ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2013-11-30(Sat)

 きょうもまた、東京へ行く。池袋でBさんと合流し、3時からのフェスティバル/トーキョーの作品、リミニ・プロトコルの「100%トーキョー」を観る予定。終演後はまた、どこかで飲むだろう。ニェネントにはきのうにつづいて、おるすばんをお願いしなくてはいけない。「ゴメンね」という気もちで、ネコ缶からいつもよりたくさん皿に取ってあげた。
 待ち合わせは1時半なので、11時半の電車に乗る。きょうも晴天で、電車に乗っても窓からの日ざしがまぶしい。ターミナル駅でいちど乗り換えると、あとは池袋、新宿、渋谷など、一本の電車でまっすぐ行ける。距離は長いけど、コンビニエンス。

 池袋で下車して、ちょっとじかんがあるので、外をかるく一周してみる。池袋の街のことはよくわからない。昼食とか、どこにしようか。やはり芸術劇場のなかがいいのかな。
 無事にBさんと遭遇し、その芸術劇場へ行ってみるけれど、どの店も芸術していて高い。Bさんも、「軽食でいい」ということなので、外にイタリアンの「S」の店の看板がみえたので、そっちにする。わたしはスパゲティを注文したが、こういってはアレだが、わたしがつくったモノの方がおいしいと思った。ま、ドリンクがいっぱい飲める店だからいい。

f:id:crosstalk:20131117180700j:image:w240:right 指定席のチケット持ってるし、ゆっくりと劇場にもどる。吹き抜けに巨大な羊のあたまがぶら下がっているのだけれども、二階にあがってその裏面をみると、けっこうグロテスクだった。ほぼ満席の「プレイハウス」で開演。思ったよりもエンターテインメント色のつよい作品だった。おそらくはコレが、ことしさいごの舞台鑑賞になることだろう。感想は下に。

 終演後、「どうしよう」ということになるのだけれども、あんまし池袋ではくつろいで飲める店も知らないし、ほかへ移動しよう、ということで、Bさんが「神保町は」とリクエストを出してくれた。リクエストしてくれるとうれしい。神保町ならばあそこだな、「Y」だ。そうしようと、移動。
 ‥‥わたしはすっかり道順を忘れてしまっていたけれど、Bさんが「こっち」と、しっかりおぼえてくれていた。Bさんとはこの四月に、神保町の映画館で「吉原炎上」を観て、そのあとにこの「Y」に寄ったんだと思う。けっこう、印象に残ってくれていたんだろう。

 この夜は、広い座敷で飲んだ。かなり広い。だんだんに客も増えてきて満席。まわりもすごくにぎやかで、「喧噪」といっていいのだけれども、いろいろな客層で雑然としていて、それでもどこか、ピシッと秩序が保たれている。さっき観た「100%トーキョー」の続編の、その舞台のなかにまぎれ込んでしまったような気になった。トーキョーの夜。そう、この店はたしかにいい日本酒も置いてあるし、それが安いし、Bさんも、「ここの梅酒サワーはおいしい」といっていた。食べもの系のメニューも豊富だし(さいしょに食べた「馬刺」がとってもおいしかった)、客層がかたよっていないのがいい。やはりきのうの新宿の「S」とは比較の対象にもならない。これからはBさんと飲むときは、いつもココにしようかと思う。

 わたしはどうも、引きつづいて「躁」状態というか、ハイテンション。Bさんに「その話、前に聴いたよ」といわれるような話をまた繰り返す。これは「躁」状態というよりも、老人性のモノなのかも知れない。要注意である。
 Bさんはやはり、いつも魅力的だし(あらためていうまでもないけれど、Bさんは女性である)、いろんなモノへの興味、好き嫌いが、わたしととっても近接している(彼女が好きなSF方面はわたしはまるでダメだけれども)。話に興が乗り、「きょうはこのままずっとBさんと飲んで、終電に間に合わなくってもイイか」などと思ったりしたけれども、あんまりアルコールが廻りすぎるとわたしもヤバいことになるわけだし、ギリギリのところでお別れして、帰ることにした。

 神保町からは、メトロで岩本町で下車し、そこから秋葉原の駅まで歩けばいいのである。岩本町までいっしょだったBさんとお別れし、終電で帰宅した。ニェネントはベッドで寝ていた。

  

 

[]リミニ・プロトコル「100%トーキョー」リミニ・プロトコル:作・構成 ダニエル・ヴェッツェル:演出 @池袋・東京芸術劇場 プレイハウス リミニ・プロトコル「100%トーキョー」リミニ・プロトコル:作・構成 ダニエル・ヴェッツェル:演出 @池袋・東京芸術劇場 プレイハウスを含むブックマーク

 ‥‥わたしはもともと、意識調査とかのアンケートでもウソ八百並べて書いてしまうタチの人間だから、こういう「統計」とか、まったく信用していない。そういうところでは、マジメにやってるのか、「いやいや、舞台に上がったら<虚構>ですよ」ってやってるのか、どっちかというと後者かな?って気はした。

 かんたんに書くと、出たがりさん、見せたがり屋さん全員集合の、ユニークな切り口のアマチュア・バラエティショー、ってな印象。「では<東京>とは何なのか」というようなところに観客を運んでくれるというのではなく、「楽しいね」というエンターテインメント、だったかな。つまり、もっと、「東京」らしい設問が多いとよかったような気もするけれど、演出の根本は短期滞在のドイツ人なのだから、このあたりがいいところ、なのかも知れない。

 「Yes/No」ではない、選択肢が四つか五つあるセクションは、設問も、解答の選択肢も、「なんかちがう」みたいな気はした。‥‥中盤での、解答にしたがって出演者が移動して行くコーナーで、ずっと片側で飛びはねて遊んでいた二歳ぐらいの幼児が、ある設問でひとり真ん中に残ってしまう、いちばんの爆笑シーン、よくあの子を仕込んだなあと、感心したね。ほかの日もああやってうまくいったんだろうか。

 

 

[]二〇一三年十一月のおさらい 二〇一三年十一月のおさらいを含むブックマーク

舞台:
●リミニ・プロトコル「100%トーキョー」リミニ・プロトコル:作・構成 ダニエル・ヴェッツェル:演出 @池袋・東京芸術劇場 プレイハウス

映画:
●「武器人間(Frankenstein’s Army)」リチャード・ラーフォースト:監督

美術:
●三田村光土里「Till We Meet Again」@南青山・void+
●立島夕子個展「毒の飴」@初台・Zaroff

読書:
●「生きがいについて」神谷美恵子:著
●「失われた時を求めて 2」(第一篇 スワン家の方へ 2)マルセル・プルースト:著 鈴木道彦:訳
●「往古来今」磯崎憲一郎:著
●「つげ義春 『必殺するめ固め』映画用絵コンテ」天野天街:著
●「Deluxe Edition」阿部和重:著

DVD/ヴィデオ:
●「ライフ・アクアティック」(2001) ウェス・アンダーソン:監督
●「スラムドッグ$ミリオネア」(2008) ダニー・ボイル:監督
●「密会」(1959) 吉村昭:原作 中平康:監督
●「新選組始末記」(1963) 子母澤寛:原作 三隅研次:監督

 

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■ 2013-11-29(Fri) このエントリーを含むブックマーク

 きょうは、ニェネントのお母さんのミイの三周忌の日、だった。‥‥じつは、この日記を書いているのはもうちょっとあとの日付けになってからのことで、その当日、わたしはきょうがミイの命日だということを、すっかり失念していた。あした、11月30日がミイの命日だと思い込んでいたところもある(こういう感じで、ニェネントの誕生日もいつも勘違いしている)。

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 きょねんのミイの命日には、それこそ、「ああ、ミイが呼んでいるんだ」というような出来事があったのだけれども、じつは今年も、この日がミイの命日だと思わずに、ミイを思い出すことをやっていた。ニェネントの写真を撮ったのだけれども、その面影に、ミイを思い出させられるようなところがあった。写真をみながら、「ニェネントも、どこかお母さんのミイに似てきたのかなあ」などと思っていた。いままで見せなかった表情だと思ったけど、きっとミイの霊が憑依していたのだろう。

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 きょうは夕方から、いつものJさんとKさんと、新宿で飲み会。四時に待ち合わせなのだけれども、この地の一時間に一本のローカル線を利用すると、どうしても三時二十分ぐらいに新宿に到着するしかない。地元の出発は一時半。まえに安値で買った「わかめごはん」のパックがおいしくなかったので、早く片付けてしまおうと、こいつでかんたんに昼食をすませ、ニェネントに「おるすばん、お願いね」ということで家を出た。快晴。

 新宿に着いて、じかんがあるので、ゴールデン街のあたりを散歩してみた。‥‥わたしもゴールデン街あたりで飲んだこともあったけれど、基本のわたしの本拠地は三丁目の方だったので、そんなにゴールデン街になじみがあるわけではない。でも、何度か行った店の看板はもう、ほとんどみつけられなかった。三丁目の方はむかしの店がまだまだ残っている印象があるけれども、こっちはちがうんだな、なんて思った。

 四時が近くなり、皆との待ち合わせ場所に向かう。無事に集合して、このところの定番、区役所前の「S」に向かう。まだ四時をちょっとまわっただけのじかんだというのに、もうずいぶんと席が埋まっている。ふふ、ココの客のほとんどは、わたしたちと同じように、しごとからはんぶんリタイアしているような年配の方々ばっかり。圧倒的に男性客中心、客の平均年齢はわたしより上ではないだろうか。

 とにかく、この店はめっちゃ安い。そのかわり、食べものは要注意かな。前回来たとき、そのときの「おすすめメニュー」だったなんとかの刺身、「どうやったらこんなマズいサカナを仕入れることが出来るんだろう?」っておどろく味だった。きょうは「鍋」とか注文して、それほどにひどい印象もなかったけれども。

 わたしはいつものように「ホッピー」にして、ホッピー一本でなかみを五杯「おかわり」したら、Jさんに「ふつう、三杯だろ?」って、たしなめられた。二年ほどまえにLさん(彼女とはあした会う)といっしょに下町の居酒屋でやはりホッピーをそうやって飲んだとき、店の人にちょっとそれに近いことをいわれ、まあそれは「そういう飲み方はやめてくれ」とかいうんではなかったけれども、「最高記録のお客さんは中身六杯でしたね」なんて話してくれた。いや、やろうと思えば、六杯でも七杯でも出来ますよ! って、それじゃあ焼酎のストレートか。
 あと、「最近、facebook に深入りしてる」と話したら、Kさんから、「facebookって、不倫の温床なんだろ?」みたいに返された。‥‥この人は、すべてそういう方に話題を持って行く。

 わたしがけっこう、老舗の居酒屋とかに行ったりしている話をしたら、「もうこの店はそろそろ卒業して、来年からはそういう老舗居酒屋を探索しようか」みたいな話になった。そうそう、このところ、ちょっと「ウツ」だったんだ、みたいな話をしたら、「どこがウツなんだよ? ひとりでしゃべりまくりじゃないか」なんていわれた。

 ローカル線の終電で帰宅。さて、あしたはまた、Bさんと飲むわけだ。あんまりハイテンションにならないように、気をつけよう。


 

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■ 2013-11-28(Thu) このエントリーを含むブックマーク

 なんだかやはり「躁鬱」というのか、きのうきょうと、どこか躁状態。もしくは、ハイテンション。きのうのこの日記など、いまみると恥ずかしくって、ぜんぶ消してしまいたい。facebook にも、妙な書き込みやコメントばかり残している。いやだいやだ。

 きょうは、注文してあった「葛原妙子全歌集」が午前中に届いた。まずは開封して適当なページを開いて、そこにさっと眼を通すと、もう、そこのページのなかのいくつかの歌に心を射られてしまった。

一匹の蛾を塗り込めし痕(あと)とも油彩のひとところ毳(けば)だちてをり

みどりふかし なにものかの胸の手にあたらしき爪生え替りをり

死は絶えて忌むべきものにあらざるも 死の惡臭は忌むにあまるべし

 ‥‥もう、これだけで耐えられないと、近所のドラッグストアに酒を買いに出た(たんじゅんに、酒を飲みたかっただけだろうが)。たった三つの歌だけで、外の世界は別世界に見えた。

 いろんな文学全集や短歌体系に彼女の歌は掲載されているけれども(わたし、たいていのものには眼を通しているつもり)、こういうのを抜かすって、選者の批評意識を疑いたくもなる(もちろん、人それぞれの観点はあるわけだが)。

 こういう歌がこの「全歌集」の七百ページ近くに、ぎっしり詰まっていると思うと、畏怖の念をおぼえる。まさに「おそろしい」。

 ‥‥ニェネントくん、あなたは読まない方がいいと思うよ。

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午後から、録画してあった映画から、黒澤明の「デルス・ウザーラ」をちょっと観た。わからないけれども、黒澤作品ではひょっとしたらコレがいちばんではないのか? などと思ったりもして観ていたけれども、事情があって三十分ほどで中断した。


 

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■ 2013-11-27(Wed)

 しごとへの復帰二日目。十二月に向けて、だんだんにいそがしくなってくるところ。妙なところで復帰してしまったな、などと思ったりもするけれども、アレいじょうさぼりつづけているわけにもいかなかっただろう。
 昨夜も、なんだか具象的な(といういい方でいいのか)夢をみた記憶はある。どんな夢だったかは忘れてしまった。「忘れた方がいいよ」ということでもあったのかな、などと思ったりする。きっと、そういう夢だった。

 きのうのこの日記を書いていて、実はわたしは「二重生活」をおくろうとしているのではないか、と気づいたわけだけれども、それはとても思惟的というか、わたしには無意識な行動ではあったけれども、「あ、イヤらしいヤツだなあ!」と思うところもあり、「そういうやり方がたしかにベターではあったろうね!」というような反省もある。うん、たぶん、わたしはあのまま東京にいたら、とっくに死滅してしまっている存在のような気がする。「生き続けること」、このことの大切さを、きのうきょうと考えたりした。ここにかんたんに書き切れるようなことではない。この視点から、不遜ながらもいろいろな生き方を批判してみたくもなる。‥‥もっちろん、外からはこのわたしの生き方こそが批判の対象になるだろう。わかってる。わ・か・っ・て・ま・す・よ!(ま、こんなことを書くわたしは、まだぜんぜん「至って」いないわけだろうけれども)

 きのう入手したインド美術の画集をながめ、つまり、けっきょくは「美術の王道」などと思われたり、いわれたりしている「ヨーロッパ美術」なんて、けっきょくは「カメラ」になろうとしただけじゃないか、などと思うのである。それって、単に「機能」(眼の機能を即物的に定着させるだけ)であって、「解釈」とは別モノではないのか。そういうことは、ギリシア時代の彫刻作品からすでにかいま見られるわけだろう。‥‥そうではないところの、アジアの美術というもの、日本の浮世絵もその系列に考えられるだろうけれども、それはやはり、「イデア」というものを考えるとき、より重要な視点ではありつづけていると思う。インドの美術は、この画集でみてもすばらしいものであるのに、ヨーロッパ美術に比して、あまりに知られていない。このことが、人類史の悲劇だといいたくもなる。

 きょうは朝食はロマネスコのホットサラダ、昼食はインスタントの冷し中華、夕食も保存用のパックごはんと、とってもかんたんにすませた。なんとなく、何がきっかけになったのかわからないけれども、「世界」が面白く感じられるようになった気がする。

 

 

[]「Deluxe Edition」阿部和重:著 「Deluxe Edition」阿部和重:著を含むブックマーク

f:id:crosstalk:20131128133528j:image:medium:right 「あんた、変な映画の見すぎなんじゃないの?」といいたくなるようなものばかりの短編十二篇。いちおう、現実的な(リアリティのある)背景からスタートして、「なによ、コレ?!」という世界を展開してみせる。たいていの短編のタイトルは、往年のロック(ポピュラー音楽)名曲のタイトルから、だと思う。

 ‥‥そうか! 世界の解読とは、実はこういうところを視野に含めるところから出て来るわけだろうか! などとは考えたりする。やっぱり、阿部和重、タダものではないわけだなあ、などとは思ったりする。SFっぽい作品も散見されるわけだし。

 まあ、「まいったな」というのでは「In a Large Room with No Light」だろうし、わたしは「Life on Mars ?」、「The Nutcracker」、そして「Family Affair」なんかを楽しんで読ませていただいた。


 

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■ 2013-11-26(Tue)

 きょうから、しごとに復帰。あさ、起きるのがちょっとつらかった。‥‥職場に着くと、皆さんが「だいじょうぶですか?」と声をかけてくれる。‥‥ごめんなさい、でした。
 わたしたちよりも一時間遅く、きょうからの臨時雇いの人たちが来る。男性二人の女性一人、計三名。若い人たちばかりでよかった。まだ、いちにちだけではわからないけれども、男性の一人は勘もよく、すっごい戦力になりそう。コントロールのいい速球派、というところ。女性は基本(ルール)に忠実な感じで、こういう人を期待して募集をかけ、それに答えてくれる人が来たというところ。‥‥もう一人の男性はどうだろう。きょうは、そんなにあれこれと要求しないで、まずは基本の基本だけを伝えてやってもらおうとしたのだけれども、その最大の基本をスルーされたのでおどろいた。けっこう念を入れて伝授したつもりだったのに。‥‥あんまり、期待していない。そういう、期待しない人に何をやっていただくか、というのはむずかしい。
 匿名のブログはこういうことも書いてしまえるからいい。って、ほとんど正体はバレているんだけれども、わたしの過去を知らない地元の人にはぜったいにわからないだろう。

