ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2011-12-02(Fri)

 きのうは真夜中に起き出してTVをつけ、まえから観たかった栗山千明主演の「秘密諜報員エリカ」をやっと観た。これはやたら面白かった。ゴーゴーユウバリ、ふたたびという感じ。これを観て興奮してしまったのか、そのあとなかなか寝付けない。ひるまずいぶんと寝てしまっているから、ムリもないところである。ふとんにもぐり込んでしばらくすると、ニェネントもまたふとんの上にとび上がってきて、ゴロゴロとのどをならす。毛布のはじをかじっておしゃぶりをはじめるのが、ふとんが押される感覚でつたわってくる。寝られなくて、ふとんから出て一服するとニェネントもふとんからおりてくる。なんとか寝ようとまたふとんのなかにもぐると、またニェネントがとび乗ってくる。わたしの上を乗りこえていくときにニェネントの重みが感じられる。わたしはまた起きる。そんなことをやっているうちに、ほとんど眠った記憶もないままに目覚しが鳴る。もうしごとに行くじかんも近い。

 外はさくや雨が降ったようで、道路がぬれている。天気予報では雪になるところもあるといっていたけれど、職場に行くと見える筑波山はうっすらと白くなっていた。ほんとうに雪が降ったんだとおどろく。

 十二月になって、いきなりしごとがべらぼうに忙しくなった。せんげつまでの暇さかげんが信じられない、何十倍も忙しい感じである。まったく休むヒマもなく、定時ギリギリまでみっちりはたらいた。これからしばらくはこういう日が続くことになるのだろう。

 帰宅してニェネントにネコメシを出してあげ、ベランダのベンナにも出してあげようと窓を開けると、ニェネントが寄ってきて外にいるベンナに興味をしめし、しきりに外に出たがるようすをみせる。まえにもいちど二匹を「ご対面」させているけれど、ニェネントがちょっとベンナにちょっかい出しても無視され、ニェネントもどうでもよくなったようだった。きょうはどうだろうかと、ニェネントをベランダに出してあげる。
 ニェネントはベンナにタッチしたりしてあいさつするけれど、ベンナは無視している。ニェネントがベンナのおしりにさわったとき、サッとベンナが振り向いて、ニェネントの顔面にネコパンチを連続五、六発お見舞いした。うわ、っと思ってみていたけれど、ニェネントはいがいとへいきな顔をしている。そんな遊びはわたしともやっているもんな。でもやはりニェネントは愛想の悪いベンナをかまうのはよして、ベランダの探索モードになってしまった。また外へ出てしまうとめんどいので、ニェネントを回収する。きょうのランデヴーはこれでおしまい。


  

[] 「ボー・ジェスト」(1939) ウィリアム・A・ウェルマン:監督  「ボー・ジェスト」(1939) ウィリアム・A・ウェルマン:監督 - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

 この原作は三度ばかし映画化されているらしいけど、これはその二番目の作品。ゲーリー・クーパーや若いレイ・ミランドなどが出演している。スーザン・ヘイワードもちょこっと。

 三度も映画にされるというのはそれだけ人気のある、面白いお話ということだろうけれど、イギリスの作家P・C・レンという人の原作の、その邦訳はげんざいでは出ていないようである。映画はミステリー仕立ての「誰が宝石を盗んだのか」という謎が十五年の歳月を経て北アフリカの外人部隊の砦内部に持ち込まれ、さらに砦をめぐるベルベル人との攻防戦という展開で、重層構造の物語はたしかに面白い。これは原作がそうなっているのかどうかわからないけれど、まずは砦での死体の発見から砦の火災という謎の導入部からはじまり、そこから過去にさかのぼる展開が、「謎」をひきずるかたちで興味をつなぐ。ただ、この脚本はバカていねいというか、ひとつのシークエンスごとが長すぎる印象がある。そのシークエンス内は時系列にしたがって、省略せずにぜんぶやっているみたいだけれども、もうちょっと刈り込んでテキパキと進行してもいいんじゃないかと。演出も律儀にそういう脚本にしたがってしまっている。ただ、このウィリアム・A・ウェルマンという監督の演出はそういう脚本でもみどころをきっちりとおさえて、画面をひきしまったものにしている。

 わたしはいぜんからこのゲーリー・クーパーという役者さんがいつも、無表情に見えて何を考えているのかわからないという印象を持っていたわけだけれども、この作品もまさに「何を考えているのかわからない」。そしてそのことがストーリー展開のなかで絶妙の効果になっている、という印象。


 

[] 「シノーラ」(1972) ジョン・スタージェス:監督  「シノーラ」(1972) ジョン・スタージェス:監督 - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

 クリント・イーストウッドの「マルパソ・プロダクション」製作。原作はエルモア・レナードで、監督はなんとジョン・スタージェス。撮影はなじみのブルース・サーティーズではある。音楽はラロ・シフリン。

 この1972年の段階で、クリント・イーストウッドはアメリカでは1968年の「奴らを高く吊るせ!」しか「西部劇」を製作していないわけで、この「シノーラ」の翌年にはイーストウッドみずから監督して、「荒野のストレンジャー」を撮っている。そうするとどうもこの作品、西部劇映画の大御所ジョン・スタージェスに監督を依頼することで、彼なりにアメリカ製の「純正西部劇」というものを勉強させていただいた、という側面があるように思えてしまう。ただし、イーストウッドにとって、イタリアのセルジオ・レオーネの演出スタイルはあまりに強烈だったのではないのか。ここで映画化の原作として選ばれたのが、ちょっとばかし「荒野の用心棒」テイストを持ったエルモア・レナードのアウトローものだった、というあたりにそういうイーストウッドのこだわりを感じてしまう。まさにこの作品の主人公のジョー・キッドという造型、「善」とも「悪」ともつかない存在だけれども、法にはしたがわないアウトローっぽい男になっている。それがジョン・スタージェスの演出ではどうなるのか、観客としての興味もそのあたりに落ち着くことになる。

 ‥‥スタージェス御大、この作品、投げちゃってますね。
 たぶん、スタージェス監督はもっと、善悪などのはっきりした二元論の成立するところでしか仕事できないんじゃないのかな。これはラストにイーストウッドが裁判所の裁判官の席にすわっていて「最後の一撃」をぶっぱなす、というあたりに如実にあらわれている感じだけれども、これは同時にまるでイーストウッドっぽくはない、またはセルジオ・レオーネのマカロニ・ウエスタンっぽくはない、ということになる。それでそれいがいの、イーストウッドの「ニュートラル」な行動というか、その心変わりからの行動を、フォローするような演出になっていない。ただただ、スタージェスらしい風景の雄大さ、いくらかは出てくる大仕掛けなアクションだけを、「おお、スタージェスだ!」と楽しめるぐらいのものだろう。これではイーストウッドも、あんまりお勉強にはならなかったんじゃないだろうか。


 

 

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