ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2014-11-30(Sun)

 フェリーニの「道」を久しぶりで観て、あれこれと思い出すことがあった。
 若い頃に「道」を観て、「映画の中のザンパーノみたいな人間にならないように生きたいな」と思ったのだけれども、今になってつまりは、ザンパーノみたいに人を(大事な人でも)見捨てるけれども、ザンパーノみたいにそのことで海辺で泣き崩れたりしない人間にはなれたぞ、ぐらいのものでしかないな、と思った。ザンパーノより悪いや。「情が薄い」って、(誰かに)言われたことも思い出す。

 きょうはもういちど、調子の悪いHDDをいじりまくってみた。ケースから完全に取り外してみたりしているうち、基板のコネクタからのデリケートな配線を切断したことに気付いた。ダメ。つまりは「一巻の終わり」である。それならばと徹底的に解体し、「ここにデータが蓄積されているわけか」という、鏡のような円盤を露出させるところまで行った。なんだか、この円盤を保存しておけばどこかで生き返らせることが出来るのではないのか、などと思ってしまい、その円盤だけを取り外した。上下に同じ円盤が二枚セットされていた。このHDDは2テラバイトの容量があったから、一枚で1テラ、ということなんだろうか。とにかくはその円盤2枚を袋に入れて保存することにして、残りは「燃えないゴミ」のゴミ袋に突っ込んだ。

 午後からまた圧倒的に眠くなってしまい、寝ることにした。寝る間際に「キャプテンサンダーボルト」をちょっと読み進める。それで昼寝のあと目覚めるともう六時過ぎ。つくり置きのシチューで夕食にして、また寝てしまった。おとといの寝不足を、わたしの身体はここで取り戻そうとしているのだろう。


 

[]二〇一四年十一月のおさらい 二〇一四年十一月のおさらいを含むブックマーク

舞台:
●「驚愕の谷」ピーター・ブルック、マリー=エレーヌ・エティエンヌ:脚本・演出 @池袋・東京芸術劇場 プレイハウス
●ミクニヤナイハラプロジェクトvol.9「桜の園」矢内原美邦:作・演出 @にしすがも創造舎
●Co.山田うん「ワン◆ピース2014/十三夜」ヲノサトル:音楽 山田うん:振付・演出 @三軒茶屋・シアタートラム
●Stoned Soul Picnic Vol.69「小林嵯峨 with いとう まく」@木場・EARTH+GALLERY

映画:
●「トム・アット・ザ・ファーム」グザヴィエ・ドラン:脚本・監督・主演
●「デビルズ・ノット」アトム・エゴヤン:監督

美術:
●「フェルディナント・ホドラー展」@上野・国立西洋美術館
● ジュリアン・オピー「Street Portraits」展 @谷中・SCAI THE BATHHOUSE
●中ザワヒデキ展「色彩魔方陣」@京橋・GALLERY CELLAR

読書:
●「決定版 カフカ全集 5 審判」中野孝次:訳
●「ゴーン・ガール」(上・下)ギリアン・フリン:著 中谷友紀子:訳

DVD/ヴィデオ:
●「第三の男」(1949) グレアム・グリーン:脚本 キャロル・リード:監督
●「審判」(1963) フランツ・カフカ:原作 オーソン・ウェルズ:監督
●「エイリアン」(1979) リドリー・スコット:監督
●「シャイニング」(1980) スティーヴン・キング:原作 スタンリー・キューブリック:監督
●「シー・オブ・ラブ」(1989) ハロルド・ベッカー:監督
●「ゾディアック」(2007) デヴィッド・フィンチャー:監督
●「ドラゴン・タトゥーの女」(2011) デヴィッド・フィンチャー:監督
●「プロメテウス」(2012) リドリー・スコット:監督
●「妖星ゴラス」(1962) 円谷英二:特殊撮影監督 本多猪四郎:脚本・監督
●「マタンゴ」(1963) 円谷英二:特殊撮影監督 本多猪四郎:監督
●「となりのトトロ」(1988) 宮崎駿:監督
●「新世紀エヴァンゲリオン」1話〜26話(1995〜96) 庵野秀明:監督
●「CURE」(1997) 黒沢清:脚本・監督
●「オーディション」(1999) 三池崇史:監督
●「回路」(2001) 黒沢清:脚本・監督
●「害虫」(2002) 塩田明彦:監督
●「ドッペルゲンガー」(2003) 黒沢清:脚本・監督

 

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■ 2014-11-29(Sat) このエントリーを含むブックマーク

 というわけで、飯田橋ギンレイホールでのオールナイト。上映される作品は「道」「鉄道員」そして「ひまわり」という、なんというのか「盤石」の三本。わたしはどうせ眠ってしまうことになるだろうけれども、ほんとうは起きて観ていられるといいとも思う。

 開場の十時四十五分(28日のこと)に近づくと、映画館のそばには大勢の人たちが集まって来る。整理番号順の入場になるのだけれども、わたしの番号は184番。映画館の定員は222名とか書いてあったので、おそらくは満員になるんだろう。いくら寝てしまうといっても、ちゃんとスクリーンの観られる席には座りたい。

 開場して映画館に入ると、最後列に端から二番目に空いている席があったので、そこに決めて落ち着く。やっぱり満員みたい。思いのほかに女性客が多く、全体の三分の一、もしくはそれ以上のお客さんは女性だった。ちょっと意外だったけれども、女性向けのプログラム、ということでもあったんだろう。

 まずは「道」から上映が始まり、ここは始まってから二十分ぐらいは起きて観ていただろうか。いくら記憶が飛んでいても、この作品のことはだいたい憶えている。「そうそう、そうなんだよね」と、スクリーンを確認して行くように観る。それでもっていつしか眠ってしまうのだけれども、途中でちょっと目覚めたら、キ印(この上映では「奇人」という字幕になっていた)がジェルソミーナに、「どんなものでも何かの役に立っている」という話をしている場面。それでザンパーノがキ印を殴り殺してしまうところからラストまで、ちゃんと起きて観てしまった。涙。若い頃にこの映画を観たときに、「ザンパーノのようになりたくない!」と思ったんだけれども、どうだったかな???

 二本目は「鉄道員」。こちらは冒頭の一、二分だけ観て眠ってしまい、次に目覚めたらちょうどラストシーンだった。このラストシーン、ちょっと記憶に残っていた。お父さんがギターを弾く手が、だらりと落ちてしまうところ。主題曲がなつかしい。

 最後は「ひまわり」。これはだいたいのストーリーは知っている映画だったけれども、ちゃんと観た記憶がないので、起きて観ていてもいいなと思った。それでもやはり最初の二、三十分で眠ってしまった。次に起きてからしっかりと観ていたら、もうほとんどラストの場面だった。ソフィア・ローレンがとってもいい。主題曲もいい。このプログラムの三本、どれも主題曲も大ヒットした映画ばかりだったね。

 すべてが終わって時間をみると、五時をまわったところ。もちろんJRはもう動いている。飯田橋の駅に行き、そのまままっすぐに帰路に着いた。電車の中で眠ってしまうと乗り過ごすかも、などと杞憂していたけれど、特に眠くもならずに帰宅出来た。自宅駅を降りるとちょっと雨。時刻はちょうど八時ぐらい。お出迎えしてくれたニェネントにごはんをあげて、さあ、寝なかった分を取り戻そうと、ベッドにもぐって寝ようとしたけれども、あんまり眠れなかった。昼になってからようやく眠ることが出来、夕方まで睡眠。そのあとは夕食にホワイトシチューをつくって食べ、「もう寝よう」としたのだけれども、それなりに映画館で睡眠出来ていたせいか、あんまり眠くならなかった。ちょっと人恋しくなってしまい、Iさんに連絡を取って、来週になっていっしょに飲むことにした。‥‥きのう、きょう観た映画はちゃんと観ていないので、カウントしない。


 

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■ 2014-11-28(Fri)

 きょうはまた上京。しかも、ほぼあちらで宿泊しなければならないことも決まっている。メインは木場のギャラリーでの小林嵯峨さんの公演なんだけれども、スタートが午後八時なわけだから、終わると九時を過ぎる可能性が強い。終わってすぐに急いで帰路に着いても帰れるかどうかわからないから、もう最初っからあちらで夜を明かすことを考えておかなくてはならない。ここでラッキーなことに、飯田橋の映画館「ギンレイホール」でオールナイトをやることがわかり、そこで夜を明かす計画を立てた。カプセルホテルに宿泊するよりも安く済むし、なかなかいい案だと思う。

 こんな遅いスタートのイヴェントに行くというのもなかなかないことだけれども、こんかいは小林嵯峨さんから直接に案内のお手紙をいただいたりしていて、「あの小林嵯峨さんから!」というわけで、これを無視することは出来ないでしょう、という感じ。こういっちゃなんだけれども、わたしは小林嵯峨さんにしっかりと記憶していただいているようである。うれしいこと。

 スタートの八時というのもゆっくりなので、その前に何か出来るではないかと考え、京橋で開催中の中ザワヒデキ氏の個展を観ることにした。きょうは内科医と心療内科にも行かなければならないし、自然と自宅スタートは三時ごろと決定する。

 きょうもそれほど寒くはない一日。日中からなんだか眠くて眠くて、「こんなことでは公演中に居眠りしてしまうのでは」と心配になる。そういうわけで、またいつものように電車の中では睡眠につとめる。
 きょうは上野の方から東京駅に行き、そこから京橋に歩く予定なので、赤羽駅で京浜東北線に乗り換える。ちょうど歩いていた駅の構内に書店があったので、きょう発売される阿部和重と伊坂幸太郎の共書「キャプテンサンダーボルト」があれば買っておこうと立ち寄り、平積みされていたのをすぐに見つけて購入する。東京駅までの車中で少し読んだけれども、「シンセミア」を思わせられるようなところがあり、先が楽しみになった。

 東京駅に到着して京橋の画廊に行くと、ちょうど作者の中ザワヒデキ氏が作品の解説をされているところだった。ラッキー。
 画廊のあとは木場に移動して、夕食を取ることにする。やはり中華がいいなと駅の周辺を見回すと、まさに「こういうタイプの店がいい」という中華の店を発見し、飛び込んだ。ちゃんと上海焼きそばもあったので注文。出て来た上海焼きそばにはアサリも入っていておいしそう。スプーンとフォークが付けられていて、これはスパゲッティのように食べるわけだろうかと。‥‥うん、なかなかに満足な味だった。

 で、メインのイヴェントの会場に到着する。ギャラリーである会場はなかなかにステキな空間で、出されたドリンクを飲みながら開演を待ったりする。

 終演後は打ち上げというか、アフターイヴェントのパーティーが行われるようだったけれども、時間はもうすでに十時に近く、わたしはほとんど居られないわけだし、正直書くとちょっと苦手な(嫌いな)人物が複数居てたわけで、早めにおいとまして飯田橋に向かった。このあたりの日付けはまだ28日の金曜日なのだけれども、明日の29日はどうせここで映画を観たこと以外に書くこともないだろうから、ここから先は「あした」のことにしてしまおう。あしたに続く。


 

[]中ザワヒデキ展「色彩魔方陣」@京橋・GALLERY CELLAR 中ザワヒデキ展「色彩魔方陣」@京橋・GALLERY CELLARを含むブックマーク

 魔方陣というのは本来数字によるものだけれども、ここでは印刷カラーのCMYの濃淡比率(0〜100パーセント)を数字に見立てての、結果として色彩になるところの「三段階」魔方陣(って、この説明でわかるだろうか)。こういうの。

 ちょうどわたしが行った時には作者の中ザワ氏が作品の解説を行なっているところだったのだけれども、そこで「文学的魔方陣」として、デューラーの「メランコリア」の中の魔方陣の話などをされていたのを聴けたのがよかった。幸田露伴にもそういうのがあるらしいのだが。

 作品としてはあえてキャンバスに油彩(といっても「黒」一色)で描かれている、というあたりに戦略的な面白さ(?)を感じた。

        f:id:crosstalk:20141129185843p:image


[]Stoned Soul Picnic Vol.69「小林嵯峨 with いとう まく」@木場・EARTH+GALLERY Stoned Soul Picnic Vol.69「小林嵯峨 with いとう まく」@木場・EARTH+GALLERYを含むブックマーク

 いとう まくさんという方はノイズ・ミュージシャン。この日の舞台ではノイズは控えめというか、あくまでも小林嵯峨さんをサポートされるような音に徹しられていた印象。

 小林嵯峨さんのソロというのは、かなり昔に「アウラ・ヒステリカ」を演られていた時の公演の記憶がよみがえるのだけれども、「舞踏」としては異質に、内面からの情念の演出というより、あくまでも表象にこだわられる舞踏のように感じた。そこでの「見せ方」に、「さすが」と思わせるところがいっぱい。特に後半(第二部)での、真上からの照明に裸の背中(背後)を見せられるシーンはほんとうに美しかった。


 

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■ 2014-11-27(Thu)

 きょうはきのうとは打って変わっての晴天で、暖かい一日になった。「小春日和」というにも暖かすぎるような気もしてしまう。机の前でパソコンに向かっているとニェネントがやって来て、わたしの足のあいだに入って来たりする。前はこんなことやらなかったんだけれども、「かわいい」と思って背中をなでてやると、のどをゴロゴロならして喜んでいる感じ。いっぱいかまってあげたくなる。

