ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2017-12-31(Sun)

 ‥‥眠ってばかりいるこの年末。目が覚めるのは早く、今日も五時前には目が覚めた。目覚めたときはまだ外はまっ暗だけれども、日が昇ってみるとすっかり曇天で、今にも雨が降り出しそうな天気だった。今日は洗濯をいっぱいしようと思っていたけれども、明日は晴天だというから明日に持ち越そう。

 テレビは年末年始仕様になっていて、特別番組みたいなのばかり。それで番組表をみてみると、Eテレで「香川照之の昆虫すごいぜ!」とかいう番組をやる。過去の放送分の再放送みたいだけれども、「香川照之が子ども向け番組で昆虫について語るのか、それは面白そうだ!」と、見てみることにした。‥‥って、コレはたいへんな番組だった。香川照之が「カマキリ」の着ぐるみを着て、スタジオでは十歳ぐらいの男の子、それと二十歳ぐらいの女性ふたりに、「カマキリ先生」として、昆虫についてウンチクを語る。そして野外撮影のヴィデオでは、やはりそのカマキリの着ぐるみのままのかっこうで、そのときのテーマの昆虫を捕まえに行くのである。二時間で過去の四回分の再放送を連続してやったのだけれども、あんまりにも面白いので(というか、「面白すぎ!」)、しっかりと夢中になって見てしまった。コレ、多分シナリオ原稿とかなくって、香川照之がアドリブで勝手にしゃべりまくるのを収録し、そこから編集しているんだと思うけれども、とにかく、昆虫愛にあふれた香川照之のトークが面白すぎる。
 なんでも、民放のバラエティ番組で香川が「わたしはEテレで昆虫番組をやりたい!」と語ったことからはじまった番組らしいけれども、そのカマキリの着ぐるみも香川照之が細部までこだわって指定して製作したものだという。第一回(一時間目)は「トノサマバッタ」、そして二時間目が「モンシロチョウ」と続き、次は「特別篇」で、「出動!タガメ捜査一課」、四時間目「オニヤンマ」まで放送。どの回もめっちゃ面白かったけれども、わたし的には特にさいしょの「トノサマバッタ」のつかみ、そして「タガメ」の回とが、しびれるほどに面白かった(「タガメ」に関しては、実は黒沢清監督も昆虫マニアで、「いちどタガメの現物を見てみたい」といっていることも語られる)。‥‥もう、本来教養番組だというのに、見ているあいだ笑いっぱなしで、時に大爆笑になる。わたしはこ〜んな面白いテレビ番組って、絶えて久しく見たことはないな。しかも明日(元旦)は、やはり同じ時間に「特別篇」、「カマキリ先生☆マレーシアへ行く」が放送されるという。明日も見なくっては!

 その、過去の放送も見ることのできる、ホームページはコレ。

 「香川照之の昆虫すごいぜ!」

 ‥‥というわけで、すっかりテレビに夢中になってしまうし、外は雪でも降りそうな天気だし(じっさいに東京都心の方では初雪になったらしい)、また何もやる気がなくなってしまった。まだ洗濯や掃除とか、やりたいことはいっぱいあるのに。それでゴロゴロしていると、ニェネントもわたしのそばでゴロゴロする。わたしがとなりの和室に移動したりトイレに立ったりしても、いつもわたしについてくる。「あれ?」っと思ったら、どうやらニェネントくん、また発情期に突入している気配である。‥‥この年末年始に、たいへんだなあ〜。

 さてそれで、わたしは「年越しそば」とか食べる習慣はないし、そういう風に大晦日にそばを食べた記憶というのもないのだけれども、ちょうど炊いたごはんもないことだし、そうそう、我孫子の駅の構内の駅そばの「唐揚げそば」をまた食べたいな、とか思い、その駅そばを「年越しそば」として食べに行こうかと思い立った。ウチの最寄駅の北柏から先の定期はあるから、いちど柏にでも買い物に行って、その帰りにでも我孫子駅まで乗り越して「そば」を食べ、そのまま戻ってくれば余計な電車賃はかからない。そうしようと、夕方にまずは柏駅に出かけ、ちょっと買い物をして我孫子駅へ行く。ところが、その駅そばの店はもう、「お休み」になっていた。

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 あれ、柏駅の駅そばは営業していたというのに、残念なことだ。しょうがない、柏駅の駅そばでもいいかと、ふたたび柏駅に出る。おや、この店にも「ジャンボ唐揚げそば」はあるようだから、それでいいではないかと店に入って注文。

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 ま、味はちょっとアレだし、唐揚げも我孫子の方が大きかったように思うけれども、これはこれでOKである。「今年はちゃんと<年越しそば>を食べたぞ」、ということで帰宅。今日は大晦日だし、「紅白歌合戦」でも見ようかとも思ったけれども、知らない歌手ばかり出てくるわけだし、けっきょく見ないで、九時頃にはニェネントを連れてベッドへ。ニェネントは発情期なので、わたしのそばに居るのはOKなわけで、わたしがベッドに連れて行っていっしょのふとんの中に入らせても、いつものようにいやがったりはしないのだった。いろいろあった2017年も、これでおしまいである。

 

 

[]二〇一七年十二月のおさらい 二〇一七年十二月のおさらいを含むブックマーク

レクチャー:
●黒沢美香追悼企画 美香さんありがとう 追悼特別上映会〜ダンサー黒沢美香の世界〜「命日特別上映+トーク『黒沢美香とミニマル』」@渋谷・UPLINK

映画:
●「希望のかなた」アキ・カウリスマキ:監督

読書:
●「重力の虹」トマス・ピンチョン:著 佐藤良明:訳(二回目)
●「怪談」ラフカディオ・ハーン:著 平井呈一:訳 ヤン・シュヴァンクマイエル:画
●「森の精」ウラジーミル・ナボコフ:著 沼野充義:訳(「ナボコフ全短篇」より)
●「言葉」ウラジーミル・ナボコフ:著 秋草俊一郎:訳(「ナボコフ全短篇」より)
●「ロシア語、話します」ウラジーミル・ナボコフ:著 沼野充義:訳(「ナボコフ全短篇」より)

DVD/ヴィデオ:
●「鳥」(1963) ダフネ・デュ・モーリア:原作 アルフレッド・ヒッチコック:監督
●「夜の女たち」(1948) 久板栄二郎:原作 依田義賢:脚本 溝口健二:監督


 二〇一七年一年間に観たり読んだりしたものの数。

●舞台:14(ダンス・舞踏:9、演劇:5)
●レクチャー:2
●映画(旧作を含め、映画館などで観たもの):19(短篇を含む)
●美術・展示:8
●読書:162(短篇、再読を含む)
●DVD/ヴィデオ:101

 ま、いろいろと大変な年だったわけでありまして、こんなことになりました。本を読むことの楽しかった一年でした。


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■ 2017-12-30(Sat) このエントリーを含むブックマーク

 深夜、三鷹から帰宅したのは十二時を過ぎていた。「こんなに遅くに帰宅するのは久しぶり」と思ったら、この一日に渋谷に出かけたときも、このぐらいの時間の帰宅だった。

 ニェネントにごはんを出さないで出かけたので、ニェネントはおなかをすかせて待っているわけだ。にゃんにゃんとなくニェネントにネコ缶を出してあげ、さっさと寝る。

 それでも朝は六時には目が覚めてしまう。もう、「早起き」はすっかり習慣になってしまった。ぐだぐだとして、七時過ぎからはFMで「ウイークエンド サンシャイン」を聴く。前半は1967年の特集だったけど、どの曲も曲名を聞かないでイントロさえちょっと聴けばタイトルもアーティスト名もわかる。1965年から68年ぐらいまでのヒット曲ならば、わたしは相当に詳しい。ま、わずか三、四年のあいだのことでしかないから、あまり自慢にはならないというか、これが十年ぐらいの期間にわたっての知識だったらいろいろと、体系的にとらえて語ることも出来るだろうに。わたしの音楽知識はみ〜んな「断片」だから、あんまり語り倒すことなど出来はしない(英国のトラディショナル音楽についてなら多少)。

 とちゅうで、「今日ぐらい本を読もう」とベッドに行き、横になって「ヴァインランド」を読みはじめたら、案の定また寝てしまう。本気で本を読むのなら、ベッドで読んではいけないとわかっているのに、ついベッドに行ってしまうのは、無意識に「また寝よう」と思っているわけだろうか。
 それでも昼には目覚め、今日のランチはパスタ。またサンドライド・トマトを使い、タマネギとベーコンと生トマトといっしょに炒めるだけのお手軽ランチ。サンドライド・トマトはひまわり油でギトギトになっているので、そのひまわり油がパスタにちょうどいい。おいしかった。

 食後もまた「昼寝」となり、ほんとうに寝てばかりいる。多少は年末の大掃除をしようと思っていたけど、大掃除はあした!
 暗くなって、「この年末だし、夕食はスーパーで買いますか」となり、スーパーの「m」まで買い物に行く。刺身と、鶏ごはんとを買う。刺身はニェネントが欲しがることだろう。帰宅してパックを開けてみると、刺身はほ〜んのちょっとしかなかった。これはインチキだなあ。ニェネントに二切れあげると、自分の分が寂しいことになってしまった。
 テレビはもう「年末モード」になってしまっていて、面白い番組もないのでまたベッドに横になり、またまた早くに寝てしまうのだった。今日は18時間ぐらい寝てるんじゃないだろうか?

 

 

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■ 2017-12-29(Fri) このエントリーを含むブックマーク

 今日は三鷹で、Aさんの「ダンスお悩み相談室」というのが催され、そいつに行くことにしてある。Aさんは、このごろダンスが苦手になってしまったのだと(このことは最近よくAさんから聞かされていたが)。それで今日は、それがいったいなぜなのかみたいな、ダンサーのBさんを「相談員」として呼び、ふたりで話をしていくらしい。そういうことではわたしも「ダンス」も「演劇」も「映画」も苦手になっているわけで(ようやく「本」の苦手は克服出来たか?)、話を聞きに行くことにした。

 今日からもう仕事もなく、くったくなく朝寝ができるはずなのだけれども、昨日早く(なんと、七時前)に寝ついてしまったので、四時前に目が覚めてしまう。いつもとまるで変わらない。それでパソコンをみたりここの日記を書いたりしていると外も明るくなり、それでもまだグダグダとしている。「本でも読もう」と、ベッドに横になって「ヴァインランド」を読み始めると、つまりベッドに横になるといけないわけで、(あれだけ寝たというのに)また眠ってしまう。

 それで目覚めるともう午後になっていて、時計は一時に近づいた時間を示している。「なんでこんなに眠ってばかりなんだろう」と思いながら、昼食をとる。今日の昼食は「酢ダコ」である。めちゃシンプルだけれども、わたしにはたまらない献立(「献立」というほどのものでない)。食事を終えて片付けて、もう出かけなければならない。今年さいごの「お出かけ」かな?

 三鷹に行くには、持っている定期をフルに使えば大手町で東西線に乗り換え、そのまま東西線に乗って行くとか、勤め先でもある飯田橋まで行っちゃって、そこからJRに乗り換えるとか方法はあって、飯田橋でJRに乗り換えるのが運賃的にはいちばん安く済むのだけれども、乗り換えがめんどうくさい。ここは千代田線は新御茶ノ水で降り、JRのお茶の水駅に乗り換えるのがいちばんかんたんで早い。この路線で行くことにした。

 お茶の水で降りると、どうやらちょっと時間も早いようで、多少時間をつぶせるというか、余裕がある。降りてJRに乗り換えるのに歩いていて、昔からお茶の水にあるレコード屋〜中古も売っている「DU」の看板が目に入り、立ち寄ってみる。
 今ずっとピンチョンを読んでいて、特に「ヴァインランド」になるとフランク・ザッパとの親和性みたいなものを強く感じているわけで、その数多いフランク・ザッパの音源の中でも、Flo & Eddieの参加した時代の、演劇的展開のモノこそ、ピンチョン的なところがある感じ。それはつまりアルバム「Just Another Band From L.A.」であり、今はその中の"Billy The Mountain"という曲を、ちゃんと歌詞も和訳も参照しながら聴きたい感じ(ウチのCDRを探せば「Just Another Band From L.A.」をコピーしたものはあるはずだけれども、わたしの英語能力では何を歌っているのか、歌詞を聴き取ることは出来ない)。わたしの記憶では、この曲は「山のビリー」を主人公とした曲で、「山のビリー」は観光絵ハガキのモデルになったことで「モデル料」をもらい、金持ちになる。それでガールフレンドの「木のエセル」といっしょにラスヴェガスへ行って遊ぶのだね、ところがそこに徴兵の担当者というのかそういうのがいて、ビリーを徴兵しようとするという、とてつもない話。ふふ、今だったら、その「木のエセル」も拉致されてしまって、「神戸」に連れて行かれて「世界一のクリスマスツリー」にされ、クリスマスが過ぎたあとはどっかの神社の「鳥居」にされそうだ〜!って話をつけ加えるといいと思うのだけれども。
 とにかく、その歌のそれ以上に細かいことも知らないので、今はその「Just Another Band From L.A.」をまた聴きたいと、探してみる。ラッキーなことに、すぐに国内盤CDの「解説/完全英詩・翻訳付」というのを見つけることができた。リーズナブルな価格でもあったので、この一枚を買った。

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 ふたたび電車に乗り、三鷹へ。会場には思ったより客数は少なく、ま、イヴェントのタイトルからしてもAさんの知り合いしか来ないんじゃないかという感じではあったけれども、わたしの知っている人は誰もいなかった。
 さて、AさんとBさんが揃って、イヴェントも始まる。つまりAさんが「自分が<いい>と思うのはこういうダンス」という映像と、「こういうのが受け付けられない」みたいな映像とを交互に流すみたいな。Aさんの原点は、映画「赤い靴」のダンス(バレエ)シーンからとのこと。そういう風に考えれば、わたしの場合、さいしょに「カッコいい」と思ったのは「ウエストサイド物語」のダンス・シーンなのかなあ?
 けっこうトークは長々と続き、ちょっと退屈してきたし、あら、おなかも空いてきてしまった。二時間半を過ぎて、「悪いけど、もう帰っちゃおうかな?」とか思って、こっそりと帰ろうとするとAさんに、「帰っちゃうの? もうすぐ終わるから、いっしょに食べに行こうよ」といわれ、ありがとう。もうちょっとガマンしました。

 けっきょく、終わったあと、参加者ほぼ全員(お一人だけ抜けただけ)で居酒屋(蕎麦屋?)へ。わたしにとっては久しぶりの「飲み会」で、飲んで食べて楽しかった。参加者はほとんど皆、演劇プロパーの人たちで、わたしにはわからないところの話も多かったけど、考えてみるとわたしはBさんと飲むのは初めてだったかな? 思ってた通りのステキな、いい人だった。話はいつしか(#MeToo)みたいな話になり、つまり先日セクハラで訴えられた(?)あの演劇人のことを知っている人も多く、そういう話が続く。特にAさんやBさんと知り合いではないという演劇関係の女性が二人いらっして、わたしがその一方の人に「そういう(セクハラみたいな)こと、あったんじゃないですか?」って聴くと、やはりあったというか、所属していた事務所から「自撮りヌード写真を送れ」とかいわれ、無視していたら事務所に呼び出されて、床に正座させられて「あんたはこちらの要求に従わない、それでは売り出せない」とか説教が始まり、それが終電が過ぎても続いたのだとか。‥‥それって、十分にニュースになってもおかしくない事柄だ。驚いた。皆の話では「あの人もこの人もセクハラ疑惑はある」ということで、わたしの知っている人物も「あぶない」ということ。
 しかし、皆がよくいうことだけれども、「演劇」の世界ではそういうセクハラの話は多いけれども、もっともっとそういうことがありそうな「ダンス」の世界ではそういう話は少ない、というか、ない。Bさんも「そういう体験はない」といっていた。ちょっと、興味深いことではないかと思う。もともと「コンタクト」することがあたりまえのダンスの世界では、あえてそれ以上「しない」、「出来ない」という空気というか、いろいろありそう(わたしにはわからない)。

 十一時もとうに過ぎ、けっこう遅くなって散会。店の外で、もうひとりの「演劇」の女性に、(わたしが"crosstalk"の話をしていたものだから)「"crosstalk"にはどんな人が参加されていたのですか?」な〜んて聴かれて、「うわ、マイナーなイヴェントだったから困ったなあ」と思いながら、「この人なら有名になったかな」と、人形作家のCさんとかも参加してくれてたと話したら、彼女もCさんのこと知っていたというか、そういう人形の世界にも興味があったというのでホッとした。ダンスのDさんの名を出したら、Dさんのこともご存知だった。これでは、"crosstalk"は<偉大>なイヴェントであった、ということになってしまうぞ。わたしの手柄ではないのだけれども、うれしくなってしまった一幕だった。

 

 

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■ 2017-12-28(Thu) このエントリーを含むブックマーク

 今日28日で、年内の仕事は終わった。新年になってのさいしょの出勤(「仕事始め」というほどのものではない)は、1月5日。ちょうど一週間の休みになる。それで5日に出勤したら、またそのあと6、7、8日と三連休になる。年末年始にこんなに休めるというのは何年ぶりのことだろう。前に長くやっていた仕事はシフト制で、土曜も日曜も祭日も関係なかった。その前の派遣の仕事でもここまでの連休というのはなかった気がする。‥‥すると、(今になって)生まれて初めての大連休になるのかもしれない。なんだか気分がワクワクしてしまう。どうやって過ごそうか。

 とりあえず明日は三鷹の方へ出かけることを決めてあるし、新年は2日に上野。「さすらい姉妹」の野外劇を観て、そのあとにでも科学博物館の「南方熊楠展」を観ようと思っている。それでそのあとも、7日の都内でのダンス公演を観ておこうかと、チケットを予約してある。十日ぐらいある休みの、そのうち三日ぐらいは予定が埋まった。いいではないか。あとは年内は大掃除して、新年は「ヴァインランド」とかナボコフを読んで過ごそうか。それがいい。

 今日もまた、夕方ぐらいに買い物に出かけた。「クリスマス」も終わり、スーパーなどはもうすっかり、「お正月」モードになっている。「おせち料理」というのはだいたい練り物ばかりで、そんなに食べたいとも思わないし、とにかくお正月価格で高い。これが三が日も終わりになると「賞味期限切れ」で安くなるだろうから、その頃に買えばいい。ただ、わたしが「おせち料理」で好きなのは「酢ダコ」。もう、酢ダコさえあればごはんはいくらでも食べることが出来る。‥‥ま、「酢ダコ」も特に「おせち料理」というわけでもなく、年中売られているわけで、ひょっとしたらこの時期は「お正月価格」で普段よりも高いのかもしれないけれども、わたしの「お正月気分」のために、「酢ダコ」の小さいのを買った。あと、ちょっと普段より安い「焼き鳥セット」と、「肉まん」などと。

 帰宅して夕食の時間。まだ残っている「トマトシチュー」なのだけれども、「今日はロヒンギャの<難民>のことを考えながら、こうやって毎日毎日、満腹になるまで食事を出来る幸運に感謝しながらの食事にしよう」などと思った。そうしたらちょうどパソコンを閲覧したら、そんなロヒンギャ難民のの少女が涙を流しながら歩いているという写真を見て、涙が止まらなくなってしまった。‥‥涙を流し歩く彼女に何もすることも出来ないわたしは、こうやって生きているだけで<罪人>である、そう思いながら「トマトシチュー」を食べた。

 

 

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■ 2017-12-27(Wed)

 夜、ベッドでふとんをかぶって寝ようとしていると、ニェネントがわたしの胸のところの上に乗ってきて、そこで丸くなる。今までニェネントはいつも、わたしの腹より下にしか乗ってきたことはない。それが胸の上なんかに乗ってくるのは初めてのこと。「おお、どうしたんだ」と思っていると、そのときふとんの上に出していたわたしの右手を、ペロペロとなめるのだった。それがなんだか、「この間は噛んでしまってごめんなさい。早く治りますように」といっているようにも思えて、「ひょっとしたらニェネントはやはり、とてつもなく素晴らしいネコなのかもしれないな」などと、また大きな勘違いをしそうになるのだった。でもやはり、こういうことはうれしい。

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 その右手の噛まれ傷だけれども、人差し指の関節のところの傷がなかなか良くならない。それ以外の箇所はもう、傷あとも消えかかるぐらいになっているのに、その関節のところはいまだに、バンドエイドが必要な状態(特に仕事中は)。それで、仕事を終えたあととかはそのバンドエイドもはがして、できるだけ傷口が空気にさらされるようにしているのだけれども、炊事のときとかにまたバンドエイドを貼ると、そのバンドエイドに血がにじんでいるのが見えることになる。バンドエイドが不要になるのは、年を越した来年のことになるみたい。
 そして、新しい靴はちょっと痛い。右足の甲のところが押さえつけられる感覚。靴としての履き心地は軽くていい。もうしばらく履きつづければ靴が伸びて(もしくは足が縮んで?)、足が痛むようなこともなくなるだろうか。

