ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2014-03-31(Mon)

 ノートパソコンのイヤフォンジャックへ、外付けのスピーカー端子などをつないでも、スピーカーからは音が出ない。もちろんイヤフォンを接続しても同じく音は出ないけれども、ノートパソコン自体からも音は出なくなる。わたしの想像では、イヤフォンジャックの部分で何らかの不具合が出ているのだろうということで、ノートパソコンをちょっと分解してみれば、かんたんに直るのではないかとも想像するのだけれども、やはり自分で分解するのはおそろしいので、専門のパソコン修理業者にたのもうかと考えた。それで先日、業者にメールで、どのくらいかかるのか見積もりを頼んでみた。その返事が届いた。

お問い合わせ内容拝見いたしました。
考えられる要因としましては、ロジックボードの問題と思われます。
ロジックボード交換が必要な場合、おおむね10万円前後の費用がかかります。

 ‥‥という内容。笑ってしまった。十万円出せば、新しいノートパソコンが買えるではないか。ほんとうにロジックボードの不具合なんだろうか。いや、仮にそうではないにしても、診断が出るまでに二日ほど、その修理店にノートパソコンを預けておかなくてはならないらしい。わたしはもっとかんたんに、午前中に修理店に預けておけば、夕方には修理も完了して、その日のうちに持ち帰ることも出来るんじゃないかと思っていた。二日間も、このパソコンなしで過ごすなんてこと、わたしには出来そうもない。思ったよりもパソコン依存生活なわけだった。とにかくは致命的な故障なわけでもないし、このままでがまんしよう。

 あしたから、消費税が5パーセントから8パーセントに増税される。何か今のうちに買いだめしておくようなものはないだろうかと考え、ニェネントのネコ缶を買い込んでおくことにした。もともと、南のドラッグストアでのそのネコ缶の特価期間、それ自体もきょうで終わることもあり、増税とはあまりかんけいなくしても、買いだめしておいた方がずっと得なのだ。四缶ずつパックになっているのを六パック買い、ちょっと重量感のある買い物になった。わたしの消費税増税対策はこんなところ。

 きのうの日記で、うちのあたりの桜は、まだあまり咲いていないと書いたのだけれども、きょう買い物に出てみると、これが一気に五分咲きぐらいまで咲いてしまっている感覚。きのうは雨でそんなに暖かくもなかったのだけれども、咲きはじめるときのいきおいというのは、そういうものではないのだろう。もうあしたあさってにも満開になってしまい、今週中には散ってしまいそうないきおいだと思った。

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[]「スプリング・ブレイカーズ」(2013) ハーモニー・コリン:監督 「スプリング・ブレイカーズ」(2013)   ハーモニー・コリン:監督を含むブックマーク

 去年、映画館で観た作品。あらためてTVの液晶画面で見直すと、色彩の彩度の高くて美しい撮影が気持ちいい。こういうところをこそ、決めてみせたいというのもあったのだろう。
 ラストの展開など、たけしの作品だとかタランティーノの作品とかをちょっと思い浮かべたりもしたけれど、ここではもっともっとモラルから自由で、もっともっとスカスカな世界が繰り拡げられていると思う。やはり、わたしのお気に入りの一作。


 

[]二〇一四年三月のおさらい 二〇一四年三月のおさらいを含むブックマーク

美術:
●「ラファエル前派展」@六本木・森アーツセンターギャラリー

映画:
●「ジ、エクストリーム、スキヤキ」前田司郎:脚本・監督

読書:
●「お嬢さん、空を飛ぶ 草創期の飛行機を巡る物語」松村由利子:著
●「植物はヒトを操る」 いとうせいこう × 竹下大学:著
●「AKIRA」 大友克洋:著
●「山の人生」 柳田國男:著
●「ことばの食卓」武田百合子:文 野中ユリ:画

DVD/ヴィデオ:
●「断崖」(1941) アルフレッド・ヒッチコック:監督
●「アスファルト・ジャングル」(1950) ジョン・ヒューストン:監督
●「真昼の決闘」(1952) フレッド・ジンネマン:監督
●「波止場」(1954) エリア・カザン:監督
●「マンハッタン無宿」(1968) ドン・シーゲル:監督
●「弾丸を噛め」(1975) リチャード・ブルックス:脚本・監督
●「六つの心」(2006) アラン・レネ:監督
●「パンズ・ラビリンス」(2006) ギレルモ・デル・トロ:脚本・監督
●「ナイト&デイ」(2010) ジェームズ・マンゴールド:監督
●「エッセンシャル・キリング」(2010) イエジー・スコリモフスキ:監督
●「ブリューゲルの動く絵」(2011) レフ・マイェフスキ:監督
●「SHAME -シェイム-」(2011) スティーヴ・マックイーン:脚本・監督
●「最強のふたり」(2011) エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ:監督
●「イノセンテの描く未来」(2012) ショーン・ファイン、アンドレア・ニックス:監督
●「スプリング・ブレイカーズ」(2013) ハーモニー・コリン:監督
●「瀧の白糸」(1933) 泉鏡花:原作 溝口健二:監督
●「浮草物語」(1934) 小津安二郎:監督
●「素晴らしき日曜日」(1947) 黒澤明:監督
●「朱雀門」(1957) 森一生:監督
●「第五福竜丸」(1959) 新藤兼人:脚本・監督
●「豚と軍艦」(1961) 今村昌平:監督
●「仁義なき戦い 広島死闘篇」(1973) 笠原和夫:脚本 深作欣二:監督
●「仁義なき戦い 頂上作戦」(1974) 笠原和夫:脚本 深作欣二:監督
●「仁義なき戦い 完結篇」(1974) 深作欣二:監督
●「新仁義なき戦い」(1974) 深作欣二:監督
●「新仁義なき戦い 組長の首」(1975) 深作欣二:監督
●「新仁義なき戦い 組長最後の日」(1976) 深作欣二:監督
●「AKIRA」(1988) 大友克洋:監督
●「ロボジー」(2012) 矢口史靖:脚本・監督

 

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■ 2014-03-30(Sun)

 朝、図書館まで行ってみたら、「館内整理のため」ということで、休館になっていた。今は春休みのさいちゅうだろうに、そういうときに休館というのは、ちょっと意外だった。借りていた本は閉館時の返却口から返却し、そのまま家に帰る。図書館のそば、市役所の駐車場の桜の木が、もうどの木も開花しはじめていて、木によっては五分咲きぐらいまで咲いている。うちの辺り、駅から南へ延びる道沿いの桜は、まだほとんど咲きはじめてもいない。桜というのは、こんなに咲く時期にばらつきがあるものだっただろうか。

 夕方、旧友のAさんから電話をもらった。毎月、この日記に登場する人はイニシャルで書くことにしていて、それをいつもA、B、Cの順にリセットしているのだけれども、今月はもうあしたでおしまいというところで、ようやっと「Aさん」の登場である。それだけ今月は人にも会わなかったし、ほとんどコンタクトも取らなかったということ。こんなに引きこもったのは、もちろんはじめてのことだろう。電車に乗って外に出たのは、映画を観るのにいちど、そして美術展と写真展を観るのにいちど、合計二回だけのこと。あ、写真展を観たときに、小林嵯峨さんとかにはお会いしているんだった。めずらしく実名を出させていただいて書いたのを忘れてしまっていた。
 そのAさんからは、来月の飲み会の件での連絡だった。場所を虎ノ門にしようということ。虎ノ門の居酒屋なんて行ったことがない。楽しみである。


 

[]「新仁義なき戦い 組長最後の日」(1976) 深作欣二:監督 「新仁義なき戦い 組長最後の日」(1976)   深作欣二:監督を含むブックマーク

 松原智恵子が出演しているのに、ちょっとおどろいてしまった。冒頭からグラグラの手持ちカメラだし、音楽もエレキギターの例のメロディだし、菅原文太はあばれるし、「仁義なき戦い」の真骨頂というところはあるのだけれども、仇役の側がちょっと弱いような気はしてしまった。


 

[]「最強のふたり」(2011) エリック・トレダノ/オリヴィエ・ナカシュ:監督 「最強のふたり」(2011)   エリック・トレダノ/オリヴィエ・ナカシュ:監督を含むブックマーク

 ストーリーテリングのすばらしい一篇。雇い主が「超」富豪だから成り立っているところもあるけれども、そんなことで「リアリティがない」などとはいえない。この映画は実話をもとにつくられているらしい。


 

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■ 2014-03-29(Sat)

 きのうの夕食には、ホワイトシチューをつくった。前回は市販のルーを使って失敗したのだけれども、今回はちゃんと小麦粉と牛乳、それとブイヨンでつくって成功。うす味だけれども、特に不満のない味に仕上がった。これから二、三日は、シチューがつづく。

 ニェネントが、急におとなしくなってしまって、いったいどこに居るのかわからなかったりする。探してみると、和室の机の裏側、カーテンと窓とのあいだで丸くなって寝ていることが多い。もう春日和で、日射しも暖かくなっている。きっと、この部屋のなかではそのスポットがいちばん暖かいんだろう。
 わたしも勝手なもので、前のように、いつもわたしのそばにニェネントが居るとうるさく感じていたくせに、こうやってそばにいなくなると、もっとわたしのそばに居てくれるといいのに、などと思ってしまったりする。食欲はあるようで、お皿に出してあるネコ缶やキャットフードは、いつのまにかなくなってしまっていたりする。

 午後から、知り合いにあるものをプレゼントしたくなり、そこらにあった段ボールで、かんたんな荷造りをする。がしゃがしゃと段ボールを切ったり折ったりしていると、ニェネントが「何やってるの?」てな感じで姿をあらわし、わたしの手もとの段ボールに、ちょっかいを出してくる。そう、それでこそ、わたしのかわいいニェネントくんだと思ったりする。じゃまなんだけれども。
 荷造りして、近くの郵便局から差し出し、あとは部屋にもどってゴロゴロしていた。映画をひとつ観て、本を一冊読み終えた。だいぶ、活字が平気になってきた感じがする。


 

[]「断崖」(1941) アルフレッド・ヒッチコック:監督 「断崖」(1941)   アルフレッド・ヒッチコック:監督を含むブックマーク

 このあたりは、名作として過去に数度観ているはずの作品。あらためて観てみると、ヒロインのジョーン・フォンティーンの側の、性急な思い込みというものが、たしかに背後に描かれているのがよくわかった。どこまでもヒロイン視点の描写というのがポイントで、彼女のいないところで、夫のケーリー・グランドがいったい何をやっているのか、何を考えているのかというのがわからない。それで、彼女のまえでは虚勢を張ったりしているわけだから、よけいにわからないことになる。映画が終わったあと、きっと彼女は彼の手助けをしていって苦境を脱し、幸せなカップルになるんだろうなあと想像させられるのがいい。とってもいい。


 

[]「ことばの食卓」武田百合子:文 野中ユリ:画 「ことばの食卓」武田百合子:文 野中ユリ:画を含むブックマーク

 それぞれの文が、エッセイとしてすばらしいことはもちろんなんだけれども、この十四篇のエッセイを読み通すと、著者の生きた昭和の時代というものが、著者の個人史をふくめて、くっきりとその姿をあらわす。
 わたしの好きなのは、「夏の終わり」という一篇で、著者が娘さんと入った「オムレツ専門店」の店内の描写がつづいて、「こういう店っておいしいのよ」みたいに、著者が娘さんにいうんだけれども、こっちは、読んでいると「そういう店ってなんだかまずそう」とか思ってしまう。これは著者がわかっていてねらって書いているのかどうかわからないけれども、やっぱり「まずい」わけで、ちょっと、読んでいて、声を出して笑ってしまった。
 野中ユリのコラージュ作品も清楚な感覚で、この本自体の美しさの仕上げになっている感覚。わかっている人へなら、「本のプレゼント」などとして贈れるだろうな。そういうこともやってみたくなる本。


 

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■ 2014-03-28(Fri)

 きのうはとても混雑した電車に乗ったり、やはり混雑した展覧会会場を歩き回ったり。やはりちょっと疲れてしまったけれど、きょうはしごとも非番で休みなので、たすかった。朝からリヴィングでごろごろして、録画した映画を観たりする。

 昼まえに心療内科の病院へ出向いて、自立支援医療の申請にひつような医療診断書の作成を依頼し、ついでに先日の診察のとき、「失われた時を求めて」を病院内に忘れていなかったか聞いてみたのだけれども、そういう本はなかったということだった。ひょっとしたら、市役所の窓口に忘れてきた可能性もある。きょう診断書はできないようだし、あしたは市役所の窓口は閉められているし、じっさいに窓口に本を忘れたかどうかわかるのは、月曜日のことになる。
 で、先日の通院の結果としての、薬の内服量の変更の結果だけれども、たしかに、ちょっとだけ、「だ液」の量は減ったような気はする。そのかわり、きょうなどはまたちょっと「うつ」な気分といえばいいのか、あっちをたてればこっちがたたず、むずかしいものである。

 このあいだ、ニェネントがまた発情期になってしまったのではないかと、危惧したのだけれども、きょうは平常なニェネントに戻っていた。いつもの発情期ならば、まだ三、四日はつづいていたことだろうから、ちょっとホッとした。それでもって、「ニェネントくん、かわいいねぇ」とばかりに、いつもの倍、かまってやった。ニェネントには迷惑なことだったろうと思う。

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[]「AKIRA」(1988) 大友克洋:監督 「AKIRA」(1988)   大友克洋:監督を含むブックマーク

 ち密な絵はもちろんすばらしいし、色彩も美しい。で、大きなストーリーはほぼ原作コミックスと同じといえるかと思うのだけれども、そのディテールはまるで異なっている(いや、大きなストーリーも「違う」といえるのかも)。そのことで、このコミックスの背後にあったところのテーマ、「理解し合える仲間を得る」というあたりは希薄になってしまった気がする。ただのスペクタクル巨編になってしまったような。


 

[]「弾丸を噛め」(1975) リチャード・ブルックス:脚本・監督 「弾丸を噛め」(1975)   リチャード・ブルックス:脚本・監督を含むブックマーク

 いわゆる「アメリカン・ニュー・シネマ」の時代に、西部劇の世界にそういう流れが侵入してきたような、特異な作品。主人公はジーン・ハックマンで、これが動物愛護精神に満ち、差別を許さない人物としてどこまでも筋を通す。で、何をやるかというと、馬による700マイル耐久レースへの参加。ライヴァルはジェームズ・コバーンだとかキャンディス・バーゲンだとか。これでレース中にいろいろな「事件」が起きるのだけれども、意外にさっぱりと、さわやかなエンディングになる。


 

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■ 2014-03-27(Thu)

