ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2011-03-31(Thu)

 おそらく、日本という国は変わってしまうだろうと思う。それはまず個々の生活が3.11以前と以降ではとうぜん、あたりまえのように変わってしまうことからも来るわけだ。都知事の花見けん制発言からも読み取れるのだけれども、これが二十一世紀型の全体主義国家(都知事の発言は笑っちゃうぐらい旧的な、翼賛体制的なものではあるけれども)への道をひらくものだという危険性については、警戒しなくてはいけないと思う。報道全体をみても、いわゆるマッチポンプというのか、初期報道でまずは火をあおっておいて、あとになって知らん顔をして人々の行動を非難するパターンもでき上がりつつある。もちろん、統制を強化するためではあるだろう。さらに、統制されたコマーシャルで「いま、わたしたちに出来ること」などと誘導され、ほんとうはもっとダイレクトな被災地への支援への道がみえなくなっている。もし、ほんとうに何かやりたいのならば、生きているインターネット回路が目の前にある。じぶんのやりたいこと、できることをキーワードとして、検索してみるといい。報道されてなどいないニーズにあふれていることがわかると思う。ほんとうの危機は、震災でも放射線でもないかたちでやってくるようだ。だからわたしは、いまマイノリティとして生きる方策をさぐりたい。それはおそらく、もっともっと「絶望」と「虚無」をみつめることだと思う。もう、「アカルイミライ」などないと思えと。
 しかし、「絶望」と「虚無」とは、楽しいのだ。強くあるひつようなど強制されたくない。弱く弱く、それでもひとりで生きてしまうこと。

f:id:crosstalk:20110331191133j:image:left ニェネントは、じぶんが強いとか弱いとか、「絶望」や「虚無」とも無関係に生きている。どうやら発情期もおさまったようで、「わたしはもうおとなよ!」という成長ぶりも感じさせられる。わたしの目には美人(シャン)なネコちゃんになってくれたようにみえて、かわいくてしょうがない。でも、ニェネントの美猫ぶりにまどわされるネコ類はこのあたりにいなくなってしまった。せっかく「町いちばんの美猫」なのに、かわいそうでしかたがない(というか、そういうネコが近くにいたとしても、わたしがシャットアウトする)。アルコールやドラッグなどで身を持ち崩さなければいいのだけれども。

 どうやらネコではないわたしは、「絶望」や「虚無」をみつめ、アルコールでみずからの崩壊を加速させる同類にシンパシーを感じながら、ルイ・マルの「鬼火」のヴィデオを観た。

 

 

[] 「鬼火」(1963) ルイ・マル:監督  「鬼火」(1963) ルイ・マル:監督を含むブックマーク

 もっと古い時代の作品だと思っていたら、1963年のものだったのが意外。撮影がギスラン・クロケなのだった。音楽は、「サティのピアノ音楽集」アルバムをそのままかけたみたいなもの。
 パリのダダイズムの渦の中で異才を放って自殺したジャック・リゴーをモデルにしてドリュ・ラ・ロシェルの書いた小説を映画化したもので、ジャック・リゴーのまさに精神的外傷の第一次世界大戦体験をアルジェリア紛争に移植して、時代を映画製作時に移したもの。アルジェリア紛争は60年代のフランスの、まさに精神的外傷であっただろうし、そのあたりの移植は時代的にインパクトあるものになっていると思う。しっかしネガティヴなにんげんというか、成長して「生き延びる」ということへのアンチテーゼとして、この主人公のアランという人物は永遠の造型ではあると思う。いつの時代でも、じぶんのすぎさった過去から匕首をつきつけてくるようなみずからのすがたが、ふと強迫観念のようにじぶんの目のまえにあらわれるというような、幻覚のような恐怖体験をひとは想像したり、ある人物のなかにそういう幻影を認めたりするものだろうと思う。それがこの映画のアランのような存在で、「あなたがたはわたしを愛さなかった。わたしもあなたがたを愛さなかった。わたしは死んであなたの瑕となろう」などといわれたらたまったものではない(のちのエルヴェ・ギベールにはちょっとこういうところがある?)。この作品はそんなアランを主人公とした、彼の視点からのドラマであることから、客観性を保っているというか、周囲に対しての彼の存在の恐ろしさというのがちょっと別の問題になっているようでもある。もんだいは、彼が何をどう見たかではなく、彼のまわりの連中が彼に何を読み取ったか、ということだろう。それはこの描き方でよかったようにも思うし、悪かったようにも思う。ヌーヴェルヴァーグ渦中の作品と考えるなら、この描き方はもっともなものだろう。
 主人公のアランが、銀行で小切手を現金化するときの映像、銀行員の不審げな視線を執拗に捉える撮影が、印象に残った。




 

[]二○一一年三月のおさらい 二○一一年三月のおさらいを含むブックマーク

舞台;
●3/21(月)月蝕歌劇団「怪盗ルパン 竹久夢二の双曲線」高取英:作・演出 J・A・シィザー:音楽 @阿佐ヶ谷・ザムザ阿佐谷
●3/26(土)野田地図(NODA・MAP) 第16回公演「南へ」野田秀樹:作・演出 @池袋・東京芸術劇場 中ホール

読書:
●「岩波 世界の美術 ダダとシュルレアリスム」マシュー・ゲール:著 巖谷國士・塚原史:訳
●「ふくろうの叫び」パトリシア・ハイスミス:著 宮脇裕子:訳
●「殺人者の烙印」パトリシア・ハイスミス:著 深町眞理子:訳
●「ガラスの独房」パトリシア・ハイスミス:著 瓜生知寿子:訳
●「現代思想の50人 構造主義からポストモダンまで」ジョン・レヒテ:著 山口泰司+大崎博:訳

DVD/ヴィデオ:
●「蟹工船」(1953) 山村聰:監督
●「赤い帽子の女」(1982) 神代辰巳:監督
●「蟹工船」(2009) SABU:監督
●「有頂天時代」(1936) ジョージ・スティーヴンス:監督
●「喝采」(1954) ジョージ・シートン:監督
●「愛の泉」(1954) ジーン・ネグレスコ:監督
●「わたしのお医者さま」(1955) ラルフ・トーマス:監督
●「戦場にかける橋」(1957) デヴィッド・リーン:監督
●「突撃隊」(1962) ドン・シーゲル:監督
●「鬼火」(1963) ルイ・マル:監督
●「グラン・プリ」(1966) ジョン・フランケンハイマー:監督
●「ウエスタン」(1968) セルジオ・レオーネ:監督
●「毛皮のヴィーナス」(1969) マッシモ・ダラマーノ:監督
●「アメリカン・グラフィティ」(1973) ジョージ・ルーカス:監督
●「真・地獄の黙示録」(1993) ニコラス・ローグ:監督
●「パラノーマル・アクティビティ」(2007) オーレン・ペリ:監督
●「戦場でワルツを」(2008) アリ・フォルマン:監督
●「脳内ニューヨーク」(2008) チャーリー・カウフマン:監督
●「息もできない」(2008) ヤン・イクチュン:監督
●「渇き」(2009) パク・チャヌク:監督

 


 

 

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■ 2011-03-30(Wed)

 めずらしくこの日記にコメントをいただいたりして、そこで問い合わせされた書籍、いまもちょっとずつ読んでいる「1995年1月・神戸」の本を調べたりしたら、出版元のみすず書房でも品切れで、Amazon 上ではこの中古品にべらぼうな価格がつけられていたりするのを発見した。これもまた「買い占め」的な現象なのではないかと思ったりもするし、「いまこの手元の本をうまく売却すればプチ震災成金だな」などとふらちなことも思ったりする。もちろん成金などと呼べるようなもの(金額)ではないが、ちょっとおかしな現象ではある。
 みすず書房のホームページをみると、やはり問い合わせが集中したのだろう、この「1995年1月・神戸」から再編集される「災害がほんとうに起こったとき」という標題の書籍(中井久夫氏によるこんかいの震災に寄せられたエッセイも収録)が、この4月20日に急きょ刊行されるらしい。さらに、この続編的性格を持っていた「昨日のごとく−災厄の年の記録」(1996年刊)もまた、5月に再編集されて刊行されるらしい。わたしはこれもむかし読んだ記憶はあるけれども。
 おそらくはげんざい、被災地で救援活動にたずさわっていらっしゃる精神科医療の方々にこそ、この「1995年1月・神戸」の本は読まれるべきだろうし、わたしなどのような医療とは無関係の一読者にとっても、示唆にあふれた書物ではある。とくに冒頭に中井久夫氏の書かれた、再刊される書物の標題にもなるらしい「災害がほんとうに襲った時」というドキュメントから学ぶものは多い。そのみすず書房のホームページをみると、この文章単独に関しては、「ノンフィクションライターの最相葉月氏から編著者の中井久夫先生へのいち早いご提案により」、インターネット上でテキストデータが無償公開されているということ。まあ医療に関係のないものが閲覧しても現場の医療関係者の閲覧のじゃまになるようなものでもないだろうから、よろしければご一読を。

 http://homepage2.nifty.com/jyuseiran/shin/

 なお、わたしがこの日記に引いた「災害という名のプリズム」の部分などは、原文末尾に収録されていた「私の日程表」のなかに書かれていたもので、このインターネット上にアップされたテキストデータには含まれていない。

 まえにも書いたように、阪神大震災とこんかいの東北関東大震災ではその地理的な条件、災害の様相からもまるで異なる対策、対応がひつようだろうとわたしなども想像するわけで、救援にたずさわる方々、医療関係の方々の困難さは、たんじゅんに阪神大震災と比較できるものではないと思う。ひとつ、これは偶然のことがらといっていいだろうけれど、阪神大震災時に避難生活を余儀なくされた方々と、こんかいの震災で避難生活をおくられる方々との数は、(わたしがニュースなどで伝え聞いた範囲では)約30万人と、近しい結果になっているようだ。そういう点では阪神大震災のときの救援活動が、なにかの参考になる部分もあるのではないかと思う。
 いまのわたしには何もできないけれど、何かが伝えられるようなことがあればいいと思う。

 パソコンに向かっていたら、あたまの上から一本の筆が落ちてきた。うえを見上げると、ニェネントがカーテンレールの上にのぼっていて、棚の上の筆立てにちょっかい出していたのだった。ニェネントをみて「こらぁ!」と怒ると、わたしの方を見ながら、ずるずると後ずさりして行く。どうやら怒られるようなことをしてしまったという自覚はあるようで、「しまった!」というような、「どこかへ逃げたい」というような様子で、こそこそと動いている。ニェネントはカーテンレールの上からはとっさには飛び下りることができないので追いつめて、「バカもんが!」とつまみ下ろす。「ひゃぁあん」みたいななさけない声をあげて、リヴィングの方へ逃げていった。バカネコが。

 バカといえば、きのうのニュースで、例の現・東京都知事が、ことしの花見への動きをけん制するような発言をしているのをきいた。あとでネット上のニュースを読むと、「戦時中の日本人の連帯感が美しかった」みたいなこともいっていたらしい。「欲しがりません勝つまでは」ですか。彼が嫌うのは、組織されたものではない、自主的、自発的な盛り上がりとしての花見、とかではあるのだろう。統制したいのだ。しかし、いまサーフィンなどに興ずるひとたちに「非国民!」という「ば声」があびせられるようなこともあるらしい。TVやラジオの、統制されたようなコマーシャルの効果も大きい。「こころをひとつに」などというのは幻想であり、だからこそ、その幻想を利用しようとするやからはいつもいる。のせられてしまうひともいる。寄付や義援金への寄託を拒否し、マイノリティとして生きる決意もまた、このときだからこそひつようなひともいる。この震災以後の世界で思うのは、「ひとりで生きていける世界」を、回復しなければならないということ。こうなったら、まずは「お花見」をやろうかな。って、ひとりで???

 「ロマン的魂と夢」を、すこしずつ読み進める。第二章の、前ドイツ・ロマン派ともいえる作家カール=フィーリプ・モーリッツというひとは、いまでいえば「ひきこもり」とか「おたく」というような精神に近しいひとだったんではないか、などと思いながら読んでいる。「無限への憧憬と隠遁生活に対する願望」が「形而上学的不安」へといたる。
 図書館から借りてきたCDを聴き、安い日本酒を飲みながら、わたしもまた「無限の宇宙」への憧憬に身をひたす。

 

 

[] シェーンベルク「ペレアスとメリザンド/浄夜」ジュゼッペ・シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団  シェーンベルク「ペレアスとメリザンド/浄夜」ジュゼッペ・シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団を含むブックマーク

 1991年と1992年の録音。タクトを振りながらコンサートホールの指揮者席で死を迎えたシノーポリの伝説は強烈だけれども、シノーポリの指揮というのはちゃんと聴いたことなかった。このシェーンベルクは、とてもいい。「浄夜」などはいくつもの演奏を聴いているけれど、これがいちばんじゃないかと思ったりする。低音部の楽器のねいろと高音部のそれとの対比があざやかで、低音部のちょっとギスっとしたうなるような感覚、それと、なだらかだけれども、ときにヒステリック寸前にまで盛り上がる高音部。前のめりしていくような、しかもじらすような進行。もともとちょっとばかしヒステリックなぶぶんも内包した楽曲だけに、ああ、わたしの求める「浄夜」を聴いた、という感覚になる。ある意味で劇的で、ロマンティシズムの発露が行くところまで行ってしまって解体寸前みたいな、この曲の魅力はここにあるのだよ、というような録音だと思う。
 解説では、シノーポリというひとは精神医学を修めた経歴があるらしい。わたしの持っていたフィルハーモニア管弦楽団の音、というイメージとは違う音だった。もう少しこのひとの指揮したものは聴いてみようと思った。




 

 

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■ 2011-03-29(Tue)

 夢をみた。よなかに二度ほど目がさめたのだけど、そのときに「夢をみていたな」と思ってまた寝て、それでもまた、それまでみていた夢の続きをみたのだった。あまりヴィジュアルな記憶はないのだけれども、おそらくは福島原発の状態が反映しているような夢で、わたしは山手線の鴬谷あたりの地下で何かの作業をしなくてはならないらしく、わたし以外にも何人も地下へ送りこまれている。ところが、誰もがその現場に到着すると「無為」の状態におちいってしまう。アホみたいになって、ぼうっとして何もしなくなってしまう。わたしもそういう状態になってしまったようだ。それ以上の内容は覚えていないけれど、なかなかうんちくのある夢だったような。

 しごとを終えて昼まえに、再開した図書館へ行く。とちゅうにあるJRの保線区にも工事のひとがいて、どうやら復旧工事に本腰を入れはじめたみたいだ。ここのローカル線は通学用ラインという側面がつよいので、おそらくは新学期に開通を間に合わせるつもりなんだろう。図書館内に地震の被害のあとはなく、いちぶ節電で照明を落としていたくらい。借りていた本を返し、やはり何か借りておきたくなって、岩波文庫のベンヤミンのもの、美術の本、それからCDを三枚ほど借りて帰る。
 借りてきたCDを聴くまえに、机の上に前日に聴こうと思って出しておいたCDがあったのを先に聴こうという気になる。置いてあったのはFairport Convention の「The Bonny Bunch of Roses」と、「Angel Delight」だったのだけど、やはりここの気分は「Angel Delight」だろうと、プレーヤーにのせる。これがかなりハマって、つまりは癒された。

 気分が明るくなったので、ヴィデオも一本観てしまった。

 

 

[] Fairport Convention「Angel Delight」(1971)  Fairport Convention「Angel Delight」(1971)を含むブックマーク

f:id:crosstalk:20110329184703j:image:right とうとうRichard Thompson が脱退してしまい、それまでのソリッドでディープな方向へのアプローチが困難になったであろう、彼らの六枚目のアルバム。ここですべての曲のリード・ヴォーカルをDave Swarbrick が担当し、作曲面、トラディショナル楽曲の編曲面でも、Dave Swarbrick のリーダーシップが如実に感じられるようになる。で、彼の持ち味は基本的にソフトで柔らいもので、このアルバムではSimon Nicol との共作「Wizard of the Worldly Game」、そしてトラディショナルソングの「Banks of the Sweet Primroses」が、とりわけ素晴らしい。Simon Nicol のギターと、そしてDave Swarbrick のフィドルとが、それまでのFairport にはなかった情緒をかもしだしてもいるわけで、とりわけ、「Wizard of the Worldly Game」の歌詞には泣かされてしまうので、書き写しておくことにする。ちょっと現実にフィットしすぎるか。

For seven years I've stood right here
And the flowers grow green by day
All for the yarns that I was told
I spread my arms when they grew cold
And warded off the rain

The bigger the tree, the deeper the root
The grass that is trodden underfoot
Give it time
And it'll surely rise again

I'm rocked by winds and I'm soaked by rains
And I'll bow and sometimes bend
Until I fall and crush the forms
Of a few small friends who stood through storms
And who will rise again

The bigger the tree, the deeper the root
The grass that is trodden underfoot
Give it time
And it'll surely rise again

 このアルバムのジャケット写真がまた、たしか火災にあって焼け落ちたDave Swarbrick の家のまえで撮影されたものだったはず、というのもまた感傷的な気分にさせられてしまうのだけれども‥‥。


 

[] 「渇き」(2009) パク・チャヌク:監督  「渇き」(2009) パク・チャヌク:監督を含むブックマーク

 新趣向のヴァンパイア映画なんだけど、過去のヴァンパイア映画の特質をしっかり取り入れてアレンジする手腕は好き。現代の韓国を舞台にして、神父を主人公に、キリスト教的倫理観や家族のあり方を槍玉にあげていく。スタイリッシュともギミックともいえる映画技術を駆使して、ある場面では崇高な恐怖感を、ある場面ではキッチュでブラックな笑いを呼び覚ます。
 この監督の作品にはどうしても「やりすぎ」のキッチュな味わいばかり感じてしまうことが多かったわけで、この作品でもフェイクなんじゃないの、という気分はぬぐえないところもあるんだけれど、いままでの彼の作品では映像的にこれがいちばん好きかも。キム・オクビンという女優さんが、えっちでよかった。


 

[] 「現代思想の50人 構造主義からポストモダンまで」ジョン・レヒテ:著 山口泰司+大崎博:訳  「現代思想の50人 構造主義からポストモダンまで」ジョン・レヒテ:著 山口泰司+大崎博:訳を含むブックマーク

 図書館が震災の影響で長く閉館していたので、返却日をすぎても読みつづけることができた本。各思想家について7〜10ページほどでその概略を説明するというのは読む方にもきつくって、たしかにあるていど知っている人物についての記述を読むと「そういうことだよな」と納得はいくのだけれども、知らない人物についての記述は、あまりに凝縮されたその要約を読んでも、文脈からしてわからなかったりする。ほとんど字面をながめるだけのような読書で、けっきょく、「わからないものはわからなかった」という、まるで凡庸な感想しか出てこない。わたしにはやはり、こういう総括的な入門書はムリなのである。ひとつだけ記憶に残った人物をあげれば、映画評論をやっているというクリスチャン・メッツというひとの著作を読んでみたいと思ったぐらいだろうか。あとで思い出すこともあるだろうから、備忘録的にこの本で紹介された人物名を記録しておく(カフカがポストモダンかよ!)。

初期構造主義
 ◆ガストン・バシュラール
 ◆ミハイル・バフチン
 ◆ジョルジュ・カンギレム
 ◆ジャン・カヴァイエス
 ◆ジークムント・フロイト
 ◆マルセル・モース
 ◆モーリス・メルロ=ポンティ

構造主義
 ◆ルイ・アルチュセール
 ◆エミール・バンヴェニスト
 ◆ピエール・ブルデュー
 ◆ノアム・チョムスキー
 ◆ジョルジュ・デュジメル
 ◆ジェラール・ジュネット
 ◆ロマン・ヤコブソン
 ◆ジャック・ラカン
 ◆クロード・レヴィ=ストロース
 ◆クリスチャン・メッツ
 ◆ミシェル・セール

構造歴史学
 ◆フェルナン・ブローデル

ポスト構造主義の思想
 ◆ジョルジュ・バタイユ
 ◆ジル・ドゥルーズ
 ◆ジャック・デリダ
 ◆ミシェル・フーコー
 ◆エマニュエル・レヴィナス

記号論
 ◆ロラン・バルト
 ◆ウンベルト・エーコ
 ◆アルジルダス・ジュリアン・グレマス
 ◆ルイ・イェルムスレウ
 ◆ジュリア・クリステヴァ
 ◆チャールズ・サンダース・パース
 ◆フェルディナン・ド・ソシュール
 ◆ツヴェタン・トドロフ

第二世代フェミニズム
 ◆リュス・イリガライ
 ◆ミシェル・ル・ドゥフ
 ◆キャロル・ペイトマン

ポストマルクス主義
 ◆テオドール・アドルノ
 ◆ハンナ・アーレント
 ◆ユルゲン・ハーバーマス
 ◆エルネスト・ラクラウ
 ◆アラン・トゥレーヌ

近代(モダニティー)
 ◆ヴァルター・ベンヤミン
 ◆モーリス・ブランショ
 ◆ジェイムズ・ジョイス
 ◆フリードリヒ・ニーチェ
 ◆ゲオルグ・ジンメル
 ◆フィリップ・ソレルス

ポストモダン
 ◆ジャン・ボードリヤール
 ◆マルグリット・デュラス
 ◆フランツ・カフカ
 ◆ジャン=フワンソワ・リオタール



 

 

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■ 2011-03-28(Mon)

f:id:crosstalk:20110328201017j:image:right おそらくは天井が崩落したためにいままで休業していたドラッグストアが、ようやくきょうから営業を再開した。ストックの少なくなったハムなど、このドラッグストアがいちばん安いので買いに行く。天井の被害は確認できなかったけれど、奥の壁の部分にはいちめんブルーシートでおおわれたままだった。ハムや牛乳などを買ってレジへ行くと、「長らく休業してご迷惑をおかけ致しました」とかいわれて、小さなカップ麺だとか、化粧品、医薬品、シャンプーの試供品など、七種類十点ほどの入った袋をいただいた。こっちがねぎらいのことばをかけてあげたいぐらいなのに、などと思った。牛乳などは以前より安い価格だったし、値上げしているようなものもなかった。納豆だけは「ひとり一点」という制限付きで、わたしが行ったときにはひとつも残っていなかったけれど。

