ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2012-01-16(Mon)

 きょうはしごと。しごとを終えるときにミーティングで、ちょっと大きなミスがあったことが告げられた。わたしがやってしまった可能性はないとはいいきれないところもあって、戦々兢々である。正月以降しごと量が減り、気分的にだらけたというか、わたしも小さなミスはやらかしたし、ほかの人たちもやらかしている。タラタラしていてはいけないのである。

 近くの米屋の前を通ると、しばらく置かれていなかった1300円の標準米が店頭に置かれていた。おしい、もうちょっと早く出してあれば、よそで米を買ったりしなかったのに。らいげつからまたこの米屋で買うか、こんかい買ったスーパーで買うか、ちょっと悩ましいところである。

 防水のパテを買ってきて、水もれしているキッチンの排水管を修繕する。せまいところの、ちょうど死角になる箇所なのでやりにくい。寄ってきたニェネントが、かわりにちゃっちゃっとやってくれるといいのだけれども。ニェネントがパテを手に、排水管の穴を埋めているところを想像したら笑ってしまった。
 なんとか穴はふさいだと思うのだけれども、ここで水をじゃあじゃあ流して「はたして穴はふさがっているか」とためしてみるというのも、ちょっと勇気がいる。まあふつうに使っていて、以降水もれはしていないようなので、とりあえずは「よし」としよう。

 夕食にはビーフシチューをつくる。こんかいはスジ肉ではなくてふつうにオージービーフ。冷凍したのが失敗だったブロッコリーがまだ冷凍庫をふさいでいたのを解凍し、茎の部分はぶよぶよだからもったいないけれども捨てちゃって、花(蕾)の部分だけ使う。まあこんなもんでしょ、という味。これでしばらくはビーフシチューがつづくことになる。

 ベッドで寝ころんで、ニェネントを抱き上げて顔の上にもってきてそのまえ足にかみついて、ニェネントを「シャーッ!」と怒らせて遊ぶ。下から見上げるニェネントの歯をむいて怒る顔は、最高にかわいい。ニェネントにはいいめいわくであろう。こんなことやってるとそのうちに、ニェネントから大きな反逆行為を受けるかもしれない。

 

 

[]「キング・アーサー」(2004) アントワーン・フークア:監督 「キング・アーサー」(2004)  アントワーン・フークア:監督を含むブックマーク

 ジェリー・ブラッカイマー製作のハリウッド映画。いつまでもモンティ・パイソンの映画に「時代考証はいちばん」といわせておくものか、というような「リアル」な作品なのか、と思ったらトンデモで、「かなりいいかげんぢゃないの」と思わせられる映画、だった。

 わたしのウチには、古本チェーン店で105円で買った、たしかリチャード・バーバーという人の書いた「アーサー王 その歴史と伝説」という面白そうな本がどこかに転がっているはずなのだけれども、まだぜんぜん読んでいない。せめてこの本を先に読んでいれば、あれこれと比較感想も出てきただろうけれども。たとえば映画では舞台がイギリスということで、登場人物がケルトっぽい民謡を唄うシーンがあるんだけれども、そのメロディもシンギングももっともっと後世のもので、この映画の舞台である五世紀とか六世紀の音楽、こういうものではないはずである。たとえばPentangle がレコーディングしている「Lyke Wake Dirge」などを聴くと、中世以前の歌曲とは、もっともっとシンプルなものだっただろうという想像はつくのである。

 そもそもこの映画の脚本、あんまりに説明不足というか、「なんで? なんで?」という疑問が汎出する。どうやらアーサー王にかんする何らかの仮説からの映画化らしいけれど、何がどう仮説なのか、わたしにはわかりません。

 で、とにかく観ていて、あ、こういう映像って、きのう観た大河ドラマとそっくりだなあと、思いあたる。そうするととってもわかりやすくなるというか、つまりは日本の大河ドラマがどういうところを規範に置きたいのかというと、こういうハリウッド映画の、とくにブラッカイマー製作の映画みたいなところをめざしているわけだなあと、合点が行く。やったら手もちで動き回るカメラとか、すぐ空に上がって俯瞰撮影になったり、紋切り型のセリフのやりとりとか。それで、ラストにはそのアーサーが「自由のための戦い」なんてほざき出すから、映画というものがこうやってプロパガンダに使われているわけだと、また納得することになる。

 ‥‥しっかし、つまんない映画だった。



 

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