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■ 2011-12-31(Sat)

 おおみそか。しごとは非番で休みだけれども、あしたの元日にはもう、年末年始も関係なく、さっそくしごとである。ここのローカル線はおおみそかの終夜運転をやっているわけでもなく、遅くにどこかへ出かけて、しごとに間に合うように電車で帰ってくることもできない。なにをするでもなく家でいちにちをすごすことになる。午前中はきのうの日記を書き、ひるにはそばをつくって食べる。そのあとはまた、一時間ぐらい昼寝をする。

 年末年始ぐらいはふだん食べないおいしいものを食べたくなって、スーパーにことしさいごの買い物に行く。それほど「食べたい」と思うものもなく、チーズケーキとおつまみなどを買っただけ。スーパーを出たところでつとめ先の方に出くわし、しごとのことなど立ち話をする。きっと、これがこの年さいごの、ひととの会話になるんだろうなあ、などと思いながら、「よいお年を」などとあいさつしてお別れする。

 二、三日まえに放映されていた「AVO Sessions」というイヴェントでの、Joe Jackson と、Ray Davies のライヴを観た。Joe Jackson も、けっきょくは「Night and Day」のあたりのサウンドに舞い戻っているように思えた。わたしには、趣味の良さと趣味の悪さがひとりのミュージシャンのなかで共存しているのが、Joe Jackson というひとのように思える。Ray Davies はいきなり「Autumn Almanac」というマイナーなところから始まり、観客にコーラスを求める。「ノリが悪いな」みたいなこというけど、そりゃあ一般の聴衆は「Autumn Almanac」は知らんだろう。そのあとも「Dedicated Follower of Fashion」とか。わたしゃうれしいけれど、聴衆に唄わせるのはムリっぽい。このあたりまではアンプラグドという感じで、リズムセクションが入ってからは「Celluroid Heroes」とか「Till The End of The Day」とかいう、涙がこぼれそうな選曲。ちょうど観ていてAlex Chilton がむかし「Till The End of The Day」をカヴァーしていたなあ、などと思い出して、「Till The End of The Day」をやってくれるといいのになあ、などと思っていたらやってくれた。なんだか、うれしかった。どうやらKinks はもう自然消滅してしまったようで、ここではキーボードだけがKinks のかつてのメンバーで、ギターはBill Shanley というアイルランドの人。さいきんのRay Davies はこのひとといつもいっしょにやっているようだ。さいごに「Lola」もやってくれて、うれしいライヴ映像だった。

 このあとヴィデオをいくつか観て、夕食にはきのうの残りの鍋を食べ、ニェネントとちょっと遊んでからベッドに入る。あんまり眠くもないのでベッドから出て、TVをつけて「紅白歌合戦」をみたりする。ちょうど審査員として松井冬子がコメントしていたのでおどろいた。すっごいすべったコメントだったのも(わたしはなぜか)おどろいた。Lady Gaga のパフォーマンスをみたりしてから、あとは面白くもないようだったので、寝る。

 

 

[]「現代インチキ物語 騙し屋」(1964) 増村安造:監督 「現代インチキ物語 騙し屋」(1964)  増村安造:監督 - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

 ほとんどストーリー展開もなく、さまざまな詐欺、だましのテクニックをいくつもいくつもみせていく、詐欺手口集みたいな作品(なかに「半七捕物帳」で読んだようなネタもあった)。その場その場のカメラワークの多彩さも楽しめるし、どこまでも堂々とひとをだましていく曾我廼家明蝶、伊藤雄之助、船越英二らの怪演に溜飲を下げる。年末にふさわしい作品、だったかも。


 

[]「じゃじゃ馬ならし」(1967) フランコ・ゼフィレッリ:監督 「じゃじゃ馬ならし」(1967)  フランコ・ゼフィレッリ:監督 - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

 ちょっとまえに観た「ロミオとジュリエット」の前年にゼフィレッリが監督した、やはりシェイクスピアもの。カタリーナをエリザベス・テイラー、ペトルーキオをリチャード・バートンと、主役を当時もっともセレブだった夫婦で演じている。

