ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2018-02-28(Wed)

 夜、寝ていると、肩を「トン」と叩かれた気配で目が覚め、「な、な、なにごとか」と目を開けてあたりを見ると、わたしの枕元すぐのところにニェネントがいて、その顔がどアップのフレーミングでわたしを見下ろしているのだ。「‥‥おまえか? おまえがわたしの肩を叩いて起こしたのか?」ということで、ニェネントに「何ですか?」と声をかけると、ニェネントはベッドから飛び降りて下に行ってしまう。そして、そのベッドの下から、こんどはわたしの頭のてっぺんを「ツン」と叩くのだった。時計を見るとまだ二時半。ニェネントは夜中に目覚め、とつぜんにわたしと遊びたくなったのだろうか。
 ニェネントはこういう、いかにも可愛い、「飼いネコ」的な行動というのはほとんどやることのないネコなので、「いったいどうしたことだ」とか思ってしまうのだけれども、さすがに午前二時半に起き出して「よ〜し! いっしょに遊ぼう!」ともならないで、わたしはまたそのまま寝てしまうのだった。

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 昨日書いたように、今日は仕事のあとに新宿に行って、ニェネント=二階堂ふみの出演している「リバーズ・エッジ」を観ようという計画。映画は午後一時四十分からだけの上映で、ま、仕事を終えて新宿に出ても十二時ぐらいのものだから、充分に間に合う。その前に飯田橋で昼食してから新宿に出て、チケットをゲットしておいてから本屋とかで時間をつぶせばいいだろうという計画。

 気分的に今日は海鮮丼とかちらし寿司とかを食べたい空気感で、飯田橋周辺を歩いてそういう店を探すのだけれどもなかなかに見つからない。ようやく、「夜は居酒屋、昼はランチを出す」という最近多い形態のチェーン店を見つけ、ちょっと豪華目の海鮮丼を注文した。‥‥あれ? むむむ。でっかいエビは乗っかってたけれども、刺身系がかなり貧弱だし、しかも味も落ちる。これはがっかりで、「これからはこのチェーン店には行かないぞ」と決めるのだった。

 新宿に出て時間は十二時二十分ぐらい。その「リバーズ・エッジ」を上映している映画館へ行き、チケットを買おうとしたら、何と!「完売」と書かれている! ちょっとショックというか、これで計画がすっかり狂ってしまった。「他の映画を観よう」という選択肢で動こうかと思ったけれども、どうも、他にどういう映画を新宿でやっているのかよくわからない。それよりも、今朝方わたしで遊んでくれたニェネントにいつまでも留守番させるのではなく、早く家に帰ってニェネントといっしょにいた方がいいか、という感じになる。

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 その前に、今日はついに、ナボコフの「アーダ」を買っておこうと決めた日でもあり、某紀伊国屋書店へと行ってみる。すると、ここでもショックなことに、「アーダ」は店頭に置かれていないのだった。むむむ、紀伊国屋にナボコフの「アーダ」が置かれていないとは、日本の活字文化もおしまいである。
 しょうがないなー、と店内をぶらぶらしてみると、九州の出版社が刊行したという、レーモン・ルーセルの「アフリカの印象」の文庫本サイズの本が置かれているのを見つけた。普通は九州まで行かないと買えないんですよ、みたいなこと書いてあるし、この奇々怪々な本は読んでみたい。抄訳ではあるが、全訳で読む必要もあるまい。坂口恭平という方の挿画付き。コレを買った。

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 もう、電車に乗ってウチに帰ることにしたけれども、やはり柏駅で降りて本屋に寄り、「アーダ」があれば買っておこうという気になった(せっかく買う気になっていたのだから)。
 柏にも「ジュンク堂」とか大型書店もあるわけだし、「いちど寄っておこう」という気もち。柏駅で下車し、その「ジュンク堂」のある建物に入ると、そこでは古本市が開かれていた。‥‥どうも、そういう「古本市」とかがあると一巡してみたくなるのがわたし。見てまわっていると、ゲゲゲ! あのギュスターヴ・モロー展の図録が、わずか300円で売られているではないですか。これは去年、二千円ぐらい出してヤフオクで買ったものだったので、ショック。それで、300円だったらダブってもいいから買っておけばよかったのに、買わないでスルーしてしまって、これは帰宅してからまた後悔。でもこの古本市で「世界の名著」の「プルードン/バクーニンクロポトキン」の巻、そして「テイト・ギャラリー展」の図録とを買った。どちらも300円。古本市を出て、その上の階の「ジュンク堂」へ行ってみると、ちゃんとナボコフの「アーダ」も置いてあったので、無事に購入。いや、今日は散財の一日だ。

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 一度帰宅して、また夕食は近所の中華屋で。そう、実はこの日はわたしの誕生日だったので、その「ひとり祝い」ではあったのです。


 

[]「マーシェンカ」ウラジーミル・ナボコフ:著 奈倉有里:訳 「マーシェンカ」ウラジーミル・ナボコフ:著 奈倉有里:訳を含むブックマーク

 ナボコフの、27歳長篇デビュー作。ナボコフといえば小説構成上の実験的な試みとか、世界へのシニカルな視点とかが印象に残る作家ではあるけれども、この長篇デビュー作はどうなのか(わたしはこの本がさいしょに翻訳されたときに買って読んでいるけれども、もちろんこれっぽっちも記憶していない)。やはり、この時代のナボコフは故国ロシアへの憧憬ということがまずは感じられる作風なわけで、この「マーシェンカ」でも、そんなロシアへの想いと「初恋の人」マーシェンカへの思い出とがいっしょになり、まさに「故郷喪失者」の世界が描かれるというか。

 ベルリンでの亡命者社会が描かれるというのでは、二、三読んだ彼の短篇作品と共通する要素も読み取れるわけだけれども、この作品では「きっとさいごに<どんでん返し>があるだろう」ということが、読んでいての<残りページ数>とかからも感じ取られる。それは後のナボコフの作風からも、きっと<シニカル>なものではあるだろうと予測して読んだのだけれども、なんと! ここにあるのはナボコフ作品では実に珍しい、爽やかな、爽快な<どんでん返し>ではあった。こういうのも好きですね!


 

[]二〇一八年二月のおさらい 二〇一八年二月のおさらいを含むブックマーク

ダンス:
●Nibroll「コーヒー」高橋啓祐:映像 矢内原美邦:振付・演出 @横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール
●「隙間を埋めるのにブロッコリーを使うまで」福留麻里:ダンス 村社祐太朗(新聞家):テキスト @横浜・STスポット
●寺田みさこ「三部作」寺田みさこ:出演 チョン・ヨンドゥ、塚原悠也、マルセロ・エヴェリン:振付 @横浜にぎわい座 のげシャーレ
●「パレード」岡田智代:振付・ダンス 佐々木すーじん:音楽 @横浜・若葉町ウォーフ

パフォーマンス:
●高谷史郎(ダムタイプ)「ST/LL」高谷史郎:総合ディレクション @初台・新国立劇場中劇場

伝統芸能:
●「女殺油地獄」近松門左衛門:作 @半蔵門・国立劇場小劇場

ライヴ:
●Ché-SHIZU「シェシズ35周年記念LIVE!」@渋谷・公園通りクラシックス

映画:
●「スリー・ビルボード」マーティン・マクドナー:脚本・監督

読書:
●「あなたの人生の物語」テッド・チャン:著 公手成幸:翻訳 短編集「あなたの人生の物語」より
●「川(The River)」フラナリー・オコナー:著 須山静夫:訳(「オコナー短編集」より)
●「マーシェンカ」ウラジーミル・ナボコフ:著 奈倉有里:訳
●「メイスン&ディクスン」トマス・ピンチョン:著 柴田元幸:訳

DVD/ヴィデオ:
●「ダムタイプ/pH」(1992) 古橋悌二:映像演出
●「コントラクト・キラー」(1990) アキ・カウリスマキ:監督



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■ 2018-02-27(Tue) このエントリーを含むブックマーク

 通勤電車の中ではナボコフの「マーシェンカ」を、家に帰ると金井美恵子のエッセイ・セレクション「猫、その他の動物」を読んでいるのだけれども、普段は辛辣な毒舌で楽しませてくれる金井美恵子も、ことネコのことになると実にだらしない。これではただの「ネコ好きおばさん」なのである。これがお姉さんの久美子さんとふたりでダブルに「ネコ好き」だから、普通だったら「あの<カルト系>熟姉妹の守る、恐怖のネコ屋敷」てなものだが(「老姉妹」と書くのはいくら何でも<失礼>だ!)、幸いにも、金井姉妹の飼うネコは「トラー」一匹である(今はもうこの世にいないのですが)。しかし、そのトラーが「ケイリー・グラントに似てる」とか「ジョン・ウェインに似てる」とか、読んでいて恥ずかしくなるようなことを平然と書いている。やはり、「ネコ好き」というのはしょーもないものである。

 ‥‥そういうことならば、わたしも「ネコバカ」として対抗しなければならない。つまり、「はたしてニェネントは誰に似ているか?」ということである。‥‥ふむ。ニェネントの特徴はまず、「あまり口が大きくは見えない」ということ。そう考えると、若尾文子とかに似ているといってもいいのではないか?と思ったりもしたが、いやいや、さすがにわたしも、そこまでに厚かましいことはいえない。雰囲気としては浜美枝に似てるかな?とも思うのだけれども、浜美枝は口が大きいか。
 いや、そういうひと昔前の女優さんではなく、現代の女優さんで考えてみようではないか。‥‥ふむふむ、と思い起こしてみると、いましたよ。ニェネントがそっくりの女優さん。それは「二階堂ふみ」である。

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 うむ。「何をバカなことをいっているのだ」という声が聴こえてくるが、今わたしは、金井美恵子と架空のバカ合戦をやっているのだから、ここは容赦していただかないとアレだけれども、いや、今、わたしの中では「ニェネント=二階堂ふみ」という等式が出来上がっている。もうこれからは「ニェネント」という名まえを捨てて、「二階堂ふみ」と呼んでもいい。わたしは「二階堂ふみ」といっしょに暮らしているのだ。

 閑話休題(でもないが)。そのニェネントの分身の二階堂ふみの出演している映画、「リバーズ・エッジ」が観たい。これが意外と上映している映画館が少ないというか、その上映時間がどこも早朝とか深夜ばかりなのである。調べたら新宿で、仕事を終えたあとに行くのにちょうどいい時間に上映回があるようで、「それでは明日観に行こうか」ということにした。明日はわたしの<記念日>でもあるので、ちょっと散財してみていいのである。

 今日は砂糖が残り少なくなったので買いに出たのだけれども、こういうのはスーパーの「O」の方が安いだろうと、まずは「O」に行って砂糖とかを買い、そのあとに近いスーパーの「m」に行ってみたらば、あらら、「m」の方が30円も安いのだった。ミステイク。


 

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■ 2018-02-26(Mon)

 昨日見た鳥、わたしは「ウグイス」だと思い込んでしまったのだけれども、どうやら「メジロ」だったみたい。たしかに追って行ったとき、目のまわりの白い鳥だった。「ウグイス」と「メジロ」とは、見間違いしやすいらしい。というか、ウグイスはそう容易くは住宅地になど出現しないのだ。

 今日は仕事の帰り、ウチの近くで、元気なニェッタの姿を見ることができた! これはとってもうれしい事柄だった。前に、国道をはさんだ対面の中華屋のところでニェッタを見たと思っていたから、そこまでの驚きではなかったけれども、それがなければ、わたしは「もうニェッタに会うこともないだろう」と思っていたことだろう。そうしたら今日ニェッタの姿を見たとき、きっと<驚愕>していただろうな、と思う。‥‥わたしがニェッタにあげようとしたカリカリも食べず、水も飲まなかったニェッタはきっと、「気安く人間の施しを受けると危険だぜ!」という、<生き残り>の本能を持っているのではないかと思う。「自分は野良として生きる」という気概と誇りを持ったネコだろう。おそらく、決して人に媚を売ったり甘えたりすることはないのだろう。尊敬に値するネコなのだ。

 先日、自宅駅の近く(ウチへの帰路の反対側)に、小さなスーパーマーケット(といっていいのか?)を見つけたので、これからは仕事の帰りにそのスーパーに立ち寄って、買い物をして帰ることを考える。野菜など、安いものはかなり安い。今日も帰りにそのスーパーに寄り、もやしとニラなどを買った。今夜はレバニラ炒めである。

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 疫病神のようにわたしにつきまとった「メイスン&ディクスン」を読み終わり、今日からは電車の中でもナボコフの「マーシェンカ」を読む。なんだか、「解放された」思いがする。世界がのびのびとわたしの前に拡がっている。いや、何もこれは「メイスン&ディクスン」が「悪い」ということではないのだけれども、呪縛から逃れた、という感じではある。
 夜には先週借りたDVD、またカウリスマキ監督の、次は「コントラクト・キラー」を観た。

 今日もテレビの報道では女子カーリングチーム、LS北見がいっぱい露出していた。「これがメダルを取れないで終わっていれば、こうはならなかったのだな」と思うと、ストーンに賭ける「運命」というものがこれほどに大きなものなのかと、あらためてある意味で苛酷な競技だと思うわけだし、わたしがこれまで十年以上カーリングを応援してきた気もちもまた、あの最後の一投で報われてしまったようにも思えるのだった(なぜあそこでLS北見が勝てたのか? それは、<天使>があのストーンにキスしたからなのだ!)。あの「ミスショット」をしたイギリスのスキッパー、イヴ・ミュアヘッド(やはり<美人>であった)には申し訳ないが。‥‥って、今調べたらこのイヴ・ミュアヘッド、バグパイプの名手でもあるらしいのだ(しかもゴルフのシングル・プレーヤー!)。


 

