自由な翻案から展開する「女性の孤独」のはなしが、密室のなかで進行していく。これを「労働/社会から疎外された女性」と思えば、やはりARICA の公演としてテーマは一貫しているのか。びっくり箱のようにさまざまな装置のしかけられた舞台で、安藤さんがこどものあそびのような動きを反復され、「アンティゴネー」からのセリフもまた反復する。こどものあそびのような動きと書いたけれど、これはこどもを演じたりしているのではなくて、まちがいなく安藤朋子さんという女優そのままの姿なのだということで、なんというのか、その女優魂とでもいうようなもの、希有な存在感に感銘を受けてしまった。舞台装置との共演というARICA のもうひとつのコンセプトも、この独特の空間全体とともにヴィヴィッドにいかされていて、この場所が新宿の歌舞伎町の片隅なのだと思うと、そのような外の空間、土地の力までも舞台に巻き込んでしまっているようでもあって、単にある舞台公演を観ているのだということを越えた感銘がある。ラスト近くのジャニス・ジョプリンの「メルセデス・ベンツ」を唄う歌声にゾクッとする。



 

 

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■ 2010-11-10(Wed)

 労働二日目。あさ起きると、いぜん勤めていたときとおなじように胃がキリキリと痛む。胃酸がのどまであがってくる感覚。いまの状態でストレスなどないはずだけれども、知らずに神経をとがらせていたのだろう。からだのなかのどこかの回路にリセットがかかってしまったらしく、おとといまでの生活習慣にもどる気がしなくなっている。TVを見る気もなく、まして映画を録画したヴィデオをデッキに放りこもうとも思わない。

 勤め先では同年輩のいっしょに入社した方といっしょに、やはり同年輩の方の下について指導をあおぐ。おかしいのは、ほかのおふたりは手元の書類などの小さな字を読むときに老眼メガネをかけられるのだけれども、わたしはまるで逆に、ふだん近視メガネをかけ、小さな字を読むときにメガネをはずすこと。わたしもずいぶん以前に老眼の気配があらわれて、仕事でパソコンのモニターをみるときにメガネをかけていると字が読めなくなった。ああ老眼だ、ヤバい、と思っていたのだけれども、ずいぶん時がたったいまになっても、そのときの段階から老眼はほとんど進行していない。文庫本ももちろん苦労せずに読めるし、ひとまわり小さな広辞苑の活字も平気である。近視もむかしから極端に悪いわけでもなく、いまとなってはメガネなしの生活も可能なのだと思う。家にいるときでメガネをかけるのは、TVをみるときだけに限られている。料理するのにも本を読むのにもパソコンを使うのにもメガネはじゃまである。外に出かけるときにもほんとうはメガネなしでも何とかなってしまうと思うのだけれども、ずっと人前ではメガネで通してきているので、なんとなく人に会うのにメガネなしというのに抵抗がある。それでも居酒屋とかで酒を飲んでいるときにはメニューが見えないのでメガネははずしてしまう。それできょうは仕事をやっていてメガネなしで小さな字も読めるので、「うらやましいですね」といわれる。一時使っていた遠近両用メガネは、下半分の遠視用の部分がどういうわけかほんらいの目的に合わずぎゃくに小さな字が読みにくく(度が合っていないというヤツだ)、裸眼の方がよくみえるのでやはりかけたりはずしたりしていて、そのうちに電車のなかでなくしてしまった。もういちどちゃんとした遠近両用メガネを買おうとは思っているのだけれども。
 きょうも仕事はつつがなく終了したけれど、仕事のことであたらしくちゃんとおぼえたことはあまりない。

 夕方からまた池袋に出かけ、フェスティバル/トーキョーのテアトロテークなるものをみる。

[] 「アリアーヌ・ムヌーシュキン;太陽劇団の冒険」 カトリーヌ・ヴィルポー:監督   「アリアーヌ・ムヌーシュキン;太陽劇団の冒険」 カトリーヌ・ヴィルポー:監督を含むブックマーク

 35年以上の歴史をもつ太陽劇団を主宰するアリアーヌ・ムヌーシュキンにスポットをあてた75分のドキュメンタリー。太陽劇団は2002年に人形劇(というのではないともいえるけど)「堤防の上の鼓手」で来日、新国立劇場を裏返してみせた印象的な舞台がいまでも思い出される。それでも、いったい太陽劇団とはどのような劇団歴をもつのかということはわたしもほとんど知らないわけで、このドキュメンタリーは格好の教材だよな、と観に来たわけだけど。
 う〜ん、ちょっとこれは情緒的というか、ムヌーシュキン女史の演劇への情熱(というよりも「愛」)にスポットをあてた作品で、これはたとえば詩人ランボウのことを知ろうとして、映画「太陽と月に背いて」を観てしまったような感覚というか‥‥。つまりは「太陽劇団」が、作品をどのようなコンセプトで上演してきたのかということはほとんどわからなかったし、その背景もよくわからないまま。さいしょの方に出てくるムヌーシュキンの古いインタヴュー映像は、写りこんだ周囲の喧噪からも五月革命のときの何かの映像ではないのかというような気もするのだけれども、ただ映像と、その映される過去の自分をみているムヌーシュキンの姿が紹介されただけ。いちばんさいしょの、観客席の前に立って観客に「音をたててはいけない、息をしてもいけない」などと語っているのも、それが本公演のようすなのかプレス関係へのプレヴューか何かなのかもわからないまま。舞台の映像もそれなりに盛り込まれていて(わたしはそこがいちばん楽しみにしていたのだけれども、やはり「1793」はちょっとインパクトあった)、たとえば東洋文化からの影響などもさらりと語られたりもする(「堤防の上の鼓手」などまさにそうなのだけれども)けれど、「もっと知りたい、もっと見たい」という欲求ばかりが高まってしまう。もちろんそのような目的でつくられた作品ではないのでしかたがないわけで、やはりまた来日していただきたい(新作は台北公演があったらしいのに)。
 わからないけれど、ムヌーシュキンと太陽劇団の関係はピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団との関係のようなのかなあ、などともわたしは思って観ていた。


 

 

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■ 2010-11-09(Tue)

 ついにきょうからはたらきはじめる。あさ四時にケータイのアラームで起きる。わたしは体内時計がかなり正確なので四時の五分まえには目が覚めていて、ふとんのなかでアラームの鳴るのを待っていた。
 起きてもとうぜん外はまっ暗なのだけれども、着替えたりしているとときどき車の通っていく音がする。荷物の配送のとちゅうなのか、出勤の車なのか、それとも家へ帰っていくのか。こんな時間でもいろいろな人が動いている。わたしも動き出そう。
 さすがに朝食をとる気分でもなく、インスタントコーヒーを飲んでパソコンをいじりながら出勤時間を待つ。ニェネントの食事の準備もする。ニェネントが食事をねだってなきながらわたしの足にまとわりついてくる。緊張していた気持ちがすこしなごむ。始業時間の十分まえ、四時五十分にまにあうように部屋を出て、暗い道を歩く。この時間はまだ電車も動き始めていないのだけれども、意外にも駅の方に歩いている人影がわたしの前にみえる。ひょっとしたらわたしと同じ職場の人なのかもしれないと思ったけれど、その人影はわたしの職場のまえを通りすぎて、駅の方へ進んでいった。建物のあかりもすべて消えてまっ暗ななか、わずかについているそんなに明るくはない街灯の光をあたまからあびて歩いていく人の姿が、マンガのひとコマのように見えてしまう。じぶんのこともマンガのなかの人物に思える。

 職場に着き、しごとがはじまる。覚えなければならないこと、そしていわれた通りにすればいいこと、見ているだけで何もしないでいいことなどの四時間がつづく。これから毎日この場所でこのようなしごとをやり、そのしごとにだんだんに慣れていくことになる。いわれなくてもじぶんで動けるようになれば、時間は拘束されていても何かが自由になるだろう。とくにイヤなことも起きず、終業時間の九時になる。すっかり明るくなっている道を歩いて帰宅する。