 いま、地元の人は「わたしの過去を知らない」と書いて、ふと、なんでわたしがこうやって北関東に住んでいるのか、いままで無自覚だったそのファクターのひとつがわかったような気がする。つまりは、これはいっしゅの「二重生活」みたいなところがあるだろう。そういう生活を、どこかでわたしは望んでいた(いる)んだろう。(自分のことながら)わかる気がする。もうちょっと、このことは考えてみたい。

 きのう、「葛原妙子全歌集」と、Alex Chilton の生前のライヴCDとを注文し、コンビニで支払いも済ませた。こんげつは葛原妙子の「鷹の井戸」も買い、別にインド美術の画集も買った(これは思ったよりも早く、きょう届いた)。めずらしく、本とかいっぱい買った月になった。これからも、あたまを刺激しなくっちゃね。

 きょう届いたインド美術の画集とは、「A Celebration of Love/The Romantic Heroine in the Indian Arts」というもので、主にムガール美術を中心に、インド美術で取り上げられた女性像を集めたもの。ステキだ。ただ、収録された図版をながめているだけで刺激され、また、癒される思いがする。

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 きょうもまた、録画した映画を一本みた。徐々に、むかしのライフスタイルに戻りつつある(ムリしてむかしと同じに戻らなくてもいいのだが)。

 

 

[]「密会」(1959) 吉村昭:原作 中平康:監督 「密会」(1959)  吉村昭:原作 中平康:監督を含むブックマーク

 日活映画。音楽は黛敏郎で、主演はその黛敏郎の夫人だった桂木洋子。その歳のはなれた夫が宮口精二、若い学生の不倫相手が伊藤孝雄という新人俳優。

 冒頭にかなり長い長廻しのシーンがあるのだけれども、なんというのか、「下世話」というのか、えげつないところをみせようとするような演出が気になる。なんどか、主役の桂木洋子の表情のアップがあるけれども、そこから読み取れるものはない。文芸作品風に仕上げたかったのかも知れないが、けっきょくはサスペンス、というか、スキャンダラスな「不倫事件」をみた、という印象。

 やたらドイツ語とかを織り込んだ長いセリフをいわせたり、黒板を振り返らないで黒板に字を書かせるとか、わたしには「無意味」と思える演出が散見された。


 

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■ 2013-11-25(Mon)

 きょうはあさから曇天。天気予報では、午後から風雨がつよくなるようなことをいっている。わたしはきょうもしごとは休む。しかし、この一週間になった休暇も、きょうでおしまいのつもり。ひるまえに職場に連絡を入れ、あしたからの出勤を伝えた。すると、ちょうどあしたから臨時雇いの人が三人、入社するという。‥‥十二月は、わたしの勤める業界の書き入れどきというか、異様にいそがしくなる。それはネコの手も借りたい時期ではある。ましてやふだん二人だけでやっているところを、倍以上のしごと量になるのをそのままでこなせるわけがない。しかし、臨時雇いということはおそらく、十二月いっぱいでおしまいなんだろう。懸命にしごとのややっこしいところを教えても、おぼえてくれたころにはいなくなる。あんまりややっこしいことはアテにしないで、かんたんなところだけやってもらうようにした方がいいんだろう。‥‥って、すっかり「復帰モード」になっているわたし。

 そういう「復帰モード」は、生活の上でもしっかりとやっていかなくっちゃいけない。ずっと乱雑にちらかったままの室内、そしてキッチン。きょうはまずはキッチンを(あるていど)片付ける。‥‥まだまだ、まだまだだけれども、「さいしょの一歩」は大切である。
 あとは読書をやり、録画してあった映画を観たりした。読書は、葛原妙子の「鷹の井戸」、そして図書館から借りている阿部和重の短編集「Deluxe Edition」と。「Deluxe Edition」は、「なんじゃこれ!?」という作品のれんぞく。ある意味では「アホらしくって!」という感想になるのだけれども、こういう「アホらしい」世界に、わたしは生きている、ということなんだろう。

 よる、「あしたからしごとに復帰だし」とか考えると、あれこれと想念が飛躍してなかなかに眠れなくなり、こまった。何度か、トイレに起きたり、キッチンに行って水を飲んだり、バナナ(まだたくさんある)を食べたりする。そのたびに、ベッドのわたしの足もとで丸くなっていたニェネントも起きだしてベッドから跳びおり、わたしのあとについてくる。わたしがベッドにもどると、しばらくしてニェネントもベッドの上に跳び上がってくる。‥‥これを繰り返す。ニェネントくん、落ち着かない思いをさせてゴメン。

 

 

[]「新選組始末記」(1963) 子母澤寛:原作 三隅研次:監督 「新選組始末記」(1963)  子母澤寛:原作 三隅研次:監督を含むブックマーク

 この子母澤寛の原作は、1928年に出版された彼のデビュー作であり、新選組を題材とした作品としてもエポックメイキングな作品となったものらしい。原作がどうなっているのかは知らないけれども、この1963年の映画作品では市川雷蔵が演じる山崎烝(すすむ)を主人公として、「池田屋事件」をクライマックスに、主に新選組の内部抗争を描いたもの。近藤勇をまだ城健三朗と名乗っていた若山富三郎が演じ、土方歳三を天地茂、芹沢鴨を田崎潤、そして山崎烝の恋人の志満を藤村志保が演じている。

 まずは三隅研次による鋭角な演出がすばらしく、その見事な撮影(本多省三)と照明(伊藤貞一)と合わせて、「これが京都の町か」というダークな世界をみせてくれる。その一面で豪華な美術や、芸妓らの衣装にもまた堪能させられる。

 ドラマとしては、くっきりと造形された登場人物らの競合する群像劇という味わいで、近藤勇のことばに武士の本懐を刺激されて新選組に加わるところの、一本気な山崎烝、そこに対峙する、すべてをクールに計算ずくで行動する土方歳三、そして、もう腐り切ってしまっている芹沢鴨、理想と現実のあいだで正体のつかめない行動をする近藤勇らのぶっつかり合いが楽しめる。特に、天地茂の演じる土方と、市川雷蔵の山崎との対比がみどころだろうけれども、あのニヒルなほほえみと怪しい目線の天地茂の前では、市川雷蔵もちょっと影がうすく感じられるだろうか。‥‥あと、ワンショットのなかで、笑顔から泣き顔へのみごとな移行をみせてくれる藤村志保もまた、「やっぱこの人はスゴいんだなあ」と思わされてしまうところがある。

 たんじゅんな勧善懲悪ではない、屈折した映画づくりに、当時の映画人たちの「心意気」のようなものも観たように思う。傑作とはいわないにしても、愛するに足りる作品だと思った。


 

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■ 2013-11-24(Sun) このエントリーを含むブックマーク

 きのう、勤め先には「たぶん火曜日から復帰できる」と連絡してある。何もしなかったバケーションも、きょうとあしたで終わる。外はきょうも快晴で、ほんとうは午後から出かけようかと思っていたのだけれども、ぐずぐずしてしまって、けっきょく出かけることはなかった。ほんとうに病院に入院したつもりになって、バーン!って大きな買い物をしてもいいんだけれども、それはひとつは「葛原妙子全歌集」を注文することに向けられた。
 ‥‥まだ、もっとほかのことにつかってもいい。ひとつ、まえから思っているのは、メガネを買うこと。たいした近視でもないし、ふだんはなくっても不便は感じないんだけれども、舞台とか映画とか観るときにはやはり欲しくなる。いまも度付きのメガネはひとつ持っているけれども、レンズが青色の、つまりはサングラス仕様。これはこれとして、ふつうのものが欲しい。
 もうひとつ、欲しいものがあるとしたら、DVDレコーダーかなあ。せっかく、ある程度の価格のした「画像安定器」なるものを買ってあって、録画した映像をDVDに落とせるようにしたのに、まるで活用していない。‥‥でも、これからDVDなんかを増やしていくような生活体系にはしたくない、というのもある。いまは余計なモノはどんどん捨てていってるのに。

 きょうは大相撲の千秋楽。しっかり、観戦してしまった。「同体取り直し」が二番れんぞくしたり、エキサイティングな取り組みも多かったけれども、さいごの大一番、優勝をかけた、横綱同士の相星決戦は、ちょっと「あれれ!?」というエンディングになってしまったかな。‥‥わたしはやはりこれから、多くのお年寄りたちとおなじように、相撲ファンになってしまうのだろうか。勢(いきおい)という力士が、ヴィジュアル的にも、いい。

 放置してあったロマネスコも、いよいよきょうが出番。じかんをかけて、ホワイトシチューをつくった。たしかにロマネスコはゆでただけでおいしい。‥‥ホワイトシチュー、完成。あれ? なにかがちがう、というか、前回つくったときは、ほんとうにおいしいホワイトシチューに仕上がったのだけれども、こんかいは何か足りない味。というか、ちがう。たぶん、ホワイトソースをつくるとき、牛乳を注ぐまでにフライパンの温度を上げすぎ、じかんもかけすぎたんだと思う。反省。近いうちに再チャレンジしよう。
 そう、「わたしは牛乳がダメな体質になってしまった」などとはココにも書いたけれども、この、ホワイトシチューだったらぜったいにだいじょうぶだろう。自信がある。おそらく、じっくり熱を加えるからだろうか。


 

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■ 2013-11-23(Sat)

 もうちょっと、行動的な生活をおくりたいのだけれども、「なまけぐせ」というのか、まさにナマケモノな生活のまいにち。きょうは、一歩も外に出ないですごしてしまった。‥‥そういう、長くいっしょにいるというのがニェネントにはうれしいのか、ベッドで寝ているわたしに「遊ぼうよ〜」と、ないて誘いかけてくる。わたしだって、ニェネントと三年五ヶ月もいっしょにいるのだから(忘れていたけれども、ついこのあいだ、ニェネントは三歳と五ヶ月になった)、ニェネントのなきごえを聞いて、その表情をみれば、ニェネントが何を要求しているのか、それなりにわかるようにはなっている。‥‥いや、そうでなければ、いっしょに暮らす資格もないのだが。
 「ごはんちょうだいよ〜」というのはすぐにわかるけれども、「遊ぼうよ〜」というのはけっこうめずらしい要求。「それでは」と、追っかけっこをやる。わたしが近づくと、ニェネントは逃げる。それをうしろから追いかけるか、それとも先回りして、逆方向からニェネントとのはちあわせをもくろむか、いろいろとやってみる。ニェネントもそういうわたしの動きを予測して、逃げ方を工夫しているのがわかる。あんがい、それほどに「バカネコ」というわけでもなさそうだ。
 ニェネントのあとのお得意の遊びは、ものかげに隠れていていきなりわたしの足首にうしろから飛びかかり、わたしをびっくりさせる技。もう、わたしもたいていは予測していて、遊んであげるつもりでわざとひっかかるのだけれども、ときどき、ほんとうに不意をつかれて「びっくり」してしまうことはある。かわいいと思い、あらためていとおしく感じる。

 きょうはネット上で、ニェネントにそっくりなネコのフォトをみつけた。耳の色はちがうけれど、かなりそっくりさん。「次のページ、めくってよ」って、言ってます。

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f:id:crosstalk:20131123155225j:image:w300:right Amazon に注文してあった葛原妙子の歌集、「鷹の井戸」が届いている。さいごの見返しに値札の貼られたあとのある古本ではあるけれど、美本だった。読んでいて、やはり、アンソロジーなんかで読んで、その歌人のことをわかったような気になってしまうのはよくないと思った。「こんなすばらしい(葛原妙子の場合は「おそろしい」)歌も書いていたのか」というおどろきに満ちている。やはり、彼女の「全歌集」を買おう。
 その「あとがき」を寝転がって読む。歌集タイトルの由来となった、イエーツの劇詩「鷹の井戸」について、その日本との関係にふれられている。‥‥そこの、「はるかその人の祖先である輝かしいアイルランド」という文字を追っていたとき、つけっぱなしにしてあったiTunesのストリーム配信から、そのアイルランドのロックバンド、Horslipsの曲がちょうど流れはじめた。これをシンクロニシティというだろう。

 夜になって、Bさんからメールをもらった。この三月のはじめにBさんといっしょに行った清澄白河の喫茶店に、きょうまた行かれたそうな。‥‥あのとき、わたしたちの気を惹いた喫茶店の看板ネコちゃん、四月に亡くなられたと聞いたということ。わたしたちがみたときも、あのネコはもう、三半規管の障害からかまっすぐに歩けなくなっていた。アメリカンショートヘアの、美しいネコだった。しばらく、Bさんとメールのやりとりをした。らいしゅうは、そのBさんと、また舞台を観る予定。楽しみにしている。

 きょうも、予定していたロマネスコを使ってのホワイトシチューはつくらなかった。まだ白菜が残っていたのを冷凍庫に残っていたレバーと炒めて、「残り物おかたづけ」メニュー。こういうことをやるから、食費が安く上がる、と、思う。

 

 

[]Horslips - Trouble (With a Capital T) Horslips - Trouble (With a Capital T)を含むブックマーク

f:id:crosstalk:20131125100322j:image:left Horslipsは「アイルランドのロックの父」と呼ばれ、ケルトのトラディショナル音楽をベースとしたロックを確立し、アイルランドでは圧倒的な人気がある。わたしはどこでこのバンドの存在を知ったのか、その記憶は定かではないけれど、けっこう多くのアルバムを持っていた。アイルランド以外ではほとんど無名の存在だろうに(いちおう一度だけ、国内盤がリリースされたことはあるが、近年のCDリイシューのブームのなかでも、日本ではまったく無視されつづけている)。

 この「Trouble (With a Capital T)」は、彼らの1976年の一種のトータル・アルバム「The Book of Invasions」収録曲。まさにアイリッシュ・テイストを活かした名曲。このライヴは近年の彼らの再結成以降のものだけれども、カメラもサウンドもすばらしい。聴衆もみな、この曲を知っていて、いっしょに唄っている。なんというすばらしい雰囲気。‥‥わたしも、唄えるよ

Horslips - Trouble (With a Capital T)


 

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■ 2013-11-22(Fri)

 しばらくまえに友だちらと飲んだとき、「わたしの食費は月に一万二千円ぐらいだ」と話をしたら、「それって、もやしばかり食べてるわけ?」などといわれたのが気にさわっていて、こんげつはおおざっぱに記録してみることにしている。きのうまでの分を計算してみると、食費はほぼ七千円(酒のつまみとかスナック類は入れてないけれども、入れても千五百円程度のもの)。きょう、お米など買ったのでプラス二千三百円。このペースなら、やはり一ヶ月で一万二千円ぐらいのものだろう。いぜんは一万円を切るような月もあったのだけれども、やはりちょっと、ぜいたくになって来ているのだろうか。その友だちにはらいしゅうまた会うので、「こんな内容だけれども」と、明細をつきつけてやりたい。

 その、きょうの「ちょっとぜいたくな」お買い物。ホワイトシチューでもつくろうと思って、ブロッコリーを買うつもりでいたのだけれども、スーパーのそのブロッコリーのとなりに、ロマネスコが置いてあった。やはり見惚れてしまい、ブロッコリーより百円高いけど、ロマネスコの方を買った。
 ロマネスコを買うのはこれが三度目になるのが、この日記を検索するとわかる。百五十円で買ったときもある。きょうはその倍の価格だったけれども、まあいいや。‥‥ロマネスコはカリフラワーの仲間らしいけれども、味はブロッコリーに近く、これ自体でちょっと甘みがある。ゆでて温サラダにしてもおいしいし、煮込んでもブロッコリーのように房がばらばらになったりしないのがいい。
 その美しいフラクタル形状から、珊瑚ブロッコリーなどという名称で売られていることは聞いているけれども、帰宅してレシートをみると、「カリッコリー」などと書かれていた。‥‥それでは歯ごたえがありすぎる感じだし、「やめてくれないかなあ」などと思った。

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f:id:crosstalk:20131122133546j:image:w240:right 写メールしておこうと、まわりの葉っぱをちょっとはずして本体を撮影していたら、ニェネントがその葉っぱの方に寄って来て、かじったりしていた。ちょっと、食べていたみたい。ネコには特に「野菜をとりなさい」ということもないのだけれども、やはりなんだか、青いものを食べる姿をみると、うれしくなる。人間の勝手な思い込みなんだけれども。

 きのうDVDとか観て、「これで外の世界にもっと興味を持てるかな」などと思っていたけれど、きょうはけっきょく何もしなかった。本も読まず、ただiTunes をかけっぱなしにして、また昼寝をしたり。そして、目覚めるとまた相撲中継をみることになる。夕食にはホワイトシチューをつくろうと思っていたのもやめて、ストックで残っていた「麻婆豆腐の素」をはやく使い切ってしまおうと、豆腐を買ってきて麻婆豆腐にした。残っていた白菜やもやしも入れて、ボリュームたっぷりになった。

 あしたは会社に電話して、「月曜の検査次第で、火曜からでも出社できる見通しです」とかなんとか、いっておかなくっちゃ。

 

[]Klaus Nomi - Total Eclipse 1981 Live Video HD Klaus Nomi - Total Eclipse 1981 Live Video HDを含むブックマーク