 いまだ不通のままのこの地のJRローカル線も、ようやく四月上旬には運行再開できるようなニュースもきいた。地震以降閉館していた図書館も、あしたから開館されるというニュースもきいた。これでようやく、表面的には、震災以前と何変わることのない生活がもどってくるのだろう。でも、これからずっと、わたしはこの部屋の壁の亀裂と向き合って生活していくことになる。ベランダの側の壁の崩壊などをチェックすると、もう少し揺れが大きければ、窓の開閉が困難になるぐらいになっていたのではないかと思う。まあ、ユウやニェネントがぼろぼろにした壁紙については、これでチャラだな、などと思ったりするけれども。

f:id:crosstalk:20110328201048j:image:left ニェネントの発情期は継続中。やはりニェネントの顔がすこしはおとなっぽくなったような気がする。駐車場で誰かが口笛を吹いて、その音をききつけたニェネントはまっすぐに窓へ突進し、カーテンによじのぼって外をのぞいている。発情期と関係がある行動なのだろうか。

 らいげつは部屋の賃貸契約の更新もあるし、インターネットのプロバイダーにも契約料一年分払いこむ時期でもあり、ものすごく出費が多くなる。「ひかりTV」の契約をなんとかしようと考えていたところに、四月の番組表が送られてきた。やっぱWOWOWは契約を続けたいところで、それ以外のTVは契約をやめようかと思っていたのだけれども、番組表を見ると、四月にはジョン・カサヴェデスの特集、そしてメルヴィルの小特集などが組まれているので、解約することができなくなった。ヴィデオ視聴の契約だけはストップすることにした。けっきょく三月はヴィデオ放映は一本も観ていない。

 ハイスミスの連続読破計画、「ガラスの独房」を読了。つぎは「ヴェネツィアで消えた男」というやつ。これとは別に、アルベール・ベガンの「ロマン的魂と夢 ドイツ・ロマン主義とフランス詩についての試論」という、七百ページを越える大書も読みはじめる。これはわたしが二十歳ぐらいのころに読んだ本で、かなり汚れてしまってもいるので、いままで処分しないで持っていた本。読みはじめると、ああ、わたしはこういうところにずいぶんと影響を受けていたのだなあ、などという感慨はある。

 

 

[] 「ガラスの独房」パトリシア・ハイスミス:著 瓜生知寿子:訳  「ガラスの独房」パトリシア・ハイスミス:著 瓜生知寿子:訳を含むブックマーク

 これはかなり面白く読んだ。かんぜんに主人公の一人称記述に統一されているせいもあるだろう。えん罪で六年間刑務に服した男が、刑務所のなかで「暴力と犯行の連続という世界のルール」を学ぶ。服役中に彼の妻はおそらく弁護士と浮気しているのだが、そのことを彼が有罪とされた事件の、おそらくはじっさいの共犯者である会社の上司からきかされる。ほとんどヤクザになっているその会社の上司もまた、いつまでもつづく弁護士の追求にうんざりしているわけで、弁護士を抹殺したいと思っている。そこに主人公を利用したいというハラがある。主人公は妻から浮気が事実であることを告白されるが、弁護士の逃げ腰の対応は許せないという気もちもある。会社の上司がひとを使って弁護士をおどした直後に主人公も弁護士をたずねるのだけど、おどされた弁護士のだらしない姿に怒りをつのらせ、弁護士を殺してしまうわけだ。ここで、主人公はそのおどしをかけた上司などとうまくたちまわり、口封じのためのもう一件の殺人に手を染めるのだけど、つまりは完全犯罪を成し遂げ、おそらくは主人公のやったことをすべて承知しているであろう妻との、あたらしい生活に踏み出すことになる。
 いつもハイスミスの小説の主人公は犯罪とは無縁のところに生活していた知識人なのだが(この作品でも主人公はベケットの舞台を観劇に行き、シェーンベルグを愛好する)、そういう男が犯罪どっぷりの世界に染まってしまい、けっきょくは犯罪を犯すことになるわけだ。それはつまり、「モラルを喪失していく」ということになるわけだけれども、この作品はその主人公のモラル喪失の過程をじっくりと描写している。これが、妻の愛をふたたび得たいという欲望とかさなっているあたりがこの作品の魅力といえるかと思うのだけれども、それは主人公の視点で小説全体を統一したところから生まれるものでもあるだろう。ラストに、妻もまた「共犯者」だと確信するあたり、ちょっとばかしゾワッとする。
 この作品は1964年の作品だけれども、1978年になって西ドイツで映画化され、これはアメリカのアカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされたらしい。ハイスミスの作品はほとんどがヨーロッパとかで映像化されているのだけれども、これは観てみたい気がする。




 

 

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■ 2011-03-27(Sun) このエントリーを含むブックマーク

 あれからときどき読んでいる「1995年1月・神戸」のなかに、当時兵庫の看護大学で教授をしていたパトリシア・アンダーウッドというひとが、「心的外傷反応に対処する —心理教育的アプローチの試み」という、7ページほどの小論を載せている。ここでいう「心的外傷反応」というのは、いわゆる「心的外傷後ストレス反応(PTSD)」よりも広範囲のもので、「外傷的体験にさらされた者は誰彼を問わず体験するものといってよいだろう」と書かれている。この反応のなかに、正常範囲といえるものから、つまりはPTSDと呼ばれる精神障害までふくまれる、範囲の広いものである。
 以下の引用に書かれている「災害症候群(Disaster Syndrome)」もまた、「心的外傷反応」とは異なるものだろうけれど、この「災害症候群」によって、「心的外傷反応」がひきおこされる、ということだろう。

 自然災害においては、被災者の体験するものが「災害症候群」である。この症候群は三段階にこれを分つことができる。すなわち「ショック段階」「被暗示性亢進段階」「回復段階」である。

 ややっこしそうな「被暗示性亢進段階」の説明ははぶくけれど、この「回復段階」において、「心的外傷反応と関係性のある感情と行動との変化が出現しはじめる」ということである。そしておそらくいま、震災後の被災者の方々、また、じぶんが被災者だと思ってはいない方々も、この「災害症候群」の「回復段階」にある、ということがいえるだろうと思う。

 人間のほとんどは、健康でかつ専門家である人も含めて、心的外傷的事件に曝露されている時には、「心的外傷反応症候群」を起こしていることがわからないものである。あるいは自分がどういう反応を起こしているのかを正しくつかむことができないものである。まあほとんどの人が「心的外傷後ストレス反応障害」ということばはきいたことがあって、だから、自分の行動の正常からの変化をこれはすべてこの障害の証拠ではなかろうかと思い込むこともありうる。事実上、大災害に遭遇したすべての人間が心的外傷反応を体験するものであるから、(これでは困るので)心的外傷反応とは何かということをちゃんと教育しておくことが大切であり、さらに、自分が心的外傷体験の心的後遺症からどのようにして立ち直れるようにするか、自分以外の人間たちの心的後遺症のマネージメントをどう援助したらよいかの教育も重要である。

 以下、阪神の震災時に著者がおこなった講義をもとに(著者は1989年のサンフランシスコ大地震も体験している)、心的外傷体験とは何か、安定した回復のためのアプローチとは何かを具体的に話してみたい、と著者は書いているけれど、読んでみて、あまり「心的外傷体験とは何か」、ということはつっこんで書かれていたわけではない、という印象はある。ただ、「回復へのアプローチ」として七つの項目が書かれていて、この記述から「心的外傷体験とは何か」ということが浮かび上がってくるということもあるだろうし、この七つの「回復へのアプローチ」は、いままさに、震災に遭遇された方々に有益なものではないかと思う。以下に引用する。

 (一)非常事態の苦痛=恐怖体験と現在起こっている反応との間を何としてでも結びつけることが大切である。私は「気のおけないグループをみつけて非常事態とこれについての感情を分かち合う(シェアリング)ように」とはげます必要があった。苦痛な非常事態を意識的に想起し、追体験することによって、期せずしてこの記憶が消褪する役に立つこともあり、また心的外傷を日常人生体験の流れの中へ統合しやすくもなるといってよいであろう。

 (二)非常事態が原因となってその人の基本的価値観が揺らぎあるいは信条が疑わしく思えるようになることもありうる。生涯抱きつづけてきた強固な信念を妥当だと思えなくなることもありうる。「自分が信頼できる人を相手にしてこのことを話すように」すすめる必要があった。

 (三)非常事態はまた、はるかな過去の心的外傷の記憶を再浮上させることがありうる。阪神大震災においては、中高年者で第二次世界大戦の記憶を想起しはじめた者が少なくなかった。この過去の記憶を抑えることなく自然に浮上させ、想い出るがままにさせ、これを話題に取り上げることが肝心であって、そうしてはじめてそれらを再び消褪しはじめさせうるのである。

 (四)地震のごとき災害がランダムである事実を受容することがポイントである。災害を起こさせることができる人などいるわけがなく、誰が死傷するか、資産を失うとかが予め決まっているわけでもない。それはいうまでもないことなのに、人々は、自分がこれまでの生涯になしたこと、なさなかったことをめぐって罪業感に苛まれることが少なくない。逆に立腹することもやはりある。はたまた、損害をこうむったこと、こうむらなかったことに関して、罪業感に苛まれることも憤慨することもある。負傷しなかった者、軽傷で済んだ方、損失をこうむらなかった者が、おのれの運のよさに非常な罪業感を持つことが少なくない。この感情をacknowledge(認知し評価)することが大切である。

 (五)災害以前の世界がそっくりそのまま戻ってくることはありえないという事実を受容することも大切である。個々人は治癒するであろうし、地域社会は再建され、正常に復するであろうが、それは「新しい正常」なのである。

 (六)個々人は、その人ができるだけ正常な日常のスケジュールを保つ必要がある。たとえば通勤、通学、食事の支度、犬の散歩など。できるだけ早く日常生活のいろいろな決断をしていくようにする必要がある。これがコントロールの(事態を支配しているという)感覚をさずけてくれる。多少なりとも生活のルーチンの部分を加え、それぞれの決意を下せるようになる時期が早ければ早いほど、心的外傷の統合開始の時期が早くなる。

 (七)最後に、個々人は、日々の生活の中で何でもいいから楽しみをみつけるようにするべきである。むろん自分以外の被災者が負傷したままであるとか、避難所に残っている時にそうすることは格別困難であろう。しかしながら、楽しむこと(enjoyment)には治癒力がある。治癒過程を促進するのである。

 この話の締めくくりとして、回復には”日にち薬”(それなりの日時)が必要なことと、時々(外傷体験が)ふっと再浮上して意識に上るのは正常なことと強調した。この再浮上は持続力のある非常事態を耳にした時に起こることも、本来の災害の一周年三周年などの”記念日”に起こることもありうる。自分が自然に快癒してこないと思ったならば、専門職の援助を求めるようにすすめておいた。

 ‥‥以上、延々と引用してしまって、著作権法に抵触するのではないかということもあり、もんだいがあれば削除する用意はある。引用元はみすず書房1995年リリースの、「1995年1月・神戸 「阪神大震災」下の精神科医たち」から、パトリシア・アンダーウッド(Patricia R. Underwood)氏の「心的外傷反応に対処する —心理教育的アプローチの試み」(Dealing with Trauma Response Syndrome -A psychoeducational Approach-)より、中井久夫氏の翻訳による。
 わたしなりに、いまここに、著作権法に抵触してもこの引用を掲載することには多少の意義があるだろうと思っている(もっと早い方がよかっただろうけれど)。あえて、以上の文をアップする。




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■ 2011-03-26(Sat)

 震災や原発のニュースのかげにかくれるようにして、それでも桜の開花情報がきかれるようになった。こころなしか、このあたりの桜の木の枝先も、色が赤っぽくなってきたように思う。ことしはお花見も自粛ムードになるんだろうか。そんな、自粛なんかやらないで、ことしもお花見を出来るひとは、せいいっぱい楽しんでほしい。お花見というのはプロ野球のように上部の意向でやるようなものではなく、だれでも「やりたい」というひとの気もちで桜の下に集まるものなのだから、遠慮なんかしないでバンバンやるといいと思う。停電にそなえてそろえたロウソクやランプを使い、やはり停電用のガスコンロとか準備して、買い占めたりそうでなかったりする備蓄食料品を持ち寄って、盛大にやってほしい。そういうニュースが流れたりすれば、わたしはもっともっと明るい気分になれる。散っていく花びらを見送るように、震災気分も見送ってしまえばいい。わたしもそんなお花見に行きたい気分である。

 きょうはまた、まだ観ていない野田地図(NODA-MAP)に三度目のトライをする。きょうも昼と夜の公演があるので、また昼公演の当日券ねらいで、せんじつ上京したのと同じぐらいの時間に家を出る。減速運転などが緩和されたのか、せんじつよりもはやく取手まで到着。常磐線快速で日暮里まで出て、そこから山手線で池袋へ。空は晴天だけれども、風が強い。到着したときにまだお昼まえだったので、早すぎるだろうと勝手に判断して昼食をとる。十二時ごろに会場に行ってみると、せんじつの倍ぐらいのひとが当日券の列をつくっていた。しまった。さきにどのくらい並んでいるか確認してから、食事をするかどうか決めればよかったのだ。まあきょうは立ち見席もあるので、じぶんのいるあたりまではなんとかなるだろうと、そのまま並ぶ。これでチケットを買えなかったら、じぶんの判断の悪さを呪うことになる。
 一時ちょっとまえに列が動きはじめ、なんとか立ち見席の最後部(二列の立ち見の後列)のチケットをゲット。あと十人ぐらいうしろだったら買えなかったかもしれない。しばらく外でじかんをつぶし(この空いたじかんで食事をすればよかったのだ)、開場している劇場内でとりあえずじぶんの場所を確認する。うしろの壁によりかかれるので、立ち見といってもそんなに疲れることもないだろうし、なによりも、万が一また大きな地震とかが来たときにはきっと、混乱に巻き込まれずにまっ先に劇場の外へ避難できる。

 開演のブザーが鳴り、野田秀樹のあいさつ、これは野田マップのサイトに「劇場の灯を消してはいけない」として発表されているものが流されてから舞台ははじまる。感想は下に。

 舞台が終わり、外へ出てもまだ明るい。せっかくの上京なのだから、このあともういっちょう映画など観てもいい気分なんだけど、映画を観終わると帰って来れなくなりそうだし、あしたはしごともあるわけだから、まっすぐに帰宅することにする。映画も観たいなあ。また日をあらためて上京しますか。


 

[] 野田地図(NODA・MAP) 第16回公演「南へ」野田秀樹:作・演出 @池袋・東京芸術劇場 中ホール  野田地図(NODA・MAP) 第16回公演「南へ」野田秀樹:作・演出 @池袋・東京芸術劇場 中ホールを含むブックマーク

 とにかく、この今の「現実」に思いっきりかぶる内容で、それだけに、野田秀樹が公演中止にしなかった意志/理由は、よくわかる。受け取り方はそれぞれだろうけれども、わたしは、ラストの「けっきょく何も起きずに、TVのプロ野球中継に熱狂するひとたち」のすがたを見て、この「現実」とのギャップに、ないた。それは感傷の涙ではなく、わたしがこの現実を生きなければならないのだという力に変換されうるものだった、と思う。
 3月11日以前と以後では、わたしの生きる世界は変わってしまった、と思う。わたしはいまのところ大した被害など受けていないけれど、まいにち目のまえの壁の亀裂をながめて生活し、大気中の放射線量に気をくばりながら、あまり電気を使わないようにしなくっちゃ、などと思いながら生きていく。いつも使っていた電車はとうぶん動き出しそうもないし、東京へ出てみると、みんなはもう以前の日常を取り戻しつつあるなあ、などと思うけれど、わたしのなかにはまだ、小さな小さな被災者意識はある。そんなわたしの意識の上で、3月11日以前と以後とを橋渡しするブリッジとして、この舞台はありがたかった。災害が「可能性」だった世界と、この、災害が「現実」になってしまった世界、そのあいだにこそ、この舞台が存在するように思える。

 ただ、わたしは手放しでこの舞台を絶賛するものではない。やはりこの種の「80年代小劇場」的な演出手法というのは好きなものではないし、マスメディア批判から天皇論、日本人?というもんだいまで盛り込むような脚本は、それはふろしきを拡げすぎではないかと思うし、あれこれのもんだいがとっちらかったままで、すっきりとエンディングを迎えたというのではない気がする。主人公ふたり(妻夫木聡&蒼井優)をメインとした、自分がだれだかわからなくなる男と、ウソの連続のなかから真実がこぼれ落ちる女、というドラマは、むかし読んだ安部公房の小説にこんなのなかったっけ?という感じで興味深かった。いかにも気の弱そうな妻夫木聡は適役だったと思うし、はじけまくって、これは大竹しのぶだな、という感じの蒼井優(ショートカットにしていた)もがんばっていたし、そんななか、わたしは渡辺いっけいに感心しながら観ていた。ひとつ、この舞台で観たいと思っていた黒田育世の振り付けは、その時間も短くて、どうこうといえるようなものではなかった。


 

 

 

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■ 2011-03-25(Fri)

 昼すぎに電話がかかってきて、出てみると東京電力からだった。女性の声で、一戸建ての家を対象に電気の基本料金の割引キャンペーンをやっているとかいい出す。ウチは一戸建てではないというと「失礼しました」と電話は切られたけれど、こういう状況下で一方のその当事者がいったい何をやっているんだと、だんだんに腹が立ってきた。電話で応対しているときに「いったいどういう事態になっているのかわかっているのか。おたくがその当事者ではないか」と、いってやればよかった。
 のちに東京電力は「予想できない規模の天災だったので責任はない」といいのがれるであろうことが予想できる。政府は「タダじゃすませないぞ」といっているらしいが、わたしももちろんタダですませられることではないと怒っている。その怒りは、きょう増幅された。

 地震まえのことなんて、もうずいぶんむかしのことのように思えてしまうけれど、たしか地震の一週間ほどまえに、部屋のなかにまた一匹のハエがとびまわっていたことがある。もちろんニェネントがそれに気がついて、ハエが近くにきたときには後ろ足で立ち上がって、まえ足をぱちっと合わせてとらえようとするわけだけれども、これが二度めぐらいに、みごとにハエを打ち落としてしまった。まだあまり暖かい気候ではないのでハエも動作がトロかったのかもしれないけれど、ニェネントもさすがネコ、みごとなものであると、ギャラリーだったわたしはニェネントをほめてあげたくなった。しかし、畳の上に落ちたハエをまえ足でちょっかい出しながら観察していたニェネントは、やおらそのハエをぱくりと食べてしまったものだから、みていたわたしから、ニェネントをほめてあげようなどという気分は消し飛んでしまったのだった。
 そのニェネント、きょうも「サカリノさん」まっさいちゅう。ニェネントの顔をみると、なんだか発情期のまえよりも成長して、しっかりとした成猫らしい顔つきになったような気がする。忘れていたニェエントの月の誕生日もすぎて、ニェネントも九ヶ月になった。ニェネントの生まれたころのこの日記を読み返すと、どうやらニェネントたちが生まれたのは六月二十一日のように読み取れる。母ネコのミイは二十一日にはすがたをあらわさず(まあわたしもいちにち外出していたようだけど)、翌二十二日になって、ほっそりしたおなかになってウチにきている。ウチに子ネコたちを連れて引越してきたのが二十三日。わたしはニェネントの誕生日を二十二日にしてきたけれど、子どもを産んですぐにウチにくるとも考えにくいわけで、二十一日の方が可能性は高い。
 その母ネコのミイも死んでしまい、わたしもニェネントを部屋飼いするためにほとんど窓を開けることをしなくなったし、このあたりの野良ネコのすがたをすっかり見なくなってしまった。公園のあたりを歩いていても、ぜんぜんネコたちのすがたはない。ミイのだんなづらしていた白ネコのノラもいなくなった。ニェネントのきょうだいの四匹の子ネコたちも、まったくみかけない。ネコたちがいっせいに縄張りを移動したとも考えにくい。しばらくはウチにいたジュロームも、みんな、やはり育たなかったんだろうと思う。いちどミイが近所で連れていたのをみた、からだに障害のあった子ネコのことがかわいそうだった。

 ニェネントの発情期に対抗してわたしも、マゾッホの「毛皮のヴィーナス」を映画化したヴィデオを観た。


 

[] 「毛皮のヴィーナス」(1969) マッシモ・ダラマーノ:監督  「毛皮のヴィーナス」(1969) マッシモ・ダラマーノ:監督を含むブックマーク

 当時の西ドイツとイタリアの合作で、監督はセルジオ・レオーネの「荒野の用心棒」や「夕陽のガンマン」の撮影監督だったひとらしい。であるから、ぐぅ〜んっ!という顔や眼へのズームアップがいっぱい。60年代末という解放的な時代背景もあって、明るくも楽しいマゾっぷり映画。ヨーロッパのリゾート地や豪邸を舞台に、そんな観光スポット紹介みたいなモンドな音楽をバックにして、ほとんどジョークのような、アイロニックな物語が展開する。主演はのちに「青い体験」で有名になるラウラ・アントネッリで、まあこういうときの常套句として、「豊満なボディをおしげなくさらしている」わけで、撮影地ロケーションもステキだし、きっとスタッフのみなさんは楽しかっただろうなあと思うし、そういう楽しさがじっさいに画面からも伝わってくる感じである。かわいそうなのはマゾッホで、「オレの哲学がこんなおちゃらけ気分にされてしまった」と、草葉の陰で嘆いていたことだろう。しかし彼はマゾだから、それでいいのだ。




 

 

 

 

 

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■ 2011-03-24(Thu)