 家でおそい朝食。朝食のまえにその日の労働を終えているわけだ。つまりこういうのを「あさメシまえ」というけれど、そんな不遜なことはとてもいえない。しかし、あさ起きてからの午前中の四時間というのはつまり、ふつうの時間感覚では八時から十二時までという感覚なわけで、もう「お昼」って感じになってしまう。なんとなく時間をつぶして、午後になって買い物に出る。「きょうは就職祝いで、おでんのごちそうだ」というわけで、きのう買った材料には野菜類もないのでダイコンを買い足し、さらに好物のタコやイカ巻、しらたきなども買ってしまう。帰宅して、まずはダイコンを火にかけながらほかの材料の準備をする。冷蔵庫からきのうの煉り物を出してみると、思いのほか大量にあったことに驚いてしまう。鍋のなかに入れてみると、それだけで鍋が満杯になってしまった。これにきょう買った材料も保存していてもしょうがないのでいっしょにぶちこむと、ふたができないほどのおでん鍋である。これでは四〜五日つづけておでんばっかり食べても食べきれないおそれがありそう。
 六時ごろ、そのおでんをおかずに食事をする。できるだけたくさん食べようと皿に山盛りにして食卓に出し、食べ終えると腹が苦しくなった。しかも時差ボケのような感覚はまだ続いていて、じぶんのなかではもう真夜中という感じである。じつはあしたもあさっても東京に出かけ、きっと終電で帰ってくることになる予定なので、寝ることのできるときに寝だめをしておこうと、七時ごろには着替えてベッドにもぐりこんで、そのまま寝てしまった。

[] 「寡黙な死骸 みだらな弔い」 小川洋子:著   「寡黙な死骸 みだらな弔い」 小川洋子:著を含むブックマーク

 ひさしぶりに読む小説作品。これはわたしの娘のわたしへの推薦である。そうでなければ、「博士の愛した数式」でちょっと「ふん」という感じだったわたしが、ほかの小川洋子の小説を読むはずもなかっただろうけれど、これはこれで面白い小説だった。十一編のそれぞれがどこかで連鎖する短編集なのだけれども、印象に残るイメージがあれこれ盛り込まれた、ゴージャスといっていい印象をもつ。優雅だけれどもちょっとばかしマトモではない人たちが案内してくれる、ふつうの町のうらがわにかくされているすこしイビツな世界。
 わたしは、上の階で殺人事件が起きたという階下に住む女性が、その彼氏に捜査のようすやマスコミの取材についていっしょけんめいに語って聞かせる描写のところを「こういうの、いいな」と思いながら読み進めていた。しかしこの女性はこのせいで彼氏に去られてしまう。世界はアイロニーにみちているものだと。



 

 

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■ 2010-11-08(Mon)

 あたらしい週がはじまって、ひょっとしたら今週からはたらきはじめることになるのかもしれない。きょうは午前中に勤め先に行き、説明を受けることになっていた。とにかくわたしの家から勤め先まで歩いて二分とかからないのだから、時間まぎわになって家を出てもじゅうぶん余裕をもって到着できる。
 まずひととおり説明を受け、きょうもまた研修ということで、午前中いっぱい拘束されてちゃんと給与も発生するという。研修といってもほぼすべてコンプライアンスに関することで、守秘義務事項の学習などである。そういうわけでわたしもこの日記にどこまで仕事のことを書いていいのかわからないのだけれども、まああまり具体的には書かないことにしておこう。
 研修のさいごには支店長さんだかのまえで、守秘義務事項などを読み上げたりする。おそらく字がちゃんと読めるかどうかためされているのであろう。とにかく研修も無事おわり、いきなりあしたから通常の勤務につくということであった。わたしはてっきり来週からの勤務ではないのかとかかってに想像していたので、多少あせる。きょうは夕方から出かける予定もあったので、いきなりあしたのあさ四時に起きなくてはならないのか、というわけである。

 午後からあれこれと問い合わせたりして、かせいで得る給料のうちいったいいくらぐらい手元に残されるのかを調べる。おどろいたことに、残るのは1/3未満、ほとんど1/4ぐらいの額になるようだ。なぜこういうことになるのかの説明はできないけれど、とにかくそういうことである。すぐにTVやパソコンを買えると思っていたけれど、そういう甘いものではない。あれこれと増加する経費のことなど考えると、じっさいに残るのはもっと少なくなるわけだろう。

 ドラッグストアに買い物に行くと、商品の入れ替えということでギネスの缶ビール(330ml)が半額で売っていた。キリンの缶ビール(おそらく250ml)も50円引きで並べられているけれど、半額になってしまったギネスは、並んでいるちょっと小さなキリンのビールよりもさらに安い値段になる。これでまあ就職祝いにしようと、4缶買う。いっしょに手を出してきたおばさんは、キリンの方を選んでいった。ギネスの方が安いのにと思うけど、人はとにかくすきずきである。キリンが大好きなのか、ギネスは受けつけないとかいう人もいる。

 夕方から池袋に出かけ、フェスティバル/トーキョーのテアトロテークというのを観る。先週うっかり忘れてしまっていたイヴェントで、あれこれの演劇のヴィデオを上映するもの。今夜のプログラムはロバート・ウィルソンとフィリップ・グラスの「浜辺のアインシュタイン」紹介のドキュメンタリーだった。

 わりあい早くに帰宅の電車に乗ったのだけれども、ローカル線が三十分ぐらい遅れていて、ターミナル駅ですっごい待たされた。もともと一時間に一〜二本のダイヤだったりするので、三十分の遅れでも一時間くらい待たされることになる。電車で通勤していたころにはこれでずいぶん苦しめられたけれど(ちょっと風が強いというだけで川を渡る鉄橋で減速運転するのですぐに遅れてしまう)、ずいぶん久しぶりにうんざりさせられた。
 駅を降り駅前のスーパーに寄ってみると、閉店時間に近いのであれこれの食料品が値引きされている。おでんのタネになる練り物があれこれごったに、しかも大量に袋にぶち込まれて、生ゴミのようにされて売っていた。200円なので買った。あしたはおでんにしよう。

[] 「浜辺のアインシュタイン/ロバート・ウィルソン」(1986) マーク・オーベンハウス:監督   「浜辺のアインシュタイン/ロバート・ウィルソン」(1986) マーク・オーベンハウス:監督を含むブックマーク