  忘れていたけれども、今年はKlaus Nomi の没後三十年になるんだった。ちょっと遅くなったけれども、追悼。

 このライヴの収録された、VHSのソフト(「Urgh! Music War」)は持っている。YouTube にアップされているこの画像は、VHS版よりきれいだ。このライヴのバックは撮影のための寄せ集めだったらしくって、それなりに視覚的に違和感もあるけれども、音はすばらしい。Nomi もまた、すばらしいパフォーマンスとシンギングをみせてくれていると思う。右下からのカメラアイもいい。観てると泣けてくる。五、六回つづけてリピートして観て、元気をもらった気がする。Klaus Nomi、ありがとう。

Klaus Nomi - Total Eclipse 1981 Live Video HD


 

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■ 2013-11-21(Thu)

 だいぶ、しごとに行かないということに慣れてきた。いいねえ。いちにちじゅう気ままで勝手な生活。しかし、いつまでもこんなことをつづけていてはいけない。慣れたりしてはいけない。いちおう職場には「いつ復帰できるかわからない」などと、いいかげんなことをいってしまっているわけだけれども、もう、復帰のことを考えなくては。
 通院していることにはしてあるので、つまりは医師が「もうしごとに復帰してよろしい」と宣言して下さったことにするわけだけれども、それだったら、日曜は病院の外来も休みだし、日曜をはさんで月曜に経過をみて、良好だったら復帰もOKという宣託、ということにするのが、どことなくリアルなんじゃないのか、などと考える。‥‥あさましい。しかし、そうすると、きょうを入れてまだ五日間の休暇があるということか。‥‥いいねえ。

 じつは、おとといきのうと、また気分的に落ち込んでいたりして、「やはりこれはプチ<躁うつ症>なのだろうか、などという気分でもあったのだけれども、きのう、YouTube で、なぜか知らないけれどもSonny & Cher の「Little Man」などというのを聴き、リピートして何度も聴き、このおかげでけっこう元気になれたりした。わたしはたんじゅんな人間だと思う。

f:id:crosstalk:20131121112246j:image:left きょうは木曜日で、南のスーパーとかは一割引になる日。午前中にいちど買い物に行き、バナナの大きな房が安かったのを買ったりした。バナナの保存法はわかってるので、いくらあってもだいじょうぶ、みたいなところはある。こんなに大きな房を買ったのは初めて。これで、160円ぐらい。ニェネントがきょうみを持って近よってきたけれども、ニェネントは食べないだろう。

 午後からは、すっごくひさしぶりに、DVDで映画とか観た。図書館から借りた「スラムドッグ$ミリオネア」。やはり、ラストのボリウッドなダンスのシーンに惹かれ、三回ぐらいリピートして観た。そのあとはTVで大相撲の中継。どうも、相撲のファンになってしまいそうなふんいき。いろんな儀式めいた展開にも惹かれるし、やはり、力士らの真剣な表情が美しいと思う。今場所は日馬富士も好調のようで(好きな力士というわけでもないけれども)、優勝争いにもきょうみを持ってしまう。

 そのあとは、この日記を書いたりしていると外はすっかり暗くなってしまい、「もういちどスーパーに買い物に行ってみようか」などと思いつき、行ってみる。もうじかんは七時に近くなっていて、たいていの家庭ではもう夕食の買い物は終わっているころだから、スーパーでは値引きもはじまるじかんだろうという予測もある。

f:id:crosstalk:20131121191102j:image:right ‥‥スーパーに入り、みて回ると、特にさかなかんけいが、激安になっていた。あまりに安いのでおどろいた。半額のそのまた半額、つまり、75パーセント引きになっている商品が、あれこれとある。「だって、冷凍保存すりゃあいいんじゃないか」というものもあるので、迷わず買う。きょうは木曜日の一割引きの日でもあり、ここからさらに一割引いてくれる。ちょうど時間帯がよかったみたいで、たいていはすぐに誰かの買い物カゴに奪い取られていってしまう。そういう争奪戦も体験せず、いい買い物ができたと思う。ついでに、パンも買った。このスーパーの自家製パンはおいしい(つまりはテナントだろうけれども)。あしたの朝食はこのパンにしよう。

 帰宅して、買った「銀鮭」とか「たら」は冷凍庫にぶっ込み、きょうの夕食は「かつおのたたき」と、「いかおくら」というヤツで。「かつおのたたき」は半額で、「いかおくら」は75パーセント引き。この「いかおくら」というもの、あつあつのごはんにぶっかけて食べるものらしいけれども、これがなかなかに美味だった。三百円なら買わないけれど、七十円しないんだからね。「かつおのたたき」を食べていたら、さすがにニェネントが寄ってきて、まえ足でちょっかい出してきた。「うんうん、キミも食べたいよねえ!」と、(こんなことやっちゃいけないのだけれども)ニェネントにすこし分けてあげた。ニェネント、おいしそうに食べてくれた。ニェネントといっしょに、おんなじものを食べて、ちょっとハッピーな気分になった。「おいしかったね!」とニェネントにいい、わたしだけ、ちょっと晩酌に移行。「うつ」な気分など吹っ飛んでしまい、小さなしあわせの夜になった。

 

[]Sonny & Cher ~ Little Man (1966) Sonny & Cher ~ Little Man (1966)を含むブックマーク

 中学生のころにわたしも洋楽マニアだったから、この曲はもちろん知っていた。おそらくこの夜は、iTunes のオールディーズのチャンネルでかかっていたんじゃないかと思う。聴いたとたんにそれこそガバ!っと覚醒し、YouTube でこの曲を検索し、何度も何度もリピートして聴いた。

 YouTube のコメント欄には、キリル文字がいっぱい並んでいたけれども、「さもありなん」と思う。たとえばみんな、Mary Hopkin の「Those Were The Days」とかいうんだろうけれども、(知ってるわけではないけれども)「ロシア」というものの風土、空気というものはこの曲の方にこそ、濃厚に感じられる気がする。じっさいにこの曲、アメリカではトップ20にもランクインしなかったのだけれども、Wikipedia でみてみると、東欧とかのいくつかの国ではヒットチャートの一位にまでなっていたらしい。

 とつぜんに飛躍したことを書くけれども、わたしら日本人というのは、その地理的な条件から「世界の吹きだまり」とでもいうのか、世界中のあらゆる人種の遺伝子を引き継いでいるところがあると、聞いたことがある。「単一民族」だなんて、大ウソなのかも知れないわけだけれども、その、北西からというのか、ロシア方面からの遺伝子が、わたしのなかにもどこかでうずいているわけなのか、こういう曲を聴いて、妙に反応してしまうのであろうか。

Sonny & Cher ~ Little Man (1966)


 

[]「スラムドッグ$ミリオネア」(2008) ダニー・ボイル:監督 「スラムドッグ$ミリオネア」(2008)  ダニー・ボイル:監督を含むブックマーク

 むかし映画館で観た。ひさしぶりの再見。なんか、北野武の世界みたいに感じたところもある。暴力のまん延する世界と、そして、そんななかでもでつぶされない、気恥ずかしくなるほどのロマンティシズムというか。主人公もいいけれども、終盤での主人公のお兄さんの行動に、ほんとうに泣かされてしまった。北野武、きっとこういう役をやりたいだろうな。

 ダニー・ボイルのいやらしい演出も、あんまり気にはならなかった。というか、ダニー・ボイルの作品って、いつもあとで思い出すと「エグい演出だなあ」みたいな感想が出て来るんだけれども、じつは、観ているときにはそれほどには気にならないわけだ。それはやっぱり、うまいのかなあ。とにかく、脚本はうまいなあ、と思った。

 主人公の男の子は、本編ではどこかおどおどしていたような印象もあるんだけれども(そういう印象が正しいわけではないのだけれども)、つまり、ラストのあの、ボリウッド・ダンスの場面ではほんとうに生き生きとしていて、見ほれてしまう。やはり、インドの人たちには、そういうボリウッド映画というのは、生きることの一部になっているのだろうか、などと思ったりした。

 日本でも、京都とかで、ああいう「ニセ観光ガイド」がいたりしたら面白れえなあ、などと、無責任なことも思ったりした。


 

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■ 2013-11-20(Wed)

 きょうはちゃんと、医者へ行った。ま、ずっと血圧を安定させなければならないクスリを服用しつづけて、もう一年半は越える。じぶんが病院のいいお得意サマであることは承知しているし、「このまま通院しなくなったとして、どうなるんだろう?」みたいなことを、考えないわけでもない。聴診とかを受けて、「心臓の音も、いいですよ」などといわれる。「もう、来なくってもだいじょうぶですね」といってくれてもいいんじゃないかと、思ったりする。ま、「お得意サマ」と認定されてしまったら、もうオシマイではあるだろう。

 きょうもちょっとfacebook のことを書くけれども、やはり、文章を書きなれていない人の書き込みにはつらいものがある、ということはわかった(「じゃああんたは書きなれてるのか」と問われれば、返すことばはないけれども)。まさに「脊髄反応」というものの恒例もみられるし、「わたしは何ものであるのか、何ものでありたいのか」ということへの反芻のない人の書き込みからは、「この人、つまりはニセモノだね!」ってバレバレな文章が散見される。いくら「反原発」と語られていても、ちょっと読めば、それがポーズであることがわかってしまう。ある人の場合はそれは権威主義の延長というのか、単にじぶんの周辺の人たちが「反原発」と唱えているから同調しているだけだったりして、そうではないテーマでは「あんなすごいところがやっていることには、ぜったいにまちがいはない」みたいな視点での書き込みをする。いつでも、「東電はすごい!」と転換出来そうだったりする。あとは、そういう「反原発」などといいながら、自分がアーティストであることの優越感しか語っていない存在もある。「アーティストだから作品で表現出来るけど、一般大衆はデモとかやるしかないのね」みたいな。かんたんにいえば、反芻力がない。ま、わたしの「友達」だから、そんなもんか(と書くと、ほかの友だちの方々にたいへんな失礼になる)。‥‥おひとりは、「友達」からオミットした。こんどどこかでお会いしてあいさつとかされたとして、「あんた、だーれ?」とか、やってみたい。あいさつしないでくれるといいが。

f:id:crosstalk:20131119182114j:image:w240:right ‥‥わたしのそばでまるくなっているニェネントを抱き寄せてなでていると、その首筋のところで丸く脱毛して、赤い肌が露出してしまっているところがあった。まえにもこういうことはあったけれども、やはりなんか病気なんだろうかと心配になる。こういうのは「皮膚病」という可能性と、「ストレス」から、という可能性がある。おそらくニェネントの場合は「ストレス」だと思う。飼い主として、ちょっと失格ね。反省して、きょうは「追っかけっこ」をいっぱい、いっぱいやった。ふふ、これが逆に「ストレス」になったりして?


 

[]「つげ義春 『必殺するめ固め』映画用絵コンテ」天野天街:著 「つげ義春 『必殺するめ固め』映画用絵コンテ」天野天街:著を含むブックマーク

f:id:crosstalk:20131121172353p:image:left ‥‥こないだの、「真夜中の弥次さん喜多さん」の公演のときに買って、天野さんにサインとかいただいてしまった本。ミーハーなわたし。

 あの「北冬書房」がこの映画化を企画していたなどと、耳にしただけで「それは実現不可能!」と思ってしまうわけだけれども(ごめんなさい!)、あんのじょう、「幻の企画」となってしまったのがコレ。さいしょっから、この「絵コンテ」さえ出版出来ればいいんじゃないの、と考えていたのではないかと、邪推してしまう(ごめんなさい!)。

 「絵コンテ」というものが書籍化されたのを読むというのもはじめてのことで、おそらくは映像化されたときのじかん経過と、読むスピードとしてのじかん経過が一致しないような気がして、読みあぐねたところもあることはある。それでも、天野さんの作劇のポイントの延長で楽しむことも出来たし、また、作家のオブセッションの記録として、それこそ、ものすごっく面白く読むことは出来た。おおげさにいえば、「無間地獄」とでもいうのだろうか。「追いまくられる」ということへのオブセッション。

 天野天街さんには「ノスタルジア」という、すばらしい映像作品があることは、ここに書いておきたい。


 

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■ 2013-11-19(Tue) このエントリーを含むブックマーク

 きょうのしごとは本来から非番で休みなわけだけれども、つまりはきのう「無断欠勤」などという大それたことをやってしまった、その落としまえはつけておかないといけない。そういうことを考えていたら、さらに大それた計画を立ててしまった。つまり、また身体の具合が悪くなって、(まあ入院するまででもないのだけれども、ということにして)しばらく、少なくともこんしゅういっぱいは休むことになるだろうと、そういうことにする。これで、せんじつ同僚に対してブチ切れてしまったこともまた、うまくあいまいなままにして、「そういうこともあった」的な結末にも持って行けるだろうという算段。まあいまの状態が精神的に健康とはいえないところもあるわけだから、「年休」という制度をここで使わせていただいてもいいではないか。

 また、ここだけのFacebook のはなしになるけれども、わたしもそれなりにFacebook に書き込みをしていたりはするのだけれども、その、わたしが書き込んだしゅんかんに、すぐに「いいね!」をよこして下さる方がいる。‥‥わたしの直接の知り合いではなく、わたしがfacebook にいろいろと参画したあとに「友達リクエスト」して下さった方で、ちょくせつの面識などないのだけれども、あまりに、即座ににすべてのわたしの書き込みに「いいね!」を連発されるので、ちょっとばかし引いてしまっている。きっと、ろくに読みもしないで「いいね!」をクリックしてる。わたしが女性だったら、とにかくは警報発令はまちがいないところ。‥‥こういうのがあるから、あっちのfacebook の方で、このブログとリンクさせたりしないでよかったと思う。facebook は友達をやめて、切り捨ててしまえば、基本はもう読まれたりしなくなるけれど(げんみつにはそういうわけでもないけれども)、こういうブログでは、「あんた、もう読まないで下さい」なんてことは出来はしない。ま、だれが読んでるかなんかわかるわけでもないから、ブログは気楽といえば気楽だけれども。

 ‥‥しばらくは「休暇」だね、ということもあり、午後から図書館へ行って、本を新しく借りて来た。阿部和重の新刊「Deluxe Edition」、そして、ようやく借りれた、まえのまえの芥川賞の、黒田夏子さんの「abさんご」、それと諏訪哲史のエッセイ「スワ氏文集」と。あと、DVDも何か借りようかと棚をみて、ダニー・ボイルの「スラムドッグ$ミリオネア」を選んだ。むかし映画館で観た映画だけれども、たしかラストにボリウッド映画的な、ステキなダンス・シーンがあったはず。こういうのなら、今のわたしでも観れると思う。

f:id:crosstalk:20131119140919j:image:w240:left 図書館の前には、川が流れている。「そう、この時期にはこの川には<鮭>が産卵のためにのぼってきているはず」と、図書館を出て、川岸近くまで行ってみた。まいとし、二月に鮭の稚魚をこの川で放流するので、産卵にもどってくる。この日は鮭のすがたをみることはなかったけれども、何匹も何匹も、流れにさからってのぼってくるすがたがみられるときがある。その、産卵まではいいのだけれども、産卵を終えた鮭は力つき、死んでしまうわけで、そういう時期になると川じゅうが鮭の死骸だらけになり、壮絶な光景になってしまう。
 川の景色を写メールしてみたら、川面の色が真っ青になっていて、じっさいに目にする光景とあまりにちがうので、ちょっとおどろいてしまった。

 

 

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■ 2013-11-18(Mon)

 きょうは、堂々と書くことではないのだが、しごとをさぼってしまった。連絡もせずに出勤しなかった。‥‥いちどは、いつものじかんに目覚めたのだけれども、「このままもういちど寝て、起きたときにしごとに間に合うようだったら出勤しよう」などといいかげんなことを考え、またふとんをかぶってしまった。次に目が覚めたら、もう間に合わないじかんだったので、そのまま寝た。もう、「体調がわるい」ということにして、今週はぜんぶ、有給をつかって休んでしまおうかと思う。

 そのことはそのこととして、朝食なのだけれども、きのうからまた、オートミールを復活させた。
 どうも、「牛乳」がよくないのではないのかという推測もあったわけで、それでは、牛乳をつかわないでオートミールを調理するにはどうしたらいいのか、調べてみたりしたわけで、そのなかでは「カップスープの素」といっしょにしちゃえばいい、というのがあって、きのうからやりはじめたわけ。スープの素を一袋ぜんぶつかうと、わたしには塩分過多になるので、はんぶんしかつかわない。それでも、けっこうおいしかったし、これからの季節、あさからからだが温まる気がする。どうやら胃腸の調子にももんだいはおこらなかったし、やはりいまのわたしに「牛乳」はInhibit、ということはわかった。

 しごとを休んだということもそうなのだけれども、やはり精神面で安定していないというか、浮き沈みがはげしい。ふとんのなかで横になっているのがいちばん、という感じで、きょうもまた、ニェネントと寝てばかりのいちにちになった。またきょうも、十四時間ぐらい寝ていると思う。よくもまあそんなに眠っていられると、じぶんでも感心してしまう。それでも夜には、読みさしの本を読了したりした。


 

[]「往古来今」磯崎憲一郎:著 「往古来今」磯崎憲一郎:著を含むブックマーク

f:id:crosstalk:20131119092001j:image:right 著者初の短編集。刊行されているのを知らず、いまになって読んだ。五篇の短編が奇妙な連鎖をみせるというか、おのおのの作品のなかでも、連想ゲームのように主題は主語とともにコロコロと変化して行く。それでもどこか、この日本の過去の映像が呼び起こされる感覚もあり、それがふっと、プラハのカフカにリンクされたりもする。ラストの「恩寵」だけはストレートに展開する作品だった、というところにも、「ひっかかり」を感じさせられてしまう。

