2007-10-22
■[声優][オタク]崩壊するアイドル声優の処女性、もしくはオタク世界の変容
- 小さな異変
先週見たDreamParty東京2007秋における宮崎羽衣のステージは、とても奇妙な感覚を与えてくれた。
おそらくは、清純さを売りにしている彼女のステージにして、タイトなミニスカを着用し、実に扇情的に腰を振るようなダンスを披露したのだ。
これを見たその場では、単に「ああ、平野綾の影響かな?」と思った。おそらくは年齢的にも近いであろうアイドル声優にして、圧倒的に飛びぬけた人気を誇る平野綾のスタイルに肖るというのも、ごく普通の一つの選択肢と思えるからだ。
しかし、よくよく考えてみると、これはとても大きな冒険ではないかと思える。清純派の声優が扇情的な格好でダンスをする?普通だったらありえない事だ。
そう思うと、改めて、平野綾という存在の異質さに気付いてしまう。ここで、問題なのは平野綾というアイドル声優が世間に広く認められているという事なのだろう。
平野綾はとてもスタイリッシュだ。ほとんど常にミニスカを着用し、女性的な魅力を周囲に振り撒いている。自分が「見られる存在」である事を常に自覚しているのだろう。それも、自分自身がセンスの最先端であるという自覚を持って。これほどまでに「見られる」事に対して自覚的な声優は、もしかすれば、声優史上でも彼女が一番かもしれないとすら思える。事実、彼女ほどビジュアルが評価され、実際に価値を持っている声優は他にいないだろう。
ただ、この「ビジュアル重視」で彼女を評価しているが為に、もう一つの彼女の特異性を見逃していたのではないかという事に気が付いた。
それは、彼女が「処女性を持たない」ということ。
非常にセクハラ的で、ややもすると誹謗中傷とも取られかねない事をいっているが、これは別に「彼女が非処女だ」とか言い立てているわけではない。実際に彼女がどうかとかはここでは関係無い。要はイメージの問題だ。
平野綾はスタイリッシュに生きている。そんな存在が二十歳にもなって経験の一つや二つ無い方が不自然。そんな雰囲気が彼女にはある。
これは、普通の芸能界の女優やモデルの世界であれば自然な事なのだが、平野綾が活躍している「オタク産業」の「声優業界」、それも「アイドル声優界」ではまったく違う。
「オタク文化は童貞文化だ」という事はよく言われる。「おたく」という言葉が、もてない男が趣味に熱中している姿の蔑称を発端としているように、オタクともてない男=童貞は、なかなか切り離せない関係にある。オタクという言葉が世間的に認められ、実はもっとかっこいい男の生き様だ、と考えるポジティブな視点が発生しているとしても、その裏にはオタクはもてない男=童貞のネガティブな現実も存在し続けているだろう。
そして、アイドル声優業界というものも、そんな童貞達の欲望によって支えられている。
当然、童貞の男達に求められる、アイドルの最も基本的な要素は「処女性」だ。だからこそ、歴代のアイドル声優達は清純さを強調し、少しダサくても、純真さを感じさせるような衣装を身にまとっていたりするのだ。
- 「17才教」と「声優挿げ替え問題」
例えば、アイドル声優界に「17才教」というものがある。あれは、結局の所、アイドル声優の処女性を補完するものなのだろう。三十路になっても処女だ、というのも明らかに無理がある。けれども「17才教」に入信する事によって「17才だから処女でも良いよね」的なお遊びが許される。そうして、三十路の声優であろうとも処女性を保つ事ができるのだ。
また、最近18禁ゲームがTVアニメ化される際、声優の入れ替えが行われたりする。これは企業の利権の問題といわれるが、別の理由もあるだろう。18禁ゲームに声を当てた声優は当然濡れ場を演じている。それはやはり声優の処女性の喪失になってしまう。けれども、TVアニメのアイドル声優は違う。彼女達は「17才教」に入るなどして、処女性を保っている。つまり、神○ひ○は非処女かも知れないが、堀○由○は、公式には処女なのだ。
- 綻ぶ童貞文化