 ドキュメンタリーの体裁の映像作品なのだけれども、便宜上「演劇」のカテゴリーに入れます。英語だけれども、日本語字幕なし。
 いやぁ、しばらく英語使っていないし、わからない単語も多くってほとんど内容わからんかった。ナレーションとかロバート・ウィルソンの英語は聴き取りやすいものだろうと思ったけど、とにかくフィリップ・グラスの英語は単語の切れ目が聴き取れない発音で、もうほとんど何をいっているのかわからんかった。
 まあとにかく「浜辺のアインシュタイン」の舞台の一端にでもふれることは出来たといえるのか、それでも全体で四時間半の舞台の、ここで紹介されたのは三十分もなかっただろうけど。もともと明確なストーリーとかいうものもない作品なのだから、舞台の映像そのものを観るのなら英語がわからなかったこともそれほど関係ないかもしれないし、ロバート・ウィルソンやフィリップ・グラスが自作を解説していてもそんなの聴かなくてもいい、ナレーションの解説も無視してもいいよ、という鑑賞姿勢になってしまった。
 そんな鑑賞姿勢での勝手な感想。ちょっとまえに、たまに読ませてもらっている音楽(ロック)関係のブログのなかに、ある種のプログレとか理知的な音をだすミュージシャンからは性的なものが感じられず、彼らの性生活も貧弱なものなのではないのかというようなことが書いてあった(うろ覚えなので、そうでなかったらすいません)。で、これは今回配付された資料で読んだのだけれども、おそらくはロバート・ウィルソンの発言で、このフィリップ・グラスの反復する音楽について、「いわゆるロックのノリとは違う。”かければゴキゲン”とは(違う)ね。」ということをいっている。で、フィリップ・グラスの方では「当時、僕は現代音楽には不満だった」ということで、「アカデミックな世界から、ポップ・ミュージックにより惹かれ始めた」時期の作品がこれである。まあポップ・ミュージック、イコール、ロックと考えるのはかまわないと思うけれど、つまり、ロックの系譜にもアフリカ系ミュージシャンからの伝統での「下半身を揺さぶる」ロックと、もっと下半身から離れようとするロックとの系譜があるわけだと、いまさらながら思いあたることになる。「ノリ」、「かければゴキゲン」というのは英語の「Groove」って感じで、まさに下半身からくるコトバなんだろう。まあ下半身から離れることがいちがいに「理知的」ということでもないだろうけれど、例えばイギリスのトラディショナル音楽などがダイレクトに下半身に訴えるものとも思えない。アフリカ系下半身音楽から距離をとろうとするミュージシャンに、そういうトラッドに近接した指向性がみられるというのにも理由があるわけだ。まあそういうミュージシャンの性生活まで想像するのはちょっとちがうと思うけれど、これはダンスの方でも事情は同じで、下半身系に行こうとする指向性と、それに反撥する指向性とはあるんだろう。まあ音楽にせよダンスにせよ、クラシックなものはつまり「アカデミックなもの」としてここでは問題にされないだろうけれど、アカデミックなものから離れようとするとき、アフリカ系に行くか非アフリカ系に行くかという分岐はあるんじゃないのか。もちろんアフリカ系下半身直撃モノがだから唾棄すべきものだというわけでもなく、わたしも音楽などではR&Bもファンクもジャズも大好きではある。ただここで、「下半身から距離を置く」音楽とダンスとして、「アカデミックなもの」から距離をおこうとした試みとして、この「浜辺のアインシュタイン」をとらえたい。って、書いてみてもつまらない感想になってしまった。




 

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■ 2010-11-07(Sun)

f:id:crosstalk:20101109121228j:image:right ニェネントなぜか大騒ぎ。部屋じゅうをはじからはじまでバタバタとかけまわり、ときどき「フギャ!」みたいな、つぶされたような音のなきごえをあげる。

 日本の南でも北でも、「ネーション=ステート」のもんだいがあらわになるような事件などの報道がされている。こういう騒ぎから距離をおいて、はなれた視点からネーションのことを考えたい。ネコのような立ち場がいいなと思うけれど、ネコがいくらはたらいても、だれも給料を払ってはくれないだろう。わたしがニェネントを飼っているように、たぶんわたしはこの国の飼いネコではあるけれども。

 古賀春江のことを、シュルレアリスムとの関係でまた考えたりする。展覧会のチラシを読むと、彼はその晩年に「独自の超現実主義理論」を打ち立てたと書いてあるけれど、いったいどのような理論だったのか、先日はそのあたりをチェックしてこなかった。ただ、古賀春江の場合は、そのシュルレアリスムへの接近のまえにキュビズムに接近もしているわけで、そのあたりの順路が、たとえば靉光や三岸好太郎らの「気分的」「心象風景的」シュルレアリスム的作品とは異なる強度を生んでいるのではないのだろうか。それと僧侶の出自というあたりの仏教とのかかわりもわたしの想像以上にあるかもしれない。
 f:id:crosstalk:20050516162307j:image:left古賀春江の系譜での日本でのシュルレアリスム的展開を考えると、福沢一郎のことは考えないとして、やはり北脇昇という存在に思いあたることになる。彼も忘れ去られてしまいそうな画家のひとりだけれども、古賀春江の回顧展が開かれるのならば、こんどはぜひ北脇昇の回顧展を開催してもらいたい気がする。
 北脇昇はかなり本格的にシュルレアリスムを研究していたはずなのだけれども、その描写での「概念」性など古賀春江の作品と共通する部分もあるし、なによりもその作品でのコラージュ〜デペイズマン的な手法が、シュルレアリスムの技法のひとつの応用として共通しているだろう。北脇昇の作品には仏教などの東洋文化の影響もあらわなのだけれども、作品自体はその「絵解き」に堕してしまっているという印象もある。しかし彼はそのような絵解き、謎解きのような作品に明快な回答があって描いているわけではなく、彼自身の疑問を作品で提示しているようなところもある。「答えのわからない謎解き画」という雰囲気もあり、遺作の「クォ・ヴァディス」などはまさに「どっちに行こうか」ということを描いている。彼はここでこれより先に進めずに亡くなられてしまうのも暗示的なことだと思ってしまうのだけれども、これが1950年の作品。
 それで、こののちにこれら古賀春江から北脇昇に至る系譜を発展させるのは誰だろうと考えると、それはやはり中村宏なのだろうか。

 きょうは三本のヴィデオ。

 

[] 「エルダー兄弟」(1965) ヘンリー・ハサウェイ:監督   「エルダー兄弟」(1965) ヘンリー・ハサウェイ:監督を含むブックマーク

 ジョン・ウェインとディーン・マーティンの共演で、デニス・ホッパーが仇役の息子役で、悪になりきれないちょっとかわいい男を演じている。ヘンリー・ハサウェイ監督というのは、まえに「西部開拓史」を観たときも平板な演出をする人だなあと思ったけれど、ここでもやっぱり緩急のリズムのない演出で、面白味がない。銃を撃ち合うとか乱闘になるといったシーンがずっとほとんどなく、ラストの五分ほどでようやくジョン・ウェインが銃を抜く。途中のヤマ場は冗談のような兄弟げんかで、それはそれで楽しいシーンではあったけれど、一本のアクション娯楽映画として観るならば、その期待はラストまで徹底して待たされる。ドラマとして面白い部分があるわけでもない。

[] 「わが命つきるとも」(1966) フレッド・ジンネマン:監督   「わが命つきるとも」(1966) フレッド・ジンネマン:監督を含むブックマーク

 ヘンリー八世のさいしょの離婚にあくまで反対し、英国教会の主になってしまったヘンリー八世にさいごまで同意せず、クロムウェルの告発で死刑になるトマス・モアの精神の抵抗の物語。さっき観た「エルダー兄弟」はいったい何だったんだ、というような重厚で骨太な映画演出の魅力を堪能する。トマス・モア役のポール・スコフィールドという俳優の、アイロニーをたたえたせりふまわしが、彼の知性と神への信仰の厚さを感じさせてすっばらしい。そんな夫の頑固さにあきれてはいても彼をしんそこ愛している妻(ウェンディ・ヒラー)の抑えた演技もよくって、このふたりの処刑前の別れのシーンに泣かされた。で、ヘンリー八世は誰がやるんだよ、と思ったらこれがロバート・ショウで、これが豪胆さあってなかなかヘンリー八世していた。でもやはり、わたしとしてはヘンリー八世はリチャード・バートンで観たいわけだ。なっかなか卑劣な、悪魔に魂を売り渡した男に若き日のジョン・ハートが出ている。クロムウェル役は、ビートルズの「HELP!」でコミカルな演技を見せていたそのときの準主役のレオ・マッカーン。そうそう、オーソン・ウェルズも出ていた。いい俳優を集めた史劇というのはそれだけで見ごたえがあるものだけど、演出、撮影、照明、美術など、みな一級品の作品だった。