 著者は「あとがき」で、「ビートルズで言うところの『ビートルズ・フォー・セール』や『ラバー・ソウル』に位置する作品を、自分は書く時期に来ているように思えてならなかった」と、照れながら書いているけれど、わたしはこれは『ヘルプ!』なんじゃないかと、思ったりした(っていうか、『フォー・セール』と『ラバー・ソウル』のあいだにある『ヘルプ!』のことを、わざと抜かして書いてるでしょ!みたいに思ってしまう)。

 なにもかも読んでいるわけではとうていないけれども、日本の現在の小説では、この磯崎憲一郎、そして青木淳悟、別格で阿部和重が、圧倒的にいい、と思っている。


 

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■ 2013-11-17(Sun) このエントリーを含むブックマーク

 また、歌人の葛原妙子のことが気にかかってしまい、前から気になっていた「葛原妙子全歌集」を買うことにした。その前に、彼女の単独の歌集も何か手に持っていたくなり、Amazon には、1977年刊行の「鷹の井戸」が、古書として(?)売られていたのを先に注文した。
 「鷹の井戸」というタイトルはもちろん、W・B・イエイツの詩集のタイトルをもらったものらしい。彼女の内面に、やはりイエイツに惹かれるところがあったのだろうということは、彼女の短歌を読んでいるとわかるような気もする。そこまでわたしはイエイツを読んでいるわけではないけれども。
 きょうも、手もとにある彼女の歌集の、「鷹の井戸」の抄録のぶぶんをひろい読みしていて、つまりは戦慄に近い感情を味わったりした。

ねむくなりしわが足元によこたはるうすむらさきの夢とおもひき

 ‥‥その、わたしの「うすむらさきの夢」なのかと思えるニェネントの、首の毛がまるく抜け、赤くなった地肌がみえている。皮膚病という可能性と、ストレスのためという可能性とがある。一匹だけで完全な部屋飼いをしていると、あれこれと知らないでストレスを与えているのだろうか。

 きょうはしごとも休みなのだけれども、とにかく、寝てばかりいた。午後から暗くなるまで寝てしまい、夕食のあとはまたふつうに寝た。おそらくは十四時間ぐらいは寝ている。それでニェネントをかまってあげられないものだから、ニェネントもストレスになるのかも知れない。わたしも、じぶんの今の状態が正常だとは思えないところがある。


 

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■ 2013-11-16(Sat)

 あしたはしごとも休みなので、きょうもまた出かける予定を立てた。まずは京王線の初台へ行き、立島夕子さんの個展を観るつもりで、そのあと、このあいだ行きそびれた下北沢の「G」へ行こうかと思っている。初台から移動するのに、いちど新宿へ戻ったりしないで、そのあたりをちょっと歩けば代々木八幡の駅にたどり着けそう。そのような計画を立て、おひるすぎに家を出る。きょうも晴天で、ちょっと肌寒いとはいえ、外を歩くのは気もちがいい。

 新宿で下車して、西口から京王新線で初台へ。めざすギャラリーは三年ほど前にいちど行っているのだけれども、どちらかというと住宅街のなかにあるようなその場所を、はっきりと憶えているわけでもない。すこし、迷ってしまったりした。

 ギャラリーには立島さんもいらっしゃって、お話しすることも出来た。個展の感想は下に書く。

 立島さんに「お元気で」とお別れし、わたしは小田急線のある方へ、と思って進む。もう日はとっくに暮れて、あたりの住宅地を歩く人もない。このあたりはマンションの林立する地域で、「歩く人の姿がない」というのではわたしの住まいのあたりと変わらないところもあるけれども、風景が、まるでちがう。そんな風景を、こころに焼きとめながら歩いた。

 こっちでもちょっと道に迷ったけれども(とちゅうであやうく、逆方向に進みそうになった)、なんとか代々木八幡の駅にたどり着いた。この駅で乗り降りするのは初めての体験になる。‥‥せっかく、そんな駅から各駅で移動するのだから、下北沢まで行かないで東北沢から「G」に行くことに決める。わたしはいつも<下北沢の「G」>などと書いているけれども、ほんとうの最寄り駅は東北沢で、<東北沢の「G」>と表記するのがただしいところ。

 その東北沢で下車し、このあたりもまたマンションだらけの住宅街で、むかし東北沢の駅から「G」に歩いて迷いそうになったこともあるので、きょうはさんざん迷ってばかりいるので心配したけれど、なんのこともなく、まっすぐに「G」に到着した。オーナーのFさんと、月曜にカウンターのなかにいるGさんとがカウンター席にいらっしゃった。カウンターのなかはHさんとIさん。「このあいだ水曜日に来たらやってなかったようだったけど」ときいてみたら、水曜日は八時からオープン、ということだった。わたしはあのとき、Eさんから「通常の水曜モードで、休みです」と聞いたつもりだったけれども、つまり、(今のじかんはまだ)「休みです」ということだったのか、それとも「休みです」というのはわたしの聞きちがいだったのかも知れない。‥‥でも、その日はウチに帰るつもりで八時から飲んだとしても、いちじかんも飲んではいられない。もう外泊するつもりでもなければゆっくりとは飲めないかな、とは思う。

 カウンターでいつもの酒を飲んでいたら、隣席に、先週ココで個展をやられていたという、写真家の方が来られた。ふだんはミュージシャンのライヴとかのスタッフとして、そんなミュージシャンの写真を撮られているらしいのだけれども、そのミュージシャンらが、つまりはメジャーなところではなく、わたしの好きなマイナーなミュージシャン中心で、特に80年代から90年代にかけてわたしがライヴとかに足を運んだ、そんなミュージシャンと名まえがダブるというか、彼の愛好されていたミュージシャンがほとんどすべて、わたしも愛好していたミュージシャンでもあり、「こんなミュージシャンの名を知っている人もあまりいないだろう」というような名を出しても、たいていはご存知なので、おどろいてしまった。話していると、わたしが行ったのとおんなじライヴにもけっこう通われていたようで、面白かったのは、あのTelevision の中野サンプラザでのライヴ、Tom Verlaine が、あの「Marquee Moon」の出だしを間違えてしまったヤツとかも、やはりいらしてたようである。Slapp Happy のライヴのこと、気の短い、某ジャパニーズ・トランぺッター(わたしも彼も、そのトランぺッターとちょっとした交流があったこともわかった)の話など、けっこう盛り上がってしまった。

 このあいだ三田村さんとお会いしたときも、過去の話ばかりしてしまったし、きょうはまた、そのときとはちがう過去の話に耽溺してしまった。あんまり、うしろを向きたくはないなあと、思ってはいるのだけれども、やるときには徹底して、思いっきりうしろを向いてしまうのもいいかな、などと自己弁護する。

 ローカル線の、最終電車で帰宅した。ニェネントが起きて来て、お出迎えしてくれた。


 

[]立島夕子個展「毒の飴」@初台・Zaroff 立島夕子個展「毒の飴」@初台・Zaroffを含むブックマーク

 立島さんとは、わたしがイヴェントをやっていたころに知り合っているから、もう十五年ぐらいはまえのことになるかと思う。ちょうどわたしのイヴェントの空白期だったので、お誘いすることはなかったけれども、彼女の当時の過激なパフォーマンスもまた、彼女の作品とともに記憶に残っている。そんな彼女の作品を、つまりは十数年ぶりに観る。

 ‥‥ある意味で、グロテスクな絵画なのかも知れないけれども、いまのわたしには現実の方がずっとグロテスクに感じられているところもあり、たとえばこのところTVのバラエティ番組が直視出来ないというような、そういう「拒否反応」は、まるで彼女の作品からは受けなかった。むしろ、その彼女の作品には、グロテスクな世界の彼岸にある、美しくも安らげる世界との二重画像になっているわけで、その彼岸の世界の美しさ、安らぎというものに、とてつもなく惹かれてしまった。

 ふっと、葛原妙子の作品を思い浮かべもし、また葛原妙子の作品を読み返したくもなった。


 

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■ 2013-11-15(Fri) このエントリーを含むブックマーク

 あさ(早朝)、しごとに出ようと立ち上がり、玄関の方に足をむけると、それまでふとんの上でまるくなっていたニェネントがあたまをもたげてこちらをみた。「ニャッ!」とみじかくないて、ベッドから飛び降りて走ってくる。わたしを追い抜いて玄関のたたきに降り、ドアのまえでからだを延ばして寝そべった。わたしを見上げて、「にゃあ」となく。まちがいなく、「行かないでよ!」といっている。慕ってくれるのは、とってもうれしい。ほんとうにうれしい。でも、行かないわけにはいかないので、切ない気もちでニェネントを抱き上げ、下駄箱の上にあげてやる。‥‥靴を履いて、ドアをあけて外に出る。ニェネントをみると、わたしをみつめながら、首を上下させている。ごめん、ほんとうに、ごめん。

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 ニェネントが「行かないでよ!」といったのは、何かを察知していたのかも知れない。そしてその通りに、わたしは職場で同僚の行為に腹を立て、ぶち切れた気分でしごとを終えた。いちにちの最終段階で、集荷の方に伝票を発行して交付するところだったのだが、もう集荷の方が複数、伝票の交付を待っているのに、すべてわたしひとりにやらせたまま、じぶんは今やらなくてもいいあとかたづけなどをいつまでもやっている。あまりに露骨なサボタージュなので、わたしもがまん出来なかった。倉庫でのしごとを終え、支社に帰るときも、わたしは同僚の運転する車に乗らずに徒歩で帰社した。きっと血圧が上昇していたことだろう。

 そんなこと忘れてしまおうとしても、また月曜日にはその同僚とふたりでのしごとになるから、そのことばかり、「どう対処しようか」などとばかり考えてしまう。昼ごはんをつくることで、なんとか片時だけでも忘れようと。
 けっこうまえに白菜を買ってあったのをそのままに放ってあるので、いいかげんしんなりしちゃっている。きょうはこれをつかって何かつくろうと、ネットでかんたんそうなレシピを探してみる。豆腐とひき肉とであんまりお金もかけないでたやすく出来そうなのがあったので、ひき肉は冷凍庫にあるから豆腐だけ買ってくる。要するに、全部炒めて、片栗粉でとろみをつけるのである。なんか、マーボ豆腐みたいだな、と思ったので、レシピにはなかった豆板醤をプラスしてみた。って、まさにこれはマーボ豆腐。かんたんじゃないですか。いままでわざわざ「麻婆豆腐の素」なんて買ってつくって、すっごい損していた気分。「麻婆豆腐の素」なんかでつくったのに劣らない、おいしい料理になった、と思う。材料費、百円もかかっていない。これから寒くなるし、この献立にはがんばってもらおう。まだ残ってるから、夕食もコレだな。

 昼ごはんのあと、また昼寝してしまった。わたしもだんだんにネコ化している気がする。目が覚めるともう外はうす暗くなりはじめていて、「もう冬なんだよなあ」と実感する。TVをつけて、また相撲を見る。力士たちは真剣な顔をしてるので、見ていて気もちがいい。
 ちょっとまえにも書いたと思うけれども、さいきんのわたしはバラエティ系の写真や動画がダメ、なのである。あのケバケバしいセットの色彩がまずはイヤだし、そして何よりも、人の笑顔というものを、「グロテスク」と感じてしまう。すぐに、目をそむけたくなってしまう。もう「うつ」気分は吹き飛んだと思っているけれども、いまでもこの種のモノはいけない。受けつけない。これで困るのがまたfacebook になってしまうのだけれども、連日連日、自分の笑顔の写真をアップされる方もいらっしゃる。しかもなんともバラエティっぽい衣装とかつけていらっしゃる。つまりは舞台写真なんだけれども、当人はもちろん悪気などないのだけれども、こっちはそういう写真が目にはいると、注視しないようにしてさっさとスクロールする。けっこう、つらいのである。今は、相撲がいい。

 相撲中継が終わって、夕食にしようとキッチンに立つと、ニェネントもキッチンにやって来て、冷蔵庫のドアにまえ足をかけて伸びをして、わたしの顔をみて「にゃあにゃあ」となく。もちろん、「おねだり」である。えええ、だって、ニェネントくん、まだ、お皿にはネコごはんが残ってるじゃないの。これはいらないの? と、そのネコごはんのお皿をチン、チンと叩いてみる。ニェネントはいちどはその皿をのぞき込むんだけど、「コレじゃないの!」って、そっぽを向く。そう、それじゃあと、卵を割って、卵黄を出してあげた。ニェネント、ペロ、ペロと卵黄をなめ、「ま、いいや」みたいな反応。ほんとうはちがうモノ、ネコ缶とかが食べたかったのかも知れない。

 わたしの夕食を、ちゃっ、ちゃっ、とすませ、片付けて和室の方へ行こうとすると、リヴィングのテーブルの下にいたニェネントが、わたしのうしろから、わたしの足に飛びついて来た。ニェネントのよくやる遊びなんだけれども、いささかに不意をつかれて、ほんとうにびっくりしてしまった。「そうか、遊びたいんだよね」と、しばらくつき合ってあげることにした。まずは、わたしも姿勢を低くして、ニェネントにゆっくりと近づいて行く。わたしをみていたニェネントは、ある程度までわたしが近づくと、きびすを返して、ゆっくりと逆方向へ逃げて行く。それでわたしも向きをかえて、ニェネントが進んで行く方向で待ち伏せてやる。ニェネントと鉢合わせして、ニェネントは「あらら」と、また向きを変えて行く。これでわたしもまた向きを変えるか、それとも、そのまんまニェネントのあとを追って行くか、いろいろと変化を加えながら、しばらくは追っかけっこをやる。ニェネントのしっぽはだいたい直立状態のままなんで、このゲームを楽しんでくれていることと思う。

f:id:crosstalk:20131114184507j:image:left それからしばらくはわたしはパソコンに向かってるんだけれども、そのあいだ、ニェネントはわたしのそばでまるくなっていたりする。「もう寝ましょうか」と着替えて、ベッドのふとんのなかにもぐり込むと、しばらくしてニェネントもベッドに飛び乗って来て、わたしの胸の上にあがる。けっこう、重たい。ニェネントが、のどをゴロゴロならしているのがわかる。重たいけれども、うれしくなる。「いつもあんたは高いところからわたしのこと見下ろしてるけれども、今はわたしがあんたの上にいて、あんたより高いところからあんたを見下ろしてるんだからね」っていっているみたい。‥‥そのうちにニェネントはわたしの足もとのあたりに移動して、そこでまるくなって、わたしといっしょに眠りはじめるのである。

 

 

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■ 2013-11-14(Thu) このエントリーを含むブックマーク

 けさ、朝食のトーストにコーヒーをつけ、ちょっと牛乳を入れた。けっこういつもやっていることだけれども、きょうはそのあとで腹の調子がおかしくなった。‥‥けっして牛乳が古くなていたわけではないのだけれども、オートミールの件を考え合わせても、どうもわたしは「牛乳がダメ」、という体質になってきているのではないかと思う。つまり、オートミールも牛乳を加えないでやれば、ちゃんと食べられるんじゃないだろうか。しかし、それではただの「お粥」みたいなもので、それをおいしく食べようと考えると、どうしてもしょっぱいものといっしょにさせたくなってしまう。それはそれで、また困るわけである。

 きょうもけっこうfacebook にあれこれ書き込んだりして、そういうことで、このブログの上ではわたしがfacebook をやっていることはバレバレで、もう取り返しもつかないのだけれども、それでも、facebook の方ではわたしはひとつの規律を設けているつもり。それは、けっしてfacebook ではこのブログを書いているということをバラさないこと、リンクさせない、ということ。facebook の方はもう、わたしの実名が出ちゃってるからどうしようもないけれども、このブログでは匿名性、ということはたいせつにしたいと思っている。ま、バレバレといえばそういうところもあるんだろうけれども、基本的にはよほどのことがなければ、友人知人にもこのブログの存在は教えていない。ずいぶんむかしにはちょっとあれこれとリンクさせたこともあったので、そのころの友人知人はココを知っている。それは仕方がないけれども、さいきん知り合った方とかに自分から「こんなの書いてます」なんて、ぜったいにいわない。‥‥それでも、二、三年前に、「見つけちゃいましたよ」と、やられたことはある。いくらでもヒントは含まれているわけだし。

 このブログの方でも、考えてみたら規律みたいにしていることがあった。それは、自分の住んでいる地域の地名を出さないということ。そういうところで検索され、「地域ネタ」のブログだなどと思われるのが、じつはいちばんイヤなわけだし、近所の人がこのブログを読むなどということは、その人と面識がなくっても耐えられないことである。まあ、まえに駅の北側の旧花街地域の写真とかアップしてるし、この件も「バレバレ」みたいなところはあるんだろうけれども。まえにも書いたけれども、このブログはあくまでもわたし自身のために書いているもので、ただ、人の(とくに、知らない人の)眼にふれているのだ、という緊張感こそを大事にしたい、それだけのことである。そうでなければ、脊髄反応でいいかげんなことばかり書き連ねるだろう。そういうわけで、読者を増やしたいなんて、まったく思っていない。

