ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2017-03-31(Fri)

 今日は、キッチンに置いてある棚を解体した。古い布団もゴミ袋に入れてゴミに出したし、一気に部屋の中は「引越し」モードになり、非日常空間になる。引越しまであと二週間。まだ日にちがあるような、もう目の前に迫っているような、よくわからないところがある。

 壊れたのではないかと思った洗濯機だけれども、よくチェックすると、上の方では給水部分のネジが緩んでいて水漏れしていたようで、これはネジをしっかり閉めたら問題は解決した。問題は下の排水部の方なのだけれども、昨日書いたように、ここの排水ホースが段裂している。要するにメカ的には問題がないのに、単にホースに穴があいているとかそういうせいで不具合が出ているわけで、そんなことで洗濯機全体を買い直すなんてバカげていると思う。そのあたりのことをネットで検索すると、「ジャバラホースをなおすホーステープ」というものが売られていることがわかった。きっと地元のホームセンターにも売られていることだろうと、さっそくに出かけてみた。
 店に入って、さいしょはどのセクションに置かれているのかまるで見当もつかないので、店の人に聞いてみようかと思ったのだけれども、近くにガムテープなどを置いてあるコーナーがあったので、そこで探してみると意外とかんたんに見つかった。600円ぐらい。ただのテープのくせにちょっと高いなあと思うけれども、これで修理出来れば、新しく洗濯機を買わなければならない場合の二万円とか三万円とかが節約出来る。ココに賭けるしかない。とにかくはコレを買って帰る。ついでに、まだまだ特設棚の設けられている「レンタル落ちDVD」のコーナーで、成瀬巳喜男監督の「乱れる」のDVDも買ってしまった。

 ニェネントは、今日も発情期でうるさい。こまったものである。でも、夜にリヴィングで寝転がってテレビを見ていると、近寄って来てわたしの胸の上にあがって来たりする。こういうことは普段はやらないネコなので、やられてしまうと「おうおう、キミもかわいいネコだねえ」と、情を移してしまうのである。

 

 

[]二〇一七年三月のおさらい 二〇一七年三月のおさらいを含むブックマーク

映画:
●「この世界の片隅に」こうの史代:原作 片渕須直:監督 

読書:
●「わたしの名は紅」オルハン・パムク:著 和久井路子:訳
●「グレート・ギャッツビー」スコット・フィッツジェラルド:著 小川高義:訳

DVD/ヴィデオ:
●「巴里の恋愛協奏曲(コンチェルト)」(2003) アラン・レネ:監督
●「アビエイター」(2004) マーティン・スコセッシ:監督
●「バーン・アフター・リーディング」(2008) イーサン・コーエン/ジョエル・コーエン:製作・脚本・監督
●「ヒア アフター」(2010) クリント・イーストウッド:監督
●「レヴェナント: 蘇えりし者」(2015) アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ:脚本・監督
●「もののけ姫」(1997) 宮崎駿:脚本・監督

 

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■ 2017-03-30(Thu)

 別の問題が起きたようだ。今使っている洗濯機が、壊れた。
 前からニップルの部分から水漏れがしていて、洗濯機を使うときだけ蛇口をひねるようにしていたのだけれども、古い洗濯機のニップルと交換したら水漏れがとまったようなので、蛇口も開けたままにしておいた。ところが、先日洗濯機を使おうとしたら、洗濯槽の中に水がいっぱい溜まっていた。どうも取水する部分でも水漏れしているようで、これはこれから使うにしても、普段から蛇口は使うとき以外はしっかりと閉めておかなければいけないようだ。引越し先は洗濯機をベランダに置くのではなく、ダイニングに置くことになっているので、水漏れなどしたら大変なことになる。用心して使えば大丈夫だろうかと思うのだが、とにかくは今、洗濯槽の中の水を始末して洗濯しなければならない。苦労して洗濯機を横に倒して洗濯槽の中の水を捨て、また起こして洗濯した。
 ところが、洗濯機を横にしたときに排水パイプを傷つけてしまったようで、ベランダに洗剤の泡だらけの排水があふれてしまった。こうやってベランダで使うのなら我慢して使いつづけることも出来るだろうけれども、これでは室内で使うことは出来ない。この洗濯機もダメということで新しいのを買わなければならないのか。それはそれでいいとして、そうすると引き取ってもらう壊れた洗濯機が、二台に増えたということでもある。
 前に問い合わせたところでは、古い(壊れた)洗濯機の引き取りは近郊の家電量販店に頼まなければならず、持ち込みが出来ない場合には、一台六千円以上の引き取り料がかかるということだった。つまりそうすると、新しい洗濯機を買うことに加えて、二台の古い洗濯機を引き取ってもらわなければならないことになる。新しい洗濯機が安く見積もっても二万円、それにプラスして古い洗濯機を引き取ってもらうと、単純に計算して三万円とかの金がかかってしまう。困った。
 それでAmazonで「洗濯機」を検索してみると、中古のシャープの洗濯機が一万円とかで出ていた。これは「神の助け」というか、Amazonで出て来るその他の格安の新品洗濯機はつまり中国製のモノで、今現在わたしが使っていて、「壊れたよ」という、まさにそのものなのである。わたしはこのメーカーのものにはちょっと不信感を持っていて、その前に持っていた洗濯機ほどには汚れが落ちない印象もあったし、こうやって今回壊れてしまったわけでもある。別に中国製だから「ダメ」というつもりはないけれども、そのメーカーのものを二回続けて買おうとはしたくないというのが本音。そこにたとえ中古でも、ずっと安い洗濯機が売りに出されていれば、やはりそちらに食指が伸びてしまう。‥‥しかし、「壊れた」と思える今の洗濯機、果たしてわたしの手で修理できないものか、もういちど努力してみてから結論を出すことにしよう。

 もうひとつ、新しい布団を(やはりAmazonで)買い、それが今日届いた。安物だけれども、ふっかふかで気もちがいい。前の布団はまさに「せんべい布団」状態になっていたわけで、買い替えるいいチャンスだった。これで毎晩安眠できるだろうか。あと、新しく買わなければならないのが新居の照明になるか。今の住まいの照明はさいしょから据え付けてあったものだから、置いていかなければならない(もうこれ以後使うこともないのだから、もらっていってもいいような気もするけれども)。2DKだから、三つ買わなければならない。それを全部同じ照明にしてしまうというのもバカみたいだから、「リヴィング」「寝室」「ダイニングキッチン」と、それぞれの部屋に合わせた照明を考えなくてはならない。めんどうであるが、これも早急に買っておかなくてはならない。

 ニェネントが、つまりは「サカリノさん」の発情期なので、わたしのそばにつきまとい、「何とかしてよー」と訴えて来る。そして部屋の中をうなるように啼きながら徘徊する。この啼き声は、新居に行ったら問題になるだろうか。となりから苦情が来ることは想定しておかなくってはならないだろう。でも、想定したからといって、どういう対策を取ればいいんだろう。「不妊手術」をやって、発情期が来ないようにすれば、こういうことはなくなるのだろうか。考えなくてはならないことになるだろう。

 

 

[]「グレート・ギャッツビー」スコット・フィッツジェラルド:著 小川高義:訳 「グレート・ギャッツビー」スコット・フィッツジェラルド:著 小川高義:訳を含むブックマーク

 光文社の「古典新訳」文庫。わたしはこの作品を読むのははじめてだけれども、ロバート・レッドフォードがギャツビー(「ギャッツビー」という表記は好きではない)を演じた、古い映画は観ている。まずひとついえるのは、わたしはこの訳文にかなり違和感を覚える。どうやら原作の英語自体が難物らしいのだけれども、この訳文はそれぞれのセンテンスとしては読みやすいのかもしれないけれども、連続した文章としてタッチがコロコロ変わるというか、その文章の背後に通底するものがわからない感じがする。この件はこの翻訳だけを読んだのではわからないので、いずれ他の翻訳を読んでみたいと思う(村上春樹は除く)。

 この翻訳にはもうひとつ文句をいいたいのだけれども、巻末にまずは訳者による「解説」が載せられ、そのあとにフィッツジェラルドの年譜があって、さいごにまた訳者による「訳者あとがき」というものが載せられている。いったいなぜ同じ人物(訳者)が稿を改めてふたつも文章を載せなければならないのか。それで読んでみるとやはり、このふたつの文章はつなげてしまってもまるで問題がないような、同じようなことを書いているわけだし、「解説」の方が「訳者あとがき」というにふさわしく、逆に「訳者あとがき」こそ「解説」といえるような内容ではないかと思った。つまり、そのあたりの意識がいいかげんなのではないかということ。
 その「訳者あとがき」に書かれた、本来の「解説」といえるような文章も、作品の中の人間関係とかの構造をとらえることには熱心だけれども、フィッツジェラルドがこの本で読者に何を喚起しようとしたのか、そのあたりの解説にはなっていないと思う。まあもちろんそのようなことは読者がこの本を読んで、それぞれに感じればいいことではあるだろうけれども。

 やはり、読み終わって感じるのは、ギャツビーの「哀しさ」のようなものだろうか。そこにまさに、「ロスト・ジェネレーション」と呼ばれたフィッツジェラルドの時代の、その哀しみを重ねて読むことになるだろうか。デイジーという女性は、それまでの多くの小説のヒロインのような「愛をつくすに足る」すばらしい霊感をもたらす女性などではないわけで、これは「相手に手が届かない」という悲恋、悲劇の物語ではなく、そもそもが「失われるための」恋愛であったように思える。そういう意味では「唐突で意味のない」ギャツビーの死は、逆にその先には悲劇しか待ちかまえていないであろうギャツビーにとって、ある意味で「救い」だったのではないかとも思う。では果たしてギャツビーは「空疎」だったのか?

 語り手のニックと、ゴルファーだというジョーダンとの仲の進展と破局もまた、この作品ではギャツビーの物語とはまたちがった、このあたりもフィッツジェラルドらしい「男女の仲」の展開ではあるだろう。とにかくは他の訳でまた読んでみたい。

 

 

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■ 2017-03-29(Wed) このエントリーを含むブックマーク

 今のしごとが、ついに今日でおしまいになる。退職するのである。震災の前の秋から勤めはじめていたから、六年半ぐらい勤めたことになる。仕事しなかったり転職とかを繰り返して来たわたしにとって、これはひょっとしたらいちばん長く同じところに勤めた記録になるだろうか。とにかくは早朝の四時間だけ働けばあとはフリーで、それで食べて行けたのだからありがたい仕事だったし、めっちゃ楽な仕事でもあった。転居した先でもこういう仕事が見つかるといいのだけれども、と思うのだが。この仕事をはじめたときに、作業着用にと御徒町で買ったアーミージャケットも、今日で用済みである。仕事のときにはかならずこのアーミージャケットを着て行ったので、もうわたしのユニフォームとしても認知されていたのだが。六年経ってもそこまでにボロボロになっていないというのは、さすがにアーミージャケットだった。お役目ご苦労さんでした。

 今日は、国分寺のクリニックへの通院の日。今日は先生に聞いてみたいこともあるので、その準備をして出かける。昼食は経済的に、コンビニでサンドイッチでも買ってすませようかと思っていたのだけれども、思っていたよりも時間に余裕が出来てしまったので、「ま、いいか」と、新宿の日高屋でとんこつラーメンを食べた。
 新宿の映画館では今、「牯嶺街少年殺人 事件」がリヴァイヴァル上映されていて、出来れば観に来たいと思っている。その上映中の映画館へ行って、「いつまでの上映予定ですか」と聞いてみたら、「4月14日までと決定しています」という答えだった。早くに引越しの準備が終われば、引越しの前に観に来ることも出来るかと思う。早く引越しの準備を進めよう。

