ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2018-12-28(Fri) このエントリーを含むブックマーク

 ずっと、寝る前の短い時間に「ウンベルト・エーコの世界文明講義」を読んでいるのだけれども、これはとても面白い。この翻訳タイトルはちょっと過剰、過大な訳だと思うのだが、原題は「Sulle spalle dei giganti」というもので、これは翻訳サイトの助けを借りてみると、「巨人の肩の上」という意味で、この本の最初の章、「巨人の肩に乗って」とイコールなのだろう。この本は、「わたしたちが思考する縁(よすが)とするものの、その原理はどこから来るのか」ということを、博学なエーコらしい切り口で、<哲学>というほどにディープにならず、わかりやすく俯瞰してみせてくれるようだ。つまり、「わたしたちはどこから来たのか、そしてどこへ行くのか?」という普遍的な問いへの答えの、ひとつの道を示してくれているように思える。例えば、いったいなぜ、<ネトウヨ>といわれるような人たちの思考法は間違っているのか、そういうことへの解答があるというか。

 このことはすべて読み終えてからまた書きたいけれども、例えば先日、わたしのFacebookのページに、なぜかあの「日本国紀」を推薦する人のTLが表示された。わたしのリアルな友人にそんなことを書く人物はありえないのだが、どうも、音楽関係のグループに参加しているときに、そこのグループに参加している人から<友だちリクエスト>を受け、「知らない人だけれども、ま、いいか」と承認したようだ。それで、わたしのフィールドに「日本国紀」を賞賛するような記述があるのも気分悪いので、自分では意見を述べず、「日本国紀」の問題点を挙げたサイト記事をリンクさせたのだが、その人物から返答があり、「歴史の何が真実かなんて、タイムマシーンでも発明されなければ、分からない! それを承知で読んだ感想なだけです。」ということだった。
 ‥‥これはまさに、エーコのいう「巨人の肩に乗って」という視点を失った人の<考え>なのだろうか。わたしはよほどその人物に、エーコのこの本を推薦したかったのだけれども、その人が読むわけもないのでムダなことはやめた(その「巨人の肩に乗って」とはどういうことなのか、今は書く時間もないのですべて読了したあとに書けるかな?)。

 それで毎夜、ベッドに寝てこの本を読むのだけれども、この本を読みはじめるとかならず、ニェネントがベッドに跳び乗ってきて、「ねえねえ、かまってよ!」と来るものだから、「はいはい、わかったよ!」と本を脇に置き、ニェネントとの<交流>の時間になるものだから、なかなかに読み進められない。時には3〜4ページしか読み進められない夜もある(それでも半分は過ぎた)。

 それで今は、寝るときに図書館から借りているアバドの「グレの歌」(第一部)を、最近買ったラジカセ(という言い方でいいのか)で聴いているのだけれども、コレが<催眠効果>抜群というか、だいたい20分も聴いているうちに眠ってしまっているようだ。ほんとうはいつも、この第一部のさいごの「山鳩の歌」を聴きたいと思っているのだけれども、もう5日ぐらいは連続して、寝るときにこのCDを聴いているのだが、いちども「山鳩の歌」までたどり着いたことはない。わたしが何を言いたいかというと、「グレの歌」=「子守唄」論、だったりして。

 さて、ついに年内の仕事がすべて終わり、明日からは年始まで9連休になる。「休める」というより、「自分のやりたいことに専念出来る」という意味で、やはりうれしい。仕事を終えて帰宅して、「ニェネントくんのお出迎えがあるかな?」とドアを開けるのだが、ドアを開けてもそこにニェネントの姿はない。和室を見ると、ベッドの上でくつろいでいるニェネントがみえる。「お〜い、帰ったよ〜!」と声をかけるのだが、なんと、むこうを向いて寝そべっていたニェネントは、わたしの方を振り向くことさえしないのだった。ショック、である。
 ま、それでもわたしが昼食の準備とかしているうちにニェネントもベッドから降りてきて、わたしの近くでうろうろすることになるのだけれども。

 それで今日もまた、肝心の「作業」は何もやらなかった。明日以降に期待するしかない。ナボコフの「プニン」を読み終えたのだけれども、その感想は明日にでも書こう。


 

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