しかし、そんな磐石ともいえる、オタク=童貞文化の処女礼賛にも、すこしずつ綻びが生じてきているのかもしれない。そんな予感が平野綾という存在だ。
彼女のスタイリッシュさを求める声の中に、彼女の扇情的な衣装に対する反発はあまり感じない。
それは、オタク文化を支えるオタク層の多くを童貞が占めていた時と、明らかに状況が変わってきているからかもしれない。オタク文化はより幅広くなり、より洗練された文化として認められたいと願う者も多い。そこに集うオタクも、決してもてない男ばかりではなく、より多様な人間がオタク文化を享受し、もしくは生み出している。そこに童貞・処女にこだわる勢力をはっきりと見出すのは難しい。
変化は、一箇所だけであれば見つけるのは簡単だ。けれどもそれを取り巻く状況全てが変遷していると、その変化に気付く事は難しい。
平野綾の登場は、正にそんな状況の中にあった。彼女のような「処女性を持たない」アイドル声優が受け入れられたという事は、オタク達がアイドル声優の処女性を必要としていなかったという状況を証明している。もう、この時点でオタク文化は童貞文化にこだわる必要性が無くなっていたということではないだろうか。
- 開放されるアイドル声優、そして・・・
例えば、昔の活動で非処女である事をばらしてしまったが為に、アイドルとしての活動が認められないでいた声優がいる。けれども、今では再評価され、順調にCDをリリースし続けている。
例えば、18禁ゲームがコンシューマー化される時に、声優の総入れ替えが行われた事がある。けれども、そのゲームもオリジナル声優を使ったゲームが復刻したりしている。
例えば、18禁ゲームだろうと他の活動だろうと変名しない事にこだわったマルチタレント声優がいる。その活動は徐々に認められ、ゲームがTVアニメ化された時にはそのままのヒロイン声優を担当し、主題歌も歌う事になった。
平野綾、宮崎羽衣に限らず、アイドル声優界全体に少しずつ変化の兆しが見えてきているように思う。
オタク文化の童貞性は一つのスタイルであり、その勢力は決して無くなる事は無いだろう。アイドル声優への処女礼賛も。けれども、それ以上にオタク文化は多様化し、それだけにこだわる必要は無くなりつつあるのではないだろうか。
童貞性・処女性の喪失は、正にオタクという文化の成長に他ならない。この成長によって、今まで押さえ込まれていた様々なものが解放されるのであれば、それは喜ばしい事に違いない。
これらはまだ、オタク文化の中でも、アイドル声優という側面に現れた兆しに気付いているだけでしかないが、それがオタク文化全体の変容にも繋がっているのか、今後も注意深く観察していきたい。
では田村ゆかりが以前苦言を呈したように
17才教に16才の子が入っていたことについて一言お願いします
平野綾が好きなのは良く分かったが
オタクコミュニティで○歳にもなって処女じゃないだろ。
って言うと
「お前帰れ、もう来るな」って言われるよなー
平野綾は髪形変えて染めた時処女喪失したな、って言われだしたね
声優ヲタでない人にとっては劣化。アニヲタ全てがドル声優ヲタではない。
声優が外見で評価されて腰ふるのに付いていく時代になったことを嘆くべき。
理解できない人がいるのは至極当然です。
17歳教って言うのは、その参加者が処女・非処女か、既婚・未婚のどちらで見るかで捉え方が変わるんじゃないかな。
処女性の所在とか、考えたこともないや。
この文では平野綾についてビジュアル面しか書いていませんが、その声優の才能や歌、トークについても評価しています。当然、魅力を感じています。
髪の色によって決定付けられるものではないでしょうが、それがイメージを助長するのは確かでしょう。
清純派声優による扇情的なダンスの、前例の有無ははっきりと分かりませんが、両者のイメージがかけ離れたものである事は事実です。
声優が声優技術以外の部分「のみ」で評価されるのならば本末転倒ですが、声優技術以外の魅力を「付加」するのは良い事だと思います。エンターティメントである以上、より多面的な魅力を可能性として認めたく思います。
