ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2014-04-30(Wed)

 もう、ネガティヴなことしか書けないようなので、このブログを毎日書くのはやめにしたい。調べると、今日まで1733日連続して記述をつづけていたみたいだけれども、もうこのブログを書きつづけるということが苦痛に思える。

 きょうはほんとうはDさんと東京で待ち合わせして、六本木の国立新美術館で「イメージの力」という展示を観ているし、そのあとは神田神保町の居酒屋「Y」でいっしょに飲んでいる。楽しい体験だったし、以前だったらここに書くことはいっぱいいっぱいあったことだろう。


 

[]二〇一四年四月のおさらい 二〇一四年四月のおさらいを含むブックマーク

美術:
●「アンディ・ウォーホル展 永遠の15分」@六本木・森美術館

読書:
●「桜の園」アントン・チェーホフ:著 米川正夫:訳
●「すっぽん心中」戌井昭人:著
●「シネマ1*運動イメージ」ジル・ドゥルーズ:著 財津 理/齋藤 範:訳

DVD/ヴィデオ:
●「サンライズ」(1927) F・W・ムルナウ:監督
●「サンセット大通り」(1950) ビリー・ワイルダー:監督
●「裸で御免なさい」(1956) マルク・アレグレ:監督
●「騎兵隊」(1959) ジョン・フォード:監督
●「呪われた者たち」(1963) ジョセフ・ロージー:監督
●「暗殺の森」(1970) ベルナルド・ベルトルッチ:監督
●「暗黒街のふたり」(1973) ジョゼ・ジョヴァンニ:監督
●「パリ、テキサス」(1984) ヴィム・ヴェンダース:監督
●「ネイキッド・タンゴ」(1990) レナード・シュレイダー:脚本・監督
●「恋するシャンソン」(1997) アラン・レネ:監督
●「ゴースト・オブ・マーズ」(2001) ジョン・カーペンター:脚本・音楽・監督
●「幻の薔薇」(2010) アモス・ギタイ:監督
●「ビートルズと私」(2011) セス・スワースキー:監督
●「裏切りのサーカス」(2011) ジョン・ル・カレ:原作 トーマス・アルフレッドソン:監督
●「私が、生きる肌」(2011) ペドロ・アルモドヴァル:監督
●「アルゴ」(2012) ベン・アフレック:監督
●「地獄門」(1953) 衣笠貞之助:監督
●「斬る」(1962) 三隅研次:監督
●「飢餓海峡」(1965) 水上勉:原作 内田吐夢:監督
●「首」(1968) 森谷司郎:監督
●「キッドナップ・ブルース」(1982) 浅井慎平:監督
●「舟を編む」(2013) 石井裕也:監督
●三谷版「桜の園」アントン・チェーホフ:原作 三谷幸喜:演出

 


 

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■ 2014-04-29(Tue) このエントリーを含むブックマーク

 けっきょく、この日もまるで何もしなかった。本も読まず映画も観ず、ただゴロゴロとして過ごしただけ。この日記を書きつづけるというのも意味を感じることも出来ず、つらい気分ばかりが先行する。

 あしたは東京に出て、Dさんとお会いする予定は立っている。キャンセルしたいという気もちも強いのだけれども、旧友のDさんと会うのだから、何かいい結果を生みそうにも思える。


 

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■ 2014-04-28(Mon)

 きょうも、何もしないいちにち。それでも少し本を読み、録画してあった映画を一本観た。それだけのこと。気分はまるで冴えず、何もかもが終わってしまえばいいのにと思ったりする。観た映画が良かったことだけが、何かの救いになっているのだろうか。何もかも、やめてしまいたい。


 

[]「飢餓海峡」(1965) 水上勉:原作 内田吐夢:監督 「飢餓海峡」(1965)   水上勉:原作 内田吐夢:監督を含むブックマーク

 圧倒的な「風景」の力(ちから)だと思いながら観た。その風景のちからを引き出すための「106方式」、だったのだろうとも。


 

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■ 2014-04-27(Sun) このエントリーを含むブックマーク

 ニェネントは、何か、わたしに悪意を持っているのではないのかと思わせられる瞬間がある。「どうなのか」と、問いつめたい気分になったりもするけれども、ニェネントの行為は、時にしてわたしへの批判でもある。そのことを忘れてはいけない。

 きょうもまた、何もしない一日になった。本を読まず、映画を観ず、音楽も聴かない。ただ時々テレビをみて過ごすだけの一日。きょうもアルコールを飲んでしまったけれども、やはりそのことは反省しなければならないだろうか。タバコを吸わなければいい、というだけのものでもないだろう。‥‥こんな日記を書いていて、意味があるのか。気分はほとんど最低の日々がつづいている。


 

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■ 2014-04-26(Sat) このエントリーを含むブックマーク

 ニェネントがまた、カーテンレールの上によじのぼろうとして、またカーテンレールを破壊した。なんとか修繕したけれども、もうボロボロである。

 きょうもまた、何もしないでぼんやりと過ごした。映画も観ないで本も読まず、ぼんやりとテレビをながめるだけ。そういう生活がやっぱりどこか心地よく、これからずっとそういう生き方をつづけて行きたくもなってしまう。


 

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■ 2014-04-25(Fri) このエントリーを含むブックマーク

 きのうは遅くに帰宅して、寝不足ということもあるので、きょうは休息=睡眠につとめることにした。まさか空いているすべての時間を眠っていたわけではないけれども、録画した映画も観ないで、本も読まない。ただぼんやりと過ごした。これがけっこう居心地がいいとでもいうのか、それなりにリラックス出来たように思う。

 ほんとうは、この日記も書かないですませられたら楽なんだけれども、こればかりはもう、毎日更新すると決めてしまっているので、何かを書かなくてはならない。記述はどんどん短くなって来ているし、ほんとうにメモ的なことしか書かなくなってしまっている。それはそれでしょうがないと思っている。もう、誰かに読んでもらおうなどという気もちも、失せてしまっている気もする。


 

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■ 2014-04-24(Thu)

 昨夜こわれたカーテンレールだけれども、なんとか最低限の体裁だけは確保した修繕は出来た。ホッとした。

 きょうは、夕方から虎ノ門で、BさんとCさんとの恒例の飲み会がある。その時間に合わせて出かけてもいいのだけれども、ちょっと早めに出て、何か展覧会でも観てから行こうかという気になった。ウォーホル展がもうすぐ終わっちゃうのではないかと思いあたり、調べてみるとこのゴールデンウィークでおしまいなのだった。実はそれほど強く「観たい」と思っている展覧会でもないのだけれども、やはり、ざあっとでも観ておこうかという気分になり、ちょっと早めに家を出た。

 展覧会の感想は下に書くけれども、かなりかけ足での鑑賞にはなってしまった。あまり感想などを書く資格もないかもしれないけれども。

 六本木からメトロを使って、いちど銀座へ出て乗り換えて虎ノ門駅へ。改札の向こうにはもうBさんもCさんもそろっていて、時計をみるとジャスト、待ち合わせ時間の四時半になっていた。

 きょうこうやって虎ノ門で飲もうといい出したのはBさんなのだけれども、いったいなぜこの虎ノ門なのか、よくわからないことはわからない。いかにも勤め人御用達の居酒屋というところで、わたしたちのほかのお客さんたちは皆、スーツにネクタイ姿であった。メニューはどれもリーズナブルな価格で、刺身類もおいしく、皆で楽しく飲むことができただろうか。

 八時ちょっと前に解散し、わたしは渋谷で乗り換えて帰路についた。自宅駅に到着したのが十時半ぐらいだったので、そのままスーパーに立ち寄って、半額以下に値引きされていた寿司のパックを買って帰宅、寝るまえに食べてしまったりした。


 

[]「アンディ・ウォーホル展 永遠の15分」@六本木・森美術館 「アンディ・ウォーホル展 永遠の15分」@六本木・森美術館を含むブックマーク

 たいていの作品は当時の美術雑誌などで観たことのあるものだったけれども、そういう作品以外に、彼の撮ったポラロイド写真などのがたくさん展示されていた。副題の「永遠の15分」というのが、いったい何のことなのかまるでわからなかったのだけれども、これはウォーホルのあのことば、「将来、誰もが15分間は有名人になれるだろう」というものから来ているのだとわかった。


 

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■ 2014-04-23(Wed)

