ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

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■ 2018-12-23(Sun)

[]「ジキル博士とハイド氏」ロバート・ルイス・スティーブンスン:著 夏来健次:訳 「ジキル博士とハイド氏」ロバート・ルイス・スティーブンスン:著 夏来健次:訳を含むブックマーク

 ナボコフの「講義」はまだ読んでいないわけだけれども、講義のために選んだ世界文学作品七作の中に、このスティーブンスンの「ジキル博士とハイド氏」を選んでいることには、ちょっとおどろく。他に選ばれたジョイスやフロベール、プルーストなどに比べ、スティーブンスンはあまりに<マイナー>ではないのか。どのようにナボコフが評価しているのか早く読んでみたいが、スティーブンスンといえば、ボルヘスもまたその作品で彼のことを書いているわけだし、あの中島敦もスティーブンスンの伝記的な作品を遺している。ナボコフも含め、これら<理知的>な作家を惹き付けるスティーブンスンの魅力とは何なのだろう。そんな興味もあって、スティーブンスンの代表作といってもいいだろう、この作品を読んでみた。

 言わずと知れたことだが、この作品は「二重人格」の代名詞ともされる作品であって、その先駆的意味合いは大きいだろう。そしてこの作品は<ミステリー>仕立てになっているわけで、絞られた少数の登場人物の中で、「真相はいかに?」という展開になっている。すでに冒頭の展開から、謎の「ハイド氏」という存在は極悪人とされているわけで、それをアタスンという弁護士が追う。アタスンの友人のジキル博士の行動はあまりに不自然で、どう見てもハイド氏をかくまっているようにしかみえない。アタスンが真相を追うというよりも、ジキル博士の方から崩れ落ちて行き、周囲に「どうなってるの?」という疑惑が拡がるという展開。それでジキル博士は不可解な情況で死去し、遺されたジキル博士の書いた二通の手紙で、すべての真相が明らかになるわけだ。

 ここには、メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」に似た、マッド・サイエンティストによって「生まれるべきでなかった」存在が生み出されてしまった、という構造が読み取れるのだけれども、「フランケンシュタイン」以上に、「怪物」を生み出した存在(ジキル博士)と、「怪物」(ハイド氏)との「陰」と「陽」との関係がはっきりしている。人には、表には出すことができない隠された<負>の性癖がある。その<負>の部分の制御が取れなくなるというのは、これは普遍的な<犯罪>の原理ではあり、社会的に認知された教養人としての<表>の顔の裏側に、犯罪者でしかない<裏>の顔を隠し持っていた、ということは今の世にも多くみられる<犯罪>のかたちではあろう。というか、<犯罪>とはすべて、このようなものだということもできるのだろう。だからこそ、この作品には<普遍的>価値が付与されているだろうか。

 作品としては、その遺されたジキル博士の手紙が示されたところで「スパッ!」と終わってしまうわけで、普通のミステリー小説であれば、この手紙のあとにそれを読んだ人物(この作品ではアタスン弁護士)が、それなりの感慨を述べたり、道徳的なことを語ったりするのだと思うが、そういうモラリスティックな展開はまるで排除されている。そういうことはすべて、この作品を読む読者にまかされているわけだ。そこにこそ、この作品が一般のミステリー作品になることから、いってみれば「純文学」の地位を守っているところのことかもしれない。

 この創元推理文庫版、残念なのは、巻末の「解説」がこの作品からの二次創作のことばかりを書き、肝心のこの作品自体への解説がまるでないことだろう。


 

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