 ひかりTVの録画に使っているHDD、やっぱりダメになってしまった気配。わたしの対処法はいつも、「ダメになったものはいちどバラバラにしてやると復帰する場合もある」というもので、こんかいもHDDのカヴァーを取り外し、その内部を押したり引いたり、圧力を加えてみたりしてやる。‥‥そうすると実際に、一瞬だけ復帰した瞬間があった。「ほら」と思って設置し直すと、これがまたダメになってしまい、もう復帰は絶望的な様子になってしまった。

 このHDDに録画してあった映画は百本はあっただろう。それがもう、決して観られなくなってしまうわけだ。まるでわたしが過去の記憶を失ってしまったようなもので、それはショックなのだけれども、そういう「過去の喪失」というのはすでに体験済みなので、そこまでのショックでもない。でも、12月にはまた観たい映画がいっぱい放映されるし、もう一台新しいHDDを買った方がいいだろうな。また預金を切り崩すことになるわけだ。

 HDDの修理はあきらめて、図書館から借りた「審判」のDVDの残りを観る。


 

[]「審判」(1963) フランツ・カフカ:原作 オーソン・ウェルズ:監督 「審判」(1963)   フランツ・カフカ:原作 オーソン・ウェルズ:監督を含むブックマーク

 カフカの原作の、マックス・ブロート版の順番に従った映画化で、つまりはわたしが先日読んだものと同じ展開になっている。脚本としてはカフカに忠実に従った部分もあり、大胆に脚色した部分もある。大胆さの最たるものは、ダイナマイトで木っ端みじんに吹っ飛ばされてしまうラストシーンだろうし、唐突に、主人公の未来を占えるというコンピューターも登場する。時制はどうやらこの映画化の1960年代に移されている模様。

 あと、とにかくはヴィジュアル化でのぶっ飛び方と、演出での実験という面が表に出て来る作品。ビュルストナー嬢の友人の登場する場面でのコンクリートの集合住宅と荒廃とした風景、そこでのかなりの長回し撮影がまずは印象に残るし、あまりにだだっ広い主人公の職場にもびっくりする。光と影の演出もあれこれと実験的な試みがみられ、オーソン・ウェルズのこの作品に賭けた意欲が感じられる。

 ただ、ここでの逆説的なユーモアの発露というのか、硬っ苦しい演技の背後を読み取るのはなかなかにむずかしい印象があるのはたしか(まあ、カフカの原作自体にそういう側面はあるのだけれども)。

 俳優陣は豪華というか、主人公のヨーゼフ・Kにアンソニー・パーキンス、弁護士にオーソン・ウエルズ。女優陣もまたロミー・シュナイダーにジャンヌ・モロー、そしてエルザ・マルティネリなど。


 

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■ 2014-11-26(Wed)

 きのう観た「デビルズ・ノット」、実際に起きた事件の映画化で、未解決の様相を呈しているということで、当然ながらデヴィッド・フィンチャーの「ゾディアック」のことも思い出していた。監督のアトム・エゴヤンもそのあたりのことは意識をしているふうな演出だったけれども、感想としてはきのう書いた通り。
 それでそのデヴィッド・フィンチャーの次作「ゴーン・ガール」もあと二週間ほどで公開なんだけれども、読んでいた原作をようやく読み終えることが出来た。感想は下に。

 きょうは市民病院での診察で、冷たい雨の中をとなり駅まで出かけたのだけれども、二時間以上待たされて、すっかり具合が悪くなってしまった。もう元気がどこかに失せてしまって、ようやく診察の順番がまわってきた時には「どうでもいいから早く帰らせてくれ」という感じ。それでようやっと帰途に着いたら、こんどは急に風が強くなったりして、さしていた安物傘はこわれそうになるし、下半身は濡れてしまうし、寒いし、すっかり落ち込んでしまった。

 部屋に戻っても室内も真冬のような寒さで、ついに電気ストーブを引っぱり出して使い始めた。外の雨もずっとやまないようで、もうきょうは一歩も外に出ないぞと決めた。

 図書館から借りているDVD、オーソン・ウェルズの監督したカフカの「審判」を、三分の一ほど観た。全部通して観る気力もなかった、という感じ。天気予報では、あしたは打って変わって「小春日和」のあたたかさになるという。早くあしたになって欲しい。


 

[]「ゴーン・ガール」(上・下)ギリアン・フリン:著 中谷友紀子:訳 「ゴーン・ガール」(上・下)ギリアン・フリン:著 中谷友紀子:訳を含むブックマーク

 ちょっと見かけたこの本の書評に、パトリシア・ハイスミスの名を引き合いに出していたものがあり、彼女の作品をまるで忘れてしまっているとはいえ、ハイスミスの作品の大ファンだったわたしは、かなり楽しみにして読み進めた。

 「イヤミス」というものがあるらしく、いったい何のことだか皆目見当がつかなかったのだけれども、そこにもハイスミスの名があり、この作品もそのひとつとされていた。調べると「嫌な読後感のミステリー」とかいう意味合いらしい。たしかにハイスミスの作品にはまさにそういうところがあったはずで、彼女の作品を「イヤミス」と呼ぶならそれでいいだろう。しかし、この「ゴーン・ガール」、そこまでに嫌な読後感ではないのではないか。たしかに人の否定的側面をクローズアップして行く感覚はあるけれども、ある意味でこの結末、「丸く収まる」ものだろう。実のところ読んでいる途中で結末の落ち着きどころが読めてしまって、まさにその通りになったわけで、それほどに楽しめたわけではない。中盤には笑ってしまうような展開もあり、ある意味ではヤバい性格の戯画化というところもあるのではないだろうか。

 とにかくはストーリー展開の骨子はつかめたし、あとはこの作品をどのようにデヴィッド・フィンチャーが料理したかを楽しむのみ。あと公開まで二週間。早く観たい。


 

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■ 2014-11-25(Tue)

 きょうはまたまた東京。新宿でのGさん(イニシャルにするのか迷ったけれども、やはりイニシャルで)の個展を観に行くつもりなんだけれども、その前に上野にでも行って、国立博物館へ行って「国宝展」を観て、ずっと「また行きたい」と思っている東洋館も観て、それでGさんの個展の差し入れに博物館の売店で売っているスイーツとか買って行こうかとか目論んだのだけれども、これが調べてみたらきょうは月曜の祝日の翌日でまたまた休館日なのだった。このところ、上野へ行こうとすると「休館日」。いやになってしまう。それではと映画でも観に行くことにして、新宿でやっているアトム・エゴヤン監督の「デビルズ・ノット」を観ることにする。Gさんの個展は夜八時までやっているので、七時ぐらいに行って、それで画廊を出たあとにGさんとちょっとでも飲んだり出来ると楽しい。九時をすぎたら帰らなくてはならないから、あんまりゆっくりとは出来ないけれども、それでもこのところ、Gさんと飲むのはわたしには楽しい体験になっている。
 映画は四時十五分とかの上映回を観れば終映は六時ちょっと過ぎだろうから、きっとちょうどいだろう。それで、家を出るのは一時ごろでOK。

 きょうは雨。それでもわたしはあんまり寒くは感じなかった。電車の中ではあと残りわずかになった「ゴーン・ガール」をちょっと読み進めるのだけれども、例によってまぶたが重くなってしまい、例によって爆睡。どうしてこうなんだろう。

 新宿に着いて、まだ映画の開映までには一時間近くある。まずは映画館に行って座席を確保する。って、がら空きではないですか。かえって選ぶのに困ってしまう。とにかくは通路に近い席を選んで外に出て、あとは本屋に行って時間をつぶし、開映時間が近くなって映画館へ戻る。映写室に入ってみると、観客はぜんぶで五、六人しかいなかった。なんだか寂しい。映画が始まり、映画の筋立ての、ミステリー的なところはけっこう気に入ったけれども。

 映画が終わって外に出ると、もうすっかり暗くなっている。雨足はそんなに強くはない。二丁目にあるギャラリーへと向かう。

 わたしは昔は通りを隔てた三丁目のあたりのバーとかにはよく出入りしていたものだけれども、そんなに離れていないこの二丁目界隈にはまるっきし足を踏み入れたこともなく、かなり歴史の古いというそのギャラリーのこともまるで知らなかった。
 狭い階段をずんずんと昇って行くとそのギャラリー。Gさんと、そのギャラリーのオーナーのHさんとがそれほど広くはないギャラリースペースにいらっしゃった。ビール(発泡酒)を出していただき、GさんがわたしをHさんに紹介してくれると、すぐに打ち解けた会話が始まってしまった。Hさんとは共通の知人もいっぱいあるようだし、ほぼ同世代のHさんとの話ははずんでしまう。そうそう、Gさんの作品もまた、とってもよかった。

 20時で画廊はクローズなので、それからわたしが帰らなくてはならなくなるまでの短い時間、Gさんと近くの台湾料理の店に行き、主に食べて食べてして、あれこれとおしゃべりをした。このところGさんとご一緒して飲んだりする機会が多いのだけれども、楽しませてもらっている。またGさんとゆっくりと会話を楽しみたい、かな。そういうことで、地元へは久々に終電車での帰宅になった。


 

[]「デビルズ・ノット」アトム・エゴヤン:監督 「デビルズ・ノット」アトム・エゴヤン:監督を含むブックマーク

 1993年にアメリカのアーカンソー州で実際に起きた少年3人惨殺事件、これで3人の青年が逮捕されるのだけれども、それはえん罪ではないのかと訴えかける作品。ちゃんと最初の方の展開で、「この人らが怪しいんじゃないのか?」というのは見せてくれる。

 基本はドキュメンタリー・タッチというか、事件とその経過を客観的に伝えようとする「レポート」形式なのだけれども、ここに利害関係抜きに真相を突きとめようとする調査員(コリン・ファース)のドラマが入ることで映画的なふくらみを持たせようとする演出。これがうまくいっているとは思えない。けっきょく、観客はこのレポートの部分でもって、この実際の事件への興味を持つだけだろう。映画的な演出に記憶が残るとは思えない。

 ひんぱんにTVモニターに映される映像で捜査や裁判の行方が示されるけれども、そこにこそ、レポートタッチと映画的演出との妥協の失敗点が露出している印象になる。TVモニターによる映像、ナレーションが、「説明」になってしまっている。描かれた題材には興味を持ったのだけれども、映画としてはちょっとがっかりしてしまった作品。


 

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■ 2014-11-24(Mon)

 またきょうは上京した翌日ということで、お昼寝とかしちゃうんじゃないかと思っていたけれども、なんだかずっと起きていられた。きのうお弁当をいっぱい買い込んであったので、昼食も夕食もそれで済ませてしまったから、ある面でお気楽な一日。

 このところ精神状態も好調というか、「ぼっち」であることは「ぼっち」なのだけれども、充実している感じはある。脳内は相変わらず「からっぽ」なんだけれども、それなりに思考を発展させられるようなストックも出来て来ただろうか。ストック量はたいしたことはなくって、中学生とか高校生の持っているストックと大差ないのだろうけれども、そこはわたしも伊達に歳を重ねているわけでもなく、そういうストックから思考を発展させることが出来ることを実感する感じ。

 きょうは午前中にパソコンでジブリ作品をひとつ(って「となりのトトロ」だけれども)を観て、午後には「ドラゴン・タトゥーの女」を観たりした。

 

[]「となりのトトロ」(1988) 宮崎駿:監督 「となりのトトロ」(1988)   宮崎駿:監督を含むブックマーク

 あらためて観ると、どこか「アリス」の変奏曲のようでもあるんだな。「アリス」のような世界が日本にあるとしたらどこか? それは昭和の、東京から遠く離れた地方だろうか。そこに民俗学的な引用もちりばめて、昭和の地方の生活様式の中に「半分は洋式」な建物を設定し、そこに「どこにもない場所」を創り出す。どこかにあるようでどこにもない場所の、どこにもないようでどこかにあるような物語。魅惑的。

 アメリカ版ではこの「トトロ」、声の吹き替えがダコタ・ファニングとエル・ファニングの実の姉妹がやっているらしい。まあそれ以上は望めないようなすごい配役だけど、それだけ宮崎駿作品への評価が高いということなんだろう。


 

[]「ドラゴン・タトゥーの女」(2011) デヴィッド・フィンチャー:監督 「ドラゴン・タトゥーの女」(2011)   デヴィッド・フィンチャー:監督を含むブックマーク

 う〜ん、やっぱり、デヴィッド・フィンチャーはすごい! この作品の主眼点はヒロインのリスベット(ルーニー・マーラ)の造形というところもあるだろうけれど、一方の主役のミカエル(ダニエル・クレイグ)の行動と並行しての、例えばバイクで疾走するリスベットのカットの挿入など、爽快感があふれる。

 全体の演出のタッチなど、まさにデヴィッド・フィンチャーなのだけれども、とりあえずは「シャープだな!」という感想だけを書いておく。


 

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■ 2014-11-23(Sun)

 さてきょうは三軒茶屋に出て、Co.山田うんの「ワン◆ピース2014/十三夜」を観る予定。それでやはりちょっと早めに出て、京橋方面で開催されている展覧会を観てからにしようと思ったりしたのだけれども、調べてみるとそちらの方は日曜日/祝日は休廊ということだった。それではゆっくりめに出かけようかと、ゆっくりめといっても十二時前には家を出る。これで行くと二時半ぐらいには現地に着くだろうから四時開演の舞台にはじゅうぶん間に合うし、その前にちょっと遅い昼食をやっておくつもり。これは先日三軒茶屋に来たときに寄った中華スナックの焼きそばがおいしかったから、またあそこへ行ってみようという目論み。