 もう先週のことだけれども、地震のあとのベランダから、スズメのなきごえがけたたましくきこえてきた。ちょっと普通ではないはげしいなき方だったので、これは地震の予知でもやっているのではないかなどと考えたりして、窓から外をのぞいてみた。ちょうどわたしの部屋のベランダのま向かいで、二羽のスズメが取っ組み合いのケンカをしていた。というか、ケンカのようなことをしていた。というか、スズメは取っ組み合いなど出来はしないわけで、一羽の優勢な方がもう一羽の首根っこをくちばしではさんで、押さえ込んでいるように見えた。それで、その二羽の争いのすぐそばにもう一羽べつのスズメがいて、これが二羽をみながらチュンチュンないている。「もうやめなよー」といっているような、「どちらも負けるな!」といっているような、わからないけれどもとにかく近くで様子をみている。どうせこういうのは縄張り争いだろうから、どちらか、縄張りを守ろうとしている方のスズメの応援をしているんじゃないだろうか。
 このスズメのケンカはかなり長い時間つづいて、そのうちにベランダの上にまで場所を移してあばれている。ギャラリーのスズメはいつのまにかいなくなっている。きっとスズメのおまわりさんを呼びにいったにちがいない。ここでニェネントをベランダに出してやるとどうだろう、スズメのおまわりさんなんて出番じゃないよ、なんて思っているうちに、とうとう一羽の方がピャッと飛び立って、おそらくは逃げていったのだろうけれど、残った方もそのあとを追って飛んでいってしまった。もう地震のあとだったけれど、原発の危機的状況はまだ先のことだった。あのころは平和だったよな、などとしみじみと思うのである。

 きょうからまた、しごとがはじまった。ストップしていたときにたまっていた分が出てきたのか、けっこういそがしい。わたしたち早番のしごとが終わるころ、ミーティングをしていたときに、また大きな余震があった。ふだんしごとをしている倉庫のなかなら、あまり上から落下するものの心配などしないけれど、しごとが終わるときに移動して来ている場所はビルのなかの作業所で、天井から蛍光灯はぶら下がっているし、空調のダクトやさまざまな配管などが仕込んであるので、危険を感じてしまう。揺れているときに「ゴーッ」というような音がひびくのもぶきみ、である。

 帰宅すると、きょうもニェネントは発情期がおさまらない。腰をなでてやるとヒーヒーいってよろこぶのだけど、やめるとわたしの手をあまがみしてきたり、ペロペロとなめてきたりして、もっとやってくれと催促する。

 これからの復興のことを考えて、まずは関東地域での電力不足がいちばんのもんだいになるだろうと思う。かなり長期間にわたって、発電力の増加はとても見込めないわけだから、夏のサマータイム制の導入は必至。従来品よりも電力を消費しない電化製品の開発、各家庭での買い替えが推賞されなければならない。おいそれとは解決しそうもないもんだいを抱えたままわたしたちはこの夏をむかえ、ひょっとしたららいねんとか以降に、もんだいはくり越されていくかもしれない。そうなる気がする。
 東京電力というところは原子力発電所の推進のためにほかの発電手段に真剣に取り組んではいなかったけれど、もちろんこれからはそういうわけにいくわけがない。とりあえずは火力発電ということになるだろうけれど、CO2問題などから考えても、長く火力発電にたよることなど考えられないだろう。そうすると、これまでなおざりにしてきた「風力発電」、そして「地熱発電」について、ちゃんと取り組まなければならないことになると思う。火山国である日本の場合、「地熱発電」にはかなりの可能性がありそうである。Wikipedia をみると、これまでは観光地との兼ね合いでほとんど現実化していないというのが現状らしいけれど、こういう事態になってみれば、「景観をこわす」などという反対意見から開発、推進が阻止される、というような状況にはならないのではないか。これと並行して「風力発電」、そして「太陽光発電」もまた、推進されるべきではないかと思う。とにかく、「ノーモア原子力」、である。

 さて、きょうは状況になぞらえて、というわけではないけれど、「真・地獄の黙示録」と「息もできない」という二本のヴィデオを観てしまった。べつに意図してこの二本を選んだわけではないけれど、これらのタイトルがふたつ並ぶと「ありゃりゃ」という感じになる。

 

[] 「真・地獄の黙示録」(1993) ニコラス・ローグ:監督  「真・地獄の黙示録」(1993) ニコラス・ローグ:監督を含むブックマーク

 この邦題はかんにんしてほしいんだけど、つまりは「地獄の黙示録」につづいて、コンラッドの「闇の奥」を映像化したというもの。TV用ムーヴィーだけれども、主演はティム・ロスとジョン・マルコヴィッチ。そして、「リミッツ・オブ・コントロール」のイザック・ド・バンコレなども出演している。こちらの方はちゃんと舞台は19世紀末のベルギー領コンゴであり、つまり、原作に忠実な映像化作品であり、さいごにはちゃんとクーツの婚約者も出てくる。
 原作はいちめんではヴィジュアル・イメージを圧倒的に喚起する作品で、映像化したいという欲求もわかるし、ニコラス・ローグも、不安をじりじりと巻き起こすような、彼おとくいの「心理サスペンス」としての演出を堪能させてくれる。しかし、なぜかイメージとしては、コッポラの「地獄の黙示録」から借用されているとしか思えない部分も多く、いったい、なんでまた1993年になって「闇の奥」を映像化しようとしたのか、どうも見終わってもわからないのである。
 もちろん原作はベルギーのコンゴ支配、ひいては西欧によるアフリカの植民地化の、その闇の部分をあらわにするような作品ではあるのだけれども、「闇」というのは、そのコンゴ奥地のアフリカの地をも示すものであるはず。で、映像でその「闇」をあらわすということに、原作に忠実であろうとして原作の表面をなぞることに終始するニコラス・ローグは、みごとに失敗しているだろう、というほかにない。コンラッドの書いた「闇」の映像化、ということでは、コッポラの方が、はるかにはるかに原作の精神(恐怖)を描き出しているだろう。
 おそらく、この作品になんらかの意味があるとすれば、コッポラの「地獄の黙示録」の補助資料として、原作の流れはじっさいにはこういうものなんだよということを示すだけ、のように思えるし、それだって、やはり原作を読めよ、というひとことの前では、いかほどの力も有してはいない。


 

[] 「息もできない」(2008) ヤン・イクチュン:監督  「息もできない」(2008) ヤン・イクチュン:監督を含むブックマーク

 2010年のキネ旬ベストテンの、外国映画の1位にランクされた作品。それぞれが母のいない(その死にはどちらもそれぞれの父の責任がある)家族に育ったチンピラと女子高校生との友情を背景に、なんとか不幸のスパイラルを断とうとするチンピラの不器用な生き方を描いたもの。製作・脚本・監督・主演をヤン・イクチュンという人物ひとりでこなす。
 おもいきり感傷的なストーリーをあるていどドライに描いて、個人制作映画の自己陶酔からはぎりぎり逃れているとは思うし、暴力のスパイラルの不毛さへの訴えは強いものがある。しかしながら、映画として特筆するような演出技術が見られるわけでもなく、わたしとしては観たい映画、というしゅるいのものでもなかった。




 

 

 

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■ 2011-03-23(Wed) このエントリーを含むブックマーク

 きょうも寒い。おととい観た「月蝕歌劇団」の舞台もちょっと寒かったので、東京に行こうと思えばそれほど苦労せずに行けることもわかったので、きょうも東京へ行って、地震のまえに観ようと思っていてはたせなかった、野田マップの「南へ」に再トライしようか、という気分になった。どうやら劇の内容も、いまの現状にかぶるようなものらしかったりする。
 あさ早く起きて、そろそろ出かける準備をしようかというときになって、かなり大きな揺れに見舞われた。しばらくしてからまた揺れた。いったいいつまで続くのか、って当分は続くのだろうけど。
 わたしも臆病なので出かける気分も吹き飛んでしまい、きょうも家にいることにした。連続して読んでいるパトリシア・ハイスミスの次の作品、「ガラスの独房」を読みはじめるけれど、あまり集中出来ずにごろごろしている。

 ニェネントの様子がなんだかおかしくって、また妙ななきごえをあげはじめたりする。ありゃ、「サカリノさん」再来ですか、と思っていたら、これがほんとうに発情期再発だった。やはり地震の揺れにおどろいて発情期気分もふっとんでいたのが、すこし落ち着いて来て「やはりやることはやっておかなくっちゃ」ということになったのだろうか。わたしのそばに寄ってくるので腰のあたりをなでてやると、身をよじって恍惚となる。‥‥まいったなあ。

 夕方に勤務先から電話がかかって来て、あしたからしごとが再開されると。なんだか、またしごとかあ、と思うと、もう少し休んでいたかった気もする。いや、ここいらで何もかも捨てて、身ひとつになって東北の救援、再建に馳せ参じてもいいんだけど、考えたらニェネントがいるのだった。まあほんとに真剣に決めれば、ニェネントは誰か知っているひとにあずかってもらうことも出来る。いちおう、これからの選択支のひとつとして、こころにおさめておく。そういうふうに動ける自分であればいいと思うけれど、そもそも、わたしなどが現地に行っても何の役にも立たないというのが現実だろう。たとえばあと三ヶ月たったころ、わたしはどうしているんだろう。悲観的になっているわけではないけれど、何もたしかなことは考えられない気もする。mixi などで海外からごちゃごちゃいっている知人の発言が、うざったく感じるようになってしまった。いい気なものだと思ったりするわたしも、病んできたのかもしれない。
 Joking。こんかいの震災であきらかになったこと、もしくは震災以後変更されたこと。茨城県は関東地方ではなく東北地方であり、荒川区は東京都ではなく、おそらくは埼玉県に含まれる。





  

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■ 2011-03-22(Tue)

 きのう遠出した疲れがあったのだろうか、きょうは、いちにちの大半を寝てすごした。ニェネントが、わたしの顔を見て「にゃぁ」とないて、何かを訴えているけれど、いったい何を訴えているのかわからない。

 茨城産のほうれん草などから規定値いじょうの放射性物質が検出されたとして、スーパーから姿を消した。過剰反応するひとびとは、スーパーのほかの野菜も買わなくなる。買い占めのつぎは、不買である。農薬だらけの中国産の野菜なんか、ふだんは(おそらくいまでも)じゃんじゃん買っているくせに。だいたい国内のそういう「規定値」だとか「賞味期限」というのはそうとうに神経質に設けられていて、わたしなどはふだんから消費期限などというものはほとんど気にしていない。牛乳は開封していなければ一ヶ月ぐらいは冷蔵庫で保存できるし、玉子などはふつうに消費していれば、いたんでしまうまで手元に置いておくことのほうが困難である。いぜん「玉子の冷凍保存法」などというのをネットでみつけたときには笑ってしまった。冷凍保存などしてしまう方がいたみが早そうなのである。そのほかの食材も、ほんとうにヤバくなれば目でみたりさわったりすればわかる。口に入れてみて「ありゃ」ということも、たまにはあるけれど。まあ賞味期限と放射性物質をかぶることは同じではないけれど、報道をみていれば、「問題はない」という判断になるだろう。きのうはわたしは外で雨に濡れたりもしているし。
 買い占めのために品薄になった食料品など、「放射性物質」が検出されたと報道すれば、たちどころにそのストックを回復できそうである。

 ハイスミスの「殺人者の烙印」を読了。

 

[] 「殺人者の烙印」パトリシア・ハイスミス:著 深町眞理子:訳  「殺人者の烙印」パトリシア・ハイスミス:著 深町眞理子:訳を含むブックマーク

 基本的につまらない作品で、ハイスミスとしても、これはそれまでの自作のアイディアをつぎはぎしただけ、というところはあると思う。妻を殺すという空想をする主人公は、はっきりと「妻を殺したかった男」の延長にあるし、それがじっさいの殺人と誤解される展開も同じ。田舎町の保守的な住民のことは「ふくろうの叫び」でもちょっとした要素で、この「殺人者の烙印」の主人公には、まわりの風評の被害者という側面もあり、それは「ふくろうの叫び」からの引き継ぎといえると思う。それで、いわばいっしゅの完全犯罪成就、という結末は「太陽がいっぱい」を思い出す。しかし、シチュエイションを提示するだけで何も起こらない、さいしょの百ページは、いかにもたいくつだった。
 ハイスミスはそういう書き方しかできないのだけど、この作品でも登場人物の視点からの主観描写を組み合わせて、ストーリーをつなげていく。つまり客観描写というのが書けないということが大きな欠点になる。「ふくろうの叫び」などのように、視点をできるだけ主人公ひとりに絞るようにすれば、サスペンスとしての面白さは増すのだけれども。しかも、この作品では主人公のこころの動きが読者にまるでつたわらないので、「いったいこいつは何をかんがえているんだ」といぶかしく思ってしまうことになる。ラストまで読んで、「そういう男だったのか」と理解できるのだけど、それはある意味でサスペンス的などんでん返しという感覚で、ふつうの小説を読む感覚でいえば、「ひきょう」な気がするし、たとえバカな妻であってもその妻を見捨て、しごと上のパートナーとの関係でも、あえてそのパートナーの私欲を表面化させて友情に終止符を打つ主人公、その非情さにはおどいてしまう。だけど、そこにこそハイスミス作品の魅力があるのだとすれば、これもまた、まさにハイスミス作品なのだということはいえると思う。



 

 

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■ 2011-03-21(Mon)

 気分転換という目的もあって、きょうは東京へ行く。というか、きょうは地震のずっとまえから、Aさんと「月蝕歌劇団」の舞台を観にいく予定をたてていて、すでにチケットも手もとに届いている。「月蝕歌劇団」については、もう十年以上前には知り合いが劇団員だったこともあり、なんどかその舞台は観ているけれど、まあじつに久しぶりにまた観ることになる。チラシをみると、当然わたしの知っていた頃からメンバーはほぼすべて入れ替わっていて、最近の舞台がどういうふうに変わって来ているのか、それとも以前と変わらないでいるのか、このあたりでたしかめておきたいという気分でもあるし、勝手な想像で、AKB48のブレイク以後、彼女たちの舞台をそんな現象とくらべてみたいという研究心(?)もある。プチ被災後の初観劇には適しているのではないだろうか。

 交通手段であるが、この地域で動いている公共交通機関は、関東鉄道常総線という私鉄路線のみである。しかも本数をへらし、減速運転しているので時間に余裕をみて出かけないといけない。終点の取手までたどりついても、そこから都心までにまた時間がかかるだろう。ただ、常総線には土日祭日のフリーパスチケットというのがあって、これは1500円でその日いちにちのあいだは常総線内でいくらでも乗り降りできるというもの。べつにこの日常総線をなんども乗り降りするつもりはないのだけれど、このフリーチケットのダンピング率は尋常のものでない。通常は地元から取手までの運賃は片道で1460円なのだから、あと40円足せばそれだけで往復チケットの役を果たすわけになる。ほぼ半額。驚異の割引チケットである(だいたい、通常の運賃があまりに高すぎるのだ)。まあこれはJR運賃とのあまりの格差に対抗する処置で、このフリーチケットを利用すれば、現在は不通になっているローカル線から湘南新宿ライン経由などで都心へ出るのと、チケット代はほぼ同額になるというわけだ。
 こういう都心への出かたとはべつに、同じ常総線からとちゅうで「つくばエクスプレス」に乗り継いで秋葉原に出る経路での、往復割引チケットというのもある。これもJR運賃とあまり変わらなくなるし、平日でもこの割引チケットは販売している。きょうは「つくばエクスプレス」も間引き運転をしているようだし、より確実な時間に都心へ出るには取手経由がいいだろうという判断。
 どうも計算すると、Aさんと待ち合わせする新宿までは四時間ぐらいかかりそう。そういうわけで昼の十二時に向こうに到着するには、あさの八時ぐらいに家を出なくてはならない。よるもそれなりに早く帰ってこなくってはならないけど、マチネ公演を選んでおいてよかったと思う。

 ニェネントにはながい時間お留守番してもらわなくちゃならないし、また大きな地震が起きてわたしが帰れなくなるなどの「不測の事態」も、ついつい考えてしまう。食事をてんこ盛りで焼魚もそえて出してあげ、ドライフードの方は収納から外に出しておいて、ニェネントがじぶんで首をつっこんで食べられるようにしておく。バケツにも水を満たしておき、用心に出かけるときに部屋の鍵をかけないでおく(用心で施錠しないなどということをやるのははじめてである)。

 ひさしぶりに利用する常総線。車窓風景はまさに茨城の田園風景なのだけど、散在する民家の屋根にはブルーシートが目立つ。これがどこまで行っても、ときどきはそういう家屋が目につくことになる。瓦葺きの屋根が見えなくなるまで、どこかに青い色彩が視覚のなかに入ってくる。

 新宿でAさんと会い、食事をしながらプチ帰宅難民になったAさんの体験などをきく。節電のため照明の落とされた都営地下鉄の改札口は、なにかの映画で観た第二次世界大戦の空襲下ロンドンの地下道の映像を思い出すものだった。

 食事を終えて阿佐ヶ谷へ移動、久々のザムザ阿佐谷での月蝕歌劇団。う〜ん、しょうじき、かなり失望してしまった。マッチの火を使わなかったのは余震の続く状況を考えてのことなのか、もうさいきんではやっていないのか。感想は下に。

 舞台がはねたあと、わたしの希望で下北沢の「G」まで足をのばして、帰路につかなければならなくなるまで、ここで飲んで話す。「G」は半地下という構造のせいか、倒壊したものがまるで皆無だったらしい。揺れた方向もよかったのではないかということ。あれだけの量のガラス容器や食器、グラス類が置かれていて、ほとんど奇跡的。店のひとなどと、それぞれの11日体験のはなしなど。Aさんのはなしでは、ふだん生真面目なひとほど、風評に惑わされたりしていたと。変なお芝居を見て、たっぷりひととはなしをして、いい気分転換になった。

 きょう帰宅するためには取手を十時に出る電車に乗らなければならない。それでまあ八時に出れば間に合うだろうと思っていたのが、ちょっとだけ遅れてしまった。下北沢駅八時二十分。うまい具合に代々木上原駅で我孫子行きが来て、乗り換え待ち合わせ時間のロスがなくなる。しかし、取手駅に着いたのは九時五十五分。かなりギリギリだった。自宅駅に着いたのはほとんど十二時。ちゃんと夜の食事をしていないので、お弁当でも買おうとコンビニに寄ってみる。思いがけず、近所のホテル特製という幕の内弁当がたくさん売られていた。なぜこの時期にこういうお弁当が売られていたのかわからないけれど、買って帰る。すごいヴォリュームで、とってもおいしかった。ちょっと得をした気分になる。ニェネントが寄って来て、お弁当を欲しがっていた。


[] 月蝕歌劇団「怪盗ルパン 竹久夢二の双曲線」高取英:作・演出 J・A・シィザー:音楽 @阿佐ヶ谷・ザムザ阿佐谷  月蝕歌劇団「怪盗ルパン 竹久夢二の双曲線」高取英:作・演出 J・A・シィザー:音楽 @阿佐ヶ谷・ザムザ阿佐谷を含むブックマーク

 ことしが創立25周年になるらしい月蝕歌劇団。この舞台は「大逆事件」を背景に、大杉栄、伊藤晴雨、山県有朋らも登場する政治劇? ここに怪盗ルパンもホームズも登場して、夢二の描いた春画というのがからんでくるのだけれども、観ていてどうも居心地が悪い。まあ月蝕歌劇団の舞台にまともな劇世界を求めるのがまちがっているというのが、かつてのわたしの知っていた月蝕歌劇団の作劇だったように思うのだけど、どうもこの久しぶりに観る彼女たちの新作、戯曲としてはかなり「まとも」な展開で、いぜんの記憶にある過激な飛躍ぶりが感じられない。そうするとデティールの平板さがきわだってきてしまうし、明治から大正にかけての社会主義運動をバックにした作劇も、ありきたりの常識的な解釈を越えるものでもないし、その一見シリアスなプロット、それにかかわってくるルパンのからみ方もどうってことはないという印象になる。短い断片、そして暗転、そしてまた別の断片、というふうにつないでいく演出は、この舞台では散漫さをきわだたせてしまうだけのようだったし、なによりも期待していた月蝕歌劇団お得意のアングラ・レビューショー的な演出もまた、記憶にあった過去のそれよりもトーン・ダウンしている印象(マッチを使わないとかいうことも含めて)。もともと役者の力量に期待して観るような劇団ではないのだから、これは役者が入れ替わったせいともいえないだろう。ちょっときびしい評価になってしまって申しわけないけれど、月蝕歌劇団にはまだまだ期待していたいからね。
 しかし、わたしらの観た回の観客、いぜん多く見かけていた若い男性の観客の姿が少なくなり、わたしみたいな年輩の客の姿が目立っていた。わたしはこの劇団はAKB48にも通底するパワーを秘めていたと見ていたし、いまもまだそのような潜在性は持っているはずだと思う。もういちど、高取さんには「オタク」対策の研究をして、チャレンジしていただきたいものである。

 


 

 

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■ 2011-03-20(Sun) このエントリーを含むブックマーク

 じぶんでは平静をとりもどしたつもりなのだけれども、読書もはかどらないし、ヴィデオを観ようという気もおきない。スーパーへ行ってはおつまみ類を買い、発泡酒を飲みながらポリポリ食べる。なにかがたまっている。ハイスミスの次の本、「殺人者の烙印」を読みはじめてはいるけれど、これは(いまのところ)まるで面白くない。ル・クレジオの「物質的恍惚」は、キツいのでお休み。

 中井久夫氏が、被災地でのいっときの閑のなか、「自発性と官僚性とについての娯しい雑談の中から生れた」として、「災害という名のプリズム」ということを書いている。それまでの個々の性向は災害によって増幅され、「石頭はますます石頭に、頭に血が昇る者はますます昇り、逃避的になる者はますます逃避的になる」いっぽう、「柔軟な頭はますます柔軟になり、冷静な者はますます冷静に、積極的・行動的・創造的な者はますます積極的などなどになる」ということ。その通りなのだろうし、だいじなポイントだと思う。こういうとき、「はたしてじぶんは柔軟な考え方をしているか、冷静でいるか、積極的に動いているか」と問い直せるじぶんでありたい。そうなれないのが「災害」なのだろうけれども。
 もうひとつ、その「自発性と官僚性との空間的、時間的関係」という図も書いていて、「自発性、実践性」は、距離的には災害の中心から周辺部に移ると「官僚性、批評家性」が生まれるようになり、首都(つまり東京)で、「官僚性、批評家性」がほとんどになると書いている。時間的にも、災害の発生時点で「自発性、実践性」は最大であり、5日から10日を過ぎるころから「官僚性、批評家性」の声が起きはじめ、そのうちに「官僚性、批評家性」の声が大勢を占めることになる。このことで、ちょっと考えたいことがある(わたしのなかの「批評家性」の発露?)。
 つまり、首都圏での「買い占め」とは、このことでは災害発生地の「自発性、実践性」に近しい行為のようにもみえてしまうわけで、このことは、TVの報道でスーパーで買い物をする主婦へのインタヴューに、「TVの震災報道をみていたら不安になって、自分も何かしなければならないと思った」の答えがあったのが、つまりはティピカルな反応ではないのかと思うけれど、もちろんこんかいの震災は首都圏でもかなりの揺れがあったらしく、被害も出ているようだし、さらに「次は東京直撃地震」という流言がながれたりしたこととも関係があるだろうから、「災害の中心」と「首都」との距離がなかったのだ、というとらえ方もできるのかもしれない。
 ところで、中井氏はその「災害がほんとうに襲った時」のなかで、次のように書いている。