[] 「さらば友よ」(1968) ジャン・エルマン:監督   「さらば友よ」(1968) ジャン・エルマン:監督を含むブックマーク

 これはむかし、ガキのころに映画館で観た。これでブロンソンはとつぜん人気モノになってしまったわけだ。原作はセバスチアン・ジャプリソで脚色はジャプリソと監督のジャン・エルマン。このジャン・エルマンという監督のことは知らなかったけれど、調べるとジャック・リヴェットとかロッセリーニなどの助監督をやっていたらしい。監督作品はあまりなく、のちにマジに小説家になってしまう。別にどこかの出版社と密約してその出版社の文学賞に応募し、賞に選ばれてから出版社が「あの映画監督だとはまったく知らなかった」などといわせるような猿芝居をやったわけではないようで、のちにゴンクール賞まで受賞されている。ある意味セバスチアン・ジャプリソをも越えてしまったともいえる監督さんであった。
 映画としていま観ると、なんともむさ苦しい、ヤボともいえる男臭さ(つまりブロンソンだな)と、60年代的ポップなスタイルとがうまく合致している印象。いちいちブロンソンが「イェー!」っとか「ベイビー」とかいうのがおっかしいけど、この「イェー!」がラストにつながるんだから、まあいいか。アラン・ドロンはこれがメルヴィルの「サムライ」を撮った年で、「サムライ」での寡黙で禁欲的な役のイメージをちょっとうかがわせているけれど、少々ブロンソンに合わせているんだろうという印象もあって、やはりこの作品はブロンソンが主役なのだ。もっとドロンにブロンソンと対象的な性格を与え、ふたりの対比を見せてもよかったような気がしないでもないけど、それだとブロンソンはただむさ苦しい男になるおそれもあっただろう。
 このところセバスチアン・ジャプリソの脚本の映画を続けて観たけれど、ここでも「大人になりきれていない、幼さをのこした女性」が登場する。これがジャプリソのオブセッションなんだろう。この役を演じているのが当時は「あのコが」と話題になった、「禁じられた遊び」の名子役ブリジット・フォッセーの成長した姿だったことも、この性格付けにつながっているわけだなと、今回観て気が付いた。




 

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■ 2010-11-06(Sat)

 面接をうけていたしごとの採用が決まって通知がきた。いつから就業なのかわからないけれど、月曜日に手続きがあり、説明を聞いてくる。早朝の五時から九時までのしごとで、ふつうの九時〜五時の逆というか、ほんとうに逆だと十六時間勤務になるけれど、四時間勤務。1/2人間だなあと。勤め先はわたしの家から歩いて三分、いや、二分ぐらいだろうか。玄関のドアを開けるとその建物がみえる距離である。五時に出勤するならば、四時ぐらいに起きなければいけないだろう。なれればどのくらいの時間に起きればいいのかわかってくるだろうけれど、まあ以前始発電車で通勤するバイトをしばらくやっていたこともあるので、四時に起きるのも抵抗ないし、平気だろうと思う。あとは、しごとにじぶんが適応できるかどうかということになる。トラブルのタネになりませんように。
 いまのペースの生活で、収支はほぼトントンにやってきている。あたらしいしごとでの収入分がぜんぶ余剰になるわけではないけれど、いままでの生活で考えればかなり余裕ができるかなと、もうはたらくまえから皮算用している。

 ニェネントは香箱をつくってすわるのが下手というか、ちょっとばかし形がくずれていたのだけれども、さいきん上手に香箱をつくれるようになった。寒くなってきてから、リヴィングの窓ぎわで香箱をつくってひなたぼっこしていることが多い。わたしが和室にいるときにはわきのベッドの上で寝ている。ベッドカヴァーの布のはじをくわえておしゃぶりしている音がチュバチュバときこえてくることもある。遊んであげるときにはタオルをニェネントのまえで振りまわして誘う。タオルめがけていつまでも飛びかかってくる。爪をかけ、歯を立ててきて、タオルはボロボロになる。あとは抱き上げて蛍光灯のスイッチのひもで遊ばせてあげる。これはニェネントのお気に入りである。Aさんが「ネコを飼っていると黒い服が着られなくなる」といっていたが、なるほど、腕から胸、あらゆるところにネコの白い毛がくっつきまわっている。

 

[] 「黒い画集 あるサラリーマンの証言」(1960) 堀川弘通:監督   「黒い画集 あるサラリーマンの証言」(1960) 堀川弘通:監督を含むブックマーク

 やはり小林桂樹追悼特集からで、原作は松本清張の短編。世間にかくれて会社の部下と浮気をしている男が、彼女のアパートの近くで知人と顔を合わせてしまう。その知人はその時刻にはなれた場所で起きた殺人事件の容疑者として逮捕され、男の証言があれば無罪が立証できるのだけれども、浮気のバレることをおそれた男は「会っていない」と証言する。しかし、別の件で彼の浮気を知った大学生から金銭を要求される。そのてん末は‥‥、という作品。
 ある事態をうまくごまかして隠しおおせた男が、こんどは本来じぶんには無関係な事件の犯人にされてしまうという展開からは、コーエン兄弟の「バーバー」を思い出してしまう。「バーバー」の原題「The Man Who Was'nt There」というのは、この「黒い画集」にも当てはめることができそう。主人公の小林桂樹の精神的な貧しさとでもいうようなものが印象的で、この作品のなかで起こる複数の刑事事件にしても、その根底にはなにかどうしようもない「貧しさ」を感じてしまう。このあたりに昭和三十年代の空気を感じ、そこにこの作品の演出の成功したポイントがあるようにも思える。そんななかで、小林桂樹の愛人の原知佐子の奔放さが、この時代を突き抜けているようでもある。

[] 「ピンク・フロイド ザ・ウォール」(1982) アラン・パーカー:監督   「ピンク・フロイド ザ・ウォール」(1982) アラン・パーカー:監督を含むブックマーク

 1980年代というとMTVの時代というか、ヴィデオクリップ映像隆盛の時期で、あれこれと実験映像的なクリップが次々と登場してくるのを、わたしなども楽しんでいたものだった。そういうヴィデオクリップはもちろん、シングルというかひとつの楽曲に対してつくられたものだったけれど、このアラン・パーカーのフィルムは、つまりはアルバムひとつをまるごとヴィデオクリップにしてしまったともいえる作品。素材にされたのがそもそもからストーリー構成をもつトータル・アルバムであったピンク・フロイドのベストセラーアルバム「The Wall」だから、フィルムとしてあるていど明快なストーリー構成をもたせることができたわけだけど、とはいってもストーリー展開をみせるよりもイメージのヴァリエーションをみせることに主力をおいた作品。わたしは楽しんで観て、アニメ—ションなども駆使したアラン・パーカーの演出は、70〜80年代のロックというイディオムのヴィジュアル化としてひとつの精神をあらわしているという意味でも、スタンダードなものだと思う。この系譜の作品がもっとつくられなかったのは不思議な気もするけれども、どうやらこの作品の客の入りが悪かったらしい。映画というものが映画館へ行って観るものだという時代でもなくなった今であれば、もう少し展開は異なったものになっていたのではないかという気はするのだけれども(近年の、ジュリー・ティモア監督の「アクロス・ザ・ユニバース」が、久々のこの種の試みといえるかもしれない)。

[] 「永遠のこどもたち」(2008) フアン・アントニオ・バヨナ:監督   「永遠のこどもたち」(2008) フアン・アントニオ・バヨナ:監督を含むブックマーク

 「パンズ・ラビリンス」の監督、ギレルモ・デル・トロがプロデュースした作品で、「パンズ・ラビリンス」のように、子どもの抱く幻想がテーマになっているともいえる作品。
 孤児としての出自である女性が、かつて自分が育った孤児院の廃墟を買い取ってあたらしく孤児院をはじめようとするけれど、そこで自分の子ども(彼もまた引き取られた孤児なのだけれども)が行方不明になってしまう。執念で子どもを探しつづける母のまえに、かつて自分もいた孤児院時代の悲惨な事件があらわになり、子どもの霊が彼女をある真実へとみちびくのだよ、というストーリー。
 冒頭になんともなく展開する精霊のはなしあたりから「ミツバチのささやき」っぽい空気も感じてしまうのだけれども(同じスペイン映画だし)、みているうちに、これはアレハンドロ・アメナバール監督の「アザーズ」のうらがえし映画なんじゃないかとも思いはじめるし(同じスペイン映画だし)、随所にジャパニーズ・ホラーっぽい演出(とくに中田秀夫作品)も感じとれる。根本にあるのは「ピーターパン」ストーリーで、そういう先行する童話なり映画なりに対してのメタっぽい演出意識を感じるけれど、ラストにはちょっと不意打ちをくらってしまった印象で、泣かされてしまった。デティールの積み重ねがうまいんだろうと思う。





