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■ 2018-07-15(Sun)

[]「POP HEADS! 的 多目的室 ver.3」M Aria Abe:ディレクション @中野・桃園区民活動センター 「POP HEADS! 的 多目的室 ver.3」M Aria Abe:ディレクション @中野・桃園区民活動センター - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

 いろんなダンサー/パフォーマー(6人だったか、7人だったか?)が交互に、いかにもアングラ空気にあふれたパフォーマンスをみせてくれ、ノイジーな音と共に「ここよりほかの場所」というか、「どこかにあるはずの」世界の多様性を見せてもらったような気になる。世界はまだまだ「豊かさを保っている」、と思わされるのだった。時にこういうストレートな舞台はいかにも心地よく、一見ネガティヴな表現のようでも、見終わったあとに活力をいただいたのだった。

 さいごにちょっと書いておけば、さいごに登場したAbeさんはやはり、「日本の今の時代のルイーズ・ルカヴァリエ」と呼ぶべき、異才のダンサーだということを再確認。単にわたしの知り合いだからというのではなく、もっともっと注目されてしかるべき方だとは強く思う。


 

■ 2018-06-24(Sun)

[]akakilike「家族写真」倉田翠:演出・出演 筒井潤:テキスト @日暮里・d倉庫 akakilike「家族写真」倉田翠:演出・出演 筒井潤:テキスト @日暮里・d倉庫 - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

 前知識もまるでなくて「観たい」と思ったのは、寺田みさこさんが出演している、ということが大きいのだけれども、わたしは「群舞」的なグループでのダンスが苦手なところに、この公演はどうやらフィジカル・シアターっぽいところを目指されているのではないか、という期待からも、「やはり観ておきたい」とは思ったのだろう。じっさいに出演者のひとり、前谷開という人は写真家だそうで、この「家族写真」という作品自体、ダンサーで演出も手がける倉田翠と前谷氏との共同制作作品。そんな前谷氏が舞台のなかで撮影した写真が、会場のd倉庫のロビーに展示されてもいた。

 出演者は七人で、そのうちの六人が家族らしい。お父さん、お母さん、そして男の子が二人と女の子が二人。「お父さん」を演じられるのは筒井潤という演劇の人で、この人は維新派とかにも出演されていたのだという。そういうわけで、この「お父さん」にはセリフがあり、その抑揚のない棒読みのようなセリフがそれでもどこか関西弁というか、奇怪な印象を受けてしまう。このお父さん、つまりは家族のことを心配してるというのか、「お父さんが先に死んだら、皆どないする?」みたいなことを何度もいい、それで「ライフ・プランナー」のところへ行って契約して来たという。その「ライフ・プランナー」も登場するのだが、彼もしゃべる。彼はさっさとライフ・プランナーなんか辞めて転職してしまうらしいのだが、海パンいっちょうで舞台のうしろの方で泳ぎきるフリをしている。それとアレね、末の娘はバレエを習っているらしく、ことあるごとにそんなバレエのスピンだかをみせてくれる。上の娘(この人が主宰者の倉田さん)は、血を吐いてぶっ倒れる。

 ‥‥この背後には、観客が読み取るべき大きな「ストーリー」があるのだろうか? もちろん、お父さんが家族を守ろうとすることに異論はないし、お父さんが、普通なら自分がさいしょに死ぬのだろうということも、ま、そうなのかもしれないと思う。それで末娘がバレエを習っているらしいのも、そういう家族も多くあるだろうとは思う。ではなぜ、上の娘が血を吐くのか、わたしにはわからないし、そういう表現というのがわたしには気味悪く思えもする。そもそも、彼女が血を吐いても誰ひとり気にかけないし、登場人物はそれぞれ勝手に行動するような、それとも統一された気分で行動しているような、よくわからない。それで、バレエをやる末娘のバレエだって、「バレエを練習してます」という記号みたいなもので、観ていて気もちのいいものでもない。

 そもそもわたしは「家族」というものがよくわからないで生きて来た人間なので、こういう舞台を観てもわからない、「ダメ観客」なのだろうか。でもやはり、その背後の大きな「ストーリー」を読めなかったという気分は大きい。観て「おもしろい」と感じた人のお話を、ぜひとも聞いてみたい。

 舞台装置としての、「会議用折りたたみテーブル」ふたつをつなげ、その周囲やその上などを「延長舞台」にした演出は、納得できた。



 

■ 2018-02-24(Sat)

[]高谷史郎(ダムタイプ)「ST/LL」高谷史郎:総合ディレクション @初台・新国立劇場中劇場 高谷史郎(ダムタイプ)「ST/LL」高谷史郎:総合ディレクション @初台・新国立劇場中劇場 - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

