ガッチャマンクラウズ GALAXの駄目さ加減を呟いてみる

ガッチャマンクラウズ、最後はどうなるのかな。ガッチャマンが面割れして、ロードも面割れして、なら、両者の活躍を社会が支えるとかで人類皆の力合わせれば勝てるんじゃねとか言い出して、ベルク・カッツェを呆れさせて撤退させるとか。
もしくは、はじめちゃん間違ってました。やっぱ勝てましぇーんとかで人類滅亡するとか。
何はともあれ、一つ大切な確認が取り残されているので、それについて語っておきたい。
マジックのネタで、一度ガラクタとされたモノって観客の注意が逸れるのでその真偽がおざなりになるというものがある。真偽の偽だと思ってたものが後で復活すると、それが真だと直ぐに信じてしまう。何を言いたいのかと言うと、GALAXって使い方誤ったから駄目だったけれども、上手く使えば良いツールじゃね、と思っている人が居るんじゃないかと言う事。なので、GALAXの駄目さ加減は、一応明確にしておいた方がいいのかなと思って、確認記述。
何が駄目って、まず広く配布されていない。もし社会を、まあここでは日本でいいけれども、を覆すほどのものにするならば、全国民が使える状況じゃなきゃダメ。普通に情報格差が生じている。こんなものに社会制度を預けられる訳がない。
なら、それは後々行き渡らせることにすればよいと言うかもしれない。だとしても、このシステムには存在意義そのものに問題がある。
結局、このシステムは善意によって賄われている。ならば、善意が発動しない場合は何も使えない。それって、例えばクラスで嫌われているいじめられっ子は恩恵に預かれないということ。ヤクザ者が病気になっても誰も助けてくれない。集団リンチならぬネグレクトが生じるかもしれない。逆に八方美人な人は色々得したり。早い話、社会制度としては女の子の姦し話くらいにしか役に立たない。
このガッチャマンクラウズは震災後の世界を描いている。だから、そんな社会では人助けが皆の心に宿っているはずという認識なのかもしれない。ボランティアをしたその実体験が、現実味を与えていたり。しかし、震災のボランティアと社会制度では全然違う。震災は現に不幸な人が存在したからこそ、それを埋める善意がそこにある。しかし、社会制度は幸不幸の関係なく、広く生活する人を補佐するもの。
全ての国民に行き渡り、誰彼を問わず、そこに生活する人全てを補佐するシステムは現存する。それは国家行政だ。必要に応じて税金を取り、行政行為を実施する。これは小学生でも知っていること。
この考え方を覆し、人の善意とか曖昧なものに頼るシステムにとって代わらせようとする「革命」など、下手なテロリストより性質が悪い。自分の理想では無く「有るであろう」人の善意に頼って、そんな恐ろしいものに社会を任せようとするなど、「悪魔的な革命家」と言えるだろう。これ、バットマンの悪役に例えると、ベルク・カッツェがダークナイトのジョーカーだとすれば、累々はライジングのベインみたいなもの。そんな恐ろしい事を善意でやろうとしていること自体、どうかしている。
はじめちゃんがGALAXを活用して毒入り牛乳回収する手柄話を見ていて、私は恐怖しか感じなかった。なぜ、そんな責任者不在の情報を信じて、器物破損などの違法行為が出来るのか。小学生以下の倫理観じゃなければ出来る事じゃない。
という、実に根本的な認識違いが存在しているのに、その事が明確に認識されているのか少し気がかり。もしかしたら、最後の最後でこのGALAXの有効活用を信じさせる結末とかになったりするかもしれない。
それにしても、こんなシステムを見てなにか可能性を感じちゃう人がいるということ自体が、本当に恐ろしい。社会はそこにある。その社会をいかにして立て直すかということを放棄して、一足飛びで何かを得ようとする安易な考えの怖さ。例えそれがエンタメでも、その怖さをまず自覚したうえで楽しむくらいの社会性は持ち合わせていたいものだ。
けど、作り手が気付いてなかったり、信じてたりすると視聴者もそれに同調しちゃうものだよね。本当にこの作り手は何を考えて作っているのかな。最後まで確認する必要があるなあ。
ワクワク。実に面白い。