 

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■ 2010-11-05(Fri)

 さて、あしたはまた池袋でフェスティバル・トーキョーのヴィデオ上映に行くのだ、時間をたしかめておこうとスケジュール帳をひらくと、あしたではなくてきょうになっている。チラシをみてもやはりきょう。まったく勘違いしていた。もう時間は夕方になっているのでとうてい間に合わない。失敗、ガックリである。

 タバコが値上げされて一ヶ月、さいしょの予定では禁煙してしまうつもりでいたのを、「まあ量を減らせば」というのと「安いタバコにランクダウンさせれば」という考えで禁煙から逃避、つまりゴールデンバットにしたのだけれども、なんだか喫煙量が増えてしまった気配である。これはけっきょく、ゴールデンバットというタバコの喫える部分がかなりみじかいからということだろうと思う。灰皿にたまった吸いがらをみると、ウエス・モンゴメリーの「A Day In The Life」のジャケットを思い出す。

 自分のようなにんげんでも採用してくれそうなしごとがあって、じきにはたらきはじめるかもしれない。勤務時間は早朝でみじかいので、もしもはたらくことがあってもあまりいままでの生活が変化するということもないだろうと思う。ただ、夜は早く寝るようになるだろう。フルタイムのしごとだといろいろ考えてしまって、はたらいていいものかどうか悩むのだけれども(そのまえに採用してくれる会社などないのだけれども)、こんかいははたらけるようになるといいと願っている。もうTV受像機が古くて画面が暗いし、やたらにデカイので、あたらしいのに買い替えたい。それと、なによりもパソコンを買いたい。

 ニェネントは、寝てばかりいる。それでもわたしがキッチンへ行くと気配を感じて起き出してきて、キッチンに立つわたしの足元にまとわりついてくる。トイレに行ってもやはりついてきて、トイレのドアの外でわたしが出てくるのをまっている。だから、わたしがドアを外に開くと、ニェネントのあたまにドアが激突する。「おお、よしよし」と抱き上げると、足のうら、つまり肉球がひんやりと冷たい。

 きょうはヴィデオを一本観ただけ。

[] 「江分利満氏の優雅な生活」(1963) 岡本喜八:監督   「江分利満氏の優雅な生活」(1963) 岡本喜八:監督を含むブックマーク

 小林桂樹追悼特集から。原作は山口瞳のエッセイ風小説で、わたしがガキのころには山口瞳の作品はよく読まれていたから、わたしなんかでも山口瞳という人がサントリーの宣伝部員出身だということは知っていた。この作品で山口瞳=江分利満(エヴリマン)氏を演じる小林桂樹は、その山口瞳にそっくりだといわれたらしいけれど、山口瞳の風貌まではわたしもおぼえてはいない。
 この作品で出てくる江分利満氏の長男がわたしより二歳ほど年長という設定で、昭和三十年代前半のサラリーマンの生活が描かれるその背景については、わたしにも多少なりとの記憶はある。おそらく原作は当時の平均的サラリーマンの喜怒哀楽が描かれていたんじゃないかと思うけれど、この映画作品ではその江分利満氏像はおもいっきり山口瞳氏に近接し、山口瞳氏によって「江分利満氏の優雅な生活」という作品が書かれる背景をつづった作品という印象もある。だからここでの江分利満氏はちっともエヴリマンではなく、かなり特殊な事情を抱えた人物像なのではないかと受け止めた。小説を書いて直木賞を受賞するが、妻も子どもも病気持ちで、父親の破天荒な破滅型人生の尻ぬぐいに奔走したりもする。この父親(東野英二郎)は戦争景気に合わせて事業を立ち上げては成功〜破産をくり返し、昭和三十年代の平和ムードのなか、借金だけが残っている。つまりは「戦争成金」で、江分利満氏は「もう父親の時代ではない」と語るのが印象的。
 当時のサントリーのCMでなじみだった柳原良平のアニメを使ったり、ストップモーションを使ったりしてのライトコメディの演出ぶりは楽しいけれど、驚いてしまうのはその終盤、全体の1/4以上の時間が延々と、江分利満氏が会社の連中を引き連れて飲み歩く、その酔いながらのひとり語りにあてられていること。ここにいわゆる戦中派の悲哀があふれ、かなり重い演出になる。江分利満氏よりはひとまわり年長だけれどもやはり戦中派だった岡本喜八監督としては「いいたいことがある」との思いをここでぶちまけたという感がある。まあ岡本喜八監督はかたちを変え演出を変え、いつもたいていこの「いいたいこと」をいっているわけだけれども、やっぱりここは「オヤジ世代は飲むと話がくどい」ということで、わたしとしても最終電車がなくなるまえに「すいません、そろそろ失礼いたしま〜す」ということにしたいのだった。





 

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■ 2010-11-04(Thu)

 よい天気がつづく。十一月というにはすこし暖かいのかもしれないけれども、セーターの出番になる。ところがセーターを着ているとニェネントが腕にまとわりついてきて、セーターに歯をたててびよ〜んとひっぱってしまう。このクセはやめさせたい。
 また一匹になってしまったニェネントを楽しませてあげようと、ネットで「ネコの喜ぶこと」を検索してみる。「またたびを与える」というのが多いのだけれども、どうもネコにまたたびというのはドラッグくさくって、じつはいちど与えると人知れず中毒状態になってしまうのではないかとか、いらんことを考えてしまう。まあそのうちに買ってあげてもいい。いろいろ読んでいると、人が手を使ってあやすのはよろしくないと書いてある。自分でもそうだろうとは思っていたけれども、もはやいささか手遅れ。

[] 「新書アフリカ史」宮本正興・松田素二:編   「新書アフリカ史」宮本正興・松田素二:編を含むブックマーク

 ようやく読了。ちょうど柄谷行人の「世界史の構造」を読みはじめているのだけれども、「世界史の構造」で書かれている「資本=ネイション(ネーション)=国家」のもんだいを読み解くのに最良の書物でもあったという気がする。つまりおそらく、西欧的イディオムでの「資本=ネイション=国家」の矛盾、もんだいがまさに噴出したのが植民地アフリカであり、また、交換様式のもんだいとしての「互酬」(贈与と返礼)という概念もまたアフリカの各地でみられた交換様式の形態であった。ネイションのもんだいにしても、アフリカではトライブ(部族)の生活域とは無関係に、勝手に植民地支配の都合で引かれた国境によって区切られた国家において、ネイションをいかに形成するかという問題に直面することになる。「ネイション」は「国民」、「民族」と訳されることが多いけれども、どちらも的確な訳語ではない。ベネディクト・アンダーソンによれば、ネイションとは国家がもつことができる「想像上の政治的共同体」と捉えられる。このことも、アフリカという座標を与えられるとひじょうに理解しやすくなるのではないだろうか。
 アフリカを、どのような意味でも未発達で未熟な大陸と捉えるのではなく、西欧が発展させた、どのような意味でも暴力的パラダイムによって蹂躙された大陸と捉えること。そのような視点から、まったくあたらしい共生のあり方がみえてくるのではないか。読んでいてそんな感想を抱いていた。