 ピンチョンの「ヴァインランド」を読みはじめている。60年代〜70年代と、ヒッピーとして生きてきたちょっとジャンキーな男と、同じ時期をニューレフトにどっぷり、映画製作に関わっていた元妻、男が面倒をみていた二人の一粒種のちょっとませた女の子とで始まるストーリー。この時代の話なら、主人公らはわたしとだいたい同世代なわけだし、共感を持って面白く読める。‥‥ただ、「重力の虹」のような重層構造は、今のところない。読みにくい、わからないということはないのだけれども、本文二段組みなので思ったより読み進まない。一日に40ページぐらいしか読み進められない。年末年始の休みのあいだ、いかにがんばって読めるかだな。

 今夜の献立は、また先日の「トマトシチュー」にトライすることにした。ただ、(予算の関係で)今回は牛肉ではなくて鶏肉(唐揚げ用のもも肉)を使った。やはりこういうシチューにはぜったいに牛肉の方が、肉のうまみがとけこんでおいしくなるのは確か。それでも、「けっこうおいしいじゃん」という味には仕上がっただろうか。これでまた、当分はトマトシチューが続く。夜、寝る前は、ナボコフの短篇をひとつ読んだ。

 

 

[] 「ロシア語、話します」ウラジーミル・ナボコフ:著 沼野充義:訳(「ナボコフ全短篇」より)  「ロシア語、話します」ウラジーミル・ナボコフ:著 沼野充義:訳(「ナボコフ全短篇」より)を含むブックマーク

 ここまでの二作は、どちらかというと「詩人ナボコフ」という側面を感じる作品だったけれども、ようやく「短編小説」という作品。ここでも「ロシア革命」への恨みは大きいのだけれども、そのことが皮肉な諧謔性をもって語られるあたりが「成長」というのか、「作家としてやって行くには、いつまでも<恨みつらみ>を書くばかりでは先行きがない」という気もちもあったのだろうか。1923年、ナボコフ23歳のときの作品。


 

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■ 2017-12-26(Tue) このエントリーを含むブックマーク

 夢をみた。わたしは旅からの帰路にあるようだけれども、どこか駅のようなところで乗り換える電車を待っている。その駅のような建物の中は白木のドームのようになっていて、そこで「風呂」に入れるらしい。「どこに風呂があるのか」と思うと、その白木の壁の一部が開くようになっていて、ずっと下の方にやはり白木でつくられた風呂がある。白木の感じが清潔そうで、わたしも入ってみようかと思うのだけれども、その「覗き窓」は高いところにあり、そこから風呂には行けない。「どこから風呂へ行くのですか?」と誰かに聴くと、「こっち」とかいわれるのだけれども、そこはただ白木の壁があるだけ。すると、さっきの覗き窓のように、その壁の一部がすっぽりと「ふた」を外すように開けることが出来るようで、そこから風呂場へ行けるのだという。しかし、その「風呂」への通路はあまりに狭くて、わたしは「こんなところへは入って行けない」と思っている。そんな夢だった。

 今日26日は、イギリスでは"Boxing Day"といい、つまりサンタさんからのクリスマス・プレゼントの、包みを開ける日なのだという。そして、クリスマス当日に「ご主人さま」とかに仕え、料理をつくったり給仕したりした使用人(執事、料理人、召使メイドなどの人たち)の、「昨日はお疲れさま」という「休日」だったのだと。‥‥この日本だって、レストランとかの料理店、ファストフード、そしてスーパーマーケットで働く人たち、とにかく「クリスマス」だからと普段の何倍も働かされる人たちも、「今日は休み」としてあげるといいのに。

 このところは以前とは時間の使い方がすっかり変わってしまって、またCDとか音楽をよく聴くようになった。それはそれで、「よい時間の過ごし方だ」とは思う。今日はRichard & Linda Thompsonの"Hokey Pokey"とかを実に久しぶりに聴いて、「そうか、こういうアルバムだったのか」と、認識を新たにしたりする。
 そういうのでは、先日「虹」を見たときに「<虹>を歌った曲って何かあったっけ?」などと記憶をたどって、Incredible String Bandの"Rainbow"を聴いたりしたのだけれども、それがきっかけになってIncredible String BandのCDとかいろいろ聴き直し、これまで思っていた彼らへのイメージがすっかり反転する思いをした。かんたんに書くと、これまでは、Incredible String Bandといえば、何といってもRobin Williamsonでしょ〜が、という感じで、相棒のMike Heronのことはあまりマジメに考えなかったのだけれども、いやいや、そうじゃなくって、Incredible String Bandが危機的な状況にあったとき、バンドを継続させたのはMike Heronの尽力ではないか、とかそういうこと。
 ま、いきなりこの日記で"Incredible String Band"とか書き始めるのもいかにも唐突だけれども、そのうちに(というのは<来年>か)、そのあたりの考えたことをまとめて書いてみたいとも思っている。

 今日はまたナボコフを読もうと思っていたのに、なんだかあまりページをくくらないうちに眠くなってしまって、そのまま寝てしまったようだ。相変わらず「寝すぎ」。


 

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■ 2017-12-25(Mon)

 12月25日のクリスマス。そして今年もあと一週間。‥‥「クリスマス」って、何だろう?

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 わたしは今日は「クリスマス」どころではなく、健康診断を受けることにしている。それで、朝食をとったあとは病院で検査を受けるまでは断食。病院はいつも内科の検診を受けているクリニックだけれども、午後の検診は三時からだから、それまで何も食べない。それでクリニックへ行ってみるとすっごい数の人がロビーにあふれていて、これは検査が終わるのは四時を過ぎそうだ。ま、もう「空腹だ」とかそういうのはどこかへ行ってしまったけれども。
 採血、身長、体重の測定、尿検査、それと心電図を採って、いつもの問診になっておしまい。記録で書いておくとわたしの身長は171センチ、体重は63.8キロではあった。一時期は68キロぐらいあったと思うから、やはり痩せた、といっていいだろう(ま、まだガッチリしておりますが)。前に書いたかもしれないけれども、最近の悩みというかアレは、もうちょっと太ってもいいと食事量を増やしたり、間食をバリバリやってみても、ぜんぜんウェイト増加という感じにならないこと。それが特に異状なことでないのなら、それはそれでとってもいいんですけれどもね。

 すべての診察を終えて帰宅したのはもう四時半。「おなかがすいている」という感覚はなくなってしまったままで、「このまま夕食まで食べなくていいや」という感じ。それで、「今日こそはスーパーのお弁当を買ってやろうじゃないの」みたいな意気込みになって、今日はちょっと早めに、六時ちょっと過ぎたところで買い物に出た。今日は早くに来たのが正解で、スーパーの「O」にはお弁当も寿司もまだ残っていて、みんな「半額」になっていた。それでお弁当を一つ、それと寿司のパックを一つ、それからフライドチキンとを買った。ささやかなわたしのクリスマス。

 帰宅して、「さあ、食べるぞ〜」と、寿司のパックを開けると、ニェネントが近寄ってくる。「どれかあげてもいいな」などと思うひまもなく、ニェネントがテーブルの下から忍び寄り、寿司のネタをひとつ(サーモン、だった)、サッとくわえて逃げて行った。「えっ?」と思う間もない、いっしゅんの出来事。ここはわたしはサザエさんになってニェネントを追いかけなければいけないかも?とも思ったが、そのときに先週ニェネントにガブリと噛まれた思い出がよみがえり、「ヘタに取り返そうとすると、またガブリとやられるのだ」などと思ってしまい、ただ目の前でニェネントがサーモンにかぶりついているのを、眺めるしか出来なかった。しょうがない。

 しかしやはり、この「O」の寿司パックは美味で、けっこう満足する。寿司のあとは「鶏めし弁当」というヤツ。こちらもおいしかった。満腹になったので、またフライドチキンは明日に取っておこう。そんなわたしのクリスマス(ニェネントも、サーモン食べたから満足だろう)。


 

[] 「言葉」ウラジーミル・ナボコフ:著 秋草俊一郎:訳(「ナボコフ全短篇」より)  「言葉」ウラジーミル・ナボコフ:著 秋草俊一郎:訳(「ナボコフ全短篇」より)を含むブックマーク

 ‥‥きゃ! 思いもかけぬ、サイケデリックなナボコフ! 読んでいて、ヴィジュアル的にはジャン・デルヴィルの、悪魔と天使とが争う絵画のような、そんな印象。文学としては(よく記憶にないけれども)ドイツ・ロマン派のギトギトの世界みたいな。まさかナボコフにこんな一面があろうとは。それでもその根本には、やはり祖国を失った悲しみというものがある。


 

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■ 2017-12-24(Sun)

 今日は、柏の図書館分館、それと我孫子の図書館の両方に本を返却しに行く。まずは午前中に柏の図書館へ行き、帰りにスーパーへ寄って買い物も、と思っていたのだけれども、スーパーに入ってみたらそれほど欲しいものもなく、「財布に余裕が出来たから」と買い物をしまくるのもいかがなものかと、そのまま帰宅した。
 帰宅してすぐ、今度は我孫子の図書館へと出かける。こちらでは返却だけでなく、新しく「ヴァインランド」を借りる。貸し出し窓口へ持って行くと、返却日は来年の1月14日と、年末年始の休館日の分長くなっていた。「それなら他にも何か借りようか」などと考えたけど、「いやいや、正月は自宅本を読むことにしよう」と、思い直した。

 帰りに近くの百円ショップに寄って、ニェネント用のドライフード(カリカリ)が湿気ってしまわないように入れておける、このショップで売られているいちばん大きなタッパーを買う。それで店の中を見ていると、愛らしい猫のクッションが売られているのが目にとまった。‥‥別にクッションなど必要ないのだけれども、かわいいので欲しくなってしまい、これも買ってしまった。このクッションを十個ぐらい買って、部屋中にバラ撒いてみても楽しい気がする。

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 このあとショッピングプラザに寄り、二階の靴屋などをチェック。実は今履いている靴、九月の末にAmazonで買ったメチャ安の靴なのだけれども、さすが「メチャ安」、最近歩いていてすべりそうになったりして、靴底をみてみたらもうすり減ってツルッツルになってしまってるし、割れ目も入っているではないか。ま、安いのはよかったけど、三ヶ月しか持たなかったか。やはり割りに合わない買い物だった。「これは早めに買い換えなければいけないな」と思っていたわけではある。それで靴屋をみてみたのだけれども、ちょうど年末バーゲンのさいちゅうで、「半額」とか「30パーセント引き」とかいうのがいっぱい並んでいる。そんな中から自分好みのものをさがし、値札と相談。‥‥すると、元値は7900円のが半額になっていて、さらにその半額から30パーセント引き、などという激安のモノをみつけた。デザインも悪くないし、「コレ、ぜったいコレにしよう」とレジに持って行く。約3000円。「おお、ラッキーな買い物をした!」と、ちょっとうれしい気分になった。

 それで今日はクリスマス・イヴだ。信仰心の持ち合わせなどないけれども、今日と明日はスーパーなどでいろいろと「ごちそう」が並ぶ。わたしもそういう「ごちそう」が食べたいし、夕食時が過ぎた遅い時間になると、そういう「ごちそう」が半額とかになったりするはず。それを狙って、七時ごろに出かけてみた。ちょっと遠い「O」は、以前から惣菜やお弁当関係(特にお寿司)のおいしい店だったので、まずそちらに行ってみると、なんと、お弁当や寿司はすべて売り切れで、「チキンフライ」や「フライドチキン」(同じようなものに思えるけれども、実は別物)ぐらいしか残っていない。やはり皆、考えることは同じなのか。わたしは到着が遅れた。しょうがないので、その(予想通り)半額になっていた「チキンフライ」と「フライドチキン」とを買い、もう一軒のスーパー「m」の方へ行ってみた。ところが、こちらのスーパーはあまりクリスマス商戦などに興味はないのか、そういうクリスマスっぽいメニューは売られていないし、残っていたお弁当もせいぜい一割引きになっているぐらいのもの。ちょっとがっかり。しょうがないので残っていたお弁当から選んで買い、家に帰った。

 買ったものは今夜ぜんぶ食べてしまおうかと思っていたのだけれども、お弁当を食べてしまうと満腹になってしまい、チキンフライとかは明日の昼食のおかずにしようか、ということにした。食事のあとはもう寝るだけなのだけれど、「そろそろまたナボコフも読みたい」と、「ナボコフ全短篇」を取り出して、ベッドに横になってさいしょの一篇を読んだ。

 

[] 「森の精」ウラジーミル・ナボコフ:著 沼野充義:訳(「ナボコフ全短篇」より)  「森の精」ウラジーミル・ナボコフ:著 沼野充義:訳(「ナボコフ全短篇」より)を含むブックマーク

 ナボコフの、活字になった最初の作品。ベルリンのロシア人亡命者らの発行する新聞に、1921年に掲載されたもの。ナボコフが21歳か22歳のときか。もちろん、このときの筆名は「ウラジーミル・シーリン」。

 ベルリンにいる作者のところに、「森の精」が訪れる。その顔は作者のよく知った顔だった。「森の精」は作者に、「もう、かつてのあの森には居られない。森の中は血みどろで、川にも<死>があふれ、<水の精>もいなくなった」という。「わたしはもう死ぬだろう」と。

 もちろん、ナボコフの亡命の<原因>である「ロシア革命」のことが語られているのだけれども、その<呪詛>だけで書かれたようなところも感じる。しかし、ナボコフにとって、ロシアの自然がそのロマンの<原点>だったのだろうと思わせられる作品。


 

[] 「重力の虹」トマス・ピンチョン:著 佐藤良明:訳(二回目)  「重力の虹」トマス・ピンチョン:著 佐藤良明:訳(二回目)を含むブックマーク

 さいしょは、この小説には一貫した<物語>があり、その主人公はスロースロップなのだろうという、勝手な思い込みで読んでしまい、それはみごとにはぐらかされてしまった。とっかえひっかえ登場する雑多な登場人物、そしてめまぐるしく変遷する文体。重厚なリアリズムで読むものを牽引するかと思えば、読むのも恥ずかしくなるようなポルノ的展開、ナンセンスなコミックストリップ的になるかと思えば、わたしなどにはさっぱりわからない理工学系の専門書みたいな記述になったり、カバラ的秘儀(タロットカード)が重要なファクターになったり。
 けっきょく、この作品とは非常に複合的な構成を持った作品であり、「ひとりの(もしくは複数の)主人公を描いてストーリーが直線的に進行する」ようなものではないわけで、まるで蔦が絡まり合って伸び、それがひとつの大木のような姿をみせるようなものなのだ。そしてその「見せかけの大木」の基調にあるのは<パラノイア>なのであって、そのことが、読み進めることの困難さの要因でもあっただろう。この<パラノイア>、作品の基調であるということで、文章構成、進行にも大きく影響しているというか、パラノイア的展開の奥にパラノイアの本質を読み取らなければいけない、というような。

 けっきょく、前にも引用したこの部分が、やはりキーとして浮かび上がってくる。

(‥‥)言うまでもないが、いわゆる“妄想”は常に、権力によって定義される。何が現実で何が非現実かを、われわれが思いなやむ必要はない、<かれら>の便宜で決められるのだよ。意味があるのはシステムだからな。データがシステム内でいかに収まり合うかが重要だ。全体として一貫性があればいい。そうでないとシステムが支えきれない。

 ひとことでいえば、この作品、第二次世界大戦中にナチスドイツの開発した戦争兵器としての<ロケット>、「いったいそれは<何>なのか?」と、戦争末期から連合軍側でもデータを欲しているわけで、ドイツの敗戦で各国の乗り込んできた<ゾーン>内における奪い合い合戦というか、そういう基本ストーリーはある。その<ロケット>をキーワードに、様々な人物、様々な情報が絡み合うわけだ(「悪」のロケットは「V2」であり、「善」のロケットは「月ロケット」であるとか)。それで、先に書いたような<パラノイア>的特性によって、その絡み合いの奥が読み取りにくい。そういうことだ。例えば「では、スロースロップとは<何(誰)>だったのか?」と問うてみても、答えに窮してしまう。
 そういうところである意味「解りやすい」といえるのは、チチェーリンのエンツィアンへの憎悪とか、ヘテロ族の子孫であるエンツィアンの立ち位置、そしてブリツェロにうまく使われるペクラーと、その娘イルゼとの悲しい物語とか、だね。そんな中から、<システム>を構成する人物らと、それに利用(抹殺)される、されようとする<見捨てられし者〜ウェイスト(Waste)>と分類される人らとの、人類史に普遍ともいえる問題が浮き上がってくる。そこに「白」と「黒」という対比もあるわけだろうし、そういう<ウェイスト>の実例として、モーリシャス島のドードー鳥の、オランダ人による虐殺による滅亡。

 ピンチョンがこの作品を上梓したのはたしか1973年だけれども、この作品の舞台が1945年までのヨーロッパであるにも関わらず、1973年当時のアメリカ(世界?)の状況もあれこれと書き込まれているだろう。例えばあまりに60〜70年代的なジャンキーらの登場があるし、当時のアメリカ大統領のニクソンを揶揄した人物も登場する。いくつか、ピンチョンの時代の(ピンチョンの友人の?)書籍も紹介されたりもする。翻訳の脚注にもあるように、ひんぱんに登場する「グリーン」と「マゼンダ」という、補色関係にある「ヒッピー好みの」サイケデリックな色の取り合わせなど。

 ただ、「膨大」な数の登場人物の交錯するこの作品、その人物の登場の仕方が、あまりにも作者ピンチョンの恣意のもとにあるというか、「え? ここでこの人物がまた登場するって、それはあまりにわがままな‥‥。」とか思ってしまうのは確か(ま、そのあたり整合性を持たせた作品にしようとは思っていないのだろうけれども)。

 どうも、断片的に思ったことはいくらでも書けるように思えてしまうけれども、やはりこうやって書いてみると、「感想の断片」になってしまう。このあたりで。


 

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■ 2017-12-23(Sat)

 ついに二度目の「重力の虹」を読み終え、しかもその面白さも十分に味わえた感じでもあるし、とにかくは充足感につつまれて本のことをあれこれと思い出したりして過ごす土曜日。なんだかそれでじんわりと満たされている感じ。「次はやはり、『ヴァインランド』だろうな〜。『ヴァインランド』で年越しだな」などと。そしたら次は「メイスン&ディクスン」、「逆光」、「LAヴァイス」と読み進んで、「競売ナンバー49の叫び」と「スロー・ラーナー」をまた佐藤良明訳で読み直して、そんなことしてたら最新作の「Bleeding Edge」の翻訳も出たりして。それで来年の前半はつぶれてしまうだろうな。読みたいナボコフは放ったらかしになってるし、谷崎潤一郎も泉鏡花も読みたい。とにかくは今しばらくは、本をいっぱい読みたい。

 今日はそんな、この日記に「重力の虹」の「まとめ」を書くのにも時間がかかり、よけい他のことは何もやらない。それでまた午後からは午睡をして、目覚めるともう外は暗くなっている。そう、昨日は「冬至」だったというから、これからはだんだんに日が長くなっていくのだろう。朝の出勤のときも明るい道を歩けるようになるんだろう(でもそれは「春」になってからのことだな)。この写真は昨日の夕暮れどきに撮ったもの。

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 さて夕食。炊き置きのごはんもないし、「スーパーでお弁当を買ってこようか」と考え、「この時間なら弁当類も値引きされてる?」と思う七時頃になって、買い物に出た。ところが、スーパーの「m」に売られている弁当類はほとんど値引きされていない。「なんだ」と思って、もうちょっと先の「O」まで行ってみると、こちらは弁当類はもうすべて売り切れていた。「しょうがないな」と、残っていて半額になっていた「チキンフライ」などを買い、もういちど「m」にもどって、ハンバーグとチキンの弁当を買って帰った。チキンづくし。今日がわたしのクリスマスか。
 でも、「m」で買った弁当を食べるとそれで満腹になってしまい、「O」で買った惣菜は、明日のおかずにすることにした。

 ニェネントに噛まれた指の傷、いつまでも傷口がふさがらないので、夜になっていままでずっと貼っていたバンドエイドをはがし、傷口をさらして早くカサブタとか出来て傷口をふさげるようにした。寝るときに「怪談」の残り、「虫の研究」の三編「蝶」、「蚊」、「蟻」とを読んで読了。


 

[] 「怪談」ラフカディオ・ハーン:著 平井呈一:訳 ヤン・シュヴァンクマイエル:画  「怪談」ラフカディオ・ハーン:著 平井呈一:訳 ヤン・シュヴァンクマイエル:画を含むブックマーク