 きょうは久々に東京に出かける。まずは六本木で「ラファエル前派展」を観て、そのあとは王子へまわって、舞踏家の小林嵯峨さんの舞台写真展を観ようと思っている。天候は悪く、ぽつぽつと雨が降っているけれども、予報では「くもり」となっているので、そのうちにやむのだろうと傘も持たずに出発する。

 ローカル線のダイヤが変更され、東京方面へ出るには不便なことになっているのだけれども、数少ないところの旧ダイヤとおなじ時間の列車を利用して、ターミナル駅ですぐに東京方面の列車に乗り換える。新宿で下車、地下鉄で六本木に向かう。時間はちょうど正午ぐらい。東京もやはり空は雨模様で、傘がないと外は歩けないほどに降っている。

 平日で、そんな悪天候だというのに、展覧会会場はずいぶんの観客であふれていて意外だった。感想は下に。

 観終えて、地下鉄とかで王子まで移動して、駅のそばのギャラリーで写真展を観る。舞台写真といっても、舞踏の写真というものからは、独特の「情念」の放出のようなものを感じさせられる。

 ちょうどわたしが会場に着いてしばらくして、小林嵯峨さんも会場にみえられ、その前からいらっしゃった写真家の田中英世さんらをまじえて、お茶をいただいてしばらくは歓談の時間を持つ。
 ‥‥わたしには「意識障害」、「うつ」、そして「口中のだ液」など、人とお会いして、そして同じ席で歓談することへの畏れ、恐れというようなものもあったのだけれども、実際にそういうことになって、楽しいお話とかを聞かされてみれば、そんなことも忘れてしまうところもある。いや、それでも気になるところもある。一時間ちょっと滞在させていただき、まだ外が明るいうちにおいとまさせていただいた。写真は、会場の窓から西をみた風景。

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 王子というところに来るというのも、ほんとうにいつ以来になるのかまるでわからないのだけれども、駅のすぐそばには飛鳥山公園というのがあることはおぼえていた。その飛鳥山公園の桜が、もうすでに二部咲きぐらいになっているのが、駅のホームからみえた。雨はもうすっかりやんでいる。気温はちょっと肌寒いところもあるけれども、春だなあという感慨は得ることができた。


 

[]「ラファエル前派展」@六本木・森アーツセンターギャラリー 「ラファエル前派展」@六本木・森アーツセンターギャラリーを含むブックマーク

 それなりに、以前からラファエル前派については興味を持っていたのだけれども、その代表作といえるような作品にあふれた展示。というか、ほとんどの作品が来てるのではないだろうか。これでは、今のテート・ギャラリーにそういうのを観たくて訪れても、がっくりしてしまうんじゃないだろうか。まあ、バーン=ジョーンズの作品が少なかったことぐらいしか、気づいたことはない。

 やはり、こうやって彼らの作品をまとめて観ると、これが象徴主義美術のひとつのあらわれだろうという印象がせまってくる。それはつまり、<描かれたものの「背後」をこそ観なければならない>という作品の性質でもあるだろうし、そういうところからの、「文学への接近」ということが眼にせまってくる。


 

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■ 2014-03-26(Wed)

 きょうの横浜でのダンス公演、やはりキャンセルした。ただ行かないで放置するのではなく、会場に「行けなくなった」と、電話連絡しておいた。

 ニェネントのことだけれども、ときどき、毛玉処理なのか、食べたものをもどしてしまうことがある。いつもたいていは床の上にもどすので、後始末もたやすいのだけれども、きょうは、ふとんのシーツの上でやってくれてしまった。では洗濯しなくてはいけないと、洗濯機にかけたのだけれども、脱水の段階で洗濯機はストップしてしまった。水をふくんだシーツが重たすぎるのだろうか、前は平気だったのに。
 洗濯槽の中身を全部出し、いろいろとやってみたのだけれども、洗濯機は動こうとはしない。もう買ってから二十年以上もたつわけだし、ここは、ついに壊れてしまったと思うしかない。新しいのを買うことを考えなくては。すぐに、近いところの家電量販店にチェックに行く。安いので約二万五千円。古いのを引き取ってもらうとプラス三千円。仕方ないなあ。しかも、今注文しても、現在の消費税増税騒動もあるものだから、店には注文殺到中。配達は四月の第二週以降になるという。まあうちの近くにはコインランドリーもあるコンビニエンスライフだからいいけれども、「ほんとうに壊れていたら注文に来ます」と店を出た。

 約三万円の臨時出費。痛いなあ。これで、メガネの購入は当面、あきらめなければならないだろうか。しかし、洗濯機なんて、めったに壊れるものじゃないんじゃないだろうか。帰宅して、洗濯機を横倒しにしてけっとばし、また起こしてみて使ってみると、ほら! ちゃんと稼働したではないか。やはり荒療治がいちばんだということだし(いつもいつもそうではないが)、それよりも何より、こんな事件でもわたしはそんな「うつ」にはならなかった。そのことが何といってもうれしかった。あとで南のスーパーへ行き、夕食はお祝いに「寿司」にすることにして、パックを買って帰った。おいしかった。

 読みさしの「失われた時を求めて」の文庫本が見当たらなくなった。どうやら、きのう心療内科に行ったとき、待合室かどこかに忘れて来た気配がある。ようやく読み進められそうな段階になっていたのにと思うと、ほかの本を開いて読む気にもならなくなってしまった。早く取りに行かなくては、またわたしの読書生活が狂う。


 

[]「真昼の決闘」(1952) フレッド・ジンネマン:監督 「真昼の決闘」(1952)   フレッド・ジンネマン:監督を含むブックマーク

 むかしから、テレビ放映などで何度か観ている作品。映画のなかで何度も何度も時計が写されて、その進行がリアルな時間進行とシンクロしているわけ。悪漢の乗った列車の到着を待つ駅の様子も繰り返してはさみこまれ、ジリジリジリジリする感覚が倍増される。

 しかし、もしもわたしがこういう町の住民だったら、わたしはどうするんだろうなあ。もちろん銃が得意な人間ではないだろうから、ゲーリー・クーパーの手助けは出来ない。やはり彼のことを「なんで町に戻って来るのか」と批判することになるんだろうか。銃が使えるくせに手助けしない連中を批判するだろうか。「わたしにはあなたを助けることは出来ない、どうか、奥さんといっしょにこの町から逃げてくれ」というのがせいいっぱいだろうなあ。


 

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■ 2014-03-25(Tue)

 やはり、昨夜になって、「だ液」のもんだいが我慢できなくなり、今朝いちばんに心療内科へ行き、訴えた。とりあえず、いま服用している薬のひとつの服用量を、半分にしてみることになった。これで「だ液」も、せめて半分になるといい。
 心療内科のあと市役所へ行き、「自立支援」についての話を聞き、提出する診断書をもらってから帰宅した。

 あしたは横浜まで出かけ、ダンスの公演を観るつもりにはしてあったのだけれども、やはり今はそういう、閉鎖的で小さな空間に、入り込むことを拒否したい気分は強い。それよりは、あと二週間も会期の残っていない、六本木での「ラファエル前派展」はやはり観ておきたく、そちらに行くことに振り替えようかと思っている。自分がじっと動かないでいる劇場内の空間より、歩き回ることの出来る美術館の空間の方が、その空間の明るさも合わせて、今のわたしの呼び寄せられそうなところ。

 気分は「うつ」というのではないのだけれども、何とはなしに落ちつかず、映画を観ていても、途中でやめてしまったりする。本もあんまり読めなかった。プルーストは多少読み進んだけれども、それで感想を書くというところにまではなっていない。


 

[]「AKIRA 6」 大友克洋:著 「AKIRA 6」 大友克洋:著を含むブックマーク

 感想というほどのものは書けないけれども、ラストで天空に浮遊する、アキラたち三人の異能力者たち。ここで、フィリップ・オットー・ルンゲの絵などというものを、久々に思い出したりした。

アメリカで実写映画化の動きが進行中らしいけれど、この原作へのオマージュは忘れないでいただきたい。原作のメッセージとはつまり、「理解し合える仲間を得る」ということだろうか。

 この下に、そのフィリップ・オットー・ルンゲの作品をあげておきたい。

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■ 2014-03-24(Mon)

 たしかに、きのうよりは元気になったとは思うのだけれども、まだまだ本調子ではない。ふっとしたしゅんかんに、すき間から、おそろしい「虚無」のようなものがこころに入りこんでくる。今週は三つほど出かける予定もたててあったのだけれども、そのうちのひとつのチケットの代金は、コンビニ払い込みのところ期日まで払わずにすごし、つまりはキャンセルした。あとのふたつも、はたして行く気になれるかどうか、いまの気分ではこの部屋でじっとしていたい。

 そのように、「うつ」気分はいくらかは良くなって来ているのだろうけれども、もうひとつのもんだい、「だ液」の分泌過多の方は、まったく状態が変わらないでいる。いつも口のなかには「つば」がいっぱいで、咳とかをすると、ほんとうにあたり一面にそのつばをまき散らしてしまうことになる。外出したり、しごとに出るときには、マスクをして対策しているけれども、このことも、出かける気分を遠ざける一因にはなってしまっている。

 ニェネントだけれども、ひょっとしたらまた発情期なのだろう。いつもいつもわたしにまとわりついてくるし、昨夜は発情期のときのようにしばらく啼きさけびつづけていたりもした。やはり、ニェネントを連れて行かないまでも、まずはいちど動物病院に相談した方がいいのだろうとも思う。このことでは、せっかく持ち直している気分も、また落ち込まざるを得ないところもある。

 本などはずいぶんと読めるようになり、「AKIRA」は読了したのだけれども、ちょっときょう書くことが増えてしまいそうで、感想はあしたにでも。あと、プルーストの方も、どうやら話が動きはじめるところにまで到達できたようで、この先の部分ならば感想を書き継ぐことも出来そう。


 

[]「アスファルト・ジャングル」(1950) ジョン・ヒューストン:監督 「アスファルト・ジャングル」(1950)   ジョン・ヒューストン:監督を含むブックマーク

 ブレイク前のマリリン・モンローが、端役で出演していることでも知られる作品だけれども、ハードボイルド・タッチのシリアスな犯罪ドラマとして興味深く、面白く観ることが出来た。

 刑務所のなかで宝石商の金庫を破ることを計画していた男が出所して、数人の仲間をつくって計画を実行する。金庫をうまく開けて、五十万ドルにはなるだろう宝石を盗むことに成功するのだけれども、つまりは予定しなかったことが次々と起こるわけだ。

 ほとんどの劇の舞台になる夜の、街のうらぶれた感覚が、まずはこの劇のバックボーンになっているというか、とにかくは「暗い」という印象がいい。登場する男たちは基本的に皆(警官ですら)「悪人」ではあるのだけれども、この演出で彼らを「悪人」と放り出すのではなく、それぞれの人物の、その人間的な側面にもスポットを当てている。これがいい。マリリン・モンローは、実は破産している弁護士の、その若い愛人の役なわけで、その弁護士は自殺しちゃうわけだ。


 

[]「山の人生」 柳田國男:著   「山の人生」 柳田國男:著  を含むブックマーク

 タイトルがちょっと内容をつかみにくいところがあって、つまりは「山に暮らす人の人生」というように捉えたくなるのだけれども、じっさいは山地で起きる怪異現象というか、そういう怪異な人物、異人、人の姿をした妖怪との出会いのことが、過去の文献からの引用、採取された「聞き書き」などとして書かれている。つまりは「遠野物語」の続篇のような位置の作品。といっても、もう「遠野物語」を読んだりしたのはいったいいつのことになるのか、もうその内容をほとんど思い出すことも出来はしない。

 この書物でふれられている「モノ」たち、まずはあきらかに人間である存在による怪異な現象、事件などから書きはじめられる。家を持たずに山中に生活する人々、とつぜん出奔して山に入り、また戻ってくることもある人々(主に女性が多い)、山の神に隠されてしまう(神隠し)子どもたちなどから、「鬼の子」が産まれてしまう事件など。「鬼の子」は産まれたときにすでに歯が生えていたりして、すぐに殺されてしまうらしい。これが「仙人」や「山男」「山女」などの巨人らの話になり、ずいぶんと妖怪めいた存在の話にもなる。

 ここで柳田國男氏の繰り拡げられているのは、つまりは「民俗学」の世界なのだけれども、柳田氏は一ヶ所これを「社会心理学」と呼称しているところがあり、終章で、この本での自分のしごとを以下のように書いているところもある。

自分たちは今ある下界の平民の信仰が、如何に発達して斯(こ)う迄完成したかを考えて見ようとするのである。

 つまり、この「山の人生」にあるのは、「下界の平民」らの人々が、「山」に対して、その「山」によって、どのような信仰を持ち、その信仰を発達させたのか、というところの記述として読むべきなのだろう。文献はのちの時代まで残り得るものだろうけれども、「聞き書き」というのはいつまでも残るものでもないだろう。「貴重な記録」という側面を感じる。


 

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■ 2014-03-23(Sun)

 日曜日。世間は三連休のラストの日だけれども、わたしはしごと。
 わたしのしごとは朝の五時から九時までなのだけれども、このごろはもう、六時になるころには空は明るくなって来ている。そのうちに、出勤するころにはもう明るくなっているだろう。

 きょうも空は青く澄んでいるので、また部屋にこもってしまうのももったいないと思い、午後からあてもなく散歩に出たりする。東の川向こうにあるレンタルDVDの店にある古着屋が、また七割引きのセールをはじめているはずで、足を伸ばしてみるけれど、買いたいような古着をみつけることはなかった。川のところまでもどって、皆が釣りをしている光景をしばらく眺めていたりする。

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 薬を替えた効果というのは日ごとにあらわれているようで、おとといよりはきのう、きのうよりはきょうの方が状態がいいというか、Cheerful な気分に近づいている気はする。あしたはもっと元気になって、あさってはもっともっとなるといい。
 「Cheerful」ということばを思い浮かべると、Ian Dury の「Reason To Be Cheerful」を思い出すのだけれども、思い出すのはそのタイトルだけ。いったいどんな曲だったっけ(今はYouTube とかでかんたんに検索して聴くことができる、便利だな)。

 きょうもそれなりに本も読み進んで、柳田國男の「山の人生」はあと少しで読了。プルーストはまだダメ。


 

[]「AKIRA 5」 大友克洋:著 「AKIRA 5」 大友克洋:著を含むブックマーク

 感想は、全巻を読んでから。もうあと一巻。


 

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■ 2014-03-22(Sat)

 書くのを忘れていたけれども、ニェネントの誕生日を六月二十日にしてあるわけで、そうするとおとといはニェネントの三歳と九ヶ月の月の誕生日だった。あまりお祝いらしいことはしてあげなかったけれど、いつもいっしょに生活してきて、いつもニェネントがそばにいることで、わたしはどれだけなぐさめられていることだろう。これからもずっと、ずっといっしょに暮らして行く。

