ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2018-11-27(Tue)

[]「シェルタリング・スカイ」(1990) ポール・ボウルズ:原作 ヴィットリオ・ストラーロ:撮影 ベルナルド・ベルトリッチ:監督 「シェルタリング・スカイ」(1990)   ポール・ボウルズ:原作 ヴィットリオ・ストラーロ:撮影 ベルナルド・ベルトリッチ:監督を含むブックマーク

シェルタリング・スカイ [DVD]

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 ウチには、この原作の文庫本もあるし、もちろん映画も映画館で観ているのだが、今ではまるで思い出せない。しかしどこか、観ることが切実で、つらい映画だった記憶はある。そんな映画を、おそらくは20年ぶりぐらいに観る。

 物語は、ポート(ジョン・マルコヴィッチ)とキット(デブラ・ウィンガー)のモレスビー夫妻のモロッコへの旅を描いたもので、ここにタナーという若い男が同行している。おそらくタナーはキットに横恋慕しているわけで、そのことをポートも充分承知している。ポートはつまり、この西欧文化から距離を置いた地で、キットへの愛を確認し直そうと思っているようだ。だから彼の旅行は観光のためのものではない。キットはどうなのか、ポートの言動に不信感も持っているようでもあり、ポートとタナーとのあいだに立たされる立場を面白がっているようでもある。
 おそらく前半は、そんなポートの望む「旅」にそった描き方。‥‥これは、いってみれば「バッド・トリップ」かもしれない。というか、ここには「外」を観ないで、自分の内側を見つめようとする「旅」の怖さがある。例えば若い頃に「ひとり旅」をするとき、それが観光目的ではなく、自己を見つめ直すような旅であることがあるだろう。わたしもそういう「旅」をしたことがあるから、そのときの体験とこの映画のポートの体験が結びつく。だからこの映画もまた、「ひとり旅」の映画ではないかと思う。

 ポートはタナーをうまく追い払い、キットと共に砂漠を自転車で進み、「ここを君に見せたかったのだ」という景色のところへ行く。ここで「ひとり」は「ふたり」になり、ひとつのクライマックスだと思うのだけれども、ポートは罹病してしまう。けっきょくポートは死ぬのだけれども、その死の前に、キットに自分がどれだけキットを愛しているかわかったというようなことを語る。この言葉も、自己の中にひとりで深く沈み込んでいった人物の「独白」だろう。そしてポートの死んだあと、キットにポートが乗り移ったかのごとき展開になる。キットは別のキットになる。

 けっきょく、キットはベルベル人の隊商と行動を共にして、美しい男ベルカシムの愛人、妾のような存在になる。別に彼女がそのままで残された人生をベルカシムと共に過ごすならばそれでよし、とは思うのだけれども、映画では彼女の中に西欧の価値感(フランスの紙幣)がよみがえり、隊商の共同体を去る。ま、いくらなんでもそういう価値感をぶり返すほどに彼女は愚かではないだろうとは思うのだけれども、映画としてはそういう結末で、つまり彼女は「迷った」存在となる。‥‥どうも、そのあたりが観ていて釈然とはしないのだけれども、とにかくは「行ってそのまま戻って来ない旅」というものを、ばっちりと描いた映画だったとは思う。蠱惑的な作品だ。
 まずはポートが「冥界巡り」をし、そのまま戻って来なくなるのだが、そのあとを追って冥界の入り口まで行ったキットは、そこで道に迷ってしまったということか。

 そう、音楽が坂本龍一なのだけれども、この音楽はなんだか、ゴダールの「気狂いピエロ」での、アントワーヌ・デュアメルなんじゃないの?みたいな気がした。

 いろいろと特典映像とかコメンタリーとかついているようなので、また観てみたいDVDだった。っていうか、原作、また読む?


 

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