 「重力の虹」の感想は疲れるので、今日読んだ「怪談」の方で。‥‥「感想」というより、巻頭に掲載されたシュヴァンクマイエルの「献辞」を写してすませちゃいましょう。

『怪談』は、伝統的なおばけの物語を伝える日本の本のうち、チェコ語に訳されたごくわずかなものの一冊です。私はおばけが大好きです。こわがることが好きなのです。恐れることでできる「鳥肌」も、私のもっとも鋭敏な触覚のひとつです。それゆえ、私は『怪談』に挿絵をつけるという提案を、ためらうことなく引き受けました。私は自分にとってもっとも身近な技術であるコラージュを選択しました。チェコのおとぎばなしの古い挿絵に描かれるポレドニツェ(真昼の魔女)、ヴォドニーク(河童)、ドラゴン、ララーシェク(小鬼)といった伝統的なおばけの姿を探しました。その生き物たちを私は日本の悪霊(デーモン)とくらべました。そうして、シュルレアリストたちが「遊戯的結びつき」とよんでいるもの、ふたつのつながらない現実の「錬金術的な」結びつき、そして「痙攣的な美」の噴出へと到達したのです。

                 J.S. 二〇一一年五月

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■ 2017-12-22(Fri)

 「重力の虹」二回目、ついに読み終えた。感想はまた明日にでも書こうかと思うけれども、こうやってこの日記のカテゴリーで[『重力の虹』を読む] というのをつくったのは、かなり役に立った。これだったらこういうやりかたで、カントだとかドゥルーズだとかも読み進められそうな気がする。これからもっと、この日記を活用してみよう。

 ニェネントに負った傷、今日もまだ人差し指の傷口がふさがらない。よって「水しごと」はダメ。ちょうど、おそらくはヒトのカラダの中でいちばん動かしまわる関節の箇所の傷だし、ずっとバンドエイドでプロテクトしたままだし、なかなか傷口がふさがってカサブタになるということがない。これは完治するのは来年とかになってしまいそうだ。
 そう、もう「来年」。まだ今年の総括には早いけれども、たいへんな年だった。それで今の仕事は今月は28日で仕事納め、新しい年は5日からになるようだ。ちょうど一週間まるまる休み。こういうのも何年ぶりになることだろう。それで5日に出勤したらそのあとはまた、土曜日曜祭日と三日つづいての三連休になる。今は日給制なのにそ〜んなに休んでしまっていいのか?と思うけれども、計算してみると、そこまでにヤバいということもないみたいだ。ま、年末年始はゆっくりと休ませていただきましょう。

 さて、給与も振り込まれて、今はちょっと財布に余裕もある。今日は気もちも大きく(たいした大きさではない)、夕食は外食することにした。またお気に入りの近所の中華料理屋で、前から気になっていた「刀削麺」を食べてみようと。麺だけだとアレだからチャーハンの小さいのとかもいっしょに頼んで、瓶ビール(今日は金曜日だから、飲み物はぜ〜んぶ半額!)も頼もうと。
 七時頃に店に行くと、そこまでに混み合ってなくって、四人掛けのテーブル席に案内された。ちょっと「ゆったり」気分。コックさんみたいな人が来て、注文を伝えるけれども、返答がぜんぶ中国語なのでさっぱりわからない。でも、「チャーハンも」というと、その刀削麺とチャーハンのセットも示してくれたので、ちゃんと通じているのだろう。

 さてさて、待望の「刀削麺」。‥‥うわっ! ニンジンがいっぱいですね。チャーハンも大盛りというか、セット用に小ぶりの盛りつけではないみたい。こんなに食べ切れるだろうか。

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 うん、刀削麺はとってもおいしかった。満足。さすがにチャーハンもぜんぶ食べると胃が苦しくなる。しかし、わたしよりちょっとあとにわたしの隣の席にきたカップル、二人で何皿も何皿も注文している。つい気になって皿の数をこっそり勘定してみると、七皿。それにドリンク。「すっごいな〜」と思っていると、それらをちゃっちゃっちゃっと平らげてしまわれ、まだわたしが半分ぐらいしか食べ終えないうちにすべて完食され、先に出て行かれた。すごい。びっくりである。

 とにかく満腹状態で店を出て帰宅。あとは寝るだけである。まだ「怪談」で読み終わってない作品も残っているのだけれども、残りは明日読もう。


 

[] 第四部「カウンターフォース」(5)  第四部「カウンターフォース」(5)を含むブックマーク

 この日記をみると、こうやって二回目に「重力の虹」を読もうと、この[『重力の虹』を読む]を書きはじめたのは、ちょうど一ヶ月前の十一月二十二日のことみたい。一ヶ月経った今日、その「重力の虹」二回目をついにようやく読み終えられる。

 第十二セクション。ちょっと長い<最終セクション>である。またも「メトロポリス」的な未来世界の挿話から始まり、ナチス将校クラブでの少年合唱団の舞台。タナツ(グレタの夫だな)とルートヴィヒが話をしているが、これは話が過去にさかのぼっているわけか?
 いよいよ最後の舞台は、リューネブルク・ハイデ。まずはロケット00001号の組み立てのさいちゅうなのか。<畏るべき組み立て(アセンブリー)の秘技>の伝説に、スロースロップに関する話もある。この男は自分自身の組み立て(アセンブリー)に立ちあうために<ゾーン>に送り込まれたという。これは、パラノイアの度合いを高めれば、<時の再統合(アセンブリー)>ということになる。そしてその計画はうまく行かず、スロースロップは逆に解体され、散布されてしまったのだと。ここから、この本の重要な要素だった「タロットカード」の話。わたしはこのあたりの神秘主義はよくわかんない。
 船乗りボーディーン登場。今でもスロースロップのことをバラバラでない一個の存在として見ることができるのは、このボーディーンだけ。彼はスロースロップとの別れに、シカゴでジョン・ディリンジャーが撃ち殺されたときに彼の体から拭き取ったディリンジャーの「血」を渡す。ボーディーンとスロースロップはそれっきりになったわけではないらしいが、ま、これが最後。分散したスロースロップはどうやら、その後もあちこちに姿をあらわしているらしいのだが。
 ●ミジンバラの占領:ミジンバラはスロースロップの故郷。ピンチョンの短編集「スロー・ラーナー」の作品につながる、少年時代のスロースロップのおもかげ。
 ●<デア・プラーツ>にて:この作品に何度も出てくる「カズー」、そして「電球バイロン」、そしてゲアハルト・フォン・ゲールの新作プロジェクト(?)。
 ●アミダール・ナトリウムにご執心のゲアハルト・フォン・ゲール:
 ●ヴァイスマンのタロット:
 ●最後のグリーンとマゼンダ:この作品には<シュヴァルツコマンド>とか<ホワイト・ヴィジテーション>とか、「黒」と「白」というものがさまざまな意味で登場するけれども、その一方で、このグリーンとマゼンダという補色関係の二色も、何度も登場する。そして「季節は春だった」と時間が逆行し、今まで語られなくって「おかしいな?」と思っていた、00000号の打ち上げの話になるのだ。

 ●馬:最後の馬(ザ・ラスト・ホース)、これがロケット00000号だ。「木立の中で供犠(くぎ)が始まろうとしている。」
 ●イサク:それは、アブラハムが息子イサクを犠牲に捧げようとする儀式?
 ●打ち上げ準備:「ヒーロー」の登場は遅すぎた? ポインツマンの理論の終焉?
 ●カウントダウン:ロケット打ち上げのカウントダウンは、カバリストの「セフィロトの樹」のそれぞれの部位に対応している。
 ●アポロンの夢へとつながれて・・・:ロケット「00000号」には、ゴットフリートが乗っている。彼がまとっているのは<イミポレックス>の死装束。
 ●オルフェウス、ハープを置く:唐突にこの部分は、この小説が執筆されていた当時のアメリカ大統領、リチャード・ニクソンへの「皮肉」というか「攻撃」というか。
 ●準備完了:このロケット「00000号」を打ち上げるのは、ブリツェロである。カウントダウンが進行し、ついにロケットは打ち上げられるのだ。
 ●上 昇:<重力>に対抗する上昇。つかめ(キャッチ)、ブリツェロからゴットフリートへの最後の言葉。

「夕闇の端っこ・・・その長い弧の上に人々が並んでみんな一番星に願いをかける。・・・いっときも忘れてはならない、陸も海も何千マイルにわたってつながる男女の列を。真の翳り(シャドー)の瞬間とは、空に光の突端が見えたときだ。単一の点、そのとき<影>がおまえを集めさらっていく・・・」

 ゴットフリートの両足の間に一番星が掛かっている。

 ●落 下:おお! やはりすべては映画館のスクリーンに写し出される<映画>だったのか? さいごに、スロースロップ作の賛美歌が流れる。どうやらスクリーンに歌詞が写されている。「ナウ、エヴリバディ――」って、"All Together Now"ってことかよ!!!

 ‥‥おしまい。いや、ラストに向けてのたたみかけるような展開には「ぎゃ〜!」、って感じでした。もちろん、「全部解った!」などとおこがましいことはいえっこないけれども、一読目よりもずっとずっと楽しめたことは確かだし、基本構造は「解った」といってもいいんじゃないかな。感想は明日書こうか(感想を書くのも大変な仕事になりそうだ)。これでこのIndexも、とりあえず終了!


 

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■ 2017-12-21(Thu)

 今朝もニェネントに噛まれた右手人差し指は痛むけれども、右手全体の「腫れ」はだいぶおさまった感じ。まだまだ触ると熱をもっていて、痛みがないわけではないけれども、先日外科医がいっていたような「最悪、入院ですね」みたいなことにはならずに済みそうだ。

 ニェネントはそんなわたしの「傷ついた心と体」のことなどにはまるで関心もなく、いつものマイペースである。やはりわたしがハムトーストを食べようとすると寄ってきて、机の上にのっかって「それ、ちょうだい!」とトーストにかじりつこうとする。そんなニェネントをつかまえて、「あのね〜、」と苦情を伝えようかとも思うのだけれども、ニェネントは「わたしは<無垢>です!」みたいな表情をするので、ま、「あなたといっしょにこうやって生きていくのがわたしの歓びでもあるわけです」と、やっぱりすべて赦すわけで、ハムトーストをちぎってわけてあげたりしてしまう。

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 そうやって最近は食パン、ハム、そしてマーガリンの消費量が増大しているわけで、今日も仕事の帰りに南柏駅で途中下車し、この日が木曜で全品一割引きの駅のそばのスーパー「K」に立ち寄り、ハムとマーガリンとを買う。店内をぐるっとまわってみて、安くなっていた「肉まん」も買ってしまう。
 帰宅して、買ってきた「肉まん」を食べようと出してみると、「肉まん」と「あんまん」と両方入ってるのだった。‥‥あらら、「あんまん」はそんなに好きじゃないな。ちょっと失敗。そんな「あんまん」をチンして食べようとすると、やはりニェネントくんが寄ってくるのだけれども、ニェネントも「あんまん」では食べないだろう。それでも、「あんまん」の皮の部分をちぎって、「どう?」とあげてみると、ガツガツと食べてしまうのだった。

  

 

[] 第四部「カウンターフォース」(4)  第四部「カウンターフォース」(4)を含むブックマーク

 いよいよ「終わり」も近づいてきた。第九セクション。久々の「魔女見習い」ゲリー・トリッピングの登場。チチェーリンを追い求め、<世界>と交わろうとしている。ゲリーは、<黒の軍団>が移動を始めたのを感じる。このままではチチェーリンとエンツィアンとがぶっつかってしまうのでは? しかし、チチェーリンの居所はわからない。ゲリーは<世界>を感じ、「死をプロモートするのがわれわれ人間の使命なのだ」と知る。
 夜道を歩くゲリーは牧羊神パンに出会うが、そのとき唐突に視点はゴットフリートに切り替わる。ゴットフリートはブリツェロとのことを追想し、自分がブリツェロのために存在していることを確信する。「アフリカに、アジアに、原住民の住むアメリカ、そしてオセアニアに、ヨーロッパはやってきて、<分析>と<死>の秩序をうち立てた。利用出来ないものは殺害するか、変容させた。やがてその死の植民地は勢力をつよめ、分離独立した。だが帝国づくりの衝動は、死を増殖させ、死の構造を繁茂させていこうという使命は変わらなかった。われわれはその過程の最後の局面にある。」、「<死>と<ヨーロッパ>は今も別れたままだ。二者の愛はクライマックスに達していない。死は単に支配するのみ。<死>との、愛における、完全な融一はまだ・・・」、「いまサイクルがひと巡りを終え、次のサイクルが始まろうとしているのか? われわれの新しい<涯(はて)>は、われわれの新しい<死の王国>は、今度は<月>なのだろうか?」‥‥濃い。

 第十セクション。エンツィアンの一隊がロケットの第二弾、00001号を打ち上げようと運搬している。ここではエンツィアンの「ロケット感」。そこには善悪ふたつのロケットがある。その<原初の双児>の一方がエンツィアンで、一方がブリツェロなのか。「善のロケットは人を星に導き、悪のロケットは世界を破滅に導く。」いつしかこの場にはカッチェも、ルートヴィヒもいるようだ。この小説の中で唯一の「撃ち合い」、戦闘シーン。エンツィアンの<宇宙人スマイル>。

 短い第十一セクション。ゲリーの「魔法」が成功する。チチェーリンの「弟殺しへの執着」は消え去り、チチェーリンはエンツィアンと、(それと知らず)すれ違う。「これは魔法だ。しかしだからといって、幻想だとは言いきれない。夕闇が迫るころ、ふたりの男が出会いながら、兄弟だと気づかず、それっきり、通りすぎてしまうというのは以前にもあったことに違いない。」649ページまで。ついに、明日には読み終わるだろう。


 

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■ 2017-12-20(Wed)

 「飼い猫に手を噛まれる」という<惨劇>の翌日。昨夜はやはりわたしが寝るときに、いつものようにニェネントがわたしのふとんの上に乗っかって来てくれていっしょに寝て、「おたがいの絆はこわれてないよね〜」という感じでホッとした。でも夜中に目が覚めて「やはり右手が痛いな〜」と思ったら、またその人差し指からダラダラと血が流れて来たりもした。
 「出勤」ということで目覚め、手をみるとやはり腫れているし、さわるとまだ熱を持っているのもわかる。仕事を休むわけにもいかないので、出勤の途中にコンビニに寄り、ニットの手袋、それにビニールの「水しごと用」の手袋とを買う。仕事中はずっと、そのビニール手袋をしてやり過ごしたけれども、仕事を終えて、その手袋をはずすのが大変だった。とにかく手が腫れ上がっているから、かんたんには脱げないし、脱がそうとすると痛い。

 とにかくはなんとか仕事を終えて帰宅。もう午後になっているので、近隣の外科医の午前中の診察はもう終わっている。前に「腱鞘炎」になったときに行った我孫子駅の近くの外科医が、あのときていねいに診てくれた記憶もあるし、新しい病院へ行くと「初診料」とかも取られるのでもったいないと、その外科医へ行くことにした。

 クリニックへ行き、受付で「今日はどうされました?」と聞かれたので、「飼い猫に手を噛まれました」と告げる。しばらく待って診察の順がまわってきた。医師はわたしの噛まれた手を見て、「ああ、腫れてますね〜。まずは抗生物質を処方しましょう。飲み薬と塗り薬。これで二、三日様子をみて腫れがひかないようだと、もっと大きな病院へ行かなければならないですね。入院することも考えなければいけないです」と。それでちゃっちゃっと傷口を消毒して、大きめのバンドエイドを貼っておしまい。おやおや、お手軽だな。ま、「わたしんとこは<専門外>ですねん」ということだろうか。これで1200円ぐらい取られた。いい商売だな。処方薬局で薬が700円。合計2000円近いところだけれども、ま、新しい外科医に行って初診料を取られるよりマシだろうし、たしかに噛まれて一日経ってしまったあとでは、「これでこのあと悪化するかどうか、様子をみるしかないですね」というのも<真理>だろうか。

 帰りにショッピングプラザに寄り、ちょっと大きめのバンドエイドとか、サポートするテープとか買っておこうかと、ドラッグストアに入ってみた。でもバンドエイドは500円以上するし、考えてみたら、そういうのはこのプラザにある百円ショップで売られているのではないか?と思いつき、そっちへ移動。‥‥思った通り、いろんなサイズのバンドエイド(キズテープという名称)が並んでいるし、前に腱鞘炎になったときにその存在を知った「テーピングテープ」も売られている。ふたつ買って216円。安く済んだ。
 帰宅して、すぐに内服薬を飲み、傷口に抗生物の軟膏を塗って買ったバンドエイドを貼り、その上からテーピングしてみた。‥‥バッチリ、ではないか! 安物のバンドエイドでもテーピングしてあるからはがれることはないし、多少水に濡れてもだいじょうぶだ。今日は自分の判断でかなり節約できた感じ、かな? しかし、これ以上悪化しないように祈る気もち。

 それで、今日は今の勤め先からのはじめての給与振り込みもあった日。これでほんとうに今日から、新しい一歩が踏み出せる思いがする。予想外に「精勤手当」みたいなのもついていたし、つまり、予想よりもちょっと多い額だった(ただし、その中には「交通費」も含まれていることを忘れてはいけないよ!)。

 今日も夕食はつくり置きの「トマトシチュー」。まだ明日の分までは残ってる。夜寝るときは「怪談」を読む。この日は「力ばか」、「日まわり」、「蓬萊」の三編。

  

 

[] 第四部「カウンターフォース」(3)  第四部「カウンターフォース」(3)を含むブックマーク

 第六セクション続き。
 ●シットもシャイノーラも:スロースロップ、ゾイレ、ボーディーンの続きね。
 ●女装者用トイレでの変事:(続き)
 ●おかしなカミカゼ特攻隊員タケシとイチゾウとの、お楽しみのひと時:ふむ! これは<ヒロシマ>につながるのか?
 ●数々のストリート:<広島>への原爆。かな?
 ●トイレの音を聴く:<かれら>という問題。さっきの続き。
 ●当意即妙:続き。
 ●男のハートの通じ合い:スロースロップとそのお父さん。
 ●<イミポレックスG>の諸特性:「ロケット」と「ブリツェロ」?

 第七セクション。チチェーリン。

 第八セクション。モリツリ少尉、キャロル・イヴェンター、トマス・グウェンヒドウィ、そしてロジャー・メキシコとの談合。そしてボーディーン。<カウンターフォース>とは? 終盤はゲロゲロな展開だ。615ページまで。終わりは近いぞ。


 

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■ 2017-12-19(Tue)

 今日から、上野動物園のベビー・パンダのシャンシャンが一般公開される。その誕生から半年間、一般公開は先送りにされていたわけだけれども、どうもその期間に、上野動物園の飼育係はシャンシャンを調教していたのではないだろうか。飼育スペースの中の木を「お立ち台」に見立ててその上にのぼり、上でぐるっと一回転してみたり、母親パンダのシンシンと背中合わせにすわってツーショット、親子の仲睦まじさをみせつけたり、授乳シーンをみせてくれたり、あまりに可愛らしすぎるし出来すぎではないか。ありゃあきっと、飼育係が見えないところでムチをふるって「こうやれば皆が<かわいい〜!>っていってくれるんだ!」と仕込んでいるのではないかと、あまりの愛くるしさに言ってみたくもなる。
 いや、わたしも先日上野動物園に行っていろんな動物をじかに見て、「たしかに<動物園>というものは動物たちにとって残酷な環境かもしれないけれども、その動物たちの<生態>をじかに見ることができるということでは、(自己本位な考えだけれども)いいものだな」と思ってしまってもいたわけで、そのときにシャンシャンのお父さんだかお母さんだかも見たわけで、ま、今のブームが落ち着いたら、シャンシャンのことも見に行きたいな、などと思っている。

 さて、今日、仕事を終えて帰宅してみたら、ニェネントが出窓の部分の網戸に爪をかけて破ってしまっているのを見つけた。‥‥何ということだ。またやらかしてくれましたか。

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 ‥‥と思っていたら、わたしのいるそばでニェネントは、もう一方のまだ破かれていない方の網戸にも爪をかけて破こうとしているではないか。「バカもの!」と思ってストップさせようと、網戸破りに夢中になっているニェネントの背中を叩き、抱き上げてやめさせようとしたところ、思わぬ強烈なニェネントの反撃! 右手のひらに強烈に爪をかけられ、しかも人差し指の付け根のところを思いっきり噛まれてしまった。ニェネントは「怒り」の「フ〜ッ!」といううなり声を発している。思いもかけぬニェネントの一撃は「痛い」などというものではなく、その人差し指からは大出血。血がぼたぼたとこぼれ落ち、近くにあったタオルを巻いたけれども出血が止まらない。あたり中血だらけになってしまったし、とにかく痛みがはげしい。はたして、今までに遊んでいてニェネントに噛まれたことはあったけれども、アレがいかに「甘噛み」というものであったことか、ワイルドな「けもの」としてのネコの牙がいかに強烈なものであることか、ついに思い知ったわけである。
 ‥‥「何てことをするんだよ!」と、そのしゅんかんはニェネントへの怒りもあったけれども、わたしだって、その瞬間瞬間に生きているネコのことは知っているから、もう時間を置いてしまってから怒りをぶっつけても、ネコの方ではもう、何で怒られているのかわからないのである。そういう行為は飼い主への不信感をつのらせるだけ。もう怒ってもしょうがない。ニェネントの方ではそのときは、「こ〜んなに楽しく遊んでいたというのに、叩かれて<遊び>をやめさせられるなんて!」という気もちだったのだろう。
 「もう怒ってないよ。しゃ〜ないね!」と近寄って来たニェネントの背をなでてあげたら、まだ出血が止まってないもので、ニェネントの背中は、まるで母親のシンシンに舐められてその唾液でピンクに染まってしまったシャンシャンみたいに、わたしの血でピンク色になってしまった!