[]「コントラクト・キラー」(1990) アキ・カウリスマキ:監督 「コントラクト・キラー」(1990)   アキ・カウリスマキ:監督を含むブックマーク

 主演はジャン=ピエール・レオで、舞台はイギリス。みんな英語をしゃべってる。フランスからひとりイギリスに来て、十何年勤めて来た職場をとつぜん解雇されたジャン=ピエール・レオにはもう、生きる希望もなく、自殺しようとするけれどもうまくいかず、新聞でフッと見た「雇われ殺し屋」の記事から「自分を殺してくれ」と依頼する。ところがそのあとになってすんばらしい恋人が見つかり、「いやだ、死にたくない」と、その自分が雇った殺し屋から逃げるのである。

 こういう、「絶望の淵にある」人を描いて、そういう哀しみをあらわしながらも笑かしてくれるのはもう、カウリスマキ監督の独壇場というか、その底から「生きる歓び」をみせてくれ、観る人の心に「ともしび」を灯してくれるのだ。
 映画の中で、彼をクビにする上司はともかくとして、「イヤな悪人」は登場しない。主人公を狙う殺し屋もまた善人で、哀しみを背負う人物なのだ。

 無表情な登場人物たちの<演技>と、「ふふふ」とほほえんでしまうようなジャンプ・カット(主人公の首つり失敗カットとか)。登場人物らは皆、楽しんで<嬉々として>演じてるんじゃないかと思わせられる雰囲気がこちらにも伝染する。大好きな映画だ。


 

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■ 2018-02-25(Sun)

 日曜日、曇り空で寒い。今日は我孫子の図書館へ行くので、まずは残りわずかになっていたピンチョンの「メイスン&ディクスン」をついに読了。むむ、読み終えるのにちょうど一ヶ月かかったことになる。とにかく難物ではあった(もう、ただ活字を眼で追ってページをめくるだけ〜内容は頭に入らず〜みたいなこともよくあった)。

 午後から図書館へ出発。前にリクエストしてあったナボコフの新刊がありますよ、と図書館から連絡をもらっていたので、今回はピンチョンの次、「逆光」はパスして、そのナボコフを借りる。もう一冊、ずいぶん前に読んだと思うけど、金井美恵子のエッセイ・コレクションの「猫、そのほかの動物」を借りる。
 ナボコフの新刊は「ナボコフ・セレクション」全五冊として刊行され始めたうちの一冊目、「マーシェンカ」と「キング、クイーン、ジャック」とを収録のもの。受け取ってみると「我孫子市民図書館」のシールが貼ってあり、他の図書館から借り受けたのではなくて、館で買ってくれたわけだ。このまま残りの四冊も、何もいわないでも(リクエストを出さないでも)買ってくれるといいのだけれども。‥‥しかしこの本、高い! 「ピンチョン全小説」と同じ新潮社の刊行なのだけれども、700ページを超える「逆光」と同じぐらいの価格で(ナボコフは450ページぐらい)、消費税入れると五千円ぐらいになってしまう。ナボコフの本は去年「アーダ」の新訳が出ていて、それも上下巻揃えると確実に五千円越える。「アーダ」の方は買っておきたいと思ってるので、この「ナボコフ・セレクション」は図書館に買ってもらう方向で。

 何も買っていないのに、「う〜ん、節約しなくっちゃな〜」という気分になって帰り道を歩く。それでウチの近くまで来ると、道路の上にスズメのような鳥がいるのが目についたのだけれども、よく見るとスズメよりも丸っこくって、羽根の色も薄緑っぽい。「ああ、コレはウグイスじゃないか」と。ひょっとしたら、ウグイスという鳥を見るのはこれが初めてかもしれない(警戒心の強い鳥らしく、なかなか見られないとも)。

 それで冬季オリンピックも今日でおしまい。昨夜のLS北見の銅メダル獲得はほとんどこの日のトップニュースで、めでたいことではあるが、昔からのカーリングのファンとしては、「オレなんか十年前から応援してるんだぞ」といいたい。しかし、朝から昨日のゲームでのラスト、イギリスのスキッパーのミスショットばかり放映されて、ちょっとかわいそうだ。これでまたこれから四年間、カーリングとはおさらばになってしまうのかな。それもさみしい。


 

[]「メイスン&ディクスン」トマス・ピンチョン:著 柴田元幸:訳 「メイスン&ディクスン」トマス・ピンチョン:著 柴田元幸:訳を含むブックマーク

 原作は十八世紀の擬古文体英語で書かれているらしく、相当に英語に強い人でも途中でギヴアップしてしまうとか。この英文を、柴田元幸さんが日本語のこれも擬古文調(つーか、漢字を多くした)文体で翻訳して原文の雰囲気を出したらしい。それで「読みにくい」とか「読めない」ということはなかったと思うのだけれども、とにかくやはりピンチョンですからねー、わたしには今までの作品でコレがいちばんの難物だったという感触。

 とにかくはその視点はネコの目のようにクルクルと変わって行くし(前半はこのメイスンとディクスンのことを、彼らを知る神父があとになって夜の団らんに家族に語って聞かせるという構成でもあり、急にその家族の団らんの話に切り替わったり)、例によって<大きなストーリー>がで〜んと構えているわけではなく(ないわけではないのだけれども?)、とにかく細かい挿話の山。山。山。まさに「東海道中膝栗毛」の西洋版かよ!という感じでもある。それでまた「話をする賢犬」だとか「機械仕掛けの鴨」だとか奇想天外なキャラクターも登場する。うまく話の中に入っていけているときは、読んでいておかしくって笑ってしまうこともあるのだけれども、むむむ、ついつい読んでいて、「お話」からはじき飛ばされてしまっている自分を発見してしまう。「アレ? 何の話やねん」となってしまうことしばしば。

 大まかなストーリーの流れとしては、メイスンとディクスンの二人がコンビを組んで、まずは南アフリカでの金星の太陽面通過の観測の話があり、それからアメリカに渡っていわゆる「メイスン・ディクスン・ライン」を引く測量作業。そして後日談みたいな構成。その中でやはり、南アフリカからアメリカへと、主人公二人につきまとう「奴隷制」という問題があり、特に血気盛んなディクスンはそのことに強く反撥もする(終盤に奴隷たちをつなぐ鎖を解いてやるディクスン、カッコいい!)。そしてアメリカ建国に至る裏の歴史も語られてもいたのだろうけれども、そのあたりはあんまりうまく読み取れなかった。再トライですね!

 やはり今回の主人公もまた「おデブちゃん」で、もうピンチョンの作品の主人公っぽい人物はみんなおデブちゃんで、どういうんでしょうね。それから、毎回登場する「船乗りボーディーン」が今回もまた登場(今回はその祖先だろうけれども)。これならきっと、次の「逆光」にもボーディーンは登場しそうだ。

 とにかくは「ダメだ!こりゃあ!」という作品などではなく、その面白さの一端(ほんの一端)には触れることはできた。すっごく面白いみたいなので、やっぱりコレはもういちど読まないといられませんね。


 

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■ 2018-02-24(Sat)

 今日は2月24日。一年前のこの日、わたしがそのとき住んでいた茨城のアパートで火事が起きた。わたしの運命が大きく動いた日といえばいいのか。その結果として今、わたしはこの千葉に住んでいる。その新しい生活も、一年が経ってようやく軌道に乗って来たところだろうか。まだまだ、「これから始まる」とはいうところであろう。

 さて、今日はまたしても「国立劇場」。いや、今日は初台の「新国立劇場」へ、ダムタイプの「ST/LL」を観に行く。公演は昼の二時に始まるので、昼前には家を出る。今日も、ニェネントくんには「お留守番」をやってもらいます。電車の中では苦労したピンチョンの「メイスン&ディクスン」を読み、もう残りはあとわずか。新御茶ノ水駅でJRに乗り換えて新宿に出て、また京王新線に乗り換えて初台駅。前にも来たことはあるけれど、やはりこう、オシャレでセレブな空間ですな。

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 今回は割安な2階B席で観たのだけれども、ま、先にちょっと感想を書いておくと、わざわざ観に来なくてもよかった公演だったかな?と。とにかくはこれでスケジュールもびっしりだった二月の公演観劇ラッシュもおしまい。これから三週間ぐらいは予定もない。美術展や映画でもせっせと観ましょうか。

 さて、「初台」ということは、代田橋の「N」も近い。歩いて行けるのではないか。そのあたりのことは先に調べてあって、初台から首都高速〜京王線沿いにずっと歩いて行けばいい。おそらくは歩いて歩いて三十分とか四十分ぐらいのものではないか。時間もまだ三時半ぐらいだし、電車で行くとまだ「N」はオープンしていないだろうし、ちょうどいい「お散歩」である。
 ま、あまり楽しい散歩道でもないのだけれども、そんなに「歩いた」という印象でもなく代田橋に着く。「N」に行くとDさん。テレビではカーリングの男子決勝が放映中で、昨夜はこの店でも日本対韓国戦のゲームで盛り上がったという。前に東北沢に店があった頃にはテレビなど置いてなかったから、大きな変化だなと思う。昨日のゲームをおおぜいで見たのなら、それは盛り上がったことだろうと思う。おっと、今夜はその日本とイギリスの三位決定戦がある。これは見なければいけないと、早めに帰路に着く。

 自宅駅から自宅に戻ってくると、ウチのアパートの前に白いネコがいた。これは、ここで最初に見たあの「シロ」とはまた別のネコだ。初見参だね。写真を撮ろうとしたけど、暗いのでうまく撮れなかった。これからまたその姿を見ることもあるだろうか。

 さて、楽しみにしていたカーリング。イギリスも日本も大量失点のリスクを避けるジリジリするような慎重な展開がつづく。とりあえずはイギリスが一歩リードの展開なのだけれども、どこかでスチールとか2点以上の得点とかがあれば局面はいちどに変わるだろう。そんな2点得点のチャンスを日本が逃し、そのまま交互に1点ずつ取り合う展開ならばイギリスが勝つことになる。それがようやく、第9エンドに日本がイギリスのミスを誘って1点スチール。これで日本勝利の可能性が一気に高まった。それで第10エンドはまたハラハラドキドキの展開。ついにハウスの中に複数のストーンがたまり、どちらにも複数点のチャンス。日本の藤澤の最終投はわずかにずれて第一ストーンはわずかにイギリス。このまま終えても延長戦になるけれど、延長戦はイギリスに圧倒的に不利なので、イギリスのスキップは複数点を狙いに行く。見た感じは狙い通りにストーンが行き、日本のストーンに当る。これで日本のストーンがはじき飛ばされればイギリスの逆転勝ちよ。ところがはじかれた日本のストーンはハウスの真ん中に動いてしまって、おっと日本のスチールですよ。見ていたわたしも一瞬どうなったのか、はたして黄色のストーンが日本なのか、赤のストーンが日本なのかわからなくなった。‥‥おお、日本の勝利。銅メダル獲得ではあった。しかし、こういうゲームではミスショットこそが失点につながる残酷な展開になるわけで、イギリスのスキップはかわいそうだった。その後、テレビはもう大騒ぎ。前からのファンとしては、「あんまり騒がないでよ」とは思うのであった。どうせすぐにカーリングのことなど忘れてしまうのに(二年前の世界選手権で二位になったことなど、誰もおぼえていないみたいだ)。


 

[]高谷史郎(ダムタイプ)「ST/LL」高谷史郎:総合ディレクション @初台・新国立劇場中劇場 高谷史郎(ダムタイプ)「ST/LL」高谷史郎:総合ディレクション @初台・新国立劇場中劇場を含むブックマーク

 えええっ! ダムタイプって、こういう「よく出来たプレゼンテーション」的なパフォーマンスではなかったはずなのに。見た目はそれこそ「おしゃれでカッコいい」感じだけれども、時代を切り取ってみせるパワーは感じられない。音楽に坂本龍一も加わっているのだけれども、やはりみていると「この部分の音楽は坂本龍一だな」とわかるのだけれども、つまりは彼の意匠でしかない感じで、舞台に「力」を付与するものではないと思った。パフォーマーで出ている鶴田真由も、テクストを朗読する場面で、いかにも「手慣れた舞台俳優」みたいな感じで、これはわたしにはミスキャストと思えた。

 昔のダムタイプのように、「時代の先端を行くパフォーマンス」を期待してもみていたのだけれども、まったくそういうものではなかった。これは、「死骸」である。


 

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■ 2018-02-23(Fri)

 今夜は半蔵門の国立劇場に、文楽の公演「女殺油地獄」を観に行く。

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 文楽を観るのは二年ぶりだったけれども、さすがに国立劇場へ行く道は忘れてはいなかった。もう文楽公演も何度も観ているので要領もわかったのでというか、この日はひとつ、「計画」してみたことがある。それはとちゅうで入る休憩時間に、劇場内の売店で売っている「助六寿司」を買って食べたいというもので、ま、厳密にいえば助六寿司は歌舞伎の舞台にこそふさわしいのかもしれないけれども、やはりこういう「伝統芸能」を観て、そんな雰囲気の休憩時間を体感してみたかった。

 劇場に着いたのは開演の二十分ぐらい前の五時四十分ぐらい。もうロビーは人がごった返している。売店をのぞいてみると、もう助六寿司は二つしか残っていないではないか。あとは「おにぎり弁当」と「サンドイッチ」とが売られているのだけれども、ここはやはり助六寿司でなければ。先に買っておくことにした(ちょっと高かったけれどもね)。
 ロビーをみると、もうビールとか飲んでいる人も姿もみえ、「ああ、ビールも飲みたいね」とか思ったのだけれども、観ているとちゅうでトイレに行きたくなっても困るのでやめておく。
 今回のわたしの席は五列目とかなり前の方なのだけれども、下手側なので「床」をみるにはグッと横をみなければならない感じ。それでも今まで文楽を観た中ではなかなかの良席。う〜ん、しびれる。

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 待っていた(?)休憩時間になり、「さあ、助六寿司を食べよう」とロビーに出たけれども、ちょっと出るのが遅れてしまって、もう座れる席が空いていない。通りかかった売店ではやはり、「助六寿司」は売り切れていた。先に買っておいてよかった。‥‥なんとかベンチ席に座れるところをみつけて、「助六寿司タイム」。おいしいおいしい。いい気分である。