 その後も、ふっとタバコを吸いたくなる瞬間はあるのだけれども、もうずいぶんと平気になって来た気がする。「禁煙」成功、なのだろうか。

 きょうは晴天で、ほかほかといい気候だと思っていたのだけれども、夜になって雷鳴で目覚めてしまった。あした出かける予定もあって早くに眠りについていたこともあり、その雷鳴で眠れなくなってしまった。起き出してパソコンを見たりしながらお茶を飲んだりしていると、ニェネントも、なんだかいつもとちがうと思ったのだろうか、部屋中を行ったり来たりして、はしゃぎ始めたりした。これがリヴィングでカーテンをつたってカーテンレールの上にあがろうとしたようなのだけれども、なんと、そのカーテンレールを壊して下に落としてしまった。すごい音がしたのでおどろいてリヴィングをみると、カーテンなどが全部床に落ちてしまっていた。ショックだった。ニェネントのウエイトオーバーということはあるだろうけれども、それでも、カーテンレール全体が外れてしまって落下するなどと、想像もできないことだったし、ちょっと唖然としてしまった。‥‥外から室内も丸見えになるだろうし、どうしたらいいんだろう。やはり、夜中に起き出したりすると、ロクなことは起きない。


 

[]「幻の薔薇」(2010) アモス・ギタイ:監督 「幻の薔薇」(2010)   アモス・ギタイ:監督を含むブックマーク

 その「キプールの記憶」はむかし観た記憶のある、アモス・ギタイ監督の作品。もっと政治色とかの強い作品なのかと思っていたけれども、思っていたよりはエンターテインメント度の強い作品だったと、わたしは思った。それでもすべてのシーンはワンシーン・ワンカットだったと思ったし、そのラストの、カメラのレールまでも見せてしまう長距離の往復運動(時系列も行き来していたのだと思う)には感服させられた。


 

[]第四篇 ソドムとゴモラ 鵯 (1) 第四篇 ソドムとゴモラ 鵯 (1)を含むブックマーク

 ここからが、怒濤の展開。いきなり延々と、同性愛心理がどこまでも語られたりする。そうか、「失われた時を求めて」というのは、こういう書物であったのかと、認識を新たにする瞬間。まだまだ導入部である。


 

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■ 2014-04-22(Tue)

 酒を飲んで明るくなれたのはいいのだけれども、やはり飲み過ぎると弊害も出て来る。朝からちょっと下痢気味になり、体調が狂ってしまったのはたしかだし、酔いからさめると、そこでまた「うつ」気分もぶり返すわけではある。タバコもまた吸いたくなってしまったりして、あやうく「元の木阿弥」になってしまうところだった。‥‥「非日常」的な時間のなかで、タバコを吸わないことを「非日常」に押し込めるのではなく、禁煙していることを「日常」としなくってはいけない。

 夕食を何にしようかなどと考え、冷蔵庫のなかをチェックし、保存食材などもながめていたら、ハヤシライスなどというものの材料がそろっていた。今月はあれこれと倹約モードになっているし、このメニューならば、新しく買い足すものも何もないのがいい。すべて、冷蔵庫のなかにあった食材だけでつくれるし、ちょうどいい在庫整理にもなる。


 

[]「舟を編む」(2013) 石井裕也:監督 「舟を編む」(2013)   石井裕也:監督を含むブックマーク

 辞書の編纂に関わる男が主人公で、企画段階の描写、そして十二年後に辞書が産み出される段階との描写とから。‥‥けっこう淡白な描写になっているのは好きなんだけれども、けっきょく、どことなく、日本式の労働というものの、そのあり方が肯定されているような雰囲気は感じてしまう。


 

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■ 2014-04-21(Mon)

 禁煙をはじめて、一週間がすぎた。禁煙はなんとかつづいているけれども、もちろんまだ、毎日のように、タバコを吸いたくなるような状態は訪れて来る。これをやりすごすために、スナック菓子などを口にしてごまかしたりして来たのだけれども、そんなことがクセになってしまうと、肥満へとつながってしまう危惧がある。それできょうは、酒を飲んでみた。

 このところしばらく、酒も飲んではいないので、「禁酒禁煙」をしている気分にもなっているのだけれども、禁酒をする気もちはない。じっさいに今週は、BさんとCさんといっしょに東京で飲む約束も出来ているわけだし、逆に、あまり酒にふれないでいて、いきなり外で飲んで具合が悪くなったりしても案配が悪い。このあたりでいちどアルコールになじんでおくのもいいだろうし、そのことでタバコのことも忘れられるのなら、なおのこといい。そういうつもりで、ドラッグストアで安い日本酒を買って来た。

 で、久々の「酒」は、よかった。タバコのことを忘れることができたのはもちろん、このところの恒常的な「うつ」気分さえも、つかの間、忘れることができた。‥‥あまり飲み過ぎても弊害が出そうなので、適当なところで止めておいたけれども、これからも、こういう感じでやっていくといいんじゃないかと思ったりした。


 

[]「首」(1968) 森谷司郎:監督 「首」(1968)   森谷司郎:監督を含むブックマーク

 原作は、弁護士の正木ひろし氏によるもの。描かれているのは、1944年に著者が実際に遭遇した事件のことで、ある炭坑労働者の死因に疑問を抱いた主人公の弁護士が真相を探ろうとするもの。真相を知るには、いちど埋葬された被害者を墓から掘り出し(火葬にされてはいないし、真冬のことなのでそう簡単には腐敗してしまわない)、解剖調査しなくてはならない。ところが、そうやって行なわれた検事側の解剖調査はおざなりで、とても主人公には承服出来るものではなかった。主人公はもういちど墓をあばき、その首だけを盗み出そうとするのである。

 白黒のコントラストの強いモノクロの画面は美しくも力強いし、ストーリーラインもいいのだけれども、けっきょく終わってみると、そもそもがいったい「何」に対しての疑念であり、「何」に対しての戦いだったのか、いまひとつはっきりとしない気分ではあった。そう、脚本は橋本忍、撮影は中井朝一と、黒澤明のスタッフだった人らである。


 

[]第三篇 ゲルマントの方 鵺 (4) 第三篇 ゲルマントの方 鵺 (4)を含むブックマーク

 この巻読了。主人公は、シャルリュス氏に侮蔑的なことばを投げつけられたりもする。それ以外はずっと、ゲルマント公爵邸での晩餐会などの描写。例によってのフラットな細密描写という印象で、やはり読みあぐねてしまいそうになったことはたしか。


 

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■ 2014-04-20(Sun)

 きのうより、きょうの方がずっと寒い。空も曇っていて、また冬に逆戻りしてしまったみたい。もう四月も下旬だというのに、もうちょっと暖かく、春らしくなってほしい。

 わけあって、このブログの四、五年前のあたりをざぁっとチェックしたりしているのだけれども、読んだ本や観た映画や舞台の記憶が残っていないのはもちろん、日常のことでも、たいていのことがおどろくほどに忘れ去られてしまっている。もちろん、そのことで日常生活に支障が出て来ているというような障害ではないけれども、状態としてはこれは「病的」といってしまうしかないように思う。先日、心療内科を訪れたときに、軽く「記憶力に不安がある」とは告げてあるのだけれども、医師の方では、そのことを単に認知症への不安としてとらえられたような気配はあった。今ならば、もうちょっとくわしく状態を説明出来ると思うし、そうやってみたいところはある。不安は、やはりある。


 

[]「裸で御免なさい」(1956) マルク・アレグレ:監督 「裸で御免なさい」(1956)   マルク・アレグレ:監督を含むブックマーク

 若き日のブリジット・バルドーの主演したコメディ。登場人物らは皆、しごとはやらないし、モラルというものも欠如しているようにみえ、壮大なインモラル物語のようにも見えてしまうというのは、わたしが、モラルというものにしばられてしまっているせいだろうと思う。

 この作品のことを調べていると、この監督のマルク・アレグレという人のことがだんだんにわかって来た。なんとこの人、十五歳ぐらいの頃からずっと、あのアンドレ・ジッドのお稚児さん(という書き方はよくない?)だった方らしい。1930年代から映画監督をやるようになり、ジッドの晩年(この「裸で御免なさい」よりも前)には「ジッドとともに」という作品なども撮っているし、ジッドの死後には「ジッド友の会」の名誉会長などもやられている方、だった。もちろん、この「裸で御免なさい」という作品からは、そんなことは読み取れはしない(バルザックとのからみはあるのだけれども)。


