ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2018-12-22(Sat)

 3連休初日。今夜は吉祥寺に「地点+空間現代」の「グッド・バイ」を観に行く。この観劇のためにしばらく太宰治を読んでいたわけだ。舞台は19時半からと遅いので、その前に渋谷に出て、松濤美術館で始まっている「終わりのむこうへ:廃墟の美術史」を観ようと計画を立てる。15時ぐらいに家を出ればいいだろうかと思って、それまでの時間はまったりと過ごす。

 ニェネントに早めのごはんを出してあげて、「今日はちょっと遅くなるからね」とお留守番をお願いして家を出る。それで電車に乗るのだが、電車が亀有に着いたところで車内アナウンスがあり、代々木上原駅で車両から発煙があったので運転を取りやめるという。千代田線全線ストップ。あららら、今週二回目ですよ。ケータイでみても、運転再開は16時30分ぐらいになる予定とある。しかし今回は常磐線の快速は動いているらしい。まだ各駅停車も逆方向の下りは動いていたので、しばらくしてやって来た下り電車で松戸まで出て、そこから快速に乗り換えた。
 日暮里で山手線に乗り換え、渋谷に向かう。けっこう車内は混んでいて、座ることはできない。それで電車が池袋に近づいたとき、わたしの斜め前に座っていた若い男性が、わたしに「どうぞ」と席を譲ろうとされる。‥‥うわっ! びっくり。ついにわたしも、席を譲られる側になってしまった。生まれて初めてのことだ。ちょっとおどろいてしまったこともあり、「いや、だいじょうぶです」と断ったのだけれども、考えたらせっかくの親切、好意を無下にしてしまったようで、そんなことしてはいけないと思う。電車が池袋駅に着いてその男性が降りようとしたので、「どうもありがとう」とお礼を言った。けっきょく、彼が座っていた座席にわたしが座ったわけになったけれども。

 渋谷に着くともう時間は16時。美術館は18時で閉まってしまうので、あんまり時間はないな。とにかくもクリスマスっぽくにぎわう渋谷の街を通り抜け、ここは静かな松濤地区へ。美術館がどこにあるのかわからなくなったが、ケータイの位置情報の助けで、無事に迷わずに松濤美術館に到着した。

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 入場して、「ふむふむ」とキャプションを読みながら観ていたら、あっという間に時間が過ぎてしまい、ま、近代日本の作品はあんまり興味がなかったので高速で通り過ぎ、なんとか閉館までに観終え、図録を買って外に出た。

 ここから吉祥寺に行くには、渋谷駅に戻るよりも、近くに神泉駅がある。むかしはときどき利用した駅だったけれども、ものすごく久しぶりにその神泉駅へ、またケータイのお世話になって到着。このあたりの空気はなんだかまるでむかしと変わっていないような気がする。神泉といえば円山町のそばで、円山町というとわたしは今でもどうしても、「東電OL殺人事件」を思い出してしまう。好奇心からあたりをちょっと歩いてみたいとも思ったのだけれども、もう時間がないので駅に入り、電車を待つ。この駅のホームからも、時代を感じさせられる「トンネル」をみることができる。

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 井の頭線で吉祥寺に着き、何か軽く食べておこうと思ったのだが、そんな手軽な店を探しているうちに劇場の開場時間が近づき、けっきょくコンビニでサンドイッチとドリンクを買ってから劇場へ行く。開場を待って座席を確保し、それからロビーの椅子に座って買ったサンドイッチを食べた。食べているとわたしのとなりに女性が座られ、わたしと同じように、どこかで買われたらしいサンドイッチを食べ始められた。ちょっと、仲間意識みたいな。

