ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2012-01-22(Sun) このエントリーを含むブックマーク

 きょうはしごとも休み。ふつかつづけて出かけてしまって、やはりぐったりしているし、きょうも外は冷たい雨が降っていて寒いし、ほんとうになにもしないでいちにちをすごしてしまった。

 ニェネントは、お気に入りの綿棒で遊んでいる。とっても楽しそう。とっても元気そう。わたしがロールパンを食べていると寄ってきて、わたしの左手のロールパンにあたまをつっこんでくる。小さくちぎって手のひらにのせてニェネントの口もとに近づけると、それをくわえ取るのがあんまり上手ではないのだけれども、なんとかくわえて食べてしまう。どうもわたしがどんなものでも箸を使わないで手づかみで食べていると、そういうものは自分でも食べられるだろうというか、自分にも食べる権利があるとばかりにそばに寄ってきて、わたしが持っている食べものに口をよせてくる。スーパーでどら焼きを買ったのがあって、食べていたらやっぱり寄ってきた。どら焼きをちぎってあげてみると、ちょっとなめただけで食べなかった。どら焼き、おいしいのに。

 TVをみていて、住宅かなにかのコマーシャルがなんども流れていて、そのなかで「都市には広さはないけれど豊かさがある」といっている。なるほど。ずいぶんダイレクトな地方差別ぢゃないかと思う。このコマーシャルでいっている「豊かさ」というものはどういうものなんだろう。それが環境として都市にだけあるものだとしたら、「ああ、アレか」とか、思いあたらないこともない。それに、給与水準はたしかに都市地域の方が地方よりも高いだろう。それで「都市には豊かさがある」というのだろうか。それでいいのか。もうこういうことはむかしから何度も語られてきたことだと思うけれど、ひとことで「都市に豊かさがある」といい切ってしまう精神は、つまりは貧しいのではないかと思う。まあわたしも貧しいのだけれど、地方には金銭的な豊かさはなくっても(まあ働き口もないけれど)、あたりまえだけれども、そういうのぢゃない多様な豊かさがあるのよ。ふつう、豊かさというのは後者のことを指すというのが、わたしの知っている世界での常識だった。まずは、ことばの意味が狭められることが情けない。これはつまり、「貧しさ」である。

 寒いし、よるも早くにベッドにもぐりこんで寝てしまった。ケータイへのメールの着信音で目がさめてしまい、ちょうどそのじかんにTVで田中正造とか南方熊楠にかんしての番組をやっていたのを、とちゅうから観た。田中正造の方はほとんど見逃した。南方熊楠、まさに、「豊かさは地方にある」といってもいい内容だった。出てきた人たちも、地方で研究をつづけている人たちが多かったのもいい。
 ちょっとばかしおどろいてしまったのは、その番組中で山本政志監督の未完の映画「熊楠 KUMAGUSU」の、フィルムからの抜粋が放映されたこと。熊楠の反対した神社合祀によって廃棄された神社の周辺で樹木が伐採され、神社の鳥居にむかって倒れてくるようなシーン。いったいこの映画、どうなっているんだろうと調べてみたら、2007年にどこかの映画祭で、三十分弱のパイロット版が公開されたことがあるらしい。しかし山本政志監督はその後にべつの映画をどんどん撮りつづけちゃっているし、製作開始からもう二十年もたっちゃってるし、そもそもが山本政志監督だから、完成はないだろうなあ、と思うのであった。





 

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