ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2011-11-15(Tue)

 けっきょくあさの四時まで寝てしまい、きのうから十二時間続けて寝たことになる。なんだか夢をみた気配で、それが夢をみて目が覚めて、起きようとしたらからだが動かなくて起きられないというような夢だった。

 きょうからはずっと、連続して七日間休みなしのしごとである。きのうまでの三連休なんかいらなかったわけで、これからの七連続勤務のあいだにその分をばらまいておいてほしかった。あしたからは東京にフレデリック・ワイズマンの作品を連続して観に行く予定だし、これがまた長尺の作品が多いことだし、ブレイクがほしい。

 ジョーセフ・ヘラーの「キャッチ=22」をがんばって読んできたのだけれども、どこまで読んでもなんというのか「面白さ」がわき上がって来るわけでもなく、いつまでも世間で通用している論理を裏返すような記述ばかりで、いいかげん読みあぐねてしまった。それはたとえば「彼には時間がなかった。たちまち日曜日がやってきた。それはつまり、つぎの分列行進競技の準備をする期間が一週間のうちたった七日しか残っていないということだった。」というような文章で、あまり続くと「へえ、そういういい方が面白いのかよ?!」ということになってしまう。わたしも無限の時間を享受できるわけではないので、もうこのあたりでこの本はうっちゃることにした。かわりにトニ・モリソンの「ビラヴド」を読みはじめる。
 図書館に読み終えた「マザーズ」を返却に行き、ちょっと読みたいと思っていた西村賢太の「苦役列車」を借りてしまった。あと、朗読のCDで樋口一葉の「にごりえ」と「たけくらべ」のが新しく置いてあったのを借りる。ついでに先日「マディソン郡の橋」でいやというほど聴いたジョニー・ハートマンのCDもいっしょに。帰宅して朗読CDを聴きはじめたけれど、これはとてもほかのことをやりながら聴き流すことができるようなものではなく、プレイ中はちゃんと集中して聴いていないといけないのだということがわかった。こんなあたりまえのことがわかるのが遅すぎる。プレイヤーから外して、ジョニー・ハートマンにした。これならほかのことをやっていてもちゃんとそれなりに楽しむことが出来る。音楽のちから、偉大なり。


 

[] 「座頭市関所破り」(1964) 安田公義:監督  「座頭市関所破り」(1964) 安田公義:監督を含むブックマーク

 順番をまちがえて観るのを二本ほどすっとばしてしまったけれど、まあどちらにせよこのあと録画しそこねたものもあるので、律儀にじゅんばんどおりに観ることにこだわってもしかたがない。‥‥なんだけど、このまえに観た「千両首」で「こまったなあ」と思っていた部分をそのまま引きついでいるような作品で、ちょっと失望した。
 こんかいのライヴァルは平幹二朗なんだけど、このほかにもいったい何のために出演しているのかわからない用心棒も出てくる。ストーリーがまた悪徳代官もので、土地の親分(これは上田吉之助)と代官が結託して悪事をはたらいておるわけだ。またいつの間にかあらわれるキャラクターとか、よくわからないまま消えてしまうキャラクターがあれこれと出てくる。ただ、座頭市の人情面はよく描かれていた印象はある。じぶんが倒した平幹二朗のむくろに上着をそっとかけてやったりするのだけど、倒された平幹二朗のさいごのことばが「まいった」というのは、失笑を呼ぶ。

 

[] 「座頭市二段斬り」(1965) 井上昭:監督  「座頭市二段斬り」(1965) 井上昭:監督を含むブックマーク

 これまた悪徳代官ものなんだけれども、ここでがぜん面白くなる。脚本に犬塚稔が復帰したということもあるだろうけれど、この井上昭という監督の演出がモダンというか、わたしは気に入ってしまった。冒頭、座頭市が登場するシーンの、手まえのオブジェ越しの美しい構図、楼閣で代官を無表情に覗き見する女郎たちの視線のショット、きょくたんに下からあおったショットや、あげくは真上からのショットなども自意識過剰ぎみに取り入れられている。白い壁だかふすまをバックにした賭場のシーンがまた美しい。ラストのせまい路地を使った殺陣の演出も緊迫感があるし、ここでカメラの市の背なかを追う手持ち撮影も印象に残る。撮影は森田富士郎という方。

 市のユーモラスな側面もじょうずに描いているというか、序盤の、市がおでんにカラシをたっぷりつけて食べるシーンは笑ってしまう。ある意味で、演出がしっかりしていればストーリーが軽くっても充分に見ごたえのある作品を産み出せるのだ、などというと脚本に失礼だろうか。とにかく脚本に前作などのような欠陥はない。あ、今回の準主役は三木のり平で、子連れの壷振りである三木を市がカタギにもどさせるというサブストーリーである。この三木のり平の娘役で小林幸子が出演していた。芸達者である。音楽は伊福部昭なんだけれど、フラメンコ・ギターをフィーチャーした異色な音付けだった。


 

[] 「無法松の一生」(1943) 稲垣浩:監督  「無法松の一生」(1943) 稲垣浩:監督を含むブックマーク

 戦時中の検閲で大きくカットされ、さらにその後GHQの検閲でまたまたカットされた1943年の作品。もちろん無法松は坂東妻三郎で、無法松が慕う未亡人役は、このあとに広島で被爆して夭逝された園井恵子が演じている。

 舞台は北九州の若松で、わたしが生まれたところに近いのだけれども、映画のなかでの出演者のことば(方言)が、ぜーんぜんちがう、という感じはある。ちょっと残念(これは近年の青山真治監督の作品がちゃんとあっちの方言を再現している)。

 冒頭、二階の室内から外を見下ろしたカメラがそのまま外へ飛び出し、外にいた人物をあおる位置にまで降下するという、あっとおどろくショットから始まる。まるで「さすらいの二人」のラストだわさという感じで、撮影は宮川一夫なのであった。ただの導入部のわずかなシーンに、こんな労力をはらうわけである。なんか、そのころの日本をとりまく情況への憂さ晴らしではないかという感覚を受ける。

 わたしは中学ぐらいのときに、学校の体育館でこの映画の三船敏郎版リメイクを見せられた記憶がある。どうしてもそのリメイクの方の「オレは汚れちょる」みたいなセリフが強烈に、ほとんどトラウマのように記憶に残っている(ただし「オレは汚れちょる」というのが正確かどうか自信はないけれど)だけに、松の想いのなんのほのめかしもなく淡々と終わってしまうこのオリジナル版には、ちょっと驚いてしまった。そうか、そこに検閲の魔手が及んでいたわけですか。それは監督も無念だったことだろう。
 それでも、時をへだてたいくつかのエピソードで構成されたこの作品の魅力ももちろんあるわけであって、やはり坂東妻三郎の存在感はすばらしいし、クルクルとまわる人力車の車輪のシルエットでじかんの流れを象徴するショットも美しい。




 

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