 テレビで国民が戦闘場面をみる戦争を、「テレヴァイズド・ウォー televized war」というのは、『タイム』で知っていた。ベトナム戦争はアメリカの、チェチェン戦争はロシアの、最初のテレヴァイズド・ウォーだという具合である。この表現に倣えば、阪神大震災は、日本最初の「テレヴァイズド・カタストロフ」である。全国的規模において多量の救援物資と多数のボランティアとを動員させたパワーは、テレビ画面であった。首相官邸でさえ、大幅にテレビに依存していたという。

 ‥‥もちろんこのことは、こんかいの震災にもあてはまることだけれども、こんかいのTVは、被災地と首都との「近さ」を感じさせる力もあったのではないかと思う。震災当日には多くの「帰宅難民」が発生し、被災地で余震があれば、首都圏も揺れているのである。だから報道をみるものは、みずからもまた「被災者」なのではないかという心理におちこんだ。原発事故もまた、被災者意識を加速させた。そういう側面もあったのではないか。阪神大震災との根本的な相違ではないのか。
 中井氏は、阪神大震災のときに通信手段として活躍したのはファックスだったと書いている。まだ固定電話全盛の時代だったんだなあと思うけれど、それはこんかいの震災ではメールであり、Twitter であったことは明白で、これから、その意義などについて考える必要があると思う。きょうはめんどいから考えない(Twitter やってないし)。

 きのうまでのこの日記を読んでみると、わたしもイヤな人間で食料の備蓄リストなんか書いたりして自慢タラタラなんだけど、おとといの段階では、もやしやえのき茸、そして梅干の備蓄もあったことを書き忘れていた。イヤらしさの追加である。この何日かは、白菜とえのき茸、ほうれん草と豆腐をぶちこんだ鍋ばかりを夕食で食べている。朝食はトースト、昼食はインスタントラーメンかスパゲッティというところは変わらない定番(昼食のもうひとつの定番、焼きそばは店頭から消えてしまった)。食パンもインスタントラーメンもストックが少なくなってきて、スーパーに行ったときにわずかに残っているのをみると、(ちょっとだけ)買ってしまいたい誘惑に駆られたりする。しかし、この騒動がおさまるまでは、つまり、スーパーの店頭にいぜんのようなストックがもどってくるまでは、買ってはいけない。自宅のストックがなくなればほかのものを食べればいいのだ。
 こんかい、そうやって「買い占め」をやってしまったひとたちも、やってしまったことは仕方がないけれど、もちろんもうこれからは「買い占め」なんかやんないで、その買い占めた食料品で、しばらくは生活してほしい。そもそもが、こういうときのための「買いだめ」ではないのか。それでもって、被災地で避難生活を続ける被災者の方々の生活の、ほんの一端でも、理解できるかもしれないし、まずはなにより、いまの食料品の品薄状態を解決する方策にもなるではないか。なんか、ふだん食パンなんかそんなに食べない家族がこんかいの騒ぎでいっぱい食パン買い込んで、「けっきょく食べなかったね(もともとパン食の習慣なかったし)」と、賞味期限の過ぎた食パンを大量に捨ててしまう光景が予見できるようで、イヤだ(食パンは冷凍保存できるけどネ)。



 

NN 2011/03/29 10:07 こんにちは。
先日「災害というプリズム」という言葉を聞く機会があり、出典を求めていて貴ブログに出会いました。どうもありがとうございます。
中井久夫氏によるものとのこと、宜しければ「災害という名のプリズム」についての文章が掲載された本をご紹介いただけませんでしょうか?
ぜひ読んでみたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。

crosstalkcrosstalk 2011/03/30 04:47 コメント、どうもです。
出典は、みすず書房1995年刊の「1995年1月・神戸 「阪神大震災」下の精神科医たち」(中井久夫編)です。冒頭の、中井氏の「災害がほんとうに襲った時」という文のなかに「災害という名のプリズム」のことが書かれています。

NN 2011/03/30 09:38 crosstalk様
早速のご回答どうもありがとうございます!
取り寄せてぜひ読んでみようと思います。

本当にどうもありがとうございました。

crosstalkcrosstalk 2011/03/30 15:20 Nさま
わたしも気になって調べたのですが、この「1995年1月・神戸」という本は現在版元で品切れ中になっています。みすず書房のホームページによると、急きょ4月に「災害がほんとうに襲ったとき」の標題で再編集されたものが刊行されるそうです。また、私が参照したこの中井氏の「災害がほんとうに襲った時」という文章は、ノンフィクションライターの最相葉月氏の提案により、以下のURLに無償公開されているそうです。どうぞご一読を。


http://homepage2.nifty.com/jyuseiran/shin/

crosstalkcrosstalk 2011/03/30 15:32 いま、そのネット上の「災害がほんとうに襲った時」をみてみたのですが、わたしの引いた「災害という名のプリズム」についての部分はもとの本の文末に掲載されていた「私の日程表」のなかに書かれていて、このネット上のテクストではアップされておりませんでした。
Amazon でも「1995年1月・神戸」の古書はべらぼうな価格がついています。4月はもう目の前ですので、あたらしく再刊される「災害がほんとうに襲ったとき」をお求めになられるのがよろしいかと思います。いま、読まれるべき本だろうと思います。

N 2011/04/04 10:36 crosstalk様
ご丁寧にどうもありがとうございます!
幸い図書館で95年の版を借りる事ができ、「私の日程帳」に図説されているのを見つけることができました。
そうなんです、ネット上に公開されている「災害がほんとうに襲った時」には、この部分はふくまれて居ないのですよね。
再刊が決定したのですね。まだ全部は読めておりませんが、本当に、今こそ広く読まれるべき本かと思いますのでとても嬉しく思います。

良い本をご紹介頂き、本当にどうもありがとうございました。

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■ 2011-03-19(Sat) このエントリーを含むブックマーク

f:id:crosstalk:20110320100923j:image:right あさ、またちょっと大きな余震があった。震源は茨城沖。そのあとに買い物に外に出ると、外壁の角の下の部分が20センチぐらい崩れ落ちていた。いままでなかった外壁の破片も下に落ちていて、どこからのものなのかわからない。
 よるになってまた、大きな余震。すわっている目のまえの壁の亀裂が、その左右で違う動きをする。断裂になっているのだからあたりまえだけれど、揺れているあいだその壁の動きをじっと見つめていると気分が悪くなる。災害映画ではなく、ホラー映画の一ショットみたいだと思う。

f:id:crosstalk:20110320100954j:image:left ニェネントはとても元気でうれしい。わたしが移動するとこそこそとあとをつけてきて、うしろからわたしにとびついてくる。ベッドに上がろうとすると、その足にねらいをつけて、わたしの足が上がったしゅんかんにジャンプしてタッチしていく。寝て本を読んでいても、ふいにわたしの腕めがけて跳び上がり、わたしの腕にしゅんかん前足をまわして抱きつくようにして、あっというまに跳び去ってしまう。パソコンに向かっていても、いきなりわたしの背中にタッチして、そのままダッシュして逃げ、部屋じゅうをかけまわる。躁状態なのか。でも、かわいい。

 21日には東京へ行く予定。電車の便をたしかめに駅に行って、駅員さんにスケジュールをきく。この駅から取手まで行く私鉄の方は、一時間に一本は運行している。その日のうちに帰ってくるには取手を何時に出ればいいのかきき、駅員さんが電話で問い合わせてくれる。返事の来るあいだ、いまだ不通のままのJRのようすをきいてみた。水戸の方よりも、ここから10キロほど東のあたりの方が被害は深刻らしい。帰宅して調べてみると、駅舎が半壊(屋根が崩落)し、線路自体が湾曲しているのが目視でもわかるということ。復旧はまだまだ時間がかかりそう。

 そういうわけで、鉄道での交通手段の断たれたこの地域では、遠方からの通勤には自動車の利用がまえ以上に不可欠になってしまって、ガソリンの品薄に拍車をかけることになっている。それぞれのつとめ先の企業が適切な指示(遠方からの通勤者には休暇を与えるとか)が求められるかもしれない。そのほか、食料品の買い占め行為などについて、きのうも友人と電話で話したりもしたのだけど、きょうになってネット上でおもしろい記述をみつけた。某新聞のサイトの読者の質問コーナーのようなところで、yahoo の知恵袋のように質問に対して読者が答えているのだけど、そのなかにじっさいに「買い占め」をしてしまった主婦らしきひとの投稿があって、それによると、主婦仲間のメール連絡網のようなものが存在し、まいあさ、品薄品がどこの店に売っているか、さらに、どんなものが品薄になりつつあるかの情報がまわってくるらしい。すごい、と思ったのは、そういう情報メールには「わたしたちもがんばりましょう!」という結びの句が書かれているということ。ほとんど、ブラックジョークの世界である。

 きのう引っぱり出してきた「1995年1月・神戸」のさいしょの、中井久夫氏の「災害がほんとうに襲った時」を読む。名著「治療文化論」の著者らしく、震災地のバックにある日本文化、神戸の特有の文化に関しての記述、分析が多いけれど、じっさいの阪神大震災時の、地元の精神科医による、精神科治療の継続、拡大についての、著者自身の体験を通して書かれた切迫したドキュメントである。ここで書かれていることは、まさにいま、ここからは東北の方角の地で起こっていることだろうし、これからさらに拡大していくことだろう。しかし、状況はずいぶんと阪神とは異なるだろうと想像がつく。
 1923年の関東大震災は「烈火」の震災だった。1995年の阪神大震災は「崩壊」の震災だったということが出来るとすれば、こんかいの震災はまさに「津波」の震災だった。被害地域は東北の太平洋岸にそった、青森から茨城、千葉までも含められるほどに、何百キロにわたった帯状の地域に拡がっている。というか、延びている。阪神ではひとつの医局でも、その災害のほぼ全容をある程度つかむことも可能だったのではないかと思うけれど、こんかいはそのような全容をつかめるような「司令部」すら、設定が難しいだろう。各地域の救援グループ、医師団などはその自分の受け持ち地域だけしか見渡せず、他地域との連携は難しいのではないかと思う。これは中井久夫氏の書いていることだけれども、震災の初期段階が経過したころ、ナースさんたちの精神的ケアが重要課題になったということである。これを克服するために、他地域からヴォランティアで来ている精神科医師による面談調査を実施するわけだけど、こんかい、分断された各被災地で、そのようなケアが可能だろうか、ということが気になる。
 軽便なインスタント食品は医師たちの常食でもあったそうで、被災者の方々と同様に、もしくはそれ以上に、救援グループ、救援医師の方々には、インスタント食品は重要なのである(彼らには、「炊き出し」などを被災者の方々と共に食べることを遠慮しようという気もちがあることが想像できるし、じっさいにそうなのだ)。「買い占め」など、やっている場合ではない。

 被災者は、じぶんの被災体験を他者に語ることでいやされる部分がある。現地で取材している報道陣は、じっさいに報道される以外のところで役立っている(使命をはたしている)のだろう。これから、被災者たちのこころを守り、救わなければならないというケースが大きくなってくるだろう。報道されることのない現地の救援グループ、医師、ナースの方々、とにかく救援と復旧にちょくせつ尽力されている方々の活動を、気もちだけでも(すみません)支援したい。




 

 

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■ 2011-03-18(Fri)

 震災から一週間経った。じぶんがまよわずに「震災」ということばを選んでしまうことにおどろく。きょうからしばらくはしごとも休みである。いったいいつになったら復帰することになるのか、このまま復帰することもないのか、わからないのである。つまり収入が減ることになるので、先行きにまた不安がつきまとうことになりそうである。震災以後食品類が品薄になったり安く買えなくなったりしているので、その点も心配なのである。

 きのうネットで読んだはなしでは、食品の買いだめはスーパー、コンビニだけが対象でなく、地方(主に西日本だろう)から首都圏への食料の宅配が、異様に増加しているらしく、たいていは個人からの注文らしい。被災地に届けられるまえに買い占めて届けさせまいという競争をしているのだろうか。なにが「抑制のとれた行動をする国民」だよ、と思う。食料を備蓄するんならするで、いまだけでなくずっといつでもやっておくべきなのだと、いまのわたしは大きい声でいえる気がする。それで、いま手元にある食品類のリストをつくってみたりする。

 ●お米   4kgぐらい
 ●食パン  3斤
 ●おもち  4切れ
 ●そば   5食分
 ●そうめん 1食分(賞味期限切れ)
 ●パスタ  900g
 ●インスタントラーメン 3食分
 ●カップ麺 1食分
 ●ご飯パック 1食分
 ●玉子   7個
 ●牛乳   1パック
 ●カレールー 1箱
 ●ビーフシチューのルー 1箱
 ●各種レトルト食品 4パック
 ●缶詰類 4缶
 ●缶詰(カットトマト) 2缶
 ●缶詰(フルーツ)4缶
 ●海苔佃煮 ビンに半分
 ●白菜 1玉弱
 ●キャベツ 1玉弱
 ●レタス 1玉
 ●ブロッコリー 1株
 ●タマネギ(小) 5個
 ●ニンジン(大) 2本
 ●じゃがいも 4〜5個
 ●長ネギ 3本ほど
 ●ほうれん草 2/3パック
 ●ハム 120g×3
 ●ウィンナ 300g
 ●肉類 合計1kgほど
 ●さんまみりん漬 1枚
 ●その他調味料類など
 ●ししゃも(ニェネント用) 5〜6匹
 ●ネコ缶 6缶
 ●ネコ用ドライフード 1kg弱

 震災以降に買ったのは、白菜と長ネギ、ほうれん草だけかな。食パン、肉、さかな類、そしてブロッコリーは冷凍保存してある。備蓄量はいつもこのくらいはキープするようにしてあるけど、こんかいは野菜以外はしばらくは減った分を買い足せないだろうから、これからどんどん目減りしていくと思う。いまは食パンがほとんど売っていないのがイヤだな。
 食品の備蓄をするようになったのはせいぜいここに越して来てからのように記憶しているので、あまりデカイことはいえないけれど、阪神大震災のときから「ある程度キープしておかないとな」とは思っていて、缶詰類はいちじはもっとたくさん備蓄していた。こんかいもみな、平常にもどればもう食料の備蓄なんかしなくなることだろう。

 それで、中井久夫氏の編集した「1995年1月・神戸 阪神大震災下の精神科医たち」という本がまだとってあったと思い、本棚を探す。せんじつ本をあれこれ移動したのですぐには見つからなかったけど、やはりまだ持っていた。いまはまたこの本を読もうか。

 せんしゅう、地震の来たときに観ていたテリー・ギリアムの「Dr.パルナサスの鏡」を、ぜんぶ観終える。そのあと、「愛の泉」という古い映画も観てしまった。


 

[] 「Dr.パルナサスの鏡」(2009) テリー・ギリアム:監督  「Dr.パルナサスの鏡」(2009) テリー・ギリアム:監督を含むブックマーク

 いま、CGを駆使して疑似現実的世界を構築するのではなく、ファンタジー的な方向の演出に生かそうとしている監督というのは、ティム・バートンと、このテリー・ギリアムあたりということになるだろうか。そういう意味で彼らの新作はいつも楽しみにしているんだけど、どうもさいきんの彼らの作品は、たしかにそういうファンタジックなCG画像は楽しめるんだけど、ちょっとばかし低調、という印象がぬぐえない(テリー・ギリアムの「ローズ・イン・タイドランド」は大好きだけど)。
 この新作にしても、脚本に面白そうな部分も散見されるようにも思うけれども、あまりにもとっちらかってしまっている印象が強い。ドラマ演出もぎくしゃくして流れが悪く、いったいどうしてしまったんだよ、という感じである(製作中のヒース・レジャーのとつぜんの死が影響したのかもしれない)。とちゅうに「モンティ・パイソン」的な演出が散見されたりして、まあテリー・ギリアムとしては、シリアスなモンティ・パイソン、というあたりを狙っていたのかもしれない。
 この作品ではじめてみる女優、リリー・コールがよかった。キャリアをみるとファッション・モデルらしいけど、サリー・ポッターの2009年の映画にも主演しているらしい。サリー・ポッターは大好きな監督なんだけど、この「Rage」という作品は日本では公開されない可能性が強そうだ。彼女と、悪魔役のトム・ウェイツが、ふたりでタンゴを踊るシーンがすばらしかった。


 

[] 「愛の泉」(1954) ジーン・ネグレスコ:監督  「愛の泉」(1954)  ジーン・ネグレスコ:監督を含むブックマーク

 原題は「Three Coins in the Fountain」で、ローマのトレヴィの泉に銀貨を投げ入れたローマではたらく三人のアメリカ女性の恋の行方を描いた、イタリア観光ロマンティック・コメディ。「ローマの休日」がこの前年の製作だから、二匹めのどじょうをねらって、こんどはカラー撮影で行きましょうという感じ。撮影は美しく、イタリアの景色の自然の色彩と登場する女性たちの原色っぽい衣装との対比も効果的で、アカデミーのカラー撮影賞(むかしはこういうのがあったのか)というのを受賞している。監督のジーン・ネグレスコはそもそも画家出身らしく、絵画的構図がはまっている。じっさいにトレヴィの泉が有名になるのはこの作品によってのことらしいので、ローマの人々は迷惑したことだろう。
 映画会社のグラフィック・ロゴが出てくるまえに、そのトレヴィの泉などローマ風景にかぶせて、フランク・シナトラの歌う、あ、この曲、聴いたことあるという、映画と同タイトルの主題歌が通して流されるあたりも面白い。三組の男女が、「あ、うまく進展しはじめましたね」から「やばい、こわれてしまうそう!」となって、もちろんさいごはみんなハッピー・エンディング。たあいのないおはなしで現実味も乏しいけれども、作家とその秘書との熟年恋愛には、渋い味わいもある。



 

 

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■ 2011-03-17(Thu)

 わたしのつとめ先でも、通常のしごとはほとんどなくなってしまった。ほんの少量の海外からの荷物が到着するだけで、あとは営業所間のわずかなやりとりのみ。分室へ移動してもやることがなく、すぐにまた本室へ逆戻りして、ふだんやりなれない別のしごとをする。おそらくは震災のニュースなどのせいでテンションのあがってしまっている社員が、わたしたちがしごとが出来ないと、理不尽な怒りをあらわす。出来るわけないじゃないか、やったこともないのに。指導ではなく叱咤の連続。ほかの社員もあきれているけれど、ちょくせつ諌めるひともいない。この社員はきのうまでも休憩時間にこの震災でのじぶんの身の回りのことばかりえんえんとしゃべりつづけ、「あぶないなあ」と思っていた。きのうはほかの社員がきこえるように「そういうじぶんのことばかりになるにんげんが、買い占めをしたりするんだ」などと、口調としては冗談めかしてもはっきりといったのだけれども、視野のせまくなっているひとには他人のことばはまるで届かないのだ。しばらくこんな調子がつづくのではうんざりするし、人員もあまっているのだから、上部からのやんわりとしたサジェッションもあり(会社としては、休んでいてくれとはいえないが‥‥)、わたしの同僚らはみなあしたからしばらく休むことにした。わたしもあしたさえ出れば、そのあとのスケジュールが三連休になっているので、とにかくあしたは休んでとりあえず四連休にする。おそらくそのあともしばらくは休むことになるだろう。さあ、あしたからはとうぶんお休みだ。
 きょうは、こうやってひとはパニックに陥るのだ、というのを観察できた。当の本人はじぶんは冷静なつもりで、ぎゃくにいま、じぶんだけがしっかりしているのだと思っている。そして暴走する。これも災害のひとつの様相なのだろう。とにかく、思考回路でどんなことでも「じぶんだけが」と考えるようになるのは、危険信号である。

f:id:crosstalk:20110318085442j:image:right きょうは冷え込みが強く、三月も中旬だというのに水たまりには氷がはっていたりする。寒い。
 部屋の机の上の棚などを地震のあとに整理したもので、ニェネントがすぐにここにのぼってしまうようになった。それで、上から跳びおりるときに、足をひっかけていろんなものを下に落とす。きょうはついにまたCDプレーヤーのスピーカーを落下させた。つまりそのことでわたしは怒ったのでニェネントを追いかけ、つかまえて押さえ込み、「おまえがまた地震のまねをしてどうするんだよ!」と叱りつける。バカたれが。まあニェネントが元気だということはいいことだけど。

 原発事故のニュース。わたしの住んでいる場所は、福島の原発グラウンド・ゼロから150キロぐらいの距離がある。ニュースできく政府や東電の状況説明は、事態が危機化してから「こうなってしまった」というばかり、そのときの対策の説明ばかりで、ではこれから悪い方向に進むとどうなるのか、いつも楽観的なみかたしか示さないように思える。国内のネット上のサイトはどこも「(いまだに)原発は心配ない(といっている)」か「チェルノブイリ基準で半径300キロはダメ」という両極端か、政府の説明を追従したものばかり(もっとひどいのも、いっぱいあるねえ!)。こういうときは海外のニュース解説の方がずっと役に立つのである。多少悲観的なみかたをしていることが多いけれど、わたしの考えでは、最悪の事態になってもこの地に住みつづけることはできるという判断に落ち着いている(まだ、最悪中の最悪という「秘密兵器」を東電が隠ぺいしているかもしれないけれどね!)。とうぜん東京はだいじょうぶだろう。わたしの場合は、どうせこれからニェネントと同じぐらいしか生きないし、これでいいのだ。
 わたしが参照した海外ニュースのソースを書いておいた方がいいのだろうか?

