ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2018-06-30(Sat)

 昨日の朝、出勤で駅への道を歩いていると、どこかから小鳥がピーピー鳴く声が聴こえる。この鳴き声はツバメのヒナの鳴き声だと、わたしは知っている。「こんなところにもツバメの巣があるのだろうか」と、鳴き声のする方を探すと、すぐそばのマンションだかアパートだかの一階のドアのそば、雨もしのげるようなところにある何かの設備の出っ張りの上に巣があった。2羽のヒナが大きな口をあけて鳴いている。親を呼んでるんだろうけど、きっと近くにいるにちがいない親鳥は、わたしが巣の近くでうろうろしているものだから、巣に戻らないでいるのだ。もっと近くでヒナがはっきりわかる写真を撮りたかったけれども、あまり近づいてもおびえさせるかと思って、離れたところから写真を撮ってその場を離れた。

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 この土地でツバメの巣をみるのは初めてのことだな。ずいぶんと微妙なところに巣をつくっているものだなと思ったけれども、あの建て物に住んでいる人が気を遣ってあげているのだろう。ツバメという鳥は、いろいろな天敵から身を守るため、少し人の気配があるようなところに好んで巣をつくる。そこがあんまり人の出入りが激しいところだと巣はつくらないし、誰もいないところもダメ。微妙なんだけれども、日本の人は自分の住まいにツバメが巣をつくることを歓迎する伝統がある。このマンションだかアパートの人も、このツバメの巣を大事にしているのだろう。そのことは、外から見てもわかる。
 今はそんなツバメのすがたを見ることも少なくなったから、こうやってこの地でツバメの巣を見れたのはうれしい。おそらく、今日見たヒナもじきに巣立ちするのだろう。あとで調べたら、この千葉県ではツバメは一般保護生物に指定されているらしい。そのうちに、生まれてからツバメを見たことがないという、新しい世代の子が出てくることになるんだろうな。

 今夜は東中野で、わたしの大好きな映画監督、井土紀州氏のやられている「映画一揆外伝・破れかぶれ」のシリーズの上映回がある。この夜上映されるのはあの「LEFT ALONE」(2004)である。もちろんわたしはこの作品は封切り公開時に観ているわけだけれども、例によって記憶障害のあるわたしはこれっぽっちも記憶していない(毎回毎回、同じことを書いて申し訳ありません)。しかも今夜の上映はある意味、この映画にも出演されている、この1月に自死された西部邁さんの「追悼」という意味合いもあるようだ。そして今年2018年は、やはりこの映画に出演されている(<主役>というか)絓秀実氏の著書「1968年」から50年の年。というか、1968年が特別な年だったということは絓秀実氏の著書タイトルに関わらず承知しているわけで、今日のイヴェント(上映会)をその50周年ととらえる意識は、わたしの中にはありましたね。前から観に行くことは決めてあったイヴェント。
 この夜は6時開場、6時半開映ということで、5時半ぐらいには現地に着くようなつもりで、いや、もうちょっと早く到着して夕食を食べて行こうと、ちょっと早くに家を出た。ところが途中で東中野という駅の位置を勘違いして、JRの特別快速で中野まで着いてから、なんと三鷹方面への電車に乗り換えてしまった。‥‥わたしはときどき、東と西、右と左がわからなくなってしまうのだ(しかし南と北、上と下はぜったいにまちがえないぞ)。電車に乗ると「次は高円寺」などというので、「え!」とおどろく。けっきょく、東中野駅に着いたのはちょうど5時半という時間。それで駅のすぐそばのイヴェント会場に行ってみると、すでに十人近い人がそのスポット前にあるベンチに座って開場を待っている。「あ、これはゆっくり食事をしている時間はないな」と、近くのコンビニへ直行して、サンドイッチとドリンクなどを買って戻り、まだ座るところの残っていたベンチに座ってサンドイッチを食べ、開場を待つのだった。

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 それでところで、そのわたしの座るベンチのとなりには、よくダンスの公演とかでお顔を拝見している鴻英良氏が座っておられ、よっぽどあいさつをしようと思ったのだが、鴻氏はわたしのこと知らないだろうし、顔を記憶してくれてはいたかもしれないけれども、それだったら鴻氏の方から「あなた、お会いしたことありますよね」とか語りかけてくることもあるだろう、そうでなければわたしから話しかけるのもいろいろと面倒な気もして、それよりも別の機会にちゃんとお会いしたときに、「<LEFT ALONE>の上映会のとき、わたしも居たんですよ」という話にした方が面白いし、などと思って、そんな鴻氏に声をかけたりはしなかった。

 とにかく開場を待つ人の数は増えつづけ、けっきょく6時に開場したあとは座席を追加設置することを繰り返し、満員の盛況になった。思いのほか若い人たちの数が多くて、<日本も捨てたものじゃないな>などと思ったりもしたけれども、わたしのとなりにいた人は別に来た人を「某大アナキズム研究会」の人物と呼んだりしていたので、そういう大学の政治サークルの連中が集っていたという感じ、なのだろうか。

 ‥‥いちおう映画の上映が終わり、絓秀実氏の舞台あいさつもあったのだけれども、さすがに「LEFT ALONE」から14年も経っているわけで、「うわあっ、歳をとられたなっ!」って印象もあったのだけれども、それはわたしも同じことなんや(わたしは絓さんよりは3つ年下。って、突然に「絓秀実氏」から「絓さん」に呼び方が変わる身勝手さ!)。
 で、終映後に皆さんはどこかに「徹夜トーク」に行かれたようだけれども、もちろんわたしはニェネントの待つ我が家へと帰るのである(って、じっさいにニェネントにわたしを待つ気があるのかどうか疑問だけれど、わたしが帰らないと「あれっ?」となることはたしかだろう)。

 

 

[]「LEFT ALONE」(2004) 井土紀州:監督 「LEFT ALONE」(2004)   井土紀州:監督を含むブックマーク

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 感想を本気で書けばどこまでも長文になる作品だけれども、ま、どこまで書けるのか<時間制限>も睨みながら書きましょう。
 この作品は、絓秀実氏の著作「革命的な、あまりに革命的な」と同時進行のように撮られた映像というか、つまりは戦後の「ニューレフト」とは何だったのか?という総括といえるだろうか。まずはソヴィエトで公表されていたレーニンの演説する写真から、実はトロツキーの姿が消されていたという、その「リアル」なトロツキーも映っている写真と、「ソヴィエト公式」だったトロツキーの消された写真とが並べられ、それはつまり、「裏切られた革命」である。そしてスターリンの死後に行われたスターリン批判、ハンガリー動乱を経て、日本国内でも日本共産党の動きから、反日共系の「ニューレフト」が登場する過程が語られ、つまりこのドキュメント映画はその時点から、2001年の早稲田大学の「サークルスペース移転阻止闘争」までを、批評家の絓秀実氏を狂言回しのように登場させ、さまざまな登場人物(松田政男、柄谷行人、津村喬、そして西部邁ら)と絓秀実氏との対談などで追っていくもの。

 2部構成の作品の第1部でまず柄谷行人氏が登場し、「絓秀実氏はまさに、<人の嫌がること>をやる人物なのだ。それは学校の教室でうんちをしてしまうような、困った<人の嫌がること>なんだけれども、同時に絓秀実氏は、そのうんちを自分で片付けるような<人の嫌がること>も、いっしょにやってしまう人物なのだ」と語る。これはまさに柄谷行人氏と絓秀実氏とが同じようなフィールドで活動しながらも、同じフィールドだからこその<反撥>というのか、柄谷氏の絓氏への<距離感>というのか、そういう生やさしいものではないだろうけれども、面白い。それでその後この映画では、大きなボールの<ふん>を転がして行くスカラベサクレ(フンコロガシ)のアニメーション動画が、絓秀実氏をあらわすものとして何度も登場することになる。
 このあと、まずは絓秀実氏が松田政男氏に話を聞く形で、ブント(共産主義者同盟)結成前後の情況が話される。山村工作隊の話など。わたしはこの松田政男という方、映画評論家という肩書きと日本赤軍のシンパなどということでしか存じ上げてはいなかったのだけれども、戦後左翼運動ではものすごく重要な活動家/イデオローグではあらせられる。この人の著作は読むべきだ、などと思ってしまった。それでそのあとは絓秀実氏によって吉本隆明と花田清輝との論争が語られ、つまり60年安保へとなだれ込むわけだ。

 このあたりで西部邁氏が登場し、つまりは西部氏の書斎に絓氏が話を伺いに訪れるというようなかたちなのだけれども、西部氏はことのほか上機嫌のように見受けられ、語尾に「〜な、」と付けながら、当時日本共産党へ入党した話などを、ニコニコと語られるのであった。さいしょに共産党に入党してスピーチまでおこなったのは自分の「どもり」の矯正のつもりだったのが、意外なほどに言葉が次々に飛び出したこと、共産党員になるには人を殺さなくちゃいけないと思い込んでいて、入党のときに「人を殺したことはありませんが、人を殺せるようがんばります」みたいなことを言った話など、いっぱい笑わせてくれた。もう彼が自死されて半年近くになるけれども、追悼。

 第2部はメインにまさに「1968年」ということが出てくるのだけれども、実は絓秀実氏の著作(「1968年」)のように、1970年の「華青闘告発」がメインに取り上げられることになる。このあたりはけっこう同時代的に了解できる事柄も多いのだけれども、わたしは恥ずかしながらこの「華青闘告発」問題のことは絓秀実氏の著作を読むまではまるで知らずにいて、つまりわたしの1968年とは、上っ面のものにすぎなかったではないか、ともいえる。
 映画にはその後、津村喬という怪しげな人物とか、「サークルスペース移転阻止闘争」を絓秀実氏と共に闘われ、この映画の音楽を担当する「太陽肛門スパパーン」の中心メンバーの花咲政之輔らも登場する。

 上映後に絓秀実氏が舞台挨拶で、いま現在左翼運動というのはネガティヴに総括されがちだけれども、もっとポジティヴな視点を取るべきだとおっしゃる。例えば左翼運動の勝利のおかげで、現在の日本の教員でリベラルの占める割合はきわめて大きいではないかと。しかしその反面、いま現在の若い人の右傾化というのは、そういうリベラルな教師への反撥というところからも来ているのだろう、という意見にうなずくところがあった。若者は教師に反撥するのが性分なのだな。とにかくは絓秀実氏のその「革命的な、あまりに革命的な」は、つい先日に「ちくま学芸文庫」から<増補版>が出たばかりのようだ。「1968年」は読んでいて、いずれは「革命的な、あまりに革命的な」も読みたいと思っていたから、いい機会だ。買ってみようか。


 

[]二〇一八年六月のおさらい 二〇一八年六月のおさらいを含むブックマーク

 ‥‥こうやってまとめてみると、舞台が3作品、映画が2本、読んだ本が4冊だけ。DVDとかを一本も観なかったというのは、この10年とか20年で初めてのことではないかと思う。ま、「6月から何かを変えるのだ」とは思っていたのにそうそううまくは行かなかったけれども、それが「ヴィデオ鑑賞ゼロ」みたいなかたちになったのか。これはこれで、ひとつ<ノーマル>なかたちではないのか、とも思う。読書は今の倍にしたいけれども。

ダンス・演劇:
●唐組・第61回公演「吸血姫」唐十郎:作 久保井研+唐十郎:演出 @新宿・花園神社境内 紅テント
●KAAT×地点「山山」松原俊太郎:作 三浦基:演出 @横浜・神奈川芸術劇場<中スタジオ>
●akakilike「家族写真」倉田翠:演出・出演 筒井潤:テキスト @日暮里・d倉庫

映画:
●「犬ヶ島」ウェス・アンダーソン:監督・ストーリー・脚本・製作
●「LEFT ALONE」(2004) 井土紀州:監督

読書:
●「アーダ」ウラジーミル・ナボコフ:著 若島正:訳
●「昭和史 戦後篇 1945~1989」半藤一利:著
●「妻を帽子とまちがえた男」オリヴァー・サックス:著 高見幸郎・金沢泰子:訳
●「ジェスティーヌ」ロレンス・ダレル:作 高松雄一:訳


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■ 2018-06-29(Fri) このエントリーを含むブックマーク

 昨夜はまたサッカー。ワールドリーグのグループ戦第3戦、相手はポーランドである。今夜も勝てそうもない感じだけれども、今までの2ゲームでみごとにそんな予想を裏切ってくれたので、やはりみておきたく思い、アラームを試合開始の午後11時にセットしていちど寝た。
 そういうわけで深夜に起き出してゲームを見はじめたのだけれども、今夜のゲームは先日の対セネガル戦みたいな、わたしが見ても楽しめるような攻め合い、せめぎ合いの面白さはないかな。前半は今までボロクソ言われつづけていたGKの川島が好プレーをみせてくれて、わたしはこの選手はけっこう昔から好きだったのでココはうれしかった。前半は0−0で終わったが、後半になってポーランドに先取された。見ている感じではとても追いつけそうもない。もうベスト16に進むことは出来ないでしょうね、というアナウンスとか解説もあったし、ゲーム展開も面白くなかったし、「ああ、やっぱりダメだったか!」と、途中でテレビを消して寝るのだった。

 朝起きてニュースをみてびっくり! 日本はあのまま0−1でポーランドに負けたというのに、同時進行の同グループのもう1ゲーム、セネガルvs.コロンビアでコロンビアが勝ったので(夜中に見ていたときには0−0だった)、いろんなポイントで日本チームがベスト16に進出したのだという。しかも、そのポーランド戦の終盤(わたしが寝たあと)に、日本チームは(ここで負けても1点差をキープしてベスト16に残るために)ただボールをパス回しするだけで時間稼ぎをし、大いに観客のブーイングを浴びたらしい。
 ‥‥むむむ、この采配の善し悪しは、わたしにはわからないな。ただ、このあとのベスト8を賭けたゲーム(相手はベルギー!)に勝っても負けても、いろいろとこの日のゲームのことでネガティヴに言われつづけてしまうことになるだろう。たとえベスト8に進んでも、のちのちにも「あの2018年のときはね‥‥」とカッコ付き扱いされるだろう。気分的には「正々堂々」とさいごまで、ポーランドと戦うべきだったような気はする。でもわたしは、決して「あの2018年のときはね‥‥」とは言わないことにした。

 今日も晴天で、もう夏が来た感覚の暑さ。昼にニュースをみると、なんと、もう「梅雨明け宣言」が出されたという。そうか、そんなものだったのか。気分的にはもう一週間ぐらい、雨のつづく週があってもよかったと思う。
 この日は三ヶ月に一度の、国分寺のクリニックでの診察日。予約時間は2時半だから、仕事を終えたあとそれまで、けっこう時間をつぶさなければならない。まずは駅前のカフェでいつものバーガーセットで昼食をとり、そのあと近くの量販中古書店へ行ってみる。棚をいろいろとみていて、岩波文庫でロバート・キャパの写真集が出ているのをみつける。取り上げて開いてみると、どの写真にも人の営みの哀しさ、喜び、残酷さにあふれていてやはりインパクトが強く、「買おうか」と思ったのだけれども、「今はこういう写真も、ネットでいくらでも見ることができるだろうか」などと思い、あわてて買うのは控えることにした。それでDVD売り場に行ってみると、デイヴィッド・リンチ(しかし、なんで彼の場合だけ、<David Lynch>が普通に<デヴィッド・リンチ>ではなく、<デイヴィッド・リンチ>という日本語表記になるのだろう。昔からの疑問だ)の初期作品のBOX SETがあって、内容は「イレイザーヘッド」、「デューン/砂の惑星【劇場公開版】」、「デューン/砂の惑星【TV放映長尺版】(2枚組)」、「ブルーベルベット」。そもそもの定価は19800円なのだが、2950円で売られている。特に盤面などにキズがあるという表記もなく、「それは<激安>ではないのか」と、買ってしまうのだった。

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 買ってしまったあとになって、「待てよ、こういうのって、あとでAmazonとかでみるともっと安く売られていたりするのだよな」と思ったりもしたのだが、1枚あたり700円ぐらいならいいだろうということで(これは帰宅してから検索すると、Amazonでも5000円以上していたので、ま、買ったのは正解だっただろう)。

 国分寺に到着して、三ヶ月前に来たときには「開店一日前」状態だった大きな駅ビルがもちろん営業しているわけで、まだまだ時間があるので入ってみて、いろいろな店をのぞいてみた。それでフォーマルなメンズ・ファッションの店が「完全閉店」の看板を出して全品のディスカウントをやっていたりして、「あららら、開店わずか三ヶ月で<撤退>とは、よっぽど大きな<思惑外れ>があったのだな。コレは誰か大きな責任を取らされたんじゃないかな?」などと思ったりする。某「東急ハンズ」も出店していたけれども、これはわたしの地元のとなり駅の同店の方が規模が大きかったので、「ふふ、ウチの方が<都会>だ!」などと無用なことを考えたりするのだった。

 クリニックへ行き、診察というか問察もあっという間に終わり、この日は血液検査で採血をしておしまい。もう今は、これ以上発作を起こさないようにクスリを処方してもらえばそれでいい、という感じで、わざわざ国分寺くんだりまで来なくってもいいようにも思うのだけれども、ま、三ヶ月に一度のことだし、いちおうは日本の「てんかん」専門クリニックでは最先端のクリニックではあるし、しっかりしてるんだかどこかボケてるんだかわからない主治医の先生とのやりとりも楽しいし(「てんかん研究」では日本を代表する先生ではあらせられるのだ)、これからも通いましょう。次回の通院は9月末、もう秋真っ盛りの頃ですね。

 帰りはちょっと寄り道して代田橋の「ギャラリー/立ち飲みバー」に行ってみようかと思ったのだけれども、まだ時間も3時にもなっていなくってオープンしていないだろうし、また時間をつぶすのもめんどいし、ニェネントくんにいつまでもお留守番させていても部屋も暑いことだろうし、早く帰ることにした。
 帰宅してピンポーンとチャイムを鳴らして部屋のドアを開けると、今日もニェネントくんのお出迎えはない。靴を脱いで部屋に入ってもニェネントは出て来ない。「いったいどこにいるのよ?」と、<かくれんぼ>感覚で部屋の中をニェネントを探したら、和室のクローゼットの上に置いてある、ペットキャリーの中から出てくるところに出くわした。‥‥そうか、やはり暑くなるとなるべく高いところに居る方が涼しいのだろうかね。
 もう暑いのでエアコンで冷房を入れ、ニェネントにネコ缶を出して食べていただいた。わたしの夕食は実は昨日、「豚肉と玉ねぎだけですぐ出来る」という「中華街咖喱飯(カレーライス)の素」というヤツをベースにいろいろぶちこんで、そういう中華風カレーをつくってあったのだけれども、ヤバいことにこの暑さの中、残ったカレーをキッチンに出しっぱなしにしてあった。「これはひょっとしたらヤバいのではないだろうか?」というところで、味も「すっぱい」といえば「すっぱい」ような微妙な危うさがあったのだけれども、かまわずに夕食にしてしまった。どうか、おなかをこわしませんように!

 

 

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■ 2018-06-28(Thu)

 さて、ほとんどわたしの記憶に残っていない映画、ニコラス・ローグ監督の「ジェラシー」という映画(この映画の原題は「Bad Timing」というのだが、映画を観てしまうとその即物的なタイトルに興ザメしてしまうのである。そういう意味では、普通ならつまらん邦題の「ジェラシー」というのも許せる気になる作品ではあった)で、この映画の主演はテレサ・ラッセルとアート・ガーファンクル(あの「サイモン&ガーファンクル」の、作曲はしないけれどもめっちゃ声の美しい方で、人間的にももう片方よりはマトモそうで、頭チリチリの人ね!)の二人っつうかアート・ガーファンクルで、この二人が不倫というか愛人関係になるのだけれども(記憶があいまいなので違ってたらゴメン!)、それで別の登場人物のハーヴェイ・カイテルだかデンホルム・エリオットだかが、アート・ガーファンクルに、「彼女をただ愛してもダメだ。<強く>愛さなければいけない」というのだけれども、それは今わたしが読んでいるロレンス・ダレルの「アレクサンドリア四重奏」にもそういうところがあるわけで、何が言いたいのかというと、つまりそれが、「ネコ」との付き合い方だと言いたい。

 ネコは、いっしょに暮らすとなると、ただ愛するのではなく、<強く>愛さないといけない。ネコカフェなどに通って「モフモフでかわいいね〜」などということで済むものではない。そういうところでは、トラーを愛した金井美恵子、久美子姉妹のトラーへの愛情というものがひとつ、規範としてあるように思ったりする。金井美恵子はベタベタと感傷的に文章を連ねることはないけれども、その背後には深〜いトラーへの愛情がある。「ノラや」の内田百けんは、けっきょく「ノラ」がいなくなってしまったからこそ、喪失感でワンワン泣くのだけれども、ノラといっしょのときの愛情が「That's Enough!」ということだろうかというと、ちょっと疑問もある。彼はこういうことは書かないけれども、谷崎潤一郎は深くネコを愛したのではないだろうか。谷崎潤一郎の作品に登場する女性は誰も、どこか「ネコ」の化身のように思えるときもある。

 でも、「いかにネコを愛するか」と考えると、それはきっと「センティメント」を原理とするものではないかと思う。そのことを文章化するとつまりセンチメンタルに陥ってしまうから、書きにくい。そう考えると、内田百けんの「ノラや」のセンティメントは、やはり「真理」なのではないかとも思う。
 ‥‥ネコに、ロマンティシズムで接してはならないと思う。人と人との愛情では、ひょっとしたら「ロマンティシズム」のはたらきは大きいのかもしれないけれども(わたしはこのあたりのことがわからない人間である)、ネコにロマンティシズムは通用しない。このことは確かなことだと思う。
 「愛」に想像力は重要だけれども、ロマンティシズムと想像力とは同じものではない。まず、目の前にいるネコをみて、そして愛すること。そして想像力をはたらかせること。例えばエドワード・ゴーリーのように。‥‥そうだ、E・T・A・ホフマンも、ネコを愛しながら、そんなネコを醒めた目で描いていたのだっただろうか。ホフマンを読みたくなってしまった。

 閑話休題。最近は英語の本を訳してみようと、自分の能力以上のことをやろうとしているのだけれども、やはり翻訳というのは難しい。自分の英語能力の低さをあらためて実感するしかないのだけれども、だいたいの意味はわかっても対語訳しようとするとほとんどすべての単語を辞書で引くことになり、しかもトータルに日本語文章に移植しようとすると、奇妙な日本語にしかならないではないか。とにかくたいへんなことをはじめたものである。
 それと、最近は電車という「読書室」のなかで、とにかく眠くなっていけない。まるで本を読み進めることができず、困ってしまう。‥‥これは、今読んでいる「アレクサンドリア四重奏」の濃密さから来るものでもあるだろうけれども、せっかくの長い電車通勤時間を有効に使えないと悲しい。それで今日、仕事の帰りに大手町駅で乗り換え待ち合わせの時間が数分出来、改札を出て目の前の小さな書店に寄ってみたのだけれども、そこで文庫本でフランシス・ベイコンのインタヴューというのをみつけてしまい、「これって、とにかくグングン読み進められるんじゃないだろうか?」と、今の「アレクサンドリア」のあとに読もうかと、ついつい買ってしまった。面白そうな本だ。

 

 

[](31)ま、男女のことですから。 (31)ま、男女のことですから。を含むブックマーク

 この内容は前にちょっと書いたことだけれども、ジョー・ボイドの本から、続きの部分を。

 同様に、わたしは彼ら、彼女らの仲の進展にも好奇心をそそられた。マイクとローズは依然として親密で、ロウ(八つの田舎屋からなるスコットランドのテナント州にある地域で、彼らは今でもそこに住んでいる)のカッテージで共同生活をしていた。だけど二人は別々に不倫しながらも、けっこう気楽に乗り切っているようだった。ローズはサンフランシスコを訪れていたあいだにデヴィッド・クロスビーと関係を持ったし、マイクはローズが笑い飛ばしたところの様々な女の子と関係を持ち、短期間ローズとわたしもまた関係を持った。もうちょっと深刻だったのはマイクとスージー・ワトソン=テイラー(Suzie Watson-Taylor)との関係で、彼女はグループの日ごとのマネージメントのためにわたしが雇い入れた女性だった。