 

[]「シネマ1*運動イメージ」ジル・ドゥルーズ:著 財津 理/齋藤 範:訳 「シネマ1*運動イメージ」ジル・ドゥルーズ:著 財津 理/齋藤 範:訳を含むブックマーク

 もうちょっと、「哲学者による映画論」みたいなものを予想していたのだけれども、「ひとつの分類学であり、イメージと記号についての分類の試みである」と、その序文で書かれている。で、ベルクソン、そしてアメリカの論理学者パースとが参照される。理解しやすいように思える記述もあり、やはり難解な記述もあるのだけれども、主にこの「シネマ1」では戦前までの映画のことが語られ、ここで述べられるたいていの映画作品を観てはいないのが残念だと、やはりいいたくはなってしまう。


 

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■ 2014-04-19(Sat)

 きょうも気温が低く感じられ、つまりは寒いと思っている。ストーブはつけっぱなし。ほんとうはきょうは、しごとは出勤というスケジュールだったのだけれども、わけあって休みをもらっている。「わけあって」といっても、ほんとうはそんなに強い<わけ(理由)>あってというわけでもない。ただ、この日に出勤することは、(わたしにとって)割に合わないという理由による。

 一方できょうは、東京に出て某舞台公演を観る予定もあったのだけれども、しごとを休んだこととのバランスを取るつもりもあって、またキャンセルしてしまった。はたして、ここでキャンセルすることがバランスを取ることになるのかどうなのか、自分でもよくわからないけれども、とにかくはこのところ、舞台公演を予約をしてはキャンセルするということを繰り返している。あまりよいことではないと、自分でも思っている。


 

[]「サンライズ」(1927) F・W・ムルナウ:監督 「サンライズ」(1927)   F・W・ムルナウ:監督を含むブックマーク

 ムルナウ監督といえば、わたしなどには「吸血鬼ノスフェラトゥ」の記憶が大きい。この「サンライズ」は、実はYouTube 上で英語字幕で観た。初見。すてきな映画だった。

 ストーリーも何も知らずに観はじめたのだけれども、都会から田舎に避暑に来た女性が、農家の男を誘惑する。それで、男の妻を殺して都会でいっしょに暮らそうと誘惑するわけだ。どうも「ノスフェラトゥ」とかの記憶があるもので、まさにそのような犯罪が成就されるのではないかと思いながら観る。しかし、この男の妻(ジャネット・ゲイナー)というのが、都会の女よりもずっとずっと可憐でかわいらしく、「この女性を殺しちゃいけないだろう」と、観ていても思わせられる。その通りに、ボートから妻を突き落とそうとするところで男は「そんなことはできない」と後悔して妻に詫びる。そのままふたりは都会へとたどり着き、まるで新婚旅行でのような、ハッピーな時間をすごすことになる。それが、田舎に帰るボートが嵐に襲われて、妻は行方不明になってしまうけれど、というような展開。

 都会での楽しい時間の展開が、ほんとうに楽しいひとときの連続ではあるし、そのあとの簡潔な「嵐」の描写、そして行方不明の妻をさがす男の姿が印象的。明暗のコントラストも美しく、ひとつひとつの画面がこころに残ることになるだろう。


 

[]「ネイキッド・タンゴ」(1990) レナード・シュレイダー:脚本・監督 「ネイキッド・タンゴ」(1990)   レナード・シュレイダー:脚本・監督を含むブックマーク

 監督のレナード・シュレイダーは、マヌエル・プイグ原作の「蜘蛛女のキス」(1985)の脚本を担当した人物だけれども、この「ネイキッド・タンゴ」も原案はマヌエル・プイグのもので、レナード・シュレイダーはここでも脚本を担当し、自分で監督もしてしまっている。主演にはマチルダ・メイにヴィンセント・ドノフリオ、そしてフェルナンド・レイとのメンツがそろっていて、そういう見ごたえはあると思う。ただ、演出としてあまりに気取りすぎと感じられるところはあるし、それだけ気取るのならば、「タンゴ」を踊る演出でもっともっと気取ればいいのに、と思ってしまうところはあった。


 

[]第三篇 ゲルマントの方 鵺 (3) 第三篇 ゲルマントの方 鵺 (3)を含むブックマーク

 主人公の招かれたゲルマント公爵邸での晩餐会。もう主人公は以前ほど、ゲルマント公爵夫人に惹かれてはいない。


 

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■ 2014-04-18(Fri)

 久しぶりに雨の降った一日。気温も、きのうまでよりもずっと低かった。午前中には内科医へ行ったのだけれども、その雨のせいか、寒さのせいか、待合室には誰もいなかった。待ち時間を取られずにスムースに行ったし、このところはわたしの体調もいいようだったし、少しは気分が明るくなれた気がする。

 午後になって、ケータイを充電器に置いても、うまく充電出来なくなっているのに気がついた。ついケータイと書いてしまうけれども、正確にはPHSである。どう充電器に差し替えても充電ランプは点滅せず、本体インジケーターではバッテリーはフル充電されていない表示になっている。このままではバッテリーが落ちて使えなくなってしまうし、充電が不能なままであれば、当然このPHSを継続して使うことは出来なくなってしまう。本体の方に不都合はないと思えるのだけれども、つまりは充電器の方で、内部断線だとかの不都合が起きているのだろうか。
 もう、わたしの持っているPHSも販売されてはいないだろうから、充電器だけを買い替えることも出来ないだろう。つまりは全体を新しいPHSにしなければならない。実のところ、もう別にPHSにこだわるひつようもなく、ケータイでもいっこうにかまわないのだけれども、皆に新しい番号を知らせるのがめんどうだと思う。ただそれだけである。しかし、ここに来てまたPHSを買い直すというのも出費だなあなどと考え、そう考えたりしながら、充電器をティッシュや綿棒とアルコールで洗浄したりした。それでもういちど本体をセットしてみると、ちゃんと充電出来るようになったではないか。‥‥なんだ。汚れていただけだったのか。

 夕食は何にしようかと考え、このところじゃがいもを買いすぎてしまっていたので、ベーコンを買って来て、あわせてジャーマンポテトをつくってみた。塩は使わないので薄味だけれども、けっこうおいしく食べることが出来た。たくさんつくったので、あしたもあさってもジャーマンポテトになるだろうか。


 

[]第三篇 ゲルマントの方 鵺 (2) 第三篇 ゲルマントの方 鵺 (2)を含むブックマーク

 ‥‥なんだか、今のざっとした読み方で、こうやって毎日感想(でもないのだが)を書いても仕方がないような気もする。
 しかし、主人公も物語の展開に合わせて成長して来ているわけで、このあたりではその女性観、女性との接し方などで、かつての「子どもっぽさ」から脱却した、「青年らしさ」みたいなものを見せてくれるようになった。もう、ママンの口づけもいらなくなったし。


 

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■ 2014-04-17(Thu)

 禁煙をはじめてから、せいぜい三日か四日目。ふと手持ち無沙汰になったりしたとき、右手が自然に机の上をまさぐっている。どこかにタバコがころがっているはずだと、無意識に探しているようである。こういう無意識を克服できたときに、はじめて「禁煙できた」といえるのかもしれない。

 外は春めいて、ずいぶんと暖かくなってきているようだけれども、わたしはいまだに、室内でストーブをつけている。そうするとニェネントは、わたしとストーブとのあいだに入りこんで来て、そこで丸くなって横たわっていることが多くなる。やっぱりネコというのは寒がりなんだろうか。

 きょうはスーパーで「かつおのたたき」を買い、夕食にニェネントといっしょに同じものをいただく。パッケージを開けた時点できっと匂いが拡がるんだろう。すぐにニェネントが、「それってきっと、わたしの大好物」みたいに、わたしの足元に寄って来るのである。


 

[]「暗殺の森」(1970) ベルナルド・ベルトルッチ:監督 「暗殺の森」(1970)   ベルナルド・ベルトルッチ:監督を含むブックマーク

 ベルトルッチの初期の作品というのは、あまり観た記憶もないのだけれども、この「暗殺の森」も、きっとこれが初見だと思う。原作はモラヴィアで、ファシズムに同調して行く男をジャン=ルイ・トランティニャンが演じている。彼の奥さんをステファニア・サンドレッリが、暗殺される教授の妻をドミニク・サンダが演じていて、どちらも、とってもいい。この作品の原題はもっと違ったニュアンスのものだと思うけれども、この邦題もクライマックスにうまくからんでいて、いい感じだと思った。あとはやはり、ヴィットリオ・ストラーロの撮影もすばらしい。あれこれと堪能した一編だった。