 また電車に乗ると眠くなって、途中からは睡眠モード。すっかり「電車で眠ってしまうオヤジ」になってしまった。不思議と赤羽とか池袋のあたりに差しかかると目が覚めて、乗り越してしまうことはないのだけれども、きょうも目覚めたら池袋に到着するところだった。

 三軒茶屋には予定どおり二時半すぎに到着し、その中華の店に行ってみたのだけれども、もうランチタイムが終了していて店は閉まっていた。失敗。それでやはり中華の店がいいとしばらく探して、きょうの会場のシアタートラムにけっこう近いところに見つけて入店。しかし、計算してみると舞台の開場が三時半だから、考えていたほどの余裕があるわけではない。もう時計は三時を回っているし。
 とにかくは「焼きそば、焼きそば」という感じで「五目あんかけ焼きそば」を注文し、これが出来て運ばれて来たのがもう三時十分。三時半に多少遅れて行ってもいいのだけれども、そうすると「整理番号順の入場」というのが無駄になってしまい、いい席が空いていない、ということにもなってしまう。やはり開場時間には間に合いたい。そう思ってそばをかきこむと、まだ出来立てでめっちゃあつくって、あやうく口の中をやけどするところだった。味はまあまあ。けっこう高かった。

 とにかくは開場時間より前に会場に到着し、なかなかいい席にすわることが出来ただろうか。感想は下に。

 舞台がはねてまだ六時前。ここは三軒茶屋なんだからまた歩いて下北沢まで行って、「G」でちょっと飲んで、というのもいいなと思ったのだけれども、それよりもまっすぐ帰って、またスーパーで安くなった弁当でも買いましょうか、などと考えてしまう。‥‥そうすることにした。

 電車の中では持って来た「ゴーン・ガール」を読み進み、だいたい上巻は読了というところで自宅駅に着いた。そのままスーパーに向かい、思惑どおりに半額になっていたお弁当類から中華弁当と鉄火丼、それにちらし丼と、三つも買ってしまった。残りはあしたの食事にしてもいいわけだし。
 帰宅してニェネントのお出迎えを受け、わたしは中華弁当で夜食にして、食卓のまわりでうろうろしているニェネントには、鉄火丼から少しマグロを取り出してわけてあげた。ニェネント、よろこぶ。わたしはベッドにもぐり込み、「ゴーン・ガール」の上巻を読み終えて、下巻へと突入したところで眠くなってしまった。


 

[]Co.山田うん「ワン◆ピース2014/十三夜」ヲノサトル:音楽 山田うん:振付・演出 @三軒茶屋・シアタートラム Co.山田うん「ワン◆ピース2014/十三夜」ヲノサトル:音楽 山田うん:振付・演出 @三軒茶屋・シアタートラムを含むブックマーク

 舞台は休憩をはさんで二部に分かれ、前半が「ワン◆ピース2014」、これは2004年初演の作品がもとになっていて、後半が新作の「十三夜」。休憩時間の舞台転換には振付の山田うんさん自身もヘルプを。

 まずは「ワン◆ピース」。感情表出を排してのダンシング・マシーン的な動きは、それでもアクロバティックというものとは異なる印象で、その底からセンシティヴなものが期せずして沸き上がって見える後半への流れは興味深かった。しかし舞台で重要な役割を果たす箱、あの仕上げでよかったのかどうなのかと思う。

 そして「十三夜」。先にやった「ワン◆ピース」で、あそこまで排するものを排してやっていたのに、どうしてこの新作ではここまでベタベタになってしまうんだろう。全員が横に並んでのラインダンス(?)的な動きにはしびれたし、照明はよかった。それにしても情感過多。わたしにはトゥーマッチ、だったかな。


 

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■ 2014-11-22(Sat) このエントリーを含むブックマーク

 このところの舞台鑑賞、そして展覧会の鑑賞、自宅での映画の鑑賞などはとってもうまく機能したというか、自分のキャパシティが拡がったような感覚はある。わたしの持っている在庫なんて、基本はこの七月からのほんの数ヶ月のものにすぎないのだけれども、そこでうまい具合に引き当てると記憶がよみがえるというのか、脳内の検索可能領域が拡がるような思いになる。このような感じで自己拡張を続けていければ、今のわたしにとってベストということになるのではないのか。とにかくはここのところの充実感というものには大きなものがある。うれしいことだと思う。

 たんじゅんに再体験する、ということではなく、例えば映画などでいえばむかし観たものをもういちど観るようなケースばかりで、観ているとそれなりに思い出して来ることもあるのだけれども、そういうことだけではなく、映画創作のもうちょっと裏深いところまで鑑賞出来るようになっているところがうれしい。単に「生き直している」のではなく、それなりに進化している気分になれる(幻想かも知れないけれども)。

 あしたはまた三軒茶屋でダンスの公演を観る予定。午後からまた、すっごく眠くなってしまい、「ここは無理しないであしたのためにも眠っておいた方がいい」と思い、長めの昼寝をした。

 夜、眠っている時に、長野でちょっと大きな地震があったようだ。ちょうどその時間にいちど目覚めたのは、地震の揺れによるものだったのかも知れない。


 

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■ 2014-11-21(Fri)

 ずっと「ゴーン・ガール」を読んでいるのだけれども、先にWikipedia で映画のあらすじを読んでしまっているせいか、いままでのところはあんまり面白くなくって、ちょっと読みあぐねてしまっているところもある。ここで「純文学」とかという言葉を持ち出して比較するのもアレだけれども、やっぱり大衆文学なりの「甘さ」というのはあるのかな、などと思ってしまう。

 きょうは、おとといのCTスキャンの結果を聞きに行く日。「あなた、たいへんですよ!」な〜んていわれたらどうしよう、という気もちも多少はあるのだけれども、「そんなことはありっこない。つまりわたしは数千円を無駄にして、やらなくってもいい健康診断をやっただけだよ」という結果にちがいない、とは思っている。
 やはりきょうは「お出かけした翌日」というモードで、眠くって仕方がない。病院なんか行かないでこのまま昼寝してしまおうか、なんて気もちにもなるのだけれども、そこまで非社会的にもなれないわたしなので、がんばって午後から病院へ行った。
 ‥‥結果。ほ〜ら、わたしの思った通りだった。腎臓に異常は認められないし、肝臓も膵臓も脾臓も、とっても元気だった。担当医の方がスキャン映像を眺めながら、「この骨はしっかりしてますねー」と、わたしの脊髄骨の腰のあたりの骨をほめて下さった。ふふ、ちょっとうれしかったかな。ぜったいに「ヨボヨボじじい」になんかならないから。

 帰宅して、このまま「寝てしまおうか」という気分もあったのだけれども、まだまだ早い時間だし、録画した映画を一本観てやろうという気分で、「第三の男」などを観てしまった。夕食はまたカレーライス。あしたあさってぐらいまでカレーはあるし、カレーの材料もそろっているので、そのあとはまたカレーをつくったりして。


 

[]「第三の男」(1949) グレアム・グリーン:脚本 キャロル・リード:監督 「第三の男」(1949)   グレアム・グリーン:脚本 キャロル・リード:監督を含むブックマーク

 第二次世界大戦後のウィーンの街、その地政学的な状況がひとつの大きな背景であり、そしてもうひとつ、アントン・カラスのツィターの音楽もまた、決定的な背景を形成している。

 さいしょにオーソン・ウェルズがその顔を見せる場面は、「シャイニング」のジャック・ニコルソンぐらいの、あるいはそれ以上のインパクトがあるかなあ。映画史の中の名シーン。地下水道の追跡(ここは短いカットの積み重ね)、そしてあのラストシーン(長回しだ)などもすっばらしいんだけれども、わたしはアンナ役のアリダ・ヴァリが、警察に連行されてのシーンの演出が好き。「おお、映画やなあ」と、うならされる。

 前半の叙述が今の映画とはずいぶんと異なる感じで、そういうところでは現在の映画文法でリメイクされたものを観てみたい気もする。監督は、そりゃあデヴィッド・フィンチャーに決まってる。



 

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■ 2014-11-20(Thu)

 上野の西洋美術館で開催中の、「フェルディナント・ホドラー展」の招待券をいただいていて、その有効期限があしたまで。あしたはまた胃腸科医院へ行って、きのうのCT検査の結果を聞かなくっちゃいけないから、行けるとしたらきょうしかない。ちょっと無理っぽいなあ。それに来ているホドラーの作品にどれだけ魅力があるのかよくわからないし、やっぱりパスしようかと何度か思ったのだけれども、どうもモノを無駄に出来ない性格というか、無料招待券でも無駄にしてはいけないじゃないかという思いもあって、けっきょくは出かけることにした。この一ヶ月で三回目の上野になる。また早めに家を出て、向こうで外食しようと企てる。それで帰宅してからまたスーパーで値引きされたお弁当を買って、それを晩ご飯にしようと。

 電車の中ではきのうから読み始めた「ゴーン・ガール」を読み、あんまり寝ないで(それでもやはりちょっと寝た)上野に到着。まずは食事にしようと、きょうは広小路の方に歩いてみる。とにかくやはり中華がいい。出来れば「上海焼きそば」のある店、ね。
 二、三分歩いたところで中華料理屋を見つけ、「ここでいいや」と飛び込み、五目焼きそばを注文する。そんなに高くなかったけれども、味もイマイチだっただろうか。外に出たら、ポチポチと雨が降り出していた。天気予報で「雨」だなんていっていた記憶はないのだが。上野公園の方へ引き返すと、道すがらにまた中華の店があり、こっちは表にも「上海焼きそば」のメニューが書いてあった。こっちにすればよかったなかな。こんど上野に来たら、ここで食べてみようと思う。
 だんだんに雨足も強くなり、バッグの中から折りたたみ傘を取り出す。この折りたたみ傘、小さいから収納にはいいんだけれども、あんまりにも小さすぎて、だいたいは肩口とか濡れてしまうし、さしにくいんだよね。とにかくはなんとか西洋美術館に到着。

 この西洋美術館に来るのも、ずいぶんと久しぶりのことだと思う。記憶が飛んでいるのでいつが最後だったかわからないけれども、何十年ぶり、ということもありえる。「ホドラー展」を観たあと、常設展の方も駆け足で廻って観たのだけれども、そこでものすごい過去の記憶がよみがえる思いがして、ちょっと自分でもおどろいてしまった。特に19世紀から20世紀の絵画をここで観た記憶がしっかりと残っていて、一点一点をかなり鮮明に思い出すことが出来た。ゴーギャンの絵、ヴァン・ドンゲンの絵、エルンスト、ミロの絵などなど、あれもこれも。‥‥これは、とてもうれしい体験だった。何かを取り戻したような感覚で、ウキウキしてしまう。

 思ったよりも美術館に長居してしまい、二時間半から三時間もいたのだろうか。外に出るとやはり雨が降っていて、もう空は薄暗くなっていた。きょうはもう一件、谷中のSCAI THE BATHHOUSE にも足を伸ばし、開催中のジュリアン・オピー展も観ようと思っている。それで動物園の方から谷中へと向かったのだけれども、動物園のそばのミニ遊園地の明かりが、薄暮時の中できれいにみえたので、ちょっと近寄ってみた。雨のせいで、遊園地の中に人はいない。みているとちょうど、動物園の中から何の声とはわからない動物の鳴き声が聞こえて来た。何とはなしに、世界の終わりの景色のように感じてしまった。

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 雨の中をSCAI THE BATHHOUSE へと行くのだけれども、思ったよりもずっと近距離だった。こちらの展示もとても楽しかった。

 上野駅から、五時ちょっと前の電車で帰路に着く。上野ではあまり混み合ってもいなかったけれども、赤羽、大宮でずいぶんとお客さんが乗って来て、座れなかった身としてはけっこうつらいことになってしまった。
 いちど七時半ごろに帰宅して、八時になればスーパーの弁当も半額になる頃と、そういう時間にスーパーに出かける。思惑どおりに弁当は半額だったし、タマネギにジャガイモ、そしてニンジンなどがひとつ十円という大特価で売っていたので、けっこう買ってしまった。‥‥またカレーかシチューだな。

 帰宅して、買って来た中華弁当を食べる。うん、このスーパーの中華弁当は飛び抜けて美味だと思う。いつも週にいっぺんぐらい、こうやって半額になった時間に買って来て夜食にしてもいいな。‥‥食べていると、ニェネントがわたしの食べているのをのぞき込んでくる。いつもと違う匂いがするからだろうか。残念でした。この味付けではあなたにあげれるものはありません。でも、お留守番ありがとうねということで、卵の黄身を割って皿に取り、ニェネントにあげた。

 きょうはなんだか、いい一日だったと思う。

 

[]「フェルディナント・ホドラー展」@上野・国立西洋美術館 「フェルディナント・ホドラー展」@上野・国立西洋美術館を含むブックマーク

 ホドラーについてはどっちかというと素朴で荒削りなタッチの絵だという先入観もあって、あまり期待していなかった。ただ、彼が世紀末美術に接近した頃の、名作「夜」のような作品に出会えればいいな、という気もちはあったのだけれども。

 それで展示順に観て行って、途中に「オイリュトミー」と題された作品があった。その作品の完成度の高さとともに「えっ!」と驚かされてしまうのだった。「オイリュトミー」ということばにこんなところで出会うとは!

