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■ 2018-11-19(Mon)

[]「ア・ゴースト・ストーリー」デヴィッド・ロウリー:脚本・監督 「ア・ゴースト・ストーリー」デヴィッド・ロウリー:脚本・監督を含むブックマーク

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 冒頭に、ヴァージニア・ウルフのエピグラフ。後で「A Haunted House」という短篇からの引用だとわかった。そう、この映画は「幽霊譚」であると同時に、「幽霊屋敷」という話でもある。

 映画は男(ケイシー・アフレック)と女(ルーニー・マーラ)の話で始まり、ふたりの住む家にポルターガイスト現象が起こるようで、転居しようかと話し合っている。ところがすぐに男は車の事故で死んでしまう。死んだ男は、まるでハロウィンのお化けのように、頭からシーツを被った姿の<ゴースト>となり、女と暮らした家に戻って来る。男のゴーストはもちろん誰からも見えない存在。ゴーストはただ家具のようにその家にあり、女の暮らしを見つめつづけている。しかし女はどこかへ転居して行く。ゴーストは<家>に呪縛されているようで、そのあともその家に居続ける。離れの家には別のゴーストもいるようだ。家には新しく、メキシコ系らしい子だくさんの家族が転居して来るが、ゴーストの<脅し>でその家族も転居してしまう。そしてその家は取り壊されてしまい、おそらくは長い年月が過ぎて、その地は巨大なハイテク都市の中のビジネスビルになってしまう。おそらくはそんな世界を嫌ったゴーストは、ビルの屋上から身を投げる。
 ‥‥もちろん、ゴーストが<死ぬ>ことはないのだが、世界は<過去>へと逆進する。時代はアメリカ開拓時代になり、その<家>のあった地に開拓家族が住みつこうとするのだが、彼らは先住民に皆殺しにされてしまう。時が流れ、ゴーストはその土地にじっとたたずんでいる。そしてついに、ゴーストの生きていた時代になり、そこにあの家が建ち、ゴーストの生きていたときの男と、女とが転居してくる。そして‥‥。

 ストーリーはむずかしくはなく、語られていることは明瞭だ。しかしその展開は奥深く、すんなりと頭の右から左へと過ぎ去って行くようなハリウッド映画とはわけが違う。そこはさすが、「登場して来るだけで<ヨーロッパ映画>の雰囲気を生み出す」ケイシー・アフレックだし、ルーニー・マーラだし、このコンビで過去に「セインツ -約束の果て-」という作品(観ていないので観てみたい!)を撮っているデヴィッド・ロウリーという監督の技だろう。
 セリフも極端に少ないのだが、途中のその<家>を舞台としたパーティーの場面で、ある男が「個人の歴史と宇宙の歴史」みたいなことを長々と語るシーンがある。ここでのこの男のセリフ量は、この映画全体での80パーセントぐらいにはなるのではないだろうか。それもそんな大それたことを語っているわけでもなく、誰もがいちどはこういう<宇宙の法則>みたいなことは、考えたことはあるのではないかと思う。しかし、こういうことがこの映画全体の中でひとつの<基調>をつくっていることは確かで、実は宇宙レベルのストーリーだったのだ、と思わせられることにはなるだろう。

 映画が始まると画面が横長ではなくて四角くっぽく、これは「スタンダード・サイズ」というのだろう。しかも、その画面の四隅が丸い。‥‥むむむ、これはきっとアレだな、「わたしはロランス」とか、ウェス・アンダーソンの「グランド・ブダペスト・ホテル」みたいに、さいごにバッと横に拡がるぞ!と身構えていたのだけれども、さて、どうだったでしょう?

 前半の長廻しのカメラ、光のとらえ方がとても良くって、例えばルーニー・マーラが彼の死んだあとに家でひとりでパイを食べる長廻しは記憶に残るし、そうそう、音楽がすばらしくって、男が死んだあとの<回想>映像で男(ミュージシャンという設定)が女に聴かせる音楽の、映像との絡み、その編集が良くって、音楽がまたわたし好みの音だったもので、実はこのシーンで映画館の中でほんとうにぽろぽろと涙をこぼしていた。そして、余韻たっぷりのみごとなラスト。

 何かに書いてあったが、たしかに、アピチャッポン・ウィーラセタクンとも比すべき映像世界は独特で、「アメリカにもこういう才能が存在するようになったか」という感慨にも深いものがある。かなりの<傑作>だと思った。


 

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