 

[]第三篇 ゲルマントの方 鵺 (1) 第三篇 ゲルマントの方 鵺 (1)を含むブックマーク

 第六巻に突入。まずは祖母が亡くなられる。そのあと第二章へと移り、ここでいきなりアルベルティーヌが主人公をたずねて来たりする。


 

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■ 2014-04-16(Wed)

 やはりきょうも、タバコを吸いたくはなってしまった。気をまぎらすために、スナック類のおつまみとかを大量に買い込んだりした。これでは、うまく禁煙が成就して安定したときには、すっかり肥満してしまっているかもしれない。
 前回、禁煙をめざしていたのは、去年の年末のことのようだけれども、この日記には二日ほど「禁煙している」と書いてあるだけで、そのあとはうやむやになってしまっている。禁煙に失敗したのなら、「失敗してしまった」と、ちゃんと書けばいいのに(今回は失敗したくない)。

 午後からは図書館へ行き、雑誌コーナーで、文學界のちょっとまえの「芥川賞一五〇回記念特別号」というのを借りて来た。過去の受賞作家らによる、短編やエッセイの特集があるのだけれども、「そんな作家、まるで知らない」という人が、けっこういらっしゃる。わたしはそれなりに芥川賞というものに注目して来たつもりはあったけれど、そういう意識も、かなり気まぐれなものだったみたいだ。

 きょうはヴィデオなど映画作品は観ず、ひたすら読書だけになってしまった。夕食は、きのうつくってあった「レバニラ炒め」ですませた。


 

[]第三篇 ゲルマントの方 鵯 (5) 第三篇 ゲルマントの方 鵯 (5)を含むブックマーク

 この第五巻は読了。ヴィルパルジ夫人のサロンから、具合の悪くなった祖母との話へと移行した。


 

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■ 2014-04-15(Tue)

 タバコをやはり、吸いたくなってしまった。特に午後になって、何度か「買いに行こうか」などと思ってしまった。喫煙への誘惑は強いけれども、きょう一日、一本のタバコも吸わなかった。ちゃんと「禁煙」を成功させたいものだけれども、この日記で「禁煙」のキーワードで検索をかけると、思いのほかたくさん引っかかって来るのでおどろいてしまう。こういうところでも自分の記憶はあいまいになっているのだけれども、意外と何度も何度も「禁煙」を試みていて、それだけくり返しているということは、つまりはそれだけ禁煙に失敗しているのである。なさけない話だと思う。

 きょうは、夕食に久しぶりに「レバニラ炒め」とかをつくってみた。まあまあの出来上がり。


 

[]「ビートルズと私」(2011) セス・スワースキー:監督 「ビートルズと私」(2011)   セス・スワースキー:監督を含むブックマーク

 監督のセス・スワースキーという人は、シンガー・ソングライターだという。敬愛するビートルズの関係者をたずね、八年をかけて50人以上にインタヴューして、このドキュメントを作成したらしい。一ファンのような存在から、ジョージ・マーティンのような思い切り関係者まで、いろいろな人へのトリヴィアな取材なのだけれども、音楽にしろ映像にしろ、オリジナルのソースは使用できなかった様子で、そのあたりがいちばんのネックになっているかもしれない。


 

[]「斬る」(1962) 三隅研次:監督 「斬る」(1962)   三隅研次:監督を含むブックマーク

 市川雷蔵主演の時代劇。主人公の出生にはあれこれの裏事情もあり、実の母や義理の妹など、幾人かの女性に深く影響を受けたようなことをいう。剣の使い手ではあるが、その剣は「邪剣」であるといわれもする。これでもうちょっとそのキャラクターに「翳り」とかがあれば、眠狂四郎みたいな存在に近づきそうだけれども、主人公のキャラはけっこう明るくニコニコしていて屈託がない。それはそれで、「謎」ではあるかもしれない。

 剣術の試合の場面でのような、様式化してビシッとした演出とかが印象に残った。


 

[]第三篇 ゲルマントの方 鵯 (4) 第三篇 ゲルマントの方 鵯 (4)を含むブックマーク

 ヴィルパルジ夫人のサロンのつづき。そんな、サロンでなどでもドレーフュス事件のことが話題にされたりもする。


 

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■ 2014-04-14(Mon)

 やはり、禁煙をしようかと思う。
 しばらく前にはタバコがおいしくは感じられなかったこともあり、自分でも「禁煙するいい機会だ」などと思っていたのだけれども、先日東京へ行ったときに「GITANE」なんて買ってしまい、このところはこれを「おいしい」と感じながら吸っていた。自分では「禁煙の機会を逃してしまったな」などと思っていた。

 吸う本数はかなり減っていて、ひと箱でもう足掛け三日も持っているのだけれども、きょういよいよ、この箱もおわりに近づいた。ここで、いつものタバコを買い継げばいいわけだけれども、せっかくこのあいだまでは「禁煙してもいい」と思ってもいたわけだし、ここはちょっと、考え方を変えてみようと思った。
 つまり、タバコというものは、先日買った「GITANE」のようなもののことをいうのであって、それはめったなところでは売っているものではない。この地域などはどこにも置いていないものだろう。置いていない、買えないのだから、それはもう「やめる」しかないのである。
 このあたりにも、「タバコ」と称されていろんなモノが売られてはいるけれども、あれらの品物は、ニセモノである。ニセモノは、とにかくは味が相当に落ちるし、それだけではなく、ニセモノとして、吸う人の身体にとっても悪影響をおよぼすわけである。そんなものを買って吸いつづけるわけにはいかない。そんなニセモノを買うぐらいなら、禁煙するべきであろうと。

 ‥‥こういう理屈で、禁煙してみることにした。うまくいくといい。


 

[]「地獄門」(1953) 衣笠貞之助:監督 「地獄門」(1953)   衣笠貞之助:監督を含むブックマーク

 制作当時の色彩を復元した、デジタル・リマスター版での鑑賞。この作品、「色彩指導」として洋画家の和田三造がスタッフに加わっているわけで、和田三造といえば、近代美術館に彼の「南風」などの作品が展示されていた記憶もあり、彼の名まえも憶えているわけではある。
 で、このデジタル・リマスター版、たしかにその色彩が印象に残る。朱に近い「赤」と紫に近い「青」との対比、そして黄緑と桃色との調和などとして。この作品が、当時の大映のカラー第一作ということらしいけれども、今では考えられないそういう「カラー/色彩」への意気込みのようなものを感じ、またじっさいにその成果を観ることが出来ると思う。

 ストーリー展開としては、まさに「直線的」な展開で、ストーリーの上での「深み」だとかというものは、これは求めにくいのではないかと思ったりもした。


 

[]第三篇 ゲルマントの方 鵯 (3) 第三篇 ゲルマントの方 鵯 (3)を含むブックマーク

 主人公はサン=ルーと、そのサン=ルーの愛人に会ったりするのだけれども、主人公はその愛人が娼婦であったことを知っている。そのあとに主人公はヴィルパルジ夫人のサロンへと出かけている。
 このあたり、描かれている<主人公>と<書き手>との乖離について、以前ほどには気にはならないのだけれども、その場にいる誰もが知り得ないことがらを、著者は特権として知っていたりする。そのあたりのことをサラッと書いていたりもするのだけれども、どこか、この作品の<視点>が拡散してしまうような気がしてしまう。


 

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■ 2014-04-13(Sun)

 あたらしい洗濯機で、はじめての洗濯をした。あたらしいのは以前のよりひとまわり小さく、少し洗濯物の量を減らしての洗濯になった。以前のものに比べて、洗浄力も脱水力も今ひとつ、という感想がないわけではない。あたりまえだけれども、やはり前の洗濯機がこわれなければよかったのに、などとあらためて思ったりした。