 きょうはちょっと、その「地域」にかかわる、わたしには危険なところに踏み込んでみよう。しごとも休みだったし、日射しもまぶしいぐらいの晴天だったし、また近所を散歩してみた。それで、まえから気になっている建て物のまえを通ったので、写メールしてしまった。下の三枚。

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 ‥‥この、要塞みたいな建て物は、カフェらしい。いぜんは「会員制」というプレートも出ていたけれども、きょうは見当たらなかった。店の名まえをここに書くのは控えるけれども、ステキな店名でもある。プレートに書かれた「bunka-machi:switch」の文句も謎。いくら会員制でなくても、中に入るのはためらわれる(窓もないし)。いちど入ったら、もう二度と出て来られない気がする。

 まだどうも、部屋でDVDとか録画してある映画とかを観る気もちになれず、こんげつはまるで「ひかりTV」も視聴していない。きょうも夕方から、相撲なんかみてしまった。早い時間から、観客席にPaul McCartney の姿があった。「すぐ帰るのかな」と思っていたら、ちゃんと結びの一番まで見て行ったみたい。スケジュールにそれだけ余裕を取ってあるわけか、なんて思った。

 

 

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■ 2013-11-13(Wed)

 このところ、気温がグンと下がってきた。もうセーターを着てもいいんじゃないか。職場でも事務所では暖房を入れるようになっている。けさは、同僚としごと場の倉庫に向かうのに職場の駐車場に停めてある会社の車に乗ったら、フロントガラスが凍結していた。今期初めてみる自然の氷、だろうか。触ってもみた。もちろん、冷たかった。

 そういう気温とは逆に、きょうもやはり、気分は上昇している感覚。ただ、自分で「落ち着いているな」とは感じられるところもあるし、「躁うつ状態」ではないだろうと思う。主観ではあるけれども、職場の人たちとも楽しくやっていける感覚で、自分では喜ばしい状態だと思っている。

 きょうは、ひるからターミナル駅のシネコンへ行って、入荷したという「武器人間」のパンフレットを受け取り、そのまま東京へ足をのばして、青山できのうから始まっている三田村光土里さんの「Till We Meet Again」を観るつもり。そのあとは、下北沢に行って飲もうか、と。

 きのうの残りごはんでかんたんに昼食をすませ、「ちょっとはあたたかい格好で出ようかな」と着替えて、「ニェネント、おるすばん、お願いね!」と家を出る。
 シネコンへ着き、「パンフレットを予約してあった」と告げると、すっごくスムースに手渡された。おととい来たときにはなかった映画のチラシも来ていたので、これも四枚ほどもらって来た。‥‥また、電車に乗る。きょうは車中でずっと、ほとんど眠っていた。このところの睡眠じかんというのは、そうとうなモノになっていると思う。

 渋谷駅で下車し、青山まで歩く。はじめて、「ヒカリエ」というビルのなかを歩いたりもした。街を行き来する人たちがたいていマフラーとかしていて、きっとみんな、これが今期はじめてのマフラーなんだろうな、などと思う。わたしもせっかくこのあいだコットンのマフラーを買ってあったのに、してくればよかったのに、と思ったし、もうちょっと厚着してきてもよかったな、などと思った。

 青山のあたりを歩いていて、もういまから十七年ほどまえ、わたしがはじめて本格的にアート・イヴェントに参画して、ボランティアとかもやったのがこのあたりでのことだったなあ、などと懐かしんでみたりした。そのときに、これからその作品を観に行く三田村さんもまた、別のところでおなじイヴェントに参加されていたはずだ。わたしが三田村さんと知り合ったのも、たぶんこのあたりでのことだったはず。

 ‥‥ちょっと、ギャラリーを探すのに迷ってしまったりして、実は交番に行って聞いてみたりなどという恥ずかしいこともやったのだけれども、交番ではそういう、ギャラリーなどという移動しやすい(?)スポットのデータなど、まるで持っていないことがわかった。パソコンでみれば一発なのに、そのパソコンを使わないで「わかりませんね」という。前時代的である。
 ‥‥ということは、わたし自身にもいえることで、ケータイ持ってるじゃん、ケータイで調べろよ!、なのである。さっきいちど通った道の、わたしが探していた方とは反対側に、目指すギャラリーがみつかった。感想は下に。

 観終わって、ちょっと別の部屋をのぞいてみたら、そこに三田村さんがいらっしゃった。会えてよかった。‥‥配慮していただいて、そこのオフィスみたいなところに場所をつくっていただき、お茶もいただいて、そこでしばらく三田村さんとおはなしすることができた。‥‥けっこう、わたしと三田村さんとの接点というのはあれこれとあったわけで、そういう話題だとか、その、わたしがやっていたことも含めての、かつてのアート・イヴェントのことなど。ああ、そういうスポットもあったなあとか、そういう方もいらっしゃったなあとか、懐古モードにもなってしまった。「また逢う日まで!」ってな感じで、お別れした。いい作品だったなあ、そして、三田村さんに会えてよかったなあ、などと思う。

 下北沢というか、渋谷駅から池ノ上に移動して、「G」へ行く。水曜日はほんらいはここの定休日なのだけれども、そこでいつもの営業日とは別に、「居酒屋」モードでやっておられるはず。せんじつそういうところに行って、とても楽しく飲めたことの記憶は強いものがある。今夜もそうやって楽しみたい。そう思って行ったわけだけれども、閉まっていた。「やってないんですか?」と店内をのぞくと、あのミュージシャンのEさんがいらっしゃって、「いつもの水曜モードで、やってません」と。でも、わたしに気づいてくれて、「あ、どうも!」とか、あいさつして下さった。もちろんわたしも、あいさつを返す。
 やってないんじゃあ仕方がない。それでは、じつにひさしぶりに、線路ぎわの「S」にでも行ってみましょうか?てな感じで歩いてみた。このあたりは小田急線が地下にもぐってしまって、再開発盛んというか、まだお店があるのかも心配したけれども、ちゃんと存続されているようだった。でも、まだじかんが早すぎるのか、オープンはされていなかった。「これはもう、帰った方がいいだろう」と、ただ、そのまえに、ラーメン屋の「M」にこれまたじつに久々に寄ってみて、江戸っ子ラーメンとビールを注文した。ま、ここまで書くと「あの店か」ということにはなるだろうけれども、むかしはよく入った店。さいごに行ったころ、たしかつくってらっしゃるベテランの方が倒れたとかで、はっきりいって、ものすごく味が落ちた印象があったのだけれども、きょうはちゃんと、往年の味が復活していたと思った。おいしかった。

 食べ終えて電車に乗るまえに、駅の近くのスーパーに立ち寄って、「はたして、東京のスーパーはウチのあたりより高いのかどうか?」というチェックなどをしてみた。‥‥レタス、そしてキャベツが298円とかになっていて、「そりゃあすごい!」とおどろいたけれども(地元では高くっても198円)、そのほかのものはあんまり変わるところはないと思った。魚とかも。ま、東京はどこでもこういうものなのかどうかはわからないけれども。

 そんなことやってたらけっこう遅くなってしまい、けっきょく帰宅したのは十時半ぐらいになってしまった。ニェネント、遅くなってごめん(ほんとうはもっと遅くなるつもりだったけれども)。


 

[]三田村光土里「Till We Meet Again」@南青山・void+ 三田村光土里「Till We Meet Again」@南青山・void+を含むブックマーク

 中に入り、「Gallery」と書かれている方へ進む。「え? このドアがギャラリーの入り口なのか?」というような、物置の戸のようなところに立ち、「いいんだろうか?」みたいな気分に。
 ドアを開けてみると、まさにそこがギャラリーというか、映写室だった。感覚としては三畳(そこまで狭くはないだろうけれども)という広さの空間の、向かいの壁面に映像(三田村さんの作品)が上映されていて、その手まえに、椅子がふたつだけ。そのひとつに、先客がいらっしゃった。
 この展覧会(といういい方でいいのか)、三田村さんの紹介で「会話と音声が主体」ということだったので、ほんとうはこんどの土曜日がレセプションなのを、その日をはずして、平日のまだ明るいじかんに来ることにしたもの。三田村さんにもお会いしたいけれども、お会いできなければ仕方がない、という気もちではあった。‥‥その選択は正しかった、というか、ループして上映されている作品はわたしが観はじめてすぐにラスト(なんだろう)になり、先客も退出された。あとはわたしひとりで、ゆっくりと、静かに鑑賞することができた。

 わたしはこのところ、映像になった人物を観るのが苦手なところもあるのだけれども、そうではない、会話音声をバックに流される、動きの少ない風景映像に、まるで平凡ないい方だけれども、ほんとうに癒された。‥‥わたし自身、北関東に住まいを移してからは、東京などに出て友人知人と会うときにはよく、「ひさしぶりだねえ」という会話をすることもあり、この音世界にもとっても共感した。そして、ラストにふいにあらわれる「こちらを見つめる視線」には、泣かされた。来るまえに、自宅でDoris Day の「Till We Meet Again」を聴いてから出てきていたこともあり、つまりは、ジーンとした。いまのわたしの精神状態にも合致したというか、うれしい作品と出会うことができたと思う。きょう、こうやって出てきて良かった。


 

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■ 2013-11-12(Tue) このエントリーを含むブックマーク

 夢をみた。このあさは、その内容をしっかり記憶していた。わたしのよく知っている人が、その姿を変えて出て来たわけだな、と思った。なぜその人物がわたしの夢のなかで姿を変えて登場したのか、わたしの内面をさぐると理解できる気がした。そのわたしの「屈折」自体が、けさの夢の主題だったといえる。そのことをわたしにみせつけて、「屈折を自覚しろ」といっているのだろうか。

 まったくその夢のせいではないけれども、やはりあさからハイテンションだった。しごとに出ても、けっこう同僚に話しかけてばかりいた。このあいだまでの「うつ」の反動で、「躁」状態になっているようである。これがたんじゅんな「うつ」の裏がえしなら、こんどは「躁うつ」をうたがわなければならないんじゃないだろうか。とりあえずは、「うつ」状態よりは、こっちの方がずうっといいのはたしかなこと。
 ニェネントも、「なんか、この人、楽しそうだな」とでも思ってるのか、わたしのそばに寄って来ることが多い。パソコンに向かっていて、ふっと横をみると、すぐそばでニェネントが寝そべっていたりする。わたしがちょっと室内を移動してもすぐについてくる。そしてまた、ものかげに隠れていてふいに飛び出してきて、わたしをおどろかそうとする。「こら!」と、怒ったフリをして、ゆっくりとニェネントに近よると、ニェネントは小さく「ニャ!」と声を出して、きびすを返して逃げていく。部屋のなかなんて狭いものだから、そこでわたしも逆方向から隣室に入っていけば、逃げて来たニェネントと鉢合わせする。そうするとわたしをみとめたニェネントはまた方向を変えて逃げていく。もちろんわたしも方向を変える。‥‥これは、ニェネントの「遊び」なんだろうと思う。いっぱいつき合ってあげなくちゃあと思うけど、ニェネントは楽しんでくれているのだろうか。

 昼ごろに電話があり、予約してあった「武器人間」のパンフレットが入荷したという。「どうしよう」と考え、あさってはしごとも休みだし、わたしの状態も良くなっているようだし、あした東京に出かけることにして、途中下車してパンフレットを受け取って来ようということにし、「あしたの昼に取りに行きます」と答える。そう、どうでもいい話なんだけれども、この自宅からダイレクトに東京に出るより、そのターミナル駅でいちど下車して切符を買い直した方が、じつのところ20円ほどお得になる。中〜遠距離になると、こういうパラドックスみたいなことはよくあること。

 昼食はきのう買ったコロッケをおかずにして、パソコンをいじっていたら、facebook でなぜかお二人の方とチャット状態になったりした。80年代ポップスと「パラパラ」についてなど。チャットのお相手をやって下さったのはCさんとDさん。Cさんという方とはじつは面識はなく、facebook のなかで知り合った初めての方。この方のおかげで、「うつ」のときにも救われていたところはあると思う。Dさんはむかしから存じ上げている演劇批評の方だけれども、ふだんこんな話題を展開したこともなく、「こんな話題をこういうふうにふくらませることもやられる方だったのか」と、ちょっと意外な一面をみせていただいた。このところfacebook にはちょっと否定的な気分がなかったわけではないけれども、きょうはわたしの「躁」気分もあって、楽しんでしまった。

 まだあんまりヴィデオとか観る気分にはならないけれども、きょうはTVで相撲中継などをみて、楽しんだりすることが出来た。夜は読書もした。快方に向かっていると、信じたい。

 

 

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■ 2013-11-11(Mon)

 きょうはしごとも非番で休み。しばらくはだいたい、二日出ると一日休みというスケジュールになる。たいていはこのスケジュールがいちばんいいんだけれど、たまには連休を取りたくなったりもする。

 外はけっこういい天気。気温はずいぶんと下がってきたこのごろだけれども、まだ「寒い」とかいうのでもないだろう。きのう決めたように、ターミナル駅のシネコンまで「武器人間」を観に行く。映画館のスケジュールをみるとあさの十時半からの上映回があり、「早い方がいいや」と、コレでいくことにする。トーストの朝食をとり、ニェネントのごはんを出してあげ、準備をしてお出かけする。考えてみたら、電車に乗るというのがけっこうひさしぶりのことに思える。せんげつの19日に横浜に行って以来だから、三週間ぶりという感じだろうか。たいしたことないけれど、これだけのインターヴァルをあけるというのは、わたしにはめずらしいこと。‥‥電車に乗って、車窓風景をながめていると、それだけで気もちがなごんでいく気がする。だんだんに、「うつ」な状態から脱しているように思う。

 駅に着いて、駅のとなりのビルの最上階へ行く。そこに、目指すシネコンがある。チケット売り場へ行き、「武器人間」を、と告げ、「おたくもイイ映画をやりますねえ」なんて、オヤジみたいなことを受け付けの女性に話したりする。「ちょっと、避けたいんですけれども」みたいな笑顔を返された。‥‥上映ルームに入ると、先客はひとりだけ。あとからもうひとり来られて、合計三人での鑑賞。このシネコンでわたしが映画を観るときはいつもこんなもの。たしか、わたしひとりだけということもあったはず。こんな状態でも営業を続けられるのも、きっとオーナーがこのビルの持ち主だったりするからじゃないのか、などと推理しているのだけれども。

 ‥‥映画の感想は下に書くけれども、とにかく、夢中になる面白さだった。「うつ」気分は、さらに遠のいて行った。この映画を観に来たのは大正解だったなあと思う。

 映画が終わって外に出て、十二時をちょっとまわった時刻。いまのじかんはどこも混んでいるだろうし、外食ももったいないから、ウチに帰って食べることにしてすぐに帰宅。玄関のドアを開けると、ニェネントが「きょうは、早かったわね」とお出迎えしてくれる。そう、昨夜はまた「肉じゃが」をつくってあったので、昼食もこれですませる。夕食もこれになるだろう。食事のあとは、TVなんかをずっとみてしまったりした。こんなこともすっごくひさしぶり。ちょうど相撲とかもはじまっていたのをみたけれども、あらたまってみると、相撲というものもやはり面白いものだと感じた。精神が良好な方向に動いている気がする。

 外も暗くなり、夕食のじかんなんだけれども、また肉じゃがというのもつまらない気もして、気分もよくなっているわけだし、なんか、またちらし寿司でも買って来ようかという気になり、南のスーパーへ行ってみた。空をみると、黒い雲が北の方に流れていくところで、南の方には蒼い空が深く澄みわたっていた。

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 いつもスーパーに行くのはまだ外もあかるいじかんのときだけど、きょうはもう外は暗くなりはじめている。店内は昼だろうが夜だろうがおんなじなはずだけれども、やはりこうやって、外が暗くなってから来ると、何かがちがう気がする。どこかなつかしい記憶が掘り起こされるような感覚。
 ちょうど、百円ばかし値引きされた「本ずわいがにとまぐろ中落ち丼」というのが一個だけあったのをひろい、「あしたのおかずはこれにしよう」と、コロッケも買った。

 帰宅して、残っていた肉じゃがも食べ、買ってきた丼も食べた。予想していたけれども、丼を食べていたら、ニェネントが魚のにおいをかぎつけて近づいてきた。ずわいがにはネコにたべさせていいかどうかわからないからやめて、まぐろの中落ちをちょっとわけてあげた。みていると、さいしょは鼻でクンクンやって様子をみているようだったけれど、意を決したのか、ぺろっと食べちゃった。そうか、やっぱり生魚はおいしいよな、と、またわけてあげると、もうためらうこともなく、ひとくちで食べてしまうニェネントだった。じゃあもうちょっと、じゃあもうちょっとと、けっこうニェネントにあげてしまった。このところ、ずっとおなじ食べ物ばっかりだったしね。わたしも機嫌がいいから、ニェネントにも機嫌よくなってほしい。‥‥って、こんかいは「発情期」が遅いですねえ。ニェネントくん。

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[]「武器人間(Frankenstein's Army)」リチャード・ラーフォースト:監督 「武器人間(Frankenstein's Army)」リチャード・ラーフォースト:監督を含むブックマーク

f:id:crosstalk:20131112120350j:image:right オランダとアメリカの合作。監督のリチャード・ラーフォーストという人は、あのポール・バーホーベン監督の「ブラックブック」でスタッフをやっていて、いまはCMのディレクターとして活躍されている方らしい。‥‥なるほど、という感じである。

