ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2013-01-23(Wed)

f:id:crosstalk:20130125112249j:image:left 和室にすわってパソコンにむかっていると、めずらしくわたしのちょっとうしろにニェネントがすわっている。わたしがたちあがってニェネントの方に足をふみだすとニェネントはまた追いかけっこをはじめましょうかという感じで逃げていくのだけれども、逃げだす方向転換のとき、わきのふすまに立てかけてある板(ニェネントがふすまにつめをかけてやぶくのをふせぐためのもの)におもいっきりあたまをぶっつけてしまった。ガン!って音がした。ありゃあかなり痛かっただろうとおもうけれど、ニェネントはなにもなかったようにそのまま逃げていった。そのあともへいきなようすで追いかけっこをするんだけれども、この子、ちょっとにぶいんじゃないかとおもった。
 きょうもニェネントはTVの天気予報がはじまるとTV台のうえにとびあがり、天気予報士のもっている棒にちょっかいをだす。これはもう天気予報の番組でそうやってあそべることを記憶、学習したのだとしかおもえないのだけれども、どうなんだろう。その天気予報では、あしたは雪になるかもしれないといっている。どうなるんだろう。

 きょうはヴィデオでちょっと感銘をうける作品を観てしばらくぼうっとしてしまったけれども、そのあとはまた図書館から借りているオールディーズ・ヒットのCDを聴いてすごした。ぜんたいにおもいだしてなつかしいとおもうような曲もすくなく、「こういう曲もあったなあ」といういじょうに聞き惚れてしまうものは、やはり「さらばベルリンの灯」とBobby Hebb の「Sunny」ぐらいのもの。きのうはVikki Carr の「It Must Be Him」なんてなつかしいとおもったけれども、きょう聴くとこの歌手のうたい方もどこか鼻につくし、ちっとも好きな曲ではなかった。Bobby Hebb のことをCDの解説で読むと、<12歳の時にロイ・アキューフのグループのメンバーとしてカントリーの殿堂「The Grand Ole Opry」に黒人として初めて出演した>とあった。って、ロイ・アキューフってなによという感じなのだけれども、このCDの発売が2004年だということをかんがえると、解説もそのころに書かれたものだろう。そんなググることもかんたんにできるような時代になって、ポピュラー・ミュージックの常識みたいな大御所(でもないのか)の名まえのカタカナ表記もできない(つまり、知らない)ような存在が<解説>を書いているなんて、異常なことだとおもう。Roy Acuff のファンが泣いたり怒ったりしたことでしょう(Roy Acuff のファンはこういうCDは聴かないか)。



 

[]「永遠のハバナ」(2003) フェルナンド・ペレス:監督 「永遠のハバナ」(2003)  フェルナンド・ペレス:監督を含むブックマーク

 まったくもってどういう作品なのかしらないで、ただタイトルに「ハバナ」の文字があったというだけの理由でしばらくまえに録画してあったもの。観はじめてもしばらくはふつうの劇映画のつもりでいて、つぎつぎに登場人物の名まえや年齢がテロップでインサートされるのをみていて、「そんなにたくさんの人の名まえと顔はおぼえられないよ」なんておもっていた。そこで、つまりはドキュメンタリーなんだなと、ようやく気がついた。十人いじょうの市井のひとびとの、それぞれのいちにちを追ったドキュメンタリーらしい。

 ハバナで撮られたドキュメンタリーというと、どうしてもわたしなどはヴィム・ヴェンダースの「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」をおもいうかべてしまうのだけれども、あの映画に登場したキューバのミュージシャンたち、映画をみるまではまるでしらなかった人たちばかりだったし、作品としても「ミュージシャンという生き方をえらんだ人たちの、ミュージシャンとしての生活をとらえたドキュメンタリー」というイメージもつよかった。だから、この「永遠のハバナ」に登場する人たちがたとえミュージシャンという存在ではなかったとしても(じつはラストまでみるとそういうわけでもないことがわかるのだけれども)、わたしにはどこか「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」につうじる空気がかんじられるのだった。それはおなじハバナという街で撮られているというせいでもあったかもしれないけれども。

 このドキュメンタリーは、カメラなどの撮影スタッフは「存在していない」ということで撮られている。カメラは登場人物の住まいのなかにもはいっていて、登場人物をほんとうに至近距離からのクローズアップでとらえたりもしているのだけれども、きほんてきに彼らがカメラ目線になることはないし、スタッフからの質問などがあるわけでもない。冒頭に各登場人物の名まえと年齢だけはテロップでしめされるけれども、ナレーションなどの説明はそれいがい、ラストまでは皆無である。それでもみていれば「この男の子はおそらくはダウン症で、それでも学校へ通学していて、学校から家に帰るとおとうさんがまっている。おかあさんはいないみたいだな」などということは読みとれたりはする。この人は靴の修理をやっているとか、鉄道の保線のしごとをやっているとかは、ダイレクトに画面からわかる。

