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■ 2012-01-15(Sun)

 きのう出かけそこねたので、きょうこそはと昼まえに家を出る。六本木の森美術館へ「歌川国芳展」を観に行くつもり。ニェネントはお留守番である。

 さきに古本チェーン店に寄り道し、あれこれと物色する。なんと池澤夏樹編集「世界文学全集」の、ボフミル・フラバル作「わたしは英国王に給仕した」が105円コーナーに転がっていた。もちろん超美本である。これでよろこんでしまって、「おなじ105円の本をあと一冊買えば、5円玉をふやさずにすむ」と、さらになにかないかと探す。わたしは5円玉というのがきらいで、サイフのなかにこれが二個以上はいっているとそれだけで気分が重くなる。一枚でも愉快ではない。もちろん、こういう性癖も貧乏性のひとつのあらわれである。金がたまるわけがない(「福澤諭吉」は好きで、サイフのなかに何枚あってもかまわないのだけれども、ほとんどサイフのなかにおさまっていることはない)。
 棚をみてまわって、とうに絶版になっている金井美恵子の「タマや」の文庫をみつけ、あわせて買ってバッグのなかにしまう。バッグのなかには読みさしの「天使の手のなかで」と、気分が変わったときに読むつもりで神谷美恵子の「生きがいについて」もはいっている。すべて、このチェーン店で105円で買った本ばかりである。

 その「天使の手のなかで」を読みながら、電車に乗って恵比寿まで。ここからメトロに乗り換えて六本木。展覧会の感想は下に。森美術館の次回展はイー・ブル(いまは「イ・ブル」という表記になっているみたい)のワンマン・エキシビジションみたい。また来なくっては。

 外に出て、「そういえば手もとに図書カードがあるんだった」と思い出し、本屋(ABC)に行って、あれこれみてまわる。「ほしい本はいっぱいあるけれども、買ってもすぐに読みそうもないなあ」とか思っている。柄谷行人の「トランスクリティーク」の文庫版をみつけ、「これならすぐに読みたくなりそうだ」と、これを買う。図書カードはいっしゅんに消えてしまった。

 ちょっと早めに帰路につく。駅を降りてスーパーに寄り、安くなっていた刺身などを買って、晩ご飯のおかずにするつもり。帰宅してドアを開け、リヴィングにはいると、なんと、また床に水があふれていた。いったいどうしてこんな事態になったのか、まったくわからない。出かけるまえには異常はなかったし、そのとき大量に水を使ったというわけでもない。上の階からの排水が逆流してきたということなんだろうか。わからない。とにかく床の水をふきとって、ちょっと水道を使ってようすをみたけれど、水があふれたりの現象は起きたりはしない。寝たあともトイレに起きたときリヴィングをチェックするけれど、水があふれたりはしていなかった。とにかく、はやく修繕しなければ。
 そう、食事をしながらTVのあたらしい大河ドラマをちょっと見てみたけれど、ちっともおもしろそうじゃなかった。というか、まるで見る気が起きなくなるような絵がつづいていた。

 

 

[]「没後150年 歌川国芳展 幕末の奇才浮世絵師」@六本木・森アーツセンターギャラリー 「没後150年 歌川国芳展 幕末の奇才浮世絵師」@六本木・森アーツセンターギャラリー - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

 ‥‥チケット売り場に足を踏み入れて、「ええ〜!」っとおどろく。とにかく人の行列。チケットを買うのに20分待ち、という表示も出ている。まあわたしは招待券を持っているのでチケットを買う行列に並ぶひつようはなかったけれど、そうか、きょうは日曜日なのであった。やっぱ平日にすればよかったなあ、などと後悔しながらエレヴェーターに乗る。もちろんギャラリー内もおそろしい人混みで、作品自体が大きいわけでもないから、一点の作品のまえに、近接してたくさんの人たちが顔をよせ合うようにして作品を観ている。とくに順路からしてさいしょの部分にはうしろに二十人ぐらいの人が並んでいて、作品を観ている人が先に進むのを待っている。「こりゃちゃんと観るのはムリだな」と思って、順番は気にしないで空いていそうなところのうしろについて作品を観ることにした。さきに行けばそれほど混んでいるわけでもなく、なんとか至近距離で作品を観ることもできた。わたしの場合視力のもんだいがあって、メガネをかけていても中途半端な距離からだと細部はまるで見えはしない。どうしても最前列で観ないと、こういう版画作品なんかはさっぱりダメである。なんとか、展示作品の三分の二ぐらいは最前列で観ることができただろうか。

 しかし、混んでいれば混んでいるでおもしろいこともあって、観ている人たちが作品のまえであれこれとおしゃべりをしているその内容を、盗み聞きして楽しむことができるのである。とくに最初のセクションの「武者絵」や、次の「説話」のところなど、わたしの日本史の知識にはこころもとないところがあって、観ていてもよくわからないところもある。それを、ほかのお客さんが解説してくれるという感じである。ちょうどそういう部分を観ていたとき、わたしのそばにそういう日本史にくわしそうなふたり連れの方がいて、ふたりであれこれとしゃべっておられる。これで作品を観る楽しみがずっと大きくなった。感謝である。まあわたしなども人といっしょに展覧会を観に行くと「ほかの人に迷惑かも」というくらいにおしゃべりしてしまうクチだけれども、人のおしゃべりをきいているのも楽しい。映画のオーディオ・コメンタリーみたいな感覚で、かしこまった「作品解説」ではない、もっとくだけたトークがあってもいいように思った。

 さて、その作品のことをまるで書いていないけれど、やはり目を惹かれるのは「武者絵」と「説話」の部分。この、ほとんど空間恐怖症みたいにギッシリと何かしら画面を描き埋めて行くというのが、ものすごく面白い。ほとんどオーヴァーオールの、抽象表現主義かよ、という感覚である。画面を縦横に走る稲妻の線など、ほとんどトゥーマッチ、やりすぎだよという感じなのだけれども、国芳の良さはそこにある。ほんとうは国芳には血みどろの残虐絵も多数あるはずなのだけれども、そういうものがほとんど展示されていなかったのはちと残念。あとはもちろん猫の絵が楽しいのだけれども、意外とこの人、魚もまた図鑑なみに正確に描いているようで、まあ江戸の文化というのは魚と猫の文化だねえというか。そう、わたしは「セミクジラ」という鯨の種類の名称が、なぜ「セミ」なのか、どこが蝉に似ているのかと、わからないでいたのだけれども、これは「背美鯨」なのだ、ということをはじめて知った。

 前期と後期ではほとんどの作品が入れ替えて展示されるらしい。もういちど、平日にゆっくりと観に来たい。



 

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