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■ 2011-12-11(Sun)

 きょうもあさから鼻水ズルズルで調子がわるいのだけれども、のどに痛みとか違和感がないので、いままでのこういう体験からしても、はやく回復するんじゃないかと思っている。きょうもしごとは休みなので助かった。しかし発情期のニェネントがうるさい。鼻をかむのにトイレットペーパーを一ロール、手もとにおいていたら、ちょっとしたスキにトイレットペーパーに爪をかけ、ぼろぼろにしてしまった。あたりいちめん、やぶれたトイレットペーパーでまっ白になった。冬景色である。
 わたしがベランダの窓をあけると、ベンナがどこからか飛んでくるように近寄ってくる。しかしわたしにはまだ「シャーッ!」と威嚇するのをやめない。「おまえのことはきらいだ。だけどちゃんと毎日ネコメシは出してほしい」と、ムシのいいヤツである。きょうもベランダに小鉄が来ているのがみえた。小鉄もどうやら、わたしのことがきらいのようである。

 きのう録画しっぱなしの古いヴィデオテープをチェックしていて、カール・ドライヤーの「奇跡」などが録画されているのをみつけてびっくりしたんだけれども、けさになってまちがえてそのテープに上書き録画してしまった。あとで気がついて、ものすごいショックだった。けさのはべつにムリして録画するほどのものでもなかったのに。

 このあいだ、賞味期限まぢかのビーフシチューのルーが激安で売られていたのを買っていたので、きょうはスーパーで安い牛肉を買って、またビーフシチューをつくることにした。買った牛肉のパックをあけるとみょうにすじっぽいので、よくみると「牛スジ肉」と書いてあった。安いはずである。またショックである。まあいいやと、肉だけはすこしじかんをかけて炒め、酒でしばらく煮込むようにして、予定通りシチューにする。せんじつはもともと安い値段のシチュールーでビーフシチューをつくったんだけれども、やはりもとがいいと味がぜんぜんちがう。たとえスジ肉だろうが食がすすむ。味がいいと量が少なくてもごはんがすすむので、つまり経済的ということになる。カレーのルーなどはそんなに極端な味の差もないと思うけれど、ビーフシチューなどはものすごいギャップがある。これからはちょっといいのを買おうと思う。ホワイトシチューはルーを買うよりも金をかけないで自分でつくれるけれど、ビーフばかりは、いちから自分でぜんぶつくるとものすごい金がかかる。カレーもおなじである。

 

  

[] 「太陽の果てに青春を」(1970) トニー・リチャードソン:監督  「太陽の果てに青春を」(1970) トニー・リチャードソン:監督 - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

 わけのわからない邦題だけれども、19世紀後期にオーストラリアで活動した「義賊」ネッド・ケリーの伝記映画である。だから原題はシンプルに「Ned Kelly」。のちにソフト化されたときには「ミック・ジャガー/ネッド・ケリー」というタイトルになったようである。だから主演はミック・ジャガーで、たしかこの映画が映画初出演(まあそんなにたくさん映画出演しているわけではないが)だったと思うけど、この撮影中に、ミックを追ってオーストラリアに渡っていた当時のミックの愛人マリアンヌ・フェイスフルが、ホテルでドラッグのオーヴァードゥースで意識不明におちいり、緊急搬送されたりして大スキャンダルになったりしたわけである(ほんとうはマリアンヌもこの映画に、ミックの愛人役で出演するはずだったらしい)。しかし映画そのものの方はまったく評判にならなかった。ミックは映画公開のあとに、この映画を「クズ」と呼んでいる。「ほかにすることがなかったからやったまでで、映画がクズかどうかなんて、出来てみなくちゃわからないものだ」と。いっぽうの監督のトニー・リチャードソンも、「生まれてくるまえに死んでいた映画だった」みたいなことをいっている。そんな映画である。

 ‥‥観た感じでは、監督のトニー・リチャードソンの、こじんまりしてしまったような演出にももんだいはあるかもしれないけれど、とにかくミックの演技、その見てくれはひどい。馬に乗ってすすむ場面ではおっかなびっくりなのがみえみえだし、馬から降りるときもへっぴり腰、なさけない限りである。そもそも気弱そうなその表情が全オーストラリアを震撼させたなんてとても思えないし、ひょろひょろしたからだは、銃を撃った反動だけで二、三メートルはうしろにふっ飛んでしまいそうである。ヒゲもまるで似合わない。トニー・リチャードソンもミックの反逆児的イメージがネッド・ケリーにぴったりと思ったのだろうけれど、ステージでのパフォーマンスと大自然のなかでの演技とは別モノだった、というところだろうか。とにかくは、ミック・ジャガーよりはネッド・ケリーの方がよほど「大物」だろう、というあたりが証明されたのではないだろうか。

 そのネッド・ケリーという人物のことを調べると、これがとっても興味深いというか、彼にくらべるとアメリカのビリー・ザ・キッドだとかジェシー・ジェイムズなんかホンのチンピラだよな、って感じになる。この映画でも「共和国を!」といっているように、革命家としての相貌を感じさせる存在である。アイルランド出自の島おくり罪人、その子孫の人権を主張した存在であるところから、まさに「大英帝国」を相手にした反逆児というイメージではある。ちょっとジョン・デリンジャーを思わせるところもある。

