ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2018-12-18(Tue)

 朝起きて、ニェネントくんの食卓を見てみると、やっぱり昨日の<ネコ缶>はほとんど食べないまま残されていた。「ダメだったか」と思い、もうニェネントくんの朝食の時間、朝は「カリカリ」と決めているから、お皿に残っていた昨日の<ネコ缶>は廃棄して、カリカリを出してあげた。‥‥ニェネントくん、飛びつく! ちゃんとムシャムシャと食べてくれる! やっぱり、昨日の<ネコ缶>はまずいというか、「こんなものわたしに食べさせるなよ!」というところだったのだろう。‥‥わたしが、悪かった。まずは、たとえ一日、24時間のことであっても、いちど缶を開けた<ネコ缶>の保存には、気を遣ってあげよう。それでも食べてくれないなら、<ネコ缶>の銘柄を換えるとか、また考えよう。

 今朝はぽちぽち雨が降っている。そんなに寒くはない。わたしは早朝の出勤の前にテレビをみて、そのとき現在の都心(わたしの勤務先はいちおう<都心>なのだ)の気温、昼以降のこの日の最高気温の予想、そして天気予報とかをチェックしてから家を出るので、「ま、今日はそこまで厚着してなくてもだいじょうぶだな、雨もわたしの仕事が終わるころには止むだろうね」とか思って家を出る。じっさい、仕事を終えて帰宅するころには雨はすっかりやんでいた。

 しかし、帰路に乗っていた電車が北千住駅に近づいたとき、車内放送が「(どこそこの駅で)人身事故が発生し、常磐線各駅停車は(どこそこの駅より先)ストップしております」などという。「そう、こういうとき常磐線は便利で、<各駅停車>がストップしても、まるで異なる線路を走る<快速>は止まらないだね」と思い、北千住の駅で<快速>のホームへと移動してみた。‥‥するとなぜか、<快速>の方も止まってしまっていることがわかった。どうしてだろう。理由はわからないけれども、とにかくはすぐには帰れないわけだ。どうも、少なくとも一時間ぐらいは電車は動かないみたいだ。どうするかね。

 つまり、駅のホームとかでいつ動き出すかわからない電車が動くのを待つより、なにか有効な時間の使い方を考えようということで、逆方向への電車は動いているわけだから、日比谷とかに戻って、このさい、「そのうち観よう」と思っていた映画「メアリーの総て」を観てやろう、ということにわたしの中で意見がまとまった。ケータイで上映館、上映時間を調べ、「ま、いいでしょう」ということで、乗っていた千代田線の逆方向に乗り換え、日比谷まで行く。むむむ、ニェネントくんの夕食は遅れるけれども、ちょっと待っていてもらおう。

 日比谷駅に出て、映画館のある銀座方面に歩く。日比谷と銀座のあいだの地下道には、ホームレスの人が死んでいるように寝転がっていた。‥‥変な話だけれども、こうやってこんな繁華街でもホームレスの人が生きている(見た目はまるで<死んでいる>みたいだったけど)ということに、なぜか「ホッ」としてしまう。人が住むところには、そういう「隙き間」がなくってはいけないと思う。それはホームレスの人が存在することは悲しいけれども、だからといって、そういう人の存在が見えないように<排除>してはいけない。だって、今の日本という国のあり方で、ホームレスの人がまるでいない<幸福>な国だということは信じられないから。

 さて、お腹もすいたので、昼食をとりたい。南青山の住民は「南青山はランチだって1600円する<高級地>だぜ」と自慢したらしいが、銀座もランチの高い店は高い。「せめて<吉野家>だな」と歩いていて、けっこう銀座のど真ん中で立ち食い蕎麦屋をみつけ、300円台の「かき揚げそば」を食べた。<かき揚げ>がすっごいボリュームで、爽快。やはり銀座はこういう店もあって、南青山とは違うから気もちがいい。

 それで満腹になって映画館へ行き、まずはチケットを買って座席を決める。今日はウチにメガネを置いて来てしまったので、邦画だったらかまわないのだけれども、字幕を読まなくっちゃいけないから、なるべく前の方の席を決めた。‥‥まだ30分以上時間があるので、そばの教文館書店へ行ってみる。ココも当然「ヘイト本」は置いてないから気もちがいい。ぐるっと店の中をみてまわって、最近気になっていた多和田葉子の「献灯使」の文庫本を見つけ、買ってしまう。教文館は、つけてくれる本のカバーのデザインがいいのだ。

