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■ 2018-05-06(Sun)

[]「乱れる」(1964) 松山善三:脚本 成瀬巳喜男:監督 「乱れる」(1964)   松山善三:脚本 成瀬巳喜男:監督 - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

 この映画の公開された1964年はもちろん、東京オリンピックの年。高度経済成長へと進みはじめたこの国だけれども、人々はまだまだ戦争の傷も引きずっている、「近代化」とはどういうこと? ということを合わせて描いた松山善三の脚本がいい。主演は高峰秀子で、これは東宝映画だから、加山雄三が相手役になっている。

 戦争中に静岡県清水の酒店に嫁いだ高峰秀子は、嫁いで半年で夫が戦死、清水の街も空襲で焼け野原になったところをひとりで尽力して酒店を再建、以後18年その店を切り盛りしている。しかし清水の街にもスーパーマーケットが進出してきて、個人経営の小規模店舗はその先行きを脅かされることになる。母の三益愛子にはふたりの娘(草笛光子、白川由美)とひとりの息子(加山雄三)がいるけれども、加山雄三は大学を出たあとは就職した仕事もすぐに辞め、フラフラと何をやりたいのかわからない。そんな加山にも、今の酒店をスーパーマーケットにして切り抜けようという計画、抱負はある。加山は酒店をスーパーにしたあと、高峰秀子を重役の地位に置きたいというのだが、母や娘らはその提案に(高峰の尽力は認めるが)積極的にはならない。実は、加山はずっとずっと、高峰のことが好きだったのだ(ちなみに、ふたりの年齢差は12歳になるのか)。ついに加山は、その長年の想いを高峰に告白してしまうのだが‥‥。

 けっきょく、その加山の告白は、高峰を家に居づらくさせる方向に作用する。高峰は加山に「話したいことがあるからお寺に来て」と書いて渡して(このシーンでドキドキ!)、高台の寺の境内でふたりで会う。ここでは高峰は加山を拒絶し、家に母と義理の姉らを呼んで、自分は家を出て行くことを告げる。

 高峰の実家は東北。その夜行列車に、「見送るよ」と、加山が同乗してくるのである。‥‥もう、ここからは、涙、涙。その列車の中で、ショットごとに加山の位置が変化して、だんだんに高峰のすわる席に近づいてくる(このシークエンスは最高!)。列車を乗り換えて向かい合わせにすわるふたり。それで、高峰が「次の駅で降りましょう」といって、その駅からバスで山中の温泉旅館へ行くのだね‥‥。

 高峰秀子も、「わたしだって女ですもの、<好き>といわれてうれしかったわ」というところから、「おお、ついに、ふたりは(たとえ一夜だけでも)結ばれるのか!」と思うのだけれども、同じ成瀬監督の「浮雲」では男(森雅之だったね)に「連れてってよ」といった高峰秀子だったけれども、ここでは「堪忍して!」と、男を拒絶してしまう。それは、亡き夫への忠誠だったのか、それともこの時代の制約ゆえだったのか、ここにこの映画のすべてのポイントがあったといってもいい。

 (いちおうモラル心を発揮して)結末はどうだったのかは書かないけれども、そのラストに走る高峰秀子のショットとその表情のアップ、その髪の乱れ方に、成瀬監督の美意識、意志を見る思いがした。

 加山雄三は朴訥な演技といってもいいと思うのだけれど、そのぶっきらぼうさが活かされていたと思う。そして、さいごの、その温泉旅館の近くの飲み屋をやっている浦辺粂子が、出番は少ないけれども、めっちゃよかった。
 もう、成瀬巳喜男監督の作品で記憶に残っているのは先に書いた「浮雲」(これも完全に記憶しているわけではない)ぐらいしかないけれども、やはりもっと、成瀬監督の作品を観てみたいものだと思った。


 

■ 2018-05-04(Fri)

[]「アメリカの影」(1959) ジョン・カサヴェテス:監督 「アメリカの影」(1959)   ジョン・カサヴェテス:監督 - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

 ジョン・カサヴェテスの監督としてのデビュー作。ニューヨークを舞台として、チャーリー・ミンガスの音楽をバックにして、まさにケルアックの「オン・ザ・ロード」的な世界が繰り広げられる。ここでの映画の主題になるのは「公民権運動」最中の人種差別の問題でもあるのだけれども、カサヴェテスはしっかりと被差別側の人々に寄り添った作品に仕上げている。

 しかし、わたしが注目したのはやはり、(特に前半での)当時のニューヨークの夜の背景で、いつも、登場人物よりも、どうしてもその背後の夜景にこそ心を奪われてしまうのだった。


 

■ 2018-05-03(Thu)

[]「ザ・フォール/落下の王国」(2006) ターセム・シン:監督 「ザ・フォール/落下の王国」(2006)   ターセム・シン:監督 - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

 この世界は、組み替えればまったく別の様相をあらわす。そんな組み替え可能な世界を、世界に絶望したケガで入院しているスタントマンと、オレンジを取ろうとして木から落ちて腕を折った少女とがいっしょに組み立てていく。語るのはスタントマンの男だが、彼にインスピレーションを与えるのは少女であり、彼と彼女の居るロサンゼルスの病院(撮影は南アフリカだったとか)が、組み替えられた「世界」の基準になる。その背後には、この作品の時代設定の<映画創成期>からの、「映画」への想いがある。