 オイリュトミーという言葉の使用は、あのルドルフ・シュタイナーよりも早いらしいのだけれども、そこにはやはり舞踏〜ダンスと深くからんでくる思想があるようで、彼の作品にそういうダンス的な要素が強く刻印されていることがわかる。これ以降の作品でも、そういう作品に内包されたリズムなどを観て取ることが出来、とても興味深く観ることも出来た。

 壁にかかれたホドラー自身の言葉として、次のようなものが掲げられていた。

自然の形態リズムが感情のリズムと協働すること、交響すること。わたしはそれをオイリュトミーと呼ぶのだ!

 とにかくはわたしの中でのホドラー観も一新され、なんだか新鮮な驚きに包まれたような感覚。きょうはちょっと無理をして観に来たけれども、無理をした甲斐があった。

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[]ジュリアン・オピー「Street Portraits」展 @谷中・SCAI THE BATHHOUSE ジュリアン・オピー「Street Portraits」展 @谷中・SCAI THE BATHHOUSEを含むブックマーク

 アクリルパネルとシンプルなLED動画作品と、合計十点ほどの展示。アクリルパネルはおそらくは日本人の顔をモデルとしたような連作で、親しみを感じてしまう。LED動画は歩く人、走る人がリピートする作品と、その歩く人が大きく引き延ばされ、左右から歩いて来て交差するものと。作品はとってもシンプルだけれども、つまりはその「すき間」にスルスルと入って行けるような感覚。とっても爽快な作品群の中で、心を遊ばせることが出来た。まだ始まったばかりなので、もういちどでもまたゆっくりと観に来たい、と思える展覧会だった。

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■ 2014-11-19(Wed)

 きょうは胃腸科の病院に、CTスキャンを受けに行く。腎臓の具合を診るためだけれども、自覚症状がないことは何の気休めになるわけではないとはいえ、わたしには「無駄」なことに思えて仕方がない。そんな無駄なことのために、何千円かの診察費を取られるわけだ。なんとか五千円ぐらいで済んでくれればいいと思うのだけれども、五千円でもわたしのふところには痛いことは痛い。

 病院へはわたしの家から歩いて七、八分だろうか。どこへ行くにもコンヴィニエンスな環境であるわけだ。空は晴れていて、日射しは暖かいのだけれども、日陰に入ると寒く感じる。もう十一月も後半。いつの間にか「冬」と呼べる季節に入ってしまった。あんまり秋っぽい服装もしないまま、セーターの必要な季節になってしまった。

 病院に着いて、そんなには待たされずにCTスキャンを受ける。なんだかこの一年、こういう検査ばかり受けているんだなあと思う。それだけ老化して来たからだ、というわけでもないんだけれども。

 けっきょく、明後日に結果を聞きに来ることになり、この日は予想どおりに五千円ぐらい取られてしまった。また貯金が目減りするわけだ。とにかくは「まさか」はないと思うけれども、検査の結果が「異常なし」と出ることを願う。

 帰宅して遅い朝食を取り、すぐに昼食にした。きのうのカレー。夕食もまたカレーである。録画してある映画を観ようとして、やはり二つあるHDDの一方がきわめて調子が悪いことがわかった。新しく録画しようとしたものはことごとく失敗しているし、すぐにチューナーから認識されなくなってしまう。もうこっちのHDDは録画には使えないものと考えた方がいいのかも知れない。残念だ。


 

[]「シャイニング」(1980) スティーヴン・キング:原作 スタンリー・キューブリック:監督 「シャイニング」(1980)   スティーヴン・キング:原作 スタンリー・キューブリック:監督を含むブックマーク

 名作。この作品に関しては記憶に残っている部分が多い。それだけ昔に観ているせいなのかも知れない。

 しかし、ホラーだというのに画面はいっつもピーカン照りというか、暗い照明のシーンなんて皆無。それで、その明るさでもって恐怖感をかもし出させるような演出もあり、やっぱりただ事ではない作品なのだと思う。

 あらためて、伝説になっているジャック・ニコルソンの怪演などよりも、恐怖におののくシェリー・デュヴァルの演技の恐ろしさに釘付けになってしまい、全部観終わったあとにその部分だけ(ジャックの原稿を読んでしまい、ジャックに追いつめられて階段を後ろ向きに上って行くシーン、それからジャックがドアを斧でぶち割る背後で恐怖に叫ぶシーン)二度見してしまった。すっごい! これらのシーン、Wikipedia を読むと、<キューブリックらが撮影中、デュヴァルに対し『意図的に』激しく当たったため、精神的に追い詰められ、それがそのまま演技に生かされたものといわれている>となる。ひどい。じっさい、シェリー・デュヴァルは「二度とキューブリックの作品には出演したくない」といっているらしい。

 そう、音楽でバルトークが印象的に使われていて、そのほかにもリゲティだとかペンデレツキの曲が使われていたのだった。


 

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■ 2014-11-18(Tue)

 きのう日暮里の古本屋の棚を見ていて、読もうと思っていた「ゴーン・ガール」の上巻だけが置かれているのを見つけた。ちょうど買おうと思っていたのだから買ってしまおうと、手に持ってレジまで進もうとして、「まてよ? 上巻はAmazon で買ってしまったんじゃなかったかな? 買うんだったら下巻の方を買わなくっちゃいけないんだ」と気がついた。あやうく二重買いしてしまうところだった。その下巻は無事に巣鴨の本屋で購入。うまくいけば上巻はきょうにも自宅に届くはずだから、すぐに読みはじめることが出来るだろう。そういうことだから、いま読んでいるカフカの「審判」を急いで読み終えなくっては、という感じで、なんとか読み終えた。

 どうも東京などへ出かけた翌日は疲れが出てしまうのか、昼寝してばかりしているようだけれども、やはりきょうも午後からたっぷり寝てしまった。目覚めるともう外は暗くなりかけている。フッと脇を見ると、ニェネントがわたしの肩口のところにちょこんと座っていて、わたしの顔をのぞき込むようにしていた。「いつまで寝てるのさ。もう起きなさいよ」って感じ。
 しかし、もしもわたしがベッドの上で突然死とかしてしまったら、ニェネントはこうやっていつまでもわたしの顔をのぞき込んだりし続けるんだろうか。うん、ぜったいに突然死なんかやらないぞ!

 夕食にはカレーをつくろうと、ちゃっちゃっと肉や野菜を炒め、煮込んでからカレールーを入れる。きょうは二つのメーカーのルーを半分ずつ使ってみた。今までの体験では一方はさらっとし過ぎているし、一方は逆にドロドロのカレーになってしまう。それならば半分ずつにすればちょうどいい具合のが出来るんじゃないかと思ったわけだけれども、思った通りにわたし好みのカレーに仕上がった。これからカレーをつくるときにはこのやり方で行こう。

 

[]「決定版 カフカ全集 5 審判」中野孝次:訳 「決定版 カフカ全集 5 審判」中野孝次:訳を含むブックマーク

 むかしはもっともっと長い小説だと思っていたのだけれども、思ったよりもみじかかった。

 ある朝突然に主人公のヨーゼフ・Kが逮捕されることからこの作品は始まり、終幕ではヨーゼフ・Kは処刑される。この冒頭とラストのみしっかりと決まっているわけで、そこに挟まれる逮捕以降処刑までの過程は、まさに無限のヴァリエーションを挿入することが出来るだろう。ある男の人生をまるごとすべてぶち込めるわけだ。「城」では測量士のKがどこまで行っても城にたどり着けないわけだろうけれども、それと同じように、作品としてはどこまで行っても「未完」である、という形式をつくることが出来る。まさにカフカはそのような作品を書いた。カフカはこれらの作品を世に問おうとはせずに廃棄を求めたが、マックス・ブロートが世界に提示することで、わたしたちはこの「ワン・アンド・オンリー」な世界を享受出来るようになった。

 まだわたしは彼の生涯について知ることは少ないのだけれども、この「審判」には当然執筆時のカフカの私生活が反映されているようだし、当時の日記にはこの「審判」執筆についての記述が多いらしい。主人公のヨーゼフ・Kはもちろんカフカ自身、というよりも戯画化されたカフカの姿が読み取れるのだろう。つまりはここにカフカの人生観も反映されてもいるだろうし、そういう自分や、自分を取り巻く社会を笑い飛ばしてしまうような姿勢もうかがえる。

 しかしこの作品でのヨーゼフ・Kはあまりに好色というか、登場する女性すべてに色目を使っているようなところがある。その点においてこそヨーゼフ・Kは逮捕され、その点においてこそ「有罪」なのではないのかと思ってしまうほどである。

 オーソン・ウェルズがこの「審判」をアンソニー・ホプキンズの主演で映画化しているわけで、そのDVDは地元の図書館で貸出ししている。今度観てみよう。


 

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■ 2014-11-17(Mon)

 きょうは東京へ。まずは上野へ行って「ホドラー展」を観て、それからゆっくりと西巣鴨へ廻って、ミクニヤナイハラプロジェクトの「桜の園」を観るつもりだったのだけれども、朝に予定を考えていたら、「あれ?きょうは月曜日じゃないか」と、今さらに思い当たってしまった。つまり美術館は休館日。予定が狂ってしまった。
 それでも、谷中の中華の店で上海焼きそばを食べたいという夢は捨て切れず、上野に出て巣鴨に廻ってもそんなに遠回りとも思えないし、やはり上野から谷中に歩き、そして日暮里からJRで巣鴨へという計画は実行することにする。美術館に寄らないので、少し家を出る時間は遅く出来る。それでも午前中に家を出て上野へと向かった。しまった! ケータイを部屋に忘れて来てしまった。

 上野に着き、先日歩いたコースと同じように谷中へと歩き、途中で中華の店に立ち寄って、念願の「上海焼きそば」を注文した。‥‥う〜ん、期待していたほどの味ではなかったというか、昔この店で食べた上海焼きそばの味を思い出すようなものではなかった。残念。

 西巣鴨での舞台の開演にはまだかなりの時間があるので、谷中から千駄木のあたりまで歩き、古本屋に立ち寄ってみたりする。西日暮里の駅から巣鴨へ出て、巣鴨から西巣鴨までは大した距離でもないので歩くことにする。道沿いに「とげぬき地蔵」などというスポットもある。とげぬき地蔵なんて行ったことはないので、時間もあるし、ちょっとそちらの道へ行ってみる。

 とげぬき地蔵の方向に歩いていたら、TV撮影クルーに出くわした。先頭にいたタレントっぽい男性がわたしに近づいて来てしまって、「あちゃー、もう逃げられないわ」なんて思ったら、手に持った厚手のセーターみたいのを差し出して来て、英語で「これをあなたの持ってる何かと交換してくれないか」と聞いて来た。日本人ではなかったのね。「No, No, I don't have any」な〜んて、流暢に答えちゃった(いいんだよね?この英語で)。「そうですか」みたいにクルーは行ってしまったけれども、放送されないことを祈る。ま、受け答えとしてはちっとも面白みがないから、使えないだろうな。

 それで会場の「にしすがも創造舎」。ここは元は中学校だった建物で、十年前からいろんなアートイヴェントに活用されているらしい。おそらくわたしはこのスポットにははじめて来たのだろうけれども、そのあたりは記憶が消えているのだからわからない。校庭が狭いなあ。ちょっと早く着いたので、教室のスペースで開演を待つことになる。けっこうおおぜいの観客がいらっしゃって、「こんなにたくさんで観るんだ」って、ちょっと驚く。

 開演。とにかくは、エンターテインメントとしても、すっごく面白い舞台だった。感想は下に。

 終演後、また巣鴨まで歩いて、上野経由でまっすぐに帰路に着いた。自宅駅で降り、また南のスーパーに廻って、時間的に半額とかになっているお弁当を買って帰る。きょうはちらし寿司とお寿司という取り合わせ。
 帰宅して、そのお弁当を食べていると、すぐそばでニェネントがわたしの食べているのをのぞきこむ。寿司のネタの匂いを嗅ぎ付けたんだろうか。ネタのまぐろを半分ちぎって、ニェネントにあげた。寿司はけっこうおいしかったけれども、ちらし寿司は北側のスーパーのものの方がおいしいことがわかった。


 

[]ミクニヤナイハラプロジェクトvol.9「桜の園」矢内原美邦:作・演出 @にしすがも創造舎 ミクニヤナイハラプロジェクトvol.9「桜の園」矢内原美邦:作・演出 @にしすがも創造舎を含むブックマーク

 前半は外の空間で建物の屋根の上などを使われ、三ヶ所に別れての同時進行。時にその三つのパートはひとつのパートからのメガホンの声でもってシンクロしたりする。わたしはけっこう絶好の場所で観れたというか、その三ヶ所すべてに目を配ることが出来た(さすがに言っていることまではそれぞれ聞き分けられないが)。どうやら原作の「桜の園」から、旧貴族、地主、商人それぞれに置き換えられるような三組だろうか。後半は室内へ移動して、組んず解れつの展開。

 まずは、エンターテインメントとしてあまりに楽しかった。チェーホフの戯曲の構造をまさに換骨奪胎しながら、3・11以降、現代日本のネット上で繰り拡げられているような、終わりなき、結論なき議論が繰り返されていく。そしてしかもこの身体。

 身体が主導する役者さんたちの動きや、はさみこまれるコントじみた展開、そして執拗な「反復」に、先日ニコニコ動画で観た「夢の遊眠社」の舞台を思い出したりした。より過激に先鋭化した「夢の遊眠社」というのか(身体の意味合いはさすがにかなり異なるが)。屋内に移動しての映像の使い方にも惹かれたし、ラストの静寂のあとの「爆音」! いま現在から未来までも照射する、あまりに刺激的な舞台だった。大好き。