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 後半も終わり、終演時でちょうど九時。‥‥さて、今夜はオリンピックの女子カーリング、準決勝の対韓国戦をやっているところ。このゲームに勝つともう、金メダルか銀メダルかしかないのである。今持っているケータイは多少はネット接続して見れるので、ゲームの速報をテキストで見たりする。‥‥う〜ん、どうも劣勢。なんだか家に帰ってテレビをつけたら、すぐに「負けました」という場面を目にすることになりそうな感じで、「いやだな〜」というところ。そもそも、わたしが見ていると負けるのだ。
 十時をまわった頃に帰宅して、テレビをつける。ところが、ここからLS北見は粘りを見せ、3点差からついには同点に追いついてしまい、延長戦。ここまでの展開は先のスウェーデン戦での大逆転を思わせるもので、「ひょっとしたら」とも思ったのだけれども、うむ、やはり負けてしまった。残念。もうニェネントと寝よう。


 

[]「女殺油地獄」近松門左衛門:作 @半蔵門・国立劇場小劇場 「女殺油地獄」近松門左衛門:作 @半蔵門・国立劇場小劇場を含むブックマーク

 この作品も、当時実際に起きた事件から取材したものとして、「世話物」と分類されるのだろう。しかしこのタイトルは秀逸というか、「おんなごろしあぶらのじごく」というインパクトは相当なものという印象。物語はつまり、アホなヤンキー野郎が金に困り、昵懇の人妻を殺して金を奪うという、今でもときどき起こるような事件から取材したものということで、一時期テレビでもよく見られた「事件の再現ドラマ」みたいなものか、というところだけれども、そこはさすがに近松門左衛門で、「なぜこんな事件が起きてしまったのか」ということを、事件の過去にさかのぼって描いて行く。そこに、この事件の背景の人間関係の微妙なところをみせ、「悲劇」へと突き進んでしまったドラマをきっちりと描く。やはりクライマックスは「豊島屋油店の段」の凄惨な殺しの場面になるのだけれども、殺されるお吉が「今死んでは残される三人の子が不憫だ、死にたくない」と語るところでは涙。

 人形遣いとしては今はちょっと「過度期」というか、なかなか難しい時期でもあり、突出した場面も見られなかった気もするし、吉田蓑助の出番も少なかった(彼の人形遣いは「さすが」というところだったけれども)。あとはやはり義太夫の魅力ということにもなるのだけれども、そのあたりはたっぷりと堪能することが出来た。冒頭「徳庵堤の段」での五人の太夫の掛け合いの魅力、そして何よりもわたしには、次の「河内屋内の段」奥の、竹本津駒太夫の太夫、それと鶴澤清友とのコンビがすばらしかった。‥‥やはり、文楽はすばらしい。まだまだいっぱい観たいところである。


 

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■ 2018-02-22(Thu)

 不意の雪、というか「みぞれ」。早朝、出勤前にテレビを見ていると、都心で派手に雪(みぞれ)が降っている映像。「えっ?」と感じで外に出ると、まさにしゃんしゃんと降っていた。雪なんだかみぞれなんだかよくわからないけれども、「おやおや」という感じ。もちろん勤務先あたりに着いてもぽちぽちと降りつづいていて、さすがに仕事が終わった頃にはわずかな小雨になっていたのだけれども、電車に乗って自宅駅に着くと、こちらではまだみぞれが降っていた。まだまだ「冬」はつづく。

 昨日はまた、トマトシチューをつくったのだけれども、今回はちょっとイマイチの味だった。「チーズを入れればおいしいか?」と入れてみた効果がまるでなかったというか、裏目に出てしまった感じ? それで今日はもう一缶トマト缶を追加して、ようやくいつもの「お気に入り」のトマトシチューの味になった。

 今日は、思いがけない大杉漣さんの訃報を聞き、とても悲しくなった。そして、「心不全」というのもこわいな〜と、やはり死ぬのなら心臓疾患からになってしまいそうなわたしは思うのだった。今のところ血圧ではクリニックに通っているし、年末の血液検査でも大きな異常はみられなかった。禁煙も実施しておるし、とにかくはわたしの役目は「ニェネントが天寿を全うするのを看取ること」なわけだから、まだまだ生きていなくってはならないのだ。
 しかし、やはり大杉漣さんは「好きな役者さん」だった。たけし映画の「ヤクザ」から、小心な中年サラリーマン、そして黒沢清監督の「タイムスリップ」でみせてくれたとんでもない狂気とか、今の日本映画の<良い部分>に、いなくてはならない役者さんだったと思う。追悼。

      D

 カーリング女子は、やはりLS北見の準決勝進出が決まった。わたしも今回は「金メダルからメダルなしまで、どんな可能性もあるな〜」とは思っていたけれども、これでメダルに一歩近づいたというか、二年前の世界選手権と同じパターンになった。こうなると世界選手権の雪辱ですね。

 今日は「にゃんにゃんにゃん」のネコの日なので、ニェネントの最新写真を一枚。

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[]「川(The River)」フラナリー・オコナー:著 須山静夫:訳(「オコナー短編集」より) 「川(The River)」フラナリー・オコナー:著 須山静夫:訳(「オコナー短編集」より)を含むブックマーク

 仕事の空いた時間で文庫本なら読めそうなので、今朝家を出るときにフラナリー・オコナーの短編集を持って出て、今日はまず最初の「川」を読んだ。

 オコナーについては多少は知っている。南部アメリカを舞台にして、いつも宗教についての作品を書いた。この「川」もまた、キリスト教の「救済」がテーマだろうか。

 主人公のハリーは五歳の男の子だが、両親の愛情をたっぷり受けているとはいいがたいようだ。この日ハリーはコニンという子守りに預けられて外に出かけるけれども、そのあいだハリーの両親は友人を呼んでパーティーを開いていたことがあとでわかる。コニンはハリーを各地を説教してまわっている説教師の集会へ連れて行く。コニンはその説教師を熱烈に信奉している。集会は川辺で行なわれており、「まだ洗礼を受けていない」と答えたハリーはその川で、説教師によって川の水の中につけられて洗礼を受ける。説教師はこれで「キリストの御国」に行けるのだという。次の日、両親の遅くまで寝ている家を抜け出したハリーは昨日の<川>へ行き、ひとり入水する。

 オコナーはこの説教師の教えを肯定しているのかどうかはわからない。ただ客観的に、その川辺の集会での説教師の言動を書いているだけに思える。子守りのコニンという女性もはたして「狂信者」といえるレベルなのかどうかわからない。ただ、両親の愛情に恵まれているとはとてもいえない幼いハリーが、自分の家よりも「キリストの御国」へ行きたいと思うことになる契機、その行動はよくわかる。そしておそらくはこのような信仰のバックグラウンドがアメリカ南部にあるのだろうということも、この短篇の情景描写の中から汲み取れると思う。つまりこの作品には、そういう南部アメリカでの<信仰>の姿のひとつの側面が描かれているように思える。

 まだ彼女の作品はこの「川」しか読んでいないので、彼女が何を描こうとしているのか、もう少し他の作品を読まなければわからない。それでもこの作品には「蠱惑的」といいたくなる魅力があった。


 

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■ 2018-02-21(Wed) このエントリーを含むブックマーク

 ‥‥どうも、気分がギスギスしているようでよろしくない。昨日の日記は書く必要のない、ひどい内容だ。身体の不調、精神の不調がリンクして、自分を貶めている。削除してしまいたいところだけれども、今までこうやって日記を書いてきて、そういう削除ということはやったことがないはずなので、ここでそういう「例外」をつくることはやめておこう。批判があればあびるしかない。

 ‥‥わたしが朝に仕事に出てしまったあと、ニェネントはどうしてるんだろうか。とにかくは昼にわたしが家に戻ったときには、かならずベッドのふとんの中にもぐりこんで寝ている。わたしが仕事に出かけると同時にわたしの寝ていたふとんに入り込み、それからずっと寝てるのかもしれない。とにかく、わたしが帰宅してドアを開けても、この頃は決して「お帰りなさい」とお出迎えしてくれることもない。それでわたしが昼食をつくって食べようとすると、ようやくその昼食を狙って起き出してくるのである。

 そのあとのニェネントは、しばらくはわたしといっしょにリヴィングですごし、たいていは出窓の上にあがってすわり込み、じっと外を見ている。寒いときは机に向かっているわたしと電気ストーブのあいだに入り込んで、丸くなっている。そして夕方近くになって、ニェネントの夕ごはんの時間が近づくと、キッチンの方にすわって、じっとわたしのことを見ている。わたしがそんなニェネントの視線に気がついて、「あ、そろそろキミのごはんだね!」と立ち上がると、「やった〜っ! ごはんだ!」とばかりにわたしを見上げてニャンニャンと啼き、いつもごはんを出してあげている和室とキッチンとを行ったり来たり、ぐるぐるとまわりはじめる。ニェネントがいちばん、飼いネコらしく見えるときである。

 そんな夕食を食べ終えたニェネントは、たいていは「もう今日はおしまいね!」という感じで、またベッドの上で寝始めてしまう。「さあ、わたしも寝よう」とベッドに行くと、だいたいちょうど、わたしの胸が入るぐらいのところで丸くなっている。ネコの体温というのは人間よりもちょっと高いわけだし、わたしが寝るのにニェネントを追い出すと(いや、追い出すわけではないが、自然と入れ替わりにニェネントは出て行ってしまう)、ふとんはちょうどいい具合に温まっているわけだ。
 それでしばらくわたしはふとんの中で本を読み、「もう寝るか」と枕元の明かりを消して本を置くと、待っていたようにニェネントがわたしの胸の上に乗っかって来る。そんなニェネントをそのままにしておくこともあるし、胸の上のニェネントをつかまえて、ふとんの中に引きずり込み、わたしの横に並ばせていっしょに寝ることもある。ま、いっしょに並んで寝ても、せいぜい二、三分で出て行ってしまうし、ベッドの上で寝ていてもいつの間にかいなくなってしまったりはするけれども。
 それで朝にわたしが目を覚ますと、ニェネントは和室の入り口に置いてあるクッションの上で寝ているわけだ。わたしが目覚めていちばんにやることは、押し入れからニェネントの朝食(カリカリ)を出してやることで、これはニェネントがにゃんにゃんと騒ぎ出すよりも先にやってしまうので、ニェネントが騒ぐことはないのだ。

 今日の冬季オリンピックは、女子の団体パシュートという競技の決勝があり、前からいわれていたように日本チームが金メダルを取った。この競技は「単に早ければ勝てるものではない」という、どこか理詰めなところがあるようで、じっさいに日本チームは風圧の計算などからレースの構成を組み立てていたらしい。それもあって、全員が金メダリストで構成されていたというオランダチームに勝ったわけで、これは夏のオリンピック、陸上400メートルリレーでの日本チームの銅メダルを思い出させられる感じだ。
 この日はカーリング女子も「あと一勝で準決勝進出」というゲームだったのだけれども、スイスにコテンパンにやられてしまった。でも、この日アメリカチームが敗退すれば、予選リーグ4位に残ることが出来、準決勝に進めるということ。「うん、行けそうだね。これで2年前の<世界選手権>と同じ展開だね」というところまで確認して、今日は眠りについた。


 

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■ 2018-02-20(Tue) このエントリーを含むブックマーク

 今日も夢をみて、夜中に目覚めてメモを取っておいたのだけれども、あとになってそのメモを読んでも、「ピータ・バラカン 沖縄 加藤和彦 ライヴ盤」とか書いてあるばかりで、もはや、何のことだかまるでわからないのであった。

 いろいろと身体的にも精神的にも不調というか、よろしくない。このところFacebookを読んで腹立たしい思いをしてばかりなのだが、今日もそんなことになってしまった。世の中にはこんな、わけわからん文章もあるということで、引用しておきたい。

読書は、自己を振り返りつつ未来へ更新させる作業ではないだろうか。難解な書物は意欲がある時は楽しいが、なければ苦痛なだけだ。だからといって、無理をすることはあるまい。それは芸術作品を筆頭に、あらゆる事物や事象と向き合う際にも同様であろう。「自分は何もない」「薄っぺらい人間だ」「馬鹿だから」と考える必要はない。この世界で生きているのだから。

 ‥‥これは、わたしも会ったことがあるらしい「美術批評家」が、FBに載っけた文章である。この文章がいったい何をいいたいのか、わたしにはまるでわからない。これは編集したものでも抜粋したものでもなく、これで「全文」である。皆さんはこの文章を了解出来ますか? 文節ごとにいっていることが変わり、まるで連続していない。ここまで意味不明な文章には近年出会ったこともない。高校生あたりが書く、背伸びしたアフォリズムにも劣るだろう。わたしはコメントで「まるで、意味がわかりません」と書いたのだけれども、それは「削除しなさいよ」という意味合いも込めたコメントだった。彼はつまりは「気楽に読書しましょうよ」という意味だったのだと返答して来たけれども、特に書き直さずにそのまま残し、しかもこの書き込みに百を越える「いいね!」が寄せられている。
 ‥‥ふむ、「気楽に読書しましょうね」ということをいいたいのなら、こんなしちめんどうなことを語る必要はない。めんどうだから途中の段階を抜かしていえば、コレを書いた人物は「アホ」であり、こんな文章に「いいね!」をつける「賛同者」もまた、「アホ」である。このことにまちがいはなく、つまり世界は「アホ」に満ちている。そんなことを考えるしかない一日だった。


 

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■ 2018-02-19(Mon) このエントリーを含むブックマーク

