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■ 2018-12-18(Tue)

[]「メアリーの総て」 ハイファ・アル=マンスール:監督 「メアリーの総て」 ハイファ・アル=マンスール:監督を含むブックマーク

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 ‥‥エル・ファニング! エル・ファニング! この映画撮影時で19歳ですか。成長したものです。先日はお姉さんのダコタ・ファニングの「500ページの夢の束」を観たけれど、姉妹でしっかりやって行っていただきたい! 今回はしっかりと、シリアス・ドラマをみせていただきました。

 さてさて、それでこの映画だけれども、とにかくはメアリー・シェリーのお父さんのウィリアム・ゴドウィンは登場するし、夫のパーシー・ビッシュ・シェリーは登場するし、バイロンは登場するわで、楽しいわけです。まずはメアリーといっしょになるパーシー・シェリーが、自分の浮気の言い訳に「自由恋愛」とか言い出すあたりで、あの「エロス+虐殺」での<アナーキスト>大杉栄を思い出してしまうのだけれども、そもそもがメアリーのお父さんのウィリアム・ゴドウィンがそんなアナーキズムの始祖のひとりなわけだから、観ていてほくそ笑んでしまう。そんなパーシー・シェリーを演じる役者が、70年代ぐらいの軽薄なロックスターみたいな感じでいいのだけれども、それだったらバイロンはもうちっと「カッコいい」役者にやってほしかったかな? あれでは<道化>だ。

 映画は、その<メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」はいかにして生まれたか?>というところに主眼があるようなつくりで、しかもこの映画の中では「フランケンシュタイン」がどのような作品であるのかという<説明>は皆無で、つまり観客は「フランケンシュタイン」のことを熟知していることが求められている。つまり、<ハードル>があるのだ。‥‥もしもこの作品を観る人が、「<フランケンシュタイン>って、ボリス・カーロフでしょ?」とか、いやいや、それ以下の予備知識しか持ち合わせていなかったとしたら、この作品が何を訴えたかったのかということは、そもそも了解出来ないのではないかと思う。これはつまり、あの「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」はいかに誕生したのかという映画であって、観客がいかに小説「フランケンシュタイン」のことを熟知しているかのレベルでいえば「A〜E」で<C>以上、<B>とかのレベルを求めているのだ。いやあ、わたしはこの映画を観る前に原作を読んでおいてよかったわ〜。

 それ以外では、「おじゃま虫」なクレアの存在が面白いといえば面白いのだけれども、これはきっと、メアリー・シェリーの「ネガ」の部分をあらわしていたのだろうか。映画の中で彼女が唄う伝承歌(トラッド・フォーク)が気になって、「あれは聴いたことのある曲だが」と思ってさいごのクレジットをずっと見つづけたのだけれども、唄われた曲のクレジットは出て来なかった。残念。

 あと、さいごに「登場人物のその後」的な字幕が出るのだけれども、日本語字幕は省略し過ぎで、肝心のニュアンスが表現しきれていないね!という<残念感>はありましたね。


 

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