 かいつまんで内容を書くと、つまり、フランケンシュタイン博士の孫にあたる科学者がナチスと手を組んで(というわけでもないのだが)、死体と武器を縫合、合体させてゾンビ軍団をつくると。そのゾンビたちが、「シザーハンズ」で「ロボコップ」な、「鉄男」している連中で、偵察に来たソ連軍に襲いかかるわけである。ソ連軍には記録カメラが同行していて、一部始終はそのカメラにすべて記録された、と。

 いちおうストーリーは二転三転して、さいごはもう笑っちゃうんだけれども、そんなに情況だとか人間性の深淵をのぞき込むようなものではなく、あくまでも娯楽作品。しかし、ものっすごく楽しい娯楽作品だった。この楽しさは何だろう、と考えて思ったのは、ひとつにはCGを(たぶん)いっさい使っていないことがあると思う。このゾンビ軍団、すべて手づくりの香りのまん延する、人肌の、いや、人の内蔵(いっぱい出てくる!)のあたたかさを感じさせてくれるところがある。それとやっぱり、この「遊び心」だろうか。あんまり何もかも書いてしまうことは自制したくなるのだけれども、このフランケンシュタイン博士の造形物には、楽しいものがあれこれとある。画面いっぱいに繰り拡げられる殺戮シーンのうしろの方では、あんましその場の展開にかんけいしないゾンビが右往左往していたりもする。ああ、あのゾンビの活躍がもっと観たかったなあ!なんて感想も生まれるわけだ。そう、ちなみに、このゾンビ軍団、ラストのクレジットではまさに「Zombots」という表記になっている。日本語にすれば「ロボゾンビ」の方がいいだろう。邦題も「ロボゾンビ軍団」でもいいように思うけど、原題の「Frankenstein's Army」というのはちょっと地味だし、「武器人間」はそれでそれでいいのかも知れない(ちょっと、この配給会社が前に売り出したらしい「ムカデ人間」という作品につなげようという魂胆もみえてしまうけれども)。

 不謹慎だけれども、「戦争なんだから、こんだけぐっちゃぐちゃになっても、それはそれでアリ!」みたいなところもあるし、そこでスターリンを笑っちゃう(これは書かない方がいいんだっけ?)、というより、相手のナチスとあわせて、戦う双方を笑い飛ばすあたり、それなりに諧謔、批判精神は感じられるか。ほんとうは、あのナチスとコミュニストを合体させた脳が何をしでかしてくれるのか、もうちょっと観たかった気はする(これも書かない方がよかったかなあ)。

 観終わったあと、「これはパンフレットを買わなくっちゃ!」と売店に行ったら、なんと売り切れていた。せんしゅうの土曜日から上映が始まったばかりだというのに! また入荷するということなので、予約してしまった。ふふ。やはり、わたしをふくめて、モノ好きというのはいるものだ。うん、パンフレットを受け取るついでに、もう一回観てもいいな!

 なお、この「ゾンビ軍団」、予告編では三、四種類、 公式ホームページ でも十種類ぐらい紹介されているけれども、本編のエンドクレジットで読み取ると30ぐらいは登場してきている勘定になる。‥‥なお、東京の映画館で観ると、日本ヴァージョンを含む、このゾンビ軍団、いや、「武器人間」たちのポストカードがもらえるらしい。地方差別で、わたしはもらえなかった。そのポストカードを、ここに恨みをこめてアップしておこう。

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■ 2013-11-10(Sun) このエントリーを含むブックマーク

 地震があった。わたしは日曜日の早朝だけれども就労中。建物がガタガタと音をたてるので地震だとわかったけれども、立っていたこともあり、それほどの揺れとは感じなかった。ラジオを聞いた職場の人が、「このあたりは震度5、だってよ」と教えてくれた。びっくりした。外では広報が鳴り響きはじめたけれど、響いてしまって聴き取れない。サイレンの音も聴こえはじめ、そのうちに職場の目の前に数台の消防車が集結し、紺の制服の消防署員らしい人たちでいっぱいになった。ものものしいふんいきに「どうしたんだろう」と心配になる。職場の人は、「最初にガタッと揺れただけだったから、<直下型>だな」という。どうやら震源が近いらしい。わたしたちもラジオをつけてみたら、まさにこの地域が「震度5弱」と報道されていた。このあたりがいちばん揺れたみたいだ。実感なかったな。‥‥消防車はそのうちに去って行き、いつもの日曜日の朝にもどった。

 しごとを終えて帰宅して、朝食をとりながらTVをつけてニュースをみていると、その地震のニュースになった。この地域だけがぽつんと、「震度5弱」のしるしがついていた。映像で、その地震の直後らしい、ここの駅前の映像が流された。取手まで延びている鉄道のホームに停車中の発車待ちの車両が映され、その車内、そしてホームから駅前をみた景色が映された。‥‥もうちょっと、カメラが左までいくと、ウチのアパートの上層階とか映るんだけどなあ、なんてバカなことを思ったりする。

 精神面はきのうにくらべるとずいぶんと落ち着いていると思うけれども、ふとした拍子に、やはり奇妙なコレスポンダンスは起きる。ちょっとした物音から、その音とはまったくかんけいのない記憶がよみがえったり、夢のとっかかりが少しだけ思い出されるときのような、「あれはなんだったんだろう?」というような、問いかけも答えも解らないで宙ぶらりんにされたような感覚になったりする。TVをみていても、音楽を聴いていても、ふいにそういう感覚が起きる。やはり、脳の回路がおかしくなっているのかも知れない。

 「映画を観に行く」なんてどうだろうと、近くのターミナル駅のシネコンのHPをみてみると、ちょうどいま、「武器人間」という作品を上映していることがわかった。この作品、まえに渋谷で「ビザンチウム」を観たとき、その予告で観て気になっていた作品。「へえ、この映画なら観に行ってもいいな」などと思って、この映画について調べていたら、要するにDVDさえ売れればいいやみたいな営業方針というのか、関東地方でこの作品を公開している映画館は三館だけでしかなく、しかも東京ではレイトショーだけの公開みたいである。その、ターミナル駅のシネコンでは朝から上映しているわけなのに。
 ‥‥わたしは、まえからこのターミナル駅のシネコンを「新しいかたちの名画座」みたいに評価しているところがあるわけで、たとえば東京で単館ロードショーなどで上映された作品が、しばらくのときをおいてこのシネコンで上映されたりして、まえからおどろいてしまうことが多かった。そのおかげで発見し、このシネコンで観た作品もけっこうある。そういう選択はぜったいに商業優先のラインアップではないわけで、きっとシネコンの経営者がビル全体のオーナーで、しかも映画好きとか考えられるけれども、わたしはこういう映画館を応援したいと、まえから思っているところはあった。それが、こんかいは「武器人間」ときましたか!って感じで、なんだかうれしくなってしまった。あした、観に行こうと決めた。

 そういうこともまた、気もちを明るくしてくれるものだというか、夜はほんとうにひさびさにニュース以外のTV番組、「モヤモヤさまぁ〜ず2」なんてみて、けっこう笑いころげたりした。こんなこと、しばらくなかったなあと思う。さまぁ〜ずは、好きである。まえに書いたかも知れないけれども、むかしは「ブラタモリ」とか好きでみていたのが、わたしが少年期をすごした地域が舞台というので、この「モヤモヤさまぁ〜ず2」をみたところ、タモリみたいなうんちくを語ったりはしないで、それでも街の魅力をちゃんと引き出していると思い、タモリよりもさまぁ〜ずがいいや、などと決めたわけである。それからあと、タモリの番組をみたことはない。

 

 

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■ 2013-11-09(Sat)

 きのうの夜は、「買ってあるキャベツを有効に使う献立とはなんだろう?」などと考えて、「そうだ!」と、ほんとうにひさしぶりに、お好み焼きをつくってみた。青のりもなかったし、出来上がりはちょっとイマイチ感もあったけれど、とりあえずは満腹感を得てベッドにもぐり込んだ。これが、しばらくしたら、なんとはなしに腹痛を感じるようになった。それで思い出したのが七、八年前に十二指腸潰瘍の穿孔をおこして緊急入院したときのことで、あのときも、その救急車を呼んだ晩には手製のお好み焼きを食べていたのだった。あのときの激痛、不安などの感覚がよみがえり、まさか、またそういう胃腸系の潰瘍が進行していたんだろうか、などと考えたりもする。とりあえず、きょねんに胃腸科の医院へ行って精密検査はしているけれども、潰瘍の進行というのはけっこう早いものなんだろう。この夜は単に「あのときのこと」を思い出しただけだろうけれども、また検査した方がいいのかな、などと思ったりする。いつの間にか眠ってしまったわけだから、つまりは大事には至らなかった。

 しかしきょう、しごとをやっていて、「フッ」と引きこまれるような感覚を味わい、「これって、六月の発作に近いところがあるんじゃないのか」などと思ってしまった。‥‥そして、そのあとの数分間だか、十数分間だかの記憶が、どうも定かではない。どうも、わたしの場合、こういう発作を起こしても卒倒したりするわけでもないようなので、ほかの人にわかるわけでもなく、自分でも「はっと気づいたら倒れていた」とかいうのではないわけで、自覚できないし、そういうじかんがみじかければ、そばに人がいてもわかってくれないこともあるだろう。不安になる。せっかく、心的にはきのうとか元気に健康になりつつあるような気もしていたのに、身体の側から「まだまだ」とつきつけられたような気分になる。月曜日にまた診察を受けた方がいいのだろう。

 そういうことで、また、帰宅してからもロクなことを考えないいちにちになってしまった。それでも、夜にはプルーストの2巻めをようやっと読み終え、そのほかにも磯崎憲一郎の短編をひとつ読んだ。おかげで、すこしは明朗な気分を回復できた気がする。

 

 

[]「失われた時を求めて 2」(第一篇 スワン家の方へ 2)マルセル・プルースト:著 鈴木道彦:訳 「失われた時を求めて 2」(第一篇 スワン家の方へ 2)マルセル・プルースト:著 鈴木道彦:訳を含むブックマーク

 まえにも書いたけれども、この「スワンの恋」で描かれるスノビズムにはへきえきするわけだけれども、このいまのわたしをとりまく世界にも、スノビズムはまん延していることよ。こんなこといっちゃアレだけれども、facebook なんか本格的に参入してみると、そんなことばっか書いている人間とか、じっさいにいらっしゃるわけだ。わたしの知り合いではあるのだが、ほんとうは「バッカじゃないの?」とかば声をあびせて、絶交してしまいたいところはある。こういうことをバッサリ書いて切り捨てるプルーストもまた、気もちよかったんじゃないのかなあ。

 せんじつ読んだ神谷美恵子さんの「生きがいについて」に、まさにスワンのような人物(スワンはスノッブとはちがうけれども)について触れられた部分もあった。ところがそれは、カミュの「転落」についての分析だった。その、カミュの「転落」から、神谷さんが引用されている部分をここに書いてみる。

「愚かな女に廿年を与えた男がいた。彼はその女のために、自分の友情、仕事、生活上の体面まですべて犠牲にしてやったのだが、ある晩、自分は決して彼女を愛したことはなかったということに気づいた。彼は退屈していたのだ、それだけのことさ。大ていの人と同じように退屈していたのだ。それでいろいろと厄介なこと、劇的なことを含む生活を自分のために思いきりこしらえたってわけさ。何かがおこらなくてはならない。――これが人間のおっぱじめる大ていのことの説明さ。何かがおこらなくてはならない。愛なき奴れい状態でさえも、戦争でさえも、死でさえも。」

 ‥‥まえにも引用したけれども、「スワンの恋」のいちばん末尾に、このようなスワンの独白がある。

「まったく俺ときては、大切な人生の数年を無駄にしちまった、死のうとさえ思い、あんな女を相手に一番大きな恋愛をしてしまった。俺の気に入らない女、俺の趣味(ジャンル)ではない女だというのに!」

 そして、こんなことを書くのもアレだけれども、わたしもまた、このような体験はあったのだと思う。思いあたるところはある。それだけにやはり、この「スワンの恋」はわたしには痛切な、苦いところのあるものだった。

 この「スワンの恋」の部分は、「失われた時を求めて」全篇のなかでゆいいつ、客観描写というか、著者のいる位置をあまり感じさせない描写になっているのだけれども、それに続く「土地の名・名」はまさに、著者が過去に思いをはせることに終始する描写で、「物語る」というよりも、「回想する」ということに耽溺する、まさに「失われた時を求めて」という世界が展開する。「美しい」と、思った。


 

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■ 2013-11-08(Fri)

 おととい、神谷美恵子の著作から解釈して、わたしは「変化と成長への欲求をみたすもの」への執着から、「収集欲」がつよいのだろうと自己分析したわけだけれども、「変化への欲求」というもの自体、これはもうひといちばい、尋常でないほどにつよいだろうと思う。そのことは自分の軌跡を振り返ってみても、「いろいろとやってみたなあ」という感想にはなるし、いぜん、そういう自分の話を知人にしたときには「波瀾万丈の人生だね」などといわれもした。さらにその話のあとになっても、人がおどろくような選択(らしい)もしている。良くいえば、ちゃんと、「変化への欲求」を満たそうということに対して、行動がともなっているということだろうか。

 いまはこうやって西茨城に住んでいるけれども、東京からこの地への転居ということも、知人友人をおどろかせた。そのときは選択肢のひとつとして上海へ行くつもりでもあったし、茨城に来たあともじつは、安曇野へ転居しようかと考えていたこともある。これは居住地の変化だけれども、やることとしても、まあふつうの家庭人として妻子を持っていながらも離別し、そのあとはまずは美術展に出品するようになり、そこで知り合ったアーティストらに声をかけて、自前のアート・イヴェントを開催するようになった。けっこうそっちの方では評判になったところもあり、さらに多くのアーティストの方々の知己を得て、海外にも行ったし、ま、ある面ではわたしのピークにもなった時期だった。じつはそのあとは資金繰りが破綻してしまい(計画性なかったから)、知人といっしょに、営業していないレストランのビルに無断で住み込んだりもした。いわゆる「スクワッティング」だけれども、日本でこんなことをやった人はそんなにはいないはずだ(こういうことは自慢げに書かない方がいいのか?)。ま、それでバレて追い出されて、日暮里あたりでしばらくはひっそりと生活してた。「ひっそりと」などといいながらも、その日暮里で知り合ったアーティストらと、お寺でイヴェントを開催しもした。
 そのあとはなんだろうなあ。やっぱり、「変化への欲求」ということなのだろうけれども、東京を出てみたくなった。しごともそんな知らない土地でうまいぐあいにみつかって、まったく縁もゆかりもない土地に越して来た。「縁もゆかりもない」ということはだいじな条件だった。それから、もう八年になるわけだ。はっきりいって、しごとがうまく勤め上げられたわけでもなく、からだを壊して入院したり、いろいろと底辺の生活をかいま見てきたようなところもある。八年、長い年月だ。そこでまた、わたしのなかで「変化への欲求」がその鎌首をもたげて来たわけだろうか。そういうところがこんかいの「うつ」の根っこにあるのかも知れない。または、たんじゅんに、更年期障害にともなう「うつ」ということか。

 しかし、わたしはこの土地に来て、ミイというすばらしいネコと出会い、そこでおそらくは人間との交流いじょうの友愛のようなものを感じ、いまはそのミイの忘れ形見であるニェネントといっしょに暮らしている。これが、わたしの運命だったんだと、つよく思っている。ミイとの交流はけっして何もかもうまくいったわけではなく、ミイの死に責任を感じるところもあるけれども、その彼女の「死」をむかえるにあたって、ミイはわたしの住まいを「死に場所」に選んでくれた。ネコはその死を察したとき、いちばん自分の安らげる場所に行って、「死」を受け入れるという。野良ネコだったミイが、さいごにわたしの居るところを選んでくれたということ、どんな人の行為よりも深く感動させられた。

 自分でいうのもアレだけれども、わたしはもともと人を深く愛せない質というか、人との心身を共にした共同生活ができるようにはできていない。離婚したときも、「あなたは結婚しちゃいけない人だ」といわれたし、その後に出会った女の人との仲も、基本はいいかげんなものだったと思う。「薄情だ」といわれたこともある。いまでも「結婚しちゃいけない人」(もう出来っこないけれど)というのは当たってると思う。だから、女性と長くつき合おうと思ったら、恋愛関係にならないようにしている。この態度はまったく矛盾しているけれども。
 でも、これがネコとならできる(結婚しているわけではないけれども、「同居」はしている)。わたしは、ミイと出会ったこと、そしてそのミイにニェネントを託されたことがわたしの宿命だと思っているし、読んだ神谷美恵子さんの「生きがいについて」に即していえば、わたしの生きがいはニェネントである。ほとんど外の世界を知らないニェネントはもう、基本としてはわたしの存在なくしては生きていけない。そこにわたしの、存在理由がある。そして、そのことにうぬぼれるのではなく、これから先何年も、十何年も、二十何年も、ニェネントが幸福に生きていけるように、やっていかなくっちゃいけない。これが、わたしの使命である。その使命のために、考えていることはある。ちゃんと実行しよう。わたしは、わたしがミイを愛したように、また、それよりも強く、ニェネントを愛している。

 ‥‥ずいぶんとおかしなことを書いてしまったけれども、げんざいのちょっとした「うつ」状態から脱却するためにも、こういうことは書いておくひつようがあったし、また、そのことをこのブログに掲載し、わたしのことを知らない人の目にふれさせるということも、エクソダスのためにはひつようだった。「生きがいについて」を読み終えた、わたしなりの反応でもある。‥‥わたしはブログというものに幻想をいだいてはいないつもりだし、ここで自己宣伝を賭けているつもりもない。アクセスをふやそうとも考えてはいない。むしろ、妙なことを書いてアクセスがふえてしまうことの方がこわい。ブログとはただ、自己認識のもんだいであったり、生活のなかでの緊張感のもんだいであったりする。「どう読まれるか?」ということは、たしかに気にかけているけれども、もちろん、反応が欲しいわけではない。緊張感のもんだいでもある。‥‥いい結果を生むだろうか?

