ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2016-04-23(Sat)

 ベランダに出て洗濯していると、足元に長さ五センチほどの細長い、茶色の繭のようなものがあるのが目にとまった。手に取ってみるとそれはおそらくは蛾の蛹で、大きさからもこのあたりにいる蛾の種類からも、スズメガの蛹なのだろうとわかった。もう春も盛りで、いろいろな生命が新しい姿を見せる時期だ。

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 蛹になる昆虫というのはつまりは「変態」する昆虫で、幼虫はその姿を蛹の中でいちど完全に解体し、新たに成虫の姿になって外の世界に飛び出すのである。蛾も幼虫時代にはつまりは「いもむし」で、無数の足を持っているのだけれども、蛹の段階を経て、いわゆる昆虫の六本足と羽根を持つ姿に変態する。それまでの蛹の内部というのはいわば「カオス」状態で、つまりは幼虫期のすべてがご破算にされて溶解しているという。不思議な現象だと思う。それはひょっとしたら、昨日読んだボルヘスの《アレフ》みたいなものではないかと空想してみたりする。蛹の中には、「宇宙」が内包されているのではないのか。

 今日は土曜日で、久々にMDコンポでの留守録がちゃんと機能して(先週は地震の報道でいつもの番組は休止したようだし、その前はリアルタイムに聴いたので留守録はしなかった)、そうやってエアチェックした「ウィークエンド サンシャイン」と「世界の快適音楽セレクション」とをずっと聴いていた。やはり留守録が出来るというのは仕合わせなことであろう。

 「エル・アレフ」も読み終わったし、次は「千一夜物語」を読もうということにして(借りている「デカメロン」は、もう返却する)、午後からやはり借りている「千と千尋の神隠し」を観て、借りていたものをまとめて図書館へ行った。まずはお目当ての「千一夜物語」を探し、借りることにする。筑摩書房の全集モノとしては「世界文学大系」と同じ本の大きさだけれども、こちらは二段組みだから多少はサッサと読めるかと。あと、CDでメシアンの「彼方の閃光」、意外とこれはちゃんと聴いていないビル・エヴァンスとジム・ホールの「アンダーカレント」、それと家にケースはあるけれども中身の見つからないリー・ワイリーの「ナイト・イン・マンハッタン」を借りる。DVDも何か借りようと、アルトマンの「ゴスフォード・パーク」を借りた。



 

[]「千と千尋の神隠し」(2001) 宮崎駿:脚本・監督 「千と千尋の神隠し」(2001)   宮崎駿:脚本・監督を含むブックマーク

 もちろん昔観ている作品だけれども、まるで記憶していないわけである。これは面白い。奇想のかぎりを尽くしたという感じもして、ジブリ版の「不思議の国のアリス」という感じもする。

 しかし、この作品の基底テーマはおそらくは「欲望」、その充足のネガティヴな側面という感じで、千尋の両親はその「ワンダーランド」に迷い込んだときに「食欲」の罪に陥り、豚に変身してしまう。その先に千尋が行く湯屋とは、おそらくは八百万の神々のための遊郭というところで、ま、これは露骨にな描写出来ないだろうけれども、「性欲」のもんだいはあるのだろうと思う。そこではたらくものたちはおそらく金銭欲に囚われているというか、とにかくは彼らが動く第一原理は「金」であろうというのは、そこに闖入する「カオナシ」への対応にあらわれているだろうか。「カオナシ」という存在も、ひとつタガが外れると「物欲」まみれの存在になってしまい、とにかくは「もっと欲しい!」だけの存在に堕ちる。湯屋を経営する「湯婆婆」にせよ、これは資本主義原理での欲望追求に忠実な存在だし、その双子のライヴァルの「銭婆」のことはよくわからないけれども、そのネーミングからしても守銭奴っぽいというか。
 そんな欲望まみれの世界に迷い込んだ千尋に、そこから逸脱する精神を持つ「ハク」は、「ここで働かせて下さいといいなさい」という。「欲望」の蔓延する世界で、その欲望充足願望に対抗するのは「労働」ではないかということだろうか。う〜ん、ある意味でマルクスっぽいというか、社会主義理論ではないだろうか??? じつは「川」であるハクは、ある面で「自然世界」の象徴でもあり、人間たちの欲望充足行為によって死に瀕している、というあたりにも、現代社会批判みたいなものが汲み取れる気がする。「坊」が外の世界にふれて自立するというあたりにも、監督のメッセージを読み取れるだろう。ま、この資本主義社会はここでの「湯屋」みたいなものであり、わたしなどもその中で右往左往するカエルみたいなモノなのかもしれないな。

 その登場から、両手を上げてふにゃふにゃと女の子走りをする千尋はじつに頼りないのだけれども、これが湯屋に入ってみるとおどろくほどに芯の強い少女であることにびっくりする。この「湯屋」の世界での盟友であるハクを救うために、すっごい冒険もこなしてしまう行動力も持っている。彼女はこの奇想の世界の傍観者ではなく、積極的に行動する存在である。その原理の第一はまずは「豚になってしまった両親を人間に戻す」ことにあるけれども、それは「傷ついたハクを助ける」ということにも結びつく。

 飛び出すいろいろなイメージは眼を楽しませ、その色彩設計も見事だと思う。ジブリ作品の中ではちょっと異質かもしれないけれども、これもまた宮崎駿のメッセージなのだろう。わたしは好きな作品である。



 

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