 よくわからないけれども、このスージー・ワトソン=テイラーという女性はその後もバンドに貢献し、バンドの解散まで「エクゼクティヴ・ディレクター」としてサポートしていたはず。マイクはローズと別れたあとはずっと彼女と付き合っていた(アルバム「Earthspan」のジャケットに、この二人がいっしょの写真が見られるのだ)。

 ジョー・ボイドは書いてないけれども、じゃあロビンはどうなのよ?というと、こちらもリコリスとは別離の方向で進んでいたようで、「Changing Horses」でジャケット写真を撮り、その後の「I Looked Up」、「U」でジャケットのイラストを描いていたジャネット・シャンクマン(Janet Shankman)が新しい恋人になり、「U」では彼女に一曲歌わせることまでやっちゃって、その後に結婚してしまうことになる。それで、マイクの彼女のスージーがバンドのディレクターをやるならば、ってな感じで、その後のバンドのツアー・マネージャーはジャネットが担当することになるのだ。どうもやはり、「公私混同」といわれても仕方がないところもあるのではないか、とは思う。



 

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■ 2018-06-27(Wed) このエントリーを含むブックマーク

 今朝もまだ風邪っぽく、咳が出たりするのだけれども、昨日の朝よりは状態はいいみたい。ニェネントに「行ってきま〜す!」とあいさつして家を出て、いつもの駅までの道を歩く。今朝はニェッタの姿は見られなかった。国道へと出る坂道を上っていると、その坂道の先の雲の多い空に、何だか色のスペクトルが見えると思った。あれは「虹」じゃないかしらん?と国道に出ると、西の空に大きな虹がかかっているのが見えた。虹のいちばん外側の「赤」の色、いちばん内側の「紫」の色もはっきりと見えて、特に内側の「紫」の色が鮮明で、「ああ、あの<紫>の内側に<紫外線>があるのだな」と実感できる、そんな虹だった。自然は美しい演目を見せてくれる。見ることができたモノは幸運だ。

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 十日ほど前、前に住んでいた住まいを一年ぶりに訪れて見たその光景、そしてそのあとに職場の近くでメジロの死骸をみつけたこと、それでそのあとにニェネントが8歳の誕生日を迎え、さらにそのあとに久しぶりに野良のニェッタの姿を見たことなどが、今のわたしにはトータルな「体験」として迫ってくるところがあり、これはもちろんわたしの「勝手な思い込み」ということだろうけれども、かなり強烈な<啓示>になっている。わたしとニェネントがずっと住んでいた住まいが、今も残っていて、生きた木と蔦につつまれていて、それがその建て物の中に今も生きている、「わたし」と「ニェネント」との気配を守っている、そして、いっしょに生きて行こうとしているのだと思えた。
 そのあとに先日、「死ぬべきではなく死んだ」であろうメジロの死骸に出会い、「生きる」こと、「死ぬ」ことについて、わたしなりに思うところがあった。そしてニェネントはわたしといっしょに生きて8年の誕生日を迎え、今わたしが住んでいる土地を祝福しているかのような、野良ネコのニェッタが、「わたしも生きてるよ!」とばかりに姿をあらわした。この十日間ほどは、わたしには「生きる」ことを賛美するセレブレーションのようにも思えてしまう(ま、コラムの方で宗教団体「サイエントロジー」のことも書いているわけだけれども、そのことは置いておいて)。

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 そもそも、多くの記憶を失って<生きる意味>も失くしたわたしに、「生きろ! わたしのためにも生きろ!」といったのが、ニェネントだった。
 だからわたしは、ニェネントが生きるためならば何でもやる覚悟である。今そういうことがどこまで出来ているか、疑問はある。例えば平日は、仕事のために8時間は家を出てしまっている。ニェネントといっしょにいてあげられるのは、一日のうちの16時間だ。これはかなりギリギリのところだと思う。それでその上に、例えば映画を観たり舞台を観たり、家に帰らないでニェネントを部屋にひとりっきりで取り残してしまったりする。ほんとうはこういうことはやってはいけないと思う。でもそのことは、わたしがニェネントを守るためにわたし自身も強くならなくっちゃならない、そのための時間なのだと、理解してほしい。
 もちろんニェネントはネコだから、そういうことはわかってくれない。でもそういうことを、わたしの中で「ニェネントはネコだから」と合理化してはいけない、そう思っている。それはどこか、「浮気しても本当はどこまでもあんたのことを愛してるんだよ」という、勝手なダンナの言い訳みたいなところがあるだろうけれども、ま、それは今読んでいるロレンス・ダレルの「アレキサンドリア四重奏」なのだな〜。わかってくれ!



 

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■ 2018-06-26(Tue)

 朝、目覚めたときにのどに痛みがあって、「ああ、これでわたしもこの世とはおさらばするのか!」とか思ってしまったが、どうやらコレは風邪の初期症状のようではあって、コレは最近よく罹患する「風邪のようでいて実は風邪ではなかった!」という「なんちゃって風邪」ではなくて本格的な風邪のようで、そういう「なんちゃって風邪」ならば「鼻水ダラダラ〜」だけのところが、プラスして咳の連発、つまり喉の痛みもあるところが病気っぽい。前にその「なんちゃって風邪」のときに処方してもらっていた風邪薬が残っているので飲むのだが、この風邪薬は「とにかく、眠くなるかもしれません!」と言われていた毒薬で、じっさいに前に服用したときには、歩いていてもそのまま前のめりに道路に倒れ込んで眠ってしまうのではないかと思うぐらいに「毒」だった。いかん! そんなことも考えずに朝からそんな「毒薬」を飲んでしまったが、だいじょうぶだろうか?

 とにかく出勤のために家を出ると、今日もまた、ウチのそばの空き地のところにニェッタがいるのが見えた。ニェッタは人嫌いだから、わたしの気配を感じてだか、チャッチャッチャッと駆けてわたしのところから離れていく。‥‥もうちょっと待ってくれて、「ニェッタ、待っておくれ、逃げなくってもいいのだよ! わたしなのだから!」というメッセージを、ニェッタに送れたらいいのに。

 それで毎朝のことを書いておくと、毎朝毎朝、仕事に出勤するのに、ニェネントとしばしのお別れをするわけだけれども、いつも毎朝、「何かがあればこれがニェネントとも<見納め>になってしまうのかもね」とは思う。だから毎朝、「行ってくるね〜! またお昼に戻ってくるからね!」と言ってニェネントののどを撫で、「バイバイ〜!」っと思いっきり手を振って、「こういうことやりたくないんだよね」と思いながら(なんでニェネントのことを閉じ込めなくっちゃいけないのだろう?)、ドアの鍵をかけて、出勤するわけです。

 ニェネントも8歳になって一週間、ま、猫の8歳というのはもう「壮年」というか、ひと昔前ならもう「晩年」ですしね(んなことはないか)、やはり来週とかには近所の「どうぶつ病院」に連れて行って、「健康診断」を受けさせたいと思っている。ま、今まで皮膚病で病院で診てもらった以外はずっと健康で、<病院知らず>だったけれども、やはりこれからは、年に一度ずつぐらいはちゃんと健康診断を受けさせてあげなくてはいけないだろう。
 っつうか、前から書いてるかもしれないことだけれども、普通にニェネントくんはこれから10年ぐらいは生きてくれるものと期待しておりますです。それでそうすると、もんだいはこのわたくしめの方の健康もんだいでもありまして、アレですよ、ニェネントくんは元気で「おっちゃ〜ん、メシくれや〜!」っていってるのに、わたしの方がもうよぼよぼで足腰が立たないでいて、「おうおう、ちょっ、ちょっ、ちょっと待って下しゃらっせい〜、、、」とかなってしまったのではまったくもって情けないことになる。つまり、ニェネントくんに長寿を全うしてもらいたいというのは、わたし、このわしがずっと健康でいなくっちゃならん、ということでもあるのだの。

 催眠剤的な風邪薬を飲んでしまった影響は、さっそくに通勤電車の中で出て来てしまったというか、本を読んでいても眠くなってしまって、「もう寝よう!」と本を閉じて眠ってしまったのだけれども、これは特に今日の「クスリ」のせいともいいがたく、このところは毎朝、本を読んでいても眠くなってしまうのだった。‥‥むむ、これは憂慮すべき事態であって、わたしは、この電車での「通勤時間」というものを「読書時間」に充てるつもりで、ちょっと通勤時間がかかってしまうことを厭わずに今の勤め先に決めているところもあるわけで、そんな、「通勤時間」を「睡眠時間」に充てるようなことは決してしたくはないのである。このことはこれからの「課題」ではある。

 さて、仕事中も咳が出たりと苦しくもあったし、何よりもかなり気温が高くて室内もかなりの高温、それで汗っぽくなってしまい、しかもそんな汗っぽいままに帰路に着いたわけで、普通ならばそんな登場人物はそれで体調を崩して寝込んでしまい、あげくに、脇役らしくもそんなに「見せ場」もないままに、主人公を引き立てるために死んでしまうというのが、ま、「脚本」というものの常套ではあるのだ。いやいや、まだまだ死ぬわけにはいかない。わたしの物語の主人公はニェネントくんで、ニェネントくんはわたしという脇役がいなくなると生きていけないということになってしまうのだ。

 

 

[](30)サイエントロジー教会の成果? (30)サイエントロジー教会の成果?を含むブックマーク

 ジョー・ボイドはそうやって、バンドのメンバーは礼儀正しくなったし、キッチリ働くようになって助かりましたよ、みたいに言ってるのだけれども、つまりバンドが「サイエントロジー教会」に入信した時期も1968年の11月と、その時期までもジョー・ボイドの証言ではっきりしているわけで、そうすると、じゃあどこからのレコーディングが「サイエントロジー入信後」となるのか、となるのだけれども、これは明確に4作目の「Wee Tam and the Big Huge」以降のこと、つまりは1969年11月にリリースされた「Changing Horses」から、ということになるのだろう。このあたりこそ、ジョー・ボイドのいう「現われた結果はこれが満足のいくものとなり、健全なグループのメンバーがわたしとよろこびを分かち合うようになったのだった。彼らはとてもいい新曲を持ってやって来て、そのレコーディングは円滑に進行した。」というところの、最初の成果がこの「Changing Horses」というアルバム、ということになる。このアルバムと、次の「I Looked Up」とが、バンドの「サイエントロジー時代」を代表するものとなり、それが次の「U」へと連なっていくわけだろうけれども、「U」は「U」で大変な問題のタネになってしまって、ま、このバンドの「崩壊」の端緒ではありまして、そう考えるとやっぱ、「サイエントロジー教会」への入会自体が「躓き」だったのではないのか、いやいや、そこはジョー・ボイドもおっしゃっていたように、バンドの中に女性が入って来たときに「没落」が始まっていたのか。

 この「Changing Horses」というアルバム、わたしが最初に聴いたこのバンドのアルバムということもあり、思い出深いものでもあるのですが、このアルバムにはロビンとマイクとのそれぞれの大作、「Creation」と「White Bird」とが収録されているわけだし、このバンドの中で唯一のロビンとマイクとの「共作曲」の「Dust be Diamonds」もあり、たしかに四人のメンバーのコンビネーションとしても、それまでとは「違うね」というところがあるみたいだ。まずは、ジョーに言わせれば「月旅行するより楽器弾くのが嫌い」だろうというリコリスがギターも弾いてオルガンも弾いてしまってる、ということもあるだろうし、何よりもローズ・シンプソンのベース・プレイヤーとしての飛躍的な成長ぶりを聴けるのがこのアルバムであり、これは「四人編成バンド」として、前代未聞の「男二人、女二人」のクオリティの高いバンドの誕生か、というところではあったのではないのか?

 「男二人、女二人」のユニットというのは、「ママズ&パパス」がいるわけだし、後に「ABBA」などというのが出てくるわけだけれども、これらのユニットはつまりは「コーラス・ユニット」であるわけで、当然別に「伴奏ユニット」がある。そこに、コーラスも演奏も自分たちだけでやってこなしちゃうという「男二人、女二人」ユニットというのは、その後50年、絶えて登場したこともないのではないのか、という感想はある(これはわたしが知らないだけで、じっさいにはそういうバンド、ユニットは存在していたこともあったのかもしれないけれども)。

 そのアルバム、「Changing Horses」については、それぞれの曲ごとにいろいろと書きたいところの、思い入れの強いアルバムではありますが、あまりに<思い入れが強い>ので、また改めて別のときに、もっと思い入れたっぷりに書きましょう。



 

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■ 2018-06-25(Mon)

 昨夜は「イナゴの甘露煮」と「トマト・サラダ」で簡易軽便な夕食をいただき、アレですよ。深夜にはワールドカップの「日本vs.セネガル」戦があるっつうことで、アラームを夜中の一時にセットして寝るのだった。わたしはサッカーというスポーツの良い観客ではないし、とにかくわたしがスポーツとして自信を持って楽しめるのは「カーリング」と「相撲」しかない、といってしまってもいいのだけれども、いちおう先日の「日本vs.コロンビア」も観ましたからね。前評判からいっても「日本は負けますね」といわれていたゲームを勝ったわけで、それは観ていて、(戦術的なやりとりとかわからないとはいえ)興奮しましたよ。それでこの夜の「日本vs.セネガル」だって、「ま、十中八、九は勝てないね」という気分もあったのだけれども、とにかくライヴ映像で観てみようと。「一時に起きてみれば前半が終わってるから、そこでゲームの大勢もわかるだろう」みたいなずるい気分で、それでアラームで起こされた。
 和室のベッドから起き出してリヴィングへ移動してテレビをつけると、それまで和室のわたしの近くで寝ていたニェネントも、「えっ? 何か、<お祭り>があるんですか?」と、わたしについてリヴングにやってくる。それでテレビをみると、1−1の同点、同スコアではないですか。これが0−3とかで負けていたらすぐにまた和室にもどって寝るつもりだったけど、これはなかなかに大変なことですぞ、ニェネントくん! それで後半を観ているとセネガルにゴールを決められて1−2になってしまう。いやいや、日本はね、もっとがんばれますよ、ニェネントくん! と観ていたら、まさにすぐに追いついてしまった。もちろんゲームの最後まで観てしまい、アレですね、ちょっと寝不足ですね。しかし、日本チーム、強いです!

 この「ワールドカップ」というものが面白いのは、「大国」だから出場しちゃうというのではなく、「こんな小さな国でも」出場してしまう、というところ。例えばアメリカも中国も出場していないし、パナマとかアイスランドみたいな国も出てるあたりかな。それで、「サッカーこそは、世界中のあらゆる地域で親しまれているスポーツだね!」というのが実感される。That's Good!

 朝。さすがに眠い。仕事に出るのに家を出ると、ウチの前の道の、電柱の影でニェッタが待っていてくれて、わたしをお見送りしてくれるのだった。むむ、キミはわたしを喜ばせるツボを心得ていますね! ウチのニェネントとは、大きな違いではないですか!

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 今日はわけあってドナルド・フェイゲン(Donald Fagen)のことをちょっと調べていたら、彼が生涯を通じていちばん好きな本は、ナボコフの「ロリータ」か「アーダ」だね、と、何かのインタビューで答えているのにぶっつかった。‥‥なるほどね、彼のシニカルな歌詞の原点にはナボコフがあるのかもね。どうやら彼は今は「スティーリー・ダン(Steely Dan)」名義のライヴ・ツアーを行ってるらしい。彼は去年の日本公演をキャンセルしちゃってるから、まずは日本公演もやってほしいな。今ならわたしも行くよ。

 

 

[]「ジェスティーヌ」ロレンス・ダレル:作 高松雄一:訳 「ジェスティーヌ」ロレンス・ダレル:作 高松雄一:訳を含むブックマーク

 アレですよ。この本はわたしが二十歳ぐらいのときに読んだ本ですね。ま、この本はこの「ジェスティーヌ」一冊ではなく、「バルタザール」、「マウントオリーヴ」と「クレア」の4冊で「アレクサンドリア・カルテット」を構成するわけです。やはり、このくらいむかしに読んだ本だと、逆にわたしの場合記憶に残っているわけで、読んでいて、だんだんにそういうむかしの読書体験を思い出して、興奮して来てしまった。当時のわたしは、例えばイギリスの作家というと他に「コレクター」のジョン・ファウルズと共に読んだりしたけれど、こうやって今読むと、おそらくはジョン・ファウルズなんかは「問題外の作家」で、やはり読むに値するのはこのロレンス・ダレル、それもこの「アレクサンドリア四重奏」ではないだろうか、とは思う。

 今の記憶で思い出してみて、この「ジェスティーヌ」でまずは全体の骨子となるストーリー、人物関係が提示され、それが次の「バルタザール」では同じ主人公、同じ語り手が、時間を経てそんな過去のことをもういちど再構成(脱構築)するのだな、たしか。それが三つ目の「マウントオリーヴ」でそれまでの主人公、語り手が考えていた、見ていた世界がまるで違うのだということになり、さいごの「クレア」で大きく物語が先に向けて動くことになる、そういう四部作じゃあなかったかな?



 

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■ 2018-06-24(Sun)

 おととい亀有での個展を観させていただいたGさんが、Facebookに亀有で「イナゴの甘露煮」を買ったと、その写真とともに書かれていた。
 書かずにいたことだけれども、去年の今の季節はウチのそば、我孫子のスーパーの「I」にその「イナゴの佃煮(つまり甘露煮だ)」が売られていて、何度も買わせていただいたものだったけれども、それがなぜか今年は、その「イナゴ」関係食品がまったく売られなくなってしまい、ガックリしてしまっていたのだった。‥‥これからの人類の貴重なタンパク質摂取の手段として注目されている「昆虫食」、そういう、日本伝来の食文化を捨ててしまってはいけない。わたしたちはタンパク質摂取の方策として、大きくはトリ、ウシ、ブタに頼っているのだけれども、たとえ自分がヴィーガニズムに染まっていなくっても、トリやウシやブタのつぶらな瞳を思い浮かべてしまうと、そんな彼ら(彼女ら)を殺し、その肉を食べてしまうことにうしろめたさはおぼえてしまう。
 それに対して、昆虫はアレよ、ま、ひとくちに言って「バカ」だから、彼ら(彼女ら)を殺すことにあんまり抵抗はないというか(そうは言っても、きれいな蝶とかてんとう虫とか、めったやたら殺せるわけではないけれども)、「食べちゃってもいいか?」みたいな気分はあるし、イナゴなんかはおいしいのであります。しかも「佃煮(甘露煮)」は味が濃いから、ちょっとの分量で食も進み、これは「未来食」なのです。
 っつーわけで、Gさんに「それ、亀有のどのあたりで売ってるの?」と聞いて教えてもらい、「あ、それはきっとおととい、Hさんと行ったあたりの道沿いだ」とわかり、あしたかあさってでもまた亀有に行ってその「イナゴの佃煮」を買い、またGさんの個展会場に行くのもいいな、などと思うのだった。

 それで今日は日曜日、今日は何も予定はないから、「いちにち、部屋でまったりといきまっしょう」と思っていたのだけれども、午後になってFacebookをみていると、この日の3時から日暮里の「d倉庫」で行われる公演が、前にチラシをみて「行こうかな」と思っていた公演だったことを思い出した。時間的にも今から出てちょうど間に合う時間で、ただもんだいは、当日券が出るかどうかということ。ま、行ってみて、「当日券なし」ということならば、そのまま亀有まで戻って、「イナゴの甘露煮」を買って、Gさんの個展をもう一回観ればいい。そう思って、ニェネントに「ごめんね、ちょっとお出かけしちゃいます」と言って外に出た。
 会場の日暮里の「d倉庫」というスポットは、前回に行った記憶では、推奨されている「日暮里駅」から歩くよりも、「三河島駅」から歩いた方がずっと近いという認識があり、それで今日も三河島駅で降りて歩いてみた。‥‥ちょっとだけ迷ったけれども、無事に到着。やはり、わたしのように千葉とか方面から来る人間には、「三河島駅」からの方が近いのではないかとは思った。
 なんとか開場前の時間に会場に到着した。会場には、わたしの見知った方々の姿もみえた。

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 ‥‥むむ、「わたしはこういうのを観たかったのかな?」という消化不良の気分で舞台は終わり、「なんだかなー」という気もちを引きずりながら、千代田線の西日暮里駅まで歩いた。途中のJRの踏切のところで、こういっちゃアレなんだけれども、ブラックなのにめっちゃスケボーのヘタクソなお兄ちゃんがスケボーをあやつろうとしているのをみて、「やっぱ、<ブラック>だといっても、それだけで生まれつきスポーツ万能なわけもないのだな」と、当たり前のことを思うのだった。

 それで、やっぱりまた「亀有に行こう」というわけで亀有駅で下車、そのGさんに教えられた、「イナゴの甘露煮」を売っているという店を探してみた。「きっとこの辺りだろう!」というのは外れたけれども、そのすぐ近くの、アジアの雑踏の中にあるような露店で、そんな「イナゴ」をみつけた。

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 そのあとまたGさんの居られるギャラリーへ行き、しばらくGさんとまたお話しし、早めに帰路に着いた。「ピンポ〜ン、ニェネントくん、帰ったよ〜!」とチャイムを鳴らして帰宅したのだが、ドアを開けても、ニェネントの「お出迎え」の姿はなかった。ガックリである。

 

 

[]akakilike「家族写真」倉田翠:演出・出演 筒井潤:テキスト @日暮里・d倉庫 akakilike「家族写真」倉田翠:演出・出演 筒井潤:テキスト @日暮里・d倉庫を含むブックマーク

 前知識もまるでなくて「観たい」と思ったのは、寺田みさこさんが出演している、ということが大きいのだけれども、わたしは「群舞」的なグループでのダンスが苦手なところに、この公演はどうやらフィジカル・シアターっぽいところを目指されているのではないか、という期待からも、「やはり観ておきたい」とは思ったのだろう。じっさいに出演者のひとり、前谷開という人は写真家だそうで、この「家族写真」という作品自体、ダンサーで演出も手がける倉田翠と前谷氏との共同制作作品。そんな前谷氏が舞台のなかで撮影した写真が、会場のd倉庫のロビーに展示されてもいた。

 出演者は七人で、そのうちの六人が家族らしい。お父さん、お母さん、そして男の子が二人と女の子が二人。「お父さん」を演じられるのは筒井潤という演劇の人で、この人は維新派とかにも出演されていたのだという。そういうわけで、この「お父さん」にはセリフがあり、その抑揚のない棒読みのようなセリフがそれでもどこか関西弁というか、奇怪な印象を受けてしまう。このお父さん、つまりは家族のことを心配してるというのか、「お父さんが先に死んだら、皆どないする?」みたいなことを何度もいい、それで「ライフ・プランナー」のところへ行って契約して来たという。その「ライフ・プランナー」も登場するのだが、彼もしゃべる。彼はさっさとライフ・プランナーなんか辞めて転職してしまうらしいのだが、海パンいっちょうで舞台のうしろの方で泳ぎきるフリをしている。それとアレね、末の娘はバレエを習っているらしく、ことあるごとにそんなバレエのスピンだかをみせてくれる。上の娘(この人が主宰者の倉田さん)は、血を吐いてぶっ倒れる。

 ‥‥この背後には、観客が読み取るべき大きな「ストーリー」があるのだろうか? もちろん、お父さんが家族を守ろうとすることに異論はないし、お父さんが、普通なら自分がさいしょに死ぬのだろうということも、ま、そうなのかもしれないと思う。それで末娘がバレエを習っているらしいのも、そういう家族も多くあるだろうとは思う。ではなぜ、上の娘が血を吐くのか、わたしにはわからないし、そういう表現というのがわたしには気味悪く思えもする。そもそも、彼女が血を吐いても誰ひとり気にかけないし、登場人物はそれぞれ勝手に行動するような、それとも統一された気分で行動しているような、よくわからない。それで、バレエをやる末娘のバレエだって、「バレエを練習してます」という記号みたいなもので、観ていて気もちのいいものでもない。