 映画の上映時間が迫り、映画館へ戻る。‥‥映画、始まる。字幕の文字はけっこうデカクって、「メガネないから」と心配するほどのことはなかった。で、映画が終わるともう4時を過ぎている。帰宅すると6時に近いだろう。これから食事をつくることなど考えられないから、ちょっと電車を乗り越して我孫子まで行き、「ショッピングプラザ」のスーパーで昨日もらったばかりの商品券とか使ってお弁当を買い、その帰り道でまたローソン100とかに寄ってから帰宅。部屋のドアを開けると、しっかりニェネントくんが「お出迎え」してくれた。「遅いじゃないのさ!」というところだろう。遅くなった夕食、今日は缶を開けたての<ネコ缶>だったので、せっせと食べてくれた。わたしは買って来たお弁当を温めて食べ、「うん、やっぱりこのスーパーのお弁当はおいしいわ!」とか思うのだった。

        

 

[]「メアリーの総て」 ハイファ・アル=マンスール:監督 「メアリーの総て」 ハイファ・アル=マンスール:監督を含むブックマーク

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 ‥‥エル・ファニング! エル・ファニング! この映画撮影時で19歳ですか。成長したものです。先日はお姉さんのダコタ・ファニングの「500ページの夢の束」を観たけれど、姉妹でしっかりやって行っていただきたい! 今回はしっかりと、シリアス・ドラマをみせていただきました。

 さてさて、それでこの映画だけれども、とにかくはメアリー・シェリーのお父さんのウィリアム・ゴドウィンは登場するし、夫のパーシー・ビッシュ・シェリーは登場するし、バイロンは登場するわで、楽しいわけです。まずはメアリーといっしょになるパーシー・シェリーが、自分の浮気の言い訳に「自由恋愛」とか言い出すあたりで、あの「エロス+虐殺」での<アナーキスト>大杉栄を思い出してしまうのだけれども、そもそもがメアリーのお父さんのウィリアム・ゴドウィンがそんなアナーキズムの始祖のひとりなわけだから、観ていてほくそ笑んでしまう。そんなパーシー・シェリーを演じる役者が、70年代ぐらいの軽薄なロックスターみたいな感じでいいのだけれども、それだったらバイロンはもうちっと「カッコいい」役者にやってほしかったかな? あれでは<道化>だ。

 映画は、その<メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」はいかにして生まれたか?>というところに主眼があるようなつくりで、しかもこの映画の中では「フランケンシュタイン」がどのような作品であるのかという<説明>は皆無で、つまり観客は「フランケンシュタイン」のことを熟知していることが求められている。つまり、<ハードル>があるのだ。‥‥もしもこの作品を観る人が、「<フランケンシュタイン>って、ボリス・カーロフでしょ?」とか、いやいや、それ以下の予備知識しか持ち合わせていなかったとしたら、この作品が何を訴えたかったのかということは、そもそも了解出来ないのではないかと思う。これはつまり、あの「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」はいかに誕生したのかという映画であって、観客がいかに小説「フランケンシュタイン」のことを熟知しているかのレベルでいえば「A〜E」で<C>以上、<B>とかのレベルを求めているのだ。いやあ、わたしはこの映画を観る前に原作を読んでおいてよかったわ〜。

 それ以外では、「おじゃま虫」なクレアの存在が面白いといえば面白いのだけれども、これはきっと、メアリー・シェリーの「ネガ」の部分をあらわしていたのだろうか。映画の中で彼女が唄う伝承歌(トラッド・フォーク)が気になって、「あれは聴いたことのある曲だが」と思ってさいごのクレジットをずっと見つづけたのだけれども、唄われた曲のクレジットは出て来なかった。残念。

 あと、さいごに「登場人物のその後」的な字幕が出るのだけれども、日本語字幕は省略し過ぎで、肝心のニュアンスが表現しきれていないね!という<残念感>はありましたね。


 

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