 中央線で国分寺へ移動し、クリニックへ。わたしが先生に聞きたかったのは、前に読んだ「奪われた記憶」という本で、「電気ショック療法」によって記憶を奪われた著者、そしてその本の中に紹介されている、やはり若い頃に同性愛傾向の<治療>のために電気ショック療法を受けたというルー・リードの、その後の記憶力の低下がわたしの場合と似ているということで、わたしは単に「側頭葉てんかん」のために記憶を失ったというだけでない、その他の理由で今も記憶障害があるのではないかということ。持って来たその本のコピーを先生に見せながら説明すると、先生はあっさりと「電気ショック療法というのも記憶を失せさせるんですよ」と語られる。さらに、わたしが前にこのクリニックで受けた「心理テスト(じっさいは知能テスト)」の結果を見せて下さり、「あなたはね、非常に知能指数が高いんですね。それで言語理解・知覚統合・作業記憶・処理速度も皆、とても優秀です。特に記憶力が劣っているということでもないんですよ。あなたの場合、それまでのような記憶が保てていないと感じると、そもそもの知能が高い分、よけいに自分の能力が劣っていると感じてしまうんでしょうね」ということである。
 まあ知能指数が高いというのはそれはうれしいことではあり、そういう部分が側頭葉てんかんで冒されていないということもすばらしいこと。ひょっとしたら自分の気もちの持ち方で、「わたしは物事が憶えられない」という、「コンプレックス」かもしれないものを、克服できるということだろうか。ま、とにかくは今のわたしがなお記憶障害があるとしても、そのことを治療する方策はないということだろうか。しかし、ルー・リードだって、彼が若き日に書いた自分の記憶障害を生涯ひきずっていたわけではないし、わたしだって、先日オルハン・パムクの小説を読んで、読後の今でもしっかりと記憶出来ていたりするわけだし、あんまり悲観的に考えずに、もっと自分に自信を持って現状を受け入れなくってはいけないということだろうか。そういうアドヴァイスをいただけたということでも、やはり今のクリニックに診てもらうようにしてよかったと思う。

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 今日は引越しの荷造りとかは中断したけれども、そういうアドヴァイスももらえたし、とてもいい気分転換になったという気分。帰りはターミナル駅でいちど降りて、またいつものスーパーで値引きされたお弁当を買って帰った。ハンバーグ弁当。とてもおいしかった。

 

 

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■ 2017-03-28(Tue) このエントリーを含むブックマーク

 東京ではもうとっくに桜の開花宣言が出ているのだけれども、このあたりはまだもうちょっとかかりそうだ。このところ寒い日がつづいたことだし、昨日の寒さもまた格別だった。でも今日は少し暖かくなり、花のつぼみもピンクに色づいて来た。去年の桜に比べるとずいぶんと遅くなっているけれども、満開は来週末、いや、もうちょっと遅れてわたしの引越しの頃になってしまうことも考えられる。

 今日はまずは、昨日完了できなかった「ひかりTV」の契約変更をやる。まずはネットで処理しようとしたのだけれども、会員IDはわかるものの、パスワードがわからなくなってしまっている。パスワード再設定の手続きをして、なんとか先に進めたのだけれども、そこで「あなたには管理権限がありません」とかいうメッセージが出ていて、それ以上先に進めない。しょうがないから電話で連絡しようとするが、まずはわたしのケータイでは通話できない電話番号なので、固定電話の方でかけ直す。それでこの固定電話が調子が悪いわけで、引越すまでに買い直さなければならないと思っているのだけれども、すぐに通話がとぎれてしまう。通話先の「ひかりTV」の問い合わせ先は電話が混み合っていて、「しばらくお待ち下さい」とのアナウンスが流れるばかりだし、そうやってつながるのを待っているうちに電話の調子がおかしくなり、接続が切れてしまう感じになる。これはやってられないと、近くにある公衆電話から電話することにした。って、公衆電話などを使うのは何年ぶりのことになるのだろうか。おそらく十年以上使ったことはないと思う。
 とにかくはやはり通じるまでに待たされるのだけれども、通話料金は無料だからかまわない。三、四分待たされてようやく通じ、あとはスムーズに契約変更が完了した。ついでに「ネットの方から契約変更が出来なかったんですけど」と聞いてみると、契約変更というのは電話でのみ受け付けているのだという返答。わたしがネットでみた「ひかりTVの契約変更の仕方」というところではネットから変更出来ると書いてあったけれども、それが間違っていたわけだ。

 次に、ついに古いパソコンを破壊することにした。これは「燃えないゴミ」で出せるようにするためで、市で出している燃えないゴミの袋に入る大きさであれば、つまりは普通に「燃えないゴミ」として収集してもらえるのである。そのために、パソコンを壊して袋に入る大きさにしようという企み。やり方は、パソコンを三階から落下させるという荒っぽいやり方。普通の住居ではなかなか出来ないことだろうけれども、もうこのアパートにはわたし以外誰も住んでいないから、そういう勝手なことも出来る。
 パソコンは二十年ぐらい前の古いiMacで、まだブラウン管方式のヤツ。いろいろとわたしのパートナーとして役立ってくれた機器だった。ちょっと壊すのはしのびないという感覚もあるけれども、どうせ「ゴミ」になってもらわなくてはならないのだし、その引導はわたしが渡そうと。

 まず一回目。もっと一回でバラバラになってしまうかと思っていたのだけれども、意外と頑丈というか、ブラウン管は割れず、外装がバラバラになってくれたぐらいのもの。ブラウン管以外の部分はゴミ袋に入るけれども、やはりブラウン管の部分が袋に入らない。もういちど落下させ、ブラウン管が割れてくれなくってはダメだろう。

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 二回目。こんどはみごとにブラウン管が割れ、枠を残してそれこそ粉々になってくれた。破片をゴミ袋に入れ、これで無事に作業終了。ちょうどアップルマークの部分が取れてしまったので、このマークは「遺品」として、これからずっと大事に保管しておこうと思う。

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 さて、今までニェネントの「お立ち台」として役立って来たパソコン、それではニェネントが困るだろうと、今までパソコンを置いてあった場所に、代わりに同じぐらいの高さの段ボール箱を置いた。ニェネント、さっそくその段ボール箱の上にあがって外を眺め、「別にこれでもかまわない」ということらしい。ホッとした。

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 夜になって、なんだかニェネントがいやにわたしにベタベタしてくる。すり寄って来て、わたしの顔を見上げてなく。どうやらこれは「発情期」なのだろう。そうやって、わたしにすり寄ってあまえて来てくれるのはうれしいのだけれども、「発情期」というのはなかなかに面倒なんですよね。ちょっと大変。
 そうやって八時頃、ニェネントといっしょに寝ようとしていると、アパートの前の駐車場に車が入って来て、そのライトで窓が明るく照らされた。ニェネントも窓際へ行き、外を見ている。もうこのアパートの駐車場を使う人はいないはずだし、こんな時間に車が入って来るのはおかしなことである。二階の住人の知り合いだった人間の車なのか、火事跡で「火事場泥棒」でもするのか「肝試し」でもするのか、とにかくは「不審車」である。ちょっと気味が悪くなり、外の様子をうかがってみたけれども、妙な動きもないようなので寝ることにした。でもやはり、こんなところに住みつづけるのはやはり気もちのいいものではない。

    

 

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■ 2017-03-27(Mon) このエントリーを含むブックマーク

 今日はめっちゃ寒い。冬が逆戻りして来た。冷たい雨が降っていて、外を歩いていると体の芯まで冷えきってしまう感じ。こんな日に仕事で家を出なければならないというのがつらい。仕事を終えて帰宅してからは、電気ストーブをつけてそのそばに座ったままになり、もう動きたくもない。でも今日は「粗大ゴミ」の件で市役所に問い合わせしようと思っていたので、雨もやんだ午後になって市役所に出かけた。問い合わせ先は「環境課」。洗濯機やパソコンについては先日問い合わせしていたけれども、それ以外の大きなゴミについては聞いていなかった。聞いてみると毎月第四水曜日にそういう粗大ゴミの収集日が設けられているそうで、それなら明後日のことでちょうどいいじゃないかと思ったのだけれども、先に申し込みをしておかなければならないということである。つまり四月の第四水曜日まで待たなければならないのだけれども、もうこのアパートには誰も住んでいないし、そういう粗大ゴミを外に出しっぱなしにしておいて転居してしまっても問題はないだろう。収集料が750円と書いてある。そのくらいなら仕方がない。
 考えて、さいしょから考えていた棚の他に、むかし作品をつくるのに使っていた工作用の作業台、そしてもう決して使うことのないパラボラアンテナなどもいっしょに捨てることにした。具体的にどんなものを捨てるのか申告しなければならないので、以上の三点を用紙に書いて申し込む。すると「2250円ですね」といわれて、ちょっと面食らってしまった。わたしは一回の収集で(量に関係なく)750円なのだと思っていたのだけれども、一点につき750円、ということだった。そういうことなら他の処分法もあったかもしれないな、などと思ってしまったけれどももう遅い。とにかくは2250円支払い、その粗大ゴミに貼り付けておく「処理券」というシールを3枚もらって来た。ちょっと予定外の出費だったけれども、仕方がない。

 帰りにJRを越える歩道橋に上がると、遠くの筑波山が雪で白くなっているのがみえた。寒いわけだ。でも、もうこういう筑波山の姿も見納めになるわけだなあ。

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 帰宅すると、「ひかりTV」と「WOWOW」との来月の番組表が届いていた。このところ「ひかりTV」も「WOWOW」も「観たい」と思うものをまったく放映しない。この三月もほとんど観なかったし、これではお金を捨てているようなものである。もしも来月も観たい作品の放映がないようなら契約を休止しようと考えながら、番組表をチェックして行く。
 ‥‥やはり来月も観たいような作品の放映はないようだ。WOWOWで月末にヴィスコンティの特集をやるようだけれども、観たいのは「家族の肖像」だけぐらいのものだろうか。そんな一本の作品のために今の契約をつづけるのはバカげていると思うし、やはり契約を休止することに決めた。ちなみに、「契約の休止」というのは、チューナーは借りっ放しにしておいて番組だけ観られなくなるということで、チューナーに接続したHDDに録画したものは観ることができるという契約に移行するということ。チューナーのレンタル料のみがかかることになる。
 ネットからそういう契約変更も出来るだろうとやってみたけれども、どうもうまくいかない。明日もういちどトライしてみることにした。

    

 

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■ 2017-03-26(Sun) このエントリーを含むブックマーク

 けっこういっぱいゴミを出したと思う。45リットルのゴミ袋で、もう15袋以上出しているだろう。1リットル=1キロと考えると、そろそろ1トンになろうかというゴミの量。ウチは「ゴミ屋敷」だったのかと思うが、まだまだ出せるだけのものは処分して、身軽になりたい。

 ゴミを出していてふと思うと、ウチには幅120センチ、高さ150センチの大きな組み立て式の棚が二つあるのだけれども、もうこれはひとつあれば充分ではないかというくらいに荷物も減ったようだ。新しい住まいは2DKで、その棚はリヴィングに置こうかと考えているけれども(他には置けないだろう)、そこにその大きな棚を二つ並べるのは無理がある。もっと早く気がついていてしかるべきことだったけれども、とにかくは棚がひとつ不要になる。これをどう処分するかと考え、市のホームページでチェックなどしてみると、そういう「粗大ゴミ」を処理センターに自分で持ち込めないところには、市の方で収集してもらうことも出来るようだ。考えてみると、以前使っていた衛星放送受信用のパラボラアンテナももう不要だし、これも「燃えないゴミ」で収まり切らない大きさだと思う。これもいっしょに「粗大ゴミ」として出してしまうべきだろう。今日は日曜で役所も休みなので、明日になったら市役所に行ってみようと思う。

 画集や展覧会の図録をそれなりに高く買ってくれるような古本屋も東京にはあるようで、この際売ってしまおうかとも思ったのだけれども、着払いで送らせてもらうほどの分量でもないし、自分で持って行くというのもめんどうだ。こういうのは無理して処分するのではなくって、持って行くことにした方がいいのだろう。

 夕方からテレビで相撲を見ていて、一昨日ケガをした稀勢の里はもう優勝は無理かと思っていたのだけれども、本割で星ひとつリードされていた照ノ富士に勝ち、優勝決定戦に持ち込んだ。その決定戦でも痛めている左腕を使わずに右腕だけでの投げが決まり、先場所につづいての連続優勝ということになった。これはやはり、見ていてちょっと興奮してしまった。

    

 

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■ 2017-03-25(Sat) このエントリーを含むブックマーク

 その「光コラボ」の会社の営業から、電話がかかって来た。もっとしつっこく粘られるのかと思っていたけれども、意外とあっさりと引き下がってくれたので助かった。教訓。<やはり固定電話にかかって来る電話に出てはいけない>。