 先に太宰作品を読んでいたせいか、この日の舞台はとても楽しく、終演後、バーのカウンターを模した舞台をあとにして外に出ても、なんだかどこかで「ちょっと一杯」やりたくなってしまった。残念ながら、この日の客席にはそんなことのできるようなわたしの知り合いは、誰もいなかった。「じゃあ、自宅駅の近くで何か食べながら、ちょっと飲みましょうか」と、帰路に着く。「今夜は、今まで行ったことのない、最近開店したウチの近くの<海鮮レストラン>へ行って、刺身でも食べながら飲みましょうか」と、店の前に行く。‥‥と、看板の照明が消えていて、「あれ? この時間でもう閉店?」という感じ。でも店の中は煌煌と明かるいのでエントランスへ行ってみると、店のクローズは23時、ラストオーダーは22時30分なのだった。今は22時35分。そうか、5分遅れたか、って、閉店時間早すぎないか? やはりココは「地方」なんだな。

 あきらめて帰宅して、このあいだ買ってあったインスタントの「エビ天うどん」をちゃっちゃっとつくって食べる。ちょっと寂しかったかな? 寝るときはまた、ニェネントくんとの濃密な交友。

 

[]「終わりのむこうへ:廃墟の美術史」@渋谷・松濤美術館 「終わりのむこうへ:廃墟の美術史」@渋谷・松濤美術館を含むブックマーク

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 近代、そして現代に描かれた「廃墟」。近代のヨーロッパ絵画に描かれた「廃墟」は現実に目の前にあった廃墟を描き、また、その廃墟を組み合わせて「この世にはない廃墟」をあらわしていたが、それが現代に近づくにつれて、「廃墟」は「ファンタジー」に密接してくる。そしてその表現は同時代的には「ディストピア」のリアルな表現になるか。

 もちろん、ピラネージとかの表現には惹かれるが、この展示で初めて知ったウジューヌ・イザベイの版画、そして現代の元田久治の作品がすばらしかった。特に、元田久治はわたしの今考えていた「終末」に近しい。

 簡略に書いたが、刺激的な展覧会だった。久しぶりに観る大岩オスカールの作品もあったが、今は彼は海外に活動の拠点を移しているようだ。


 

[]地点×空間現代「グッド・バイ」太宰治:原作 三浦基:演出 空間現代:音楽 @吉祥寺・吉祥寺シアター 地点×空間現代「グッド・バイ」太宰治:原作 三浦基:演出 空間現代:音楽 @吉祥寺・吉祥寺シアターを含むブックマーク

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 舞台は横長にバーのカウンター。カウンターの上にはさまざまなアルコールのボトルがずらりと。その上のスペースが、バンド「空間現代」の演奏スペース。

 男4人、女3人の演者がカウンター椅子に座る、またはカウンターの上にあがり、太宰作品からの引用をコラージュ、バンドのノリのいい音楽に合わせて朗唱(?)して行く。この舞台全体が、太宰を素材としたライヴという印象になる。この舞台のためにわざわざ「太宰」の晩年の作品を読んでいたことが役に立ち、自分の中に熟成された「太宰」像というものが、この舞台の上、バーのカウンターの前で「虚」をみせてくれる。
 ‥‥そう、太宰治とは、どこか「虚」というイメージがつきまとう。いつも「死にたい」といいながら、それでも「人非人でもいいぢゃないの、私たちは、生きてゐさへすればいいのよ」(ヴィヨンの妻)と、ぬけぬけと言ってしまう太宰。そういう、「何が<本気>なのかわからない」太宰の生が、軽妙なリズムに乗せて、いかにも「地点」らしい「原典を解体したコラージュ」として演じられる、パフォーマンスされる。実に楽しい舞台だ。

 もちろん、わたしの観た「地点」の最高傑作はチェーホフの「三人姉妹」だったが、この公演はそれ以来の<楽しさ>だったといえる。このディストピアな2018年の終わりに、こんな舞台を観ることが出来たのは<僥倖>というものだろう。もちろん、阿部聡子、石田大らはすばらしかったが、この日は小林洋平、黒澤あすかが印象に残った。まだ書きたいことはあるけれど、時間がないのでこのあたりで。


 

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