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 きょうはしごとも非番で休み。窓の外は快晴で、春らしい陽気がみてとれるのだけれども、部屋から一歩も外に出ないいちにちになってしまった。うつ状態はかなり回復して、あれこれと出かけてみたり、やってみたりしたい気もちもふくらんできているのだけれど、とにかくはきょうは休息日ということにした。

 コメントをいただいてわかったのだけれども、心療内科というのは、その患者の症状に合った薬などを処方するのに、いっぱつでぴたりというわけにもいかないわけなんだろう。まだこれからも心療内科にかかりつづけなければならないなら、そのあたりはもう少し辛抱しなければいけないということなのだろう。

 活字がびっしりつまった本というものも、だいぶ平気になってきたみたいだけれども、まだプルーストの読みさしの部分はこわい。見開きの二ページでいちども改行されていない、文字ぎっしりのページがつづいている。書かれていることも、物語が展開するというのではなくて、いってみれば些細なディテールの連続。読んでもまるであたまに入ってこない。プルースト再開はもうちょっと先のことになるだろう。
 久しぶりに録画してあった映画を観て、あとは高校野球や相撲をみたりして養生した。高校野球は逆転サヨナラゲームがつづいたりして、楽しんでみていたし、相撲でも新しい横綱が誕生しそうなところがある。しかし、テレビの番組をみてすごすなんて、ずいぶんと久しぶりのことに思える。


 

[]「新仁義なき戦い 組長の首」(1975) 深作欣二:監督 「新仁義なき戦い 組長の首」(1975)   深作欣二:監督を含むブックマーク

 いままでの広島での抗争劇からはなれて、舞台は北九州になるけれど、冒頭から菅原文太がムショ入りしてしまうのとか、旧シリーズと同じ展開なのにはちょっと苦笑してしまう。しかしもう旧シリーズの群像劇という側面は希薄になり、あくまで菅原文太が主人公として、既存の組織に殴り込みをかけていくという、ストレートな展開。それでも「出入り」のシーンでの手持ちカメラはこのシリーズの専売特許だし、数台の車でのカー・チェイスの緊迫したシーンなどが楽しめた。


 

[]「AKIRA 4」 大友克洋:著 「AKIRA 4」 大友克洋:著を含むブックマーク

 感想は、全巻を読んでから。


 

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■ 2014-03-21(Fri)

 きのうの雨もやみ、空は澄んだ晴天なのだけれども、風は強かった。
 薬を替えた。すぐにその効果が出るとも思っていなかったけれども、ずいぶんと気分は良くなったような気がする。きのうまでのダウナーな気分ではないだろう。やはり薬のせいだったかと思うと、これまで一ヶ月もあれらの薬を服用しつづけていたことが、いったい何だったのかということになる。けっこうな金を払って薬を買い、そのおかげで圧倒的な「うつ」状態におとしめられていた。どうしてくれるんだ、という気分にもなる。まるで望みもしないのに、ダウナーな逆「覚せい剤」を処方されていたみたいな。ほんとうはもう、心療内科の方の通院はやめたいところなのだけれども。

 いくらかは本も読めるようになった気もして、プルーストも数ページは読んだり、その他あたりにあった本とか、目を通してみる感じで開いてみたりする。最悪だったおとといなんかよりはいい感じだけれども、まだもうちょっと、という感覚はあるだろうか。とにかくは本の読めない生活なんて、わたしには暗黒の生活になってしまう。映画などを観るのは平気だろうけれども、きのう、そしてきょうと、ヴィデオとかを観る気にはならなかった。わたしの本格的な「再生」はまだ、もうちょっと先になるのか。


 

[]「AKIRA 3」 大友克洋:著 「AKIRA 3」 大友克洋:著を含むブックマーク

 感想は、全巻を読んでから。


 

いちブログ読者いちブログ読者 2014/03/22 07:25 こんにちは。
私も一年ほど前から心療内科に通っていますが、状態が安定するまで何度も薬を変えて、大変な思いをしました。
とくに抗うつ薬などは本当に合う、合わないがあるので大変ですよね。
ところで、自立支援制度は利用されていますか?これを使うと、治療費の自己負担額が大分変るので、まだ利用されてなければ申請されてみるのも良いかと思います。薬代もばかになりませんし。
病院によって教えてくれないところもあるみたいなので、いちおう。もしすでにご存じでしたらスミマセン。
よくブログ拝読しています、お体ご自愛ください。

crosstalkcrosstalk 2014/03/22 07:34 ありがとうございます。コメント、感謝いたします。やはり、患者それぞれの体質や症状に合わせた薬の処方というのは難しいのでしょう。
「自立支援制度」のこと、聞いたことはあったのですが、すっかり忘れてしまっていました。ありがとうございます。こんど申請してみようと思います。はやく心身ともに健康に戻れるよう、ちょっとがんばってみます。

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■ 2014-03-20(Thu)

 朝、しごとをしているときから雨が降りだした。雨はそのあと、いちにち降りつづいた。しごとを終えたあと、通院している心療内科へ行き、げんざいの状態を告げて薬を替えてもらう。二種類の薬の一方をよわいものに変更し、一方はそのまま。ここにもうひとつ、あたらしい薬が増やされた。これで、内科で処方されている薬とあわせて、七種類の薬をまいにち飲むことになるわけだ。なんだか、服用している薬の数ばかりが増えてしまう。
 その、残り四種類の薬を処方されている内科医にも出かけ、いつも通りの診察を受け、いつも通りの四種類の薬を処方された。要注意事項として、血液中の白血球の数がすこし多すぎるということで、血液の再検査をおこなった。

 内科医の帰り道にスーパーがあるので買い物をして、キャベツが安かったのを買って帰る。帰宅して、キャベツをしまおうとしているとニェネントが寄ってきて、キャベツの葉にかみついてくる。「ネコ草」ではないけれども、ひょっとしたらニェネント、キャベツを食べるのかもしれないな、などと思い、いちばん外のキャベツの葉を一枚、ニェネントのお皿のそばに置いてあげておくことにした。
 ニェネントが、なんだかいつもよりわたしにかまってくる。また「発情期」かとしんぱいしたけれども、どうもそういうわけでもないような気配。ひょっとしたらわたしが「うつ」でダウナーな状態なので、ニェネントの方でしんぱいして、わたしにかまってくれているのかもしれない。そんな気がした。

 夕方はテレビで相撲をみた。「大砂嵐」というしこ名の力士がいて、これはエジプト出身の力士らしい。どうしても映画の「大砂塵」を思い浮かべてしまうのだけれども、そのニコラス・レイの映画がどんなのだったか、まるで思い出せはしない。とにかくは主題歌の「ジャニー・ギター」がまた聴きたくなってしまう。
 夕食のあと、あたらしい処方の薬を飲んだ。これで、とにかくは元気になれるといい(ほんとうは、心療内科の方で処方される薬なんて、いらないのではないのか)。


  

[]「AKIRA 2」 大友克洋:著 「AKIRA 2」 大友克洋:著を含むブックマーク

 感想は、全巻を読んでから書くけれども、2020年が東京オリンピックという設定は、このいまの現実とシンクロしている。


 

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■ 2014-03-19(Wed)

 状態が良くない。ひとことでいえば「うつ」ということになるだろう。これは「うつ」ということとは違うけれども、本も読めなくなった。活字がすきまなく並んでいると、もうそれだけで拒否反応が出てしまう。プルーストも、なんとか読みつづけようとしてみたけれども、まるでその内容がつかめないというか、内容があたまを素通りしてしまう。それではと別の本を読もうとしたけれども、図書館から借りている「富士日記」もだめ。すべての本がだめなのだろうかと、書棚からいろいろと本を取り出してめくってみる。‥‥意外と、柳田國男がOKだったりして、しばらく読んでみたりする。これもとちゅうでちょっとあやしくなってしまい、「それではマンガだな」と、大友克洋に挑戦した。もちろんマンガはだいじょうぶで、「AKIRA」第一巻を読了。

 しかし、この状態はなんとかしなければならない。わたしには、これは心療内科で処方されている薬のせいではないのか、と思ってしまうところがある。とにかくこんなにひどい「うつ」状態はいままでに体験したことはないし、それはその内服薬を服用しはじめてからのことなのだから。

 とにかく、早急にまた心療内科へ行き、症状を伝えなければならないだろう。薬はもうやめたい。


 

[]「エッセンシャル・キリング」(2010) イエジー・スコリモフスキ:監督 「エッセンシャル・キリング」(2010)   イエジー・スコリモフスキ:監督を含むブックマーク

 撮影の美しい作品だった。


 

[]「AKIRA 1」 大友克洋:著 「AKIRA 1」 大友克洋:著を含むブックマーク

 感想は、全巻を読んでから。


 

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■ 2014-03-18(Tue)

 片目だけ近視の度が進み悪化していて、もう片目の方は老眼である。非常にバランスがわるい。近視の方は早くめがねを購入するしかないのだけれども、そのときに遠近両用にした方がいいのかどうなのか。老眼の矯正には近視用とは別に、それ用のめがねをつくるべきなのか、わからないところがある。近視用のめがねをつくるときに相談すべきだろうけれども、とりあえずの対策として虫めがねを買うことにした。ホームセンターで三百円ほどのものを売っていたのを買う。これで本を読んでみて、ちょっと小さすぎる感覚はあるし、倍率(度)も強すぎる気がした。しかし、ホームセンターにはこの種類しか置いていなかったからしかたがない。

 午後から、北のスーパーのとなりの百円ショップに行ってみた。虫めがねが置いてあるかどうかはわからない。ホームセンターでは三百円なんだから、百円ショップの商品にはなり得ないところだろうか。
 ところがこれがちゃんと在庫されていた。しかも三種類ぐらい。かなり大きなものから、折りたためるものまである。さいしょから百円ショップで探せばよかった。考えて、大きいものは重たそうなので、中間の大きさのものにした。帰宅して試してみたけれど、かなり具合はよさそう。‥‥ホームセンターで買ったものは、わずか二時間ほどで無用のものになってしまった。

 来週はダンスの公演にふたつほど出かける予定にしていたけれども、考えて、ひとつは行くのをやめようかという気もちになっている。来週以降はほかにも写真展や美術展を観に行く予定もあるわけだし、身体的にも経済的にも、ちょっとハードスケジュールという感じはしていた。三月という月はいつも毎年、ダンスの公演が多い月ではある。もうちょっとばらけさせてやってくれるといいけれど、そのあたりはあれこれと理由もありそうである。


 

[]「新仁義なき戦い」(1974) 深作欣二:監督 「新仁義なき戦い」(1974)   深作欣二:監督を含むブックマーク

 つまりはこれは第一作「仁義なき戦い」のリメイク。しかしながら脚本は笠原和夫氏ではないし、あのエレキギターの音楽も聴かれない。やはり前作のうねるような群像劇よりはすっきりしてしまった感覚で、あらためて笠原和夫氏の脚本のすばらしさを確認することになっただろうか。もういちど、「仁義なき戦い」を観たくなった。


 

[]「植物はヒトを操る」 いとうせいこう × 竹下大学:著 「植物はヒトを操る」 いとうせいこう × 竹下大学:著を含むブックマーク

 読書力のチェックのつもりで、軽く読めそうな本をえらんでみたのがこの本。対談である。竹下大学という方、植物の育種家という職業の方で、つまりは植物のブリーダー。ふたりで植物の世界の神秘を語り、ヒトがいかに植物のブリーディングをやってきたのか、という歴史のなかから、じつは植物の方がヒトをあやつり、植物の世界の発展、発達の手助けをさせているのではないかという視点を示したりする。そこに植物とからんだ日本人の死生観なども語られるし、植物の世界での「オス」の存在の意味(または無意味)も語られる。とにかくはぐんぐんと読み進むことができたわけで、自分の、活字とのかんけいでの不安感も吹き飛ばすことができた。楽しい本だった。


 

[]第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵺 (3) 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵺 (3)を含むブックマーク

 ここでようやく、ロベール・ド・サン=ルー氏の登場で、すぐに遅れて、これまで名まえだけはなんども聞かされていたブロック氏も、いっしょに本格的に参入してくる。そんなところ。


 

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■ 2014-03-17(Mon)

 きょう、三月十七日というのは、わたしにとって、二つの記念日である。しかもそれが今年はそれぞれが十周年、二十周年という年にあたっているわけでもある。何かお祝いをしなくてはという気分にもなったけれども、特にそういうことはやらなかった。

 記念日のひとつは、十年前のこの日、この、ここのブログを書きはじめたということ。当時はメインで書いていたのは他のブログで、この「はてなダイアリー」の方は「避難所」というのか、とにかくは「サブ」的な意味合いで書きはじめていた記憶はある。それがいつかこのブログをメインにするようになり、かならず毎日更新するようにもしてしまった。
 もう十年になるのだなあ、という感慨はあるけれども、別のブログはもっと古くから書いていた。そのブログを書きはじめたのはいつのことなのか、いちばん古くに書いていたブログはもう消えてしまっているようで、わからなくなってしまった。そのことはとても残念ではある。

 もうひとつの記念日。二十年前の今日、わたしは、ある人物と、あるところで出会ったわけである。その人物は今でもなお、わたしの大切な友人でありつづけてくれている。わたしはその後、あれこれとアートイヴェントなどを主宰して活動するようになったわけだけれども、その背景にはその人物との出会い、ということがあったからこそ、そういう活動に踏みきる、思いきりのようなものを得ることが出来たのではないかと思っている。

 図らずもこのふたつのことがらが、十年の時をおいて同じ日にスタートしているというのも奇縁というのか、きょうはそのそれぞれの1 Decade, 2 Decades の記念日になったわけ。そういう記念すべき日にまた、なにか記念となるにふさわしいことをはじめてみたいと思うのも当然で、秘密ではあるけれども、きょう、そのことをはじめさせていただいた。おかげで、気分もどこかポジティヴな気分になれていたかもしれない。とにかくは、どのことがら、どの関係も持続させて行きたい。


 

[]「朱雀門」(1957) 森一生:監督 「朱雀門」(1957)   森一生:監督を含むブックマーク

 原作は川口松太郎の「皇女和の宮」で、市川雷蔵演じる有栖川宮をめぐって、和の宮(若尾文子)とその侍女の夕秀(山本富士子)とで、幕末の緊迫した状況を背景としての三角関係ドラマ、といっていいのか。そういうメロドラマ的な物語を、意外なことに森一生が演出している。そして撮影が宮川一夫で、クレーン撮影など、溝口監督のもとでもみせてくれていた美しい映像を、ここではカラーでみせてくれている。この色彩美はこころにとどめるに足る美しさではあった。