 きょうも、ニェネントを一方的にかまったりした。それでも、よなかにわたしがトイレとかに立つと、ニェネントも寝ていたベッドから飛び降り、キッチンとかリヴィングの方で待機して、わたしがトイレから出てくるのを待ち受ける。それでわたしがまたベッドに戻ろうとして、足をあげたしゅんかんをみはからって、突進してきてわたしの足にからみついてくる。ニェネントは、それでわたしがびっくりするのを楽しんでいるんだろうか。‥‥もうすぐ、ミイの三周忌をむかえる。

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[]「生きがいについて」神谷美恵子:著 「生きがいについて」神谷美恵子:著を含むブックマーク

 

 

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■ 2013-11-07(Thu) このエントリーを含むブックマーク

 あさ起きたときから、体調は最悪だった。しごとにも出られないんじゃないかと思うほど。‥‥なんとか、しごとには出勤したのだけれども、このあとに、昼までのあいだにイヤなことが続出して起きた。こんなにたてつづけにイヤなことに出くわすなんて、きっときょうは、バイオロジカルなところでも、そうでないところでも、厄日なんだろう。とにかく、もうオートミールはわたしにはダメなんだと思う。まだ食べられる食べ物を大量に捨てるなどということはほとんど犯罪行為だろうけれども、どうしようもない。まだ買った分の四分の三は残っている。「欲しい」というところがあれば、送料はわたし持ちでお送りしてもいいのだが。

 なかなかに読書も進まないのだけれども、「生きがいについて」には助けられている。きょうはちょっと、中城ふみ子の短歌などもひろい読みしてみた。

灼きつくす口づけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給へ

 なんていうのに「うへ!」とか思ったりするけれども、べつにかなしんであげようとも思わないので、「どうでもいいや」ということになる。やはり、葛原妙子がいい。

 よるになって、Bさんとメールのやりとりをして、けっこう「なぐさめられた」というのだろうか。やはり、いまの状態は「うつ」だとしかいいようがないだろう。すべて、オートミールが引き金になっている。すぐそばに、ニェネントがいてくれるのがうれしい。

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■ 2013-11-06(Wed) このエントリーを含むブックマーク

 神谷美恵子のおかげということなのか、ずいぶんと、精神的にも身体的にも快調になって来ている気がする。きのう病院にも行ったのだけれども、特にしんぱいするところもないということ。ただ、これから寒くなるので、あさ起きるまえに室温を調整するとかの気くばりがひつようですよ、と。

 それで調子に乗ってしまったということになるんだろうか。朝食にひさしぶりにオートミールをやってみて、そのあとにドラッグストアで日本酒とイカのスナックおつまみを買ってきて、ぐいぐいと飲んだりしてしまった。昼食はきのうつくったレバニラ炒めですませ、夕食にまた、あたらしくレバニラ炒めをつくった。これは、買ったニラとかもやし、そしてキャベツをはやく消費してしまおうという魂胆。

 昼からは、わやにしてしまった銀行の預金通帳を再発行してもらうため、駅の北にある銀行まで行った。いくらか手数料がかかるのかと思っていたけれども、何もなかった。印鑑の提示もしなくってよかった。紛失したわけではないからなんだろう。その銀行のそばの、市立美術館を撮ってみた。ことしで開館十周年になるのか。けっこう立派な建築なのだけれども、美術にかんしては(も)めっちゃ保守的な土地柄ではあるから、わたしの興味を惹くような展示はほとんどやらない。きょねんなどは、この土地とは何のかかわりもない女性歌手が絵を描いていて、ここでその個展を開いたりして、わたしはあきれてしまったものである。

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 銀行からの帰り道、ちょっと西の方に足をのばして、中古ハード類を売っている店に寄ってみた。‥‥この店では、液晶TV(先代のはニェネントが転倒させて破壊したので、ここでは二台買っている)だとか、DVDレコーダーだとか、それなりに買い物をしている。いまはつまりは、その壊れてしまったDVDレコーダーの二台目を買おうかどうしようかと、迷っているのである。
 店に入ってみると、まえに来たときよりも店内が整然としている印象。まえまでは、そう、ジャンク品の量が圧倒的に多くって、店内のディスプレイも雑然としていたのだけれども、まずは新品同様のものが目立つように並べられていて、じっさいにジャンク品の数は減っている印象。DVDレコーダーも、五千円も出せば、ちゃんと録画できるものが入手できるみたい。まえにココで買ったのは二千円だったしなあ。それで長持ちしなかったというところもあっただろうか。しかし、じゃあ五千円出したらりっぱに動作するモノが入手できるかどうか、そこが「中古品」のポイント、というか、賭けみたいなものだろう。たとえばそこで、ネットのオークションなんかだと、二千円も出せばやはりDVDレコーダーの中古は買えるようなふんいきはある。そっちの方が安いんだけれども、まったくそういうネット・オークションとかの経験も知識もないわけだから不安にもなる。それよりは、目のまえで現物を確認して買える方がいいような気もする。二千円でもって「すっごく安かった」と思えるのと、五千円で「いい買い物をした」と思うのでは、いい買い物をしたいという気持もある。‥‥どちらにせよ、いまは財布にそれだけの持ち合わせもなかったので、とりあえずは帰宅した。

 しかし、考えてみて、はたして、DVDレコーダーを買ったとして、いまあるHDDのなかみをDVDに焼いたとして、いったいわたしはそれらのDVDを観るのだろうか? という疑問がある。DVDにダビングしたことに安心して、ただストックしてしまうだけになるのではないのか。

 その、神谷美恵子の「生きがいについて」を読んでいて、「人それぞれの生きがい」ということにふれられたところで、わたしという存在は、「変化と成長への欲求をみたすもの」への執着が強いのだろうと、自己分析した。これが、神谷さんの書くところでは、「所有物をふやすことや種々のものの収集」ということが「生きがい」になっちゃう、みたいなことになる。
 なるほど、わたしにはそういう面はあるようだ。かつてはLPレコードを何百枚と収集していたし、本だって半端なかずの蔵書ではなかった。いま、わたしは、「そんなことこれからも続けてもしょうがないじゃないか」という自己反省の気分になっているところがあるわけで、このあいだから、もう読むことのないだろう本や、観ることのないだろうVHSテープなど、けっこうぼんぼんと捨てはじめているわけだ。こういう行為の裏に、げんざいの「うつ」気分というものの原因、もしくは結果(このあたり、よくわからない)となっているのではないのか、という考えはある。それだったら、いまになって、またDVDレコーダーを買おうとするのは、どうなんだろう。‥‥ちょっと、いまは結論は出せないでいる。

 帰宅して、ネットとかあれこれとみていて、「からだも調子よくなって来ているわけだし、あしたあたり、東京に出かけてみようか」という気分になり、そういうことも書き込んだりした。しかしこれが、夕食を終えてベッドに入るころから、また胃の調子がおかしくなってきたわけである。これ、あきらかに朝食にオートミールを食べたことが原因だろう。しばらくオートミールをやめていたらこんなことは起きず、こうやって再開したとたんに、コレである。やはりもう、残ったオートミールを食べ尽くそうなどということは、考えてはいけないのかも知れない。こんなんであした、出かけることができるだろうか?


 

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■ 2013-11-05(Tue)

 ふと、和室のなかに、神谷恵美子の「生きがいについて」という本が放り出してあるのが、目にはいった。むかし、量販古書店で最安値の105円で売っていたのを買っておいたもの。美本である。‥‥なんとなく、著者の考えるところの「生きがい」について、お説教をくらうのではないかという思いで放置してあったわけだけれども、ま、いまのわたしがこんな状態でもあるし、洗脳されたりはしない自信もあるから、ぺらぺらとめくって読みはじめてみた。って、(まだ読了していないけれども)これは、すばらしい本である。「人生論」などとかいうところから軽く逸脱して、「人はなぜ生きるのか」ということへの、おどろくほどに包括的な論議が展開される。この客観性。この博識。おどろくばかりである。そして、このような本のなかから、それこそ、自分なりの「生きる希望」のようなものが見いだせるような気になるし、そこでひとりよがりになるのではなく、他者への視点もまた狭窄されることなく、拡がっていける気になってしまう。‥‥読んでいて、もしも自分に「悩み」というようなものがあったとしても、彼女のこの著作の視点から、どこか解消されていく思いにかられてしまう。「良書」というのは、こういう本のことをいうのだろう。じっさい、Amazon でこの著作を検索してみると、そこに書き込まれたレヴュー(かなりの数がある)が、すべて5点満点なのである。こういうの、はじめてみたような気もする。読む人がどのような境涯から読まれても、それぞれに共感が得られるということなんだろう。じっさい、この本を読んでいて、まさに、ほんとうに、心が晴れていくような感覚を味わった。‥‥まだまだ三分の一ほどを読んだにすぎないけれども、この読書体験がわたしを救うのではないだろうか。

 この本とは別に、このところちょっと「短歌」という表現にも興味津々なところもあって、「はたして、<短歌的表現>とは何なんだろう」という探究心のようなものもある。そこでちょっと、これは日常の日本語表現をずらせたところから生まれるところの感覚なのではないか、などという気もした。「そこで」というわけでは、じつはないのだけれども、(なんでそんなこと思いついたのか、いまはよくわからないのだけれども)洋楽の英語歌詞を、エキサイト翻訳などで日本語に翻訳したりやってみた(きっと、きょうもiTunes でオールディーズばかり聴いていたせいだろうけれども)。さいしょにやってみたのが、アレですよ、「君の瞳に恋してる」ってヤツ。その冒頭の部分をエキサイト翻訳やらせると、こんなのが返ってきた。

まったく、素晴らしすぎるので、真実になりえません。
あなたから私の眼を切断することができません。
あなたは、触れられるべき天国に似るでしょう。
ああ、私は望みます、あなたを非常に抱きます。

 ‥‥ちょっとばかし、いじってしまったけれども、じつは、おどろいてしまった。こんな名解答が、いきなり得られるとは思わなかった。原詩をあげておくと、以下の通り。

You're just too good to be true
Can't take my eyes off of you
You'd be like heaven to touch
I wanna hold you so much

 ここで理解していただけるとうれしいのだけれども、こういう日本語の用法、この延長にこそ、短歌の世界があるのだと思った。「これはすばらしい」と、ちょっとばかしつづけてみた。
 ‥‥しかし、これからあとの成果はまるで芳しいものではなく、「やっぱりエキサイト翻訳はバカだね!」などと結論づけたくなるのだった。

 それが、ついに、めぐり合ってしまった。素材はYardbirds の「For Your Love」。原詩は次のようなもの。

For your love.
I'd give you everything and more, and that's for sure.
For your love.
I'd bring you diamond rings and things right to your door.
For your love.
To thrill you with delight,
I'll give you diamonds bright.
There'll be things that will excite,
To make you dream of me at night.

 ‥‥これが、エキサイト翻訳ではこうなった。

あなたの愛のために。

私はあなたにすべてを与えましょう、そしてより多く、また、それは確かにあります。

あなたの愛のために。

私は、あなたのドアに、あなたのためにダイヤモンドリングと事態をちょうど持って来ましょう。

あなたの愛のために。

喜びであなたをぞくぞくさせるために、私はあなたにダイヤモンドを明るく与えましょう。

あなたに夜、私を夢見させるために興奮させるものがあるでしょう。

 わたしには、これはちょっと出来すぎではないか、というぐらいに興奮した。とくに、さいごの二行はもう、ほとんど現代詩ではないのか(そんなことはないか)みたいな。
 もちろん、「バッカみたい!」といっていただいてけっこう。わたしには貴重なものだったことに変わりはない。このあとも少しやってみたけれども、たいていのものはどうしようもない。あんまりしつっこくつづけても仕方がないだろう。

 「生活」のはなし。きょうは、北のスーパーで、キャベツが77円だった。そうだなあ、きょうはレバニラ炒めみたいなものをやってみようかと、ニラ、ネギ、そしてもやし、それから豆板醤のビン詰めなどを買った。帰宅して冷蔵庫のなかをみると、古い豆板醤のビンも残っていた。もちろん、そっちを使った。
 レバニラ炒めなんて、レシピも何もあったもんじゃない。いいかげんなものである。なんでもかんでも炒めてしまえばいい。豆板醤をぶちこんで、醤油をドバッとやればいいだけ。‥‥ほら。おいしいレバニラ炒めが出来た。ま、いちおう、こまかいところで順番とかはあるけれども。

 おそらくは復調か、といういちにちだったけれども、さいごにDVDで「ライフ・アクアティック」を観て、ううん、まだそこまで回復してもいなかったかな? という感覚でもある。


 

[]「ライフ・アクアティック」(2001) ウェス・アンダーソン:監督 「ライフ・アクアティック」(2001)  ウェス・アンダーソン:監督を含むブックマーク

 ‥‥犬の、コーディが、とにかくいとおしい。それにつきる。


 

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■ 2013-11-04(Mon)

 あさ、めざめると、「はたしてきょうは、どんないちにちになるのだろう?」などと思うことになる。すこしずつは良好な方向に向かってはいると思うのだけれども。‥‥きょうは、雨が降ったり、かと思うと晴れてみたり、不安定な天候だった。

 このところ、銀行の預金通帳がみあたらなくなっていて、はたしてどこにやってしまったのか、などと考えていたのだけれども、きょうはちょっと肌寒くって、洗濯してあったしごとで着ていたジャケットをはおって外に出て、「ポケットになんだかかたまりが入ってるな」と思って取り出してみると、それがまさにその預金通帳だった。ちょっと、笑ってしまった。もちろん、もうくしゃくしゃで、使いものにならない。銀行へ行って、あたらしくつくってもらわなくてはならないから、笑ってなどいられないのだけれども。

 きのうつくったホワイトシチューが美味なので、昼食もこいつですませ、もちろん夕食もホワイトシチュー。まだまだ残っている。きょうは北のスーパーに行ってみたけれど、レタスがひとたま87円で売っていたのを買った。このところ、というか、この夏からずっとながいあいだ、レタスもキャベツも200円ぐらいの価格がつづいていた。たまに100円とか120円ぐらいになることはあったけれども、87円というのは、ずいぶんと久々なこと。

 図書館にも足をはこび、(読めるかどうかわからないけれども)あたらしく、四冊ほど借りてきた。‥‥このあいだ、葛原妙子の短歌をふと思い出したりしたので、「現代歌人文庫」というシリーズの、その葛原妙子の巻、それと、塚本邦雄の巻とを借りた。ほかに「なにか新しい本は出ていないのか」と館内をみてまわり、小野正嗣の「浦からマグノリアの庭へ」というエッセイと、磯崎憲一郎の「往古来今」という短編集も借りてきた。よく考えたら、わたしは小野正嗣なんて、ちっとも好きじゃなかったのにね。いっぽうの磯崎憲一郎は大好きな作家だけれども、この「往古来今」はずいぶんまえに刊行されてるのに、ちっとも知らないでいた。知らないといえば、まえのまえの芥川賞をとった作品をいつも読みたいと思っているのだけれども、その作品のタイトルも、作家の名もまるで知らないまま。記事を読んだことはあるのだけれども、記憶していないから、いざ図書館に来てみて探しても、手がかりがないから探しようがないのである。いま調べたけれども、「黒田夏子」という人の、「abさんご」という作品ね。こんどは忘れないで借りてみよう。

 よるは、ずっと放置してあったプルーストとかをまたちょっと読んでみて、「うん、読めるな」なんて、変なことを考えたりした。DVDでも、じつはちょっとまえに「ライフ・アクアティック」なんてAmazon で買ってあって、「これなら観れるかな?」という気もちにもなっていて、あしたぐらい、このDVDを観てみようかという気分ではある。

 寝るまえに、ニェネントをからかって遊んだ。それでもニェネントはわたしをいやがらず、わたしの寝ているベッドの上で、わたしの足もとにまるくなって寝ている。

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[]Johnny Rivers - Seventh Son. Johnny Rivers - Seventh Son.を含むブックマーク

 TVもDVDも観ないでいると、もう視覚的なことにはおさらばして、YouTube とかiTunes ばっかりになってしまったりする(YouTube には画像がつくけれども)。しかし、YouTube の方はとにかく自分で「何を聴くか(観るか)」を選択しなければならないし、同じのを何度もリピートさせるという機能もないみたいなので、ある意味、つきっきりになっていないといけない。それはどうも「聴きながす」という感覚になれないわけで、たとえばベッドの上で横になって聴くには不向きだろう(フルアルバムでアップされているものもあるけれども)。それで、夜寝るときだとか、昼でもくつろぐとき(そのまま昼寝になったりするわけだけれども)、iTunes の方が、放ったらかしにできるのでいい。いまはたいてい、ストリーム配信で、60年代のオールディーズを聴いている。って、このことは先日書いたのか。