 もういいかげんTVの報道にもうんざりして、息抜きがしたくなった。番組表をみると、WOWOWでOtis Redding の番組をやっている。これを観た。泣けた。Monterey Pop Festival で「Shake」を歌うOtis、死の前日に収録されたTV番組のライヴで、Bar-Kays をバックに「Try a Little Tenderness」を歌うOtis。なんてすばらしいんだろう。音楽の力は偉大だ。そして、「(Sittin' On) The Dock Of The Bay」。Janis Joplin が亡くなったあとには彼女の「Me and Bobby McGee」がヒットしたけれど、この曲はわたしにはあまりJanis らしさも感じられず、あくまでも追悼の意をくんでヒットしたように思えてならないけれど、このOtis の「(Sittin' On) The Dock Of The Bay」は、それ自体名曲である。彼の死がなくても大ヒットしていただろうし、これだけの曲をさいごに遺した彼の死が、よけいにくやまれるばかりである。わたしはOtis Redding のCDを持っていないけれど、番組のあと、「Atlantic R & B Years 1965〜1967」っつうのを引っぱり出してきて聴いた。「Try a Little Tenderness」、最高である。

 あと、すこし前に買ってあった「ツイン・ピークス」のDVDのパイロット版(つまりは第一話がはじまるまえの、ほんらいの第一話)を観る。不穏である。良い。

 きょうは、きのう読み終えたハイスミスの「ふくろうの叫び」の感想を。

 

 

[] 「ふくろうの叫び」パトリシア・ハイスミス:著 宮脇裕子:訳  「ふくろうの叫び」パトリシア・ハイスミス:著 宮脇裕子:訳を含むブックマーク

 これはむかし読んでいるし、クロード・シャブロルの監督した映画版も観ている。やはりハイスミスの作品のなかでは格別に彼女らしさのあらわれた作品で、たしかに彼女の「代表作」のひとつにあげられると思う。でも、ハイスミスは小説が下手。この作品でもなかばになってから、それまでのストーリー展開をくり返すだけのムダな対話が長く続いていたりするし、ミステリーとしては、ある男を狙っていることがまちがいない男が逮捕されるけれども保釈され、その狙っている男の家に行ってしまうのというのはありえない、という感想になる。

 この作品のいいのは、主な登場人物四人の誰ひとりとして「まともな」にんげんがいない、ともいえることで、主人公のロバートはいわば「のぞき魔」といわれてもしかたがない行動をしてジェニーと知り合うわけで、まあ彼は犯罪者からはほど遠い存在なのだけれども、いっしゅの「孤独癖」のようなものがあり、じぶんは精神を病んでいると思い込んでいるフシもある。優しいんだけど、その優しさがアダになるといういうタイプかな。で、ジェニーもまたこまったちゃんで、まあつまりは生真面目に「死」に取りつかれた存在で、ロバートのなかに勝手に「死」のシンボルを見い出してロバートに深入りしようとする。いちばんつきあいたくないタイプの女性である。そのジェニーと婚約していたのがグレッグで、ジェニーがロバートと知り合ったことに不審感をいだいてジェニーらを問いつめ、婚約を破棄されるとロバートをうらんで復讐しようとする。わかりやすいドメスティック・ヴァイオレンスタイプの男性で、ちょっと描写がうすっぺらい印象はある。これにロバートの離婚した前妻のニッキーというのがからんできて、彼女はロバートを精神病あつかいする女性で、例によってハイスミスのミソジニーの投影された、ほんっとうにイヤな女なのである。
 それで、舞台になるのがニューヨークからちょっとばかし離れた田舎町で(夜にはふくろうも鳴くのだ)、離婚して転居してきたロバートはこの地にほとんど知り合いもいない。ジェニーも同じように町の人間ではない。これで、保守的な町の人間の風評などがこの物語のバックボーンになり、タイトルは「ふくろうの叫び」だし、まるで「ツイン・ピークス」の一挿話にいれてあげてもいいような、歪んだ世界の展開はとっても面白い。
 物語はとちゅうのジェニーの部分以外、ほとんどすべて主人公のロバートの視点からの一人称で書かれているわけで、彼の迷い、疑いなどがそのまま描かれて効果的だし、彼を救うであろう思慮深さも印象に残る。ジェニーと「死」との親和性も、なんというか、純文学的というか、いいんだけれども、主要登場人物四人の存在に、その「死」の観念でもいいから、何か通底するものを与えていたならば、かなりの傑作に仕上がっていたのではないかという気もする。




 

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■ 2011-03-16(Wed) このエントリーを含むブックマーク

 15日に書いたように、水道水が出るようになった。復旧に気づいたいきさつがちょっとわたしにはおかしかったので書いておく。午後三時ごろに買い物しようと外に出たのだけれども、わたしの家の目のまえの道路に水たまりができていて、しかもその水たまりには道路のわきの家の庭(この家はわたしの家のまん前の家なんだけど)からどんどん水が流れてきている。って、この水って何よ、というわけだけれども、これは厳寒時に凍結した水道の蛇口を解放したまま放置して、凍結がとけて水が出てきたときの現象を思い出させられる。蛇口を解放したひとは水が出るようになったのに気づかずに放置しているのだ。おお、ついに水が出るようになったのか!という思いが、まさに電球マークのようにあたまにひらめいて、家にとってかえして水道の蛇口をひねってみた。まさしくたいていのひとが形容するようにゴボゴボという音がして、蛇口から水が流れはじめた。うれしい。すぐに風呂の準備をして給湯スイッチを入れた。また外に出て、その水を流しっぱなしにしているお宅のブザーを押した。家のひとが出てきたので、「あの、水が出るようになってるんですけれども、たぶんお宅の庭の蛇口が開きっぱなしになっているようで、道路に水があふれてるんです」などと伝える。「水が出ているようになった」ということをさいしょに伝えるあたり、わたしも興奮していた。その家のひとも「あ、ありがとうございます」といって庭に出ていったので、わたしもそこで家に帰った。

 計画停電というやつは、この茨城県も被災地ということで、このあたりも計画から除外されたようである。せっかくランプの準備までしたのに残念である。いまはほとんどのじかんTVをつけっぱなしにしているので、あまり「節電」しているとはいえないかもしれない。それでもわたしはかなり模範的な節電家になるのではないかと自負している。どうだろう。食料の備蓄についてもふだんから留意していたので、地震発生以降あわてて食料品を買ったりもしていない。そうだな、買ったのは気分をあかるくするための日本酒と、そのおつまみ関係、きのうになって白菜とか長ネギなどを買ったのがさいしょの食料品だろうか。食パンはいつも最低四斤、最大で八斤は冷凍庫に冷凍保存している。まいあさの朝食に食パン二枚を使ってちょっとしたホットサンドをつくって食べるのがこの四、五年の習慣だけれども、きょうもまだ四斤の食パンが冷凍庫に入っている。しかし、いったいなぜスーパーの食パンがいっせいに消えたのか、謎である。みながみな、冷凍保存をはじめたのだろうか。玉子もあまっていても毎週十個入りのパックをかならず買っているし、牛乳もいつも封を切っていないパックが冷蔵庫のなかにある。インスタントラーメンも五袋はキープしてあるし、そのほかにそば、パスタの類もけっして切らさないようにしている。タマネギ、じゃがいももいつも在庫はあるし、いまの時期はなんといっても白菜である。米はさすがに備蓄などしないけれど、ちょうど買ったばかりだった。そういうわけで、地震発生時からなにも手に入らなくなっていたとしても、水とガス、もしくは電力さえあれば、このさき一ヶ月は食べるものに困るようなことはないのであった。こんかいのことにみなが懲りたのであれば、これからはみなわたしを見習いなさいと、(かなり小さな声で)ささやいてみてもかまわないのではないかと思っている。そのことが被災地へのヘルプにもなるし、みずからが被災したときのそなえになるのだから(ライフラインが断たれれば役に立たないかもしれないけれど)、一過性の事象にしてはいけないよ。

 先に書いたように、この茨城県も「被災地域」と認定されたわけだけれども、報道などされるレベルではない茨城の被災状況をすこし。もちろん被害の大きいのは太平洋沿岸地域で、大洗海岸は津波の被害も受けているし、水戸市はそうとうのダメージを受けているようだ。道路の陥没などの写真をみてもいるし、15日には市内で斜面の崩落が予想されて避難勧告も出されている。せんじつ訪れたりした水戸芸術館の被害があり、館内のパイプオルガンのパイプが落下したり、展示室内でも天井の落下などがあり、再開館時期未定でで閉館している。現在開催中だった「クワイエット・アテンションズ 彼女からの出発」展の展示作品も被害に遭い、別の作品になってしまったようである(写真参照)。

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 水戸方面の被害のため、わが町を通過する貴重なローカル線、水戸線も、再開通のめどはいまだにたっていない。きのう駅の近くの踏み切りを通ると、なんと踏み切りの遮断機の棒が撤去されてしまっていた。もう当面電車は動かないのだから、よけいなものははずしておこうということなのか。
 そういうわけで、この町からの鉄道はすべてストップしていたのだけれども、きょうあたりからようやく、関東鉄道の常総線というヤツが、一時間に一本ぐらいは動きだしたようである。これを使ってつくばエクスプレスに乗り換えたり、取手まで出て動いている常磐線を利用すれば、なんとか東京などにも出かけられる。いつまでもこの地にふさいでいると気がめいったりもするので、来週あたりは上京したい気分である。

 この町の被害状況だけど、家屋の崩壊はなかったようだけど、水道はいまでも出ていない地域がある。なんと、わたしの家から100メートルも離れていないわたしのつとめ先では、まだ断水している。停電していた地域はどうやらすべて復旧したようである。
 コンビニは営業しているけれど、食料品を中心に品薄で、購入数などに制限が設けられている。せんじつ書いたように、近所のドラッグストアは天井の崩落でまだ営業再開していない。スーパーには三軒まわってみたけれど、どこも営業はしているけれども、どの店でも共通して天井のパーティションのようなガラスが破損していて、「立ち入り禁止」にされているエリアが存在する。食料品の入荷が不安定ということで、どのスーパーも曜日ごとに設けていた特売日を休止している。おかげで、水曜はバナナや玉子が安いよ、とか、木曜は全商品10パーセントオフだよ、などというのがなくなってしまう。わたしのような貧乏人にはイタいことである。

 TVをみていると、どの報道局も被災地に特派員を派遣して、現地からの報道に力を入れるようになってきた。阪神淡路大震災のとき、現地の被災者の方々からも「この様子を見て行って下さい」といわれていたことも思い出し、現地からの報道は被災者の方々の気もちを代弁してもいるだろうとも思うけれど、つと「いい話」だとか、「感動する話」という方向にシフトするようである。これは再開された民放のCMのほとんどがAC(公共広告機構)のものに統一されていることとも連係されているのだけれど、つまりは国民に「今、怒るな!」といさめているわけだろう。そうなのか、それでいいのか。ネットを閲覧していると、メディア・リテラシーについて書かれているサイトに複数ぶっつかったりする。何を書いているのかと思うと、現在の原子力発電所のもんだいに関して、「今の数値は人体に影響ないのだから冷静に」という主旨での「メディア・リテラシー」だった。もちろん冷静でいることはひつようだろうけれど、危機がせまっているのはたしかなことで、ここで彼らのいう「メディア・リテラシー」は、「ごまかし」である。そうではない。いま、わたしなどにどのような対策がひつようなのか、対策はできないのか、できるのならそれは何か、というのを知ることがひつようなのだと思う。それをやらないメディアの一体化戦略に流されないようにしたい。

 いま、わたしは「感動」などよりは、もっともっと、「絶望」というものを知り、「虚無」をこそ見つめたいと思う。すこし平常心を取り戻し、パトリシア・ハイスミスの「ふくろうの叫び」を読了した。これもどす黒い世界観で堪能したけれど、感想はあしたにでも。続いて「何を読もうか」と考えて、せんじつ買ってあったル・クレジオの「物質的恍惚」を読みはじめた。これが冒頭からまさに、いまわたしの読みたいものだったので、ちょっと読んでいてもゾワッとした。たとえばこんな一節には、涙さえこぼれてしまう。

 ゆっくりと、伸び伸びと、力強く、無縁の生命はその凸部を膨らませて、空間を満たしていた。まるで烈火の尖端で燃える焔のように、だがそれはけっして同じ焔であることがなく、在るべきところのものは即座に、かつ完全無欠に在るのだった。存在の数々は生まれ、そして消えていった。絶えず分割され、空虚を満たし、時を満たし、味わい、そして味わわられていた。何百万もの口、何百万もの神経、触覚、大顎、触手、偽足、眉毛、吸盤、蝕知管が世界じゅうにひらかれて、物質の甘美な発散物の入ってくるにまかせていた。いたるところにあるのはただ、光、叫び、薫(かお)り、寒さと暑さ、厳しさ、食物などの数々だけ。いたるところにあるのはただ、戦慄、波動、震動の数々だけ。だがそれでも、ぼくにとっては、それは沈黙であり、不動であり、夜だった。麻酔だった。なぜならぼくの真実が住まっていたのは、これらのはかない伝達の中にではなかったからだ。この光の中、この夜の中にではなく、生命に向かって顕現されていた何ものの中にでもなかったからだ。他者たちの生命は、ぼくの生命と同様、瞬間の数々にすぎなかった。世界をそれ自身に返す力のない、束の間の瞬間の数々にすぎなかった。世界はその手前にあり、包みこむもの、現実のものだし、些細なものにあたって溶け去るとらえがたい堅固さ、感覚することの不可能な、愛したり理解することの不可能な物質、充溢した永い物質であって、その正当性は外的なものではなく、内的なものでもなくて、それ自体なのだった。

 ル・クレジオ「物質的恍惚」P11〜12 (豊崎光一:訳)



 

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■ 2011-03-15(Tue) このエントリーを含むブックマーク

 水道が開通した。とりあえずプチ被災者気分から逃れ、いまの状況をなんとか把握しようとする。海外では抑制された日本人の行動に賞賛の声もあるようだけれども、とんでもないと思う。もう、わたしたちは怒りを身体であらわす力も奪いさられるまでに、身体レベルで管理されてるんじゃないかということではないのか。そんなことは、自慢などできることではない。スーパーやコンビニで、食料品や飲料水がまっ先に売り切れた。そしてガソリンが売り切れようとしている。それを買ったのは誰か。それは、べつにあした食べるものがないという困窮したひとではなく、ただのあしたへの不安感から、とにかくいま売っているものを買っておこうという「小市民」たちである。彼ら、彼女たち、そしてわたしは、その「あしたへの不安感」というものが何なのか、つきつめて思考しているのだろうか。

 福島の原子力発電所がこれからどのような様相を示すようになるのかわからないけれど、おそらくはわたしなども共有しているであろう「あしたへの不安感」は、まずは原子力発電システムということにもあるのではないだろうか。なんどもなんども、原発への反対運動はなされてきたけれど、結果としてこういうことになってしまった。おびやかされているのはわたしの命であって、もうこれは「あしたへの不安感」などではない。「今日の不安」なのだ。ハッキリ書いておかなくてはならないのは、こんかいの「地震」と、「原発事故」とを、同次元で捉えてはならないということ。

 わたしは、現在の人類には核分裂反応を制御しきれる技術力は持っていないと、むかしから思っていた。そもそも、核分裂反応で生み出される膨大なエネルギーで水を沸騰させ、その蒸気で発電するなんて、おそらくは核分裂エネルギーの数億分の一ぐらいの力しか引き出していないんじゃないだろうか。これは原爆でインスタント・ラーメンをつくるようなものではないのかと、わたしは以前から思っていたんだけども、そんな膨大なエネルギーを使いながら、それを制御する技術を人類はまだ持っていないと思う。その結果が、この大地震以降の成り行きだろう。もうこのまま戻れないところまで事態は進展してしまうのかもしれないけれど、いま、わたしなどが出来ることは、このいまの時点で、「現行のすべての原発システムの廃棄」という要求の声をあげることではないだろうか。「抑制された行動を取る模範的なニッポン人」と呼ばれることに喜んでいていいのだろうか。チュニジア、エジプト、そしてリビアの国民の起こした行動力をわたしが持たないとすれば、わたしのスピリッツはすでにもう、津波にさらわれて太平洋に流れ去ってしまっているのかもしれない。そして、その津波は1970年代に来ていたのか、80年代だったのか、90年代だったのか。すくなくとも3月11日の津波ではないだろう。


 以上書き終えてアップしたところで、在仏の舞踏家、岩名雅記さんからメールをいただいた。日本の報道は政府、東電、マスコミメジャー各社によって、いわば隠蔽された形で報道されているということ。以下の、東芝にいた元原子炉設計者の方の話を参照してほしいとのこと(1時間半もあるので最初の技術部分を飛ばしても真ん中あたりからの一問一答だけでも観てくださいということです)。

http://www.ustream.tv/recorded/13320522

残念ながら、わたしのいまのPC環境では観ることが出来ないけれど、きっと‥‥(こういう状況でデマ、流言はつきものだろうけれど、内容を確認しないまま、岩名さんを信頼してアップします)。


 

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■ 2011-03-14(Mon) このエントリーを含むブックマーク

f:id:crosstalk:20110315114325j:image:left 地震騒ぎで「発情期気分」もふっ飛んでしまったニェネントも、その後PTSDなど無縁に元気である。ネコを飼っている会社の人のはなしや、ひそかに読んでいるブログからなどで、飼いネコが地震におびえてしまったはなしを聞いたり読んだりしているわけだけれど、ニェネントの辞書に「おびえる」という語句はない(そもそもからして、彼女の辞書にはすべての語句が載っていないらしいのだ)。地震以後わたしがいろんなものをひっぱり出してきたり、棚から落ちているものもあったりするので、好奇心全開。わたしが何かをいじっていると飛びついてきて、わたしの手先の動きに合わせてまえ足をくり出し、よけいな「お手伝い」をしてくれる。よく「ネコの手も借りたいぐらいいそがしい」というけれど、ネコの手はまったく邪魔なだけなのである。いそがしいときにネコの手を借りてはいけない。

 この市内にはあちこちに拡声スピーカーが設置してあって、いぜんから緊急時には広報などが放送されていたわけで、こんかいも毎日のように市からのお知らせが放送される。しかし、さいしょとさいごのチャイム音いがい、わたしの部屋からはいったい何をしゃべっているのか、まるで聴きとることはできない。あれが津波警報だったとしたら、わたしはもう何十回も津波に飲み込まれていることだろう。

 福島の原発をふくむ多くの東京電力の発電所の機能低下、操業停止を受けて、きょうから関東地方で計画停電なるものが行われることになった。都心をのぞく関東地区を五つのグループに分けて、一地域三時間ずつほど交代で電力の供給をストップしていくとのことで、この地域は「第一グループ」ということで、あさいちばんからと、そしてよるになってもういちどの二回停電するらしい。
 わたしはきょうはしごとも非番なので家にいてニュースをみている。けっきょく、あさの停電は行われなかったのだけれども、よるにはどうなるかわからないとニュースではいっている。とりあえず電池式のラジオもあるし、あかるいうちの停電は冷凍庫の保全以外どうってことないけれど、よるに電灯が点かないのはちょっとこまる。懐中電灯を点けっぱなしというわけにもいかないので、ロウソクなりランプなりの対策が必要になる。おそらくは多くのひとがロウソクを買い求めて走っているだろうし、この地域はすでにながいこと停電していた場所が多いので、とうにロウソクなど売り切れてしまっているだろう。そこで活躍するのがランプということになる。わたしはランプを持っている。ひつようなのは灯油なりの燃料だけである。これも、この部屋のまえの住民が部屋の外に赤いポリタンクを置きっぱなしで行ってしまっているわけで、ポリタンクのなかにはきっと灯油がはいっているにちがいないと、まえから思っていた。ポリタンクを室内に運んで、あまり残っているわけでもない中身をチェックしてみると、あんのじょう灯油だった。暖房用にはぜんぜん足りる量ではないけれど、あかりとりには十分すぎる量である。これで夜の照明もんだいは解決としよう。ランプみたいな、持っていても飾りぐらいにしか役立たないだろうと思っていたものも、こうやってちゃんと役立ちそうである。

 あとは停電中の情報源としてのラジオのチェック。じつはこいつは、せんのさいしょの地震のときに洋服ダンスの上から落下してしまっている。わが家で崩落した数少ない物品のひとつなのだけれども、その後チェックもしないで放置してあった。電池はぜんかいは三年以上使えたのをきょねん交換したばかりだから、まずもんだいはないだろう。で、電源を入れてみると、これがウンともスンともいわないではないか。いぜんはきこえていた電源投入時の「バチッ」というノイズからして、まるできこえない。これはヤバい。電池の入れ方を変えてみたりしたけれどダメなので、内部で断線しているか、部品がどれかダメになった可能性が高い。分解してみてあれこれとさわっていると復活する場合もあるので、とにかく分解してみる。‥‥ダメ、である。ある程度以上分解できないような構造になっているし、あちこちいじっても復帰しない。これはもう、使えないだろう。こんかいの地震での被害のひとつとして記憶におさめることにした。しかし、このラジオ、かつて一世を風靡したパナソニックの「COUGAR」ってヤツなんだけど、おしいなあ。もっと活躍してもらいたかった。

 そうすると停電中の情報源がなくなるので、ここはやはりあたらしいラジオをひとつ購入すべきかと、ちゃんと営業していることを祈って、近所のホームセンターへ行くことにした。
 ホームセンターの駐車場には車がいっぱい駐車しているようなので、どうやら営業しているようだ。しかし、近づいてみると、たくさんのひとがセンター入り口に向けて長い列をつくって並んでいた。こうとっくに開店時間はすぎているはずなのに、どうしたんだろうと列を乗り越えて入り口のあたりに行ってみると、店内が危険な状態になっているので、店頭のみで限られた物品に限り販売しているらしい。売っているのは電池、ロウソク、灯油、ゴミ袋、などなど。列には二百人ぐらいのひとが並んでいるし、ラジオは買えない。家にはとりあえずひつようなものはそろっているので、並ばずに帰宅する。帰宅経路で近くの百円ショップのまえを通ると、ここも列が出来ている。この店は店内には入れるのだけど、入場制限を設けて、いちどに多くのひとが店内に押しかけないようにしているらしい。家の近くのコンビニは「ひとり六品まで」という制限をもうけて営業しているし、さまざまな営業のすがたがあるわけだ。