 いろいろと片付けていて、「あれ? あの本(CD)を持っていたはずなのに、どこに行ってしまったんだろう?」と思うことがたびたびある。今日は伊藤重夫のマンガ「チョコレートスフィンクス考」があったので、彼の大傑作「踊るミシン」はどこに行ってしまったんだろう?ということになってしまった。マンガのたぐいを収納してある棚にはみつからないのであせった。まさか失せてしまったということはないだろうと思うが、貴重なわたしの宝なので、しばらくは探しまわってしまった。
 けっきょく、もうひとつの棚のいちばん上に置いてあったのを発見し、とにかくはホッとする。もう長いこと読み返していないけれども、とにかくはこの作品はビビってしまうほどの傑作だと思っている。見つかってよかった。

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 それで何だかモードが変わってしまって、ネットでこの「踊るミシン」のこととかを検索し、いろいろと読んでみた。たしか数年前には、古書店でもこの本は四千円ぐらいの値が付いていたと記憶するけれども、今ではなんと二万円という値が付いていたりする。驚きである(わたしの持っているのはもう帯もとれてしまったし、薄汚れているからそんな価値はない)。これはこう「伝説」の作品、という感じでもある。検索していると、わたしの好きな「blue」という映画を監督した安藤尋という監督が、この「踊るミシン」を映画化したい、というようなことをいっているのも見つけた。う〜ん、たしかに「踊るミシン」、このタッチで映像化できればすばらしいだろうと思う。原作マンガの絶妙な、すばらしいコマ割りを映像のカット割りに生かし、音にあふれているというのに静寂につつまれたようなあの雰囲気を映像化できないものだろうか。あの秀作「blue」のタッチでやれば、可能な気もするのだが。とにかく、ひとりの男の子が成長していく一時期での「喪失感」を、非日常な幻想を交えながらここまで描いた作品というのも、わたしは他に知らない。この本はわたしには生涯の「宝」である。
 ちょっとだけ読み返して、ラストの二ページにハマってしまった。

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 そんなこんなで、今日はあまり荷造りも進まなかった。明日はがんばらなくっちゃ!
 夜はテレビで「ブラタモリ」を見た。今日は「奄美大島」が舞台で、いつもとちがって動植物がメインの展開で面白かった。でも、「これから」というところで「あとは来週」となってしまったのが残念。

    

 

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■ 2017-03-24(Fri) このエントリーを含むブックマーク

 「光コラボ」の会社に「契約しない」との電話を入れてみる。今日は担当が不在ということで、「また明日こちらから連絡する」とのこと。とにかくは契約はしませんから、ということで電話を切る。ゴタゴタしなければいいのだけれども。

 今日からいよいよ、荷造りをはじめた。まずはDVDを段ボール箱に詰め、これは段ボール箱一箱でちょうど収まった。次はVHSのヴィデオカセット。「捨ててもいいんじゃないかな」と思えるものも出て来たけれども、めんどいのでそのままどんどん箱詰めして行き、これが段ボール箱二箱になってしまった。ここまでの段ボール箱は、中身が軽いからちょっと大きめの段ボール箱を使用。本とかになると重いから、そこまでに大きな段ボール箱は使わない。これが五箱ぐらいで収まり、CDが三箱ぐらいになれば、全体で三十箱という目標はクリアできると思う。どうだろうか。

 ニェネントが、「この家はどうなっちゃってるのよ?」みたいに、びっくりしているみたいだ。棚の裏側とかに入り込めるスペースが出来ると、さっそく入ってみたりしているけれども、あんまり面白くもないみたいですぐに出て来る。落ち着かないことと思うけれども、もうちょっと辛抱しておくれ(って、そのあとは住処が変わるからもっと大変なんだけれども)。

    

 

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■ 2017-03-23(Thu) このエントリーを含むブックマーク

 夢の中に、古い知り合いの女性が出て来た。もう彼女とは一年近く会っていないけれども、きっともう会うことはないのではないかと思っている。そんな彼女が夢の中で、人ごみにまぎれてわたしの近くにいる。わたしはその夢の中で「ああ、もう彼女の姿をみるのも、これがさいごになるだろうな」と思っている。せめて彼女の姿をもっとしっかりとみておきたいと思うのだが、手前に人がいたりして、なかなかしっかりとみることができない。なぜかその夢の中で彼女だけがモノクロ画像で、ようやく垣間みれた彼女をみて、「いや、彼女はこんなに美しい女性ではなかったはずだが」などと思っているのである。
 おそらくこの夢には理由があって、今わたしの机の上には金井美恵子の「タマや」の文庫本が置かれている。その文庫本の表紙には(単行本でも同じことだけれども)アンナ・カリーナのモノクロ写真が使われているわけで、今日の夢に中に出てきた「彼女」のおもかげには、その「タマや」の表紙のアンナ・カリーナのおもかげが重ねられていたわけだった。
 その女性ともう会わなくなるというのは残念なことだけれども、わたしの記憶が失せてしまって以来、彼女と会って話をしても、わたしは彼女の語る話にまるで共感できないというか、わからなくなってしまっている。ひとつには向いている指向がまるで違ってしまったことがあるし、さらに共有できるはずの過去の思い出がわたしの中で消えてしまい、共有できるものがなくなってしまったということもある。こうやって終わってしまうことがらもあるのだと思うが、もう今となっては「しかたがない」というしかない。

 部屋の中の大きなものはだいたい片付けただろうか。あとは引き出しの中の小物とか、小さなものを順々に整理していきたい。この作業を今週いっぱいやって、来週からはいよいよ荷造りにとりかかるか。

 今日は「森友学園」問題で、理事長の籠池氏が国会に証人喚問されたもので、そのテレビ中継をずっと見てしまった。籠池氏は「ハシゴをはずされた」恨みからもっとすごいこと言い出すのかと思っていたけれども、「安倍首相夫人の昭恵氏から百万円受け取った」と主張するにとどまった感。しかしこれだけのことでも安倍首相には相当な痛手になるのではないだろうか。「この問題にわたしが関わっていたことがはっきりするならばわたしは辞任する」といっていたのではなかったか。これはもう、昭恵夫人を証人喚問するしかないのではないのか。先の展開が面白そうではある。まさに「アッキード事件」になるだろうか。

 先日の「光コラボ」の会社から契約確認の書類が届いた。よく読んで検討して、明日にでも動こうと思っているが、今のところやはりこういう契約はしない方が無難ではないかと思っている。やはり固定電話にかかってくる電話になど、出るものではない。

    

 

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■ 2017-03-22(Wed) このエントリーを含むブックマーク

 昨日ほとんど何もしなかったので、今日はいろいろとがんばる。まずは近郊のリサイクルショップに電話して、オーディオアンプを引き取りに来てもらうことにした。ついでにもう使わない工具、カメラレンズ、そしていらないDVDなども処分してしまおうと。

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 昼前にリサイクルショップの方がお見えになり、まずはオーディオアンプの起動テストをやる。もう長いこと放置したままだったので、チェックのために接続出来る機器も今はないし、ちゃんと動作するかどうかわたしにもわからない(電源はちゃんと入る)。リサイクルショップの方が持参したスピーカー(片方だけ)と小さなCDプレーヤーとを接続し、音が出るかどうかテストしてみたが、これがダメだった。アウト。でも、そんなジャンク品でも500円で引き取ってくれるというからうれしい。たいていのところは突っ返されるか「無料引取」か、というところだっただろう。カメラレンズはカビが生えていたのでお金にならなかったけれども、それでも持って行ってもらえた。これに工具類やDVDなど5枚を合わせて、1200円になった。ありがたいことである。というか、DVDなんか、普通だったら百円にもならないような代物だったと思うのだが、それでも一枚百円。あとになって、「それならアレもコレも売ってしまえばよかった」なんて思ってしまった。とにかくは粗大ゴミは減ったし、いくばくかの金になったことはうれしいことである。

 午後はまた、いろいろなものの整理にはげむ。引越しを依頼する運送業者には「段ボール箱30箱」といってあるので、そのあたりまで荷物(本、DVDやCD、衣服、その他食品など)を絞るのが目標。ま、衣服類は衣裳ケースに入れることが出来るから問題ないだろうか。今見た感じでは、食品その他を除いて段ボール箱20箱以内で収まりそうに思えるのだけれども、とにかくは余計なものは持って行かないでスリムになりたい。

 夕方になって、ニェネントがとつぜん、いつもの「お立ち台」に駆け上がり、外を見ながらめずらしくしっぽの毛を逆立たせて、ふくらませている。「何を見たんだろう」とわたしも外を見てみたけれども、外には何も見えなかった。あとになって、「ああ、ニェネントには<そういうもの>が見えたのかもしれないな」と気がついた。

    

 

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■ 2017-03-21(Tue) このエントリーを含むブックマーク

 今日は仕事も休みで、朝からウダウダしていたら何にもする気にならなくなり、「ま、いいか」と、「今日は引越し準備もお休み!」ということにした。

 このところ、食事も冷凍庫に保存してある肉類を解凍して調理するばかりなので、もうほとんど買い物に行かない。たいていは「もやし」といっしょに炒めるので、買うのはもやしばかり。あとは酒とタバコ。やはり酒と煙草をやめれば経済的にも楽になるのになと思う。特にタバコに関しては、新居で部屋の中をヤニで汚したくはないので、引越しを機に「禁煙」してしまおうかとも思っている(でもきっと、窓の外、ベランダで喫うのならいいや、とか妥協してしまいそう)。

 夜、もう八時も過ぎて寝ているとケータイに電話があった。例の昨日電話のあった「光コラボ」の会社の人間からで、やはりどうもこの会社、こんな時間に電話して来ることとか、その電話の内容(どうでもいいことだった)とか、怪しいことこの上ない。いろいろと安くなるのはいいのだけれども、こういう契約はどこにトラブルの種が転がっているかわからない。

    

 

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■ 2017-03-20(Mon)

 このところずっと、もう固定電話には出ないようにしている。どうせセールスとか勧誘の電話ばかりだし、連絡の必要なところにはケータイの電話番号を伝えるようにしている。しかしこのところは引っ越し絡みでいろいろなところと連絡を取っているし、固定電話の方にも重要な電話が来ないとも限らない。そういう今日、固定電話のコールがあったので、「やはり出てみようか」と受話器を取ってみた。電話の内容はわたしが契約している「光フレッツ」をもっと安く出来ますよ、というようなもので、話を聞くと今までよりも三千円ぐらい安くなるような。しかも、インターネットのプロバイダーとしての機能もあるようで、今までのプロバイダーとの契約も解除出来るようなことをいう(ただし、メールアドレスだけは使用し続けるようだと、若干の費用はかかる)。
 ちょっと電話をして来た人物の口調は怪しいところもあり、じっさいにネットを閲覧させながら契約へと導くやり方は、「振り込み詐欺」と同じ手口のようにも思える。しかしちょうど来月末は今のプロバイダーとの契約料(一年分)を払わなければならない時期でもあり、それがこの引っ越し騒ぎで金欠状態になることは間違いない時期でもあったので、頭を痛めていたのは事実である。「とにかくは安くなるのならそれに越したことはない」と、電話の上では契約に同意しておいた。
 電話を切ってからその電話内容をネットで検索してみたけれども、つまりは「光コラボ」というヤツなのだけれども、じっさいのところ、ネット上での評判はあまりよろしくない。途中解約の違約金がけっこう高いこととか、速度が遅くなるおそれがあるとか書かれているけれども、本来法人向けのプロバイダーサービスの会社ということで、そこまでにアコギなことはやらないのではないかと好意的に解釈してみる。とりあえず電話で聞いた限りでは安く済むことはまちがいないようではあるし、引っ越しというタイミングでならちょうどいいし、切り替えてもいいように思う。とりあえず書類が送られてくるのを待ち、よく読んで決定しようと思う。

 今日もバンバンとゴミをつくった。また大きなゴミ袋を三つつくり、ゴミ収集場所に出した。もうココのゴミ収集場所はわたししか使っていないのだけれども、これでわたしのゴミ袋ばかり七つも置かれていて、ちょっと壮観である。まだまだゴミに出来るものはあると思う。出来るだけ身軽になりたい。

 夜は、図書館から借りている「もののけ姫」のDVDを観た。この日記で検索してみると、二年前、五年前、七年前と三回観ていることがわかるし、その前にも(おそらくは映画館で)観ているようだ。それだけ観ているのに、ほとんど内容を記憶していない。何ていうことだろうと思う。

    

 

[]「もののけ姫」(1997) 宮崎駿:脚本・監督  「もののけ姫」(1997)   宮崎駿:脚本・監督 を含むブックマーク

 この「自然」対「人間」という世界観はとても好感を持つし、安易な解決策を提示するのではないということにも共感する。おそらくは以前にも書いていることだけれども、「風の谷のナウシカ」の延長線上にあるところは多いと思う。

 ただ、いったいなぜエボシ御前がジコ坊に協力してシシ神の首を取ろうとしたのか、ひとつ合点が行かない。彼女はシシ神の首を取ることがいかに畏れ多いことであることか、しかと認識しているわけではなっかたのか?


