ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2018-09-08(Sat)

 今日は、前に決めたように水戸へ行く。水戸芸術館に、内藤礼の展示を観に行く。水戸へ行くのはものすごく久しぶりだと思う。以前はそれこそ「水戸線」という路線の沿線に住んでいたわけだけれども、そんなに水戸にひんぱんに行ったというわけでもない。わたしのおぼろげな記憶では、震災前にいちど行って以来訪れたことはないのではないのかと思っていたのだけれども、この日記で検索すると、2014年にダレン・アーモンドという人の展覧会を観に行っていることになっている。こ、こ、これっぽっちも記憶にない。まさにわたしの記憶障害のまっただ中の時期のことだ。‥‥とにかくは、そのことをぬかしても、水戸の記憶などこれっぽっちも残っていない。そんな土地、スポットに今日は行く。

 「水戸」というのは常磐線にあり(実は「水戸線」というのは水戸駅を通ってはいない)、わたしの住まいから一直線で行ける(ただし、各駅停車から快速に乗り換える必要はあるが)。「乗換案内」でみると、ココから一時間半ぐらいで行けるのだろうか。とにかくは今日は内藤礼のアーティスト・トークがあり、その整理券が9時半から配布されるということなので、ま、そのくらいの時間には到着したい。そういうことで、朝の7時ぐらいに出発する。天候はおおむね快晴。そこまでに暑い日になりそうでもないが、どうだろう。我孫子駅で、快速の勝田行き電車に乗り換える。

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 電車の中は意外と混み合っていて、どうも高校生が部活で登校するせいみたいだ。たいていは体育会系というか、そういう出で立ちだけれども、そんな学生たちも土浦駅でほとんど降りて行った。もうこのあたりは茨城県で、車窓遠くには山も見えるようになる。田んぼの稲が黄色く色づいていて、そう、もうじきに稲刈りの季節なのだ。こういうことは、近所に田んぼのない自宅あたりにいてもわからないことだ。この黄色い稲穂は、台風や地震など、自然災害に襲われなかった「恵み」だ。これなくして、わたしなどは生きていけない。きれいごとではなく、車窓から農家の営みに感謝する。

 水戸駅に着いた。まだ9時ちょっと前。ああ、「地方都市」だなあ、という感想はある。そういうのはひとつには、観光客を歓迎する駅前のたたずまいからも感じられる。

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 駅から水戸芸術館まではそれなりの距離がある。テクテクと歩いてようやく到着し、窓口へ行ってみると、すでに相当数の人たちがそのアーティスト・トークの整理券をゲットするために、行列をつくっているのだった。いや、実はもうちょっとのんびり来てもいいかなと思っていたのだけれども、早めに出て来てよかったということか。しばらくして窓口がオープンし、わたしの整理番号は58番。80人限定だったから、一電車遅ければあぶないところだったか?

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 ‥‥とりあえずは、展示を鑑賞。語ることは山ほどあるけれども、それは下欄を見て下さい。ただ、この天候の下、展示室内の光が刻一刻と変化するのがすばらしかった。「このための<自然光展示>だったのか」という思いは強く持った。

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 1時間半ほどでザッと観終えて時計は11時ちょっと過ぎ。アーティスト・トークは12時半からなので、「外で昼食をとってきて下さい」というのにちょうどいい。芸術館の向かいに良さげな店があったので入り、「海鮮丼」を注文した。出て来た海鮮丼は器がバカでかくって豪華だったのだけれども、写真撮ったつもりが撮れていなかった。しかし食べてみるとそこまでに具が多いというわけでもなく、先週新宿で食べた海鮮丼にタジタジ、なところもあったような。ただ、セルフサーヴィスでコーヒー飲めたので、時間をつぶすのにちょうどよかった。

 食事を終えて芸術館に戻り、アーティスト・トークを聴く。わたしの耳が悪かったのか、すわった位置が悪かったのか、ことばが聴き取れない。聴き取れた範囲でのことは下に。
 トークが終わって展示室に戻ると、ほとんど夕暮れ時のように異様に暗くなっていた。「どうしたのか」と思うと、どうやら外は雨になってしまったようだった。これはこれで作品鑑賞には善し。