 しかしそれにしても、先日観た指輪ホテルの「断食芸人」と並べてみたくなってしまう。チェーホフの読み替えとカフカの読み替え。やはり矢内原さんと羊屋さんからは目が離せない、ということだろう。


 

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■ 2014-11-16(Sun)

 あしたは上京してミクニヤナイハラプロジェクトの「桜の園」を観るつもりで、その評判の高さからも楽しみにしている。夕方からの開演で場所も巣鴨なので、ちょっと早めに出てまずは上野から廻り、美術館でホドラー展を観ようかと計画する。それで日暮里まで歩き、その途中にある中華の店で「上海焼きそば」を食べようかと。‥‥このところすっかり「上海焼きそば」にはまっているというか、出かけると中華の店を探し、その店に上海焼きそばのメニューはあるかどうかチェックしてしまう。あした行きたいと思う中華の店は、わたしが二十歳ぐらいのときに谷中に住んでいたころ、よく通って食べた店。そのころも上海焼きそばをよく食べて、とってもおいしかった記憶がある(日によってはとっても不味い日もあったが)。その記憶が今ごろになってよみがえり、「上海焼きそば」が食べたくって仕方がない。池袋のデパートの上のレストラン街にある中華料理店、その店の上海焼きそばはとってもおいしかった。値段も高いけれども。

 「桜の園」のこと、Twitter でその評判などチェックしてみると、たいていは満足の評価をしているのだけれども、そのなかである人物が粘着的に連続して否定的意見を書き込んでいる。否定的意見というか、クソミソな書き方である。で、わたしはこの書き込みをした人物を個人的に知っているのである。それで悲しくなる。かつて某所の「映画フォーラム」上で知り合ったその男に、「演劇も少しは観てみたらどうだ」と薦めたのはわたしなのだから。けっきょくは演劇にも映画と同じようなものを求め、ストーリーと役者の演技ばかりを追う。映画フォーラムの時代から、意に染まない作品に関してぼろくそに貶していたわけだけれども、それは演劇を観るようになってからも変わらないわけだ。自意識過剰の特上のスノッブでもあり、自分の知識を鼻にかける。そんな人物が何を間違えたのか「桜の園」などを観てしまい、あげくにちょっとした暴挙である。おそらくはチェーホフの翻案による「ドラマ」を求めていたのだろう。しかしながらその否定があまりに激烈であり、読んでいても「これはひどいではないか」と思わされる。ちょっとした「ゴミ」であり、その「ゴミ」を発生させた責任の一端はわたしにもあるのかも知れない、などと考える。いやんなっちゃう。

 きょうはネット配信の動画で音量に問題のないものを二本観た。昼間またねむくなってしまったけれども、ここで昼寝をしてしまうとあしたに悪影響を及ぼすので、寝てしまわないようにがんばった。

 

[]「CURE」(1997) 黒沢清:脚本・監督 「CURE」(1997)   黒沢清:脚本・監督を含むブックマーク

 黒沢清監督の名を世界に知らしめた傑作。先日観た、のちの「回路」に通じる演出技法が多見され、「回路」をこの「CURE」の続編と捉えることも可能だろう。また、デヴィッド・フィンチャーの「ゾディアック」にもまた共通する要素が散見され、フィンチャーもまたこの「CURE」から影響を受けていたのではないかと想像したくなる。さらに、百年前の古いフィルムを見ることがひとつの「決め手」になるような展開は「リング」を想起させるものであり、わたしはまずは「リング」があって、それを引き継ぐようにこの「CURE」がある(撮られた)のかと想像したのだけれども、その「リング」よりも「CURE」の方が二年ほど先行して公開されていることもわかった。「CURE」を引き継いで「リング」、というふうに考える方が自然なようだ。

 ここでも「回路」のように多くの室内の照明器具は点けられず、基本は外からの光のみで撮影されるが、印象に残るのはやはり、「唐突な犯行(殺人)」であったり、「風景に映り込んでしまう異様な光景」であったりする。そして、主人公の心象風景をあらわすであろう、まるで空を行くようなバス。

 むかし一度観ている作品であることは間違いなく、観ていて記憶のよみがえってくる場面も多い。しかしわたしはラストシーンの大事なポイントを見逃していて、今回ようやく気がついた。

 追悼、中川安奈さん。


 

[]「妖星ゴラス」(1962) 円谷英二:特殊撮影監督 本多猪四郎:脚本・監督 「妖星ゴラス」(1962)   円谷英二:特殊撮影監督 本多猪四郎:脚本・監督を含むブックマーク

 けっこうスケールの大きな作品で(宇宙規模だし)、90分弱の尺の中でうまく納めてあると思う。太陽系に侵入してくる巨大な矮星を避けるため地球を軌道から移動させ、その消滅の危機から地球を救うという発想が面白い。この原案がどのあたりにあるのか不明だけれども、Wikipedia を読むと円谷英二による特撮映画50本を記念し、構想3年、製作延日数300日、製作費も4億に近い超大作として製作されたらしい。

 当時はもちろん東西冷戦時代なわけで、この作品の時代設定は1980年ごろとはいえ、まだ冷戦は継続されている世界が描かれている。そういった国々が「地球の危機」を目の当たりにして、一致団結へと向かい、南極に巨大なロケット推進装置を建設するわけだけれども、たしかに予算を使っているだけあって、この国連の会議場などのセットもちゃちなものではなく、しっかりとつくり込まれているのがわかる。やはり白眉はその南極の建設現場のミニチュア撮影だろうか。すっごい気合いが入っているのが、観ていてもビンビン伝わってくる。

 それまでの、怪獣の登場する特撮映画に比べると想定観客層年齢は高いのだけれども、「やっぱり怪獣を」という声があったらしく、南極に唐突に巨大なトドのような怪獣「マグマ」が登場する。ロケット推進装置の建設や始動で地中での眠りから目覚めたらしいのだけれども、あっという間に退治されてしまう。「何も悪気があったわけでもないのに殺されちゃって‥‥」と、その最期にはあわれさを感じてしまうではないか。

 「マタンゴ」で印象的な演技を見せた久保明も出演していて、序盤では意外にも能天気な役柄を見せるのだけれども、やっぱりやっぱり、その妖星ゴラスに超接近しすぎて、記憶喪失に陥ってしまう。こういう演技にこそ、彼の持ち味はあることを再確認。

 いろいろとつっこみどころのある作品ではあるけれども、「世界が一致団結して地球を救う」というテーマは生きている。


 

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■ 2014-11-15(Sat) このエントリーを含むブックマーク

 先日から使えなくなった「Boom」について、Apple のサポートの方とメールのやりとりをしていたのだけれども、一時期は期待を持たせてくれもしたというのに、けっきょくは最初からわかりきっているあたりのことに落ち着きそう。Apple の店にちょくせつ出向いたら、何とかなるのだろうか。

 先日「ゾディアック」を観て、デヴィッド・フィンチャーの演出力というものにノックアウトされ、彼のほかの作品もいっぱい観てみたくなった。地元の図書館のサイトを調べると、なんと彼の監督した作品のDVDが三枚も在庫されていることがわかった。「ファイト・クラブ」と「ベンジャミン・バトン」、そして「ソーシャル・ネットワーク」と。早急に全部観てみたい。

 彼の新作「ゴーン・ガール」もあと一ヶ月で日本でも公開されるようで、その予告編などをネットで視聴して、やはりノックアウトされてしまう。この作品の評価もとても高いようだ。で、この作品のことをもっと知りたくて、Wikipedia で検索して読んでみた。するとストーリー展開がかなり緻密に書かれていて、「え! そこまでは映画を観る前には知りたくなかったんですけど!」というような記述。つまりは「ネタバレ」なのではないのか。
 ちょっとショックを受け、それだったら「毒を喰らわば皿まで」ではないけれども、原作本を読んでしまった方がいいのではないのか、という考えになる。原作と映画との違いともいろいろあるようだし、アメリカなどでもつまりは「原作を先に読んでいて映画を観た」という観客はおおぜいいるのではないのか。Amazon でチェックして、ちょっとだけ安く買える中古品で上巻だけを先に買うことにした。月曜日に東京へ出かけるので、そのときに下巻は買うつもり。

 きょうは昼間にあたたかくなったせいか、本を読むとダメなせいか、昼間ベッドで横になって「審判」を読んでいて猛烈に眠くなり、長い昼寝になってしまった。目覚めるともう外は暗かった。とにかくは起き上がって簡単な夕食にして、それでまたベッドに横になったらすんなりと寝てしまったようだ。睡眠の取りすぎ、ではないだろうか。


 

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■ 2014-11-14(Fri)

 きょうは通常の内科医への通院日だったので午前中に行ったのだけれども、また尿検査をやり、またプラス反応(?)だったということで、専門医へ行った方がいいのではないかということ。これは腎臓の方のもんだいになるわけだけれども、わたしの自宅に近い胃腸科の医院で診てもらえるという。その腎臓の専門医がこの金曜日なら病院に居るので、行ってみたらどうかという。もちろんわたしは行きたくないのだけれども、医師にそこまでいわれて「いえ、行きません」とはいえない。やむなく午後に行くことにした。

 この胃腸科の病院にはずいぶんと以前に行った記憶があったけれども、このあたりでは病院の規模としてはいちばん大きいんじゃないだろうか。来院して診察を待っている方々もおおぜいいらっしゃる。かなり待たされるのかと思ったけれども、そこは大きな病院、あんまり待たないで順番が廻って来た。‥‥問診だけでの診察で、それほど心配することもないのではないかという所見だったけれども、来週の水曜日に(念のため)CT検査を受けることになった。なんだか、ムダにお金を棄てるような感覚ではある。

 カフカの「審判」を読んでいるのだけれども、どうも同じところで内容が頭に入らずに、堂々巡りをしているような感覚で、なかなか先に進まない。やはり頭脳が退化して、理解力自体が相当に落ちているのではないかと思う。先日「シンセミア」を読んでいたときにはズンズンと読み進められたのだけれども、どうしてそういうふうにいかないのか。わたしとしてはこの六月の末に「側頭葉てんかん」と診断され、テグレトールという発作を抑える錠剤を服用し始めてから以降、基本的に記憶もしっかりしているつもりだけれども、理解度は下がっているのかも知れない。このブログの古い記述を読めば、明らかにわたしは退化していることだろう。これはもう、どうしようもないのだろうか。

 夕食はもう一袋買ってあった、きのうと同じおでんで、やはりそれはおいしいものではない。

 

[]「シー・オブ・ラブ」(1989) ハロルド・ベッカー:監督 「シー・オブ・ラブ」(1989)   ハロルド・ベッカー:監督を含むブックマーク

 これも昔ヴィデオで観た映画で、けっこう気の利いたセリフのちりばめられた作品だった、という記憶は残っている。きのう観た「ゾディアック」からのつながりで、連続殺人事件を解明しようとする刑事の話として。

 ‥‥たしかに気の利いたセリフはあれこれあるのだけれども、それで調子に乗ってしまっているようなところもある。それでも、恋をしてしまった男の心情を語る場面とか、いい。ちょっと「モナリザ」を思い出したりもした。

 演出として、ドアというものを執拗に捉え、その内と外との世界の違いを際立たせようとしているのだろうけれども、脚本にそこまでの「内」/「外」という視点は読み取れなかった。ダメといえばこの照明が全然ダメで、このあたりのフラットな絵でずいぶんと損をしているとは思う。

 途中で出て来たどうでもいい役の男の顔が、「あれ、この俳優の顔、見たことがあるぞ!」というところだったのだけれども、案の定、その男が犯人だった。ストーリーの上ではラストに唐突に登場しておかしくない犯人像なのだけれども、やはり映画として先に犯人の顔を見せておかないとならないのだろう。それで、ある面で悪役専門の役者(というのはあとで調べてわかった。わたしの記憶というのも何かしら残っているものだ)を使ってしまっているわけで、当時の観客だって、この男が顔を見せれば「こいつだ!」って思っちゃったんじゃないだろうか。


 

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■ 2014-11-13(Thu)

 きょうは、昼食に「ゾンビオムライス」なるものをつくってみた。ハロウィーンの頃にTwitter で誰かがつくっていて、それを見て「面白そうだ。わたしもやってみようか」と思っていたわけで、先日、この「料理」に使用するウィンナも買って来てある。で、このウィンナを「指」に見せかけるのがちょっとむずかしいというか、やはり関節があって曲がっている感じだとか、爪なんかも再現してみたいと。実はこのあたりのことはきのうテストしてみたりしたわけで、これがやはりむずかしい、という結論にはなっていた。それでも「見せかけ」だけでもなんとか出来ればいいや、という気もちでトライ。‥‥結果、出来上がりはこの通り。うん、親指の位置が思いっきりおかしい、ですね。

    f:id:crosstalk:20141113123630j:image:w360

 完成後にはもちろん食べてしまったわけだけれども、ウィンナで指をつくるのに熱中しすぎ、本体のオムライスをすっごくいいかげんにつくってしまった。まずは指の製作中にすっかり冷めてしまったし、食べても味がしない。とにかくはケチャップの味しかしなかった。失敗、である。

 それで夕食には近所のドラッグストアで百円ぐらいで売っていたおでんのセットを元にして、あれこれとぶちこんで食べてみたけれども、基本になるおでんセットがあまりおいしいものではなく、こちらも貧相な食事になってしまった。安ければいいというものではない。


 

