ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2018-11-27(Tue)

 寒くなった。もう3〜4日で12月になるわけだし、通勤電車に乗る人たちはもう完全に「冬の装い」という人が多い。わたしは仕事が昼で終わるわけで、その時間帯はけっこう気温も高いので、そこまでの厚着はしていないのだけれども、今日の昼はあまり気温も上がらずに、寒い思いをした。

 今、通勤では出勤のときに「タコの心身問題」を読み、帰りにはエドワード・ゴーリー選の短編集を読んでいる。短編集は一日に一篇読んで行ける感じで、今週中には読み終えるだろう。「タコの心身問題」は今のところなんだか、前に「タコの教科書」で読んで知っていることが書かれている感じ。あとは「意識」の問題になり、ここでは「タコ」から話が外れてしまう。ここまではちょっと期待外れ。

 昨日画材店で買った道具を今日試してみたのだけれども、これが非常に好調。何となく、「あ、やっていけるかな?」という気もちになり、少しうれしくなった。まだまだ本格的に始めたわけではなし、早くしっかりとペースをつかみ、「ちゃんとできる」というところに持って行きたい。

 夕方、暗くなってからスーパーの「S」まで買い物に行き、やはりこのスーパーがいろいろと安いので、ついつい買いすぎてしまう。今月から来月にかけてはまだまだ観たい美術展もあるし、買いたい本がけっこうある。これからは少し倹約しなければならないと思っているのに、どんどん預金が減っていく。土曜日の夜に予約してある舞踏公演は、キャンセルした方がいいかと考える(これからは、家で過ごす時間というのも前よりもずっと大切なものになる)。

 昨日、映画監督のベルナルド・ベルトリッチが亡くなられたとの報道を読んだ。追悼に何か彼の監督作品を観ようと思い、録画してある「暗殺の森」か、DVDを持っている「シェルタリング・スカイ」かどちらかにしようと思い、好きだったはずなのにもう内容を忘れてしまっている「シェルタリング・スカイ」を観ることにした。

        

 

[]「シェルタリング・スカイ」(1990) ポール・ボウルズ:原作 ヴィットリオ・ストラーロ:撮影 ベルナルド・ベルトリッチ:監督 「シェルタリング・スカイ」(1990)   ポール・ボウルズ:原作 ヴィットリオ・ストラーロ:撮影 ベルナルド・ベルトリッチ:監督を含むブックマーク

シェルタリング・スカイ [DVD]

シェルタリング・スカイ [DVD]

 ウチには、この原作の文庫本もあるし、もちろん映画も映画館で観ているのだが、今ではまるで思い出せない。しかしどこか、観ることが切実で、つらい映画だった記憶はある。そんな映画を、おそらくは20年ぶりぐらいに観る。

 物語は、ポート(ジョン・マルコヴィッチ)とキット(デブラ・ウィンガー)のモレスビー夫妻のモロッコへの旅を描いたもので、ここにタナーという若い男が同行している。おそらくタナーはキットに横恋慕しているわけで、そのことをポートも充分承知している。ポートはつまり、この西欧文化から距離を置いた地で、キットへの愛を確認し直そうと思っているようだ。だから彼の旅行は観光のためのものではない。キットはどうなのか、ポートの言動に不信感も持っているようでもあり、ポートとタナーとのあいだに立たされる立場を面白がっているようでもある。
 おそらく前半は、そんなポートの望む「旅」にそった描き方。‥‥これは、いってみれば「バッド・トリップ」かもしれない。というか、ここには「外」を観ないで、自分の内側を見つめようとする「旅」の怖さがある。例えば若い頃に「ひとり旅」をするとき、それが観光目的ではなく、自己を見つめ直すような旅であることがあるだろう。わたしもそういう「旅」をしたことがあるから、そのときの体験とこの映画のポートの体験が結びつく。だからこの映画もまた、「ひとり旅」の映画ではないかと思う。

 ポートはタナーをうまく追い払い、キットと共に砂漠を自転車で進み、「ここを君に見せたかったのだ」という景色のところへ行く。ここで「ひとり」は「ふたり」になり、ひとつのクライマックスだと思うのだけれども、ポートは罹病してしまう。けっきょくポートは死ぬのだけれども、その死の前に、キットに自分がどれだけキットを愛しているかわかったというようなことを語る。この言葉も、自己の中にひとりで深く沈み込んでいった人物の「独白」だろう。そしてポートの死んだあと、キットにポートが乗り移ったかのごとき展開になる。キットは別のキットになる。

 けっきょく、キットはベルベル人の隊商と行動を共にして、美しい男ベルカシムの愛人、妾のような存在になる。別に彼女がそのままで残された人生をベルカシムと共に過ごすならばそれでよし、とは思うのだけれども、映画では彼女の中に西欧の価値感(フランスの紙幣)がよみがえり、隊商の共同体を去る。ま、いくらなんでもそういう価値感をぶり返すほどに彼女は愚かではないだろうとは思うのだけれども、映画としてはそういう結末で、つまり彼女は「迷った」存在となる。‥‥どうも、そのあたりが観ていて釈然とはしないのだけれども、とにかくは「行ってそのまま戻って来ない旅」というものを、ばっちりと描いた映画だったとは思う。蠱惑的な作品だ。
 まずはポートが「冥界巡り」をし、そのまま戻って来なくなるのだが、そのあとを追って冥界の入り口まで行ったキットは、そこで道に迷ってしまったということか。

 そう、音楽が坂本龍一なのだけれども、この音楽はなんだか、ゴダールの「気狂いピエロ」での、アントワーヌ・デュアメルなんじゃないの?みたいな気がした。

 いろいろと特典映像とかコメンタリーとかついているようなので、また観てみたいDVDだった。っていうか、原作、また読む?


 

[]「猿の手」W・W・ジェイコブズ:著 柴田元幸:訳(「エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談 憑かれた鏡」より) 「猿の手」W・W・ジェイコブズ:著 柴田元幸:訳(「エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談 憑かれた鏡」より)を含むブックマーク

        

 この作家のことは知らなかったけれども、この「猿の手」というタイトルの記憶はある。何かで過去に読んだことがあるのではないかと思った。
 ‥‥お話は、「何でも願いを3つ叶えてくれる」という猿の手の剥製を入手してしまった老夫婦の話。もう、「3つの願いを叶えましょう」なんて、おとぎ話のような設定だけれども、これがけっこう怖い。まずは夫が軽い気もちで「金が欲しい」と望んだら、息子が事故で死んでしまい、その保険金が手に入るという展開。それで次に妻が「息子を生き返らせて!」と願掛けるが、はたして‥‥。


 

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