ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2012-01-07(Sat)

[]「次郎長三国志第九部 荒神山」(1954) マキノ雅弘:監督 「次郎長三国志第九部 荒神山」(1954)  マキノ雅弘:監督を含むブックマーク

 ‥‥どうして急に、こうなってしまうのか。とつぜん、お上やヤクザの犠牲になる農民がクローズアップされ、農民役で土屋嘉男は出てくるし、農民ではないけれども高堂国典も登場するし、まるで「七人の侍」である。おなじ年におなじ東宝で製作された作品だし。調べると、この作品の脚本はじつは橋本忍によるものだという記述がネット上のあちこちにある。しかし、映画冒頭のクレジットでは、脚本は「マキノ雅弘」と書かれていた。どちらにしてもこのシリーズの流れからは異例という感じはするけれども、橋本忍の脚本に対してマキノ雅弘監督が大幅なリライトをくわえたという情報もある。このあたりが真相に近いのではないかという気がしないでもない。おそらくは「農民対ヤクザ」みたいな、このシリーズにそぐわない感覚の、社会問題的な視点を導入しようとしたのは橋本忍の方ではないかと思う。そういうのはクロサワ監督とかにまかせておけばいいという感じで、正統派活動写真の伝統をひくマキノ雅弘に似合ったものとはとても思えない。じゃあ監督自身がリライトしたのならもっとどうにかならんかったんだろうか、という疑問もあるけれど、リライトはしたけれどどうにもならんかった、という感じだったのだろうか。このあたりのことはわからない。

 とにかく、「いままでのシリーズはいったい何だったのか?」というような違和感満載。これまでの「力対力」という設定のなかにストレートな正義感や人情を盛り込んできたシリーズの世界が、一気にこわされる思いがする。いちおう全編観たけれど、じつはとちゅうでもう、どうでもよくなってしまった。だいたい、冒頭でなぜ大政を中心に次郎長一家が孤立し、しかも次郎長親分が別のところにいることになっているのか、まったくわからない。第八部とこの第九部とのあいだに、もう一本あってしかるべきなのではないかと思ったりする。まあこのシリーズにはそういう「とつぜんの飛躍」というのはしょっちゅうなので、ここだけのもんだいというわけではないけれど。

 わたしのなかでは、このシリーズは第八作まで、という感じではある。

 しかし、映画の世界では多くの作品が「三部作」として名を残し、きょねんの暮れに観た「人間の條件」は六部作、そしてこの「次郎長三国志」は九部作。すべて「三の倍数!」というのはやはり、世界のナベアツの影響なのだろうか。って、ナベアツって、いつのはなしやねん。



 

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