[]「ゾディアック」(2007) デヴィッド・フィンチャー:監督 「ゾディアック」(2007)   デヴィッド・フィンチャー:監督を含むブックマーク

 こ、こ、これはすごい映画。驚愕というか、震撼させられたというか、やはりデヴィッド・フィンチャーという監督、当代随一の監督なのだろう。

 この映画は公開当時に映画館で観ているようで、その感想はこのブログにも書いてあった。そこでは主に使用されている音楽/楽曲のことばかり書いていたようだけれども、もちろん今回もそういう音楽のこともあれこれと考えはした。しかし、この演出手腕のすばらしさ、おそらくは現役の監督ではズバ抜けているのではないだろうか(記憶が抜けてしまっているので、あんまり断定的には書けないけれども)。

 まずは冒頭の二件の殺人、その演出に度肝を抜かれてしまい、そのあとはジェイク・ジレンホール、ロバート・ダウニー・Jr、そしてマーク・ラファロらによる、息の長い、実に長期にわたる捜索/推理に移行する。ここでのそれぞれの人生の変わり方、または変わらなさの描写もまた半端ではない演出で見せてくれるわけだけれども、本来ならばこの二倍とか三倍ぐらいの尺で見せてもよさそうな展開を、手際よくも疾走感を持って見せられる。

 いくつかの、「異空間」と呼んでもいいような、記憶に残る室内の描写がある。まずは容疑者のトレーラーハウスの室内。この「リス」の影。この異様さこそはデヴィッド・フィンチャーの持ち味だろうか。わたしの古い記述でも、この場面は黒沢清の「CURE」と比較している。そして、ゾディアックの探索に心身をつぶしてしまうロバート・ダウニー・Jrの部屋。ここでロバート・ダウニー・Jrを外から照らす外光のまぶしさもまた忘れられない。もうひとつ。「手がかりではないか」と出かけて行くジェイク・ジレンホールを待ち受ける、あまりに気味の悪い地下室の描写。‥‥おそらくはこの部分は観客サーヴィスなのだろうけれども、強烈なサーヴィスではある。

 とにかくは、こんなことで比較してはいけないのだけれども、きのう観た「プロメテウス」の演出などとは、まるで違うのである。これこそが、わたしの求める映画!という感触を得る。傑作だと思う。


 

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■ 2014-11-12(Wed)

 このごろは、パソコンに向かっていてふと脇をみると、ニェネントがすぐそばにすわっていることが多い。わたしのいるところのそばに居たがっているような様子で、わたしがリヴィングで食事をしていてもそばに居るし、ベッドで寝ているときにはいつの間にかベッドに上がり込んでいて、わたしの足元のところで丸くなって寝ている。わたしだって、ニェネントがそばに居てくれればうれしい。

 きょうは午前中にちょっと大きな地震があった。ニェネントもびっくりしていたけれども、また震源地はここからそんなに離れていないところ。このあたりは震度3、ということだった。そのくらいのものだったと思う。パソコンを見ているとそれからしばらくして西日本の方でも小さな地震があり、そのあとには東北でやはり地震があった。国内で一日に三回の有感地震というのは珍しいのではないか。

 きのう書くのを忘れていたけれども、通院している内科医で、前回やった尿検査でタンパクが出ているので、もういちど検査したいということだったので、きのう行って来た。タンパクの量(?)は減ったけれども、まだ多少はあるという。そんなに大変なことなのか?という感覚がつきまとう。自覚症状が何もないからそう思うのだろうけれども、やはり健康ではいたいわけだ。いわれれば従うしかない。

 これもきのうのことだけれども、HDDに録画した映画を観ようとしたら、またHDDが認識されないエラーが出た。USBを差し替えたりしていると一時は認識するのだけれども、すぐにダメになってしまう。原因はHDDの側にあるようで、ひょっとしたらこのHDDはもうダメなのかも知れないな、などと思ったりもした。ただ、このHDDはつねに電源がONの状態のまま長いこと置いてあったので、いちど電源をOFFにして、一日ぐらい放置してから接続し直せばOKなんじゃないかな、などと考えて、昨夜から電源を抜いておいた。これをきょうになって接続し直すと、みごとに復帰した様子。よかったよかった。ということで、きょうは録画してあった映画を観た。


 

[]「プロメテウス」(2012) リドリー・スコット:監督 「プロメテウス」(2012)   リドリー・スコット:監督を含むブックマーク

 つい二年前の作品だけれども、内容は先日観た「エイリアン」に連なる作品。たしか映画館では3D版も上映されていたと思う。わたしもヴィデオか何かで観ていると思うのだけれども、例によってまるで記憶していない。主役のノオミ・ラパスの顔ぐらいは少し記憶にあったかな。

 「エイリアン」ではギーガーのデザインと性的な比喩などがが印象に残ったけれども、この「プロメテウス」ではわずかに登場するギーガーのデザインだけが心に残るだろうか。どうも、リドリー・スコットという人の演出はゴテゴテして感じられ、つまりは3Dに対応させるSFXを活かすことだけに神経を集中しているような。たしかにクライマックスのスピード感は爽快かも知れない。

 ストーリー的にも、どうも予定されているらしい続編へのつながりを重視しすぎというか、つまりはわけのわからないところが偏在する。


 

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■ 2014-11-11(Tue) このエントリーを含むブックマーク

 きのう書店で、棚に並べられたり平積みにされていたりする本を眺めていたのだけれども、平積みにされた文庫本「妻を帽子とまちがえた男」というのを、何となく手に取ってパラパラとめくってみた。すると開いたページに、ルイス・ブニュエルの回顧録からの引用としての次のような文章が目に入って来た。

 記憶をすこしでも失ってみたらわかるはずだ、記憶こそがわれわれの人生をつくりあげるものだということが。記憶というものがなかったら、人生はまったく存在しない‥‥‥記憶があってはじめて、人格の統一が保てるのだし、われわれの理性、感情、行為もはじめて存在しうるのだ。記憶がなければ、われわれは無にひとしい‥‥‥

 ‥‥いきなり、見知らぬ人から残酷な言葉をあびせられたような気分にもなったけれども、「そう、その通りなのだ」と思うわけだし、つまりはわたしは「人格の統一」が保てないということに悩んでいるわけかも知れない。

 全二十四章からなるこの本、さまざまな脳神経学的な興味深い症例を取り上げた本らしく、わたしが立ち読みしたルイス・ブニュエルの引用があるのは、まさにある時点から現在までの記憶をなくしてしまった男について書かれているようである。著者はオリヴァー・サックスという人で、映画「レナードの朝」は彼の著作からの映画化、なのだということ。「レナードの朝」という映画のタイトルは記憶にある。たしか、ロビン・ウィリアムスが主演していたのではないだろうか。

 この「妻を帽子とまちがえた男」という本は1985年に書かれた本で、邦訳が出たのも五年前のことになる。なんでそういう古い本が平積みにされていたのかはわからないけれども、そういうところにこそ書店というものの機能するところもあるわけだろう。おかげでわたしはこの本を発見し、買って帰ることになった。

 しかし、きょうになって、先日ついに注文してしまっていた「ふうらい姉妹」が届いてしまったもので、「ふうらい姉妹」の方を優先してしまうのだった。「ドミトリーともきんす」もまた放ったらかしでいる。いまのわたし、知性が大幅に減少してしまっているわけだから、これは仕方がない。

 このごろ、寝るまえにひとしきりニェネントと遊ぶのが日課になってしまった。どういうふうに遊ぶのかといえば、わたしが寝るためにベッドに入り込んで、その手をふとんから出してベッドの脇を叩く。「おいで!ニェネント!」と呼ぶと、ニェネントがわたしのそば、その手が届くところにやって来る。それでわたしはニェネントの顔や頭をなでてやる。まずニェネントはわたしの手をなめ返して来るのだけれども、そのうちにわたしの手のひらや手の甲にかみついて来る。ニェネントの上で手をひらひらさせると、ニェネントは姿勢を低くして耳を寝せ、「ニャァァ」とないてわたしの手に飛びかかってくるわけだ。ニェネントの攻撃本能全開、というところだけれども、決して爪は立てないし、かんでくるといっても全力でかみついて来るわけでもないのだろう。こういう遊びをしばらく続けて来たのだけれども、このごろだんだんに、ニェネントの噛み方が強くなって来た。いたい。いたいのである。とうとう先日はニェネントの牙のせいで、手の甲にぽっかりと、ぽつんぽつんと二ヶ所の傷が出来てしまった。どうもだんだんに、手加減ということを忘れて来ているようである。またこちらがケガをするようなら、この「遊び」も考えなくってはいけないだろう。


 

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■ 2014-11-10(Mon)

 きょうは新宿に出て、映画「トム・アット・ザ・ファーム」を観る。そのあとは東北沢に出て、久々に(というほどでもないが)「G」でちょっと飲もうかと計画を立てる。

 映画は二時半ぐらいの上映回で観ることにして、少し早めに家を出て、あちらで昼食を取ろうと。このところ中華料理、ひいては上海焼きそばに凝っているので、新宿でもそういうのが食べられる店があるといいと思い、出かける前に検索してみる。三丁目にそういう店があるようなので、そこに行くことに決めて家を出る。きょうも車中では爆睡してしまう。

 新宿に十二時ちょっと過ぎに到着し、まずは映画館に行って座席を確保しておく。まだ前の回が始まったばかりなので、空席ばかり。けっこうど真ん中の席を選ぶ。そのあとは調べてあった中華の店に行き、まさにメニューにあった「上海焼きそば」を注文する。‥‥う〜ん、この店の上海焼きそばは、かなり普通の焼きそばに近い感じ。これならばあんかけ焼きそばの方がおいしそうだった。ただ、セルフサーヴィスでアイスコーヒーがついて600円というのは安い。もしもあんかけ焼きそばがそれなりの味だったら、これから新宿での食事はこの店にしてもいい。

 食事を終えて、まだ映画が始まるまで一時間以上の時間がある。紀伊国屋書店へ行って、時間をつぶすことにする。書棚をあちこちと見て歩き回っていれば、あっという間に一時間ぐらいは過ぎてしまう。映画館へと向かう。

 映画館の混み具合は半分席がうまっているぐらいだろうか。平日の昼間なんだから、こんなものだろう。ど真ん中の席で、ゆっくりと映画を楽しめた。感想は下に。

 映画が終わって四時半ぐらい。「G」に到着してだいたい五時。飲みはじめるにはちょうどいい時間というか。またバカラのグラスでHabana Club のロックを飲む。ひとくち目が、目が覚めるように美味だった。きょうのスタッフはCさんで、カウンター席にはDさん。皆ネコを飼っているので、やはりネコの話になってしまう。Dさんの飼いネコはやたらとおならをするのだ、とか。しばらくしてスタッフのEさんやオーナーのFさんもやって来られ、いつのも「G」になる。

 で、もうそろそろ帰ろうかというあたりで、EさんがJoe Jackson の「Body and Soul」をかけてくれた。このレコードもわたしが店に寄進したものだという。もちろん記憶にないし、この「Body and Soul」というアルバムの存在も記憶から抜けかかっていた。聴いていたかったけれども、このあたりの時間を逃すと帰宅するのが十一時に近くなってしまうので、「残念ながら」とおいとまする。この夜はHabana Club を三杯も飲んでしまった。Cさんも「三杯飲んだね」みたいなコメントを。

 帰りの電車の中でも眠り続け、あやうく乗り過ごすところ。十時過ぎに帰宅して、ニェネントのお出迎えを受ける。きのうのシチューで遅い晩ご飯を食べてから寝る。どうせあしたは非番の休みだから、おもいっきり寝ればいい。


 

[]「トム・アット・ザ・ファーム」グザヴィエ・ドラン:脚本・監督・主演 「トム・アット・ザ・ファーム」グザヴィエ・ドラン:脚本・監督・主演を含むブックマーク

 この監督のグザヴィエ・ドランの作品を観るのは、もちろんこれがはじめて。まだ25歳ぐらいで、前作「わたしはロランス」がかなり評判になったらしい。「G」のEさんも、この監督の名前は知っていた。

 で、わたしは「フランスの新進若手監督」というところから、レオス・カラックスみたいなシネフィル好みの作風なのかと思っていたのだけれども、作風はけっこう真っ当(というのもおかしいが)だった。

 ケベックの田舎を舞台としたサイコ・サスペンスで、田舎の閉鎖性の中で孤立して生きる人たち、そこに取り込まれてしまう都会から来た男との物語。ゲイである主人公は事故死した自分の愛人の葬儀のためにその田舎にやって来るのだけれども、そこには事故死した男の母と兄が二人で暮らしている。兄はやって来た男に、「母にはお前が弟の恋人だったなどと言ってはならない。オレの筋書きどおりの演技をしろ」と<命令>するわけだ。段々に兄は男を支配するようになり、男はその田舎から、その兄から逃げられなくされる。

 葬儀の場面での細かいカット割りが印象的だったし、ストーリーにも一様には解釈出来ない奥深さがあり、魅力的だった。ただ、男二人が納屋でタンゴを踊るシーン、ヴィジュアル的には魅力的だったのだけれども、ここで兄が説明的にしゃべりすぎた気がしないでもない。

 主人公らが納屋でコカインを吸う場面で、「シンセミア」を思い出したりしてしまったけれども、そこに都会との距離があってのこと、というのは共通していたと思う。


 

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■ 2014-11-09(Sun)