 

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■ 2017-03-19(Sun) このエントリーを含むブックマーク

 今日は池袋で行なわれているダンスの舞台の最終日で、わたしは昨日のチケットを持っていたのだけれども、とても行けないと思ってFacebookを使って人に譲ってしまった。そのあとになってその公演の主宰者のCさんから連絡をもらい、「毎年継続して来たこの公演も今年が最後になるから、ぜひ来てほしい」ということだった。「ちょっと行けるかどうかむずかしいけれども、もし行けるとしたら最終日の日曜日だと思います。出来るだけ行けるようにしたいです」と返事していた。だから今日は午前中「行こうか行くまいか」と迷ってもいたのだけれども、電車代もかかるし、けっきょくどうしても行く気分になれずにパスしてしまった。Cさんには申し訳ないことをした。きっといつかまたお会い出来ることもあると思う。

 荷物を整理していたら、ついに山のように写真の詰まった段ボール箱が出て来た。「きっとどこかにあるだろう」と思っていたものだったけれども、これはこのまま持って行くしかないだろうかと思う。
 いっしょに、当時の東欧旅行のときのファイル、そして、まだイヴェントを始める前の頃の日記も出て来た。東欧旅行の記憶はほぼすべて、きれいに消えてしまっていたので、ついついファイルに見入ってしまう。ベルリン映画祭の半券が四、五枚はさみこまれていたので、その頃はベルリンに滞在して、ちょうど開催されていたベルリン映画祭にあしげく通っていたのだなとわかる。あとはプラハの地図やクラコフの地図もあり、行ったとは思っていなかったプラハにも行っていたことがわかった。

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 日記の方は、1995年の3月から10月にかけてのもの。4月に個展をやり、そのあとグループ展を二回ほど企画していた時期になる。さいしょの「crosstalk」はこの年の12月だったはずだから、その直前まで。読んでみると、もう毎夜のように新宿界隈に飲みに行き、バーを何軒もハシゴして朝帰りする日がつづいている。そんな中でいろいろなアーティストに会い、行動範囲を拡げていた頃だ。
 その日記を読んでいると、連日通っていたバーの顔なじみの人から「おまえのこと、心配してるんだぞ」といわれたことが書いてある。いい歳をして仕事をやめてブラブラと飲み歩き、酔うと(きっと)夢のようなことをしゃべる、典型的な「ダメ人間」に見えたことと思う。まあたしかに今でもダメ人間のままだけれども、あの頃考えていたことはちゃんと実現した(と思う)。ある面では思った以上の成果も生み、それで今のわたしがいると、ちょっと自信を持ってみる。

 わたしの今の交友関係は、基本は皆この模索の時期以降に知り合った人ばかりで、逆に、このちょっと前に交流のあったアーティストらとの交流は、もうなくなってしまった。あの頃のわたしはもっと大きなことやりたいと思っていたし、「Small circle of friends」でかたまってしまうのがいちばんイヤだった。それで知らない人たちの中へ飛び込んでいったのだけれども、今思い出しても(このあたりの記憶はけっこう残っている)よくもまああそこまでうまくいったものだと、自分ながら感心してしまう。おそらくは、自分の企画と時代の要請とがうまくマッチしたのだろう。「運がよかった」ともいえるだろう。

    

 

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■ 2017-03-18(Sat) このエントリーを含むブックマーク

 ニェネントが、あまり「お立ち台」に立たなくなった。「このところ家の様子が変だぞ」とは当然感じているだろうけれども、「これはこれでいいか」と順応しているのか、「馴れていた今までの部屋とちがい、暮らしにくい」と違和感を憶えているのかはわからない。どちらにせよ、その「お立ち台」になっている古いパソコンも捨てていかなければならないし、そのためにはゴミ袋に入るように分解(というかぶちこわし)しなければならない。この作業も早めにやっておきたいのだけれども、いつもの「お立ち台」がなくなってしまうとニェネントが不満を持つだろうと、このあたりの片付けは先にのばしている。

 今日もひたすら、いろいろなものを捨てる。本棚はかなり空っぽになってしまい、大きな棚だけが目立つようになって来た。鉄製枠を組み立てる式のけっこう大きな棚で、これが二つあるのだけれども、新居では二つ使わずに、ひとつは組み立てないでしまっておけるようになるだろうか。そうすれば新居もずいぶんとすっきりするかもしれない。

    

 

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■ 2017-03-17(Fri)

 映画パンフレット買い取りの店からは、何の返答もない。「少なすぎてお話にならない」ということかも知れないけれども、その店の「買い取りフォーマット」というところから送ったメールなのだから、少なくとも「その量では買い取れない」とかいうことぐらいは返信してしかるべきなのではないか。放置するのなら、自分の店のホームページに「買い取りフォーマット」などというものを載せるべきではないと思う。
 どちらにせよ、映画のパンフレットというものは一冊一円とか五円ぐらいの値しか付かないものがほとんどだというし、あまり期待しても仕方がないようだ。しかし捨ててしまうのはやはり良くないように思え、「このまま持って行くしかないだろうか」とも考える。それともこれもキャリーに積んで、東京まで売りに持って行くか?

 今日もまた、いろんなところからいろんなものをゴミ袋に放り込んでいった。毎日、45リットル入りのゴミ袋二袋ぐらいのゴミが出る。そろそろ、どうしても持っていくものは段ボール箱に詰め、整理し始めないといけない。実はまだ部屋の中はとっちらかしたままで、ニェネントが大喜びする(?)状態になっている。

 夜になって気分も落ち着いたので、やはりターミナル駅の映画館へ、今日が上映最終日の「この世界の片隅に」を観に行くことにした。8時30分からの最終回上映を観るため、7時39分の電車に乗る。こんなに遅い時間に、出かけるために電車に乗るなんてことは、あんまりやった記憶がない。到着してちょっと時間があるので駅のまわりをブラブラ。上映時間まぎわに映画館へ行ってみると、夜のせいなのか、話題作というせいなのか、この映画館には珍しく十人以上の客がいた。
 もうこの映画館に来ることももうないだろう。何度か客がわたしひとりという「ひとり映画館」もやらせてもらったし、「へぇー、そういう映画があったのか」というような作品もこの映画館で上映されていたことがきっかけで知り、観に行ったこともよくあった。ちょっとした「名画座」という感じの、わたしのお気に入りの映画館だった。さようなら。

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 映画を観終わって、終電で帰宅。「映画を観ようかどうしようか」と迷っていたのだけれども、やはり観に来てよかったと思う。ちょっと元気になれたようだ。

    

 

[]「この世界の片隅に」こうの史代:原作 片渕須直:監督  「この世界の片隅に」こうの史代:原作 片渕須直:監督 を含むブックマーク

 広島と呉を舞台にした、戦前から戦中、終戦へと流れていく主人公らの生活。当然空襲シーンはあるだろうし、原爆のことも描かれるだろう。果たしてそのあたりにナイーヴになっている今のわたしでも大丈夫だろうか?とか、二時間二十分の上映時間は長いなあとか思っていたのだけれども、そんな心配はまるで杞憂だった。ストーリーの基本はすべて、主人公の浦野(のちに北條)すずの視点から描かれるから、彼女の見なかったことは描かれない(終盤の広島の孤児のところだけ視点が外れるが)。エピソードの積み重ねという展開だったから、観ていてあっという間に二時間二十分が過ぎてしまった。

 要所要所のストーリーのポイントになるようなファンタジーと、生活感のあるユーモアとが作品の楽しさを増し、その中で主人公の求める「世界の中で自分の居ることの出来る場所」を探すというテーマが、戦時下の状況の逼迫化とともに深められていく構成が「うまい」と思う。主人公の精神的成長が、それがたとえ呉という狭い場所からの視点だけでも、世界の転換とシンクロしていく。悲しい状況もあるのだけれども、「自分の居る場所」を見つけ出す主人公には観ているわたしの気もちも乗り移る感覚。それはわたし自身にとっても、「自分の居る場所」を探すというところでシンクロするからでもあっただろう。観ていても「そうそう、そうなんだよ」とうなずきながら観ていたようである。

 戦争が「玉音放送」で終わるとき、主人公すずの義姉(小姑)の黒村径子が、ラジオを聴き終わって「終わった、終わった!」とサバサバというのが、ものすごく印象に残った。そうだと思う。そういう人がいたはずだ。そのあと空襲で娘を失った彼女は物影で泣き崩れるけれども、やはり、「終わった、終わった!」ということばには重みがあった。全体にわたしは、この元モガだったという黒村径子のキャラクターが好きだ。

 声優がのん(能年玲奈)だということも話題になった作品だけれども、彼女の声優としての成果はすばらしかったと思う。わたしは「あまちゃん」以来彼女のファンだったので、こういうかたちででも彼女が評価されたことはとてもうれしい。今後活躍してほしい女優さんである。


 

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■ 2017-03-16(Thu) このエントリーを含むブックマーク

 映画のパンフレットを買ってくれそうなところを探し、着払いで送ればいいようなことを書いてあるので、まずはメールで問い合わせてみる。オーディオアンプもやはり、調べると出張引き取りしているところもある。ここだと遠方すぎて、一点だけの買い取りでは来てもらうのも無理かと思ったけれど、そうでもないみたい。でも、そのサイトをよくみると、出張買い取りは四月中旬まで予定が埋まっているみたいだ。やはりここでも引っ越しシーズンのピークという影響だろう。これは、隣の駅にある不要家電買い取りの店まで持って行って処分することを考えなければならないだろうか。キャリーで運べばなんとか持って行けそうにも思う。

 今日は、VHSのヴィデオテープを整理し始める。VHSテープではわたしのイヴェントの記録もいっぱい残っているし、そのイヴェント関連で参加したアーティストにいただいたテープもいろいろとある。さらに映画をダビングしたテープ。これがなかなかに食指をそそる映画タイトルが並んでいて、捨てるのはためらわれる。それ以外のテープは、どんどんゴミ袋に放り込んでいく。ラベルに何も書いていないテープももう捨ててしまう(お宝映像である可能性もあるが)。かなり捨てたつもりでも、まだ段ボール箱三箱ぐらいの量が残っているだろうか。
 テープの部分に白いカビのみえるモノも多いのだけれども、内容が捨てられないようなものだと、とりあえずは持って行く。でも見ていると、そういうカビの生えてしまったテープと、まったく問題のないテープとが並んでいる。同じ保存のしかたなのに、どうしてそういう差が出るのだろうか。

 雑誌類も整理していて、音楽関係のものは「捨てるよりは誰かにあげてしまった方が気分がいいな」というものもあり、保存状態のいいものもあったので、これはFacebookのそういう音楽愛好者のグループに告知を出し、申し出のあった人に送料着払いであげることにした。包装はただ袋に入れるだけでいいし、郵便局はウチのすぐそばだから発送に手間がかかることもないだろう。告知を出すと、「いいね!」の反応は多いのだけれども、「欲しい」というメッセージをくれる人はなかなかあらわれない。夜まで待っても反応がないので「ダメなのかな」と思っていたら、つまりFacebookで「友だち」でない人からのメッセージは、保留扱いされているのだった。知らなかった。そこでようやく何件か来ていたメッセージを読み、いちばん早くにメッセージをくれた人にあげることにした。

 ターミナル駅の映画館でやっている「この世界の片隅に」、明日で公開が終わってしまう。「行きたいなー」と思っているけれども、やっぱり無理かなとも思う。

    

 

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■ 2017-03-15(Wed) このエントリーを含むブックマーク

 今日は不動産屋に契約書類を持って行く。娘の印鑑証明が取れるのがギリギリになってしまったので、昼前に娘と待ち合わせして印鑑証明と印をもらい、それから不動産屋へ行く計画。そのあとは時間が空くので、新居の最寄駅から新居まで歩いてみたり、もうひとつの近郊駅までも歩いてみたり、いろいろと散策してみようと思う。