 主演の三人のなかでは、山本富士子演じる夕秀が、ほぼ主役といえるフィーチャーのされ方で、親の代からの因縁もあるのだけれども、みずから運命を変えていこうという、強い女性の姿をみせてくれるわけでもある。
 そんな山本富士子の存在がなければ、市川雷蔵にしても若尾文子にしてもただ美しくかわいいだけというか、そのまま運命に身をまかせて行く姿は、その容姿とあいまってまるで平安朝の優美な作品をみせられているような気分になる。いや、この世界、この時代は、すべての価値観が転換しようとした幕末という時代なのだ、ということを観客に納得させるのは、まさに山本富士子の熱演によるものではないだろうか。


 

[]第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵺 (2) 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵺 (2)を含むブックマーク

 主人公もハイティーン。その年齢にふさわしくも、性的な記述がまた増えて来ている。第二巻あたりを読んでいたときだったか、この作品はそういう性的な事象についてはアンタッチャブルで通すのではないのか、との危惧を抱いたりしたわけだったけれども、それは主人公の年齢に付随したこととして、あえてそっちの方にはもって行かなかったわけだろう。この作品、書き手の立ち位置と、作品中での主人公の立ち位置との差異、というものが面白いとは思っていたところはあったけれども、こういうところでは、書き手の意識と書かれている主人公の成熟度はシンクロしているわけだった。


 

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■ 2014-03-16(Sun)

 ようやく、春が来たという感覚。しごとも休みだし、今日も出かけたい気分になる。

 午前中は「仁義なき戦い」の完結篇などを観て、午後から近所を散歩してみることにした。これならむだづかいもしないで経済的。西の方へ歩き、このところまるで行かなくなったレンタルDVDの店まで行ってみることにした。ただどんな在庫があるのかチェックするだけで、借りるつもりはない。
 歩いていて思ったのだけれども、このところ、たいていは家の周囲せいぜい五分ぐらいのところを歩いているだけで、歩き不足というか、つまりは運動不足になっている気配がある。歩いていて疲れるというのではないけれども、なんだか、歩く姿勢が悪いんじゃないかという気がしてしかたがない。もっとしゃんとした姿勢で、これからはもうちょっとこのあたりを歩き回るようにした方がいいように思う。DVDを定期的に借りるのもいいかもしれない。

 十五分か二十分ぐらい歩いて、レンタルDVD店に到着して、店内をみてまわる。わかったのは、やはりわたしの視力が落ちているということでしかない。とにかくDVDケースに書かれている文字が、かなり近寄らないと読み取れない。やはり、まずはいちばんに、あたらしいメガネを購入することを考えた方がいいだろうと思う。
 そういうわけで、あまり在庫のチェックも出来ないまま店を出る。帰り道はちがう経路から、ローカル線沿いの田舎道を歩いてみた。ウチから十五分ほどのところに、もうこんな田舎の風景が拡がっていたわけだ。

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 帰路はかなり遠回りになってしまい、帰路だけで三十分ぐらい歩いただろうか。運動というほどのことをやったわけではないけれども、多少なりとも運動不足も解消されたのではないだろうか。歩いてみて面白い風景を探して、また散歩をやってみよう。

 いちど帰宅して、図書館へ行ってみたい気分になり、何冊か本を借りて来た。武田百合子の「富士日記」などなど。「富士日記」を読むのを難儀するようだと、これは相当に活字嫌悪も重症だと思う。そうでなければいい。


 

[]「仁義なき戦い 完結篇」(1974) 深作欣二:監督 「仁義なき戦い 完結篇」(1974)   深作欣二:監督を含むブックマーク

 「完結篇」といえば「完結篇」なのだろうけれども、いちどは前作の「頂上作戦」で終わっちゃってるところもあるわけで、「その後の<仁義なき戦い>」という空気感はある。同時にオンエアされていた予告篇では、菅原文太が銃をぶっ放すシーンがみられて期待したのだけれども、やはり本編にはそういうシーンはありまっせんでした。

 脚本が笠原和夫氏から高田宏治氏に替わったせいなのか、どこかすっきりと見通しのいい群像劇にはなっているような気がして、これまでの、うねるようなぐったぐたの群像劇、というのとはテイストが違っていた気がする。


 

[]第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵺 (1) 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵺 (1)を含むブックマーク

 主人公というか、書き手による人物観察の続き。正直書いて、このあたりはたいくつで、これが世紀の傑作小説なのかと思わないわけでもないし、とばしてしまいたい誘惑に駆られもしてしまう。通俗な読者としては、はやく物語が動き出してほしい、と思ったりしてしまうのであった。


 

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■ 2014-03-15(Sat)

 いい天気、快晴の暖かい一日、だった。しごとをしているときにも気もちよく、こんな日は部屋にこもっていたくないものだと思うことになる。あしたはしごとも非番だし、気分転換のためにも、やはりどこかへ出かけてみることにする。
 東京まで行ってもいいのだけれども、それにはちょっと財布の中身もとぼしい。どうせ来週以降は何度か上京する予定にもなっているし、きょうはローカル線のターミナル駅のシネコンで、映画を観ることにした。なんだか、このせっかくの好天に、映画館の暗やみにもぐりこむのでは、まるで意味がないような気もするけれども、わたしはアウトドアなキャラクターではないのでしかたがない。
 ちょうどターミナル駅のシネコンでは、演劇集団の五反田団を主宰する前田司郎氏の初監督作品、「ジ、エクストリーム、スキヤキ」というのをきょうから上映しているので、これを観ることに決める。出かけるのは午後からでいいだろう。
 昼食をまたカレーライスですませ、ローカル線の時間に合わせて家を出る。おるすばんのニェネントには、「お願いね」ということで、生卵の黄身をお皿に出してあげる。

 駅に着き、電車を待っていると、どうもいつもと様子がちがう。ホームで電車を待っている人の数が少ないし、掲示板には三十分も先に来る電車の情報が出ている。いつもなら電車の来るはずの時間なのにおかしいと思い、改札口にもどって駅員に聞いてみる。答え:きょう、三月十五日からダイヤが変更され、このローカル線の発着時間は大幅に変わってしまったということ。駅員さんも「いやあ、まいりましたよ」みたいな反応だし、切符売り場では、何人かの人が掲示されているあたらしい時刻表をみつめていたり、写メールしていたりする。
 もともと本数の極端に少ないローカル線ではあり、にっちゅうは一時間に一本という路線は変わらないわけだけれども、いままでとほぼ三十分、じかんがずれてしまったことがわかった。それはそれでしかたがないのだけれども、ターミナル駅で東京方面への乗り換えがスムースに行けばそれでいい。ところがこれが、そういうわけにも行かない気配がある。‥‥まあそのことは置いておいて、きょうはターミナル駅で下車してしまうわけだからいい。このことはあとで考えよう。

 三十分も駅のホームで電車を待つのは耐えられないし、どうせ駅からわたしの部屋までは歩いて五分。いちど帰宅して、部屋で休んで出直すことにする。ニェネントくん、戻って来ちゃったよ、みたいな感じ。コーヒーとかを飲んでじかんをつぶす。

 出直して、ターミナル駅へ到着。上映時間が近くなるまでは、本屋などでじかんをつぶす。シネコンへ行ってみると、わたしの観る映画の観客はどうやらわたし独り、の気配。‥‥このシネコンではいままでに二、三度こういう体験はあっただろうか。とにかくは、わたしひとりのための巨大映写室、という感覚。ぜいたくといえばぜいたくだろうか。
 昨夜がちょっと寝不足で心配もあったのだけれども、なんとか爆睡せずに乗り切った。前半は笑えるシーンも続出で、誰もいない映画館のなか、ひとりで大声で笑っていたりもした。

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 映画が終わり、ちょうどすぐに帰りの電車もあったので、直帰する。外はまだ日の入り直後で、夕焼けが美しかったし、その反対側の暗くなった空には、まんまるい月が大きく黄色くひかってもいた。そんなのをみながら、気分よく帰宅した。やはりきょうは、出かけてよかった。

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[]「ジ、エクストリーム、スキヤキ」前田司郎:脚本・監督 「ジ、エクストリーム、スキヤキ」前田司郎:脚本・監督を含むブックマーク

 もうずいぶんと「五反田団」の舞台も観ていないけれども、この脱力感はやっぱり五反田団のモノというか、ちょっとなつかしい気分だった。楽しんで観た。

 主な出演者は四人の男女で、これが組み合わせを替えながら、ふたり、三人、そして四人の対話の面白さでみせていくというか、かなり「漫才/コント」的なところの作品といえばいいのか、基本は映像で引っぱっていくタイプの作品ではないけれど、そういう場面でも、かなりの長回しで処理してみたり、オーソドックスな切り返しで処理してみたりと、演出での工夫、試みというものは感じられた。

 意外とストレートなメッセージの込められていた作品という印象もあり、前田司郎ってそんな人だっけ、ということにもなるのだけれども、わたしは小説も書くようになった前田司郎氏の、その変貌というのか、そのあたりのことは不案内でわからない。


 

[]第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵯 (10) 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵯 (10)を含むブックマーク

 バルベックのホテルでの主人公と祖母、そしてフランソワーズの三人。主人公はほかの宿泊客を観察するわけである。三冊目、読了。


 

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■ 2014-03-14(Fri)

 きょうはしごとがちょっとハードだった。もともと荷物の量も多かった上に、わたしらの部署への荷の遅配、誤配がかさなり、定時を超過するまでびっしりとはたらいてしまった。こうなってしまうと逆に、きのう書いたような「わたしひとりで処理しきれるのか」などという心労におそわれることもなく、ただひたすら、目のまえのしごとに没頭するしかない。つまり、このくらい多忙な方が、今のわたしの精神状態にはプラスなんだろうと思った。ただ、しごとを終えて帰宅したあと、きょうは一歩も外へ出ない引きこもりぶりだった。

 発情期の終わったニェネントは元気。わたしの目のまえに綿棒があったので、これをニェネントのそばに放ってやると、しばらくはその綿棒に夢中になって遊んでいる。放り出した綿棒を無視するように部屋のすみまで行き、そこから振り返って、猛ダッシュで綿棒にアタックする。綿棒をくわえて放り上げ、落下して来た綿棒にまたアタックする。それでまた部屋のすみに移動して振り返り、アタックをくり返す。これをほんとうに綿棒を見失ってしまうまでやっている。かわいいし、ワイルドでもある。そういうニェネントの勇姿(?)をみるのは楽しいことである。

 午前中は黒澤明監督の初期の作品を観て、きょうは活字というものへの違和感がさほどなかったというのか、午後はけっこう読書がはかどった。


 

[]「素晴らしき日曜日」(1947) 黒澤明:監督 「素晴らしき日曜日」(1947)   黒澤明:監督を含むブックマーク

 撮影はもう中井朝一になっていて、冒頭の駅のシーンなど、さすがという絵をみせてくれる。しかし、これもまた観念的な作品という印象がつよく、違和感がないわけではない。映画そのものとは関係ないかもしれないけれども、主人公二人が持っている手持金が35円なのだけれども、音楽会の入場料がB席で10円、なのに商店街の饅頭もまた一個10円。主人公のふたりは婚約しているようだけれども、ふたりの新居をさがしてもいる。それで行ってみる賃貸アパート(陽が当たらないボロアパート)の家賃と、彼らの収入とのバランスもおかしいと思う。じっさいに、終戦後しばらくの混乱のなかではこういう状態だったのだろうか。

 黒澤明監督にはめずらしい青春映画でありえたはずだし、そういう認識もあるのかもしれないけれども、どうも社会派みたいな演出になってしまうわけで、それでさっきのように金銭レートが気になってしまったりもする。ラストもただ「夢みてるだけ」みたいなところがあり、それって冒頭で男が否定したところのことではないのか。100分かけてどうどうめぐりになっているわけか、などとは思ってしまう。


 

[]第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵯 (9) 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵯 (9)を含むブックマーク

 「スワン夫人をめぐって」の部は読了し、第二部の「土地の名・土地」を読みはじめる。前の「スワン夫人をめぐって」から二年の歳月が過ぎたということだから、主人公はもうハイティーンになっているわけだろう。主人公は祖母とともにバルベックへ行くわけだけれども、ここでもまだ主人公は「ママン」との別れが切なくってしかたがない。いったいこの主人公、いつになったら乳ばなれできるんだろうと心配になってしまうけれど、つまりは「反抗期」というものを経験しなかったということなんだろう。そのことは彼のこののちの人生にどんな影響を与えちゃうんだろうか、気にはなるところではある。


 

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■ 2014-03-13(Thu)

 これからの予定を考えていたら、この月末になってあれこれと出かけてみたいイヴェントが多い。もう同じ週にふたつのイヴェントの予約もしてしまったし、その前後にもありそうな気配。まあ今はちょっと引きこもり気味で、塞いでいるところもあるから、そうやって出かけていろんなものを観て、それでいろんな人に会えれば、もっと気分も明るくなるのではないかと思う。
 今、心療内科から処方されている内服薬は「抗うつ剤」も含まれているはずなのだけれども、このところの気分はかつてないほどの「うつ」だろうと思う。しごとをしていても、目のまえにある処理しなければならない荷物をながめて、「こんなにわたし一人で処理しきれるわけがないではないか」と、暗うつな気分になったりする。じっさいのところは大した分量でもないにもかかわらず。‥‥もちろん、部屋にひとりでいるときも状態は良くない。ほんとうに「抗うつ剤」を飲んでるんだろうか、ぎゃくに「<促>うつ剤」なのではないかと、と疑問に思ってしまうところがある。‥‥たしかにさいしょの頃はポジティヴな気分になれた記憶はあるのだけれども、わたしのなかで、この「抗うつ剤」への免疫でも出来てしまったのだろうか。
 こういうときに、ニェネントがいてくれるのはやはりうれしく、ニェネントの姿をみて、「いっしょにやっていかなくっちゃ」と気もちを盛り上げることができる。きょうもかわいいニェネントである。そんなニェネントの助けを借りて、「うつ」な気分を克服したい。

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 きょうの天気予報は午後から雨。早めに買い物に出て、あとはまた一歩も外に出ないで過ごした。桜とか咲く季節になれば、もっと気分も爽快になるのかもしれない。今年は寒かったように思えるし、開花まであと一ヶ月ぐらい、だろうか。

 夕食にはまたカレーをつくった。今回は残っていた二種類のカレールーをいっしょにして、そこにカレーパウダーをプラスしてみたけれど、その二種類のルー、それとカレーパウダーとがお互いに味を相殺し合ったようなところもあり、あんまりいい出来ではないような。大量につくったので、四、五日はカレーがつづきそうな気配。


 