 そもそもわたしは「家族」というものがよくわからないで生きて来た人間なので、こういう舞台を観てもわからない、「ダメ観客」なのだろうか。でもやはり、その背後の大きな「ストーリー」を読めなかったという気分は大きい。観て「おもしろい」と感じた人のお話を、ぜひとも聞いてみたい。

 舞台装置としての、「会議用折りたたみテーブル」ふたつをつなげ、その周囲やその上などを「延長舞台」にした演出は、納得できた。



 

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■ 2018-06-23(Sat)

 今週はほんとうはもっと映画を何本か観ようと思っていたのだけれども、ニェネントの誕生日もあったことだし、できるだけニェネントとウチでいっしょにいたいという思いが強く、「今日は仕事の帰りに映画を観ようか」と思っても、「いややっぱり、ニェネントのところに早く帰ってあげよう!」と思い直して、ウチに直帰するのだった。仕事時間を短くしているのも、普段ニェネントといっしょにいたいこともあるわけで、そうでなければ一日八時間ばっちり働いて、貯金にはげんだりもしたいわけだ。じつは今も、通勤時間を入れると八時間家を空けているわけで、ほんとうはもう一時間ぐらいは働く時間をみじかくしたい気分はある(生活はかなりギリギリになるだろうけれども)。
 ま、家にいる時間を長くしてニェネントといっしょにいるのを長くしても、そんなにいつもいつもニェネントと遊んでいるわけもないのだけれども、いちおう思い込みとして、「ニェネントもわたしがいなくってひとりぼっちでいると寂しがっていることだろう」と思うのである。それは逆にニェネントの方からしたら、「また、この鬱陶しいヤツが部屋にいるのかよ!」と、いやがっているかもしれない。ニェネントからすれば、わたしなんか「ただ図体がデカイだけで役に立たないヤツだ」みたいなものだろう。この頃は特に、よくニェネントがわたしのそばにきて、わたしの顔を見ながら「にゃ〜、にゃ〜」と何かを訴えることが多い。わからないから、「何ですか? あなたの言うことはわかりません!」と答えるわけで、しょうがないから抱き寄せて「かわいい〜、かわいい〜」となでまわし、それでニェネントはいやがって逃げて行くことになる。でも夕方のネコ缶を出すのを忘れていたときとか、わたしが動くとにゃんにゃんとわたしを見上げてなくわけで、そんなときは「あ、ごめんごめん、忘れてましたよ」とネコ缶を開けてあげる。
 それでふだんわたしが部屋にいるときは、わたしのそばのAmazonの段ボール箱の中に入って、くーくーと寝ていることが多い。それが時にむっくり起き出して部屋の中を散策し、いつもの出窓の上に飛び乗って、外の様子をじっと眺めてることもある。「何が見えるんだろう?」と、わたしもいっしょに外を見てみたりする。‥‥そうすると、世界が美しく見えたりもするんだね。

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 今日は外に出かける予定もなく、いちにち部屋でまったりとした。午後から本を読もうと思って本を持ってベッドで横になると、ニェネントがやってきて、ベッドのわたしの頭の横に飛び乗ってくる。この春からの新しい習慣だけれども、「あららら、それでは」と、本を読むのをやめてニェネントを抱き上げ、わたしの胸の上に乗せ、ニェネントの背中をなでる。ニェネントはきっと、これで喜んでいるのだと思う。そうするともう本を読む気も失せてしまい、そのまま「午睡」になってしまう。
 目が覚めるともう夕方で、外から雨だれの音が聞える。雨だ。洗濯物を外に干してあったのを思い出し、急いで取り入れる。まだほとんど濡れていなかったので、雨が降り出してそんなに時間が経っていなかったのだろう。ニェネントにネコ缶を出してやり、わたしもそろそろ夕食の時間だと思い、米を炊き、「今日は何をつくろうか」と、買ってある食品のストックのことなど考える。先日トマトが安かったので1パック買ってあるけれども、今はトマトというものはあんまり毎日食べる習慣もなく、けっきょく最後にはいたんでしまうわけで、「早めにトマトを使ったクッキングをやりましょう」と、安上がりな「トマトと卵の炒めもの」をつくる。ま、シンプルな材料だから味もシンプルで、「やっぱり肉っぽいモノも食べたいな〜」という気分になる。あとはたまっていたこの日記を書いたりして、つまりは、ただグタグタとした一日で終わってしまうのだった。

 

 

[](29)サイエントロジー教会、その3 (29)サイエントロジー教会、その3を含むブックマーク

 むむむ、四人揃って即座に教会に入ってしまうとは、よほど、そのデヴィッド・サイモンという男の「勧誘」が巧みだったのか、けっきょく、ヒッピー的ライフスタイルをおくっていたバンドのメンバーに、そういった宗教を受け入れる素地があったということだろう。それに、こういう宗教への勧誘というのは、個別にひとりの人物を説得するよりも、複数の人物のグループを勧誘する方が容易いところもあるのだ。しかし結局のところ、バンドのメンバーに「サイエントロジー教会」を知らしめたのは、ジョー・ボイドだったのだ、ということにはなる。このことを彼は後に大いに後悔することになるだろう。
 ジョー・ボイドの回想のつづきを。

 わたしがその「パラドックス」から先に席を外したとき、わたしはそんなサイモンの<営業>をよく考えてなかったのだ。グループのメンバーは、昔に比べての彼の変化へのわたしの評価を聞く耳を持たなかった。彼の言葉によれば、サイエントロジーへの支払いはすぐに決定したという。彼は翌日にグループを教会の「セレブリティ・センター」に招待し、グループはすぐに入会した。ロンドンに戻り、グループはその後何週間か、「審査」を受けたということだった。彼らはわたしに、その審査過程の最初の成就の段階で「浄められた」ことを語ってくれた。わたしはわけのわからない専門用語は嫌いだ。しかし、彼らの人格の興味深い変化には気がつきはじめた。それまでの彼らはいつも金について協議することを避けていたのだが、今の彼らは熱心に、グループの財政状態について集まって話し合うようになっていた。公演スケジュールやレコーディングの予定はすばやく、効率的に解決され、しかも、わたしの彼らに対する仕事への感謝を述べる時間も取ってくれたのだ(そんな言葉、以前には聞いたこともなかった)。内在した嫉妬心は一夜のうちに消滅し、彼らはドラッグも酒も断つことになった。わたしがサイエントロジーについて読んだり聞いたりしたことはすべて難解で尊大、そして疑わしいものだった。しかし、現われた結果はこれが満足のいくものとなり、健全なグループのメンバーがわたしとよろこびを分かち合うようになったのだった。彼らはとてもいい新曲を持ってやって来て、そのレコーディングは円滑に進行した。それでわたしが驚いたことに、彼らは決してわたしを改宗させようとはしなかったのだ。



 

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■ 2018-06-22(Fri) このエントリーを含むブックマーク

 天気予報では今週はほとんどずっと雨、みたいな予報だったのだけれども、本格的に雨だったのは月曜日だけで、火曜日なんかカラッと爽やかな晴天だったし、今日もいい天気だ。今日は朝、出勤で家を出たところでニェッタに出会った。「おや、また会ったね〜」と近づいて写真を撮ったけれども、わたしが近づいて行っても逃げてしまうこともなく、わたしのことをずっとみていた。「あんたのこと、知ってるよ」という感じだ。また会おう。長生きしておくれ。

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 今日はまた、"crosstalk"の同窓会というか、今は岩手在住の美術作家のGさんが、亀有のギャラリーで個展を開いている。ま、「Gさん」などとイニシャルにすることもないのだけれども、彼もまた、"crosstalk"以後に作家として大きく成長されたひとりで、岩手での美術の発展に寄与されている方でもある。そのGさんの個展に、この日の夕方から出かけて来た。ほんとうは明日がギャラリー・パーティーなわけだけれども、あまり大勢人が集まるとゆっくりお話も出来ないかもしれない。今日は金曜日で夜もゆっくり出来るから、今日行くことにした。

 開催場所のギャラリーは地図でみると「ああ、あそこね」と、何度か亀有に行っているわたしにはすぐにわかる場所で、メモも取らず、夕方から手ぶらで出かけた。自宅駅でいちおう「千葉土産」ということでピーナツ最中とかいうのを買って、電車に乗る。おっと、この時間に電車に乗ることはないのだけれども、思いのほか駅のホームには人があふれていて、ちょっとおどろいてしまった。それでもやって来た電車はとなり駅始発だからガラ空きで、楽にすわれるのだった。
 電車に二十分も乗ると亀有駅に到着し、駅から五分も歩くとそのギャラリーの看板がみえた。

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 ビルの間を進むと、緑に囲まれたギャラリーの入り口があり、ギャラリーに入ろうとするとそこにGさんがいらっしゃり、いっしょにHさんの姿もあった。
 まずGさんとその作品だが、わたしが彼にお会いするのは、彼が出品してくれていた"crosstalk"以来のことになるから、20年以上の時の隔たりがある。いちおうFacebookで彼の容貌が大きく様変わりしていることは知っていたが、とにかくからだはひとまわりは大きくなられ、眉を剃られたりもしているので、まるで昔の面影はない。Gさんも「わからないでしょう」みたいにおっしゃっていたが、とにかくは健康になられたという感じはある(今はもう書いてもいいことだろうし、当時は周知のことだったけれども、"crosstalk"の頃、Gさんはかなりの「うつ」状態がつづかれていた)。その作品はまた、"crosstalk"の頃のイラスト作品の発展形でもあり、また独自の発展をみせてくれてもいて、それはボードやキャンバスに描かれたものではなく、ふくらみを持ったクッションのような布地にマーカー類で描かれた複雑な模様というか、その中に時に眼を持つ不思議な生き物のような姿も見えていたりする。作品によってはラメの入った(?)布地が作品に独特の浮遊感のようなものを与え、それは「どこででも観たことのない世界」である。前からネットなどで彼の近作は拝見していたが、現物を観るのはこの日がはじめてになる。印象に残る作品群だった。

 そしてHさん。彼女もまた造形作家で、わたしも彼女の個展にはたいてい通っている。彼女は"crosstalk"に出品されたことはないが当時から周辺におられた作家で、今日聞いた話でも、「次回は"crosstalk"に出品しようと思っていたら、"crosstalk"が終わっちゃった」ということだった。彼女の作品もまた、かつてのGさんの作品のように暗い情念を感じさせる作品で、いっしゅ観るものに恐怖の感情をも呼び起こすものである。彼女じしん、今でも精神的な不安定さは引きずっているといってもいいんだろう。それでも彼女もネコ好きなこともあり、けっこう親しくさせていただいている。彼女はGさんとは"crosstalk"の前からの知り合いでもあったそうだ。
 わたしは今日は実は、会場で(いつか来るとわかっている)Hさんと出会えるといいのだが、と思っていたのが実現したわけで、ギャラリーの入り口で彼女のすがたをみたとき、内心「やった!」と、とってもうれしかったわけだ。

 家を出たのは5時半ぐらいだったけれども、いくら近場の「亀有」といってもそれなりに時間はかかるわけで、ギャラリーに着いたのは6時半に近くなっていた。ギャラリーが閉まるのは7時で、あまり時間もなかったけれども、ゆっくりと作品を観させてもらい、Gさんともお話をした。
 7時になってギャラリーが閉められ、これから新宿に出て友だちと会われるというGさんともお別れして、わたしはHさんといっしょになり、「じゃあ亀有でちょっとまったりしていきましょう」ということになる。あらら、Hさんと外でふたりになるなんてまったく初めてのことで、ちょっと緊張してしまった。ギャラリーから駅への道のとちゅうに、道幅の狭いアーケード商店街があり、商店街というのに赤ちょうちんがあちこちにぶら下がっているのが見えた。「面白そう」とその商店街へいってみると、カウンター席しかないような小さな居酒屋がけっこう並んでいた。Hさんは海産物がダメだというので、とっても安い串焼き屋、カウンター席の前にふたり座れるテーブル席のひとつある店に入った。Hさんはアルコールだめだからソフトドリンクで、わたしひとりガンガン飲む。安いだけあって串焼きとかはとってもスモールサイズだったけれども、小一時間いて快適。もちろん勘定は安かった。店を出て「ちょっと腹をふくらませて帰りましょう」と、別の駅への道にあったネパール料理の店に入ってみた。ここまた激安で、わたしたちは500円で一円玉のおつりのくる焼きそばを頼んでみたのだけれども、卵焼きの入った焼きそばはなかなかにおいしかった。いろいろとHさんと話もはずみ、「ううう、黙り込んでしまったらどうしよう」という危惧も杞憂というもので、楽しいひとときだった。Hさんも「亀有、奥深い!」と、楽しんでくれたみたいだ。よかった。亀有駅のホームで手を振ってHさんと別れて帰宅。ちょっとテンションが上がっていたのかなかなかに寝られず、12時すぎまで起きてしまった。早寝のわたしにはとっても珍しいことだった。

 

 

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■ 2018-06-21(Thu) このエントリーを含むブックマーク

 仕事を終えて帰宅するとき、ウチのすぐそばでニェッタの姿をみた。前にニェッタをみたのは連休明けのことだったから、40日ぶりぐらいのことになる。あいかわらず、その姿をしょっちゅうみせてくれるコではないけれども、いつも「元気にしてるかな?」と気にかかってくると、わたしの前にやってきてくれる。この地域に、こうやってニェッタがずっといてくれれば、わたしはとっても幸せな気分になれる。

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 ニェネントくん用の「お誕生日プレゼント」、「かつおのたたき」も「ネコ用スナック」もまだまだ残っていて、ニェネントには今日も「お誕生日」のつづきである。

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 今日はそんな、「ニェッタ」とか「ニェネント」の名まえの由来を書いておこうかな、と思う。この日記でもずいぶんと昔に書いたことだけれども、もう誰もそんなところは読まないだろうし、読んで下さっていても忘れてしまわれていることだろう。
 これらのネコの名まえはみんな、西アフリカのウォロフ語の数の数え方から来ています。ニェネントが産まれたとき、ニェネントは5匹のきょうだいのうちの一匹で、「うわっ! たいへんだ。わたしはこの5匹を飼っていくのだな!」と思い、わかりやすい名前をつけてあげなければと思い、そのときミシェル・レリスの「幻のアフリカ」を読んでいたこともあったし、そんなウォロフ語の数の数え方が、みんなネコの名まえにぴったりだった。もう今では暗記しているけれども、以下の通り。

 1=「ベンナ」
 2=「ニャール」
 3=「ニェッタ」
 4=「ニェネント」
 5=「ジュローム」

 これを、そんな仔猫の、色の黒いパートの多い順に名付けた。それでほんとうはニェネントには黒いところはまるでなく、順番で行くと「ジュローム」という名まえだったのだけれども、ニェネントは女の子で、ちょっとジュロームという名まえは似合わないし、ほんらい4番目で「ニェネント」になるコが男の子だったので、ここだけ順番を変えて、それで彼女は「ニェネント」になったというわけ。

 その後いろいろとあって、ウチにはニェネントだけが残ったわけだけれども、そんなウォロフ語はネコの名まえにピッタリだな、という思いがずっとあって、この地に転居してきて、きっと三番目に出会った野良ネコがその「ニェッタ」だったので、以後「ニェッタ」と呼んでいるというわけです。

 週初めに「妻を帽子とまちがえた男」という本を読み終えて、そのときに「さ、次は何を読もうか?」と本棚をざっとみて、あんまり考えないでロレンス・ダレルの「アレキサンドリア四重奏」の一冊目、「ジェスティーヌ」を取り出してバッグに放り込み、それで読みはじめたのだけれども、「さあ、これからはバンバン本が読み進められるぞ!」と思っていたのにコレが難物で、読んでいるととにかく眠くなってしまうというか、なかなかに読み進められない。むむ、今から12年前にも読破を目指し、この日記に<『アレキサンドリア四重奏』を読む>などというコラムまでつくったというのに、軽々と挫折した前科があるのだった。ま、今回はとにかく挫折しないように、あせらずに読んで行きましょうかと(一冊300ページぐらいなので、ほんとうは「二日で一冊読めるんじゃないか」とも思ったのだけれども、これが一冊一週間はかかりそうじゃ)。

 昨日つくってあんまりおいしくなかったトマトシチューだが、思い返せば仕上げにケチャップを入れるのを忘れていて、今日は残りのシチューにさらにトマト缶を入れ、ケチャップをぶちこんでみた。ま、だいたいこんなもんだろうか、という味には落ち着いてくれたけれども、まだ何かもの足りない。

 

 

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■ 2018-06-20(Wed)

 今日は、ニェネントの8歳の誕生日になる。夜中に、ニェネントがわたしの寝ているベッドにドサッと乗ってきて、「ン?」と眼を開けると、わたしの目の前にニェネントの顔がどアップで迫っていた。まさか「今日はわたしの誕生日よ!」とアピールしに来たわけでもないだろうけれども、寝ぼけながらもニェネントを抱き上げてわたしの胸の上に乗せ、背中をなでてやる。そう、今日はあなたの誕生日なのだよ。

 ニェネントへのお祝いは「かつおのたたき」のブロックを昨日買ってあるけれども、どうもニェネントへの「ごちそう」というと、いつもいつも「かつおのたたき」のワンパターンで、もっと探せばニェネントの気に入るものもあるのかもしれないとは、いつも思う。仕事の帰りにドラッグストアに寄り、ペットコーナーでニェネントの気に入りそうなものを探してみた。ふつうネコというものはマタタビとかに狂喜するというのが社会的通念だが、ニェネントはマタタビというものにまったく無反応なネコで、マタタビをあげてもまさに「ネコまたぎ」状態になるから、買ってもしょうがない。それで、「とびきり贅沢」というネコ用スナック、「おさかな味」を買った。「手からあげる“しあわせ”」だという。つまり、“しあわせ”になるのはわたしの方なのか。ま、ニェネントが喜んで食べてくれるならばいいか。

 帰宅して昼はまったりして、夕食の時間。ニェネントくんには「かつおのたたき」をどっさり。8年間ずっといっしょにいてくれてありがとう。あなたがいるおかげでわたしはどんなに救われていることか。これからもずっとずっと、いっしょに生きていきましょうね〜。

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 わたしは久しぶりにトマトシチューをつくったのだけれども、むむむ、何かひと味足りないというか、あんまりおいしくないではないか。どうしたというのだろう。やはりわたしは「美食の女神様」から見放されてしまったのだろうか。悲しいことである。
 わたしの食事も終え、リヴィングでまったりしているニェネントくんに、買って来た「ネコ用スナック」をあげてみた。すごい。もう袋を開けたとたんにニェネントが寄って来て、「それ、早くちょうだいよ!」とアピールする。中は小さな袋に小分けにされていて、そんなにすぐに匂いがあふれちゃって、などというものでもないと思うのだが、これはやはり、袋の中にネコを引き寄せる匂いもいっしょに封入しているのではないのか?
 小袋を開けて、中のスナックをわたしの手のひらに取ると、たしかにわたしの手のひらからダイレクトに食べてくれるわけで、これはたしかに、ネコの飼い主がいちばんよろこぶおやつではないのか。というか、何だか「ネコカフェ」にでも来たような気分だ。

 

 

[](28)サイエントロジー教会、その2 (28)サイエントロジー教会、その2を含むブックマーク

 それで、ジョー・ボイドは、サイエントロジー教会に入信してしまったメンバー四人に直面することになる。

 わたしがその「パラドックス・レストラン」を出たあとに先行きをうすうすと感づいてもいたのだけれども、そのあと、インクレディブル・ストリング・バンドのアメリカのエージェントからLAのわたしのところに電話があり、バンドの収入をいつものロンドンの銀行に入金するのではなく、彼らは全部現金で欲しいと言っているという。わたしはリコリスから聞いたのだが、彼らはサイエントロジーの講座に支払いをしたいのだというのだった。わたしは教団について少しは知っていたが、それはいい評判ではなかった。わたしがニューヨークに着いたとき、わたしはまるで見知らぬ、意志を統一した四人組と対面したのだった。彼らは現金が必要で、彼らはそれを「サイエントロジー教会」に寄付したがっていたのだった。



 

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■ 2018-06-19(Tue)

 朝、出勤する途中に、舗道の脇で、小鳥が死んでいるのを見つけてしまった。何が起きて死んでしまったのかわからないけれども、こんなところで死んでしまうというのは、その鳥にとっては「不測の事態」だったことと思う。何かに襲われてしまったとか、まったく予期しなかったことで死んでしまったのだろう。とにかくは、こんな都心の、舗装された道の上に倒れたのは、無念だったのではないのか。そして、こんなところで朽ち果てて行くのは、その鳥の尊厳に反することだろう。放置しておけばこの遺骸はどうなってしまうのか。わたしはその小鳥の遺骸を拾い上げていた。

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 これは「メジロ」だ。小さくて、美しい鳥だ。死んでまだそれほどまでに時間も経過していないのか、拾い上げた体もまだ柔らかく、「メジロ」の名のように白く縁取られた眼はうっすら開いていて、わたしの手のひらの中で、まるでまだ生きているみたいだ。
 この、死んだ鳥は、葬ってあげなくてはならない。動物には動物の尊厳があり、特に「脊椎動物」というものは、「土」に還るべきものである。こんな、土のない舗道にその屍体をさらすのは、生物の尊厳に反する。わたしの勤め先の建て物がすぐそばで、その建て物の前には植木の植え込まれたスペースがあり、そこには「土」がある。知らないビルとかなら、そこに動物の死骸を置くことは「遺棄」みたいなもので、「何をやってるんだ」と批難されてしまうようなことがらだけれども(いつもいつもこの日記をチェックしているらしいあの某某氏が、ご苦労なことにさっそくにコメントでわたしを攻撃し、「はてな」に通報することだろう)、そこは自分の勤め先なわけだし、そんな植え込みを管理している人のこともわたしは知っているし(って、半分はわたしも管理者だ)、つまりはわたしが責任を取れるだろう。そんな植え込みの、木立ちの根のところ、土の上、外からは見えないところに、そのメジロのむくろを置いた。ここならば、毎朝、わたしが拾い上げ、わたしがその場所に置いた「メジロ」の「屍」への、追悼ができるだろう。
 いや、でも、「メジロ」のようなかわいくて小さな鳥のことだからこんなこともやったけれども、これが「カラス」だったりしたら、とてもできることではないな。

 今日は梅雨の「中休み」みたいな一日で、晴天の清々(すがすが)しい一日になった。気もちがいい。仕事のあと、日比谷に映画を観に行くことにした。ウェス・アンダーソン監督のパペット・アニメーション、「犬ヶ島」を観たい。
 駅前のカフェで、いつものワンコインのバーガーセットの昼食をとり、大手町まで出て、そこからは日比谷までてくてくと歩く。メトロの駅でふた駅分歩くから、けっこうな距離ではある。二十分ぐらい歩いて映画館に到着し、チケットと席を確保。上映まであと一時間ぐらい、その映画館のそばのビルの上にある本屋とかに行って、時間をつぶす。ここは「都市型」のショッピングモールというのか、いろんな店舗がビルの中に並んでいるのだけれども、ここの本屋はちょっと特色があって、「何でも在庫を増やして数で勝負!」というのではなく、これは店員によるキュレーションというのか、まさに「この店でおすすめ」する本が、ゆったりとしたスペースをとって並べられている。そんな中で、「そうか、こういう本もあるのか!」というものがいろいろとあり、立ち読みするのも楽しかった。「新しいタイプの書店のあり方」というか、わたしも大昔には本屋でバイトしていたこともあり、「こんな本屋で仕事ができたらどんなに楽しいことだろう!」などとは思うのだった。この日この本屋でチェックして「おもしろそう」と思ったのは、ジョイス・キャロル・オーツの文庫本、そして、こうの史代のインコとの交友録「ぴっぴら帳」などなど。DVDで昨年に、ウィリアム・クラインの「ポリー・マグー、お前は誰だ?」が再発売されていることも知り、これはすぐにでも買わないといけないな、などと思った。