 夢。わたしと友人三人とは、何かの店のガラスのショーケースを囲んで会話をしている。そこに夫婦のような男性と女性との客が来る。わたしは、男性の持って来たショッピングバスケットの中を見ていたのだが、その二人連れは何も買わずに出て行ってしまう。友人がわたしに、「おまえがバスケットの中をじっと見ていたからだよ」などという。
 友人らは先に帰ったようで、わたしはひとりで夜の道を歩く。その夜道で、わたしは男に後ろから襲われる。さいしょは黒いシルエットでしか男の姿は見えないのだけれども、手に金槌を振り上げている。男の顔が見えるようになるとそれはとても醜い顔でおぞましく感じる。男はわたしに、「いつもおまえのことは見てるんだからな」という。そしてわたしに「運転は出来るのか」と聞いてくる。「てんかんで運転することは出来ないのだ」と答えようとするのだけれども、口のろれつが廻らず、うまくしゃべれない。ほんとうに<てんかん>の発作が起きたようだった。そんなところで目が覚めたが、あまり目覚めの良くない夢だ。

 このところ少しずつ暖かくなって来ているようで、もう春も近い。仕事から帰って、あまり遅くならないうちに買い物に出かけた。食パンとハムとを買い、その他に禁煙継続用のコーヒー飴、そしてこのところハマっている落花生などを買う。落花生はまさか千葉産の高級品ではなく、中国産の安い落花生なのだけれども、そんな中国産でも「当たり外れ」があるというか、けっこうおいしいときもあるし、腹をこわしてしまうドイヒーなものもある。今日買った落花生は、今まで買った中国産落花生でもいちばん美味ではなかったかと思う。

 夜はカーリング女子の対スウェーデン戦が中継されるので見たかったのだけれども、見てると夜遅くなりすぎるのであきらめて寝ることにする。それでも夜中に目が覚めて、「どうなっただろう」と気になって結果をみてみると、なかなかに劇的な逆転劇で勝利したようだった。無理しても見たかったところだ。


 

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■ 2018-02-18(Sun) このエントリーを含むブックマーク

 日曜日。今日は(ひょっとしたら)文楽の「心中宵庚申」を観に行こうか、という気もちもあったのだけれども(おそらくは当日券があったのだ)、先週はよけいな出費もあったことだし、「家でおとなしく休養しよう」という日にした。体調も万全ではないし、昨日のダンス公演をふたつ観て、精神的にいい感じにはなったのだけれども、まだまだ精神面も不調ではある。「二月は残酷な月だ」。

 先日、Suicaのチャージを一万円札でやったら、そのおつりの中に二千円札が入っていた。ずいぶん久しぶりに見る二千円札。「えっ? 何これ?」という感じではあった。まだ流通していたのか。

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 夜、寝ようとふとんにもぐり込むと、ニェネントがベッドに跳び乗ってきて、わたしの胸の上に乗る。‥‥むむ、ちょっと重たい。そんなニェネントを胸の上から抱き上げてふとんの中に引きずり込み、わたしの横に寝かせてやる。そうするとニェネントはのどをゴロゴロと鳴らせ、しばらくはおとなしくじっとしている。うれしがっているのかと思うのだけれども、しばらくするとふとんから這い出して、ベッドの外に出てしまうのだ。ニェネントは、何を思っているのだろうか。


 

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■ 2018-02-17(Sat)

 ‥‥ニェッタが、元気でいてくれているのかも、と考えるとうれしくなり、いやなこともあった昨日という日で、その終わりにはそんな「仮定」だけで明るい気分になった。これでは、そんなことを確かめたいがためにまた、あの中華屋に寄ってしまうことだろう。ニェッタは中華屋の看板ネコか。

 今日はまたまた横浜。これで三週つづけての横浜行きだけれども、今日は桜木町あたりの、まるで知らないところへ行く。しかもふたつのダンス公演のハシゴ。さいしょは二時半からの寺田みさこさんの舞台で、そのあとは七時からの岡田智代さん。ちょっとふたつの公演のあいだの時間が空いているのが、前から気になってはいたところ。

 出発前に調べて、桜木町に行くには大手町から東京駅に歩き、京浜東北線で行くのが、ちょっと時間はかかるのだけれどもいちばん安上がりだとわかり、午前中に洗濯をして外に干し(今日は晴天だ)、早めに昼食を取り、十二時には家を出る。ニェネントくんにはまた「お留守番」をお願いする。毎日の通勤経路と同じ道をたどり、大手町の駅から東京駅の方へ歩くと、「昨日もまるで同じ経路を歩いていたな」とか思う。京浜東北線に乗り、桜木町駅で下車。目的地は「横浜にぎわい座」というところだけれども、桜木町という場所にまるで土地勘がないので、駅のすぐ近くだというのにけっこう迷ってしまった。

 久しぶりに観る寺田みさこさんのダンスを堪能し、終わると四時ぐらい。‥‥さて、これから七時からの岡田さんの舞台まで、時間をつぶさなければならない。まずは近くに野毛山動物園があるので、動物園に行こうかと思ったのだけれども、動物園は四時半で閉園なのだった。残念。その動物園の近くに横浜市の図書館があったので、「これはいい、図書館で時間をつぶそう。図書館なら夜の八時ぐらいまで開いているだろう」と行ってみたのだけれども、八時までやっているのは平日のことで、土曜日曜は五時で閉館。またアウトだ。
 これはしょーがないので、まずはその七時からの岡田さんの公演の場所を探しておいて、それで時間をつぶす方法を考えることにした。場所は桜木町駅から歩いてすぐの「日ノ出町駅」の近くらしいのだが、チラシに書かれているマップがめっちゃ大ざっぱで、わかりにくい。とにかくはそれらしい場所まで歩いてみた。‥‥おお、ストリップ劇場があった。5000円って、高いような気がするけどな。どうなんだろう?

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 歩いているとつまり、そのあたりは「伊勢佐木町」界隈ということらしい。何だか人がおおぜい集まっているスポットがあって、「何だろう? 馬券売り場なのかな?」とか思って寄ってみたら、それがライヴスポットというか小さなコンサート会場みたいなものらしく、週末に毎回五人ぐらいの演歌歌手のライヴをやっているみたいで、そのチケットを買うために人が集まっているようだった。500円。それは安い。CROSS STREETというスポット。ふふふ、ここでcrosstalkをやるというのはどうだろう?

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 あたりはだんだん暗くなって来た。古本屋を見つけて「ここでまずは時間をつぶそう」と中に入ると、なかなか良書のそろった良さげな古書店で、ピンチョンの「ヴァインランド」美本が千円とかいうのも欲しくなってしまった。音楽関係の本もいろいろあって、その中に「欲しい!」と思っていたグリール・マーカスの「ロックの新しい波」があり、前の持ち主の蔵書印は押してあるし、傍線は引いてあるし、1500円という値段と合わせてイマイチなんだけれども、本自体はきれいだし、たしかAmazonで買おうとすると二千円以上したよな、と思い出し、思い切って買ってしまった。

 歩いて行くと、その古書店のすぐそばに映画館「シネマ・ジャック&ベティ」があった。そうか、名前だけは知っていた映画館だけれども、ココにあったのか。ココはいい映画を上映するステキな映画館なのだ。しかし、わざわざココに映画を観に来ると交通費合わせて三千円ぐらいかかるだな。

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 って、探していた岡田さんの公演場所は、その「ジャック&ベティ」のすぐそばだった。無事に場所も見つけたから、あと一時間、先に食事をしてしまってもいいし、お茶するのもいいだろう。場所はもう「黄金町駅」のすぐそばで、その黄金町駅のところまで行くと、ビルの二階にごく普通の喫茶店がある。そこでコーヒー飲んで時間をつぶそう。
 って、入ってみると「アッ!」とびっくり。外観はごく普通の、何の変哲もない喫茶店だったというのに、中に入るとDavid BowieやKraftwerkのポスターが飾ってあり、かかっているのはKraftwerk。あらららら、「呼ばれてしまったな」という感じがする。

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 公演時間になって会場へ行き、岡田さんの公演を楽しむ。あらら、わたしの座った席はほとんどベスト・ポジションだったかな?みたいな。

 終演。ちょっと岡田さんにあいさつをして、帰路に着く。帰りはもう、早く帰れることを優先する。めったに乗ることのない京浜急行線で、黄金町から品川まで出てみると、この品川駅というのはJRの「上野東京ライン」の始発駅で、駅ホームには、常磐線に乗り入れるちょうどいい電車が出発時間を待っているところだった。意外と快適な帰路を取ることが出来、楽しい一日を終えられただろうか。



 

[]寺田みさこ「三部作」寺田みさこ:出演 チョン・ヨンドゥ、塚原悠也、マルセロ・エヴェリン:振付 @横浜にぎわい座 のげシャーレ 寺田みさこ「三部作」寺田みさこ:出演 チョン・ヨンドゥ、塚原悠也、マルセロ・エヴェリン:振付 @横浜にぎわい座 のげシャーレを含むブックマーク

 1.「鳥と女性、そして夜明けの森」チョン・ヨンドゥ:振付
 ダンサーとしての寺田みさこさんの、その力量のほどを見せつけられたような作品。しなやかで強靭。これはダンスというものがよくわからなくなっているわたしでも、さすがに「すごいな〜」と思わせられてしまう。コンテンポラリー・ダンスというものの、ひとつの規範だと感じ取ってしまう。

 2.「ダンサーがチューインガムを運ぶための3つのフェーズ」塚原悠也:振付
 そういったダンスのあとに、こういうフェイクをかます(?)ような作品をぶちかませるのが「コンテンポラリー・ダンス」という世界の奥深さというか。「じゃ、これが<ダンス>としてどうなのさ?」といわれると、「いや、そういう問題ではないのですよ」という感じ。

 3.「世界のすべての女たち」マルセル・エヴェロン:振付
 さいしょの作品のようなオーソドックスさも感じさせつつも、衣裳デザインとかも合わせてもより攻撃的なものを感じさせられた。


 

[]「パレード」岡田智代:振付・ダンス 佐々木すーじん:音楽 @横浜・若葉町ウォーフ 「パレード」岡田智代:振付・ダンス 佐々木すーじん:音楽 @横浜・若葉町ウォーフを含むブックマーク

 ‥‥わたしは、「ダンス」というよりも、ひとつの「パフォーマンス」として観た。「場」としての横浜、そして会場の「若葉町ウォーフ」という空間を活かす演出が、岡田さんの「身振り」、そして佐々木すーじんさんの「音楽」とが絡んで、見ごたえのある世界をつくり出していたと思った。

 

 

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■ 2018-02-16(Fri)

 冬季オリンピックも日程が進み、昨日からはわたしがいちばん楽しみにしているカーリングも始まった。女子チームまずは二勝。今回も好調のようで、決勝リーグには進んでくれるのではないかと期待出来るみたい。

 今日は金曜日の"Thank God! It's Friday!"。今銀座ではヒグマ春夫の個展をやっていて、観に行きたいし、ついでに映画でも観ようかということで、仕事を終えてから出かけてみた。昼食は、先日見つけた駅前の、ワンコインでセットの注文の出来るバーガーショップ。普通のワンコインのランチの店ではなく、ゆったりと好きなだけくつろげるのがいい。わたしが仕事を終えるのは昼ちょっと前だから、そんなに混み合ってもいないし。

 映画は何を観ようか。ほんとうは自宅近く、柏の映画館でケン・ローチの「わたしはダニエル・ブレイク」をやっているのを観たい気もちもあるのだけれども、それではヒグマさんの個展を観られないから断念。日比谷の映画館でキャスリン・ビグロー監督の「デトロイト」と、何だか評判のいいらしい「スリー・ビルボード」とをやっていて、どちらかにしようと思うのだが、時間的には先にヒグマさんの展示を観て、「スリー・ビルボード」を観るのがベターのようだ。

 食事を終えて大手町駅まで出て、ここから日比谷まで歩く。大した距離ではないから、妙に乗り換えに時間をかけるよりも歩いた方がいい。まずは映画館へ行き、チケットを買って座席を確保しておき、それから銀座へ歩いてヒグマさんの個展会場へ。
 ‥‥ふむ、この展示ではヒグマさんは毎夜パフォーマンスをやっているわけで、展示されている四点(五点だったかな?)の映像作品は面白いのだけれども、やはりそのパフォーマンス込みでの展覧会だろうという印象。会場にはヒグマさんもいらっしゃらなかったし、ちょっとお会い出来なかったのは残念だった。
 映画館に戻るにはちょっと早いので、近くの本屋さんへ行って時間をつぶす。そのうち買いたいと思っているナボコフの「アーダ」、それから室伏さんの「室伏鴻集成」の現物を初めて見た。ナボコフの「ナボコフ・セレクション」もあったけれども、これは旧訳も存在するところではあまりに定価が高い。やはり図書館に買ってもらおう(って、もうリクエストは出してあるのだが)。
  映画館へ戻って「スリー・ビルボード」鑑賞。ちょっと面白いテイストの作品だったけれども、感想は下に。

 映画を観終えて、帰りはまた自宅そばの中華の店で夕食にした。金曜日だからドリンクはみんな半額。瓶ビールと台湾焼きそばを注文し、満腹になって満足して店を出る。‥‥って、ここで店を出ようとしたところで、その出口のそばにネコがいて、わたしが出ると逃げて行く。あれっ? 今のネコはニェッタなんじゃないのか??? あとを追ってみたけれどももう見つからない。でも、あの黒白の柄はやはりニェッタなんじゃないのか? ここに来ていたのか。わたしがニェッタの住処を覗き込んだりするもんだからイヤになって、もうあの住処は捨ててこっちへ避難して来たのかな? ‥‥ふむ、やはり「賢い」ネコというか、いい避難場所を見つけたんじゃないのかな? この中華の店の店主(料理長?)は何となく温和そうで、ネコとか可愛がってやりそうな雰囲気。ニェッタは、ひょっとしたらもう食べものにも困らない生活をしているのかな。とにかく、わたしの見たネコがニェッタだとしたらほんとうに「ひと安心」だ。あのネコがニェッタだったかどうか、確かめてみたいものだ。


 