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 しかし、痛い。出血は止まらない。噛まれたのは二ヶ所だけれども、その他に爪を立てられた傷が十ヶ所近くある。あの<一瞬>のうちに、これだけの攻撃を仕掛けてくれたわけか。それは「すごい!」ともいえるけれども、噛まれたところ以外の箇所も痛みが激しい。なんだか右手全体が腫れてきているようだし、熱をもっているようだ。噛まれた傷口にはなんとかバンドエイドを巻いたけれども、いつまでも出血は止まらないようだ。まいったね〜。
 夕食は「トマトシチュー」のつくり置きがあるから調理することはないけれども、「ごはん」がなくなっていて炊かなくてはならない。左手を使って何とかごはんを炊き、夕食をすませた。

 右手の「腫れ」はおさまらず、左手でさわってみても熱をもっているのがわかる。ネットで「ネコに噛まれた」と検索してみたら、やはり「即、病院へ行くこと!」ということだった。これだけ右手が使えないと仕事にも支障をきたすし、明日は仕事を休むべきかとも思ったけれども、そういうわけにもいかない。明日の午後になるけれども病院へ行こう。‥‥たいへんな一日になってしまった。

  

 

[] 第四部「カウンターフォース」(2)  第四部「カウンターフォース」(2)を含むブックマーク

 第三セクション続き。「電球バイロンの話」である。電球のバイロンは、n× 1000個に一個の割合で生まれてしまうという「完璧な電球」。この電球は「不滅」なのである。そんなバイロンは、「電球の寿命を定める」世界を覆うカルテルに反抗、つまりそれはこの本のひとつのテーマ、「システムに対抗する個」ではある。しかし、世界、システムへの理解を深めるバイロンは、絶望する。「真実を知りながらも、何一つ変えられない」という無力感。

 第四セクション。カッチェがやって来る。彼女はエンツィアンと会い、スロースロップ、そしてブリツェロ(ヴァイスマン)のことなどを語り合う。

 第五セクション。アヌビス号からスロースロップが転落したとき、やはり船から放り出されたタナツ(グレタの夫)の話。タナツもまた、ブリツェロとの関係がある。ブリツェロというのはこの小説のもうひとりのキーマン、だったのか。

 第六セクション。スロースロップ。このあたりから小説はさらにパラノイア的展開になるというか、とつぜんに<未来都市>の話に飛んで行ったりする。その未来の架空の物語で、スロースロップはマートル、マクシミリアン、マルセル、そしてスロースロップとは<フラウンダリング・フォー>というスーパーヒーロー四人組を構成し、<父の脅威(パターナル・ペリル)>という敵と戦っている。‥‥実はこうやって、スロースロップの実体はこの作品の中で消えて行きつつあるのだろうか?
 ●低周波リスナー:スロースロップはUボートのエスクアリドーシと連絡を取ろうとしている?
 ●スロースロップ・ママのケネディ大使への手紙:一方にのちのアメリカ大統領のジョン・F・ケネディ、一方にスロースロップ。
 ●「うしろケツ」なる表現について:ゾイレがスロースロップに英語の慣用句について聞く。ボーディーンも登場。パラノイア極まれり。 今日はここまで。555ページまで。


 

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■ 2017-12-18(Mon)

 夢をみた。わたしは夢の中での新しい勤め先から、何段にも重なった丸い重箱入りの寿司をもらい、それを食べている。そこに母が来て、わたしは「こういうことをされるとすぐに騙されて(懐柔されて)しまってね!」などと話すのだけれども、母は「いいじゃ〜ないの」という。母が、父はどんな仕事のやり方をしていたのかを話してくれる。それは、夢の中でわたしがやっている仕事のやり方と似ているところがあるように思った。

 今日は寒い。東京でも最高気温は十度に届かず、「冬日」になったという。そろそろ「冬至」の日も近い。冬本番。「2017年もそろそろおしまい」と、この日記の「おさらい」を見返して、「どんな舞台を観たか、どんな映画を観てどんな本を読んだのか」チェックしてみたら、引っ越しする前(火災の前)に観た映画の記憶が、まるで抜け落ちてしまっているのがわかった。転居のあとに読んだ本で思い出せないものもあるけれども、とにかくは転居前の記憶の脱落がひどい。まだまだ自分の「記憶力」というのはダメなままなのか、「火災」〜「引っ越し」という、とんでもない「非日常」を経ての一時的なことなのか、これはしばらくは様子をみなければわからないところもある。「正常」になっていることを、祈る気分である。

 寒さもあるし、今日の夕食には前からつくろうと思っていた「トマトシチュー」にトライしてみた。カレー/シチュー用に売られていた牛肉、タマネギ、ニンジン、ジャガイモと、カレーをつくるときと同じ材料。これにトマト缶と生のトマトを足し、味付けはコンソメスープとトマトケチャップだけ。「どうかな〜」と思ったけれども、出来上がった赤いシチューは思った以上に美味に仕上がっていた。これは、わたしの自炊歴の中でもトップに躍り出るようなおいしさだと思った。生トマトのすっぱさが効いていて、わたし好みの味。使った調味料もシンプルなものだし、香辛料など何も使っていない。これは工夫したらもっとおいしくつくれるだろうか。またやってみたい。

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 材料費は牛肉が値引きされていたヤツで250円ぐらい、それにトマト缶は100円以下で買えるし、タマネギ、ニンジン、ジャガイモ合わせて100円にもならないだろう。2個使った生トマトはちょっと高くって150円かな? トータルでこの計算だと600円だけど、まあ500円ちょっとだろう。これで三食か四食ぐらいいけるだろうから、安いものだ。それにルーを使ったカレーなんかより飽きがこないだろう。大成功のクッキングではあった。

 夜は寝るときに「怪談」を読む。今夜は「青柳ものがたり」、「十六ざくら」、「安芸之助の夢」の三つを読んだ。この短編集には「人の魂が<木>に乗り移る」というような作品が複数あるけれども、「十六ざくら」もそういうもののひとつ。そして「青柳ものがたり」は「木の精が<人>の姿をとる」というもの(この作品はいちばん好き)。「安芸之助の夢」は人が夢で蟻の世界に入り込んでしまうという、ユニークなものだった。
 寝ながら本を読んでいるときから、ニェネントがわたしの寝ているふとんの上にあがってきて、わたしの足の上のところで丸くなる。ちょっと重たい。そのまま寝てしまい、夜中に目覚めると、まだニェネントはわたしの上にいた。次にトイレに行きたくて目覚め、起きたときもニェネントはふとんの上にいたけれど、わたしがトイレに行くのでふとんをめくったので、ふとんから降りてしまった。

  

 

[] 第四部「カウンターフォース」(1)  第四部「カウンターフォース」(1)を含むブックマーク

 エピグラフは、この作品発表当時(1973年)の大統領、ニクソンの言葉「なんだ?」という言葉だ。

 第一セクション。スロースロップはどんどん変化して行くのだ。「スロースロップとは<何>か?」彼は自らクロスロードになる。いろんな情報のつまっているセクション。

 第二セクション。バイクに乗ったロジャー・メキシコの久々の登場。ジェシカといっしょである。彼は<ホワイト・ヴィジテーション>に立ち寄って別れを告げ、今はスロースロップを追っている。「あのかわいそうな男を、あのまま放っておくわけにはいかないだろう? 彼らに葬りさられようとしているんだぞ――」

 第三セクション。エディ・ペンシエロ上等兵という人物が登場。これからの物語に絡んでくる? そしてこのあと、「電球バイロンの物語」になるのだけれども、今日はここまで。どんどんわからなくなってくるぞ。 478ページまで。


 

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■ 2017-12-17(Sun)

 このところずっと思ってることだけれども、まず、睡眠の取りすぎだと思う。今は毎日夜の八時にはだいたい床について、朝は四時に起きる。つまり八時間睡眠でちょうどいいと思うのだけれども、土曜日曜の仕事が休みの日はだいたい五時頃まで寝ていて、それだけで充分すぎる睡眠時間なのだけれども、その上に二時間とか三時間の午睡を取ってしまう。つまり、一日に十時間以上寝ている。午睡とか取れば夜になってなかなか眠れなくなるのが普通ではないのかと思うのだが、せいぜい九時には寝てしまう。これが<休日>。
 そして、仕事のある日でも、仕事を終えての帰りの電車の中で本を読んでいると、猛烈に眠くなってしまう。ウトウトとなって、手に持っている本を床に落としてしまうこともある。ちょっとばかし、異常なんじゃないかと思う。しかし「ナルコレプシー」とかいうのとは違うみたいだし、どうもわからない。寝すぎるということはその過剰な睡眠の分、時間を損したような気分になってしまうので、なんとかしたいわけ。こんどかかりつけの医者に聞いてみようかと思う。

 そして、もうひとつ。「いつも何か食べていたい」という欲求。前はスナック菓子とかを食べていたのだけれども、経済的ではないので、今はトーストパンにマーガリンを塗り、ハムをのせて食べる。これを午後の昼食のあとに二枚、夜になっても夕食のあとにまた一枚食べたりする。「本来の食事量が少ないからおなかがすくのか」と、今は食事量も以前より増やしたつもりなのだけれども、やはり口寂しい。しかもそれで、(今のところ)まるで体重が増えたりするわけでもない。逆に以前よりも痩せた感じで、前はキツかったアンダーも楽にはけるようになったし、「楽にはける」を通り越して、この頃は「ゆるゆる」って感じにもなった。これももちろん「過食症」などというレベルのものではないのだけれども、あまり「正常」という気もしない。このことも医者に聞いてみるべきか、って、ちょうどよく、「健康診査」をやりましょうという案内が市から来ていて、コレを年内にやることになっている。ま、異常があればそれでみつかるわけだろうか。

 そういうわけで今日も昼寝をし、ごはんも、昨夜の「おでん」の残りでたくさん食べた(こう書くととっても健康みたいだ)。でも今日は、ふだんの休日にはやろうと思っていてもなかなか出来なかった「読書」を、それなりに出来たから、これは「進歩」である。「重力の虹」の第三部を読み終え、「怪談」も読んだ。今日読んだ「怪談」は、「むじな」、「ろくろ首」、「葬られた秘密」、「雪おんな」の四編。ほんとうはもっと読める感じだったけれども、明日以降の「お楽しみ」に取っておいた。
 「むじな」は、これはひょっとしたら落語にこういうのがあったんじゃないか?と思う。「ろくろ首」はおそろしい話だけれども、さいごに登場する「賊」が、意外と信仰心の厚い「いいヤツ」なのでほほえんでしまう。「葬られた秘密」は、ちょっとヨーロッパの怪奇譚的な空気? 「雪おんな」は誰もが知る話。これも「秘密」ということがひとつのキーになっていて、ラフカディオ・ハーンが興味を持ったというのもわかる気がした。

  

 

[] 第三部「イン・ザ・ゾーン」(10)  第三部「イン・ザ・ゾーン」(10)を含むブックマーク

 第三十セクション。ライル・ブランドとは何者? 彼は第一次世界大戦後から暗躍するフリーメイソンの一員で、心理学の研究者らしい。フランツ・ペクラー、その他<Sゲレート>の連中ともコネクションを持つこの男、実はスロースロップのおじでもあり、スロースロップの少年時代から、彼のことをずっと監視しているのである。またわけがわからなくなってきた。さらにいろいろな人物が登場してくることになるのだけれども、このライル・ブランド、<幽体離脱>をマスターすることになる。その体験は壮大な修行の旅であり、彼は<地球>がひとつの命を持つ生きものだということを知る。
 「・・・<重力>というものも、長年何の疑問も持たずにいたが、なんとも得体のしれない、救世主(メシア)的な、<地球>の心体(マインドボディ)の中の超感覚的なものと知った・・・」
 そして彼は、次の幽体離脱が「永遠の旅」になることを悟り、家族にそのことを告げて「永遠の眠り」につくのだった。

 第三十一セクション。場所はついにクックスハーフェン。スロースロップが、<豚のヒーロー>の着ぐるみのまま到着している。そこに船乗りボーディーンもやってくる。どうやらスロースロップは<プッツィの館>というところへ行き、シュプリンガーに会わなければならないらしい。ボーディーンらとともにその<プッツィの館>へ行くが、シュプリンガーの姿はない。なぜかマーヴィ少佐までここに来ている。そこへスロースロップを追うMPの一団。マーヴィ少佐もまた、ハッシシの件で自分が追われているのだと思ってしまい、スロースロップが脱ぎ捨てていた豚の着ぐるみを着込んでごまかそうとする。ところがマーヴィは捕えられ、麻酔注射されてその場で睾丸を切り落とされてしまい、イギリスへ送られてしまう。マーヴィ少佐はこれでオシマイ。

 第三十二セクション。またチチェーリン。彼の目的はエンツィアンをみつけること。そのためにスロースロップを利用していたが、もうスロースロップを追う必要はなくなったのか? 第三部終了。420ページまで。


 

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■ 2017-12-16(Sat) このエントリーを含むブックマーク

 書くのを忘れていたけれども、一昨日、昼食をとる前に、職場の近くにあるらしい「泉鏡花旧居跡」というのを探してみた。これはこのあたりのマップをみていて見つけたのだけれども、正確な場所はマップではわからない。ネットで検索すると番地までわかったので、その番地を頼りにして探した。ちょっと裏道に入ったところの、建物のあいだの空き地のようなところに「碑」と銘文があった。それだけ。空き地にはクマザサとかが生えているのがなんとなく雰囲気か。同じ場所に、泉鏡花のあとに北原白秋も住まっていたらしい。坂の中腹で、むかしは眺めのいいところだっただろうか。

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 むかしは図書館で泉鏡花の全集を順に借り、けっこうたくさん読んでいるはずだけれども、アレのせいですべて記憶に残っていない。来年はまた、泉鏡花の作品をいろいろと読んでみようかという気になった。

 今日は土曜日で仕事も休み。それでも朝はやはり五時前に目覚め、なんだかんだと。そうやっているとFMで「ウイークエンド サンシャイン」、そのあとは「世界の快適音楽」が始まり、エアチェックしながらも聴く。放送が終わって、ではエアチェックしたMDを聴いてみようとしたら、またもやMDが不良で録音されていなかった。最近はこういうのばっかり。まだカセットテープの方が信頼出来るわけで、今はまたカセットテープが注目されているという。でも、四時間近い長さでいちどに録音出来るのはやはりMDの「強み」だからなあ。もうMDの生産がストップされてしまったことは残念。‥‥そう考えると、CDというメディアもまた脆弱なモノなわけだから、何十年かあとにはきっと、CDというモノも消えてしまうのではないかな。ではやっぱりヴィニール盤レコード? いや、きっと音楽はパソコンの中のデータになってしまうのだろう。そうすると「ジャケット」というものはなくなってしまうのか。それは淋しいというか、データ参照的にもまずいだろう。

 午後から早いうちに買い物に出かけ、「m」で食パンと、半額になっていた「おでん」セットとを買う。今夜は「おでん」。きっと明日も「おでん」だ。

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 買い物から帰って、「本を読もう」とベッドに横になって本を拡げるけれども、やはりあんのじょう、そのまま眠ってしまうのだった。目覚めるともう五時で、また三時間の午睡。いくら何でもこのところ、睡眠の取りすぎではないかと思う。

 夕食はもちろん、昼間買った「おでん」。ジャガイモとゆで卵を追加して、ボリュームいっぱい。しかし、「おつゆ」がついていないセットだったので、あわてておでんのおつゆのつくりかたをネットで調べる。ふむ、ちょっとひと味足りないような出来上がりだった。もちろん今日だけでは食べきれないので、明日もまた「おでん」だ。

 ニュースを見ていると、オーストリアでも、ネオナチ的な極右政党が現在の第一党の中道右派と連立政権を樹立するというニュース。つまりは「難民」の排除である。ドイツでも極右政党が躍進してしまっているし、アメリカの今の大統領はトランプだ。そして、日本の安倍政権もまた、これは極右指向ではあるし、ネットをみると「コレはネトウヨだね」、というような発言ばかりが目立つ。先日観た「希望のかなた」のことが思い出されるけれども、この日本にもレイシストがあふれているわけだし。そしてリベラルなスタンスは「反日」と攻撃されることにもなっている。「おいおい、いったい今は1930年代なのかよ?」と思ってしまうのだけれども、これはリベラル側にも問題はあるだろう。たとえば先の都知事選に革新側候補として立候補した人物など、その発言にロジックを見出すのはむずかしい。リベラル側の人物で「ネトウヨはバカ、彼らの論理などすぐに論破してくれるわ」というような発言もあったけれども(実はわたしの知人がFBでじっさいにいっていたこと)、これははっきりいって無理というか、「ネトウヨ=バカ」という等式は捨てておかないといけない(ほんとうに「バカ」もいるだろうけれども、それはリベラルの方も同じことである)。逆にネトウヨの質問攻撃に答えられずにタジタジとなってしまうのはリベラル派の方だ、というのが今の国際情勢ではないのか。まさに「現実」と「理想」との衝突の世界なのか。けっきょく、先日観た「希望のかなた」のように、「<ノン!>というより先に、(アチラをごまかしてでも)自分の出来ることをやろうではないか」というのが、ひとつの選択として生きてくる。

  

 

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■ 2017-12-15(Fri)

 今日は曇天で寒い。同じ気温でも、晴れているのと曇っているのでは大違いだ。今日は待望の銀行への振り込みがある日。まずは今日で期限の切れる通勤定期を買わなければならないので、さっそく引き出しておかなくてはならない。仕事から帰宅して、午後から我孫子の方にある銀行の支店へ行くことにする。昼食はストックしてあったインスタントの「上海焼きそば」をつくる。キャベツやタマネギ、ウィンナなどを入れて、なかなかにおいしかった。残りはあと二袋。

 外に出るとやはり曇天だけれども、なんだか細かい雨も降ってきたみたい。傘を取りに帰ろうかとも思ったけれども、空の雲は薄くなってきていて、青空ものぞいているから「そんなに降らないだろう」と、そのまま出かけた。
 歩いていると少し雨も強くなってきた。傘をさして歩いている人が多い。それでも、空は青空が拡がって陽も照ってきた。こういうのを「狐の嫁入り」というんだっけ。

 銀行に近くなってふと北の方をみると、きれいな「虹」の円弧がみえた。やあ、これはみごとな虹だなあ。雨が降って陽が照ると「虹」が出やすいよね。‥‥写真を撮っていると、そんなわたしを見て、あたりを歩いている人とかも「虹」に気づいたみたいで、やはりケータイで写真を撮ったりし始める。

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 ‥‥「虹」、ねえ。今の勤め先でも、陽が照っていれば毎朝ガラス越しの人工の「虹」を見ているし、今読んでいるのは「重力の虹」だし、意外と、今のわたしのキーワードは「虹」なのか。わたしの人生にも「虹の架け橋」を!

