ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2011-10-23(Sun)

 いちおう、きょうまでがしごと休み。きのうの東京飄然紀行でひどいめにあったので(だいたいがわたしのせいなのだけれども、町田康の本のせいでもあるだろうことよ)、きょうはいちにち休養日ということにして動かない。

 きのうはそういういちにちだったし、とりあえず飲み会が中止になったり観劇しようと思ってしなかったりと、あまり金を使うこともなかったわけで、下北沢に行ってからは厄落としみたいな気もちで、あれこれと買い物をしてしまった。まずは中古CD店をのぞいてみて、Bert Jansch の「L. A. Turnaround」のCDがあったのを買ってしまう。これはアナログ盤をずっと大事にしていてここに転居するときまで持っていたんだけれども、MDに落として中古レコード屋に売ってしまっている。MDがあるからいいんだけれども、ボーナストラックなどもついているし、音もよくなっているだろうと期待もしたし、なによりも彼への追悼の意である。きょうはいちにちこれを聴いてすごした。このアルバムを聴くといつものことだけれども、「Travelling Man」を聴いて涙する。

 あとは古本。中古CDだとか古本だとか、そういうセコハンものばかり買っている。古本屋の店頭の餌棚をみているとサイードの「オリエンタリズム」の上巻だけが文庫本の棚にぽこっと差し込まれてあって、帯がないとはいえ美本なんだけれども、これが100円という値札が貼ってある。いちど読んだ本だし、どうせ上巻を読めば下巻も読みたくなるわけだけれども、とにかく100円ならほしいよな、ということで買ってしまった。資料的に拾い読みも出来る本だし、下巻が読みたくなれば図書館で借りればいい。ここでなんだか、100円の本を一冊だけ買うのもアレだという見栄というか、とてもよろしくない感覚がわきあがり、餌棚を見まわして矢代幸雄氏の「日本美術の再検討」を見つけて、いっしょに買う。こちらは300円で、合計400円。びみょうにむだづかいっぽい。

 きのうはさいしょっから「G」に行くつもりでいたので、自宅のドーナツ盤レコードを二枚寄贈するつもりで持参していて、これをおいて来た。マリー・ラフォレの主演映画サントラからの「赤と青のブルース」(もちろん、マリー・ラフォレが歌っている)と、ぺギー・リーの「ジャニー・ギター」と「ブラック・コーヒー」のカップリング。オーナーのGさんもさすがに「赤と青のブルース」はご存知ではなかった。「ジャニー・ギター」から「大砂塵」のニコラス・レイの話になり、ヴェンダーズがそのニコラス・レイの最晩年を撮った「ニックス・ムーヴィー」の話などになる。店のターンテーブルでかけられた「ジャニー・ギター」の、曲のテンポがおそろしくゆっくりなのに今さらながらおどろく。「赤と青のブルース」をかけると店の雰囲気がおしゃれになるような。あとでHさんがフランス・ギャルをかけてくれた。ナイスな選盤である。考えてみると、このフランス・ギャルのベストアルバムも、わたしがこの店にあげたものであった。

 きのうのことばかり書いたけれど、きょうはそういうわけでただゴロゴロしていただけなのである。近くのドラッグストアで半額になったしゅうまいを買い、まだまだ残っている仮面ライダーキムチとおかずにして夕食。ニェネントをいぢめて「シャーッ」っと怒らせたりして、本を読んで寝た。読んでいる「野性の探偵たち」は、あとほんの少しで読了。


 

[] 「ミルドレッド・ピアース 深夜の銃声」(1945) マイケル・カーティス:監督  「ミルドレッド・ピアース 深夜の銃声」(1945) マイケル・カーティス:監督を含むブックマーク

 「郵便配達は二度ベルを鳴らす」のジェームズ・M・ケインが原作のミステリー。たんじゅんにミステリーというだけでなく、家族、母娘の愛憎ドラマという側面が強い。それだけにこころに残るドラマではある。よくわからないけれど、この脚本にウィリアム・フォークナーがかかわっていたという情報もある。この作品で主演のジョーン・クロフォードはアカデミー主演女優賞を受賞、復活するわけである。きのう「G」でかけてもらった「ジャニー・ギター」は、このちょっとあとのジョーン・クロフォード主演の「大砂塵」の主題歌だった。

 「ミルドレッド・ピアース」というタイトルはヒロインの名まえそのままで、平凡な家庭の主婦だった女性が夫のバートと別居して職をさがし、ようやくウェイトレスになるのだけれども、そのウェイトレスを天職と感じ、大成功する。みずからレストランを経営するようになり正式に前夫と離婚し、富豪というふれこみのモンティという男と愛人関係になる。ミルドレッドにはふたりの娘がいたのだけれども、その不遇時代に次女は肺炎で死亡する。長女は母の職業さえ小バカにするような、みえっぱりでぜいたく、わがままな性格に育つけれど、ミルドレッドはそんな長女の幸福を願っているわけである。ミルドレッドはそんな娘のためにモンティと結婚する。
 映画はそのミルドレッドの大きな邸宅でモンティがなにものかに射殺されて倒れるショットからはじまる。モンティは倒れるときに「ミルドレッド‥‥」ということばを残す。まあ観ているとそりゃあミルドレッドがモンティを射殺したんだろうと推測されるわけで、映画もそれを裏付けるような展開になる。かのじょは別の男に罪をなすりつけようと工作するわけだし、警察の取り調べでも「あなたはただの参考人にすぎない」といわれる。しかし警察は犯人として前夫のバートを引き立てる。ミルドレッドはおどろいて「決して彼は犯人ではない」と主張する。もちろん観ていれば犯人はミルドレッドと思えるのだから、かのじょの主張は正しいだろう。ミルドレッドは警察にそれまでのかのじょの半生を語ることで、映画のドラマが過去にさかのぼって動きはじめる。こういう語り口がまずはうまいなあと思う。さらに、この語り口はラストに観客に「えっ!?」と思わせる布石をも準備することになる。ちょっと考えるとわかるのだけれども、これは時系列にそった演出ではむずかしい効果で、こういうひねった倒序法によってこそうみだされる効果であるだろう。

 「チャーリーとチョコレート工場」の生意気な、消えてしまった方がよほど世界のためになりそうなクソガキどもに輪をかけたような、おそらくは映画に描かれた史上最強のクソなまいきなわがまま娘、ヴィーダの造型がもうとにかく卓越しているというか、画面を観ていてもその画面のなかにはいって行って、ビンタのひとつやふたつはくらわしてやりたくなるような女である。なんでこの長女ではなく、素直そうな次女が死んでしまうんだよと、その演出をうらみたくなる。そのヴィーダを演じているのはアン・ブライスという女優さんで、以後それほど有名な作品には出演されていないようだけれども、同じマイケル・カーティス監督の1957年の「追憶」という作品では、みごと主演をはっていらっしゃったようである。

 そのマイケル・カーティスという監督さんはもちろん「カサブランカ」で有名だけれども、なんというか脚本の「妙」をうまく演出できる監督さんなのだろうと思う。わたしはあまり「カサブランカ」の脚本が好きなわけではないけれども。





 

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