 きのう出かけたおかげでか、いくらか気分は晴朗なのだろうか。いちにち、一歩も部屋から外へ出ることもなかったけれども。

 先日も書いたけれども、このところ、本が読めるようになり、読書のペースもあがっている。今までは、一日の読書時間なんてせいぜい一時間ぐらいのものだったけれども、きょうなどは二時間とか三時間とか本を読んでいられたようだし、この時間はもっと増やすことも出来そうに思える。これからしばらくは、読書量を増やすことに専念してみようか、などとも考えている。

 ニェネントはこのごろ、とってもおとなしい。春真っ盛りになって、いつもまったりとまどろんでいるようにみえる。たいていはベッドのふとんの上とか、わたしの座椅子の上とかで、丸くなって寝てばかりいる。それでいつものように、わたしがキッチンに立ってあれこれと物音をたてていると起き出して来て、わたしのそばに寄って来て、「なにかちょうだい」みたいにニャアンとなくのである。


 

[]「裏切りのサーカス」(2011) ジョン・ル・カレ:原作 トーマス・アルフレッドソン:監督 「裏切りのサーカス」(2011)   ジョン・ル・カレ:原作 トーマス・アルフレッドソン:監督を含むブックマーク

 この原作本は、ずいぶんとむかしに書店に並んでいた記憶がある。今になって映画化というのがよくわからないけれども、原作のジョン・ル・カレ自身もプロデューサーとして名を連ねていることもあり、推測できるような、やはりわからないような。

 内容もやはり、東西冷戦時代のスパイ戦そのままで、ここでも「今になって」という感想も浮かぶ。よほど企画に自信があったように思える。演出としては説明を極力排した演出で、ドラマのなかでの現在と過去を自在に行き来するし、観ていてもわからなくなるところもあった。重厚なドラマ演出といっていいのか、見ごたえのある作品ではあった。


 

[]第三篇 ゲルマントの方 鵯 (2) 第三篇 ゲルマントの方 鵯 (2)を含むブックマーク

 軍隊のサン=ルーを訪ねた先で、サン=ルーの軍隊仲間とも友好関係を結ぶ主人公。ドレーフュス事件をめぐる会話や、軍隊の指導をめぐる会話など、いままでの展開とは異質な展開をみせたりもする。


 

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■ 2014-04-12(Sat)

 あしたはしごとが非番で休みなので、きょうは出かけてみようかと計画を立てた。東京へ出て、開催中の知人の展覧会を観て、そのあと下北沢に移動して「G」へ行く計画。
 ‥‥別に大それた計画でもなく、ただ電車にフッと乗ってしまえばいいのだけれども、あれこれと逡巡する。「何も今日でなくっても、来週にしてもいんじゃないか」とか、考えるわけである。外出恐怖というのでもないけれども、「部屋でゴロゴロしている方が楽だ」という意識が、ずっとあたまをかすめている感覚。いっしゅの「出不精」といえるような状態だろうか。

 このところ、わけあってこの日記の四、五年まえの記述を読み返したりもしているのだけれども、そのころは、おどろくほどに外に出歩いている。週に二回とか上京していることなど、ほんとうにひんぱんにやっている。「元気だったんだなあ」と思うところもあり、やはりそういうところからも、もっと活動的にならなくてはと思い返すことにもなる。きょうはちゃんと出かけることにした。

 昼食をスパゲッティですませ、この地を午後一時に出る電車に乗る。ターミナル駅で乗り換え、きょうは上野から東京方面へ向かう。外は晴天で、電車のなかも気もちがいい。すわって本を読んでいると、ねむくなったりもする。

 有楽町駅で下車し、この時点で三時ちょっと過ぎ。三月のダイヤ改正で、自宅から東京まで二時間かかるようになってしまった。「改正」でも何でもないと思う。まずは、銀座の知人の参加している展覧会のギャラリーへ行く。その知人も会場にいらっしゃったのだけれども、他の方とずっと話し込まれていたので、お話しすることは出来なかった。こじんまりとした、いい展覧会だったと思う。

 このあとは、下北沢に出るために、いちど新宿に出るのだけれども、東京駅からならば、中央線を使って乗り換えなしで新宿へ行けるので、東京駅まで歩くことにする。途中、大きな書店(八重洲ブックセンター)があったので寄り道し、立ち読みとかでずいぶん時間をかけてしまった。短歌の本を一冊買ったけれども、新刊書を書店で買うなんて、ずいぶんと久しぶりのことのような気がする。

 東京駅から新宿、そして下北沢という経路をとり、五時ごろに「G」に到着。スタッフはEさんとFさん。カウンターにすわり、いつもの酒を注文する。Eさんはネコを飼っていらっしゃるので、しばらくはネコの話題など。店のスペースのなかでようやくくつろぎ、やはりきょうは出かけて来てよかったと思えるようになった。しばらくしてGさんも出勤して来て、「どう? 元気だったの?」と聴かれたことをきっかけにして、二月の発作のこと、そしてげんざいのわたしの状態などを話する。‥‥これは、先日Aさんとお会いしたときにも話されたことだけれども、はたして、今通院している心療内科が適切な選択なのか、もっと脳神経的な診察、治療がひつようなのではないのか、というような話になる。このあたりのこと、わたしも疑問に思っていないわけではないのだが、どのように判断し、そして行動すればよいのかはわからない。

 あまり遅くならないよう、七時ごろに店を出た。帰宅したのは九時半ごろ。やはり、交通に時間がかかってしまう。もっとゆっくり出来ればいいのだけれども、とは思ったりもする。それでもきょうは、やはり出かけて来てよかったと思う。


 

[]第三篇 ゲルマントの方 鵯 (1) 第三篇 ゲルマントの方 鵯 (1)を含むブックマーク

 主人公一家は、「ゲルマントの方」へ引っ越しする。主人公はこんどはゲルマント公爵夫人に「ご執心」となるわけである。待ち伏せしたりもするんだから、ちょっとしたストーカーである。読んでいてもこの主人公の意識、いかにも屈折しているというか、読んでいてあまり共感できるものでもなかったりする。公爵夫人ともっと近づきたいために、軍隊にいるサン=ルーを訪ねて行ったりもするわけだ。


 

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■ 2014-04-11(Fri)

 本が、読めるようになった。どうやら、一時的に落ちていた視力が回復したらしい。その視力の落ちていた頃、まるで本が読み進められなかったということだろう。これで、一日の過ごし方がずいぶんと変わった。つまり読書時間が増えた。今日は三時間ぐらいも読書していただろうか。もっと読書時間は増やせるし、増やしたい。気分も明るくなれる。
 今日は「失われた時を求めて」の四巻を読了し、五巻を読みはじめたし、その他に、ドゥルーズの「シネマ」などという難物も、けっこう読み進めた。‥‥ちゃんと理解して読んでいるのではなく、あくまで上っ面をなでるように、いいかげんに読みとばしているだけだけれども、室内にそれこそ山とあふれる未読書を片づけて行くには、とにかくは読む、という行為を遂行すべきだろう。

 本が読めるようになったのは、うれしいことだけれども、よくないこととして、一時減っていた喫煙量がまた増えてしまいそう。というのも、タバコをおいしく感じてしまうようになったのである。これも先日まではまるでおいしく感じられず、禁煙するいい機会だと思っていたのに、時期を逸してしまったようである。

 本が読めず、タバコをおいしく感じられなかったというのは、やはり身体的に不調だったのだろう。今はどうやら、その不調から脱したということだろうか。でもやはり、禁煙はしたいと思っている。この日記に「禁煙するぞ」と書いたら、それで禁煙できるだろうか。


 

[]「呪われた者たち」(1963) ジョセフ・ロージー:監督 「呪われた者たち」(1963)   ジョセフ・ロージー:監督を含むブックマーク

 ずいぶん前に録画してあった作品。ジョセフ・ロージーのキャリアとしては、あの「エヴァの匂い」と「召使」という二本の名作のあいだに撮られた作品で、これがイギリスのあのハマー・プロダクションの製作になるSF。おそらくはジョセフ・ロージーとしても絶頂期といえる時期と思うし、やはり面白い作品だった。

 海岸の秘密の施設に、九人の少年少女たちが世間から隔離されて暮らしている。ここにあれこれとワケアリの男女三人が入り込んで来てしまい、少年少女たちを解放して外の世界へ出してやろうとするけれども、というようなストーリー。この少年少女たち、つまりは核戦争以後を生き延びることが期待されていて、人類の未来を賭けた英才教育が行なわれている。いったいなぜ彼らが核戦争以後を生き延びるのかというと、彼らは皆、放射能を浴びた母親から生まれ、彼ら自体が放射能を持っているということ。