 もちろん1970年という製作年度からも、監督のトニー・リチャードソンが「アメリカン・ニューシネマ」的なものを意識していたことはまちがいない。しかしここではそういうネッド・ケリーの内面に近づくことも出来ず、ただ上っ面だけ彼の活動(犯罪)歴をたどっているだけのように見えてしまう。もちろんここに、ミックという役者にそこまで要求できなかったということもあっただろう。

 まさに「アメリカン・ニューシネマ」的なものをめざしてか、全編にわたってカントリー風の唄がフィーチャーされる。この唄を書いたのはあの「おおきな木」のシェル・シルヴァースタインで、唄っているのはウェイロン・ジェニングスである。わたしはこのあたりも気に入らない。なぜここでアメリカ的なカントリー・ミュージックがフィーチャーされるのか、もっとオーストラリア独自の音世界を見つけられなかったのか、もっとアイルランド風味をきかせてもよかったんじゃないかということになる。

 この、「アイルランド風味」ということに関しては、ちょっとばかしこの映画で楽しむことができる。いや、あるいみで、この映画で楽しめるのは、そのアイルランドの伝承歌が二曲、映画のなかで唄われているところだけ、ということにもなる。

 まずひとつは、映画の冒頭、刑務所から出所したネッドが居酒屋で友人たちと祝杯だかをあげているときに、そのバックで女性がアイルランドの伝承歌「She Moved Through The Fair」を唄っているシーンである。これはアイルランドの歌曲のなかでもとりわけ美しいメロディを持つ曲で、初期のFairport Convention もこの曲を取り上げているけれど、いろんなミュージシャンがこの曲をレコーディングしている。そう、映画でいえば、アイルランド出身の監督であるニール・ジョーダンがアイルランドの英雄を描いた作品、「マイケル・コリンズ」のなかで、主人公のマイケルが車でアイルランドの草原を走る印象的な俯瞰映像のバックに、Sinead O'Connor のすばらしい歌唱による「She Moved Through The Fair」を聴くことができるはずである。そして、皮肉にもというか、Marianne Faithfull もまた、ずっとのちにこの曲をレコーディングしている。この映画のなかでのこの女性ヴォーカルもまたすばらしいもので、映画のさいごのテロップでちゃんとその歌手の名まえも読むことができた。これはGlen Tomasetti というオーストラリアの歌手のようで、オーストラリアでPete Seeger のような活動をされていたフォーク・シンガーだったらしい。まあ曲の良さもあるのだけれども、この映画で流される彼女の歌声を聴くかぎり、もうすこし彼女の歌声を聴いてみたくなったりしてしまう。

 もう一曲、この映画で聴かれる伝承歌は、ミック・ジャガーによって唄われる「Wild Colonial Boy」である。この曲もアイルランドのもので、ジョン・フォードの「静かなる男」のなかで、皆がこの曲を大声で合唱する場面がでてくる。この曲はタイトルからして「Colonial Boy」なわけで、どうもアイルランドからオーストラリアに移民したひとたちによって唄われ、それがアイルランドにまた戻って唄われるようになったものらしい。「静かなる男」で聴かれるアイルランドのヴァージョンと、この映画で聴かれるオーストラリアのヴァージョンとではずいぶんとちがうという印象もあるけれど、まあこの歌曲の精神からいえば、もっとおおらかに、勇壮に唄ってほしいところではある。

 そういうわけで、この映画のテーマにぴったりなアイルランドからオーストラリアに渡った音楽というのはそれなりにあるのだから、もうちょっとこのあたりの音をフィーチャーして、ここではあまり根拠もなく使われている印象のカントリー音楽と、さしかえていただきたかったものだと思うわけである。


 

[] 「狂ったバカンス」(1962) ルチアーノ・サルチェ:監督  「狂ったバカンス」(1962) ルチアーノ・サルチェ:監督 - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

 ちょっと自身過剰ぎみの中年にさしかかった男(ウーゴ・トニャッツィ)が、ドライヴのとちゅうで遭遇したバカンスへ向かう若者の集団とすったもんだがあり、けっきょく彼らのバンガローまで行ってしまう。その若者たちのなかの、男とは親子ほどとしのちがうフランチェスカ(カトリーヌ・スパーク)に男はほんろうされ、そんな彼女にホレてしまうのであった。

 いかにもイタリアらしいライトな感覚のコメディで、男が若い女性にほんろうされるとはいっても、それで破滅するわけでも、立ち直れないほどにボロボロになってしまうわけでもなく、ホロ苦い夏の想い出よ、ぐらいのものである。タイトルからはすごい乱痴気/乱交パーティーとか想像してしまうけれど、それほどのものではない。若者たちもつまりはこのバカンスの期間だけ青春を謳歌しているというか、バカンスのあとの試験のことなんかを心配はしていたりする。1962年ごろは、みんなおとなしかったのね、なんていう感想にもなる。このくらいのことについていけないオヤジというのも、かわいいものである。この映画を叩き台にすれば、もっといろんな、エグいヴァージョンがうみだせそうな気もする。

 女の子を演じるカトリーヌ・スパーク、このころは日本でもすっごい人気があったけれど、たしかにかわいい女優さんである。さいしょの登場から、出てくるたびにちょっとずつ露出度合いが進行していくけれど、それでもたいしたことないあたりで落ち着いてしまう。ざんねんである。

 音楽がエンニオ・モリコーネで、どうやらこの作品がデビュー作らしい。



 

 

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