 そんな雨もおさまりそうな時間、3時頃に駅へと向かい、なんとかほとんど傘もささずに駅に到着し、常磐線の上り電車に乗った。おもしろいことに、茨城から千葉へと電車が移動するに連れて天候は良くなって、自宅駅に着く頃には空はすっかり晴れていた。これは時間的な経過で天気が回復したというよりも、水戸のあたりとウチのあたりとでは、そもそも天気が異なっていたということではないかと思う。

 

[]「内藤礼 ―明るい地上には あなたの姿が見える」@水戸・水戸芸術館 現代美術ギャラリー 「内藤礼 ―明るい地上には あなたの姿が見える」@水戸・水戸芸術館 現代美術ギャラリーを含むブックマーク

 まず、これからこの展覧会を観ようという人に、老婆心から(わたしは老婆ではないが)アドヴァイスを進呈しておきたい。
 1. 入場するときに受け取る「作品リスト」をしっかりチェックし、じっさいの展示と照合させること(ただ漫然と観てまわれば、ぜったいに見落とすであろう作品があれこれとある)。
 2. 展示室内の「いす」には、すべてすわってみること(この「いす」も、作品リストでは内藤礼の作品であるが)。
 3. (その日の天候によるが)作品と外光との関係、その変化に注目すること。
 4. 作品「窓」の縁に立っている「ひと」という多数の作品の中に、ひとつだけ帽子を被っているものがある。それがどこにあるのか探してみよう。

 ‥‥わたしは、今回の内藤礼さんの作品を全面的に賛美するかどうかと問われれば、難しいところもあるのだけれども、まずは「現代美術」のひとつのあり方として心に留めておいていいだろうし、美術館/ギャラリーの、その「ホワイトキューブ」としての空間と、作品との関係でいえば、ひとつすばらしい成果だとは思う。それは単に展示スペースがホワイトキューブというにとどまらず、その空間が「どのように設計されているか」ということを作品に取り込んだ展示ということでは、まさに画期的なものだとは思う。その空間、さらに空間を包みこむ「天候(=光の変化)」までも作品の構成要素とするということでいえば、これは一種の「エンバイラメント」作品群ということもできると思う(「エンバイラメント」とは、いささかなりと「前時代的」表現だが)。
 特に、このギャラリーの「光の変化」を取り込んだ作品の設定は「劇的(ドラマティック)」で、わたしは幸運にも<ピーカンの晴天><日が雲で陰る><雨の降る深い曇天>のすべてをこの日一日で体験できたのでいろいろと言えるのだけれども、特に<曇天>になったあと、ある部屋に展示された作品が、それまで観たのとはまったく異なる様相を示してくれたのには驚き、ちょっとした「感動」を覚えた。「うわ! オレはこの作品を発見してしまったよ!」という感覚。そういう意味では、作品が小さいからといってあまりに近づいて観ようとしても、その作品のそこに置かれた意図は汲み取れなかったりする。

 ‥‥わたしが、この内藤礼の作品群を全面的に賛美しないというのは、はっきりいえば、その「宗教」臭さというところにある。作者自身、そのアーティスト・トークで「浄土真宗」に言及もしていたし、宮沢賢治の名も出た。会場の「恩寵」という、観客が持ち帰ることの出来る作品(丸く薄い紙)には、赤い文字で「おいで」と小さく印刷されている。そういうところでわたしは「あまり没入したくないな(<おいで>といわれてもついて行かないよ)」と思ったりはする。
 それでここでも、読んでいた石井桃子の評伝が絡んでくるのだけれども、アーティスト・トークで作者は河合隼雄の名を取り上げ、その河合隼雄のことばとして「人はそれぞれが自分のファンタジーを生み出さなければならない」みたいなことを引かれるのだった。このことば、たしかその石井桃子の評伝でも同じような文が引用されていたわけで、「うわ、また河合隼雄かよ!」みたいなところがあったのは事実。


 

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