 前半は、少年少女たちを助けようとする三人の男女らの、そのサブストーリーから始まるのだけれども、そのサブストーリーが、隔離された少年少女たちの状況とシンクロしているところがあり、彼らの行動にも合点が行くことになる。施設のすぐそばのアトリエで製作活動をしている女性の彫刻家の存在も面白い。施設を管理するのは軍人たちなわけで、最終的にはその軍人たちの勝利という状況で終わる。

 わたしはジョセフ・ロージーの作品をそれほど観ているわけではないけれども、好きな監督のひとりではある。この作品を観ても、やはり好きな監督だと思ってしまうわけだけれども、今までに観た彼の作品とはずいぶんとタッチがちがう。そもそもSFというのが意外ではあるのだけれども、ジョセフ・ロージーのデビュー作というのは「緑色の髪の少年」という、やはりSFチックな作品で、やはり少年が出て来るのではなかっただろうか。


 

[]第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵺 (7) 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵺 (7)を含むブックマーク

 この巻読了。とにかくは途中はほとんど読み飛ばし状態だったわけで、「ああ、主人公は女の子たちと出会ったわけだな」ぐらいの、あらすじを読んでも了解できるぐらいのことしか読み取れていない感覚。さあ、これからは、もうちょっとしっかりと読もう。


 

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■ 2014-04-10(Thu)

 ネガティヴなことばかり思っていても、仕方がない。部屋に閉じこもっているのも、よくないことだろう。この週末には、東京にでも出かけてみたい。来週の予定は何もないけれども、その次の週には、BさんとCさんといっしょに飲む予定が立っているし、さらにその次の週にはDさんと合う予定が出来た。「未来」とまでいわないまでも、「明日」をつくっていく。そういうところに、希望のようなものも生まれるのかもわからない。


 

[]「私が、生きる肌」(2011) ペドロ・アルモドヴァル:監督 「私が、生きる肌」(2011)   ペドロ・アルモドヴァル:監督を含むブックマーク

 意表をつく展開で、観終わったあとにはまた、冒頭の部分を見直してみたくなったりした。こういうのでむかし、「顔のない眼」というのがあったなあ、などと思っていたら、じっさいに「顔のない眼」の影響を強く受けての作品らしい。

 舞台になるのが、一方の主演のアントニオ・バンデラスの邸宅であり、またその空間がそのまま研究室につながっているあたりの、その空間の妙が、このストーリー展開に大きなプラスになっていると思った。

 主人公の男にとって、すべての行為の根底には「復讐心」があるのだけれども、そうやって結果としてみかけの現実をずらせてしまってみると、そこに「隙」が出来てしまったような印象もあり、そこで、「復讐」されてしまうわけだった。その「隙」って、何だろう。


 

[]第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵺 (6) 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵺 (6)を含むブックマーク

 どこかで読んだのだけれども、「失われた時を求めて」全巻も、二十日もあれば読了できるという書き方。そういうエッセイを拾い読みした。‥‥わたしの今のペースでは、二百日かかっても読み終えられるかどうかわからない。しかしこのところ、一時期の「活字」への違和感というか、「読めない」という感覚からは脱却できている気がする。フィジカルに、眼の機能が回復したという感覚はある。もうちょっとペースを上げたいところではある。


 

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■ 2014-04-09(Wed)

 思考力、そして記憶力が劣化してしまっている。この日記の過去の書き込みを読んで、いっそう、その感を強くする。読んだ本、観た映画、舞台、美術展、この日記に書いてあることを読んでも記憶は戻ってこないし、そういう過去に書いたような文章を書く力が、今のわたしにはまるで残っていないと思えてしまう。書けないし、書くことをみつけるのも困難な思いがする。やめてしまえばいいのだけれども、それではわたしの状態がもっと悪化してしまうだけだろう。書けない、書くことがないなかで、この日記を継続して行くこと。そのことが、今のわたしの救いになって行くのかもしれない。


 

[]「騎兵隊」(1959) ジョン・フォード:監督 「騎兵隊」(1959)   ジョン・フォード:監督を含むブックマーク

 南北戦争。北軍の騎兵隊が南下して南軍の物資中継駅を急襲し、北へ戻るのではなく、そのまま南へ進んで北軍に合流することを目指す。指揮官はジョン・ウェインで、軍医のウィリアム・ホールデンがからむ。

 まるでギリシア・ローマの神話みたいな、格調ある叙事詩に仕上がっている印象。そんなことしか書けないが、やはり、ジョン・フォードという監督の演出力を堪能させていただいた、という感想はある。


 

[]「ゴースト・オブ・マーズ」(2001) ジョン・カーペンター:脚本・音楽・監督 「ゴースト・オブ・マーズ」(2001)   ジョン・カーペンター:脚本・音楽・監督を含むブックマーク

 百年とか二百年とかの未来。火星は地球からの入植者によって植民地化している。そこに、かつての火星を支配していた呪術的な「霊」が封印を解かれ、地球人に取り憑くわけ。「ゾンビ」もの、ともいえるんだろう。

 このまま、アフリカとかを舞台として、現在の地球、もしくは西部劇の時代の先住民との戦いとして展開できそうなストーリーとも思えるけれども、そういうのはもう、つくりにくい時代にはなっているわけだろう。


 

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■ 2014-04-08(Tue)

 きのう注文した洗濯機が、もう届いた。もちろん、設置はわたしがひとりで行なう。それほど苦労せずに設置を終えた。まだ洗濯物がないので、試運転性能チェックは出来ていない。梱包に使われていた、大きな段ボールや発泡スチロールを、始末しなければならないけれども、段ボールは小さめに切り取れば、ニェネントの爪研ぎに最適な素材になるかもしれない。
 古い洗濯機は、しばらくはベランダのはじっこに放置しておくことにした。けっこう、いつまでも置きっぱなしになってしまうかもわからない。代わりに、というわけではないけれども、もう観ることのないだろうVHSのヴィデオカセットを、まとめて捨てた。まだまだカセットはいっぱい残っていて、これからもチェックして捨てて行くつもり。ついでに、読まない本も捨ててしまおう。

 きょうも、状態は「うつ」なのだけれども、そうやって洗濯機の設置などで体を動かしたりしたせいか、それともちょっと酒を飲んだりしたせいか、それなりに元気に、ポジティヴになれた気がしないでもない。本もけっこう読み進むことも出来た。映画を観ていたら、その映画のなかのセリフで、「<うつ>というのは、<未来がない>ということだ」みたいなことが語られていて、「たしかにその通りだなあ」などと考えてしまい、またちょっと、「うつ」に戻ってしまったりした。


 

[]「キッドナップ・ブルース」(1982) 浅井慎平:監督 「キッドナップ・ブルース」(1982)   浅井慎平:監督を含むブックマーク

 このあいだ、「笑っていいとも」がついに終了してしまった。そのタモリの主演していた作品がこれ。ちょうど、その「笑っていいとも」が開始される前に撮られた作品らしい。監督は浅井慎平。

 きのう「パリ、テキサス」を観たあとにちょうどよかったというか、子どもの登場するロード・ムーヴィーだった。主人公が子どもと共にあちこちと移動して、その異動先でいろいろな人物と出会う。それらの人物が皆「ゲスト」という感じで、映画のなかの役柄というより、本人のパーソナリティのまま登場している雰囲気がある。

 映画としては、写真用のカメラをそのまま映画カメラに置き換えているような印象で、けっこう長回しで撮り上げている。映画的な「絵」とはちょっと違うようにも思えるけれども、ダメというわけでもない。ただ、流れとしては相当に<タルタル>な感覚で、そういうタルタルさを好ましく感じることもあるけれども、やはり、どこか「映画」と呼ぶのをためらわせるものがあるような気がする。登場人物の扱い方からも来るのだろうけれども、「映画とは何か」みたいなこと、ちょっと考えてしまったりもした。

 ひとつ関係のないことを書いてしまうと、最近のタモリ、亡くなったわたしの父に、その容貌がそっくりになって来てしまっている。


 

[]第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵺 (5) 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵺 (5)を含むブックマーク

 主人公は、アルベルチーヌと知り合った。


 

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■ 2014-04-07(Mon)