 今まで幾度も引っ越しというのはやって来たけれども、「何でこんなにたくさん書類が必要なんだ?」というくらいに署名して捺印しなければならない書類がいっぱいある。とにかくは娘の住まいの近くの駅で待ち合わせ、喫茶店に入って印鑑を借りて必要な箇所に捺印して行く。自分が何の書類に捺印してるのかもよくわかっていない状態である。
 娘とちょっと昼食がてら雑談をして別れ、わたしは柏駅にある不動産屋へ行って契約書類を手渡す。これでとりあえず、契約完了である。あとはわたしのフリータイム。

 まずはJRで新居最寄の北柏駅に行き、そこから新居まで歩いてみることにする。駅前には本当に何もない。妙に焼き鳥屋が何軒か並んでいるのがおかしいけれども、この古びた焼き鳥屋は、何だか郷愁をそそる。つい引き込まれてしまうときもありそうな。

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 道がよくわからないので、十五分ぐらいかかって新居に到着。前回は「ワケアリ」物件のあとに来たのでずいぶんときれいなアパートに見えたけれども、こうやって来てみると、そこまでのモノではないではないか、という印象だった。まあ家賃が安いのだから。

 次に、さらにとなりの駅の我孫子駅まで歩いてみる。地図で見た感じでは十二、三分で行けるのでは?というところだったけれども、とにかく国道の内側の道はくねくねと曲がりまくっていて、最短コースというのがわからない。駅にたどり着くまでに二十分以上かかってしまった。
 う〜ん、となりのとなりの柏駅は「大都会」という感じなのだけれども、この我孫子駅はかなりうらぶれている。というか、そこまでには商業的に発展している駅前ではない。地図ではこの駅前から南に十分も歩けば手賀沼にたどり着くはずなので、行ってみることにする。道沿いにうなぎの店などが並んでいて、そう、我孫子は「うなぎ」もひとつの「売り」らしい。

 意外とすぐにその手賀沼に到着。おっと、その手賀沼の水面に、なんと白鳥が浮かんでいるではないか。先に手賀沼の紹介写真で白鳥が写っている写真とかは見ていたけれども、初めて来ていきなり、その白鳥に出会えるとは思っていなかった。ちょっと興奮。

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 この白鳥はわたしのことを気に入ってくれたのか、このあともわたしのすぐそばに来て身繕いしてたし、わたしが岸辺沿いに歩くとずっとわたしについて来る感じだった。初対面の白鳥に気に入られるのはうれしいが、他にも周辺にはカモはいるしシラサギはいるし、カワウらしい鳥も離れたところにいる。どこにでもいるハトやスズメやムクドリもいるし、いっぺんに何種類もの野鳥を目にしてしまった。カモやシラサギも(もちろんハトも)ここではあまり人間のことを警戒していない感じ。これはこれからはやはり「バードウォッチング」だな、などと思う。

 ただ、大きな問題も発見。このあたりの公園にはどこも「放射線量測定結果」のマップが貼られていて、歩いていると「内部被ばく検査センター」などというのもある。前から関東の放射線量をあらわしたマップとかで、千葉のあたりに色の濃いところがあることは知っていたけれども、そのホットスポットが、まさにこの地域だったのだ。家賃がちょっと安いというのも、そのせいなのかもしれない。これは近隣のスーパーでも「地場野菜」というのは売られてないな?
 ま、とにかくは決めたこと。この土地で生きて行ってみましょう。

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 あとはもういちど新居の方へ逆戻りして、さらに北柏の駅へ、それぞれどのくらい時間がかかるかチェックしてみようと。ついでに我孫子駅の近くにあるという大きなショッピング・プラザにも寄ってみよう。
 駅に戻り、こんどは駅の北側からそのショッピング・プラザへ行ってみる。大きい。たいていのものはココで買える感じ。‥‥しかし、安くはないな。特に一階のスーパーは「これは安い」と思えるものは何もない。普段の買い物は、どこか別のところを考えた方が良さそうだ。
 そのショッピング・プラザの反対側の出口が国道で、その国道沿いに西に歩いて行くと新居に出る。でも時計をみると、ショッピング・プラザからでも十五分ぐらいかかったみたいだ。我孫子駅までは二十分はかかると思った方がいいのかもしれない。ま、新居にかなり近いところにコンビニがあるのを見つけたのはよかった。ただ、そのコンビニが国道の反対側にあるので、そこに行こうとすると横断歩道までちょっと遠回りしなければならないようだけれども。

 新居のところを通り過ぎ、そのまま国道沿いに北柏の駅まで歩く。交通量の多い国道で、歩いていて気もちがすさぶところはある。アメリカの南部とかの国道沿いを歩く男を撮ったフィルムの、その登場人物みたいな気分だ。国道沿いの道はやめて、ぐんと線路に沿った道を歩くことにするが、この道はこの道で何にもないから、あまり気分は変わらない。やはり普段は我孫子駅を使うことを考える方がいいような。
 北柏の駅までは十分ちょっとだった。もうあとは帰るだけだけれども、ひと休みしてから帰りたい。北柏の駅前には何もない感じだから、柏駅とかに移動してひと休みしようかと思ったのだけれども、駅の南側に回ってみると「日高屋」があったので、「ここでいいや」と入り、ビールとイカ揚げ、それとポテトサラダとで安上がりな一杯。なんだか、ものすごく歩き回った(二時間ぐらいは歩いた?)一日になってしまった。

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■ 2017-03-14(Tue) このエントリーを含むブックマーク

 今日はBさんの出る夢をみた。昨日とか、かつてのイヴェントの資料をいろいろと見ていたせいにちがいない。
 夢の中で、わたしはまったくどこともわからない家で暮らしているようだ。そこにBさんがいらっしゃって、ウチにあった彼の過去のパフォーマンスのヴィデオを観始める。わたしも最初のうちはいっしょに観ていたようだけれども、部屋に彼だけ(他に誰か知らない人物も居たような)を残して自室へもどってしまう。他にもいろいろなことのあった夢だったと思うけれども、忘れてしまった。

 今日もあれこれとお片付け。昨日は途中で片付けている資料に目がいってしまい、ほとんど作業中断してしまったけれども、今日はサクサクと進めたい。まずは、どこかで買い取ってもらえるかと期待しているオーディオアンプを部屋の隅から引き出し、外側の汚れをきれいに掃除する作業。これがけっこう手間がかかったし、ガムテープを貼ったあとなどはきれいにならない。あとは雑誌や映画のパンフレットの整理。観たことすら忘れてしまっている映画のパンフレットなど、持っていても何の役にも立たない。よほどのものをのぞいて、だいたいのパンフレットは売れるものなら売ってしまうことにしている。整理してみると大した量でもないのだけれども、これが千円とかにでもなってくれれが結構なことである。
 映画パンフレットを買い取ってくれるところを調べると、展覧会の図録などもいっしょに買い取ってくれそうなところが見つかったので、そういう図録なども、売れそうな本といっしょに売ってしまうことにした。
 棚をチェックしていって、不要なものはどんどんゴミ袋へ入れて行く。「もう読むこともないだろう」という本も多いのだけれども、たいていはボロボロで、古本屋で売れるようなものではない。こういう本や雑誌も、どんどんと捨てて行く。このペースでいらないものを捨てて行けば、引っ越しまでにはずいぶんと身軽になれるのではないかと思う。


 

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■ 2017-03-13(Mon) このエントリーを含むブックマーク

 今日は片付けるぞ。いらないものはどんどん捨て、持って行くものはもう段ボールに詰めて行こう。まずは押し入れに眠ったままの古い(わたしがイヴェントをやっていた頃の)資料。これが段ボール箱で七、八箱ある。開けてみていくと、ほとんどが当時の映画や舞台公演のチラシ類で、「当時の記録」としては面白いかもしれないけれども、ざっと見ていって、よほど「これは取って置きたい」というものを残して、ゴミ袋に突っ込んで行く。クリアファイルで20冊ぐらい捨てただろうか。そのうちにわたしのイヴェント関連のものがいろいろと出て来たけれども、これはやはり捨てられない。そんなファイルの中に、二十年前に書いていた日記も見つかった。わずか二ヶ月ぐらいしか書いていないけれども、ついつい読み始めてしまう。
 そういう古い日記では、このブログにも「10年前の日記」というカテゴリーで書き写していたものもあり、そっちの方も読み始めてしまった。なぜか当時の写真は消えてしまっている。読んでいると当時のことがいろいろと思い出され(このくらい古いと、逆に記憶は消えないでだいたい残っている)、片付けはしばらくお休み。

 当時フィンランドから来日していてたアート系のジャーナリスト、作家のErkki Pirtolaという人物と、わたしはAU〜嶋本昭三氏の縁で知り合ったわけだけれども、その後二、三週間にわたってわたしは案内役兼通訳となり、彼と行動を共にしていた。そのあたりのことはその「10年前の日記」に書かれているけれども、まあ彼に出会わなければ、確実に今のわたしはなかったことだろう。「Erkki、今はどうしてるんだろう」とネットで検索してみると、フィンランド語のサイトがいっぱい出て来る。Wikipediaにも彼の項目がある。わたしはもちろんフィンランド語はわからないけれども、彼が去年の一月に亡くなられていたことがわかった。なんなんだよ。まだ若いのに。ちょっと悲しくなってしまった。英語で彼のことを書いているサイトによると、2008年にヘルシンキでアヴァンギャルド美術のギャラリーを立ち上げられていたらしい。とにかくは、R.I.P. Erkki Pirtola.

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■ 2017-03-12(Sun)

 今日見た夢の中で、わたしはなぜか「ロゴパグ」という映画のことを考えていた。「ロ」はきっとロベルト・ロッセリーニ。「ゴ」はもちろんゴダールで、「パ」はパゾリーニだ。では、「グ」というのはいったい誰なんだと。ストーリーや情景のある夢ではなく、「考えること」についての夢だったのが珍しかった。

 18日に行くつもりで買ってあったダンス公演、ちょっと行けるという気分でもなくなってしまった。そのままチケットを無駄にしてもいいかとも思ったけれども、誰か行きたい人がいたら譲ってあげた方がいいと思った。タダであげてもいいくらいだけれども、そこはやはり、格安にチケット代金をいただこうと思い、Facebookに書いた。けっこうすぐに反応があり、無事にチケットを売る話がまとまった。やはり無駄にしてしまうよりは、こうやって人に格安で譲れば、相手も喜ぶだろうしわたしだってうれしい。「よかった」と思う。
 チケットを送る封筒がないので、まずはドラッグストアに行ってみて、たくさんありすぎて高いからやめて南のスーパーに行ってみたけれども、やっぱりない。しょうがないからホームセンターまで歩き、オーソドックスな封筒を買った。ついでに布のガムテープやエアパッキンなど、引っ越しの荷造りに使えそうなものも買う。先日買ったレンタル落ちのDVDの売られているコーナーへ行くと、今日は溝口健二監督の「歌麿をめぐる五人の女」などというのが転がっていたので、これを救済した。
 チケットを送るのにメモ程度のものを同封しようと思ったのだけれども、ホームセンターにはそういう小じゃれた便箋がなく、「それでは」と、北の百円ショップまで行くことにした。このあたりのショップ一巡コースになってしまった。そしたら、百円ショップには封筒と便箋のセットで、小じゃれたのがいろいろと売られていたのだった。なんだ、これだったらホームセンターで封筒を買わなければよかった。

 とにかくはチケットを送り、一段落。なんだかそれで一仕事終わったような気分になり、あとはダラダラと過ごしてしまった。明日はがんばっていろいろと整理したい。


 

[]「ヒア アフター」(2010) クリント・イーストウッド:監督 「ヒア アフター」(2010)   クリント・イーストウッド:監督を含むブックマーク

 冒頭にちょっとだけ、短いイーストウッドのコメントがあって、「三つのバラバラの話がさいごに一つになるというのは、古いヨーロッパ映画みたいな感じだ」といっていた。なるほど、そう思って観ると、絵のつくりがヨーロッパ映画を思わせられるものになっていたと思う。この映画を前に映画館で観たとき(震災の前だ)の感想がこの日記にも書いてあって、そこでは

以下のように書いてある。

「チェンジリング」をおなじ「人間ドラマ」と考えて並べてみると、「チェンジリング」に感じとれた周到な演出プラン(編集、撮影、色彩などなど)という側面は、ちょっとばかしこの作品では希薄に感じられてしまう部分もあって、イーストウッドとしてはちょっとばかり撮り急ぎすぎているんじゃないかという印象もある。