[]「波止場」(1954) エリア・カザン:監督 「波止場」(1954)   エリア・カザン:監督を含むブックマーク

 すべて観念でつくられているようで、あまり好きな作品ではない。小道具にあれこれ象徴性を持たせるのもちょっと露骨な気がするし、編集のつなぎでテンションに差異があるシーン、音楽がミスマッチなシーンなどもある。おそらくは演出のなかで、もうちょっとハードな展開(「仁義なき戦い」みたいな?)を持たせようとしていたんじゃないだろうか。


 

[]第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵯 (8) 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵯 (8)を含むブックマーク

 もうちょっとで、「スワン夫人をめぐって」の部はおしまい。また、主人公がジルベルトともう会わないと決めるいきさつが語られる。こういう論理展開というものは日本の小説ではみられないというか、ここにプルーストの独創性もあるのかもしれないけれども、つまりはひねくれた(自分が傷つきたくないだけの)プラトニック・ラブなんじゃないかと思ったりもする。
 主人公は親にもらった骨董の花壷を高値で売却し、その金で娼婦を買ったりするわけだから、もうミドルティーンというよりはハイティーンになっているんだろう。十七歳ぐらい? 思っていたよりも年長さんになっていたわけだけれども、それでもやはり、ここでの十七歳の恋愛観の披露は、わたしにはちょっとつらいところがある。


 

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■ 2014-03-12(Wed)

 ニェネントの、今回の発情期がようやく終わったみたい。おそらく平常にもどったニェネントは、きのうまでのように「どうにかしてよ!」とすりよってくるのではなく、「遊ぼうよ!」というスタンスで近づいてきていると思う。それでわたしもしばらくはニェネントとのスキンシップの感触を忘れていたところもあるし、ひとしきりニェネントと遊んでからニェネントを抱き上げ、その鼻のあたまを舐めてやったり、ほおずりをしたりしてしまう。
 もんだいは、この次の発情期がどのくらいの間隔でやってくるかということで、もしもまたみじかい周期だったりすると、それは排卵がうまくいっていないということになる。そのときには、動物病院へ連れて行かなくてはならないだろうと思う。そうならないように祈る思いである。

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 きょうは天気予報では四月の暖かさになるといっていたけれど、しごとのときはやはり寒かったし、そのあとは部屋にこもって外出しなかったので、あまりその暖かさは実感できなかった。「仁義なき戦い」の第四作を観て、あとはプルーストを読んですごしたけれども、きのうのようには集中して読むこともできなかった。昼食はインスタントラーメンですませたし、夕食もきのうの残りのご飯で、レトルトパックのドライカレーにしてすませた。‥‥このドライカレー、まるでおいしいものではなかったので、残した半分は捨ててしまった。DVDのダビングにも失敗したりして、きのうとはちがって、なんともネガティヴないちにちになってしまった気分はある。


 

[]「仁義なき戦い 頂上作戦」(1974) 笠原和夫:脚本 深作欣二:監督 「仁義なき戦い 頂上作戦」(1974)   笠原和夫:脚本 深作欣二:監督を含むブックマーク

 ほんとうはこの第四作で完結ということだったらしく、笠原和夫氏の脚本になるものはこれでおしまい。いままであまりフィーチャーされなかった印象のある警察がようやくガンガン動いているところをみせてくれるし、新聞社も社内での「反暴力団」ミーティングのシーンがある。一方の「主役」の暴力団側も、第二作のように誰かの行動が前面にフィーチャーされるというわけでもなく、まさに「群像劇」というところを堪能させてくれる。ラストは「ああ、けっきょく、こういうふうに終わるわけだよねえ」という、いっしゅ脱力感のようなものも味わうことになったけれども、そのあたりに、このあとに「完結篇」をもうひとつつくってしまう原因もあったのかもしれない。わたしはこのエンディングが好きだけれども。


 

[]第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵯 (7) 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵯 (7)を含むブックマーク

 主人公はジルベルトと別れる(もう会わない)ことを決めるみたいである。その理由がいろいろと説明されているのだけれども、どうもいまいちよくわからない。そもそもがキスさえしたことがないだろうに、それで「もうこれでいい」というのがわからないわけだけれども、そこはミドルティーンの考えることと、割り切って読んであげないといけないのかなあ。
 主人公はそのジルベルトがいないのを承知で、また、いない日を選んで、スワン夫人に会いに行ったりするようになるわけだ。


 

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■ 2014-03-11(Tue)

 ニェネントは、スプレーがきらいである。理由は充分に察しがつくけれども、「シュー!」という音とともに、たいていは強烈な匂いにあたりが包まれてしまう。嗅覚のにぶい人間だって圧倒されることが多いのだから、ネコの嗅覚にとってはもっともっと暴力的な作用をおよぼすことだろうと思う。もちろん、この室内でわたしがそういうスプレー(殺虫スプレーだったり防臭スプレーだったりいろいろだけれども)を使うと、ニェネントは即座に出来るだけ遠くへ避難してしまうわけである。それがきのう、わたしがそういうスプレーを手にしたとたんに、それをみていたニェネントが逃げて行ってしまった。どうなんだろう。スプレーを持ち上げたときに、そのパッケージについていた匂いがニェネントに感じ取られたのか、それとも、スプレー缶のその円筒の形体をみたときに「これはヤバい」と思って逃げたのか。後者だとすると、ニェネントには記憶力(これはまちがいなく普段も活用している)も連想力(円筒形からその作用を連想するわけだ)もふんだんに活用できるということになり、なかなかに「かしこいネコ」という印象にはなる。‥‥それは、買いかぶりすぎなんだろうか。

 今朝は三時に目が覚めた。また早くに目覚めることになってしまった。しごとは五時から。その二時間ほどの時間を、この日記を書くことに使ったりする。

 きょうも晴天で、日ざしはあたたかい。しかしわたしに出かけたりする予定があるわけでもなく、ただちょっとだけ買い物に出かけるだけの外出しかしない。きょうは、ニェネントのネコ缶をまとめ買いした。

 午前中はきのうのようにYouTube から古い映画を選んで観たりして、昼食はインスタントのうどん。そのあたりまでは部屋にいても何をする気にもならず、どちらかといえばダウナーな気分ではあった。それが午後から録画してあった「パンズ・ラビリンス」を観て、けっこう元気になったような気がする。きょうは目の調子もいいようで、ずらりと活字が並んでいるのをみても、あんまり嫌な気にはならない。ぼやけて見える度合いも低いようで、それなりに読書も進んだような気がする。寝るまえには、柄谷行人なんかまでちょこっと読んでしまった。この調子があした以降もつづくといい。


 

[]「浮草物語」(1934) 小津安二郎:監督 「浮草物語」(1934)   小津安二郎:監督を含むブックマーク

 もともとはトーキーとして製作された作品らしいけれど、げんざい残っているのはサイレント版。わたしはYouTube で、海外の方がアップされているヴァージョンでこれを観たのだけれども、サイレントこれ幸いとばかりに音声解説モード(英語版)になっていた。うるさいので音声をカットしての鑑賞。

 冒頭の、オブジェの流れのシーン、さすが小津監督の力量と圧倒させられるシーンがつづく。人物が登場しなくても、この映画がいまはじまるために、何かがスタートしはじめている。そこで観ている視覚が「映画」というもののなかに囚われてしまうような。

 ‥‥男の過去(の女性)があり、現在(の女性)がある。しかし男はどこかで責任は取れないと感じている。逃げようというのではなく、「ドサ回りの役者」であることへの卑下だろうか。しかし、愛人たちは彼の意識を承知し、承認している。息子にどう伝えるのか、息子にどうわかってもらえるか、このあたりに小津監督らしいテーマがあるんだろうか。やっぱり、いい作品だと思った。「浮草」。


 

[]「パンズ・ラビリンス」(2006) ギレルモ・デル・トロ:脚本・監督 「パンズ・ラビリンス」(2006)   ギレルモ・デル・トロ:脚本・監督を含むブックマーク

 むかし(公開当時)映画館で観た作品。例によって忘れてしまっていて、放映されていたのを録画しての再見。

 内戦下1944年のスペイン山地が舞台で、レジスタンスとフランコ将軍指揮下の軍隊との戦いの場に、ファンタジーに夢中な少女が入ってくる。このじっさいのレジスタンスの闘争と、少女のファンタジー下の使命遂行とが並行して語られることで、ファンタジーの位置関係を観客に伝える作品。とても感銘を受ける脚本で、そのラストにヒロインの体験する(聴かされる)結幕の二重性ということから、「無垢なものの命を助ける」というヒューマニズムを選ぶか、「与えられた使命」をただ選ぶか、ということを、命をかけてまでに決定する、決定しなければならない状況。一面で「政治」と「文学」とのかんけいを捉えた作品ということが出来る。すばらしい。


 

[]第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵯 (6) 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵯 (6)を含むブックマーク

 スワン家との交流のおかげでついに、主人公はあこがれの文士ベルゴットと会い、あれこれの会話をするまでになる。ベルゴットの容姿もベルゴットとの対話もどこか文士めいたところから距離があるのだけれども、主人公はそのことを納得して折り合いをつけるわけか。ちょっと前にノルポワとの対話でひっどいことをいわれている反動もあって、主人公は「コレよ!」ってな感じではいるわけだ。スワン家の人たちも、ベルゴットが主人公のことをほめていたことを主人公に伝えたりするものだから、主人公はよけいにベルゴット礼賛モードにはなるのかな。


 

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■ 2014-03-10(Mon)

 しごとは非番で休みで、ベッドで目が覚めて時計をみると五時をすぎていた。こんな時間まで眠っていたのはほんとうに久しぶりのことに思える。このごろはしごとがあってもなくっても三時までには目覚めてしまっていて、いくらなんでもそれは異様ではないのかと思っていた。しぜんと眠りにつくのもはやくなっていて、このところは七時にはもう寝てしまっていたような。つまり、「長いあいだ、私は早く寝るのだった(「失われた時を求めて」第一巻の書き出し)」ということだったわけ。まあ、きのうだって寝たのは八時なんだから、はやいということに変わりはないし、朝の五時になって起きたからといって「ゆっくりですね」などといわれることもありえないだろう。

 はやく起きているからといって特にやることもなく、だいたいはこの日記を書いてすごすことが多い。きょうもやはり日記を書いて、そのあとになってトーストで朝食をとる。きょうはそのあと、YouTube にアップされていた溝口健二の古い作品を観てすごして、「やはり溝口監督はすごい」と堪能した。午後にもう一本映画を観て、あとはときどきプルーストなどを読んだり、TVをみたりしてのいちにち。ただいつもより少しゆっくり起きただけのことで、このところの毎日と変わるところはない。

 もう三月も上旬は終わるわけだけれども、この月はまだどこに出かけたわけでもなく、誰に会ったわけでもない。月末にはひょっとしたら知人と会うかもしれないけれども、それ以外には特に人と会う予定もない。自分としては、ターミナル駅の映画館でやっている映画を観に出かけたいという予定と、東京で開催中の美術展でいくつか観たいものがある。東京に出たら下北沢にまわって、「G」にでも顔を出しておきたい。そんなざっとした予定だけ。やはり今の精神状態ではどこかに出て人に会い、いっしょに酒を飲んだりするのがいいような気がする。今月はいつもの顔ぶれと会う予定もないわけでもあるし、ふだん会わない人に連絡して、それで会って飲むのもいいんじゃないだろうか。まあ無理して飲まなくてもいいのだけれども歓談して。ちゃんと考えてみよう。


 

[]「瀧の白糸」(1933) 泉鏡花:原作 溝口健二:監督 「瀧の白糸」(1933)   泉鏡花:原作 溝口健二:監督を含むブックマーク

 サイレントで弁士付きの映像。そういう映画を観るのははじめてのことで、違和感を持つんじゃないかと思っていたけれども、あまり出しゃばらない弁士だったというのか、観ているうちに気にならなくなった。原作はずいぶん以前に読んだことのある「義血侠血」という作品だけれども、もちろんわたしはそのほとんどを忘れてしまっている。

 冒頭の、カメラが群衆をかき分けて小屋の前まで行き、そこで小屋を隔てる緞帳のような幕が上げられ、そこからまた上演中の舞台へとカメラがせまる。ここを観ただけで「さすがに溝口監督の演出」と感嘆する思い。そのあともずっと、その演出ぶりに感心しながら観ていた気がする。ラストの切り上げ方も粋だし、みごとな絵になっている。いい作品だと思う。


 

[]「ナイト&デイ」(2010) ジェームズ・マンゴールド:監督 「ナイト&デイ」(2010)   ジェームズ・マンゴールド:監督を含むブックマーク

 トム・クルーズとか、キャメロン・ディアスなどが出演。‥‥こういうハリウッド映画ってほとんど観ないのだけれども、けっこう楽しんで観た。こういうのもやはり、「巻き込まれ型アクション・コメディ」とかいうのかな、などと思ったりして、ヒッチコックにもそういうのがなかったかしらんと思い出そうとするけれども、わからない。「北北西に進路を取れ」だろうかなあ(コメディではないけれども)。その「北北西に進路を取れ」にしたって、ほとんど忘れてしまっているわけだし。南洋の小島からアルプス、そしてスペインの闘牛(?)まで、風景も楽しませていただきましたけど、その基本は漫才的な面白さの脚本にあるような。


 

[]第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵯 (5) 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵯 (5)を含むブックマーク

 主人公はついに、スワン家のひとびとといっしょに外出までするようになった。こういうのってどうなんだろう。当人はそこまでジルベルトとの仲が進展したという気もちなんだろうけれども、そういう関係を読むのもどこか居心地がわるいというか、そういうこともまたミドルティーンならではのことなのかもしれないと思う。
 じつはこのあたり、ミドルティーンの男女交際という、あんまり描かれることのない世界の描写として、「珍しいよね」みたいな気分で読んでいてかまわないんじゃないのだろうか。とにかくは大長編。これからもうちょっと年長さんになってのそういう交際とか、イヤというほど書かれることになるわけだろうし、ここの部分はまさにその導入部ということなんだろう。しかしまあ、「健全」といえばあまりに「健全」だろうか。


 

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■ 2014-03-09(Sun)

 どうやら昨夜はかなりストーリー性のある夢をみていたようで、ときどきフラッシュバックのようにその夢の断片が脳裏をかすめていく。ほんのわずかな部分でだけ、その夢の内容が再構成できたと思ったけれど、それはほんとうにわずかな断片でしかない。しかしその場面の視点がわたしからの視点であったことはわかったわけで、そのフラッシュバックのようなイメージがまさに「夢」の記憶から来るものだろう、という推測はついた。
 そういうフラッシュバックのようなイメージは、このところひんぱんにわたしのあたまを通りすぎていっていたわけではあって、イメージの源泉が「夢」にあるのは当然のことだろう、とは考えてはいたけれども、あまりにイメージが断片的すぎると、それが「夢」ともいえないような、奇妙な感覚をあたえられることになってはいたし、そのことを何らかの障害のあらわれではないかとも思っていたわけではある。こうやって、そのことを「夢」と認識できるだけでも、わたしは快方に向かっているんじゃないかと思う。そうであってほしい。