 きょうもそうやって60年代音楽を聴いていたら、この曲がかかった。いやあ、なつかしいな、なんて思って、自宅にある資料(というほどのものでもないが)で調べると、この曲は1965年の6月に、Billboard の7位にまで上がっている。日本ではまるで、まるっきしヒットしなかった(国内盤も出なかったかも知れない)。その資料をみると、このJohnny Rivers というシンガー、64年に「Memphis」という大ヒットを放っていらい、70年代末までに20曲近いトップ40ヒットを放っていらっしゃる。もっと調べると、いまもまさに現役で音楽活動をつづけられているらしい。‥‥そのわりに、知名度は低い。日本ではもちろんほとんど知られていない歌手だろうし、アメリカでだって、つまりはいまだに「Rock'n Roll Hall of Fame」の殿堂入りもされていないわけである。う〜ん、わたし、この「Seventh Son」なんか、とてつもなく大好きだし、この前後の彼のヒット曲はみんな「いいなあ」と思っているわけだけれども。

 さて、この「Seventh Son」、あのWillie Dixon の曲である。Willie Dixon ヴァージョンもYouTube で聴ける(観れる)けれど、渋い! この原曲に比べてしまうと、こっちのJohnny Rivers ヴァージョン、女性コーラスも入って、大コマーシャリズム音楽、ということになるんだろう。‥‥しかし、「そこがいいんでないの?」と思うのである。わたしもそれなりに、いろんなポップスを聴いてきたつもりだけれども、この「女性コーラス」のアレンジ、さいこうではないですか、と、わたしは思う。とちゅうからかぶさってくるコーラスが「コール&レスポンス」となり、そのコーラスが間奏へとつながる。そして、「ウッ!」というブレイクのあとの、「Haaaa!」の声の色っぽさといったら! わたしは、こういう女性コーラスがらみの曲ならばSteely Dan の「Babylon Sisters」もすっごく好きだけれども、ま、比較するようなもんだいではないけれども、わたしにとってのベストは、この「Seventh Son」の方。とにかく、何度聴いても、すっばらしいアレンジ、だと思う。

 「ブルース」だとか、「ルーツ・ミュージック」とかがお好みの方々からすれば、こういう編曲は堕落した商業主義ということになるんだろう。‥‥じゃあそれなら、Beatles がやったような「ブラック・ミュージック」のアレンジなら、許されるというのか。ロックとは、そもそもどんな過程で生まれてきたものなのか。ロックというジャンルが確立してからのちに過去を振り返る試みは評価され、そのロックの創成期に試行錯誤した関係者は無視されるのだろうか。悪口をいうのもアレだけれども、たとえば土曜日の朝のFMでやっている音楽番組で、この曲のオリジナルのWillie Dixon ヴァージョンは歓迎されるだろうけれども、こっちのJohnny Rivers ヴァージョンはきっと、相手にされないに決まっている。はっきり書いて、わたしはWillie Dixon よりも、Johnny Rivers の方が、はるかにはるかに好きである。おかしいだろうか。堕落しているのだろうか。

Johnny Rivers - Seventh Son.


 

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■ 2013-11-03(Sun)

 めざめたとき、夢をみた記憶が残っていた。またこんかいもその夢の内容を思い出せないのだけれども、暗い夢ではなかったと思う。なんとはなくも復調してきている気配、様子はあるのではないかとも思うのだけれども、やはりまだTVやDVDなどを観る気にはなれないし、本を開いて読もうという気もちにもなれない。ただ、きょうはしごとがあったので、あさから暗いふんいきをひきずったじかんをすごす、ということはなかった。やはり、しごとに出ることで気がまぎれていることははっきりした。職場で統括する責任者が、きょうもあしたもAさんだということも、いい。Aさんといっしょだとあれこれとやりやすいし、けっこうジョークなどかましながらやって行けたりする。むこうにも、「彼(つまりわたしのこと)となら、楽しくやってられる」と、思ってもらえるようならいい。

 しごとを終えて帰宅して、朝食をとってから、また南のスーパーに買い物に行く。改装されたということが大きいのだけれども、いぜんよりも、この南のスーパーによく通うようになった。改装した成果がここに、微小ながらにでも、じっさいにあるわけだ。きょうは「おやつ」のつもりで「ピザまん」のパック、それと「飲むヨーグルト」など。

 昼食には久しぶりに蕎麦などをやってみた。あたたかいヤツ。もう十一月だしね。これからはちょくちょく、蕎麦とかラーメンとかやってみそうである。で、昼食のあとはまた、昼寝をした。きょうもけっきょくは十二時間、つまりはいちにちの半分のじかん、それ以上は睡眠を取ったことであろう。このあたりのことは、ニェネントくんの影響ではないかと思ったりする。

 目覚めるともう窓の外はうすぐらくなってきていて、夕食のじゅんびにかからなくてはならない。きょうは、かっこつけていえばホワイトシチューというのかクリームシチューというのか、つまりは鶏肉と野菜の牛乳煮、みたいなものをつくることに決めてあった。きのう、その準備のつもりで、ブロッコリーをひとつ買ってあるし(97円、だった)。

 まずは、マーガリンと小麦粉をいっしょに炒めて、そこに牛乳を注ぎ足して、つまりは「ホワイトソース」をつくる。こんかいは、「あれ? 調子良く進んでいるなあ!」と、いつもとちがう感覚だった。考えてみたら、ちょうど一ヶ月ぐらいまえに、フライパンを新調してあるのだった。

 ここでちょっとはなしを脱線させていただきたいのだけれども、わたしは、フライパンというものは、買えば千五百円とか二千円とかするものだろうと、勝手に思っていた。「それではなかなか、あたらしいフライパンは買えないなあ」と思ってしまうのが、貧乏人の哀しさよ。ずっと、古いフライパンでがまんしていたのだけれども、これがどうも、すぐに焦げ付いてしまうというか、とにかく扱いにくくなってしまっていた。このホワイトシチューもわたしの定番献立だけれども、このところはホワイトソースをつくる段階でスムーズにいかなくって、だいたいここで黄ばんでしまうわけだし、フライパンの表面に熱した小麦粉とかがこびりついてしまうわけである。‥‥まだ、このホワイトシチューなんかはいい方で、いちばんこまったのは「チャーハン」とか、「オムライス」とか、ごはんを炒める献立のとき。これをやると、つまり、ごはんを炒めようとすると、もうすぐに焦げ付いてしまって、まったくまともな調理が出来なくなっていた。
 それで、せんじつ、近所のドラッグストアのキッチン用品の売り場のところを通ってみたら、フライパンなんて、400円ぐらいから売ってるわけね! ちょっとおどろいてしまって、どっちにしろ、うちのキッチンのフライパンはほとんど「ゾンビ」みたいなものだから、400円のものだってぜったいに「ゾンビ」を凌駕(りょうが)できるだろうと思って、買ったわけである。それが、大正解だったわけですよ。

 えっと、どこまで行ったんだったかしら。そう、ホワイトソースをつくってるところだった。これがね、白くってきれいなソースができる。もう、ここだけで、ちょっと感動してしまった。それで、冷凍してあった鶏肉を解凍して炒め、タマネギ、ニンジンをいっしょに炒めてから、その先につくったホワイトソースといっしょにして、煮込むわけだ。さらに、ジャガイモとブロッコリーをぶちこんでもうちょっと煮込んで、それで完成。って、いま、かんせいと打ち込んで変換しようとしたら、「歓声」と変換されたんだけれども、いや、キッチンから食卓に運ばれた、この「ホワイトシチュー」をひとくち食べたとき、わたしのなかでは、まさに「歓声」が起きましたね。これぞまさに、わたしが、わたしのために求めていた味! ってな感じ。これはあくまでも「わたしのため」の献立だから、このホワイトシチューをよその人に差し出して、「どう? すっごくおいしいでしょ?」などとやるつもりはない。でも、ほんとうに久々に、じぶんのつくった料理に、じぶんで舌鼓を打った。これでちょっと、げんざいの「うつ」状態からも脱却できるといいんだけれども。

 ふふ、夕食のあと、寝るまえになってもキッチンへ行って、その「ホワイトシチュー」を皿にとって、舐めたりしてしまった。まだまだたくさん残ってる。あした、あさってと、わたしの気分も晴れますように!

 そう、きょうもYouTube で、楽しい音楽を聴いた。


 

[]Emmylou Harris, Linda Rondstadt, Dolly Parton - Mr. Sandman Emmylou Harris, Linda Rondstadt, Dolly Parton - Mr. Sandmanを含むブックマーク

 むかしむかし、Emmylou Harris のアルバム(まだヴィニール盤だった)「Evangeline」を買って聴いた。そのとき、このスペシャル・トラックというか、豪華ゲスト参加のすばらしいコーラスワークに惚れた。それでまあ、時代も過ぎて、そういうヴィニール盤も手元からなくなって、「でもそのうちにCDになって、また聴けるだろう」と思っていたのが、なぜかなぜか、この「Evangeline」はいつまで待ってもCD化されないわけである(たぶん、今もまだCDになっていないはず)。その、再発のさまたげになっているのが、まさにこの「Mr. Sandman」での、三人の大歌手の、それぞれの権利とかなんたらということが原因らしい。おかっしなことに、この三人(つまりはEmmylou Harris とLinda Rondstadt、そしてDolly Parton)は、この曲のレコーディングをきっかけにして、まさに「Trio」というタイトルのアルバムまで発表してるのに、それでも、この「Mr. Sandman」はダメなのね。

 わたし、これはYouTube ならば、誰かしらがアップロードしているのではないかと踏んだわけで、検索してみたら、やっぱりあった!(誰もアップロードしてなければ、またわたしが自分でアップロードしちゃおうか、なんて思ったりした。できっこないけど。)

 ‥‥きのうは、再レコーディングしたManhattan Transfer なんて下司な野郎らのものなんかより、オリジナルの方がずっとずっとすっばらしい!ということを書いたのだけれども、きょうの「Mr. Sandman」は、この新しいレコーディングのものもいい。ちゃんと、夢がみれると思う。

 きょうは「夢をみたかも」というところからはじめたので、おしまいは、この「夢」の曲でもって。

Emmylou Harris, Linda Rondstadt, Dolly Parton - Mr. Sandman


 

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■ 2013-11-02(Sat)

 きょうはしごとも休み。ほんとうは出勤日になっていたのだけれども、この周辺がれんぞくして六日間の出勤になっていたこともあり、同僚が「休み(有給休暇)を取っちゃえ」とそそのかすわけであった。べつに、わたしは無理して休みたいと思ったわけでもなかったし、いまの職場でわたしたちが担当しているセクションは、ここのところずっと、ギリギリの人数でやって来てもいる。有給など取りにくいという状況もあるわけ。しかしつまりこれからあと、皆が「有給を取りにくいから」と遠慮するようなことが定着してもよろしくないわけで、ここは休ませていただくことにした。

 しかし、あさからずっと部屋でひとりですごすというのが、いまの「うつ」状態のもとでは、非常につらいものがあった。しごとがあれば、早朝から職場に行き、いろんな人と会うことで気がまぎれていたわけで、それがないというのは、また気分的にはダークなところへ行ってしまうのだった。

f:id:crosstalk:20131102101134j:image:right それではと、ニェネントをたよりにして、気を引き立ててもらおうとも思ったのだが、そういう、行為として人をなぐさめるなどということは、ネコには求めようもないことがらなのである。ニェネントのあさごはんに、「ちょっとごちそうを出してあげようか」と、いつものネコ缶、ネコごはんに加えて、卵黄とミルクをプラスして、四皿も並べてあげたのだけれども、きれいに食べてくれたのはネコ缶の皿だけ。きょうは、好きなはずの卵黄も、いつまでも残したままだった。ネコには飼い主の気分が伝染するものなのかも知れない。ニェネントも、ベッドの上で寝ているじかんが多い。

 図書館から借りている「ふるさと文庫」というものの残り二冊、「商人と街ぐらし」、「町場のおんなたち」も読み終えているのだけれども、感想を書く気分になれない。TVもまた、あさ早くにニュース番組や天気予報をみるだけで、あとはまったくみることはない。つまり、「ひかりTV」や「WOWOW」もまるで観ない。DVDも、もちろん観ない。二次元画像というものが、どうも受け付けられないのである。パソコンでもそういうのに出くわしてしまい、ドキ!とすることもある。

 妙なノベルティー・ソングでさえなければ、音楽はだいだい大丈夫のようなので、主に音楽をたのしむいちにち。ノンストップで聴くにはiTunes が便利なので、ストリーム配信を聴く。60年代のオールディーズが気楽でいい。ほぼすべての楽曲で、その曲名、アーティスト名が即座にあたまにひらめく。

 聴いていて、「こんな曲もあった」というのを思い出して、YouTube で検索して聴いてみたりもした。


 

[]The Ad Libs - The Boy From New York City The Ad Libs - The Boy From New York Cityを含むブックマーク

 たしか1965年ぐらいのヒット曲で、やっているThe Ad Libs というのは、典型的な「一発屋」だった。日本で国内盤がリリースされることもなかったけれども、毎晩ラジオで「FEN放送」ばかり聴き、原始的なエアチェックもやっていたわたしにとっては、この曲はフェイヴァリット・ソングのひとつ、だった。

 この曲、のちに、70年代のおわりごろに人気の出てしまったコーラスグループが取り上げ、それでまたヒットしてしまったけれども、わたしはこの四人組コーラスグループによる、この曲のシンギングは、まことに聴くに耐えられなかった。「よくぞまあ、こんなに下品に唄えるものだ!」と、感心してしまうほどだった。

 オリジナルがいかに上品で、すばらしいものであったか、聴いてみていただきたい。

The Ad Libs - The Boy From New York City


 

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■ 2013-11-01(Fri) このエントリーを含むブックマーク

 ニェネントの朝食に、きのう食べてくれたクロワッサンをちぎって、皿にのせて出して差し上げたのだけれども、まるで食べてくれなかった。‥‥やっぱりね。きっと、そういうことだと思っていた。

 きのう、Alex Chilton の「イパネマの娘」を何度も何度も聴いて、とにかく聴いているあいだは気分もハイになって楽しんだのだけれども、「では」と、その音楽からはなれてしまうと、やはりダウナーな気分にかんたんに舞いもどってしまう。なかなかに回復しない。

 きょうは、「それでは」というわけでもないけれども、きのうは町の北の方を歩いたわけだから、南の方を歩いてみた。
 この町、駅を中心にみると、むかし商業的に栄えたのはその北側で、この南側(わたしの住まいもこちら側)は、ほんらいは田んぼとか畑ばっかりだったようである。今はこの駅の南側の大通り(というほどのものでもないが)には郵便局、コンビニ、ドラッグストア、スーパー、そして食堂や居酒屋がならんでいて、駅の北側の大通りに拮抗している(というか、どっちも衰退しつつあるのだけれども)のだけれども、駅からせいぜい七、八分も南に歩くと、もうなんにもなくなってしまう。あたりは一面の田んぼ、畑。歩道には、いまはコスモスの花が満開だった。もちろん、このあたりに徘徊する野良ネコはいない。

    f:id:crosstalk:20131101113923j:image

 ついでにスーパーに寄り道して、コロッケがこの日は一個50円だったのでよろこんで、二個買った。「むき甘栗」の袋も50円だった。‥‥ふいに、このあいだ友人と飲んでいて食費の話になって、わたしの月の食費は一万円ちょっとだと云ったとき、「えっ? もやしばっかり食べてるわけ?」などといわれて<むかついた>ことを思い出し、ちょうどきょうは月の朔日でもあるし、「じゃあ、今月は<キャッシュ・フロー>をつけてやろうか?」などと思いついたりした。月末にその友だちとまた会う予定があるし、そこで「ほら、オレの食費はコレだけ!」と、突きつけてやろう。やってみよう。

 きのう書いた、さいきんの<マイナス要件>のことだけれども、紅茶のことにかんしては、解決した。いままでは2リットルのやかんに水を入れて、紅茶パックをふたつたらして、そのまま火にかけて湧かして紅茶にしていたんだけれども、きょう、これまで<ふたつ>のパックを入れていたのを、<ひとつ>だけに減らしてやってみた。これが「大正解」で、いちおうは「アール・グレイ」らしい味が感じられないわけでもないし、ふたつのパックを入れていたときの「薬臭さ」がすっかり消えて、けっこう飲めるようになってしまった。って、いままでは一回にふたつのパックを使っていたのが、ひとつでよくなったわけだし、「捨ててしまおうか」とまで思っていたのが、いままでよりも<経済的>な効果を引き出しそうでもある。

 昼食はたらこスパゲッティ。夕食は買って来たコロッケと野菜サラダ。コロッケは一個しか食べなかったので、あしたもまたもう一食はコロッケで行ける。野菜(キャベツとトマト)をおおげさに高額に見積もってもせいぜい50円ぐらいだから、コロッケの50円とあわせて100円。「ごはん」がまた、オーバーに見積もって50円として、この夕食は一食150円。昼食も、オーバーに見積もっても100円。朝食はトースト二枚にハムにトマト、そしてコーヒーだから、どう考えても100円かかってない。きょうの食事はトータルでせいぜい350円ぐらいのものだろう(かなりオーバーに書いたので、実質は300円までも行ってないはず)。毎日こういう調子でやれば、月にいちまんえんの食費で、やって行けるんですよ。


 

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