 ‥‥これは大きな観間違いで、この「ヒア アフター」にも、そのような周到な「絵づくり」がなされているではないか、というのが今回観た感想。この作品の撮影はトム・スターンで、イーストウッドとは「ブラッド・ワーク」以来の長いタッグになるけれども、この人は撮影と同時に照明プランも考える人で(撮影監督というのは多かれ少なかれそういうことも考えるだろうけれども)、この映画では特に室内シーンなどで、影の効果を最大限に引き出しているというか、まさに「こういう絵はヨーロッパ映画でよく見る絵かもしれない」と思わせるものになっていると思う。

 冒頭からの展開などまさにヨーロッパ映画的色彩が強いのだけれども、どこかでやはり「ああ、アメリカ映画ならではの展開だな」と思わせられることになった。まあ観ていて「これ、ハッピーエンドにしなければ許さないぞ」という感じではあるのだけれども、ラストのちょっと強引なハッピーエンディングは、観ている今のわたしの気分にとってもフィットした。


 

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■ 2017-03-11(Sat) このエントリーを含むブックマーク

 今日は3月11日。あの日から六年になる。わたしの中では、六年前の震災と今回の火災はつながっている。
 震災のとき、わたしの部屋の壁もあちこちにひび、亀裂が入ったけれども、このアパートの中ではわたしの部屋はマシな方で、2階、3階はもっとひどい状態になったらしい。3階は雨漏りするようになり、住人はどんどん越して行った。
 その結果、残ったのはわたしと先日火元になった部屋の住人だけになった。どちらにせよ、もう新しい住人が来ることはないだろうと不動産屋は言っていた。アパートとしてはもうおしまい。その総仕上げが先日の火災だった気がする。
 Slowly, slowly collapsing.
 わたしは、六年の歳月を経て「罹災者」になったような気分がする。
 あの地震のとき、「これは外に逃げなければ」と出口のドアに行ったとき、その瞬間に壁にピシッとひびが入った。その時、「ああ、これでもうおしまいかもしれないな」と思ったものだった。
 あらためて、六年前に亡くなられた多くの方々に、哀悼の意を捧げます。

 今日見た夢。
 顔見知りの、懇意の歯医者に歯をみてもらう。医者は歯をみただけでそのあと何もいわないので、「次はいつ来ればいいですか?」と聞くと、「そうね、20日かな? 明日だね」と。歯科医を出て外を歩いていると、道にいっぱいモノを拡げた露天商がいる。このあたりの風景は千駄木の風景だと思う。売られている品の中に、邦画のヴィデオだかDVDがひとつ置かれている。そして、丸い形のステッカーがいくつか売られているのだけれども、目覚めてから考えると、あれはわたしのやったイヴェントの入場券代わりのステッカーに似ていた。その道を歩いて行くと、街頭放送で「グァンタナメラ」が流されている。この曲はいろんなアレンジのものがあるのだけれども、こうやってオリジナルのものが流されているのは珍しいことだな、などと思いながら音楽を聴いている。通りの左側の空を、大きな飛行機が低空飛行で飛んで行く。
 昨日も夢を見ていたのだけれども、もう忘れてしまった。

 少しずつでも引っ越しの準備をやらなくてはと、いろいろと整理をした。リヴィングの隅に置いてあるオーディオ・アンプも何とかしなければならないなと思い、ネットで調べると買い取りしてくれるところもあるようだ。そこまでに高級品ではないので期待はしていないけれども、もう使うアテもないわけだし、粗大ゴミで捨てるよりはお金に変身してくれる方がいい。
 部屋をあちこち整理していると、意外なことにヴィニール盤のレコードが七、八枚出て来た。売り物にならないから手元に置いてあったのか、捨てるしかないと思う。でもそのうちの二枚は手製のジャケットというか、わたしが知り合いだった海外のアーティストが、自作ジャケットをつけてわたしにくれたものではないかと思う。レコード盤の文字はキリル文字で、いったいどんな音楽なのかまるでわからない。こういうのを「捨てる」と決めるのは、つらいところがあるなあ。いや、やっぱり捨ててはいけないなと思う。

 いろいろ計算して、これからの経済的な問題に光明もみえて来た気もした。それでというわけでもないけれども、夕方から久しぶりに南のスーパーに出かけ、安くなっていたパンだとか、ニェネント用の「かつおのたたき」とかを買って帰った。夕食はまだまだカレーがつづいている。
 夕食のあと、録画してあったイーストウッド監督の「ヒア アフター」を少し観た。「津波」のシーンのある作品である。なんだか、イーストウッドの映画でも格段にいい映画のように思える出だしだった。


 

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■ 2017-03-10(Fri)

 家の前で、二階の亡くなられた住人の知り合いだというオヤジさんに会った。「あんた、ココに住んどるんけ?」とか聞いてくるから、いろいろと火事を発見した時のことをしゃべった。「ああ、わかった」というから、「なに、<放火殺人>ですか?」って聞いたら、「ウン、犯人もわかる」と。犯人は日本人じゃないというが、まったくのデタラメとも思えない気もする(しかし、いくら足が不自由だといっても、室内で火が出たら外に飛び出るぐらいのことは出来ないだろうか。遺体は出口ドアのところで見つかったというし、「放火」ならば、ひとつの考えとして、その出口付近に火をつけるのではないだろうか。そうすれば室内の人は外に出られないこともあるだろうけれども、遺体は出口ドアの付近にはなかっただろう。わたしはやはり<自殺>と思っているけれども)。
 そのほか、故人の奇行の数々を聞かせてもらったのだが、前からわたしも故人が部屋で犬を飼っていたことは知っていたのだけれども、故人はその犬をときどき捨てに行っていたらしい。それはわたしが見かけるたびに違う犬を連れていたこととも符合するけれども、いったいどうやってそうたびたび、とっかえひっかえに犬を手に入れていたのか。そしてなぜ、途中まで飼っていた犬を捨てたりするのか。いったい何のため? わからない。あと、室内でウサギとネコを飼っていたそうで、ウサギのことは、きのう見えられた物件調査の方も「部屋でウサギが焼け死んでますよ」といわれていたのだけれども、そのネコはおそらくは、わたしが以前ちょっと見かけたロシアン・ブルーのネコだと思う。おどろくのは、おのオヤジさんの話では、そういう飼っていたウサギなどを食べたりもしていたということ。う〜ん、やはり普通の人ではない。
 そのうちにオヤジさんは「オレは右翼でね」という話になり、「右翼が政権を取ったらな、」みたいな話になってしまった。まあこんな人ばかりが二階の故人の周辺にウロウロしていたわけだ。「じゃ、がんばって下さいネ」とお別れして部屋に戻った。

 引越しまでまだ一ヶ月あると思うと、「ちょっとのんびりしてもいいか」とかいう気もちになる、それでも引越し荷物を減らそうといろいろと整理をする。持っている古着のダウンジャケットがブランド品なので、「古着屋に売れないだろうか?」などと考えたのだけれども、よく見たら日の当たるところに吊るしっぱなしにしてあったので、日の当たったところが褪色してしまっていた。これはとても売れるものではないと、「ゴミ袋」行き。あと、もう使うわけでもないのにここまで持って来ていたオーディオ・アンプがあって、これは調べたら何千円かでは売れるみたいだ。本も売れるものは(どんなに安くても)売ってしまおうと思い、分類している。「これは売れないな」というもの(大半はそうである)は、容赦なくゴミ袋に突っ込んでしまう。

 夕方から、「何か楽しい映画を観て気分をリラックスさせよう」と、持っているDVDからアラン・レネ監督の「巴里の恋愛協奏曲」を観た。途中観ながら扇風機の掃除とかしながらになったけれども、やはり極上に楽しい映画だった。


 

[]「巴里の恋愛協奏曲(コンチェルト)」(2003) アラン・レネ:監督 「巴里の恋愛協奏曲(コンチェルト)」(2003)   アラン・レネ:監督を含むブックマーク

 ‥‥楽しい。ただひたすら楽しい。


 

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■ 2017-03-09(Thu) このエントリーを含むブックマーク

 もういちど、引越し期日を4月10日以降ということにしてネットで見積もりを取ってみたら、すぐに某運送業者から「4万2千円でやります」という返答が来た。「それはスゴい」と電話してみて、トラックの空くのが4月12日以降というので、躊躇せずに引越し期日を4月12日として、その運送屋にお願いすることにした。そのあともいろんな運送屋から連絡が来たが、「5万円以下で出来ますか?」と聞くと「いや、それはちょっと‥‥」という感じ。とにかくは先日の、3月末に引越しと想定しての見積もり依頼では「50万」という回答ももらっていただけに、「この落差は何やねん???」という感じ。

 今日はこの建物を管理する不動産屋から「物件調査」が来るはずなのだけれども、その前に不動産屋から電話があった。一昨日のメールを読んでいただけたか確認を取ると、「火事発生の時点で賃貸契約は消滅しており、退去〜転居の費用の支払いは出来ない」といわれてしまった。そういうものなのか??? ちょっとサプライズ!
 待っていると、午後になってその物件調査の方々が来られ、このアパートの状態などのチェックを始められた。改めて「立退料」のことなどを聞いてみると、やはり、アパート(集合住宅)というものは、そこで火事が出た瞬間に、残りの部屋の住民に対しても、すべての賃貸契約は無効になってしまうのだということ。当然住民は立ち退かなければならないのだけれども、その立ち退き費用は出ないだろうということだった。つまりは修復のためにすべての配線、配管を設置し直す必要があり、3.11の被害もあるし、鉄骨だけを残して全面的な「改築」になるらしい。
 ま、これで気にしていた「現状復帰」の問題も同時に消滅しただろうか。まだわたしの部屋で電気ガス水道が普通に使えるだけ幸運だったと。

 後に不動産屋からメールがあり、火災発生以降の家賃はいただかないということ。過払い金は後に清算して戻してくれるそうだ。けっきょくこの分を「立ち退き料」と考えるしかないだろうか。いろいろとネットでそういう事例を調べてみたけれども、やはり請求は難しいみたいだ。

 今考えていることのひとつは、冷凍庫の中の保存食を出来るだけ食べてしまうこと。それで今日はカレーをつくってみた。しかし考えてみたら、カレーをいちどにまとめてつくってしまうと、その後しばらくは冷凍庫の保存食は手つかずになってしまうわけで、あまり冷凍庫の整理にはならない。今はダイエットをやっていることもあり、大量につくったカレーは三、四日はもつだろうし。
 その「ダイエット」だけれども、成果があらわれて来たというか、この間まで履けなくなってしまっていたボトムズが、すんなりと履けるようになっていた。これはすばらしい成果だと思う。

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■ 2017-03-08(Wed) このエントリーを含むブックマーク

 新居に移って心配なのは、ニェネントの「夜啼き」かもしれない。ニェネントはあまり啼くことのない静かなコなんだけれども、発情期の時だろうか、夜中に延々と苦しそうな声で啼きつづけることがある。今まではまわりに住んでる人も居ないから気に留めなかったけれども、今度はそうはいかない。苦情が寄せられることを考えなければならない。ネットで調べても、「夜の食事で満腹感を与えましょう」ぐらいのことしか出ていない。はたしてそんなことで大丈夫なのだろうか。もう発情期が来ないように、不妊手術を受けた方がいいのだろうか? そして不妊手術を受ければ「夜啼き」はおさまるのだろうか? わからない。これはいちばんの懸案事項になるだろうか。

 昨日不動産屋が来なかったし、それで送ったメールへの返答もなかったので電話してみたら、今日は営業していないのだった。そうか、不動産屋の定休日というのは水曜日というのが一般的だったのだ。これは明日を待つしかないのだろう。

 あたらしい不動産屋に今日契約金を振り込み、これでもう後戻りは出来ない。送られて来ている契約書に必要事項を書き込んで送付すれば契約完了なのだけれども、保証人になってもらう娘の印鑑証明が取れるのがギリギリの日になるので、また娘と待ち合わせて、直接不動産屋へ持って行くことになる。そう、引越しの日程は、四月上旬までは引越しピークの時期なので、その時期を避け、4月10日とかで計画を立てる。新居は契約を済ませてもさいしょのひと月は「フリーレント」なので、引越し時期が遅れてもさほど問題はない。こちらの旧居での家賃を多く支払わなければならないけれども。