 カメラはじかんの経過にしたがいながらそれぞれの登場人物を追っていくけれども、だんだんに夕暮れもちかづいてきて、ここで「きっとよるになるとみんな遊びにでかけるんだろうなあ」などとおもうんだけれども、その予想はあたったというか、いやいや、おもっていたよりももっとみんなすごいというか、よるになるとひるとはちがう顔をみせてくれる人がいっぱい。ひるまはコンクリートの袋をはこんでいた青年が、よるになるとメイクをしてバレエのステージに立つ。保線区員だった男性はサックス・プレイヤーだったし、靴を修理していたおじさんはばっちり服装も決め込んで、ダンスフロアで踊っている。これはもうちょっとはやい段階でわかるケースだけれども、企業のなかで診療医をやっていた男性はゆうがたにはピエロのメイクをして、子どもたちのまえでマジックをやってみせている。

 とちゅう、ラジオや舞台からいくつかの音楽が流れてくるのが聴こえるのだけれども、やはりその音楽がよくって、またわたしは「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」をおもいだしてしまう。わたしはとくに、夕暮れどきにラジオから聴こえてくる「夕暮れ」という曲が気に入ってしまった。ラストちかくにうつるハバナの海岸の通り、海からの波しぶきが道路にもかぶってくるんだけれども、この道路は「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」の冒頭でライ・クーダーとそのご子息がサイドカーで走っていた道路だったんじゃないだろうか。やっぱわたしはどこまでも「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」をおもいうかべてしまうんだけれども、なんでもない登場人物の表情だとか、うつされるあれこれの情景だとかを目にするだけで、なんとなくなみだ目になってしまうのだった。

 予備知識もまるでないままに観はじめた作品だったけれども、よくまあ録画してくれていたものだと、じぶんじしんに感謝したい。すばらしい映画、だった。


 

[]「悪魔の美しさ」(1949) ルネ・クレール:監督 「悪魔の美しさ」(1949)  ルネ・クレール:監督を含むブックマーク

 このあいだジュリアン・デュヴィヴィエの映画を観たけれど、きょうはべつのフランス映画の巨匠、ルネ・クレールの映画を観た。ファウスト伝説の現代的な翻案で、ジェラール・フィリップとミシェル・シモンというふたりの名優の共演。時代設定はおそらく19世紀なかごろだろうか。

 ファウスト伝説というのはゲーテが「ファウスト」を書いたもとになった伝説で、ゲーテの時代17世紀には人形劇としてヨーロッパ各地で上演されていたわけで、いく種類ものヴァージョンがあるそうな(シュヴァンクマイエルがまさに「人形劇」として映画化してもいる)。ゲーテも子どものころにその人形芝居をみて、それがのちにゲーテ版「ファウスト」として結晶する。ゲーテはその「ファウスト」のなかにあれこれの壮大な人生哲学をもりこむわけだけれども、もちろんそういう要素はゲーテの創作であって、ゲーテの「ファウスト」イコール「ファウスト伝説、ファウストの人形劇」ではない。この「悪魔の美しさ」はつまりは「ファウスト伝説」をもとにしているところがおおきく、「あのゲーテの代表作をこんなにしちゃってからに」となげくのはまとはずれではあるだろう。ただ、この「悪魔の美しさ」でファウストがさいごに愛するのがロマ(ジプシー)のマルグリットという名の女性だというのは、ゲーテの「ファウスト」のマルガレーテからの流用なのかもしれない。

 ここでのルネ・クレールの演出はあくまでも軽妙で、ほとんどマンガ映画みたい。その演出をふたりの名優が助けるのだけれども、とくにミシェル・シモンの「お下品」一歩てまえ(だけれども品格があるのがすごい)みたいな演技が、ほんっとうにすんばらしい。ファウスト伝説ではファウスト博士は錬金術師なわけで、そのあたりをじゅうぶんに活かしてここでのファウスト博士は科学者。砂から金をうみだして国家財政のピンチを救うし(あとでまたその金は砂になってしまうけれども)、飛行機や潜水艦などの開発もすすめるもよう。そういうところに科学万能主義への危機感を読みとったり、科学とむすびついた近代兵器開発への警鐘をみてもいいんかもしれないけれども、これはそういうことをそんなに声高にうったえるような作品ではない。どちらかというとファウストとメフィストフェレスとの人格入れ替わりの喜劇という側面のつよい作品で、そのことでさきに書いたように、ジェラール・フィリップとミシェル・シモンの演技が最大限に活かされるのだという印象。たのしい映画、だった。


 

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