ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2011-12-07(Wed)

 午後、ベッドに寝転がって本を読んでいて、ふと目線をあげると部屋が黄色い光につつまれていた。おだやかな、うららかな陽気で空気もあたたかい。これまでにも、ときにこういうひかり、こういう空気、こういうじかんを感じたことがある。そうすると、過去にそういう体験を感じたときと「今」とが連結され、まるでタイムスリップをしたような感覚になる。いつまでも、こういう状態にひたっていたいと思う。

 ベンナにネコメシをあげようと窓を開け、またニェネントがわたしのすきをついてベランダの外に出てしまう。わたしが追うと、柵のあいだから駐車場へ降りる。しょうがないので玄関から靴をはいて駐車場へまわり、ニェネントをつかまえようとすると、またベランダへもどってしまう。おそらくは遊んでいるつもりもあるんだろうけれど、わたしが近づくとその反対側に逃げ、いつまでもらちがあかない。ベンナはとうにどこかへ逃げてしまっている。ようやくなんとか、開けておいた窓からニェネントを部屋のなかに追いもどし、わたしは駐車場から柵をジャンプして乗りこえ、部屋にもどった。しばらく柵越えの技はやっていなかったけれど、まだ余裕で出来るので安心した。ニェネントはなんだかわたしと遊びたい気分全開なのか、わたしが室内で動くといつもついてくる。ときにうしろから、歩いているわたしの足に飛びついてきてわたしをおどろかせようとする。これにはやはり、「おうっ!」とびっくりしてしまうこともあります。そんなニェネント、わたしがパソコンのまえにずっとすわっているとき、TVモニターのまえでヴィデオをみているときなどには、ベッドの上に乗って、丸くなって眠っていることが多い。

 神谷美恵子の「生きがいについて」を読んでいることは書いたけれど、ここにその「はじめに」の、冒頭の部分は書き写しておきたいのである。

 平穏無事なくらしにめぐまれている者にとっては思い浮かべることさえむつかしいかも知れないが、世のなかには、毎朝目がさめるとその目ざめるということがおそろしくてたまらないひとがあちこちにいる。ああ今日もまた一日を生きて行かなければならないのだという考えに打ちのめされ、起き出す力も出て来ないひとたちである。耐えがたい苦しみや悲しみ、身の切られるような孤独とさびしさ、はてしもない虚無と倦怠。そうしたもののなかで、どうして生きて行かねばならないのだろうか、なんのために、と彼らはいくたびも自問せずにいられない。たとえば治りにくい病気にかかっているひと、最愛の者をうしなったひと、自分のすべてを賭けた仕事や理想に挫折したひと、罪を犯した自分をもてあましているひと、ひとり人生の裏通りを歩いているようなひとなど。
 いったい私たちの毎日の生活を生きるかいあるように感じさせているものは何であろうか。ひとたび生きがいをうしなったら、どんなふうにしてまた新しい生きがいを見いだすのだろうか。

 ‥‥この文章を写したのは、べつにわたしが「毎朝目がさめるとその目ざめるということがおそろしくてたまらない」という、生きがいをみうしなった者だから、というわけではない。ただ、だからといってわたしが生きがいをもって生きているわけでもないのだろうか、この文章はわたしにひっかかるのである。だからこの文章を写し、この本を読んでいる。べつに「生きがい」など、ひつようとはしていないと思っているのだけれども。ああ、ニェネントがわたしの「生きがい」だったり、とか。いや、ニェネントの生きがいがわたし、なのである。

  

[] 「原爆の子」(1952) 新藤兼人:脚本・監督  「原爆の子」(1952) 新藤兼人:脚本・監督を含むブックマーク

 冒頭などに、この1952年というときの広島のようすが映され、ちょっと貴重なドキュメンタリーという感覚をおぼえる。作品は一九四五年に広島で幼稚園で園児を教えていた乙羽信子が、七年のときを経て、生き残った三人の園児をたずねて広島を訪れるというもの。原爆症で死んでいく少女、そしてさいごの滝沢修演じる老人とその孫との挿話がつらいけれど、演出には明るさと希望を前面に打ち出そうとする意志が強く感じられる。乙羽信子が連絡船で広島に向かうとき、船の甲板には東野英治郎が牛を連れてしゃがんでいて、乙羽信子にしゃべりかける。それでその連絡船の船長は殿山泰治である。なんて楽しい連絡船だろう。

 冒頭の原爆投下の惨状の描き方は、がれきなどではなく、これを若い女性を主にした人体のショットの蓄積で描いていて、おそらくは丸木位里・俊夫妻による「原爆の図」に大きくインスパイアされた演出なのではないかと想像する。短いけれども、映画表現として強烈なインパクトだった。

 この時代にまさに並行して、広島は「仁義なき戦い」の舞台にもなっていたと思うと、なんとも複雑な気分にはなってしまうのである。


 

[] 「第五福竜丸」(1959) 新藤兼人:脚本・監督  「第五福竜丸」(1959) 新藤兼人:脚本・監督を含むブックマーク

 げんざいでも、都内の木場駅の近くにある夢の島公園というところに、この「第五福竜丸」の展示施設はあるはずである。わたしも十年ほどまえにここに行ったことがある。そのときの印象では、世界でさいしょに水爆実験の犠牲者を出した、その犠牲者とともに被爆したモニュメンタルな建造物の展示としては、これはちょっともの足りない施設だと感じたものだった。はたしていま、この映画を観たあとでこの施設に行ったなら、わたしはどんな感想を持つだろう。

 わたしは、この作品はとてもいい作品だと思う。当時ジャーナリスティックに大大的に報道された、アメリカによるビキニ環礁での水爆実験で被爆した「第五福竜丸」とその乗組員のすがたを、その家族、地元焼津のひとびと、取材する報道陣、乗組員を治療する医師たちとともに、乗組員だった久保山愛吉さん(演じたのは宇野重吉)の死までを描いている。人間ドラマというよりも、事件とその影響をトータルに社会的側面から描いた作品というべきで、ドキュメンタリーというに近いものがある。声高に事件の悲劇性を訴えるのではない演出姿勢がここではとても効果的で、「放射能」の恐ろしさをより強く印象づける作品。

 乗組員だけでなく、「第五福竜丸」という船そのものについても、ちゃんと描いているのが印象的で、取り外しのきく外装をすべて外して廃船にする作業とか、えい航されて焼津港を出て行く船のすがたなども出てきて、観ていても感慨にとらわれてしまう。ラストに、乙羽信子ら遺族が久保山さんの遺骨、遺影とともに、東海道線で東京から焼津まで帰ってくるのだけれども、その列車のなかのひとたちは遺族に黙礼をささげるし、途中の駅からはやはり弔問で列車に乗ってくる人がたえない。これはじっさいにあったことなんだろうなあと、ジーンとくる。原爆被災についでこんな事件の被害者を出したこの国は、ぜったい原子力発電なんかやっちゃあいかんぜよと、あらためて思うのである。



 

 

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