ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2018-12-15(Sat)

 ‥‥ニェネントが、ゴミ箱を倒して中を漁っている。そんな卑しいマネをするネコではないはずなのに、何を漁っているのだろう?とみていると、3センチ角ぐらいの肉のかたまりをくわえ出した。あ、昨日トマトシチューをつくったとき、切り分けていた牛肉を、ついゴミ箱の中に落としこんでいたのだ。しかしさすがネコの嗅覚、わかるんだなあ。ニェネントくん、あなたも今まで「牛肉」というものを食べたことはないわけだけど、そうやって見つけたのだから食べちゃっていいですよ、どうだろう? 牛肉の味の感想は?と思っていると、これが口にくわえた肉を頭を振ってふっ飛ばし、飛ばした先に走っていってまた口にくわえ、同じことを繰り返している。ニェネントの好きな、「綿棒ふっ飛ばし」遊びと同じことをやっている。ちっとも食べないで、遊んでいるのだ。そういうニェネントは見ていてかわいいものだし、「ま、いいか」と、遊ぶニェネントを観察。たまにニェネントの取れないところに飛ばしてしまうもので、わたしが拾い出して手助けしてあげる。何となく肉も小さくなってしまったようで、そんな遊びをしながらもちょっとずつは食べちゃっているのだろうか。
 わたしもいつまでも見つづけるのをやめてしまったのだけれども、いつかニェネントも遊びをやめて「お昼寝」モードになってしまった。あの「肉」はどうしてしまったのだろう。探してみたけれども見つからない。食べてしまってくれたのならそれでいいのだけれども、どこかの隅っこで放置されたまま、腐っていってしまうのはイヤだな。‥‥でも今は寒いから、すぐに腐敗してしまうということもないだろうか。

 そう、この季節が楽なのは、調理した鍋料理とかを、キッチンに出しっぱなしにしておいても傷まないこと。夏なんかは外に出しておくと一晩でダメになってしまうから、タッパーにとって冷蔵庫に入れるとか、冷蔵庫の中を片付けて、鍋ごと冷蔵庫に入れておかなくてはならないわけで、そういうことも少しあら熱を取ってからやらなければならないし、面倒。今はそういう苦労もなく、だから昨日つくったトマトシチューも出しっぱなし。今日もそのトマトシチューで夕食で、まだ二日分ぐらい残っている。ずっと出しっぱなしで大丈夫なことだろう。

 沖縄で、辺野古への基地移設のための埋め立てが始まってしまったという。今の沖縄知事、玉城デニー氏は「辺野古基地移設反対」を公約として先日沖縄知事選挙に勝利し、この件で安倍総理に申し入れもしたというのに、完全に無視された。これは沖縄県民の意志を無視する「暴挙」で、安倍政権の「民主主義無視」「国民無視」の暴走は、このところ加速していて、もはやとうに日本は「民主主義国家」とはいえなくなってしまっている。福祉面での後退も著しく、もうこの国は「先進国」ではない。
 「辺野古」の件では、アメリカのホワイトハウスに直に陳情するネットでの署名システムがあり、年内に(正確には来年1月7日までに)10万の署名が集まれば陳情として有効になるという。どうか、その意志のある方は、下のリンクから<署名>していただきたい。

Stop the landfill of Henoko / Oura Bay until a referendum can be held in Okinawa"

 このサイトから名前(First Name)と姓(Last Name)、そしてメアドを入力し、その下の「Sign Now」をクリックすると、そのメアドにメールが送られて来ます。そのメールの中の、「Confirm your signature by clicking here.」というところをクリックすれば、署名完了です。

 もう、国内で運動を続けても効果もなく(といって、やめてしまうわけにはいかないのだが)、今は国外に訴えることが重要ではないかと思うようになった。例えばデモや集会でも、海外に報道されることを考えて英語のプラカードを提示するとか、TwitterやFacebookでも、英文で書くとかの工夫があってもいい。それでどれだけ効果があるかわからないし、まだわたしもほとんど、そういうことはやっていないのだが(いちおう、わたしのFacebookの友だちに外国の人もいるので、いちど英語でそういうコメントを書いたことはある)。
 先に書いたように、もう今の日本は「民主主義国家」ではなく、衰退へと向かう「後進国」、そして「軍事独裁国家」を目指しているとしか思えない。多くの人たちはそのことを認識せず、安倍政権への支持率はいまだ高い。それならば海外の<眼>から現状を認識してもらうことも必要だろう。もう今の日本は「G7」とか「G20」の参加国である資格はない。そんな、例えば日本が「G7」から除外されるようなことになれば、少しは皆も気づくのではないだろうか。そのようなことを望むことが「反日」であり、「非国民」といわれるような空気があることも知っている(まるで1930年代だ)。しかし、わたしは今の安倍政権下の日本の進路にまったく同意できないわけで、そのことを「非国民」といわれるなら、それはそれで仕方がない。その蔑称を受け入れるしかないのではないかと思う。これは、わたしがネコのニェネントといっしょに、今後も生きていくために選ばざるを得ない考えではある。

 で、そういうことのためにわたしとしてやらなければならないことがあるのだけれども、今日もまた長い昼寝をして、さぼってしまった。やはり今日になって昨日の寝不足が出て来たのだろうか(いちおう、太宰治の「斜陽」は読み終わった)。まるでよろしくない。明日は何とかしたいものだと、気もちだけはグルグルと廻っているのだけれども。

        

 

[]「斜陽」太宰治:著(太宰治全集10 小説9より) 「斜陽」太宰治:著(太宰治全集10 小説9より)を含むブックマーク

 没落する旧華族の女性を「語り手」として書かれた中編。女性の視点から書かれたというのでは、先に読んだ「ヴィヨンの妻」と共通している。

 その前半は非常に面白く読んだのだけれども、太宰自身がモデルらしい「小説家」が登場してからはまるでつまらない。あとで解説(解題)を読むと、この語り手の女性のモデルは太田静子という歌人で、太宰は彼女から彼女の日記を借り受け、この作品の素材にしたらしい。どうもこの作品の前半はほとんど、その太田静子の日記の「丸写し」らしく、つまり、わたしが読んで「これはおもしろい」と思ったのは、その太田静子の日記に対しての感想であり、太宰の創作の加味された後半は「どうしようもない」ということになる。

 「ヴィヨンの妻」では、「人非人でもいいじゃないの‥‥」という<自己弁護>がうまく功を奏した感があったけれども、この「斜陽」は、わたしには受け付けられない。例えば、次のようなところが、そんな「ヴィヨンの妻」に対応するような<自己弁護>だろうか。

 ああ、何かこの人たちは、間違ってゐる。しかし、この人たちも、私の戀の場合と同じように、かうでもしなければ、生きて行かれないのかも知れない。人はこの世に生まれて來た以上は、どうしても生き切らなければいけないものならば、この人たちのこの生き切るための姿も、憎むべきではないかも知れぬ。生きてゐる事。生きてゐる事。ああ、それは、何といふやりきれない息(いき)もたえだえの大事業であらうか。

 これは、ほとんど恥ずかしいだけの<自己弁護>であろう。ここには思索のあともなく、「愚かさ」だけを露呈しているとしかいえない。ここに、わたしがまったく好きになれない、愚かな<太宰治>なるものがある、としかいえないだろう。


 

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