 ニェネントはまだ「サカリノさん(発情期)」がつづいている。ひょっとしたら単純な発情期の再来ではすまされないことなのかもしれないと先日わかったわけで、心配ではあるし、今回のこの発情期が終わり、それで次の発情期までの周期がどのくらいになるのかわかるまで、この心配はつづくことになるだろう。どうか何ごともなく健康であってほしい。

 きょうは日曜で、しごとも大した量でもなかった。しかしこのところの寒さは尋常ではない。もう三月もそろそろ中旬だというのに、これは真冬の寒さだと思う。しごと量が少ないとそれだけ体も動かさず、それだけ寒さも身にしみて感じ取られることになる。まだまだこの寒さはつづくらしい。

 今日は録画した映画を二本観て、昼食はスパゲッティ、夕食はきのうの肉じゃがですませた。読んでいるプルースト以外にも何か並行して読んでみようかと、本棚をあさってみたけれども、どうもやはり活字というものが今はまさに「目の毒」のように感じられてしまう。ページに活字がぎっしり並んでいると逃げたくなるので、やはりここは詩集だとかそういうものがいいのかもしれない。先日ちょっと読んだ入澤康夫の「季節についての試論」に再挑戦し、きょうは多少は読み進んだ。それでもスローペース。いきなり現代詩というのも無茶だっただろう。


 

[]「仁義なき戦い 広島死闘篇」(1973) 笠原和夫:脚本 深作欣二:監督 「仁義なき戦い 広島死闘篇」(1973)   笠原和夫:脚本 深作欣二:監督を含むブックマーク

 第三作の「代理戦争」を先に観てしまった。ちょっと混乱。この第二作は「群像劇」というよりも、北大路欣也の演じる山中という人物にスポットをあてた作品という記憶、印象があったので順番を変えて観たのだけれども、やはり背景にはもちろん広島での抗争があるわけで、ちゃんと第一作と第三作の中間のシチュエーションではある。それでもやはりここでフィーチャーされているのはその山中と、もうひとり、千葉真一の演じる大友という人物ということにはなると思う。どちらも、組織の意向にしたがって動くというよりも一匹狼的というのか、かなり型破りな造形になっていると思う。
 やはりわたしは終盤の、北大路欣也が追われて自決するシーンにしびれるというか、このシーンは前に観たときから記憶に残っていた。


 

[]「ブリューゲルの動く絵」(2011) レフ・マイェフスキ:監督 「ブリューゲルの動く絵」(2011)   レフ・マイェフスキ:監督を含むブックマーク

 ポーランドとスウェーデンの合作作品。監督のレフ・マイェフスキという人は知らないけれども、ここでは脚本にも撮影にも、そして音楽にも彼の名まえが読みとれる。
 この邦題はどうしたって「ハウルの動く城」なんだけれども、原題は「The Mill and The Cross」で、つまりは「粉屋と十字架」というのか。‥‥たしかにこの原題では地味で、どんな映画かということがわかるというのでは邦題の方がわかる。つまりは、CGを駆使して、ペーテル・ブリューゲルの作品「十字架を担うキリスト」の世界を三次元化し、絵画の中の人物が動き出し、この絵画に描かれた世界の意味を伝えるものであるわけ。

 このようなかたちで、「寓意画」というものにこめられた寓意を説明してくれるのはおもしろい。この映画を観なければ原作(?)絵画作品の右側にあるものが「処刑台」だったことなどわからないだろうし、当時の農民の生活の延長にこの絵画を位置させるというのも、いい試みだと思う。映画としてのドラマ性にはいまいち乏しい気がしないでもないけれども‥‥。

 次回はぜひ、ボッシュの「悦楽の園」の三次元化にチャレンジ、してほしいものである。


 

[]第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵯 (4) 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵯 (4)を含むブックマーク

 主人公の体調は悪化し、自宅療養しているあいだにジルベルトからの手紙をもらったりする。ジルベルトの仲は進展し、回復した主人公はスワン家に行ってジルベルトと紅茶を飲んだりするようになった。スワン家の社交界での交流、交友関係が語られる。アルベルティーヌの名まえも出て来た。きょうはあらすじだけ。


 

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■ 2014-03-08(Sat)

 このあいだ、また「うつ」状態だということを書いたのだけれども、部屋のなかのとっちらかり具合が、その「うつ」状態を加速させている。いろんなモノがごちゃごちゃと床の上に投げ出されたままだし、収納する場所もみつけられないものが多い。どうしてこんなことになってしまったのかと思うけれど、とにかくはうんざりする。それでも、このところはなんとかそれを片づけようという気にはなっていて、それなりにモノを動かしたりはし始めている。そういうところではポジティヴになってきていると考え、それを投薬の効果と、とらえることもできるのかもしれない。うんざりする状態から脱しようという意欲をもつのはいいことだろう。
 ただ、その投薬の副作用なのかはわかっていないけれども、唾液の多くたまってしまうのには、またうんざりしてしまう。これがたまにくしゃみだとか咳だとかすると、その口中のつばが思いっきり飛び散る。きょうもノートパソコンに向かっていて咳をして、ディスプレイだとかキーボードの上に「びしゃっ」と飛び散ってしまった。ディスプレイは拭き取ればいいのだけれども、キーボードのキーのすきまに唾液が流れ込んだりしたら、故障の原因になってしまう。‥‥こちらのもんだいの方はただ「うんざり」するばかりで、ポジティヴにはなりようがないのが悲しい。かんけいないけれども、ニェネントの発情期がまだつづいていて、これにもうんざりはさせられてしまう。それでもやはり、ニェネントはかわいい。どこまでもかわいい。どうか健康に育っていって、いつまでもいつまでもわたしといっしょにいてほしい。ポジティヴに、そう願っている。

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 今日は線路の向こうのスーパーで特売。特売というか、千円(せいかくには1050円)の買いものごとに200円の金券をバックしてくれるというもの。金券はもちろんそのスーパーでしか使用できないけれど、実質ほとんど二割引セール。これは買わなくっちゃと踊らされてしまうわたしだが、そんなに買うひつようのあるものが多いわけでもない。よけいなものを買ってしまうことこそ「踊らされる」ということ。けっきょく、ちょうどなくなったシャンプーとリンスとか、それと保存の効くしょう油やマヨネーズなどなどを買って2100円をちょっと越え、400円分の金券をもらった。
 そのスーパーのなかを歩いていて、じぶんのことで気づいたことがある。それは、視力が落ちたということである。老眼が進んだのではなく、近視がひどくなっている印象。店内のディスプレイ文字が、ちょっと離れると読みづらいわけである。‥‥老眼の方だってそれなりに進行しているし、本を読むのにも負担があることは前に書いた。やはりいろいろ買いたいもの、買わなければならないものがあるなかで、優先順位としてはメガネがトップ、なのかもしれない。もうひとつ、早急に歯医者に行くひつようもあるだろう(せんじつ、冠がとれてしまっているのだ)。

 きょうは映画「第五福竜丸」を観たりして、夕食にはちょっとじかんをかけて「肉じゃが」などをつくってみた。前回とはまたちがうレシピで、ちょっと薄味になってしまった気配はある。だいぶ残ったので、あしたの夕食もまた「肉じゃが」になる。


 

[]「第五福竜丸」(1959) 新藤兼人:脚本・監督 「第五福竜丸」(1959)   新藤兼人:脚本・監督を含むブックマーク

 端正な、楷書体のペン習字のような演出と思った、などと書くとこの作品の意図から外れてしまうことになるのか、それでもたとえば冒頭の福竜丸の出港シーンの撮影、編集など、どうしてもそういう感想が浮かんでしまう。‥‥そういうのでいえば、きのう観た「ロボジー」など、かなり乱暴なくずし筆記体といえるんだろうか?(けっしてそれで「ロボジー」を貶めるような意図はなく、あれはあれ)

 おそらくまちがいなく当時の観客は、この第五福竜丸の事件の経過をすべて承知の上で映画館に向かっているわけで、それはラストの久保山氏(宇野重吉)の死までの展開を、観る前から知っているということでもあるだろう。それでも、そういう「記録」ということを越えて、「映画」としての魅力を期待してこそ、観客は映画館に足を運んだことだろう。演出姿勢としてドキュメンタリー・タッチにはなっているけれども、それでもやはり、今観ても、そういう「映画」としての魅力は持っている。そういう作品だと思った。

 もっと、「平和」への希求を大きな声で叫ぶような演出になるのかと思っていたけれども、淡々と事実とされたことを積み重ねていき、そこに船員やその家族らのやりとりをうまくはめ込んでいく脚本。特に、久保山氏の妻を演じる乙羽信子の、そのセリフがほとんどないことにも、ちょっとばかりおどろいてしまった。


 

[]第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵯 (3) 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵯 (3)を含むブックマーク

 この第二篇は、元大使のノルポワ氏の訪れた主人公宅での夜食会からはじまってるのだけれども、主人公はそのノルポワ氏に自分の小品を読んでもらい、感想を求めるわけだけれども、つまりはジルベルトとのかんけいを含んでスワン家への気もちまで読み取られ、その文学への情熱に冷や水をかけられるようなことを言われるわけでもある。イヤなおやじだねえ!

 さて、これからは主人公のことはミドルティーンとして読むことにして、作中の年もあらたまってまた主人公とジルベルトとの交流がはじまる。主人公はスワン氏に手紙を書いてジルベルトに託したりもする。その手紙をめぐって主人公はジルベルトと取っ組み合いをやるわけで、そこでついに「快楽」をもらしてしまう、との描写が出て来る。わたしはおととい、この作品ではセックスのもんだいには触れないで書かれているだろうと感想を書き、それで主人公の年齢がわからないとも書いたのだけれども、さっそくそんな読み方を否定されてしまった。‥‥失礼いたしましたぁ〜。


 

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■ 2014-03-07(Fri)

 今朝のしごと、ひとりが年休で休みをとっていたところに、もうひとりが休んでしまい、たいへんなことになってしまった。つまり、実質はわたしひとりである。別の部署からのヘルプをあおいだけれども、しごとの手順がわかるわけもなく、その場で誰にでもできるところをやってもらうだけ。それでもなんとか定時には終わったわけだから「ヘルプ」にはなったわけだろう。しかし、これでドッと疲れてしまった。

 疲れたというよりは、いつもとちがう「非日常」にとつぜんおそわれたという感覚がつよく、そのあと午前中は家にいてもなんだか落ちつかない気分だった。朝食はカップ麺などですませ、ちらかっていたリヴィングの片づけをはじめたりしたけれど、とちゅうでやめてしまったりする。
 それでもリヴィングは広くなったものだから、ニェネントがかけまわって遊びはじめたりする。片づけきれなかったところにころがっていた綿棒をみつけ、それを投げてはひろって遊んでいる。
 ニェネントはむかしからこの綿棒で遊ぶのが大好きで、前足と口を器用につかって綿棒をくわえ取り、あたまを振って綿棒を振り飛ばすわけである。これが上手にほぼ真上に放り上げる感じで、みていても感心してしまう。そうやって落ちた綿棒をさがし、同じことをくりかえす。しばらくは夢中でやっていた。もう発情期は終わったのだろうかと思ったけれども、そういうわけではなかった。

 午後からは録画してあった映画を観て、そのあとは買い物に出る。夕食の準備をするのもめんどうな気がして、コロッケなどと、安売りコーナーにあったキャベツとを買って帰る。キャベツは安いだけのことはあって、もうしなびかけていて、おいしいものではなかったけれど、久しぶりのコロッケというのはおいしく食べただろうか。

 食後は本棚から日本文学全集の端本、「現代詩集」の巻を選んで、開いてみたりする。いちばん最後に掲載されているのが、入澤康夫の「季節についての試論」だった。「へえ、めずらしいモノが選ばれているなあ」と思って、読もうとしたけれども、いきなり、プルーストどころではない長い長いセンテンスがはじまるわけで、数行読んだだけで意味を捉えるのに苦労し、つまりこの夜はここで挫折。また、七時には眠りについてしまった。


 

[]「ロボジー」(2012) 矢口史靖:脚本・監督 「ロボジー」(2012)   矢口史靖:脚本・監督を含むブックマーク

 矢口史靖の作品らしくかなりヒットした作品らしいけど、わたしには「それは設定に無理があるだろう」というところから抜けられず、あんまり楽しんで観たわけではない、というのが正直なところ。ロボットがいつも窓から落下してこわれてしまうのは楽しんだ、かな。

 しかし、以前の矢口史靖の作品でも思ったことだけれども、撮影や照明にあまりに無頓着なせいなのかどうか、画面がとっても汚く感じてしまう。いってみれば家庭用ヴィデオで撮られたアマチュアの映像を見せられている感覚がつきまとう。まあ、矢口史靖監督には、そういうアマチュア性というものがポイントなんだろうか、とも思うけれども。


 

[]第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵯 (2) 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵯 (2)を含むブックマーク

 今日はあまり読み進めなかったけれども、「スワンの恋」のつづきのところというか、スワンとオデットとの結婚までの(ふたりの心理的な)いきさつが語られたりもする。ここでジルベルトのことが十四、五歳(にみえる)と語られているわけで、そうすると主人公もそのくらいの年代なわけだろう。ようやっと得心したけれども、ふたりがシャンゼリゼで遊んだという「人取り遊び」というのはいったいどんなゲームなんだろうか。まあ、ミドルティーンでも夢中になれるゲームということだろうね。


 

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■ 2014-03-06(Thu)

f:id:crosstalk:20140306164937j:image:w240:right ニェネントの発情期の間隔がせばまっている件だけれども、しらべてみると、排卵がうまくいっていない可能性があるらしい。不妊手術をしていないネコにはこういうことがあるので、気をつけないと卵巣の病気に結びついてしまうこともあるという。知らなかった。‥‥なんとか排卵のための刺激を与えたつもりだけれども、うまくいったんだろうか。とても心配ではある。

 わたしはこのところ、口のなかに唾液が異常にたまってしまうようになっている。おそらくはどれか内服薬の副作用の結果ではないかと想像しているけれども、とにかく咳などをすると、いっしょにすごい量のつばの飛沫も飛ばしてしまう。まだ人前でやってはいないけれども、人前ではいつもマスクをつけておかなくてはならないかも知れない。なんとかならないのだろうか。