 この「じゃじゃ馬ならし」の舞台ヴィデオは以前観たことがあるけれど、この映画版を観ると「え!こんなにつまらない劇だったっけ?」ってな感じになる。これはまあゼフィレッリ監督のせい、ともいえるけれど、つまりはどうも、あまりに主役のふたりにスポットをあてすぎてしまっている印象になる。わたしが観た舞台版ではもっともっと、妹のビアンカとの結婚を望む男たちの争奪戦の展開が楽しくて、これとカタリーナとペトルーキオとの結婚とが並列されることにこそ、この劇全体の楽しさがあったように思う。残念だった。
 あとはまさに「舞台空間」と「映画空間」とのちがい、というか、そもそもが舞台で上演されるために書かれた原作はその舞台空間のなかで最高の効果を発揮するように書かれているわけで、おなじ監督の「ロミオとジュリエット」を観たときにも感じたことだけれども、そういう原作を舞台空間から解き放つということに、ほとんど成功していない(納屋でのカタリーナとペトルーキオの追いかけっこはよかったけれど)。


 

[]「六つの心」(2006) アラン・レネ:監督 「六つの心」(2006)  アラン・レネ:監督 - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

 このあいだ買ったDVDを、ことしさいごに観る作品に選んだ。このDVDのパッケージにも「ハートウォーミングドラマ」と書いてあるし、わたしも前回この作品を観たときに「ハリウッド製のハートウォーミングなラヴコメに近似している」などと書いたのだけれども、こうやって観なおしてみると、「どこがハートウォーミングやねん」などという感想になる。ものすごくシヴィア、というか、ひたすらこころが痛くなる作品だと思った。みながじぶんのなかに「地獄」をかかえていて、それを克服するではなく、ただそれぞれの「地獄」をみつめることに終わるラスト。この「地獄」を「孤独」といいかえてもいいのだろうけれども、つまり、そういう「孤独地獄」ということがより切々と感じられるようになってしまった、この2011年、ということなのだろうか。

 さいごにわたしのことを書いて、わたしは別に他者に何かを期待するわけでもないし、ひとりで生活する方がわたしには性格的にあっていると思っている。他者の「孤独地獄」などということは理解できても、わたしはあまりそういうことでどうこう、という考えはない。ひとを愛するようなことがあっても「共に生きよう」という思いもない、そのていどのものだし(「薄情」といわれたことがあるけれども、その通りなのだろうと思う)、死ぬときはひとりでいいじゃないかと思っている。不十分ではあるけれどもやることはやったし、「I'm not like everybody else」という自尊心も「わたしならまあこんなとこだろう」ていどには満足させている(これ以上はわたしのキャラではムリだな、と思ったわけである)。思い残すことがないというわけではなく、これからのいまの生活でやりとげてみたいこともある。もちろんこの生活は模範的な生活にはほど遠く、そういうことで批判されることもあるだろう。しかたがないとも思う。まあ「枯れちゃってる」のかもしれないけれども、こうやっていま生きていることへのうっぷんも屈折もない。もちろん、そう思うことのなかに「屈折」がひそんでいるのかもしれないけれど、そういう「屈折」なら、どのような生き方を選んでもついてまわるものだろう。ただ、いまやりとげたいと考えていることを、やりとげるちから(とじかん)はほしい。そんなことを、このDVDを観終わって考えていた。

 さいしょに「六つの心」を観たときの感想はこちらに(このとき、「登場する六人の一人はその声と足でしか登場しない」などと書いているけれど、人数をひとりカウントしそこなっている。七人登場して、そのうちのひとりが声と足だけ、なのである)。



 

[]二○一一年十二月のおさらい 二○一一年十二月のおさらい - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