[]「スリー・ビルボード」マーティン・マクドナー:脚本・監督 「スリー・ビルボード」マーティン・マクドナー:脚本・監督を含むブックマーク

 好きな女優さんのフランシス・マクドーマンドが出演していることもあって、観ることに決めたのだけれども、一般の評判もとても高い作品らしかった。どんな映画だかまるで知らないで観た映画だったけれども、脚本の色合いの面白い、見ごたえのある作品だった。まさに、観客からの登場人物への見方がネコの目のように(なぜ、こういうことを「ネコの目のように」などというのか、よくわからないけれども)変わって行く、脚本の妙を楽しめる映画ではあった。「コイツ、ダメじゃ〜ん!」みたいな人物が、「あれれ、そうじゃないんだ?」となって行く展開の面白さ(そんな中で、フランシス・マクドーマンドの立ち位置はずっと一貫しているのだけれども)。

 アメリカ南部の保守的、閉塞的社会の中で、「犯罪許すまじ」という心が暴走し、そこに人のピュアな感性が垣間見えて来たりする。どこかトランプ以降のアメリカ社会がわかる気もするけれども、この映画の「社会が機能しないからリンチもやむを得ない」という空気感を容認出来るかどうか。ただ、人と人とが了解し合うという一線を、リアルに表現していたとは思う。わたしには、観る価値のある映画だった。サム・ロックウェルという俳優さんのことを覚えた。


 

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■ 2018-02-15(Thu) このエントリーを含むブックマーク

 FBの、参加しているグループでいやなことがあり、そのことでもまた落ち込んでしまった。前から感じて来たことではあったけれども、じっさいの友だち関係でやりとりする通常のタイムラインならば相手のこともだいたいわかっているし、たとえば論争めいたことになっても、普通に自分の考えるところで議論を進めて行くことが出来、そこで何も問題が起きることなどない。ところが知らない人間相手だと議論にならずに相手は返答することもなく、それをわたしがいないところでわたしへの攻撃になるという展開。そのことに「おかしい」といってくれる人物もいるのだが、そういう疑問には答えず、わけのわからない「同調者」とだけわたしへの攻撃が進み、とんでもないことになってしまう。しかもグループの管理人はそういう動きをとがめるわけでもなく、ある程度落ち着いたところで「今後個人攻撃はやめるように」ということになる。つまり、わたしへの攻撃だけが残ってしまう展開になった。失敗したのは、その前にわたしも「個人攻撃」といわれて仕方のないことを一回書いてしまっていたことで、そこではわたしの負けになる。わたしを支持してくれる人もいるようだが、それだけ個人攻撃されたあとに同じグループに参加しつづけることも出来ないだろう。「議論」というものの経験のない人と、議論は出来ない。
 ところで、何が問題になったのかというと、ある人物が、飢餓で飢えた子供の写真(古い写真だが)に対して「ハラペコくん」というキャプションを加えて投稿したことで、これに対してわたしを含めて複数の人間が不快感を示したのだけれども、そこに投稿者とは別の人物が「ハラペコくん」というのは、あるマンガに描かれたキャラクターを指すキャプションではないかと投稿を擁護するようなことを書いたので、わたしが反論したという流れである。その反論の段階でわたしは「この投稿者、投稿を擁護する人物らは消えてしまった方がいい」とは書いてしまったのだね。あとでその擁護者がわたしを「言葉の暴力」と攻撃して来て、同調者がいろいろと書き込んだという展開。バカバカしいけれども落ち込む。そんなことが展開していたあいだ、わたしは仕事中だったから反論も出来なかったけれども、ま、よけいな口出しをしなかったのは正解ではあったろう。

 今日は夜に三鷹へ、Aさんに誘われた舞台を観に行ったのだけれども、そういうことで気もそぞろだったこともあったし、そうでなくてもその舞台にはあまり感情移入が出来なかったところもあった。終演時で九時も過ぎていたので、ほんとうはAさんらと「一杯」という気もちもあったのだけれども、会場にあまり知る人もいなかったし、明日はまた仕事だし、Aさんには悪かったけれども、お先に失礼してウチに帰ることにした。

 大したことではないのだが、早くこの「落ち込み」から回復したい。ま、出来るだろう。



 

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■ 2018-02-14(Wed) このエントリーを含むブックマーク

 「禁煙」は継続中。朝起きたとき、「あ、こういうときはタバコだね」と一服したくはなるのだけれども、「あ、そうだ。わたしはもうタバコは辞めたのだった」と思い出し、「がまん、がまん」とタバコのことは忘れるようにする。まだ「がまん」と思わなければならないところでホンモノではないけれども、「どうだ、オレはタバコはやめてるぜ!」ということではある。

 睡眠時間はたっぷり取っているはずなのに、このところ、朝の出勤で電車に乗って本を読もうとしても、すぐに眠くなってしまう。まさか「発作」が継続しているとは思えないし、そういうことではないのだけれども、関連があるのではないのかと思ってしまう。禁煙はよくない?

 仕事の帰り、梅の花が咲いているのをみた。「春」は近い。

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 ニェッタの住処のある空き地に、今日は別のネコがいた。このネコは誰だっけ? とにかく、ニェッタの縄張りのはずであるこの空き地に別のネコがいるということは、もうニェッタはいないということなのだろうか。

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 Aさんから連絡があり、明日の三鷹でのパフォーマンス公演に来ないかという。誘われるのはそれはそれでうれしいことではあるが、「疲れるな」という気もちはある。でもせっかく連絡をもらったことだし、これで気分転換になるかとも思って、行くことにした。



 

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■ 2018-02-13(Tue) このエントリーを含むブックマーク

 夢をみた。夢の中でわたしはあるアーティスト(カメラマンらしい)に惚れ込んで、家族も家も捨てて彼と暮らすことにする(彼は俳優の柳楽優弥にそっくりだ)。わたしの他にも彼と暮らすというか弟子入りするというか、そういう人間が六〜七人いる。狭い部屋に皆が荷物を運び入れると、昔の寝台列車みたいな雰囲気だ。彼らと話をしてみるとこれが皆幼稚というか、「こんな連中といっしょに暮らして何になるというんだろう」とか思ってしまう。家にTシャツの入った洋服ダンスを置いてきたことに思い当たるのだけれども、それでその洋服ダンスを持って来たとしても、置くところなどないのだ。「こんな生活に踏み出さなければ毎月それなりの給与も得られたのにな」とも思い、こっそりと妻に電話してみる。電話はケータイ電話なのだけれども、それがライターのかたちをしていて、通話するときにはそのライターに火をつけなければならないので、やけどをしそうだ。‥‥自分のいるところはわたしの生まれ故郷のある地域のようで、そこには山があるのだが、いつしかわたしは、その山の頂上に登ろうとしている。山はまるでハリボテで出来た模型みたいだ。頂上からは海も見えるはずだけれども、そのときには雲がかかっていて、たいした風景が眺められたわけではない。

 今日もニェッタの住処にニェッタの姿は見られず、水を飲んだ様子も食べものを食べた様子もない。もうこのまま姿を消して、ニェッタの姿を二度と見ることもないのだろうかと、悲しくなってしまうのだった。‥‥ネコというものは、そうやってわたしの視界から消えて行ってしまうものなのだろうか。
 でも、部屋に戻ればニェネントがいる。ニェネントはわたしの暮らしを豊かにしてくれる。わたしの気がつかないところでニェネントはわたしの精神に感応し、それはつまり「共生」ということなのだろう。もうニェネントとの暮らしは八年になろうとしている。わたしが思う以上にニェネントはわたしのことを思ってくれているのだ。この最高のパートナーに、感謝しなければならない。

 「メイスン&ディクスン」は読み継いでいるのだけれども、機械的にページをくくるばかりで、あまり頭に入っていない。精神生活は不調である。どこかでこの感覚を転換しなくてはいけないと思う。



 

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■ 2018-02-12(Mon) このエントリーを含むブックマーク

 ‥‥先日の発作、体調不良の件などもあって、ついに、禁煙することにした。前にも何度か「禁煙」というのはこころみているので、これでは「ほんとかよ?」という感じではあるけれども、今回はFacebookで友人らにも「禁煙する!」と宣言してやったので、なかなかにその禁煙宣言を破りにくいということになっている。これで永遠に禁煙出来るといいのだが。

 今日も11日の代休で、土曜日からの三連休の最終日。やはり三日つづけて仕事が休みというのは爽快というか、気もちがいいものである。それで今日は月曜日なので、スーパーの「O」は午後一時までは全品5パーセント引きの日。これはもう今では普段は享受出来なくなったサーヴィスなわけで、喜んで午前中に行ってみる。
 ま、たいして買うものもなかったのだけれども、午前中から買い物で外を歩くのは気もちがいいというか。ついでに近くのスーパーの「M」にも寄って、おでんのセットが半額になっていたのを買い、「今夜は<おでん>だね」、というところ。

 帰宅して、昨日図書館で仕入れた「メイスン&ディクスン」の下巻を読みはじめたら、すぐに猛烈に眠くなってしまい、ベッドに移動して寝てしまうのだった。
 目覚めたらもう、かなり遅い時間で、おでんをちゃっちゃっと温めて夕ごはんにして、そのあとはテレビで冬季オリンピックの中継とかを観て過ごす。この日は女子スピードスケート1500メートルで高木美帆がついに銀メダル、一位とはわずかな差で残念だったけれども、とにかくはうれしいレースだった。


 

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■ 2018-02-11(Sun)

 三連休の二日目。今日の日程は、午前中に我孫子の図書館へ行くことからスタート。外の空気はこのところ一時期の寒さもゆるみ、さすがに「立春」も過ぎたという感じがする。この花は何の花だろう。

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 図書館で、つまりは「メイスン&ディクスン」の上巻を返却し、下巻を借りた。しばらくはがっしりとピンチョン漬け。図書館の帰りにそばのドラッグストアでネコ缶を買い、「そうだ、今日は駅の方から帰らないで、手賀沼沿いの道で帰ってみよう」と思い、その初めての道を歩いた。‥‥距離的にはそんなに変わりはないはずで、「この道の方が眺めも良くて歩いて楽しいかな?」と思ったのだけれども、これが大きなまちがい。どこまでも同じような単調な風景の、どこまでもまっすぐな道で、飽きてしまうというか、途中でくたびれてしまった。駅の方に廻る道だと、いちど駅に出る時点でワンクッションという感じになるから気分的にもチェンジされるけど、手賀沼沿いの道はただ疲れるだけだ(ただ、この道はずっと桜並木になっていて、桜の花が咲けばちがう気分で歩けるだろう)。図書館から自宅までは三十分。この所要時間はどの経路でもそんなに変わりはないのだけれども。

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 このあと夜は渋谷に出て、ほんとに久々のライヴハウスでの音楽ライヴ体験ですよ。そもそも音楽ライヴというのは、終わるとだいたい夜の十時は過ぎてしまうわけで、去年まで茨城に住んでいた頃にはそれではもう家に帰れなくなってしまうので、よほど早くに始まるライヴ以外はずっとパスしてきたわけ。しかし今はそんな時間の制約もなくなり、また遅くまでライヴを楽しめるようになったのだ。

 図書館から帰宅して遅い昼食をとり、歩きくたびれた感じで、横になってひと休み。ライヴは夕方6時半に会場オープンだけれども、少し早くに4時頃に家を出た。空は曇っていて、その雲のようすが何だか奥行きを感じさせられるみたいで、不気味とも思うのだけれども美しいとも思うのだった。

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 駅のそばまで来ると、遠くの雲のあいだから日の光が漏れていて、そしてそんな太陽が隠れているあたりの雲は、不思議に青い色をしているように見えるのだった。やはり美しい雲だと思った。

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 渋谷到着。ライヴハウスは「公園通りクラシックス」だ。昔何度も通ったスポットではあり、このあたりはいくらか記憶も残っているというのは、それだけ古い記憶が残っているということでもあるのだろう。

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 予定時間よりも少し遅れてライヴが始まり、その前座では、わたしとしては初めてみる工藤冬里氏のピアノを、まさに楽しんだりもした。
 終演後に向井さんとも久々にお話も出来たし(十年以上の時を経ていたと思う)、演奏には元気をいただいたし、やはりこの日はライヴを楽しめてよかった。


 

[]Ché-SHIZU「シェシズ35周年記念LIVE!」@渋谷・公園通りクラシックス Ché-SHIZU「シェシズ35周年記念LIVE!」@渋谷・公園通りクラシックスを含むブックマーク

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 演奏が始まると、「そうだ、Ché-SHIZUのライヴというのはこういう感じだったのだ!」と、その空気を思い出すのだった。

 この日のメンバーはChé-SHIZUの創設時のメンバーというか、そういうところでも彼女、彼らのフリーフォームなあり方をよく感じ取ることも出来たし、どんな事態が起きようとまるでカウリスマキ映画の登場人物のように無表情でプレイして歌う向井さん(「無表情」といっても、カティ・オウティネンよりも向井さんの方が美人だと思うが)、「しらっ」ととんでもない事態に突入する高橋さん、いつもマイペースな工藤さん、そして陰ながらそんな状態のバンドをまとめている西村さんと、バンドでのそれぞれの役割分担も、このバンドの魅力なのだな〜、とも感じたのだった。この日のサービス曲は、「恋のハレルヤ」ではありました。


 

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■ 2018-02-10(Sat)

 今日からは三連休になる。まず今日はまた横浜へ出かけ、福留麻里さんの公演を観る予定。しかし一昨日の「発作」のこともあり、気分は落ち込んでいる。午前中〜昼すぎまでほとんど何もせず、ぼんやりと過ごした。昼食に残っていたごはんでオムライスをつくったのだけれども、これが大量につくりすぎてしまい、かなり胃がもたれる感じ。よけいに気分まで重たくなってしまった。