     

 映画の始まる時間になって映画館へ行き、映画、始まる。そして終わる。‥‥いや、予想していたよりも百倍ぐらい面白い作品だった! ついつい、プログラムのパンフレットまで買ってしまい、よけいな支出だった。しかし、また観たい映画というか、DVDとかも買いたいな。

 帰りはひと駅乗り越して我孫子駅まで行き、明日が誕生日のニェネントのために、「かつおのたたき」のブロックを買って帰った。それで帰宅しての夕食は昨夜の「まぐろ血合いのしぐれ煮」の残り。意外と、冷蔵庫で保存して冷えた「しぐれ煮」は、「煮こごり」風のおいしさがあり、「いいじゃない!」という味わいではありました。

 

 

[]「犬ヶ島」ウェス・アンダーソン:監督・ストーリー・脚本・製作 「犬ヶ島」ウェス・アンダーソン:監督・ストーリー・脚本・製作を含むブックマーク

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 ちょっと時間がないのであまり深く書けないけれども、まずは今年観た映画でいちばんに持って行かれた(「シェイプ・オブ・ウォーター」よりも)! まずは日本を舞台とした(近未来?)ストーリーがみごとなまでにディストピアなのだけれども、それがぜったいに(あまりにも)今の日本とシンクロして見えてしまうことで、「ひゃ〜っ、おっそろしい〜っ!」ということ。あの「放射能汚染土」の黒いビニール袋が山のように出て来て、それこそが「犬ヶ島」であったりもする。製作者はおそらくは、というか明らかに今の(震災以後の)日本のディストピアぶりを承知していて、そのことをこの作品のなかに盛り込んでいる。かなり強烈だ。安倍も、麻生も、出て来る。

 そして、この映像美術のあれこれの「ぶっとんだアート」ぶり、日本美術、日本文化へのパスティーシュというかオマージュというか剽窃というか、どこかで誰かが「クール・ジャパンよ!」とかいってるあいだに、「そんなのはもう、実はトイレの中にしかないんだよ」、ということを実感させてくれる。これは日本のアーティストが誰か絡んでいるのかとクレジットをさいごまで見たけどそういうことではなく(あ、オノ・ヨーコがいた!)、メトロポリタン美術館のジャパン部門のキュレーターが「Special Thanks:」のところで名前が出ていた。あれこれのサブカル的イメージの再生は、今現在の日本美術に対しても「どうよ!」と迫って来そうだ。前作「グランド・ブタペスト・ホテル」から継続してのシンメトリーの多用、そして「ロープウェイ」とかね。もちろん、「グランド・ブタペスト・ホテル」から引き継いで、「それって、ストーリー展開の上で<どうなのよ!>」という<疑問符>を残してくれることも忘れていない。



 

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■ 2018-06-18(Mon)

 雨模様の一日。さすがに「梅雨」真っ盛りで、今週は連日のように雨になるという。昼に仕事の合間にケータイでニュースをみると、大阪で震度6弱の大きな地震があったということ。建物が崩壊するようなことはなかったようだけれども、亡くなられた方もいるようだった。つい先日に、千葉の房総沖で海底プレートが動いているようだという報道があって、昨日は群馬で震度5弱の地震が起きたばかり。
 いずれは「首都直下型地震」も来るのかと覚悟するのだけれども、はたして、どのような状態でそんな「地震」を迎えることになるのか。わたしが仕事に出ているときならば、希望的観測として、よほどのことでなければ命が失われるような事態にはならないだろうと思う(それは廻りの環境とかを見ても、総合的に判断出来る)。たとえメトロに乗っていたときだとしても、混乱はあるだろうけれども、何とかなるかな。ま、超巨大地震だったりしたらもう、どこにいたってダメなわけで、そういうのはわたしとしてもニェネントとしてもあきらめるしかない。
 わたしの今の住まいは「東京から32キロ」という表示のあるところなわけで、つまり時速4キロで歩けば8時間の距離。ま、10時間ぐらいは考えていた方がいいだろうけれども、前に「どの経路を取れば帰れるのか」は調べているから大丈夫。ニェネントもそのくらいは辛抱出来るさ。ただ、この集合住宅の耐震強度はどのくらい?というのは問題で、ダメなときは1階部分が潰れてしまうのが通例のことだ。勤め先から10時間かけて家に帰ってみたら家が潰れていて、ニェネントの姿も見つからない、などという展開がいちばんイヤだな。わたしが家に居るときで、わたしもニェネントもいっしょに崩壊した家に潰されてお陀仏、というんならしょうがない。ニェネントといっしょに死ねるんなら、それはそれで幸せなことだ。

 それで困るのが、「電気、ガス、水道」というライフラインがストップしたらどうするか?ということだけれども、前の震災のときには電気もガスも大丈夫だったけど、水道だけが三、四日断水したものだった。今日はいろいろと考えてしまって、「もしも電気もガスもとまってしまったらどうしよう?」ということで、七輪と木炭とかを買って保存しておこうかとか、本気で考えてしまい、Amazonで検索したりもした。でもまさか、無人島に漂着するわけでもあるまいし、「わたしは何を考えているんだ」ということだ。

 今日は仕事を終えたあと、映画を観に行ってもいいな、などと思ったのだけれども、メガネをウチに置いて来てしまった。ま、わたしはそこまでに「ド近眼」というものでもなく、普段はいつも裸眼ですごしてるのだけれども、映画の字幕とかはちょっとボケてみえるというか、映画など、せっかくメガネをかければどこまでもクリアに見えるのだったら、クリアに見たいものだとは思ってるわけで、「あ、メガネ忘れた」となると、「別の日にしようか」とは思うのだ。‥‥余談だけれども、わたしの年齢だと当然に「老眼」というプロブレムに悩まされるのが通常の「老い方」のようだけれども、そうやって多少「近眼」だということが幸いしているのかどうなのか、いまだにまったくもって、「老眼鏡」というものの必要を感じないのである。あれですよ、文庫本とかを裸眼で読んでいてもノープロブレムで、あの日本一小さい活字だろうところの、わずか1ミリほどの脚注の文字だって、平気で読めちゃうのである(拍手!)。だから、わたしへのプレゼントに「老眼鏡」を、などというのは無意味なので、もっと食べれるものか何かに変更するように。

 それで今日の夕食は、冷凍庫で冷凍してあった例の「まぐろの血合い肉」を解凍して、前につくった「まぐろ血合いのしぐれ煮」をつくるのだが、この、今冷凍庫にある「まぐろの血合い肉」は、しばらく前に一晩冷凍庫のドアが開いてしまっていて、それですっかり解凍されてしまったモノである。コイツをもう一回解凍したのだが、これがもう見た目の「色」からしてダメで、普通だったら捨てる。しかも、解凍してみるとコレが前にもまして強烈に生臭いわけで、「ゲゲゲッ」という感じ。コレが、「二度解凍」の悲劇、なのだろうか? ま、とにかくは調理してしまえば何とかなるだろうかと煮込んでみたけれども、やっぱり、ダメなものはダメなのだった。どうもこのところ、今まで親しくさせていただいていたつもりの、料理の女神様から見放されてしまった感というのは、いったいどうしたことだろう。

 

 

[]「妻を帽子とまちがえた男」オリヴァー・サックス:著 高見幸郎・金沢泰子:訳 「妻を帽子とまちがえた男」オリヴァー・サックス:著 高見幸郎・金沢泰子:訳を含むブックマーク

    

 ナボコフの「アーダ」を読み終えて、「さ、次は何を読もう?」というところだったのだが、テーブルの脇にこの本がころがっていたのでバッグに放り込み、ちゃっちゃっと読み終えた。著者のオリヴァー・サックスは著名な脳神経科医で、映画化された「レナードの朝」の原作の著者でもある。この著書ではそういう自分自身の臨床観察体験を基本に、「喪失」、「過剰」、「移行」、「純真」との四つのキーワードで、24(もしくはそれ以上の)症例を分類して説明したものというか。

 例えば「喪失」の中で長く分析される「ただよう船乗り」のジミーの症例などは、これはつまり「ぼくは物覚えが悪い」のH・M氏の症例と同じでもあり、それはそういうところで、この本の「古さ」ということになるのかもしれない。わたしが興味を持ったのはやはり、単にそういった脳障害が「喪失」ではなく働いたケースで、例えばドストエフスキーはわたしと同じ「側頭葉てんかん」だったと思うのだが、彼はその「てんかん」の際に、いっしゅ「至福」の時を経ているみたいだ。そういうことで「絵」の世界で特色を発揮した患者の話も出てくるが、やはり「側頭葉てんかん」だったというヴァン・ゴッホには、まさにあのタブローの世界そのままに世界が見えていたりしたのだろうか?などと考えてしまう。
 もちろん、こういう見方というのは「天才とはひとつの病理である」という解釈でしかないわけだから、こういう本に深入りしても仕方がないわけではある。そう思う。


 

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■ 2018-06-17(Sun)

 夢をみた。わたしたちは仕事のために指定された場所に集合する。それはビルの中の何も置かれていないフロアなのだけれども、別のメンバーらが別の場所に向かっているらしく、わたしらも合流するために、ビルの中をあちこちと移動する。ビルの1階の搬入エリアみたいなところへ行き、そのエリアの細かく区切られたスポットをチェックして行く。ドアを開けるとそこは食堂の厨房のようなところで、白いコック服を着た人たちがせわしく動き回っているのがみえる。そのビルと外とは、よく軍隊のジープとかで使われているようなカーキ色のビニールがたらされていて、それで区切られている。わたしは夢の中では「その他大勢」の一人でしかなかったのか、それともじっさい、どこにもわたしはいなかったのかもしれない。ただそんな夢の中の情況を見ているだけの夢だった。それはどこか、映画を観るに近しいような夢だっただろうか。夢の中、ビルの1階の混沌とした情景、その中をカメラのように視点が移動して行くさまが、まさに映画っぽかった。

 昨日のFさんとの会話が思い出しても楽しく、やはり気のおけない人との会話というのはどこか気もちが豊かになる。昨日は別に酒席を囲んだというわけでもなかったし、そんなに長い時間の会話でもなかったけれども、今日になっても、とても楽しく思い出される。少し、精神的に好調なのかな、などと思ったりもするし、そういううれしい知人にかこまれていることの幸せを思ったりもした。こういう気もちを維持したい。

 昨日図書館からいただいて来た「キネマ旬報」の、「溝口健二&増村保造映画祭」の特集記事をちょこっと読んで、この映画祭のことは「観に行きたい」という気もちもあって記憶に残っていたのだけれども、記事の若尾文子の短いインタビュー記事、そして「赤線地帯」の脚本家、成澤昌茂氏とのインタビュー記事を合わせて読み、「やはり溝口健二というのは単に、<反射しなさい>ということばでだけ強引に演出していたのではないこと(あたりまえだが)」ということがよくわかった気がする。「近松物語」に出演した香川京子が、溝口監督のそんな演技指導を「当然」と認めていたことも思い合わせてこの記事を読み、やはり溝口監督には少なくともあと十年は生きていただいて、あと十本は撮っていただきたかったものだと思う。溝口監督の早逝(といっても、享年58歳ではあるけれども)は、日本映画の大きな損失だったと思う。

 今日はそうやって、多少は本をめくってみたりはしたけれども、ま、日曜日なので、またいつものように徹底的に寝るのだった。いちおう6時ごろには起き出したのだけれども、昼の12時になるとまた寝てしまい、起きたのは4時になっていた。それで夕食のあと、8時にはもう寝てしまおうという体勢。おっと、一日に14時間も寝るのかね、という感じだ。
 夕食は先日のリベンジで「お好み焼き」をつくり、今回は見た目も「うまくいったのではないか」と思って食べたのだが、これがやはり、死ぬほどマズかった。まるで刑罰で食べさせられているような食事だ(ま、ホントにマズければ食べないで捨てるのだが、そこまでではないという微妙なトコロではあった)。いったい何がいけなかったのか。しばらく「お好み焼き」をつくっていないので、きっと、大事な大きなポイントを忘れているのだろうと思う。幼稚園児でもつくれるアレだというのに、なさけない限りである。また近いうちにリベンジだな。

 

 

[](27)サイエントロジー教会との、出会い。 (27)サイエントロジー教会との、出会い。を含むブックマーク

 今日は、インクレディブル・ストリング・バンドにとっての最大の鬼門、あの「サイエントロジー教会」との出会いのことを。‥‥実はコレ、ジョー・ボイドの回想録を読んでみると、ジョー・ボイドの責任でもあるんですね。「ええ〜っ! ヤバいっ!」というところだけれども、そのあたりを「超訳」で(このあたりの英語は、正確に訳そうとすると、わたしにはなかなか大変なことでして‥‥)。

 68年の11月のことだった。バンドはおそらくその年に三度目になる、フィルモア・イーストでの満員のライヴを行った。わたしは早朝のフライトでロスへと飛び、到着は遅い時間になり、ツアー・マネージャーは別の仕事をしていたし、わたしはライヴのあとに出来るだけ早く皆と合流して、ケリをつけておこうと思っていた。わたしはホールのすぐ近くの「パラドックス」というベジタリアンレストランを知っていたので、バンドのメンバーがライヴのあとファンとしゃべったり、サインをしたりしているあいだに、わたしはその店に行ってテーブルを予約した。
 わたしがそのレストランに行っておどろいたのは、そこでデヴィッド・サイモン(David Simon)が客を招き入れ、指を鳴らしてウェイトレスを手配しているのを見たことだった。わたしは彼のことはケンブリッジに居た頃から知っていた。そこで彼はジム・クウェスキン(Jim Kweskin)の盛り立て役みたいなことをやっていて、それで何年かは彼のジャグ・バンド(つまり、Jim Kweskin & The Jug Band)のメンバーだったはずだ。(中略)わたしはその後四年ぐらいは、彼のことはまるで何も聞いてはいなかった。
 バンドの連中がレストランに到着し、デヴィッドはわたしたちを店の角の大きなテーブルに案内してくれた。注文をすませたあと、わたしはバンドの連中にデヴィッドのことを話して聞かせたが、わたしがハーバードの広場で知っていた、浮浪者のような服をまとい、話す相手の誰の目もまっすぐに見ることはなかったデヴィッドと、今目の前にいたデヴィッドとは、まるで別人だった。今わたしたちの前に座っているのは、輝く目をしてとても有能そうな、精力的な給仕長だった。バンドの連中は彼の話を聞き、わたしがそんな彼の変化の意味をとらえそこねたところのものに、魅了されたのだった。
 その後何年にもわたって、わたしはこのときのことを考えたものだ。マックス・カンザスシティーのバーの外で女の子が待ってくれていても、わたし自身の声が我慢出来なくなっても、わたしはそんな気もちを増大させるばかりだった。バンドの連中と別れてわたしだけがカリフォルニアから帰り、次にバンドの連中と会うときまでに、サイモンはバンドの皆をすっかりサイエントロジストにしてしまっていたのだった。

 いちおう、「サイエントロジー」とは何かということも書かないといけないけれども、それはWikipediaから。

     wikipedia:サイエントロジー

 それで、何も向こうのミュージシャンとか芸能人で「サイエントロジー」に入信したのは、特にインクレディブル・ストリング・バンドだけに限ったことではなく、いっちばん有名なのはトム・クルーズのことで、他にもジョン・トラボルタ、ジュリエット・ルイスの俳優陣がいて、ミュージシャンではチック・コリア(!)、そして、ジョニー・ウィンターなどが「サイエントロジスト」ではあった、ということ。


 

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■ 2018-06-16(Sat)

 今日はいっぱい動いた。午前中に前に住んでいた茨城の町へ行き、夕方には横浜で演劇を観た。地図で見ると、直線距離でも100キロは移動したことになる。ま、茨城に住んでいた頃にも横浜には行ったりしていたわけだから、その頃は普通に100キロ移動してはいたわけだけれども。

 まず、茨城へ行くのだが、これはわたしの住んでいた市の図書館で「リサイクルフェア」として、古い図書を無料で譲渡しますよというイヴェントが催されるのが目当て。住んでいたときからこの機会はずっと利用していたのだけれども、普段は意識しないジャンルの本などゲットする機会でもあり、去年も引っ越したあとに行ったりしてるのだけれども、去年は科学書とかいろいろと興味深い本を入手することも出来た。今わたしの住んでいるところからその茨城の町まではけっこう距離もあるのだけれども、常磐線で三つ先の取手駅まで出れば、そこからは関東鉄道常総線を利用出来、ま、ただ電車に乗っていれば終点が目的地。土曜日曜の週末は「一日フリーきっぷ」というのがあって、運賃も安いのだ(普段の半額)。

 図書館がオープンするのは10時だけれども、ちょっと早くにこちらを7時半ごろに出て、9時半ぐらいに現地に到着する。それで、わたしがこの地に来るのにはもうひとつ、「わたしの前の住まい」がどうなっているのか、見ておきたいというのがある。

 「わたしの前の住まい」は、駅から歩いて3分ぐらいしかかからない。もう去年の火災でさいごの住人のわたしが出てからは誰も住まないアパートで、あれから一年以上経っていることだし、もう建て物も壊されてしまっている可能性もある。それだったらそれで、その「跡地」も見てみたい。
 駅を降りて外に出ると、駅前のロータリーに、以前は廃止されていたはずの路線バスがとまっていた。わたしが住んでいた頃、一時期はすべての路線バスが廃止されていたのだけれども、二、三年前に一部(駅の反対側から出ている)の路線バスが復活し、おかげでわたしもさいごに筑波山登山を果たせたわけだった。それで今は別の路線バスも復活というのは、やはり市民の高齢化にともなっての処置ではないのかとは思える(ちなみに、この町は実は、日本でいちばん世帯ごとの自家用車所有率の高い町ではあったのだ)。

 そのロータリーを越えると、すぐにわたしの住んでいた三階建ての集合住宅が見えてくる。「やはりまだ取り壊しされていなかったか」と思いながら、家の前に行ってみる。すでに誰も住んでいないし、その火災のあともそのままに放置されていて、入り口にかんたんにチェーンが張られて「立ち入り禁止」っぽくはなっていた。

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 そこはもう誰も住んでいない廃墟なのだけれども、生きた木や蔦に囲まれて、まるで違う生命を得ようとしているように見えた。あの部屋の中にはまだ今でも<わたし>と<ニェネント>の気配が残っていて、それが生きた草や木に守られ、これからもいっしょに生きていこうとしている。「あの部屋の中に、<わたし>と<ニェネント>とがいたのだ」という意識が現在形で生命を得て、「あの部屋の中に、<わたし>と<ニェネント>とがいる」という気もちを生む。そこに<わたし>と<ニェネント>との分身とが、木や草とともに呼吸しているようだった。

 この建て物は3.11の震災で多くの部屋が住めなくなり(わたしの住む部屋には影響はなかったが)、去年の火災で二階の住人が焼死して、住むのはわたしひとりになってしまった。2011年から長いスパンを経て、ここもまた、罹災地としての容貌をみせるようになった気もする。思うところはいろいろとあるが、わたしはまたきっと、この建て物を見に来たいと思うことだろう。

 図書館の開館時間も過ぎたので、図書館へ移動した。もう先客がずいぶん来ていて、スゴいな〜。皆、何十冊もの本を抱え込んで自分のものにして、持ち帰ろうとしている。‥‥ま、わたしの目当てだって似たようなものだ。今日は社会科学書とか科学書とかはまるで出されていなくて(先に誰か持って行った?)、ま、今回は空振りだった。堀江敏幸の本と「セザンヌ」本、そして「キネマ旬報」あたりがわずかな収穫かな。

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 用事も済んだので、また関東鉄道に乗って帰宅。昼食をとり、こんどは横浜へと出かける。今日は久しぶりの「地点」の公演で、松原俊太郎という人の戯曲「山山」の舞台。これまた二時間近い電車の旅になる。千代田線でどこまでもまっすぐに乗り、明治神宮前駅で副都心線に乗り換えると、そのまままっすぐ横浜を越え、みなとみらい線に乗り入れてくれる。今日は「急行」に乗ってしまったので、終点の「元町・中華街駅」まで行き、そこから神奈川芸術劇場(KAAT)まで歩いた。

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 劇場に着くと、そこで開場待ちしている人の中にFさんの姿をみつけてあいさつした。劇場はけっこう満員。

 終演後、Fさんといっしょに外に出る。劇場の物販コーナーにいた女の人が、SLAPP HAPPYのトートバッグを下げていたもので、FさんとSLAPP HAPPYの話とかする。Fさんは先日の来日公演にも行かれていて、とってもよかったそうな。Fさんは下戸だし、帰りはFさんの乗り換えの中目黒まで電車でご一緒して、車中でいろいろと話が盛り上がった(Fさんは先日の「唐組」公演もいらっしゃったそうで、Fさんの観た日には唐十郎も来ていたらしい)。なんだか、とっても楽しい会話だった。またFさんとお会い出来る日が楽しみになった。

 そのあとわたしは、自宅駅となりの柏駅でいちど下車し、閉店まぎわのスーパーに立ち寄った。値引きされた寿司とか買って帰って夜食にしようかとも思ったのだけれども、「むむ、そういうのもけっきょくはそんなに安いものでもないんだよな」と思って自宅駅に出て、またウチの近くの中華で、台湾焼きそばとか食べてから帰宅するのだった。ま、なかなかに動き回った一日ではあった。

 

 

[]KAAT×地点「山山」松原俊太郎:作 三浦基:演出 @横浜・神奈川芸術劇場<中スタジオ> KAAT×地点「山山」松原俊太郎:作 三浦基:演出 @横浜・神奈川芸術劇場<中スタジオ>を含むブックマーク

 「地点」の公演を観るのは、実はずいぶんと久しぶりのことになるみたいだ。というか、この日記で検索すると、同じ神奈川芸術劇場での、あの「三人姉妹」を観て以来になるみたいだ。もう、<超傑作>だったあの「三人姉妹」から、三浦基の「地点」はどんな進化を遂げているのかと、なんだか時間軸のずれた観客なわたし。

 舞台美術、世界が倒立した「三人姉妹」から見るとちょっともの足りないけれども、何ていうのか、視覚的重力関係を無視しているというか、役者たちはこの舞台のスループの中で、「滑り落ちる」という法則、そこに「柱にしがみつく」という抵抗とで世界構造をつくる。「場」は、これは福島の除染作業の現場で、俳優の尻にはみんな原発のハザードシンボルが貼り込まれている。いわゆる「演劇」というよりは、七人の演者によるメッセージ伝達で、それは観客に向かって「悪い子はいないか〜」と呼びかけるところの、三浦基のいう「なまはげ」っぽいところはある、そう思った。当日配布されたパンフに、三浦さんは次のように書く。

 演劇って難しいな、と松原戯曲をやっているとつくづく思います。私の演出の場合、演技上のルールができないと一歩たりとも歩けないのはいつものことですが、殊にこの作家の日本語を扱っているとなかなか前に進めない。何が問題かということを見落としがちになるからかもしれません。それは、同時代の日本人の書いた日本語によるテキストがわからないわけがないという私の過信なのかと疑ってみますが、実はそうでもない。誰の立場でモノを言うのかということを演劇は常に問うている。その立場が明確であればあるほど、当然、その劇作は古典的なものへと後退してゆく。今さら王様の苦悩をどう聞いたらいいのかなんて、私も観客も興味なし。一方でホームレスのつぶやきだったらと考えると、これも説教くさい気がして聞きたくない。これが現代に生きる私のごく普通の感覚だとすると、じゃあ今さら演劇で何を見る必要があるのかと思っているところに、「おかえり」なんて台詞が飛び込んでくるのが、今回の『山山』だ。