 今日は内科医へ通院した。心電図検査をやったけれども、異常はなかった。口中の唾液の件も相談してみたけれども、それは心療内科の方へ伝えてくれと、逃げられてしまった。

 その心療内科には月曜日に行っている。処方された内服薬は前回とおなじだったけれども、唾液のもんだいは心療内科に通うようになってからのことだし、きっとここで処方される薬の副作用、もしくはほかの薬との作用のせいではないかと思っている。とにかく今は、まいにち六種類の薬を内服しつづけているわけである。なんらかの副作用があっておかしくはない。心療内科で処方してもらっている二種類の薬の一方は「抗うつ剤」のはずなんだけれども、きのうきょうと、どちらかというと「鬱」な気はする。もう、薬の効き目がなくなってしまったのだろうか。

 今日も、朝からHDDからDVDへのダビングばかりやっていた。ダビング中はモニターを観るわけでもなく、モニターの電源は落としておく。じかんをみはからってモニターの電源を入れ、映画の終わったところでダビングも終わらせる。そのあいだは読書などしてすごした。

 きのう「似顔絵」を載せた、千葉の通り魔事件は解決したようだ。あの似顔絵が事件解決に役立ったとはあまり思えないけれども、つまりあの絵、「夜なかにこういう風体の人物を見かけたら逃げるように」という役目だったのだろうか。
 容疑者は特異なキャラクターのようだけれども、彼の犯行のきっかけになったのは、三重の中三殺害事件の報道、だったような気がする。‥‥このところずっと、この種の衝動的な犯罪事件が増えているような気がしてならない。


 

[]第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵯 (1) 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵯 (1)を含むブックマーク

 今日からあたらしい巻だけれども、内容は前巻からの継続で、時制も変わることはない。それでやはり、いったいこの主人公はいくつぐらいの年齢なのだろう、ということが気になってしかたがない。このあたらしい巻ではもう「文学」への道を選ぼうとしてしているし、ラ・ベルマという名女優の舞台も観劇している。そういうところではふつうの感覚でいうとハイティーンという印象になるけれど、シャンゼリゼでジルベルトと「人取りごっこ」などというので遊ぶ主人公、どうしたってローティーンだろうがということになる。やはりここはあいだをとっても十三、四歳なのだろうかと思うけれども、そうしても舞台観劇の感想など、もうちょっとは年長でないとこういう感想は出て来ないだろう、という印象も受けてしまうのはたしか。

 性的なもんだいを回避して書いているからわからない、そういうところもあると思う。


 

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■ 2014-03-05(Wed)

f:id:crosstalk:20140304082035j:image:w240:right おどろいたことに、ニェネントの発情期がまた始まった。前回の発情期もずいぶんと早くきたとおどろいたのだけれども、前回からの周期としては今回はわずか二週間ちょっとでしかない。これはいわゆる「生理不順」というやつではないのかと思ったりするけれど、ニェネントももうすぐ三歳と九ヶ月。いいかげん「わたしも<オトナ>になったのよ」ということ、なのかも知れない。しかししかし、また部屋のなかを咆哮しながら徘徊するし、わたしのあとばかりつけてもくるし、前回のが終わったばかりということもあるし、いっしょにいて疲れてしまうことはたしか。次回の周期がまたおかしいようだと、いちど動物病院にでも相談した方がいいのかも知れない。ニェネントは外出恐怖症だから「つれてきて下さい」といわれても困るところはあるけれども。

 外はいちにち雨がつづいた。もう雪にはならないけれども、寒い。朝食はほんとうにひさしぶりにオートミールにしてみた。まだまだオートミールはいっぱい残っている。けっこうおいしく感じられたので、また飽きるまでオートミールをつづけてみようかと思う。昼食は残っていたご飯でオムライスをつくる。きょうはいい味に仕上がったと自賛する。
 夕食を何にしようかと考えて、寒いこともあるし、白菜も残っているし、「鍋」にすることにして、別の材料をそろえにスーパーに買い物に出てみた。ほんとうは豆腐とかを買うつもりだったのだけれども、鶏のモツ肉と卵のパックが安く置いてあったのをみて、「もつ鍋」にしようと決めた。帰宅して、ざあっとレシピを調べ、「あっさり味」のものでやってみた。ちょっとあっさり味すぎた気もするけれど、この気候にはぴたりの、からだのあたたまる食卓にはなったようである。きょうは録画してある映画を一本観て、ダビングもやって、それからようやっとプルーストの二巻目を読了した。

f:id:crosstalk:20140306042136p:image:w160:left そう、ここで不謹慎かもしれないことを書いておきたい。それは、昨夜千葉県で起きたという通り魔殺人事件にかんして、なのだけれども、その犯人の「似顔絵」というのが警察から発表されたわけである。で、わたしはこの「似顔絵」に、ちょっとばかし惚れ込んでしまった。まあこれで「似顔絵」というのは無理な話で、つまりは「服装容姿」を伝えるものだろうけれど、わたしにはこの絵画(「絵画」と呼んでしまう)、ちょっとしたアート作品である。ボトムスや帽子の描写をみると、この描き手がそれなりに美術教育を受けていることは了解できるのだけれども、このジャケットのひだ、手に持ったナイフなどの全体から受ける印象が、どこか扇情的といえばいいのだろうか。こころ動かされるわけである。
 まあこういう犯罪者は一刻も早くつかまえてもらいたいし、それでもって、この絵画と犯人とを見くらべてみたいということもある。とにかくは犠牲になられた方には弔意を。


 

[]「SHAME -シェイム-」(2011) スティーヴ・マックイーン:脚本・監督 「SHAME -シェイム-」(2011)   スティーヴ・マックイーン:脚本・監督を含むブックマーク

 

 今年のアカデミー作品賞は「それでも夜は明ける」という作品が受賞したけれども、その監督がこの作品を監督したスティーヴ・マックイーンである。往年の大スターと同姓同名だから記憶しやすい名まえだけれども、何年かまえに開催された「ターナー賞の歩み」展で、彼の作品(短いヴィデオ・インスタレーション作品)は観ている。つまり彼は1999年にそのターナー賞を受賞されているわけである。そんな作家が商業映画監督になっているというケースも興味深く、そのことも彼の名まえを記憶させられる要因とはなっているけれども、わたしは彼の長編映画作品を観るのはこの作品がはじめて。

 性依存症の男の生活が、その妹との同居が始まることで崩壊していく、という紹介のされ方だけれども、わたしはこの男、そこまで性依存症とも思えないところはあるし、少なくとも「異常」というレヴェルではないだろう。むしろこの作品ではその妹の精神的崩壊だとか、主人公の上司の「(自信たっぷりだが)情けないアフターファイヴ」の方が気にかかるような。

 演出として。さすがにターナー賞の受賞者というか、説明的にストーリーを語っていくのではなく、状況の描写を積みかさねていくことでもって全体の状況をあらわすような作品で、ワンシーンワンカットも多用されている。わたしは、主人公が女性と同席して高級レストランでウエイターに注文をする長いシーン、ここにとってもこころを惹かれたりした。ラストにも含みがあって、印象に残った。


[]第一篇 スワン家の方へ 鵺 (15) 第一篇 スワン家の方へ 鵺 (15)を含むブックマーク

 ついにようやく、第二巻読了。きのういちにちで三百ページの単行本を読了したというのに、この五百ページの文庫本を読むのに約一ヶ月かかってしまったではないか。

 きょう読んだのは「土地の名・名」の残りの部分、主人公とスワン氏の娘のジルベルトとの交際のことが語られる。つまりまた現在の語り手が過去の自分のことを書くわけだけれども、ここで現在の語り手の「成熟」ぶりと、語られる主人公の「幼さ」とのバランスがむずかしいのではないかと思ってしまうのだった。ここはやはり、三人称の客観描写の方がいいような気がしてしまうのだけれども、それではつまりは、「失われた時を求めて」にはならないわけだ。しょーがないけれども、わたしはときどき、このプルーストの「美文調」のセンテンスについていけない気がしてしまうのもたしか(ラストの「ブーローニュの森」についての記述とか)。ただ、ここでの主人公とジルベルトとの交際の展開、主人公の疑惑、悩みなどすべて、先の「スワンの恋」でのスワン氏とオデットとのかんけいの相似形になっているのはあまりにたしかなこと。

 さあ、こんどはいよいよ「花咲く乙女たちのかげに」である。「主人公」も成長するだろうから、「語り手」とのギャップはなくなってくるんだろうか。


 

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■ 2014-03-04(Tue)

 このところ生活時間がずれてしまっていて、夜に寝つくのが七時ごろと、めっちゃ早い。まるで老人である(老人の生活サイクルを知っているわけではないけれども)。それで朝に目覚めるのもまた早くなってしまっていて、二時とか三時とかにはもう起きてしまう。普通の感覚では「深夜」だけれども、つまりわたしには「早朝」である。しごとが始まるのが五時だから、普通に人よりは早く起きなくてはならない生活ではあるけれども、やはりもうちょっと「普通」に戻した方が「健全」、だろうとは思う。

 きのうおとといあたりから、ようやっとDVDレコーダーを使っての本格的なダビングを開始している。本格的といっても、基本はリアルタイム再生と同じにじかんがかかるわけで、いちにちにせいぜい二本とか三本ぐらいしかダビングできない。それでもやりつづけていればHDDのなかみの整理にもなり、あたらしい録画にもまた使えるようになる。これからDVDレコーダーにはいっぱい役に立っていただきたい。

 きょうはそういうわけで映画やTVなどはまるで観ないで、いちにち読書に励んでみた。読んだのは「お嬢さん、空を飛ぶ」という本(プルーストもちょっと読んだ)。どんな本だかまるで知らないで読みはじめたわけである。‥‥いったいなぜ、なぜこんな本を選んで読んでしまったのか。つまりはこの本、図書館で借りたのだけれども、図書館の検索端末で「葛原妙子」と入力してみたらこの本が出てきたのである。「どういうわけ?」と思ったらこの著者、もうひとつの顔は歌人でもあって、そちらの方でもって、彼女の歌集が葛原妙子賞を受賞していたというわけ。そういう著者の肩書きが検索でひっかかったらしい。そのことはすぐに気がついたのだけれども、このところ自分の読書力というものに不安があることもあって、そういう、普段だったらまず自分のなかにひっかかってこないような本でも、読んでみようという気になったわけ。つまり、いま読んでいるプルーストが「難物」なだけなのか、それとも何を読んでみても「本」というものがダメになってしまったのか、というテストという意味合いがある。そういう、いわば「不純な動機」からの読書だった。‥‥先に書いておけば、楽しんで読むことができたと思う。ホッとした。感想は下に。

 夕食はまだ残っていたシチューですませたけれども、やはり、市販のルーを入れてしまったのでおいしくはない。いったいなんでわざわざ、おいしくもなく仕上げるためにあんなものを買って使うんだろう。わたしの味覚が「あっさり」傾向を好むことはたしかだけれども、ホワイトシチューなんて、牛乳と小麦粉、それとブイヨンとかがあればかんたんに出来るものだろうに、とは思う。ついつい、ルーなんてよけいなものを買ってしまった。まだいっぱい残っているけれども、もう使い道はないだろうなあ。


 

[]「お嬢さん、空を飛ぶ 草創期の飛行機を巡る物語」松村由利子:著 「お嬢さん、空を飛ぶ 草創期の飛行機を巡る物語」松村由利子:著を含むブックマーク

 

f:id:crosstalk:20140305034358p:image:right むかし、朝のテレビ小説で「雲のじゅうたん」というのをやっていた。日本の航空界の黎明期に、パイロット(操縦士)として空を飛んだ女性を主人公としたドラマだったわけで、主演は浅茅陽子、ナレーションとかを田中絹代がやっていて、この番組が田中絹代の遺作になったこと、Wikipedia でさっき読んで思い出した。で、この本、そういう日本の女性飛行士の歴史をたどるルポ、ノンフィクションだった。

 本は1916年、アメリカからの女性曲芸飛行士、キャサリン・スティンソンという人物の飛行ショーに熱狂した日本の女性たちの反応(アメリカの図書館に日本からのキャサリン宛てのファンレターが多数<二百通>保管されていたのである)からはじまり、現在の雇用機会均等法下での女性の進出ぶりまでを、海外をふくめていろいろな人物(基本は女性)のみじかい評伝のかたちを取りながら、ニュース的な事象、事件とあわせ、主に1950年代あたりまでをメインにたどっていく。飛行機というもの自体が、どんどんと発達もした時代でもある。その背後にはもちろん当時の女性への差別意識があり、また、戦争もあるわけ。一方でニュースバリューのこともあったのだろう、新聞社による後押しもあったりもする。かつて飛行機はもっとも速い物資運送手段でもあり、そのあたりでまずは新聞社が自社で飛行機と操縦士を確保しようとしたらしい。のちにはこのことで軍隊に協力することにもなる。

 時代とともに女性の人権は拡張されていき、それとシンクロするような女性飛行士もつぎつぎにあらわれてくる。また、飛行機の性能も良くなってくるわけである(ついには宇宙にまで飛び出すわけだ)。

 著者は新聞社勤務も長かった人のようだけれども、そもそも著者がこの本を書くきっかけになったのは、与謝野晶子が先に書いたキャサリン・スティンソンについて書いてあるのにふれてからのことらしい。さすがは歌人というか、「文学者と飛行機」という章もあるし、そういう女性飛行士の詠んだ歌なども掲載されている(もちろん与謝野晶子が飛行機を詠んだ歌も)。興味深かったのは、この「飛行機」ということば、どうやらさいしょに使ったのは森鴎外ではないかというあたりの記述で、同時代の夏目漱石などは「飛行器」と書いているらしい。「ヒコーキ野郎たち」の稲垣足穂も、漢字では「飛行器」派、だったような。タイトルがカタカナでよかったねー、とは思ったりした。

 面白く読ませていただいて、この本を選んだことも意義があったわけだろう。読書ペースとしても、無理しないでこの三百ページほどの本をいちにちで読了できたんだから、悪くはないだろうと思う。とにかくはそういう意味でも安心した。やっぱり、プルーストがややっこしいんだろう。


[]第一篇 スワン家の方へ 鵺 (14) 第一篇 スワン家の方へ 鵺 (14)を含むブックマーク

 難物「スワンの恋」はようやく終わり、第三部の短い「土地の名・名」のセクションへ。

 ここでもやはり息の長いセンテンスがつづいていて、読み苦しいといえば読み苦しいのだけれども、きのうまでの「スワンの恋」にくらべれば、ずっと読みやすい気はする。きょうもあまり読み進めなかったけれども、つまりは土地の名まえの喚起するイメージについての、エッセイ的な展開。また主人公(語り手)の子ども時代にもどるわけでもある。


 

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■ 2014-03-03(Mon)