 横浜での公演は4時からで、2時前に家を出る。電車の中であと残りわずかだったピンチョンの「メイスン&ディクスン」の上巻を読み終え、それとテッド・チャンの「あなたの人生の物語」もだいたい読み、かなり気分は良くなった。
 「メイスン&ディクスン」は、読みはじめにはなかなか、そのストーリー構成というか、「これはこういう本よ!」というのに入り込めず、(毎度のように)難儀したのだけれども、この上巻の終盤になって、ようやくめっちゃ面白くなって来てしまった。‥‥つまりこれは比喩ではなく、まさに「東海道中膝栗毛」の<西洋版>とでもいう作品なのである(そんなことに今ごろ気づくなんて、わたしはボケである!)。特にこの上巻最後の、「機械鴨」の話には笑ってしまう。ああ、やはりこの本はもういちど、さいしょから読み直さなくてはいけないな(とりあえずは明日にでも下巻を借りて来て、いちど通読してあとのことになるけれども)。

 横浜駅に着き、この日観る会場のSTスポットへ行く。わたしはさいしょ今日ではなくて明日観るつもりで予約を入れていて、そのあとに今日に変更したいことを伝えていたのだけれども、その返信メールが来ていなかったので「?」とは思っていた。むむ、やはり、その件は了解されていなかったようだ。それほどの問題ではなかったのでよかったが。

 ‥‥いろいろと刺激的な舞台に覚醒させられ(感想は下に)、さっさと帰ることにする。

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 帰りの電車の中では「あなたの人生の物語」を読み終え、「なるほどね〜」という感想は下に。最寄駅をひとつ乗り越して我孫子駅で降り、スーパー「I」で夕食の惣菜なりを買って帰ろうと考える。別に隙間を埋めようとは思っていないので、やはりこのところ「高値」の野菜のひとつであるブロッコリーを買おうとは思わない。店内をぐるりと歩いて、「よし、今夜は<おでん>にしょう!と決め、ただ温めるだけの<おでんパック>を買って帰った。

 「発作」のことはあるけれども、そのこととかでウチでじっとしていると、よけいに落ち込んでしまう。明日はまた、向井千惠さんのChé-SHIZUのライヴに行く予定だし、なんか映画も観たいなあという、この三連休。


 

[]「あなたの人生の物語」テッド・チャン:著 公手成幸:翻訳 短編集「あなたの人生の物語」より 「あなたの人生の物語」テッド・チャン:著 公手成幸:翻訳 短編集「あなたの人生の物語」よりを含むブックマーク

 けっきょく、とりあえずは先日観たDVDの「メッセージ」との関連で読んでみたわけで、ここでは基本、その映画「メッセージ」との関係でだけの感想を書きます。それはもちろん、この作品の豊かさを無視したことになってしまうわけで、そのうちに改めてこの短編集をひと通りぜんぶ読んで、改めて感想を書いてみたいとは思っています。

 ‥‥そこで、この「あなたの人生の物語」。この物語の骨子となるのは「フェルマーの最小定理」(有名なフェルマーの最終定理とはベツモノ)であり、つまり<光>というものは、ある地点からある地点へと進むときにその屈折を計算に入れて、進むのにかかる時間が最小になる経路を取る、ということ。これは、空中からその経路のとちゅうで水中に移行するときの経路で考えるとわかりやすい。それはどういうことかというと、光は目的地に到達する前にすでに、あたかもその目的地をすでに知っているかのように、その目的地までの光学的距離を最短にする経路を選んで進むということ。もういちど書いておこう。

光線は動きはじめる方向を選べるようになるまえに、最終的に到達する地点を知っていなくてはならない。

  

 そして「あなたの人生の物語」では、主人公は宇宙のどこかから来訪した「ヘプタポッド」の特異な言語を、まさに「フェルマーの最小定理」を契機として理解して行き、そのことで自分の生を<時間の流れを超越して>理解するようになる、という物語だろうと思う。

 その、この短編小説から映画「メッセージ」を思い返すと、映画というものは原作から離れてしまっても自由だとしても、やはりあまりに酷い。そこにはハリウッド流の「これならたいていの観客にもわかるだろう」「これなら皆が面白がるだろう」的な原理がはたらいている。つまり、だから「フェルマーの最小定理」の話など、まるで出て来ることはない。しかしそれにもかかわらず、映画「メッセージ」では、ヘプタポッドの言語を研究する主人公は、時間の流れを超越した認識を持つに至る。このあたりはもう、ただひたすら<オカルト映画>的な演出であって、「理屈などはない。ただ、異星人と接触するうちに<超能力>を得たのだ」みたいな映画になってしまった。そしてなんと、自分の人生をはみ出して、見知らぬ中国の将軍の時間を越えた<生>にまで超能力ははみ出して、「世界の危機」を救ってしまうのだ。‥‥そんな原作小説ではない。原作はどこまでも「主人公の人生の物語」であり、それをはみ出すものではないのに。

 というか、このストーリー改変はまさに、いかにもハリウッド的なやり方であって、つまり聖書の物語をスペクタクル映画にするようなものというか、小説でも何でも<ゲーム化>しちゃうぜ、みたいなものではないのか。
 ‥‥こうやって、自分で本を読まないで<ハリウッド>とかに映画化をまかせておくと、実は原作とは似ても似つかないモノがスクリーンで跳躍することになるだろう。自分でちゃんと本のページを開き、自分の眼で活字を追って行くこと、そのことを怠っていると、わたしらはどんどんと<白痴>のようになってしまい、「罪と罰」のような作品ですら<難解>というようになってしまうのだ。


 

[]「隙間を埋めるのにブロッコリーを使うまで」福留麻里:ダンス 村社祐太朗(新聞家):テキスト @横浜・STスポット 「隙間を埋めるのにブロッコリーを使うまで」福留麻里:ダンス 村社祐太朗(新聞家):テキスト @横浜・STスポットを含むブックマーク

 ダンサーとしての福留麻里さんのことは知っているけれども、村社祐太朗という人のことはまるで知らない。「新聞家」というのはどういうことなんだろう。聞いた話では、要するに(演劇の人)だよ、ということでもあったわけで、つまりこの日のこのステージでも、「テキスト」を担当されている。‥‥ん? では「演出」は誰が?

 STスポットの小さな(狭い)舞台の床には、高さ・縦幅共に30センチ、横幅120センチ(?)ぐらいの木箱が置かれていて、ここにプロジェクターからまずはリアルタイムの時刻が映されていて、福留さんがあらわれて舞台がはじまってからは、福留さんのしゃべるセリフの英語訳が投影される。

 福留さんの声は小さくて聴き取れないし、それで木箱の<英語訳>に集中してしまうとよけいに印象に残らない。そのときはわかっていたつもりでも、ほら、わたしはもともと記憶力がアレだから、よけいに記憶からは消えてしまう。

 それで、わたしが憶えていられるのは福留さんの<動き>の方だから(何といっても、<ダンス>と紹介されていることだし)、そちらを注視するというか(もちろん、観ていたときにはその<ことば>にも神経をつかっていたのだけれども)。
 そのことよりも(福留さんはほとんど動かないし)、舞台が進行するにつれて変化する<照明>のことが気になってしまう前半。でも、観ているとある瞬間に、福留さんの肩から力が抜けたような、「それまでとちがう」という場面があり、そこから彼女の動きが面白くなった。

 わからないが、前半は「動きたいけど動かない」という身体、後半は「動けるのだけれども動かない」という身体なのかな、などと思ってしまった。でもなぜか、活力をもらえるような、不思議な舞台だったと思う。元気になった。


 

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■ 2018-02-09(Fri) このエントリーを含むブックマーク

 朝いつものように起きて着替えをし、ニェネントに朝ごはんをあげて自分も朝食をとり、いつものように駅まで歩いて電車に乗り、あと数ページで読み終えるピンチョンの「メイスン&ディクスン」を読もうとする。‥‥すると、バッグの中にその本が入っていなかった。読んでいるとちゅうの本というのはいつもバッグに入れっぱなしで、よほどのことがないとバッグから出したりはしないのだが、そういう、昨日バッグから本を取り出したという記憶はない。どうしたんだろう。そう思って昨日の行動を思い出そうとすると、夕食の記憶というのがすっぽり抜け落ちてしまっている。何を食べたのか、まるで思い出せない。‥‥何となく、生玉子とかつおぶしを使った夕食にしたような、夢のような記憶がないわけではないのだが、そういう、昨夜のことの記憶がないというのは、「側頭葉てんかん」の発作が起きたということなのだろうか? 昨日は久しぶりにアルコール、焼酎を買って飲んではいたのだけれども、まさかそのせいで記憶を失ったなどということがあるわけはない。とにかく、その行方不明になった本がどこに行ったのかは気にかかる(「メイスン&ディクスン」はどうせすぐに読み終わると思っていたので、次に読むつもりで「あなたの人生の物語」を今朝になってバッグに入れておいたので、<読むものがない>とパニックになることはなかったが)。

 何の異常もなくいつものように仕事を終え、電車に乗って帰路に着き、またウチのそばのニェッタの住まいを覗いてみる。すると、先日わたしが置いたネコ缶のそばに、缶に入れた水が置かれていた。ちょっとびっくり。わたしの他にニェッタのことを気にかけている人がいて、水を置いてあげたということなんだろうか。自分もニェッタに水をあげるといいと思っていただけに、「すばらしいことだ」と思って部屋に戻るのだけれども、「ん? 待てよ」と考える。そのニェッタのそばに置いてあった水を入れた缶、それはわたしのウチでニェネントにあげているネコ缶の空き缶だった。‥‥つまり、その「水」を置いたのはまさにわたし自身で、そのことが記憶から失せてしまっているということではないのか。そう気づくと、もうそれ以外には考えられない。やはりわたしは昨夜、発作を起こしたのだろう。

 どの順番かはわからないが、昨夜のわたしは「ニェッタの住まいに缶に入れた水を持って行って、置いてくる(この行動は、まだ外が明るいときにやったことではないかとは思うのだが)」、「かつおぶしを使って夕食をする(帰宅したあとみると、テーブルの上に少量のかつおぶしが落ちていたので、やはりかつおぶしを使った食事をしたことにまちがいはないようだ)」、「バッグから本を取り出す」という行動を取っていて、その行動すべての記憶が失せてしまったわけだ。これらの行動には<錯乱>の要素はなく、つまり<普通の行動>だし、ニェッタに水をあげようという行動は、「今のニェッタには、まず水をあげるのがいちばんではないか」という、それ以前の認識から引き継がれた行動でもあり、そこに思考〜記憶の断絶は考えられない。‥‥すると、それらの行動を取ったあとになって「発作」が起き、つまり昨日の夕方から寝るまでの記憶が失われてしまった、ということだろう。その「発作」が起きたのは、昨夜眠る前から今日目覚めたときの範囲で、いつ起きたことだかは不明だけれども、まあ今朝のことではないと思える。そうすると、入睡時に発作を起こしたのか、それとも睡眠中のことだったのか。

 とにかくは四年前に「側頭葉てんかん」との診断を受け、発作を抑える「テグリトール」を服用するようになって、それ以来「発作」は起きていないと思うのだけれども、それがこうやって、また発作を起こしたのだとしたらエラいことだ。それで、今までの発作では、付随して過去の記憶が消滅してしまったりしている。今回は大丈夫だったのだろうか? 通院する国分寺のクリニックへの次の通院は4月の末と、ずいぶんと先のことだけれども、その前に行った方がいいかもしれない。そうすると、次回通院のときに約束していた過去の記憶に関するレポートも、早急に書き上げておかなくてはならない。

 ‥‥そういう「異変」があったとしても、今現在の<わたし>は(わたしの判断では)きわめて<正常>。きわめて普通に昼食をとり、きわめて普通に買い物に行く。夕食の献立を考えるのもめんどうで、スーパー「O」でチキンカツを買う。「M」では肉まんを買い、この肉まんは久々に、けっこうおいしい肉まんではあった。買い物の帰りにまた、ニェッタの住処を覗いてみたのだけれども、ニェッタの姿はみられなかった。‥‥むむ? 具合が悪くて動けないのかとも思っていたけれども、そうでもなかったのか? 「人の施しは受けない」という高貴なネコなのか?