 ふむ、「王様の苦悩」なにがしは、古典としてのシェイクスピア的なものの否定だろうけれども、それだったらチェーホフの「三人姉妹」を、戯曲的にも身体的にも解体再構成(ディスコンストラクション)してみせたようなことを、また見せてほしいなどというのがわたしなどの感想だが、つまりここに「同時代の日本人の書いた日本語によるテキスト」という問題があるのだろうか。「ホームレスのつぶやき」が何か具体的に指しているのかどうか、わたしにはわからないけれども、いわゆる「社会派」みたいなあり方なのか?(そういう「ホームレスのつぶやき」風の「演劇」があるのかどうか、わたしは知らないけれども)
 しかし、今回のこの作品はふつうに3.11以降の「社会派」的な作品と読み取れそうで、ま、「三人姉妹」以来に「地点」を観るわたしとしては、ちょっとばかし意外ではあったのはたしか。わたし的には、この松原俊太郎の原作戯曲がどこまで優れているのかわからないところもあり、「むむむむ‥‥」というところがあったのはたしか。ま、やはりヨーデルの「ヨーロレイッヒーッ!」というのが耳にこびりついたのはたしかだけれども。

 照明、そして音響の仕事のすばらしさというものは、これは心に残るものだった。

 

 

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■ 2018-06-15(Fri)

 梅雨だし、梅雨らしくも天気はよくない。金曜日だから仕事のあとは映画を観たりとかしたいとは思っていたのだけれども、実は急に、明日は朝早くから出かけることにしたし、その明日の夜には横浜で演劇を観る予定になっている。天気もよくないし、ニェネントといっしょにいたいし、まっすぐ家に帰った。

 東京で、5歳の女の子の親による虐待死の報道がつづいていて、わたしも職場の休憩室でこのニュースを読んでいて涙があふれてしまい、同じ休憩室にいた人に変な目で見られたりもしてしまったのだけれども、いろいろと関連するニュースをみても、世の中にこんなに悲しいニュースが今までにあっただろうか、みたいな気もちになってしまう。そういうことで思い出すのは、前に茨城に住んでいたときに、わたしの部屋の上、二階(この部屋が去年の火事の火元になったのだが)に飼われていたイヌのこと。その二階の住民はまあノーマルな人物ではなかったようだけれども(わたしは去年の火事はその人の<焼身自殺>だったと思っている)、イヌやネコ、そしてウサギとかをいろいろ飼っていた(火事のあと、火事跡にはウサギやネコの焼死体もあったらしい)。それがとつぜん、「集合住宅の二階では飼えないだろう?」というような中型〜大型犬を飼いはじめて、わたしの住んでいた一階の前の駐車場スペースに出ると、二階のベランダにそのイヌがいるのがみられるようになった。二階の住民は足が悪くて歩くにも不自由している風だったのに、どうして二階であんな大きなイヌを飼いはじめたのだろう。散歩に連れて出ることなど出来ないだろうに、とは思ったし、何よりも、そうやってわたしが駐車場から二階のベランダを見上げ、そんなベランダにいるイヌと目が合うと、そのイヌがその目でわたしに訴えてくるのだった。それは「わたしは悲しい」、「わたしはつらい」という目、だった。それでいつまでもわたしから目線をそらさない。それはわたしに「助けて!」と呼びかけているのだとわかった。
 わたしは部屋に戻っていろいろ調べて、警察と市役所とに電話した。そのあと、警察だか市役所の人が二階を訪れた気配もあり、しばらくしてそのイヌはベランダからいなくなった。どこか適正な飼い主のところに譲られて行ったものと信じたいところだが、とにかくあのイヌはあの火事に巻き込まれてしまうことはなかった。わたしはあのとき、「いいこと」をしたのではないかとは、思っている。

 人の場合は、むずかしいかもしれない。でも、例えば子どもの泣き声は何かを訴えている。その泣き声の調子、トーンで何を訴えているのかはわかるところもある。それが連日つづくようならば、わたしは「あの子はなぜいつも泣いているのだろう?」と思うだろう。
 それでも、先に書いたイヌのように「泣いている子がいる」と通報するには、大きなハードルがある。「私生活への干渉」になるのではないか?と思ってしまう。でも、やはり、これからはもしもそういう事態に出会ったらば、何かしらの連絡はしたいと思う。
 問題は「そういう泣き声も出せない」、「泣き声が外から聞えない」というような状態だけれども、ここは個人としては行政の児童福祉に期待するしか方策はない。「わたしたちは皆、リンクしているのだ」と思って生きてはいきたいと思う。

 

 

[]「昭和史 戦後篇 1945~1989」半藤一利:著 「昭和史 戦後篇 1945~1989」半藤一利:著を含むブックマーク

昭和史 戦後篇 1945-1989 (平凡社ライブラリー)

昭和史 戦後篇 1945-1989 (平凡社ライブラリー)

 寝る前にちょっとずつ読みながら、ようやく読み終えた。読み終えて思うのは、とりあえずは今の日本の「平和」を守ったと思える、吉田茂の功績だろうか。ま、この本はあくまでも本流主流派の流れからの視点で、その裏での市民〜国民レベルでの抵抗がどこまで書かれているかというと、疑問がないでもない。はたしてそこまでに昭和天皇は「聡明」だったのか、など、疑問も大きいのだけれども、そういう大きな「本流」の流れのなかで、今の安倍政権が(つまり祖父の岸信介を引き継ぎながら)やろうとしていることは、あらためて見通しがついてくる。

 半藤氏がいうように、明治維新以降日本は四十年ごとに大きな動きを見せているのであれば、まさに1941年の太平洋戦争開戦から80年代の高度経済成長を経て、もうじき次の四十年のサイクルを迎えることになる。順番からするとまたとんでもない展開をしようとするのがこの日本という国ではないのかと思い、まさに今、この国はその予兆にあふれているようにも思える。


 

 

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■ 2018-06-14(Thu)

 寝ていて、夜中によく目が覚める。「いったい何時なんだよ」と時計をみて、まだ一時半とか二時ぐらいなら、「うん、まだ二時間以上寝ていられるじゃないか!」と、ホッとするのだけれども、時計が三時半とかになっていると、「あららら、もうあと三十分ぐらいしか寝られないのか」と、がっくりする。「何時になったから目を覚まして起きなくてはいけない」とか考えないで、好きなだけふとんの中で寝ていられること、コレこそがいちばんの幸福なのではないだろうか。
 そんな、わたしが目を覚ますときにニェネントがどうしているかというと、まだまだ真夜中のときとかならば、わたしのすぐそばのキャットタワーの上で丸くなって寝ていて、「大丈夫、大丈夫、まだまだ真夜中だからね」というところなのだけれども、これが三時半ぐらいになると、もうベッドの下のところで起きているわけで、それはわたしが起きて、まずはネコご飯(カリカリ)をニェネントに出すのを待っているのである。

 ニェネントの体内時計は正確で、あとは午後になっての「ネコ缶」の時間になると、わたしの顔を見てニャンニャンとなく。それでわたしも「あっ、そうか〜、もう<ネコ缶>の時間だったね〜」と思い出したりして、「メンゴメンゴ」と出してあげるということがよくある。
 それで、今まではニェネントのランチの「ネコ缶」は三日で一缶、一日分はひと缶の三分の一ということにしていたのだけれども、なんだかね、このところ、ニェネントくんはもうちょっと太っていてもいいような気になってしまって(香箱座りしたときとか、ニェネントくんの後ろ足のところ、腰のまわりとかの肉づきが悪い気がしましてね)、一食で二分の一缶食べてちょうだい、ということにした。いっぱい食べて、とりあえずは太ってみせてちょうだいな!

 明日は「花金」なので、仕事のあとに映画でも観に行こうか、それで夕食は外でちょっと豪勢に食べようかとか思って、それなりに計画も立ててみて、映画はウェス・アンダーソン監督の「犬ヶ島」を観ようかとか思うのだけれども、このあいだスーパーで買った惣菜をちゃんと消化しようと思うと、あんまり今は外食したくないし、しかも土曜日にも「こういう行動取りたい」という予定も入って来て、明日は天候も崩れるともいうし、給料前ですしね、なかなかと。

 

[](26)ジョー・ボイドと、ISBとの出会い。 (26)ジョー・ボイドと、ISBとの出会い。を含むブックマーク

 さて今日は、そんなインクレディブル・ストリング・バンドのプロデューサー/マネージャーだった、ジョー・ボイド氏が、いかに彼らと出会ったのかというあたりの、そもそもの根源的なところを、ジョー・ボイドの著書「white bicycles」から読んでみようではありませんか。

 それは1965年の5月の夕方、エジンバラでのことで、あるパーティーのあと、ジョージ・ブラウン*1が、きっとわたしが好きそうだと彼が思うミュージシャンを聴きに行こうと、わたしを案内してくれた。わたしたちは長いこと、わたしたちの足音しか聴こえないような舗道を歩いた。そこでは誰もがもう、自宅のレースのカーテンの裏側に戻って、静かにしてるようだった。質素なパブ、床にはおがくずが撒かれた、いくつかの椅子のあるパブに着いた。わたしたちはビールを頼み、三十人ほどの客が音楽の始まるのを待っている裏の部屋に入って行った。
 ロビン・ウィリアムソンとクライヴ・パーマー、二人ともブロンドのもじゃもじゃの髪で、ごっついツイードを着ていた。それで自分たちの飲み物を持って、椅子をフロアの真ん中に引きずって来た。クライヴはその実年齢よりも老けて見え、いささか疲れているようだったけれども、ロビンは礼儀正しく優美で、リラックスして見えた。彼らはスコットランドのトラッドを演奏したのだが、それはまるで、モロッコとかブルガリア経由で、アパラチアへの旅によって持って来られたような音楽に聴こえた。お互いの演奏をその技術と機知とで補完し合って行ったのだが、クライヴはだいたいにおいてバンジョーを弾き、ロビンは高く舞い上がるテナーで歌い、ヴァイオリンとギターを演奏するのだった。そのギターは低く調弦されていて、まるでシタールのように響いた。
 セットのあと、ジョージがわたしたちを引き合わせてくれた。ロビンとの会話で彼は優雅で心地よかったが、そのスコティッシュ訛りはかなりキツかった。彼のふるまいはどこか、ヒッピーと十九世紀の詩人との中間にあるように思え、それは自分自身への自信で輝いているようだった。わたしは、「スターを発見したのだ」と、確信したのだった。

 このとき、ジョー・ボイドはアメリカのエレクトラ・レコードの代理として動いていたわけで、そのアメリカの上司にロビンらと「契約したい」と伝えるべく、ジョーは半年後にまたエジンバラを訪れる。そのときにはロビンもクライヴもエジンバラにいなかったのだけれども、ま、いろいろとありまして(めんどいので翻訳しない)、ようやっとロビンらと連絡がついたとき、彼らはマイク・ヘロンを加えたトリオになっていた、というわけ。マイクはそれまでエジンバラの「Rock Bottom and the Deadbeats」(笑)というロックバンドにも在籍していたらしいのだが、ま、クライヴともロビンとも仲良くなっていたらしい(って、その後の成り行きでは<そうでもなかったんじゃないの?>というところなのだが)。

 それでジョーはロビンとマイクと会い、いっしょに茶を飲んでジョイント(大麻)を吸い、そこでロビンとマイクの演奏を聴かせてもらうことになる。

 (‥‥)わたしは衝撃を受けた。それらの曲は完全に彼らのオリジナルで、アメリカのフォークソング、スコットランドのバラッドの影響を感じさせられたが、そこにはバルカン音楽、ラグタイムミュージック、北アフリカ音楽、ミュージックホールの音楽、そしてウィリアム・ブレイクなどの風味に満ちていたのだ。マイクのちょっとディラン的な声と、ロビンの鋭いグリッサンドとのハーモニーはエキゾチックで、しかも商業的に成り立つものと思えた。わたしは彼らと<契約>しなければ、と思ったのだった。

 つまりこのような経緯で、ジョー・ボイドを中継ぎとして、インクレディブル・ストリング・バンドはエレクトラ・レコードと契約し、すぐにそのファースト・アルバムを録音、リリースすることになる。しかし、ジョーに言わせれば「わたしの野心などまるで気にかけない、真の反逆者だったクライヴ・パーマーは、すぐにアフガニスタンへと旅立ち、ロビンとマイクには<オレの帰りを待つな>と言い残したのだった」ということになる。そして、セカンド・アルバムの「The 5000 Spirits or the Layers of the Onion」が、録音されることになる。



 

*1:エジンバラでジョー・ボイドをあちこち案内した、現地の音楽通。

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■ 2018-06-13(Wed)

 昨日は「燃えないゴミの日」だったので、先日勤め先から持ち帰ったラジカセを出した。ほとんどゴミに出すためだけに持ち帰ったようなもので、バカみたいだ。でもいちど部屋でラジカセを聴いたりすると、「やはり和室に置けるラジカセがあるといいな」と思ってしまう。ま、Amazonでも三千円台から売られているし、秋葉原のHard Offとかへ行けば、ジャンク品で千円出せば買えるだろう。和室で寝るときに、スリープモードででも音楽を聴きながら寝ることができれば、ちょっと気分良く生活で来そうな気もする(昔はそうやっていたはずだけれども)。そのうちにきっと、ラジカセを買うだろう。

 昨日の金正恩とトランプの会談って、何だかそんなにすっげえこと話し合ったわけでもないようで、わたしなんか勝手に想像していた「朝鮮戦争終結」とかいうわけでもなく、ま、つまり北朝鮮としては所有する核ミサイルは放棄して以後開発は行わず、アメリカとしては北朝鮮の国家体制の維持を保証しましょう、みたいなモノのようだ。世界平和への道は、やはり遠いんだな〜(ってえか、そもそもがトランプに期待したのがまちがいだったか)。

 今日は仕事から帰宅して昼食をとり、テレビをみていたら、高橋真梨子が出て来たのでそのままみていたら、ダンナさんのヘンリー広瀬さんも登場した。この、午後一時からの番組にはいろんなゲストが登場するわけで、たいていは興味ないからみないし、嫌いなタレントが出れば即テレビを消すのだが、たまに番組のさいごまでみたいと思わせられるゲストが登場する。今日はそんな放送だった。彼女はクールな、美しい女性だと思う(彼女のCDとか、一枚も持っていないけれども)。


 

[]「アーダ」ウラジーミル・ナボコフ:著 若島正:訳 「アーダ」ウラジーミル・ナボコフ:著 若島正:訳を含むブックマーク

     

 よくやく読み終えた! もう途中はただ、字面をながめて行くだけみたいなところもあったし、読み終えて「だからどうだったのよ?」みたいに考えると「あれっ?」みたいなところもいっぱいあって、ま、読んでいる途中でも「このあまりに濃厚な書物は何度だって繰り返して読むのだよ」という感覚ではあったし、とりあえずは「そうか、そういう輪郭ではあったのか!」みたいなものである。

 正確な書名(タイトル)は、「ADA OR ARDOR, A Family Chronicle」つまり、「アーダあるいは愛欲、ある家族の年代記」である。おそらくはナボコフの集大成というか、前にも書いたことだけれども、<「アメリカの大学で文学を教えたこともある」文学の専門家のナボコフ、ロシア語/英語(だけではない)に精通したバイリンガルなナボコフ、そして鱗翅目学者としてのナボコフ、「ロリータ」の作者であるところの、密やかに、そして大っぴろげにエッチなナボコフ、ストーリー展開でも言語の上でも遊んじゃってるナボコフ、そんなのがみんなこの作品に詰まってる感じ>ということではあったし、さらに、「いい気になっている気取り屋のナボコフ」でもあったりする。

 ただこの書物、そのヴィジュアルなイメージというか、そういうものを喚起する力は相当のもので、このあたりは翻訳者の若島正さんの、これは<名訳>といっていいんだろうか(「宇宙戦艦トマト」なんていうのが出てくるんですけど、原文はどんなんだったんでしょうかね〜。まさかナボコフが「宇宙戦艦ヤマト」を知っていたとは思えないし)。

 さ、またそのうちに、ゆっくりとこの本をもういちど、さいしょっから読もう(って、そんな時間がまだ残されていると思ってるのかね? この人は)。


 

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■ 2018-06-12(Tue)

 こうやってずっと、この日記に「インクレディブル・ストリング・バンド」のことを書き継いでいるせいで(だね)、今朝はそんな、インクレディブル・ストリング・バンドに関係する夢をみた。‥‥これが笑えるのだけれども、つまりわたしが、そんなインクレディブル・ストリング・バンドの再結成ライヴをプロデュースすることになるのだ。もう、ロビンもマイクも「いい歳」だから、おそらくは今回が最後の「再結成ツアー」になるだろうと、わたしも認識している。‥‥ここでヤバいのが、今現在ほぼアルコホリックなロビンのことで(えっと、コレはあくまでもわたしの「夢」の中の話でありまして、現実のロビンがアルコホリックなどということはわたしはまったく聞いておりませんです、はい。)、つまりその「再結成ツアー」の契約をして、先に契約金を渡してしまうと、ロビンはすぐに飲みに行ってしまって泥酔し、前後不覚でライヴなんか出来っこない状態になってしまうのだった。‥‥ロビンくん、困りましたね。という勝手な夢。遥かイングランド(スコットランド?)の地に住むロビン・ウィリアムソン氏に、勝手に申し訳ない夢をみてしまった。

 今日はアレですよ、仕事から帰宅してテレビを見ていると大変ですよ。あの北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長が、シンガポールで、アメリカのあのドナルド・トランプ大統領と会談を行っているのだった。まだ現在進行中で、いったい何がどのようになるのだかまるでわからないが(とにかくはあの「世界のヤンチャもの」二人のことでもあるし)、とにかくはお互いに「世界平和」に向けていっしょに一歩を踏み出そうぜ!みたいな<こころざし>はあるのだろう。そんな今後で考えられるのは、まずは「朝鮮戦争」の終結宣言だろうか。それはつまり、北朝鮮と韓国との融和ということになるのだろうが、そうすると、この極東地域で北朝鮮〜韓国が友好関係を結んだとき、今回の会談の経緯からアメリカとの友好関係は最前提になる。そして中国、ロシアもまた、北朝鮮/韓国の関係を支えるかたちではたらきかけることはまちがいない。で、どうなるかというと、友好関係を結んだ北朝鮮/韓国は、あの大戦時の日本の責任を、合同で問うことになるのではないのか。
 つまり、今回の極東情勢をめぐる世界の動向で、今まで対立関係にあった北朝鮮とアメリカが<握手>してしまうのであれば、あのね、「誰も<悪者>はいなかった」となるのではなく、あらためて日本の「戦争責任」が問われるのではないだろうか。だって他に、北朝鮮/韓国がタッグを組んで「いっしょにがんばろう」というとき、そこで攻撃されるのはもう、アメリカではない、中国でもロシアでもない、それは日本でしかないではないかと思う。
 それで、今まで以上に北朝鮮/韓国での反日運動が高まることになると思うのだが、もちろん今の安倍内閣はそのことの対処を行える能力はない。それでどうなるかというと、国内でレイシズムが隆盛するというか、今まで以上に保守、右派はいきおいをつけるだろう。
 今の「モリカケ問題」にもかかわらず、安倍政権は今後も継続してしまいそうだけれども、そもそもが安倍政権はそういう「右派の台頭」を歓迎、待ち望んでいるところでもあるだろうから、政策としては放置、というか助長させるだろう。

 で、どうなるかというと、(アメリカからみたら)この太平洋の西の果て、(大陸からみたら)東の果てに、「なんだかどうでもいい、クソみたいな国があるよな〜」ということになる、ということでしかないだろう。世界史の中でこの日本は「邪魔もの」になるわけだ。(世界破滅へとリードしなければ)それもいいだろう。よけいなことは考えないで、これからはニュージーランドのような、「地味」に平和な国になればいいのではないかと思う(ニュージーランドに失礼な書き方だったかな?)


 

[](25)もういちど、バンドの歩みの再確認。 (25)もういちど、バンドの歩みの再確認。を含むブックマーク

 今日は、今までの記述を考え合わせて、もういちどこのバンドのディスコグラフィーを再掲し、わたしの感想などをダイレクトに書いてみたいと思いますですね。

( 1)・The Incredible String Band (June 1966) :クライヴ・パーマーの参加した唯一のアルバム。ギターとバンジョーが基本の全体の印象は「素朴」だが、ロビンのつくった曲「October Song」、「Dandelion Blues」が素晴らしい。

( 2)・The 5000 Spirits or the Layers of the Onion (July 1967) :最初のブレイク。ロビンはまだフォーク/ブルースのイメージを引きずっているけれども、マイクのピュアな感性がまずはまぶしい。意外なことに、リコリスの参加はマイクの曲へのコーラスがさいしょ。マイクはまだシタールのお勉強中で、このアルバムでのシタール演奏はゲスト・ミュージシャンによるもの。ベースはペンタングルのダニー・トンプソン。

( 3)・The Hangman's Beautiful Daughter (March 1968) :ま、誰が何といっても、このバンドの最高傑作でしょう。マイクの傑作「A Very Cellular Song」を含み、ロビンも一皮むけて、ロジカルな曲をつくることに進化する。

( 4)・Wee Tam and the Big Huge (Double album, November 1968) :2枚組大作。ロビンの好調ぶりが目立つというか、ロビンとマイクの協調関係に「崩れ」も感じられ、バンドの崩壊の第一歩ともいえるかも。しかし、崩れ落ちる前の姿は、何でも美しい。

( 5)・Changing Horses (November 1969) :このアルバムと次とが、「サイエントロジー時代」を代表するものか。それでも意欲作として聴ける。バンドとして初めてエレキ・ギターの導入も。

( 6)・I Looked Up (April 1970) :「サイエントロジー」第二弾。「そういうの、やめてくださいよ!」っていう曲もあるし、「Pictures in a Mirror」という、ロビン最大の意欲作もある。マイクの曲にも惹かれるところあり。

( 7)・U (Double album, October 1970) :ま、アレですね。このアルバムはロビンの「大暴走」。普通はもうバンドの体ではないところを、マイクが必死になってバンドを守っているというのが、ほんとうに(涙が出るほどに)感動的。ここでロビンはリコリスと別れていることが明確。ローズも、このアルバムを最後に去って行く(ジョー・ボイドもね)。

( 8)・Be Glad for the Song Has No Ending (March 1971) :これはおそらくは「U」以前に録音されていたもの。彼ららしいインストゥルメンタル曲の連鎖と、思いのほかマルチトラック録音していないシンプルな曲と。

( 9)・Liquid Acrobat as Regards the Air (October 1971) :プロデューサーのジョー・ボイドはいなくなっちゃったし、バンドの編成もかなり変わってしまって、マイクの目指す「ロック・バンド」への道の垣間見えるような一枚。そんなジャンル分けを拒否するような、ロビンの「Darling Belle」という傑作は、リコリスへの訣別の曲なのだろうか。

(10)・Earthspan (October 1972) :どうも、このあたりでもうロビンはやる気をなくしているのではないかという作品。リコリスの引退作だけれども、意外と最後のリコリスを盛り立てるのはマイクの方。「Sunday Song」ね(わたしには、マイク・ヘロンはこのアルバムでおしまい)。

(11)・No Ruinous Feud (February 1973) :「ああ、このバンドももうおしまいだね」と感じさせる、お笑いタイトルのアルバム。おそらくこのバンド最悪のアルバムだけれども、ロビンの「Saturday Maybe」は傑作。

(12)・Hard Rope & Silken Twine (March 1974) :いちおうラスト・アルバム。マイクは、自分たちが凡庸なただのロックバンドになってしまっていることに気づかないのだろうか。少なくともロビンはそのあたりはわかっているようだが。



 

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■ 2018-06-11(Mon)

 昨日から引きつづいて、今日は月曜日なのに朝から雨が降る。「Rainy days and Mondays are always get me down」というのが通説なのだけれども、このくらいの陽気、このくらいの雨量なら、そんなにイヤでもない。木の葉、草の葉が雨に洗われて緑が美しい。道路のアスファルトも、こうやって雨に濡れると単純なグレーではなく、色彩を取り戻すようにみえる。空から「水」が降って、埃にまみれた世界を洗浄してくれるなんて、そんなことは人力でやろうとしてもできることではない。それで世界はいつも、そんな空からの「雨」のおかげで、リフレッシュして動いてきたのだ(もちろん、あんまりな大雨は堪忍していただきたいと思うのだが)。そう感じ取れた今朝の天候は、だから嫌いではない。
 ‥‥でも昨日は、議事堂前での「安倍首相退陣要求集会」に行くのをさぼってしまった。やっぱり「雨」だとなあ‥‥。っつうか、前にも書いたかもしれないけれども、そういう集会に出るには、やはり気の効いたプラカードというか、そういうデモンストレーションする、ボードみたいなものを持ち出してアピールしたい気がある。というか、そういう気が強い。むかしみたいにphotoshopとかillustratorがあって、それでプリンターを持っていたら、世界に向けて「おっ! 日本のデモでも気の効いたアピールするヤツがいるんだな?」などと発信することも出来るのだよ。‥‥むむ、早くパソコンを買い換えてphotoshopとかインストールして、安いプリンターとか買いたいものですね!

