ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2016-07-16(Sat)

 Facebook を閲覧していたら、わたしの友だちではない知らない人が、森達也監督の「FAKE」のことを書いているのを見つけてしまった。書いたのは「映画研究者」というお方で、「FAKE」批判なのらしい。「公開範囲は一般とします」ということなので、ここに引用してしまっても、そしりを受けるようなこともないだろうと思い、(面白いので)ちょっと書いておきたくなってしまった。まずはその全文を、そのまんま以下に引用しておきます。

長文です。映画研究者が映画監督をかなり厳しく批判する以上、公開範囲は一般とします。

森達也監督『FAKE』は、是非とも観た方が良い作品だと思いますが、問題点があまりに多いです。その一部は、新垣隆氏の所属事務所のこの見解を読めば分かるでしょう。もちろん、新垣氏側の見解が全面的に正しいとは限りませんが(そうではないと言いたいのではなく、森達也監督側と佐村河内氏側の反論も読まなければ判断出来ない部分もあると言っています)。

その他に私が『FAKE』の問題点だと思う点を幾つか述べます。

1. 新垣氏が記者会見で、佐村河内氏はピアノが弾けるというレヴェルではないという主旨の発言をしていましたが、この映画での佐村河内氏によるシンセサイザー演奏の場面を見聞きすると、それは全くその通りだと分かります。右手はほとんどメロディーを弾くだけで、左手はたどたどしく和音を付けているだけです。森監督は、佐村河内氏がまともにピアノやキーボードを弾けないことを何故追求しないのでしょうか? 映画を観ていれば分かるから? 恐ろしいことに、あのシンセサイザー演奏の場面を観て、佐村河内氏は鍵盤楽器が弾けると思ってしまう観客もいるのですが。

2. 完成した楽曲は、演奏されたのではなく、コンピュータにつないだシンセサイザーを使って再生されていました。部分と部分のつなぎがかなりぎこちなく、素人の仕事の域を出ない楽曲ですが、それでさえ、本当に佐村河内氏が独力で作曲したという証拠はあるのでしょうか? 誰かに手伝って貰っている可能性が排除出来ません。

3. 佐村河内氏が一定レヴェルの感音性難聴であることは検査で明らかであるとして、実際にどの程度聞こえているかのやり取りをめぐっては、彼が演技をしている可能性はありませんか? この映画を観ても、佐村河内氏が実際にどの程度耳が聞こえているのかは分からないのです。

4. そもそも、一定レヴェルの感音性難聴であるのを全聾と偽っていたのはなぜかを追求しないのはどうしてでしょうか? 映画は、彼の耳が普通に聞こえるという世間の誤解を変えるのには一定の役割を果たしていると思いますが、これは、少し注意してニュースを見聞きしあるいは読んでいた人間にとっては新事実でも何でもありません。疑惑の核心の方に迫らないのはなぜなのでしょう。

5. 森監督とのやり取りの際には、佐村河内氏の妻が、手話通訳をし、監督の発言も全て言い直しています。もし本当にこれほど他人の発言が聞き取りづらいのだとしたら、仕事の打ち合わせに関しては佐村河内氏の妻が全く関与していなかったという彼女の証言は信用出来るのでしょうか? その点を一切追求しないのはなぜなのでしょうか?

6. 私は「指示書」を書くことが作曲行為に当たるとは全く考えませんが(もしそうだとすると、例えば映画に関して「この場面にはこんな感じの音楽を付けて下さい」と監督やプロデューサーが指示すれば、あるいは脚本やコンテに書き込めば、彼らに音楽の著作権があることになってしまいます)、そもそもその指示書自体が佐村河内氏一人の手になるという証拠がありません。また、指示書と完成した楽曲にどの程度の関係があるのかを音楽学の専門家や作曲家に尋ねるということもしていません。

最後のショットで結論を宙吊りにすることで、以上の様な批判にこの映画が答えられているとはとても考えられません。

 ‥‥おかしいです。まあこの文章を書かれた方はあくまでも「映画研究者」なのであって、森達也監督の作品のようなドキュメンタリー作品のことはおわかりにならないのだろうか、とは思ってしまった。でも「映画監督をかなり厳しく批判する」と書かれているので、この「FAKE」が「映画」であり、森達也という方が「映画監督」である、という認識を持っていらっしゃるようだ。

 わたしはこの日記でも、そのもんだいの「FAKE」を観た感想も書いているのだけれども、ちょっとだけ、ここにもう一度引用しておきます。

(‥‥)この作品、つまりはこの作品自体のことを含めてのメディア・リテラシーについての作品ではないか、という感想は浮かぶ。そういう視点から、試されているのは観客なのだと思う。それは過去に佐村河内氏の問題を「あなたはどうとらえましたか」、ということでもあるだろうか。そのことがこの作品自体でもいえることで、作品全体が「入れ子構造」というか「メタ構造」とでもいうものになっていると思う。それがこの作品のいちばんの面白さだろう。そういう眼でラストをみれば、「やられたな〜!」という感想にもなる。

