ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

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■ 2012-01-29(Sun)

[] 「シリアスマン」(2009) ジョエル・コーエン/イーサン・コーエン:監督  「シリアスマン」(2009)  ジョエル・コーエン/イーサン・コーエン:監督を含むブックマーク

 ユダヤ人コミュニティを描いているという点では、ウッディ・アレンのことを思い浮かべたりする。わたしはそういう方面にはまるで無知だけれども、そういうアメリカのユダヤ人たちの先祖にあたるだろう人たちの、ポーランドを舞台としたらしい寓話めいた導入部から、ユダヤ人たちの処世訓、生活原理のようなことが前面に押しだされる。日本でいえば、お寺のお坊さんに生活の悩みをきいてもらう檀家の人たち、のような感覚なんだろうか。こういうのってなんか、映像作品としてよりも、小説なんかで読んだ方が面白そうな気がする。

 ちょっと脂性のビル・エヴァンスみたいな容貌の、人のいい主人公がつぎからつぎに生活の難題に直面して、ユダヤコミュニティのラビに教えを乞おうとするけれど、というようなお話。ちょうどきのう観たサム・メンデスの映画の逆、というか、コーエン兄弟の映画は登場人物を断罪しない。どうみても「こいつ、アホじゃないか」と思えるような、自分勝手な要求を突き付ける登場人物のことを、サム・メンデスやウッディ・アレンのように、「こいつらバカ」と描いたりしない。それで主人公は苦しんじゃうわけでもあるけれども、「あんなバカ、相手にしないね」と遠ざけたりはしない。みていてもどかしいぐらいである。
 コーエン兄弟の、たとえば「ファーゴ」なんかでも、アホみたいな人物はいっぱい登場するけれども、そこで描かれているのは「アホ・スパイラル」というか、アホみたいな人物がアホな選択をしでかしてもっとアホになり、もう抜け出すこともできないアホ・ワールドのなかで破滅して行くさまがあって、それを警官役のフランシス・マクドーマンドがながめて、「なんてアホな世界なの」とおどろくわけだけど、それは「あいつはアホだ」という断罪というよりも、「世界はアホである」、という認識に近いものである。彼らのデビュー作の「ブラッド・シンプル」では、観ている観客だけが登場人物の勘ちがいをわかっているわけで、「ああ、アホだなあ」と思って観ているのだけれども、映画のなかの世界はそういう勘違いを原理として動いているから、誰が悪いとかそういう問題ではなくなってしまう。コーエン兄弟の作品の、わたしの好きなところである。サム・メンデス監督よりも、ウッディ・アレンよりも。


 

 

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