ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2015-10-12(Mon) このエントリーを含むブックマーク

 昨日シアタートラムでお会いしたAさんと終演後にちょっと立ち話をして、今上演されている「サンプル」の舞台に伊藤キムが出演されているとかいうことで、ちょっと観に行きたくなってしまった。それでわたしは「サンプル」はまだ観たことがないよな、などと思ってこの日記を検索すると、ちゃんと八年前に観ているのであった。やはり記憶が失せていることは無念である。無念としかいいようがない。その「サンプル」の舞台を観るとしたら今週末ぐらいかと思うのだけれども、今週末は池袋でのカントルの舞台作品の上映があるのも行きたいと思っている。ちょっと忙しい感じはするけれども、そのあとは来週末のマリー・シュイナールの予定が入っているだけで、その前後は特に予定もない。ちょっと無理をしてもいいかと思うようになった。

 しかし昨日はやはり二時間近く立ちっぱなしで舞台を観たり、祭りの人ごみの中を歩き回ったりしたせいか、その疲れが今日になって出て来たような感覚。本を読んでそのまま寝てしまってもいいつもりでベッドに横になる。読んでいるのは「天皇と接吻」と「ボヴァリー夫人」と。

 「天皇と接吻」は終戦直後のGHQ統治下の日本で、特に映画の世界でどのようなGHQの検閲が行なわれたかについてなのだが、まずは日本を占領下においたGHQは日本を民主主義のモデルケースにしつらえようとし、憲法第九条を含む新憲法を制定させるわけだけれども、そのあとにはもう東西の冷戦や朝鮮戦争がせまっているし、アメリカでは共産主義へのパージ運動も始まるし、その「日本を民主主義のモデルケースに」という設定自体がアメリカの首を絞めることになったわけだという。また、戦後の映画に対する検閲の理不尽さというものにもあきれてしまうものがあり、そこは何というのか、「日本という国のやるせなさ」みたいな感覚を持ってしまう。特にこのところの日本の急激な右旋回、この占領下の時代と重ねて考えると興味深いところもある。

 「ボヴァリー夫人」は本編の方はちょっとお休みして、巻末に収録されている「裁判記録」を先に読んでみる。「論告」「口頭弁論」そして「判決」と掲載されていて、それなりの長さがあるのだけれども、やはりまずは読み始めた「論告」があまりに面白いのである。「よくぞそこまで読み込まれました」という感じで、この検事さんはなんというすばらしい読者であることかと感嘆してしまうのである。結果としてこの裁判のおかげで「ボヴァリー夫人」はベストセラーになってしまったらしいから、この検事は実はフローベールの味方だったのではないかと思えるぐらいである。


 

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