 えええっ! ダムタイプって、こういう「よく出来たプレゼンテーション」的なパフォーマンスではなかったはずなのに。見た目はそれこそ「おしゃれでカッコいい」感じだけれども、時代を切り取ってみせるパワーは感じられない。音楽に坂本龍一も加わっているのだけれども、やはりみていると「この部分の音楽は坂本龍一だな」とわかるのだけれども、つまりは彼の意匠でしかない感じで、舞台に「力」を付与するものではないと思った。パフォーマーで出ている鶴田真由も、テクストを朗読する場面で、いかにも「手慣れた舞台俳優」みたいな感じで、これはわたしにはミスキャストと思えた。

 昔のダムタイプのように、「時代の先端を行くパフォーマンス」を期待してもみていたのだけれども、まったくそういうものではなかった。これは、「死骸」である。


 

■ 2018-02-10(Sat)

[]「隙間を埋めるのにブロッコリーを使うまで」福留麻里:ダンス 村社祐太朗(新聞家):テキスト @横浜・STスポット 「隙間を埋めるのにブロッコリーを使うまで」福留麻里:ダンス 村社祐太朗(新聞家):テキスト @横浜・STスポット - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

 ダンサーとしての福留麻里さんのことは知っているけれども、村社祐太朗という人のことはまるで知らない。「新聞家」というのはどういうことなんだろう。聞いた話では、要するに(演劇の人)だよ、ということでもあったわけで、つまりこの日のこのステージでも、「テキスト」を担当されている。‥‥ん? では「演出」は誰が?

 STスポットの小さな(狭い)舞台の床には、高さ・縦幅共に30センチ、横幅120センチ(?)ぐらいの木箱が置かれていて、ここにプロジェクターからまずはリアルタイムの時刻が映されていて、福留さんがあらわれて舞台がはじまってからは、福留さんのしゃべるセリフの英語訳が投影される。

 福留さんの声は小さくて聴き取れないし、それで木箱の<英語訳>に集中してしまうとよけいに印象に残らない。そのときはわかっていたつもりでも、ほら、わたしはもともと記憶力がアレだから、よけいに記憶からは消えてしまう。

 それで、わたしが憶えていられるのは福留さんの<動き>の方だから(何といっても、<ダンス>と紹介されていることだし)、そちらを注視するというか(もちろん、観ていたときにはその<ことば>にも神経をつかっていたのだけれども)。
 そのことよりも(福留さんはほとんど動かないし)、舞台が進行するにつれて変化する<照明>のことが気になってしまう前半。でも、観ているとある瞬間に、福留さんの肩から力が抜けたような、「それまでとちがう」という場面があり、そこから彼女の動きが面白くなった。

 わからないが、前半は「動きたいけど動かない」という身体、後半は「動けるのだけれども動かない」という身体なのかな、などと思ってしまった。でもなぜか、活力をもらえるような、不思議な舞台だったと思う。元気になった。


 

■ 2017-06-02(Fri)

[]小林嵯峨舞踏公演「孵化する」小林嵯峨:構成・振付 @日吉・慶應義塾大学 日吉キャンパス 来往舎 イベントテラス 小林嵯峨舞踏公演「孵化する」小林嵯峨:構成・振付 @日吉・慶應義塾大学 日吉キャンパス 来往舎 イベントテラス - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

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 小林嵯峨さんのことはちょくせつに存じ上げてもいるので書きにくいのだけれども、いろいろと微妙な公演だったという印象がある。ひとつ思ったのは、嵯峨さんはその演出でいつも、物語的なものをつくりあげられるのだなということ。今回も「孵化」ということをテーマに、その「状況」というのではない、ストーリーを紡ぎ出されていた。そして嵯峨さんの動きは、いわゆる「舞踏」というものからは距離があると思う。それは言葉に語弊があるかもしれないけれども、「動きが無造作」ということでもあるだろうか。いわゆる「身体の強度」で見せられる舞台ではない。それは決定的な欠点というのではなく、嵯峨さんの舞台のひとつの「特徴」なのだと思う。その視点から読み解かれるべきものなのだろう。

 今回の舞台には谷川俊之さんとおっしゃる方も客演されていて、この方は60年代に状況劇場、天井桟敷などに参加され、若松孝二監督の「処女ゲバゲバ」には主演されてもいたという方。彼が全身に毛皮をまとい、三本指の爪の鋭い腕でもって、頭から縄の束をかぶったメデューサのような嵯峨さんとからまれる。もう、60年代のアングラ演劇の再来のような様相ではあった。そんな「とんでもない」ありさまを観ることができたということだけでも、この日の収穫だっただろうか。

 

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