ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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■ 2012-02-21(Tue)

 きょうは病院へ行かなくっちゃならないなあ、などと思いながら、それでもしごとには出勤するけれど、体調が良くはないと思っていると、なんとなく手の先がつめたく感じられ、これは血流が悪いせいじゃないかとか考えてしまう。病院へ行くのはいいけれど、また救急車で救急搬送されて、そのまま入院なんてことになってしまう可能性がある。というか、その可能性は五割を越えるのではないかと思う。そうするとつまりは、ニェネントの世話のことを本気で考えなければならない。どこか知人のところにニェネントを預ける? そういうことができる知人は、車でも十分ぐらいのところにいないわけでもない。彼もネコを複数匹飼っていていいんだけれども、おそらくはケージのなかに入れっぱなしになるだろう。ケージになど入ったことのないニェネントにはストレスが大きすぎる気がする。「別れるぞ」と決意したところのかのじょも実はネコを飼っていて、またかのじょとよりを戻して、かのじょのところに預けようかとも考える。まあすんなりといけば、この路線の方があれこれと神経を使わないですむ。さもなければ、近辺のお泊まり可能な動物病院に預ける。このうちのどれかにしなければ仕方がないかなあ、とにかくニェネントをどこかに運ばなければならないだろう、などと考えて、しごとを終えてからホームセンターにペットキャリーを買いに行った。いろんなしゅるいのキャリーが並んでいたけれども、布製で骨組みのついたおりたたみ式のキャリーがサイズがいちばん大きかったので、それを選んだ。

 帰宅して組み立てると、ニェネントが「それ、何?」って感じで寄ってくる。「これかい? これはキミの牢屋になるんだよ」とかいって、ちょっとテストに、なかに入ってもらう。ニェネントはなかでモゾモゾやっている。動ける余裕がだいぶあるという感じで、やはり大きなサイズのものをということで選んだのは良かったかなと思う。ニェネントはもともとこういう箱系のものに入ってしまうのは大好きなので、網になった窓からこっちをのぞいたり、興味しんしんでまた目がグンと寄り目になる。これならそんなにいやがらないで入ってくれるだろう。ただもんだいはこれに入れて外に連れ出すとどうなるか、ということだけれども。

 しかし、病院に行って、そのまま即入院ということになれば、もういまから対策を考えなくっちゃいけない。まあきょうは帰宅させてもらってあしたから入院、ということならばいいけれど、やはりニェネントのもんだいをいま解決しなければいけない。考えていてふとひらめいて、つまり、何もニェネントをよそに預けなくっても、もしも入院ということになれば、となりの方に来ていただいて、ニェネントのエサだけその都度出してもらえばいいわけである。となりの方にはごめいわくをかけてしまうけれど、玄関にはカギをかけずにおくことにして、ネコ皿もネコメシも玄関から入ってすぐのところに出して準備しておけば、となりの方にもそれほどの負担にはならないのではないだろうかなどと、虫のイイことを考える。そうだ、そうしよう。それがいちばんいい、ということで、さっそくネコ皿やネコメシを玄関のそばに移動して、最悪の事態にそなえておく。とりあえずはこれで、病院へ行ってもだいじょうぶだろう。

 病院へ出発。しばらく待ってから、診察を受ける。医師に「脳と心臓の不調というのは一刻をあらそう事態なのですから、病院に来るのではなく、ちょくせつ救急車を呼んで下さい」といわれる。そういわれてもなあ、という気もちではあるけれど、とにかくやはり予想どおりに、きょうも救急車での移動になる。行き先は、きょねんの夏に診察していただいたターミナル駅の近くの総合病院。寝かされて搬送される救急車のなかは、がたがたとゆれて乗りごこちがよくない。よけい具合がわるくなってしまう感じもする。総合病院到着。問診と血液検査。狭心症というのは、じっさいに症状が出ているときでなければ判断のつかないものらしい。結果はつまり、無罪放免、というか、容疑は残るけれどもきょうのところは釈放ということ。「カテーテル検査」という道もあるらしいけれど、そういうことにまでならなかったということは、やはりぜんかいの診断のときのように、血圧以外に悪いところがみつからないということだろう。「血圧の治療をちゃんとするように」という条件付きの釈放でもある。

 ‥‥医師という職業に従事する人たちの多くは、「喫煙は身体に悪い」という迷信を持っていて、この妄信はほとんど職業病といえるほどで、とくに血圧に関するもんだいではなおさら、「禁煙するように」といってくることだろう。そういう妄執にとりこまれるのがイヤで、つまりなるべく病院には行きたくなかったのだけれども、これで二度めになるわけだからやはりこれからの通院をさけるわけにもいかないだろう。つまり、断煙の決意をしなければならない。とりあえずは、もう具合が悪くなりませんように。

 病院の帰りはターミナル駅まで歩き、駅前の日用雑貨量販店でニェネントのネコ缶をまとめ買いしてから帰宅。電車のなかで新書を一冊読了。




 

[] 「戦後史」中村政則:著(岩波新書)  「戦後史」中村政則:著(岩波新書)を含むブックマーク

 なんか、この出版社の「新書」って、こんなんばっかなのかなあ。へーえ、これが「戦後」の「歴史」ですって、これでいいんですか。あきれた。これだから年輩のLeft Wing はダメだ、という感想しか出てこない。

 著者は「構造改革」とかの旗印であれこれやってくれたJ党の、あのK元首相(この新書の刊行当時には現首相だった)について、「(‥‥)首相は歴史と哲学に弱いのが最大の弱点であるとかねがね思ってきた」らしいけれど、歴史と哲学に弱いというのは、この著者にこそいえることではないかと思う。

 年表を連続した文章にして、その都度その都度に通底するものもなしに勝手な解釈を書きつらねて行くことが、「歴史」について書くことではないだろう。じぶんがまさにこの本で扱われた「戦後」を生きてきたからといって、同時代人の当事者気分できままな「感想」を書いたり、けっきょくは「いつもわたしの判断は正しかった」というような論旨でつなげていく。政治的姿勢を書くことは歴史を書くこととはちがうだろう。前後で矛盾した論旨や、論旨の飛躍もあちことに散見される。どこにも「哲学」などないではないか。この著者にとって、「歴史」、そして「哲学」とはどのようなものと考えられているのだろうか。

 こういうLeft Wing の方々は、「過去から未来にわたって、つねにわたしは正しい側にある(あった)」と思っていらっしゃるのかもしれないけれど、わたしは「戦後」に生きてきたのだということも書きたいのなら、その「わたし」のなかにあった迷い、錯誤なども書いてみたらどうだろう。こういう「イイ子ちゃん」ぶったところが、わたしが旧的なLeft Wing に大きな違和感をいだく最大のところ、かも知れない。わたしはRight Wing などとうぜん、それいじょうに大っ嫌いだけれども、だからといって既成のLeft Wing に組したくないという理由は、このあたりにあるのかも。とにかく、あほらしい本である。




 

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