 Boom が使えなくなって、購入が出来ない件についてアップルのサポートに問い合わせしていたのだけれども、その返事が来た。「できる限りのサポート」を約束してくれた。うれしい。もうX10.7 以前のサポートはしてくれないと思っていたのだけれども、さすがにアップル。好き。ただ、わたしのメールアドレスからアカウントが特定出来ないということで、聞かれていることがある。わたしはもうそういう「アカウント」とか聞かれてもさっぱりわからないので、調べているさいちゅう。でも、なんとなく、なんとかなりそう。

 きょうはそういうことで、ネット配信でも音量が大きくて観るのに支障のない映画を観て、そのあと久々に「ひかりTV」の方で録画してあった映画を観ようとしたのだけれども、そこで「HDDが認識出来ない」というエラー表示が出た。なんだか、あちらでもこちらでもトラブルが続く。とにかくはネットでそういうエラーについて検索してみると、いちど電源を落としてみるといいようなことが書いてある。やってみるのだけれどもうまくいかない。前からUSBの接続の具合が良くないところがあったので、そのあたりも差し替えたりしながらやってみたら、なんとか復帰した。いくつかの映画を録画し損ねていたようだけれども、それが何の映画だったか思い出せないから、大したものではなかったんだろう、と思うことにした。

 きょうの夕食にはホワイトシチューをつくることにして、牛乳などは買ってあるので、あと足りない材料のコンソメスープを買いに出る。買って帰って冷蔵庫を開けてみると、まだ封を切っていないコンソメスープが置かれていた。けっこう前に買っていたもののようだけれども、すっかり記憶から抜けていた。まあ誰にでもよくある「物忘れ」だろうから、深刻に考えるほどのことでもないだろう。

 ホワイトシチュー、基本は小麦粉と牛乳とコンソメでつくり、仕上げにちょっと市販のルーを入れて完成。すっごい大量につくってしまったけれども、市販のルーと牛乳でつくるのよりずっとおいしい。これから当分はシチューばっかりになる。


 

[]「マタンゴ」(1963) 円谷英二:特殊撮影監督 本多猪四郎:監督 「マタンゴ」(1963)   円谷英二:特殊撮影監督 本多猪四郎:監督を含むブックマーク

 これも一種の「ゾンビ」ものといえるのだろうけれども、「ナイト・オブ・ザ・リヴィング・デッド」よりもはるかに先行している。ジョージ・A・ロメロはこの「マタンゴ」からインスパイアされた、などということはないのだろうか。

 とにかくは漂流した島にある難破船の造形が秀逸で、造り込まれたこの船でもってこの映画は成り立っているとも思えるほど。東京の夜景から始まり、登場人物はそんな夜の東京を夢想したりもする。ラストはまた東京の夜景。そんな東京の夜の虚飾に溺れていた人物らの弱さを批判するような演出は面白い。実際に、登場人物は当時六本木あたりでブイブイいわせていた連中がモデルにされているらしいのだが。

 あまりに登場人物がそれぞれの類型にはめられすぎている感じで、そのあたりに類型を越えるリアリティを持たせてあれば相当に見ごたえのある作品になっていたことと思う。それでもこの作品、わたしの中ではかなりの傑作である。


 

[]「エイリアン」(1979) リドリー・スコット:監督 「エイリアン」(1979)   リドリー・スコット:監督を含むブックマーク

 期せずして、「マタンゴ」とよく似た設定の作品を続けて観てしまうことになった。まさか「マタンゴ」と「エイリアン」が似ているとは思っていなかったのだけれども、どちらも男五人に女二人の孤立した登場人物。そこに正体不明のモンスターが闖入して彼らをおびやかし、どちらも一人だけが生還することになる。

 観ていて少しずつ過去に観たときの記憶がよみがえり、ハリー・ディーン・スタントンの「Kitty, Kitty, Kitty」の声とか、廃墟のような宇宙船内部を思い出し、イアン・ホルムはアンドロイドだったんだぞ、ということも先に思い出した。

 性的な比喩の多い作品で、H・R・ギーガーの造形したエイリアンもまた、男根の象徴化のようなところがあり、このモンスターによる虐殺にはレイプを想起させられるわけで、そのあたりでの描写の省略が効いていると思う。ただ、まだデビューしたてのリドリー・スコットの演出、たいていはあまり印象に残るものでもない。「マタンゴ」がB級映画として認識されるなら、この「エイリアン」もまたB級映画ではあるだろう。

 出演者のヴェロニカ・カートライトの名前が記憶にあると思って調べたら、ヒッチコックの「鳥」に子役で出演していたらしい。って、その「鳥」の内容を記憶していないので、何ともいえないのだけれども。


 

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■ 2014-11-08(Sat) このエントリーを含むブックマーク

 おととい見た夢。この夢のことはFacebook にもTwitter にも書いたのだけれども、自分には愛着のある夢なので、また書いておくことにする。Facebook もTwitter も、書いたことはいずれどこかに消えてしまうけれども、このブログにならば当面は消えてしまうこともないから。

 その夢には、亡くなった母と、そして娘とが出て来る。母は美しく、娘はなんだかボサボサの頭をしていた。その夢の中で、わたしは娘にミヒャエル・ハネケの作品のDVDを渡していた。娘と別れた道路の向こうで、娘がそのDVDのケースを持って、わたしに手を振っていた。あたりはもう薄暗い薄暮時だった。

 Facebook やTwitter に、わたしが嫌いなタイプの書き込みをする知人が三、四人いるわけで、そういう書き込みは見なければいいのでフォローしないようにしているのだけれども、これがわたしの悪い性格なんだけれども、「アイツは今度はどんなイヤなことを書いているのだろう」と気になり、チェックしてみたりすることになる。そうしてそれらの書き込みを読んで、「やっぱりアイツらはアホや」とか、「大っ嫌いだ」とか思うことになり、そのことが頭から離れなかったりする。よほどそういう人物の書き込みにコメントを付けてイチャモンをつけてやろうかと思い、そう出来たらいかにスッキリすることだろうと思うのだけれども、そういうことをやるわけではない。特にFacebook は論争を展開するような空気があるわけではないし、「いいね!」のやりっこで終止するわけだ。それで、そういう嫌いな人物からこそ、「いいね!」のリクエストが来たりする。そんなに「いいね!」がたくさん欲しいんだろうか。

 しごと先で、超巨大なキャベツの荷物が届いたのを見た。大きなヴィニール袋に入れられたそのキャベツの直径は、大きなところで60センチもあったんじゃないだろうか。「すごいな!」と感嘆し、写真を撮っておきたかったのだけれども、職場にはケータイは持って行ってはいけないことになっている。ネットで大きなキャベツの画像を探してみて、それをここにアップするけれども、ちょうどこのくらいの、ひょっとしたらこれよりも大きなキャベツだった。

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 そういうことを抜かせばきょうもきのう、おとといと同じような一日で、ちょこっとだけ本を読み、それで昼には二、三時間の昼寝をしてしまう。夕食にはレバニラ炒めをつくることにして、ネットでレシピを検索してだいたいその通りにつくってみたら、けっこう中華料理屋で出されるような味に仕上がった。

 あしたはしごとは休みで、わたしはあさって出勤するとその次の日はまた休みになっている。あさってあたり、新宿にでも映画を観に行こうかと思っている。「トム・アット・ザ・ファーム」という映画が評判がいいみたいで、ちょっと観てみたい。


 

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■ 2014-11-07(Fri) このエントリーを含むブックマーク

 書くのを忘れていたけれども、おととい池袋のデパートで財布を買った。六月か七月に前に使っていた財布がいよいよダメになってしまい、その財布は布張りながらもなかなか丈夫で重宝していたわけだけれども、そのあとに買った財布はすぐに小銭入れのところが破れてダメになってしまった。やはり千円ぐらいの財布ではダメなんだなあと思っていたのだけれども、ドン・キホーテで良さそうな財布を千円で見つけた。「これは良さそうだ」と思ったのだけれども、やはり使いはじめるとまったくダメなことがわかった。皮の表面がどんどん剥げていって、入れてあるカード類が汚れてしまう。早く買い直さなければいけないと思っていたのだが、いろいろ見ても、まともな財布を買うには四千円は出さなければならないようで、どの店でのぞいてみても、この四千円というラインが厳として存在する。これが癪で、探せば四千円よりも安くていいものが見つかるはずと思っていたのだが、この日まで見つからずにいた。ようやっとバーゲンコーナーに三千円のものを置いてあるのを見つけたわけだ。いちおう使い心地もよくって、満足している。

 きのうだかおとといだかの夜は十三夜ということで、とっても美しい月が見られたらしい。池袋に行ったおとといは多分空も曇っていたようで見られなかったし、わたしは普段は夜暗くなってから外に出る習慣がないので、昨夜も見る機会はなかった。どうやら関東でも昨夜はきれいな月が見られたらしい。ちょっと見たかったなあと思っていたのだが、今朝、出勤するときに、西の空に丸い月が白く光っているのを見ることが出来た。近視だからよくはわからないけれども、なるほど美しい月だった。

 しごとを終えたあと図書館へ行き、読み切れなかったカフカの「ミレナへの手紙」を返却し、「審判」を借りた。あと、金井美恵子の「お勝手太平記」の<悪口>がたいそう面白かったので、その<悪口>の元祖というのか、森茉莉の全集から「ドッキリチャンネル」の1を借りてみた。七百ページを超える分厚い本で、これが「2」まであるのだから、森茉莉の作品ではいちばんのボリューム、ということになるんだろう。森茉莉の作品などまるで読んでいないのに、「ドッキリチャンネル」だけ読むというのもなんだか悪いみたいだなあ、などと思っていたら、昔読んだジイップの「マドモアゼル・ルウルウ」の翻訳は森茉莉だった。

 きょうもきのうとまるで同じような一日。午後からはベッドに寝て「ドッキリチャンネル」を読むのだが、そのうちに眠くなってまた昼寝をしてしまった。夕食はきのうと同じくおでん。昼間寝てしまったから寝られないかなと思ったのだけれども、いつも通りに眠りについてしまった。


 

nobodynobody 2014/11/08 16:42 ツイッターで、数日前とほとんど同じ発言を書いていますが、やはり病気は治っていないのですね。ご自愛ください。

crosstalkcrosstalk 2014/11/08 16:57 ご心配ご忠告(というのでしょうか)、ありがとうございます。わたしの場合、そんなにたくさん書くこともないし、TwitterとFacebookとこのブログとで同じことを書きまくっています。コピペしているときもあります。充分に自覚してのことですので、どうぞご心配なさらないで下さい。Twitterの方でもわたしを見つけて下さってありがとうございます。そういう意味では、「同じことばっかし」になっていて、申し訳ありません。

crosstalkcrosstalk 2014/11/08 17:22 ほんとうはこのブログの方では、同じことを書いてももうちょっと毒を持たせるというか、「プライヴェートに書いてるんだからね!」という感じで、森茉莉さんのように毒舌/悪口を効かせたものにしたいとも思っているのですが。それで「病気」のせいにしたりして。
もしもこのブログの中で、日を違えて同じことを書いているようだとヤバいです。そのあたりはどうやら大丈夫なようですが。
nobodyさんにももっと楽しんでいただけるようなTwitter、ブログにしたいと思っています。今後ともよろしくお願いいたします?

nobodynobody 2014/11/09 11:49 ツイッターの中で日を違えてほとんど同じことを書いていらっしゃったので心配したのですが、ご自覚の上だったのですね。失礼しました。

crosstalkcrosstalk 2014/11/09 13:18 ツィッターの中での事だったのですね。ツィッターとフェイスブック、そしてブログ相互間では同じ事を書いています。ツィッターでの重複の件、まずはフェイスブックに書いたのをコピペしていたこともあり、ダブってしまっていました。自覚の上というほどのことではない、記憶忘れと言えなくもないのですが、「病気が治っていない」というつもりはありません。病気の発作とは違います。

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■ 2014-11-06(Thu) このエントリーを含むブックマーク

 快適に使っていたBoom の試用期間一週間が過ぎ、使えなくなってしまった。ある程度予測していたのだけれども、購入するという選択が出来ない。購入しようとすると当然Boom の最新版がセレクトされ、その最新版はわたしの旧型のMac にはインストール出来ないわけだから、ダウンロードもさせてくれないのである。使えなくったってお金は払うつもりでいるのだから、ダウンロードさせてくれればいいのにと思うのだけれども、これは相手が人間ではないので融通効かせてもらうのもむずかしいだろう。

 Boom が使えないとなると、急にネット配信の映画とかを観るという気もちも失せてしまい、ぼんやりと一日を過ごす。昼間には三時間ほど昼寝もしてしまった。夕食にはこのあいだ買ってあったおでんに具を足して、レンジでチンしたじゃがいもも放り込んで温めておかずにする。これが、かなりおいしかった。まだ半分残っているのであしたもおでん。これから当分はおでんばかりにしようかしらん、などと思ったりする。


 

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■ 2014-11-05(Wed)

 朝目覚めると、昨夜の風邪っぽさは微塵も残っていなかった。元気。たまご酒の威力には甚大なものがあった。きょうは池袋にピーター・ブルックを観に行くので、風邪なんかでダウンしてはいられない。元気になれてよかった。

 池袋に出るついでに、ちょっと早く現地へ行って、先日池袋で食べた「上海焼きそば」をまた食べてみるつもり。舞台の開演は3時だけれども、11時の電車に乗って、1時過ぎには池袋に到着。デパートの上のレストラン街にある先日の中華レストランを難なく見つけ、上海焼きそばを注文する。‥‥価格的に千円を超えてしまうのでちょっと割高という気はするけれども、おいしいものはおいしい。ただ、上海焼きそばにはもっとおいしいものもあるのではないかと、そういう気分はつきまとう。