 帰宅して、夕食はパスタでちゃっちゃっとすませ、けっきょくそのまま寝てしまった。今日も就寝前の読書はなし。

  

 

[] 第三部「イン・ザ・ゾーン」(9)  第三部「イン・ザ・ゾーン」(9)を含むブックマーク

 第二十五セクション。スロースロップは西へと向かう。向かう先はクックスハーフェン。って、そこに行くと何があるんだっけ? 彼はやはり西の、ロストックの難民キャンプへと向かう途中の、さまざまな民族の難民の群れといっしょになる。タンティヴィの夢をみるスロースロップ。スロースロップの先祖の話。
 旅の途中でスロースロップは、ルートヴィヒというデブの少年と出会う。ルートヴィヒは、行方不明になった飼っていたレミングのウルズラを探している。二人は毛皮をかかえた少女に出会い、ルートヴィヒはその毛皮がウルズラのではと思うのだが、少女は「グレイ・フォックス」の毛皮だという。二人は少女について行き、教会の地下への階段に‥‥。そこには、マーヴィ少佐の顔があった。

 第二十六セクション。マーヴィ少佐は、ブラッディ・チクリッツという男といっしょ。チクリッツもデブである(しかし、ピンチョンの作品の登場人物らは、皆デブばっかりだ。どうやらスロースロップもけっこう太ってるようだし〜「デブ」そして「ロケット」というと、いよいよもって「北朝鮮」なのだが‥‥)。ここにもチチェーリンの名が。‥‥そうだ、スロースロップは<イミボレックスG>、<Sゲレート>を探していたのだった。
 スロースロップは<黒の軍団(シュヴァルツコマンド)>と出会う。エンツィアンはいないが、アンドレアスの姿が。

 第二十七セクション。ネリッシュはどうやら、チチェーリンの捕虜になっているらしい。進行するマーヴィ少佐とチクリッツ。

 第二十八セクション。スロースロップはマーヴィ少佐らと別れ、ルートヴィヒともはぐれてひとり、ヴィスマルというところ。ここで子どもたちに祭りの<豚のヒーロー>にまつり上げられる。ここからのスロースロップは<豚のヒーロー>。歩いて行くと、じっさいに豚が旅の連れ合いになる。豚に導かれるように行き着いたのは、あの「ツヴェルフキンダー」。そこには、ペクラーがいたのだった。スロースロップはペクラーの話を聞く。

 第二十九セクション。ペクラーの話の続き。映画の話、そして化学の話。その話にライル・ブランドの名前が出る。351ページまで。


 

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■ 2017-12-14(Thu)

 (こういうことばかり書いているけれども)ようやく明日で経済的に窮地を脱せられる。それで財布の中に残っているお金と相談して、今日は久しぶりに映画館へ映画を観に行くことにした。映画館は渋谷のユーロスペースで、映画はアキ・カウリスマキ監督の「希望のかなた」。カウリスマキ監督の作品はいろいろと観ているわけで、なんとなく監督のタッチ、テイストは記憶しているけれども、個々の作品のことは、例によってまるで記憶から消えている。

 映画のスケジュールを調べて、仕事を終えたあとに昼食をとって行けば、ちょうど一時からの上映に間に合うし、早くに帰って来れるので、そのように動くことにした。
 まずは仕事を終えたあと、昼食。そこまでに余裕もないので、近くの日高屋でと思って店に入るとけっこう混んでいて、店の女性が「カウンター席へ!」とぶっきらぼうにいうので、なんだかあまり気分良く食事出来ないなと、別の店に行くことにした。いちおう低価格を売りにしている店でも、客への最低限のサーヴィスの気もちは示してほしい。入り口をくぐってきた客には、まず「いらっしゃいませ」ぐらいのリップサーヴィスはしてほしいわけだ。
 JRの駅の方に行けばいろいろと店もありそうなので、駅のそばのビルへ入るとレストランなどはたくさんある。そろそろ十二時も近く、どこの店も混みはじめている。「やっぱり中華がいいな」と、メニューと値段とを見比べてそんな店へ入り、けっきょく「チャーハン」を注文。そんなに安くなかったし、もう百円出せばランチセットでおいしそうなメニューもあったみたい。ま、店の感じは良かったのでOK。

 渋谷に出るにはやはりJRが早くて安いので、JRで移動。渋谷の駅前は「そろそろクリスマスで年末よ」という感じで人にあふれている。この頃はウチの近くの「柏」ぐらいにしか出かけないので、人の波に圧倒される。わたしは千葉から出て来た田舎者である、という感じ。
 それで映画を上映している「ユーロスペース」へ向かうのだけれども、前にも書いたことだと思うけれども、わたしには渋谷の映画館でその「ユーロスペース」と「イメージフォーラム」とを混同しがちで、ここにひょっとすると「アップリンク」も加わってきて、わたしを迷わせる。今日も先に自宅で映画館のことをよく調べておいたから間違えなかったけれども、調べる前には「あの<こどもの城>の前を入ったところにある映画館ね!」と思い込んでいて、また間違えるところだった。

 映画館に無事到着。平日の昼の回なので、ほとんどシニアオンリーというところ。上映スペースも小さいのでほぼ満員。

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 ‥‥うん、楽しくって、それでいろいろと考えさせられる映画だった。ちょっとパンフレットも買いたかったけれども、それはお財布クンと相談してみて断念。帰りはちょっと<セブンイレブン>に寄って買いたいものがあったので、その<セブンイレブン>を探すのだけれども、コレがなかなか見つからない。<ファミリーマート>はどの通りにもすぐに見つかるぐらいあふれているのに、探すのに苦労した。それでようやく見つけて入ってみても、買いたいものが置かれてなかったり。「ま、いいや。宮益坂を上って、<神宮前>の駅から乗れば乗り換えなしで帰れるし」と、かなりの距離を歩いた。その神宮前の近くの<セブンイレブン>でようやく欲しかったものを見つけ、あとは帰路に。

 途中、南柏の駅で途中下車して、駅前にある「S」の姉妹店のスーパーに立ち寄る。このスーパーは「S」と同じく、木曜日は全品一割引きになるし、かなり格安の自社ブランド製品も置かれている。今日の目的は、先日「DQ」で買い物に失敗したマーガリンを買い直すため。ついでにハムも買う。‥‥今のわたしは、昼間にとか何か口さびしくなったとき、いつもトーストを焼いてマーガリンを塗り、ハムを乗っけて食べるのが習慣になってしまった。それで食パン、マーガリン、そしてハムの消費量がかなりのものになっている。いくら買っても「買いすぎ」ということもない感じで、マーガリンは二ケース買う(さすがにハムは消費期限があるのであまり大量には買い込めない)。

 帰宅してまだ五時半ぐらい。ニェネントが「ごはん」を待っている。きのう娘にもらった「カリカリ」を、「食べてくれるだろうか?」と出してみる。ニェネントは産まれたときからずっと、何でも「カツオ味」ばかりで、わたしは勝手に「ニェネントはカツオ好き」と決めてかかっているのだけれども、今日は「カリカリ」の「マグロ味」の方の封を切ってみた。ニェネントのお皿に出してあげると、ニェネントはいっしゅん、「???」という感じで皿に盛られたカリカリの匂いをかいだりしてる。「あら、やっぱりダメなのか」と思ったけど、すぐに食べはじめてくれてひと安心。ニェネントくん、これからしばらくは「マグロ味」ですよ。

 今日も、「怪談」の先は読めなかった。


 

[] 「希望のかなた」アキ・カウリスマキ:監督  「希望のかなた」アキ・カウリスマキ:監督を含むブックマーク

 優しさと、そしてユーモアにあふれた作品。これは「ファンタジー」ととらえるべき映画だろうけれども、「現実」へのまなざしがあっての「ファンタジー」。

 シリアから密航してフィンランドへやって来た青年カーリド。カーリドは「難民申請」するけれども、認められずに国外追放を前提に収容所に入れられる。そこで同国出身の(?)親切な青年マズダッグと知り合い、活路が開ける思いがする。カーリドは逃亡の旅の途中ではぐれてしまった妹を探したいと思っている。収容所を脱走するが行き場のないカーリドは、あるレストランの前のゴミ捨て場にうずくまる。そこに、レストランのオーナーのヴィクストロムが来て彼を見つける。ヴィクストロムは、人生をやり直そうと妻と別れて、レストランをその三人の従業員ごと買い取っていたのだった。カーリドを雇うことにするヴィクストロム。しかし、フィンランドにもまたレイシストはいて、難民を攻撃していた。

 ここでカウリスマキが提示した「方法」には(一般に)異論もあるのではないかと思うけど、ここ日本でも(「難民」に関して)まったく同じような問題は起こっているし、今後ももっと大きな問題になってくるのだろう。

 カウリスマキがいってるのは、「政府とかがマトモな対策を取ろうとしないなら、そのことに<ノン!>というより先に、(政府とか警察とか何とかはゴマカしてでも)個人レベルで出来ることがあるんじゃないかな?」ということではないかと思った。うん、それが「人間」かな?!って思えた。レイシストの存在とか、描かれているのは今の日本と共通することが多い。それだけに、こうやって日本(東京の近く)に生活するわたしのような人間にも、「もしも目の前に<難民>があらわれたら、助けてやれるんじゃないかな? 助けられることが何かあるんじゃないだろうか?」と思わせられる。

 この映画のサイトに、カウリスマキ監督のメッセージが掲載されていて、それがとってもいいので再録。

私がこの映画で目指したのは、難民のことを哀れな犠牲者か、さもなければ社会に侵入しては仕事や妻や家や車をかすめ取る、ずうずうしい経済移民だと決めつけるヨーロッパの風潮を打ち砕くことです。

ヨーロッパでは歴史的に、ステレオタイプな偏見が広まると、そこには不穏な共鳴が生まれます。臆せずに言えば『希望のかなた』はある意味で、観客の感情を操り、彼らの意見や見解を疑いもなく感化しようとするいわゆる傾向映画*1です。

そんな企みはたいてい失敗に終わるので、その後に残るものがユーモアに彩られた、正直で少しばかりメランコリックな物語であることを願います。一方でこの映画は、今この世界のどこかで生きている人々の現実を描いているのです。

 カウリスマキ監督の演出は、俳優たちを真正面からで〜んと捉え、そんな俳優たちは「無表情」に淡々とストーリーを進めて行くようにみえる。そんな中で、カーリドとマズダックとの「熱い」演技が印象的。日本びいきの監督らしい、爆笑ものの「寿司ネタ」、そしてかわいい「イヌ」。愛すべき映画だと思った。また観たい。


 

[] 第三部「イン・ザ・ゾーン」(8)  第三部「イン・ザ・ゾーン」(8)を含むブックマーク

 第二十一セクション。エンツィアン、アンドレアス&クリスティアン。エンツィアンはわかるけど、他の二人の名前は記録していないな〜。わからない。<空無派(エンプティ・ワンズ)>を探している? クリスティアンの妹、マリアを探している?

 権力の源泉を、その分配ネットワークを、探らなくてはならない。学校の教師らには想像もつかない――それとも避けて通るように指示されているのか――権力の回路を・・・この世に知られていない尺度を計測するメーターを、見出さなくてはならない。我ら自身の理解を明確に図式化し、フィードバックを得て、コネクションを作り、エラーを減らして、真の機能(ファンクション)の習得に努めること・・・

 第二十二セクション。フラウ・グナープの船に戻ったスロースロップら。シュトラールズントの波止場に到着する。

 第二十三セクション。<ホワイト・ヴィジテーション>にて、カッチェ。プディングは病死したらしい。カッチェは古いフィルムからメッセージを読み取る。オズビー・フィールの意図だろう。ちょっと読むのがあやふやになってきた。

 第二十四セクション。プレンティス、カッチェ。いよいよわからなくなってきた。290ページまで。


 

*1:傾向映画とは1920年代にドイツおよび日本でおこった、商業映画の中で階級社会、および資本主義社会の矛盾を暴露、批判した左翼的思想内容をもつプロレタリア映画。

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■ 2017-12-13(Wed)

 「今年の漢字」というのが発表され、それが「北」なのだということ。‥‥ふむ、何かおかしくないだろうか。誰でも「北朝鮮」のことを思い浮かべるのだけれども、選出理由は他に「九州北部豪雨」とか、「北海道産ジャガイモの不作」とかだという。ま、いっしゅ「災害」だけれども、そんな中で特定の外国を対象にして、「今年はあんたの国だよ〜」というのはおかしいというか、なんだか危険じゃないのか。つまり、今年の日本は、「北朝鮮」を「今年はあんたの国ね」と選んでるわけだけれども、それは「日本の敵は<北朝鮮>」と、まるで宣戦布告しているようなものではないかと思ってしまう。
 たとえば、反日意識の強い韓国で、「今年の漢字は<日>(今は韓国は漢字は使わないけれども)」などとやったら、日本の嫌韓連中は大騒ぎすることだろう。そういうことを、日本は<国>をあげてやっている。

 そういうことが面白いわけではないけれども、わたしの「今年の漢字」を挙げるとするなら、やはり「転」かなあ。「転居」、「転職」と重なったしね。ホントは、生まれて初めて身近に「火災」を目撃したから(わたしも「罹災者だった」)、「火」でもいい。あとになってこの年のことを思い出せば、あの火事のことを思い出すだろうな。やはり、「火」の方が合っているかも。

 さて、毎日メトロを使っていて思うのだけれども、メトロへの地下通路というのは、場所によって「右側通行」であったり「左側通行」であったり、歩いて行くとコロコロ変わるのである。特に仕事を終えて帰るとき、メトロへの入り口のところの階段では「ここでは<右側通行>」と書かれているのだけれども、それで地下に降りて歩いていると、いつの間にか「左側通行」という表示に変わってしまう。これは階段の部分では階段のまわり方で、死角になってしまうコーナーから不意に人が現われて衝突するのをふせぐためというのは理解出来るし、その他の部分では改札からの経路で「左側通行」の方がスムースに人が進めるという計算なのだろうと思う。では、右側通行で階段を降りて、それでもっていったいどのポイントで左側通行に移行するのか、歩いていると考えてしまう。ま、普通はそんなに「人ごみ」というわけでもないから、途中はどこを歩いてももんだいにならないわけではあるけれども、歩いていて、前から来る人と真正面から向き合ってしまうようなケースはある。もしも仮に、この地下通路が渋谷のスクランブル交差点みたいに人の波で埋まってしまうとしたら、いったい人はどのように動けばいいのだろうか、などと考えてしまったりする。

 今日も天気予報では「寒くなるよ〜」といっていたのだけれども、昼には晴天になり、陽射しのおかげでそんなに寒いという感覚でもなかった。でももう十二月も中旬。「冬」真っ盛りなんだな、と思う。

 さて、とにかくはあさってになれば、今の困窮状態からひとまずは脱却。なんとかしのいだな、という感じではあるが、ほんとうは20日にさいしょの給与をもらうまでは油断はならないというか、あさっての収入はそんなに自由がきくものでもない(税金や公共料金の支払いに取っておかなくてはならないモノなのだ)。そういうわけで、今日の昼食はトーストにパスタソースやゆで卵、トマトやハムをはさみこんだトーストサンド、夕食はまた同じパスタソースを使ってのスパゲッティですませた。夕食を終えたらベッドにもぐりこみ、ハーンの「怪談」を読もうと思っていたけれども、何行も読まないうちに眠くなり、そのまま寝てしまった。


 

[] 第三部「イン・ザ・ゾーン」(7)  第三部「イン・ザ・ゾーン」(7)を含むブックマーク

 第十七セクション。マルゲリータの「独白(?)」。ここにもブリツェロとゴットフリートの名前が。マルゲリータ〜ビアンカと、カッチェ〜イルゼという「相似形」。

 第十八セクション。アビヌス号から落下するスロースロップ。

 第十九セクション。フラウ・グナープとその息子オットーの船に救出されるスロースロップ。「女傑」っぽいフラウ・グナープは、なんだか「ラピュタ」のドーラ一家のドーラを彷彿とさせられるところがある。この、オーデル河を北上する非合法運搬船には、コーラスガールたち、楽団連中、そしてチンパンジー演芸団一座とその興行主ハフトゥング、そして大量のウォッカが積み込まれている。しかも、なぜかシュプリンガーも乗っている。ネリッシュという男も乗っていて、あとで絡んでくるのだけれども、彼はやはりロケット開発の「慣性誘導」の専門家だと、あとでわかる。その話の中で、チチェーリンの名前も出てくることになる。ネリッシュと、シュプリンガーの対話。そして船はいよいよバルト海へとい出て、ドイツのロケット試験発射台のあったペーネミュンデへと。
 そこでフラウの船にロシア軍兵士が。ジターエフ少佐という男はシュプリンガーのことを互いに知っているらしいのだが、ここでシュプリンガーはジターエフ少佐に拉致されて船から連れ出されてしまう。そして、船の中では皆が(チンパンジーまでも)ウォッカを開けて飲んで、乱痴気騒ぎになりそうである。そんな中、ネリッシュとオットーとスロースロップは、「シュプリンガー救出作戦」を実行しようとする。

 第二十セクション。オットー、オットーのガールフレンドのヒルデ、ネリッシュ、そしてスロースロップの「シュプリンガー救出作戦」。そこにハフトゥングも協力? ‥‥一服盛られて酩酊状態のシュプリンガーを発見したスロースロップらはシュプリンガーを救出し、ネリッシュは一人残って命を張って、シュプリンガーの救出に賭けるのだった。ネリッシュ、カッコいい!(ちょっと読み方がいいかげんになってきたぞ)。231ページまで。


 

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■ 2017-12-12(Tue)

 古いMDを出してきて、「もう消してしまって上書き出来るようなものはないものか」と、内容をチェックしていると、ずいぶん以前の「ウイークエンド サンシャイン」で、Bristol Sessionsの特集をやった回の録音が出てきた。Bristol Sessionsとはつまり、1920年代にアメリカでさいしょに録音されたカントリー・ミュージック。聴いているとまだまだアイルランドやイギリスの影響の強い録音が多くて耳に心地よく、ついついさいごまで聴いてしまった。このMDは「永久保存版」かな。

 今日は娘が、会社で廃棄処分なのだという賞味期限を過ぎたキャットフードの「カリカリ」や、人間さまも食べられる食料品などをくれるというので、彼女の利用する駅まで、彼女の帰宅時間に合わせて受け取りに行った。なんだかたくさんありそうなので、キャリーバッグを持って行ってみたけれども、カリカリの2kgの袋がふたつあったので、やはりキャリーを用意して行って正解だった。カリカリはけっこう賞味期限も過ぎてしまっていて、「どうかな〜」と思ったのだけれども、つまりは風味のもんだい。味覚音痴(にちがいない)ニェネントはきっと、気にしないことだろう。ありがたいことである。人間用にもいろんなレトルトパックをもらったけれども、こっちも食べるヤツは味覚音痴にちがいないからもんだいはない。
 カギをなくしたときに世話になったり、ギフトカードを送ってもらったりと、このところ娘にはいろいろと世話になりっぱなし。

 それで駅に近い中華の店に入って食事をし、しばらく話をしたりしたんだけれども、ふむ、その店で頼んだ「上海焼きそば」は、はっきりいってほとんどおいしくなくって、前に「ラ王」が出してすぐに発売をやめたインスタントの「上海風焼きそば」だとか、わたしが自分でつくる上海焼きそばの方がよっぽどおいしいのではないかと思ってしまった。残念。

 娘と別れて帰路に着いてからも、「なにか口直しにおいしいもの食べたい!」という感じで、帰りの道沿いにあるコンビニに寄って「パストラミビーフ」を買い、帰ってからちょいアルコールを飲みながらつまんで、それから「しばらくは夜はコレね!」というラフカディオ・ハーンの「怪談」を読んで寝た。今日読んだのは「うばざくら」、「かけひき」、「鏡と鐘」、「食人鬼」の四編。いかにも「怪談」というのは「食人鬼」で、あとは「いい話」であったり、イギリス人とかの好みそうなウィットを交えた話とか。「鏡と鐘」では話者自体が終わりに姿をあらわし、読者に謎を持ちかけたりするけれど、このあたりやはり「イギリス人」という感じもした。


 

[] 第三部「イン・ザ・ゾーン」(6)  第三部「イン・ザ・ゾーン」(6)を含むブックマーク

 第十二セクション。スロースロップはマルゲリータとロシア占領地区にいる。このあとはゾイレ・ブマーにハッシシを受け渡しに行く。彼はどうやら今はアンチ=パラノイアのサイクルにいると。ゾイレに会ってみると、報酬の百万マルクはなくなったという。しかし代わりに、シュプリンガー(あの映画監督のゲアハルト・フォン・ゲール)が、スロースロップのために<黒の装置(シュヴァルツゲレート)>を入手してくれると。ここでゾイレとグスタフという音楽家との、「ロッシーニとベートーヴェンとどちらがすぐれた作曲家か?」という論争。そして、アントン・ヴェーベルンが米兵に撃ち殺されたというニュース。マルゲリータのもとに戻ったスロースロップは、その夜に気がかりな夢をみる。

 第十三セクション。独軍の<無鉄砲(リュックズィヒツロース)号>の話。この船は「トイレット専用艦」。ココの話はよくわからないのだけれども、脚注によればこの艦に乗っているアファトファーゲンという男(彼もロケット開発に関わっている)が<黒の軍団>に捕まって「00000号」に関する審問を受け、妄想をふくらませているというセクションらしい。わかんね〜よ!

