ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2018-09-30(Sun)

[]KAAT×ウースターグループ「タウンホール事件」エリザベス・ルコンプト:演出 @横浜・KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ KAAT×ウースターグループ「タウンホール事件」エリザベス・ルコンプト:演出 @横浜・KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオを含むブックマーク

 けっきょくこの日は「二回目」観ることはなかったのだけれども、昨日書かなかったことなど、補足して書きます。
 まず、ノーマン・メイラーという<今はほぼ忘れられた>作家についてちょっと書いておくと、1960年代から70年代にかけては「飛ぶ鳥を落とす勢い」があった作家で、この日本でもあの新潮社が「ノーマン・メイラー全集」を刊行していたし、この舞台で言及された「性の囚人」も、当時は邦訳が出ていた(今はほぼすべて絶版)。わたしは彼の作品はひとっつも読んではいないのだけれども、当時(この人も今では忘れられた感じのある)植草甚一おじさんあたりが、盛んにこのノーマン・メイラーを持ち上げていた記憶はある。ま、植草甚一という人は、まだネットとかなかった時代に山ほどアメリカの雑誌や本を読んで紹介し、「アメリカの代理人」みたいな人物だったわけで、そこでまるでドナルド・トランプみたいに「アメリカ・ファースト」を唱えていたようなノーマン・メイラーのことは気に入ってしまったのだろうか。
 そんな植草甚一が書いていたのでわたしが記憶しているのは、メイラーの「何がヒップで何がスクウェアか」という分類の引用で、それはネットで調べると以下のようなものだった。書くのがめんどうなのでスクショですましてしまいまして、引用元には申し訳ないのですが(無断)、このリストで左側がヒップで、右側がスクウェアです。

     f:id:crosstalk:20181003164959p:image

 これ、今読むとめっちゃ凡庸というか、読まれなくなった理由もわかるというものですが、ニクソンがまだ大統領になるずっと前に書かれたものとはいえ、そんなニクソンが「ヒップ」と分類されているのは、さすがにアレでしょう。

 それから次に、今回の舞台で映写されていて、この舞台の基調をつくったともいえるフィルム「タウン・ブラッディ・ホール」のことで、このフィルムを撮ったのはクリス・ヘジタスとD・A・ペネベイカーという人物なのだけれども、この二人はこのあとも共同で多くのドキュメント作品を撮りつづけている(お二人とも存命)。特に何よりもD・A・ペネベイカーという人は、あのボブ・ディランの「Don't Look Back」を撮った人でもあり、デヴィッド・ボウイやジミ・ヘンドリックスのライヴのドキュメントも撮っているという人である。
 この「タウン・ブラッディ・ホール」は、作品として完成するのは撮影時の1971年から8年後の1979年のことだけれども、ゲリラ的な撮影だったらしく、幾度も警備に排除されようとしたらしい(これはBさんがウースターグループのスタッフから聞いたという話)。だからこの映像でのカメラは移動しまくっていて、そのことがこの舞台での演出にも生かされたわけ。

 もうひとつ。この舞台の中で、一曲だけ既成の音楽が流されて、それをジル・ジョンストン(を演じたケイト・ヴァルク)が歌いもするのだけれども、その曲がママズ&パパスの“ママキャス”ことキャス・エリオットの大ヒット曲「Dream a Little Dream Of Me」(原曲は古いスタンダードナンバー)なのだけれども、「ん、待てよ?」と調べてみるとやはり、この当時、1960年代末から70年代前半にかけて、ゲイ・アイコンとしていちばん人気があったのがこのキャス・エリオットで、レズビアンであったジル・ジョンストンがこのキャス・エリオットの曲を歌うのには理由があったのだった。
 ‥‥その、ママキャス・エリオットがこの曲を歌う映像を貼っておきましょう。まさに「ゲイ・アイコン」でしょう。

      D

 ちなみに、1974年にママキャスが不可解な死をとげたあと、そのゲイ・アイコンの地位はベット・ミドラーになり、さらに時代を下るとマドンナであったりシンディ・ローパーであったりするのである。

 ‥‥なんだかんだと、まるで舞台とは関係ないことばかり書いてしまったが、「補足資料」として。

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