映画:
●「風にそよぐ草」アラン・レネ:監督

読書:
●「日本美術の再検討」矢代幸雄:著
●「谷崎潤一郎伝 堂々たる人生」小谷野敦:著
●「猫とあほんだら」町田康:著

DVD/ヴィデオ:
●「ボー・ジェスト」(1939) ウィリアム・A・ウェルマン:監督
●「飾窓の女」(1944) フリッツ・ラング:監督
●「白い恐怖」(1945) アルフレッド・ヒッチコック:監督
●「キー・ラーゴ」(1948) ジョン・ヒューストン:監督
●「ジャイアンツ」(1956) ジョージ・スティーヴンス:監督
●「狂ったバカンス」(1962) ルチアーノ・サルチェ:監督
●「おかしなおかしなおかしな世界」(1963) スタンリー・クレイマー:監督
●「アメリカ上陸作戦」(1966) ノーマン・ジュイソン:監督
●「じゃじゃ馬ならし」(1967) フランコ・ゼフィレッリ:監督
●「奴らを高く吊るせ!」(1968) テッド・ポスト:監督
●「ロミオとジュリエット」(1968) フランコ・ゼフィレッリ:監督
●「仁義」ジャン・ピエール・メルヴィル:監督
●「太陽の果てに青春を」(1970) トニー・リチャードソン:監督
●「シノーラ」(1972) ジョン・スタージェス:監督
●「マリア・ブラウンの結婚」(1979) ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー:監督
●「ワイオミング」(1980) リチャード・ラング:監督
●「友よ、風に抱かれて」(1987) フランシス・フォード・コッポラ:監督
●「ヒート」(1995) マイケル・マン:監督
●「六つの心」(2006) アラン・レネ:監督
●「アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生」(2007) バーバラ・リーボヴィッツ:監督
●「ボーダー」(2008) ジョン・アヴネット:監督
●「安城家の舞踏会」(1947) 吉村公三郎:監督
●「原爆の子」(1952) 新藤兼人:脚本・監督
●「荷車の歌」(1959) 山本薩夫:監督
●「第五福竜丸」(1959) 新藤兼人:脚本・監督
●「人間の條件 第一部 純愛篇」(1959) 小林正樹:監督
●「人間の條件 第二部 激怒篇」(1959) 小林正樹:監督
●「人間の條件 第三部 望郷篇」(1959) 小林正樹:監督
●「人間の條件 第四部 戦雲篇」(1959) 小林正樹:監督
●「不知火檢校」(1960) 森一生:監督
●「人間の條件 第五部 死の脱出篇」(1961) 小林正樹:監督
●「人間の條件 第六部 曠野の彷徨篇」(1961) 小林正樹:監督
●「続・悪名」(1961) 田中徳三:監督
●「鬼婆」(1964) 新藤兼人:美術・脚本・監督
●「現代インチキ物語 騙し屋」(1964) 増村安造:監督
●「大魔神」(1966) 安田公義:著
●「竹山ひとり旅」(1977) 新藤兼人:脚本・監督
●「落葉樹」(1986) 新藤兼人:原作・脚本・監督
●「blue」(2001) 安藤尋:監督
●「座頭市」(2003) 北野武:監督
●「白夜行」(2011) 深川栄洋:監督


 

[]二〇一一年のおさらい 二〇一一年のおさらい - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

●舞台関係:19(演劇っぽいもの15、ダンス4)
 いよいよ、ダンス関係を観ることの少なくなってしまった一年。演劇もあたらしいものへの興味が薄れたっつうか、ふるつわものばかし、である。

●美術展:12
 印象に残ったのは小谷元彦さんのだとか、シュルレアリスム展だとか。

●映画:40(新作ロードショー19、回顧上映などの旧作21)
 いまになって思い返せば、ウインターボトム監督の「キラー・インサイド・ミー」のことが印象に残っている。あとはやっぱグラウベル・ローシャ、であった。

●読書:64(うち上・下巻を一冊ずつで数えたものが5)
 なんだかんだいっても、ことしも50冊台はキープしたということで、このところずっとこのくらいの読書量がつづいている気がする。ことしはそりゃあピンチョンの「逆光」である。らいねんはこんどこそあれこれと自宅本をかたづけたい。

●DVD、ヴィデオ:270
 印象に残るのは、照明の佐野武治というひとの仕事。作品では、はじめて観たヴィスコンティの「山猫」、あたり。

 せんじつ、寒くなったのでオーヴァーを出して着たら、ポケットに三月九日付けのレシートが入っていた。ああ、十一日よりもまえの世界だ、などと思ってしまった。なにもかもがちがう世界だったような気がする。そういう、あまりに大きな断裂のある一年、だった。あたらしい年にはそういう断裂を埋めるのではなく、もっとそれをはっきりさせてみたい、という欲求がある。



 

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