 帰宅するときに、家の近く、歩いても二分ほどのところの自転車屋が、店頭に「地下水あります ご自由にお使い下さい」というはり紙をしているのを見た。うれしいことである。家からバケツとペットボトルを持って出て、蛇口から出る井戸水をいただいて帰った。ほんとうに感謝である。昼食にはスパゲッティをゆでた。これは、ゆでたあとの水をまた、トイレを流すとかなにかと再利用出来ることを考えてのことである。夕飯にはちゃんと、あしたの分と合わせたご飯を炊く。

f:id:crosstalk:20110315114351j:image:right よるもけっきょく停電しなかったけれど、ランプに灯油を入れて、点灯テストをしてみた。ニェネントが「なに! なに!」と、興味津々で近づいてきた。余震が起きなくても、ニェネントのせいでランプが転倒してしまうこともありうるのがわかった。

 



 

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■ 2011-03-13(Sun) このエントリーを含むブックマーク

 さくやも、TVをつけたまま寝てしまった。原発の状態が気にかかる。きのうは水の出ていた公園の水飲み場も、とうに出なくなってしまっている。給水タンクに残っていたのがカラになってしまったということ。このあたりは霞ヶ浦用水から給水されているらしいけれど、その霞ヶ浦からの水道管がどこかで断絶しているらしい。

f:id:crosstalk:20110314075032j:image:left つとめ先の上司に、このあたりでも地震のちょくせつの被害の見られるところがあることを聞き、しごとのあとに自宅周辺を歩き回ってみた。まずは、駅の南の、ローカル線と並行して走っている桜並木の道路ぞいの一角。コンクリートの塀が、長さ20メートルぐらいにわたって、道路側にそっくり倒れてしまっている。これはただコンクリートのブロックを支えもなしに積み重ねてあっただけで、内部に支えもなかったようだから、ひとたまりもない。地震発生時にこの塀にそって歩いていたらたいへんだ。

f:id:crosstalk:20110314074925j:image:right しっかりした塀でも、一部崩壊している場所があった。おそらく支えがしっかりしていたから全体の崩壊にはならなかったのか、と思う。

f:id:crosstalk:20110314075147j:image:left これはわたしの家から300メートルぐらいのところ。駅前の通りにある建物で、いぜんは証券会社の事務所が入っていたのだけど、二、三年まえから空きビルになっている。見た目はいちばんの被害という感じがするけど、天井部の外装が落下しただけということで、ビル自体はしっかり建っている。

f:id:crosstalk:20110314075259j:image:right 地震直後から営業をストップしているドラッグストア。きょうも営業していないけれど、入り口のわきに崩壊した店舗内装の一部が放り出されているのに気がついた。これも天井の部分なのかもしれない。店舗の内部はかなり混乱しているのだろう。

f:id:crosstalk:20110314075359j:image:left 駅のそばの商店。外壁がはがれて落下している。

f:id:crosstalk:20110314075507j:image:right きょうも運行されていないローカル線の駅の改札口。

f:id:crosstalk:20110314075622j:image:left 駅の北側にも何ヶ所か、目に見える被害のようすが見てとれる。これは駅北口のそばにある建物で、むかしは書店だったのがいまはどこかの事務所か、もしくは空きビルになっているところ。二階の大きな窓ガラスが割れてしまっている。
 開閉出来るサッシにはめ込まれた窓というのは容易なことでは割れないもので、阪神淡路第震災の直後に神戸に行ったときも、建物は崩壊しているのに窓ガラスは割れないで残っているのを何ヶ所でも目にした。でも、こうやって建物の構造のなかに埋め込まれているガラスというものは、割れてしまうのである。建築設計の際には考えておくべきことだと思う。

f:id:crosstalk:20110314075756j:image:right これも、北口の駅の近くの居酒屋。やはりはめ込まれたガラスが割れ落ちている。

f:id:crosstalk:20110314075919j:image:left ここは珍しく建物の外壁がはがれてしまっている。北口。

 もちろん、こういったこの地の被害状況など、東北地方の太平洋沿岸でのあまりに凄惨な被害状況にくらべたら、ほんとうにいかほどのものでもない。しかしこの日記はじぶんの身のまわりのことを書いているものなので、あえて、という気もちもあってここに写真をアップしておきます。

 きょうも何をするでもなく、いちにちTVのニュースを見てすごす。きのうの夕方には千葉に住む娘から電話があって、無事を確認できたし、きょうは友だちとメールのやりとりもした。どうやらきのうわたしの送付したメールは届いていなかったようで、ちょっと心配されていたような。メールが届いていないのは、娘との電話でもわかった。届かなかったからといって<Mailer Deamon>として戻ってくるわけでもないので、こっちはこっちでとうぜん相手はメールを受け取っているものと思い、「返事が来ない」と心配する。電話ならとにかく通話が出来ないから「ダメだ」と認識出来るけど、緊急時のメールには要注意である。

 あしたは給水ポイントに水をもらいに行くべきだろうか。報道ではあしたからは各地域で順繰りに停電して行くようなことをいっている。よる、暗くなってから停電するようなら、ランプに活躍してもらわなくてはならない。灯油も買いに行かなくては。

 



 

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■ 2011-03-12(Sat) このエントリーを含むブックマーク

 未曾有の大災害の翌日。よなかにうとうとしながら聴いていたTVのニュースでは、ひとつの町が消滅したとか、海岸に無数の死体が発見されたとか、おそろしいことをいっていた。そんな日だけれども、きょうはしごとである。ちょうど目覚しが鳴るちょっとまえに、また大きな地震が起きた。この地震の震源は中越の方だという。いったいどうなっているのか。連鎖反応であちこちで地震が起きるということなのか。TVをみているとまた地震速報で関東地方の地図が出て、震源地がちょうどこの近辺としてマークがついていたりする。まさかという思いであるが、これは誤報だったようである。

 出勤すると、もちろん皆きのうの地震のことを話しているのだけれども、この市内でも南の方などはずっと停電が続いているらしい。水道も断水しているとのことで、まだわたしの住まいのあたりはめぐまれていたのだな、などと思う。勤務地の社屋にも、床に亀裂が入っていたり、旧社屋と増築部分との境界で、天井に二十センチほどのすきまが出来ていたりする。これでこのあたりまで停電しているとしごとにならないのだけれども、それはだいじょうぶだった。

 しごとを終えて帰宅して、水道の蛇口をひねると、水が出なかった。ありゃりゃ、という感じである。水が出ないとわたしも被災者である。どうしたらいいのか考えて、帰宅するときに、公園のなかの水飲み場で水をくんでいるひとがいたのを思い出した。ひょっとしたらあそこの水はまだ出ているのかもしれないので、捨てようとしていた大きめのペットボトルをふたつ、トートバッグに入れて、公園に行ってみた。すでに水飲み場でお米をといでいる(!)ひとがひとりいたけれど、ほかには誰もいない。水は出ているようだ。ありがたい。わきで順番をまっていると、別のひとがバケツを片手にやって来て、わたしのあとに並んだ。すこし地震の話などをする。ペットボトルをいっぱいにして、帰宅する。これでとりあえず昼食だとかの準備も出来るし、飲料水も確保である。トイレはダメだな。

 買い物出来るようなら買っておきたいものもあるので、もういちど外へ出てコンビニへ行ってみるとおおぜいのひとがレジのまえに並んでいて、食料品はもうほとんどなにも残っていない。もちろんミネラルウォーターのたぐいも皆無。その向こうのドラッグストアへ行くと、「地震のため休業します」という貼紙がしてあった。
 ローカル線ももちろんストップしている踏み切りを越えて、北側のスーパーにも行ってみる。ここは営業しているけれど、やはりものすごい数の客で、駐車場は満杯、レジの前からスーパーのいちばん奥までひとが並んでいる。日持ちする食料品、飲料水などはまるで残っていない。さらに東に歩いてみて、図書館のまえを通って、アルコールの量販店のようすも見にいく。図書館も入り口に「地震のため閉館します」と書いてある。書棚から本がみな崩れ落ちていたら、それは大変だろう。閉架などはおもてよりきっとぎっしり本を積んであるだろうから、もっと深刻だろう。アルコール量販店も営業していなかった。被災者気分が高まる。

 買い物をあきらめて帰宅してニュースをみていると、関東地方でいまでも停電が続いている地域はほとんど茨城県だけである。やはり茨城はほんとうは東北地方なのだろう。ベランダの外にひとかげがみえて、「誰だろう」と見やると、おそらくは市役所のひとらしいのがふたり組んで、建物の被害状況をチェックしているようだった。窓を開けて、「市役所の方ですか」と聴くと「そうです」ということだったので、部屋のなかにたくさん亀裂が入っていることを告げる。外側にもすこし亀裂が入っていて、「これもきのうの地震のせいですね」と聞かれる。もちろんであるが、外の亀裂には気がついていなかった。近所を歩いても、家の外壁に亀裂が入っているようなところはないかとチェックしたりするのだけど、そういう建物はみあたらない。思いのほか、わが部屋がこの近辺でいちばんの被害をこうむっているのかもしれない。

 昼食は公園でくんだ水でインスタントラーメンをつくり、夕食はラッキーにもきのう米を二日分炊いていたのが残っていたし、そのまえにたくさんこさえたカレーが冷蔵庫に入っていたので、それですませる。ふだんから食料は備蓄してあるので、なにも買えなくなっても十日ぐらいは不自由しないけど、水がないとお手上げである。早く復旧してほしいけど、とにかく近隣地域のように停電していなくってよかったと思う。冷凍庫内の、かなり大量の肉類などが解凍してしまったらえらいことだった。

 あまりにも多くの被災者の方々が生き延びられ、また幸せな日を迎えられることを祈り、犠牲者の方々に追悼の意をささげます。



 

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■ 2011-03-11(Fri) このエントリーを含むブックマーク

f:id:crosstalk:20110311162545j:image:right きょうも晴天。しごとから帰り、昼からヴィデオを観る。ヴィデオもそろそろ終わるころになって、あたりがゆっさゆっさと横ゆれしはじめた。かなり大きい揺れである。しかも、なかなかおさまらない。というか、だんだんに揺れが大きくなってきて、棚の上のものなどが下に落ちはじめた。あたりから雑音がひびいてきて、棚自体がそっくり、倒れないで動き始めた。電気がいっしゅん消えてしまい、これはもう大地震といえるのではないか。とにかくこんな大きな揺れははじめての体験で、もうドアから外へ出なければ家も崩壊してしまうように思い、ドアのところへ行ったのだけど、そのときにドアの上の壁に亀裂が入り、目のまえに壁の破片がこぼれ落ちた。「もうおしまいか」と思った。停電はすぐに復旧してなんとか揺れもおさまり、家のなかをチェックすると、いちばんひどいヒビがはいっていたのはトイレのなかだった。玄関口、和室、リヴィングそれぞれの壁にもヒビがはいった。さいわいにもTVも本棚も倒れたりしたものはなかった。これはほんとうにラッキーだったと思う。水道の水はちゃんと出るけれど、水量が細くなっている。ガスはちゃんとつくのだけど、ガスの元栓には揺れを感知して遮断する装置がついているはずなのに、あれだけの揺れのあとにこうやってガスがでているのはヤバいんじゃないかと思う。

f:id:crosstalk:20110311162635j:image:left TVをつけると、震源は宮城県沖の方らしい。津波警報が出ていて、津波の高さが10メートルになるともいっている。大災害が起きているようだ。しばらくしてまた大きな揺れがきて、気もちが落ち着かない。小さな余震はしょっちゅう起きていて、そのたびに建物全体が軋む音がする。ニェネントも部屋が揺れるたびにあちこちに移動する。また揺れはじめて、また余震かと思っていると、さいしょの揺れに近いぐらい大きな揺れになった。いいかげんこの建物もさいしょの揺れでガタガタになってしまっているだろう。次にちょっと揺れても崩壊してしまうような気になって、落ち着いて部屋にも居られない気分で、批難場所になっているすぐそばの公園に行ってみた。五、六人のひとが出て来ていて、ちょうどわたしの家の向かいに住んでいらっしゃるご夫婦の方と顔を合わせ、お話をする。家具が倒れて大変なことになっているらしい。知人に電話してもつながらないと。

f:id:crosstalk:20110311162658j:image:right 落ち着かない気もちで家に帰り、ネットの情報などをみる。このあたりは「震度6強」だった、となっている。東京でも震度5強と出ているので、家屋が崩壊しなくてもどんな事故が起きているかわからない。じっさいにお台場のビルの上から黒煙と赤いほのおがあがっている映像が流れていて、知人などの安否がとても心配になる。さらに、宮城県の津波の映像が流される。TVの解説者も、解説にならない叫び声をあげる。ディザスターだ。知人や娘などにメールする。
 夜になってそれぞれからメールの返信が来て、無事が確認できた。ニェネントもおとなしくなり、どうやら地震騒ぎのおかげで、発情期も何もふっとんでしまったようだ。TVのニュースをつけたままでベッドに入り、報道をききながら寝た。

 



 

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■ 2011-03-10(Thu)

 ニェネントは、きょうもまだ「サカリノさん」。いっしょに部屋のなかにいても「なんだかなー」という感じである。いったい、いつになったらおさまるのだろうか。
 こないだ観た映画、「喝采」のなかでマッチョぶりを発揮していたウィリアム・ホールデンが、「女というものはみな、はじめはジュリエットだが、いずれマクベス夫人になってしまうのだ」といっていた。みながみなそうかどうかはわからないぞ、と思うあたりにまだ、わたしのロマンティシズムがうろうろしているわけだけど、まあこういうセリフをいってみたいという体験はそれなりに持っていたかもしれない。

 きょうはヴィデオを二本。さいきん読書がはかどらない。

 

[] 「ウエスタン」(1968) セルジオ・レオーネ:監督  「ウエスタン」(1968) セルジオ・レオーネ:監督を含むブックマーク

 

 原題は「Once Upon a Time in the West」。なんと、脚本は監督のセルジオ・レオーネと、ダリオ・アルジェント、そしてベルナルド・ベルトリッチらによる共同脚本になっている。東から西部への鉄道敷設をバックに、西部開拓という時代の終わり、アウトローたちの成れの果てを描いたような作品で、クラウディア・カルディナーレの名まえが、タイトル部で出演者のトップに出てくるわけで、彼女の入浴シーンのサーヴィスもある。
 もう、このジリジリするような演出はセルジオ・レオーネ監督の独壇場というか、ここまで来るとこれはもうマニエリスムと呼んでいいんじゃないか。部分のアップから部分のアップへと移動する、いったい何が起こっているのかわからないカメラ。それから、アップから引いて行って状況を示すカメラ。左右に移動してさらに状況の展開を示すカメラ。冒頭のアウトロー野郎の顔をはい回るハエのしつっこさが印象的で、どうやってあのハエに演技指導やってのけたのか、さすがに名監督なのである。
 観ていて思ったのは、ヘンリー・フォンダっていうのは、ほんとうに銃を持つとサマになるなあということで、ちょっと腰を落として、顔からからだ全体までを鋭角な感じにして、周囲に警戒の眼を走らせるすがたはもう、どんな俳優にも出せない味だろうと思う。彼のそういう姿を観ることが出来ただけでも大きな価値があった。

 

[] 「赤い帽子の女」(1982) 神代辰巳:監督  「赤い帽子の女」(1982) 神代辰巳:監督を含むブックマーク

 プロデューサーは若松孝二で、第一次世界大戦後のドイツが舞台で、ナチスの台頭までを背景に、古城に住む貴族の末裔という高級娼婦のような女と日本人青年との、一筋縄ではいかない関係を描いたもの。おそらく全編ドイツでのロケで、セリフもほとんどがドイツ語。
 神代辰巳の作品で観た記憶にあるのは「嗚呼!おんなたち・猥歌」だけしかないので、こういう演出がこの監督の持ち味なのかどうかよくわからないけど、耽美的な雰囲気と、学生映画のような青臭さとが、同居しているような感じ。わたし自身は、よその国の事情をわけ知り顔に描くという姿勢にいつも共感できないわけで、ここでもナチスの描き方にそういう疑問がある。日本が単に「関東大震災」で軽くあしらわれるのも、バランスが悪い気がする。





 


 

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■ 2011-03-09(Wed)

 ニェネントは、きょうも「サカリノさん」である。ニェネントがうまれてきょうまでほとんどすべての期間をいっしょに暮らしてきても、わたしの気もちがまるで通じない「野生」のすがたをみせるニェネント。やはり「どうぶつ」なのだなあと思ったりする。しかし、うるさい。近所から苦情がこないかとしんぱいになる。

 きょうは東京に出かける用事があるので、ついでに池袋に寄って、東京芸術劇場で上演中の「野田地図(NODA・MAP)」の「南へ」の、マチネ公演を立ち見ででも観てみようかと計画を立てる。十日にいちどぐらいはどこかへ出かけて気分転換をはからないと、瘴気のようなものがたまってしまうような気がするようになった。なにも用事がなくっても、週にいちどぐらいはどこかへ出かけるのがいいかもしれない。陽気もすこしずつあたたかくなって来ているし、経済状態が許せば遠出もしてみたい気分である。

 それで、東京芸術劇場で当日券発売の列に並んでみたのだけれども、この日にかぎってヴィデオ撮影のためカメラがはいるので、立ち見券の販売はないということだった。そのほかの当日券はまだあったけれど、あまり高いチケット代を払ってまで観たいというのでもない。また来週のマチネ公演のある日に出直してくることにした。
 ちょっと時間があまったので、西武の書籍コーナーとジュンク堂などをぶらりとまわってみる。平凡社ライブラリーなどみていると、アラーキーの「愛しのチロ」の文庫サイズの写真集があった。「チロ愛死」はみているけれど、この「愛しのチロ」はまだみたことがなかった。元気なころのチロは、どことなくニェネントに似ていると思った。ニェネントの方がちょっとブスだけど、寝ているときの顔などはそっくり(寝ているネコはどれも同じような顔をしているのはたしかだけれど)。わたしの願いはニェネントにチロのように長生きしてもらって、それ以上にわたしが生きて、ニェネントを看取ってあげることだな、などと思う。前から買うつもりでいたル・クレジオの「物質的恍惚」を、買ってしまった。

f:id:crosstalk:20110311105729j:image:left 用事をすませて帰宅。駅を降りると、遠くの空は晴れているのに、わたしの真上はまっくろな雲がおおいかぶさっていて、あたりの光の具合が不思議な感じになっていた。いってみれば、マグリットの「光の帝国」だったかの絵のような感じで、空の暗さよりも地上のあれこれの風景の方が明るくみえる。ちょうど夕日が西の黒い雲の下に出てきたところで、太陽を中心にしてまぶしい光が四方八方に伸び拡がっている。太陽から光が拡がるのはあたりまえだけれども、きょうのように視覚的にはっきり感じとれるような機会は少ないと思う。

f:id:crosstalk:20110311105831j:image:right スーパーに立ち寄ってみると、いつもはあまり来ないこの時間帯は肉などの値引きがはじまる時間のようで、賞味期限の切れそうな肉類が半額以下になっていたりする。どうせわたしは冷凍保存するので賞味期限は関係ない。牛レバー、トリ肉、そして久々に牛肉など三パック買う。合計350円なり。値引き前の価格は880円ぐらいになるので、たいへんに得をした気分になる。こんどビーフシチューをやろう。
 帰宅して、ヴィデオをひとつ観て寝た。

 

 

[] 「蟹工船」(2009) SABU:監督  「蟹工船」(2009) SABU:監督を含むブックマーク

 

 きのうに続いての「蟹工船」。こちらはとつぜんの「蟹工船」ブームのあとに製作されたもので、まるで原作とは異なるイメージの作品。SABUという監督の作品は、ずいぶん以前に二、三本は劇場で観た記憶があるけれど、もう近ごろのものはまったく観ていない。疾走感を売りにしたような演出だったという記憶は残っている。
 で、この「蟹工船」。ターゲットをかなり若い観客層にあてているような感じで、劇画調というか、全体がマンガチックな演出になっているのではないか、と。ぜんたいに、現象としての共産主義運動とはどのようなものだったのか、というイメージを戯画化したような感覚もあり、ほとんどが閉鎖空間で進行する演出はやはり演劇の舞台のようであって、こういうことをやっている劇団も現実にあったんじゃなかったかと思ったりする。労働に関するデティールなど、きのう観た1953年版の方がトータルに描き込んでいたと思うし、けっきょくのところ、「蟹工船」ブームと結びつけて考えられる部分もみつからなかったし、面白い作品だとはまるで思えなかった。






 

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■ 2011-03-08(Tue)

f:id:crosstalk:20110310134710j:image:right ニェネントの発情期継続中。のどのおくから絞り出すような、やるせないなき声が部屋ぢゅうにひびいている。近所にもこのなき声はとどろいていることだろう。かのじょの発情気がおさまるまではニェネントのことを「サカリノさん」と呼ぼうと思う(「サカリノさん」は、唐十郎の戯曲「盲導犬」に登場する婦人警官の名まえで、上司の刑事がかのじょの名まえを呼ぶたびに、かれの視線がサカリノさんの腰のあたりをさまようというセクハラを受けるのである)。いままで、ニェネントの腰のあたりをなでてあげてもちっとも喜ばないでいやがっていたわけで、死んだミイは腰をなでてやると押し返してくるようにして、きっと喜んでいたのだけれども、ネコによって喜ぶポイントというのはちがうものだろうと思っていたのである。これが「サカリノさん」になってからのニェネントの腰をさすってやると、もう恍惚となってしまって、後ろ足の爪をたててよじり、のどをグルグルとならしたりする。まさに発情期なのである。そして、このはじめての発情期を経て、ニェネントもいっちょまえの牝ネコになったということであろう。お赤飯でも炊いてあげたいところでもあるけれど、部屋飼いのニェネントには牡ネコとめぐりあう機会はない。わたしがその機会を取り上げているわけだけれども、そういうことがニェネントにとって幸せなのかどうか、考えてしまうのであった。