 「世界はいかにも美しい」ということを、ストレートに画面に定着させたこの作品は、やはり愛おしいものであり、ここまでに「映画館の大きなスクリーンで観たかった」と思わせられる作品もない。

 中にかなりアバウト(残念!)な、短いパペット・アニメーションが挿入されているのだけれども、これは誰がみても明らかにクエイ兄弟の「ストリート・オブ・クロコダイル」からの流用というか、このターセム・シンという監督の嗜好をうかがわせるものではあるのだけれども、残念ながらこの監督はその後、このような「アート系」の道をたどることはないようだ(ちゃんと観てはいないけれども、そのうちに時間があったら観てみようと思う)。


 

■ 2018-04-29(Sun)

[]「インヒアレント・ヴァイス」(2014) トマス・ピンチョン:原作 ポール・トーマス・アンダーソン:脚本・監督  「インヒアレント・ヴァイス」(2014)   トマス・ピンチョン:原作 ポール・トーマス・アンダーソン:脚本・監督  - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

 原作を読んだ直後にこの映画化作品を観たのだけれども、予想外に面白かった。というか、原作よりも面白かったような(いやいや、これは先に原作を読んでいたから、こそ楽しめたわけだろうが)。

 ま、本編2時間半ほどあるのだけれども、「よくもこの尺で、原作のテイストを活かしてやれたな〜」みたいな<驚き>というか、「ここまで原作をはしょらないでよくドラマ化出来たな〜」と、感心してしまうのでした。しかもその上で、「映画的な効果」としてちゃ〜んと演出している見事さ。いや、わたしは原作を読んで直後にコレを観たので、「なるほど、そういうことだったのか〜」というところもあるし、先に原作を読んでいたおかげで「コレはこういうことなんだよね」と理解できることもあった。自分なりに、なかなか良好な時間の使い方だったとは思う。調べたところでは、この監督のポール・トーマス・アンダーソンは、実はもっと前の「ヴァインランド」を映画化するために四苦八苦されていたらしい。

 とにかくは、「ビッグフット」と主人公の「ドック」との、表沙汰に出来ない「信頼関係」というのが如実にあらわされていて、それで泣けたというのがひとつ。そして、ドックとシャスタとの、「夢」のような関係性に涙するわけで、中盤(ラストに近い?)のシャスタの再来と、永い彼女の独白からの、ふたりのセックスへと至る「長廻し」の素晴らしさ、そして、もちろんラストの、幻想的な車内からの映像(車の外は<霧>に包まれ、これはほとんど黒沢清監督が得意とした「バス」のシーンを思い起こされるもので、いやいや、アンダーソン監督は黒沢清監督のことが念頭にあったにちがいないとは思うのだ)。

 いや、とても泣くような映画ではないはずなのに、終盤では涙がこぼれて止めようもなかった。これ、傑作でないの?

 ‥‥これは別項目だけれども、ビッグフットが日本人オーナーのパンケーキの店で食事するシーン、原作ではビッグフットはオーナーに「モット、パンケーキネ!」と注文出してるんだけれども、この映画版では、ビッグフットはなんと、「モット、<メリケンコ>ネ!」と日本語でいうわけで、いやいや、この脚色がポール・トーマス・アンダーソン監督自身によるものだとしたら、「メリケン粉」を知っているアンダーソン監督は、「とんでもない」日本通だということになりそうではある。

 あと、とってもよかったのが、「ジェイド」役の、ホン・チョウという女優さん。この人の存在が映画をシメていたな〜。彼女はタイ出身の女優さんで、実はけっこういい年になってるらしいんだけれども、可愛らしくて猥雑で、最高だった! And I Love Her!

 

 

■ 2018-04-12(Thu)

[]「街のあかり」(2006) アキ・カウリスマキ:監督 「街のあかり」(2006)   アキ・カウリスマキ:監督 - ワニ狩り連絡帳 を含むブックマーク

 あとで調べたら、この「街のあかり」と、前に観た「浮き雲」、「過去のない男」とで、カウリスマキ監督の「敗者三部作」なのだということ。その最終章。
 つづけて観た印象でいうと、まずは意外とセリフが多いというか、今までのようにギリギリ削ぎ落としたというのでもない「すきま」を感じさせるところもあったようには思う。でも、映像はやはり禁欲的。そんな中で、小津的ともいえるような「捨てショット」が気にかかるところはあった。カウリスマキ監督としてはどこか、「踏み出した」ような感覚は受けた。

 ストーリーはつらい。これまでの作品ではさいごに「希望」というか「救い」が見てとれたのだけれども、この作品では、どこまでも蹂躙されつづけた主人公が「ここでは死なない」と語ることで終わる。そのときにそばにいたグリルの女性との未来にこそ「希望」を感じさせるとはいえ、今までのように明確に「この先に<希望>がある」という描き方ではない。
 この作品では、その主人公の「ここでは死なない」という言葉に観客を感情移入させ、「その後の主人公の生き方」に観客それぞれの<想い>を導くことにこそ、この映画の裏側に込められた「希望」というものを感じ取れるようではあった。

 先に観た「過去のない男」でも出演していたあの犬が、ここにも出演していた。

 

 

 

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