 きょうのしごとは極端にヒマ、だった。今まででいちばんヒマだったんじゃないだろうか。おそらくは、消費税の増税ということが関係していることだろう。

 洗濯機はけっきょく、インターネット通販で購入申し込み、すぐに近所のコンビニで支払いまで済ませてしまった。いつ配送されて来るのかはわからない。おとといぐらいにネットでチェックしたときより、今日の方が二千円ぐらい価格が低かった。それで、「これでいいや」と注文したのだけれども、さっき見てみると、わたしが注文して支払った価格より、五千円以上値段が上がっていた。そういうシステムのことはよくわからないが、とにかくは最良のタイミングで注文したのではないかと思う。消費税増税分よりも安く買えてるといい。

 ついでに市役所に出かけ、そのこわれた洗濯機を、有料粗大ゴミとして引き取ってもらおうと、窓口に相談に行った。ところが、冷蔵庫や洗濯機などの大型家電というものは、市としては引き取ることはやっていないのだという。そういうものは販売店に引き取ってもらうように、ということだった。めんどうなので、しばらくはベランダに放置しておこうかと思うようになった。


 

[]「パリ、テキサス」(1984) ヴィム・ヴェンダース:監督 「パリ、テキサス」(1984)   ヴィム・ヴェンダース:監督を含むブックマーク

 ずいぶんと久しぶりに観る作品。原作はサム・シェパードだったということ、すっかり忘れてしまっていた。こうやって観直してみると、やはりいかにもサム・シェパードっぽいな、アメリカン・ニューシネマの匂いもする、などと感じたりする。これを、ドイツとフランスとの合作でつくったというあたりが面白い。アメリカは舞台であり、素材なわけだ。そこに、この作品が独特の「ロード・ムーヴィー」として浮上してくる根拠もあるように思えた。

 しかし、いわゆる「常識」というものから照らしてみると、「あらあら」というような展開ばかり。いやあ、だからこそ、だからこその、この作品の「魅力」なのだろう。ライ・クーダーのギターも、ロビー・ミューラーの撮影も、限りなく美しいが。


 

[]第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵺 (4) 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 鵺 (4)を含むブックマーク

 いちおう、ぼちぼちと、読み継いではいる。花咲く少女たちは出て来たし、画家エルスチールの作品のことも出て来る。どこをどう読んでいるのか、わからなくなってしまうけれども。


 

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■ 2014-04-06(Sun)

 きょうは日曜日で、わたしもしごとは非番の休日。こわれた洗濯機をどこで買い替えようかと考える。ネット通販で買うというやり方もある。古い洗濯機は粗大ゴミとして引き取ってもらう。このやり方がいちばん経済的にも思える。これでいこうか。

 このところ「もう春だなあ」という暖かい日がつづいていたけれども、きのうきょうと、また冬に戻ってしまったような肌寒さ。いちにち、ほとんど外にも出ないで、いつものように、ほとんど何もしないで過ごした。

 ニェネントは、このところ落ち着いている。先月までは、ひっきりなしに「発情期」を迎えていた感じで、その健康面とか、とても心配していたのだけれども、今のところ、ちょっと安心してよさそうだ。ときどき、くつろいでいるニェネントと目が合ってしまったりするけれど、「なんなのよ。あたしのことは心配ないんだから、自分のこと、しっかりさせなさいよ」といっているみたいに感じてしまったりもする。いいアドヴァイスだと思う。ほんとうにしっかりしなくっちゃ。きょうは、ニェネントの肉球の写メールを撮ったりした。

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 洗濯機を買い替えて、そして部屋のなかのいらないものをどんどん捨てて行って、そしてメガネをつくろう。そうしたらもうちょっと、世界のことをポジティヴに感じられることだろう。


 

[]「サンセット大通り」(1950) ビリー・ワイルダー:監督 「サンセット大通り」(1950)   ビリー・ワイルダー:監督を含むブックマーク

 有名な作品だけれども、観たのはこれがはじめてだった。かなり強烈なインパクト。やっぱり何といっても、ここでのグロリア・スワンソンの「怪演」というのか、このファナティックな演技がたまらない。このグロリア・スワンソンとのペアとして、エリッヒ・フォン・シュトロハイムのクールな抑えた演技がある。それで、ウィリアム・ホールデン(若いんで、さいしょは彼だとわからなかった)が死者の語りとして、物語を進行させて行く。グロリア・スワンソンとエリッヒ・フォン・シュトロハイムとの後ろ向きの不毛な世界、そこから魅入られてしまう空虚さをウィリアム・ホールデンも抱えていたわけだけれども、「オレにはまだ未来がある!」ってことに気づかされ、そのことで死のドアを開けてしまう。死んだあとにこうやってすべてを語りたい気もち、わかるなあ。


 

[]「すっぽん心中」戌井昭人:著 「すっぽん心中」戌井昭人:著を含むブックマーク

 表題作と「植木鉢」、そして「鳩居野郎」の三編の短編。それぞれが「すっぽん」、「植木鉢」、「鳩」というネタを使ってのコント、というおもむきも感じることになったけれども、やはり「すっぽん心中」が面白かった。ちゃんと取材したあとが感じられながらも、そのわりに非現実的だから面白いんだろうか。文章や文体それ自体は、意外とオーソドックスな印象だった。


 

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■ 2014-04-05(Sat)

 やっぱり、洗濯機は壊れてしまっていた。「すすぎ」までは進行するのだけれども、そのあとの「脱水」のところでストップしてしまい、使いものにならない。早急に、あたらしい洗濯機を買わなければならないだろう。やはり、気分的には落ち込む。

 洗濯機のような大型の家電を買うと、室内を通ってベランダまで運んでもらわなくてはならないかも知れない。ニェネントとの生活のせいで室内はかなり荒れていて、ここを他人に見せたくはないという気もちもあるし、その、他人に見られるという可能性を考えると、いかに今の室内のありさまがひどいことになっているのか、あらためて認識させられてしまう。
 壊れた洗濯機をどうするのか、やはりあたらしいのを買ったときに引き取ってもらうものなのだろうか、とも考えたのだけれども、これは調べたら市の方で、粗大ゴミの有料収集というのをやっている。そちらに頼んだ方が、安上がりにすむことがわかったし、業者に室内に踏み込まれないでも、わたしだけで処理出来そうにも思える。

 心療内科で処方薬をチェンジしたおかげで、さほど以前のように「だ液」はたまらなくなった。このことは喜ばしい変化。


 

[]「暗黒街のふたり」(1973) ジョゼ・ジョヴァンニ:監督 「暗黒街のふたり」(1973)   ジョゼ・ジョヴァンニ:監督を含むブックマーク

 この邦題では「ノワールもの」かと思ってしまうのだったけれども、そうではなく、社会復帰しようとする前科を持つ男(アラン・ドロン)と、彼を見守る保護司(ジャン・ギャバン)を通じて、社会ではなく、警察による前科者への偏見、そしてギロチンによる死刑制度への批判という映画。ラストの「ギロチン」は、たしかにショック、だった。


 

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■ 2014-04-04(Fri)

 こうやって、毎日この日記を書きつづけるというモティヴェーションが、ものすごく低下してしまっている。こういうこともまたやはり、心療内科で処方された薬の副作用ではないのかと疑ってしまうのだけれども、とにかくは処方薬のうち一種類はとりやめになったわけで、もうちょっとしたらいろいろと復旧(といっていいのか)してくることを期待したい。しかしとにかくは今のところ、<書きたい>という欲求、欲望がほとんどない。その結果がどのようになってしまっているか、このところのここの日記を読めばあきらかだろうと思う。あきらか過ぎる。

 それでも、「今はこういう状態だ」などと書けるようになったというのも、これは多少はポジティヴな気もちになってきているあらわれ、なのかも知れない。もうちょっと、自分が(ポジティヴに)変化して行くのか、して行けるのか、<観察>というわけでもないけれども、こうやって書きながら様子をみてみたいと思っている。

 この日記を書かないでいるのは簡単なことだけれども、こうやって毎日書いているというのは、ミイとの出会いからの思い出でやっているところもあり、そうたやすくはストップさせてしまいたくはない。つまらないことしか書けなくっても、とにかくは継続して行く。


 