 父のことをきちんと整理して考えるのはわたしの使命であり義務なのだけれども、いつも途中で放棄してしまっている。ここですこし整理しようと書きはじめてしまったけれど、じぶんでどこまでここで続けるつもりがあるのかはわからない。
 家族が上京し、その後の父にとっては予想外になる展開から、父は緩慢にみずからを消滅させはじめた。しかしそのおかげで、わたしはまさに生きはじめることが出来たのだった。それまでのわが家にどれだけ「家父長制」といえるものが存在していたかわからないけれど、九州時代には家庭内よりも外との関係のなかに家父長としての存在を顕然化させようとしていたフシがある。それが上京してからはいちどは家庭内を統率しようとしたようだが、すぐにその統率権を放棄してしまった。おかげでわたしはちょっとばかし中学の不良グループとつきあったりできたわけで、それはわたしの九州時代には考えられない「転向」だった。あの体験がなければわたしはまるでちがうにんげんになっていただろう。父の消滅によってわたしは生きはじめた。

 

 

[] 「蟹工船」(1953) 山村聰:監督  「蟹工船」(1953) 山村聰:監督を含むブックマーク

 

 もっちろん小林多喜二の原作だけれども、もっちろんわたしは読んでいない。このさいしょの映画化は1953年、「現代ぷろだくしょん」の製作、山村聰の脚本、監督、出演になるもの。Wikipedia をみると、原作も特定の主人公はいない群像劇として描かれているらしく、この映画もそのような演出になっている。これはもう、きょねん観たジョン・グリアスンのドキュメンタリー「流網船」プラス、エイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」といったテイストで、演出陣の熱の入れようが伝わってくる。つまりは蟹工船内での労働者の苛酷な労働、船に集まった労働者の出自などもまずはしっかりと描写され、それが後半の虐げられた労働者の蜂起につながる。この蜂起の場面は、観ていてもこちらの血がたぎってくる思いがした。無慈悲なラストは国家とその国体のみを守る軍隊への告発をも含み、労働者の地位向上と反戦思想というのがたくみに同一地平で描かれることになる。さいごに映される旭日旗のアップに込められた意識は強烈で、コミュニズムへのシンパシーというのがどれだけ、党員であった小林多喜二の原作に込められていたかはわからないけれど、力強いまとめ方だと思った。ただ、やはり群像劇というのはむつかしいようで、観ていても非人間的な監督役の浅川という存在ばかりが記憶に残り、労働者側の演出の焦点が拡散しているような印象はある。






 

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■ 2011-03-07(Mon)

 父は四国の出身で、九州に暮らしたというのは戦後母と結婚をしてからのことで、それが正確にはいつのころで、どのような理由で係累もない地で暮らすようになったのかもわからない。九州での生活は昭和三十七年までつづき、その後東京へ家族を伴って転居する。その理由も、その後のてん末もわたしは知っているけれど、いまはそのことを書くときではない。ただ、それは父には大きな「不幸」だったのではないだろうか。
 九州での父は、すでに社会人としてのバランスをうしなっていたのかもしれないし、母の存在もそのことにブレーキをかけるものではなかった。その土地で父はちょっとした名物男という側面もあったようで、酒の上でも事件を起こしてもいたし、警察や労働組合関係の係累も多く持っていたらしいけれど、わたしの印象では父には親しい友人はあまりいなかったように思い出す。そして、その子であったわたしの立場からいえば、父も母もひとしく、子を育てるうえでの何らの信念も指針ももっていなかった。そういう意味では、わたしは父と母との無思想の犠牲者である。父も母も、わたしをいいかげん甘やかすだけで、子育てとしてのしつけにも教育にもまるで熱意を払わなかった。おそらくこれは父の意向に母が逆らわなかったということだと思うけれど、じっさいにどうだったのかはわからない。
 わたしの記憶のなかで、父と遊んだという記憶はなにひとつ残ってはいないし、ただ、欲しがればほとんど何でも買ってもらえるおもちゃで遊ぶばかりだった。いちど食卓にあげられた献立でわたしが食べなかった料理は、その後二度とわたしのまえに並べられることはなかった。その結果、わたしはまったく野菜を食べられない、食べない子として成長した。もちろん肉類も魚類も食べない子だった。ごはんのおかずはつねに甘い煮豆類中心であり、さらにはきなこに砂糖をまぜたものをごはんにかけて食べるだけ、までにエスカレートした。このことはつまり、学校での給食がまるで食べられない児童として、小学校の六年間をすごすことになる。箸の持ち方を教えられることもなく、いまでもちゃんと箸を使える人間ではない。
 最悪だったのは、わたしの父がいまでいえばまさしく「モンスター・ペアレンツ」だったということで、そのことがわたしに苦痛をもたらしたということはないのだけれども、父親がたびたび学校へ苦情を伝えに通ったことは知っていたし、年度が変わって学級担任が交代するときに、申し送り事項としてわたしの父親の存在が「要注意」と伝達されていたことは知っていた。いったいどのような苦情だったのかということはまるで記憶にないけれど、おそらくは級友に乱暴されたとかけんかしたとかいうことが、苦情の材料になっていたのだろう。成長したわたしとしては、「そんな苦情をいうまえにじぶんの子供にちゃんとしつけして、偏食をなおすような努力をしろよ」という感じではあった。母はただ父の決定にしたがっていたような印象はあるけれど、先に書いたようにじっさいのところはもうわからない。

 この父のモンスター・ペアレンツぶりが上京後ぴたりと止んでしまったのは、わたしには多くの面で幸いだった。偏食は中学に進学して給食がなくなることで意識されなくなり、友だちと外食などをしているうちにじぶんで何でも食べるようになった。なんでも食べてみれば、食べられないものなどなにひとつなかった。
 あのまま九州でずっと家族で暮らしていたならば、おそらくは父のモンスター・ペアレンツ活動は中学でも続いていただろう。九州時代のわたしはとんでもない優等生意識に囚われた「イヤな」児童で、いま思い出しても赤面する思いだけれども、それが中学まで継続していたら、もう「回復不能」な存在になっていたかもしれない。
 東京で父がモンスター・ペアレンツぶりをストップしたというのは、じつはそこで、父が外の世界との交渉をストップしたということでもある。上京後の父は、きわめて緩慢な「消滅」への道を、ゆっくりと歩みはじめた。

 きょうは暗いうちから冷たい雨が降りはじめた。しごとを終えて帰宅するころには本降りになっていて、その雨は今にも雪にかわりそうに思えた。TVをつけると、東京では雪が降っていた。

 部屋のなかを歩いて、ニェネントのそばを通りかかるとニェネントはごろりと横になっておなかを見せ、わたしに甘えてくる。いつもより甘えん坊だなあなどと思っていると、急に変な声でなきだした。「わおーん、わおーん」というような振り絞るようななき声で、どうしたんだろうと様子をみると、床にべったりとすわりこんで、後ろ足を小刻みにふるえさせているように見える。どこか具合が悪いんじゃないかと心配になった。いつまでもなきやまないし、妙な動作も続いている。これはやはり動物病院へ連れて行かなくってはならないだろうかと、本気で考える。食事を出してあげて、それを食べないようだったらほんとうに具合が悪いんだろうと思って食事を出してやると、ちゃんとぺろりと食べてしまう。
 これって、ひょっとしたらネコの生理というか、発情期なんじゃないかしらんと思いあたりネットで調べると、どうやらまさしくニェネントは発情期に突入したようだ。ネコを飼ったことのなかったひとは、いちように「病気じゃないか」と心配してしまうらしいけれど、ニェネントもかなり強烈である。こんなにまで変な声でなき続けるのかと、ちょっとばかり驚いてしまう。夜になってもなきながら部屋のなかを駆けずり回り、この発情期はすぐには止まらないというネットの記述に、がく然としてしまう。



 

[] 「喝采」(1954) ジョージ・シートン:監督  「喝采」(1954) ジョージ・シートン:監督を含むブックマーク

 

 シリアスなバックステージもので、子どもを事故で亡くして失意のうちに零落したミュージカル俳優のビング・クロスビーと、彼をなんとか支えようとしてきた妻のグレイス・ケリー、そして新作ミュージカルにクロスビーを起用して彼にカムバックさせようとする演出家のウィリアム・ホールデン。ほぼこの三人だけでドラマが進行して、恋愛ドラマではない微妙な三角関係として面白く観ていたのだけれども、さいごにじつに唐突にホールデンがケリーに惚れてしまい、「なに、それ?」という展開になってしまう。まあそういう要素がないと興行的にむつかしいとかいう判断もあったのかもしれないし、単にクロスビーの復活ドラマだけでは弱いのもたしか。だから主役扱いのケリーに華をもたせるためには「恋愛ドラマ」、ということになったのだろうか。ホールデンのあまりにマッチョな押し出し、思考展開が、過去に傷をもつクロスビーのなよなよぶりと好対照なんだけど、ケリーを田舎出のしっかりした賢夫人(原題は「The Country Girl」)として、うまくふたりのあいだに割り込ませるのはいい展開だと思って観ていたけれど、ラストの展開と、それまでほぼすっぴんメイクで地味な服装だったケリーが、ドレスアップして美しくメイクして登場してくるのは、一面でがっかりしてしまう。




 

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■ 2011-03-06(Sun)

 九州にいたころ、父はかなりの映画ファンだった。母もそれに付き合うようによくいっしょに映画を観に行っていたわけで、わたしの小さいころの記憶にも、両親に連れて行ってもらってスクリーンで観た映画の記憶があれこれと、いっぱい残っている。ずっとあとで聞いたはなしでは、あしたの米を買う金がないというときでも、ひとに金を借りて映画を観にいったりしたそうである。映画雑誌も毎月買い続けていて、家の棚にはバックナンバーが何年分もずらりと並べられていた。もちろんそんな映画雑誌のグラビア写真がわたしの性のめざめに多大の寄与をすることになるわけだけれども、そのことはいま書こうとしていることとは関係がない。
 つまり、わたしの書きたいのはこういうことだ。映画などというものはいくらたくさん観て入れあげてみても、つまりは生きるためのこれっぽっちの支えにもならないのではないか。きのう書いたような父のその後の軌跡をまぢかに見せられたわたしの、映画というものへの不信感である。TVなどでわけ知り顔に映画批評を語る男らは(もちろん女の場合もあるが)、その映画が人生の何かを教えてくれるのだなどと言っているけれど、そんなことは嘘っぱちではないかと思っている。映画で何かを学ぶなんて幻想だろう。こういう思いはその後、映画ばかりを熱心に観る、つまりは映画ファンと呼ばれるようなひとたちと交際することによってよけいに確証されたように、じぶんでは思っている。もちろん、生きるための支えにならないというのでは、ほかの表現ジャンル、演劇だろうが文学だろうが音楽だろうが美術だろうが同じようなところもあるし、そもそもそういう表現を享受することを生きる支えにしようと考えるなんてばかばかしいことではある。しかし、文学や音楽に熱中することと、映画に熱中することとのあいだには、何らかの差異があるのではないかと思えてしまう部分はあるわけで、これは別に映画表現が何らかのヒエラルキーとしてほかのジャンルより下位だというのではなく、その表現のなかにある「現在性」というようなものが、とらえにくいせいではないかと思ったりする。それは演劇などでも同様なはずだけれども、演劇にはまだ「現在性」ということを前面に押し出すような構造が顕著な気はする。そりゃあ映画がつまりは「エンターテインメント」だからだろうといわれそうだけれども、そういうことではない気がする。ゴダールやフェリーニを観て、決してそれらの映画をしりぞけなかった父のようなひとがなぜ、生きることを放棄するような晩年になってしまったのか。わたしにはわからないのだけれども、父の愛したはずの映画が父を救えなかったということは、重い事実だったと思っている。そのことがわたしにはちょっとは深刻なもんだいであり続けていて、まだうまくいいあらわせないことだけれども、そのもんだいの端緒だけでもきょうは書いてみた。

 きょうはまた部屋のなかにハエか何かがいるらしく、ニェネントが天井の方を見上げてニャンニャンないている。ベッドのなかで本を読んでいたのを中断してニェネントをみていると近くにそのハエが飛んできたのか、まえ足を上に持ち上げてうしろ足で立ち、まえ足を宙でパチリと打ち合わせるようなしぐさをみせる。かなり敏捷な動きでみとれてしまう。ニェネントも野生の狩りの本能を衰えさせてほしくはないので、たまにはこうやってハエに飛び回ったりしてもらうといいのに、などと思う。どうせあたたかくなればイヤでもそういう状況になるのだけれども。


 

[] 「グラン・プリ」(1966) ジョン・フランケンハイマー:監督  「グラン・プリ」(1966) ジョン・フランケンハイマー:監督を含むブックマーク

 

 冒頭のカーレースのシーンから、そのスクリーン分割処理とかにちょっと驚かされる。タイトルデザインがソウル・バスなので、彼のアイディアもあるのかもしれないけれど、劇中に何度も出てくるレースシーンそれぞれにいろんな組み合わせのスクリーン分割が行われている。これはシネラマとして製作されたあまりに横長のスクリーンを間延びさせないための方策だったかもしれない。車に取り付けられたカメラからの撮影も迫力があって、シネラマのスクリーンで観た観客を満足させただろうと思う。マルチスクリーンはのちの「ウッドストック」の先がけのようにみえるし、サーキットを疾走する車からの映像は、「2001年宇宙の旅」での木星へ突入するディスカヴァリー号からの映像を先どりしているみたいではないか。

 まあそんなレースシーンがあればドラマなんかどうでもいいような作品だけど、むりやり登場させられているような女性たちが皆、男性の存在あってこその付属物のように扱われているあたりに時代を感じる。そうじゃないんだと描きたい気もちはあるようだけれども、やはり彼女たちはカーレースの装飾品だろう。


 

[] 「岩波 世界の美術 ダダとシュルレアリスム」マシュー・ゲール:著 巖谷國士・塚原史:訳  「岩波 世界の美術 ダダとシュルレアリスム」マシュー・ゲール:著 巖谷國士・塚原史:訳を含むブックマーク

 イギリスの批評家による視野の広い通史で、ムーヴメントとしてのダダ、シュルレアリスムの軌跡を実に立体的に描いていると思う。個々の作家の人物像を描くのではなく、あくまでも運動体としての1915年から1966年までの活動を、年代順に地域別に、的確に、コンパクトにまとめている書物だと思う。これからダダやシュルレアリスムを知ろうとするならば、これ以上の入門書はないだろうと思える。
 わたしもずいぶんとむかしにハンス・リヒターの「ダダ 芸術と反芸術」だとか、パトリック・ワルドベルグの「シュルレアリスム」、モーリス・ナドーの「シュルレアリスムの歴史」などは読んでいて、それなりの記憶はいまでも残っているのだけれども、この書物には知らずにいて教えられることが多かった。まずは再確認したことは、シュルレアリスムは「オートマティズム」という手法に対して、詩作上でも絵画制作上でも多大の信頼を置いていたということ。これは文学の上でも美術の上でもそれまでの時代の表現との断絶を強く打ち出せたことだろうし、「無意識」の現出ということでも、その理論と実践が調和していたわけだろう。
 この本を読んで意外だったこと、知らなかったことも多いけれど、まずは当初ブルトン(彼をシュルレアリスムの主流として)は「シュルレアリスム絵画」というものに重きをおいていなかったということ。彼が美術家としてつねにシュルレアリスムとの関係で信頼をおいていた画家は、意外にもパブロ・ピカソだった。当初注目されたイタリアの「形而上絵画」のデ・キリコは、紹介されてまもなくアカデミズムへ変節しているし、ピカビアはブルトンとはいつも反目しあっていた関係。ダリの登場はもっともっとのちのことだし、このあたりの時系列、人間関係の整理は、わたしにはちょっと新鮮だった。イヴ・タンギーのタブローは「ダリみたい」なのではなくって、ダリはタンギーの影響から、あの不定形なグニャグニャした形状を描いたのだった。

 先に書いたように、書物全体としては「美術史」としてのダダ・シュルレアリスム史ではなく、あくまでも運動としてのダダ・シュルレアリスムをとらえていて、第一次世界大戦のヨーロッパの危機から、第二次世界大戦、そして戦後の緊張のなかでどのように運動が消滅し、また持続していったのかが明かされる。それは一面ではスターリニズムとトロツキズムとのあいだで揺れ動くヨーロッパ左翼の歴史というような姿でもあり、そういう意味ではつねにシュルレアリスムの主流の中心にいたアンドレ・ブルトンは、その独善的で尊大な印象にかかわらず、かなりうまく時代の危機的状況を切り抜けていたのだ、という解釈も成り立つ。共産党に代表される当時のヨーロッパの左翼が革命後のスターリン支配下のソヴィエトに追従するなかで、ブルトンがはっきりとスターリニズムを拒否した姿勢はもっと評価されていいんだろう。おそらくこのことがシュルレアリスムを延命させ、より広範にシュルレアリスムの影響から、多くの作家があたらしい表現をともなって登場してくることになるわけだろう。
 シュルレアリスムが女性の存在を男性から「見られる」ものとして扱ったことは、シュルレアリスム批難としてよくいわれるけれども、考えてみれば、多くの有能な女性アーティストの輩出という点でもシュルレアリスムは機能していたわけで、そのあたりのこともこの本ではきちんと語られている。いまわたしがいちばん興味のあるヴィクトル・ブローネルに関しての記述が少ないのが残念だったけれど、そもそも、個別の作家についてはこの書物から得られるところは少ない。ちなみに、ヨーロッパ以外の国でシュルレアリスムの影響のもっとも早くあらわれた地域は日本だということで、図版で古賀春江の作品が見開きで紹介されている。

 著者は、シュルレアリスム運動、その影響は現在もなお継続中であるだろうと結語しているわけだけれども、別刷りの「訳者のことば」には「ともすればダダもシュルレアリスムもすでに完了した過去の出来事とみなし、固定した通念のなかにとじこめようとする傾向の見える日本‥‥」と書かれている。その「とじこめようとする」張本人こそ、この翻訳者だったのではないか、などと思ってみる。ちなみに、翻訳で選ばれていることばがときに不適切で、意味が捉えにくいところがある。





 

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■ 2011-03-05(Sat)

 夢に父が出てきたりしたので、父のことを思い出したりしてしまった。けっきょく父は不幸な死を迎えたひとだったけれども、それは父が自ら招いた不幸だったという側面もある。いくどか不運なできごとが起きたことも事実だろうけれど、父はその不運を乗り越えられずに、自分では意識せずに下降を続けて行った。非常に緩慢に、自分のことを「存在しない人間」へとおとしめて行ったのが、父というにんげんだった。そのことは、母が脳こうそくで倒れるまで誰も気がつかなかった。そのときすでに父は、ひとりでは生きて行けないにんげんになっていた。母の入院のあと、父は認知症のような症状をみせるようになったけれど、父は認知症のなかに逃避したのだと、わたしは思っている。もう生きる興味を失ってしまったような父の状態に、わたしはもう何をすることも出来なかった。福祉制度の整った自治体の地域に生活していたおかげで、ほとんど待つこともなく施設に入所できたのはラッキーだったけれど、そうでもなければ当時のわたしの生活ももっともっと振り回されていただろう。もうほとんどコミュニケーションのとれなくなった父に会うのは悲しかったし、つらかった。
 脳こうそくからある程度回復した母もまた、ほとんど耳が聴こえないこともあって、やはりふつうにコミュニケーションがとれなくなっていたけれど、回復してからは、同じ施設に入所していた父の存在をはげしく忌避するようになった。父にはあまりに残酷な現実だっただろう。しかし、父に責任はなかったのだろうか。このあたりの過去の反映がきのうの夢にあらわれていたわけだ。
 以後、わたしは「父のようには生きない」ということだけを目指してきた。世界でいちばん恐ろしいことは、意識がありながらも「存在しない人間」として生きることだと思う。わたしの意識にかかわらず、「わたし」のそとでは時間が流れていく。その「わたし」とは無関係に流れていくように思われる時間を、「わたし」のなかに「内化」しなければ、「存在」は、内的にも外的にも消えていくだろう。そのことを、わたしは父から学んだ。ひとに誇れるような生活ではないけれど、まだわたしは存在している。

 あしたは非番。あさしごとへ行き、帰ってくると「あしたはしごとも休みだ」という気分から、くつろいだ気分になる。あさってしごとに出れば、その翌日はまた休みである。こういう「飛び石」な休み方が、いちばんいい。

 録画してあるヴィデオをひとつ観た。「ダダ・シュルレアリスム」の本ももう少しで読了。


 

[] 「パラノーマル・アクティビティ」(2007) オーレン・ペリ:監督  「パラノーマル・アクティビティ」(2007) オーレン・ペリ:監督を含むブックマーク

 

 「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」みたいな、「記録のためにカメラを設置してあります」ということを前提としたフェイク・ドキュメンタリー。こういうのを「モキュメンタリー」と呼んだりもするらしい。ほぼふたりだけの出演者は、つねにカメラの存在を意識しているわけで、カメラというものは演技のレベルでは存在しないことになっている一般の劇映画とはまったくちがう演出。それでもかなり映画的なカメラ位置の移動、編集はされていて、ある程度の時間の経過を示すカットには、フェイドアウトなどの映画的技法が使用されている。つまり、「映画的」解決に頼っているところが大きい気がするのだけど、素材としての映像を、あとから誰かが編集しているというかたちをとっているわけだ。その「誰か」が、つまりは「映画監督」なのだという手法である。それと同時に「カメラ」の存在に重要な意味を持たせることで、カメラへの意識を正当化するプロットになるわけだけれど、この種の作品では「どのようにカメラの存在を正当化させられるか」に評価がかかってくるように思う。そのように、この作品は「カメラの存在を正当化する」ことだけの作品なのだけれども、「リング」などのジャパニーズ・ホラーからの影響が大きいようだし、そういうジャパニーズ・ホラーを見なれた眼からすると、あまりにあっけないではないか、という気になってしまう。まだまだ、「この場面をよくみると、ほーら、こんなものが写ってる‥‥」みたいな、マニアックなことをやってもいいと思うけれど。





 

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■ 2011-03-04(Fri)