声優の処女性危機と初音ミクブームは関連付けられそうですね。面白い指摘です。文中では取り上げませんでしたが、業界側で起した不祥事も、この流れに加速をつけた可能性は充分あります。
平野綾の処女性云々は主観によるものなので、当然、無理に共感を求めるものではありません。ただ、アイドル声優業界は「水着ご法度」など二十歳以上のタレントでも処女性を要求される特異な業界である事は確かで、平野綾がその流れから外れようとしている事は、プレイボーイ今週号のグラビアなどからも感じる事ができます。
17歳教は、既婚者であるお姉ちゃんと妙齢の未婚声優とでは、確かに雰囲気が違いますね。当然、ここで取り上げているのは「妙齢の未婚声優」の入信についてです。他の例では、処女性を感じさせない声優が19歳とか23歳とか言っているのも面白い所です。
理論的に間違えがあるからコメしてるんだろ
感情論での結論づけしかできないのは単純にゆとりか荒らし
これは平野綾さん自身にもいえることで、HEY!HEY!HEY!の時の彼女は、ここでいうところの処女性、古風なまでにお約束然としたアイドル的な存在だったといえます。それがいまや、自らセックスシンボルたらんとする、そんなスタイルに変貌を遂げました。
そんな彼女の変化と、それを柔軟に受け止めた声優ファンというの存在は、いわれてみれば注目すべきことかもしれません。自分自身、彼女の変貌をむしろとても好ましく感じることに今ふと気づき、とても驚いているところです。
話を広げれば、武道館でアニメソングの興行が開催されるなんて、一昔ほど前では考えられなったことでしょう。もっと変化がほしい、殻を破ってほしい、そういう意識が顕著に高まっている時代かもしれません。特に音楽と結びついたときに、ポップスよりもロックに親和性が高かった? そんなところも興味深いかもしれません。
ラムズとして清純っぽく(あくまで、ぽく)売り出しているのは酒井香奈子ではないかな。 以上、本筋とは離れた指摘にてすいませんが、ういういファンとして、彼女が「清純派アイドル声優」なんて呼ばれることは聞くに耐えないので。
>かみなりさん
確かに考えてみれば、平野綾自身にも変遷がありますね。徐々にイメージが鮮明になっていった事も、彼女が受け入れられた要素かもしれません。所謂オタク産業が拡大し、多様化しているという現状においては、その質も洗練され、向上していかない限り、いつかは衰退へと向かうでしょう。今はちょうどその分岐点なのかもしれません。
>ういっちさん
いやいやw、それは宮崎羽衣が、世間知らずな「へたれ声優」とか、捨てられない性格の「よごれ声優」とかの、ギャグとしての清純派の否定ですよね。確かに彼女のイベントなどでの扱いは「ネガティブキャンペーンか?」と思えるほど酷いものですw。しかし、その実、年齢不詳だったり、CDのジャケットはロリロリだったりと、典型的なアイドル声優のスタイルです。「無知」とか「へたれ」とかは、無垢性、つまり処女性にも繋がるでしょう。この文脈の中で彼女を「清純派」とするのは妥当と思います。
その危機感の表れとしてエロでオタをつらざるをえなくなっただけなんじゃないの。
これで斎藤と王子は完全に亀裂だな
観察に値するとは思うが、所詮彼女彼等は役者であろう。芸人と一緒くたにするのはどうかと。
ま、売る側が芸人モドキとして売っているのだから、錯誤も止むなしか。
実力のある声優が増え、処女性以外の魅力に引き付けられるファンが増えたのでしょうかねぇ。
私などは「アイドル声優平野綾という特異な存在 」というにのにそもそも疑問を感じます。
なぜなら、処女性の喪失というものは1昔前の椎名へきるのアーティスト宣言で感じたものだからです。
たぶん、その10年前も同じようなことがあったのではないでしょうか?
平野綾というとむしろ天使のしっぽのイメージのほうが強く大きくなったなあ、という感じです。
くろうさんの年齢はよくわかりませんが、たぶん、時代の違いかなあと思ってしまいます。
林原めぐみのプロモーションの変遷を考えると、また興味深いかも。