 そう、今朝目覚めたときに、それは夢で見ていたのか何だったのか、あるパチンコ台のようなイメージが頭を占めていて、目覚めてから「あれは何だったのか?」と考えると、それは「アレンジボール」というゲームなのだった、ということを思い出した。「アレンジボール」というのは30年ぐらい前にあったゲームというか、たいていのパチンコ屋の片隅にこの「アレンジボール」のコーナーがあったのだ。たしか百円でゲームのコインを2枚買い、1ゲームに16発の球を打てる。盤面のディスプレイに1から16まで、4段4列に数字が並んでいて、自分が打てるその16発の球をはじくと、1から16までのどこかに球が入るわけだ。すると球が入ったところのディスプレイが点灯する。それで、例えば盤面ディスプレイで1から4まで横一列に並べたり、1、5、9、13という具合に縦一列並べると得点になるのだ。あと、中央部の6、7、10、11という四ヶ所を揃えてもボーナスで得点になる。つまり、できるだけ持ち球を散らせてやればいいという賭博ですね。で、そういう列をつくったりボーナス揃えたりするとコインがいっぱい出てくるわけで、ま、つまりアレですよ、ただチューリップに球をぶち込めば勝てる一般通常パチンコ台の白痴ぶりに比べて、いくばしかは知的なわけですよ(んなことはないのだが、わたしはそうやって言い訳してたわけね)。

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 つまり、そんな30年ぐらい前に、こ〜んなギャンブル(ま、ギャンブルですね)にわたしもハマっていたことがあったわけで、そんなことなんかすっかり忘れてしまっていたのに、なぜかこの朝にこうやって思い出してしまった。‥‥こんなこと、思い出してもしょう〜がないのにな、などとは思いながらも、それでも今のわたしは、何かを思い出すのはそれだけでうれしかったりはする。


 

[](24)ジョー・ボイドは語る(3) (24)ジョー・ボイドは語る(3)を含むブックマーク

 さて、今日もまた、そのジョー・ボイド氏の回想の、続きです。今日は特にローズ・シンプソンについて。

 わたしたちは「Hangman」(バンドのサード・アルバム)の録音のとき、最新の8トラックのテープ機器を使ってたんだ。それは「オーヴァーダビング」の可能性が倍になったということでね、ロビンは「ここよ!」というところに、リコリスのあの声を使いたがったし、彼女はハンド・ドラムやフィンガー・シンバルでちゃんと拍子を取れることを立証もしたね。ロビンは、ライヴにそんな色どりを加えることの可能性を考えているようだった。
 そんな、めずらしくリコリス抜きの公演旅行のときのこと、ロビンがある女性を連れて、わたしのところへやって来たのだった。ロビンはヨーク大学でのコンサートのあとで彼女と出会ったということで、真夜中に彼女がロビンの寝袋に来たということだった。「わたしはベッドをまちがえちゃったのよ」。それはマイクといっしょに忍び込み、それから3年間マイクといっしょだったローズ・シンプソンだった。彼女は明るくて陽気で外交的で、リコリスの無口で不機嫌な様子と対照的だった。彼女の笑顔はマイクの笑顔と同じく心のこもるもので、周囲を明るくした。彼女はとにかくはスコティッシュではなかったので、他の三人とは全然違ってたね! わたしたちはすぐに意気投合し、わたしたちの話し合いの席で、わたしは彼女をわたしの代理としてまかせることになった。
 ローズとリコリスとは、いってみれば同じ家に猫と犬がいっしょに暮らしていたようなもので、二人は時に低くうなり合い、「シャ〜ッ!」とやる以外にはお互いを無視し合っていた。それで、ロビンがリコリスにバンドへの加入を提案したその日、マイクは外に出かけて、ローズにエレキ・ベースを買って来た。「練習しな」とマイクは言った。「あんたも、これからはグループのメンバーなんだから」と。
 わたしが自分で眼にしたもっとも大きな出来事のひとつが、このローズのバンドでのベース・プレイヤーとしての成長だった。彼女は自然なリズム感も音楽の才も持ち合わせなかったし、彼女の歌は音程が外れていて調音のセンスもなかった。リコリスの方がずっと音楽センスはあったのだが、彼女は月旅行をすることよりもベースを弾くことを嫌がった。

 ま、さすがにジョー・ボイドもローズとは一時期愛人関係にあったとあって、「ここまでに持ち上げていいのかよ!」みたいなところもあるし、「そんなにリコリスのことが嫌いだったのかよ!」なのだが、とにかく読んでいて笑ってしまう(このあと、マイク・ヘロンのソロ・アルバムにスティーヴ・ウィンウッドが参加したとき、そのトリッキーで特異なベースラインをローズが完璧に演奏するのをみた(聴いた)スティーヴが、あとでジョーに「彼女をオレのセッションに呼びたい!」と言ったわけだ)。

 今日はそんなローズが、マイクといっしょに演奏している写真を。

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■ 2018-06-10(Sun)

 日曜日で、天気はだんだんにくずれていく。外はぽちぽちと雨が降っているようだ。夜中だか明け方だかに、またニェネントが「ゲッ!ゲッ!」と、嘔吐している声が聴こえてくる。ニェネントのゲロ吐きは年中行事で、週に二、三回はやる。だいたいいちどゲロを吐くと、連続して三回は吐くことになっている。わたしの起きている昼間とかならば、「お! 吐くな!」となると、ニェネントの口の下にキッチンタオルとか置いて、スムースに被害をゴミ袋に直行させることも出来て、「ふむ、二回やったから、きっともう一回やるな」とか予測もつくのだけれども、こうやってわたしがまだ寝てるときはさすがにめんどうで、「ニェネントくん、変なところにゲロ吐いてないで下さいね」と、祈る気もちで寝つづける。
 えっとですね、もう長年のことでもありますし、「こんなにゲロ吐いて、ニェネントくんだいじょうぶですか?」みたいな心配はほとんどしません。ただ、先日朝ごはんをチェンジしたときにつづけて嘔吐して、それはさすがに「新しいご飯がまずかったですか???」てな感じで、すぐに別の朝ごはんに切り替えましたが。

 それでいちおうわたしも目覚めて、ベッドから起きてリヴィングへ行ってみると、あらららら、わたしがいつもリヴィングで座っている、机の前の座椅子、その上に思いっきりニェネントくんの「ゲロ」のかたまりが、のっかってますね。‥‥って、ニェネントくん、これってなんか、わたしへの「嫌がらせ」なんですか? ニェネントくん、わたしがなにか、あなたに嫌われるようなことをしてますか??? って感じですね。

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 それで今日は天気もくずれていくし、特に「これをやろう!」というモティヴェーションもなし。午後から、「やっぱりスーパーに買い物に行こうかしらん」みたいな感じで小雨の中を買い物に出て、バナナとかレバーの焼き鳥とか、賞味期限が迫って値引きされた納豆とかを買って帰る。やはり、一日にいちどは、外に出て歩くのがいいと思う。というか、だいたい「納豆」などというものは、多少は賞味期限を過ぎてしまって、「発酵」の度合いが進んでしまった方がおいしいわけだから、こういう「値引き」は大歓迎というか、納豆の場合は「これは賞味期限を過ぎましたので<値上げ>いたします」といわれてもしょうがないような気もするのだが。
 夕食はそんな納豆でかんたんにすませ、あとはテレビ。日曜日は「モヤモヤさまぁ〜ず2」で、今日は横浜を歩く。アシスタントの福田アナのハート形メガネ、それにチャイナドレスにノックアウトされるのだった。


 

[](23)ジョー・ボイドは語る(2) (23)ジョー・ボイドは語る(2)を含むブックマーク

 さて、今日もまた、そのジョー・ボイド氏が、インクレディブル・ストリング・バンドのことをどう見ていたかのつづきです。まずはマイクとロビンとの不和(?)について。

 マイクとロビンとは、お互いに「友だち」というよりは、それぞれがクライヴ・パーマーと友だちだったんだよ。緩衝役としてのクライヴがいなければ、彼らは断固として嫌い合ってたんじゃないかな。幸いにも、彼ら二人のソングライティングは、その量的にも質的にも拮抗してたんだな。二人ともどちらも、新曲を書くときに相手の意見を入れようとしなかった。ただ、そこに楽器のアレンジとかハーモニーの入れ方をどうするかということをのぞいては。彼らは互いに衝突を避けようとしたし、合意に至るのは大変だったんだ。わたしは彼らの両方に電話したわけだし、お互いの一致を得るためにおだてあげたりしたわけだ。それはね、最初のうちなんか、彼らはウチのオフィスにどっちも電話して来てね、彼らの小銭が電話ボックスに落ちて行く音が聴かれたものだった。

 この状態というのは、バンドのアルバムを年代ごとに聴くことで、より明確に感じ取れるというのか、つまりマイクとロビンとはそのさいしょっから「共作」など念頭にないわけで、例えばビートルズが(例え作者は違えども)「レノン/マッカートニー」という名義で曲をつくっていたのに対し、ぜったいに「ヘロン/ウィリアムソン」というかたちでは曲を作らなかった(例外的に一曲だけ、そんな共作曲もあるにはあるのだけれどもね)。それで、そんな状況下でもさいしょのうちでは、上にジョー・ボイドが書いているように、(セカンド・アルバムとかサード・アルバムでは)互いの書いた曲にも演奏面やコーラスでサポートしていたのが、その度合いはアルバムごとに希薄になって行く。お互いの相手の曲のレコーディングにまるで一方が参加してない曲も多くなり、その互いのつくる曲のイメージの乖離も大きくなり、「この二人がいっしょのバンドで活動する意味もわからないよな」というまでにもなる。
 ま、そういう二人をまとめあげて、初期〜中期の「傑作」アルバムを製作したプロデューサーのジョー・ボイド、やはり「名プロデューサー」ではあった、ということだろう。



 

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■ 2018-06-09(Sat)

 土曜日。今日は天気はいいらしいのだが、明日になると雨になり、台風も近づいてくるという。6月である。では天気のいいというこの日は、「洗濯」から始めよう。
 ‥‥「から始めよう」などと書くと、なんだかいろいろとやることの予定が詰まっているみたいで、じっさいに「やりたい」と考えていることはあれこれとあるのだけれども、これがやらないのだな。とにかくは今はナボコフの「アーダ」を読むのがいろいろとじゃまくさくって、この本をとりあえずいちど読み終えてしまえば、「わたしはもっと自由になれるのに!」という感覚。

 洗濯物を干し、そのあとにお買い物、つまり買いたいものを買いに出ようと思うのだが、その買いたいものを売っているのはウチからいちばん遠いところにあるスーパーで、歩いて20分ぐらいかかる。その同じ系列のスーパーは電車に乗って二つ目の南柏の駅前にもあり、こっちはもう、駅の目の前にある。つまりどっちが買い物としてラクチンかというと、それは電車に乗って行く方がきっと楽だろうし、時間的に駅での待ち時間を考えてもあまり変わらないだろう。こういうときに通勤定期を持っているというのは本当に役立つわけで、電車に乗ってスーパーにお買い物に行く。‥‥これで、この日の「お仕事」はだいたいおしまい。あとは洗濯物を適当なときに取り込んで、また昼寝をして、そのあとは適当に夕食をつくっておしまいである。

 さて、この日の夕食には、実に久しぶりに「お好み焼き」を焼いてみた。とにかく、この家に越して来てからははじめての「お好み焼き」である。って、こんなに簡単な「お料理」というものもそう易々とあるものではないと思うのだが、コレがなんだか「どうやってつくるんだっけ???」みたいな感じで、いや、そもそもが「お好み焼き」の基本食材のキャベツがちょっとばかししんなりとしてしまっていたもので、水加減の要領がわからなくなってしまったようだ。‥‥自分でつくった「お好み焼き」だからガマンして食べたけれども、コレを人から「はい、お待たせ〜、<お好み焼き>です〜っ!」などと出されたら、いくらわたしでも、ちゃぶ台をひっくり返してぶん投げたことであろう。
 ま、基本は「水加減」の失敗だったとは思うのだけれども、こんな簡単なクッキングを失敗するとは寝起きも悪くなりそうで、近いうちにリヴェンジで再トライしてみたい、とは思うのだった。


 

[](22)ジョー・ボイドは語る(1) (22)ジョー・ボイドは語る(1)を含むブックマーク

 さてそれで、順番からいうと、先日書いたリコリス嬢のことをもうちょっと引き継いで書いてみるか、それとも、このプロデューサー/マネージャーのジョー・ボイドがいかにインクレディブル・ストリング・バンドを発見し、いかに傑作アルバムを録音して行ったかということを書くのがいいだろうとは思うのだけれども、実はそのあたりのことはまだアバウトにしか読んでいない。

 それで今日はちょっと、そんなジョー・ボイド氏が、包括的にこのバンドのことを語っているところを紹介しようかと(例によって意訳多し)。

 若い読者の方々はきっと、こんなこと*1はなかなか信じられないことだろう。歴史はISBの音楽などはもう、クスリまみれでイっちゃってる時代遅れの音楽と見なしているわけだ。
 しかしあのビートルズだって、一時期は花柄シャツ着てたわけだ。今では彼らも「マッシュルーム・カット」の時代とか、「レット・イット・ビー」の頃のもっと落ち着いた雰囲気で思い出されるわけだろう。ストーンズのファンは皆、「サタニック・マジェスティーズ」なんてぜったい避けて通って忘れたいだろう? マイクとロビンとは、つまりそういう60年代の側面の、いちばんみっともないところ(Most embarrassing)を象徴しちゃってるわけだ。もしもそういう未来をわたしが1968年に、(未来を見渡せる)<水晶球>で見ることが出来ていたとしたら、そりゃあショックだったろうよ。でも、真実のところ、そんな彼らの<没落>の種は、もっと早くに種撒かれていたのだよ。

 つまりこれは、60年代のヒッピー・カルチャー、当時言われた「フラワー・パワー」などというものは、今ではすっごい恥ずかしいものになってしまって、マイクもロビンもそれを象徴する存在になってしまったわけだ、といってるわけで、(これは前に書いたかな?)映画「パイレーツ・ロック」の中で、このバンドのセカンド・アルバム(5000 Spirits)が「ふん!」とばかりに海に捨てられてしまうというシーン(演出)にしっかりあらわされているわけでしょう。

 ただ、ここでジョー・ボイドは「そんな彼らの<没落>の種は、もっと早くに種撒かれていた」というけれども、それはトータルにヒッピー・カルチャー全体の<没落>というより、あくまでもこのバンドの「個別事情」として書いているところが大きい。で、わたしがこうやって延々とこのバンドのことを書いているのは、そんな「ヒッピー・カルチャー」はいかにして<没落>していったか、ということを、この「インクレディブル・ストリング・バンド」という<才能豊かでもあった>音楽ユニットを通じて考えてみたいのだ、ということは前にも書いたのでしたね。ま、そんな中で、この、ジョー・ボイドという才能あふれるプロデューサーと、このバンドとの「出会い」というものもまた、ひとつの<時代の奇蹟>ではあったでしょうか。その<奇蹟>を活かす人物、そしてそれをブチ壊す人物、そんな中で自分を見失っていく人物らと、「こんな<パラドックス>に満ちた世界が現実に進行していたことがあったのか」という、眼も耳もくらむような世界(耳はくらなまいか)があったわけですね。そういうことを書いてみたい。

 次はアレですね、はたしてマイクとロビンはどんだけ仲が悪かったのか?とか、女性陣、ローズとリコリスの関係はどうだったのよ?その後のマイクとロビンの女性関係は?みたいな、女性週刊誌っぽい切り口で書いてみたくなりますね。今日はさいごに、リコリス嬢の「歯抜け」のフォトを掲載しておきます(って思ったけど、別のリコリス嬢のかわいい写真も集めて、その中で紹介することにいたします!)。



*1:インクレディブル・ストリング・バンドのアルバム(とりわけ、セカンドとサード)が「傑作」と讃えられ、同時代的に強い影響を与えたこと。

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■ 2018-06-08(Fri)

 今日は、すっごい久しぶりに、「唐組」の公演を観に行く。どのくらい久しぶりかというと、8年前、まだ唐十郎が元気に舞台に立っていた頃に観たのがさいごというか、この日記でみると、それは水戸まで観に行ったことになっている。もう今のわたしには「水戸」という街の記憶はすべて消えてしまっているので、その公演のことでも思い出すことは何もない。
 今回の公演は「唐組30周年記念公演」の第一弾として、アレっすよ、「吸血姫」をほぼ五十年ぶりに再演で、客演に銀粉蝶を迎えるというので、「いややっぱ、唐十郎の作品を観ておきたいモノですよ」というノリで、予約しておいたモノであります。
 先月電話でとりあえず予約してあって、その予約番号が「22番」ということで、ま、そういうシステムはよくわからないところがあるのだけれども、その公演当日(今日だな)の2時から「受付け」が始まるので、その時間に受付けを済ませると「22番」よりも早くなる可能性があるという。ま、22番より若い番号の人が2時に来なくって、わたしの方が早くに受付けしてしまえば、当然そういうことになるのだろう。実に「民主的」といっていいのか、「早いモノがすべてを制覇する」という感じなのか。わかりやすい世界だ。

 それで今日、わたしは仕事を終えたあと飯田橋のいつものカフェで昼食を取り、そのまま新宿へと行くのだった。「今日は買いたいものもあるのだ」という買い物もすませ、本屋に行ってあれこれと棚をみてまわり、「おお、今度この本を図書館にリクエストしようか?」などという本をチェックする。なかなか時間をつぶすのは大変で、ようやく2時にも近くなって、花園神社へ。2時になってチケットを買うと、「7」という数字の整理券をもらった。‥‥すごい!「22」どころではない。「7」である。もうきっと、どこでも好きなところで観ることができるだろう。

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 さて、ほんとうはこのあと、午後7時の開演までにどこかで映画でも観ようかという考えもあったのだけれども、たとえば今日から公開される、是枝監督の話題の「万引き家族」とかも、上映スケジュールがいまいち合致しないし、では日比谷まで行って、ウェス・アンダーソン監督の「犬ヶ島」を観ようか、ということにまとまりかけていたのだけれども、「また映画の開映時間まで待ったり、映画のあと移動して開演を待ったりとめんどう。それだったら一回ウチに帰ってニェネントくんに夕食をあげましょう!」という声がわたしの心の中でだんだんと優勢を占め、計算すると、家に帰って一時間ぐらいは家でゆっくり出来そうなので、いちどウチに帰ることにした。こういうことがいくらでもできるというのも、通勤定期を持っているおかげだと思う。

 家に戻ってだいたい三時半。ちょっと早いけれども、ニェネントくんに夕食を出してあげる。ニェネント喜ぶ。わたしも部屋でまったりして、四時半ごろにまた出発する。

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 ふたたびの花園神社境内。指示に従って並んで入場を待っていると、わたしのとなりに並んだ列の、わたしのすぐとなりにいる人のうしろ姿が、どうもDさんっぽい。そうにちがいないのだけれども、ずっとわたしに背を向けられているので声をかけそびれていたらようやくこっちを向かれ、それはやっぱりDさんで、あいさつをする。Dさんはすでにこの「吸血姫」は観ておられるはずで、聴いてみたら三回目だということ。来月のDさんがらみの舞台のチラシをいただいた。この日のDさんは、その来月の舞台の演出の方、出演の方とごいっしょなのだった。
 すぐに整理番号順の入場がはじまり、とにかく「7番」ですからね。好きなところに座ることが出来る。舞台の「かぶりつき」席を選ぶことも出来るのだけれども、それはやはりこわい。舞台の少しうしろにテントの支柱があり、その支柱が「背持たせ」にちょうどいいようなので、その場所を選んだ(けっきょく、この選択は正しくも楽チンなのだった)。

 7時ちょっとすぎにスタートし、とちゅう10分の休憩をはさみ、終演時で9時40分ぐらいだったかな。外に出てまたDさんらと会い、話をしているとEさんがやって来られた。Eさんも、Facebookにすでにこの「吸血姫」は観たと書かれていたはずだったけど、この日は別の友だちが観劇されたのに会いに来られたということ。
 ‥‥もう時間も10時に近いし、これから皆と飲みはじめると夜明かしになってしまうだろうし、昼食から食べてなくって空腹でもあることだし、帰られる方もいることだし、わたしも皆さんと別れて帰路に着くことにした。さようなら、またお会いいたしましょう。

 帰りは、北柏までもどるともう店も閉まっちゃうおそれもあるので(北柏はそれなりに田舎なのだ)、新宿で何か食べようと、また日高屋でとんこつラーメン(&生ビール)で遅い食事。さすがに金曜の夜で混み合っている電車で帰路に着き、ウチに帰るともうほぼ12時だった。ニェネントくんが「遅いじゃないのさ!」と玄関口までお出迎え、なのだった。


 

[]唐組・第61回公演「吸血姫」唐十郎:作 久保井研+唐十郎:演出 @新宿・花園神社境内 紅テント 唐組・第61回公演「吸血姫」唐十郎:作 久保井研+唐十郎:演出 @新宿・花園神社境内 紅テントを含むブックマーク

 「唐組」の紅テントを観るのは、この日記で調べると、震災以前の2010年にさかのぼるみたいだ。しかも水戸に観に行っているなどということで、今のわたしには、これっぽっちも記憶には残っていないのだ。‥‥ただ、当時はまだ唐十郎氏も元気で舞台に立っていて、毎回「どんな意表をつく登場の仕方をみせるのよ!」というような姿をみせてくれたいた時期、だという記憶はおぼろげながら残っております。
 ‥‥そんな、8年ぶりの「唐組」! やはりコレは状況劇場1971年初演の、その後文庫化もされた名作戯曲の47年ぶりの再演ということで、観てみたくもなる。それで今回は「客演」として、銀粉蝶も出演とのことで、やはり楽しみ。

 例えば先日観た「水族館劇場」とかと同じ場所に設置された「紅テント」をみると、それはテント自体の「劇場」としてのクオリティというか、入れものの立派さは、水族館劇場の方がはるかに、はるかに勝っている。この唐組の紅テントは、とにかくは観客が入って舞台を観ることが出来ればいいというだけで、それ以上のよけいな要素はみじんもない。それはアングラ的なスペクタクル・ショーを観客に楽しませようとする「水族館劇場」との、差異である。‥‥それはつまり、そもそもの、その「原作戯曲」の差異でもあるわけで、アバウトにいうと「ショーを楽しませようとする」水族館劇場と、「芝居(戯曲)を楽しませようとする」唐十郎作品との差異ではないか、とも思う。
 ‥‥いやそれは、わたしも長年の「水族館劇場」のファンだから、水族館劇場が「つまらない」と言い切りたくはないのだけれども、戯曲の完成度の「差」ということでは、これはもう問題にならない。なり得ないレベルである。‥‥むむむ、こんなことを書いてもせんないこと、それぞれの劇団の「良さ」は、まるで異なるところにあるのだ。ただ、どちらの劇団も、「今の日本はどんな過去を引き継いでいるのか?」というような問いかけは共有していて、それは戦後の「焼け野原」であり、その「焼け野原」は関東大震災ともリンクする。そんな世界観から、はたしてどんな舞台をみせてくれるのか、そこにそれぞれの劇団のアイデンティティーもあるだろう。

 唐十郎の戯曲はそのスタートをおそらくは昭和三十年代ぐらいか四十年代だかに置き、まさに「高石かつえ」を名のる女性が、「白衣の天使」隊をしたがえて、病院内から歌手デビューを目指している。そこに病院全体を覆う「狂気」こそが感じ取れるわけで、その病院長とレコード会社のマネージャーらでもって、歪んだ世界が展開されていく。‥‥そんなところに、「引っ越し看護婦」という海之ほおずきなる女性が登場し、物語は関東大震災、そして大陸浪人の暗躍の時代をも巻き込んでみせることになる。

 ひとつには、役者らの力量を観客にみせるというような舞台でもあって、ま、冒頭のそんな銀粉蝶のショーとかがあって、わたしの過去の「唐組」体験でも記憶の残る藤井由紀さんの「さすが」の演技、そして病院の院長〜吸血鬼(?)役の大鶴佐助さんの、すばらしくもユニークにコミカルな演技、それから舞台のかなめ、海之ほおずきを演じた大鶴美仁音さんのケレン味たっぷりの演技と、まさに楽しませていただいた。大鶴佐助さんと大鶴美仁音さんとは、名前からも想像出来るように、唐十郎氏のお子さんであられるわけで、ここに「アングラのDNA」とでもいうべきものを、まさに体感させていただいた思いがする。

 ‥‥こういった舞台を「アングラ」とか呼んでしまうと、それこそ安っぽくなってしまうのだけれども、まさに60年代サブカルチャーの、ぜったいに体制〜権力に身売りすることのない反骨精神を引き継ぐものとして、やはり文化としての「アングラ」は存在しつづけていただかなければならない。それが「クール・ジャパン」などということではなく、日本を生き継がせることになるのだと思った。


 

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■ 2018-06-07(Thu)

 6月は梅雨の季節。ここ、関東地方の南部も、とうとう梅雨入りしたらしい。これからしばらくは鬱陶しい日がつづき、この「鬱陶しい」という漢字を何も見ないで書いてみろといわれればぜったいに書けないのだけれども、字面自体からして「鬱陶しい」のである。「6月の雨」というと、Kinksの名作アルバム「Face To Face」の6曲目、「Rainy Day in June」を思い出さずにはいられない。

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 このアルバムは1966年の10月にリリースされた、キンクスの4枚目のアルバムだけれども、社会的な視点を持ったポップ(ロック)バンドとしてのキンクス、そんなソングライターとしてのレイ・ディヴィスの誕生を告げるアルバムだったんだろう。わたしは中学生のときに買って、当時英語の勉強にとっても役立ってくれたアルバムの一枚だったと、今でも思っている。ここからインクレディブル・ストリング・バンドまで、あと一歩!

