ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2011-12-09(Fri)

 きのうはTVで「ブラタモリ」をみたあと、そのまま起きていて続けて「秘密諜報員エリカさま」をみようと思ったのだけれども、そのじかんになってもいっこうに番組ははじまらない。あれっと思って調べると、この日はなんだかずいぶんと遅れて放映されることになっているらしい。まだ一時間半は待たなければいけないので、そんなことをしていると寝るじかんがなくなってしまう。とにかく四時には起きることにしているので、こんやみることはあきらめて寝ることにした。ちょっとムダなじかんをすごしてしまった。

 あさ起きてしごとへ。しごとはあいかわらずいそがしく、くたびれて帰宅。きょうは大した額ではないけれども待望のボーナスが振り込まれたので、さっそく引き出して買い物に出る。まずはリヴィングの蛍光灯を買い替えなくっちゃいけないのだけど、ホームセンターと線路の向こうのスーパーとでどちらが安いのか、くらべることから。これはターミナル駅にある大規模雑貨店がいちばん安いのはわかっているのだけれども、なかなかターミナル駅まで出かける機会がないのである。まずはホームセンターでついでにいっぱいネコ缶を買う。どうやらホームセンターよりはスーパーの方がちょっと安いようである。スーパーの方はもうちょっとでポイントカードのポイントが500点になり、500円の買い物が出来るようになる。そこでまずは蛍光灯以外のものを買ってポイントを500にして、それからそのポイントを使って蛍光灯を買うことにした。それで、このごろベンナもいるせいで減り方のはげしいネコメシを買い、そのほかのあれこれを買ってポイントを500にした。いちど帰宅して、あとで蛍光灯を買いに行こうと思っていたけれど、そのままになってしまった。というのも、きのう寝不足だったせいもあって、ヴィデオを一本観たあとで長いお昼寝モードになってしまったわけである。目が覚めると窓の外はもうまっくらになっていて、部屋のなかも寒い。おそい夕食を食べ、ふとんにもぐって寝てしまった。

 読んでいる、神谷美恵子の「生きがいについて」のことで。
 第二章の「生きがいを感じる心」に、認識としての生きがい感を問う四つの問いが書かれている。以下の通りである。

一 自分の生存は何かのため、またはだれかのために必要であるか。
二 自分固有の生きて行く目標は何か。あるとすれば、それに忠実に生きているか。
三 以上あるいはその他から判断して自分は生きている資格があるか。
四 一般に人生というものは生きるに値するものであるか。

 ‥‥じつはわたしは、この四つの設問のいずれにも「否」という答えしか見つけられない。まあ「二」だけはその前半の設問は微妙だけれども、「それに忠実に生きているか」ときかれちゃうと、そりゃあ「否」である。でも、すべての問いに「否」と答えるからといって、わたしは絶望して生きているわけではない。そこに、この本に興味をもってしまうわたしがあると思うのである。「人生は生きるに値するものではない、だからこそ希望をもって生きることが出来るのである」と思う気もちの、その裏づけがこの「生きがいについて」という本のなかにあるんじゃないのか、そういう気もちなのである。


  

[] 「ワイオミング」(1980) リチャード・ラング:監督  「ワイオミング」(1980) リチャード・ラング:監督 - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

 さいきん洋画系のチャンネルで放映されている西部劇では、劇中であきらかに俳優が「Indian」といっていても、字幕では「先住民」と修正されている。「インディアン」というのはいっしゅの差別用語として、NGワードあつかいされているようだけれども、この映画の字幕ではひさしぶりに「インディアン」という文字がバンバン登場した。っつうのもこの映画自体が、そんな先住民への差別意識満載の映画なもんで、映画のなかでインディアンをバカあつかいしてるのに、字幕だけ気をつかって「先住民」なんて書いてみてもおかしなことになってしまうからだろう。ある意味で正しい選択ではないかと思う。

 しっかしこの映画、舞台は雪も降るアメリカ北西部のワイオミング(「ララミー牧場」はワイオミングが舞台だったけれども)に移しているし、時代もずっと下って、主人公は西部開拓者でもガンマンでもなく、ビーバーを狩るハンターである。主演のヒゲ面のチャールトン・ヘストンもそんなに若くはないし、西部劇としてもそうとうに遅い時期の作品、ひょっとしたら70年代にもなっちゃったころの作品じゃないのかな、などと思って観ていたら、なんとなんと1980年製作の映画ということがわかり、おどろいてしまった。もう「スター・ウォーズ」も公開されてしまっているし、西部劇ということで考えても、「西部劇、終わりだよね」というようなペキンパーの「ケーブル・ホーグのバラード」や、西部開拓時代に先住民が被害者であったことを描いた<西部劇>、「小さな巨人」や「ソルジャーブルー」などが公開されたのも1970年のこと。その「西部劇の終焉」の時代を経てこの作品かよ、というのは、ちょっとした驚きである。おそらく製作者は十年も経てばもう時効で、また観客はインディアンが悪玉であるところのかつての西部劇をなつかしむようになっているだろうと思ったのかもしれない。レーガン大統領登場前夜のアメリカの、アメリカン・スピリットをふたたび、という空気を反映させようとしたのかもしれない。主演が全米ライフル協会会長のチャールトン・ヘストンだというのもポイントだろう。もちろん、ここでヘストンが武器とするのは「ライフル」である。

 映画としてみても、たらたらとした展開で面白いものではない。クライマックスは激流に流されてのヘストンとインディアンとの対決なのかもしれないけれど、ただ激流に流されているだけだから主役は人間ではない。

 ワイオミング州という場所を調べると、たとえば野牛(バッファロー)の殺戮や先住民のリザヴェ—ション追い込みなど、地政的に興味深い地域であることがわかる。そのなかで、まさにはからずしてそのような地政ポイントをあらわにしてしまっているこの脚本、勉強になるものである。

 そう、この映画の音楽はなぜかミシェル・ルグランが担当していて、まったく彼らしくもない、ディミトリ・ティオムキンばりの壮大で勇壮なスコアを聴かせてくれるもまた、なんだかおかしいのである。



 

 

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