 はじめて、ニェネントの出演する夢をみた。

 わたしはどこか倉庫のなかのような所にいて、どうやら外は夜である。その倉庫のなかにわたしといっしょにニェネントがいて、ニェネントは倉庫の壁ぞいを周回して、外へ出られる出口を探している。ニェネントが外に出てしまったら大変だけど、たぶんどこの出入り口もしまっているようだからだいじょうぶだろうとわたしは思いながら、ニェネントのあとを追って行ってニェネントをつかまえようとしている。ところが倉庫の奥の引き戸がひとつあいていて、ニェネントはその引き戸の向こうへ行ってしまう。外へ通じていたらめんどうだと思いながら、わたしも引き戸の向こうへ行く。そこにも新しい部屋があって、やはり倉庫のように見えるのだけど、壁ぞいに二段ベッドがしつらえてあって、その下の段に寝ていたらしい知らない男が半身を起こして、こちらを見ている。部屋全体が蛍光灯のあかりのような光につつまれているけれど、男の寝ているあたりだけは電球の黄色い光で照らされている。それまで気がつかなかったけれど、わたしの背後の部屋の中央に大きな台があり、その上にわたしの母が寝ている。その母の向こう側に、いつのまにか父が立っている。どうやらわたしは父に連れられてこの場所に来たらしい。母が父に「どうせ車で迎えに来てくれたわけではないのでしょう」と、悪意をこめた声で父に語っていて、それを聞いているわたしは「母のいうとおりだ」と思っている。なぜ母がここにいるのかわからないが、父と母は決定的に不仲になっているようで、この夢には思い出せない先行する部分があるようだ。大きくアップされた母の顔のイメージが記憶に残っている。
 ニェネントを連れて帰るのに、ニェネントの首をひもでつないで、犬のようにして勝手にどこかにいってしまわないようにしようと、部屋のなかを見まわしてひもを探す。棚の上に、巻き取られないでぐにゃぐにゃと宙をはっている針金があって、その針金の先の方にブルーのビニールひもがひっかかっている。ひもをたどるとその下の玉になったビニールひもまで続いている。わたしはその青いひもをニェネントの首にまき、犬を散歩させるようにニェネントを連れて帰ろうとしている。もう父も母もいないようだ。

 ‥‥シュルレアリストたちは「夢」の領域を重要視していたはずだけれども、重要な「夢日記」のようなものが残されているということはあまり聞いたことがない。「自動筆記」で残された有名な著作はあれこれとあると思うのに、意外な感じがする。むかし国文社から出ていたセリ・シュルレアリスム叢書のなかに「夢の軌跡」という巻があったと思うけれど、読んだことはないし、それほど重要視されているものとも思えない。勝手に想像して、「夢」というものを秩序立てて記録することのなかに、彼らが忌み嫌った「文学」というものに回帰してしまう危険性を感じたのではないのか、と思ったりする。こうやってきょう見た夢のことをじぶんで書いていても、その夢でほんとうに大事なのは、文字にできない部分のなかにしかないのだ、という気にもなってしまう。

 読書がちょっとばかしはかどらなくなってしまっている。夜になって「さあ読もう」とベッドに入って本を拡げても、たいして読み進まないうちに眠くなってしまってそのまま寝てしまう。読んでいる本がつまらないわけでもないし、内容があたまに入らないというわけでもない。ひるまとかに、ヴィデオを観すぎているのかもしれない。おかげでこのごろは八時前にはもう寝てしまっていることが多い。まあ朝起きるのは四時だから、眠りすぎているというわけでもないのだけれども。

 そういうわけで、きょうもヴィデオを二本観た。


 

[] 「突撃隊」(1962) ドン・シーゲル:監督  「突撃隊」(1962) ドン・シーゲル:監督を含むブックマーク

 

 スティーヴ・マックィーンが、ハードボイルドな一匹狼の兵士を演じている。ほかにボビー・ダーリンやジェームズ・コバーンなど。演出的にはのちの「ダーティハリー」の原形ここにあり、とでもいった感じで、軍規にしたがわないマックィーンの造型のなかに、ハリー・キャラハンっぽさが見えかくれする。マックィーンの造型にはハリー・キャラハンのひねたユーモアのセンスはないけれど、それをまわりの脇役たちがサポートしてかもし出しているという感じ。
 軍規を犯して駐屯地の酒場へ行くマックィーンと、その酒場の女とのやりとりがよかった。女の誘惑に乗らないというのも、やっぱりハリー・キャラハン的なのである。


 

[] 「アメリカン・グラフィティ」(1973) ジョージ・ルーカス:監督  「アメリカン・グラフィティ」(1973) ジョージ・ルーカス:監督を含むブックマーク

 ストーリーはガキっぽくっておセンチな「卒業物語」だけれども、登場人物たちがあれこれの車を乗り換えてチェンジング・パートナーズしていく構成は楽しいかもしれない。1962年の夏の終わりという設定で、当時のヒット・チューンがカー・ラジオから(例のウルフマン・ジャックのDJで)ばんばん連続して流れてくるというやり方が成功したんだろう。わたしは1962年の夏にどんな曲がヒットしていたかわからないので、そのあたりをリアルに楽しんではいないけど、これが1965年あたりからだったら、「うん、うん」と楽しめるわけだ。そういう意味で、このとき(1962年夏)の記憶の残る観客には思い出すことがいっぱいあるだろう。「1962年の夏、あなたは何をしていましたか?」というキャッチ・コピーは、まさに正解だったと思う。それで、ラストに登場人物四人のその後の人生がテロップで出された直後に、Beach Boys の「All Summer Long」がはじまるというのがすばらしい。イントロのヴィブラフォンの音もぴったりだし、曲の内容もまさにこの映画におあつらえ向き。しかも、この曲だけはこの映画の設定の1962年のヒット曲ではなく、1964年リリースの同タイトルのアルバム収録曲であり、舞台にされた1962年よりも先の時代から、過去を振り返るという作品なのだということを鮮明に(音楽の背景をわかっているだろう多くのアメリカの)観客に焼きつけることになる。この曲があったからこそ逆算してつくられた映画なのではないかと思えるほどに、まさにハマっていると思う。ここにあるのは、ヴェトナム戦争やドラッグまん延以前の、まさにビーチボーイズ的享楽に酔うアメリカの姿なんだろう。

 おそらくはセット撮影だと思うけれど、この、夜の街を行き交う車に反射するネオンのあかりがとっても美しい。ヴィジュアル・コンサルタントとして名まえの出てくるハスケル・ウェクスラーの功績だろう。マッケンジー・フィリップスだとか、キャンディ・クラークなんていうあたりの顔もなつかしかった。また「地球に落ちて来た男」を、観たくなってしまった。





 

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■ 2011-03-03(Thu)

 晴れているんだけれども、風が冷たい。もうちょっとあたたかい方がいいんだけれども、これから春ということになってくると、みょうになまあたたかくって「温(ぬく)い」というような感じになって、あまり気もちのいいものでもなかったりする。まあ秋から冬にかけての寒くなってくるときとどちらが快適かというとよくわからないけれど、だいたい気候などというのは一年を通して不快なのが基本で、快適だといえるような日は、一年に何日も数えることはできないのではないかと思ったりする。気候のことを意識しないですごすようなときが、つまりは快適なのだろうけれども。

 あんまり時事的なことはここに書いたりしない方針なんだけれども、北アフリカに起きている反政府デモの連続するような状態はどこまで拡がって、どのように収斂することになるんだろう。ここでのインターネットの果たしている役割にもとても興味があるし、中国でやっているというインターネットの検閲がどこまでひとびとの制圧に有効でありつづけるのか知りたいというのもある。
 この国のひとたちは、インターネットを通じてであれ、このような行動に立ち上がることがあるのだろうか。イラク空爆に反対する世界的な潮流のなかでも、この国でのデモ参加者はヨーロッパ諸国に比べてもケタ違いに少数だった。デモ行進など有効な行為ではないという、あきらめに似た気もちがわたしのなかにもあるかもしれない。だからこそあのときはデモに参加してみたりもしたけれど、参加する価値はあったと思っている。
 しかし、リビアのニュースなどをTVとかでみていると、カッザーフィー(カダフィ)大佐というのは「アラビアのロレンス」に出てきたアンソニー・クインの演じるベドウィン族の首長にそっくりだなあ、などと勝手なことを思ったりする。このひとはきっとベドウィン族にちがいないぞと思って調べたら、やはりそうだった。二十世紀初頭のアラブ反乱、それにともなう西欧による国家の分断の影響はまだ解決されていない。北アフリカにもまさに「アフリカ問題」が存在するということ。

 きょうはそういう関連ではないけれど、イスラエルの映画「戦場でワルツを」を観た。


 

[] 「戦場でワルツを」(2008) アリ・フォルマン:監督  「戦場でワルツを」(2008) アリ・フォルマン:監督を含むブックマーク

 

 この背景にあるのは「第五次中東戦争」ということで、そこにイスラエル兵として従軍したアリ・フォルマン監督自身の、<彼の記憶から抜け落ちた>体験を探るため、かつての従軍仲間たちを訪れて話を聴き、失われた記憶を取り戻すというもの。アニメーションなのだけれども、ラストのみ、その復活された記憶の、パレスチナ難民キャンプでの虐殺の実際のニュース映像になる。調べると、ほとんどの登場人物は実在の人物で、監督自身を主人公としたドキュメンタリーという体裁も持つ作品だろう。

 あまりに苛酷な、またはじぶんで承認することのできない体験の記憶が抜け落ちてしまうことはじっさいにあるそうで、これもPTSDの一種なのだそうで、ひとはみずからの過去の記憶を操作できるのだという話が、登場する心理学者によっても語られる。じっさい、従軍兵士の体験の再構築という構成を持つこの作品で、アニメーションという手法は有効だっただろうし、それだけにラストの実写フィルムの挿入が重たく意味を持つことになるけれど、ではこのレバノン内戦へのイスラエルの出兵などの背後関係、つまり、いったいこの「戦争」は何なのか、ということまでは、この作品を観ただけではわからないだろう。もちろんそのようなことを描くのはこの作品の目的ではなく、あくまでも「個人」のなかでの従軍体験、主人公である監督と、彼が話を聞きにいく元兵士たちの体験から、あのときいったい何が起こったのかという記憶を呼び戻すことがつまりこの作品なのだけど、わたしなどのようにこの「第五次中東戦争」とはどのようなものだったのか、しかとは知ることのない観客にとっては、この戦争で残虐行為が行われたということを了解するだけではいけないのではないかと思ってしまうわけになる。それをこの作品に求めるのはもちろん「場ちがい」なことで、それはただわたしの側のもんだい、ということになるだろう。

 はからずもわたしには、映画作品とそれを観る観客との関係を、あらためて考え直す契機になるような作品だった。





 

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■ 2011-03-02(Wed)

 きょうもあまり暖かくはなくって、家にいても足もとから冷えてくる。電気ストーブにはまだ活躍してもらう。

 三月の「ひかりTV」とWOWOWの番組表が来ているんだけれども、「ひかりTV」はいつまでも同じ映画をくりかえして放映してばっかしで、食指の伸びるような作品をやるわけでもない。このさい、「ひかりTV」はヴィデオ視聴契約(これもいいかげんやめたい)と基本契約(これでWOWOWやNHKのBSが観れる)だけにしてもいいと思う。WOWOWはこんげつから「攻殻機動隊」のシリーズ全作品が放映されはじめるので、ちょっと観てみたい気がする。

 書くのを忘れていたのだけれども(たいしたことではないけれど、きょうは書くことがないのでむりやり思い出したようにして書くのだ)、ハイスミスの「太陽がいっぱい」を読んでいて、さいしょの方に、主人公のトムがヘンリー・ジェイムズの「使者たち」を読むことをひとにすすめられ、ヨーロッパへの船のなかでじっさいに読もうとするのだけれども、たしか「使者たち」という小説は、この「太陽がいっぱい」と同じように、アメリカからヨーロッパへ、ひとを呼び戻すために出かけるにんげんの話だったんじゃないかと思う。
 「ダダ・シュルレアリスム」の本を読んでいて、アルチュール・クラヴァンという、ダダの初期にめちゃくちゃな活動をしてメキシコの海に消えてしまったにんげんのことが、気になってしまう。げんじつにオスカー・ワイルドの甥で、自称「世界一髪の短い詩人」というこの男のさまざまな挑発行動にはあきれてしまう。たしかに、若いころにダダとかシュルレアリスムの本を読んだときにも、当時ボクシングのヘビー級世界チャンピオンだったジャック・ジョンソンと試合を行ったというめちゃな詩人の記憶はあったけれど、それがこのアルチュール・クラヴァン、だった。こういうにんげんの話を読むと、血が騒ぐ。

 きょうもヴィデオを二本観た。


 

[] 「戦場にかける橋」(1957) デヴィッド・リーン:監督  「戦場にかける橋」(1957) デヴィッド・リーン:監督を含むブックマーク

 

 冒頭の二、三分は、録画失敗して観られなかった。観たのはアレック・ギネスの演じるニコルソン大佐と英軍捕虜が、早川雪舟演じる斉藤大佐の統率する捕虜収容所に行進して来るところからだったから、それよりまえに別の展開があったわけでもないだろう。
 とにかく、シニカルでブラックなコメディという感じで、特に前半は、観ていて何度も声を出して笑ってしまった。日英ふたりの大佐がたがいに威厳と誇りを守ろうとして、こっけいなやりとりを展開するけれど、そのアホな行動の背後には、大きな「死」の影が羽根を拡げている。せっかくその収容所からの脱走に成功したアメリカ軍のシアーズ(ウィリアム・ホールデンが演じているけれど、彼はどさくさにまぎれて「中佐」の位を詐称している)が、上部の判断でまたその収容所へUターンさせられる経緯も、またお笑いのポイントだろう。しかしもちろん、デヴィッド・リーンはこのドラマを喜劇的な演出で通しているわけではなく、ひじょうにシリアスな演出と、こっけいさを誘い出す演出とを、たくみにミックスしている。それがさいごの傍観者のセリフ、「Madness, Madness.」を活かすことになるし、ラストに砲弾を受けてみずから倒れ込んで、みずからが誇りにした「橋」を爆破してしまうニコルソン大佐を観て、もうこれは笑っていいのか同情すればいいのか、皮肉な形で成し遂げられた作戦の成功を喜べばいいのか、やっぱりここは笑うことにしよう。

 映画のなかで、あの「シャイニング」で狂気のジャック・ニコルソンが何万回もタイプしていた字句、「All work and no play makes Jack a dull boy」ということばが、英語に堪能な斉藤大佐によって英軍捕虜に告げられるシーンがあった。「はたらきすぎはかえって害になる」みたいな字幕(この映画の日本語字幕は、なんと今日出海による)になっていたけれど、つまりはむこうでは知られた格言だったのだなあと、この映画でようやく知った。


 

[] 「わたしのお医者さま」(1955) ラルフ・トーマス:監督  「わたしのお医者さま」(1955) ラルフ・トーマス:監督を含むブックマーク

 なんと、初期のダーク・ボガードが出演していたコメディで、共演はブリジット・バルドーなのである。公開時には評判を呼んだらしく、ボガード主演でシリーズ化までされたらしい。
 開業医の助手を務めていたボガードは、その開業医のあつかましいブス娘と結婚させられそうになって、貨物船の船医になって彼女から逃れる。しかしその貨物船には船長以下そうとうなレベルの変人が勢ぞろい。しかもとちゅう停泊した港からは、船主の娘(若くはないし、あつかましい)と、その友だちの歌手(これがブリジット・バルドー)とが乗り込んできて、航海を共にすることになる、というおはなし。ストーリーの骨格はじつに単純で、これに短い小ネタが山ほど詰め込んでいくという演出なのだけれども、この小ネタが、どれも何というかとってもジェントルという感じなのが、いかにもイギリス映画っぽいというか、気もちのいいコメディである。
 ダーク・ボガードはいかにも彼らしくひょうひょうと主人公を演じていて、のちのジョセフ・ロージーの「唇からナイフ」(いまいちばん、「また観たい映画」である)でのコメディアンぶりの原点はこのあたりにあったのか、と納得させられる。ブリジット・バルドーはとても若くてとてもかわいい、としかいいようがない。






 

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■ 2011-03-01(Tue)

 三月になって、きのうでわたしもまたひとつ、歳をとったわけである。あたりまえだけれども、何の感慨があるわけでもなく、きのうも自分を祝う気分などからはほど遠い。かわりにニェネントを祝ってあげて、それを誕生日のとくべつなこととする。
 きのうのみぞれのせいかまた寒くなってしまって、リヴィングではストーブをつける。ニェネントがわたしのとなりに割り込んですわってきてストーブの暖をとる。

 シュルレアリスムの本を読んだり展覧会のことを思い出したりして、シュルレアリスムのスタートしたのが1920年代で、量子学のスタートもまた1920年代だったなあ、などと漠然と思う。1920年代に、にんげんは眼に見えるものの背後にそれまで知らなかった広大な世界が拡がっていることを知るようになった。一方は「無意識」の世界で(これはシュルレアリスムの一面的なとらえ方だけれども)、一方は「眼には見えない、物理世界を構成する存在」の世界。
 シュルレアリスムには、それまでの西欧的な「知」に対して「否」と声をあげたという視点から何かを読み取りたい。まだ読んでいるのは「ダダ」の時代のことだけれども。

 きょうはヴィデオを二本観た。


 

[] 「脳内ニューヨーク」(2008) チャーリー・カウフマン:監督  「脳内ニューヨーク」(2008) チャーリー・カウフマン:監督を含むブックマーク

 

 「コンフェッション」や「エターナル・サンシャイン」は観ていないか、それとも観ていてもまるで記憶が残っていないけれども、だいたい「マルコヴィッチの穴」の7と1/2階などという設定からもフェリーニかよ!という連想になるのだけれども、この「脳内ニューヨーク」という彼の初監督作品、新作の演出に悩む舞台演出家が主人公という、モロに「8 1/2」という印象である。しっかし、彼は「人生は祭りだ、いっしょに楽しもう」というフェリーニではなく、ひとはそれぞれ孤独に死んで行くしかないのだ、というような陰鬱な空気に包まれた作品をつくってしまった。画面も暗く、わたしの家の暗くなってしまって調整の効かないブラウン管TVモニターではほんとうにまっ暗になってしまって、いったい画面で何が起こっているのかわからなかったりする。

 「8 1/2」と同じように、主人公の私生活はいつのまにか舞台上のできごとに移行してしまい(「8 1/2」は、舞台ではなくて映画になるのだけれども)、展開する物語が映画上の「現実」なのか、映画内で主人公が演出しようと悪戦苦闘する舞台のリハーサルなのか、まったく判然としなくなる。主人公にせよ誰にせよ、演じる役者はどんどん交代していく。ありえない未来が現実になり、過去もまた描き変えられる。ひじょうに暗く、ひじょうにわかりにくい展開で、「まいったなあ」という感じなのだけれども、じつはこの作品の、ラストの10分間ほどの演出がとっても美しい。「ああ、みごとに終わらせたな」という感じ。映画の冒頭からはずいぶんと年老いてしまった主人公(フィリップ・シーモア・ホフマンが渋く演じている)が映画(舞台)のうえで何度も繰り返されるシーンでイアフォンを渡されて、出演者からそれを耳につけるようにいいわたされる。そのイアフォンからはプロンプター音声が聴こえてくるわけで、主人公はそれからはそのプロンプターの声にしたがって行動(演技)する。いったいそのプロンプターの声が誰の声なのか、わたしにはわからないまま映画は終わってしまったけれど、「死」を迎える主人公を描いたこの詩的なシーンは、たとえようもなく美しい。
 とにかくいちど観ただけではわからない展開もあれこれあったので、この、最後のシーンを了解するためにももう一度観てみてもいいと思っているのだけれども、まあそういう機会があるかどうかはわからない。


 

[] 「有頂天時代」(1936) ジョージ・スティーヴンス:監督  「有頂天時代」(1936) ジョージ・スティーヴンス:監督を含むブックマーク

 つまり、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの名コンビによる作品なのだけれども、わたしはこのコンビの作品を観るのはこれがはじめて。「有頂天時代」とはいったい何よ?と思ったら、原題は単に「Swing Time」だった。

 べつに主人公たちは切磋琢磨、修業してニューヨークの舞台でトップを極めるというわけではなく、さいしょっからスゴいのである。さいしょっからスゴいのだけれども、ストーリー上では下積み(アステアはダンスでは食えないからギャンブラーになろうとする田舎のダンサー、ロジャースはニューヨークのダンス学校の教師なんだけど、アステアに出会ったときにクビにされる)から頂点(高級ダンスクラブのメインアクターになるんだから、「頂点」と考えていいんだろう)まで、段階を経て昇りつめるような展開である。このあたりも、ごく「あたりまえ」に上に昇って行くわけで、たとえばコンテストで優勝してうれしいね、などという展開はまるでない。なにもかも「あたりまえ」にふたりはスゴいのであって、そういう「だんだんにスゴくなっていく」みたいなリアリズム描写とは無縁である。その「あたりまえにスゴい」のが、このコンビの作品の魅力なんじゃないだろうかと想像する。けっきょくは結ばれるふたりの仲の進展も定石どおりで、つまりはふたりのダンスを楽しみましょうということである。

 うーん、さいしょのダンス学校でのふたりのタップ・ダンスもいいんだけれども、やはりラストの、アステアの唄う「Never Gonna Dance」から引き続いて踊られるふたりのダンスが、あまりにすばらしい! ふたり別々の動きから、ふっとふたりの肩がゆらいでユニゾンのダンスがはじまり、みごとなまでにロマンティックなデュオをくりひろげる。ふたりがステージの階段を左右にわかれてあがると、ここまでノーカットで来ているカメラも、クレーンでぐっとふたりを追って上昇する。このあと残念ながらちょっと映像のつなぎが入ってしまうのだけど、まあそこまで完璧を求めるのも酷というものだろう。このダンスの場面は、巻き戻して再度観た。あと、アステアが”ミスター・ボージャングル”ビル・ロビンソンへの敬意から、顔を黒塗りにしてタップをソロで踊るすばらしい場面もあるのだけれども、映画冒頭に「不適切な表現が含まれる」とのテロップでいう「不適切」とは、この「黒塗り」のことをいうのだろう。誰が観てもこのシーンはビル・ロビンソンへのリスペクトにしか見えないだろうと思うけど、まあつまりはポリティカル・コレクトネス、ということだろう。




 

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