 第十四セクション。スロースロップとマルゲリータの旅が始まる。シュプレー=オーデル運河を、スヴィーネミュンデを目指す。スロースロップはゲリーから聞いた<黒の装置(シュヴァルツゲレート)>について確かめたいし、マルゲリータは娘のビアンカがポーランドのルブリン政権からの避難民の中にいるのでは?と思っている。オーデル運河を下ってくる「アビヌス号」に乗ろうとする二人。マルゲリータは無事に乗れるが、スロースロップはあやうく海に落ちるところを、この船の所有者の夫人、ステファニア・プロカロフスカに拾われる。彼女の話ではマルゲリータは無事にビアンカと遭遇し、今は早くもビアンカをスクリーンデビューさせようとしていると。そして、船上ではいつしか乱交パーティーが‥‥。

 第十五セクション。スロースロップの見る「不思議の国のアリス」的な夢。‥‥とはいっても、夢はスロースロップがビアンカと結ばれちゃう夢。

 第十六セクション。船上の乱交パーティーにひとり加わらず、ただ見ていた男、それが大日本帝国海軍のモリツリ少尉。モリツリ少尉はスロースロップに話しかけてくる。モリツリ少尉はどこまでも「見る人」で、彼はマルゲリータの過去をずっと見てきた男なのだ。彼の語るマルゲリータの過去。行方不明になるビアンカ。164ページまで。

 

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■ 2017-12-11(Mon)

 十二月十一日月曜日。あと五日で、とりあえずは今の困窮状態から抜け出せる。まあ財布の中にはそれなりに残っているので、もうそれほどに無理しないでもやりくり出来るだろうと思う。今はカウリスマキ監督の新作が公開されているので、木曜日にでも観に行こうかなと思ってもいる(久しぶりの<映画館>になるなあ)。それでパソコンの調子はいよいよ悪くなり、もうひんぱんに<暴走>するようになっているのだけれども、なんとかだましだまし使っている。新しいパソコンを早く買いたいけれども、これは来年の一月に給料をもらって以降のことになるだろう。それまで最悪なことにならなければいいのだけれども。

 朝の天気予報で、今週はグッと寒くなるといっていたので、厚手のジャケットを着て仕事に出た。おかげで寒さはあまり感じなかった。それで仕事から家に戻ると、ニェネントはわたしのベッドで、わたしの布団の下にくるまって寝ているのだった。やはりネコは寒がりだ。それに、やはりこの家は、前の茨城の家よりも寒いんじゃないかという気がする。それはリヴィングと和室とが前のように続いていなくって、完全に分離されているせいもあるのだろうか。ただそれだけ、リヴィングならリヴィングだけを暖めようと思えば、面積は狭くなるんだから、部屋を暖めるのはたやすいようにも思うのだけれども。まだまだエアコンもあまり本格的に始動させていないことだし、よくわからないが。

 仕事から帰っての昼食は、今日はまだ残っている保存食のドライカレーにした。夕食も賞味期限の切れた保存パックの白米を暖め、冷凍してあった餃子ですませた。今まで餃子というのはあまり冷凍保存しなかったのだけれども、食べてみると冷凍保存したものも充分においしいことがわかった。これからは一パックぐらいはいつも冷凍保存しておいてもいい。

 寝る前は「怪談」を読む。この、ラフカディオ・ハーンの「透明」な文章がいい。「語り部」というものに徹している。そして、平井呈一の訳文もいい。
 この夜は「おしどり」と「お貞のはなし」の二篇を読んだ。‥‥こうして読んでもまったく、以前読んだという記憶も戻らず、まるで初めて読む話である。じっさいにわたしは「怪談」を読んだことがなかったのか、それとも記憶が失せたせいなのか、やはりわからない。でも、どちらも美しい話であった。

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[] 第三部「イン・ザ・ゾーン」(5)  第三部「イン・ザ・ゾーン」(5)を含むブックマーク

 ここから「下巻」ね。うむ、いきなりハードな第十一セクション。おそらくは全体でもいちばん長いセクションで、この部分だけで「涙、涙‥‥」みたいな感動篇。ストーリー展開の上でも重要で、この長篇の中でも「白眉」といえる部分ではないのか。ここではドイツのロケット技師のフランツ・ペクラーが主人公だが‥‥。
 よく憶えていないけれども、第一部にフランツの妻のノラが登場していたセクションがあったけれども、ここでは、フランツの娘のイルゼが生まれた背景には、上巻のさいごに出てくるゲアハルト・フォン・ゲール監督による、マルゲリータの主演する映画が関係していたことから語られる。フランツ・ペクラーはつまり、ヴァイスマン(彼はカッチェとゴットフリートとの変態プレイに興じていた人物)にうまく使われているというか、妻のノラも娘のイルゼもフランツのもとから出奔して行ったあと、ヴァイスマンにいいように使われている。ここにモンダウゲンもからみ、「ロケット」についてあれこれと語られ、エンツィアンの話もでてくる。ノラもイルゼも、今は収容所に収容されているのだが、年に一度、八月になると「成長した」イルゼがフランツのもとに訪れ、そのときにフランツは二週間の休暇を与えられ、イルゼとともに「ツヴェルフキンダー」へと行くことが毎年の通例となる。‥‥しかし、「イルゼ」はほんとうに「イルゼ」なのか。毎年毎年、フランツの記憶にある「イルゼ」像は裏切られる。どうも毎年、年齢だけが合致する少女が交替でやってきて「イルゼ」を演じているようだ。1939年から毎年、フランツとイルゼの「ツヴェルフキンダー」詣では続くことになる。しかし、1945年の夏には、すべては崩壊している。フランツは母娘が収容されているはずの「収容所」を訪れる。そこは「屍」の世界。死臭ただよう収容所の最奥でフランツは死にかけた若い女性を見つけ、フランツは彼女の手に自分の金の指輪を握らせる。もしも彼女が生きながらえてこの収容所から脱出できたなら、この指輪は何らかの「助け」になるのではないか。‥‥フランツと、ロケットとの関係も語られる章。73ページまで。

 

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■ 2017-12-10(Sun) このエントリーを含むブックマーク

 日曜日。今日も好天。今日も夜明け前に目が覚めた。陽が昇る前は、「今日は曇天かな?」という感じだったけれども、明るくなると青空のまぶしい晴天になった。「冬」というのはタダでさえ寒いのだから、せめて天候だけは良くなってくれないといけない。今日も、あまり暖房の必要のない日になった。

 午前中、十時を過ぎるとテレビも面白くないので、「リクエストされた『重力の虹』が来てますよ〜」(これは「国書刊行会」版の方で、つまりは「解説」を読みたいと思ってリクエストを出していたのだ)という図書館の分室に取りに行くことにして、ついでに「お買い物もして来ましょう」とお出かけ。
 まずは図書館へ行き、本を受け取ってちょっと館内を見て歩いてみると、ラフカディオ・ハーンの「怪談」にヤン・シュヴァンクマイエルが挿画(というか「コラージュ作品」)を載せた本などがあって、翻訳も平井呈一と「定番」だったので、「怪談」を読んだ記憶も失せているので、いっしょに借りることにした。この「怪談」も国書刊行会の本なので、国書刊行会ずくめ、である。
 図書館から近くのスーパーへ歩く道沿いに、大きな柑橘系の実の生っている木があった。「マルメロかな?」と思ったけれども、マルメロって、日本でも生えてるんだっけ?

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 スーパー「食品館」でインスタント・コーヒーと半額になってた鶏肉、キャベツなどを買い、帰り道に「m」に寄ると、二割引きになっていた食パンがあった。それと半額になっていた肉まんとかを買い、家に帰る。歩いたのは5500歩だった。昼食はインスタントのチャンポンにして、玉子や買って来たキャベツ、鶏肉、冷凍してあったイカなどを入れる。おいしかった。

 昼食をすませると眠くなり、またまた午睡。なんだか、ほんとうに寝てばかりだ。‥‥三時間ほど寝てから目覚めるともう夕方で、ニェネントが「夕ごはんちょうだ〜い!」と騒ぐのである。それでニェネントにネコ缶をあげ、自分だってそろそろ夕食の準備をしなければならない。「今日は何にしようかな〜」と考えて、玉子はいっぱいあるし、鶏肉はあるし、「オムライス」にしよう、ということになったけれども、鶏肉は冷凍保存しておけるけど、冷蔵庫にはウィンナのストックもあるので、鶏肉は使わずにウィンナでオムライス。ちゃっちゃっちゃっとつくったけれども、なかなかにおいしいのができた。原価は5〜60円だね(毎日「オムライス」、というのもいいね)。なんだか最近のこの日記、「お買い物」と「クッキング」みたいなことばっかりになってますね。

 食事をしながら「モヤモヤさまぁ〜ず2」をみて、そのあとはもう「お休み」。今日はラフカディオ・ハーンの「怪談」があるので、「耳なし芳一」を読んでから(読みながら)寝た。シュヴァンクマイエルの「挿画」は、「なるほど、そういう手法もあったか!」という感じと、「ふむ、手抜きだね!」というあたりで微妙な感じ。でも、さすがにシュヴァンクマイエルで、イメージの交錯という感覚は面白し。


 

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■ 2017-12-09(Sat)

 土曜日で仕事は休み。それでも今日も、五時前には目覚めてしまう。昨夜も九時前にはもう寝てしまったし、もうわたしの身体時計サイクルは「八時就寝、四時起床」というモードになってしまっている。

 今日は午前中に我孫子の図書館へ行き、「重力の虹」を下巻に移行させる。それとニェネントのごはんのお買い物だ。今日も晴天で、「散歩日和」というところ。気温は低いけれども、しっかり着込んで防寒すれば大丈夫。前は我孫子へ行く道でしょっちゅう迷ってしまったものだけれども、もう今は迷うことはない。その、迷う元凶は途中の「六叉路(!)」で「どの方向へ行くか」ということで迷ってしまっていたのだけれども、この地で半年暮らして今、ようやく迷わなくなった。
 しかし、このあたりの裏道はみんなこうやって、クネクネと蛇行している。それはこの町が近年になって都市開発されたわけではなく、昔から農業か何かで栄えた土地だったからだろう。それに、この町のあたりの地形はかなりデコボコしているというか、高低差のあるところだから、そんな地形に沿って道がひかれ、その道が今も残っているんだろうと思う。ネットで検索したら、そんな明治時代の我孫子の地図が見つかった。「碁盤の目」のような住宅地はどこにもみられない。それが今も残ってるわけだ。

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 このあたりのたいていの住宅は、平成の時代になってから建てられたような新しい建物ばかりだけれども、そんな建物をおさめる道路が蛇行していて、平凡な都市周辺の住宅地という風景から逃れている。住んでいて面白く感じるところではある。この写真は、その六叉路を抜けたあたり。道がくねっている。

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 我孫子駅に到着して、ケータイの歩数計をみてみると、2500歩ぐらいのものだった。そうか、そんなものなのか。わたしは5000歩ぐらい歩いたかと思っていた。それで、駅を越えて手賀沼のほとりの図書館まで行くと、4200歩。そうか、往復しても一万歩にはならない距離だったのか。
 図書館で「重力の虹」の上巻を返却し、新しく(というか、また)下巻を借り、さっさと退却。いつものように手賀沼公園に立ち寄ってみる。今日はハクチョウの姿はみられなかった。湖面には水鳥の姿もみられないけれども、岸辺にたくさんの鳥たちが丸くなって、ひなたぼっこをしていた。やはり冬は湖の水も冷たくて、水に浸からずに陽の光を浴びていたいのだろうか。

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 帰りにドラッグストアでニェネントのネコ缶、カリカリを買い、駅を越えて、ショッピングプラザへ寄ってみる。もう師走というかクリスマスというか、一階のスーパーは活気に満ちている。さすが巨大チェーン店というか、ウチの辺りのスーパーとは「商売!」という気合いがちがう気がする。売る気満々。店のディスプレイにも商魂を感じる。ここでもわたしは、つい「玉子」が安かったので買ってしまった。どうもわたしは百円以下で売られている玉子をみると買ってしまう、悪いクセがあるようだ。それと、久々にニェネントくんとわたしとで食べようと、安かった「カツオのたたき」とを。
 店の中をみて歩いていると、昨日「DQ」で買ったマーガリンの、もっと大きなパッケージ、300グラムのものが180円ほどで売られているのを発見。って、わたしは昨日、160グラムで150円のを買ったわけですけれども。むむ、すっかりだまされた。大損害である。これから「DQ」での買い物には気をつけなければ(安いものは安いのだけれども)。

 帰宅して、買った「カツオのたたき」で昼食。もちろんニェネントくんにもおすそわけ。ひと休みして、早い時間に風呂に入ることにした。‥‥それで実は、このところ風呂の調子がよろしくないというか、「給湯」で出てくるお湯の温度が低い。まるで「風呂」として使えるような熱さではないので、困っている。今は仕方がないので、浴槽にある程度水をため、風呂釜で湧かして使っているのだけれども、体を洗うとき、頭を洗うとき、給湯の湯の温度が低いので困ってしまう。しょうがないから浴槽に普段よりいっぱい湯をためて、その浴槽の湯で体や頭を洗うのだけれども、いろいろと不便である。これは「風呂の調子が悪いんですけど」と家主に伝えるべきかな?と思っていたのだけれども、今日体を洗っていると、その風呂釜本体の下の方に「能力設定」という切り替えスイッチがあるのをみつけた。「高」「中」「低」の三段階になっていて、現状は「中」になっていた。はて、これを「高」にしたらどうなるのよ?と切り替えてみたら、あららら、ちゃんと給湯から高温の湯が出るようになってしまった。知らなかった。とにかくはこれで、「問題解決」ではあった。

 今日は借りて来た「重力の虹」は読まないで「お休み」。それで本棚から、医学と政治学とを学び、軍医としてヴェトナムに滞在した体験もあるというミッシェル・サロモンという人の編になる「フューチャー・ライフ」という本を取り出してめくってみた。この本は1984年に邦訳の刊行された本だけれども、その時点から、「来るべき二十一世紀はどうなるのか?」と、さまざまな科学者らが予測、考察した本。一日では大して読めなかったけれども、その「序文」(エドガール・モランによる)の次の文が心に残った。

人類は物質的・技術的に自己破綻する可能性があり、他方では、物質的、技術的に自ら連合しあい、自己を実現する可能性がある。

 ‥‥もちろん、わたしたちはその後者に賭けて歴史を紡いで行くことを目標とすべきなのだけれども、そんな中でアメリカのトランプは、エルサレムをイスラエルの首都と突然に認定し、無用な争いの火種を起こしてしまう。このトランプの決定のために、まったく無用に、また多くの人の命が失われることになるのだ。二十一世紀の災厄。

 さて、今日の夕食は何にしようか。冷蔵庫には「鶏のレバー」がカチカチに凍って保存されているので、コレを使って何かつくろう。「鶏のレバー」でレシピを検索して、「鶏レバーの甘辛煮」というのをつくることにした。タマネギとゆで卵を入れて、けっこうチャッチャッと完成。‥‥ふむ。これはおいしかった。これからもまたやってみよう。

  

 

[] しばし休憩。  しばし休憩。を含むブックマーク

 上巻から下巻への移行で、今日は休憩して「上巻を読んでのまとめ」。ひとつには、こうやってこの日記にメモを取りながら読み進めたのがとっても役に立ったというか、今までのところで大きな不明点はないのだ。この調子で行けば、下巻を読み終えたときに「そうか! わかったぞ!」とかなるかもしれない。こういうメモは他人が読んで面白いものではないだろうけれども、これからも「大書」を読むときにはこういうことをやってみようと思う。

 そして、ここまでのこの作品を読んで。スロースロップはたしかに主人公として、この作品の中心にいるのだけれども、この作品の面白さは、単にスロースロップの<冒険>を楽しむのではなく、まさにスロースロップの抱える<パラノイア>的な世界観というか、実に多数の登場人物らの生み出す混沌とした世界、その奥にある<リアル>なものを読み解く面白さ、だろうか。ひとつのセクションの中でも文体もクルクルと変化するし、視点も単一なものでなく、それも前触れもなく移動して行く。たしかに読んでいてわけわからなくなりそうになるけれども、今ではその「とんでもない」世界を楽しめるというか、それはまさに<パラノイア>的世界であり、スロースロップの<パラノイア>、本に内包される<パラノイア>というものが、この文章、文体の中にもまた顕然するものとして、面白く読めるようになったかな? って、まだまだ半分を読んだだけ(もう、前に一度読んでいるということは忘れて)。いったい下巻ではどうなっていくことやら、楽しみである。

 

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■ 2017-12-08(Fri)

 これは、わたしの職場で、毎日(晴天ならば)見ることのできる「虹」。

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 先日買い換えたケータイはつまり「ガラケー」なのだけれども、「今、ガラケーを買うのは<年配>の方が主だろうか」という配慮(?)からか、「万歩計」(この「万歩計」という呼称は登録商標になっていて、一般には「歩数計」というらしいが)という機能がついている。ポケットに入れて歩けば、何歩歩いたのかカウントしてくれる。一日に一万歩歩くことがひとつの目標になっているのかどうか、しかとは知らないけれども、今のわたしは毎日、一万歩なんて軽くクリアしちゃってる。昨日みたいに、かなり離れたスーパー「S」まで買い物に行ったりすると、二万歩も越えてしまう。健康だねー。これが以前の茨城での生活だと、通勤も歩いて三分、たいていの買い物も歩いて五分の範囲内ですんでいたから、一日に五千歩も歩いていなかったことだろう。

 それで昨日「S」へ買い物に行ったのだけれども、マーガリンを買うのを失念していた。珍しく、ちゃんと買い物の前に「To Buy」リストまで書いて行ったのに、頭の中では「マーガリン、マーガリン」とイメージしていたのに、リストに書き忘れてしまっていて、スルーしてしまった。今日になって「やっぱり買っておかなくっちゃな」と思い、どうせ仕事の帰りに借りたDVDを返却しに柏駅で途中下車するので、そのレンタル店のそばの「ドン・キホーテ」でも見てみようかと、立ち寄ってみた。
 いつも「S」で買うマーガリンは147円とかそのくらいだったと記憶していたのだけれども、「ドン・キホーテ」の店内には、「マーガリンといえばコレよ!」というような著名なマーガリンが、148円で売られていた。「S」で一割引きの日に買えばもうちょっと安くなるけれども、ま、いいか、と買って帰った。それで冷蔵庫に放り込もうとして、残っている「S」で買ったマーガリンをみると、容量は320グラム。ところが、買って来たマーガリンをみると、160グラムしかなかったのだった。ゲッ! 実は倍の価格だったのか! すっごい失敗した買い物。ま、「おいしいマーガリン」だったら、それはそれでかまわないかな?

 DVDを借りると、「一週間で観てしまわなければ」と時間が拘束されてしまい、今週はちょっとそういうのはイヤなので新しく借りるのはやめて、今週は時間があれば自宅所蔵のVHSを観るつもり。読んでいた「重力の虹」の上巻を読み終えたので、明日は我孫子の図書館へ行って下巻を借り、いっしょにニェネントのネコ缶、それとカリカリも買ってこなければいけない。さて、我孫子まで歩くといったい何歩ぐらいになるのかな?

     

 

[] 第三部「イン・ザ・ゾーン」(4)  第三部「イン・ザ・ゾーン」(4)を含むブックマーク

 第七セクション。ゾイレの仕事を引き受けるスロースロップ(ロケットマン)。しかしスロースロップはこういった成り行きをいぶかしく思う。「これはすべて、<映画の撮影>か何かではないのか? 風景は映画セットだし、まわりにいる連中はエキストラ?」
 けっきょく、スロースロップはポツダムへ潜入することにする。渡された「特別通行証」の名前は「マックス・シュレプツィヒ」。ボートを盗んでポツダムへ着いてみると、その「お宝」の隠されている場所はなんと、ポツダム会議開催中のアメリカ側宿舎。「THE WHITE HOUSE」という表記が。‥‥とにかくはそのハッシシの塊を発見するロケットマン〜スロースロップ。しかしそこで、「きみはずっと尾けられていた」というイギリス英語の声とともに、腕にチクリと一撃。スロースロップの感覚は失せていく。

 第八セクション。ここはアルゼンチン人らの乗っ取ったUボート。エスクアリドーシの話になる。ここでエスクアリドーシはドイツの映画監督ゲアハルト・フォン・ゲール(前にも登場していたはず)と意気投合し、あの「マルティン・フィエロ」(この名前はボルヘスの作品を読んでいたおかげで知っていたのだよ)の映画を撮ることになる?

 Uボートに戻ったエスクアリドーシ。<妄想>の魚雷攻撃???