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 今日から冬季オリンピックが始まる。夜にはその開会式がテレビで中継されるのだけれども、観ないでさっさと寝てしまう。やはりウィンター・スポーツは「カーリング」ね。カーリングのゲームをいっぱい観たいものだ。


 

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■ 2018-02-08(Thu) このエントリーを含むブックマーク

 仕事の帰りに、ニェッタの住まいを覗いてみるのが日課になってしまった。昨日あげたネコ缶を、ニェッタは食べてなかった。やはり具合が悪いのだろうか。なんとか回復してほしいのだけれども、どうしてやればいいだろうか。

 このところ、パソコンの調子は良くなってしまった。もう暴走することはないし、いくつかのショートカットも使えるようになっている。仮名入力から半角英字入力への切り替えもかんたんに出来るようになったのだけれども、その半角英字から仮名入力への切り替えだけがうまくいかない。

 今日も夕方から風呂を沸かして入ったのだけれども、今日は40分かからなかった。だんだんに効率的な沸かし方というのがわかってきたというか、これなら去年の夏とかに沸かすのにかかった時間とそんなに変わらない。喜ばしいことである。

 今日はそれで、そのあとにどうも大変なことが起きた雰囲気がある。
 ‥‥この日記は、基本その日に書かずに翌日以降に書いているわけで、この2月8日の日記は9日に書いている。すると、いったい昨日の夕ごはんに何を食べたのか、まるで思い出せないのだ。どう考えてもわからない。ひょっとしたら、「側頭葉てんかん」の発作が起きたのではないかと思う。これは大変なことだ。(他にもいろいろあるのだが)詳しくは明日書くけれども、ヤバいのではないか。


 

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■ 2018-02-07(Wed) このエントリーを含むブックマーク

 ニェッタは、具合が悪いのかもしれない。ニェッタの住処の廃車を覗くと、その奥にいつもニェッタが横になっている。わたしは先日「猫が教えてくれたこと」を観たこともあり、やはりニェッタといい関係を持ちたいと思うようになった。野良ネコに食事を与えるということは考えなければいけない行為だろうけれども、前にニェネントのお母さんのミイにごはんを与えるのをやめ、そのせいでミイの死期を早めたではないかという反省もある。近所のネコたちも今はほとんどいなくなってしまったし、せめてニェッタには長く生きてもらいたい。そう思って、先日空き缶にカリカリを入れ、ニェッタの住処の中に置いてあげたのだけれども、ニェッタが食べた気配がない。いつもその住処の中に居るというのに食べないなんて、具合が悪いのかもしれない。ニェッタが横になっている場所はその車の中のいちばん奥で、一ヶ所だけ開いている窓のところからは手が届かず、ニェッタにさわることも出来ない。それともニェッタはとっても「グルメ」で、不味いカリカリなど食べれないというのだろうか。とにかく今日、カリカリではないネコ缶をニェッタの住処に置いてみた。食べてくれるといいのだが。

 ニェネントは、元気だ。生まれて今まで、まるで病気らしい病気もせず、健康でいてくれるのはいちばんうれしい。でも、夜中とかに「ゲッ! ゲッ!」とか声を出してゲロを吐く。わたしが気がつかないところで、変な場所にゲロを吐かないでくれるといいのだけれども、このあいだ見たら、また掛け布団の上にゲロ吐いてるのだったし、今日もキッチンの床にゲロしてた。ま、今日のゲロなんかだったら、すぐにわかるし後始末もしやすいから、やるんならいつもこういう感じでやってくれればいい。

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 このところ晴天がつづき、昼になると外を歩いても暖かい。そう、もう立春も過ぎたのだった。これからは日ごとに暖かくなってくれるのだろうか。それで今日はスーパー「M」と「O」へ買い物。ウチから外に出ると、脇の空き地の前に手袋が片方落ちていた。「あっ! コレは先日失せたわたしの手袋の片割れではないか!」と喜んで拾い上げ、ポケットに入れる。
 さてお買い物。今は白菜がとんでもない高値が続いていて、1/4カットでも150円を越える値がつけられている。ウチにはしばらく前に1/2カットで買った白菜がまだ残っているけれども、そろそろ食べ切ってしまわないと傷んでしまうだろう。だから今夜は水炊きにするつもりで、「O」で鶏肉を買う。ニンジンも安かった。「M」では食パン、そしてカットトマトの缶詰などなど(またトマトシチューをやろう)。
 帰宅して、片方になってしまっていた手袋を探してみるのだけれども、こういうことはありがちなことだと思うのだけれども、その残っていた片割れが、今度は見つからないのだった。「片割れになってしまったからなー」と、ぞんざいに扱ってしまったというわけだ。


 

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■ 2018-02-06(Tue) このエントリーを含むブックマーク

 今日は、室伏鴻さんの本が出版されたことを記念する会が催されるのに出席する。場所は飯田橋のアンスティテュ・フランセで、実はわたしの勤め先のすぐ近くだ。むかしここに映画を観に行ったりしたこともあったので、今のところに勤めるようになったときから「近いんだな」とは思っていたスポット。「そのうちにまた行くこともあるだろう」と思っていたけれども、今日がその日になった。

 会は19時から。仕事を終えていちどウチに戻り、夕方になって出かける。夕暮れの国道の光のぐあいが美しく、またもの悲しい感じでもあった。

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 駅に着くとちょうど電車が出てしまったところで、次の電車まで十分以上も待たされた。「ちょうどいい時間」に到着出来るだろうと思っていたのに、どうやら19時を少し過ぎてしまいそう。
 飯田橋の駅から毎朝歩く道を歩き、職場をちょっと通りすぎて坂道を登ると会場。やはりちょっと遅刻してしまった。会場でまっさきに、室伏さんのマネージャーでもあられたCさんに出会い、あいさつをした。今日の会にはCさんのご尽力も大きかったことだろう。前に来たときに映画を観たホールへ入ると、もうほとんど満員。後ろの方の席にAさんの姿がみえた。彼はきっと来ていると思ったから、頼まれていたダムタイプのVHSも持って来てある。よかった。

 まずは45分ほど、室伏さんの舞台などの映像が映される。やはり室伏さんは、その身体だけで観るものを戦慄させる希有な存在だったと、あらためて思った。それはもう、敢えて「舞踏」などと名付けなくてもいいものだ。室伏さんのあの猫背、「痙攣」、「卒倒」、「跳躍」。畏怖すべき身体だった。

 今回の「本」の出版は、あの河出書房新社から、室伏さんの遺されたメモ、日記をもとに編纂されたもの。そこには室伏さんらしい思考の軌跡が書き留められていたのだ。室伏さんの映像のあとは、その編纂者の鈴木さんという方と、宇野邦一氏との対談で、室伏さんの遺された「ことば」について語られた。そんな中で、「私は一人ではない、多数だ」という言葉が胸に残った。

 室伏さんが亡くなられて、もう三年になろうとしている。わたしは室伏さんが亡くなられた六月の二ヶ月前、そのAさん、Cさん、そして室伏さんの四人で高田馬場で飲んだのだった。今となってはそのときの店のとんでもない応対とか、どうでもいいようなことしか記憶してはいないのだけれども、そんな室伏さんの晩年にご一緒させていただいたことは、僥倖なことだった。

 会場には舞踏関係の方が多かったと思うのだけれども、わたしが知っている人もまるでいなかったし(お顔は存じ上げていても、話はしたことのない人ばかり)、Cさんには二次会に誘われてもいたのだけれども、遠慮して先にひとり帰路に着いた。帰り道にコンビニに立ち寄り、お弁当と「氷結」とを買って帰った。

 ‥‥わたしの日記はつまらん備忘録で、室伏さんの遺された日記とは比べられるものでもないのだけれども、室伏さんのような日記を書いておきたいという気もちは、いつもあった。でもね、始まりが「備忘録」だから、とちゅうでパターンが変化してもしょうがない。それに、そんな哲学的なことの書ける人間ではないのですよ。ということで、明日からも生きていきます。


 

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■ 2018-02-05(Mon) このエントリーを含むブックマーク

 書くのを忘れていたけれども、先週土曜日の「ウイークエンド サンシャイン」で、久々にわたしのリクエストが取り上げられ、わたしの送った文をピーター・バラカンさんが全部読んでくれた。ちょっとうれしい。リクエストした曲はEdwin Hawkins Singersの「Oh Happy Day」で、先日そのEdwin Hawkinsが亡くなられたのにあわせて、追悼の意味でリクエストしたもの。これはわたしが高校二年ぐらいのとき、あの1969年にヒットした曲で、もちろん日本ではまるでヒットしなかったけれども、世界中で大ヒットしたゴスペル・ソングである。この曲の高揚感たるやもう相当なもので、まさに天国を垣間見せてくれるというか、「このままキリスト教に改宗してもいい」と思えるぐらいに強烈な曲だった。日本でこう思っている人もそんなにはいないだろうけれども、ピーターさんも放送の中で、「いや、わたしも小坂さんと同じ感想です」と言って下さった。これがその曲。

      D

 わたしはそんなに、この「ウイークエンド サンシャイン」にリクエストを出しているわけでもないのだけれども、じっさいのところ、リクエストしたときにはいつも(100パーセントじゃないかな)取り上げてかけてもらえている。今思い出してみて、Cyndi Lauper(!)、Bert Jansch、そしてDave Swarbrickとかけてもらっている。ひょっとしたらピーターさんはわたしのことを認識してくれているのかも、とも思うけれども、そんなにひんぱんにリクエストしてるわけでもなく、ま、そういうこともないだろう。

 音楽のことでは、今、いろいろと青春期に大好きだったIncredible String Bandを聴き直していて、彼ら、彼女らに対する認識を改めつつあるところ。いい意味でも悪い意味でも、1960年代のヒッピーらが70年代以降にどういう道を歩んだのかということでも興味深いし、考えるところが多い。このバンドの国内盤のライナーノートや雑誌での紹介など、まるで誤解しているというか、はっきりいってお話しにならないレヴェルのものばかりに思える。今個人的には、いちどこのバンドの「評伝」みたいなものを自分でしっかりと書いてみたいという<欲望>がある。それは自分の青春期への追憶、反省(赤面)など、いろんな事象も含まれるだろう。やってみたい。

 土曜日にもらったチラシで、来週の寺田みさこさんの公演にも行こうか、という気になったのだけれども、ちょうどうまいぐあいに来週の土曜日は、夜に横浜で岡田智代さんの公演に行くことにしてあり、その昼間に寺田さんの公演を観ると交通費が助かる。久しぶりに「一日二公演」観戦ということになるけれども、行くことにした。それと、この週末の向井千惠さんのChé-SHIZU35周年のライヴにも行くことにした。もう大変である。貯金するなんてとても出来はしない。何とか次の給料振込みまでしのげるか? そういう感じになってしまった。あとは来週の康本雅子さんの公演もあるのだけれども、う〜ん、これは「パス」するしかないかな。

 今日も晴天。寒いけれども日だまりはほかほかと暖かで、春ももう近いと感じさせられる。仕事から帰った午後、我孫子駅の方へ歩いた。ひとつは銀行の預金通帳に記帳しておく目的で、それから、もしBさんと我孫子で飲むということになったら、どこかいい店があるだろうかという下見。‥‥ふむ。駅周辺を歩いてみたのだけれども、どこもチェーン店ばかりで、「我孫子らしさ」がある店というのはむずかしいか。あっても正体不明でちょっと入りにくいか(柏ならばもうちょっとバラエティがありそうだが、やはり我孫子はそういう面でも点数は低い)。いちおう北口と南口にそれぞれ、一軒ずつ、チェーン店とはいえ楽しめそうな店はあった。南口の店の方がいいかな?

 夕方は昨日つくったトマトシチューで早めの夕食をとり、明日はきっと飲みに行って遅くなるので早めに寝ることにした。‥‥和室のベッドにもぐり込むと、ニェネントがついて来て、ふとんの上にのっかってくる。それでそんなニェネントをつかまえて、ふとんの中に引きずり込んで、わたしと並んで寝かせる。引きずり込まれるニェネントは「にゃ〜〜〜!」とか嫌がってるみたいな啼き声をあげるのだけれども、ニェネントはボキャブラリーが不足しているので、わたしが何をやっても「にゃ〜〜〜!」なのである。だいたい以前なら、こうやってふとんの中に入れると嫌がってすぐに逃げてしまったのだけれども、最近はそうやられても逃げようともせず、あらら、のどをゴロゴロと鳴らしている。こういうの、嫌いじゃないみたいだ。そのままわたしが寝ちゃってもしばらくは、そのままふとんの中でまどろんでいたりする(けっきょく、どこかで外に出てしまうのだけれども)。この頃のニェネントは、前にも増して<愛おしい>。


 

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■ 2018-02-04(Sun)

 先日の「月蝕」の次の朝(深夜)、出勤で駅に向かうときにきれいな月をみて、「写真に撮っておこう」と思ってケータイを取り出して写したつもりだったのだけれども、手袋とかをしていてうまく撮れなかったな、というところで、「失敗、失敗」と思っていたのだけれども、今日ケータイをチェックしたら、「写真」ではなく「動画」で撮っていたみたいだ。ふむ、動画の方が写真よりもきれいに撮れるみたいだ。これからは夜の撮影は「動画」で撮って、それをスクリーンショットとかで静止画にしてやろうかと思う。

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 日曜日。天気がいい。こういう日は洗濯である。洗濯をするのはいいが、洗濯物を干すのに窓の外に出すときに、ニェネントが「窓が開いたら外に出てやるぜ!」と狙って、窓ぎわに寄ってくる。そいつをなんとかブロックして窓を開け、洗濯物を外に干す。これはなかなかの「ゲーム」。
 昼食は、昨日買って食べないで残っていた「恵方巻き」。つまりコレって、少し細めの「太巻き」だよな、という感じで、本来は福を呼ぶ方角を向いて、丸ごとかぶりついて食べるらしいのだけれども、そんなバカバカしいことはやらない。

 先日Aさんとさいたま芸術劇場で会ったとき、飲んでいるときにわたしがdumb typeの「pH」のVHSを持っているという話になったら、ぜひDVDにコピーしてくれといわれていて、Aさんは「最高画質で」とかなんとか注文が多いので、現物VHSテープを貸すことにした。するとわたしもしばらく観ていないわけだから、午後から観てみたりした。今月末にはそのdumb type名義の、高谷史郎の「ST/LL」を観に行く。

 夕食はまたしても「トマトシチュー」をつくる。お手軽で材料費もかからず、おいしく、からだも温まるというのではいちばんの献立。もうわたしはトマトシチューつくりの名人である。今日もおいしいシチューが出来た。
 食事のあとFBをみていると、crosstalkにも参加してくれたBさんの書き込みがあり、次のプロジェクトで鳥のことをいろいろと調べなくてはならないということで、東京で見られる野鳥のこと、そして鳥の「翼」のことなどを知りたい、どこかいいスポットはないだろうか?という。それだったらあなた、我孫子の「鳥の博物館」こそは最適ではないですか、と思い、コメントでBさんに紹介した。どうせBさんが我孫子に来るんだったら、わたしが「鳥の博物館」まで案内すればいいし、そのあと、ほんとに久しぶりにBさんと飲むこともできるぜ、という感じである。
 Bさんはcrosstalkのことを高く評価してくれている一人で、自分自身でもcrosstalkのようなイヴェントをやってみたいと考えているそうな。そういうところでも、わたしはぜひBさんと会ってお話ししたいところでもあるし、酒の強い彼女といっしょに飲むのは楽しいことだろう。って、我孫子で飲むにはどこがいいんだろう?

