きんいろモザイク最終回を見て 〜少女の作り出した金色のファンタジー〜

いやはや素晴らしい出来だった。
のきんいろモザイクのアニメの素晴らしさは、思うに忍という特異なキャラクターを最初から最後まで振れずに中心に据えている事だろう。特に、最終回ではその構造をより明確な形とするべく、あのような変則的なミュージカルとなっている。その作品に対する認識の深さが本当に素晴らしい。
きんいろモザイクはどのような物語だったのか。それは、幼いと言ってよいほどの、一見ごく普通の少女が、単身海外にわたってしまうほど強い憧れを胸に秘めていたからこそ始まった物語だ。
その憧れとは、忍の金髪に対する憧れ。
忍は金髪に憧れ、その友達を手に入れるべくイギリスに渡り、人見知りの少女アリスの心を開くまで語り掛ける。その情熱に同調したアリスも、忍の事が好きになり、日本の事も好きになり、日本に留学してきてしまう。さらにはアリスの幼馴染カレンまでもが日本に来てしまう。
物語の中で、最も感情を表すのはアリスだ。アリスの喜怒哀楽が物語を動かしていると言ってよい。しかし、そのアリスの感情の裏には忍の行動がある。彼女は、いついかなる時でもマイペースで、自分の思うとおりに行動する。金髪に対する憧れも、尋常じゃないほど持ち続けている。それにアリスはいつも振り回される。つまり、このアリスの学園生活は、正に忍の憧れが作り出していると言ってよいだろう。
最終回、物語はいきなり遡り、忍が特異な能力を表すエピソードが語られる。
普段から、その妄想力で全くのでまかせをスルリと言ってしまえる忍が、自ら作り出した物語を語り始める。
忍は、元々金髪を持っていたのだが、世界を救うためにその金髪を捨ててこの世界を維持させた。
その突拍子もないほら話に、聞き入るクラスメイト全員が引き込まれてしまう。
しかし、それは当然なのだろう。なぜならこの「物語」は真実だから。現実の裏側には、その現実にある物事を成り立たせる、人の立場や能力や感情の流れというものがある。それら諸々の流れをクローズアップして形にしたものこそが「物語(ファンタジー)」であり、それはそれこそが真実であるとも言える。云わば神話こそがもっとも真実を映し出す物語であるように。
ここで語った忍のほら話は、大げさに言ってみれば、忍とそれを取り巻く金髪の少女達が織りなす、普通の様でいて決して普通ではない、金色に輝く学園生活の「神話化された物語」だろう。その当事者である本人たちは当然物語に引き込まれるし、そういった聞き手を持つ物語は、その周りの聞き手も引き込む力を持つ。
あの瞬間、忍とアリスと、カレンと、あややと陽子は、その学園生活を神話化したという訳だ。その語り部の忍こそ、その神話的世界の女神的な存在と言える。
さらに物語は遡る。その全てを引き込む女神に出会ってしまい、憧れを持ったごく普通の少女アリスが、努力して、日本語を勉強して、日本に向かう瞬間が描かれる。
第一話が、忍という女神の御業による人への采配を描いているとするならば、最終話こそは、物語を通じて女神忍がいかなる存在であったかを全て伝えた上で、その物語の主人公となる人アリスの物語の始まりを描いている。
物語は呼応し円環する。忍の渡英が始まりであったように、アリスの来日も始まり。二人の感情が響き合い循環している限り、常にこの少女達の作り出した物語世界は金色に輝き続けるだろうと感じさせる終わり方だった。
まあ、続編は当然あるよね。