ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2015-03-17(Tue)

 今日もまたお出かけ。目的は京橋で開催されているAさんの参加されているグループ展を拝見して、もくろみとしてはそのあとに、Aさんとどこか居酒屋で飲みたいということ。そうするとギャラリーに行くのは夕方でかまわなく、その前の時間があいているわけで、せっかく上京するのだからまた映画でも観ておこうと考え、そろそろ3D上映の終わってしまうゴダールの「さらば、愛の言葉よ」を新宿でもういちど観ておくことにした。

 映画はだいたい三時からの上映なので、十二時に出発すれば間に合う。昼食もちょっと早めに自宅ですませてから出かけられるので、経済的ではある。

 昨日買ったかつおのたたきをおかずにして簡単な昼食にし、ニェネントにもかつおをたっぷり出してあげる。まだまだいっぱい残ってるよ。

 天気予報で今日は四月中旬の陽気になるだろうといっていて、たしかにもう部屋にいても寒さなどまるで感じない。出かけるのにもちょっと薄着でいいだろう。
 予定通り十二時の電車に乗り、ターミナル駅での湘南新宿ラインへの乗り換えもスムースにいって、予定よりも早く新宿に到着した。まずは映画館へ行って席を確保して、開場までの時間つぶしに紀伊國屋へ行く。読んでみたいような本があればまずは地元の図書館で探すようにして、たいていは買うことはない。ただ、そのうちにカントの「純粋理性批判」は読んでみようかという漠然とした計画はある。まだまだ自宅には読みたい本があれこれ順番を待っているので、かなり先のことになるだろうけれども。

 開場の時間になって映画館へ行く。先にこの「さらば、愛の言葉よ」を観たのは銀座の映画館で、そちらの上映は終了してこの新宿での公開。ある意味で「二番館」といえばいいのかと思うのだけれども、映写室としてはこの新宿の方が銀座でより大きい。妙なものだなあと思う。

 二回目の鑑賞はさいしょの時よりもずっと楽しめたし、「これは傑作では」とも思うようになった。ソフト化されたら買ってもいいぐらいなんだけれども、はたしてこの作品、DVDとかブルーレイになったとき、どういう風にするんだろう。ぜんぶ2Dになってしまうのか、メガネをつけて3D版としてリリースするのか。3D仕様になっていないモニターでは観られなかったりするのだろうか。

 終映時で四時半近い時間。あとは京橋へまわってAさんの参加する展覧会をみて、おそらくはそこでお会いするAさんと飲みに行ければいい。ちょっとのんびりと東京駅から京橋へと歩き、先日来たときに立ち寄った「猫ちゃん通り」にまた行ってみる。今日もまた、先日と同じように「チロちゃん」一匹だけが道路で丸くなっていた。

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 Aさんの作品は先日の上野での「人人展」につづいて拝見することになる。今回の「座の会」というグループ展、基本は日本画と漆の作家さんの集まりで、先日の「人人展」の「何でもあり」なカオスのような展示に比べ、ぐっと落ち着いている印象。そんな中では、Aさんの作品は周囲よりも「跳ねている」印象もある。

 ギャラリーにいらっしゃったAさんとも無事にお会い出来、ギャラリーが閉まってから飲みに行くことになる。「いいところがありますか」と聞くと、もう京橋といえば「ここ」ですよ、という居酒屋、「駒忠」という店があるとのこと。ギャラリーからも離れていないその居酒屋へ案内していただき、席に着く。たしかに価格も安く、メニューもとっても豊富。それでいて落ち着きもあり、いい居酒屋だと思う。京橋あたりのギャラリスト、出品されている作家さんたち御用達の店か。

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 いろいろとAさんとの会話も盛り上がり、楽しい夜になった。「上野東京ライン」のおかげで帰宅も楽になり、いつもよりちょっと遅くまで飲んで、終電で帰宅した。ニェネントに「お留守番ありがとう」と、またかつお攻め。

 そう、Aさんに「右目が真っ赤ですよ、どこかにぶっつけた?」と聞かれ、そういう憶えもないし、別に痛みも感じていなかったので気付かなかったのだけれども、鏡で見るとほんとうに白目の部分が真っ赤になっていて、それはとても寝不足とかで充血した赤さではなく、出血したという赤さなのだった。あまり人前にさらせるようなものではない感じで、明日は眼帯でもして出勤しようかと思うし、やはり眼科医に行った方がいいようにも思うのだった。


 

[]「さらば、愛の言葉よ」ジャン=リュック・ゴダール:監督 「さらば、愛の言葉よ」ジャン=リュック・ゴダール:監督を含むブックマーク

 もういちど観て来た。やっぱりわたしは頭が不自由だから、どんな映画でも二回は観ないとわからない。演劇を観ても本を読んでもそうなんだろうけれども、こちらは「再見」「再読」ということはなかなかに困難。そういう面では映画というのはけっこう気軽に再見できるのがうれしい。

 ゴダールという人は、「あのね、聴きたいことがひとつあるんですけど」「いや、今はひとつの質問に答える時間がない」「じゃあ、ふたつ聴きます」というような冗談めいたロジック(?)でどんどん進めて行く。このロジックをとらえるとわかりやすくなる思いがする。

 この「さらば、愛の言葉よ」で、行動が一貫してるのは犬のロクシーだけ、といってもいいだろうし、ロクシーの行動を追って行くとゴダールのメッセージも多少は理解できるのかもしれない。

 日本でのタイトルは「さらば、愛の言葉よ」だけれども、原題は単に「さらば、言葉よ」なのであって、そこでロクシーの存在こそが活きてくる。ロクシーの彷徨を追い、ラストにはロクシーの鳴き声と赤ん坊の泣き声が聴こえてくれば、それはまさに「さらば、言葉よ」なのだなあとわかる。

 言葉に「さらば」をして、そして残るのはやはり映像だろうか。この映画の映像についてはやっぱり耽溺しなければならない。わたしは、ラスト近くの水面に映る木立と水底とが示される、2Dと3Dの映像の交錯に惹かれる。

 でも、やっぱりロクシー。もう一回観てもいいな。



 

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