 市役所へ住民票をもらいに行く。市役所もつい先日、本格的に駅前のビルに引越ししたばかり。旧市役所の建物は耐震性の問題でもう使えないらしい。ウチのアパートも同じではないのか。
 あたらしい市役所はもともと駅前のショッピング・ビルで、わたしがこの地に転居してきた頃すぐに市が買い取っていたもの。震災前のことだったから、これは慧眼だったといえるのだろうか。前から一部の部署はその駅前ビルに移転していたのだけれども、こんかいはすべての部署が移転した。もちろんわたしはあたらしい市役所に行くのは初めてだし、ちょっとばかり迷ってしまった。せっかく、あたらしいきれいなビルの中に移転した市役所だけれども、わたしが利用する機会はもうあんまりないな。

 

 

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■ 2017-03-07(Tue)

 今日は不動産屋が視察に来るはずで、待っていたのだけれどもついに来なかった。今の不動産屋はどういうつもりなのか、不信感は募ってしまう。夜になってから、以下のようなメールを送っておいた。

 今日お待ちしておりましたが、お見えにならなかったようなので、メールにてわたしの考えを簡単にお伝えいたします。

 以前からの震災による建物の破損に加え、今回の火災によって、このアパートは完全に人の住める住宅ではなくなったと考えます。わたしはすでに転居を考えて動いておりますが、今回の事態はそのような外的な原因でのことと考えられますので、わたしの転居にかかる費用の負担をお願いいたしたいと考えております。どうぞ、何卒よろしくお願いいたします。

 以上、宜しくお願いいたします。

 ベランダにまた野良が来ていた。これは野良の感の良さで、「ここにいるネコは近いうちに引っ越すみたいだ。挨拶をしておこう」とかいうつもりなのではないかと思ってしまった。ニェネントも挨拶してるんだろうか。

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 一方は招かれざる客、なくなられた二階の住人の知り合いらしい人物が、このアパートの敷地内に大量のアルミ缶を運び込んで置いて行く。これは二階の住人のサイドビジネスだったのか、以前からこのアパートの片隅に山のように空きアルミ缶を積んでいる。売るつもりなのだろうか。しかし、二階の住人がいなくなった今になっても、こうやってアルミ缶を運び込んで来る。わたしも今はBad Spotにはまりこんでいるけれども、この場所自体がBad Spotになっていると思う。

 気分転換に、「オレはサヴァイヴァルするぞー!」という映画を観てみた。

 

 

[]「レヴェナント: 蘇えりし者」(2015) アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ:脚本・監督 「レヴェナント: 蘇えりし者」(2015)   アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ:脚本・監督を含むブックマーク

 「監督誰だっけ?」と、わからないまま観はじめたのだけれども、「うわ!なんかカット割りとか撮影とかすっごいなー」と思ったら、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の作品、撮影はエマニュエル・ルベツキだった。

 この作品は史実というか、アメリカ西部開拓時代に実在したヒュー・グラスという人物の、壮絶なサヴァイヴァル〜復讐のドラマを映画化したもの。彼の冒険譚はアメリカでは有名で、過去にも映画化されたことがあるらしい。しっかし、これは強烈だなあ。雪と氷、凍て付いた土地の厳しさをここまで描いた作品というのはわたしは今まで他に知らないし、人の情念というものも強烈に描き切っていると思う。

 ディカプリオの敵役でトム・ハーディが出演していて、彼の存在感も見事だった。


 

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■ 2017-03-06(Mon) このエントリーを含むブックマーク

 ほんとにもう、「なんて波瀾万丈の人生でしょう」と、自分でもあきれてしまいますね。昨夜はAさんと飲んでとっても楽しかったけれども、家に帰ればまた落ち込んでしまいます。

 いろいろと室内を片付けはじめ、荷造りをしたりいらないものを捨てたりとやっているのだけれども、昔わたしの主宰していたイヴェント「crosstalk」のチラシが出て来たりした。19年前のことか〜。この時期はもう記憶の危うい時期だから、あまり思い出せることもないけれども、ひとつ思い出すのは、もうこのイヴェントが終了してしばらくしてから、自宅に女の人から電話がかかって来たこと。原宿かどこかのスポットでこのチラシを手に入れたらしいんだけれども、もうイヴェント自体は終わってしまってる。聞いてみるとつまりは、「このチラシがカッコよかったから電話してみた」ということ。これはうれしかった記憶があります。

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 当時はチラシもPhotoShopで全部自分でデザインして、つまりそういう作業でチラシを安価につくることが出来るから「自分でイヴェントをやってみよう」と思ったところがあるのですが、この頃はPhotoShopをいじるのが楽しくってしょうがなかったですね。もう、今ではPhotoShopが目の前にあっても何にも出来ませんけれども。

 明日は不動産屋が「現地視察」に来るという話なので、心して待ちましょう。

 

 

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■ 2017-03-05(Sun) このエントリーを含むブックマーク

 今日は夕方から、今上野での展覧会に参加しているAさんと展覧会場で会い、そのまま上野で飲みましょうか、と約束してある日。ほんとうは昨日転居先も決まり、もっとウキウキしていてもいいのだけれども、気分は不安でいっぱいである。予想もしなかった出費でわずかな貯金は消えてしまうし、これからの仕事もまるで白紙状態。朝起きてからも、ウキウキではなくウツウツとした気分のままで、「とても上野に出かける気分ではないな」と思っていた。しかし、Aさんと会って話をすれば、そんなウツウツとした気分も晴れるかもしれないではないかと、元気を出して出かけることにした。

 二時の電車に乗り、途中湘南新宿ラインの遅れがあったものの、四時すぎに上野到着。西洋美術館の前を通ると、今は「シャセリオー展」をやっていた。シャセリオーはギュスターヴ・モローにも影響を与えたフランス・ロマン派の画家で、モロー風のオリエンタリズム風味にあふれた作品も残している。観てみたいな、と思う。まだ五月いっぱいぐらいやっているようなので、きっと観に来れるだろう。
 上野公園は駅に向かう人でごった返していて、もう皆そろそろお帰りの時間らしい。上野動物園の前に行くと、もうゲートは閉まっていて、「本日休園日」とのプレートが出されている。「えっ!今日は日曜日なのに休園日なのか!」と思ってしまったけれども、つまりはもう閉園の時間になったということだった。

 動物園のそばの都美術館へ行き、展覧会会場でAさんにすぐに会うことができた。このAさんの参加する展覧会は興味深い作家がいつも多く参加していて、見ごたえがあるのだけれども、人の内面をあらわにする作品が多く、今回はわたしにはトゥーマッチ、という感じでもあった。でも、ある作家の作品がわたしの今の心情にとってもフィットし、何度も見返してしまった。今日はこの作家の作品を観ることが出来たのがよかった。Aさんは四月に個展を控えているということで、今回の作品は旧作だった。

 この展覧会は同時期に湯島のギャラリーでの小品展と連動していて、都美術館の閉館時間になってそちらのギャラリーに皆で移動。そこでしばらくいて、そのあとにAさんと近くの居酒屋へ移動した。
 わたしの中でいろいろとたまっていたこともあったし、Aさんにはそういうことも話しやすいので、けっこう思いの丈をぶちまけて、かなりスッキリした。聞き役になってくれたAさんに感謝。無理してもこうやって出て来てよかったと思った。帰りは久々のローカル線終電車。もう、このローカル線に乗ることもなくなることだろう。

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■ 2017-03-04(Sat) このエントリーを含むブックマーク

 今日は柏駅で娘と待ち合わせをし、アパートをいっしょに探してみようという計画。長く不動産屋のお世話になっていないわたしに比べ、娘の方はそのあたりよく知っているようなので頼りになるし、土地勘もあるのでほんとうに助かるだろう。

 しごとのあと、十時発の関東鉄道常総線で取手まで行き、そこからJRに乗り換えれば、だいたい十二時頃には柏駅に到着するみたいだ。今日は土曜日なので、常総線は「一日フリーきっぷ」というのが使える。これがおかしくって、普通に乗ればわたしの駅から取手までの運賃は1510円なのだけれども、「一日フリーきっぷ」を使えば、1500円で常総線の中でいくらでも乗り降り出来るのである。わたしは取手との往復でしか使わないけれども、それでも普通の半額になるわけだ。ダンピングしすぎではないかと思うのだけれども、とにかくは助かる。願わくば平日もこのサーヴィスをやってくれれば満点なんだけれども。

 実に久しぶりに乗る常総線で80分、取手駅に着き、常磐線に乗り換えて柏駅へ。予定の十二時よりはけっこう早く到着したけれども、早めに来てくれていた娘とすぐに遭遇。まずは、駅近くのなんとか水産という居酒屋のランチで海鮮丼で昼飯。娘からは「こんな安いところもあるよ」という物件を見せられるが、その物件はわたしも出てくる前に確認していたもの。とにかくは駅の近くの不動産屋へ行く。このあたりの交渉に馴れている娘がいっしょだと、ついつい娘に頼ってしまう。まずはその「格安物件」を紹介してもらうけれども、要するにつまりはそれは「ワケアリ」物件なのだった。「やっぱりね」という感じだけれども、とりあえずはチェック候補として残しておき、他の物件を探してもらう。
 たしかに探してみればあるもので、わたしの今の住まいとあまり変わらない広さで、同じ家賃の物件も見つかった。最寄駅から歩いて8分。ノープロブレムである。そこも見学させてもらうことにして、先の「ワケアリ」物件と二ヶ所の見学ツアー。

 まずはその「ワケアリ」物件なのだけれども、「室内現状渡し」ということ。公団住宅のような建物の四階のその部屋へ入ってみると、これは強烈である。壁紙は色もくすんでいて、一部べろりとはがれて垂れ下がっている。カーテンレールは壊れているし、畳部屋の畳は歩いてもボコボコで、とてもこの状態で住めるとは思えない。しかもトイレは和式。広さは充分ではあるけれども、そういう問題ではない。つまり「ワケアリ」とは、この部屋で孤独死をされた方がいたということなのだけれども、これは住めない。まあそこまで長期にわたって孤独死された方の死体が放置されていたということでもなさそうだけれども、「家賃はいらないから住んでくれ」といわれても断るだろう。まだ今のわたしの部屋の方がいくらかマシである(似たところはあるけれども)。

 さて、次の候補の住宅の見学。2DKである。‥‥いい。広さは今のわたしの部屋と大差ない。問題があるとしたら、窓の外が柵もなくダイレクトに外に通じているから、ニェネントの行動には注意しなければならないだろう。そして、六畳ふた間の居間が壁で仕切られてしまっていて、行き来するにはダイニングを経由しなければならないことぐらいか。とにかくは今の住まいと家賃が変わらないというのがうれしい。‥‥いつまでも迷っていてもしょうがない。もうココで決めてしまおう!という感じである。
 地図をみると、つまり先に書いたように最寄のJR駅までは歩いて8分、いちばん近いコンビニまでも5〜6分かな? スーパーまでもやはり5分以上歩かなければならないみたいだ。今までみたいなコンビニエンス・ライフともおさらばだけれども、うん、人間はそのくらい歩いた方がいいのだろうと思う。

 けっきょく、即断。この時期は引越しのシーズンだし、今「いい」と思った物件も、すぐに契約されてしまう可能性が高い。そういうことで、あとに見た方の部屋と契約することにした。とにかくは家賃が今までと変わりがないということが大きい。
 さあ、「まあとりあえずココにしておこう」的なノリで決めたところもあるけれども、やはり今考えても「かなりベスト」に近い物件だった気もする。しかし今の住まいの件もまるで解決していないし、これからがいろいろと大変だろうと思う。とりあえずは今月末の転居ということにして、不動産屋に運送業者三社ぐらいに手配してもらい、それぞれの見積もりを取ることになった。

 「一件落着」ということで、娘といっしょに駅前を歩き回っていろいろとショッピング街のことを教えてもらい、そのあとは居酒屋でちょっと一杯。それで飲んでいると、先ほど見積もりを依頼した運送業者からあれこれと電話がかかって来た。なかなかにうるさい。‥‥まだまだ、わたしの中では不安も渦巻いている状態だけれども、進まなければならない一歩は確実に歩み始めた、というところ。さあ、どうなるだろうか。

 

 

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■ 2017-03-03(Fri)