 しかし二十一世紀を前にして、国民国家という制度にもほころびが目立つようになった。資本や文化はどんどんボーダーレス化して国境を越えていき、内部においても単一のアイデンティティをもった国民像が色あせ、移民や先住民などの多様なマイノリティが異議申し立てを行うようになった。
 アフリカにおいても、新たな実験が始まっている。エチオピアでは、単一のネイションを前提としない国家が成立した。一九九一年に政権の座についた新政府は、徹底した多元主義政策を推進し、九三年にはエリトリアの分離独立を円満に承認した。九四年に制定された憲法では、各民族に分離独立の権利を(名目的ではなく)保証した。国家は緩やかな統合体になったのである。これは近代市民社会の国家観と決別した、新たな国家形態の実験でもある。
 こうした緩やかで単一でないアイデンティティは、実のところ、アフリカ社会が長年つくりあげてきた社会編成の原理でもある。それは柔軟で多元的なアイデンティティに基づく社会と言ってもよい。たとえばある民族に属する人間が、移住や生活上の便宜によって、別の民族に帰属することは珍しいことではなかった。日本社会ではまず考えられないことだが、「私たちは今日から別の民族になります」という民族変更は各々の都市で頻繁に行われ、社会はそれを許容してきたのである。さらに、他の民族に属するサブグループとも特別な同盟関係を結ぶことがある。そうすると、もし自分の属する民族とその相手の民族とが敵対関係に陥ったとしても、サブグループとのあいだの友好関係は変わることなく維持された。そもそもある民族の成員全員と、他の民族の成員全員とがまるごと憎悪の関係をもつという発想が、すでに固定的で単一の近代国民国家のアイデンティティに毒されているのである。
 アフリカの柔軟で多元的なアイデンティティを評して、「浮遊するアイデンティティ」と呼んだ人類学者がいたが、単一のアイデンティティを強要する国家や民族という集団同士の殺戮や対立を忌避するためには、浮遊する柔軟なアイデンティティが必要となるだろう。アフリカ社会はこうした可能性を秘めているのである。

                    P556〜557

[] 「トラ・トラ・トラ!」(1970) リチャード・フライシャー/舛田利雄/深作欣二:監督   「トラ・トラ・トラ!」(1970) リチャード・フライシャー/舛田利雄/深作欣二:監督を含むブックマーク

 いったいどうして、アメリカはパールハーバー奇襲攻撃を防げなかったのか、ということを日米双方の視点から徹底的に映像化した前半は、資料の総括、映像化という面では客観的、総括的にきっちりと描かれているのだろうけれど、よほど当時の情勢に対する予備知識がないと、この演出の妙はわからないように思う。駐米日本大使からの「交渉打ち切り」の通知、つまり宣戦布告が遅れてしまった経過なども公平に描いていけれど、これなどもその後アメリカに「パール・ハーバーはだまし討ちだ」という風潮が広まっていたことを合わせて知っていてみていかないと、ただ冗長に思えてしまったりもするだろう。
 しかしながら、唐突とも思えるほどにいきなり始まってしまう日本海軍による航空爆撃の映像にはちょっとばかし圧倒させられてしまう。これはすべてCGなどではないと考えると、とてつもない演出ではないかと思ってしまう。海に浮かぶ艦隊の映像などは模型などを使った特撮ということだろうけれど、航空基地に対する攻撃の映像にはどぎもを抜かれる思いだった。
 終戦後四半世紀を過ぎた時点で、自国の基地が叩きのめされた記録を映画にするという行為には、もちろんプロパガンダ的意味あいも強い。軍隊内部的には「このような失敗をくり返してはならない」といういましめの意味もあるだろう。アメリカは当時、ヴェトナムにあまりに深く介入していた時期である。





 

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■ 2010-11-03(Wed)

f:id:crosstalk:20101104202829j:image:right きょうもお出かけする。行き先はちょっと遠方で、葉山の神奈川近代美術館で開催中の「古賀春江展」を観に行く。じつはこの日は美術館の無料開放日で、まえからこの日に行こうと決めていた。ついでに湘南の海もみてくるつもりで、そういう意味では絶好のお出かけ日和、快晴の空であった。あさかなり早く家を出たので、十一時頃には葉山に到着(ニェネントにはまたししゃもを焼いておるすばんをたのんできた)。
f:id:crosstalk:20101104203010j:image:left 葉山の近代美術館には、いぜんAさんとシュワンクマイエル展を観に来ていらいになる。このわたしの住まいから葉山へ行くには電車でローカル線の終点まで乗り、湘南新宿ラインのはるかかなた、終点の逗子まで行って、そこからバスに乗る。ほとんど湘南新宿ラインの端から端まで乗りつくす。距離的にはちょっとした旅なのだけれども、乗り換えがいちどだけということであまり旅行気分にはならない。それでも逗子の駅からの短い行程のバス区間のあいだ、海岸沿いの街並、そして湘南の海なんかの車窓風景は楽しめる。葉山のヨットハーバーの周辺にはおしゃれそうなカフェなども並んでいるけれど、逗子から葉山のあいだにみえるこのあたりのバー、居酒屋、ひなびたふうを装った喫茶店など、どこもこじんまりとした木造の建物で、外装は板張りにペンキかニスを塗っている。わたしにはちょっとふらりと立ち寄ってみたくなる種類の店だ。バスはとちゅうで「日陰茶屋」の前も通る。この、おおむかし大杉栄が刺されたということで有名なスポットには行ってみたく思っていて、ずいぶんまえにたしか鎌倉から歩いてこの店まできて、昼の定食弁当か何かを食べた記憶がある。なんだ、ふつうの食堂ではないか、などというふらちな感想を持ったわけだけれども、もちろんそんな貧乏臭いご来店はまるっきり間違いで、ちゃんと座敷の方に上がって、せめて松御膳とかいうようなものとアルコール類とをいただかなくっては、ここで刺された大杉栄の視界さえも共有することは出来はしないわけである。「日陰茶屋」というと、そんなつまらないことを思い出してしまう。

f:id:crosstalk:20101104202910j:image:right 展覧会の感想はあとで書くとして、美術館を出たあとにその前の通路を海の方へ降りて行くと、しぜんに海岸に出ることになっている。海岸の陽射しは強く、釣りをしている人(砂浜で釣りをする人というのははじめてみた)、ウエットスーツを着込んでサーフィンをやっている人、そしてあれこれの高級そうで可愛い犬を散歩させている人たちの姿が眼にはいる。海岸のへりのブロックぎわに置いてある丸太にすわって、持ってきたお弁当を食べる。もともと外食するつもりはなかったけれど、とくにこの美術館周辺には美術館のレストラン以外にレストランや食堂は皆無で、それこそバスに乗って日陰茶屋まで行かなくってはならないから、弁当持参というのは小学生の遠足のお弁当のようにぜったい忘れてはいけないことである。
 潮風にさらされて食べる弁当というのは、けっしておいしいものではない。たとえ風が吹いていなくても同じである。弁当がおいしいのはやはり山である。空にはトンビが飛んでいて、最近はこちらにスキがあるととたんに弁当を取られてしまったりもするらしいが、わたしの弁当はたぶんトンビでも盗んでやろうという気にはならないだろう。食べているとわたしのすわっている丸太の一方のはじにカップルがきて、やはり弁当をひろげて食べはじめた。
f:id:crosstalk:20101104203155j:image:left 腰をあげてしばらく海岸を歩き、もとの道に引き返すとその通路際に「葉山しおさい博物館」というのががあり、これもこの日は入場無料だったので寄ってみた。かつて皇族所有地だった庭園を一般に解放し、そのなかに葉山あたりの海の生物を展示紹介する博物館をつくったらしく、これは前の代の天皇の趣味に合わせたのだろう。わたしも海の生物は好きなのでけっこう時間をかけて観てしまった。わたしが小さいころ北九州の海岸で拾ったりした貝殻などと同じものがあれこれ展示されていて、たいていはいまでもその名前をおぼえていた。地下の水槽で泳ぐコンゴウフグが気に入った。

 二時ごろになって帰りのバスに乗り、逗子駅で始発になる湘南新宿ラインに乗る。逗子駅を出るときにはそれほど乗客は多くなかったけど、次の駅が鎌倉でどっと乗客が乗ってきた。ことしは正月に鎌倉に来たのだったということを思い出し、まあことしもそろそろ残り少なくなったけど、年のはじめとその終わり近くの二回、海を見にきたわけになる。どちらも神奈川県立近代美術館がらみだったわけだ。来年もまた年あけに鎌倉に来てもいいと思う。
 電車のなかでは睡眠につとめたけれど、乗り換えのターミナル駅に着いたときにはまだ外はあかるかった。途中下車して、ちょうどきれていたジャムなどを買い込んで帰宅する。すごい安いアメリカ製のプレッツェル菓子を買ったけれど、帰宅して食べてみてこれがおそろしくまずい代物で、そのまずさでもって、何年もまえにおなじものを同じチェーン店で買ってもてあましてしまったのを思い出した。