      D

 さて昨夜こそ雨が降ったようだけれども、今朝は晴れている。それで、ウチから駅、駅からウチへ行くには、とちゅうで一ヶ所、ウチのすぐそばで信号のない横断歩道を渡らないといけない。ま、二車線といえば二車線の道路で、そこまでに交通量も多くはないのだけれども、これが妙なサイクルにはまり込むと、いつまでも車の切れ目がなく、いつまでも横断歩道を渡れないのである。あのですね、「信号のない横断歩道」というのは歩行者優先で、車はまずは安全を確認、渡ろうとする歩行者があれば先に通すのがルールなのね。それが今までこの横断歩道は五百回以上横断してるわけだけれども(ま、半分以上のケースで車通ってないからもんだいなく渡れたのだけれども)、わたしが横断しようとしているのをみて横断歩道の前で車を停めてくれた人は、今まで三、四人しかいないですね。今日、久しぶりにそういう、横断歩道の前で停車してくれた車があったもんで、何回も何回もお辞儀しちゃいましたよ。気もちいいですね。前なんか、完全に車との距離は充分と判断して横断していたら突っ込んできてクラクション鳴らすヤツがいて、殺意を憶えましたね。今でもよく思い出すし。

 ま、そういう「歩行者優先」という交通ルールの基本は、前に住んでいた茨城の方がちょっとちゃんとしていた気がする。千葉は運転手の運転マナーが悪いところがあるな(これはわたしの住まいから駅までの道のほとんどが国道沿いなせいで、よけいに感じるのかもしれない)。ほとんど轢かれそうになってしまったこともあるし(あれは運転手がボケ老人やったな)。

 さて、昨日も書いたように、眠くって眠くって仕方がない。電車の中で本(ナボコフの「アーダ」)を読んでいても、いつしかコックリコックリなってしまい、今週になってから「あれ? どんな展開だっけ???」ってことになってしまってもいる。困る。せっかくこの6月からは心機一転、いろいろ始めましょうねと思っているというのに、これはよろしくない。明日は芝居(「演劇」ではない、「芝居」ね)を観に行くつもりでもいるし、そんな芝居を観ながらコックリコックリやってしまったらしょ〜がない。それでこの夜は、ものすごく早くに夕食を取り、7時にはもうベッドにもぐり込んで寝てしまうのだった。


 

[](21)ジョー・ボイドのみたリコリス。 (21)ジョー・ボイドのみたリコリス。を含むブックマーク

 それで、そのジョー・ボイドの回顧録に書かれていること。この箇所ではまずはバンドの中心メンバーのロビン・ウィリアムソンとマイク・ヘロンとの「不仲」ということが語られていて、ま、このことも重要問題なので近く書くけれども、今書いてしまうと「何もかも一気に」という感じになってしまうので、そういうことは先延ばしします。それでそんな、ジョーがリコリスについて書いていることを、(ちょっとアバウトに誤訳を含ませながら)以下に訳してみたいと思いますので。

 だいたいそういう競争意識*1というものは、女性の存在でよけいややっこしくなるわけで、この場合、それはロビンのガールフレンドのChristina 'Licorice' McKechnie、リコリスだった。最初はわたしも、彼女なんか単に一時的な足手まといぐらいに思ってた。ふむ、わたしはまちがってたかな? 彼女は小さな顔のかわいい女の子だったけれども、そんなことも前歯が欠けているせいで台無しになっていて、それで彼女は歯を治療しようなんて夢にも思っていないようだった。彼女の暗い髪はまるで梳かされずにだらりと伸びていて、彼女は下着ラインが目立つのを嫌がって、いつもウールとかコーデュロイのスカートばかりを履いていた。わたしの彼女への漠然とした最初の印象は、彼女はめったにしゃべらないこと、そしてたまにしゃべると、それは強烈なスコティッシュ訛りの甲高いキーキー声だったということだ。
 それで以後彼女がレコーディングに参加するようになったり、ツアーに付いてくるようになったとき、とにかく明白になったことは、ロビンが完全に彼女の尻に敷かれているということだった。彼女はロビンらとのそんな話し合いの方向を、その冷たい視線(steely glance)か、ちょっとしたぼやき(murmur)で、たやすく変えてしまうことができるのだった。

 ‥‥ま、あまりに面白いので、今回はあれこれ書くのはパスしますが、ひとつだけ。
 彼女の前歯が欠けていたという件はわたしもようやく最近になって知っていまして、これはウッドストックのステージ映像でもチラッと確認することができる。これはかなりビックリで、わたしもこのウッドストックの時期に偶然歯が欠けてしまってそのままにしていたのかと思ったのだけれども、そもそも彼女がバンドのストーリーに登場するさいしょのときから、その前歯は欠けていたらしい。しかしアレですよ、ミュージシャンで前歯が欠けていて許されるのは80年代のポーグス(Pogues)のシェイン・マッガウワン(Shane MacGowan)の専売特許だろうと思っていたのに、その十年以上前に、しかも女性、しかも少なくともそこまでにブスには見えないところの女性が、前歯なしでステージとかに立っていたとは、これこそ「ビックリポン!」である。っていうか、ジョー・ボイドはバンドのマネージャーだったんだから、彼女に「お前な〜、ステージに立つんだったら歯の治療ぐらいしやがれ!」ぐらいのこと言ってもいいように思うんですがね〜。やっぱり相手がドラッグまみれのヒッピーだとダメなのか。
 おそらくは「それはいくら何でも」と周囲から言われたのかわからないけれども、ウッドストックのあとの1970年頃の写真では「リッキー、新しい歯を見せびらかす」なんて写真も撮られてますね〜。

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*1:これはその、ロビンとマイクとの不仲の件を言っている

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■ 2018-06-06(Wed) このエントリーを含むブックマーク

 ‥‥眠い。猛烈に眠い。特に仕事を終えたあとに帰路に着くとき、もう歩いていても眠くて眠くて、そのまま前のめりに道に倒れ込んで寝てしまいたくなるぐらいに眠い。いや特に睡眠時間が足りていないというはずもなく(毎日8時間たっぷり寝てしまっていて、「これは睡眠の取りすぎダゼ」と思うくらいである)、これはもう、ほとんど「ナルコレプシー」ではないのかと、我ながら心配になってしまう。じゃあ「ウチに帰ってからたっぷり寝ればいいじゃないか」と、さすがに自分でも思うのだが、帰宅するとそこで、それまでの「眠気」はどこかに消えて行ってしまう。
 それで、通勤の車中で読んでいるナボコフの「アーダ」も、読みながら眠気にさらされるわけで、「あれっ? 読んでいてもストーリー展開がわからなくなってるんですけれども?」みたいな感じ。ま、この本は自分で持ってる本だし、これから繰返して読もうと思ってる本だから、多少のことはいいんですけれども。

 それで昨日もらって帰ったラジカセだけれども、これは<ダメ>かもしれない。まず、CDを聴いていると、そのうちに音飛びして、おかしなことになってしまう。いちおう持っていた「ヘッドクリーナー」をかけてみたのだけれども、改善しないのだな。チューナーもイマイチ音を拾えてないし、その前に、このあまりにローファイな音にもね、お付き合いしかねるところもありまして、ちょっと失敗だったかな?と思ってる。

 それでしばらく「大相撲」とかで放送休止していた「カーネーション」の再放送がまた再開されていたことを思い出し、今日は久々に観るのだった。‥‥これはきっと、ずいぶん以前にも書いていたことではないかと思うのだけれども、それは主演の糸子を演じる尾野真千子ももちろんすばらしいし、父の小林薫、母の麻生祐未もいいのだけれども、やっぱりわたし的には、糸子の妹の静子を演じる、「柳生みゆ」という女優さんが、かわいいのである。きっと以前も書いてると思うのだけれども、この「柳生みゆ」という女優さん、あの「サウンド・オブ・ミュージック」に出て、そのあと「宇宙家族ロビンソン」にも出ていたアンジェラ・カートライトを彷彿とさせるところがあるというか、いや、それ以上にかわいいのである。‥‥その後、期待したほどに活躍されていないのは残念だけれども、とにかくはそんな「柳生みゆ」のいちばんかわいいところは、この「カーネーション」でみることができるのだ。

 今日はそうやって「眠い」ので、いろいろと「お休み」。「ISBをめぐる、いつまでも続くとりとめもない散策」もこのあと、とんでもない面白い展開になりそうだというのに、まるで安っぽい「番組宣伝」のようなことを書きながらも、今日は「お休み」なのであります。


 

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■ 2018-06-05(Tue)

 職場で、ラジカセがいらなくなったので捨てるという部署があり、「捨てるんなら下さい」と、もらって帰って来た。前から、和室の方で音楽とかを聴けるシステムがあるといいな、とは思っていたわけで、以前ウチのあたりの「燃えないゴミ」の日にそんなラジカセが出されていたとき、拾っておけば良かったなと、あとですっごい後悔したものだった。そういうわけで、今回は「ぜひもらって帰りたい!」という気分も強かったというか。

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 とにかくはCDはもちろん聴けるし、FMラジオ、AMラジオも聴け、カセットもなぜかダブルで聴ける。マイクをつなげばカラオケが出来るらしい。「時代だな〜」という感じで、「いったいいつ製造されたラジカセよ?」とひっくり返してみたら、1995年の製品だった。二十年以上前か。とにかくはこの「音」の情けなさというか、「ローファイ」ぶりがたまらない! ま、どれだけ活用するかはわからないけれども、とにかくは和室でも音楽を聴こうと思えば聴けるようになった、ということだ。

 昨日「キツいなー」と思った「腰痛」は、昨夜には治まった気配だったのだけれども、今朝にはまた「ヤバい」という状態にはなってしまった。そして、夕方には「むむ、もうだいじょ〜ぶ」という感じになる。こういう感じが明日も明後日もつづくのかな、などと思う。
 それで、昨日つくった「肉じゃが」も、思いのほか大量につくってしまった気配で、もちろん今夜もその「肉じゃが」なのだけれども、おそらくこれから先、少なくとも三日間は「肉じゃが」がつづきそうである。ま、いいけどね〜。


 

[](20)リコリス・マッケクニー(Licorice McKechnie)という「躓きの石」 (20)リコリス・マッケクニー(Licorice McKechnie)という「躓きの石」を含むブックマーク

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 Christina 'Licorice' McKechnie、「Licorice」として、インクレディブル・ストリング・バンドのセカンド「The 5000 Spirits or the Layers of the Onion」から参加。9作目の「Liquid Acrobat as Regards the Air」からは「Likky」の名でクレジットされ、10作目の「Earthspan」をさいごにグループを脱退。特に4作目の「Wee Tam and the Big Huge」以降は、彼女のコーラスの清澄なヴォイスこそが、バンドの音を特徴づけていた感がある(先に引用した宮澤壯佳氏のライナーノーツでは「リッキーのけがれない子供のようなソプラノは、較べようもなく純粋である」ということになるし、わたしもこの聴き方に異議はない)。

 そんな彼女の写真をあれこれと見ていると、それは時にヴィクトリア王朝期の、例えば「ラファエル前派」で彼らのモデルをつとめたエリザベス・シダルを彷彿とさせられるような、「美しさ」を感じるところもあり、そしてまさに無垢の幼女を思わせられるような写真もあるのだが、しかしそれがひとつまちがえると、それは「マクベス」の魔女ではないのか、というような容貌にも見えてしまう、そんな危うさ、両義性がある。‥‥この「Licorice」という女性とは、いったんどんな女性なのか? はたして彼女は、ロビンにとっての「ミューズ」だったのか、それとも彼の「躓きの石」だったのだろうか?

 (以下の記述は主に英語版Wikipediaを典拠とする)彼女は1945年にスコットランドのエディンバラで生まれ、十代の頃にフォーク・クラブで詩を朗読し、そこでロビン・ウィリアムソンと出会っているとされている。(ここから先、Wikipediaの記述にはすっごい<飛躍>があるのだが)次に彼女は、突然にあのバート・ヤンシュ(Bert Jansch)の<婚約者>として登場する(おそらくはそんなエディンバラのフォーク・クラブで出会ったのだろうが、この結婚の知らせは当時の新聞に告知されていたらしい)。もちろんその頃、バート・ヤンシュはロビン・ウィリアムソンのルームメイトだったのだが、バートは彼女をエディンバラにおいて、ひとりモロッコへ放浪の旅に出てしまう(!)。って、婚約していたのではないのか? 婚約破棄なのか? このバートの態度は「謎」である。それでエディンバラに残されたリコリスは、バートのルームメイトのロビンと結び付く。このことをロビンは「She fell into [my] arms」と表現し、つまりはロビンの<恋人>となり、インクレディブル・ストリング・バンドのレコーディングにも参加するようになる。バンドの3作目の「The Hangman's Beautiful Daughter」ではジャケット写真の右下に彼女の姿も見られる(このときはまだ、「スコットランドの田舎のねえちゃん」という感じではある)。ここで彼女が抱いている犬は、Wikipediaでは「ロビンの犬」と書かれているが、他の本ではこれは「リコリスの犬」ということになっている。

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 その後、先に書いたように、まさにバンドのイメージを導くような存在にはなるのだけれども、ロビンとの関係も壊れ、バンドを脱退してしまう。その後の彼女はサイエントロジーの集会(この集会にはチック・コリアも参加した)で歌ったりし、アメリカのギタリストと結婚してアメリカに移り住むのだが、けっきょくその後離婚。彼女はウエイトレスとかの仕事をやっていたらしいのだけれども、1986年に彼女がエディンバラの家族に逢いに戻って以降、彼女との連絡は取れなくなる。彼女の姿が最後に見かけられたのはアリゾナでヒッチハイクをしていた姿だということで、その後彼女とコンタクトを取ったものはなく、彼女の姿を見たものもない。彼女を知る人は皆、「もう彼女はこの世に生きてはいないのだろう」といっているようだ。

 ‥‥さて、ここまでのことは、わたしがジョー・ボイドの「white bicycles」を読むまで、わたしが彼女について知っていたこと、想像していたことなのだが、その「white bicycles」を読むと、まったく異なった、ビックリポンな「Licorice」像が浮かび上がってくる。‥‥むむむむ。そんなことは次回以降に。


 

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■ 2018-06-04(Mon)

 書いていない夢がある。金曜日にみた夢。わたしは、過去に住んでいた団地のような家にいる。母と、弟だか娘だかといっしょに住んでいるようだ。誰かが部屋を訪ねて来て、それは何かのインタヴュアーみたいなのだが、母に「やはりこのあたりは住みやすくて人気が高いのでしょうか?」などと聞いている。わたしはその隣の部屋にいるのだが、窓の外の眺めは絶景で、どうも海まで見渡せているようだ。その海の方でそのときに花火が打ち上げられるのだけれども、まだ昼間で外は明るいのだけれども、それは普通の花火ではなく、空一面がデジタル空間に変換され、まるで巨大なゲーム画面が目の前に拡がっているようであり、カラフルでとてつもなく美しい。わたしはその「美しさ」を伝えたく、弟だか娘だかを「ほら、きれいだよ」と呼び寄せるのだった。

 夢の話ばかりでアレだけれども、今朝も夢をみた。今朝みた夢は、「スパイ」の話だ。わたしはそんなスパイの一員で、そのスパイ活動は7階建てのビルの中で繰り拡げられる。ビルの5階には郵便局があり、そこが大きなキーポイントになっている。仲間のスパイふたりとうまく立ち回り、作戦はみごとに成功する。わたしはそんな、絵に描いたような作戦の成功をよろこび、作戦全体をあたまのなかでもういちど反芻し、「記憶しておかなくては」と思っている(もちろん憶えてはいないけれども)。
 そのあと、わたしはそのビルの地下にある映画館で映画を観ている。その映画のラストは1920年代の映像のようなモノクロの画面が黄色い光で投射され、画面に横たわっていた背広姿の男(髪はオールバック)がむっくりと起き上がるところで映画は終わる。それはこうやって書くと「ドラキュラ映画」みたいだけれども、観ている感じはそういうのではなく、例えば「ツインピークス」のような展開というか、「えっ! 今まで観たストーリーは全部<ご破算>で、ここからまったく別のストーリーが始まるのかよ!」という感じで、そんな不穏な気分のまま映画は終わり、映画館は明るくなってしまうのだった。こういう、映画のエンディングがさらなる恐怖の始まりになるという映画は、じっさいにあれこれとあったように思うのだが、目覚めて思い出そうとしても思い出せないのだった。

 今日は月曜日。Cさんの参加する国際交流美術展のオープニングなので、夕方から出かけようとは思っていたのだけれども、えっとですねえ、今日は「腰痛」を起こしてしまいまして(というか、朝起きたときから違和感があったのだけれども)、仕事を終えて帰宅するときには歩いていても「いててて‥‥」という感じで、「ダメだ、今日はウチで静養しよう」というわけでCさんにも連絡し、ウチでゴロゴロすることにした。

 けっこうゴロゴロしていたらそんな腰痛も治まったみたいな感じで、夕方にはもうほぼ正常に。しかしさすがに暦は6月で、部屋にこもっていると暑い。窓を開けるとニェネント脱走のおそれもあるので閉め切っているから、よけいに暑い。そういうわけで今日、扇風機を引っぱり出した。「冷房」にたよってもいいのだけれども、まだ暦的には早すぎる気がする。

 それで「夕食に何をつくろうか」ということだけれども、「よし、このあたりでジャガイモを一気に消費してしまおう」と、「肉じゃが」をいっぱいつくることにした。それで冷蔵庫のジャガイモを出してみると、もう芽だらけだし、さわってもフニャフニャっぽくなっているのが多い。そんな限界っぽいジャガイモを選り出して、鍋いっぱいの「肉じゃが」をつくった。これでこれから三、四日は「肉じゃが」がつづくことだろう。‥‥しかし、今回の「肉じゃが」はちょっと薄味だったというか、本当はもっとしょうゆ味の濃い、甘い「肉じゃが」(おつゆをごはんにかけるとそれだけでおいしいような)にしたかったのだけれども、選んだレシピが失敗だったかも(ま、これはこれでおいしいのだけれども)。


 

[](19)クライヴ・パーマー(Clive Palmer)の"I Hear You Calling Me"、オンエアー。 (19)クライヴ・パーマー(Clive Palmer)の"I Hear You Calling Me"、オンエアー。を含むブックマーク

 一昨日の土曜日のFM番組、ゴンチチの「世界の快適音楽セレクション」で、思いがけずもインクレディブル・ストリング・バンドの創設メンバー、クライヴ・パーマーの曲がオンエアされた。曲はトラディショナル・ナンバーの"I Hear You Calling Me"で、ゴンチチはこの曲を彼のソロアルバム「Banjoland」からの曲と紹介していた。
 この「Banjoland」というアルバムは、クライヴ・パーマーがインクレディブル・ストリング・バンドのファースト・アルバムのあとにバンドを抜け、そのあと1967年に録音されたものらしいのだが、これがちゃんと発売されるのは2005年まで待たなければならない。‥‥この曲がYouTubeにでもアップされていたら、それを聴いてもらえば手っ取り早いのだが、これはとても24歳の青年が歌っているとは思えない「滋味あふれる」歌唱とバンジョー演奏で、ゴンチチのおふたりも、これをジョアン・ジルベルトと比較されて讃えられるわけではある(ちなみに、クライヴ・パーマーは2014年に他界されている)。

 それはいいのだけれども、わたしがいつも考えること、それはなぜ、「クライヴ・パーマーはファースト・アルバムのあとにバンドを抜けてしまうのか」ということなのだけれども、わたしはそのことはずっと、抜けてしまったクライヴと残ったロビンとマイクとの音楽的志向の違い、そしてそれぞれのミュージシャンとしてのキャパシティの問題とも考えていたわけで、もっと端的にいうと、例えばロビン・ウィリアムソンは、イギリスのトラディショナル音楽と世界各地の民族音楽とを融合させようとしていたといえるだろうし、マイク・ヘロンは当時のドノヴァンと非常に近しい感じで、フォークとポップス、そしてロックとを融合させる才能を持っていたわけだし、ロビンもマイクも複数の楽器を演奏出来るマルチ・プレイヤーであり、作曲の才に恵まれていた。そこに対比して、クライヴ・パーマーはバンジョーによるフォーク・ブルースのスタイルで、インクレディブル・ストリング・バンドのファースト・アルバムを聴いても、彼の持ち味はその「素朴さ」みたいなところもあり、そのファースト・アルバムの全16曲で、クライヴ・パーマーの参加した曲は5曲にすぎない(作曲したのは1曲)、ということもあった(このアルバムでロビンの参加曲は12曲、マイクは9曲で、三人揃ってプレイした曲は3曲にすぎない)。