 第九セクション。チチェーリン。彼は「いったいスロースロップとは何者?」と考えている。「チチェーリン〜エンツィアン〜スロースロップ」という回路。

 第十セクション。拉致されたスロースロップ。しかしハッシシは手元にある。どうやらココもまた、映画セットの内部なのだろうか。ここでマルゲリータ(グレタ)・エルトマンの登場。彼女こそは「映画女優」であり、(またもや)ゲアハルト・フォン・ゲール監督のもと、「ポルノタッチのホラー映画」を何十本も撮ってきた女優。仕組まれたようなこの出会い。ここでグレタは、かつての愛人、彼女の娘の父としてマックス・シュレプツィヒの名前を出す。そして、グレタの娘の名はビアンカ。上巻はこれにて終了である。

 

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■ 2017-12-07(Thu)

 気温は低いらしいのだけれども、快晴で陽の当たる場所は暖かい。部屋にいても、そこまでに寒いという感じでもない。これからだんだんに寒くなるらしいけれども。
 あたらしい仕事にもだいたい慣れて、今は仕事をしながら体だけ動かしていても、頭ではいつも別のことを考えたりしている。でも、「考える」といってもそんなに大したこと考えているわけでもない。先日何かで読んだところでは、人の考えることはたいてい(80パーセントぐらい、だったかな?)前に考えていたことの繰り返しばかりで、それで新しい発見とかを得るわけでもないというけれど、まさにわたしの場合がそれ、みたいな。あとは、昔聴いた音楽がひゃっぺんがえしに頭の中で流れている。この仕事を始めてからよくリピートされるのは、なぜだかFrank Zappa(Mothers of Invention)の、"Holiday in Berlin"。この曲はしばらく聴き返したこともないのに、どうしてなんだろう。

      D

 今日は仕事の帰り、自宅のそばでニェッタの姿をみた。「やあ、久しぶり!」と写真撮ろうとしたら、もう行ってしまうところだった。その後ろ姿。ニェッタは(多少は防寒に役立ちそうな)自分の住処を持っているし、これからの冬も、きっと乗り切ってくれることだろう。

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 帰宅して、買ってある肉まんで昼食にして、ニェネントの肉まんへの攻撃をかわし、今日は早めに買い物に出る。今日こそは「m」で食パンを買っておきたいし、それにもう米がなくなったので、いちばん遠いスーパーの「S」まで買いに行く。今日は木曜日で、「S」は全品一割引き。米で一割引きは大きいし、そもそも辺りのスーパーでは、この「S」が米はいちばん安い。「あきたこまち」の5キロ袋で1570円で、そこから一割安くなって消費税が付いても、つまり1570円みたいなものだ。あと、図書館の分館に(けっきょく読まなかった)「重力の虹」の国書刊行会版を返却し、「あとがき/解説」目当てで、同じ「重力の虹」の下巻をリクエストもする。
 今日は無事に食パンを買い、図書館分室へも行き、「S」へ行く。店の中をみてまわって、賞味期限間近で値引きされているハム、やはり値引きされているカレー用の牛肉(そのうちに、トマトシチューをつくりたいのだ)などを買う。あと、三個で65円という激安の肉まん/ピザまんが売られていて、もちろん大きさもちょっと小ぶりなんだけれども、「そりゃあ安い」と、まだ家には昨日買った肉まんがあるので、ピザまんの方を買ってみる。さいごに「お目当て」のお米をカートに入れてお会計。
 米を買うときにはいつも、カートを引きずっての買い物になる。帰り道はズルズル、ゴロゴロとカートを引きずって歩く。

 帰宅して、買って来た「ピザまん」を食べてみる。またニェネントが寄ってくる。‥‥あ、これはやはり、値段通りにあまりおいしくはないですね。いっしょに食べてみた昨日買った肉まんがすっごく高級品に思えてしまう。ニェネントは味覚音痴なので、このピザまんもあげた分はペロッと食べてしまう。
 夕食は、魚肉ハムをスライスして炒め、目玉焼きにそえてケチャップで味付けという、よくいえばシンプル、普通にいえば貧乏臭い献立。食事を終え、八時前には寝てしまうのだった。

     

 

[] 第三部「イン・ザ・ゾーン」(3)  第三部「イン・ザ・ゾーン」(3)を含むブックマーク

 第五セクション。チチェーリンとは誰か? なぜエンツィアンのことを宿命のように憎悪するのか? エンツィアンを抹殺しようとするのか? 彼の任務はモスクワの「航空流体力学中央研究所」へ報告すること。そこで<ロケット>とかかわるわけだけれども、いったいなぜ?
 チチェーリンはスターリン時代にカザフスタンの七河地方の奥地、「熊のコーナー(メドヴェツィ・ウゴロック)」に滞在、そこでキルギス人のジャキップ・クーランと友人になる。その後各地で暗躍し、その正体はしかとはわからないが、彼には「裏の社会の人物、敵対的な秘密組織、反革命的分子」などと付きあう性癖がある。
 わかったこと。実はチチェーリンの父は日露戦争において、日本軍に包囲されているロシア艦隊救助のため、バルト海からヨーロッパ、アフリカ、インド洋を経由して日本海へと向かったのだ。その途中に石炭補給のためしばらく寄港した独領南西アフリカの港で、チチェーリンの父はヘテロ族の女性を愛するのである。その女性と別れたチチェーリンの父は日本海で戦死。故郷には生まれたばかりのチチェーリンがその母と残され、実はそのヘテロ族の女も身ごもったのであった。つまり、チチェーリンとエンツィアンとは、「異母兄弟」だったのである!

 第六セクション。ドイツのイギリス占領区。スロースロップは生水を飲んでひどい下痢に悩まされている。彼は武装解除されていない黒人兵らの一団と出会い、そのリーダーとおぼしきエンツィアンと対話する。エンツィアンは、彼らがロケットに惹かれている理由を語る。ここも重要か?
 深夜、ベルリン市街を放浪するスロースロップは、エミル・“ゾイレ”・ブマーというジャンキー風の男と、トゥールディーとマグダというふたりの美女と出くわす。ゾイレは闇取引のため、アメリカの駆逐艦の乗組員、船乗りボーディーンに会うのだった。ここではスロースロップは「ロケットマン」ということになってしまっている。そして、ボーディーンは、ポツダムに行けば6キロにもなる大量のネパール産ハッシシ大麻が隠してあるという。「ひょいと行って取ってくれば、ロケットマンの取り分は大麻1キロ、そして百万マルク(!)」だというのだ。703ページまで。

 

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■ 2017-12-06(Wed)

 おお、昨日買ったハイネックの厚手Tシャツがさっそく、思わずもしっかりと役に立った。朝の予報が「今日は寒いです」というので、セーターの下に着て仕事に出たのだけれども、いつも寒い思いをした駅までの道も、昨日までのような寒さを感じない(余計に着てるのだからあたりまえだけれども)。仕事中も着ていて「適温」という感じで、これは当分手放せない。もう一着買ってもいいぐらいだ。

 帰宅して、四時近くになって買い物に出かける。今日はスーパーの「m」が一割引き。食パンがもうあまりないので買っておこうと思ったのだけれども、売り場に行ってみるともうひとつも残っていなかった。失敗。‥‥以前はこの「m」の店、食パンの発注がヘタクソというか、発注しすぎで、いつもたいてい大量に売れ残っていて、賞味期限が迫って「半額」とかで売られていたわけで、「これはありがたい」と思っていたのだけれども、どうやら店の方も「これはマズい」と考えたのだろう、というかそれまでの発注責任者をすげ替えたのかもしれないけれども、最近はそういう値引きパンの恩恵にあずかることもなくなってしまった。というか、こんどは発注数が少なくなってしまい、夕方に行くともう売り切れてしまっていることが多いのだ。むむ、もうちょっと発注数は増やしてもいいように思うのだが。

 とにかくはこのスーパー「m」のいちばん安い食パンが、どこの店よりも相当に安い価格で、他の店で買うのはばかばかしくなってしまうぐらいなわけで、他の店の他の食パンに比べて味が落ちるわけでもなく、食パンを買うならぜったいに「m」で!と決めている。まあわたしは食パンはぜんぶ冷凍保存してしまっていて、トーストしてしか食べないから、きっと「食パンのほんとうのおいしさ」などわかっていないのだけれども。

 とにかくはお目当ての食パンが買えなかったので、何も買わずに帰るのもアレだ、と、近所の「食品館」へ行ってみる。ここで肉まんが五個で二百円ぐらいと安かったので、考えれば食パンよりもずっと割高なんだけれども、その肉まんを買って帰った。
 帰宅して、その肉まんをチンして食べていると、あんのじょうニェネントくんがかけつけてくる。人のひざに前足をかけ、強引に肉まんにアタックするのである。トーストパンが好きなニェネントくん、やはり肉まんも好きであったか。「あげるよ!」と肉まんをちぎって置いてあげると、やはりきれいに食べてしまう。具の部分は塩分が心配だけれども、まわりのところなんかはネコにも大丈夫だろう。具の部分もちょっとあげるよ、という感じ。こうしてだんだんに、わたしの食べるものとニェネントの食べるものとは差異がなくなってきてしまうのだ。

     

 

[] 第三部「イン・ザ・ゾーン」(2)  第三部「イン・ザ・ゾーン」(2)を含むブックマーク

 第三セクション。山中の廃棄された立坑の下に、<シュヴァルツコマンド(黒の軍団)>が住んでいる。<ゾーン・ヘテロ>である。彼らは1904年から1906年にかけての「ヘテロ族大蜂起(ピンチョンの「V.」に書かれていたね)」の残党でもあるし、ナチ党による「黒人による革命政権樹立計画」によってドイツに渡ってきた世代でもある。この地域には彼らの地下共同体がいくつもあり、彼らはそれらを「土豚穴(エルトシュヴァインヘーレ)」と呼ぶ。エンツィアンはここの<ングアロレルエ>である。それは、「リーダー」とは少しちがい、「証明された者」、「折り紙付きの者」というような意味。

 エンツィアンが創造を目ざしているものに歴史はない。デザインの変更を必要としないもの。時間というものが――他の国々で知られているものとしての時間は――この新しき世界の内側では消えさるだろう。<土豚穴(エルトシュヴァインヘーレ)>は時間に拘束されない。<ロケット>も同様だ。人はふたたび<中心>を見いだす。タイムレスな<中心>を、ヒステリシスのない旅を。そこからの出発が同時にそこへの帰還となるような、唯一絶対の中心を。

 ‥‥要約はむずかしいけれども、この作品の中でも「最重要」といってもいいような、重たいセクションでしょうか。

 そして第四セクション。スロースロップとゲリーのふたり。ふたりはブロッケン山の頂上にたどり着き、そこでブロッケン現象を「まさにその地で」体験する。「ブロッケン現象」というのもひとつの「虹」だから、タイトルと関連つけてみたくなる。ここでゲリーがスロースロップに、チチェーリンのことをいろいろと語る。チチェーリンとエンツィアンとの<憎悪>関係とか。これから先、チチェーリンもまた「重要人物」になりそうだ(このブロッケン山は、まさにアメリカ軍とソ連軍の両方に占領されているのだ)。
 山を降りたふたりは、ゲリーの知り合いのシュノルプという男のところへ行く。シュノルプはなんと、気球でベルリンへと行き来している人物である。スロースロップはそのシュノルプといっしょに、気球でベルリンへ行くことにして、ゲリーとはとりあえずお別れ。ところが空中でスロースロップを追うマーヴィ少佐の機に追跡、攻撃される。シュノルプが気球に持ち込んでいたカスタード・パイを投げつけ、スロースロップらは危機を脱するのだ。もうすぐベルリンだ。

 第五セクション。そのチチェーリンとはどんなヤツか?という説明。まだ途中だけれども、656ページまで読んだ。上巻はあと百ページだ。

 

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■ 2017-12-05(Tue)

 昨夜は雨が降ったのだろう。早朝、出勤のために外に出ると、道路が濡れていた。そして、あたり一面にしっとりともやがかかっていた。もう雲も出ていないようで、そのもやをすかして、ぼうっと明るい月がみえる。どこか幻想的な気分の風景だ。歩いて行くと、この道の奥の方から小さな黒いネコが飛び出して、道を横切って消えていった。もやの中で黒ネコにみえたけれども、まだ子ネコみたいだったし、あのミケだったのだろうか。

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 昨日は寒かったのだけれども、今日は予報もあたって、ほんとうに暖かい日になった。それでも明日からはまた寒くなるという。

 飯田橋のメトロの駅は通路がやたら長くって、わたしが利用する東西線の出口から職場にいちばん近い出口まではホントに「端から端まで」で、五分以上は歩かされる。途中にいろんな店舗も並んでいるし、ちょっと途中の出口を使えばショッピングモールみたいなスポットにも出られる。そんな仕事を終えての帰り、地下通路にあるUNIQLOが特売セールをやっているのが目に入り、今着ているセーターの下にもう一枚何か着れば万全だよな、などと思い、店頭にあったのを何も考えずに「コレ下さい」とそばにいた店員さんに伝えると、「あ、それは女性用なので、男性用はこちらに」と、その左に並べられていたコーナーを教えてくれた。「やはり<黒>がいいや」と、Lサイズのを選んでさっきの店員さんに「では、コレで」と差し出す。レジに案内されて会計をすませ、トータルで二、三分の買い物だった。まるでコンビニでペットボトルか何かを買うような。
 しかし、考えてみると今は経済状態が逼迫しているというのに、思いついてパッと買ってしまったのは軽率だったかな?などと思うのだった。

 それで東西線は大手町駅で降りて、千代田線に乗り換えるわけだけれども、これがまた歩かされる。しかも上下移動も多い。「なんでこんなに歩くんだ」と毎日思うのだけれども、それでも、東西線を降りて千代田線方面へ行く階段の工事が、ようやく先週一杯で終わったようで、階段の幅は広くなり、エスカレーターも稼働するようになったので助かる。今まではずっと工事中の階段幅も狭く、上り下り各一列でないと使えなかった。階段のそばにはいつも警備員がいて、「一列でお願いしま〜す」と呼びかけているのだ。それで、その東西線のホームに、わたしなどが乗っている西船橋方面行きの電車と、反対側の三鷹方面行きの電車とが同時に到着したりすると、その階段の前にはすっごい行列ができてしまい、前へ進めずに皆立ち止まってしまうことになったものだった。さいしょにコレを体験したときはおどろいて、「み〜んなよくがまんしているな〜」と思ったものだったけれども、それからはわたしも従順に「がまん」することになっていた。そんな「がまん」から、ついに今週からフリーになった。快適である。

 今日の昼食はたくさんあるパスタ・ソースを使って、スパゲッティー・ナポリタン(みたいなの)。やっとカレーライスから解放された夕食は白菜と鶏肉の水炊きにした。
 それでこの頃はやたら「間食」が増えてしまい、いつも食事のあいだにトーストを焼いてハムをのせ、コーヒーを淹れて(って、インスタントだけれども)食べるのがすっかり習慣になってしまった。そうやってハムをのっけたトーストを食べていると、必ずニェネントがやってきて、あつかましくもわたしの手にあるトーストを奪い取ろうとする。「なんてしつけの悪いネコだろう」と思うわけで、わたしはきっとニェネントは上にのったハムが食べたいのだろうと思っていたのだけれども、今日もまたそうやってトーストを強奪しようとするニェネント、食パンの耳のところにかじりついて、そのままかじり取って行って食べてしまったようだ。‥‥アレ? ハムが食べたいんじゃなくって、トーストパンが食べたかったのかよ? ふむ‥‥。食パンだったら塩分もそんなに多くないだろうし、ネコが食べても問題はないだろう。これからはちょっと分けてあげてもいいよ、などと思うのだが、それではいっそうニェネントのお行儀は悪くなってしまいそうだ。

     

 

[] 「夜の女たち」(1948) 久板栄二郎:原作 依田義賢:脚本 溝口健二:監督  「夜の女たち」(1948)   久板栄二郎:原作 依田義賢:脚本 溝口健二:監督を含むブックマーク

 溝口監督の遺作「赤線地帯」を彷彿とさせられるような、社会の底辺に生きる娼婦たちを描いた作品。特典映像で新藤兼人氏が、この頃の溝口監督は「イタリア映画を観ましたか!」と語ることが多く、つまりはそれはロベルト・ロッセリーニ監督作品、ひいては当時公開された「無防備都市」とか「戦火のかなた」のことなんだろう。つまりは「ネオリアリスモ」。そもそも溝口監督の作品、先日観た「祇園の姉妹」や「浪華悲歌」には、「リアリズム」として先駆的な描写、演出があったわけで、溝口監督がそういうイタリアのネオリアリスモに惹かれたというのは「あったりまえ」のこと、とも思える。逆に「アイツら、オレのマネしやがって」ぐらい思ったとしても不思議ではないみたいな。

 そんな中で、溝口監督の中に一貫してあるのが「女性へのシンパシー」みたいなもので、この「夜の女たち」などは、シンパシーを越えて、「男が悪いんだ!」というところにまで行く。じっさい、新藤兼人氏の話では、溝口監督らスタッフらはこの作品製作のために大阪の娼婦街に行き、彼女らの生活ぶりを見てくるのだけれども、そのときに溝口監督はそんな娼婦らを前に講演を行ない、そこで「あなた方が今のようになられたのも、私が悪いのです!」と、涙を流されたのだとか。

 観ているとじっさい、溝口監督の「思い入れ」の強さゆえか、映画の主題(テーマ)をナマにセリフで語ってしまうところが多く(特に後半の更生施設病院の院長やスタッフら)、ドラマの組み立ても図式的な面を強く感じてしまうところはある。
 いや、それでもやはり溝口監督の演出手腕は健在で、得意の長廻しや、奥行きのある画面構成などに見惚れてしまうわけだけれども、この作品のいちばんのみどころは、ラストの教会あとの廃墟、この水谷浩によるセットの造形だろうか。これはすごいっす。


 

[] 第三部「イン・ザ・ゾーン」(1)  第三部「イン・ザ・ゾーン」(1)を含むブックマーク

 「部」ごとのエピグラフ、今回は「ねえトト、ここはもうカンザスじゃないような気がするわ。」という、ドロシーが「オズの国に着いて」のことば。トトはドロシーの連れている犬だね。

 第一セクション。スロースロップはスイスから列車を乗り継いで、北のノルトハウゼンというところに向かっている。それは<イミポレックスG>に関係するフランツ・ベクラーというエンジニアが、1944年早々にノルトハウゼンに来ているから。その時期は、ロケットが量産態勢に入ったときと一致する。ベクラーがそのとき、<ミッテルヴェルケ>という工場の営舎に宿泊していた。スロースロップは<イアン・スカッフリング>として調査するのだ。ラスロ・ヤンフのこともわかってきた。彼がライル・ブランドという男と契約を交わした記録が残っていた。ブランドは第一次大戦後のドイツのスーパーインフレに、少なからず関係のあった人物のようだ。‥‥というか、調べて行くとそのライル・ブラントという男、スロースロップ家とも関係がある。タイロン・スロースロップ自身、ブラントには一、二度遊んでもらった記憶がある。なんと、スロースロップの身の上もどっぷりと、<ロケット>に関係しているのか。そして、タイロンの父は二十年前、息子の教育のためにある取り引きを結んでいる。だからこそタイロンは、家族の財政難の中、ハーバードで学業にいそしむことが出来たのか。つまり、その頃から、タイロン・スロースロップは<監視>される存在だったのか???
 ‥‥ここで、列車の屋根でスロースロップはマーヴィ少佐というのと遭遇。デブ。彼の率いる部隊も、どうやら別件で<ミッテルヴェルケ>に行こうとしている。そして、隣の車両には黒人たちが同乗している。彼らもまた兵士、ドイツ軍に所属していたが、今も戦犯として抑留されるでなし、武装解除されているわけでもないらしい。マーヴィ少佐は、彼ら南西アフリカ出身の黒人らも、<ロケット>が狙いだという。そんなときに長身のアフリカ人が現われ、マーヴィ少佐をひっつかみ、列車から外に投げ捨てる。アフリカ人は<シュヴァルツコマンド>の一員で、エンツィアン陸軍大佐だと名乗り、スロースロップとひとことふたこと会話を交わす。
 ノルトハウゼンに到着。そこでスロースロップはゲリー・トリッピングという少女(?)に出会う。「魔女」になりたいという。ゲリーはソヴィエトの諜報部員チチェーリンのことを想っているのだが、スロースロップと「いい仲」になってしまう。なんと彼女は、ロケットナンバー00000号のことも知っているし、<シュヴァルツゲレート(黒装置)>のことも口走る。スロースロップは知っている。六〇〇〇機もあるロケットの中で一機だけ<Sグレート>を搭載したロケットがあったことを。

 第二セクション。ミッテルヴェルケ到着。スロースロップはイギリス人従軍記者のイアンとして中へ入る。中はすっかり観光地? 奥の奥ではアメリカ兵とロシア兵がいっしょにビア樽を囲んで飲んで騒いでいて、小人サイズのドイツ人がビールの大ジョッキを配り歩いている。そこに、列車から振り落とされたはずのマーヴィ少佐が舞い戻ってきて、スロースロップを追い回す。そこにいたグリンプフ教授というのがスロースロップを助け、いっしょに逃げるのだった(ちょっと省略した)。597ページまで。

 

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■ 2017-12-04(Mon)

 この夜の月は、一年のうちでもいちばん大きく見えるのだという。早朝(というか夜明け前)に仕事に向かうために外に出てみると、「大きい」かどうかはわからないけれども、まぶしいぐらいに明るい満月だった。

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 天気予報では「今日は気温が上がる」といっていたと思うのだけれども、帰宅してからはどんどん気温が下がっていく感じで、「寒いぜ!」といいたくなる。ニェネントも和室のベッドのふとんのあいだに入り込んで、出てこようとしない。今日は昼食もカレー、夕食もカレーにして、やっとようやく、つくってあったカレーがなくなってくれた。「次はどんな料理をつくろうかな」とか考えて、やっぱりジャガイモ、ニンジン、タマネギはいっぱいあるし、そうそう、賞味期限の切れたトマト缶もあるし、トマトシチューでもつくってみようか、などと考えるのだけれども、また大量につくってしまい、今回のカレーのように飽きてしまうことになりそうだ(でも、味がちがうからそこまでに飽きないかも)。

 「重力の虹」を今日はけっこう読み進め、帰宅してからも読んだので、80ページ読んだことになる。しかし北朝鮮の「ロケット」のことを考えるとやっぱり、どこか状況は「重力の虹」っぽいし、やっぱり裏側でいろんな諜報機関が暗躍していることだろう。はたして日本も、そういう諜報機関は持ってるのかな?