 

[]「ダムタイプ/pH」(1992) 古橋悌二:映像演出 「ダムタイプ/pH」(1992)   古橋悌二:映像演出を含むブックマーク

 dumb typeの作品というとやはり「S/N」こそ、というところがあるのだけれども、「ひとつの作品としてかっちりまとまっている」という意味では、この「p/H」をこそ、という見方もできるだろうか(あと、「O/R」という作品もあり、これはわたしも実際の舞台を観ている可能性もあるのだけれども、例によってこれっぽっちも記憶に残っていない)。

 その「p/H」。舞台全体が大きなコピーマシーンのコピー台を模されていて、光を放ちながら左右に移動して行くバーがある。そこに、ピーター・ゴライトリーというアフリカ系のパフォーマーと、砂山典子を含む三人の女性パフォーマーとが絡んで行く。資本主義消費社会の暗喩である。わたしたちはコピーされたものを消費し、享受する。いや、わたしたち自体が「コピーされたもの」として飼い馴らされた存在なのか。時にエンターテインメントなショーを模して展開する舞台で、そんな資本主義社会の構図が逆照射される、やはり「傑作」ではあるだろう。

 やはり今回観て興味深かったのは三人の女性パフォーマーで、彼女たちは決して鍛錬された「ダンサー」としての動きをみせるわけではないのだけれども、やはり観ているといわゆる「コンテンポラリー・ダンス」との比較で観てしまう。そう、これもやはり「コンテンポラリー・ダンス」として観られるべきもので、それは「社会」への視点が明確にされているからといえるだろうか。‥‥それはつまり、ダンスの世界で鍛錬された身体は必ずしも必要ではないということ。前に書いたように、そこに「身体を律するもの」を観ることの中にこそ、「ダンス」というものが存在するのではないだろうか。


 

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■ 2018-02-03(Sat)

 今日は横浜へ行く。2月のイヴェントラッシュの始まりである。この日は赤レンガ倉庫でのNibroll、「コーヒー」の公演。5時の開演だけれどもやはり横浜は遠い。余裕を持って2時前に家を出た。ニェネントくんにはちょっと早めに食事を出してあげた。長い電車の旅、「今日は本がいっぱい読めるか」と思っていたのだけれども、電車に乗るとすぐに眠ってしまい、乗り換える表参道駅の直前までずっと寝ていた。それで乗り換えて渋谷経由で横浜へ出て、そのままみなとみらい線で日本大通り駅までというつもりでいたのだけれども、実は乗り換えるのは表参道ではなく、次の明治神宮前で副都心線に乗り換えれば乗り換えは一回だけで済んでいたのだった。けっきょく往路は表参道駅で(最悪の)銀座線なんかに乗り換えてしまい、渋谷駅で延々と歩き、ようやく乗り継いで横浜〜日本大通り行きの電車に乗る。

 日本大通り駅に着いたのはまだ4時前で、「しまった、ちょっと早すぎたかな?」と思いながら赤レンガ倉庫へ。着いてみると、ホールの下の階で舞踏関係の映像をいろいろと流しているフロアがあったので、そこで時間をつぶすことができた。逆に、ひとつの映像の尺の長さがかなりあるので、ちゃんと観ようと思うとまったく時間が足りない(ちゃんと観るには3〜4時間はかけないとならないみたいだ)。

 ホールも開場されて席に着き、チラシなどをみていたら、寺田みさこさんの公演も横浜でやることを知った。わたしはこの公演、前から知ってはいたけれども、db(ダンスボックス)の文字をみていて、てっきり関西での公演だとばかり思い込んでいた。‥‥そうすると、この公演を観にまた横浜に来なくっちゃならないのか? いよいよ大変だ。

 舞台の感想は下に書くとして、終演後外に出るともう夜。

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 横浜の夜景を眺めながら帰路に着く。

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 帰りはいくらか読書できた。しかしこの読んでいる「メイスン&ディクスン」、やはりピンチョンらしく難物であることには変わりはない。ピンチョンの作風もわかってきているのだけれども、大きなストーリーがで〜んと流れをつくっているのではなく、猫の目のようにくるくる変化する視点とともに、短いエピソードのような展開が渦を巻くように連なり、そんな中で主題を際立たせていくというか、またこの「メイスン&ディクスン」は翻訳でも擬古典調文章というか、すんなりとは読めないところもあり、ちょっと気を抜くと「あれ? あれれれ?」みたいに道を見失ってしまうのである。今の感じでは、やはりどうもこの作品も「もう一回」読まないといけないかな、という感じ。

 さて、この日は家に帰っても炊いたごはんが保温されているわけでもなく、つくりおきの惣菜もないわけだから、外で外食して帰ろうかとも思ったのだけれども、少しでも倹約しておこうと、柏駅で一旦下車し、スーパー「I」へ行ってお弁当とかを買って帰ろう、ということにした。ちょうど時間的にも閉店まぎわの時間に着きそうだし、弁当類も値引きされていることだろう。特別に缶ビールでもいっしょに買って帰りますか、と。

 それでスーパーへ行ってみると、この日は「節分の日」。今では節分には恵方巻きを食べましょう、ということになってしまっているわけで、そんな恵方巻きがいっぱい、半額で置かれているのだった。「では恵方巻きも買って」ということで、4割引きになっていた弁当と、それと缶ビール、またまた残り少なくなってしまったハムとをいっしょに買って帰る。時計は9時をすぎていた。今日はここまで。明日はゆっくり休もう。

 

[]Nibroll「コーヒー」高橋啓祐:映像 矢内原美邦:振付・演出 @横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール Nibroll「コーヒー」高橋啓祐:映像 矢内原美邦:振付・演出 @横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホールを含むブックマーク

 17年ぶりの「再演」ということ。もちろん厳密な意味の再演ではなく、「コーヒー」の2018年ヴァージョンというところなのだろう。どうもわたしは、その17年前の「初演」は観ているようで、今日観ていて、映像で巨大な(かわいい)キャラクターが街をのし歩くような場面は、記憶に残っていたように思う。もちろんそれ以上の記憶は残っていないから、初めて観るという気分に変わりはない。

 で、感想としては、ダンサーたちにセリフはあるし、はっきりと「意味」を伝えようとしているようでもあり、かなり演劇寄りの舞台と感じた。現在のNibrollの、暴力的なまでにただダンサーの疲弊を見せるような舞台、映像とパフォーマンスとの入り乱れて一体となるような舞台というものとはかなり異なる印象で、この舞台にはなにか、「今の日本で生きる若者の日常とは?」と問いかけているように思えてしまった。それは矢内原さんのいう「私たちはいつからコーヒーを飲むようになったのか?」と問うような、「大人になる」ということへの問いかけみたいでもある。しかし、そこで彼らが飲む「コーヒー」とは、英語の「Coffee」ではなく、フランス語の「Café」でもないし、同じ日本語でも「珈琲」ともちがう。この舞台での「コーヒー」とは、インスタントコーヒーの、そして缶コーヒーのそれに近い、今の日本でオリジナルから変化してきたもののように感じられるというか。それはいわゆる「ダンス」というものよりは「身振り」に近くもあり、スタイリッシュというよりもどこか「ダサさ」をも思わせられる。はたして、そんなわたしの感じた「ダサさ」とは、初演から17年の時を経ての時代差から来るものなのか、今現在のものとして提示されたものなのか。どうもわたしは、その双方がいっしょにあったようには思う。それはNibrollのキャリアの中での、その17年をも提示する試みということではないのか。

 ずっと抽象的な書き方になってしまったけれども、わたしはそう思いながらこの日の舞台を観た。


 

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■ 2018-02-02(Fri) このエントリーを含むブックマーク

 早朝(深夜ともいう)にアラームで目覚め、まずは窓の外を見る。雪だった。フェンスのへりには数センチの積雪があるようだけれども、先週のような積雪ではないのでひと安心。これなら電車も問題なく運行されているだろう。着替えをして朝食をとって、出勤のために外に出ると、まだしんしんと雪が降りつづいているけれど、道路にはほとんど雪は積もっていなかった。しかしさすがに寒い。バッグの中に突っ込んであった手袋を探すと、片っぽがなくなってしまっていた。バッグからこぼれて部屋のどこかに転がっているのか、それとも路上とか電車の中で失くしたのか。‥‥道を歩いていると、誰かが落とした手袋を見かけることがよくある。手袋というものは失せてしまうものなのだ。そして、手袋というとマックス・クリンガーを思い浮かべる。

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 勤務先に到着したが、前の道路にもまったく積雪はない。先週のように、「雪かき」をもういちどやりたかったな、などと思ってしまった。北国の雪かきは重労働で、屋根の雪下ろしなどは命がけの作業だろうけれども、わたしなんかはのんきなものだ。

 金曜日で、今週の仕事は今日でおしまい。週末を迎える。二月の週末は毎週お出かけで、休むヒマもない。そんな二月の週末のスタート。仕事を終えるともう雪もやんでいるけれど、部屋に戻ると寒いことだろうと思い、「映画でも観ようかな」などとチラッと思ったけれども、来週どのくらい出費がかさむか読めない状況なので、ここは倹約。
 今公開されている映画では、キャスリン・ビグロー監督の「デトロイト」が観たい。キャスリン・ビグロー監督というのは、今のアメリカでは少なくなった「硬派」な作品を撮る人だとの認識はあったけれども、先日ちょっと調べものをしていたらこの人、あの「Art & Language」のメンバーであったらしい。それはすごい、ということで、この監督への興味は俄然深まっている。アート界から商業映画監督への転身ということでは、スティーヴ・マックウィーンに先駆ける存在、ということになるのだろうか。この監督のことはもうちょっと知りたいと思う。

 自宅駅に帰る前にとなりの柏駅でいったん下車し、借りていたDVDを返却する。来週は火曜日もお出かけするので、「借りても観られないか」と、つづけて借りるのはやめておいた。
 自宅に帰ると、思っていたほどに寒くはない。先週後半の、身体が足の裏から凍りついていくような「冷たさ」はなかった。それで昨日のFBへの書き込みの反響が大きかったので調子に乗り、今日もちょっと投稿してみた。このことを説明しておくと、そのわたしが参加しているグループというのは、簡単にいうといろんなレコード、CDのコレクションを披露して自慢するグループというか、つまり基本は自分の持っている音盤のジャケット写真を投稿するわけだけれども、ある人が投稿したそんなジャケット写真の、Roxy Musicの「Conutry Life」や、Scorpionsの「Virgin Killer」が問題になったようで、つまりFBから削除されたらしく、そのことを抗議していたわけ。ま、FBには規約があって、つまり「ヌード写真(乳首、陰毛の写ったもの)」の投稿は禁止されているらしい。そして、そんな投稿が問題になるのは「告発者(つまり密告者?)」からの告発によってだろうということで、FBの規約の保守性、そして告発者の存在をめぐって皆があれこれいいあっていて、それでわたしが見つけた、某有名写真家の撮ったところの、乳首も見えるジャケット写真をアップしてみたわけで、これが大受けし、しかも警告を受けなかったという次第。
 それでわたしも調子に乗って、ネットで見つけたヌードジャケットの写真をアップしたら、とたんに警告を受けてしまった。「では乳首が見えなければいいのだな?」と、今日になってそのジャケット写真に修整を加えて投稿した。それでまた今現在、受けてしまっているところ。
 わたしは今はPhotoshopも持っていないし、機能の数段落ちる無料の画像編集ソフトでその修整をやってみたのだけれども、思ったよりもかんたんに出来た。これがその修整画像である。

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 ‥‥てなことばかりをやって、この日も終わってしまった。ダメだなぁ〜、とは思っている。


 

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■ 2018-02-01(Thu) このエントリーを含むブックマーク

 今朝、仕事に出るのに駅まで歩いていて、ちょうど歩いて行く方向の夜空に、きれいな月が浮かんでいた。国道を通り過ぎる車の赤いバックライト、国道の街灯とのコントラストが美しい。昨夜の皆既月食は、東京やこのあたりでもきれいに見られたみたいだ。もうちょっと見て、月が完全に地球の影に隠れるまで見ればよかった。

 今夜から明日の午前中にかけてはまた雪になるという。そのせいか、またとても寒い一日になった。風呂に入って温まろうと、風呂を沸かす。前に書いただろうけれども、この部屋についている風呂は沸かすのが大変。とにかく時間がかかる。一時間近くかかるのだ。おかげで先月のガス代はけっこうな額になったりした(そもそもがこの地域はプロパンガスだから、よけいに高いガス代になる)。沸かすのに一時間かかるというのは異常なのではないかと、ネットで検索してみたけれども、それでガマンしている人たちもけっこういるみたいだ。ただ、わたしの居るアパートの棟は一階に三部屋並んでいるのだけれども、いちばん道路側の部屋は先日住人が入れ替わったとき、風呂釜を取り替えた。そして真ん中の部屋でも、転居とかではないのだけれども、つい先日風呂釜を取り替えていた。やはり沸かすのに異常に時間がかかるとか、故障したとか、そういう理由だったのだろうか。わたしも、管理会社に訴えれば風呂釜交換してもらえる可能性もありそうだ。
 それでとにかく今は(おそらくこの冬のあいだは)今ある風呂釜でやっていかなくてはならないだろうけれども、今日はちょっとやり方を変えてみて、まず浴槽に追い焚き出来るギリギリまで水を入れて追い焚きにし、そこにかなり高温に沸かした湯を給湯で足していくようにした。‥‥これはけっこううまくいった。40分ぐらいで入れるような湯になってくれた。これからはこのやり方でいこう。
 服を脱ぐのは寒かったけれど、とにかくは湯に浸かって身体を温める。いい気分になった。酒でも飲みたいところだ。

 風呂から出て、この日は何かヴィデオでも観ようかと思っていたのだけれども、ちょっとネット(FB)の方で参加しているグループで面白い出来事があったので、それに反応した書き込みをしたらすっごい反響があり、それを読んだり、返答したりしているうちに遅い時間になってしまい、けっきょく何もしないで寝るのだった。明日は雪なのだろうか?


 

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