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 (これはその、インクレディブル・ストリング・バンドのファースト・アルバムのジャケット写真から。いちばん左側がクライヴ・パーマーで、中央はロビン・ウィリアムソン、右がマイク・ヘロン)

 いちおう彼らの伝記的なことを読むと、そのファースト・アルバムのリリースのあと、つまり「クライヴがアフガニスタンへ行き、しばらくのあいだ行方不明になっていたあいだにロビンはモロッコへ行き、それからはマイクとロビンがチームを組み、ISBの中心になった」ということで、わたしなどは、これはひょっとしたらプロデューサーのジョー・ボイドが、つまりは音楽性の合わないクライヴ・パーマーを追い出したのではないのか?とも思ったりもしていたわけではある。じっさい、その後のバンドの活動をみたときに、例えばセカンド・アルバムやサード・アルバムでクライヴが在籍していたとして、いったいどんなことが出来ただろう?という疑問はあるわけで、例えば「<彼なしでのその後>など想像出来ない」ということはいろいろなユニットでいわれることではあるだろうけれども、ここでは逆に「<彼と共のその後>など想像出来ない」というのが、このバンドのさいしょの大きな<パラドックス>ではないのか。
 このことも、ジョー・ボイドの"white bicycles"を読むことで、「そうだったのか!」という驚きを今感じているところだけれども、この「インクレディブル・ストリング・バンド」、予想外にそういう<パラドックス>に満ちたバンドではあった。まさに「60年代の<パラドックス>」というべきか。まだまだ書きたいことが山ほどにある。


 

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■ 2018-06-03(Sun)

 昼寝していて夢をみた。夢の中でわたしは思いついてある美術館へ行こうとし、駅へと行く。駅への道はいつもの夢に出てくる、迷路のような街並の道である。食堂、みやげ物屋などが並んでいる。上にあがったり下におりたりする道。ようやく駅に着くが美術館への経路がわからないので、とりあえず最短区間の切符を買って電車に乗ることにする。券売機の下に十円玉が落ちているのを使わせてもらう。駅構内に入ってそのまま人の列について歩いていると、改札を出てしまう。「まちがえて出てしまった」と駅員に告げるのだが、わたしが何か面倒ないいがかりをつけようとしているかのように警戒されてしまう。ケータイで行きたい美術館への経路を調べようとしたら、その日持って出たケータイは古いケータイでかんたんにはインターネットに接続出来ない。「たしかその美術館は関東地方にあるのかもしれない」と思い当たるのだが、そのときわたしがいるのは九州のどこかで、とても日帰りでその美術館までは行けっこない。「じゃあ今日は関門海峡あたりに行くことにしようか」と思い直すのだった。ケータイの画面に出た美術館紹介の絵画作品、そのカラフルな画像がとても美しかった。その絵のことは今でもはっきり記憶に残っている。そのうちに描いてみようかとも思っている。

 6月になって、「さあ、これから新しい気もちで心機一転なのだぞ!」と思っていたのだが、昨日は思いっきり眠ってばかりの一日になり、昼に食事したあとベッドに行って寝てしまい、目覚めたら6時になっていた。「こんなに寝るつもりはなかったな」と思ったがもう遅い。「夕食をどうするね」とか考えたけど、「もういいや」と、ニェネントくんの夕食を出してあげただけで、自分はテレビをみたりしたあとはそのまま寝てしまった。

 今日は、「ニェネントくんのネコ缶を買っておかなくてはいけないな」と、けっきょく昼前からまた、我孫子の図書館の方に歩いた。先週は「もう我孫子の図書館にもとうぶん、用はないな」と思っていたのに、さっそくに行くのである。
 その、格安のネコ缶を売っているドラッグストアへ行き、そこにはいつも買う銘柄のネコ缶が5種類ぐらい置かれているのだけれども、つまり皆「かつお」関係。ただの「かつお」というのから、「しらす入りかつお」、「ささみ入りかつお」、「カニカマ入りかつお」、「かつお節入りかつお」とあるわけだけれども、わたしの考えでは(もしもわたしがネコだったとして)、もちろんただの「かつお」缶はつまらない。そして「かつお節入りかつお」というのも、「なんやそれ? 同じものが入ってるだけやんけ?」みたいなところがある。わたしがネコならば選ばないな。それで、わたしが勝手に「わたしがネコならば食べたい!」といちばんに思うのは「カニカマ入り」なわけで、それと「ささみ入り」もおいしそうだ。「しらす入り」もいいのだけれども、「カニカマ」と「ささみ」とが赤系の色のパッケージなのに、「しらす」のパッケージは青系で、「かつお」オンリーの缶、「かつお節入り」の缶のパッケージと同系統で損をしている。「よし、今回は赤系でまとめよう!」と、「カニカマ」と「ささみ」とを3パックずつ買った。これで二ヶ月分ぐらいにはなるはず。

 ネコ缶を買った帰りはまた、「昼食をつくるのはめんどいな〜」となり、帰り道の大手スーパーに立ち寄り、おいしそうな焼きそば、それとイカの唐揚げとかを買って帰った。焼きそばは美味で、イカ唐揚げもおいしい。それで食べたあとにまた昼寝をして、さいしょに書いた夢をみたのだった。

 今日はさすがに6時まで寝てしまうようなこともなく、4時ぐらいには目覚める。起きてニェネントのごはんの時間なので、「さあ、食べたまえ!」とネコ缶を開けてあげる。ニェネント、にゃ〜にゃ〜とないて喜ぶ。「さて、わたしの夕食はどうしようか?」と考え、まだまだイカの唐揚げがいっぱい残ってたので、「これをおかずにしよう」と、米を一合炊いてそのイカ唐揚げで夕食にしたのだが、わたしには一食一合というのはちょっと分量が多すぎて(普段は二合炊いて三食分にしているのだ)、そうとうに満腹になってしまった。それで「モヤモヤさまぁ〜ず2」とか見て、そのまますぐに寝てしまうのだった。「6月から<心機一転>」という気分は、どこへいってしまったのだろう?


 

[](18)My favourite song "Job's Tears" (18)My favourite song "Job's Tears"を含むブックマーク

 今日は、インクレディブル・ストリング・バンドの数多い曲の中でも、「わたしはコレが好き!」という一曲を紹介させていただきます。ま、「ベストワン」かどうかはわかりませんが、このバンドの曲を3曲選べといわれれば、ぜったいにその中で選ぶであろう曲。バンドの4枚目のアルバム「Wee Tam and the Big Huge」(1968)の冒頭、一曲目の曲。作詞作曲はロビン・ウィリアムソンで、彼のギターとリコリス・マッケクニーのコーラスのみという、バンドとして非常にシンプルな構成の曲です。
 歌詞の紹介と、無謀にも対訳をまた試みてしまいまして、あらためて<詩>の翻訳がいかに難しいかということを痛感しているところですが、これでも2006年にリリースされた国内盤(紙ジャケ仕様)に掲載されていた、詩心のかけらもない、誤訳だらけの対訳(機械翻訳っぽいけれども、ちゃんと翻訳者の名前が載っているところがすごい!)の、その数千倍はマシなのではないかと自負しております。この詩、たとえばウィリアム・ブレイクとか、そのあたりからのイギリス詩の伝統を引き継ぐものだろうと思っています。曲も美しく、リコリスの無垢な声のコーラスが、この曲の美しさをさらに引き立てていると思っています。

 ‥‥こうやって訳してみると、「やはり宗教がかっているではないか」という印象もあるのだけれども、この時期にはバンドのメンバーらはまだ「サイエントロジー」に入信しているわけでもないし、聴く人を信仰へ誘うというものでもないだろう。ま、バンドの宗教への指向性というものの一端ではあるでしょう(そういう風に聴けば、このバンドの曲にはそういうものはいっぱいある)。

      D

We're all still here, No one has gone away
Waiting, acting much too Well and procrastinating

僕らは皆、今もここにいる。誰ひとり行ってしまうことはない。
待ちつづける。そんなふりをしながら、引き延ばしている。

The cross of the earth (Let me go through)
The four winds point them (Let me go through)

大地の十字架よ(わたしを通り抜けさせておくれ)
四方向の風が彼らを指す(わたしを通り抜けさせておくれ)

Body to body (Let me go through)
Seas to anoint them (Let me go through)

身体から身体へ(わたしを通り抜けさせておくれ)
大洋が彼らを浄めようとする(わたしを通り抜けさせておくれ)

The reed they brought him (Let me go through)
Sponge and vinegar (Let me go through)

彼にもたらされた葦よ(わたしを通り抜けさせておくれ)
海綿、そして酢よ(わたしを通り抜けさせておくれ)

Fiery serpents (Let me go through)
Spitting gold and cinnamon (Let me go through)

燃えるような蛇たちは(わたしを通り抜けさせておくれ)
黄金と肉桂を吐きつける(わたしを通り抜けさせておくれ)

The moon was bleeding (Let me go through)
And stars were shallow (Let me go through)

月は嘆き悲しみ(わたしを通り抜けさせておくれ)
そして星たちはあさはかだ(わたしを通り抜けさせておくれ)

And the sword that killed him
was a sword of willow

そして彼を殺した剣とは
柳の剣ではあったのだ

Hello I must be going well I only came to say
I hear my mother calling and I must be on my way

やあ、わたしは行かなくてはならない。ただ言いたくて来たのだ
母の呼ぶ声が聴こえる だからわたしの道を行かなくては

O I remember it all from before

おお、わたしはその前から、すべてを思い出す

The winter and the midnight (Let me go through)
Could not hold him (Let me go through)

冬も、そして真夜中も(わたしを通り抜けさせておくれ)
彼を留めることはできない(わたしを通り抜けさせておくれ)

The fire could not burn him (Let me go through)
Nor earth enfold him (Let me go through)

炎も彼を焼くことは出来ず(わたしを通り抜けさせておくれ)
大地も彼を包み込むことは出来ない(わたしを通り抜けさせておくれ)

Rise up Lazarus (Let me go through)
Sweet and salty (Let me go through)

ラザロよ、甦れ(わたしを通り抜けさせておくれ)
甘い味、そして塩の味(わたしを通り抜けさせておくれ)

Brother soldiers (Let me go through)
Stop your gambling and talk to me (Let me go through)

兄弟の兵士らよ(わたしを通り抜けさせておくれ)
賭け事をやめてわたしに語りかけよ(わたしを通り抜けさせておくれ)

The thieves were stealers (Let me go through)
But reason condemned him (Let me go through)

盗人とは、物を盗むもの(わたしを通り抜けさせておくれ)
しかし、道理は彼らをとがめるだろう(わたしを通り抜けさせておくれ)

And the grave was empty
Where they had laid him

そして、彼らが彼のなきがらを横たえた
その墓は、空なのだった

Hello I must be going well I only came to say
I hear my mother calling and I must be on my way

やあ、わたしは行かなくてはならない。ただ言いたくて来たのだ
母の呼ぶ声が聴こえる だからわたしの道を行かなくては

O Remember it all from before

おお、わたしはその前から、すべてを思い出す

Why heroes die at sunrise
Why the birds are arrows of the wise
Why each perfumed flower
Why each moment has its hour

なぜ故に英雄は日の出に死ぬのか
なぜ故に鳥たちは賢くも矢のように飛ぶのか
なぜ故に花はそれぞれの香りを持つのか
なぜ故にそれぞれの瞬間はその時を持つのか

It's you
It's all true

それはあなたゆえ
それはすべて真実なのだ

Stranger than that we're alive
Stranger than that, Stranger than that
Stranger than that we're alive

わたしたちが生きているということよりも不思議なこと
もっと不思議なこと もっと不思議なこと
わたしたちが生きているということよりも不思議なこと

Whatever you think
It's more than that, more than that

あなたがどう考えようとも
それはもっと不思議なこと もっと不思議なことなのだ

Happy man, the happy man
Doing the best he can, Doing the best he can

幸せな人よ、幸せな人よ
彼が出来る最高のことを成す、出来る最高のことを成す

Happy man, the happy man
Doing the best he can, Doing the best he can

幸せな人よ、幸せな人よ
彼が出来る最高のことを成す、出来る最高のことを成す

Keep on walking where the angels showed, All will be one, All will be one
Traveling where the saints have trod, Over to the old golden land

天使の示した道を歩み続けよう、すべてはひとつになるだろう、すべてはひとつになるだろう
聖者の歩んだ道を旅しよう、その懐かしい黄金の地へと

(In the golden book of the golden game)
The golden angel wrote my name
(When the deal goes down I'll put my crown)
Over in the old golden land

(黄金の競技の黄金の本の中に)
黄金の天使はわたしの名を書いていることだろう
(取引に敗れたとき、わたしは王冠を戴くであろう)
その、懐かしい黄金の地にて

I won't need to kiss you when we're there, All will be one, All will be one
I won't need to miss you when we're there, Over in the old golden land

わたしたちがそこにいれば、わたしはあなたの口づけも求めないだろう、すべてはひとつになるだろうから
わたしたちがそこにいれば、わたしは寂しくもないだろう、その懐かしい黄金の地で

(In the golden book of the golden game)
The golden angel wrote my name
(When the deal goes down I'll put my crown)
Over in the old golden land

(黄金の競技の黄金の本の中に)
黄金の天使はわたしの名を書いていることだろう
(その取引に敗れたとき、わたしは王冠を戴くであろう)
その、懐かしい黄金の地にて

We'll understand it better in the sweet bye and bye, All will be one, All will be one
You won't need to worry and you won't have to cry, Over in the old golden land

その優しい別れの中で、わたしたちはより理解することだろう。すべてはひとつになるだろう
あなたは悩むこともなく、泣く必要もないだろう、その懐かしい黄金の地で

(In the golden book of the golden game)
The golden angel wrote my name
(When the deal goes down I'll put my crown)
Over in the old golden land

(黄金の競技の黄金の本の中に)
黄金の天使はわたしの名を書いていることだろう
(その取引に敗れたとき、わたしは王冠を戴くであろう)
その、懐かしい黄金の地にて。


 

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■ 2018-06-02(Sat)

 昨夜は"crosstalk"同窓生(という言い方は変だが)のAさんのコンサートへ行ったのだけれども、この6月下旬には、今は東北に住まわれている美術作家のBさん(もちろん、"crosstalk"同窓生)の個展が、亀有で開催されることもわかった。亀有近いし、もちろん行く。そして来週に銀座のギャラリーで開催される国際交流展に、先日「六本木アートナイト」に参加されていたCさんも出品されていて、あさっての月曜にはオープニング・パーティー。Cさんもいらっしゃるということで、行ってみようかと思っている。Cさんは"crosstalk"のようなイヴェントをやってみたいので相談もしたいと、前から聞いているので、そういうことをお話も出来たらいい。Cさんのような方が"crosstalk"的なイヴェントを(誰かさんのように"crosstalk"を<乗っ取ろう>とするのではなく)引き継いでくれるなら大歓迎だし、出来るだけのフォローはしたいものだと思っている。とにかく、今のわたしが"crosstalk"を再び開催するには、いろんな重大な記憶も抜け落ちているし、いろいろ考えても「わたしだけの力」ではむずかしい、とは思っているところではある。

 昨日、注文していた洋書、ジョー・ボイド(Joe Boyd)の「white bicycles」(このタイトルにはどういう意味合いがあるのだろう)が到着して、ついにわたしの「Work」もフル稼働出来る状態になった。

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 今日はその本をペラペラと適当にめくって読んでいたのだけれども、つまりは彼の全業績を振り返る<自伝>的なものではなく、60年代に特定して書かれた<回顧録>という内容。この前に2、3冊、インクレディブル・ストリング・バンドの音楽評、伝記的な洋書は入手しているわけだけれども、この本はそれに比べて圧倒的に読みやすい。つまり批評的なエクリチュールで使われる(ちょっとややっこしい)非日常言語ではなく、この本の「オレはこんなことを体験して、こんなことをやったんだぜー」というエクリチュールは、きわめて「話し言葉」に近いわけで、辞書がなくってもスイスイと読めちゃうのである(ま、アバウトなところでね)。それでこれが、とにかく面白い。「圧倒的」である。もう十年以上前に出版された本だけれども、今からでもどこかが邦訳を出してもいいのではないのか。

 ‥‥そんな中で今日は、インクレディブル・ストリング・バンドに関しての記述も追ってみたのだけれども、バンドのプロデューサーでありマネージャーでもあった彼の記述は、いささかなりとわたしには「ショック」だった。つまり、今までのわたしの「インクレディブル・ストリング・バンド観」が、根底からくつがえされてしまうところがある。これは日本語でいうと「ヤバい!」というところでもあり、このところ継続してコラムで書いている「ISBをめぐる、いつまでも続くとりとめもない散策」というもののこと、これから書こうと思っていたことが、無効になってしまうことでもある。‥‥はたして、これからどのようにバンドのことを書き継いでいけばいいものやら、考え込んでしまうのです。


 

[](17)"white bicycles"からの寄り道。今日はニック・ドレイク(Nick Drake)について。 (17)"white bicycles"からの寄り道。今日はニック・ドレイク(Nick Drake)について。を含むブックマーク

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 ニック・ドレイク(Nick Drake)は、1969年から72年までのあいだに3枚のアルバムをリリースした、イギリスのシンガー・ソングライター。もちろんその3枚のアルバムのプロデューサーはすべて、ジョー・ボイドだった。彼は後年には強度のうつ病に陥り、1974年に抗うつ剤の過剰摂取で26歳の若さで早逝した。生前に彼のアルバムはまるで売れなかったが(でもわたしは当時から買っていたぞ!)、80年代以降に彼の再評価が高まり、今では彼の音楽を知る人も多い。

 今日わたしが"white bicycles"で読んだのは、彼のセカンド・アルバム「Bryter Layter」録音前後の逸話。

 まず、ジョーのところに、あのフランスのシンガー、フランソワーズ・アルディ(Françoise Hardy)からの手紙が届き、彼女はニック・ドレイクのファンということで、「コラボレーションしませんか?」という内容。それでジョーとニックはいっしょにパリへ行き、彼女に会うのだけれども、そこでフランソワーズ・アルディを前にしたニックはまるでしゃべることが出来ず、どうやら彼女はニックのことを「変人じゃないかしらん」と思ったのではないかとジョーは想像するのだけれども、けっきょく、それ以上に話は進まなかったらしい。むむむ。

 それで次にジョン・ケイル(John Cale)の話になるのだけれども、彼はもちろんヴェルヴェット・アンダーグラウンド(Velvet Underground)のオリジナルメンバーで、今でも現役ミュージシャン、去年には来日公演も果たしている(わたしは過去に彼の来日公演を観ているように思うのだが)。
 ジョン・ケイルは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファースト・アルバムで共演したニコ(Nico)のアルバム「Desartshore」をジョーといっしょにプロデュースした関係で、ジョーのオフィスを訪れ、「それで最近はどんなミュージシャンとやってるの?」とジョーに聞くわけで、ジョーは彼にニック・ドレイクを聴かせる。ジョンはおったまげて"Who the FUCK is this guy?"となり、「オレは今すぐ彼に会わなきゃならん! このたった今、コイツはいったいどこにいるんだ?!」ということでジョーがニックに電話すると「会ってもいいよ」ということで、ジョンはもうその場からすぐに、すっ飛んでニックのところに行くことになる。

 それでその翌朝にはもうジョーのところにジョンから電話があり、「オレたちはヴィオラとアンプ、それからベースとアンプ、チェレスタ、ハモンドオルガンが午後には必要だ! 用意してくれ!」ということなのね。それで"Northern Sky"と"Fly"とがレコーディングされたということ。「ビックリポン!」ではありました。

 なお、本の中でそのずいぶん先のところに、ニックがジョーのところに来て、「あんたはオレのことを<才能がある>というけれども、じゃあ何でオレは今、有名でもなく、金もないんだよ!」と詰め寄ったという、これはちょっと知られた逸話も書かれておりました。


 

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■ 2018-06-01(Fri) このエントリーを含むブックマーク

 今夜は、高円寺でかつて"crosstalk"にも参加していただいたAさんの舞台に行く。Aさんとは先日新宿でばったりと偶然出合ってそれでちょっとだけお話しし、そのときにこの今夜の舞台の案内チラシをいただいていた。「せっかくお会いしたことだし、行きたいな」と思っていて、十日ほど前に「予約しておかなくっちゃ」とコンタクトを取ると、すでに「満席」とのこと。「あららら」と、ちょうどFacebookでもAさんとは「友だち」だったので、そんなAさんの告知に「チケット取れなかった」とコメントしたら、Aさんがチケットを用意して下さったという次第。

 実は、今のAさんは、"crosstalk"の頃では考えられない「大物」なのではある。そもそもの「ミュージシャン」という立ち位置に加えて「映像作家」であり、「演出家」でもあり、今夜の舞台も「座・高円寺」という大きな箱である。いや、コレだけのキャパの箱で個人名義のライヴを行い、しかも「満席」にするというのは、これは「とてつもないこと」である。I can't believe it!

 そのあたりに詳しい人には「Aさん」とは誰だかわかっちゃうかもしれないし、ま、ある意味イニシャルにしなくってもいいのだけれども、この夜の「CHINKON2」と題されたコンサートは、副題は「東アジアの大地と虚空に向けた光の音空間」(‥‥ちょっと意味不明だが)「EAST ASIA 鎮魂組曲コンサート第二弾 in 東京」なのである。そこはかとなくスピリチュアルな香りがするのだけれども、そのコンサートは全体の演出と作曲、キーボードなどの演奏、映像、などをAさんがこなし、このほかに別のキーボードを担当する人がいて(主にリズムセクションの音、だったような)、それに笙、尺八の和楽奏者、韓国の琴のカヤグム、それと中国の二胡の奏者が加わるのである。バックにはAさんによる映像が映される。
 ま、まさにそういう構成から想像されるようなところの音世界ではあるのだけれども、中盤にAさんの民族楽器独奏のセクションがはさまれ、それこそがわたしの期待したところのものでもあった。その民族楽器はAさんが"crosstalk"でも演奏した楽器だったはずで、わたしの記憶では「サーランギー」だと思うのだが、本来「サーランギー」とは弓で弾く擦弦楽器のはずが、ここでAさんはギターのように指で撥弦楽器として演奏される。ここでのエモーショナルなAさんの演奏こそが、わたしがこの夜このコンサートに来た目的ともいえる。うむ、素晴らしかった。

 終演後、Aさんにあいさつをしたが、実はロビーにはAさんの出待ちの人たちが列をつくっていたのに、わたしはそんな順番を守らずに、割り込んだかたちでAさんにあいさつしたのだった。すいません。だって、こんなコンサート、体験がなかったのですもの。
 しかしこのところ一ヶ月ぐらい、久しぶりに"crosstalk"の参加者にお会いするという機会がつづく。どなたもビッグになられたものだと感慨も深いのだけれども、この夜のAさんなど、わたしの想像もしないところでビッグになられてしまったような感じでもある。それはまた、"crosstalk"のキャパシティの深さだね、などと、かつての企画者として自賛するのではありました。

 劇場を出て高円寺の駅に歩く途中にスーパーがあり、帰れば炊いた白米は保温しておいてあるけれども、惣菜が何も用意してないのでココで買って帰ろうかと中に入り、半額になっていた「かつおの刺身」を買う。これはお留守番してくれているニェネントくんも喜ぶだろう。いっしょに食べよう(って、バッグの中にその「かつおの刺身」を入れて持ち帰ったら、その刺身の汁がバッグの中にこぼれてしまい、いろいろと大変なことになってしまった!)。

 自宅駅に十時ぐらいに着き、帰路コンビニに寄って缶ビールを買い、帰ってからはニェネントくんといっしょに「かつお」を食べ、わたしはビールを飲むのだった。ちょっとした幸福感であった。

 そう、今日は注文してあった洋書、Joe Boydの"white bicycles"も郵便受けに届いていた。ちょっと読んだのだが、このことは長くなるのでまた明日以降に。


 

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