 きのうはこのあたりは雪ではなかったのだけれども、しごと場からみえる筑波山、しっかりと雪化粧しているのが見えた。やはり寒い日だった。

 午後から、心療内科へ行く。カウンセリングというよりも、どちらかというとわたしの考えばかりを一方的に語ってばかりだったような気がする。この日記にも書かなかったけれども、二、三日まえにまた意識障害の発作を起こしたようではあるし、そうでなくてもいちにちにいちどは、そういう障害に惹き込まれてしまいそうな意識に陥ってしまっている。そういう話を医師に告げる。「自分でそのような障害を克服できる強さを得れればいい」というようなことばを聞かされた。なるほど、「強さ」というものは、たしかにほしい。そのために薬の助けなどひつようがなければいいのだけれども、これが処方されればことわるわけにもいかない。また、この処方薬がかなり高額なことが悩ましいのはたしかなこと。あれがほしい、これがやりたいという欲求など保留しておかなければならないだろう。

 ちょっとまえに書いたことだけれども、まずは視力の悪化にともなって読書力が低下してしまっている気がするわけで、読んでいるプルーストがなかなか先に進まない。はやくこのあたりで近視と老眼の遠近両用ダブル焦点のメガネを買うべきと思っていたけれど、まずは読書用に老眼矯正メガネを調達することにした。これが百円ショップで買える。どっちにせよいつかは遠近両用のを買いたいと思っているし、老眼矯正メガネで外に出かけるわけではないから、どんな安モノでもかまいはしないと思った。
 これもすでに書いたように、わたしの眼は左右で大きな視力の差がある。右はかなりの近視なので、ぎゃくに近いものを見るのにそんな不便は感じない。左はけっこう近視の度合いも低いかわり、近いものは思いっきりぼやけて見えてしまう。老眼の矯正はこの左目にはひつようだけれども、右目にはまるでひつようとしていない。‥‥そこで、買った矯正メガネの、右目のレンズをとりはずしてしまえばいいのではないのか。これがわたしの計画である。

 きょう、予定どおりに百円ショップで、その老眼矯正メガネを買った。帰宅してからその右目レンズをはずした(割ってはずした)。だいたい思惑どおり、これをかけるとだいたいにおいて本は読みやすくなったと感じる。こんなメガネをかけている姿を人に見せたくはないけれども、いつまでもこのメガネにたよる予定なわけもなく、そんな状況になることもないだろう。

 昼食はスパゲッティ、夕食はきのうの残りのシチューですませた。きのう訃報に接したアラン・レネ監督のDVDを観て、早めにベッドに入ってプルーストを読み、早めに眠ってしまった。


 

[]「六つの心」(2006) アラン・レネ:監督 「六つの心」(2006)  アラン・レネ:監督を含むブックマーク

 きょうは雪が降りそうな日だったけれど、この作品のなかでは雪が降りつづいている。登場人物六人(正確には、足しか映らない老人をふくめて七人)の、都会での心の孤独を描いたもの。皆それぞれ、その「孤独」から逃れよう、逃れたいと思っているだろう。不動産物件で、ほんとうは二人でいっしょにいられるはずの大きな部屋のまん中に壁をつけ、表示としての部屋数をふやしている物件。これがひとつの「孤独」の象徴で、作品のなかでは何度も、二人いる人物のあいだを隔てるついたてやカーテン、そういったものが映し込まれている意味がよくわかるようになった。やはりわたしはサビーヌ・アゼマとアンドレ・デュソリエとの挿話が好き、大好きだ。


[]「豚と軍艦」(1961) 今村昌平:監督 「豚と軍艦」(1961)  今村昌平:監督を含むブックマーク

 いま観るとすっごいオールスター・キャストという感じ。この作品が吉村実子のデビュー作で、圧倒的な存在感!

 ヤクザたちの抗争にまき込まれて犠牲になるチンピラ。冒頭に「この映画にモデルはいない」と、逆に思わせぶりなテロップが大きく映されたりもする。はたして深作欣二監督の「仁義なき戦い」はこの作品の影響下から生まれた、というところもあるんじゃないだろうか。やはり傑作だと思った。


 

[]第一篇 スワン家の方へ 鵺 (13) 第一篇 スワン家の方へ 鵺 (13)を含むブックマーク

 そんな、「クライマックス」とかいうものでもなかったけれども、ようやっと「スワンの恋」もおしまい。スワン氏はぐうぜんにコタール夫人と出会い、スワン氏のいないところでオデットがいかにスワンのことをいとおしく語っていたかを話すわけ。ああ、そうだったんだ、という感覚だっただろうけれども、ラストはこの独白になる。

「まったく俺ときては、大切な人生の数年を無駄にしちまった、死のうとさえ思い、あんな女を相手に一番大きな恋愛をしてしまった。俺の気に入らない女、俺の趣味(ジャンル)でない女だというのに!」

 ‥‥などといいながら、彼はオデットと結婚し、ジルベルトという娘も生まれるわけである。


 

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■ 2014-03-02(Sun)

 きょうはまた寒いいちにちになってしまった。外は曇天で、予報ではさいしょはまた雪になるようなことも言っていた。この予報はあとで訂正されたようだけれども、寒いことに変わりはない。

f:id:crosstalk:20140302063215j:image:w260:left わたしはふだん和室の机に向かってすわっていて、左となりには電気ストーブを置いてある。そのストーブとわたしとのあいだに、知らないうちにニェネントが入り込んで丸くなっていることが多い。ニェネントもやっぱり寒いんだろう。それで、ちょっとわたしがキッチンやトイレに立つと、そのあいだにわたしのすわっていた座椅子の特等席に移動して、ちゃっかり丸くなっているわけである。ニェネントくん、そこはわたしの場所なんですけれど。

     f:id:crosstalk:20140302063234j:image

 きょうの夕食は、ホワイトシチューにした。キッチンの食材保管の棚にホワイトシチューのルーが見当たらなかったので、スーパーに出かけて買って来た。帰宅してから、ホワイトシチューなんて牛乳と小麦粉、それとブイヨンさえあればつくれたことを思い出した。むだな買い物をしてしまったと思い、「せめても」と、仕上げにちょっとだけ、その買ってきたルーをまぜてやった。‥‥やはり入れない方がよかったかな。

 夜になって、アラン・レネ監督が逝去された、との報道を目にした。ショックだった。もう相当の高齢ではあられたけれども、わたしは彼の晩年の作品にもいつも心躍らされたものだった。「恋するシャンソン」や「巴里の恋愛協奏曲」はぶっとんだミュージカルだったし、「六つの心」、「風にそよぐ草」にもほんとうにしてやられてしまった。晩年の作品の常連だったサビーヌ・アゼマやアンドレ・デュソリエらのその味わいも格別ではあった。

 Wikipedia をみると、2012年の作品はまだ一般公開されていない。特集上映では上映されているみたいだけれども、わたしはまだ観ていない。早く一般公開してほしいのだが、そのタイトルがなんと、「あなたはまだ何も見ていない Vous n'avez encore rien vu」というのだった! はい、見ていません。  ‥‥追悼。
 わたしはこの「あなたはまだ何も見ていない」というのが彼の遺作になるのかと思ったのだったが、もうちょっと調べてみると遺作はまだ別にあって、「Aimer, boire et chanter」(2013)というものだと。旺盛な制作意欲だったんだなあ。そして、さいごに「飲み、歌うことを愛す」と来たわけだ! ‥‥またミュージカルだったりして。

 とにかく何とはなしにショックで、しばらく寝つけなかった。おそらく、このところの作品ではわたしのいちばん好きな監督さんだったわけだろう。もちろんここに、「二十四時間の情事」も「去年マリエンバートで」も、「ミュリエル」、「戦争は終わった」などもあるわけだし。すばらしい人をうしなってしまった!


[]「イノセンテの描く未来」(2012) ショーン・ファイン、アンドレア・ニックス:監督 「イノセンテの描く未来」(2012)  ショーン・ファイン、アンドレア・ニックス:監督を含むブックマーク

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 きょねんのアカデミー賞で短編ドキュメンタリー映画賞を受賞したという作品。主人公のイノセンテはメキシコ系。15歳でアーティスト志望の女の子なんだけれども、「ホームレス」なのである。母と弟三人の五人家族で、定住することなく放浪している。父は母と暴力沙汰の大げんかをやらかしたあと、メキシコに強制送還されているとのこと。彼女のいるカリフォルニアにはそういうホームレスの子らに美術を教える施設があり、彼女はそこでの優等生。その施設で彼女の個展が開かれる。彼女はアーティストになりたい。

 そういう施設が存在するというのは、それだけアメリカ(カリフォルニア)にホームレス児童がおおぜいいるということでもあるだろうけれども、不法滞在の移民も多いわけだろう。彼女らの存在は不法でも、福祉的には充分なケアをほどこしてあげる。それはいっしゅの矛盾とも思えるけれども、法の遵守では生きていけない存在がいる。そして、生きていくとはどういうことかの延長に、このように美術などで自己表現をやらせる、という福祉のあり方もある。

     f:id:crosstalk:20140302143756j:image:w360

 ドキュメンタリーの冒頭、顔に自分でペインティングなメイクをほどこしたイノセンテが自分のことを語る。そこで涙がいっぱいこぼれ落ちる映像。そんなつらい「生」から、「活きる」ための「生」へ。そこに、アートがある。

 カラリストである。圧倒的なカラリスト。わたしは彼女の作品が好きだ。いい作品だと思う。個展に出品した作品は、彼女が手元に残した(家族を描いた)作品以外、すべて完売したという。彼女には妙な美術的知識は不要だと思う。妙なことを勉強したりすると、なにか大事なものが消えてしまうのではないかと心配する。これからも、美しい色彩の作品を描きつづけてほしいし、そういう環境を手に入れられることを、つよく望むものである。


 

[]第一篇 スワン家の方へ 鵺 (12) 第一篇 スワン家の方へ 鵺 (12)を含むブックマーク

 スワンは、オデットの男遍歴を中傷する匿名の手紙を受け取った。一大進展である。ここでもスワンはああでもないこうでもないと思い悩んでいるけれども、さあ、そろそろクライマックスであろう。


 

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■ 2014-03-01(Sat)

 キッチンの排水パイプから汚水が逆流してあふれ出し、台所とリヴィングの床が大洪水になってしまった。この現象はきょねんの五月にも起きていることだけれども、こんかいも悲惨なことになってしまった。パイプの奥の方でつまっているのだろうけれども、ふだん使っている分にはちゃんと排水され、流しに水が残っているわけではない。奥でつまっていることなどわからないし、いったいなぜ、いちど排水されていった汚水が大量に逆流してきてしまうのか、わたしにはその理由がわからない。何か予兆のようなものはあったのだろうか。
 とにかく足をぬらしながらリヴィングへ入り、ちりとりで水をすくってバケツに取って行く。出来るだけたまっている汚水をすくい取ってから、ふとんのシーツやバスタオルを使って残った水を始末する。これでもきれいにはぬぐい取れないから、そのあとにまたタオルやぞうきんを使ってぬぐい取る。たいへんな作業になってしまった。‥‥これで、また同じことが再発しないとも限らないので困る。とにかくはキッチンの排水口でパイプ詰まりをなくすため、半球ゴムというんかな、そういうのを使って出来るだけのことをやっておいた。ワイヤーや薬品なども使った方がいいのかも知れないが、もう二度とこういうことが起きないことを願うだけ。とにかくはすっごいじかんを取られてしまった。

 そういうことがあったせいでもないけれども、きょうはいちにち、外へ一歩も出ないですごしてしまった。しごとはきょうあしたと連休だし(土日が休みなんて、世間一般の人たちと同じだな)、食事などはすべて、きのうの残りとか買いおきの品ですませてしまったし。

 カレンダーはきょうから三月。こんげつからはきちんと出納帳をつけてみようと目論んでいるんだけれども、その初日には何も書き込むこともないのだった。ただ、「前日の繰り越し」一行だけを書いた。

 じつは、この住居の契約更改がこの四月末に行なわれることもあるし、まえにちょっと書いたように、ちゃんと度の合ったメガネを買いたい気もちもある。それともうひとつ、使っているノートパソコンの、イヤフォンジャックがこわれているのを修理したいというのがある。別にイヤフォンなど使うわけないし、現状で不便を感じているわけでもないのだけれども、イヤフォンジャックから外付けのスピーカーを接続させたいのである。このノートパソコンを買ったころには特に異状もなく、しばらくは外付けスピーカーを楽しんでいたのだけれども、ジャックにプラグを抜き差ししているうちにダメになってしまった。
 外付けスピーカーをつけられれば、YouTube などの音楽を高音質で楽しむことが出来るわけで、そうなればもうたいていのCDなんか聴くこともなくなっちゃうんじゃないかと思ったりする。CDを所有していない音源も、YouTube などにはほんとうに豊富にリストされている。そういうのを高音質で聴きたい。そういうことである。いったい、その修理にいくらぐらいかかるのか。おそらくはという予想はあるのだけれども、じっさいにどうなのかはわからない。
 とにかくは住居の契約更改、メガネ、パソコン修理と、これらの支出をスムースにやってのけるにはやっぱり倹約しなくっちゃいけない。倹約の意識を忘れないためには「金銭出納簿」をキチンとつけるのは効果的なことである。むかしは一年ほどつけつづけていた実績はある。また始めよう。


[]「マンハッタン無宿」(1968) ドン・シーゲル:監督 「マンハッタン無宿」(1968)  ドン・シーゲル:監督を含むブックマーク

 クリント・イーストウッドとドン・シーゲルのコンビの第一作がコレらしい。ずいぶんまえにいちど観ているのだけれども、もちろんまったく記憶に残っていない。

 ドン・シーゲルの演出、まずは空撮とかクレーン撮影とか、ロングからのズームへの移動とか、いろんな撮り方を楽しませてくれるところはある。あとはヒーローの造形だけれども、決してスーパーヒーローというわけでもなく、殴られて気を失ったり、集団にボコボコにされたりはする。そんなあとに偶然にやってくるチャンスがなければ、この主人公の活動は大失敗の連続でしかないようにみえてしまう。そういうところでのイーストウッドが、「タフ」というよりは、どこかかわいらしくみえてしまうあたり(女性にはモテまくる)が、この映画の魅力なのかも知れない。


 

[] 第二篇 スワン家の方へ 鵺(12)  第二篇 スワン家の方へ 鵺(12)を含むブックマーク

 某侯爵夫人のサロンの描写。スワンを抜かした侯爵夫人や大公夫人らの会話を通して、やはりまたサロンのスノビズムが描かれたりもする。そこへスワンが登場して、大公夫人とかと対話する。そこであの、オデットとの思い出のテーマ曲が流れてくるわけだ。そろそろ終盤のクライマックスなのかな。あと六十ページぐらいかな、なんて残りのページ数を気にするようになってしまった。


 

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