 まあ今日はちょっと、我田引水な展開にはなってしまいそうだけれども、つまり先に引いた「FAKE」批判の方の文章って、まさにメディア・リテラシー能力の欠如をこそ売り物にしているような文章ではないか。この作品の「入れ子構造」とか「メタ構造」のことにまるで無頓着で、まるでテレビの「真相追求ドキュメント」でもみるような視点でこの映画をご覧になっている。いったいなぜ、森達也監督はこの「FAKE」のような視点でドキュメンタリーを撮られたのか、まるでおわかりになっていらっしゃらない。そういう意味ではまことに「希有」な観客ではあらせられるわけであって、そのような方が自らを「映画研究者」と書いているのだから、これはタチの悪い冗談ではないかと思ってしまうほどである。おそらくこの「映画研究者」の方、いったいなぜこのドキュメンタリーが「FAKE」というタイトルなのか、そういうこともおわかりになっていないことと思う。

 あらためて書くまでもないことだけれども、この「映画研究者」の方が書いた「FAKE」の問題点六つ、森達也氏はそんなことを描かないからこそ、この「FAKE」という作品は成り立っているのである。そんなことを問題にしたいのであれば、映画研究などおやめになって、テレビのワイドショーとかの研究に鞍替えされた方がよろしいのではないかと思う次第である。
 しかし、そんなにもこの「FAKE」という作品に問題を感じながらも、「是非とも観た方が良い作品だと思います」とまでおっしゃるというのは、それはどういうことなんでしょうね。彼はこの「FAKE」という作品の、どのようなところが「観た方が良い作品」とお思いになられているのでしょう。

 いったいどんな方がこのような文章をお書きになられたのかと興味を持ったわたしは、ちょっと検索をかけてしまったりした。そこで彼のポートレイトもみることが出来たのだけれども‥‥(そういうことを書いてはいけません。以下削除)。



 

[]「アンナ・カレーニナ」(2012) レフ・トルストイ:原作 トム・ストッパード:脚本 ジョー・ライト:監督 「アンナ・カレーニナ」(2012)   レフ・トルストイ:原作 トム・ストッパード:脚本 ジョー・ライト:監督を含むブックマーク

 わたしはもちろんこの原作は読んでいないけれども、長大な原作がこうやってすんなりと二時間ちょっとの映画に収まってしまうとも思えない。どこかで大幅な省略とか映画的処理がなされているだろうから、この映画を観たからといって「アンナ・カレーニナ」のことがわかったような気分になってしまうのは、もちろん間違いであろう。この映画は、トム・ストッパードによって解釈された脚本による、ジョー・ライト監督の演出した「アンナ・カレーニナ」なのである。とはいっても、トルストイの「アンナ・カレーニナ」という小説がこういうあらすじを持っている作品だと思い込んでしまうことは、別にかまわないんじゃないかと思ってはいる。

 監督のジョー・ライトは先日観た「ハンナ」の監督であり、ジェーン・オースティンの名作「高慢と偏見」を邦題「プライドと偏見」として映画化もしている。文芸作品の映画化が好きなのかと思うが、彼のフィルモグラフィーで文芸作品というのは「プライドと偏見」とこの「アンナ・カレーニナ」ぐらいのもののようである。この「アンナ・カレーニナ」では、劇作家としても著名なトム・ストッパードの脚本での映画化。そして、この作品の演出面の大きな特徴は、映画全体を古い劇場で上演される舞台劇、という枠組みを設定していることで、そういういろいろな箇所で人工的というか、リアリズムとは距離を置いた演出をみせてはいる。まあカメラがぐるりと移動するとリアルな情景に変化したり、リアルな風景がいつの間にか舞台に取り込まれてしまったりもするわけだけれども、ラストシーンできれいに枠組みに収めたな、という印象はある。
 舞踏会のダンスシーンで振付をシディ・ラルビ・シェルカウイが担当している。トータルな印象では面白いところも感じたけれど、個々のダンスは妙に手をくねくねさせる感じで、ちょっと奇妙に思ってしまった。

 ストーリー展開としては、つまりは夫に飽きて不倫に走った人妻が行き詰まって死を選ぶというもので、なんだか「ボヴァリー夫人」の骨子と似ている。世界文学の名作といわれる作品に、不倫に走る愚かな人妻を描いた作品がこうして並んでいるというのも、「どういうこと?」などと考えてしまったりもする。


 

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