[] 「新しい神話がはじまる。 古賀春江の全貌」@神奈川県立近代美術館 葉山   「新しい神話がはじまる。 古賀春江の全貌」@神奈川県立近代美術館 葉山を含むブックマーク

f:id:crosstalk:20101104203226j:image:right 古賀春江は好きな画家である。代表作の「海」などは日本のシュルレアリスム絵画の嚆矢などといわれたりするけれど、その画風は彼の長くはない生涯のなかで(表面的には)めまぐるしく変化している。この展覧会のタイトルに「全貌」とうたわれているように、それら彼の変ぼうを通して鑑賞する機会は多くはない。というか、おそらくははじめてのことではないだろうか。わたしも彼の作品で観た記憶のあるものといっても十点ほどあるかないかという程度で、その程度の履歴では好きもきらいもあったものではないだろうということになる。それでも、わたしの知っている範囲での彼の作品の、モダニズムのかげにほのかにすかしてみえるリリシズムの光に、惹かれる思いはあったのである。

 今回の回顧展では彼の文学への傾倒にもスポットをあて、彼の詩作品やノートなども展示に組込まれている。このあたり、彼とまさに同時代の人であった竹久夢二との親和性(竹久は古賀よりも十一歳年長だけど、没したのは古賀の方が一年早い)を感じてしまうところもあるけれど、まるで面識はなかったらしいし、展示を観てしまうとやはりこのふたりはまるでちがう人間である。竹久夢二というのは情が深すぎておかしな具合になってしまった人物という印象がわたしにはあるのだけれども、この古賀春江という人、これはきっと非情なまでに薄情な人物だったろうと思う。わたし自身がそういう薄情さを多分に持っているので、彼の薄情さはよくわかる。そして、なんとはなしに、彼の画風の変化についてもその理由がわかる気がしてしまった。

 彼が正面から「人間」を主題にした作品群は、まるでよくない。人物に限らず、彼はただ描く対象物そのものに対しての「概念」で描いているにすぎないから、作品としての重み、強度を持ち得ないことになる。そのような人物を描いた彼のたいていの作品に、その存在意義を読み取ることもむつかしい気がする。
 そして、彼がそのような致命的な(?)自分の欠点を克服するのは、それらの「概念」を「概念」のままにコラージュすることによってでしかありえなかったことになる。クレーの影響から描かれた水彩画や、その延長上にあるリリカルな童画のようなタブローに魅力があるとするならば(わたしは魅力があると思うけれども)、夢の世界のようにランダムに配置されたイメージの断片が、まさに概念の姿のままにコラージュされたことが、その画面のなかでだけ特別の生命を得ることができたからではないのかと思っている。そして、そのことは、彼の晩年の「シュルレアリスム作品」と目される一連の作品でもほぼ同じことがいえるではないかと思う。表面的には画風の大きな変ぼうと捉えられても、その方法論は変わっているわけではない。

 では、なんでそのような大きな描画方法の変化が彼のなかに生まれたかというと、クレーの作品のようなある意味平面的な形式が、彼の描画の「クセ」といえるようなデッサン技術とマッチしていないことを、彼はわかっていたのではないかと思う。それが海外からダリやエルンストのようなシュルレアリスム絵画が紹介されたのを見たとき、おそらくは「これだ」と直感したのではないか。
 では、彼の描画の「クセ」とはどういうのかというと、それは見たものを平面化して描けなかったこと、どうしても立体的に描いてしまうことだと、彼の作品群を観てわたしは思ってしまう。彼自身は自分の作品からクレーのようなポエジーを感じさせたく思っていて、クレーの作品から多くを学ぼうとするわけだけれども、じつはクレーのような二次元化された素描が描けなかったわけになる。建物らしいものを描いてもどうしても遠近法を使ってしまうし、人物を描いても立体的に肉づけしてしまう。これはつまりはここでも彼は事象を「概念」で描いているからではないだろうか。これが、彼のクレー風の水彩画から感じ取ってしまう違和感になる。厚塗りのタブローではこれらの<欠点>はある程度緩和されることになるけれど、その緩衝は絵の具のマティエールから産み出されてしまう種類のもので、描かれたデッサンからみれば<欠点>が解決されたわけではない。わたしはこのことは古賀春江自身自覚していたと思う。そこでこれらのことが一気に解決されたのは、「概念」を徹底させて「写真」のようなイメージとして描写し、それをいつものようにコラージュさせるという方法論をとることによってである。図らずもそれはシュルレアリスム絵画のひとつの方法論と合致していたというわけで、彼はそのキャリアの終わり近くになって、彼にとって理想的な方法論と出会ったことになる。これら、数点の「シュルレアリスム絵画」と目される作品を彼が遺していなければ、おそらく古賀春江という人物が日本の美術史に今ほどの名を残すことはなかっただろうと思う。そのくらいこの時期の作品はすばらしい。
 この時期に彼はエルンストに傾倒していたようで、彼の作品の模倣のような作品を残しているし、統合失調症患者の描いた絵の模倣もやったりしている。ようやく、「概念」から離れた素描が産み出せるだろうか、という萌芽を感じさせないでもないけれども、その結果を提示するだけの時間が古賀春江には残されていなかった。
 展示を観る前はこの展覧会の図録を買ってもいいなと思っていたのだけれども、観終ってみるとつまりはナゾが解けてしまったようで、それほど興味がなくなってしまった。わたしも薄情である。





 

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■ 2010-11-02(Tue)

 ニェネントが、いままでやらなかった暴れぶりを発揮しはじめる。ジュロームのやっていたことをまねしているのか、カーテンに飛びついてカーテンレールに上ったり、キッチンの流し台に飛び乗って上のものを落としたり、さらにそこから冷蔵庫の上に行ってしまったりする。まいったなあと思う。冷蔵庫の上の電子レンジがあいていて、そのなかにもぐりこんでしまったりする。「アメリカでそのなかでチンされて焼きネコにされた伝説の事件があるのだぞ」とおどしても、ニェネントには通じないのだ。いちばんあきれて困ってしまったのが、人間用のトイレのなかに入って乱暴狼藉をはたらくことで、つまりウチのトイレのドアの鍵はゆるくなってしまっていて、閉めたつもりでいてもふわっと開いてしまっていたりするのだけれども、そういうときになかに入りこんで荒らしまわる。いちばんひどいのが上の階から下りている配管の外装への攻撃で、なぜかこの配管、外側がボール紙のようなもので囲ってあり、その外側に白い布が包帯のようにグルグル巻き付けてあるちょっといいかげんな外装なんだけれども、ニェネントは窓の張り出しの部分に上ってその配管に爪をかけ、外装の布をボロボロにしてしまう。だらりとほどけてしまった布が配管の床のあたりにのたくっている。細かく破かれた布の破片がちらかっている。うんざりしてしまう。

 これはニェネントのせいではないのだけれども、ケータイにつけていたストラップのひもが磨耗して切れ、取れてしまった。ストラップのついていないケータイからは「わたしはケータイなのだ」という自己主張が消えてしまって、ただの四角くて黒い超小型のモノリスみたいになってしまった。そのあたりに放っておくとどこにあるのかわからなくなってしまうし、見た目も安っぽい。ストラップにはストラップの強力な効果があるのだと理解した。まえのストラップには文楽人形の作者のつくった手作りのキツネの面がついていて、これは自分でもお気に入りだったのだけれども、そのキツネも磨耗してしまっていて、たとえばひもを付け替えて使いまわしをするということももう考えられない。あたらしいストラップを買おうかと思う。

