ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

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■ 2011-12-20(Tue)

[] 「谷崎潤一郎伝 堂々たる人生」小谷野敦:著  「谷崎潤一郎伝 堂々たる人生」小谷野敦:著を含むブックマーク

 その作品についてはほとんど触れられない評伝なので、谷崎が文学になにを求め、なにが評価されたのかというあたりはほとんどわからない。そういうのは谷崎の作品自体や、別の作家論で読みなさいということだろう。

 著者の小谷野敦氏の著作は一、二冊読んだことはあるようだけれども(このブログで「小谷野敦」で検索すると、いちおう二冊読んだことになっている)、読んだころはブログに読んだ感想を書く習慣もなかったので、どんな本だったかまるでおぼえていない。それでもじつはひそかに小谷野敦氏のブログは愛読していて、過去の文献からの文壇ゴシップめいたことがらへの解釈などを楽しませていただいている。この著書もまさに、そういう著者のブログの拡大版というもので、つまりこの本は過去の文献、書簡などから、いままで書かれなかった谷崎潤一郎の生涯の、そのゴシップめいたぶぶんに再解釈をくわえているということではないのだろうか。
 ところがわたしはちょこちょこと谷崎作品をかじってはいるのだけれども、彼の生涯に関してはそのあまりに有名な佐藤春夫への妻譲渡事件の、そのうわべのぶぶんを多少読み知っているぐらいのものである。そういう意味ではこの著作で「松子神話」への反ばく、などと書かれても、そもそもがその「松子神話」に関してまるで知ることがないわけである。ああ、あんまりいい読者ではないなあ。でもまあ、その「妻譲渡事件」にもまた、いわくいいがたい長い時の流れの上での、あの「妻譲渡」ということになるわけだ、などと了解いたしました。そう、この評伝を読んでいると、つまりはひとりの人物の生涯で、たとえば突出したスキャンダルめいた、つまりは醜聞が流布されることがあっても、そこにいたるには「いわくいいがたい長い長いいきさつ」があるのだ、というあたりを、この評伝で「堪能」させていただいた、という感覚である。

 ただ、膨大な数の人物の登場するこの評伝、いささか記憶力の減退して来ているらしいわたしには、読んでいて「この人っていったい誰だっけ?」という感じで、ページを前にくくってみることひんぱんではあった。時系列も一直線ではないところもあって、著者はまずはこの評伝を谷崎の「詳細な年表」をつくることから始まった、と書かれているけれど、やはりこの書物、あるていど書き込まれた谷崎潤一郎の年譜を手もとに置きながら、比較検証しながら読んだ方がよかったのではないかと、読み終わってから気づいたしだいである。
 いまわたしの手もとには、小学館の「昭和文学全集」の第1巻の巻末の「谷崎潤一郎 年譜」がある。たしかにこれと読み比べると、あれこれと興味深い箇所がみつかったりする。たとえば昭和十六年に谷崎が「日本芸術院会員になる」という、小谷野氏が「ありえない」とした記述が、この「昭和文学全集」版の年譜にも踏襲されている。こういうあたりに異議をとなえられ、調査して反ばくされるあたりが小谷野氏がブロクでもやられているところの、彼の真骨頂ともいえるところで、ある意味ではスリリングでもある。「台所太平記」と谷崎家の「女中」の変せんとを二段組で比較した章は、ちょっとばかし紙数が足りなくって細工してしまった印象もあって読む気が失せたけれど、これも「台所太平記」を読んでいれば、興味ぶかい章だったかもしれない。

 最良の読者ではなかったわたしだなあ、という読後感ではあるけれど、このところ不調だった読書体験では、ひさしぶりに堪能させられた読書だった、という感じではある。さあ、もっと谷崎を読みたいぜよ。



 

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