 食後にデパートの中でちょっとウィンドウショッピングして、開場時間の2時半ピタリぐらいに会場に到着。エスカレーターを上ると、ちょうどそこにAさんがいらっしゃった。名前を出しちゃうけれども、笠井叡ご夫妻とご一緒。ちょっとAさんにあいさつをして、開場を待っているあいだに、Bさんもいらっしゃった。先月のBさんの公演でAさんが音楽を担当されていたと書けば誰のことだかわかってしまうけれども、とにかくは開場までちょっとだけAさんと会話。

 今回は早い段階でチケットを取っていたので、わたしの席は一階の真ん中あたり。「うわ、なかなかにいい席じゃないか」などとひとりごちる。そして開演、終了。そのあとはアフタートークなども。AさんとBさんはアフタートークの前に帰られたけれども、終演後に喫煙エリアでお二人と話すことが出来た。Aさんは熱烈なピーター・ブルックのファンで、きょうの舞台も絶賛される。わたしもまた、絶賛したいことに変わりはない。

 アフタートークが終わってもまだ5時ぐらい。ほんとうはひとりででもちょっと飲んで帰ろうかとも思ったのだけれども、その分早く帰宅して、スーパーとかで安くなっているだろうお弁当などを買って、自宅で盛り上がることにした。

 電車がちょっと遅れていて(いつものことだ)、車内は少し混み合っていたけれども、けっこう早くに座ることが出来た。長旅なので、早くに座れるとうれしい。単に老人になったというだけかも知れないが。

 自宅駅に到着して7時半ぐらい。南のスーパーにそのまま行ってみると、予想どおりにお弁当類がかなり安くなっていた。海鮮チラシを買って、のっかってるマグロをニェネントへのおみやげにすることにして、その他に中華弁当とを買う。

 ‥‥帰宅。ニェネント喜ぶ。買って帰った海鮮チラシからマグロを皿に取ってニェネントにあげると、一所懸命に食べはじめる。わたしは残った海鮮チラシと中華弁当。中華弁当が思いのほかおいしかった。やはり弁当はこっちのスーパーの方がおいしい。

 あしたはしごとも休みにしてあるので、ちょっとのんびりしてから床に付く。いい舞台を観て、充実した気分になれた。

 

[]「驚愕の谷」ピーター・ブルック、マリー=エレーヌ・エティエンヌ:脚本・演出 @池袋・東京芸術劇場 プレイハウス 「驚愕の谷」ピーター・ブルック、マリー=エレーヌ・エティエンヌ:脚本・演出 @池袋・東京芸術劇場 プレイハウスを含むブックマーク

 共感覚を持ち、その共感覚による卓越した記憶力の持ち主である主人公は、消せない記憶に悩む‥‥。舞台には机と椅子などの最低限の装置とセッティングされた楽器類。三人の俳優と二人のミュージシャンとによって進行する。

 ストーリーを追えば足りるという演劇ではない(というか、そんな演劇などありはしないと思うのだが)。ストーリーのみを追いすぎると、この舞台空間で起きていることを体験し損なうだろう。まさに「共感覚」こそを舞台化するかのように、俳優の「ことば」と「動き」、「間」、そして音楽(ここにも「間」)、さらに、バックステージを照らすフラットな照明の色も、時に変化を見せる。なんというしなやかな「劇」。この舞台では想像力などに頼るのではなく、まさにその場で起こっていることに身を浸すことに歓びがあり、理解、共鳴への鍵が存在する。劇というものの全体に身体を包み込まれるような、わたしには希有な舞台体験だった。すばらしい演出はやはりピーター・ブルックならではのものなのか(と書いても、わたしにはピーター・ブルックの舞台の記憶はないのだけれども)。

 しかし、プロローグの不死鳥の話から、ラストのモノローグにはさまれたストーリーの中に、総体としての人類へのメッセージを読み取ってしまうのは、うがった観方だろうか? 活かし方のわからない「共感覚」、消すことの出来ない「記憶」とは、個々の人間の持つものではなく、「人類」のもの? その「課題」?

 終演後のアフタートークで、共感覚を持つという、やはり演劇をやっていらっしゃる女性からの質問があったり、音楽の土取さんから「日本人は共感覚というものを承知して大事にして来ているのではないか(〜「音色」などということば)、などという話も語られもした。

 とにかくはノックアウトされ、やはり今年は八十をとうに超えられた人生のベテランの方々の作品にやられ続けだなあ、という印象。圧倒された。


 

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■ 2014-11-04(Tue)

 夜になって鼻水が出て、悪寒がするようになった。風邪の前兆だろう。あしたは出かける予定だし、ここで風邪を引きたくはない。まずはゆっくりと沐浴して、たまご酒をつくって飲み、暖かくして寝ることにした。なんとか平常に戻れるといい。

 きょうもまた、ネット配信の映画などを観てばかりの一日になる。これでは当面はこういう生活が続きそうだけれども、それならそれでかまわないと思う。自分には有益なことだと思っている。

 その、ダウンロードした「Boom」の試用期間は一週間なのでもうじきその時期になるだろうし、買ったとしても千円もしないわけだし、どうせいつまでも使うものだから買ってしまおうと、そのように申し込みするのだけれども、よくわからないけれども購入することが出来なかった。わたしが使っているのはV1.0 とかなので、ひょっとしたら無料のはずなのだけれども。

 

[]「ドッペルゲンガー」(2003) 黒沢清:脚本・監督 「ドッペルゲンガー」(2003)   黒沢清:脚本・監督を含むブックマーク

 「見たら死ぬ」という、自分の分身を見てしまった男(役所広司)をめぐる、コメディータッチのサスペンス、といえばいいのか。基本の登場人物は四人で、主人公だけでなく、永作博美もユースケ・サンタマリアも、どこか途中でドッペルゲンガーに遭ってしまっているようで、そうすると本人は死んでしまい、そのドッペルゲンガーと入れ替わってしまうようだ。入れ替わったドッペルゲンガーは、それまで本人に抑圧されていた無意識下の欲望原理にしたがって行動するみたい。

 役所広司は医療器械としての人工人体(腕があり、車椅子で移動する)の開発を行なっていて、その開発、利権の奪い合いがストーリーの骨子になっている。ここでスラップスティックスなコメディーに持って行かず、ユーモラスなドラマとして進行させたことが成功していると思う。役者それぞれの持ち味が発揮されていて、特にサバサバした永作博美がいい。役所の登場場面で一人二役を処理するためもあって、マルチスクリーンという手法がとられていて、これも楽しい効果を生んでいる。「ああ、ここでこの人物はドッペルゲンガーと入れ替わったんだな」などと思わせる演出、彼らしい説明のない演出が活かされていると思う。

 ラストの爽快感というのか、人工人体を見捨てて道を行く役所広司と永作博美とがいい。やっぱり、黒沢清監督、この時期は絶好調だったようだ。


 

[]「新世紀エヴァンゲリオン」1話〜26話(1995〜96) 庵野秀明:監督 「新世紀エヴァンゲリオン」1話〜26話(1995〜96)   庵野秀明:監督を含むブックマーク

 「死海文書」をも取り込んだ、表層の面では宗教的な視点をも想起させられる、オルタナティヴなSFといえばいいのだろうか。プロローグの映像には「生命の樹」、だったっけ、そういうショットもあるわけだし、オカルト的な要素は強い。そこを起点に謎という謎をありったけ注ぎ込んで進行するSFなのだろうと思い、「どのように終結するのか」と楽しみにして観るわけだけれども、そのあたりはキチンと回収されないままに終結を迎える。

 わたしはリアルタイムに観ていたわけだけれども、もちろん記憶からは抜けてしまっていた。しかし、観ていると場面場面で記憶が甦るように感じる場面もあった。有益な鑑賞だったといえるだろうか。もうちょっとちゃんとした結末は、「劇場版」の方で観られるわけだ。これも昔観てはいるのだけれども、今のわたしにその記憶はない。楽しみにして観よう。


 

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■ 2014-11-03(Mon)

 きょうもまた、ネット配信の映画とかを観てばかりの一日になる。「エヴァンゲリオン」はTV放映版はあしたにも全部、観終わるだろう。

 金井美恵子の「お勝手太平記」、読み終わってはいるのだけれども、ここにアップし忘れている。そもそもが終盤は「心ここにあらず」みたいな状態で読んでいたりするので、感想をここに書くほどの読み方になっていない。いずれもう一度読み直すつもりでいるので、まだ「未読」ということにしておこう。

 それではと、同じときに買った高野文子の「ドミトリーともきんす」を、寝床で読み始めたりする。どこか「すいか」みたいに、下宿の二階に教授が住んでいるというか、まだ教授は若いのだから、「第七官界彷徨」に近いといえばいいのか。いや、まるでちがうだろう。

 日常の中にパラドックスのように「科学」がまぎれ込んで来たりするのですよ、という展開に、先日見つけたりした長崎ライチという作者(実は姉妹での共作らしい)の「ふうらい姉妹」というマンガ作品を思い浮かべたりした。この「ふうらい姉妹」、ネットで見ただけでよくはわからないのだけれども、けっこう奥深い世界が垣間見えるようにも思ってしまう。やっぱり、これも買ってしまおうか。

     f:id:crosstalk:20141106103614p:image

 

[]「オーディション」(1999) 三池崇史:監督 「オーディション」(1999)   三池崇史:監督を含むブックマーク

 主人公は映画のオーディションに応募した女性から自分好みの女性を見つけ、再婚相手にしようとするのだけれども、その女性は‥‥、というホラー。

 三池崇史という監督は、えげつない暴力描写で名を売った監督のようだけれども、このホラー作品でも、そのようなえげつない描写が目につく。えげつなさをいかに際立たせるか、そういうところに自信のある監督なんだろう。ではそういう自制コードを外してしまえば、誰でもそういうえげつなさは描けてしまうではないかということになるのだけれども、そこのところをちゃんと映画的な「絵」に仕上げているあたりに、この監督が評価される理由があるのだろう。


 

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■ 2014-11-02(Sun)

 世間は三連休で、きょうはその中日。久しぶりの晴天にはなった。洗濯である。あとはきのうの続きのような一日で、「エヴァンゲリオン」を観て、ネット配信の映画を一本観る。

 このところ読書から遠ざかってしまっているし、過去の日記を読んでの自己年表づくりもやらなくなってしまっている。年表づくりはやっておいた方がいいだろうとは思うのだけれども、そうやって過去の日記を読んでも、それが自分のことだとは認識出来ないわけだから、無意味ではないかという思いが強くなるばかりだし、やろうとしていることとは逆に、自分の中で何かが崩壊してしまうような気分にもなってしまう。「壊れている」自分を修復は出来ないだろうことはわかっているのだから、「壊れている」ままに生きて行くしかないだろう。そういう行為より、このところやっているように過去に観た映像を観返したりする方が、自分の中で何ものかが甦って来るような気分がするわけだ。そういう行為の方が健康なような気がする。


 

[]「回路」(2001) 黒沢清:脚本・監督 「回路」(2001)   黒沢清:脚本・監督を含むブックマーク

 映像で引張って行く演出の力に見惚れてしまう、すばらしい作品。ホラー(ゾンビもの)とSFとをミックスしたようなストーリーも興味深い。

 常に室内には明かりは灯されておらず、室外からの光でのみ照らされるというのも作品の基調を支えているようで、麻生久美子の勤める会社が観葉植物販売会社であるから、その職場は温室のようなものになっていて、ここもまた室外からの光のみの世界。徹底している。

 ストーリーの省略もいい具合に作品の空気を支えていて、まるで脱線することもなく、ただひたすら終末へと直進する。終盤(ほとんどラスト)でのボートで海へ、という展開がすばらしい。また観返してみたいし、やはり黒沢清監督の作品はもっともっと観ておきたい。


 

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■ 2014-11-01(Sat)

 きょうから十一月。いつの間にか気温も下がり、着るものに神経を使わなければならなくなった。それにこのところ、天気の悪い日が続く。きょうも雨模様の一日。きのうと同じように、またネット配信の動画を観たり、検索したりばかりの日になる。「エヴァンゲリオン」はTV版の第八話まで。その他に、塩田明彦監督の「害虫」を観る。

 夕食にはカレーをつくり、きょうからはまたしばらくはカレーばかりになるんだろう。

 

[]「害虫」(2002) 塩田明彦:監督 「害虫」(2002)   塩田明彦:監督を含むブックマーク

 きのう観た「blue」のネガになるような作品といったら、まるで違うだろう。「エヴァンゲリオン」と近しいところもあるなどというと、それも違うだろう。

 主人公は宮崎あおいの演じる中学生で、とにかくは堕ちて行く。「当たり屋」の話も出て来るあたりで、「小指の思い出」を想起したりもする。そんな宮紾あおいのことを心配し、気を遣う同級生がどことなく蒼井優に似ていると思ったら、やはりそうだった。昔映画館だかヴィデオでいちど観ている作品だけれども、そのことはまるで意識していなかったと思う。

 一筋縄では行かない展開をすらりと演出してみせる、塩田明彦監督の力量は感じ取れる。ただストーリーを追うだけのような演出は決してやらない。「そうだ、この監督は<足フェチ>なんだった」などと思い出させられるショットも。


 

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