     

[] 第二部「カジノ・ヘルマン・ゲーリングでの休暇」(3)  第二部「カジノ・ヘルマン・ゲーリングでの休暇」(3)を含むブックマーク

 第五セクション。時期は1945年の3月になっている。「ホワイト・ヴィジテーション」でも、カジノ<ヘルマン・ゲーリング>でも、様子は変わってきている。霊媒キャロル・イヴェンターに呼び出されたローランド・フェルズパスなる故人は、自分の前にスロースロップという男がいることを感じる。ローランドは航空機制御システムの専門家。ではスロースロップという男を使って、自分の<コントロール>に関する知識を知らしめるか? そうでなくてもスロースロップはドイツ語を学びはじめているし、砲兵器、電子工学、航空力学も学ぼうとしている。また、「シェル石油」からヒラリー・バウンスという男が派遣され、彼に「推力」に関する講義をするという。
 あるときスロースロップは、ドイツの部品リストの青写真を手にするのだけれども、それは連合国側にとっても<機密>扱いの、A4ロケットに関するものだった。そのリストの中に、原材料<イミポレックスG>という絶縁装置の存在を見つけ、この<イミポレックスG>こそがカギだ!と思うのである。バウンスに女の子をあてがい、その留守にバウンスが自室に持っているテレタイプの端末でロンドンに接続し、<イミプレックスG>の情報を得たスロースロップは、おめかししてラウール・ドゥ・ラ・ペルランパンパンの邸宅でのパーティーへ向かう。もちろん尾行されている。

 第六セクション。そのパーティー会場でスロースロップはブロートヘット・ワックスウィングという脱走兵と出会う。ワックスウィングはカードや身分証の偽造、そして軍の火器の売却などをやっているのだが、スロースロップはある取り引きのもめごとの、連絡役みたいなことをやらされるのだ。戦車まで飛び出してきてたいへんなことになってしまうのだが、そんなところ。

 第七セクション。<イミポレックスG>とは新種のプラスチックだと判明。こいつを開発したのは、前に<クリプトザム>なるものを開発したラスロ・ヤンフ博士だった。調べて行くとつまり、ロケットには謎の「絶縁装置」がついていて、それが<イミポレックスG>。このマーケティングの権利はダッチ・シェルが保有。そしてしかも、ロケットの推進システムは、ほぼ同時にブリティッシュ・シェルが開発したものと酷似しているのだ。
 スロースロップはブロートヘットをともない、ロケットの情報が集められるシェル・メックス・ハウスへ侵入する。そして、そこにあった新聞の「戦没将校」欄にタンティヴィの名前をみつける。弔辞を書いているのはセオドア・ブロート少佐、つまりテディ・ブロートだった。‥‥しかし、これは「真実」なのか?
 ワックスウィングに偽造書類をもらい、ルートを教えてもらったスロースロップは、ニースへ脱出する。そこでワックスウィングに聞いた人物と会うと、チューリヒへと行くことになった。新たに偽造書類をもらい、これからスロースロップはイアン・スカッフリングという名のイギリス人従軍記者。

 とにかくは書ききれないぐらいいろいろなことが起きるのだけれども、けっきょくスロースロップはフランシスコ・エスクアリドーシというアルゼンチン人アナーキストと出会う。彼は政情不安定なアルゼンチンから、ドイツへの亡命をめざし、仲間らとUボートをハイジャックし、それに乗って大西洋を渡ってきたという。彼の頼みで、スロースロップはこんどはジュネーブへと行き、エスクアリドーシの用件をすませて再びチューリヒ。そこで彼はラスロ・ヤンフの墓の場所を聞き、そこへ行く。スロースロップも霊媒師で、ラスロ・ヤンフの霊から何かを聞き出そうというのか?

 第八セクション。再び「ホワイト・ヴィジテーション」、ポインツマン氏。五月になっていて、すでに戦争は終わっているのだ。「ホワイト・ヴィジテーション」の様相も変わってしまった。しかしポインツマンはスロースロップの行方を見失ってしまっている。シェル・メックス・ハウスもまた、スロースロップの失踪を知っておおあわて。何しろ、A4について知りうることすべてを知っている男が、ソヴィエトの諜報員らがうようよしているチューリヒで行方知れずになったのだから。
 ポインツマンが計画した「海辺の休日」。参加メンバーはポインツマン、ロジャー・メキシコ、メキシコの恋人のジェシカ、そしてデニス・ジョイント、カッチェ・ボルヘジアスの五人。さてさて‥‥。これにて第二部はおしまい(疲れた)。532ページまで。

 

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■ 2017-12-03(Sun)

 日曜日。やはり六時前に目が覚めてしまった。トーストで朝食をとり、そのあとはちょっと早めに洗濯をし、パソコンを閲覧する。この頃はFacebookをみても、自分の子供の写真とか自分のつくった料理の写真、どうということのない風景写真とかばかりみせられて、「なんだかな〜」という気にはなる。Facebookもつまりは「自慢」なわけだし、わたしだってニェネントの写真ばかり載せているけれども。ま、ほんとうに見たくもない、読みたくもない投稿ばかりされる方はフォローをやめてしまったりしている(逆に、あまりに強烈な「おまぬけ」発言ばかりする方は、気になってチラチラとみてしまう)。

 八時を過ぎてテレビとかを見始めて、テレビも十時を過ぎると見たいものもなくなってしまったので、借りたDVDの「鳥」を観ることにした。いちおう観終わって、「特典映像」とかを観てみると、だいぶあとになってスタッフやキャスト、関係者にインタビューした映像、それと絵コンテや未公開映像などを演出したドキュメントで、これが思っていたよりも長尺だった(面白かったけれども)。
 とちゅう昼食(またカレーライス)をはさんで、観終わると二時ぐらいになっていた。それでなんだかんだとダラダラしていると、もう外は暗くなってきてしまう。夕食はまたカレーライス。まずいわけじゃないんだけれども、もういいかげん、ほかのモノが食べたい。
 食事を終えて、今日は日曜日だから「モヤモヤさまぁ〜ず2」だな、とチャンネルを合わせると、今日はやってないのだった。な〜んだ、という感じで、さっさと寝てしまった。今日も睡眠の取りすぎだ(今日は「重力の虹」はお休み)。

     

[] 「鳥」(1963) ダフネ・デュ・モーリア:原作 アルフレッド・ヒッチコック:監督  「鳥」(1963)   ダフネ・デュ・モーリア:原作 アルフレッド・ヒッチコック:監督を含むブックマーク

 導入部は、ヒロインのメラニー(ティッピ・ヘドレン)がペットショップで偶然出合ったミッチ(ロッド・テイラー)にいたずらっ気を起こしてアプローチするような話で、そこにも「鳥」は出てくるのだけれども、その「ラブバード」はきっかけ、小道具にすぎなくて、このあたり、脚本のエヴァン・ハンターとヒッチコックとは、「スクリューボール・コメディ」的な展開を採用したと。観ていて、そのあたりのプランは(もちろん)大成功で、この作品が以降の「動物パニック映画」の先駆けになったとはいえ、以降の作品とは(大きな)一線を画する特徴になっている。そんな中で、すこ〜しずつ、そんな鳥の姿が目立つようになり、ボートに乗ったメラニーがカモメに襲われたりという「事件」が起こる。

 まず「すごい」のは、ガソリンスタンドの従業員が鳥に襲われて倒れ、ガソリンが道路に流れ出し、そこに来た車を運転していた男がタバコを喫おうとマッチを擦る。それをレストランの中から見ていたメラニーらが止めようとするけれども、ついにガソリンに引火してしまうという一連のシークエンス。ここのカット割りのみごとさ、といったらない。そこにしっかりと目撃しているメラニーの視線を描き、この映画がどこまでも「メラニーの視点」で描かれた映画だと強調される。
 ただ、その次のショットは、燃え上がるガソリンスタンド周辺の状況を空から見た鳥瞰図になっているのだけれども、ここで「うわあ! ついに始まった!」という感じが明確になる。これはあとでドキュメントを観て知ったのだけれども、この鳥瞰撮影、画面のほとんどの部分はマット・ペインティングだったのだと(この作品にはそういうマット・ペインティングが多用されたようだけれども、その描画力の水準は相当なものである)。

 それから、メラニーが学校にミッチの妹のキャシー(ヴェロニカ・カートライト)の様子を見に行ったとき、外で待つメラニーのうしろのジャングルジムに来るカラスが、カットごとに数を増していくシーンの怖さ。それが終盤の、メラニーがミッチの家の二階で鳥に襲われるシーンの、「サイコ」の風呂での殺人シーンを彷彿とさせられる細かいカット割り、そしてまったく先の見えないラストへとつながっていく。ヒッチコックの面目躍如の、すばらしい傑作だと思った。
 (後記)この映画の人間ドラマの核には、夫に先立たれて自分のアイデンティティーがゆらいでいるミッチの母(ジェシカ・タンディ)の存在があるのだけれども、そのミッチの家の中にはやはり、そのミッチの父の肖像画が飾られているのだった。先日観た「レベッカ」でも「パラダイン夫人の恋」でも、やはり飾られた肖像画がポイントだったけれども、ヒッチコックがドラマの中に「肖像画」というものをどう生かしながらドラマを組み立てるか、そのあたりをチェックしながら観るのも興味深いだろう。



 

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■ 2017-12-02(Sat)

 深夜、渋谷から帰宅したあともネットとかを閲覧し、すぐには眠くもならない。一時頃になって「いいかげん眠っておかなければ」と布団に入って寝る。でも、朝の六時前には目覚めてしまった。五時間も寝ていないけれども、そういうときもあるだろう。五時間寝ていれば充分ではないか。

 起き出して朝食(トースト)を食べていると、ニェネントが先日買った「爪研ぎ」の段ボールを使って、まさに「爪研ぎ」をやっていた。‥‥おお、うれしい。これで買い物がムダにならないですんだだろうか。バリバリとやってほしいところだ。
 今日は土曜日なので、ラジオで「ウィークエンド サンシャイン」、「世界の快適音楽セレクション」と続けて聴き、それでだいたい午前はすぎてしまう。エアチェックしておいた今日の放送をもういちど聴いていて、昼食(トースト)をすませると眠くなってしまい、そのままベッドに行って寝てしまう。とちゅういちど目覚めたけれども「ま、いいか」とそのまま寝つづけたら、次に目覚めたときには五時になっていた。四時間ぐらい寝たわけか。つまりけっきょく、今のわたしは一日に八時間とか九時間とか寝てしまうのがノーマル。睡眠の取りすぎだとは思うのだけれども。

 娘から、「勤め先でのカードのポイントをギフトカードにしたので」と、そのギフトカードが送られてきた。うれしい。すっごい助かる。イトーヨーカ堂でも使えるので、我孫子のヨーカ堂でちょっとぜいたくな買い物をしてみようかとも思ったけれども、ソフマップでも使えるようなので、近々買い換えたいと思っているパソコンを買うときに使わせてもらおうかと思う。

 夕食はまたカレーで、早々と、もう飽きてきた。何か別のものが食べたい。食事のあとはテレビなど漠然とみて、借りているDVDでも観ようかと思ったけれども、本でも読んでいる方がいいかと、やはり図書館から借りている「現代詩手帖」の「ダダ・シュルレアリスムの可能性」の対談とか鼎談を読み、そのあと「重力の虹」をちょっと読んだ。

 シュルレアリスムに関しては、また関連する書物を読みたいという気もちもあるのだけれども、それで思い返して残念なのは、今回の転居の際に、持っていた平凡社の「世界名詩集大成」という全集の、そのシュルレアリスム関係の詩の多く収録されていた「フランス」の第三巻だったかを、表紙が傷んでしまっていたので捨ててしまったこと。この「世界名詩集大成」には、この本にしか収録されていない貴重な詩の日本語訳が多く収録されていたのだ。どこの図書館も所蔵していないし(造本がやわなので、すぐにボロボロになってしまうあたりに原因があるのか)、今でも「バカなことをした」と、悔やんでいる。

     

[] 第二部「カジノ・ヘルマン・ゲーリングでの休暇」(2)  第二部「カジノ・ヘルマン・ゲーリングでの休暇」(2)を含むブックマーク

 舞台は「ホワイト・ヴィジテーション」に移り、パヴロフの信奉者、プディング老准将の話。どうも「ホワイト・ヴィジテーション」の連中は皆、スロースロップの「抵抗」ぶりに手を焼いている雰囲気。そして、<夜の女主人>のもとでの、プディングのマゾヒスティックで糞尿愛好症的な変態プレイ。‥‥ふむ、この<女主人>はやはり、カッチェなのではないのか? 452ページまで。

 

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■ 2017-12-01(Fri)

 今日は、黒沢美香さんの一周忌の日。渋谷のUPLINKにて、彼女の映像と武藤大祐氏によるトーク、というイヴェントがあり、これはチケットが発売されたときに買ってあったし、しばらくお出かけしていない欲求不満もあったし、夕方から出かけた。

 そうだ、今日からもう「師走」なんだ。もうすでに年末っぽい空気の渋谷は、さすがに「大都会の夜」という雰囲気だった。考えてみれば夜の東京に出てくるというのも久しぶりのことだし、それでよけいにその空気に圧倒されたような感じ。
 会場に到着。久しぶりにお会いする方二、三人にお会いしてあいさつするけど、わたしが記憶をなくしてからは初めてお会いする方たちだったので、また、わたしのことを覚えて下さっていることに「意外」な思いをした(わたしはそういう人たちと自分との接点の記憶をなくしているので、あちらではわたしのことをご存知ではないだろうと、勝手に思い込んでしまっていた。こういうことは今までにも多く体験したこと)。
 会場はいかにも「わたしもダンスやってます」みたいな若い女性の数が多く、いつもダンスのイヴェントでみる観客とはずいぶんと異なる雰囲気だ。美香さんのワークショップを受けていたという人が多いのかもしれない。武藤さんともお会いしてちょっと話をしたけれども、つまり武藤さんも学生の頃には北柏に住んでいらっしゃったので、「渋谷は遠いでしょう」という話で、「いや、表参道で乗り換えるの一回だけだから楽ですね」と答えると、そういう感じはよくわかる、なつかしいというようなお話。

 わたしは、七時半から始まるこの日のイヴェントは、せいぜい二時間ぐらいのもので、九時半ぐらいには終わるのかと思っていたのだけれども、書かれていたスケジュールをみると終わるのは十時半ぐらいだということ。そうか、それは終わったらまっすぐに帰路に着いても、帰宅するのは十二時過ぎになりそうだな、などと思う。
 それで、イヴェントが終わってすぐに帰ろうとして、出口のところにいた武藤さんにあいさつすると、「帰っちゃうんですか?」みたいにいわれて、そういわれてしまうと短い時間でも武藤さんとかと歓談の時間を取れればよかったな、などと思うのだけれども、ま、財布の中身のもんだいもありますし、今回はしょうがないですね。そのうちに武藤さんとはゆっくりと、飲んで話をするとか、そういうことをやりたいのだけれども。

 もう十時もとうに過ぎているのににぎやかな渋谷の街を縦断し、まずは半蔵門線で表参道へ出て、そこから千代田線に乗り換える。逆方向なので空いている半蔵門線の中で、わたしの近くに座っている女性の前に、百円玉が落ちていた。その女性が落としたものかと、「百円、落ちてますよ」と伝えたら、チラッと見ただけで拾おうともせずに知らんぷり。「自分のじゃない」というつもりなのだろうか。それならワシがもらっておこうかと、次の表参道で降りるときに拾って下車した。
 千代田線も表参道あたりはまだ空いていたけれども、それからはだんだんに混み合ってきて、大手町を過ぎる頃にはほぼ満員になった。時計はもう十一時をとうに過ぎていて、普段のわたしだったら熟睡している時間。「眠くなるだろうな、寝てしまって北柏の駅を通り過ぎなければいいが」と思っていたのだけれども、いっこうに眠くなることもなく、けっこう読書の時間が取れた。

 北柏の駅に着いたのはちょうど十二時ぐらいだった。あとは「明日」のことになる。

     

[] 黒沢美香追悼企画 美香さんありがとう 追悼特別上映会〜ダンサー黒沢美香の世界〜「命日特別上映+トーク『黒沢美香とミニマル』」@渋谷・UPLINK  黒沢美香追悼企画 美香さんありがとう 追悼特別上映会〜ダンサー黒沢美香の世界〜「命日特別上映+トーク『黒沢美香とミニマル』」@渋谷・UPLINKを含むブックマーク

上映作品:
 ●「Wave」稽古風景
 ●「クロソフスキー/アクタイオーンの水浴を覗くディアーナ」
 ●「Edge2-ダンサー黒沢美香・もう私のやることをダンスと言わなくていい-」
 ●「Wave 踊る人」

 映像では、やはり「Wave」が印象に残った、というか、こういう動きはわたしの記憶にある美香さんの舞台でも見られたもので、彼女の<ダンス>の<原点>はここにあるのだろう、と思った。それと、黒沢美香さんを追ったドキュメント的作品の「Edge2」にも、彼女の創作の秘密が語られていただろうか。それでひとつわからないのだけれども、「クロソフスキー/アクタイオーンの水浴を覗くディアーナ」というタイトルだけれども、今まで意識しなかったのだけれども、当然水浴を覗き見するのはアクタイオーンで、覗き見されるのがディアーナなわけである。もちろん、クロソウスキーも「ディアーナの水浴」で、その視点から書いているはずである(未読)。このタイトルは黒沢美香さんによるものだろうけれども、この<逆転>には、どのような意図があったのだろうか。

 武藤さんのレクチャーは、アメリカの「ジャドソン・チャーチ」などのミニマリストの運動を美術のミニマリズムとの関連などから解き明かされ、とてもわかりやすいものだった。その中で、黒沢美香さんとアメリカのミニマリストとの差異について、「美香さんの芸能への接近」を語られたのは、ちょっと核心をつかれたという感じ。‥‥そうなのだ。美香さんの「芸能」への意識というのは、ひとつのポイントだろう。そして、彼女のユーモア感覚、そして、彼女の言語感覚とか、考えることは多い。


[] 第二部「カジノ・ヘルマン・ゲーリングでの休暇」(1)  第二部「カジノ・ヘルマン・ゲーリングでの休暇」(1)を含むブックマーク

 ついに「第二部」! エピグラフは映画「キング・コング」の監督、メリアン・C・クーパーが、主演のフェイ・レイにいった言葉、「きみの今度のお相手は、ハリウッドで一番のトールでダークな男優だ」というもの。第一部でも、そのフェイ・レイへの言及はありましたね。

 第一セクション。モンテカルロの「カジノ・ヘルマン・ゲーリング」へ(いろんな思惑があって)連れてこられたスロースロップ。いっしょに来たのはタンティヴィとテディ・ブロート。ここからはまさに「映画的」展開で、ものすごく面白い。スロースロップとタンティヴィ、それとブロートの三人は、ホテルの階下のダンサー三人と海辺へ行くのだけれども、そこでカッチェが例の大ダコのグリゴリに襲われている。ブロートがなぜか持っていたカニで危機を救うけれども、このあたりはB級モンスター映画か。しかし、いかにもスロースロップは「はめられて」いる。「わたしたち、きっと出逢う運命だったのね」とスロースロップに語るカッチェ。あやしいぞ。

 第二セクション。大ダコのグリゴリをあやつったポルキェヴィッチ博士。この人物はまたあとでも出てくるみたいだ。スロースロップはカッチェの誘いに乗り、深夜に彼女の部屋を訪れる。「こいつは怪しい」とわかっていながら接近するジェームズ・ボンドみたいな、スパイ映画っぽい展開。それがミュージカル映画になり、しかしスロースロップは賊に身分証明から服からすべて奪われてしまうのだ。犯人はテディ・ブロート? とにかくはそのブロートの手配で、イギリス軍の軍服をまとうスロースロップ。

 第三セクション。はたして、カッチェは敵なのか味方なのか? もうスロースロップに頼れるのはカッチェしかいないのか。ふたりは「どっぷり」の仲になってしまうのだが。「あなたとあたしをロケットの軌道がつないでいた。いいえ軌道だけじゃない、ロケットの<生>がわたしたちをつないでいたのよ」と語るカッチェ。ブロートは消えてしまった。やはり怪しい? ここでスティーヴン・ドズスン・トラック登場。彼は「作物学者かつ脳外科医にして、オーケストラのオーボエ奏者」なのだと。コイツも怪しいのだが、とにかくこのスティーヴン、あの霊媒師のキャロル・イヴェンターの愛人であるところのノラ・ドズスン・トラックの旦那なのである。ややっこしいぞ。スロースロップも、このスティーヴンは「剣呑」と承知の上で相対する。
 えっと、ペーター・ザクサとレニ・ベクラーのことが語られ、イヴェンターとノラとの関係の相似性が語られる。そしてある日、カッチェはスロースロップの前からこつ然と姿を消してしまうのだ。432ページまで読んだ。

 

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