[]「恋するシャンソン」(1997) アラン・レネ:監督 「恋するシャンソン」(1997)   アラン・レネ:監督を含むブックマーク

 この作品をこの日記で検索すると、四年前にいちど観ているようだった。おぼろげながら記憶するところもあったけれど、登場人物らのシチュエーションなど、つまりは肝心かなめのことがらはやっぱり、すっかり忘れてしまっていた。今回観てわかったのは、この作品の脚本、出演しているところのアニエス・ジャウィという女優さん、それにジャン=ピエール・バクリという男優さん二人によるものだということで、この二人(夫婦)は幾本かの作品で同じように脚本を書いて出演(共演)しており、近年の作品ではアニエス・ジャヴィが監督をつとめたりもしていらっしゃるらしい。アラン・レネ監督との作業でいうと、「スモーキング/ノースモーキング」の脚本も、この二人が担当されていたらしい、ということがわかった。

 これらの作品以降のアラン・レネの作品、「巴里の恋愛協奏曲」、「六つの心」、そして「風にそよぐ草」と、わたしの大好きな作品群がつづくことになるのだけれども、それらの作品にこの「恋するシャンソン」(そして「スモーキング/ノースモーキング」)が投げ与えている影は大きいものがあると、やはり思わざるをえない。


 

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■ 2014-04-03(Thu)

 きょうはしごとは非番で休み。外は一日中、しとしとと雨が降っている。きょうはまず北のスーパーで卵を買い、そのあと南のスーパーでマーガリンなどを買う。消費前増税前は特売で87円だった木曜日の卵、91円になっていた。その他、増税前は97円とか98円とか、ワンコインでおつりが来るような設定だった商品が、101円だとか102円とか、微妙に、ワンコインだけでは買えない価格になってしまっていた。

 午後からは心療内科へ通院し、また処方薬を替えることになった。こんかいは、新しい薬が出て来るのではなく、ひとつ薬を減らしただけ。薬を減らすというのは大歓迎。これでだ液も減り、「うつ」気分も、どこかへ行ってしまってくれるといい。

 夕食は、このあいだやったばかりだというのに、またホワイトシチューをつくったりする。前回はいまいちな仕上がりだったわけだけれども、こんどはけっこううまくいったというか、「そうか、ここはこうすればいいのか」というような、「コツ」もわかった気がする。これでまた、二、三日はシチューがつづくことになる。


 

[]「アルゴ」(2012) ベン・アフレック:監督 「アルゴ」(2012)   ベン・アフレック:監督を含むブックマーク

 この日記で検索すると、この作品、ことしの正月に観ていることになっているのだけれども、まったく、これっぽっちも記憶に残っていない。やはりこのところの「健常」な記憶力だとか、常識的なレベルでの水準に達していない。


 

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■ 2014-04-02(Wed) このエントリーを含むブックマーク

 きょうは東京に出かけ、メインとしては、京橋のギャラリーで開催中のAさんらのグループ展を観覧し、そのあとAさんと飲むという予定。せっかく東京に出るのだから、他にも何か開催中の展覧会も観てみたいと目論んではいる。Aさんのグループ展には五時ごろうかがうことにして、うちを一時ごろに出発すれば、それまでに何か観ることはできるのではないか、と考えていたのだけれども、そうではなかった。

 この三月に、地元のローカル線のダイヤが改訂され、もともと昼間の時間帯は一時間に一本の電車、それがいままでとちょうど三十分、じかんがずれたわけだけれども、では東京などに出るのに、今までのダイヤ改訂前よりも三十分早く出発すれば、それで東京などにも三十分早く到着するのかというと、これがまるでそういうことではない。ダイヤ改定前には、ターミナル駅から東京へ出る電車との接続もスムースで、その接続電車がちょうど一時間に一本の「快速」電車だったりしたわけだけれども、げんざいのダイヤ改訂後は、この接続がまるでうまくいっていなくて、要するに、かんたんに書けば、三十分早く出発しても、到着する時間は以前と同じということ。
 けっきょく、うちを出たのは一時だったけれども、新宿に着いたのはもう三時を十五分ほどすぎたじかん。ほんとうはウォーホル展などを観ようかという計画もあったのだけれども、これでは五時までに観終えて京橋に移動するというのはむずかしいだろう。展覧会へ行くことはやめて、本屋などをみて、じかんをつぶすことにした。

 新宿の大きな書店をみて歩き、「詩歌」の棚に、堂園昌彦という歌人の歌集「やがて秋茄子へと到る」というのが、平積みにされていた。この歌人の第一歌集、らしい。手に取ってページをくくってみると、一ページに一首ずつという版組み。

秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは

美しさのことを言えって冬の日の輝く針を差し出している

 などという歌にちょっと惹かれ、ほんのちょっと葛原妙子の歌を思い出したりもして、この堂園昌彦という名まえは記憶しておこうと思った。そうするとすぐわきに、この歌人を紹介する、書店のつくったフリーペーパーが置いてあった。それをもらった。

 いつのまにか五時も近くなってしまっていて、あわててメトロに乗って京橋に出る。
 Aさんのグループ展の会場のギャラリーはビルの地下だった。Aさんとも無事遭遇。ここでは簡単に書いておくにとどめるけれども、興味深い、いい展覧会だったと思うし、Aさんの作品もまた、いい作品だった。ほんとうはもっとキチンと感想を書くべきだろうけれども、この日記のポリシー(というほどのものではないのだが)だとか、そういうわけがあって、ここにはこれ以上書くことはない。

 ギャラリーが閉まってから、近くの居酒屋でAさんと飲む。わたし自身のこのところの「うつ」な症状もあるし、「だ液過多」というもんだいもあるのだけれども、そういうことをAさんに話しながらも、それらの事柄が、それほどに気になるわけでもなかったと思う。やはりこうやって、人と会って歓談できるということがわたしにはうれしいことではあり、Aさんには感謝したい。


 

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■ 2014-04-01(Tue)

 きょうから四月。消費税も増税されたけれど、さすがにきょうは何も買い物はしなかった。天候は春らしく、桜の花はさらに咲きすすんだようだし、外を歩いていてもすがすがしい気分になる。午前中は市役所へ行き、自立支援医療の申請をしておいた。

 午後にはそんな桜の開花にあわせて、チェーホフの「桜の園」を読み、読み終えたあとで、三谷幸喜の演出した「桜の園」の舞台を観たりした。感想は下に。 

 夜になって、行方不明だった「失われた時を求めて」の文庫本がみつかった。外に忘れてきたのではなく、自宅の本棚にちょこんと置いてあったのを、そんなところにはないだろうと、みつけられなかったのだった。きっと、無意識下の「もう読みたくない」という気もちが、みつけられなかった原因なんだろう。せっかく読み進めやすいパートに突入していたところだったし、みつけてしまったからには、がんばって読みつづけてみよう。


 

[]「桜の園」アントン・チェーホフ:著 米川正夫:訳 「桜の園」アントン・チェーホフ:著 米川正夫:訳を含むブックマーク

 自分でも意外なことだったけれども、わたしは、チェーホフの作品を何一つ読んではいなかった。きょうのこの、「桜の園」がチェーホフ初体験。

 冒頭に「喜劇四幕」と書かれていることが、あれこれと問題になっているらしいのだけれども、喜劇的なシチュエーション、喜劇的なセリフは頻出する。しかし根本のストーリーは旧貴族の没落という、悲劇性あふれる展開。ラストには、舞台となる屋敷も、桜の園も、人手に渡ってしまう。そういうところで、これは喜劇などではないだろう、みたいな批評も出たらしい。‥‥わたしの読んだ感覚では、悲しいまでに自分の生き方を変えられない人々の「悲喜劇」だろうというところで、こういうタッチの古い日本映画というもの、あれこれとあったような気がする。


 

[]三谷版「桜の園」アントン・チェーホフ:原作 三谷幸喜:演出 三谷版「桜の園」アントン・チェーホフ:原作 三谷幸喜:演出を含むブックマーク

 つまりは三谷幸喜氏の演出だから、その喜劇的側面をクローズアップしたものといえるのか。わたしはこの「桜の園」の他の舞台を観たことがないもので、何ともいいようがないのだけれども、思っていたよりも「まじめ」に演出しているという印象はあるし、そういう面では、もっと喜劇的にやってしまってもよかったように思ったりもする。細部の演出は喜劇的なのだけれども、それは「細部」にとどまっていた、という印象はある。


 

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