ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2018-11-02(Fri)

 金曜日。明日、明後日は仕事も休みだから、仕事のあとに出かける。今日は上野へ出て「マルセル・デュシャン展」を観て、それとやはり、もう始まっている「フェルメール展」もいずれ行くことにして、これは先に日時指定の前売券を買っていないと観られないらしいので、その前売券を買っておこうという計画。それから帰り道に御徒町の方に廻り、そういう中古品の店で「はたしてラジカセの中古品で安いのはあるだろうか?」と、チェックしておきたい。安くて良さげなのがあれば買って帰ろう。そういう計画。

 いつも出かけるときのように、職場の近く、駅前の店のハンバーガーで昼食をすませ、JRで上野へ行き、まずは「フェルメール展」会場の「上野の森美術館」へ。‥‥おっと、なぜか多くの人が行列をつくっていて、「前売りを買っていてもこんなに行列ができるのか」と、ちょっとびっくりする。ところがこの行列は「当日券」の人の列で、つまりどうやら、前売券がなくても当日券で入場できるみたいだ。それは「約束」がちがうではないかと思うのだが、つまり「日時指定」のその日時ごとに定員数を設け、前売りがその数に達していない時間帯は、定員に達するまで当日券の人を入れているということらしい。前売券の方が当日券よりも200円、安いことは安いのだけれども、前売券を買うために手数料を払ったり交通費をかけたりすると、当日券の方が「お得」ということにならないか。そもそも前売りを買うために費やす手間と時間など考えると、ぜったいに「前売り組」は損だ。美術館内に入ってしまえば、前売りだろうが当日券だろうが、何らの差異はないわけだし(これが、「当日の人は作品にある程度以上近づいてはいけません」とかやると面白いのだが)、なんだかな〜と思ってしまう(もちろん、土日とかの混み合う日には、前売りだけで定員に達してしまう、さもなくば少ない人数しか当日では入場できないようなこともあるだろうけれども)。列を作っている当日の人たちは、ちゃっちゃっと入場して行くではないか。前売券の人しか入場できないなら入場できないで、「定員」なんか設けないでルールを通せばいいのに。

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 とりあえずは今日観るつもりはないので、月末の前売券を買い、デュシャン展をやっている国立博物館へ行く。美術としてもいまだにその「先鋭性」を失わないかと思えるマルセル・デュシャンの展覧会を、超アカデミックな国立博物館で開催するというのもまた「シュルレアリスム」な出来事だと思うが、これはこの展覧会に多くの作品を貸与してくれたフィラデルフィア美術館と、国立博物館との長い友好関係からのことらしい。そのせいで、この展示には国立博物館所蔵の日本美術を<無理矢理>からめ、展覧会名も「マルセル・デュシャンと日本美術」ということになっているのだ。これまたシュルレアリスムか?

 さて、デュシャンの作品というのはそもそもがほとんどがそのフィラデルフィア美術館の所蔵になっているようで、わたしの知っていたデュシャン作品のほとんどが来ていたようで、思っていたよりもずっと充実した展示。ゆっくりと観て、図録を買って会場を出る。それでせっかく久しぶりに国立博物館に来たのだから、わたしの大好きな作品の並ぶ「東洋館」に足を運ぶ。まずの目当ては2階の「エジプト美術」の展示である。ここにある聖魚「オクシリンコス」の像こそが、わたしがむかしっから大好きな像である。ウチに持って帰りたいぐらい好きなのだが、ネットでみると世界中にいろいろ所蔵されている同じオクシリンコス像の中でも、この国立博物館所蔵のものがいちばんすばらしい(かわいらしい)ように思う。

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 「オクシリンコス像」を観たあとは、地下へ行ってインドの細密画を観る。これもわたしの大好きなコーナーだ。
 博物館を出て、公園を歩いているとネコに出会った。この写真を撮ったあと、なぜかネコ用のおやつを持っていた女の子にそのおやつをもらって食べていた。

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 あとは御徒町まで歩き、某HARD-OFFにて、中古のラジカセをチェック。‥‥わかったこと。3000円出せば、保証書付きの中古が買える。2000円だと保証はない。1000円とかのもあるけれども、「動作しない」と書かれていて問題外だ。やはり3000円出すべきか?

 帰りは湯島まで歩き、千代田線で帰路に着き、となり駅で途中下車して「お弁当でも買って帰ろうか」とスーパーをのぞいてみたが、食べたい弁当もなかったのでそのまま帰宅し、またインスタントのお赤飯とサバ缶とで、お手軽夕食にした。


 

[]「マルセル・デュシャンと日本美術」@上野・東京国立博物館 「マルセル・デュシャンと日本美術」@上野・東京国立博物館を含むブックマーク

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 わたしは高校生の頃、美術手帖でのデュシャン特集とか、その他シュルレアリスム関係の書物を読み漁っていたので、デュシャンの初期の具象油彩画を含めて、たいていの作品のことは記憶していた(近年の記憶よりも、こんな過去の記憶の方がずっと鮮明だったりする)。「ああ、これも記憶にある、あれも記憶にある」と、自分の過去に遡行するような思いだったが、やはりこうやってズラリと彼の作品が並ぶと、感慨新たというか、それだけで感動してしまうのだった。特に、レプリカ(東京バージョン)であるとはいえ、「大ガラス作品」をこういう環境の中で観ることができたのはうれしかったし(もちろんガラスにヒビは入っていないから残念だ)、まさか「現物」を持ってくることは不可能だろうという<遺作>も、映像で(検閲なしに)観ることができたことはすばらしい体験だった。しかも、ほとんどの作品は写真撮影が可能だったし。

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 こうやって彼の作品を通して観て思うのは、彼の1910年(23歳)から1912年(25歳)にかけての、セザンヌ〜マティス風の具象画からキュビズムを経て、彼独自の概念の作品を確立する(この地点もすぐに捨ててしまうが)までの、ほとんど反復のない超高速の進化で、例えば「花嫁」のようなユニークな作品を描いたのであれば、その後は生涯を通してこんな作品のヴァリエーションを描いていても、充分に「巨匠」の名を得ていたことだろうに、などと思う。この彼の進化のスピードを捉えたい。
 また、すっかり失念していたのだが、デュシャンもまたチェスの名手であり、今回の展示でも彼が「チェス・プロブレム」に手を染めていたことが示されていた。彼もまたヨーロッパからアメリカに移住した人物であり、そういうところでウラジーミル・ナボコフとの親近性を思うのである。はたして、デュシャンはナボコフのことを意識することはあったのだろうか? また、ナボコフがデュシャンのことを意識したりしたのだろうか?などと思ってしまう。ま、ナボコフは50年代にはスイスに移住してしまうし、彼は現代美術への興味はほとんど持たなかったようだし、デュシャンも「小説」というジャンルに興味があったようには思えないのだが。
 いちおうこのあとに、この国立博物館所蔵作品をからめて、「デュシャンと日本美術」な〜んてやっているのだけれども、むむむ、コレはいくらなんでも「こじつけ」でしょう。
 ‥‥あとは、今日買った、読みでのありそうな図録をゆっくりと読みましょう。


 

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