ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

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■ 2018-05-16(Wed)

[]「競売ナンバー49の叫び」トマス・ピンチョン:著 佐藤良明:訳 「競売ナンバー49の叫び」トマス・ピンチョン:著 佐藤良明:訳を含むブックマーク

 読んだ。読んだピンチョンの作品の中では、いちばん重苦しい空気を感じたりもする。それは結末が不明確なまま終わるせいもあるだろうし、作品全体が、どんどんと「世界」の深みにはまって行くエディパの一人称で書かれているせいもあるのだろうか。

 この作品が発表されたのは1966年。あらためて読んだ感じ、ピンチョンの作品で「同時代性」をいちばん感じさせられたのがこの作品だろうか。

(‥‥)エディパは覗き役、聴き役を続けた。デフォルメされた顔の溶接工が、彷徨うのを見た――宿無しの男が、自分を見捨てた社会の、静かな日常の空虚(ブランク)を愛おしむかのように。片方の頬の膨らみに大理石のような模様の傷を持つ黒人女にも会った。毎年一度、異なる原因で流産を繰り返す彼女は、その流産の儀式を、出産のそれに劣らぬ真剣さで、社会ではなく、社会の空隙(インテレグラム)に向けて捧げていた。年老いた夜警がアイボリー石鹸を齧っているのも見た。鍛え上げた胃袋に、ローションもエア・フレッシュナーも、布きれも煙草もワックスも、何から何まで詰め込もうとしている。この老人はそうやって、すべてを、それらが約束するものを、生産性も裏切りも腫瘍も、なにからなにまで摂取しなければ手遅れになるとでも思っているのだろうか。

 これは例えば、ボブ・ディランの"A Hard Rain's a-Gonna Fall"を想起させられるというか、わたしはこのところいつも、ボブ・ディランはピンチョンの代理でノーベル文学賞を授与されたのだと思っているのだが、この「競売ナンバー49の叫び」はとりわけ、ディランの掘り下げた「アメリカの恥部、暗部」に、もっともっと、(文学的に?)肉薄していると思う。
 ピンチョンは基本的に執筆時の同時代のことは書かない作家で、後の「ヴァインランド」や「LAヴァイス」で70年代のことを書いたのも、執筆時点からさかのぼって俎上に上げているわけで、そういうところからも、まさに「今起こっていること」を書いたこの作品、その時代へのピンチョンの「ナマ」の声、ということを強く感じる(だからこそ、この結末になったのだろう)。

 今見えている、目の前の「現実」と思い込んでいるところの背後に、実は「見えない何か」が動いているのではないのか、このようなピンチョンの世界への視線は、それが過去の問題にさかのぼっても、常にピンチョンが書きつづけてきていること、そのことがこの作品ではダイレクトに読むものに突きつけられるようで、「むむむむ」と思いながら読むのであった。

 そういえば、この作品の中でも当時流布しはじめたLSDのことも書かれていたのだけれども、わたしたちがさいしょに「LSDって何?その幻覚効果は?」などということを知ることになった「クール・クール LSD交感テスト」の著者であるトム・ウルフが、昨日亡くなられたらしい。彼の著書「現代美術コテンパン!」はわたしも読んだことがあるけれど、この人はけっきょく共和党支持者になってしまったのだったな。


 

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