 問題は、わたしの部屋の現状が退出時に「現状復帰」が困難な状態だということ。幼かった頃のニェネントの活躍で、すべてのふすま紙はボロボロになっているし、その前にミイ(ニェネントのお母さん)が外から出入り自由にできるよう、窓をずっと開けっ放しにしていたこともあって(他にも理由があるのだけれども)、リヴィングのフローリングの床がワックスがはがれ、まだらになっている。キッチンの収納の戸も壊れてしまっているし(これはそもそも品が低品質だということもある)、つまりひどいことになっていると思う。では普通に転居するのならば、当然修復のための費用も取られることになるかとも思うのだけれども、今回は事情が違う。このアパート自体が住みつづけるのに困難な状態になっているのだから、そういうときに「現状復帰」が求められるのか。
 まずは、わたしの考えでは、もうこのアパートはそんじょそこらの修復をほどこしても、アパートとしてやっていけないだろう。そもそもが震災のせいでどの部屋の壁にも亀裂、ひびが入っているわけで、そのためにあいていの住人は出て行ってしまっている。そこに今回の死者の出た火災。これでもアパートとして再建出来るのか。わたしはもう、このアパートはいちど解体して、そのあとで立て直すか、それとも空き地の別の利用法を考える方が、よほど現実的だと思う。
 また、わたしがこれ以降もここに住みつづけるとして、その改修工事をわたしが住みつづけている状態で行なうつもりなのか。それは工事の騒音などの点でも問題はあるだろうし、ただ一軒住みつづけるわたしの部屋だけを改修せず、それ以外の部屋すべてを改修するということになるだろうし、それはいかにもバランスが悪いのではないか。わたしはそんな考えから、「現状復帰」を求めるのは無理があるのではないかと、そういう考えがある(「希望的観測」でもあるけれども)。

 まずはもう、いらないものをまとめて「ゴミ」として出し始めた。それで午後からホームセンターへ買い物に行くと、「レンタル落ちDVD」が一枚500円ぐらいで大量に売られていた。つい習性でDVDの置かれている箱をチェックしてみると、「こんなものが」というDVDがあったりしたので、ついつい四枚も買ってしまった。帰宅して「こんなのを買った」と写真を撮ろうとすると、ニェネントが「な〜に? 食べもの?」と寄って来た。ちがいます。あなたの食べものではありません。しかし、やはり反応するのは「秋刀魚の味」ですか。

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 夜は今日買ったDVDから、「バーン・アフター・リーディング」を観た。「バーン・アフター・アイム・ゴーン」という気分ではあるのだが。

 

 

[]「バーン・アフター・リーディング」(2008) イーサン・コーエン/ジョエル・コーエン:製作・脚本・監督 「バーン・アフター・リーディング」(2008)   イーサン・コーエン/ジョエル・コーエン:製作・脚本・監督を含むブックマーク

 ジョージ・クルーニー、ジョン・マルコヴィッチ、ブラッド・ピット、そしてフランシス・マクドーマンド、ティルダ・スウィントンなどという豪華出演者による、コーエン兄弟によるコメディ。彼らの前作の「ノー・カントリー」がシリアスなドラマとしてアカデミー賞受賞など高評価を得たあと、こうやってちょっとズッコケなコメディを撮るというあたり、やはりいかにもコーエン兄弟らしいと思う。

 物語は、CIAのさほど重要職でもないマルコヴィッチが、アルコール依存症として解雇されることからはじまる。マルコヴィッチの妻が精神科医かなにかのティルダ・スウィントンで、彼女はジョージ・クルーニーと不倫中。マルコヴィッチは退職後、腹いせにCIAの内情を暴く「自伝」を書きはじめるのだけれども、その原稿CDRをスポーツジムに忘れてしまう。そのCDRを発見するのがスポーツジムに勤めるフランシス・マクドーマンドとブラッド・ピットで、CDRの内容をみて、「コレは重要な国家機密」と思い込み、持ち主のマルコヴィッチを探し当てて金をゆすり取ろうとする。マルコヴィッチは大した内容のものでもないので取り合わないでいると、フランシス・マクドーマンドとブラッド・ピットとはCDRをロシア大使館へ持ち込む。ロシア大使館はその内容の陳腐さと、持ち込んだ連中の行為にあきれる。フランシス・マクドーマンドらはさらなるデータをマルコヴィッチの部屋から盗もうと企むのだけれども、そのときマルコヴィッチの家ではティルダ・スウィントンとジョージ・クルーニーとが密会中だったと。

 冒頭の、マルコヴィッチの登場シーン、マルコヴィッチの演技にはかなり笑かせてもらったし、そのあとのブラッド・ピットの「おまぬけ」演技も楽しかった。それぞれの出演者が楽しみながら演じていることも伝わって来て、やはりコーエン兄弟の演出も楽しいのだけれども、う〜ん、ティルダ・スウィントンの見せ場がほとんどなかったのが残念。


 

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■ 2017-03-02(Thu)

 娘が「来るといい」といっている松戸近辺で、<ペット可>の賃貸物件を検索してみたけれども、どこもこのあたりに比べて三万円は家賃が高いようだ。それでは生活費の大半を年金に頼っているわたしには厳しい。娘にそうメールしたら、「そんなことはない、柏あたりでもっともっと安い物件はあるよ」という。聞いてみるとそれはメチャ安というか、このあたりよりもずっと安い。とにかくわたしも、このせっかくの機会、娘が呼んでくれているのを無視することもないじゃないかと思う。娘に電話して、まずは土曜日にその柏に娘と行って、「現地視察」をしてみることにした。

 ちょうど職を失って、転職しなくてはならないというときでの火災騒ぎ、「なんてこった」という感じだったけれども、ポジティヴにとらえれば、リセットの準備を外からやってくれたという感じでもある。向こうからリセットの機会を与えてくれてるのだから、それを生かすも殺すもわたし次第ではある。決まっている次の仕事も、今はとりあえず保留。

 夕方に郵便受けに封書が届いていて、それはあたらしい不動産屋からの「契約更改」の知らせだった。この四月末で二年間の契約が終わり、あたらしい契約に「事務手数料」と「家財保険料」と合わせて五万一千円払ってくれといっている。不動産屋も今回の火事のことは承知の上で、その知らせを受けたあとでこの契約更改の手紙を出していることはまちがいないと思う。不動産屋は、わたしがこれからもこのアパートに住みつづけると思っているのか。来週にはその不動産屋もこのアパートの状態を見に来ることになっているけれども、それでこの契約更改に異動変更はあるのだろうか。
 わたしとしては、こんなゴーストハウスのようになってしまったアパートに、契約更改金を払ってまで住みつづける気は毛頭ない。だいいち、そんな契約更改金を払うのなら、転居するのと同じというか、今は敷金礼金ゼロ、手数料もかからないという物件もいろいろとある。こうなってみると、居残るというのは「あり得ない」選択、ということになるだろう。これでほぼ、「転居」することは決定である。わたしも出て行ってあげるから、思う存分にこのアパートを改装するといいと思うが。

 夜、九時近くになって部屋のブザーが押された。普通に考えて、こんな時間にわたしを訪れてくる人間など考えられない。今は警察や消防署がわたしをたずねてくる可能性はあるけれども、こんな遅い時間にたずねてくるとは思えない。はっきりいって気味が悪い。やはりゴーストハウスである。「こんなところに住んではいられない」と、あらためて思った。

 

 

[]「アビエイター」(2004) マーティン・スコセッシ:監督 「アビエイター」(2004)   マーティン・スコセッシ:監督を含むブックマーク

 マーティン・スコセッシ監督、レオナルド・ディカプリオ主演の、ハワード・ヒューズの伝記映画。約三時間の長篇である。もちろんこの映画がハワード・ヒューズという「奇人」の半生を描いていることはわかるけれども、では、観るものはそこから何を読み取ればいいのか? どうしても、そのことがわからない作品だったという印象になる。「こんな変人もいた」という「見世物映画」以上のものがあったのか? そもそも、いったいなぜ、彼は映画をつくろうと考えたのか? その野望はなぜ消えてしまったのか? 航空機への偏愛というのはどこから来たものなのか? 潔癖性だということはわかったけれども、だからどうした? そういう答えらしいものは見受けられない。だから「わからない」のである。

 もちろん、映像的には見どころ山盛りの作品で、初盤からの画面の、淡いブルーとイエロー・オーカーっぼい色彩をクロースアップした色調は「こういう色調もいいね」と思わせられたし、ロバート・リチャードソンのクレーンを多用したような撮影も見どころのひとつ。俳優陣でも、やはりキャサリン・ヘプバーン役で登場したケイト・ブランシェットの(特に登場シーンの)見事さは特筆もの。エロール・フリン役でちょっと出て来る、ケンカっ早いジュード・ロウもまた楽し。‥‥しかし、ケイト・ベッキンセールは大根だなあ。


 

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■ 2017-03-01(Wed)

 部屋に引きこもっているよりも、外に出かけた方がいいと思う。ターミナル駅の映画館でやっている「この世界の片隅に」を観たいのだけれども、今の状態ではそういう「つらい」映画を観るのは無理かな。そういう映画を観るには、もうちょっと時間をおいた方がいいだろうか。
 明日から上野で、Aさんの参加する展覧会がはじまる。この展覧会には行こうと思い、Aさんにメールして日曜日の夕方に行くことにした。いい気分転換になるといいけれども。

 

 

[]「わたしの名は紅」オルハン・パムク:著 和久井路子:訳 「わたしの名は紅」オルハン・パムク:著 和久井路子:訳を含むブックマーク

 今の状態ではなかなか読書感想もまとまらないのだけれども、とにかくはようやく読了。昨年読んだ同じオルハン・パムクの「雪」につづいて、実に面白い本だった。

 時代は十六世紀。中東の広大な地域を支配したオスマン朝トルコは、レパントの海戦で西のキリスト教勢力に初めて敗れ、以後衰退への道を進みはじめる。そんな時代の物語で、細密画家らはスルタンからイスラム暦千年を祝う「祝賀本」の作成の命を受けている。そんな中、ひとりの細密画家が殺害される。小説はまず「わたしは屍」の章からはじまり、十ページから二十ページのそれほど長くはない章それぞれで語り手を変えて行きながら、その殺人の背後にあった社会情勢、ヨーロッパ美術が紹介されはじめた当時の細密画家らの意識、そして「雪」を思い出させられるような展開の、男女の恋愛も同時に描かれて行く。

 「雪」においても、今日のイスラム教社会、その中でのイスラム原理主義の動きなどを描いてみせてくれた著者だけれども、ここでもやはり、描かれるイスラム社会の独自さに興味を惹かれる。何よりもやはりここでは「細密画」という表現をめぐる記述こそが面白く、つまりは冒頭の殺人事件もまた、その「細密画」のあり方をめぐっての衝突ゆえの事件であったことが、早くに示される。
 様式を持つことを許さず、作家がスタイルを持ったり、その作品に署名することの忌諱された表現。そこではあたかも神がご覧になられたように描くことが求められていた。ところが西から渡って来たヨーロッパの絵画は、近くのものは大きく、遠くのものは小さく、まるで描き手の眼を基準として描かれるような世界だった。そのようなヨーロッパ絵画の要素を細密画に取り入れようとする絵師と、そのような絵画を「神の否定」として強く細密画の伝統を守ろうとする絵師ら。このあたり、イスラム美術論としてとても興味深くも面白い問題で、今現在でも通用する芸術論として興味深く読んだ。

 作品は交替で語り手になる絵師のなかに殺人犯がいるのだという、ちょっとした推理小説仕立てにもなっていて、そのあたりであの「薔薇の名前」と比べられたりもするらしい。この小説でもその終盤に、犯人の細密画のクセから犯人を割り出そうと、普段立ち入ることの出来ないスルタンの書庫に、細密画の名人と、「祝賀本」を取りまとめようとしていた長(彼も中盤で殺害される)の息子(この物語の主人公的な位置づけでもある人物)とが三日三晩こもり、過去の宝物や細密画を見て驚嘆する姿が描かれるけれども、この場面はまさに「薔薇の名前」でウィリアムとアドソとが隠された書庫を見つける場面を彷彿とさせられる。
 ラストは、ぼけっと読んでいても消去法で犯人はわかるのだけれども、それぞれの細密画家の語る細密画観と、「人殺しとよぶだろう、俺のことを」の章で語られる犯人の独白とを読み比べれば、「ああ、多分この人物が犯人だな」とはわかるようになっている。

 面白かったのでもういちど読んでみたいほどだけれども、わたしにはそんな時間はないか。


 

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