[] 「長い灰色の線」(1954) ジョン・フォード:監督   「長い灰色の線」(1954) ジョン・フォード:監督を含むブックマーク

 美しい絵画的な構図の連続と、飽きさせない的確な演出と、けなしようのない作品ではあるけれども、陸軍士官学校の教官の半生記という物語はあまりに保守的ではあるし、その演出自体も保守の権化のようにも見えてしまう。こういうあるファミリーの年代記というのを、ジョン・フォードは「わが谷は緑なりき」でもやっていたんじゃないのか、「わが谷は緑なりき」に似たようなつくりだなあと思ったりするけれど、その「わが谷は緑なりき」をしっかりとおぼえているわけでもない。ちょっと挙動不審のモーリン・オハラが面白かった。

[] 「十二夜」(1996) トレヴァー・ナン:監督   「十二夜」(1996) トレヴァー・ナン:監督を含むブックマーク

 シェイクスピアを何から何まで読んでいるわけではないけれど(特に史劇はまったく読んでいない)、読んだなかではこの「十二夜」がいちばんたのしんで、面白く読んだ記憶がある。この近年の映画化作品、舞台では不可能な外のオープンスペースを多用して、映画としての独自性を出そうとしているのはわかるし、まあシェイクスピアの映画化の王道ではあるだろうと思う。おおかたの演出と役者の軽い演技はこの作品の「軽さ」に似合っていい感じだと思うけれど、ベン・キングズレーの道化役は「そりゃないだろう」と思ってしまう。これが妙に重たいものだから非常にバランスが悪い。おかげで(かどうか)執事をめぐる騒動に軽さがあらわせていない印象。男装したヴァイオラを演じたイモジェン・スタッブスという女優の演技がこの作品を救っている印象もあるけれど、さいごに男装をやめて女性にもどる彼女の姿を、もう少し観客に見せてくれてもいいだろうにと思った。






 

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■ 2010-11-01(Mon)

 ニェネントをかわいがろう。夏に、生まれて一ヶ月のニェネントとジュロームが部屋に残されたとき、母ネコのミイがジュロームを外へ連れていってしまったのは、つまりはわたしにたいして、「あなたは二匹の子ネコを飼うのはムリです」といいたいのをわからせるために実力行使に出たということだと。それで、まあネコのことを見かけや種類で差別しちゃあいかんけれど、ラグドールの血をひく、いちばんかわいい子ネコを残していってくれたのだと。だからニェネントは、ミイからわたしへのかけがえのないプレゼントなのだ。自分勝手な解釈である。ジュロームもかわいかったのだけれども。

 きょうはまた東京に映画を観に行く。さいきん東京で映画を観てばかりで経済的にはよろしくないのだけれども、この状態はしばらく続きそう。きょうは月の朔日で「映画の日」なわけで、渋谷に「ヘヴンズ ストーリー」を観に行く。この作品はほんとうは夏にプレミア上映を観に行くつもりでいて、そのときチケットも買ってあったのだけれども、この夏の暑さとかあれこれあって、けっきょく行かなかった。それをようやく観に行くわけで、チケット代も倍かかっているわけになる。四時間半の映画ということで、昼の十二時半から開映しても終映時刻は午後五時をすぎてしまう。こんかいはお弁当のかわりにサンドイッチをつくって持って行くことにした。映画を観る前にどこかで食べる予定。

 しばらくはジュロームがいたりしたので、ニェネントをひとりおいて出かけるのもひさびさのことになる。寂しがったりしないかとか気になって、出かけるときにししゃもを焼いてニェネントにあげた。
 少し早く家を出たのだけれども、ダイヤが乱れていて渋谷に着くのは遅くなった。早めに家を出てよかった。映画館へ行ってチケットを買い、109の二階の「チケットぴあ」の前のスペースでサンドイッチを食べた。わたしのとなりにすわっていた男性も、わたしとまるで同じような手作りのサンドイッチを取り出して食べていた。手作り弁当を拡げて食べるのはなんともこっぱずかしい思いがしたりするけれども、同じ手作りでもサンドイッチはまるで平気だな。

 映画館へ行き、整理番号順に入場する。作品はかなりの長篇だけれども座席はけっこう埋まっている。若い女性客が多いのでちょっと意外な感じがするけれど、このところ川島雄三監督の特集上映だとかフィルムセンターだとか、シニアな客であふれるようなところばかり通っていたせいもあるだろう。ロードショー公開作品を観るのは久しぶりなのだ。しかしそれでも、(ピンク映画出身の)瀬々敬久監督作品なのに、という感じではある。
 予告の前にテロップで、来年の初夏にグラウベル・ローシャ監督の特集上映が開催されるという告知が出る。おどろく。五本ぐらい上映されるみたいで、これはぜんぶ観たいものだと考える。まだまだ生きていないといけない。

[] 「ヘヴンズ ストーリー」瀬々敬久:監督   「ヘヴンズ ストーリー」瀬々敬久:監督を含むブックマーク

 だいたい30分ぐらいずつ区切られて全9章になっている。四時間半の上演時間といっても章の切り替わりがリフレッシュの機会になるので、それほどの疲れは感じないで通して観ることができた気がする。しかし、その章にそれぞれついているタイトルが「桜と雪だるま」だとか、「復讐の復讐は何?」とか、ものすごく即物的というか、どうにかならないのかと思ったりする。瀬々敬久監督の作品といえば、かつて井土紀州の脚本と組んだ「雷魚」だとか「汚れた女」などの傑作、秀作が思い出される。「トーキョー×エロチカ」もよかったけれど、つまりそれら、現実に起きた事件を題材にとっての、ある種暴力的な映像で時代の閉息状況を切り拓くような魅力を持った作品群が思い出されるわけになる。その反面、いくつかのメジャー資本と組んだ作品での、既成映画の模倣っぽい、インパクトの薄れた演出にがっかりもしてきたものである。昨年の「頭脳警察」の長大なドキュメンタリーを観る機会は逸してしまったけれど、こんかいの「ヘヴンズ ストーリー」はまた現実の事件から題材をとった作品ということで、楽しみにしていたもの。脚本は近年瀬々監督が組んでいる佐藤有記。
 まあ瀬々敬久監督作品の魅力のひとつに、黒沢清監督のそれと並んで、ロケハンのすばらしさということがあるのだけれども、この作品でも廃坑の社宅だとかいう山間の団地のようなコンクリート建築物の廃墟などがとても効果的に使われて、印象に残ることになる。
 しかし、作品全体で団地のような集合住宅が舞台になるケースが多く、この集合住宅の廃墟と合わせて何らかの視点を提示するものかというとそういうものでもなく、そのあたりと合わせてあれこれと疑問を抱いてしまう作品だった。
 けっきょく、「雷魚」や「汚れた女」、もしくはそれ以前のピンク時代の瀬々監督作品の魅力とはもちろん、「性」というファクターから時代の状況を読み解いて行くパワーであって、その「性」を描くことで時代と風俗との接点、その歪みをあらわにする手腕にあったのではないかと思っているのだけれども、それがこの「ヘヴンズ ストーリー」では、あきらかにムリをしてまで性的な事象を描かないようにしているわけで、そのことがこの作品をまるで腰砕けな、表面的なストーリーを追うだけのドラマにしてしまっている印象になる。
 たとえばこの作品のモデルになる事件とは、おそらくは誰でも知っている未成年者による母子殺害事件なわけだけれども、そのモデルの事件での重要なファクターである強姦、つまりは性欲処理というファクターをあえて避けてドラマを展開させる。その後の展開もすべて、性的なファクターを避けての人と人との結びつきを描いているわけで、まあセックスを描けばいいというものではないのは確かだけれども、人と人とはセックス抜きでつながり合えるものなのだということを描きたかった作品とも思えない。とにかくこれまでの瀬々監督の作品から受けとめられた「生々しさ」とでもいうものが、まったく漂白されて消えてしまった印象になる。瀬々監督としては彼なりの黒澤明をやろうとしたのかもしれないけれども、いままでの瀬々監督作品のファンとしては、圧倒的に不満の残る作品だった。






 

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